2021年3月30日火曜日

自分だったら、たとえ騒音が鳴っていたとしても、ちゃんと宿題ができると思っている

あとは、ヘビメタ騒音で……長期間にわたるヘビメタ騒音で……新米二等兵か非国民にしかなれない状態になった。もっと言えば、非国民にしかなれない状態になった。ヘビメタ騒音がなければ、俺は、将校でスタートができた。これは、でかい。ヘビメタ騒音なんだよ。ヘビメタ騒音。俺にとっては、ヘビメタ騒音。ほかの人にとっては、どうだかしらない。 

家でまったく勉強ができないということがどういう影響をあたえるかまったくわかってない。そりゃ、毎日やられれば、ひどいことになる。ひどい影響をあたえることになる。だいたい、たとえば、午後4時から、午後11時までやられると、実際には7時間しかやられてないのだけど、午後11時以降にこたえる。午後11時以降、勉強ができるかというとできない。そりゃ、7時間やられた影響が残っている。きちがい的な音の繰り返しを、7時間浴びてしまうということがどういうことなのかわかってない。そして、よく眠れないまま……じゅうぶんな睡眠をとれないまま、次の日の午前7時40分になっていて、急いで、学校に行くという場合、午前7時40分から、午後4時までの、学校にいる時間と、学校に行く時間と、学校から帰ってくる時間が、並じゃないのである。強烈にくるしい。子の苦しさがわかってない。この苦しさがわかってないやつが、「騒音で勉強ができないなんて言い訳だ」「騒音で遅刻してしまうなんていうのは、いいわけだ」と言うのが、ゆるせない。ほんとうに、一日だけ、2時間しか眠れない状態で学校に行ったとかそういう話じゃない。毎日、つもる。どれだけくるしいか。おまえら、集合住宅では絶対に鳴らせないようなでかい音で、騒音を鳴らす、きちがい家族がいないから、そういうことになってないだけなのに、まるで、俺よりすぐれていると思っている。自分だったら、たとえ騒音が鳴っていたとしても、ちゃんと宿題ができると思っている。自分だったら、ちゃんと遅刻しないで毎日学校に通うことができると思っている。しゃっきりと元気を出して学校の活動に参加することができると思っている。それは、たまたま、きちがい家族が、騒音を出すことに興味をもなかったから、維持されていることなんだぞ。おまえ、家族が、きちがい兄貴みたいなやつだったら、絶対に、睡眠時間、遅刻、宿題などに関して、影響が出る。朝、起きて、遅刻しそうな状態で、バス停まで走るときの、きちがい的なくるしさはない。前の日、よく眠ってないから、ものすごくくるしい。俺は、ヘビメタが鳴ってなかったら、そんな状態になってない……そういうことを、どれだけきちがい兄貴にいっても、きちがい兄貴が、きちがいおやじの態度で、無視して、鳴らしまくる。あんなの、ほんとうにマンションだったら、絶対に鳴らせない音だ。目の前が大きな幼稚園で、横のうちもそれなりにはなているからできたことだ。 一日だけで、相当にちがうけど、それが10日積もった場合、20日積もった場合、300日積もった場合、4000日積もった場合、5000日積もった場合ではちがうんだよ。かりに、5001日目に鳴りやんだとしても、5000日もやられたら、もう駄目な状態になっている。けど、こいつらは、5001日目に、鳴りやんでいれば、騒音なんて「鳴りやんでいるのだから」関係がないと思ってしまう。「過去のことなんてどうでもいい」「過去のことなんて現在に影響をあたえるはずがない」と思ってしまう。これは、まちがい。大まちがい。あほだから、そういう推論のまちがいに気がつかない。けど、ヘビメタにやられてだめになっているやつより、そいつらのほうが、立場が上だったらどうだ? 俺は、我慢しなければならなくなる。このあいだ、二等兵がどうのこうのということを書いたけど、騒音を浴びないで不通にすごせたからこそ、一等兵になっているやつら、将校になっているやつら、そういうやつらか、目下の人間として扱われる。こいつらは、目下の人間より自分は、人間的にすぐれていると思ってしまうような傾向がある。自分は目下の人間より自分は頭がいいと思ってしまうような傾向がある。目下の人間が言うことはまちがっているけど、目上の自分が言っていることは、正しいと思ってしまうような傾向がある。これも、ようするに、マインドセットだよ。さらに言えば、メタ・マインドセットだ。そういう立場のやつは、俺とおなじ騒音を経験したら、二等兵か非国民にしかなれない。けど、そいつは、運がよくて、きちがい家族にたたられなかっただけだ。しかし、きちがい兄貴のような頭がおかしい騒音魔にたたられなかったからこそ、俺よりも、優位な状態に立っている。そして、これは、まちがった考え方なのだけど「過去のことなんて現在に影響をあたえるはずがない」と思っているなら、俺が言っていることは、まちがいだと思ってしまう。こいつらは、「自分の推論」の誤謬に気がつかない。「過去のことは、現在に影響をあたえる場合もあるし、過去のことは現在に影響をあたえない場合もある」というのが、正しい。もっとも、過去のことは現在に影響をあたえない」というの場合の「あたえない」というのは、「無視できるほど小さな影響しかあたえない過去のできごとであれば、過去の出来事は、現在に影響をあたえないと言ってもさしつかえがない」という意味で「あたえない」と言っているにすぎない……という但し書きがつく。

 *     *     *

非国民というのは、比喩的な表現だ。現代の非国民は、無職と引きこもりだ。無職と引きこもりは非国民なので、下に見てもよいのである。見下してもいいし、説教してもいい。無職と引きこもりは、そういう存在だと腹の底から思っている……という意味だ。 

二等兵というのも、比喩的な表現だ。二等兵というのは、ブラック企業の非正規従業員のことだ。まあ、ブラック企業の平社員を二等兵、その二等兵のさらに下を、新米二等兵と表現しておいた。

2021年3月29日月曜日

たてまえが崩壊しているから、問題があるのに、それをたてまえで補強しようとしても、むりだろ

たてまえが崩壊しているから、問題があるのに、それをたてまえで補強しようとしても、むりだろ。たてまえが崩壊したのは、ヘビメタがずっと鳴っていたからだ。ほんとう、どんな「たてまえ」も意味をなさない。どんな「きれいごと」も意味をなさない。

 

2021年3月28日日曜日

家族による騒音で……生活自体が「おかされる」

起きた。起きたあと、お湯を飲んで、しばらく瞑想をしていた。といっても、いろいろと考えていた。まあ、瞑想じゃないか。瞑想じゃない。いろいろないやなシーンがうかんできた。ほんとうに、ちょっとしたことなんだけど「人間っていやだなぁ」と思わせることばかりうかんできた。複数個ある。全部、微妙なんだけど、俺がいやな思いをした。小さなことなんだけど、積み重なると、メンタルに影響をあたえる。

わるい人間というのがいるんだよな。

わるい人間がいる。

全部、めんどくさい。とくに、ヘビメタ騒音がはじまってから、いろいろなことを切羽詰まった状態でやっていたから、くるしい。くるしいと、「ほかのこと」がめんどうなことになる。「やりたくない」ことになる。

ヘビメタ騒音がはじまってから、普通の人が悪い人間の側に立つということになるから、やっかいだ。きちがい的な「家族」にやられた人じゃないとわからないと思う。きちがい的な家族が、つねに騒音を鳴らす状態でくらした人じゃないとわからないと思う。こういう状態だと、ヘビメタ騒音について言ったにしろ、言わなかったにしろ、「普通の人」が敵になる。わるい人間の側に立つようになる。長期騒音で……生活自体が「おかされる」。これが、わかってない。みんな、わかってない。どうしたって、おちていくしかないのだ。どれだけ、あがいても。


だいたい、ほかの人は『きちがい兄貴のこだわり方』がわからない。説明したってわからないんだよ。きちがい兄貴の態度は、おやじの態度とおなじように、普通に考えれば矛盾があるのだけど、普通の人には、これもわからない。この矛盾を説明すると、認知的不調和がしょうじるから、人によっては?不愉快な気持になる。

ちなみに、おやじもあにきも、自身の矛盾にはまったく気がついてない。これ、あれだけ、めちゃくちゃなことをやって、矛盾に気がつかないんだよ。ほんとうに、発狂してやって、「発狂してやったこと」を発狂して認めないということになる。

これが、ときどきそうなるということではなくて、基本的には、いつもそういう状態でいる。ノーマルな状態がそういう状態だ。システムのなかに「やったってやってない」が含まれている状態なんだよ。そして、本人だけは、そのことに「無頓着」なんだよ。マインドセットという言葉がある。これは、日本語で言えば「こころのかまえ」というような意味だ。これは、複合体だ。ひとつじゃない。システムとして成り立っている。けど、その、マインドセットよりも、さらに根源的なマインドセット?と言うべきものがあると思う。ようするに、メタ・マインドセットみたいなものがある。きちがい兄貴ときちがいおやじは、メタ・マインドセットの部分で、矛盾を感じないようになっている。だから、本人にどれだけ言っても無駄なのである。どれだけ、何回、ものすごい勢いでぶつかってもだなのである。一切合切つたわらない。そうなると、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」「そんなのは、お父さんに言えばいい」と思っている「あかの他人」とはぶつかることになる。ここでも、ぶつかることになる。家で、きちがいが、絶対の意地で自分勝手なことをするから、そのきちがいとぶつかっているのに、さらに、「あかの他人」とぶつからなければならなくなる。そういうふうに考える人「言えばいいのに、言わないからダメなんだ」と考える人に、きちがいおやじやきちがい兄貴の状態を説明しても、納得しない。これは、納得しないんだよ。そりゃあっちにしてみれば、そういう説明自体が、不愉快なことだから……怒ったりする。まあ、不愉快になるとか、不愉快になって怒るというような反応がある。これに関しては、もうすでに、だいぶまえに、説明したので省略する。

*     *     *


 

 

