2019年5月20日月曜日

二〇分の一の体力、一〇分の一の能力で、ぜいぜい言っている状態

しずかだなぁ。ヘビメタでうるさかったなぁ。ヘビメタで死にたかったなぁ。しずかだなーー。あんなの、ない。だれだって、俺のようになるのに、ヘビメタ騒音を知らない人は……兄貴がやったヘビメタ騒音を知らない人は……俺がちょっとした騒音でだめになったと思ってやがる。あるいは、「なってなくたってそんなものだ」と思ってやがる。ヘビメタ騒音のハンディは、他の人にはわからない。ほんとうにすべてがだめになる。生活上のすべてがだめになる。「だめ」が毎日つもったらどれだけつらいことになるか。どれだけ、つらい生活になるか? ほんとうに二〇分の一の体力、一〇分の一の能力で、ぜいぜい言っている状態になってしまう。ほんとうはできるのに、ほんとうにできなくされる。これ、ほんとうに時間の問題なんだよな。勉強なんて、本能的にわかるわけではないのだから、学習によって身につけるしかない。この学習というのは、学習心理学的な意味で学習だ。ようするに、時間をかけるしかない。時間をかけると言っても、ずっと勉強しているということではない。あいまあいまでいいから、ともかく、クリーンな時間が必要なのである。ヘビメタ騒音に汚染されてない時間が必要だ。それから、ヘビメタ騒音をずっと鳴らされている状態で暮らしたら、どーーしたって、鬱になる。けど、それだって、他の人にはわからないから、俺の責任だと言われる。



ヘビメタ騒音でしんどい。

いまは、しずかだけど、ヘビメタ騒音でしんどい。

この、朝の雰囲気。

ほんとう、くるしかった。くるしかっただけの人生なんだよな。苦しいだけの生活なんだよな。すべてが、ヘビメタ騒音で「くさいもの」になる。すべてがヘビメタ騒音で「できない」ことになってしまう。

ヘビメタ騒音のハンディが、他の人には見えない。そうすると、俺がバカにされる。必然的にバカにされる。特に、ヘビメタ騒音のハンディ」がどのくらいのものかまったく想像ができないバカな人にバカにされることになる。これは、くやしいだろ。これは、くやしい。

気違い兄貴が、気違い的な意地で、自分のやりたいことを、やるから、こんなことになってしまうんだぞ。


2019年5月19日日曜日

つかれた。


それにしても、つかれたなぁ。
つかれた。
どうしても、つかれた。
そして、つかれがとれない。




ほんとうに、気違い兄貴にやられてから、他の人に誤解されっぱなしだ。気違いが、気違い的な意地でやりきると、やられたほうは、不可避的にそういうことになってしまう。他の人とのトラブルを抱えることになってしまう。二四時間中、どれだけの時間、気違いヘビメタ騒音にとられたか。

2019年5月18日土曜日

無職という言葉を障害者という言葉に置き換えて、自分が言ったことを考えてみろ


そんなの無職なんだからしょうがない。
バカにされても無職なんだからしかたがない。
そういうことを言われても無職なんだからしかたがない。
こういう発想なんだよ。
無職のところを、障害者と置き換えるとどうなるか?

そんなの障害者なんだからしょうがない。
バカにされても障害者なんだからしかたがない。
そういうことを言われても障害者なんだからしかたがない。

俺がヘビメタ騒音で働けないと言っているのに、ヘビメタ騒音の影響で働けなくなると言うことを信じない人は、普通に、俺をバカにして、見くだす。そして、
実際に無職なんだからしたがないと言いやがる。
こういうことを言うやつが、障害者の人権には敏感なんだよ。
無職の人権には鈍感だな。
しかも、自分が無職に偏見を持ってるということがわかってない。

ヘビメタ騒音の影響を過小評価するのはやめろ。おまえがやられたって、働けなくなる。それなのに、やられてないから、そういうことがわからない。どれだけデカイ影響を与えるかわかってない。働けるわけがないだろ。あんなの、十数年にわたって毎日やられたら、働けなくなるに決まっているだろ。本人の意思ではどうすることもできない睡眠障害にやられて決まった時間に起きられなくなるに決まっているだろ。それがわからないのは、実際に、十数年にわたって毎日ヘビメタ騒音を聞かされなかったからだ。そいつが、俺よりも人間的にすぐれているから、ではないのだ。そいつが俺よりも能力があるから、ではないのだ。そいつが俺よりも体力があるから、ではないのだ。やられたら、だれもが働けないからだになる。働けないからだになったら、無職期間がつみかさなるに決まっているだろ(当時)。それを、なんだ。ふざけるな。

もう一度言う。無職という言葉を障害者という言葉に置き換えて、自分が言ったことを考えてみろ。ふざけるな。

「家かたづけ」をやっているのだけど、いつかかたづく?のだろうか?


「家かたづけ」をやっているのだけど、いつかかたづく?のだろうか? なんか、底なし沼のような気がしてきた。これ、ほんとう、くるしいわぁ。
まあ、なんとかするしかないな。あとは、どうせタンスとかそういうものは、プロに任せてもっていってもらわないとだめだからなぁ。


本当につかれたなぁ。
どうしようかな~~

どうするか?

どうするんだ?俺は??
俺はどうするんだ??
このままなのか??

どーしても、体力がないから、一日やれることが限られているんだよな。つかれちゃうんだよな。

+++++++++++

こういう雰囲気で黄昏れているとき?……もぼくの人生の重要な時間の一部なんだよな。こういうことでよいのだろうか? もっと、生き生きと生きたかったなぁ。ヘビメタ騒音で全部ぶっ壊れた。

2019年5月16日木曜日

ほんとうに、友達といるときも「鬱度が高い」のである

それなりにがんばったけど、なんか、つまらない。







これ、外に出てもかわらない。



友達と外に出てもかわらない。何十年もおなじ。







これは、●●なぁ。



「ああ、俺の人生はなんだったんだろう」と思うよ。



けど、これ、ヘビメタ騒音歴八年目ぐらいからずっと思っていることだから……。ほんとうにすべてない。気違いが気違いの意地で鳴らしたら、俺の人生がすべてなくなった。



これも、他の人にとってみれば、「エイリが言っているだけのこと」なんだよな。あーあ。こんなのないなぁ。


ほんとうに、友達といるときも「鬱度が高い」のである。ヘビメタ騒音で人生がみえなくて、くるしい。不安。つまらない。そりゃ、自分の能力を根本的なところでこわされて、不安に感じないはずがないだろ。そして、世の中の「こうすればいい」というアドバイスは、すべて、ヘビメタ騒音を経験したことがない人たち」による、無理なアドバイスなのだから、くるしくなるに決まっているだろ。やられた俺と、やられてない一般の常識的な人という対立構造ができあがっている。「むりなんだよ」。「むりなんだよ」と言っても、なんだかんだと言って「むりだ」ということを認めない。ヘビメタ騒音を鳴らされて、俺がどういう気持ちで、どういう体力状態で生きてきたと思っているんだ?

十何年間も、一日に二〇時間働いているような状態でいいわけがないだろ。二時間しか眠れない状態でいいはずがないだろ。疲労度は一日に四八時間働いているのとおなじだ。疲労度がつもっていく。もう、七年続いたら、休んだって解決しない。「休めば、そのうち、元気が出てくる」というクソ理論なんだからな。そのクソ理論が間違っているんだよ。

ポジション、見なし問題、偏見のスキーマ



気違い兄貴のハンディで、俺がつねにはじをかいている。

他のやつには見えない。他のやつには見えない、気違い兄貴のハンディで、俺がつねにバカにされ、説教される。そういうポジションに落ち込んだ。これって、ポジションなんだよ。もちろん、ポジションだけではないのだけど、ポジションなんだよ。基本的な能力とか関係ないから。ヘビメタ騒音で落ちているということが、他の人に見えなきゃ、最初からそのくらいしかできない(能力がない)と見なされてしまうわけだから。見なし問題というのは、実はある。それは、偏見のスキーマとむすびついている。

   *   *   *

障害児に対する偏見や差別とたたかっている?人なんだけど、普通に、無職に対する偏見がある人がいる。もちろん、まるで悪いと思わずに偏見をぶつけて、差別するんだよ。見なして、差別するんだよ。「それだって、事実なんだからしかたがない」とかぬかしやがるんだよ。事実というのは「彼」が三五歳なのに、働いていないという事実だ。あるいは、プラスして、「彼」は三五歳なのに、それまでちゃんとした社員として働いたことがないという事実だ。そんなのは、おかしいのである。「はずかしくないのかね」というセンスだ。おまえのほうがはずかしいよ。そういう、常識通りの、しかし、間違った見方をしやがって。おまえのほうがはずかしい。常識的な見方でも、間違っているときがある。常識的な見方ならば、かならず間違っている、なんて言わない。けど、間違っているときがある。前提がおかしいんだよね。けど、前提がおかしいというとがわかってない。

2019年5月15日水曜日

あのときの、あれ、ない

あのときの、あれ、ない。あのときの、あれ、ない。あのときの、あれ、ない。あれを経験してない人が、経験した俺に対して、わかったようなことをいいやがる。『オレだって騒音ぐらいあった』と言うけど、その騒音は、俺が経験した毎日のヘビメタ騒音とは違うんだよ。できるんだったら、できるぐらいの騒音なんだよ。できるんだったら、できないような状態にならない騒音なんだよ。





「あのときの、あれ、ない」なんて言うと、俺がバカみたいだけど、「あのときの、あれ、ない」と言いたくなるような感情はある。パッと浮かんでくる。経験してないやつが、「そんなのはおかしい」「そんなのは気にしなければいい」「そんなのはいいわけだ」とうるさい。(まるまるまるまるまる)。



あー、ほんとう、あのときのあれはない。

   *   *   *

経験しないで、えらそうなことを言いやがって。だれだって、こうなる。だれだって、そうなる。「できている」というのは、条件が違うからだ。俺だってヘビメタ騒音が鳴ってなければ、あんなにもしつこく何時間も何時間も鳴ってなければ、あんなにもしつこく、何年も何年も鳴ってなければ、できた。けど、「鳴ってなければできた」という仮定の話になってしまう。これがどういうことだかわかるか? わかってないやつに、えらそうなことを言われるということなんだよ。経験したことがないやつに、えらそうなことを言われるということなんだよ。

2019年5月13日月曜日

『すべての場合において、すべての人にとってアファメーションはプラスの効果がある』わけではない


鬱だがしかたがない。行くしかない。けど、この気分。本当に、ヘビメタ騒音の朝とおなじだな。いま、午前五時五九分。気違いヘビメタのせいで、入学試験の朝、午前五時五九分、こういう気持ちだった。あれからまったくかわってないんだよな。こころのなかにふきあれる「風」が。嵐が。こんなマケイクサ。小学六年生の後半から、中学一年生の毎日、中学二年生の毎日、中学三年生の、入試までの毎日、ずっと、気違いヘビメタにやられて試験を受けに行くわけだから、おもしろいわけがない。『自分の実力をだすぞ』とワクワクできるわけがない。で、そういうときに、嘘でもいいから『自分の実力をだすぞ』と自分に言い聞かせるように言う……。これがどれだけ俺のこころを破壊してきたか。こんな……。こういう言霊的な宣言(アファメーション)は、プラスの働きをするときとマイナスの働きをするときがある。アファメーションを(ひとに)すすめる人は、すべての場合において、そういうアファメーションがプラスの働きをすると思っている。すべての人において、そういうアファメーションがプラスの働きをすると思っている。けど、違うんだよな。明らかに、マイナスに働くことがある。けど、そういう指摘は、また、うけないんだよな。そりゃ、プラスだと信じたい人ばかりだからだ。信じたい人にとっては、俺の指摘は、なんとなく不愉快なものなのである。そりゃ、うけないよな。アファメーションなどに興味がある人は、アファメーションの効果を『信じたい』わけだから。うけなくても、俺にとっては真実なんだよ。けど、じゃ、誰かさんにとって、アファメーションはどんな場合でもかならずプラスの効果があるということが真実であると言えるのか言えないのかと言えば、言えるだろうとは思う。誰かさんにとっては真実なんだろう。けど、じゃあ、誰かさんが『すべての場合において、すべての人にとってアファメーションはプラスの効果がある』と言った場合、それが正しいかどうかということについて、ぼくは、異議をはさまざるを得ない。

どうせ、やらなければならないのであれば、楽しくやったほうがいい。どうせ、行かなければならないのであれば、楽しい気持ちで行ったほうがいい。そりゃ、そうだ。そりゃそうなんだが、そういうふうにはならない現実がある。俺の場合、何千回も繰り返されたヘビメタ騒音で、そういうふうにはならない状態になった。これ、違うんだよな。どうして、こころが「イチマイイワ」だと思う人たちがいるんだろう。まあ、その人たちはそういう幻想を維持して、がんばって欲しい。けど、『真実』ではないから。

こころが自由に操作できるわけではない。それは、長年体験してきたことや生物的な限界によって、支配されている。要するに、人体やそれまでの体験の影響を受ける。

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小さな楽しみをつくってなんとかしようと思うけど
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2019年5月12日日曜日

おなじ言葉なのだけど、あらわされている内容が違う

起きてから二回目のご飯を食べた。内容は、昨日買ってきたコロッケ。まあ、コロッケもうまい。ぼくは揚げ物をそんなに食べない人間なんだけど、昨日から今日にかけて、とても食べたくなっている。揚げ物ばっかり食っているなぁ。それに、マーガリンとか。あんまり普段は食べなものを食べている。

あとは、身体的につかれたなというのがある。あとは、明日、午前九時まで行かなければならないところがある。時間を決められるとやばいんだよな。そういうからだになってしまった。一五年間の日部メタ騒音で。

で、こっちには書くべきではないのだけど、やっぱり、しんどいわけよ。本当に根本的につらい。つかれた。これで、だれかいい人と会う約束があったとしても、しんどいわけだから……。こういうことなんだよ。ぼくに好意を持っている美少女や趣味趣向があういいやつと会うにしろ、しんどくてつかれていて、浮かないところがある。楽しくない部分がある。疲労のなかに「とけていく」感じがする。いっしょにいて、も、たいしておもしろくもなく、楽しくもない。
ヘビメタ騒音というのは、そういうものなんだよ。人間をそういうものにしてしまう音なんだよ。
ヘビメタ騒音が七時間鳴っている日というのは、だいたい、二〇時間ぐらい気を張り詰めて働いて、二時間ぐらいで移動や移動の準備をして、二時間ぐらい横になっている日とおなじだ。本当はこれよりもつらい。ヘビメタが七時間鳴っているということは、二〇時間働いているのよりもつかれる。つかれかたが半端じゃないのである。ほんのちょっとうるさい音で一時間ぐらい鳴っていたというわけではないからな。俺の話を聞いても、そういうふうに誤解するやつがいるんだよな。そんなものじゃないと言っているのに。その人の騒音体験がそういうものなのだろう。だから、そういう騒音体験をもとにして、騒音のつかれを「おしはかる」のだろう。けど、ちがう。これ、一日は二四時間だから、おかしな話になるけど、あのヘビメタを七時間鳴らされ続けるということは、労働時間にすると、だいたい、四〇時間ぐらいだ。一日に四〇時間ぐらい、気を張り詰めて働くの同じようなストレスがかかってしまう。一日に四〇時間はおかしいけど、労働のストレス量と「うちの」ヘビメタ騒音のストレス量を考えるとそのくらいになる。毎日四〇時間以上の労働をしているのとおなじストレスがかかる。そういうめちゃくちゃな状態だ。ほんの少しの睡眠で、回復できるわけがないだろ。そして、一五年という期間の長さが問題だ。これ、本当に、「なりおわったらかんけいがない」と言う人がいるけど、底まで長い期間やられると、終わってからも、ずっと、尾を引く。体の疲れが残る。感じ方がおかしくなる。『楽しい』と感じる能力がなくなる。しかし、これも、一五年間そういう目に遭ってきた人じゃない人に『楽しい』『楽しい』と言えば楽しくなるのにそういう努力をしないからだめなんだとだめ出しをされるようになる。『楽しく感じない』なんていうのは、そいつがわるいという理論だ。『楽しく感じようとしないのがわるい』『考え方がネガティブだからわるい』『過去のことは過去のことなのに、こだわるからわるい』と間違った理論を展開しやがる。その間違った理論の根底には、その人の騒音体験がある。その人の考える『騒音』といったものとぼくが実際に経験した気違いヘビメタ騒音はちがうのである。『騒音』というおなじ文字であらわされているにもかかわらず、俺が騒音と言う場合と、その間違った考えをもっている人が騒音と言う場合は、まったく違った意味合いをもつ言葉になってしまうのである。おなじ言葉なのだけど、あらわされている内容が違う。

