2026年4月11日土曜日

●「一〇〇%構文」が、「人(ひと)」というレベルで成り立ってしまう■社会※2026/04/11 1:16

自己責任論についてちょっとだけ言っておく。

自己責任論というのは、ほんらい責任を問うべき人の責任を問わない理論なのである。

たとえば、政治家が悪い政策をしたとする。その場合、その政治家の責任だということになる。

ところが、自己責任論になると、悪い政策の被害を受けた人の責任だということになってしまうのである。どうしてかというと、悪い政策の被害者は、その政治家が悪い政策をするとき、反対しなかったから、自己責任だということになるからだ。

そして、「なんでも、自分の身に起こったことは、自分の責任だ」ということになるので、悪い政策の被害を受けた人たちの責任だということになってしまうのである。

そうなると、「ほんとうは、責任がある人」をせめずに、「ほんとうは、責任がなく、被害を受けた人」をせめるということになってしまうのである。

この特徴は、いろいろなところであてはまる。

言霊の「できると言えばできる」ということも、これとおなじことが成り立っている。

それらの言葉は、社会のしくみのなかで機能しているわけだから、言ったもの勝ちだということになってしまう。

「すべては自己責任」とか「できると言えばできる」という言葉は、社会のなかで機能しているのである。

だから、運用の問題が発生する。

ところが、『正しそうなら、正しい』と確信してしまう人たちが出てくる。

この人たちは、悪い政治家の責任は問わずに、悪い政治家がやったことによって被害を受けた人たちの責任を問うということになってしまうのである。

しかし、自己責任論を信じている人たちは……つまり、自己責任論で洗脳されている人たちは……『自分がいいことをしている』とか『自分が言っていることは正しい』とかと思ってしまうのである。

ほんとうは、責任がない人たちの責任を問い、ほんとうは、責任がある人の責任を問わず……ほんとうは責任がある人の側に立ち、責任がある人をかばっているにもかかわらず、『自分が正しいことをしている』と思ってしまうのである。

これが、社会における自己責任論のほんとうの存在理由だ。

逆算して、こういう『社会的な雰囲気』をつくるために、自己責任論をはやらせたのだ。

しかし、「ほんとうは、責任がない人たちの責任を問いましょう」「ほんとうは、責任がない人たちに責任をおしつけましょう」「ほんとうは、責任がある人の責任を問わずに、責任がある人のことをかばいましょう」とは、(彼らは)言わない。

そんなことを言っても、「これは正しい」と思う人は少ないからだ。

だから、アンガーコントロール論としての、自分を対象とした自己責任論を、まずは、はやらせるのである。

これだと、『これは正しい』と思う人たちが、出てくるからだ。

多くの人が、自分を対象とした、アンガーコントロール論としての、自己責任論は正しいと感じてしまうのである。

しかし、一度、自己責任論を受け入れた人たちの多くが、他人を対象とした自己責任論を語りだすのである。

どうしてかというと、人間には、自分を対象とした自己責任論限定で、自己責任論が正しいとは、思えない傾向があるからだ。

自己責任論は『論』として正しいと思ってしまうのである。

だから、他人を対象とした自己責任論も正しい理論だということになってしまう。ここで、抽象的なジャンプをおこなっているのである。

対象が、拡張してしまう。

「宇宙を貫く絶対法則」ではないにしろ、『これは正しい』と思った人は、他人を対象とした自己責任論を語るようになるのである。

なぜかというと、『これは正しい』と思っているからだ。

なので、冒頭に戻ると、「悪い政治家」の責任は、なぜか追及されず、悪い政策の被害者が、責任を追及されるということが発生してしまうのである。

そして、責任を追及するほうも、一般人だという「いやらしさ」がある。

一般人が、被害者である一般人の責任を追及し始める。これは、やばいだろ。

数で言えば、一般人のほうが、圧倒的に多いのである。

少数の「悪い政治家」ではなくて、多数の「一般人」が、批判の対象になるのである。

多数の一般人が、多数の一般人の「責任」を追及し始める。

しかも、えん罪である場合もある。

この場合、悪い政治家のほうが悪いわけだから「悪い政治家の責任」を追及するべきなのに、悪い政策の「被害者の責任」を追及し始めるということになってしまうのだから、えん罪だ。

一般人のなかで、「被害者」のほうに責任がなすりつけられているのである。

他人を対象とした自己責任論者は、一括思考をして、被害者のほうの責任だと決めつけ、被害者のほうの責任を追及し始めるのである。

たとえば、実際に一般人のなかに、その人の責任で、うまくいかないことが発生したということがあるとする。

けど、それは、個別に考えるべきことなのである。

ようするに、一括思考はよくない。

これ、一括思考をしているのだ。

たとえば、無職のなかには、たしかに、その人の責任で無職になったという人もいる。

けど、その人の責任ではなく、いたしかたがない理由で無職になった人もるのだ。無職のなかには、とりあえず、この二種類がいるとする。

無職というレベルでラベリングをすると、無職は無職なので、いたしかたがない理由で無職になった人も、その人の責任で無職になったという人も、おなじだということになる。

一括思考で、おなじような存在だとみなして、「無職になったのは、自己責任だ」と決めつけてしまうのである。

しかし、その人の責任で無職になったという人といたしかたがない理由で無職になった人は、ちがうのである。

たとえば、ニートのなかには悪い人もいるとする。

だから、ニートは全員が悪い人なのかというと、それは、ちがうのである。

ところが、一括思考をしてラベリングをしてしまう人は、「ニートのなかに、悪い人がいるのだから、ニートは悪いやつらだ」と一括思考をしてしまうのである。

たしかに、被害者のなかにも悪い人がいるのだけど、それは、被害者が悪い人だということをいしていないのである。

悪い政策の被害者のなかには、たしかに、「本人」に問題がある人もいるだろう。

「本人」の行動によって、悪い状態がしょうじたということもあるだろう。

しかし、そういう「本人」が、ひとりいるからといって、「本人」全員に問題があるとは言えないのだ。

本人に問題がない場合も、被害を受けることがある。

ラベリングをして、一括思考をすると、個別性が失われるのである。

そして、自己責任論の場合、他者を対象とした自己責任論になるので、「他者全体」というレベルのラベリングがおこなわれることになる。

どこでおこなわれるかというと、一般人のなかにいる自己責任論者の頭のなかでおこなわれるのである。

多数の一般人なのだよ。

多数の一般人は、まず、アンガーコントロール論としての「自分を対象とした自己責任論」を正しい理論だと認識する。

しかし、この人たちの頭のなかで、他人を対象とした自己責任論が付け加わるのである。

どうしてかというと、「抽象的に正しい理論だ」と思っているからだ。

抽象的なレベルで、「一括化」が発生する。

自分を対象とした自己責任論は、「人(ひと)」というレベルで抽象されてしまうのである。

そうなると、「一〇〇%構文」が、「人(ひと)」というレベルで成り立ってしまう。

2026年4月10日金曜日

●働かないことを選んだわけではなくて、働けない体にされたのである■騒音※2026/04/08 9:29

ちょっとよくわからないことがある。

それは、ぼくが(当時)無職だということに、コンプレックスをもっていると思う人たちがいるということだ。

これ、当時の話なのだけど、この人たちが想定している「無職コンプレックス」とぼくが、感じている「いらだち」はちがうのである。

ぼくが感じている「いらだち」というのは、きちがいヘビメタ騒音のことをほかの人たちが認めないということなのである。

きちがいヘビメタの影響を……多くの人たちが認めないのである。

そして、このようなほかの人たちは、(みんな)無職に対して偏見をもっているので、俺に対して、偏見を持つのである。

しかし、ぼくは、偏見を持たれるようなことをしていないのである。

こっちが不愉快だと感じる態度をとられると、腹が立つのである。こいつら……は、みんな、ヘビメタ騒音の影響がどれだけでかいかということを認めない。

こいつらが経験したような「騒音」とおなじレベルの騒音だと思っているのである。そして、「自分だって苦労した」という言葉で、すべてを、相対化してしまう。

いやーー。あなたが、苦労したということは認めるけど、ぼくと同等の苦労をしたとは認めていないのである。ぼくは……認めていないのである。

けど、相手の頭のなかでは、「自分だって苦労した」と言うことで「同質・同量」の苦労をしたということになってしまうのである。「同質・同量の苦労をしたけど」自分はそれにたえて、働いている……。

……だから、エイリも働けるはずだという思い込みがあるのである。

ところが、この思い込みが間違っているのである。そもそも、この人たちは、ぼくと「同質・同量」の苦労をしていない人たちなのだ。苦労はしたけど、「同質・同量」の苦労は、していないのである。

どうしてかというと、家族がきちがい兄貴のような家族ではなくて、普通にしずかにしてくれる家族だったからだ。あるいは、そもそも、きちがい兄貴が鳴らすような音で、音楽を聴こうとしない家族だったからだ。