2021年3月27日土曜日

労働可能なニートを、働かせるにはどうしたらよいか


労働可能なニートを、働かせるにはどうしたらよいかということについて考えてみよう。結論から言うと、労働のほうを、ニートにあわせるようにしなければならないのである。ニートが労働にあわせるのではなくて、労働がニートにあわせなければならない。
日本で働くには、労働そのものではなくて、労働にまつわることで、いろいろな我慢を強いられるのだ。なので、この部分を、極力、小さくすればいいということになる。
具体的には、以下のようなことをすればいいだろう。
1)働きたいときに、働いて、働きたくないときは働かなくてもよいことにする
2)勤務時間という概念をなくして、一日のなかで好きなときに働けるようにする。
3)職階はなるべくすくなくてして、上下関係が発生してないようにする
4)先輩後輩といった関係は、発生しないようにする
くわしく見ていこう。
1)と2)はだいたいおなじことを言ってる。一日のなかで、好きなときに働けるようにしておくということが重要だ。ニートのなかには、ニートになったあと、睡眠障害が生じるものがいる。子の 睡眠障害は、騒音生活を十数年にわたって、毎日経験したぼくとは、ちがったレベルの睡眠障害だ。しかし、24時間、自分が好きなときに働いて、自分がやめたくなったらやめるという労働形態を現実化すれば、かなりのニートが、働けるようになるのではないかと思っている。この場合、当然、「遅刻」という概念はなくなる。好きなときに行けばよいのだから、遅刻という概念そのものがなくなってしまう。たとえば、午前2時ぐらいに、突然暇を感じたので、午前2時から、出社の準備をして、午前2時20分ぐらいに家を出て、だいたい、歩いて10分ぐらいかかる職場に行って働くということができるのであれば、睡眠障害者は救われる。起きているときは起きているのだから、そういうことになる。まあ、ナルコレプシーの場合は、出社時間が自由な場合でも救われないが、退社時間が自由なのであれば、救われる。突然眠たくなったら、仕事をやめて、ちょっと寝かせてもらえばいいからだ。まあ、ともかく、出社時間も自由、退社時間も自由というということにしておけば、睡眠障害で働けないタイプのニートは働けるようになる。
いままで、説明したのは、一日のなかで、好きな時間に会社に行って働くということだけど、一年のなかで好きな時期に働くということも考えられる。あとは、「雨の日は出社したくない人」は雨の日は出社しなくてよいことになるので、『働くハードル』がさがる。1)2)3)4)とも、『働くハードル』をさげるということが、真の目的だ。働くことのハードルをさげなければ、意味がないのである。ニートのほうに、仕事をあわせるということはそういうことなのである。いままでは、仕事のほうにニートをあわななければならなかった。そのために、さまざまな説得が行われてきた。そのような説得は、ニートを追いつめて、委縮させるためだけに役立つわけで、ニートが説得に応じて働くということは、ほとんどなかった。そして、かりに、ニートが働きだしたとしても、すぐに、仕事をやめてましうので、またまた、説得をしなければならないという悪循環がしょうじた。これは、ニートを仕事にあわせようとする、努力なのである。で、その努力は、はっきり言えば、真正ニートには無駄なのである。彼らは、「仕事」に適応できないから、適応できない。適応できないのだから、働かない。そういう相手に、仕事をしろと言っても無駄だ。
 

2021年3月26日金曜日

ぼくの旅行に対する態度は普通の人の旅行に対する態度じゃない

 青春18キップ関係の本を買いたいような感じになった。もっとも、本は減らしていくつもりなので、増えてしまってはこまる。別に本を買ったわけじゃないけど、本の紹介ページを読んでいた。まあ、実際には、鉄道の旅はしないと思う。俺は、過去にいろいろとあって、体が重い。気分が重い。ぼくの旅行に対する態度は普通の人の旅行に対する態度じゃない。いろいろと、トラウマがあるのだ。そのぼくが、たしょうは、読んでみようかなと思ったことが、重要だ。

これ、ほんとうに、俺は普通に育った人とちがう……のである。悪い意味でちがう。だから、封の人の感覚ではないんだよな。それは、幼児のときからそうだ。きちがいおやじと一緒の電車に乗ることが俺にとって、どれだけ、負担だったか。もう、全身に蕁麻疹ができてしまうほどいやだったんだよ。それにはちゃんと、理由がある。 理由があるのだけど、きちがいの親に育てられてない人には、実感として理由がわからないと思う。だから、そんなの、考えすぎだとか、そんなの気にしすぎだということになってしまうのである。その人たちから見れば、俺が勝手に不愉快な気持になっているとしか思えないのである。けど、ちがう。

俺は、うちにいるときでも、おやじが帰ってくる時間になると、全身に蕁麻疹ができてた。幼児のころだけど。これ、食べ物による蕁麻疹じゃないんだよ。『きちがいおやじによる』蕁麻疹。一緒に行動することがどれだけ、憂鬱で腹立たしいことか! きちがいなんだよ。おまえ、きちがいやくざよりも、ひどい状態のやつと一緒に行動するなんて、どれだけ、こころがふさぐことか、わかったもんじゃない。実際、きちがいおやじと旅行をしなければならないときは、蕁麻疹がでた。全身、蕁麻疹だよ。

ほんとう、きちがいおやじ。きちがいおやじ。

きちがいが怒り狂っている状態というのがほかの人にはわからない。そして、そのきちがいが自分の父親だという人間の、気持ちは、そうじゃない人間にはわからない。幼児期を含んだ子供のころのことなんてどうでもいいなんて言えるわけがないだろ。これ「きちがいおやじ」にやられなかったやつらの考えなんだよ。これ「きちがいおやじ」にやられなかったやつらの理屈なんだよ。そして、これ「きちがいおやじ」にやられなかったやつらのほうが圧倒的に数が多い。圧倒的な多数派だ。圧倒的な多数者は、圧倒的な多数者の「感覚」を支持する。圧倒的な多数者は、圧倒的な多数者が言っていることが正しいと思ってしまう。

「きちがいおやじ」と「普通のおやじ」はちがう生き物なんだよ。普通の親でも、もちろん、機嫌が悪いことはある。じゃあ、きちがいおやじが怒っているのと、普通の親が怒っているのはおなじかというとそうじゃないんだよ。交流があれば、それは、学習される。事実だからな。誰にとっての事実かということだよ。きちがいおやじとの交流がない人にとってみれば、そういう交流は自分の歴史において事実じゃないんだよ。これが重要。これがわかってない。きちがいおやじにやられてない人にとってみれば、きちがいおやじにやられた人が、気にすることというのは、無意味なことなんだよ。そして、現実的ではないことなんだよ。けど、きちがいおやじにやられた人間にしてみれば、現実的なんだよ。

これが、どこまでも、平行線なんだよな。

「こだわる必要はない」という言い方をするやつは、まったくなにもわかってない。わかってないということも、わかってないだろう。認知療法家のレベルはそういうレベルだ。認知療法の理論はそういうレベルだ。

 

2021年3月25日木曜日

ヘビメタ騒音の影響を無視する他人が、ほんとうに、きらいだ。

ほんとうにつかれた。思っていることはおなじだ。考えていることはおなじだ。ヘビメタ騒音の影響を無視する他人が、ほんとうに、きらいだ。 


なにをやっているときも「不利」なのである。なにをゃっているときも、きちがい兄貴に足を引っ張られる。普通の人が普通に要求することは決まっている。そして、まさしく、そこのところに穴があく。ヘビメタ騒音でどうしてもできないという「穴」があく。そうなれば、ヨソの人は「ちゃんとやってくれ」と言う。きちがいヘビメタにやられるとすべてがきつくなる。きちがいヘビメタにやられてない人は、ヘビメタ騒音の影響がわからない。ヘビメタ騒音の影響について考え違いをする。「鳴ってたってできる」「おれだったらできる」と思ってしまう。自動的に思ってしまう。そして、そういう前提でものを言ってくる。これがどれだけ屈辱的なことか、きちがいヘビメタに毎日やられてない人はわからない。

2021年3月23日火曜日

ヘビメタ騒音で人生がない。これは、俺以外の人にはわからない


ヘビメタ騒音で人生がない。これは、俺以外の人にはわからない。けっきょく、ダイヤのようになってしまうのだから、理解もくそもない。ほんとうに、やられないとどういう影響があるのかわからない。どういう影響が残り続けるのかわからない。俺だってヘビメタ騒音のなかで「まけないように」やってきた。「気にしないように」してきた。「やられてしまったものは、あきらめて、希望をもって生きよう」と思って努力していた時期があった。ぜんぜんちがうんだよな。ダイヤも含めて、佐藤とかそういう人たちが思っているヘビメタ騒音の影響と、ヘビメタ騒音の影響がちがいすぎる。毎日14年間続いたと言っても、その話を聞いた人のなかでは、ほんの一瞬のことだ。そりゃ、実際には、きちがいヘビメタを聞いた時間はゼロだし、そういうことがあったんだなと思った時間は短い。「それでも」と言いたくなるだろう。他人事だから。実際に経験してないから。
 

「思い直してがんばる」ということを、俺がどれだけやってきたか、俺の話を聞いた人は、わからない。 鳴っているなかで、そう思って暮らしてきた……。それが、どれだけ毎日つらいことか、至近距離でやられてない人にはわからない。わからないものはわからない。どうしたって、自分の「なまはんかな」騒音経験から、きちがい兄貴の騒音を推し量ってしまう。俺だって、でかい幼稚園の隣に住んでいるわけだし、普通の騒音の規模はわかっている。そういう騒音じゃないんだよね。たとえば、すぐ横の敷地で、幼稚園の園舎を建て替える工事をしているとする。当然、うるさい。けど、ちがうんだよね。ちがうものはちがう。

で、それは、俺の「気分の問題」じゃないから。きちがいヘビメタは、工事の音とは、質的にちがう。たとえ、7メートルの空間でも、ぜんぜんちがう。ぜんぜん、ちがうということがわからない。ほかの人にはわからない。

ほかの人にしてみれば、「どうしてそんなにこだわっているか?」と思うようなことだ。これは、俺には絶望だ。これ、小学六年生のときから、そうなんだよ。鳴り始めた、小学六年生のときからそうだ。 