ともかく、気違い兄貴の態度でやられると、気違いヘビメタ騒音を体験してない人から、俺が軽く見られるのである。『楽しみを感じない』ということだって、自己責任だと彼らは言っているのである。そんなのは、楽しみを感じるようにしようとしないおまえがわるいと彼らは言っているのである。このダメダシ。こいつらは実際に実際のヘビメタ騒音を経験してない。これは、走ったら息があがるということを、走ったことがまったくない人が理解してないのとおなじだ。人間の体の反応としてそうなるということが理解できてない。あまりにも特殊な経験だから、理解できないのはわかるけど、愚かだ。だいたい、こいつらは、「(おまえが)わるい」とは言ってないと言い出すと思うけど、じゅうぶんに言っている。

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一キロ走った人が、走り終わったあとしばらくぜいぜい言ってたとしよう。そのとき、一度も走ったことがない人が「走り終わったのだから、ぜいぜいいう必要はない。走り終わったのだから過去のことは関係がない」とか「激しく呼吸をしようとするから、ぜいぜい言っているんだ。激しく呼吸をするのをやめようと思えばぜいぜいぜいいう必要はない(激しく呼吸をする必要はない)」ということを言ったらどう思う?
おまえは、走ったことがないからわからないだけだろと思うだろ。そういうことだ。

過去のことって、走っているさいちゅうのことな。関係、あるじゃないか。走ったから、走り終わったあとも、しばらくのあいだぜいぜい言う。激しく呼吸をしなければならない状態が続く。
まあ、こういうことを言うと、「しばらく」のあいだだけだろと思う人がいるかもしれない。これは、短期的な影響と長期的な影響の二種類があると思っていい。ヘビメタ騒音が鳴っていた日、たとえば七時間ヘビメタを鳴らされ続けたあと、眠れなくなるのは、「しばらくのあいだ」の影響とおなじだ。それと、ヘビメタ騒音を一五年間やられたあと、一六年目以降「楽しく感じることがなくなってしまった」というのは、たしかに違う。けど、これは、モデルが違うだけなのである。この場合は、三〇年間チェーンソーを使っていたから、三一年目、チェーンソーを使っていなくても、手が震えるといった例や、一〇年間ボクサーをやったから、引退したあともパンチドランカーの症状が出たという例とおなじだ。要するに、短期的な反応と長期的な反応があるということだ。

ぜいぜい言うというのは、激しく呼吸することだとする。この場合、「ぜいぜい言うのをやめよう」とか「ぜいぜいいう必要はない」と何回も言っても、やはり、ゼイゼイ言うのではないか。それは、からだが、酸素を必要としているからである。いままでのマイナス分を取り戻そうとしているのである。その場合、『必要』はあるわけで、『必要がない』とは言えない。ストレッサーに対する反応は、「ひつようだからやっている」という部分がある。というか、体にとっては必要なことなのである。問題なのは体の反応に対して、ストレッサーが強すぎたときだ。また、ストレッサーの持続が、長すぎたときだ。
ともかく、走ったことがない人が「ぜいぜい言う必要はない」などと冷ややかに言ったとしても、それは、走ったことがある人にはとどかない。「おまえ、なに言っているんだ」という話になる。ヘビメタ騒音にかんしてはそれとまったく同じ話なんだよ。けど、違うところがある。それは、走ったことがない人はきわめて少数であるのに対して、「うちのあにきの」ヘビメタ騒音をあびたことがない人がきわめて多数だからである。原理はまったくおなじだけど、立場(けいけんのあるなし)が違うので、おなじ話だということがわからないだけだ。普通の人にはわかるわけがない。






2019年5月10日金曜日

ひとりで布団に入ったとき、泣いた

それにしても、どうしてこんなにも、生まれた家に差があるのか?
生まれた家で経験したことに差があるのか?
こんなの、もう、無理だよな。
こんなの……。

一般的な意味での幸福論とかぼくには、「えん」がないから。土台がちがう。ヘビメタ騒音でくるしかった。小さいときは、気違い親父の気違い的な爆発でくるしかった。『むかし、自分を虐待していた親を介護しているだけでもかわいそう』と言ってくれた人がいたんだけど……そのときは、いろいろ説明するだけで精一杯だったから、『この程度の説明でわかってくれる人はいるのか』と思った程度だったけど、帰ってきてひとりで布団に入ったとき、泣いた。その言葉が自然に浮かんできて泣いた。

(前の話)

こまかい、いろいろなところで、ズタボロ。

いまの俺がつまらないと感じているわけだからしかたがないよな。

ヘビメタ騒音で全部ちった。

こまかい、いろいろなところで、ズタボロ。

2019年5月9日木曜日

俺は鳴らされてハンディがある状態で生きていくしかなかった

つまんない。
やはり、ヘビメタ騒音でつまらない。あの繰り返しで、ぼくはつまらなくなった。ぼくのこころは、こわれた。どうしてもつまらない。楽しくない。

毎日、勉強の邪魔をされていいわけがないだろ。毎日、すべての時間、勉強の邪魔をされていいわけがないだろ。勉強の邪魔だけではなくて、興味があることもできない状態になった。あれ、本当、くるしんでいるだけだからな。常に絶叫モードでくるしんでいる。

いま、実は、幼稚園の子供がぎゃーぎゃー言って叫んでいる。近くの道路を工事している。がががががーと鳴っている。けど、勉強はできる。あの騒音はそういうことではないんだ。

むかし、幼稚園の子供がぎゃーぎゃー叫んでいるぐらいでは問題ではないとぼくが言った。そうしたら、それを聞いた人が、「じゃあ、ヘビメタだって問題じゃないじゃん」と言ったのだ。なにを聞いているんだ? 子供がぎゃーぎゃー叫んでいるぐらいの音ではないと言っているだろ。そんな、叫び声よりもヘビメタがでかいんだよ。すぐ横の兄貴の部屋で鳴っているヘビメタの音圧はそんなものじゃないと言っているだろ。なにを聞いているんだよ?

これ、なんて言うのかな? 「引きこもりであれば、コミニュケーション障害だ」「もし、長く引きこもっているのであれば、コミニュケーション能力に問題があるに違いがない」というような間違った推論とおなじなんだよな。用知恵の子供がさわいでる音と気違いヘビメタの音は違うんだよ。ヘビメタノほうがずっとずっと音圧がある。だからこまっている。「幼稚園の騒音がいいなら、ヘビメタだっていいじゃない」というのは根本的に間違っている。なにを聞いているんだ? ずっと、幼稚園の騒音よりもヘビメタ騒音のほうがでかいと言っているだろ。

俺は、ヘビメタ騒音がなければ、少なくても自分が興味を持っている科目はできた。これがくやしい。志望大学?にも現役で入れた。常にヘビメタ騒音のハンディで、バカな看板をぶら下げているのはいやだった。ヘビメタ騒音が、見えないハンディだから……俺は……。あんなの本当気違い兄貴が、ヘッドホンをすればそれですむことなんだぞ。気違い兄貴が「なまのおと」にこだわって、「じぶんのきのすむようなでかいおとでならすこと」にこだわって、鳴らし続けたから、俺は鳴らされてハンディがある状態で生きていくしかなかった。納得いかない。他の人にはないハンディがある。しかも、他の人は、このハンディについてつねに過小評価をしている。それから、このハンディを抱えなかった場合の俺の人生が、架空のものになっている。このハンディのデカさが他の人にはわからない。そして、実際に気違い兄貴が、すべての使える時間を使って鳴らしたので……そうではない現実がなくなってしまった。そうではない現実……。俺以外のすべての人には気違い兄貴のヘビメタ騒音がない。そうではない現実をもっている。他の人は、ヘビメタ騒音がなく、ヘビメタ騒音がない場合の現実をもっている。この違い!! この違い!! この違い!!

どんだけなんだよ。



本当にヘビメタ騒音で人から誤解されている


今日、何時に起きたのかは、わからない。しょうべんに何回か起きている。その都度眠ってしまったので、ほんとうになんだかわからない。たぶん、午後九時か一〇時ぐらいに起きたんじゃないかなと思う。思うだけだけど。

いま、腹がいたい。
これは、肩の痛さとは関係がない痛さだ。
これは前々から、一回目のご飯を食べると痛くなるので、それで痛くなっているのだと思う。

肩と首がまだ痛いので、なんと言うか、たとえば、ステーキを食べに行くことができない。自転車で、一駅ぐらいすすまなきゃいけないわけよ。いまは、そんな体力も気力もない。ステーキを食べに行ったのが、遠いむかしのようだ。ぜんぜん、行ける気がしない。自転車をこいで、どこかに行くということが、まったく思いつかない。ステーキ屋はけっこう遠いんだよな。まあ、近くにもう一件あるんだけど、そこは、夜の一一時ぐらいにはしまるから……。朝の四時までやっているステーキ屋っていいよな。あそこは、本当に三〇年前に入ろうとして、入れなかったところなんだよな。まあ、入ってみたら普通のステーキ屋なんだけど、当時はなんとなくあやしげな雰囲気があった。当時、女の人が客引きをしていたのだ。だから、なんか風俗みたいな感じだったんだよな。まあ、俺は当時、お金の余裕が本当になかったので、一八〇〇円でステーキを食うとか、そういうのは、なかった。三〇年だからなぁ。三〇年。

図書館の本が取り置き済みになっているのに、取りに行けない。図書館とステーキ屋はわりと近くにある。こんど、図書館に行ったら、ステーキ屋にもよってくるかな。ステーキ屋は午後六時からやっているらしいから、かぶる時間はある。けど、やっぱり、深夜、返却ボックスに本を返しに行って、そのあとステーキ屋によるということになるのだろう。けど、けど、やっぱり、いまの状態だと、行けない。まじで、からだが痛い。首と肩が一番痛いけど、腰とか脇腹も打っている。それから、なぜか、左手の小指がぴりぴり痛いときがある。いまも、ちょっと不便を感じながら打っている。

なんか、図書館なんて、イスカンダルだよ。はるか宇宙の彼方という感じがする。とてもじゃないけど、自転車でこいでいけない。親友のことは失敗したなぁと思う。ところで、実は、なんか留守録に、『入院してしまった』というようなメッセージが録音されているのだ。で、名前のところがよくわからない。「イダだけど」と言っているように聞こえるけど、どうも聞き取れないんだよな。イダさんは知らない。「なになにだけど」のところが、へんな発音でどうしても聞き取れない。タダの間違い電話だろうか。「またかける」と言っていたのだけど、新しい留守録はない。話の感じからして、よっぽど親しい人なんだよな。折り返しの電話番号とか入れておいてくれればいいのになぁ。あとは、名字をちゃんと発音して欲しいなぁ。
これ、なんか気になるんだよね。

本当にヘビメタ騒音で人から誤解されている。他の人にはわからないだろうけど、部活でもなんでもそうなんだよ。
あとは、新しい人間関係にしろ、なんて言うのかな……いろいろとめんどうなところがある。
それから、こっちのほうの気持ちもあるんだよ。ヘビメタ騒音からはじまった、あれやこれやで、人づきあいがとてつもなくつまらないものになっている。

2019年5月8日水曜日

俺が倒れたときに考えることがヘビメタ騒音のことなのだ


実は、ゴミが入ってないゴミ袋のうえで足をすべらし、脳天逆落としのような状態で、頭を壁にぶつけてしまった。頭はいたくないのだけど、首と肩がものすごく痛い。やばいのだ。やばいのだ。

寝違えたようになっている。首が下に動かない。うえには動く。一〇分間ぐらい、いたくてたてなかった。最初の三分間は、「あ、これ、救急車、よばないと、だめかな」と思ったほどだ。けど、動けなかったんだけど。
いまもみょ~な感じで、頭と首が痛い。おもに、首側なのだけど、頭のうしろのほうも、ぴーん、って感じでいたくなるときがある。まあ、首だな。耳の後ろあたりか。肩も痛い。はじめは、肩のほうがめちゃくちゃにいたかった。倒れたとき痛みを感じたのは、実は、肩と背中。頭も打った感じはあったけど、肩のほうがめちゃくちゃにいたくて、わからなかった。実は右の腰もちょっと痛い。(床は段差がある床なので、痛いところがわりとへんなふうに分布している)

まあ、そんなこんなで、心細く、くるしい状態だ。

もともと、やる気がなかったけど、もう、完全にやる気がない状態となった。けど、仰向けに寝ることができないので、横になるのも、どうかと思う。横向きだと寝れる。

けど、なんかもう、いい。寝ていてもつらい。
起きてやることはない。本当はあるけど、とてもじゃないけど、できない。なんか、だるさまであるのだ。肩の辺りがもわーっとだるい。頭の後ろも、なんかおかしな状態だ。

   *   *   *

安静にして痛みが去るのをまつ。
しかし、ヘビメタ騒音でつかれた。
この感覚、他の人にはわからないんだろうな。
わからないんじゃしょうがない。わからないということは、「ない」ということだからな。考慮からはずされているわけだから、ああいう反応をするわけか。けど、そういうことを言うご本人だって、小学六年生のころから、あの音でずっとならされ続けたら、死にたくなって外に出れなくなると思うんだけどね。少なくても、決まった時間に出勤できなくなる。長すぎる。その人たちが無視しているところは、不可避的な体の症状だ。あまりにも、一般的ではないことなので、一般の人はわからない。俺だって、気違いヘビメタを実際に経験するまではわからなかった。いずれにせよヘビメタ騒音の苦しさは、他の人にはわからないということになる。わからないのであれば、ヘビメタ騒音の効果は無視して、ぼくにものごとを言うことになる。もっと正確に言えば、そういう人たちは、ヘビメタ騒音の負の効果を無視して、ぼくに、ありきたりの助言をすることになる。ヘビメタ騒音の負の効果なんてたいしたことがないと思っているのだから、平気で『ヘビメタが鳴っていたとしても、働いたほうがいい』というようなことを言うだろう。それは、架空の『ヘビメタ騒音を経験してないぼく』にとっては適切な助言なのかもしれないけど、現実の『ヘビメタ騒音を経験したぼく』にとってはたいへん不適切な助言だ。ののしっているのとたいしてかわりがない。そういうことを言う人たちが、ヘビメタ騒音生活をすることは、ない。その人たちの『騒音経験』をもとにして、『騒音の負の効果』を推量してものごとをいうことになる。『それでいいじゃないか』と普通の人は思うかもしれない。けど、実際にやられてきたぼくにとっては、いいことじゃない。ゆるせないことだ。

ヘビメタ騒音のあの音のレベルで毎日続くということの本当の意味が『経験として』わかってない。だから、ヘビメタ騒音の負の効果を』過小評価して、間違った前提に立って、物事を言うことになる。

そして、他の人は……つまりぼく以外の人は……『気違い兄貴の態度』が、これまた経験としてわかってない。わからない。説明されても、わからない。疑問を持ったままになる。だから『実際にそういう人がいるとしても』というような仮定の話になってしまう。

それから、『気違い兄貴の態度』について一番わかってないのが気違い兄貴本人だという事実がある。他の人がわからないのはわかるけど、兄貴がわからないのわからない。これは、おかしい、他の人が矛盾を感じるところなのだけど、実際にそうなんだ。そうとしかいいようがない。ともかく、兄貴は、こだわって、こだわって、自分が思ったとおりの『でかい音』で鳴らしているとき、『でかい音』で鳴らしているつもりがない。頭がおかしいレベルで、認知が書きかえられている。自分の(無意識的な目的のためには)自分の都合がいいように認知を書きかえることができるような人間なのだ。意識的には常に「つもりがない」のである。いわれないから気がつかないのではなくて、どれだけ言われたって、気がつかない。言われたら、言われたときだけ、否定語を繰り返して、それでおしまいだ。あとは、一切合切関心を持たずに、『自分がやりたい音』で鳴らしまくる。『自分がやりたい音』で鳴らしまくっているのだから、よその家ではあり得ないほどでかい音で鳴らしているのに、よその家ではあり得ないほどでかい音で鳴らしていると思っていないのだ。やり終わったら、もう、鳴らさなかったのとおなじ心理状態になる。一切合切鳴らさなかったのとおなじ認知になってしまう。

ヨソの人が、兄貴の意地や、兄貴の矛盾した態度や、兄貴の矛盾した認知について、ぼくが嘘を言っているのではないかと思うということはわかるけど、兄貴が、本当にまったく『つもりがない状態』で鳴らしていることは、わからない。俺でさえ、『そんな都合がいいことがあるか?」と思う。けど、兄貴が言っていることを考えると、そういうふうに考えるしかない。兄貴が鳴らしている態度を考えるとそう考えるしかない。兄貴に『静かにしてくれ』と俺が言ったときの、兄貴の態度を考えると、そう考えるしかない。

信じられないけど、そうだ。兄貴が一番、自分がやったことについてわかってない。ヨソの人が『そんな人、いるのかな?』と疑問を持つこと自体はわかるけど、事実だ。で、ヨソの人は、俺の話を聞いたあとも、疑問を持っているわけだから、よけいにヘビメタ騒音に関して、過小評価をする。