何度も言うけど、この人たちは、きちがい的な家族と一緒に暮らしたことがないのである。だから、きちがい的な家族がもたらす、苦労をしたことがないのである。

家族関係の苦労に絞るなら、この人たちが経験した苦労というのは、普通の家族がもたらす苦労なのである。

きちがい兄貴と言ってるけど、うちの兄貴の感覚は、おかしいのである。狂人のそれなのである。

まず、あれだけの音で鳴らしても、まったく問題がないと感じてしまう感じ方がおかしいのである。

そして、あれだけの音で鳴らしていながら、なおかつ、聴力が正常なのであれるにもかかわらず、「普通の音で鳴らしている」と思ってしまう無意識的構造が、おかしいのである。

異常なのである。

普通の頭の持ち主ではないのである。

異常な頭の持ち主なのである。

その異常な頭の持ち主が、こだわってこだわって、こだわって、やることが、ぼくに影響を与えたのである。

ほかの人たちは、ヘビメタ騒音の話を聴いたあとも、ぼくが、普通に働けると思っているのである。

ところが、ぼくは、普通に働くことができないのである。どうしてかというと、長期間、きちがい兄貴の騒音が毎日、鳴っていたからだ。

この毎日の騒音というのは、毎日に影響を与える。

もちろん、ぼくの毎日に影響を与える。

「自分だって苦労した」と言った人の、毎日影響を与えたのではなくて、ぼくの毎日に影響を与えているのである。

*     *     * 

ぼくが「無職コンプレックス」をもっていると考える人が、考えている「無職コンプレックス」というのはなんなのかというと、「無職劣等コンプレックス」のことなのだ。

ようするに、劣等感のことなのだ。

だから、ぼくは、この言葉に、ひっかかりを感じるのである。ぼくが持っているのは、「無職劣等コンプレックス」ではないのである。

コンプレックスというのは、心的な複合体という意味だ。

だから、当然、優位コンプレックスとか優等コンプレックスとかといわれるものもある。

しかし、日本語では、コンプレックスと言えば、劣等コンプレックスのことを指すということになっている。 

コンプレックスということを言うのであれば、ぼくが感じているコンプレックスは、「きちがい兄貴コンプレックス」なのである。ぼくが感じているコンプレックスは、「きちがい騒音のコンプレックス」なのである。

きちがい騒音の結果、無職になった。「きちがい騒音の結果」という部分を、ごく少数の例外を除いて、よその人は、無視する。

無視したよその人が、ぼくが言っていることを認める確率というのは、ほぼ〇%だ。これが現実なのである。

だから、「無職であることのコンプレックス」ではなくて、「ヘビメタ騒音によって無職にされたコンプレックス」なのである。自分が納得して、無職になったのではなくて、きちがいヘビメタ騒音によって、無職にされたのである。この「された」という部分を理解できる人は、ほんとうに少ない。たいていの人は、この部分を無視する。たいていの人は、この部分を理解しない。

働かないことを選んだわけではなくて、働けない体にされたのである。

長い年月をかけて、働けない体にされたのである。

この「長い年月をかけて」という部分を無視してしまう人がいる。その人たちのなかでの「騒音」というのは「鳴っているときの騒音」だけなのである。

割と短い騒音時間を想定して「鳴っている時間」というものを考えるのである。だから、きちがい兄貴の騒音のことがわからないのである。

どれだけの意地で、毎日、無視して鳴らしたか……ということがわかっていない。毎日のことなんだよ。通学していたとき、六年と半年間、続いたんだよ。

そのあとも何年も何年も毎日、あたりまえのように続いたんだよ。

どうしてかというと、きちがい兄貴が、鳴らしてはいけないレベルの騒音だということを、そのあいだずっと考えなかったからだ。

どれだけ言っても、きちがい兄貴が、きちがい親父の態度ではねのけて、耳が正常なら絶対にわかることを認めないのである。絶対に認めなければならないことを、認めないのである。

この態度が、もたらす、不愉快な感じといったらない。

そういう態度で鳴らしているやつが鳴らしている騒音なのである。これも、工事の騒音とは違う。工事の人たちは、でかい音を出しているということがわかっている。

工事を計画した人も、それがわかっているから周辺住民に、だいたい、この時期には終わるということを告知するのだ。

ところが、きちがい兄貴は、でかい音で鳴らしているのに、小さな音で鳴らしていると思っているのである。あんなでかい音で鳴らして普通の音で鳴らしていると思っているのだる。これが、感覚器を欺くことなのだ。

普通の人であれば、芝居をしているだけなのである。

ところが、きちがい兄貴は、自分がどでかい音で鳴らしたときは、それが普通の音に感じてしまうのだ。

そういう脳の書き換えがある。感覚器自体は正常なのに、思いっきり鳴らしたいので、たいした音じゃないと思ってしまう。

感覚してしまう。思いっきり鳴らしたいから、無意識的な嘘がしょうじるのである。そして、そういう嘘を生じさせたということに、ほんにんがどこまでも、無自覚なのである。

こんな汚いやり方で、毎日、ものすごい損害がしょうじる騒音をやられたら、たまったものじゃない。「俺だって騒音ぐらいあった」と言っている人は、ちがうタイプの騒音について述べている。ぜんぜん、ちがう。

「俺だって騒音ぐらいあった」という反応しかたは、俺だって苦労した」いう反応とおなじで、ぜんぜんわかっていない人の反応なのである。

この人たちは、感覚器を書き換えてしまうタイプの嘘つき家族とは、一緒に暮らしたことがないということが、あきらかだ。

感覚器を書き換えてしまうタイプの人間が出している騒音を毎日聞かされたことがないということが明らかだ。ほんとうに、毎日、ほんとうに同じレベルの騒音が、ずっとずっと続いたら、こいつらだって、通勤して働けない体になる。

実際に、通勤して働けない体になっていないところを見ると、ずっと、軽症なのである。ぜんぜん、わかっていない。

わかっていないということ自体が、この人たちが経験した騒音が、ぼくの経験した騒音とは全くレベルのちがう騒音だということを、如実にあらわしている。

2026年4月9日木曜日

●ヘビメタにやられて人生がなかった■騒音※2026/04/09 14:33

  『懐メロ』を聴いているけど、むなしい。とてつもなく、むなしい。はやく、ねむれるようにならないかな?

ほんとうに、ぼくの人生は、なんだったんだ。 

ヘビメタにやられて人生がなかった。

あのくるしい日々が実際に続いてしまったら、もう、元の状態にはならない。ずっと、やられてくるしかった。あんなの、ほんとうに、ほかの人のうちでは、ありえないことなのである。だから、ほか人は、自分のこととして体験していない。同程度の体験がない。同程度の体験がないら、体がどうなるかわからない。

どれだけ、「楽しい」と言ったって、そりゃ、毎日、一秒だって聞きたくない、きちがい騒音が、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、鳴っているのだから、こたえるだろ。

この、こえるということがわからないんだよね。

たとえば、普通の人……やられていない人は。特に自己中心性が強い人にはわからない。相手の立場に立って考えることが、不得意だからだ。

本人が、「じゅうぶんに考えたつもり」になっても、「わかったつもり」になっても、きちがい兄貴とおなじぐらいに、わかっていないのである。

もちろん、この人たちは、騒音事件の犯人ではない。

だから、兄貴とは立場がちがう。それは、わかる。わかるんだよ。ともかく、影響を無視したり、低く見積もるのは、やめてくれ。実際には、不可避的に、影響を受ける。

その過程について、まったく理解がないから、俺に対して、アホな発言をする。アホな発言なんだよ。

どうしたって、影響を受ける。毎日、受ける。そして、ぼくは、ぎりぎりの生活をしていた。これも、不可避的にぎりぎりの生活になってしまうのである。実際に、平日は約7時間、休日は約13時間、きらいな音を、あの音ででかさで、聞かされ続けると、どれだけ頑張っても、影響が出る。

はりつめた毎日だ。

たとえ、ほかの人に、ヘビメタ騒音のことを言わなかったとしても、はりつめた状態で暮らしていることには変わりがない。ぎりぎりだった。これが、どういうことだかわかるか? 言霊主義者なんてわかるはずがない。

「ネガティブなことを言うから、ネガティブなことが起こる」……これが、きちがい家族に毎日やられた人にとって、どういう発言かわかるか? 

 

 

 

●だったら、それ以降、騒音の影響を受けなくてもすむか?■騒音※2026/03/31 3:54

あーー。やっと、頭が正常な感じになってきた。

頭が、モヤモヤして、モヤモヤして、したがなかった。

動画を視ていても、いやなことを思い出してしまう。ひとつの動画を視ると、二・三個は、いやなことを思い出してしまう。全部、細かい、いやなことだ。なんか、出口がないんだよな。

けっきょく、長期騒音で普通の生活ができなかったということが、いろいろな後悔につながっている。

長期騒音がなければ、ほんとうにかわいい子と、つきあえたのだけど、長期騒音でダメなのだ。長期騒音期間中の一日というのが、ひどい。


でっ、わかいころにできなかったことに、人間というのは、……一生こだわるらしいのだけど……。ぼくの場合も、そうなっている。

いま、長期騒音の影響がないかと言えば、ないわけがない。ようするに、ある。おおいにある。ものすごく、ある。

影響がものすごくある。影響というのも、つみかさなるからね。毎日ずっと、やられたことが影響を与えないわけがないのだ。

「関係ない」と言えば、関係なくなるか?