ほんとうに、ちがいすぎる。ほかの人にわからない。だいたい、ほかの人はきちがいおやじのことが、わからない。そして、きちがいおやじのコピーであるきちがい兄貴のこともわからない。これ、感覚の差なんだよな。さらに、実際にヘビメタ騒音を至近距離で、あれだけ長い時間、あれだけ長い期間、あれだけでかい音で鳴らされことがないので、「毎日ずっと、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らされ続ける」ということが、体の感覚としてわからない。からだの感覚としてわからないなら、俺の言っていることはわからない。その人たちにとってみれば、俺が「やる気になれば」簡単に解決できるような問題なのである。なり終わったあとなら、なおさら、そのように考えるだろう。けど、ちがう。ちがうけど、他者には、わからない。わかるわけがない。けど、一応、俺が説明をすれば、「ヘビメタ騒音のことはわかった」ということになってしまう。けど、ちがう。わかってない。ぜんぜんわかってない。

2021年3月22日月曜日

圧倒的多数者は、やられた人間(圧倒的少数者)の意見を信じることができない。


きちがいヘビメタにやられると、だれもが、だれもが、働けなくなり、だれもが体力がない状態になり、だれもが決まった時間に行動ができなくなるのだけど、それがやられてない人にわからない。だから、やられてしまった人間の認知とやられてない人間の認知に差ができる。この場合、やられてないほうが圧倒的多数なのだけど、圧倒的多数派のなかにいる誰かにとって、信用に値する意見、あるいは、単に信じることができる意見は、他の圧倒的多数者の意見だということになる。圧倒的多数者は、やられた人間(圧倒的少数者)の意見を信じることができない。

体験的にわかってない。実際、圧倒的多数者……そういう人たちの家族は、うちのきちがい兄貴や、うちのきちがいおやじのような人ではないのである。そういう人たち……にとってみれば、俺の話は「どこかおかしい」と思えることなのである。おかしいのはエイリさんで、エイリさんが「うそを言っている」と思ってしまうのである。かりに、「うそを言ってる」と「決めつけることができない」にしろ、「うそを言っているのではないか」というような疑念が残る。そうなると、その人のなかでは、エイリさんが、お父さんやお兄さんの悪口を言っているということになってしまうのである。あるいは、その人のなかでは、へんなのはエイリさんで、お兄さんやお父さんはへんではないということになってしまうのである。こういう、誤解が成り立つ。

 

+++++++++++


 

 

2021年3月21日日曜日

二等兵には権利がない。

 殺人的につまんないな。

この人生、なんだよ??

どれだけやっても、ヘビメタ騒音で足を引っ張られる。ほかの人にはないヘビメタ騒音で足を引っ張られる。ほかの人は、「ない」からわからない。体験の範囲にないから、わからない。わからないだけなのに、まるで、自分が俺より優れているから「そうなってない」と思っている。それから、まるで、自分のほうが俺よりも、騒音耐性があるから「そんなにふうになるわけがない」「どうにかなるはずだ」と思っている。こいつら、たまたま、運がよくて、『きちがい兄貴』がいなかっただけなのに……。こいつら、たまたま、運がよくて、きちがい兄貴が、きちがい的なこだわりで、きちがい的にでかい音でヘビメタを鳴らさなかっただけなのに……。まるで、自分の能力だと思っている。自分のほうが、その能力がある分、俺より、優れていると思っている。

どれだけのハンディになるか? 身をもって経験してないからわからない。これ、こんな人生ない。こんな、人生ない。

明治以降、一部の恵まれた人を除いて、一般人は、「学校システムのなかの競争」に参加している。そして、ひとたび、組織に所属すくるとなると、そこには、上下関係がある。上下関係というのは、なにも役職の上下関係ではない。先輩なら、先輩だ。先輩のほうが後輩より、上なのである。また、試験システムによって、ランクわけがされる。言ってみれば、二等兵か、将校かが決まってしまう。二等兵になったら、だめなのである。二等兵には権利がない。最初から、将校で始めることができるように、ゲームを進めなければ、どれだけやってもうかばれないということになる。まあ、抜け道はあるけど、その抜け道というのは、詐欺の道だ。あるいは、それに類似したことをする抜け道だ。ともかく、一部の例外はあるけど、大半は、学校のシステムによって選抜、分別される。労働者になる一般人には、なんとかして、学校のシステムを駆け上がるしかない。まあ、落ちるのは楽だ。落ちるのは楽なんだよ。上がるのは、学校システムを使うか抜け道を使うかしかない。まあ、どういう場合でも、落ちるのは楽なんだよ。上がるのは、たいへんだ。一度、一般人のレールから外れたら、もう、その時点でたいへんなハンディを背負うことになる。けど、公平な競争の結果そうなったのだから、それは問題がないことだとされる。きちがいヘビメタというハンディを背負ってしまったら、どれだけ努力しても、二等兵にすらなれないという状態になる。けど、他人には、きちがいヘビメタ……お兄さんのヘビメタ騒音がそんなにすごいハンディになるとは思えない。ヘビメタ騒音の影響を無視してしまう。実際、そいつらにとっては……「なかった人」にとっては、想像するしかないことであって、想像力がないと、想像することができないので、自動的に、「ヘビメタの総量」が無視されてしまう。こっちの時間、こっちの努力、そういうものが無視されてしまう。そうなると、相手には、ぼくが「二等兵にすらなれない、ばかなやつだ」ということになる。佐藤らの一般人の反応というのは、そういう意識がベースになっている。

 

+++++++


2021年3月19日金曜日

常識的な人が、次々に、「敵として」あらわれる。かつての理解者が、次々に、「敵」になる

佐藤やユウキのような常識的な人が、ことのごとく、ごく普通に、誤解をする。まあ、「うちの」おやじのことも「うちの」兄貴のこともわかりにくいとは思うけど、それにしても、ひどい。ひどいじゃないか。こんな、ハンディはない。常識的な人が、次々に、「敵として」あらわれる。かつての理解者が、次々に、「敵」になる。どうしてかというと、長すぎるんだよ。きちがい兄貴が14年間もやらなかったら、こんなことになってない。そりゃ、ダイヤだって、13年目あたりには「いいかげん」と言い出すわけだし……。けど、俺はあのころ、頂点にいた。疲労の頂点にいた。それに、片付いた問題じゃなかった。たしかに、やなぎ荘には出ていたけど(アパートを借りていたけど)家に帰れば、鳴っていた。風呂に入っているあいだずっと鳴らされた。屈辱だ。飯代を減らすために、うちでご飯を食べていたのけど、ご飯を食べていたときも、小学生時代とおなじように、中学生時代とおなじように、高校生時代とおなじように、浪人生時代とおなじように、ものすっっっっごい音で、きちがいヘビメタが鳴っていた。あのヘビメタ騒音のなかで「たべるめし」が、どういうものだかわかるのか? ふざけるな。あの時点でも、おわった問題じゃないんだよ。  



2021年3月18日木曜日

溝、溝、溝。

 ほんとう、こんなこと、しているあいだに、人生、おわっちゃうよ。俺のなかみは、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音がはじまったころから、なんも、かわってない。かわってないのだ。ずっと、くるしいままだ。

 部活の仲間から誤解を受けたときから、佐藤みたいな常識的な人から誤解を受けたときまで、まったくなにもかわってない。ことの、本質がかわってない。

*     *     *

あと、ドストエフスキーについて書いた文章を探しているのだけど、まったくみつからない。あとは、つぼや杯について書いた文章も見つからない。自分がドストエフスキーについて書いた文章はなんとかして、見つけたい。もう、書けない。もう、書けない。

*     *     *

あと、ぼくは1980年代には、現在にいたる二極分化を予言していた。ちゃんと書いていた。あとは、あのころ書いた教育関係の文章も見つからないので見つけたいと思う。

だいたい、もう、書けないんだよ。もう、書けない。

*     *     *

なかみがかわらないなら、書けると思うかもしれないけど、書けない。いや、どうなのかな? つまり、わるい意味で、憂鬱や疲労が続いているのから、その部分はかわりがないのだけど、わるい意味で、情熱がなくなり、書けなくなった。

ほんとうに、ぼろぼろなんだよな。きちがいヘビメタ騒音のなかで、腹を立てて困っている状態というのが、ほかの人にはわからないんだよな。これがどれだけ、ながい時間続いたか? 強制的に続いたか? そして、静かになってからの憂鬱がひどい。疲労がひどい。けっきょく、ほんとうに、ほかの人は経験してないからわからない。そして、俺に不適切な助言をする。で、ぼくは、その人がきらいになる。この一連の流れも、他人が理解できないような音で、他人が理解できないようなしつこさで、他人が理解できないような態度で、きちがい兄貴が、きちがいヘビメタを弾かなかったら、きちがいヘビメタを聞かなかったら、なかった。だって、ダイヤとの喧嘩?だって、元をたどれば、ヘビメタ騒音の認知に関する闘争だ。おれは、認めるわけにいかないんだよ。相手が言うように、影響を無視して、行動をするということができない。それは、どうしてもできない。どれだけの溝があるか?