   *   *   *

本当に信じられないことなのだけど、あれだけ意地になってこだわってこだわってやったことなのに、本人はまるでこだわりがない状態なのだ。

こだわりがない状態というのは、一〇〇%自分が思ったとおりにやれたから、そういう状態になっている。やりきったからそうなんだよ。あれで、本当に!自分が一分間でも譲らなければならないと鳴ったら、どれだけの怒りがわき起こってくるか。で、そういう態度でやりきったのだけど、やりきれたので、「まったくやってない」という主観的な感覚が成り立っている。こんなの、他の人にわかるか? これをやり始めたのは、気違い親父で、うちではなじみがあること」なのである。うちでは、ごくあたりまえのことなのである。うちでは、ごく当たり前に成り立ってきたことなのである……それも毎日。そりゃ、ご本人がそういう性格なのだから、一日二四時間、そういうモードで暮らしているのだから、いつもそうなんだよ。うちでは、いつもそうだ。ヨソでは、隠しているのかもしれない。けど、隠しているつもりはないんだよ。ヨソにいるときは、普通に『ヨソモード』で生きている。うちに帰ってくれば『ウチモード』になる。本人は別に使い分けているつもりではない。うちにいるときは、ずっと、そういう性格、そういう反応、そういう感じ方なんだよ。だから、血相をかえて顔を真っ赤にしてやりきったことはまったくやったことじゃないのである……本人にとっては。本人はまったく関係がないことなのである……本人の主観としては。そういう意識が成り立っているのである。これは、記憶障害じゃない。普通の記憶障害ではない。本当はやったこと自体は覚えているのである。けど、気違い兄貴にかんしては、たとえば、でかい音で鳴らしているのにもかかわらず、こんなのは小さな音だと考えることで、そういうところを、飛び越えているのである。音を鳴らした記憶はあるけど、でかい音を鳴らした記憶はないということになっているのである。常に!! こんなのわかるか?? 本人は「こだわらないこと」で、そういうことを実現しているのである。こだわりきってやったことは、一切合切関係がないことなのである。かりにやったとしても!!!自分には関係がまったくないことなのである。『自分がやったことじゃないから、そんなのは知らない』という感覚も同時に成り立っている。この感覚がわからないか? ヨソの人はこの感覚がまったくわからないのか? そういうふうに感じるのは、自分が思ったとおりに思ったことをやれたから。これで、ちょっとでも制限が加われば、自分が関係があることになって、我慢させられたことになるのである。我慢させられた感覚だけは残るはずなのである。我慢させられた感覚が残らないのは、本当に、自分がやりたいようにやれたから。だから、やっているのだけど、本人は、「まったくやったつもりがない」ままなのである。かかわっている感じがしない。で、そういうことが問題になるのは、自分が不都合なことをいわれたと思ったときだけなのである。だから、まったく気にしないで、当の行為を行うことができる。まさしく、「やったってやってない」なのである。これは、親父がやり始めたことなんだけど、兄貴がヘビメタでおなじことをやった。兄貴のヘビメタのほうが、親父のすべての行為を束ねたことよりも、影響を与えている。兄貴のことにしたって……つまり、ヘビメタ騒音のことにしたって……こういうしくみがわからない人にとっては……たいしたことじゃないということになってしまうのである。だから、「お兄さんに言えばいい」『家族で相談すればいい』というような助言をするのである。この助言も、俺にとっては、俺をくるしめるだけの助言でまったく意味がない助言だったよ。俺がどれだけ苦労して気違い兄貴と気違い親父を交渉のテーブルに着けたと思っているんだよ。三ヶ月前からずっと言って、一日だけ、一〇分間、交渉のテーブルについた。そして、兄貴はずっと黙っていた。そりゃ、「せいげんをうける」のはいやだからだ。『それじゃ、静かにしてやる』とは口が裂けても言えない。『それじゃ、試験の前、三日間だけ、鳴らさないで静かしてやる』なんて、口が裂けてもいいたくない。たとえ、一〇分間だろうが一分間だろうが、絶対に、自分が我慢するのはいやなのだ。そういう意地がある。そういう意地があるのだからやっているときは、我慢せずにやっているんだよ。これが、親父と同じ性格だからまったくわかってない。三年以上ずっと毎日そうしているということがわからない。その時点で、三年と五ヶ月ヘビメタ騒音を毎日、存分に押しつけているのに、一日に一分も譲らないで押しつけているのに……まったく押しつけているつもりがないのである。で、気違い親父とおなじだから、「おしつけているつもり」がなければ、それは、「げんにやってない」「そんなことはまったくしてない」のとおなじなのである。こういうやりかたで、無視して、頑固に、相手がやるなといっていることをやる。やり続ける。けど、「つもりだけ」はないのである。本当にまったくない。自分がかかわっている感じがしない。本当は、張本人なのに、まったく関係がないつもりでいる。で、話しあい(家族会議のあとだって)二階に上がって、フルの音でガンガン鳴らしている。ガンガン鳴らし続けた。一日中、ガンガン鳴らしているのである。鳴らしたのである。それで、なにも、感じないんだよ。家族会議のとき、弟が困るからやめてくれと何回も言ったけど、自分は無視して押し切って鳴らし続けた……という気持ちがない。実際にやったことはそういうことなのに……いわれた当日だって、そういう態度、そういう感覚で鳴らし続けた。まったくわるいと思ってないんだよ。まったく影響を与えたと思ってないんだよ。そういうことをしてたって『自分はしずかにしてやった』『ゆずってやった』と顔を真っ赤にして言うんだよ。あとになればそうなる。これも、親父のコピーだ。親父が発狂的な意地で無視してやったことを、こっちが「やった」というとそういう態度であばれるというか、怒る。怒り狂う。で、自分が怒ったら、それで、スイッチが切れている?らしく、本当に関係がない人になってしまうのである。自分が不愉快なことをいわれて腹が立ったという感覚しか残らない。これは、親父がやり始めたことだけど、兄貴もおなじだ。完全におなじ。やったことだけど、兄貴がヘビメタでズッとやったことだ。

2019年5月7日火曜日

それは、うちの現実を説明できない言語なのである。そういう思いこみが、全部間違っている。

ヘビメタ騒音がどれだけつらいか、だれもわかってくれない。それから、張本人の気違い兄貴がまったく、わかってないんだよな。どれだけ言っても、まったくつたわらなかった。自分は鳴らしたいわけだからさ……。自分は自分が鳴らしたい音で鳴らしたいわけだからさ……。自分が鳴らしたい音というのが、客観的にものすごくでかい音なんだよ。気違い兄貴だって、他の音楽をあの音のデカさで、むりやり聞かされたら、ものすごく腹が立つんだよ。いやでいやでしかたがない気持ちになるんだよ。三分間、その音楽が続いたら、三分間、猛烈にくるしい状態になるんだよ。そういうでかい音で鳴らすことにこだわって、でかい音で鳴らした。そして、『でかい音だ』と言うことを認めなかった。でかい音だと言うことを認めると静かにしなければならなくなるからだ。でかい音で鳴らせなくなってしまうからだ。だから、自分をだました。こういう、自分をだます心的な喜生が、気違い親父とそっくりなんだよ。だから、自分が意地に鳴って鳴らした音は意地に鳴って認めないと言うことに鳴ってしまう。で、これが完璧なんだよ。自分だましが完璧。だから、本人はまったく疑問を持たない。つねに、疑問を持たなければならないようなことをやっているのに、疑問を持たない。ヨソの人が無視しているのは、実際に気違いヘビメタを七時間なり一四時間なり、鳴らされたときのからだの状態だ。それから、精神の状態だ。これは、実際に横の部屋で、鳴らされないとわからない。どれだけくるしいことかわからない。だから、『俺だったら平気だ』『どれだけ鳴ってたといったって、たいしたことではないんだろ』と思ってしまう。ま・い・に・ち。毎日というのが、重要なファクターかわかってない。そういう人たちは、なんて言うのかな、一日に一時間ぐらい、フォークギターの五倍ぐらいでかい音で、ヘビメタが鳴ってたと誤解してしまう。あるいは、一日にい時間ぐらい、テレビのでかい音ぐらいの音で鳴ってたんだなと誤解してしまう。「そんなんじゃない」と俺が言っても、そいつらの頭のなかで考えられる『騒音量』がそのくらいのものだから、勝手にそのくらいの音だと思ってしまう。俺が言っている現実を無視して、感覚としては、一日に一時間ぐらいちょっとうるさい音で鳴ってたんだなと思ってしまう。……そんなんじゃないのに。そして、期間は、せいぜいどれだけ長くても、半年ぐらいそういう毎日が続いたんだなと……勝手に考えてしまう。俺の話を聞いても、そいつらが想像する『騒音』というものがそういうものだから、たいしたことじゃないと無意識的に思ってしまう。実際のヘビメタ騒音を経験してないから。実際の気違い兄貴の態度がわかってないから。気違い兄貴がどういう人間かほんとうにはわかってない。だから、『そんな人間はいない』とどこかで仮定してしまっている。だから、俺の言うことが信じられない。だから、『たとえ鳴っていたとしても(たいしたことじゃない)』と仮定の話として考えてしまう。それは、愚かなことだ。けど、だいぶ賢そうな人がそういうことをするんだよ。常識的な人、学歴がある人がそういうふうに考えてしまう。そりゃ、うちは、非常識な家庭で、気違い親父や気違い兄貴の感覚はたいへん非常識なので、常識的な人から見れば、よそよそしいものなのである。『現実感がない架空の人』に見えるのである。あとは、ヘビメタが好きな人も、『なんだ、そんなの!』と言いがちだ。思いがちだ。けど、ヘビメタが大好きなカオ君という、兄貴の友達が聞いても、気違い兄貴のヘビメタノ音はあり得ないほどでかい音だったのである。『自分はこんな音で鳴らしたことがない』と言ったほど、でかい音なのである。『家族の人がかわいそうだよ』とヘビメタが好きなカオ君が言ったほどでかい大人のである。気違い兄貴が、本当に、普通のテレビぐらいの音で鳴らしていたら問題になってない。気違い兄貴が、本当に、フォークギターぐらいの音でヘビメタを鳴らしていたら、まったく問題になってない。現在、兄貴の部屋は、ぼくの本置き場になっている。、なのでぼくが入るときがあるのだけど……。ああ、正直に言うと、もと兄貴の部屋にも、ねずみが入ったので、ねずみの糞の処理しなければならないんだよ。それは、もう、一年ぐらいほうってある。ねずみの糞のなかには「せんちゅう」というおそろしい生物が入っているので、なるべくなら処理したくない。けど、処理をするために入った。そのとき、自分の部屋で、英語の音声プラス音楽を鳴らしていた。ちょうど、フォークギター二本分ぐらいの音だ。その音でも、自分の部屋では、大きすぎるほどよく聞こえる。兄貴の部屋の近くに、スピーカーがある。このスピーカーは、兄貴のスピーカーにくらべたらずっと小さいスピーカーだ。けど、ちゃんと音が出るし、人が大きめの声で話すぐらいの音は出る。で、自分の部屋で出している音を兄貴の部屋で聞いてみたんだけど、小さい。ものすごく小さな音として聞こえる。気違い兄貴が、普通に、このくらいの音で、ヘビメタを鳴らしていたら……問題は生じなかったんだ。気違い兄貴が、親父のような気違い的な意地で、ものすごく大きな音で鳴らすことにこだわって鳴らしたから問題が生じた。で、この音のでかさが、他の人にはわからないのである。特に、教師をやっているような人にはわからない。教師になるような子供が生まれてくるような家は普通の家だからだ。普通の家の子供が教師になりやすいからだ。気違いの実態がわかってない。気違いの、本物の気違い的な意地がわかってない。これ、本当に、でかい音で鳴らすことにいのちがかかっているんだぞ。そして、絶対にゆずらないことにいのちがかかっているんだぞ。そして、耳が正常ならだれでも聞き分けることができる音を、無意識的に聞き分けないようにして、頑固にやり切るんだぞ。普通なら、ものすごくでかい音だと認知できるような音で鳴らしているのに、ものすごくでかい音ではなく普通の音だと認知しているんだぞ……少なくても意識的には……。クソ意地で鳴らしているから、わからない。親父とおなじなんだよな。親父が夢中になって迷惑行為をやるときおなじなんだよ。兄貴の頭の構造は、親父の頭の構造とおなじ。やり方がそっくり。こんなのない。こんなの、普通の家で生まれ育った教師にわかるわけがない。『どれだけでかい音で鳴っていると言ったって、本当はたいしてでかい音じゃないんだろ』と無意識的に思ってしまう。『ちゃんと言えば、ちゃんと静かにしてくれと思うけどなぁ』と無意識的に思ってしまう。それは、うちの現実を説明できない言語なのである。そういう思いこみが、全部間違っている。

へんな時間に眠ってしまった

明るいことは書けないな。
どうするかな。
今日はへんな時間に眠ってしまったので、これから眠るのはちょっときつい。へんな時間に寝たとき、なんて言うのかな、眠っているあいだは一瞬のように感じられたんだけど、四時間ぐらい眠っていた。で、眠る前も精神的にきつかったし、起きてからも精神的にきつかった……んだよ。だから、眠って、気持ちがよくなったとかそういうことはない。なのでつらい。

どこかに行く予定がないのにもかかわらず、やはり、ヘビメタ騒音の朝の感じとおなじ感じがする


2019年05月06日18時24分06秒
さっき、起きた。いつ、起きたんだろう?
いや、さっき起きたわけだけど、具体的には何時何分に起きたのだろうかということを問題にしているのだぁ~~だぁ~~。
はたして、何時何分に起きたのやら? やらやら??

ともかく、腹がへって起きた。腹がへった。なぜか急にパンにバターを塗ったものが食べたくなった。オーブンレンジで焼くのではなくて、電子レンジであたためるのだ。あたためるやつが食べたくなった。あれは、焼くのよりもいい。ふかふかになる。時間も焼くのよりは、短くてすむ。まあ、それが頭に浮かんだので、冷凍食パンにバターを塗って、電子レンジでチンした。
これが、うまい。

これにあうのは、やはり紅茶だ。砂糖なし紅茶。
というわけで、紅茶とパンで食べた。一枚食い終わったとき、もう一枚食べたくなったのでおなじようにしてつくって食べた。うまかった。

そのあとは、他の人のブログなどを読みながら『ヘビメタ騒音』について考えていた。これは、ヘビメタ騒音そのものについてではなくて、ヘビメタ騒音について俺が語ったときの、他人の反応についてだ。他人の反応……そんなのは、関係がない? いや、関係、あるでしょ。ありありだよ。まあ、それはいいとして、ともかく、他人のブログを読みながら、それとはあんまり関係がないヘビメタ騒音について考えていたということだ。だいたい、頭のリソースは、6対4だ。他人のブログに書いてあること6に対して、ヘビメタ騒音関係のことが4だ。

   *   *   *

もう一度寝るかな?

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午前二時。

倉庫部屋を片付けようかと思ったけど、なんかやる気がしないのでやめた。
マスクをかぶった時点で、頬を留め金と留め金付近の突起物(とげみたいになっている)でひっかいてしまった。これは、ツメで強くひっかくのより、威力があったので、ひりひりする。いたい。
やり方を工夫する必要がある。工夫のしかたは考えたので、今度は失敗しないだろう。けど、やる気がしない。

そのうちやる。

横になってもしかたがないわけだが、また横になるかな。
さっき、バナナを食べた。

本当は買い物に行きたいのだけど、これも、なんか行きたくない。
今日は、図書館に行けるだろうか? 行くとしたら午前中だ。眠ったら、閉館時間後に起きるということになってしまう。
ぼくは常日頃からけっこうつらい。ヘビメタ騒音以降、ずっと毎日、常日頃からつらい。頭がモヤモヤしている。ヘビメタ騒音以前の頭の状態に復帰するということがない。ようするに、いつも頭がモヤモヤしている。いまも、モヤモヤしている。

けっこうつらい。だれにもわからない。

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それにしても、なにをしていても、ヘビメタ騒音の朝の感じとおなじだ。
いま、午前五時四一分なんだけど、これは、ヘビメタ騒音の朝とおなじだ。ヘビメタ騒音期間中の朝とおなじだ。どうしても、くるしい。だれもわかってくれない。
どうしてもくるしい。ヘビメタ騒音でくるしいと言っているじゃないか。ずっと言っているのに、どうして認めないのか?

いま、現在どこかに行く予定はない。これから用意して出かけなければならない場所はない。連絡がきて、行かなければならないことになるかもしれないけど、少なくてもいまの時点では、どこかに行く予定がない。どこかに行く予定がないのにもかかわらず、やはり、ヘビメタ騒音の朝の感じとおなじ感じがする。くるしい。
だれもわからない。

こういう状態が、俺が引きこもっていることのひとつの原因だ。

2019年5月5日日曜日

兄貴のこだわりかたなんて、本当にヨソの人にはわからない

ヘビメタ騒音さえなければ……。
俺がどんな思いで暮らしてきたと思っているんだ? 兄貴!
兄貴!おまえが、親父のような態度で気違いヘビメタを、ヨソじゃあり得ない音のデカさで鳴らすことにこだわりまくって鳴らしたから、こんなことになっているんだぞ。俺が、頭の悪いやつにバカにされる。俺の基本的な体力と能力がなくなっていく。気違い兄貴の気違いヘビメタ騒音のハンディさえなければ……。

さんざんだよ。さんざん。ヨソの人がわからないような音で鳴らしているというのが、みそだ。ヨソの人が経験しないような音で鳴らしているというのがみそだ。ヨソの人が経験しない……家族の態度……。これがどれだけヨソの人の判断をにぶらせているかわかるのか?