「関係ない」と言ったって、関係がなくなるわけではない。

だいたい、俺が、ヘビメタ騒音の影響を受けたと言っているのに、「そんなのは関係がない」と言うやつは、なんなんだ。

こいつら、ほんとうに、失礼だな。

こいつらが考えてのるようなことではないのだ。

一一歳から二五歳まで、毎日続く騒音が、影響を与えないわけがないだろ。一生に、影響を与えないわけがないだろ。二五歳のある日、騒音がなくなった。

だったら、それ以降、騒音の影響を受けなくてもすむか?

そんなことにはならない。体に残っている。「そんなのは関係がない」と言っているやつらは、なにを考えて「そんなのは関係がない」と言っているのか?

ほんとうに、アホだな。こいつらがみんな……ほんとうに、みんなみんな、「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」と言うのだ。

こいつらが想定している苦労なんて苦労じゃないよ。

終わればすぐに影響がなくなってしまうような苦労……。

そんなんじゃない。

「関係がない」と言えば、すぐに、「関係がなくなってしまう」ような苦労……。

そんなんじゃない。

●そもそも、認識自体がしょうじないということもある■社会※2026/04/08 6:52

どれだけ、「自分は自己責任で生きている」と思っている言霊主義者だって、「あなたの言い方が悪い」と言ったとき、「相手が失敗したのは、自分の理論が間違っていたからだ」とは思わないだろう。

「ほんとうに、相手のやり方がまずかったから、言ったのに現実化しなかった」と思っているのだ。だから、もっとうまくやれば、現実化するはずなのである。しかし、もともとの言霊理論が間違っているので、「言ったのに現実しかなかった」のだ。

だから、もともと、言霊理論が間違っているという前提に立てば、まさに、「相手の言い方ではなくて、だれが言っても、言霊の力がないから、現実化しない」ということになる。

しかし、言霊主義者が、この説明をうけたとしても、それを認めることはないだろう。言霊主義者にとっては「言霊は絶対」であり「間違っている」などということはないからだ。

むしろ「言霊理論が間違っている」と言っているやつが、失礼なやつだと思うだろう。しかし、言霊理論は間違っているのである。言霊で言ったことが現実化することは、一〇〇%ない。

一〇〇%だ。

だから、だれがやっても、失敗するのである。

しかし、言霊主義者が、「言霊はある」「言霊の力は絶対だ」と思った根拠はある。それは、「言ったから」と「言ったあと」の区別をしないということからしょうじるのだ。あるいは、「言霊の力」と「言葉の力」を区別しないということからしょうじるのだ。

ただ単に、区別をしないから、勘違いしているだけなのである。

けど、実際の場面で、言霊主義者がそれを認めることは、まずない。だから、別に自分は「間違ったことを教えたのではない」と思うわけだ。

そして、「相手の言い方が悪かったから、現実しなかった」と思うわけだ。

前に、ルールのことについて話したけど、これは、ルール以前の問題だ。

ようするに、言霊主義者が、言霊について誤解をしているから、「相手の言い方がまずいから、現実化しなかった」と(嘘いつわりなく)思っているわけだ。

だから、この言霊主義者が「すべては自己責任だ」とか「自分は、自己責任で生きていくつもりだ」ということを言ったとしても、ほんとうは、このレベルのことに関しては、自己責任をまったく感じないで生きているのである。

ルールとルール同士の衝突と衝突回避(自分にとって重要なルールを優先して、自分にとって重要ではないルールを無視する)というようなことでも、「すべては自己責任だ」と思っている人も、実際の運用の場面では、 優先順が低いルールを無視してしまうということが発生する。

「自分は自己責任で生きていく」というようなルールが、その場面で、劣位のルールだとしたら、「自分は自己責任で生きていく(べきだ)」というルールは、完全に無視されてしまうのである。

今回、指摘したのは、そういうレベルの無視ではなくて、認識自体からしょうじる無視だ。

認識自体からしょうじる「自分が正しいと思うルールの無視」は、さけようがない。

だから、「自分は自己責任で生きていく(つもり)」の人が、どれだけ増えても、対立が生まれ、トラブルがしょうじるのである。

他人の発言や他人の行為に対する「うらみの感情」もしょうじるのである。

もし、ほんとうに「すべてが自己責任」であるなら、他人の発言や他人の行為に対する「うらみの感情」はしょうじない。

その人は、他人の他人の発言や他人の行為に対する「うらみの感情」もたない人になるのである。どうしてかというと、「すべては自己責任」だからだ。

ところが、こんなのは、お題目で、どれだけ「自分は自己責任で生きているつもり」でも、場面場面で、劣位ルールが無視されるのだ。

そして、そもそも、認識自体がしょうじないということもある。

現実の場面では、お題目は、無視されるのである。自分がルールとして採用したことでも、実際の場面では、無視してしまうのである。

だから、どれだけ、お題目のルールが正しい認識している人が増えても、世の中はよくならないのである。

「こういうことがいい」「こういうことが正しい」と深く深く思ったとして、現実の場面では、それを無視してしまうのである。

例外があるかどうかはわからないけど、人間というのは、そういう動物だ。これは、一〇〇%構文になってしまうので、一〇〇%詐欺の可能性がある。

けど、社会のなかで普通に生きている人は、「劣位ルールの無視」をしていると思う。そして、たぶん、例外なく、認識自体の問題も発生しているものと、思われる。

離島で、ひとりで暮らしている人は、たしかに、自己責任で生きているのだろう。

そして、自己責任で生きているかどうかわからないけど、人間としての感情を失った人も、上記ような反応をしないと思われる。

ようするに、例外はある。普通の社会のなかで生きている人だと、相当に多くの人が上記のような反応をする。

それは、しかたがないことだ。

2026年4月7日火曜日

●「普通の人」の「ヘビメタ騒音に関する理解レベル」■騒音※2026/04/01 9:46

言霊主義者というのは、少しだけ「幼児的万能感」が普通の人よりも強い……「普通の人」なのだ。

「普通の人」の「ヘビメタ騒音に関する理解レベル」というのは、「言霊主義者」の「ヘビメタ騒音に関する理解レベル」とおなじだ。

時間的に積み重なっていくんだよ。きちがい兄貴のヘビメタがはじまった日から、ずっとずっと、きちがい兄貴のヘビメタが鳴っている日が、つみかさなっていく。

そうなると、一日目とは、ちがう症状が出てくるのである。けど、そんなのは、ほかの人にまったくわからない。どうしてかというと、ほかの人は経験していないからだ。

ほかの人は、「自分だって苦労した」ということを言う。

「ほかの人は、「自分だって騒音ぐらいある」ということを言う。

けど、ほかの人は、きちがい兄貴のような家族と一緒に住んで「いる」わけではない。ほかの人は、きちがい兄貴のような家族と一緒に住んで「いた」わけでもない。

きちがい兄貴は、きちがいなんだよ。親父と同じタイプのきちがいなんだよ。ぜんぜん、わかっていないんだよ。

常識的な人の判断というのがまったくないわけ。

自分がやりたかったら、自分の感覚を無意識的に書き換えてしまうようなやつなんだよ。こんなのは、普通の人にはできない。

だから、やり方が普通の人のやり方ではないということになる。やり方が尋常じゃないのである。きちがい兄貴のやり方が、きちがい親父のやり方とまったく同じなのである。どれだけなにを言っても、伝わらない。

やっていなつもりで、100%頑固にやりきる。100%頑固にやりきるけど、まったくやっていないつもりで暮らしているのだ。こんなのはない。

普通の人にはこんなことはできない。

どうしたって、普通の人は「やっている」「頑固にやりきった」と言うとがわかる。どれだけうそをついたって、どれだけ芝居をしたって、わかる。わかるんだよ。

けど、その普通の人が、どうしたって、わかってしまう部分が、きちがい兄貴はわからない。ちなみに言っておくと、親父にもわからない。俺の言っていることがおかしいから、俺が嘘をついていると思う人は、きちがい兄貴のやり方や、きちがい親父のやり方がわかっていない人なのだ。

「そんな音で鳴っていたら、家族が、絶対に動く」と言った人がいたのだけど、そうじゃないんだよ。その人は、きちがい兄貴のことも、きちがい親父のこともわかっていない。

おかあさんの、言うことは、兄貴は、きちがい親父のように無視して、きかなかった。

きかなかったということが、わかっていないという状態がずっと続く。おかあさんはおかあさんで、「そと」に「うち」の問題を出したくないタイプの人で、「うち」の問題を「そと」の人に、隠してしまうようなところがあった。いづれにせよ、おかあさんは、こまっていただけだった。