溝、溝、溝。

 

++++++

 

 

「生活できるなら、別にかまわない」 「はぁ~~?? なに言ってんだ?? おまえぇ!!」

 「生活できるなら、別にかまわない」

「はぁ~~?? なに言ってんだ?? おまえぇ!!」

「生活できるなら、別にかまわない」「なにも言うことはない」……こいつら、まるまる。こいつら、まる。こいつら、まる。 

ヘビメタ騒音で働けないと言っているだろ。もちろん、そのときは、通勤しないと働けない状態だった。ヘビメタ騒音で働けないと言っているだろ。言っただろ。「生活できるかどうか」なんて、ヘビメタ騒音の問題にくらべれば、小さな問題なんだよ。「生活できるかどうか」なんて、ヘビメタ騒音問題のなかの、部分的な問題なんだよ。ヘビメタ騒音問題のあらわれなんだよ。こいつら、なにもわかってないのな。ヘビメタ騒音で仕事ができなくなった。通勤して働くことができなくなった。通学もできなくなったと言っているだろ。言っただろ。

こいつら、やっぱり、説明を受けたあとも、俺がちょっと本気を出せば、あるいは、やる気を出せば、働けると思っているんだよな。説明というのは、ヘビメタの説明。働けるというのは、通勤して働けるという意味。どれだけ、ヘビメタ騒音の影響を過小評価すれば気が済むんだ。そういう問題じゃないと言っているだろ。どれだけ、やる気を出しても、働けない状態になっているということを言っているんだよ。ヘビメタ「で」そういう状態になったということを言っているんだよ。 ちょっと、反省してやる気を出せば働けると思っている。

反省してというのは、働かないでいいという考えはまちがっているので、そういうことを認識して、反省して……という意味だ。こいつらの考えはそうなんだよ。まったくなにもわかってないんだよな。最初からヘビメタ騒音「で」働けなくなったと言っているだろ。最初から、ヘビメタ騒音「で」通勤できなくなったと言っているだろう。なにを聞いているんだ? こいつらの、こういう認知、頭にくる。頭にくる。頭にくる。

こいつら、くそ。こいつら、くそ。

ヘビメタ騒音の問題のほうが大きいということがわからないのか。切迫感がわからないのが。問題のでかさについて、誤認がある。こいつら、ばかだから、まったくわかってないのな。ヘビメタ騒音について説明したのに、こいつらときたら、まったくわかってない。仕事ができなくなったというのは、ヘビメタ騒音問題の一部なんだよ。ヘビメタ騒音問題のほうがずっとずっとずっとずっとでかいんだよ。こいつら、ほんとう、なにもわかってないのな。 

「生活できるかどうか」なんて、ヘビメタ騒音の問題にくらべれば、小さな問題だ……そういうことなんだよ。そういうことを11歳のときから突き付けられているんだよ。ヘビメタ騒音が鳴っているということはそういうことだ。ヘビメタ騒音生活をしているということは、そういうことが、どんどんつみかさなる生活だ。もう、最初から、「キレてる」んだよ。むりなんだよ。

この「むりさ」が、実際にやられてないやつらにはわからない。

どれだけ、きりきり舞いの、ぎちぎちの、ぎちゃぎちゃの生活をしていたかわかってない。発狂的な努力をしても、どんどん、穴があいていく状態だ。そういう切迫感がわかってない。最大限の努力をしているのに失敗ばかり、トラブルばかりという状態に、なる。これは、どーーしても、なるんだよ。発達障害の注意欠陥なんかよりもずっと、ひどい状態なんだよ。ヘビメタ騒音をやられる続ける毎日というのは、そういうことなんだよ。

ぼくの、もともとの、障害じゃないのに、発達障害よりもひどい障害がしょうじる。そして、ほかのやつらは、俺がヘビメタ騒音が原因でこうなっていると言っても、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する。きちがい兄貴の性格について誤認をする。きちがい兄貴の構造的な認知システムについて、誤解をする。「そんなのは、家族で話し合えばいい」「そんなのは、お兄さんに言えばいい」……それで、かたづいことにしてしまう。かたづかないと言っているのに、こいつらは……。こいつらは……。ほんとう、凡人はおなじ。おなじ反応。

冒頭の 「生活できるなら、別にかまわない」と言ったやつのヘビメタ騒音に関する認識と、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言ったやつのヘビメタ騒音に関する認識は、おなじ。そういうレベルの問題なんだよ。こいつらにとっては。いーじな問題なんだよ。お兄さんに言えば解決するようなイージーな問題なんだよ。もし、鳴ってたとしても、そんなには影響をあたえない問題なんだよ。「そんなのは、エイリさんがちょっと本気を出せばいい」「そんなのは、エイリさんが不真面目だからダメなんだ。エイリさんがまじめになればいい」……こういう認識なんだよ。

 

こいつら、まるまる。こいつら、まるまるまる。 

 

インターネットが発達して、通勤しなくても仕事ができて、生活できたとしても、問題があるに決まっているだろ。こいつら、なにもわかってないな。想像力の欠如。ヘビメタ騒音の影響を無視。こいつら、なにもわかってないな。いまだって、くるしいんだよ。


 

2021年3月16日火曜日

ヘビメタ騒音生活というのが、脳みそを焼き切るような生活なのである

 ヘビメタ騒音生活というのが、脳みそを焼き切るような生活なのである。

どれだけがんばっても、きちがいヘビメタの影響でトラブルがしょうじる。

どれだけがんばっても、きちがいヘビメタに足を引っ張られて、なんの成果もない。むしろ、マイナス。激しくマイナス。常に、ヘビメタ騒音の「災害」がつみかさなる。常に、「災害対処」でめちゃくちゃになる。どうして、めちゃくちゃになるかというと、ヘビメタ騒音が……元の原因であるヘビメタ騒音が鳴っているなかで、「災害対処」をしなければならなくなるからだ。このときの、気分はない。こういう気分を味わったことがないやつに、えらそうなことを言われる筋合いはない。けど、「えらそうなこと言われる」立場に追い込まれていく。まさしく、それも、「つみかさなる」。

どれだけか!!どれだけか!!どれだけか!!

脳みそが焼かれ、からだが焼かれているような状態で、そういう状態じゃないやつから、えらそうなことをいわれる人生。……そういう人生にどうしてもなってしまう。

2021年3月15日月曜日

ほかの人は、ヘビメタ騒音は関係がないと考えるので、もともと、そうなんだと考える

 他人は、ヘビメタ騒音がぼくにどれだけの影響をあたえたか、わからない。

どうしてかというと、他人だからだ。別の個体だからだ。実際に経験してないからだ。

他人の頭のなかにあるヘビメタ騒音というのは、ぼくの話を聞いて「想像しただけ」のヘビメタ騒音だ。実際はちがう。時間というのがある。一日のなかで鳴らされた時間と、一日のなかで鳴らされたあとの時間。どれだけ、鳴らされたあとの時間が、「一日中鳴らさなかった場合」の静かな時間と違いがあるか、ほかの人には、わからない。経験がないからだ。一生のなかで、鳴らされた時間と、一生のなかで、鳴らされたあとの時間。ほかの人には、一生のなかで、鳴らされたあとの時間が、どういう時間なのかわからない。もっともこれは、普通なら、時間ではなくて、期間というべきだ。一生のなかでという場合は、期間というべきなのだけど、あえて、期間とは言わない。この場合は、あえて、時間と言いたい。ほかの人には、わからないから、鳴り終わったあとの時間は、鳴り終わっているのだから、関係がないと思うだろう。けど、関係があるのだ。しかし、ほかの人にはわからない。そうなると、ほかの人は、自動的にぼくをみくびるようになる。下に見る。軽蔑する。そうならざるをえない。どうしてかというと、ヘビメタ騒音で生じた体の症状が、すべて、「ダメ人間問題」にかかわることだからだ。引きこもり、無職・無職歴、遅刻・遅刻歴、学歴、睡眠障害、疲労・虚弱、ネガティブ、うつ病、不活性、無感情。体の症状と書いたけど、もちろん、「臓器としての脳」を含む。脳を含めて、ヘビメタ騒音でこれらの症状がしょうじているのに、ほかの人は、ヘビメタ騒音は関係がないと考えるので、もともと、そうなんだと考える。こいつらは、自動的に俺を見下している。しかも、その自覚がない。そいつらにとっては、「ヘビメタ騒音なんて関係がない」からだ。ゆるせるか? こんな現実がゆるせるか。きちがい家族が横の部屋で、ヘビメタをものすごくでかい音で鳴らすと、あかの他人から、ぼくが下に見られるのだ。関係性はある。しかし、あか他人からすれば、関係性はないのである。その他人は、ヘビメタ騒音生活を11歳のときから25歳まで、つづけた経験がない。学歴や無職歴や遅刻歴にどういう影響をあたえるか、わかってない。自分のこととしてわかってなければ、まったくわかってないのとおなじだ。だから、不適切なアドバイスを、してしまう。しかも、ヘビメタ騒音の「実際」がわからなければ、自分が不適切なアドバイスをしたということも、わからないのだ。完全にわからないようになっている。自分は適切なアドバイスをしたと思っているだろう。「あたりまえのことをやったにすぎない」と思ってるだろう。これが、どれだけ人をばかにしているか、わかってない。

 

*     *     *

なんで俺だけ、きちがい兄貴にやられて、二等兵にならなければならないのか? なんで俺だけ、きちがい兄貴にやられて、人間魚雷にならなければならないのか?

それで、あたりまえ?

ふざけるな! ゆるせない!!

俺ができないと言っているだろ!!

俺ができないと言ったら、できないんだよ!!

*     *     *

世間?

世間は行ってくるのさ。

それであたりまえだってな。

あたりまえだ!あたりまえだ!!あたりまえだ!!

甘えんな!!甘えんな!!甘えんな!!

けど、そういうふうに言っているやつらは、ヘビメタ騒音を経験してない。条件がぜんぜんちがう。ハンディがぜんぜんちがう。どれだけのハンディになるか、まったくわかってないやつらだ。侮辱するな! 侮辱なんだよ。侮辱するな!