気違い兄貴のこだわりかたなんて、本当にヨソの人にはわからない。ヨソの人が『そんな人はいない』と考えてもむりはない。けど間違っている。誤謬に基づいた判断……。頭にくる。

2019年5月4日土曜日

『そんな引きこもりがまともなはずがない』


起きた。今朝、眠れなくなって、入眠時間が前日よりも遅くなった。もう、終わらない。これなんだよな。死ぬ~~。なんでこうなるか? 数千回の繰り返しでこうなったんだよな。ヘビメタ騒音で眠れなくなって不安というのが、原因だ。あれ、本当に何千日、繰り返してきたか? ヘビメタ騒音を浴びせられて、眠れなくなった。そうなると、不安がしょうじる。その繰り返しだ。おなじなんだよな。おなじ。感覚がおなじ。一日に七時間ぐらい……平均だと八時間ぐらい……ヘビメタ騒音にさらされるとどうしても、ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、眠れなくなる。この問題は、やられた人しかわからない。やられてみなければ想像もつかないだろう。実際にやられてそうならなければ、わからないことだ。だから俺が、サボっているように言われる。たるんでいるように言われる。だめ人間であるかのように言われる。あんな音にさらされたら、だれだって、終わったあと!!!眠れなくなるのに……。それも、眠れない時間が長い。眠れない時間のしんどさが並みじゃない。眠れないけどやりたいことをやっていた……眠れないけど普通に動ける……というわけではないのだ。これも、毎日毎日、一日に七時間から一四時間ヘビメタを浴びせられた人じゃないとわからない。これ、本当に自分の意思とは関係なく、浴びせられたら、そうなってしまう。からだがそうなってしまう。これは、走れば息があがるということとおなじだ。人間の基本的な反応なのである。生物としてそうなっているのである。だから、意思とは関係がない。長く走れば、呼吸の回数が増える。暑くなれば汗が出る。それとおなじレベルで眠れなくなる。からだが、だるくなる。このだるさが、ヘビメタ騒音に長時間さらされたときのだるさで、他の人はわからない。その人にとって『未知』のだるさ。異常なだるさ。他の人が経験してないだるさを経験することになる。

毎日!

他の人が経験したことがない異常なだるさを毎日!!!!経験することになる。ヘビメタ騒音って鳴っているときだけうるさいからこまるというものではないのだ。これだって、実際にヘビメタを浴びせられた人じゃないとわからない。あの距離、あの音のデカさで、何時間も何時間も毎日毎日浴びせられた人じゃないとわからない。気違い兄貴の異常な性格がわかってない人にはわからない。

そりゃ、『言えばやめてくれるはずだ』と考えている人にとってみれば、『エイリが言わないから悪いんだ』ということになってしまう。言えばやめてくれるはずだ』という前提で考えているのであれば、『言わないエイリが悪い』ということになってしまうのである。

どれだけ、言ったか。

で、そういうやつは俺が『言った』と言うと『ちゃんと言ったのか』ということを問題にしだす。俺が『ちゃんと言った』と言うと、不満な顔をする。そして、『ともかく、遅刻するな』とか『ちゃんと働かないのはおかしい』ということを言い出す。本当に頭にくる。

そういうふうに言うやつだって実際に、ヘビメタ騒音に毎日毎日何時間も何時間もさらされ続ければ、そうなるのに、それがわかってない。

そいつが、『エイリがちゃんと言わないからダメなんだ』と考えるのには、理由がある。たとえば、ぼくが三五歳だったとしよう。三五歳で、アルバイト以外の職歴がなく、無職だとする。いろいろな理由で友人関係がくずれていく。根本的な原因はヘビメタ騒音なのだけど、友人関係がくずれて友人との付き合いがその時点でないとする。そして、そういう情報をぼくがあの人に与えたとする。そうするとその人は職歴のない長期引きこもりで人とつきあってないのであれば、コミュ障に違いがないと考えるわけだ。その人が、『コミュ障なら、ちゃんと言えないに違いがない』と考えると『エイリがちゃんと言わないからダメなんだ』と考えてしまうのである。ここらへんがループしている。最初にできたみたて」にしたがって間違った推論をしているのである。また、最初の見立て自体が間違っている。けど、こういう人間は、最初の見立てが間違っていることを認めない。自分の推論が間違っていることを認めない。だから、『そうじゃないんだ』『ヘビメタ騒音でそうなるんだ(ヘビメタ騒音が十何年も続いていると友人関係がくずれていくんだ)』ということを言っても、信じない。最初にできあがった見立てにしたがって、俺の言うことを、信じるかどうか決めているからだ。『そんな引きこもりがまともなはずがない』のである。『そんなに長く引きこもりをしている人が、ちゃんと言えるはずがない』のである。頭が悪いやつのなかではそういう、見立てがずっと成り立ち続ける。こういうふうに、バカにされる。こういう風に、見下される。頭が悪いやつにバカにされるんだぞ。こんなのあるか? ヘビメタ騒音がずっと長く続くということはそういうことだ。そして、やっている人が気違いだとそういうことになりがちだ。なおさら、やっている人が、家族の構成メンバーで、よそではちゃんとしていて、「うち」では狂うという人間だとそういうことになりがちだ。他の人は、気違い的な頑固さが理解できない。気違い的な認知の誤謬が理解できない。「やったってやってない」というような認知が成り立っていることが理解できない。夢中になってやったことを、夢中になって否定する人がいると言うことがわかってない。ヨソの人はわかってない。兄貴が家族のメンバーだったというのが、ものすごく、影響しているんだよ。これ、本当に、他人で、アパートだったら、ちがう。あんなの一日目に大家に注意をされておしまいだ。既に狂っている……兄貴とおなじように狂っている親父が大家だから、おかしくなる。兄貴がヘビメタでやっていることは、親父がすべのことでやったことの完全なコピーだからな。やり方がおなじなんだよ。夢中になってやったことを夢中なって否定するということまで含めて、全部、おなじ。ともかく、俺が未成年、兄貴が未成年、親父があの親父というのが、ものすごく影響している。兄貴が家族のメンバーというのがものすごく影響している。兄貴が他人で、大家も他人で、大家が普通の人であれば、兄貴がどれだけがんばっても、三ヶ月ぐらいしかできない。三ヶ月で、兄貴が引っ越すことになる。そういう騒音だ。それを、親父と兄貴だから、ずっと何年間も十数年間も続いてしまった。親父の兄貴のヘビメタ騒音に対する反応というのが、本当に頭がおかしい反応で、普通の人は理解できない。俺だって、実際に気違い親父がそういう気違い的な反応をするまで、考えつかなかった反応だからな。しかも、これは『時代』がある。時期がある。時期によって親父の反応がちがうのである。また、「やったってやってない」の逆バージョンである「やってやらなかったのに、やってやった」が発揮されるから、自分の行動に関して正反対の認知をもっているのである。親父は! 親父は親父の行動に関して正反対の認知をもっている。これだけだって、どれだけの人にわかるかの? 『そんな人いるのかな???』と疑問に思うやつは、俺の言うことを信じない。基本的にうたがってかかる。親父が正反対の認知をすることで、俺を追い込んでいる。他の人から俺が誤解されるように、しむけている。他の人の誤解をさそっている。これがどういうことだかわかるか? わかるわけがないか。そりゃ、こういう父親や兄にたたられて、こういうことになってなきゃ、わからないよな。

2019年5月3日金曜日

俺だから、生きてるんだぞ

俺だから生きているけど、他の人だったら、とっくのとおに死んでるな。自殺している。俺だから、生きてるんだぞ。

たいした影響がないと思っているんだよな。俺がヘビメタ騒音の話をしたのに、たいした影響がないと思っているやつらがいる。どんだけの影響か。どれだけ足を引っぱられるか。おまえらだったら、はじまってから三ヶ月で死んでる。自殺している。どれだけ勉強に影響を与えるか、どれだけ生活力に影響を与えるか、どれだけ精神に影響を与えるか、わかってない。『どれだけ鳴っていると言ったってたいしたことはないのだろう』とか『鳴りやんだなら、そんなのはもう関係がない』とか『俺だったら、そんなのたいして気にしない』とか『俺だったらそんなに影響を受けてない』とか思ったやつらは、実際にさらされてないからわからないだけ。実際に、平日七時間、土曜一〇時間、日曜祭日一二時間、夏休み・冬休み・春休み一四時間と、本当に毎日、ヘビメタ騒音が、あの音で、あの至近距離で続くということを経験してないからわかってないだけ。本当に、足を引っぱられた状態になる。どれだけがんばっても、自分の実力の一〇分の一も出ないような状態になる。それがわかってないだけ。ずっと毎日足を引っぱられているということの意味がわかってないだけ。自分が体験してないからわかってないだけ。本当に、頭にくる。そういうボケ発言をするやつは、本当に頭にくる。


だれだって、引きこもりになるのに「じぶんはそんなふうにならない」と思っているんだからな。おまえの思考力がないから、あるいは想像力がないから、そうなることがわかってないだけ。人間ならそうなる。生物として人間ならそうなる。実際に体験してないからわからないか、あるいは、思考力や想像力がないから話を聞いただけでは、想像ができないかの、どっちか。あの音をあんなに長い期間やられて(鳴らされ続けて)引きこもりにならないわけがないだろ。通勤通学ができないからだにならないわけがないだろ。そういうことが続いた結果、友達がいなくなるということがわかってないだけ。そりゃ、そうなんだよ。友人関係に影響を与えないと思っているんだからな。友人関係どころかすべての人間関係に、影響を与えまくりだよ。他の人には理解できない頑固な態度で鳴らすからこうなってしまうんだぞ。気違い兄貴。おまえの態度は、ハンダゴテのときの親父の態度とおなじ。実際、気違い親父の態度がわかってない友達や先生に、悪く言われて腹が立っただろ。それとおんなじなんだよ。人生の中で、毎日、ハンダゴテの日を繰り返しているようなものなんだよ。ヘビメタが毎日鳴っているということはそういうことなんだ。ヘビメタが一五年間も鳴っていたということは、そういうことなんだよ。ふ・か・ひ・て・き・にそうなるのに、実際にやられた人間以外、だれもわからない。これがどういうことだかわかるか?

2019年5月2日木曜日

自分勝手な人の妄想的な認知・認識をどうすることもできない

気違い兄貴のやつ、まるで悪いと思ってないんだよな。

頭にくる。



そりゃ、やっているさいちゅうも、悪いと思ってない。どれだけ言われても、悪いと思えない。〇・一デシベルでもゆずってやった「ゆずってやったゆずってやった」とえらそうに……。本当に、気違いなんだよな。あんな音で鳴らされたらこまるに決まっているだろ。気違い兄貴だって、その「ゆずったつもりの」音量で他の曲を鳴らされたら、鳴らされているあいだじゅう、うるさくてうるさくて、モンモンとして腹を立て続けるよ。

そういうでかい音で鳴らしてなんとも思わないんだよな。

「やめろ」「静かにしろ」と言われたら、腹を立てる。気違い親父まったく同じ反応をかえす。それが毎日、ずっと続く。かわらない。どれだけ言ってもかわらない。どれだけ喧嘩してもかわらない。

これで、俺があいつのヘビメタ道具を壊したら、「おまえが壊したんだからならしていい」と復讐の鬼になって、鳴らし続ける。でかい音で鳴らし続ける。かりに、気違い兄貴を刺したにしろ、なぐったにしろ、おなじ反応が返ってくると思う。「おまえが、悪いことをしたんだから、やったっていい」……こういう態度で、ムチューーーーになって鳴らし続けると思う。

まあ、そういうことがなくても、そういうことがあった場合おなじ時間、おなじ音量で鳴らしたと思う。最長、最大。最長時間、最大音量……気違い的なこだわりで、一秒もむだにしないで、ずっとこういうことを毎日やり続ける。それが気違い兄貴だ。本人は、やったつもりがないんだよね。親父とおなじように、相手がこまっているということが、頭の底からわからない。

どれだけ言われたって、反発するだけで、やりたいようにやる。やりたいようにやれば、……一秒もゆずらずにやりたいようにやれば……やったことになってないんだよね。終わった途端に、ゆずってやったつもりになる。

頭がおかしいから、まったく矛盾なく、毎日そういうことをやり続ける。

本人はまったく反省なんてしてないよ。やったつもりがないわけだから。

親父とおなじなんだよ。親父だって、一〇年以上毎日、気違い的な理由で怒っていたのに、そういうことをしたつもりがないんだよね。

やっているときは「あたりまえ」なんだよ。やっているときは、相手の言うことなんて聞かないんだよ。で、あたりまえだと思ってやりきる。けど、「やった」ということを認めることが不都合なことになったら、現実とは関係なく「やってないやってない」とさわぐ。

で、さわいで自分の言い分が通ったら、もう、それで、自分とはまったく関係ないことになってしまう。「言い分が通ったら」と書いたけど、本人が爆発したら、その途端に言い分が通ったつもりになってしまうのである。

それに、その直後から『認めない態度』『認めない認知認識』を押し通すから、結果的には、やはり、言い分が通った……ことになる……本人の頭のなかでは言い分が通ったことになる。

認知・認識の部分でも認めないわけだから。相手は、気違い的な人の……あるいは、気違い的に自分勝手な人の妄想的な認知・認識をどうすることもできない。





つけたし(別サイトに移動します)。
広告なし派出所

じゃあ、狂っている人にやられて、働けなくなってまった人はどうなる?

今日は掃除ばかりやってた。

あのあと、やっぱり、気になって、ダイバー方式?で、掃除をした。けど、くるしいね。息継ぎがくるしいわ。けど、吸わないというのは一つの手だと思う。非常にのんびりした作業手順なので、ひとりでやるときにしか使えないかな。





ダイバー方式でやったときも、ある程度鼻水が出た。これは、前の買いが響いているのか?それとも、マスクのなかの温度と湿度が上昇してそうなるのかわからない。



下の部屋にあるテーブルの上も片付けた。これがねぇーー。

これが、いつやる気になるかと思っていたけど、今日やる気になった。よかったよかった。いつかやるつもりだったんだ。この調子でいけば、いつかやるつもりであるところは片付けられるかもしれない。



自分にご褒美で、コーラ、コーヒー、アセロラドリンクを買ってきた。三〇〇円。高い。これ、業務用ストアだったら、アセロラドリンクを抜かして、七五円ぐらいで手に入る。



ゴミとたたかって、一年ぐらい経てばだいぶ片付く気がする。



しかし、いろいろと負の思い出がある。そういうエリアを片付けているので、むなしい気持ちになる。特殊な家族なんだよな。これ、本当に他の人は、だれもわからない。気違い兄貴の意地なんて、だれもわからない。だいたい、本人が一番わかってないからな。何回も言うけど、本人がこだわりつくして、気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で否定する。おなじなんだよな。気違い兄貴も気違い親父とおなじで、「そのとき」だけなんだよな。そのとき、否定して、自分が勝てば、それでいいわけで、どれだけ矛盾したことをしても、気にしない。この、気にしないというのも、本当に、他の人にはわからない。そして、気違い兄貴には一番わからない。これ、おかしいんだよな。自分が血相を変えてやり切ったことを、血相を変えて否定するからな。親父とおなじなんだ。兄貴はどこまでもどこまでも親父とおなじ。

自分が他の音で一分やられたら、腹が立って腹が立ってしかたがない気持ちになるほどでかい音で鳴らしているのに、自分が鳴らしたい音ならば、そういうででかい音で鳴らしたって、たいしてでかい音で鳴らしてないという認識になってしまう。一度そういう、気違い認識が成り立ったら、どれだけ言っても、本人の頭のなかでは、そういう認識が成り立ち続ける。本人は、他の人からどれだけ言われても、「たいした音じゃない」と思っている状態が続く。何十年も毎日続く。何十年もやりたければ、何十年もそのままなんだよ。