きちがい親父になにか、おかあさんが言って、それがきちがい親父に伝わるかと言うと、伝わらないのである。それとおなじで、きちがい兄貴に、なにか、おかあさんが言ったとしても、それが、きちがい兄貴に伝わらないのである。

このつたわらなさ」というのが、きちがい的なのだ。この「うち」のなかだけで発揮される、きちがい的な感覚というのは、よその人にはわからない。 

●「はねのけて」しまったら、どれだけやり続けたって、本人は、なんともない■騒音※2026/04/07 21:12

 もう、むりかな。もう、むりな感じがする。おなじなんだよね。じつは、ネズミが入ってきてしまった。おなじなんだよねーー。

きちがい騒音にやられてから、めちゃくちゃにくるしい。普通の人は、普通の騒音なんだと思ってしまう。けど、きちがい兄貴はきちがいなので、やり方がちがうんだよ。

異常なんだよ。

その異常が、ずっと、成り立っている状態なんだよ。

こっちが、ずっとくるしいんだよ。

ほかの人は、助けてくれないよ。

「そんなのは、お兄さんに言えばいい」「家族で話し合えばいい」と言っておしまいだ。ほかの人は、きちがい兄貴ときちがい親父が、きちがいだということがわかっていない。わかっていないレベルでの発言なんだよ。

実際に、きちがい兄貴の騒音で、その人・本人がこまっているわけではない。異常なやり方なんだよ。死にたくなるような、やり方なんだよ。

そして、勉強の邪魔だ」「入試の邪魔だ」「期末テストの邪魔だ」と言ったって、きちがい兄貴が、きちがい基準で、のりこえて、自分がやりたい時間、自分がやりたい音で、鳴らしてしまう。

自分というのは、きちがい兄貴のことだ。しかも、のりこえてと書いたけど、きちがい兄貴本人は、ほんとうにまったく、悪いことをしているつもりがないのだ。

この「つもりのなさ」がひどいんだよ。こっちが、「やめてくれ」と言えば、きちがい兄貴が、きちがい親父のように、興奮して、発狂して、「はねのけて」しまう。

本人が、興奮して、発狂して、「はねのけて」しまったら、どれだけやり続けたって、本人は、なんともないんだよ。

こっちは、きちがい兄貴の騒音で、毎日死にたい気分だよ。だったし、いまもそうだ。よりよく生きたいと思っているので、自殺はしないけどね。

*     *     * 

きちがいヘビメタが鳴っていた、一〇代と二〇代というのが、とてつもなく、重要なのである。だいたい、ずっと毎日続いたことが、その人の人生に影響を与えないわけがないだろ。

「鳴り終わったら関係がない」とか「過去は関係がない」というやつは、なぐってやりたくなる。

ヘビメタ騒音で穴があいている。ほかの人は、自分の問題ではないから、きちがいヘビメタ騒音の影響をあまく見ている。

これ、ぼくにとって、屈辱なんだよ。

侮辱なんだよ。

これも、相手は、まったく気がつかないけどね。

相手は、自分の見立てが、正しいと思っている。相手は、自分の信じていることが正しいと思っている。

たとえば、言霊主義者は、言霊理論が正しいと思っている。「元気だ元気だと言えば、元気になる」のである。「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」のである。「できるできると言えば、できる」のである。

こんなのない。

どんだけ、きちがいヘビメタ騒音でズタボロになっている俺を、傷つける言葉なのか、まったくわかっていない。

*     *     * 

きちがい兄貴も、言霊主義者も、ヘビメタ騒音の影響をあまく見るのは、おなじなんだよな。きちがい兄貴も、言霊主義者も、ヘビメタ騒音の影響を無視するのは、おなじなんだよな。

「そんなのは気にしなければいい」「そんなのは、こだわらなければいい」「しずかになると言えばしずかになる」「眠れると言えば眠れる」だからなぁ。こんなのない。

「鳴らない、と言えば、鳴らない」……。こんなのはない。

どれだけ、「鳴らない」と言ったって、きちがい兄貴がきちがい兄貴の意志をもって、きちがい的にでかい音で……自分が満足できる時間の長さ鳴らしたいと思っていたら、鳴らすんだよ。

おれが「鳴らない」と言ったって、きちがい兄貴が鳴らす。

「ならないと言ったって、鳴る」と、言霊主義者に言えば、「言い方が悪いんだ」と言霊主義者が言ってくる。こんなの、ない。「うまく言えば、鳴りやむ」というきちがい理論だ。

こんな人を傷つけることを言っておいて、まったく、へっちゃらなんだよ。

やっぱり、きちがい兄貴と言霊主義者は似ているところがある。相手の立場に立って考えることができないのだ。あるいは、苦手なのだ。本人が「相手の立場に立って考えているつもり」でも、ほんとうは、相手の立場を無視しているということが、多いのではないか。

「人のせいにするな」と言う言霊主義者もいるけど、「やり方がへたくそなんだ」と俺のせいにするじゃないか。

根本的に理論が間違っているから、鳴りやまないんだよ。

「うまく言えば、鳴りやむ」という発想自体が、おかしい。人のせいにしている。「(あなたの)言い方が悪いから、鳴りやまない」と言うのであれば、人のせいにしている。

『言い方が悪くなければ、鳴りやむ』と思っているんだよな。言っただけで問題が解決するなら、苦労しないよ。

ともかく、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の態度で鳴らすと、自動的に、俺と言霊主義者のなかが悪くなるんだよ。言霊主義者は言霊主義者で、『言ったことが現実化する。これが正しい』と思っているわけだからな。


●家族が張本人なのに、その家族が、まったく、気がつかないまま■騒音※2026/04/07 21:07

 家族が張本人なのに、その家族が、まったく、気がつかないままなんだよな。

何万回言ったって、気がつかない。この構造が、ほかのひとにはわからない。

でかい音で鳴らしているのであれば、でかい音で鳴らしているということに気がついていると……普通の人は思っている。

けど、ちがうんだよ。

うちのきちがい兄貴は、きちがいだからちがう。ぜーーぜん、ちがう。この家族が……めちゃくちゃに問題をつくりだしている状態というのが、ほかの人にはわからないんだよな。家族が鳴らす騒音なんて、うるさいと言ったって、たいしたでかさじゃない……と思ってしまう。

家族なんだから、言えばわかるだろう……と思ってしまう。

ぜんぜん、ちがうんだよね。ほんとうに、きちがいだから、自分が原因で、ほかの家族がこまっているということが、ほんとうに、ほんとうに、わからない。

あんなでかい音で、鳴らしたら、まわりのひとがこまるというのが、ほんとうにほんとうに、わからないんだよーー。きちがい兄貴は……。

だから、ひどいことをひどいことをしていないつもりのまま、やり続ける。どれだけ言ったって無駄なんだよ。

この「どれだけ言ったってむだ」のむだというところが、ほんとうにほんとうに、ほかの人にはわからないんだよ。

●ぼくは、騒音のなかで、できる限りの努力をしていた■騒音※2026/04/07 3:19

 限界ぎりぎりの努力をしても、どうしてもそうなる」というのが、実際に経験した人じゃないとわからないのである。きちがい兄貴のやり方が異常なので、きちがい兄貴のような家族にやられた人が、めったにいないのである。

騒音問題はいろいろとあるけど、きちがい兄貴の騒音は、程度、性質、時間の長さ、機関の長さが異常なのである。

ほんとうに、きちがい兄貴のヘビメタ騒音のせいで「不可避的に、どうしても、発生してしまうこと」があるんだよ。

ところが、やられていないほかの人は、「人のせいにしている」と思うわけ。エイリが「人のせいにしている」と思うわけ。できなくなった個々のことに関しても、ほんとうは、ぎりぎりの努力をしているんだよ。

ほかの人がまったくわからない、ぎりぎりの努力を毎日していたわけ。

それを、破壊するような音で、きちがい兄貴のヘビメタが鳴ってたんだよ。ほかの人には、「必然性」が見えない。

ほかの人は、どうしても、自分のことではないから、きちがい兄貴の影響も、ぼくの努力も、無視してしまう。自分のことではないからだ。自分が実際に経験したことではないからだ。

「話として」聞いたことだからだ。

これ、わからない。

ほんとうに、ぼくは、騒音のなかで、切羽詰まった生活をしていた。ほんとうに、ぼくは、騒音のなかで、できる限りの努力をしていた。その努力の結果、いろいろな障害が発生するのである。

ようするに、もっともっとできなくなるである。

このプロセスも、何年間も「自分が一番嫌いな音」をずっとずっと、自分の家で、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、聞かされ続けた人じゃないとわからない。

基本的に言って、「人のせいにしている」と言われることも、ヘビメタ騒音派生物だ。きちがい兄貴が、きちがい兄貴のセンスで、きちがいヘビメタをあれだけこだわってこだわってやらなかったら、なかったことなのである。