2021年3月14日日曜日

「世の中くそ」

 ある人のブログを読んでいるのだけど、「世の中くそ」だと思う。ブログの本文ではなくて、コメント欄に書いてあることを読んで「ほんとうに、世の中くそだな」と思ってしまう。どーしても、そう思うようなコメントがいくつもある。まあ、まともなコメントもあるけどね。

それにしても

「人間っていやだな」と思ってしまう。

自分のいろいろな記憶も、その感想を支持している。人間関係でいろいろないやなことがあった。 ほんとうに、世の中くそ。もちろん、「世の中くそ」じゃない部分もあると思う。いい人もいると思う。けど、そうじゃない部分が小さい。

いい人が、少ないんだよな。わるい人のほうが多い。圧倒的に多い。圧倒的多数が、わるい人だ。

そして、人間の構造からくる認知のゆがみがある。この認知のゆがみは、俺も持っている。ほかの部分に関してだけど……。

人間の構造からくる認知のゆがみなのだから仕方がない。

けど、認知のゆがみがあると認知している部分は『正確』なのかというと、そうは言えないわけだ。(以降、繰り返し)。だから、認知のゆがみというのは、カッコつきの認知のゆがみだ。人間というのは、構造的な認知のゆがみを持っていると、仮定するしかない。これは、「現実」と「現実の認知」の関係とおなじだ。現実の認知の影響を受けない、確固たる現実はないと、言えるのだけど、それも、カッコつきだ。以降、繰り返し。

 

2021年3月13日土曜日

 つまんない。

寝るとするかな。

あのとき、ああするじゃなかった。なんか、あのときは、怒りのスイッチが入ったんだよな。ともかく、きちがいヘビメタ騒音以降、いいことがない。どうしてかというと、圧力をいつも感じているからだ。普通の状態じゃない。つねに、きちがい兄貴の態度が、俺の行動に影響をあたえる。あの行動と態度がゆるされるなら、なんだってゆるされる。

 

2021年3月12日金曜日

的外れだ!的外れだ!的外れだ!的外れだ!的外れだ!


ヘビメタ騒音にやられると、他人というのが、いやになる。これは、必然なのだけど、他人にはわからない。やられてない他人にとっては、ヘビメタ騒音はゼロなので、どーしても、実際にやられている状態を想像できない。想像しても、その想像が、実際の状態とはかけ離れたものになる。また、その想像が、実際の状態とはかけ離れたものになるということが、わからない。実際にやられて、こまったことがない人がかりそめに想像するヘビメタ騒音なんて、まったく意味がない。ぜんぜん違う。ぜんぜんちがうけど、実際に経験がない人には、ぜんぜんちがうということ自体がわからない。繰り返しになるけど、「話を聞いて」想像したヘビメタ騒音と、実際に鳴っているヘビメタ騒音がちがいすぎる。しかも、鳴っている時間の長さがわからない。知識として、10時間鳴っていたとか、13時間鳴っていたと言っても、やっぱり、実際に、10時間、13時間鳴っている状態を経験しないと、鳴りはじめて、1時間目の体の状態と、10時間目の体の状態と13時間目の体の状態がわからない。さらに、「あしたも、期末テストがある」という状態で、それをやられた場合の精神状態がわかない。どれだけ言っても、きちがい的な形相で無視してやり切る「家族」がいるということが、どういう意味を持っているのかわからない。経験的に、きちがい的な他者と一緒に住んでいるということがわかってない人には、まったくわからない。「そんなのは、お兄さんに静かにしてって言えばいいだろ」ということなのだ。そんなの、一日に何十回も言っている。何万回も、何十万回も言っている。言っても、きちがい的な形相で無視して鳴らすから問題があるんだろ。そして、本人は、まったくつもりがないのだから、こまるんだろ。ほんとうに「つもりがない」という状態について、普通の人はわからない。これも、説明されてもわからないし、実際にそういう人間に困らされたことがないからわからない。そして、仮にそういう人間が、職場にいたとしても、それは、職場にいるだけで、家族として一緒に住んでいるわけじゃないのだから、わからない。家族として一緒に住んでいる場合、どういうことが起こるかわかってない。状態がわからない。状態がわからないので、「言えばいい」というような的外れなことを言う。的外れと書いたけど、「認知療法家が言うことは」相当に的外れだ。そして、精神世界の人たちが言うことも、相当に的外れだ。アドラーが言うことも相当に的外れだ。的外れだ!的外れだ!的外れだ!的外れだ!的外れだ! どれだけ的が外れているかわかってない。

それと、幼稚園が出す「普通の騒音」と「ヘビメタ騒音」はちがうから……。これも、言葉で言っても通じないことのひとつだ。もちろん、俺にとってはということもあるかもしれないけど、音の大きさがちがう。距離がちがう。距離がちがうんだよ。

2021年3月11日木曜日

貧乏という言葉……とくに子供時代について語る場合について

 濃いお茶を飲んでいるのだけど、コーヒーが飲みたいな。あの腹痛の日から一杯も飲んでない。飲めばまた、腹がいたくなる予感があるが……。そして、一杯飲めば、次の日も「大丈夫だろう」と思って一杯、飲んでしまうかもしれないけど……。これ、一日に一杯ぐらいなら、飲めるようにしておいてほしかったな。もう、だめみたいなんだよな。

あとは、貧乏云々に書いておくと、貧乏ということばの感覚が人によってちがうんだよね。たとえば、「子供のころ貧乏だった」とAさんとBさんが言っても、貧乏さの度合いがまるで違うことがあるかもしれない。ようするに、Aさんにとっての「貧乏」のイメージとBさんにとっての「貧乏」のイメージがちがう場合がある。もちろん、だいたいの範囲で一致していることもある。けど、ちがう場合もあるのだから、ちがう場合を考えないというのは、態度としておかしい。

もう一つは、親の「金に対する態度」の問題がある。たとえば、Aさんの親が月に手取り13万円で、Bさんの親も月に手取り13万円だったとする。そのような場合でも、Aさんの親が、きちがい的な意味で、金に執着するなら、そして、Bさんの親がきちがい的な意味で金に執着しないなら、月給が同じでも、子供が持つ気持ちにちがいがしょうじることがある。こっちのほうがでかいと思うけど。人それぞれに金に対する態度がちがうから、「親」であるAさんの親と、「親」であるBさんの親で金に対する態度がちがう場合が考えられる。

また、子供にどのくらい金を使うつもりでいるかということも大きなちがいになるだろう。子供に一切合切金を使いたくない気持ちがある人が親である場合……とくに、無意識的なレベルで子供に一切合切金を使いたくない気持ちがある人が親である場合は……たとえ、月に手取りで17万円稼いでいたとしても、子供は「自分のものを買ってもらえなかった」という意味で、「貧乏」だと感じるだろう。この親を持つ子供がCさんだとする。

BさんとCさんを比べると、親の年収は、Bさんのほうが高い。にもかかわらず、Bさんの親が普通の親で、貧乏?低所得ながらも、子供の気持ちをくんで、可能なものはなるべく買ってやったということがあるとすると、Bさんの家のほうが貧乏だから、Bさんのほうが貧乏だとは、言えなくなる。 けど、所得はCさんの親のほうがBさんの親よりもあるので、Cさんは、Bさんよりは貧乏じゃないと言われてしまう。まあ、だれに言われるかというと、Bさんに言われることもあるかもしれないし、まったく関係がない人に言われる場合もある。ようするに、「自分の家」のほうが貧乏だったから、自分のほうが貧乏だとは、かならずしも、言えないということだ。

しかし、子供のころの親の年収についていちいち言及して、貧乏かどうかを語る場合は少ない。おのおのの貧乏エピソードは、貧乏エピソードとしてよくあるエピソードかもしれないけど、私は、Cさんのほうがつらかっただろうなと思ってしまう。

 *     *     *

 

2021年3月10日水曜日

顔、真っ赤にして、発狂モードでやりやがって……

あのとき、カネがなかった。けど、問題はカネじゃない。きちがいおやじだ。どーーしてあいつは……。なんで、スイッチが入ると、横で「やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!」と絶叫しても、やっちゃうんだろうな。それも、きちがいおやじの頭のなかでは「親切にしてやるつもり」「やってやるつもり」なんだからな。顔、真っ赤にして、発狂モードでやりやがって……。それが、その姿が、きちがい兄貴がへびめたをならしているときに「やめろ」と言われたときと、おなじなんだよな。態度がおなじなんだよな。反応がおなじなんだよ。

これ、ほんとう、きちがいおやじときちがい兄貴の態度がおなじ。行動がおなじ。形相がおなじ。で、きちがいおやじときちがい兄貴以外でこういう状態になっている人を見たことがない。どれだけ、怒ってたってあんなんじゃない。

きちがい兄貴は、親切なことをしてやるつもりでやっているわけじゃないけど、おやじは「こっちのために(自分が)やってやる」という気持ちなんだよ。それだったら、相手が「やめてくれ」とか「これこれこういう理由でやめてくれ」と言ったらやめてくれてもよさそうなものなんだよな。頭がおかしいから、スイッチが入っちゃって、かえることができない。ほんとうに、殺さないとやめさせることができない。そういう状態を発狂して、つきつけてくる。これが、「相手のためにやっていること」なんだからな。

で、きちがいおやじは、もともと、こういう人だからいつもそうなるんだよ。いつもそうなる可能性があるんだよ。これが持つ意味というのが、きちがい家族にたたられた人じゃないわからない。きちがい家族にたたられたことがない人は、「そんなのは、言えばいい」「そんなのは、家族で相談すればいい」と普通に考えてしまう。

ぜんぜん、ちがうのに……。ちがうのに……。

どれだけ、病んでいるか、わかってないな。おやじや兄貴の頭がどれだけへんなぐあいに壊れているかぜんぜんわかってない。これは、構造的そうなっているわけだから、説得してかわるわけじゃないんだよ。あたまがおかしいから、そうなっているの。けど、ほかの人には、きちがいおやじの状態やきちがい兄貴の状態がわからない。いえのなかの「きちがい兄貴の状態やきちがい兄貴の状態」がわからない。これは、根本的にわからない。けど、この場合は、わからないのは、脳みその問題じゃない。けど、おやじと兄貴の場合は、脳みその問題だと思う。ならば、「脳みそのちょっとした癖なのだからゆるせばいい」ということになるかというと、そういうことにはならない。こころを破壊されていいということにはならない。実際、きちがい兄貴は、俺に騒音攻撃をして、俺の人生を破壊している。これが、ゆるせるか? これも、「人のせいにするな」という頭がおかしいことを言う人たちが出てくる。これは、侮辱だぞ。きちがいヘビメタが一日に七時間鳴るだけで、どれだけ困るかわかってない。俺の頭が、どれだけ、こわれてしまうかわかってない。これは、たしかに、なんていうのかな、俺にとって、まずい方向に崩れるのである。ちがいおやじときちがい兄貴はは、なんていうのかな? 自分が得するようにこわれているんだよ。頭がこわれているの。自分のわがままを通すように、頭が壊れているんだよ。これが、ゆるせない。

「頭の癖」とか「人のせいにするな」というようなことを言う人は、まったく、なにもわかってない。ぼくがやられたことの一兆分の一でもやられれば、本人は怒って、一生「あいつはゆるさない」という気持ちになるのに。まるで、俺がやられたことがわかってないな。そして、ほんとうに影響が「いまでも」あるのに、影響を無視する。きちがい兄貴のヘビメタにやられなければ、ほんとうに、こんな体じゃない。きちがい兄貴のヘビメタ騒音で生じた、睡眠障害で悩んでいない。こまっていない。

 

2021年3月9日火曜日

みんな、貧乏時代の不愉快な出来事って、忘れられるの?