で、他の人は、ヘビメタ騒音のすごさがわかってない。ヘビメタ騒音を七時間浴びせられたときのからだの状態が、自分の経験としてわかってない。それが一年間毎日続いたときの、しんどさが、自分の経験としてわかってない。これ、何年間も毎日やられたら、だれだって、「へたれ」になる。『やる気が』どうしても出てこない状態になる。日本の社会で、おいこまれる。日本の社会というのはまだ、年次制があるから、復帰しにくい。これも、経験がない人はわからずにたてまえを言うけど、不可避的に追い込まれていく。だから、浪人なんてしないで、なるべく高いところに?現役ではいるべきなんだと思っているわけだ。……たいていの人は。ぼくは、企業を相手にしてない。それなら良いじゃないかと思うかもしれないけど、気違いヘビメタで、小学六年生のときからずっと、勉強する時間がなかったことはでかい。これも、格好をつける人は、どれだけ騒音が鳴ってたって勉強ぐらいできるというようなことを言うけど、それは、実験的な場面に限られる。本当に、平日は七時間、日曜祭日は一二時間、あのデカさの騒音が自分の部屋のすぐ横で鳴っていたら、生活がくるってしまう。どれだけがんばっても生活が狂う。生活がくるったら、だめなのである。勉強だけ影響を受けないということはない。勉強時間がヘビメタ騒音に汚染されているということは、勉強が出ないということだけではないのである。その時間、次の日の分まで、つかれている。次の日の日中、どれだけ、気を張っても、注意不足になる時間ができあがる。個人の意志の力ではどうにもできない状態になる。そりゃ、二日、三日なら、どうにかなる。けど、一年三六五日、続いてごらんよ。できなくなるから。

一番頭にくるのは、気違い兄貴が「わるいことをやってない」と思っていることだ。迷惑行為をしてないと思っていることだ。意地になって、気違い的にデカい音で鳴らしている、すべての時間、悪いと思ってない。悪いことをしていると思ってない。迷惑行為をしていると思ってない。それは、言われなかったから、そう思わなかったのではなくて、何万回言われても、そう思わなかったのである。本人は、まるで問題がないことをしているつもりだったのである。「やっていいこと」をしているつもりだったのである。これが、一番腹が立つことだ。どれだけ言ったと思っているんだよ!! 自分だって親父に一回でもそういうことをされたら、腹が立って腹がたってしたがない状態になって、一日中、腹を立てていたのに。そりゃ、親父だって、自分がやっていることが悪いことだと思わずに、やるわけだからさ。だれがやられたって腹が立つことを、(相手の状態を無視して)やりきる。そういうことばかりなんだよ。そうじゃないことがないんだよ。親父とかかわると。(小さいときに親父とかかわると、かならず、そういうことをされるんだよ)。そりゃ、気違い兄貴が自動的にヘビメタを鳴らすように、気違い親父も自動的にそういう迷惑行為をすることになっている。もう、これは、一日中、そうするようにプログラムされているようなものだ。こういうのが、まるでわかってないんだよな……障害児教育とか言ってあまいことを言っている人たちは! そのくせ、睡眠障害者には、偏見がありすぎる。無職・無業者・ニートには、偏見がありすぎる。

ともかく、じゃあ、狂っている人にやられて、働けなくなってまった人はどうなる? これは、でかい問題だぞ。その人たちはまったく考えてないから、『ちょっと、がんばれば働けるのにあまえたことを言って働かないからだめなんだ』『我慢がたりないからダメなんだ』と常識的な精神論を振り回す。共同幻想の一部なので、うける。みんながそう思っている。日本にいるかなりの人がそう思っている。けど、ちがう。どれだけがんばって、ヘビメタ騒音期間中、俺が学校に通ったと思っているんだ? ゆるせない。死にものぐるいなんだぞ。毎日。帰ったら、おなじ騒音が何時間も何時間も、どれだけ「やめろ」と言っても鳴っている状態が続くんだからな。

2019年5月1日水曜日

いままで、できていたことが、どーーーしてもできなくなる


ヘビメタ騒音でどうしてもだるい。どうしてもくるしい。どうしても「だめだ」と思う。どうしても、ヘビメタ騒音にまつわる不愉快な記憶が浮かび上がる。どうしても、くるしい。ヘビメタでどうしてもくるしい。
このだるさなんて、だれもわからないわけだからな。俺がどういう気持ちで生きてきたかなんてだれもわからないわけだからな。俺がどういう気持ちで、午後一一時一五分をむかえたかなんてだれもわからない。夜、電気を消して横になったときのだるさがわからない。ヘビメタ騒音期間の、夜、電気を消して横になったときの、だるさは、ぼく以外、だれもわからない。
どうしてもヘビメタ騒音でつかれた。どうしてもヘビメタ騒音でからだがだるい。どうしてもヘビメタ騒音で頭がモヤモヤする。

ヘビメタ騒音がなかった場合の人生を返してくれ。ヘビメタ騒音が鳴らなかった場合の学生生活を返してくれ。青春を返してくれ。わかい時期を返してくれ。健康な体を返してくれ。ヘビメタ騒音がなかった場合の普通の『やる気』を返してくれ。

ヘビメタ騒音を一時間も経験してないやつに、えらそうなことを言われる。そういうポジションにおちていく。ヘビメタ騒音で、いままで、できたことが、できなくなっていく過程がわかってない。そういうことを言うやつらは、まるでわかってない。自分はやられなかった……という立場から、えらそうなことを言うやつらはまるでわかってない。ヘビメタ騒音が毎日毎日、なっている状態が一五年間も続いて良いわけがないだろ。能力を失わないわけがないだろ。家に帰ってからずっとヘビメタ騒音をやられる人間の気持ちがわかるか? 寝床に入ったあと、眠れないんだぞ。それも、不摂生だと言われる。自己責任だと言われる。『健康管理ができないやつが悪い』と言われる。『いいわけをするな』と言われる。そういうことを言うやつは、ヘビメタ騒音浴びたことがないやつだ。あのヘビメタ騒音を……あの気違いが鳴らすあのヘビメタ騒音を平日は七時間、日曜祭日は一二時間、夏休み冬休み春休みは一四時間、毎日、本当に区切れなく!!浴びてみろ。で・き・な・く・なるから。いままで、できていたことが、どーーーしてもできなくなるから。できなくなると、バカにされる。地獄だ。できなくなると、説教をされる。地獄だ。えらそうに!! ただ単に、ヘビメタ騒音生活をしてないだけなのに。だから、できるのに! 本当にくやしい。ヘビメタ騒音で「できなくなって」本当にくやしい。
毎日おなじ時間に起きることだって、オレハできてたんだよ。ヘビメタ騒音がはじまる前はできてたんだよ。そして、ヘビメタ騒音期間中、俺がどれだけ、死にものぐるいの努力をしたか。これがわかってない。死にものぐるいの努力をしたときの記憶やからだの状態が問題なんだろ。どうしてこれがわからない。ずっと続いたんだよ。ずっと。

俺が「できない」と言ったら、できないんだよ。俺がどういう気持ちでその言葉を使っているか、わかっているのか? わかってない。俺がどういう気持ちで、その言葉を使っていると思っているんだ? 俺が「できない」と言ったら、できないんだよ。ヘビメタ騒音を一五年間浴びなかったやつが、好き勝手なことを言うのは、ゆるせない。ゆるせない。

   *   *   *

あのときの、あれ、ない。
あれは、ない。
本当に家にいるときつらかった。どーにもならない騒音でつらかった。あれを、「つもりがないまま」やったのか? ふざけるな!!

あと、自宅浪人のときつらかった。ヘビメタでつらかったんだ。他のことでつらいわけじゃない。ヘビメタでつらかったんだ。あのとき終わったんだな。あのとき終わったんだ。これは、自宅浪人をしたことがある人にもわからない。気違いヘビメタ騒音があいかわらず鳴っているということが問題なんだから。小六の時からずっと鳴っているヘビメタ騒音がまだ続いている……これが問題なのだから。日曜・祭日なんて、本当に一二時間二〇分鳴っている状態だからな。どんだけつらいか。

あんなにデカイ音でずっと聞きやがって。ゆるせない。小六のころからズッとやられているんだぞ。本当に毎日! こんなの耐えられるわけがないだろ。けど、やっているやつは、気違いだから、やったっていいと思っているわけだし、同時に「やってない」と思っているんだよ。同時にだよ。本当に頭がおかしい。意地になって、ゆずらないで鳴らしているのに、「そんなんじゃない」と思っているんだからな。頭がおかしい。ヘビメタ騒音まみれのアルバイトが、どれだけ悲惨か。

俺はこれから眠るけど、朝は、いつも、ヘビメタ騒音の朝だ。
いまは、朝だよ。これから寝る。けど、もちろん、気楽で楽しいなんてことはない。無職系の人は、好きな時間に寝る?のを、楽しみだと感じることができる。ぜいたくだと感じることができる。俺にはそれはない。ヘビメタ騒音で地獄だ。気違い兄貴の真っ赤な顔が浮かぶ。あんだけ、意地になって鳴らしたのに『たいして鳴らしたつもりがない』なんて、本当に親父そっくりだな。いつもおなじことが成り立っているんだよな。意地になってやったことは、意地になって否定する。

たとえば、八年間毎日鳴らされたときの朝の感覚なんて他の人にはわからない。八年と一日目の朝、俺がどういう気持ちで暮らしていると思っているんだ? それがどういう浪人の一日だと思っているんだ。こんなのゆるせるか? ゆるせない。

2019年4月29日月曜日

家族として一緒に住んだ人じゃないとわからない


うむ。正直言ってつまらない。

いま、冷えたハンバーガーを食べている。正確にはチーズバーガーだ。けど、チーズバーガーもハンバーガーの一種なのでそう書いた。しかし、チーズバーガーというのは、マクドナルドのチーズを挟んだハンバーガーのことなので、一般的な名称ではない。冷えたチーズを挟んだハンバーガーを食べていると書くべきなのだろう。しかし、これだと、冷えたチーズというとになってしまう。チーズを挟んだ冷えたハンバーガーが適切であろう。



と、まあ、くだらないことを書いたけど、楽しくない。



お湯が沸いたので、これからお紅茶を飲むぞ。ブルジョワだ。お紅茶だからな。



もう一回、横になるかな。



実はあんまり、楽しいことを考えられない。これは、一五年間のサイコパスヘビメタ騒音という特殊事情によるものだ。なので、他の人はまったくわからないだろう。どれだけ、これで、他の人とのあいだに溝ができたか。どれだけ、これで、本来の自分の状態とのあいだに差ができたか。



こんなのない。本当は、だれだって、耐えられないのに、そういうことを家で、日常的に経験した人がいないから、ヘビメタ騒音の影響がわからないのである。普通の騒音、普通の人間態度を想定してものを考えるので、たいした騒音じゃないということになってしまう。あるいは、騒音が鳴ってたにしろ、自分だったらできるということになってしまう。実際に、一メートル横で、あのサイコパス騒音が鳴っている状態を経験すればわかるのに。これは、兄貴でもおなじだ。兄貴だって、ちがう音がヘビメタ騒音とおなじ音のでかさで鳴っていたら、一分で、ぐちゃぐちゃな気持ちになって、腹が立って腹が立ってしかたがない状態になり、他の作業ができなくなるのに……そして、それが一日に一〇時間続いたら、夜眠れなくなり、また、からだにその騒音が残っている状態で、次の日の朝を迎えて、くるしむのに。次の日の日中も、まるで、船酔いをしているように、あるいは本当に酒が残っている状態でくるしいのとおなじような状態で、実力が出せず、どれだけがんばっても元気が出ない状態でくるしむのに……やられたことがないからわからないんだよな。親父の態度でヘビメタをけたたましい音でヘビメタを鳴らしたわけだけど、親父はでかい音でなんかの曲を聞くということはなかった。親父のサイコパス的な態度は、他のことで発揮されたのである。騒音で発揮したのは、サイコパス兄貴だ。これ、本当、サイコパス兄貴はまったく気がついてないけど、うちの人に対する態度とヨソの人に対する態度がちがう。新しい家族は、ヨソの人なのである。だから、一日に一分だって、騒音でくるしめるということをしない。そんなのは、できない。そんな悪いことは、自分の嫁さんや、嫁さんの家族にはできない。兄貴が、やったっていいと考えるのは、実家の家族の構成員だけだ。生まれ育った家のメンバーには、どれだけ、やったっていいのである。それは、サイコパス親父が保証していた。サイコパス親父の態度がまさに、それだからな。そして、本人はまったく気がつかない……さらに、どれだけ言われても気がつかないというところまで、そっくりだ。全部おなじ。親父の騒音バージョンが、兄貴なのだ。親父も兄貴も、うちでだけ、そうなる。だから、ヨソの人は、わからない。関係がないヨソの人は中立的な立場でものを聞こうとするので、必然的に、サイコパス兄貴の味方になる。だいたい、そんな、家のもめごとに巻き込まれたくない。やられた方に「それでもちゃんとしっかりしなければだめじゃないか」と言うのが落ちだ。それが、常識的な人の態度だ。頭にくる。こういう状態なら、中立的な立場というのは、サイコパスの見方だということなんだよ。凸型のサイコパスの味方。



あとは、本人は毎日やられてないので、やはり、「じぶんのたちば」で常識的なことが言える。自分の立場というのは、教師なら教師という立場ということだ。やられてない教師は、教師という立場でものを言う。普通のことを言う。つまり、「ちゃんとやらなきゃだめじゃないか」ということを言う。「遅刻しちゃダメじゃないか」ということを言う。「忘れ物をするな」と言う。やられてない他人の言葉というのは、究極的な状態でやられている人間のこころを傷つけるのである。ヨソの人にはわからないようなサイコパス的な態度で、サイコパス的な感覚で、サイコパス的なことをやる。やりきる。そしてやりきったら、絶対の意地で認めない。こういうセットが、どれだけ人を傷つけるか。そいつは、息を吸うようにそういうふうに「なっていて」別に自分の意思でそうなっているわけじゃないんだぞ。これが、どれだけ残酷でやっかいな問題かわかるか? サイコパスと一緒に住んだ人じゃないとわからない。うちでだけ狂うやつと、家族として一緒に住んだ人じゃないとわからない。これが、どれだけ人を傷つけるか。で、一五年でも二〇年でも、やったやつは、わからないんだからな。この「わからなさ」が、また、他の人の常識をこえる「わからなさ」なんだよ。あれだけこだわってやったのに、まったく本人がやったことじゃないと思っている。で、そういう思考回路も、やっているときとおなじなのである。意地になってやっているときとおなじ思考回路で、自分がやってきたことを、がちゃめちゃに、否定する。で、否定したら、その瞬間に、関係を忘れる。関係がないひとになってしまう。そういうことの繰り返しだ。やっているときからそうなんだよ。

「やられたほう」が世間の人から悪く言われる構造が成り立っている

やっぱり、納得がいかない。

やっぱり、納得がいかない。

どうしても納得がいかない。他の人にはわからないかたちで「かぞく」が狂っている。自分のやりたいことだけをやる。相手が必死に「やめてくれ」と言っているのに、頑固にやり切る。けど、頑固にやりきれれば、まったくやった気持ちがしょうじない……こういうサイコパス。

こういうサイコパスに「うちのなかで」やられると、「やられたほう」が世間の人から悪く言われる構造が成り立っている。こんなのはない。けど、実際にそういう「うちのなかにいるサイコパス」にやられたことがない人は、普通に不満を言う。やられたやつに不満を言う。勘違いをして、説教をし始める。やられたやつは……サイコパス的な「うちのひと」にやられたやつは、普通に下に見られる。だめ人間だと思われる。ヘタレだと思われる。(常識的な人が)常識的に考えると「そんなのは、言わないからだめなんだ」「ちゃんと説明しないからだめなんだ」という結論に達する。そんなんじゃないのに、そういう結論に達する。やられたことがない、しあゆせな人が考えるとそういうことになってしまう。サイコパスの意地がわかってない。サイコパスの無視がわかってない。サイコパスの認知がわかってない。で、不幸なことに、一番わかってないのは、「やっているやつ」本人だ。自分がサイコパス的な意地でやったことを、サイコパス的な意地で否定する。で、本人が否定しちゃったら、もう、一切合切関係がないことになってしまう。そういうしくみが、「よそのひと」にはわからない。本人にはもっとわからない。本人が一番わかってないというのがこまる。そういうしくみを通して、やりきる。本当にこまる。


2019年4月28日日曜日

これ、本当、どれだけの人がわかるんだ??? わかるやつがすくないといういうことはわかるぞ(公開バージョン)