*     *     *

あーあーーあっ。どこに行っても、なにをやっても、ヘビメタ騒音の暗い気持ちがぬけない。

ヘビメタ騒音の切羽詰まった気持ちがぬけない。何十年、毎日、こんな状態で暮らしてきたと思っているんだ。

そりゃ、対処可能期間がある。

対処可能期間中に、鳴り終わってくれなければ、意味がないのである。ところが、ほかの人たちは「鳴り終わったら関係がない」「過去なんて関係がない」「元気だ元気だと言えば元気になる」「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」「俺だって、苦労した」と言う。ぜんぜんちがう。

ぜんぜんちがうのに、ぜんぜんちがうということが、まったくわかっていない。 

「鳴り終わったら関係がない」なんて、口が裂けたって言えないことだ。

こいつらが、俺と同レベルのことを経験していないことが、その発言からわかる。

2026年4月5日日曜日

● こいつらは、ほんとうに、なにもわかっていない■騒音※2026/04/05 19:38

まあ、俺がこまっているだけと言えば、俺がこまっているだけなんだよなぁ。けど、俺がこまっているということは、俺にとって大問題だ。

そりゃ、そうだろ。

しかし、こまったなぁ。

どうするかな。

タイムリミットをこえてしまった。

しかし、動きたくないときは、動きたくないんだよな。「いま動くなら、死んだほうがましだ」という感じになる。眠ったあと、動けるような感じがするときはあるから、それを待っていればいいということになる。

けど、眠ったあとも、やりたくないことはある。考えただけで憂鬱になることはある。

「もう、つかれたよ」と何回、こころのなかで、言っているかわからない。 

ヘビメタ騒音期間中に、つかれはて、ヘビメタ騒音後は、まったく回復していない。ヘビメタ騒音期間中のつかれが、そのまま続いているような感じだ。多少回復したときも、ヘビメタ騒音四〇〇〇日目のつかれに復活しただけなんだよな。

ヘビメタ騒音五〇〇〇日目のつかれから、ヘビメタ騒音四〇〇〇日目のつかれに復活したとしても、たいして、復活していないわけ。ヘビメタ騒音〇日目(ヘビメタ騒音なし)つかれには、復活しないわけ。

ところが、「過去は関係がない」とか「過去は記憶の中にしかない」とか「鳴り終わったら関係がない」というような、アホなことを言う人たちが、俺のつかれを認めないんだよ。

これも、迷惑な話だ。こいつらは、関係がないと思っている。だから、つかれはないわけだ。ヘビメタ騒音〇日目のつかれになっていると思っている。

ところが、ヘビメタ騒音〇日目のつかれを感じるようにはならない。ヘビメタ騒音が鳴り終わっても、ならない。

こういうことが、自分の体を通してわかっていないということは、わかっていないということを意味している。自分の経験を通してわかっていないということは、わかっていないということを意味している。

けど、こいつらは「ヘビメタ騒音でつかれたんだろ。そんなのは、わかっている」と言う。

けど、「過去は関係がない」と思っているので、ぼくの体が、ヘビメタ騒音〇日目のつかれに戻ったと思ってるのだ。だから、わかっていない。

こいつらは、ほんとうに、なにもわかっていない。

となりの部屋で、きちがい的な家族が、きちがい的な感覚で、ずっと、「自分がきらいな音を」ガンガン鳴らし続ける生活がどういう生活か、ぜんぜんわかっていないのである。自分というのは、俺のことだ。

一日のなかでも、何時間も鳴っていたということが、そのあとの状態に影響を与えないわけがないのだ。経験としてわかっていないから「過去は関係がない」「鳴り終わったら関係がない」と言っているだけだ。

こいつらは、ほんとうに、なにもわかっていない 

*     *     *

「過去は記憶の中にしかない」と言っているやつだって、自分が交通事故にあい、足が動かない状態になったら、「交通事故にあったという過去の出来事が、今の状態に影響を与えている」と思うのだ。

「過去は関係がない」と言っているやつだって自分が交通事故にあい、足が動かない状態になったら、「交通事故にあったという過去の出来事が、今の状態に影響を与えている」と思うのだ。

本人が、あたりまえに思いすぎているから、自覚がないだけだろ。交通事故にあったから、足が動かなくなった」という認識が、あまりにも、本人にとってあたりまえだから「過去は記憶の中にしかない」と思わないようになっているのだ。

「過去は記憶の中にしかない」と他人に言っていた時の自分と、「足が動かなくなっている」自分の姿が、むすびつかないのだ。自分が一倍速で実際に経験したことに関しては、もちろん、「過去は関係がある」「過去は記憶の中にしかないという考え方は間違っている」と思っているのだ。

ただ、鈍感力があるので、その状態に気がつかない。「ぬけぬけ」なのである。

「過去にこだわるのはよくない」という意味で 「過去は関係がない」と言う場合もあるだろう。けど、「過去にこだわるのはよくない」と言いたいなら、「過去にこだわるのはよくない」と言うべきなのだ。「過去にこだわるのはよくない」という文がもつ意味と、「過去は関係がない」という文がもつ意味は、おなじではないんだよ。

そして、ここでも、他者に対する発言だという問題がある。勝手に、自分に対して、そう言っていればいいんだよ。「足が動かなくなったなら、足が動かなくなった」のだ。足が動かないなら、足が動いていた時よりも、不便になる。

その状態を(他人である人が)「足が動かないということにこだわっている」と評しているだけなのだ。

これも、他人事だから、「こだわっている」ように見えるだけだ。「過去にこだわるのはよくない」と言う人も、自分が一倍速で経験したことについては、人並みに?こだわっているのである。

ただ、自分のことだから、「こだわっている」と思っていないだけなのだ。

これに関しても、「こう思うのがあたりまえ」と思っているから、あたりまえだと思っていることに関しては、特に、意識しないだけだ。

とても言いにくいけど、「過去にこだわる」ということも、「自分のことについて言っているのか」「他人のことについて言っているのか」ということを、考えなければならないのである。

「こだわる基準」「こだわりをもっていると判断するときの基準」が「自分のこと」と「他人こと」で、異なっているのである。

そして、「こだわる」という言葉が、こういう場合は「マイナス」の意味をもっているので、「こだわる必要がない」ことに、対象者である人が「こだわっている」という判断が、内包されているのである。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。

Aさんが「こだわり否定論者」だとする。そして、Bさんに「Bさんは、こだわっているからダメなんだ」と言ったとする。この場合、Aさんは、Bさんがこだわる必要がないことに、こだわっていると評しているのである。

それが、あたっているのか、間違っているのかは別にして、Aさんが「Bさんがそのことにこだわっている」と勝手に評して、そのうえで「そんなことはやめたほうがいい」と言っているのである。

間違っている場合は、相当に失礼な発言になる。

Bさんから見た場合、Aさんこそが、Aさんの過去において発生したことに「こだわっている」と思う場合だってある。自己中心的な人だと、「だれだれは、こだわる必要がないことにこだわっている」と思いがちなのである。

そして、自分のことに関しては、普通の人並に、こだわっている場合がある。神様視点で、Aさんが、Aさんのことに関しては、人並みにこだわっている人だとする。

けど、Aさんは、自分がこだわっていることに関しては、普通だと思っているのである。

Aさんにも、自分がこだわっていると思っていることがあるかもしれないけど、それは、Aさんにとってプラスに評価できるようなことなのである。Aさんにとって、マイナスに評価できることに関しては、「こだわっていない」と評価する傾向が強いのである。

Aさんが、自分は、このことについて特にこだわっていることではないと思っているけど、このことについて、普通に考えてしまうというのがある。

ようするに、自分の体調や、自分の障害に関しては、こだわっているとAさんは思っていないとする。けど、ほかの人から、Aさんのことを見た場合、Aさんは、こういうことにこだわっているように見えるのだ。

ほかの人と言っても、複数の人がいるのである。だから、ほかの人の見解が、全部正しいとは言えない。

ともかく、自分を対象とした「こだわり否定論」と他人を対象とした「こだわり否定論」を、天秤にかけた場合、他人に対する「こだわり否定論」は、よっぽどのことがない限り、やめたほうがいい。自己責任論とこだわり否定論には、おなじような問題がある。他人を対象とした自己責任論と他人を対象とした「こだわり否定論」おなじような問題がある。

たとえば、自分が事故にあって、足が動かなくなったとする。その場合、足が動かないという現実を受け入れて、足が動かなくても、できることをしていこう」と思ったとする。

このことを自分のなかで「こだわりをすてる」と表現したとする。

こういう場合は、勝手にやればいいのだ。ただ、他人に対しては、そういうことを押し付けないほうがいい。他人を対象にするのか、自分を対象にするのかで、ちがう部分がある。

それから、言霊主義との関連について述べておく。言霊主義者は「言えば言ったことが現実化する」と思っているのだから「足が元通りになる」と言えば、それでいいということになる。