 みんな、貧乏時代の不愉快な出来事って、忘れられるの?

みんなって、貧乏な人みんなという意味だけど。

俺は、貧乏時代の不愉快な出来事が、よみがえってくることがあるんだよな。これも、きっかけはある。ほかの人のブログを読んだときとかニュースを読んだときに思い出してしまう。いちおう、関連している記述がある。 けど、(事柄と事柄の類似度に)距離があるんだよな。そして、思い出したときのよみがえりようが、リアルなんだよ。さっき、そういうことが起こったような感じがする。感情としてはそのままよみがえってしまう。

*     *     *

 

きちがい兄貴がしつこすぎる。みんなきちがい兄貴のしつこさがわかってない。

 あいつらのほうが俺にひどいことを言っているのに……。ヘビメタ騒音で睡眠回路を破壊されていると、いろいろなところで誤解を受けるんだよな。二〇時間起きているような状態で、電話に出なければならなくなったり……。相手が気を使って、「かけなおしますか」と聞く場合だって、「それじゃ、深夜の三時にお願いします」とは言えない。言ったら? ことわられる。さらに、「非常識な人だ」と思われるかもしれない。俺の頭が、もやもやしているときに、むずかしいことやひっかけがあることを訊いてくるな。むずかしいことというのは、そこで判断してしまったら、あとあと問題が残るようなことだ。ひっかけがあることというのは、意識状態が低下しているときに訊かれると、ついうっかり、本音を言ってまうようなことろであって、なおかつ、本音が相手のボスにとって都合が悪いことだ。

ともかく、「ヘビメタ騒音で睡眠障害になった」と理由を言っても、相手は、わからないだろう。ヘビメタ騒音のすさまじさを知らない。きちがい兄貴のこだわりを知らない。きちがい兄貴の無視の度合いを知らない。ほんとうに、きちがいじゃなきゃああいうこだわりで、鳴らせない。しつこすぎる。みんな、俺が、ヘビメタ騒音にこだわっているような感想を持つかもしれないけど、ヘビメタ騒音にこだわって、ずっと鳴らしていたのは、きちがい兄貴だ。しつこさが想像できなくて、一四年間毎日という、期間の長さが与える影響のでかさが、自分こととしてわからない。わかるわけがない。かならず、佐藤のように誤解する。

それから、こういうことで困ってない人にはわからないかもしれないけど、ながい間やられて長い間困っている人は、いろいろなところで、不愉快なことに遭遇しやすい。適切な言葉がないけど、本来なら、かかわらなくてもいい人に、かかわる確率が高くなる。きちがいヘビメタをやられずに、普通の体力があり、普通の生活力がある状態なら、つきあわなくていい人と、遭遇する場合がある。なんていうのかな、きちがいヘビメタによって、普通の生活体力を奪われ就職できない状態だと、もしも、ヘビメタ騒音がなくて普通に生活しているならば、遭遇しなかったタイプの落とし穴にはまる可能性が高くなる。

 どれだけ生活が破壊されるかわかってない。毎日のヘビメタ騒音で、どれだけ、こっちの生活が破壊されるか、みんなわかってない。みんなわかってない。わかってないところで、ものを言う。

これ、ほんとうに、きちがいおやじの頭がおかしいから、はんだごてのことで兄貴が学校でばかにされるということと、おなじなんだよな。きちがい兄貴の頭と、きちがいおやじの頭が同じ。きちがい兄貴のこだわりときちがいおやじのこだわりが同じ。きちがい兄貴の頑固さと、きちがいおやじの頑固さが同じ。こだわりや、頑固さが、ほかの人にはわからない。「きちがい的なこだわり」だから「きちがい的なこだわりを持った家族」がいないひとにはわからない。根本からわからない。同じ家で生活してないとわからない。「よそ」で、「きちがい的なこだわりを持った人と」であったということと、「きちがい的なこだわりを持った人と一緒の家でくらしている」ということのちがいがわからない。根本からわからない。根本からわからない人が、人の話を聞いて想像した場合、想像して思い浮かべることと、家のなかでの現実が、大きく乖離してしまう。「理解した」と「経験してわかる」ということが、ぜんぜんちがう。 


2021年3月8日月曜日

意志の問題ではないのに、意志の問題だとされてしまう(他人は、意志の問題だと想定してものを言ってくる)

 ヘビメタが四六時中、鳴っていると、どれだけ足を引っ張られるか? ほかの人はまったくわかってないんだよ。それは、きちがいヘビメタが鳴り始めた小学六年生のときから、かわってない。俺が小学六年生のころから、他人は、このことがわかってない。

これでは、ぼくが、ヘビメタのことを他人に説明しても、しなくても、おなじだ。そして、他人は、「ヘビメタのことを他人に説明しても、しなくても、「おなじだ」ということも、まったくわからない。わからないんだよね。

自分の人生なのかで発生したことじゃないから。

自分の生活のなかで発生したことじゃないから。

そして、きちがい家族がいる状態で、生活したことがないから、どれだけ、足を引っ張られるかわからない。そして、他人が理解しないうちに……たとえば、勉強ができないということがつみかさなる。これは、勉強する時間がないから、勉強する時間がある場合よりも、学業成績が下がるということなのだけど、こういうことの「意味」がわからない。きちがいヘビメタのなかで、どうしても、勉強ができないということが、体験をとおしてわかってない。

そして、きちがい兄貴に「静かにしろ」と言ったときの、きちがい兄貴側の態度やきちがい兄貴側の認識が……他人にはわからない。きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじで、無意識的に自分がやりたいことがあれば、感覚器をだまして、やってしまうところがある。

しかも、「つもりがない」のだ。

発狂的な意地で、感覚器をだまして、やったことは、すべて、やってないことになってしまうのである。

きちがい的な意地でやったことと、実際にやってないことは、感覚的には、おなじなのである。もちろん、毎日、そういうふうにしているということが、本人には、わかってない。常にやっているのだけど、つねに、「つもりがない」わけだから、どれだけ、長くやってもわからない。

きちがい兄貴は、もう、自動的に、家に帰ってきたら、ヘビメタを……鳴らせる最大限の音で鳴らす……ということに「なっていた」。もう、自動的にそうなるのである。どんなこまかい時間も、惜しんで、きちがいヘビメタを鳴らしきるのである。

この生活!!

やられているほうのこの生活!!!

この生活の意味がわかってない。どれだけ、足を引っ張られるか、他人にはわからない。すべての時間鳴らしていたと言うと……たとえば、きちがい兄貴が風呂に入っている時間は鳴らしてないという意味で、『すべての時間ではない』ということが成り立つ。

なので、『すべて』という言い方はイ・ラショナルだということが言える。しかし、本人が風呂に入っている時間、本人が家にいない時間、本人が眠っている時間、本人が一階の部屋でご飯を食べている時間を、のぞいて、すべての時間、ヘビメタが鳴っているということ意味は、そういう言い方では、払拭できないのだ。

ようするに、「すべての時間ではない」にしろ本人が起きて活動している「ほとんどすべての時間」鳴っていたということは、「すべての時間ではない」にしろ、重要なことだ。

こっちが活動している時間……こっちが家で起きている時間のほとんどすべての時間がヘビメタ騒音におおわれてしまうのだから、こっちの悩みは、「すべての時間」ではなくて「ほとんどすべての時間」と言っても、かわりがない。

「すべての時間」ではないということを指摘すれば、ヘビメタ騒音の問題が小さくなるかというとそうではないのだ。「すべての時間」ではないということを指摘すれば、俺の側の現実がかわるかというとかわらない。

やはり、俺の生活全部がヘビメタ騒音でおおわれていることにかわりがない。家で起きているあいだの、ほとんどすべての時間鳴らされたことで、こっちがこまるということの実態は、なにもかわらないのだ。しかし、まあ、正確さを重んじて「すべての時間」ではなくて「きちがい兄貴がいにいて、起きている時間のなかの、ほとんどすべての時間」と言い換えるけど、、そういう言い換えをしたとしても、実態はかわらない。

そして、「きちがい兄貴が家にいて、起きている時間のなかの、ほとんどすべての時間」ヘビメタが、めちゃくちゃにでかい音で鳴っていたとすると、「きちがい兄貴がいにいて、起きている時間」以外の時間にも影響をあたえる。これも、他人が、無視してしまうところなのだけど、影響をあたえる。影響をあたえる。影響をあたえる。

この影響のでかさが、ほんとうに他人にはわからない。本来眠るはずの時間として考えられる午後一一時から次の日の午前七時までの時間に、発狂的な影響をあたえる。こういうことも、毎日つみかさなれば、脳みそが(固定的な状態として)影響を受けるということが……ほかの人には経験的にわかってない。

はっきりいえば、繰り返しの刺激によって、脳みそに障害がしょうじる。こまった状態が……うまく働かない状態が「固定化」されてしまう。

こういうことは、普通は、「意志の問題」だと想定される問題だ。

たとえば、「朝、起きることができない」というのは、「意志の問題」なのである。けど、ぼくは、一〇年以上ヘビメタを毎日鳴らされたわけで、一〇年以上毎日ヘビメタを鳴らされてない人間とは、状態がことなるのである。そもそも、状態がことなる。基本的には、ヘビメタ騒音問題というのは、「ダメ人間問題」で「意志の問題」だと、普通の人間には、認識される。これも、こちら側の感情を逆なですることなのである。


2021年3月6日土曜日

「運」「才能」「努力」「環境」

 

 午後3時ぐらいに、一度起きて、パンを食べた。これは、食パンだな。で、また、眠った。で、起きて、またパンを食べた。これは、食パンだな。

あーー。そういえば、たくあんも食べた。食パンに乗せて食べたわけじゃない。食パンを食べたあとに、たくあんを食べた。あーー。

人は、環境か才能かというのは、教育学のなかで、さんざん議論されていることなのだ。一般的には、これに、「運」や「努力」ということがつけくわわる。努力をすることができるというのが、才能のひとつなのかどうかということはけっこう重要だ。これは、才能なのか、それとも、才能とは別の要素なのか? 