俺、もう、寝る。
今日はいろいろなことがあった。
そして、それらのことがぼくの感情を揺さぶるので、眠れなくなった。
また、二四時間以上、眠れない状態になった。
これからも、眠れるかどうかわからない。
今年の一月三一日から、五回ぐらい四〇時間から四四時間眠れない状態になった。
いろいろな思い出が復活してしまう。親父にかかわるいろいろな思い出。しかも、そのすべてが、常識的な他人にはわからない。俺が、嘘を言っていると思うと思う。『そんな人はいない』とか言い出すんだろうな。こいつらがどれだけ、世間知らずで、思考力がないか。常識的だけど、世間知らずなんだよ。『例外』というものがわかってない。不幸な人の不幸な生い立ちというのがわかってない。頭がおかしい人の、おかしな思考法がわかってない。まあ、わかるわけがないか。そして、俺が正真正銘、本当のことを言っても、俺が嘘を言っていると思うわけだからな。こんなやつらは救いがたい。しかし、こいつらが多数派であることは否定できない。そりゃ、例外の常識なんてわかるわけがない。例外的な「うち」の常識なんてわかるわけがない。
で、その常識的なわかってない人と、第一者がおなじ考えをしているんだよ。これがどれだけヘンなことか。どれだけねじ曲がったことか。気違い的な意地でやる人が、気違い的な意地で自分がやったことを認めない。ごく自然にやってないと思っている。そして、ごく自然にやりきる。すべての状態を無視してやりきる。やりきることができれば「そんなのはやってない」と言い出す。信じちゃうだろ。第一者がそういうことを、第三者に言うと、信じちゃうだろ。そして、第二者がわなにはまる。やられっぱなしになる。
けど、それは「あたりまえ」のことなのである。毎日毎日おなじことが成り立つ。奇妙な世界だ。どれだけおかしい話しか? 悪い意味で●●●●●が親だと、そういうことになってしまう。みんなわかってない。わかるのは、ごく一部の●●●●●である親に育てられた人だ。そりゃ、ぶつけられるからな。ごく普通に、●●●●●である親の「へんなぶぶん」をぶつけられる。そりゃもう、意地になって容赦なくぶつけるんだよ。けど、本人は「やったつもりがない」。やったということを認める段になると、「やってないやってない」と言い出す。けど、この「やってないやってない」と言うこと自体が、やっているときに、現実を無視して言っていることとおなじなのである。気違い兄貴の場合は、親にやられたことを、そのまま俺にぶつけたんだよ。だから、親とおなじようにそのことにかんしてはまったく無頓着でやってないと思っている。全部、おなじ。やり方がおなじなんだよな。認知がおなじなんだよな。全部「やったってやってない」だ。気違い的な意地でやりきる。本当に全部、容赦なく、自分が好きなとおりにやって、認めないんだよな。認めるのが「まずくなる」と、おなじやり方で認めない。だから、永遠に「やってない」と思い込むことができる。

あとは、「へたれ」問題について考えた。ヘビメタ騒音を毎日ずっと何時間も何時間もやられるということは、ひどいことなのである。ヘビメタ騒音を毎日ずっと何時間も何時間もやられると、だれもが「へたれ」になってしまうのである。それが毎日続いたらどうなるか? その人が最初からへたれなのか、ヘビメタ騒音でへたれなのか、わからなくなる。これも、本当にうまくできている。毎日、やっているつもりになしに、ものすごくデカイ音でヘビメタを鳴らすということは、能力がある人間を、へたれにしてしまう。そういう力がある。毎日じゃなくても、一日でも、そういう力がある。やられた次の日は、どれだけ能力がある人間も、へたれ人間になってしまう。へたれは、いろいろな特徴がある。ヘビメタ騒音を浴びせられて、夜眠れなくなってしまうと、だれもがへたれになる。だいたい、ヘビメタ騒音を浴びせられているあいだじゅう、ずっと、『プラス向きのこと(自分にとってプラスになること)』はできないのだから。勉強だろうが、読書だろうが、パソコンだろうがなんだろうが、できない。で、ヘビメタを浴びせられているときにやったことは、きらいなことになってしまう。重いことになってしまう。へたれの特徴は、だるそうなこと、暗いこと、能力がなさそうなこと、だらしがないこと、などなどだ。覇気がないというのは、『暗いこと』のなかに入れてもいい。ともかく、生気が感じられないのである。やる気がない状態なのである。で、うっとうしがられる。へたれとだめ人間はほとんど同義語だ。だめ人間の方がまだ、まるい感じがするか?

2019年4月24日水曜日

つかれている。ずっと続きすぎた。


くらーーい。つまらないーー。さみしーーー。
さみしい。
どうにかならないか?
これなぁーー。この気分。
やなぎ荘とおなじだ。やなぎ荘にいたときの気分とおなじだ。

本当につまんない。
さっきは、午後六時ぐらいに、ヘビメタ騒音が鳴っている雰囲気がした。鳴っている感じがした。あれ、長いんだよな。雰囲気として鳴っている。つねに、その時間……夕方は鳴っていたので、夕方の感じとヘビメタノ感じがくっついている。不可分。もちろん、他の人にはわからない。そして、ヘビメタが鳴っている感じがしているときの破滅的な気分はわからない。不安でつまらない気分はわからない。あせって、不安で、破滅的……これがヘビメタ騒音の気分だ。頭がまわらない。ともかく、つかれている。つかれている。ずっと続きすぎた。

「つかれた、つかれた」と言っているからつかれる……というのは、一見正しいけど、正しくない。だれにとって、正しいのかということを問題にしなければならない。
たとえば、有機水銀で一五年間くるしんでいる人がいるとする。その人は、一五年間毎日「くるしいくるしい」と言ってきたとしよう。で、一五年目のある日、その人が「くるしいくるしい」と言っているのを聞いた人がいたとする。その場合、「くるしいくるしい」と言っているからくるしくなる(くるしく感じる)のだというのは間違っている。その人、別の人といういいかだと混乱するので、くるしいくるしいと言っている人をAさんだとする。そして、『くるしいくるしい』と言っているからくるしくなると言った人をBさんとする。Aさんは、「くるしいくるしい」と言うから、くるしくなっているわけじゃない。有機水銀という毒でくるしくなっているだけだ。だから、Bさんの解釈は間違っている。「くるしいくるしい」と言っているからくるしくなるという場合は、「くるしいくるしい」と言っている人が「気分的に」くるしくなっている場合のみに成り立つ。本当はくるしくないのに「気分で」くるしくなっていると感じている人の場合は、「くるしいくるしい」というからくるしくなる(くるしいと感じる)ということは、正しい(場合がある)。特に理由がないのに、「くるしい」と感じて、「くるしいくるしい」と言っている人はたしかに、「くるしいくるしい」と言うから『くるしく感じる』ということが成り立つ(ことがある)。けど、それとこれとは別だ。けど、「つかれた」もおなじ。「『くるしいくるしい』と言っているからくるしくなる」と他の人に対してよく言っている人は、すべての場合においてそういうことが成り立っていると思ってしまっている。特に理由がない場合と毒や騒音といった物理的な理由がある場合はちがう。「くるしいくるしいと言うからくるしくなる」……これのどこが間違っているんだ?とムキになってしまう人がいる。中立的な場合は正しいけど、そうなる理由が他にある場合は間違っている。『中立的な場合は正しいけど』と書いたけど、本当は、『中立的な場合は、正しい場合がある』と言った方が正確だ。どうしてかというと、『中立的な場合』というのが実際にはわからないからである。言ってみれば、本当に中立的で特に理由がない場合と、中立的に見えるけど本当は(発見されてない)理由がある場合があるからだ。

2019年4月23日火曜日

兄貴の知的能力は、ハンダゴテ事件で損傷されなかった。けど、気違いヘビメタ騒音事件の場合は、最初からそれが違う

つかれた。めちゃくちゃにつかれた。こりゃ、だめだ。あー、ヘビメタ騒音でつかれた。こんなにつかれていたのに、動いていたんだからなぁ。そりゃ、もっとつかれるだろう。もっとつかれて、だめになるだろう。動けなくなるだろう。がんばって、なにになった? がんばって、つかれただけじゃないか。ヘビメタ騒音のなかのつかれ。ヘビメタ騒音のあとのつかれ。ヘビメタ騒音のあとのつかれにたたられまくっているのに、意志の力で、自分のからだを動かしてきた。そして、またヘビメタ騒音のなかのつかれを経験する。……こういうことを、何千日も繰り返してきた。どうして、「ヘビメタ騒音が鳴りやんだら、そんなのは関係がない」などと言えるのか? こういうやつらは、肝心なものが見えてない。目が節穴。

やっぱり、つかれた。どうしたって、「つきあい」が減る。そうなっている。気違い兄貴は、他の人と俺の仲をさいてやろうと思ってヘビメタを気違い的な意地で、頑固にならしているわけではないのだけど、ずっと鳴らすということによって、そういう効果がある。相手が言ってくることを、一切合切無視して夢中で鳴らしきるということを、毎日毎日毎日やっていくと、ごく自然にそうなる。ごく自然にあいてはそうなる。付き合いが減らざるを得ない。計算したわけじゃないけど、ものすごい効果がある。そうやって、じょじょに追い詰めていく。頑固に相手の言っていることを無視してやり続けるというのことには、そういう効果がある。これは、親父が兄貴の言い分を無視して、「(このハンダゴテは)使える」と言い切ったときとおなじなのである。兄貴が、ヨソの人から、バカだと思われる。親父はそんなのわかるわけがない。もともと、このハンダゴテは使えないということさえ、理解しなかったのに、そんな高度なことがわかるはずがない。自分が主張したことで、相手がヨソの人からバカだと思われるということなんて理解するわけがない。そんなことが理解できるのであれば、『このハンダゴテは使えない』ということを理解している。『このハンダゴテは使えない』ということを理解しないということは、知的能力がないから理解できないということではないのである。しくみがある。『このハンダゴテは使えない』ということを理解してしまうと、新しいハンダゴテを買ってやらなければならないのである。それが、いやだけ。だから、知能とは関係なく、現実を無視して、頑固に認めない。どれだけ説明されたって、認めない。認めないということも認めない。これは、なんていうのかな、そのときはそのときで意地を張って認めないのだけど、そのほんにんにとって……つまり親父にとって……それがものすごく小さなことなのである。やったということさえ理解しなくていいほど、日常茶飯事の小さなことなのである。けど、その小さいことにいのちがかかっているんだけどな。認めたくないときは、いのちがけで認めない。で、こういうところが、親父と兄貴でおなじなんだよ。そりゃ、ヨソの人は『このハンダゴテが使えないということを理解できない大人はいない』『おまえ(兄貴)の説明が悪かったから、親父さんが理解できなかっただけだろ』と間違った推量をするわけだから。これも、おなじなんだよな。親父の態度から、そういう兄貴側の『失敗』が導き出される。失敗と書いたけど、不愉快な体験でもいい。あるいは、ヨソの人から誤解されるということでもいい。『そんなの、お兄さんに言えばいいだろ』なんて言う人は、やっぱり、同種の誤解をしているのである。おなじなんだよな……しくみが。家族のなかにいる気違いが、気違い的な意地を押し通すと、やられた人が、ヨソの人から誤解されたりだめ人間だと思われたりする。そういうしくみが成りっている。ヨソの人は常識で判断するからそうなる。ヨソの人の判断が、「いえ」のなかの実態と合致してない。
ところで、ヘビメタ騒音というのは、実は、『このハンダゴテは使えない』ということを認めないということよりもやっかいな問題を含んでいる。たしかに、ハンダゴテにかんしては(兄貴の)能力が問題になるわけだけど、親父が『このハンダゴテは使えない』ということを認めないということで、兄貴の能力は落ちてない。気違い兄貴のヘビメタ騒音の場合は、気違い兄貴がヘビメタ騒音を鳴らし切るということで、ぼくの能力が落ちているのである。体力、気力が落ちているのである。学力が落ちているのである。これは、でかい違いだ。毎日積み重なったらどれほどの量になるか。もちろん、気違い兄貴は気がつかずに、親父とおなじ状態で、意地を張って、やりきる。やりきっておいて、小さなことだと思っている。実際には、『小さなこと』だと思うことにも失敗している。まったくなにもやってないと思っている。けど、いのちがかかっている。絶対の意地で、やる。一二時間鳴らせるのであれば絶対の意地で一二時間鳴らし切る。弟がなにを言ってきても、それは、親父のように無視して、やりきる……のである。けど、気にしない。気にすることができない。親父のように、一切合切気にしない。影響を与えているとも思わない。思うことができない。どれだけ説明されても、自分がやったことで、弟がこまっているということが理解できない。ハンダゴテのときの親父のように理解できない。で、兄貴が俺に与えている影響は……でかい。毎日がハンダゴテ以上の『屈辱』なのである。おまえ、兄貴、おまえ……兄貴……おまえ……どれだけ怒ってたんだよ。親父にそういうことをやられて、どれだけ怒ってたんだよ。兄貴のヘビメタ騒音は、それプラス、実際に学力が落ちるということなんだよ。体力がなくなるということなんだよ。毎日どれだけつもるか? そんなのが、四〇〇〇日五〇〇〇日続いたら、どれだけの差ができるか? ヘビメタ騒音がなかった場合の俺と、ヘビメタ騒音が鳴っている場合の俺のあいだにどれだけの差ができる。この差は、俺に対する態度の差になって現れる。俺に対する他人の態度の差になって現れる。そりゃ、勉強ができるかできないか、どういう学歴があるか、どういう態度で暮らしているかというのは、他人の他人に対する認知に基本的な影響を与えるからな。学生のときは学歴、社会人になったら職歴(かたがき)と学歴だ。学歴は職歴(かたがき)の土台になっている。態度というのは、やる気のある態度や明るい態度という意味だ。こういうのも、人が人を見るときの認知に影響を与える。疲れ果てていたらダメなのである。気違い的な家族と一緒に住んでいて、その気違い的な家族がデカイ音でヘビメタを鳴らしまくるという迷惑行為をしている場合、どれだけの影響があるか。ヘビメタ騒音でつかれまくってしまうし、そう家族と接触すことによって、しんどい気分になってしまうだろ。接触するというのは、『ヘビメタをやめてくれ』と言いに行くことだ。『そんなの、接触しなければいい』『無視すればいい……』と言うことをいう人がいるけど、それは、問題がある。言いに行かなかったのであれば、適切な説明をおこたっているということになってしまうのである。『説明すれば、静かにしてくれたかもしれないのに説明しなかったから静かにしてくれなかったんだ。そんなの自己責任だ』と言われてしまう。俺が言ったにもかかわらず、毎日、何十回も数千日にわたって言ったもかかわらず、「そんなの、言えばいいのに、言わないからだめなんだ」と誤解してしまう人が後をたたない。『言った』と言えば、『言い方が悪い』『説明のしかたが悪かったんだろ』とハンダゴテ事件当時、兄貴のまわりにいた人のようなことを言うわけなのである。
ともかく、兄貴はハンダゴテ事件当時の親父の態度で、ヘビメタを鳴らしたわけだけど、まわりの人の認知に関する影響にかんしては、兄貴のヘビメタ騒音の方がでかい。まわりの人の認知というのは、被害を受けた人のまわりにいる人の認知ということだ。気違い兄貴は気違いヘビメタを鳴らすことによって、実際に俺の学力をうばい、能力をうばい、体力をうばっている。それが、親父のハンダゴテ事件との違いだ。親父が兄貴に与えた影響と兄貴が俺に与えた影響の違いだ。親父は、『使えないハンダゴテ』を押しつけることで、兄貴の知的能力に関する、他人の認知に影響を与えたけど、他人の認知にかかわらず、兄貴の知的能力は、ハンダゴテ事件で損傷されなかった。けど、気違いヘビメタ騒音事件の場合は、最初からそれが違う。ヘビメタ騒音自体が、俺の知的能力に影響を与える。実際の体力や実際の意欲に影響を与える。そりゃ、気違いヘビメタのなかで、ぼろぼろになってつかれはてるわけだし、そのあいだずっと、勉強をすることができない。勉強だけではなくて、本を読むというような知的な活動ができない。本当に、どれだけ気にしないようにしても、そういう気持ちとは関係なく、からだがヘビメタを浴びていれば、その影響が出る。その影響というのは、いい知れない「つかれ」だ。意欲の減退だ。勉強なんて、知能がおなじなら、勉強した時間に比例するんだよ。時間だけの問題なんだよ。(やる気は、時間にあらわれるとする)。
ともかく、ヘビメタ騒音問題はハンダゴテ事件問題なんかより、一兆倍も一京倍もでかい問題だ。これを、毎日やってないつもりで、やり続ける。五〇〇〇日たったら、どれだけの違いになってあらわれるか。


気違い的な家族というのは、他人の常識では考えることができないようなことをする家族という意味だ。

2019年4月18日木曜日

他の人がまったくわからないような異常な感覚


ヘビメタ騒音で人生がない。他の人がまったくわからないような異常な感覚で、やるから……気違い兄貴が、他の人がまったくわからないような異常な感覚でヘビメタをガンガン一日中鳴らすから……。俺がぁ、他の人から誤解を受ける。それは、親父が異常な感覚でやりきったことで、気違い兄貴が誤解をされたのとおなじだ。これ、本当にこまるんだよな。しかも、気違い兄貴のは、ずっとだから……。毎日毎日、一五年間ズッとだから……。俺が、他の人から、説教されるような身分になってしまう。だれだって、おなじことを一五年間ズッとやられたら、働けないからだになるのに、『働かなきゃだめじゃないか』『起きられないなんてうのは甘えだ』と説教をされるような状態になってしまうのだ。これは、水俣病になってない人が、水俣病になってしまった人に『働かなきゃだめじゃないか』『起きられないなんてうのは甘えだ』と説教するのとおなじだ。生物的な意味で人間のからだの反応があるのに、それを、無視する。知らないから無視する。水俣病だって、有機水銀でたしかにそういう反応が起こるということが確かめられたから、そういうことを言う人がいないだけで、有機水銀で(だれもが)そうなるということが確かめられていなければ、やはり、言われるんだよ。働いてなければ、そういうふうに言われる。起きることができないのであれば、『そんなのは甘えだ』と言われる。言われた場合、できない以上、言い返すことができない。できないわけではないけど、言い返したところで、相手は認めないだろう。
やはり、『人間の体ならこうなる』ということが、証明されなければならないんだよな。