だってそうだろ。

言霊主義者にとって言霊は絶対なので、絶対にそうなるのである。

言えば、言っただけで、元通りになるのである。

言えば、言っただけで、言霊の力によって、元通りになるのである。

その場合、「足が動かない」という現実を受け入れる(受けとめる)必要なんてない。

だって、言えば、言っただけで解決してしまうのだから……。

ところが、自分の現実的な問題に関しては「こだわりを捨てて受け入れる」などと言うのだ。いやーー。言霊で解決すればいいだろ。自分の現実的な問題に関しては、突然、絶対である言霊を捨ててしまって、「現実を受け入れる」という選択をするのだ。

現実を受け入れるということは、言うことによって、現実をかえられないということを意味しているのである。

矛盾している。

言霊主義者が、普段、どれだけでたらめなことを言っているか、よくわかる。自分の問題に関しては、現実的な選択をするのである。

そして、「受け入れて」「前向きにできることをする」のがよいことだという考え方があるわけだけど、それがほんとうによいことなのかどうかはわからない。

このように言うと、現実の不都合が軽減されるように思うかもしれないけど、現実の不都合が経験されるかどうかはわからないし、現実の不都合が改善されたと思うかどうかもわからない。

人によって、条件によって、現実の不都合が改善される度合いもちがう。

改善される場合の話だ。

改善されない場合だってあるんだよ。

自分が一倍速で感じたことと、他人が一倍速で感じたことを、鈍感な人が考える場合、他人が一倍速で感じたことを、過小評価してしまうのである。過小評価する人を、鈍感な人と言っているので、トートロジーになっているけど、一〇〇%詐欺はしていない。

じゃあ、まあ……。例外的な鈍感な人を除いて、鈍感な人が考える場合、他人が一倍速で感じたことを、過小評価してしまう傾向が非常に強いと書いておこう。

●下衆の勘ぐり■騒音※2026/04/05 0:24

『なになにをしたいから、こういうふうに言い訳しているのだ』と考える人たちがいるのである。この人たちは、一括思考をしている。

そうなると、じつは、『下衆の勘ぐり』になってしまう場合があるのである。

しかし、この人たちは『実際そうだ』と思って、認めないのである。

決めつけがある。

たとえば、ぼくは、ほんとうに、ヘビメタ騒音のなかで勉強をすることができなかった。マイナスの時間なのである。これやられているだけで、ものすごいマイナスなのである。

下衆の勘ぐりをする人たちが、どういうふうに思おうと、ヘビメタ騒音「で」勉強することができなかったのだ。

ところが、下衆の勘ぐりをする人たちは、『エイリは、勉強をしたくないから、ヘビメタ騒音で勉強することができないと言っている』と思ってしまうのである。

言っておくけど、ヘビメタ騒音がなければ、勉強することができたのである。ヘビメタ騒音がなければ、普通に勉強していたのである。

ヘビメタ騒音がものすごい勢いで鳴っているから、どうしても、勉強することができなかったのだ。これが、事実だ。ヘビメタ騒音がなければ、普通に勉強することができたのだ。俺は、小学生の時はともかくとして、中学生からは、勉強したかったんだよ。ヘビメタなしで、勉強したかったんだよ!!

嘘いつわりなく、勉強したかったんだよ。勉強をしたくないから、「ヘビメタ騒音がうるさくて勉強ができない」と言っていたわけではないのだよ。それを、「エイリは、勉強をしたくないから、騒音で勉強ができないと言い訳をしている」と解釈するわけだよ。こつらが、そういうふうに解釈したら、こいつらのなかでは、そうなんだよ。

だから、きちがい兄貴が、きちがい的な基準で、ほかの人がやらないような時間の長さ、ほかの人が鳴らさないような大きさで、ヘビメタを鳴らすと、ぼくが、ほかのやつから、「エイリは、勉強をしたくないから、騒音で勉強ができないと言い訳をしている」と思われるようになるのだ。これが、決まっている。

*     *     * 

たとえば、水俣病患者が、企業を相手に訴訟を起こしたとき、下衆の勘ぐりをする人は、「おカネが欲しいから、仮病を使っている」と水俣病患者をののしったのだ。

こんなの、ののしり。

下衆の勘ぐりをする人は、「おカネが欲しいから、訴訟をしている人たちは、水俣病でこうなったと詐称している」と思ったのだ。実際に、その企業が、水銀を流したから、水俣病になっている。

だから、その企業のせいで……つまり、その企業の行動によって……水俣病になった人たちがいる。たとえば、AさんとBさんとCさんがいたとする。Aさんは、ほんとうに、企業が流した水銀のせいで水俣病になったとする。

そして、企業に訴訟したとする。Bさんは、ほんとうは、水俣病ではないけど、おカネが欲しいから、企業に訴訟したとする。

その場合、Aさんが、企業の行いのせいで、ほんとうに、水俣病になったということは、否定できない。

ところが、一括思考をしてしまうCさんは、「企業に訴訟している人はみんな、おカネがほいから、病気のふりをしているだけだ」と決めつけてしまうのだ。

Cさんの目から見ると、Aさんも、そういう人に見えるのである。

だから、不当にAさんをののしったことになるのだけど、Cさんは、自分の考えを捨てないので、自分は、悪いことをしているわけではないと思っているのだ。

実際に、Cさんは「Aさんも、仮病を使って、企業を訴えている人だと決めつけている」ので、別に悪いと思わないのだ。

Bさんが悪い人だとしても、だから、Aさんも悪い人だということにはならない。Bさんが仮病を使っていても、それは、Aさんも仮病を使っているということを意味しない。しかし、Cさんは一括思考をしてしまうので、Aさんも、Bさんとおなじだと考えてしまうのである。

AさんもBさんも、企業を訴えている。Cさんは、企業を訴えている人は、みんな、仮病を使っているだけなんだというような一括思考をしてしまうのである。

「水俣病である」という条件を満たし、「訴えている」と言う条件を満たすと、その条件を満たしている人たちは、みんな、仮病なのに、企業を訴えているとCさんは思ってしまう。

たとえば、無職に対して偏見をもっている人たちがいる。これは、無職属性に対する偏見だ。Cさんのような偏見は、もうちょっと複雑なのである。

しかし、Cさんも、勝手にレッテル針をしているに過ぎない。

そして、その根拠が、たとえば、Bさんみたいな人がいるということなのだ。

一括思考をしてしまうので、Cさんのなかで「Bさんとおなじような行為をしている人」は、みんな「Bさんのような人」なのである。 

これは、行為に対する偏見なのである。だから、「無職」に対する偏見とはちょっとちがってくる。

でっ、行為に対する偏見なのだけど、一括思考で、その集団に属する(その属性をもっている)と思われる人を、全員、おなじ目的で、その行為をしている人だと決めつけてしまうのだ。

*     *     *

『なになにをしたいから、こういうふうに言い訳しているのだ』と書いたけど、「なになに」ということが、「欲望」をあらわしているのである。そして、その欲望というのが、「いまわしいこと」を表現しているのだ。

たとえば、詐称とか、疾病利得とか、不当に利益を得ることをしたいから、でっちあげの理由をつけて、言っているだけなんだと、「下衆の勘ぐり」をする人たちは、思い込んでしまう。決めつけてしまう。

「なになにをしている人」は、不当な理由をつけて、自分のいまわしい欲望を現実化しようとしている、いまわしい人たちだという、決めつけがあるのである。勝手に、範疇を決めて、こういうことを言う人たちは、一括で、こういう人たちなのだと、決めつけしまう。そして、その決めつけは、決まって、悪い決めつけなのである。

こういうやっかいな人たちが、ほんとうにいる。いっぱいいる。

じつはこうすることで、この人たちは、ほかの人をディスっている。悪口を言っている。勝手に悪く決めつけて、悪口を言っている。自分のいまわしい、欲望のために、人に悪口を言っている。正当なふりをして、自分が他人を貶めたいという欲望を、現実化しているだけだ。この人たちがやっていることは、そういうことだ。こいつら自身が、いまわしい存在だ。 

●ほかの人が思い浮かべるような一日ではない■騒音※2026/04/05 2:53

やっぱり、アニメを見ていてもダメなんだよね。いろいろと、いやな記憶を思い出す。ほんとうに、ヘビメタ騒音がはじまってから、ぼろぼろ。

ヘビメタ騒音は、ヘビメタ騒音がはじまってからの、俺の発言、俺の態度、俺の人間関係、すべてに、影響を与えている。全部、ほんとうに、ヘビメタ騒音がなければ起こらなかったことなんだよなぁ。親友との絶交も、ヘビメタ騒音がなければなかった。ヘビメタ騒音に関する、意見のちがいだ。

これは、リアル言霊主義者との関係でもおなじだ。騒音がなければ「そうですね」ですんだ。過去否定論者との関係でもおなじだ。常識的な人との関係でもおなじだ。ヘビメタ騒音が与えた影響のでかさを、ほかの人が理解できないのである。あるいは、理解しない。