基本的には、別の要素として考えるのではなくて、才能のひとつとして考えたほうが整合性がとれると思う。整合性は重要。「運」というものを出してしまうと、基本的には、ちゃんとした議論ができなくなる。基本、学問的にやりたいなら、「運」という要素はとりあげるべきではない。「運」ということを言い出したとたんに、整合性がなくなる。

しかし、「運」という言葉にこだわっている人たちがいるということは、確認できる。なので、無視してはいけないと思う。人がどういうふうに考えているか?だからね。原因帰属理論なんだね。これは。

 

*     *     *

この生活もほんとうにつかれたなぁ。だれか、半分やってくれ。もう、つかれた。横になるかな? じつは、洗濯ものを取り込み忘れた。夜10時に取り込んだけど、だいじょうぶかな? 午後3時ぐらいに起きたとき、「取り込もうかな」と思ったんだけど、まだ、日光にさらしたいなという気持ちがあったんだ。だから、本人としては、もうちょっと、日光にさらしてあとで取り込むつもりだった。が、眠ったので、忘れた。カーテンは、しめてあるからな。

まあ、夏じゃないからだいじょうぶだということにしておこう。さいわい、蛾のような虫がいない。たぶん、だいじょうぶ。それにしても、これは、どう書けばいいのか? まあ、たとえばの話だけど、無職歴が20年間とか25年間とかある人が、就職しようとしているとしよう。まあ、普通なら、応援するよね。で、ともかく、つらい思いをして頑張っている?日本の適応的な従業員勢が言うことがすごいんだよね。どうしても、自分の人生というものが、基準としてあるから、20年ぐらい働かずに引きこもっていた人が、「運だ」と言うと、ものすごく、怒りがわきおこるようだ……日本の適応的な従業員勢……。ちなみにだけど、「正社員」という法律用語はない。それに相当する言い方は「正規従業員」だ。「正社員」という言い方が正式なものとして法律用語のなかにあると思っている人たちが多いんだよな。まあ、うんちくだけど……。

やっぱり、能力とか努力とかに関する考え方は自我に直結しているので、ほかの人の考えを聞くと、心が揺さぶられる部分であるらしい。まあ、心が揺さぶられるから、怒っているわだからさ。「そんなのはゆるさない」という怒りがわいてくる。ヘイトなんだよね。けど、これは、従業員側の人がまちがっている。「なにも努力せず、さぼってきたやつが、運とか言うのはゆるせない」という気持ちになるみたいだ。その背後には「自分は苦労してきた」という自負がある。「自分は、これこれこういうハンディがあるのに、がんばってやってきた……それをなんだ」という気持ちになるみたいだな。けど、これは、そういうふうに感じる人たちがまちがっている。いろいろな不満は、無職20年選手にぶつけるようなことじゃない。それそこ、経営者にぶつけろよ。まあ、だから「自分は我慢してやってきた」「いまも、我慢我慢の連続だ」という怒りがあるんだよ。けど、その怒りは、本来、経営者にぶつけるべき怒りだ。怒りをぶつける対象がまちがっている。

 *     *     *

どういう家に生まれたか? どういう親のものとに生まれたか? ということは、だれにとっても重要なことだ。まあ、「運」「才能」「努力」「環境」に関しては、そのうち、まとめるよ。これがけっこう、でかいテーマなんだよな。人がどう考えるかという部分があるから……。なにを原因として考えるかということは、自我に直結しているから、日常生活においても、無視できることではない。

+++++++

 

 

 

2021年3月5日金曜日

あー、夕方だ。鳴っている感じしかしない。

 あー、夕方だ。鳴っている感じしかしない。あの激しい音がけたたましくなっている感じしかしない。この感じがものすごく、不愉快なんだよな。この憂鬱はない。この怒りはない。怒りなんだよ。怒り。そして、激しく消耗する。

ほんとうに、鳴っている感じしかしない。

ほんとうに、ぼくの人生は11歳で終わっているんだよね

 こんどは眠りたいのに眠れくなってしまったか。

俺はもう、精神的にそういうやばいところまできている。

どうなんだろうな。ほかの人間だったらなにをするんだろう?

ほかの人間だったら、どういうふうに金を使って、どういう人たちとつきあうんだろう?

ともかく、気分がつぶれている。おかしいんだよな……いろいろと。ここまで、どんぴしゃでくずしにくるか、みたいなものがある。というか、ともかく、ヘビメタ騒音以降、常に、うすいガラスのうえを歩いているような状態だ。へんな緊張感がある。そして、ぼくは、他の人とはだいぶちがってしまった。 

ちがうんだよね。もう、ぜんぜん、ちがう。どうしたもんだろうな? いま、午前3時40分で、眠れない状態だ。けど、眠りたいときは眠りたいわけ。眠たいときは、もう、どうしても、眠たいわけ。眠たいときに、起きて他の人に会いに行くなんて、地獄なわけ。どのみち、会ったって(相手は)おもしろくないよ。こっちは、頭がとんじゃっているんだから。ものすごく、だるい状態で行くわけだから。全部が全部そんなふうなことになっている。

けど、普通の人の普通の暮らしというのが、地獄なんだよね。俺にとっては、だいぶむかしから地獄だ。俺には、たえられない。すべてが、そんな感じになってしまった。それは、ヘビメタ騒音でそうなった。

隠れキリシタンよりも、くるしい状態なんだよね。

ほんとうに、ぼくの人生は11歳で終わっているんだよね。ヘビメタ騒音が始まった日から、終わっている。あとは、いままでずっと、ながくてくるしい一日が続いているという感じだ。切れ目なく。

 

2021年3月3日水曜日

世間の人は、ヘビメタ騒音の影響というものについて、おおきく、誤解をしている

 どれだけ、俺がヘビメタ騒音のしんどさを説明しても、わからないと思う。

世間の人はわからないと思う。それとおなじように、ヘビメタ騒音が鳴り終わった後の体の調子や、ヘビメタ騒音が前日数時間から十数時間ずっと鳴っていて、眠れない状態ですごしているとき、どういう状態なのか、世間の人はわからないと思う。「次の日の朝」……すでに、次の日になっているのに、起きたとき「前日」のヘビメタ騒音で、動けなくなっている状態なんてわからないだろう。どれだけ憂鬱かわからないだろう。それを、押し切って、動いているときのしんどさがわからないだろう。どれだけ説明しても、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を俺と経験してない「普通の人」にはわからないだろう。普通の人は、自分の経験をもとにして、「しんどさ」を推し量るのだろう。「憂鬱」の程度を推し量るのだろう。けど、その推量は、まちがっている。ちがうものを思い浮かべて「こうだ」と言っている。「こういうものだ」と考えている。俺とおなじようにきちがい兄貴の……きちがい家族の……ヘビメタ騒音を経験した人しか、わからない。自分がやる気になって、夜通しゲームをしてつかれたとか、自分が聞く気になって深夜ラジオを聞いてつかれたとか、そういうことじゃないから。酔っぱらって、次の日、起きたら、つらかったとか、そういうことじゃないから。きちがいが鳴らす音をずっと聞かされるということの意味がわかってない。それは、無理やり聞かされるということだ。ぼくには、選択できないことなのである。きちがい兄貴を殺してやめさせるしかないのである。殺すことをさけると、やられたままになってしまうのである。きちがい兄貴はきちがいだから「やっているつもりが」ない。やっているさいちゅうも、「きちがいなので」やっているつもりがない。やり終わったあとも、「きちがいなので」やったつもりがないのだ。きちがい的なこだわりでやったことは、きちがい的なこだわりで「否定する」のである。その場合、「否定し終わったら」関係がない人になってしまうのである。あるいは、どれだけでかい音で鳴らしても、「でかい音をでかい音だと認めなければ」でかい音で鳴らしたということにならない。殺されないとわからないし、殺されてもわからないのだ。例会があるなら、殺されればわかるだろう。自分がやっていたことがどういうことなのかわかるだろう。例会がない場合は、殺されたってわからない。そういうことだ。

ともかく、この世で「どうしても自分が思ったとおりにやりたい」と思っている以上、そうするのである。その場合、相手が言っていることを認めてしまったら、思い通りにやり続けることができないと「無意識的に」思うことは、どれだけ明らかなことでも認めないのである。そうすれば、やり切ることができる。自分は何もしてないつもりでやり切ることができる。これが、きちがい兄貴のしくみだ。 そういう自分勝手なしくみが成り立っているのだけど、本人は無自覚だ。だから、そんなに重たいこととして考えないのである。俺が、どれだけ、ヘビメタで困っているということを言っても、きちがいおやじのように、怒り狂って、否定したら、それでおしまいなのである。どれだけやったって、やってないのとおなじ……そういうきちがいの境地に立って、やり続ける。だから、本人はほんとうに「まったくやってないのとおなじ」気分でいる。まったくやってない場合とおなじ気分でいる。「やりつづけてしまってすまん」とかそういう気持ちが一切合切なのである。「やめてくれ」と言われたけど、「やめたくないから、やり続けた」という認知が、すっぽり、抜け落ちしてしまっているのである。最初から「まったくやってないのとおなじ気分」で、鳴らし続ける。だから、やっている。しつこくやっている。やっているのだけど、本人は、「つもりがない状態」なのである。こういう、きちがい。きちがいとしか言いようがないだろ。そういうきちがい的なしくみが成り立っていることで、どれだけ、俺が「世間のやつ」から誤解を受けてきたか。きちがいおやじにやられたときは、兄貴だって、「世間のやつ」から誤解を受けて、的外れなことを言われて、怒っていたのに、自分がヘビメタを押し付ける番になったら、おやじとおなじやり方で押しつけて、押しつけたと思ってない状態が成り立ってしまう。それそこが、きちがいおやじが発狂してやり切ったことだ。で、こういう人は、そういう状態のまま生きてしまうのである。説得して変わるようなものじゃないのである。本人のなかでやる気がなくなったときは、やる気がなくなったのでやらなくなるけど、「絶対やりたい」と思っているときに、人に言われて、やめるということはない。人になぐられてやめるということはない。なぐられたら、もっともっともっと、意地になって、意地になって、やりきる。自分がやっていいことをやっているのに、なぐられたら、意地になるだろ。やっていいと思っているんだよ。だから、殺さなければならなくなる。やめさせるには殺さなければならないのである。そういう状態を「相手におつける」。けど、もちろん、自動的にそうなっているだけで、そういうことを押し付けているとは思わない。なんてたって、「やったってやってない」ことなのだから。