2019年4月17日水曜日

『悪いのは言ってくるほうだ』ということになる

ヘビメタ騒音で人生がない。俺だけ取り残された。
『静かにしろ』と言ったらズッと静かにしてくれ。ズッと静かにしろ。ズッと静かにしろ。気違い兄貴の基準で静かにするなんていうのではだめだ。俺の基準で静かにしろ。普通の基準で静かにしろ。本当に気違い親父とおなじで、自分の意地を通す。ものすごくきたない手を使って自分の意地を通す。自分意識をだまして、やってないことにしてしまうんだからな。これはきたない。自分の意識をだまして、「こんなのは、小さな音だ」と認知してしまうんだからな。『小さな音だったらどれだけやったっていい』『がたがた言ってくるほうがおかしい』と考えたって、おかしくない。こういうに考えたら、『静かにしろ。静かにしろ』と言ってくるほうが、神経質で悪いやつで、へんなことを言っていると思うことができるのだから。ヨソのじゃ鳴らせないものすごくでかい音で鳴らしていて、こういうふうに思っていたら、そりゃ、まるで悪く感じないよな。『悪いのは言ってくるほうだ』ということになる。で、自分の意地を通してやったことは、次の瞬間には、「まったくやってないこと」になる。これも、親父がやり始めたことだ。自分が悪く言われるときは、「そんなんじゃない」つもりになってしまうのである。これも、本人がそう思ったらそうなんだよ。『事実』そうなんだよ。本人のなかでは。で、自分が本当にやってないのに「やった」と相手が言ってきた。言いがかりをつけてきたということになる。自分にとって不都合なことは、絶対に認められないのである。「悪いことをした」というとを認めるというのは、自分にとって不都合なことなんだよ。だから絶対の意地で認めない。で、この『(やったことを)絶対の意地で認めない状態』と『やりたいときに)絶対の意地でやる』ということが似ている。ほとんどおなじことなんだよな。おなじ構造が成り立っている。入っている項目がちょっと違うだけだ。時間がたつとかわってくる。

だから、永遠に認めない。やっているさいちゅうも認めない。だから、いつもまったく悪気がなくやりきる。本人はまったく悪いことをしたと思ってない。悪いことをさせてもらっているとか、悪いことをしているということを知っているけど押し通したという現実ではないのである。……本人にとっては。本人にとっては、いま書いたように、やっているあいだは悪いと思わないでやりきるわけだし、『(おまえが)こういうふうに意地を張ってやったからこまった』と言われたあとは『そんなんじゃない!そんなんじゃない!!やってないやってない!!』と腹を立ててれば、それですんでしまう。……本人のなかでは。


2019年4月16日火曜日

ヘビメタ騒音で「ひとりだけ」時空の果てに投げ出されたような感じがする

俺はどうしたらいいんだ?



今日は、実は寿司を食べてきた。うまかった。

俺はあと何回 寿司を食うことができるのだろうか?



俺は本当にどうなってしまうんだ?



これから、こんぶでご飯を食べて、寝る~~

あーあ、本当に、リアルで人に会っても、よく知っている友達じゃないからなぁ。なんか、本当に、ヘビメタ騒音で「ひとりだけ」時空の果てに投げ出されたような感じがする。

『本のひとくちメモ』『仕事の成果が激変する知的生産ワークアウト あなたが逆転するための73のメニュー』 奥野 宣之 著

『本のひとくちメモ』

『仕事の成果が激変する知的生産ワークアウト あなたが逆転するための73のメニュー』 奥野 宣之 著


たいへん懐かしい感じがする本。俺にとってはということだけど……。ヘビメタ騒音がなかったら、こんな感じでいろいろと調べたりしてたんだろうなと思う。ぼくの場合は、どうしてもヘビメタ騒音の影響がでかすぎる。まあ、これは本の感想になってないけどね。これは、本の感想になってなくてもいい『ひとくちメモ』だからそれでいい。

「本屋は社会の縮図だ」というようなことが書いてあったけど、これはたしかに、でかい本屋にいくと感じたことだな。まあ、いろいろな分野の本がブロックごとに場所をわけておいてあるといことなのだけど、歩き回っていろいろな分野の本を読むのが楽しみだった。基本、図書館の本よりも、『現在』に対応しているので、はやりのものもわかる。まあ、哲学の棚をあさったあとは、旅行の本の棚とかさ、そういうところを見るというのでもけっこう、知的な旅をしているつもりになる。
『仕事の成果が激変する知的生産ワークアウト あなたが逆転するための73のメニュー』 奥野 宣之 著のなかに書いてあることで一番印象に残ったのは、オンライン読書会のことだ。これは、著者と著者の友達でやっているらしい。まあ、気の知れた知的な人との読書会はおもしろいよね。
しかし、ぼくはやはり、ヘビメタ騒音の影響がでかすぎる。かなり深いことを話してきた友達をうしなってしまったし、実際の読書会に出るのは(睡眠障害などがあって)気が重い。
本当にヘビメタ騒音ですべての道がふさがれているんだよな。親父の気違い的な性格だけだったら、それで、知的な世界に潜り込んでどうにかなったのに……。毎日、ヘビメタ騒音で勉強の邪魔をされるとつらい。勉強の邪魔だけではなくて、『興味を持ったこと』をやることすら、すべての時間、強烈に邪魔されたのだから。で、「じゃまされた」というような言葉を使うと、それに微妙に反応する人たちがいる。その人たちは、「じゃまされた」というような言葉を聞くこと自体を、よからぬことだと考えているのである。ヘビメタ騒音を本当に鳴らされているわけでもないのに、「じゃまされた」と思うから「じゃまされた」ということになるのだ……というような思考をする。これは、普通の状態ならわかるけど、あの騒音のパニック状態だとそういうことはなりたたない。生物的に無理だ。無理なことを要求してくるんだよな。無理なんだよ。ぼくがどれだけその「むりなこと」にこだわってきたか。昨日、老人ホームのことについてある人(兄貴の嫁さん)と話していたんだけど、奇声をあげてずっとさわいでいる老人なんかよりズッとデカイ音でヘビメタを鳴らしてたんだぞ……あんたの旦那は……と思ってしまった。老人ホーム(介護施設)にかんしては、ぼくが、電話をしたんだけどね。これはこれで、うちくだくようなことが昨日あったわけ。
まあ、本の話に戻そう。いろいろとわけがあって、なんて言うのかな? 疲れ果てててしまった。なので、知的な活動に制限が加わった。
・アウトプットは大切だ
・ヘビメタ騒音で気力や体力を削られた
・思考をしているとどうしてもヘビメタ騒音のことが頭に浮かぶ(実際に関係がある)(そりゃ、この世の雰囲気だからな。そして、からだの状態に本当に影響を与えている)
・読書会は無理か
・本屋巡りやでかい本屋に行く機会がほとんどなくなった(若い頃はそれでも必死になって、心理学の本を読んでいた。ぼくにとって、心理学の本を読むということは、「不思議な現象を説明ができる現象にする」ということなのである。どうしても治さなければならない病気を治すために医学の勉強をしているようなものだ)

2019年4月15日月曜日

けど、これ、包み隠さず言うと、ヘビメタ騒音の雰囲気だ


つかれたぁ~~~
鬱だ。
いちおう起きたけどなぁ
いちおう起きることができた。
けど、これ、包み隠さず言うと、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。これじゃ、どう考えても気分が悪い。憂鬱だ。ヘビメタ騒音の雰囲気が強すぎる。

他のやつらって、この感じがないんだろ。どうしてなら、ヘビメタ騒音の日々が一五年間も続かなかったから。ずるいよな。

この感じがあるのとないのとじゃぜんぜん違う。もし、人間という生命体……生物が、毎日七年間気違い騒音にさらされると、こういう状態になるとすれば、彼らにしてもこういう状態になるわけだ。人間という生物が七年間毎日、気違いヘビメタ騒音にさらされて普通に通勤通学するという状態なら、絶対にこういう「雰囲気」がうまれて、その後もこういう雰囲気が生きているあいだつきまとうとするならば、それは、ぼくと彼らの個体の差ではない。けど、個体の差として理解されてしまう。毎日あんな騒音にさらされたら、名医ではいられないといっただろ。医者にもなれないよ。
ともかく、気違いヘビメタにやられたということが、異常すぎるんだよ。ぼくだけやられた。だから、他の人は「たいかん」としてぼくの状態がわからない。経験としてわからない。だから、もし、そうだったら……おなじことを経験したら……こうだということに関しても、考えに差が出てくる。「俺は、そんなことがあったとしても、そんな状態にはならない」と思えるからだ。けど、人間という生物の特性を考えるとやはり、気違いヘビメタ騒音が最低でも七年間、通勤通学をしているのに続いた場合、俺とおなじ状態になると思う。けど、何度も言うけど、それはぼくの個人的な問題にされる。「考え方が暗いからそうなんだ」「つらいつらいと言っているからそうなんだ」と防衛的な人は言うわけだ。こういうことを言う人たちは、実は防衛的な人で、どちらかというと、暗示を受けやすい人たちなのだ。はっきり言って、暗示に弱い。だから、防衛する必要がある。

まあ、ぼくは、人間という生物の特性として一〇〇%だれでもこうなると思う。しかし、何度も言うけど、気違い兄貴が横の部屋に住んでいて、気違い理論で、気違い的にデカい音で鳴らしてなにも感じないという状態が毎日毎日、続いたのはぼくだけだ。だから、ぼくの弱さにされてしまうのである。ぼくの責任にされてしまう。たとえば、ぼくが「いまげんざい」ヘビメタで憂鬱だとしよう。それは、たとえば、やらなければならないことがあって、朝起きた場合、こういう雰囲気になって、憂鬱になるとする。それは、ヘビメタ騒音数千日の結果だ。しかし、ここでも、問題がある。誤解をされる問題がある。それは、たとえば、まだ眠りたりないときに起きて動かなければならないという状況は、だれもがちょっとは経験したことがあることだからだ。数千日も続かなかった場合と、数千日続いた場合とでは違う。しかし、類推・想像できる。そして、その想像した値というのが違うのである。だれだって、眠りたりないで起きた場合は、そこそこつらい。そこから、真横でヘビメタ騒音数千日生活のつらさを推し量ってしまう。そうすると、間違いがしょうじる。
『けどけど、おまえはいまさっき、人間という生物ならだれでもおまえとおなじことが生じると言ったではないか』……と思う人がいるかもしれない。言った。で、これは、別に矛盾してない。ヘビメタ騒音数千日を経験してない人が感じる朝の憂鬱(朝の雰囲気)とヘビメタ騒音数千日を経験したことがある人が感じる朝の憂鬱(朝の雰囲気)は違う。だから、違う。違っていても当然だ。

今日もちょっとはすすんだので、よしとする。


俺は本当にどうしたらいいんだ?
ここで歳をとって死ぬのか?
それが一番確率的には高い。
一人さみしく死ぬのかね?

たぶん、今日は午前四時ぐらいまでは眠れない。
それは、計算のうちだ。
明日は、行かなければならないのだ。
つまり、普通の人の時間帯にあわせて、動かなければならない。
あーーあ。俺が時間を指定できるとはいえ、うまくいくかなぁ???

午前10時ぐらいに電話がかかってくるかもしれない。その時俺は、寝ているだろう。眠っているだろう。

一人で暮らしているとふとした瞬間に、うわっとくるものがあるね。
本当に一人になっちゃったな。あのときはまだ、いつでも会える友達が数人いたからなぁ。あーーあ。やなぎ荘とは違うね。

やなぎ荘だと思って暮らせばいいやと思ったけど、やなぎ荘とは違う。



   *   *   *

今日もちょっとはすすんだので、よしとする。

しかし、睡眠時間が回転する「病気」はどうにかしないとなぁ。

で、この「病気」のどこが問題かというと、睡眠時間があってない時間に、起きて、行動しなければならないときのからだの状態が問題なのである。いや、こころとからだの状態が問題。もう、自殺寸前の投げやりな気持ちになる。ヘビメタ騒音のときとおなじ状態になる。本当に睡眠時間がとれないまま、動いているときの「あのかんじ」はない。ところで、病気と書いたけど、これは病気ではない。症候群だ。けど、広い意味で「病気」と言ってみた。

2019年4月14日日曜日

そんなにうるさいのなら、親がなんとか言う

いま、思うとヘッセはしみたなあ。とくに、ナルチスとゴルトムントがしみた。バッハを聴くとあの頃のことが思い出される。

これがぼくの青春だったのか。

あの、くらい部屋で、ヘッセとユングを読みまくるのが俺の青春だったのか。本当にあの頃がぱーっと思い出されるなぁ。そして、俺はかわってない。俺の脳みその中がかわってない。女に対する態度がかわってない。としだけくったけどなにもかわってない。まあ、お母さんが死んでしまったし……そういう変化はあったけど。



本当にすべてがヘビメタ騒音なんだよな。ヘビメタ騒音で破滅破綻。殺すに殺せずズッとやられて、ズッとくるしい。物語がはじまらない。通勤通学ができない。非二四時間睡眠覚醒症候群で破滅。絶対にやめてくれなかったんだよな。やなぎ荘から帰って……家に帰って、めしを食っているときだって、「めしくをっているときだけはやめてくれ」と言っているのに「めしをくっているんだからいいだろ」と言って、一分たりとてやめてくれなかった。常にそういう状態だ。俺は、気違いヘビメタ騒音のなかでめしを食った。はらわたがにえくりかっている状態でめしを食って良いわけがない。



これも、顰蹙を買うかもしれないけど、選択肢がない。ヘビメタ騒音が鳴っているということは、俺の選択じゃない。よく、他の人が「あのとき大学に進学したらどうだったのだろう」とか「あのとき、彼女に好きだと言ったらどうだったのだろう」とかということを口にするときがある。あるいは、考えるときがある。要するに、過去の「いふ」について考えるわけだ。で、ぼくも過去の「いふ」について考えているみたいだけど、選択肢があるのとないのとでは違う。「もし、A大学ではなく、B大学に進んでいたらどうだったのだろう。考えてもむだだ。いふについて考えることは意味がない」という結論に達するらしい。これが、たいていだれでもそうみたいなんだよな。その人は、A大学に進むこととB大学に進むことを、選べた。ヘビメタ騒音は選べなかった。それが違う。



気違い兄貴という異物。気違い兄貴という、空間をゆがめる異物。

気違い兄貴という……。本当に気違い兄貴が気違い兄貴ではなくて普通の兄貴だったら……。いふいふいふ。



「やめてくれ」と言ったらやめてくれるような人だったら

「ヘッドホンをしてくれ」と言ったらヘッドホンをしてくれるような人だったら……こんなことにはなってない。俺はつらい思いをしなくてすんだ。本当に殺すしないんだよな。話しがもどってしまうけど。……そして、ヘビメタ騒音のことは、俺にとってどうでもいい小さなことではないのである。だれだって、おなじ状態になればわかるよ。小さなことであるはずがないだろ。どうでもいいことであるはずがないだろ。



気違い兄貴のヘビメタ道具を壊したら、気違い兄貴は、「ヘビメタ道具を壊したのだから鳴らしていい。がたがた言ってくるな。言ったって聞いてやらない」と言うだろう。気違い兄貴をぶん殴ったとしてもそうだ。気違い兄貴と気違い親父のことはよくわかる。そういうことをしたら、気違い的な意地でやりまくる。気違い的な意地でやりまくる。「やっていい」口実を与えたようなものだ。おまえが(そういう悪いことをしたのだから)俺だってやっていい……こういう口実で絶対にやりきる。もっとも、なぐってもなぐらなくても「絶対にやる」ということはわからないわけよ。気違い兄貴の場合。気違い的な意地でそうする。現実なんて無視だ。本当は、デカイデカイ音で鳴らしているのに、現実を無視して「フォークギターぐらいの音で鳴らしている」「テレビぐらいの音で鳴らしている」と本気で思い込んでいる。「たいしてデカイ音じゃない」と本気で、何十年も毎日思っている。十数年は毎日、「たいいしてデカイ音じゃない」と思って、強烈にでかい音で鳴らした。だから、俺が!!他の人から誤解されるんだぞ。「どれだけ、でかい音で鳴らしてたって言ったってそんなにでかい音で鳴らしているじゃないだろ」なんて、教師は思うわけだから。これ、本当に教師が想像もつかない音で鳴らしているんだよね。ぼくの部屋の状態がわからない。わかってない。「ものすごい音で鳴っている」「ものすごくでかい音で鳴っている」と言ったって、今度は、教師の方がわからない。教師は教師のなかでの「そうおん」というものについて考えるからだ。「へびめた」なんて言葉も知らない。本当に教師をやっているような人が育ってきた家庭と、気違い親父ががむしゃらにつくってきた家庭とは違うんだよ。この違いがわかってないんだよな。本質的にわかってない。さらにわかってないやつが「そんなにうるさいのなら、親がなんとか言う」とか「そんなにうるさいのに親が注意しないはずがない」とか言いやがるんだよ。これだよ。俺が本当にどれだけ、誤解を受けてきたか。教師が想像もつかないような過程で、教師が想像もつかないような音で鳴らしている。気違い兄貴が鳴らしている。で、これも、「お兄さんのことを気違いとか……(そういうことは言うべきではない)」というような話しをする教師まででてくるわけで、本当に、こっちはふんだりけったりだ。ぜんぜん違うから、ぜんぜんわからないんだよね。挙げ句の果てにそんなにおかしい父親だったら、どうして、精神病院に入ってないんだ? (どうして、精神病院につれていかなかったんだ?)」というようなことまで、思いやがる。つれていけるわけがないだろ。やられているやつがつれていけるわけがない。だいたい、お母さんまでやられているわけだら。お母さんががましちゃったらそれでおしまいなんだよ。こういうことすらわからない。想像力がないからぜんぜんわかってない。挙げ句の果てに、時代背景を無視して、いまの基準でものを言ったりする。小室直樹を読んでいないとしても、そういうことに関しては、自力で気づくべきだ。