小学6年生以降の、すべての記憶に影響を与えている。

ヘビメタ騒音が影響を与えている。ヘビメタ騒音がなければ、ああいう会話のやり取り自体がなかった。

みんな、ほんとうに、わかっていない。

毎日毎日、あの騒音が続いたときの、一日がどういうものになるのか、わかっていない。まるで、自分なら、影響を受けないで暮らすことができると思っているようだ。ほんとうの、一日というのはちがう。

ヘビメタ騒音の一日というのは、ぼくの説明を聴いたときに、ほかの人が思い浮かべるような一日ではない。 

2026年4月3日金曜日

●これが、度外れな家族にやられた人には、こたえる■社会※2026/03/31 3:22

 きちがい兄貴は、まったく気にしないで、きちがいヘビメタを鳴らしたわけ。

どれだけ、俺が「やめてくれ」と言っても、やめてくれなかった。

これが事実だ。きちがい兄貴は、俺がやめてくれと言ったことを、無視している。

俺は、そのとき、『やめてほしい理由』も言ったけど、きちがい兄貴は、こっち側の『やめてほしい理由』をこれまた、無視したのである。

きちがい親父のやり方で、きちがい兄貴が無視したのである。そして、こういうことは、正常な兄貴がいる家では、起こらないことなんだよ。

だから、「自分だって苦労した」と言う(正常な家族と一緒に住んでいる人は)ぼくが経験したような苦労をしていない。

そして、『へんな言葉』がはやっている。

「元気だ暖気だと言えば、元気になる」とか「努力をすれば成功する」とか「明るいことを考えれば明るいことが起こる」とかという言葉だ。

こういう言葉、一見正しそうなのだけど、正しくない。命題として考えれば、「偽」だ。ところが、こういうことを言う人たちは、こういう命題が「偽」であることを知らない。

説明しても、(この人たちは)兄貴のようにはねのけて、認めない。

世の中には、「前向きであるような発言」や「ポジティブであるような発言」が求められる。これが、度外れな家族にやられた人には、こたえるのだ。

「元気だ元気だと言っても元気にならない」のに「元気だ元気だと言えば元気になる」という前提でものを言ってくるやつらが多かった。

これが、きちがい的な家族にやられている人間にとっては、どれだけ負担か、言っている本人(主張している本人)には、わからないのである。

この人たちは、きちがい家族ではなくて、きちがい家族にやられているほうの悪口しか言わない。

これ、ほんとうは、ネガティブな発言なのである。

悪口なのである。

誹謗中傷なのである。

言いがかりなのである。

頭がおかしい決めつけを一方的にして、その基準に相手がたっしていないと理由で、説教し始めるやつらなのである。

一部の例外を除いて、精神世界の人やビジネス精神世界の人は『やられたほう』を悪く言うのである。

どうしてそうなるかというと、洗脳されているからだ。

この価値観……「前向きであることがよい」と言う価値観や「ポジティブであることがよい」という価値観は洗脳の結果、埋め込まれた価値観だ。

ほんとうは、ポジティブあることが、かならずしも、よいとは言えないし、前向きであることが、かならずしも、よいとは言えない。

けど、「無条件に、無思考に、よいことになっている」のである。

考えるまでもなく、「ポジティブであることがよい」とか「ポジティブであることがよい」とかと思っているのである。

そして、それを疑わない。

洗脳の結果だ。

神様の国では、こんなことは、起こりえない。

●きちがいヘビメタ騒音が続くと、ぼくの問題が発生するのである■騒音※2026/04/03 1:55

  親父と兄貴の、行為で、どれだけ俺が、傷ついてきたか。

どれだけ、ほかの人から見て、無能に見えるようになったか。ほんとうに、毎日の行為が影響を与えるのである。きちがい兄貴がきちがい兄貴ではなかったら、ほんとうに、あんなことは、起こらないのである。起こらないから、起こらない。

これは、ぼくの問題ではないのである。

ところが、毎日毎日、きちがいヘビメタ騒音が続くと、ぼくの問題が発生するのである。こまるのである。そして、能力がさがるのである。精神を破壊されるのである。憂鬱になるのである。人生がなくなるのである。

きちがい親父が、きちがい行為をしなければ、ネズミなんて入ってこないんだよ。そして、きちがい親父がきちがい的な意地で、俺の提案を否定しなければ、こんなことになっていないんだよ。俺が、きちがい親父の入院、転院の手続きをしながら、ネズミ対策をしなくてもすんだんだよ。

そして、いまも、ネズミが入ってきて、俺は、超・鬱な状態になっている。

どれだけ、心細い状態でネズミと戦っているか、わかるか?

ダニのことも、またスタートラインに戻ってしまった。

女の子のことだって、結婚だって、ほかの人が考えるようなことではないのである。これ、ほんとうに、きちがい兄貴のきちがい行為で、全部、ちった。

普通の状態じゃない。

関係、あるんだよ。

俺が一人で、ネズミと、(きちがい親父が残した家で)戦わなければならなくなる。

あれだけきちがい兄貴のヘビメタを聞かされ続けて、普通の気持ちで、女の子と付き合うなんてことはできないんだよ。

そして、通勤して働くということが、ほんとうに、できなくなった。

これだって、ほかのやつは、ヘビメタとは関係がないと考えるのだ。

そんなことはない。関係があるよ。

けど、ほかのやつらは、別に、ヘビメタを鳴らしたやつじゃないのだ。ヘビメタを十数年間ずっと、俺が、ずっとずっと毎日「やめてくれ」と言っているのに、鳴らし続けたやつじゃない。

そして、きちがい親父は、兄貴の騒音活動を、陰からささえていた。これだって、おかしなことなんだよ。あまりにもへんだから、ほかの人が、勘違いしてしまう。

「たいした音で鳴っていなかったから、ほかの家族が文句を言わなかった」と勘違いしてしまうのだ。

そんなことじゃないんだよ。

きちがい親父の態度というのは、ほかの人には、はかり知れないものがある。

2026年4月2日木曜日

●経験していない人が、勝手に「自分なら平気だ」と思っているだけ■騒音※2026/03/21 9:11

これ、ちょっと思ったから、ほんとうは、書くべきではないけど、書いておく。あとで、消すつもりだ。

言霊主義者に、一〇〇%詐欺のことを説明しても、なかなか理解してくれない。

あいつらにとって、ぼくは、他者だろう。

コミュニケーション障害者の特徴として「相手が言うことを、うまく理解できない」というのがあるのだけど、それを言うなら、言霊主義者だって(相手である)エイリ(俺)の言っていることをうまく理解できないということになる。

しかし、言霊主義者のほうが、多数派だ。

そして、きちがい兄貴のヘビメタ騒音にやられて、通勤通学ができなくなった俺は、特別な少数派なのだ。

そして、一般人には、無職に対する偏見がある。

そして、一般人には、ひきこもりに対する偏見がある。

偏見があるということは、そのことについて一括思考をしているということになる。たとえば、ひきこもりというグループ(集合)に対して、ひきこもりはコミュニケーション障害者だという偏見をもっている人がいたとする。

その人は、個別性を考えることなく、ひきこもりなら、コミュケーション障害者だと、自動的に思うわけだ。きちがいヘビメタ騒音にやられて、七年間、歯を食いしばって、通学していたら、通学ができない体になっていたのだ。そして、通勤もできない体になっていた。「まあ、どうにかなるんじゃないか」と思っていたけど、実際には、無理だった。高校を卒業したあとは、まだ、通えるつもりだったのだ。きちがい兄貴が鳴らしている時間、バイトをして、鳴らし終わったころ帰ってくればいい」というような、甘い考えもあった。実際には、きちがい兄貴は、土曜も日曜も、ガンガン鳴らすので、無理なのだ。そりゃ、もう、七年間やられたあとだから、無理なのだ。けど、こういう体の感覚も、実際にやられた人しかわからない。実際に経験した人しかわからない。ほかの人は、経験がないので、どうしても、軽く考えてしまう。自分ならそんなのは平気だ」と考えてしまう。けど、これは間違った考え方だと思う。証明はできないけど、ほとんどの人が、通勤通学できない体になると思う。ほんとうは、一〇〇%の人が通勤通学できない体になると言いたいけど、しかたがないから、ほとんどの人が通勤通学できない体になると思うとだけ、言っておく。しかし、ほんとうに、無理なんだよ。先行する七年間の重みがまったくわかっていない。経験していない人は、先行する七年間の重みがまったくわかっていない。こいつらは、わかっていないのだから「そんなのはあまえだ」とか「そんなのは、関係ない」とかと言う。そのあとに「俺だってつらい思いをした」と付け加えれば、同程度のつらい思いをしたということになってしまう。実際には、もちろん、経験していないのだ。実際に、通勤通学ができるぐらいのことだったんだろ」と言いたくなる。言うこともある。言えば、相手は怒ってしまうけどね。ぼくの経験の範囲で言うと、一〇〇%のやつが怒ってしまった。「自分だったら平気だ」「自分だって、(おなじ程度)のことを経験した」という前提でものを言ってくる。その前提に対して、俺が、「ちがうのではないか」ということを言うと、「たいていのやつ」ではなくて、「すべてのやつ」が、不機嫌になった。まあ、平たく言うと、怒ったよ。「なんだ!そんなのぉ!」という感じで、怒ってしまう。