 

世間の人は、ヘビメタ騒音の影響というものについて、おおきく、誤解をしている。「そんなもんじゃない」のである。

2021年3月2日火曜日

真の言霊主義者は、実際には生活ができなくなる 

 そういえば、昨日、免許の更新に免許センターまで行ってきたんだけど、講習で気になったことがある。それは、「あなたは、事故を起こしてしまいました」というナレーションだ。こんなの、言霊主義者が聞いたら、どう思うだろう? この言葉を聞いただけで、実際に事故起こしてしまうと思うにちがいがない。そう思わないわけがない。こういうのを、さらっと流せる言霊主義者は、真の言霊主義者じゃない。言霊主義者のふりをしているだけ……。自分に都合がいいときだけ、言霊主義者のようなことを言っているだけ。ようするに、ニセの言霊主義者だ。真の言霊主義者は、実際には生活ができなくなる。免許センターに行って、講習を受けただけで、「事故を起こす」という「のろい」がかかってしまうからだ。そして、その「のろい」は一〇〇%、絶対に成就されなければならないのである。ぼくが「成就される」と書かないで、「さなければならない」と書いたのには、意味がある。ぼくはやさしいので、相手を追いつめるようなことをしたくないのである。

真の言霊主義者は、こういうことが脳みそに書き込まれてしまうのである。彼がどれだけ事故をさけようとしても、無意識のほうが「事故を起こす」ことを指向してしまう。そして、こういう言葉には「時間制限がない」ので、生きているあいだ、ずっと続いてしまうのである。だから、言霊主義者が、本人にとって都合が悪いときも言霊にこだわるなら、生活ができなくなる。生活ができているのは、真の言霊主義者ではなくて、ニセの言霊主義者だからだ。

ニセの言霊主義者は、こういう問題があるということにすら、「気がつかない」。どれだけのご都合主義か? 彼らは、言霊主義者のようなことを言っていても、ご都合主義者なのである。もちろん、ご都合主義者でいい。言霊というのは、ご都合主義者でなければ生活ができくなるような、問題を抱えた考え方なのだから、ご都合主義者であって、まったく問題がない。ご都合主義のうえに、部分的に「自分に都合がいい言霊主義」が成り立っているだけだ。真の言霊主義者ではないので、自分にとって都合が悪い言霊は、ごく自然に無視できるのである。こんなのはない。彼らが意識的に主張していることと、彼らが、ほんとうに生活のなかで信じていることが、くいちがっているのである。むしろ、正反対。彼らは、ご都合主義者であって、言霊主義者じゃない。けど、言霊の話をしているときは、あたかも、自分が言霊主義者であるかのような気持ちになっているのである。そういう、レベルだ。

彼らが使う「真実」という言葉に、どれほどの「真実」がやどっているか?

そんなのは、こういうことを考えただけでわかる。一切合切、真実なんてないレベルなんだよ。その時の気分だけ!!! 人生を貫く真実ではなくて、気分だけのブレブレの言葉なんだよ。宇宙を貫く一大法則ではなくて、単なる、気分で言っていることなの。自分で気がつかないだけなの! だから、「真実だ」などとよく考えもしないで言っているの! 

俺の言っていることは、だれからも、理解されない。いや、おおぜいの人には理解されない。おおぜいの人がどれだけの「偏見」を持っているか? 偏見を取り除くことなんてできないんだよ。偏見を取り除いたら、生活でできくなる。どんなひどい発達障害よりも、ひどい反応を示すことになる。こういうことが、まったくわかってないんだよな。だから、差別撤廃も、偏見をなくしましょうという言葉も、ニセ言霊主義者の信念のように「かるい」ものだ。人間の本質がわかってないからそうなる。

もう、社会的には殺されているので、おなじなのである。

 ヘビメタが、ドガドガガガガと鳴ってた。ものすごい音で鳴ってた。

この、外出する前の、憂鬱で腹立たしい気持ちはなんだ。不愉快な気持はなんだ。いちいち、外出する前は、きちがいヘビメタが鳴っていたときの気持ちと同じ気持ちになるだろ。この、後ろ髪をひっぱられるような気持ちはない。やり残したことがあるような気持ち、は、ない。あせっている気持ちはない。こんなの、ない。きちがいが、きちがい的な意地でやったから、俺が、こんな気持ちになる。こういう状態になる。寝不足、寝不足、寝不足。眠れない夜。眠れない夜。眠れない夜。起きてからの苦しさといったらない。あれを!! あれを!!! あれを、軽い気持ちでやったのか。普通の人が普通にラジオを聞いているつもりでやったのか。普通の人が普通の趣味をしているつもりでやったのか。きちがいおやじの、怒り狂いとおなじなんだよな。「やめてくれ」と言われたら、怒り狂って、絶対の意地でやってしまう。けど、本人は「つもりがない」ままなんだよ。こんなの、ない。悪いことをやっているのは、きちがい兄貴なのに、俺が悪く言われる。ほんとうに毎日そういうことの繰り返しだと、一か月ぐらいで、なんとも言えないいやな気持になり。一年ぐらいで、死にたい気持ちになる。言いたいことは、言ってた。けど、きちがいが、きちがいだから、きちがい的な脳みそで、俺の言っていることを聞いて、きちがい的な頭で判断して、怒り狂って無視するのである。だから、けっきょく自分がやりたいことはやり通す。自分がやりたいことというのが、名いっぱいでかい音で、ヘビメタを鳴らすことだった。だから、めいいっぱいでかいおとでヘビメタを鳴らす。ずっと鳴らす。やりたいことが、すべての可能な時間、鳴らすことだったので、すべての可能な時間、鳴らす。一歩も譲らない。しかも、ほんとうに、やったつもりがないのである。本人は、普通の音で鳴らしているつもり……で、いるらしいのである。自分がヘビメタ軟調になるほどでかい音で鳴らしているのに、「こんなの普通の音だ」と本気で思っているのである。自己催眠で、そう思うことになっていて、どれだけ「でかい音だ」ということを言われても、「でかい音だ」ということがわからない状態になっている。そういう状態のままならしたら、どれだけでかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしたということにならないのである。本人の主観としては……。こういう、うそ。きちがい的なウソ。きちがい的な言い換え。きちがい的な思い込み。そして、それを、指摘されると、きちがい的に怒り狂って無視するという反応。全部、きちがいおやじが、普通に毎日やってきたことなんだよ。きちがいおやじがすべての日、やってきたことなの。だから、きちがい兄貴も、それをまねして?やり切る。きちがいおやじときちがい兄貴の頭が同じ構造。自分が、一歩も譲らずにやり切れば、なにもやってないつもりになる。「そんなんじゃない」のである。これも、きちがい的な構造。こういうことを、普段普通にやるんだよな。全部の時間、そういう頭で生きている。まあ、さすがに「よそ」でそういうことをやると、頭を押さえつけられるから、やらない場合もあるのかもしれないけど、「うち」では普通にやる。そして、きりかえているつもりがないのだ。どれだけこまるか。きちがい兄貴ときちがいおやじで、頭の構造が同じ。まったく同じ。

人を殺すようなことをして、まったくそういうつもりがないまま生きている。人を自殺に追い込むようなことをしてまったくそういうつもりがないまま生きている。人を社会的に破滅させておいて、まったくそういうつもりがない。

こんなのない。普通に考えればわかることなのに、考えるまでもなく、わかることなのに、どれだけ言われたって、まったくわからないまま、やり通す。そして、やり通したという気持ちがない。認識がない。そういう、毎日。そりゃ、家族なら、人を社会的に破滅させることができるよ。そういう、催眠術にかかっているなら、そういうことができる。まったくつもりがないまま、やりきることができる。きいてやらないわけだけど、訊いてやらなかったという気持ちもない。そんなの、認識できるはずがない。そういうことを認識できるのであれば、最初からやらない。そういうことだ。そういうことが認識できない「つごうのいいあたま」だから、現実を無視してやり切ることができるのである。そして、現実を無視してやり切ったということを、完全に無視することができるのである。

どれだけ、こまるか。

いちいち外出するたびに、こういう葛藤にまきこまれてしまう。俺がこの世で、数万回?繰り返してきたことだ。そりゃ、やられるから、そうなるのである。不可避的にそうなる。これがどうしてわからないのか? そして、学生時代を通してやられ続けたら、社会的なハンディがしょうじるのである。このハンディがまた、でかいんだよ。けっきょく、おなじ海のなかを泳ぐことになる。おなじ汚水のなかを生きることになる。ヘビメタ騒音が15年目になり終わったあともおなじ。もう、社会的には殺されているので、おなじなのである。

2021年3月1日月曜日

ヘビメタ騒音がなかった場合の平行世界に行きたい

ヘビメタ騒音がなかった場合の平行世界に行きたいんだよな。まるでちがうと思う。そっちの世界の俺に「ちょっと、かわってくれ」と言いたい。ちょっとでいいんだよ。かわってくれよ。 

この世の、どこに行っても、おなじだ。きちがいヘビメタにやられてくるしい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。