いやーー。きちがい兄貴が、普通の人がやらないことを、頑固に七年間毎日やり続けたせいで、他人との間にこういうやり取りが発生してしまう。

「働くのが善だ」「働かないのは悪だ」という思考が蔓延していれば、俺が「ヘビメタ騒音で働けなくなった」と言えば、それで、人間関係が崩れる。「そんなのは関係がない」「そんなのはあまえだ」「そんなのは、お兄さんに言えばいい」「お兄さんにちゃんと言えばしずかにしてくれる」「そんな音で鳴っているのに、家族がなにもしないなんておかしい(だから、嘘だ)」……こういう反応が返ってくる。

ともかく、七年間、日曜祭日も含めて、きちがい兄貴がやったことを、やる家族がいた場合、ほんとうに、通勤通学ができなくなる。けど、それを認めない人たちが、たくさんいる。ぼくの観察の範囲だと、ほぼ一〇〇%だ。その人たちだって、実際に!!やられたら、めちゃくちゃにつらい生活になって、七年間もその生活が続いたら、睡眠回路が崩れ、生活体力がなくなって、うつ病レベルの憂鬱な状態になり、通勤通学ができなくなる。ほんとうに、体力がなくなる。ぎりぎりのところで、ずっと、生活していた。ずっと、睡眠不足だった。睡眠不足で、生活するということが、どういうことを意味しているのか、「自分なら平気だ」と思っている人は、わかっていない。しかも、その時点で七年間も続いている。毎日続いている。これがどういう意味をもっているのか、経験した人じゃないとわからない。経験していない人が、勝手に「自分なら平気だ」と思っているだけなのである。けど、自分なら平気だと思っているので、「そんなのはあまえだ」「そんなのは、関係がない」と言ってくるのである。 

●よさそうな考え方が、じつは、抑圧システムと相互監視社会をつくっている■社会※2026/04/02 3:18

たとえば、「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」という考えをもっている人が、ブラック社長が、名前だけ店長にサービス残業を押し付けているとき、どっちの味方になるかという問題は、けっこうでかい問題なんだよ。

どうしてかというと、これが、精神世界全体に成り立っているからだ。

そし、精神世界だけではなくて、努力論や自助論といったビジネス精神世界にも、成り立っている。

ようするに、社会で「よし」とされていることが、運用の場面では、悪い効果をもっているということになる。

一見、よさそうな考え方が、じつは、抑圧システムと相互監視社会をつくっているのだ。

そして、条件が悪い人が、より、くるしみ、条件がいい人が、よい思いをするということになっている。

支配者階級、特権階級、特権階級よりちょっと下の階級(準特権階級)……こういう階級の人たちが、「とく」をして、条件が悪い人が、「そん」をすることになっている。

そして、それをつくりだしている人たちが、一見、良心的な人たちだというところが問題なのだ。

「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」という考えについては、すでに説明した。「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「暗いことを考えれば暗いことが起こる」とという考えについて考えてみよう。

「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「暗いことを考えれば暗いことが起こる」と考えている人は、ブラック社長が、名前だけ店長にサービス残業を押し付けているとき、どっちの味方になるかというと、ブラック社長の味方になるのだ。

「明るいことを考えて、頑張れば、明るいことが起こるから、頑張ればいい」ということになってしまう。名前だけ店長の言っていることは、暗いことなので、だめだということになる。

名前だけ店長は、「もう無理だ」と言っている。暗いことだ。その場面では、名前だけ店長は、「できない」ということを言うわけだから、当然、暗いことを言うことになる。

「もう、無理だ」「できない」とネガティブなことを言うことになる。

名前だけ店長は「このままでは、ダメだ」ということを言うことになるので、ネガティブなことを言っているということになる。名前だけ店長は、ネガティブなことを考えているということになる。

当然、「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「暗いことを考えれば暗いことが起こる」と考えている人は、「できると言えばできる」と「明るいこと」を言っているブラック社長の側に立ち、ブラック社長の味方をすることになる。

名前だけ店長に、明るいことを考えて、このまま、続ければいいということを言うのだ。

これも、「できると言えばできるから、できると言って頑張ればいい」ということの別バージョンだ。

「ネガティブなことを考えると、ネガティブなことが起こる」と考える人は、実際につらい思いをしている人を攻撃することになる。

攻撃する側に加勢するのである。

やる側の人と、やられる側の人を考えた場合、ネガティブなことが起こると考える人は、やる側の人を応援するのである。

押し付ける側と押し付けられる側のことを考えた場合、「よさそうなこと」に酔いしれている人は、実際の場面では、押し付けるほうに味方をするのである。

押し付けられるほうが、くるしんでいても、それは無視して、押し付けられるほうが、もっともっと、くるしむことに賛成するのである。

これは、たまたま、発生することではない。

システムとしてそうなっている。

基本的には、「一括思考」と「自分を対象とした思考から他人を対象とした思考への移行」がある。「自分を対象とした思考から他人を対象とした思考への移行」は個人のなかのことなのだけど、移行することがあらかじめ想定されている「きれいごと」なのである。

「明るいことを考えれば、明るいことが起こる」「暗いことを考えれば暗いことが起こる」という考え方だって、それを聴いたときに「その通りだ」と思った人は、他人を対象する用意ができあがっている人なのだ。

ようするに、たいていの場合、自分から他人への移行が発生する。

そして、「助言をすることはいいことだ」「いいアイディアを教えてあげるのはいいことだ」という気持ちがあるので、『やられているほう』を攻撃しているつもりは、発生しない。

ようするに、本人の認知としては、「いいことをしている」ということになる。

ところが、実際には、押し付けるほうに味方をして、押し付けられるほうに、敵対するということになる。

悪いことをしているほうの味方になってしまうのである。

しかし、こういうことをしている人たちは、悪いことをしているほうの味方になったという認識がない状態なのである。

これは、まずい状態だ。

こういうことになるということを、見込んで、『やられているほう』を攻撃しているつもりなどは、発生しない。というような、一見正しそうだけど、間違っている教えを、つくっておくのだ。

洗脳の道具なのだ。

一見よさそうな考え方(教え)が、じつは、現実の場面では、悪い教えとして作動してしまうのである。

精神世界やビジネス精神世界の教えは、一見よさそうなのだけど、悪い教えだ。

まあ、わからないかな。

2026年4月1日水曜日

●そういう、ズレが常にあるんだよ■騒音※2026/04/01 9:26

ヘビメタが鳴っていると、人格的なことでも、能力的なことでも、誤解を受けるようにできているのである。

きちがい兄貴が、きちがい的な意地で無視したことというのは、これなのである。

もちろん、きちがい的な意地で、自分がでかい音で鳴らしているということを、無視して鳴らした。

そんなことは、ほかの人にはできない。

ほかの「普通の人」にはできないことなのである。

だから、ほかの人は、家族がそういう人間ではない人なのである。きちがい兄貴が、俺に押し付けてきたものというのは、人生的なものだ。きちがい兄貴が俺に押し付けてきたものは、きちがい親父が俺に押し付けてきたものより、はるかにはるかに、大きい。

けど、それが、きちがい兄貴にも、普通の人にもわからないのである。

親友ですら、わかってくれなかったというのがある。ヘビメタ騒音を実際に体験していないと……自分がこの世で一番きらいな音が、ガンガンガンガン、鳴っている毎日を数千日体験しないと、ほかの人との間に、どうしても、どうしても、トラブルがしょうじるということが、わからないのである。

きちがい兄貴にも、ほかの人にも、わからないのである。ほかの、普通の人が、みんなみんな、わかっていないのである。これが、どれだけむなしい状態か、わかるか?

ともかく、うまくいかないことになるのである。

けど、ほかの人は、ヘビメタ騒音に実際にやられているわけではないから、ヘビメタ騒音のことは無視するのである。

俺の説明を聴いても、そんなに大きな影響はないだろうと思ってしまうのである。他人がすべてそういう態度だとしたら、他人のそういう態度の総和自体が、俺にとって、むなしいものなのである。

「説明することができない」「むなしいこと」なのである。

「説明」はしているけど、実際に、おなじようなレベルの騒音生活を経験しないと、わからない。

どういうところで、「こまった状態になるのか」ほかの人は、まったくわかっていない。

言霊主義者が、俺に対して「できないと言うから、できない」とか「できると言えばできる」と言ってくるということ自体が、めちゃくちゃにこまったことなのである。

これが、言霊主義者にはわからないでしょ。

そういう、ズレが常にあるんだよ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。