2019年4月13日土曜日

その人のなかの「じょうしき」をこえるものは、排除しようとする

つかれた。言いようがない。どうしたもんだ? この人生をどうすればよいのだろうか? このつかれは言いようがない。だいたい、ヘビメタ騒音で親友との人間関係ですらめちゃくちゃになった。他の浅い付き合いの人ともやはり、ヘビメタ騒音でめちゃくちゃになる。どうしてかというと、気違いヘビメタのやり方があまりにも異常だから他の人にとって常識の範囲ないの思考で対処できるものではないものになってしまうからだ。どうしたって、その人のなかの「じょうしき」で考えるわけで、その人のなかの「じょうしき」をこえるものは、排除しようとする。人間にはそういう傾向がある。だから、こういう人たちは、誤解をする。本当のヘビメタ騒音について誤解をする。彼らの頭のなかには本当のヘビメタ騒音のことが入ってない。俺が言ったって、入らない。おなじように、彼らの頭のなかには、本当の気違い兄貴の態度が「はいらない」。常識的に考えてないからない……と思ってしまう。『常識的に考えてないからない。だから、エイリが言っていることはおかしい』と思ってしまう。『たとえそういうことがあったとしても、ちゃんとやらなければダメだろ。そんなのは言い訳だ』と思ってしまう。俺ができないと言ったらできないんだよ。……『俺ができないと言ったらできないんだよ』と言いたくなるような細かいことで対立することになる。これは、俺が引き下がって言わなかったにしろ、対立として残る。どうしてなら、『できない状態』が続くからだ。これがわからない。気違い兄貴、シランプリで、あり得ない音で鳴らし続けやがって。あり得ない態度で鳴らし続けやがって。俺が本当のことを言っているのに、他のやつが信じないんだぞ。それは、兄貴が親父の態度について本当のことを言っているのに、他の人が信じないのとおなじだ。「そんなのはない」のである。他の人たちにとって「そんなのはおかしい」のである。だから、他の人たちは「兄貴がおかしいことを言っている」と思う。「かりにそうだとしても、そんなことが影響を与えるはずがない。いいわけをしている」と思ってしまうわけだ。親父の態度は、他の人たちにとって信じられないことだからな。「かりにそうだとしても」と言っているとき、威力の弱体化がおこる。本当だと仮定しているのに、あたかも、本当ではないと仮定しているのとおなじような状態になる。本当だとしても……と言っているときに、相手の本当の力を弱体化させる。もちろん、頭のなかでだ。「相手」というのは、話に出てくる相手のことで、俺の場合は、兄貴、兄貴の場合は、親父だ。かりに本当だとしてもそんな影響はないと考えてしまう。

2019年4月11日木曜日

兄貴のヘビメタに対するこだわりが、他の人にはわからない

なんとか起きた。ほんとうに「なんとかおきた」という感じだ。あーーあ、つかれた。起きたけどつかれた。昨日残した焼きそばの残りを食べる。この焼きそばが、カップ焼きそばなんだけど、うまくない。



昨日は通販で味噌を買った。これは、だしが入ってない味噌なので、味噌にぎり丼用なのだけど、味噌汁にも使いたいので、だしも買った。だしは高いので、どうかなと思うけど、いいや。だしは、他のものに入れてもうまいしな。



なんかちょっとは気分的に復活して欲しいんだよ。ちょっとは……さ。なんかやる気にならないかな? 最近、なんて言うのかな? やらなければならない用事はあるけど、自分がやりたくてやっていることがないんだよ。つらいんだよ。

スマホを買ったよ。けど、まだ開けてない。まだ、楽天モバイルと契約するかどうかまよっている。本体があればいい。もし契約しても、六ヶ月ぐらいで解約するつもりだ。



むかしだったら、新しいパソコンがきたのとおなじでうれしいと思うんだよな。けど、いまの俺は「めんどうくさい」だけだ。たとえば、契約をするのがめんどうくさい。金が出て行くとなると気分がさがる。ズッと定期的に出ていくというのが、ものすごくいやなわけ。



むかしだったら絶対に楽しいはずなんだけどな……。



PC-8801mkIIのキーボードを買った。これは、コネクタが大きなタイプだ。矢印キーが上の方に四つ並んでついているやつだ。むかしのがいいんだよ。むかし、欲しかったから。これも、きれいなやつがくればいいなと思っているけど……きてみないとわからないな。写真を見た限りは、わりときれいだったけど。

これも、本当なら、ものすごくうれしいはずなんだよ。



あたま、ぬけてるわぁーー。



このままいくと感情がぬけたまま生きていくことになる。

   *   *   *

たとえば、「一〇〇〇万円あげるから、旅行でも風俗でもなんでも好きなことにお金を使っていいよ。好きなものを買えばいいよ」と言われたとしよう。そして、一〇〇〇万円、本当にもらったとしよう。楽しいか?

楽しくない。ヘビメタ騒音で楽しくない。ぼくの人生を返して欲しい。どうしてもつらい。わかいときはかえってこない。



むかし、幼稚園に上がる前、俺は、兄貴と喧嘩をして、くちびるを切ってるんだよ。おしつぶすように切った。だから、もともとのかたちとは、ちょっと違うんだよな。で、微妙なことを言うと、もともとのかたちのほうがすきなわけ。



ともかく、気違い兄貴のヘビメタ騒音で全部ない。気違い兄貴のやり方があまりにも以上なので、他の人にはわからない。特に常識的な人にはわからない。『そんなの関係ない』と言ったやつをまるまるしてやりたい気持ちになるときがある。そういうことを言ったやつだって、本当におなじようにヘビメタ騒音を浴びれば、おれとおなじような状態になる。ただたんに、浴びなかっただけなのに、まるで自分がすぐれているようなことを言いやがって。すぐれているって、『俺より』すぐれているという意味ね。「そんなの、甘えている」と言いたいわけだよ。やつらは。けど、何度も言うけど、やつらが想定している騒音生活とぼくが実際に体験した騒音生活が違う。「そうおんぐらいだれだってある」とか言ったやつをまるまるしてやりたい。「そんなんじゃない」って言っているだろ。こういうやつに、なめられるような人生になってしまうんだよ。こんなやつら、騒音がなければ、ぼくの足下にもおよばないやつらなのに。けど、まあ、こういうことを言うと『ぼくの足下にもおよばないやつらとか』そういう考え方が良くないというふうに思う人もいるだろう。ようするに、ぼくがそいつらをバカにしている……そういうのはけかからんと思うわけだよ。けど、最初にバカにしてきたのはそいつらだ。こうなると、どろじあいなんだよ。けどさ、本当にヘビメタ騒音がずっと鳴ってなかったらこんなことになってない。気違い兄貴が気違い兄貴ではなく、普通の兄貴で、騒音が普通だったらこんなことになってない。気違い兄貴のヘビメタに対するこだわりが、他の人にはわからない。ものすごくデカイ音でヘビメタを鳴らすことに対するこだわりの深さがわからない。そのためには、自分の感覚器を書きかえてしまうようなところが、他の人にはわからない。これは、親父がやったことなんだよな。自分にとって不都合なことは、絶対に認めない。一目見ればわかることでも、一秒聞けばわかることでも、都合が悪いなら、一切合切認めない。けど、一切合切認めないというつもりがない。一切合切認めてない」という認知がないんだよ。わざとやっているわけではないわけ。じゃあ、ゆるされるのかというと、ゆるされない。わざとやっているわけじゃないのだから、「ゆるされるべきだ」というようなことを言う人たちもいるのだけど、わざとやっているわけではないから、どこまでも、しつこく続くんだよ。わざとやっているつもりがないから、どれだけ言われても、まったくつもりがないままやり続けてしまう。まったく反省しないまま、やり続けてしまう。やられた方は、他の人から、誤解されたりひどい目に遭う。そりゃ、『ちゃんと言わないからダメなんだ』なんて他のやつは言ってくるわけだから。なにも知らないのに……。

   *   *   *
いまだって、幼稚園の園舎で何十人?何百人の園児が、奇声をあげているよ。まあ、同時に奇声をあげているのは、十数人と言ったところだろうけど。

けど、俺は別に『だから、勉強ができない』『だから、作業ができない』とは思わない。実際、このくらいの騒音なら、無視して勉強することができる。けど、至近距離の、壁のすぐむこうの、あのレベルのヘビメタ騒音だと、どうやっても、どーーーやっても、勉強ができない。しかも、勉強ができないだけじゃない。プラスマイナスゼロじゃなくて、勉強ができないにもかかわらず、自分の部屋にいてヘビメタ騒音に耐えていると言うこと自体が、マイナスなんだ。大きなマイナス。勉強なんてしたくないから、勉強なんてしないで、パソコンをいじっていたとかそういう話しじゃないんだよ。それなら、パソコンをいじっているぶんだけプラスだろ。けど、じゃあ、ヘビメタ騒音のなかでパソコンをいじっていれば(他の人たちとおなじように)プラスなのかというとそうじゃない。ヘビメタがあるかないかで、ぜんぜん違う。しかも、ヘビメタを浴びているぶんだけ、からだと精神が猛烈につかれる。このつかれが、これまた、ヘビメタ騒音独自の異常な「つかれ(疲労)」で、ゲームをしてつかれたとか、楽しく遊んでつかれたというのとは違う。ヘビメタ騒音を浴びたことで、睡眠回路がめちゃくちゃになってしまったといっているだろ。緊張型の不眠症があるといっているだろ。これも、『健康管理ができないのはたるんでいる証拠だ』とか言う人がいるんだけど、そうじゃないんだよ。その人は、ヘビメタ騒音を浴びてない。ヘビメタ騒音を浴びずに、そういうことを言うな。たとえば、学校から家に帰ってきて、七時間ヘビメタを浴びたとすると、その七時間のせいで、眠るべき時間になっても、眠れなくなってしまう。それは、一日とか二日の問題じゃなくて、土日も含めて、毎日の問題なんだよ。これ、二〇〇〇日、三〇〇〇日つもった場合は、また、一日とか二日騒音で眠れなかったというのとはちがう問題が生じるんだよ。

2019年4月7日日曜日

あのとき、絶対に鳴らさせないようにしなければならなかったんだ

やっぱり、ヘビメタ騒音で人生がない。
だめだこりゃ。あのとき、絶対に鳴らさせないようにしなければならなかったんだ。そうじゃなければ、ぼくの人生がない。それが決定してたんだ。ズッと毎日、『今日こそ、鳴らさせないようにしよう』と決意して学校から帰ってきたけど、気違いの壁にはばまれて、静かにさせることができなかった。殺さなければ静かにさせることができなかった。一日中、静かにさせることなんて、できるわけがない。その時、イップンカンですら、殺さなければ静かにさせることができなかった。気違い兄貴がそういうことを押しつけてきた。気違い兄貴は気楽に鳴らしてたみたいだけど、絶対にやめてらやないということにかんしては、いのちがかかっていた。気楽の意味が違うんだよな。一日中、あんな音で鳴ってたら、こまるに決まっているだろ。気違い兄貴だって別の音を、あの音のデカさで一〇分間、横の部屋で鳴らしているやつがいたら、一〇分間、腹が立ちっぱなしになって、イライラして、勉強なんてできなくなる。そういう音を、まったく気にしないで鳴らしていた。どれだけ言ったって、親父のように認めない。どれだけ言ったって……。けっきょく、気違いが意地を通すということになる。殺せないわけだから……。そういう毎日だ。そういう毎日。

言われたら、怒って鳴らし切る。一日中鳴らしても、まったく鳴らさなかったのとおなじ気分でいる。影響を与えてないと思っている。気違い野郎。ともかくおしまいだ。そして、こういうことが毎日普通に続けば、やはり、ぼくが他の人からバカにされるようになる。『ちゃんと働け』と説教をされるようになる。こんな人生やってられるわけがないだろ。何度も言うけど、気違い兄貴の「あのおと」は、本人だって、耐えられない音だ。そういうデカイ音だ。そういうデカイ音で鳴らしていいわけがない。自分が鳴らしたかったから、小さい音だと思ってしまっただけだ。

2019年4月6日土曜日

つかれた

つかれた。本当につかれた。

どうするかな。コーヒーをちびちび飲みたい。けど、いま飲めば蕁麻疹が出ることがはっきりしている。もう、雰囲気でわかる。



まじめに言ってつかれた。



けど、ここで寝てしまうと、夜眠れなくなる可能性が高くなるので、横になるわけにはいかない。ちょっと横になっただけで眠ってしまう可能性がある。けど、つかれた。



もう、いいや」という気持ちがまた強くなった。これは波のように襲ってくるな。枯渇しているんだな。体力・気力リソースが枯渇している。いま、人と会ってどうのこうのという気持ちにはなれないしなぁ。おしいれの工事はなるべく早くやらなければならない。ネズラスにやられるわけにはいかないのだ。けど、あそこに入って作業するとなると、いろいろとたいへんなんだよ。作業のあと風呂に入らないとダメだし。



あんまりやりたくない。けど、本当にコーヒーが飲みたい。ああああっ。コーヒー飲みたい。コーヒー。



いま、紅茶を飲んだけど、紅茶じゃないんだー

コーヒー、飲みたい。



やらなきゃなぁ……と思うことは、けっこうある。

人と会う気力がないようなことを言ったけど、気を遣わなくていい、既に同居している、女の子のことは抱きしめたいな。既に同居しているというのが、きもね。そんな人いないけどさ。抱きしめたい。



けど、まあ、ひとりで気楽というか……少なくても相手の生活を稼がなくていい状態は気楽だと言えば気楽だ。あとは、世間的な男性に求められる役割をしなくていいというのは、楽だ。ひとりのことで、いっぱいいっぱいだからね。ヘビメタ騒音以降、もう、いっぱいいっぱいだよ。パンク、破滅している。既に、パンク、破滅している。パンク、破滅している人こそ、さみしいのだ。だから、ジレンマがある。



買い物とか掃除とか作業とか、いろいろとやらなきゃならないことがある。掃除を少しずつでもいいからすすめていかないと、たいへんなことになる。家の掃除がたいへんなんだよ。「これ、どうするんだよ」と思うときがある。皿のセットとか捨てちゃおうかな。あんなの使わない。売るわけにもいかない。ちゃんときれいなセットじゃないからね。食器棚に入っている食器は、使わない。むだな鍋もたくさんある。これは、どうしてそうなってしまったかというと、悲しいお話があるのだ。鍋を巡る……めんどーーな話がある。まあ、それも、一方の主役がいなくなれば、むだなものでしかない。少しずつ、捨てていくしかない。(いや、一方の主役がいても、むだなものはむだなものなんだけどね)。ゴミを捨てられない人はいるからね。俺も、そういうところはある。



ともかく、つかれたな。というのがある。つかれた。



さて、今日は、なにをするかな?

ゼリーとジュースを買いにいかないとなぁ。あとは、長ネギと肉かな。

「もーーつかれた」という気持ちがある。気違いヘビメタにやられた次の日の朝「もーーつかれた」のピークだった。もう、あれ、動くか死ぬかで、しかたがないから、動いただけで、つねに毎日、限界値を超えていた。つねに毎日限界をこえて、不可避的にがんばっていた。そりゃ、死ぬわけにはいかないから、動くしかないのだけど、ヘビメタ騒音でつらい。昨晩のヘビメタ騒音でつらい。昨日の、あかるい時間からはじまった夜の長い長いヘビメタ騒音でつかれた。ヘビメタで眠れない状態というのが、そのまま再現されてしまう。昨日もそうだった。これ、日時を決められると、ヘビメタ騒音で眠れなかったときとおなじ状態になってしまうんだよな。起きれるかどうか心配になって眠れなくなる。遅刻しないかどうか心配になって眠れなくなる。ほとんど眠ってない状態でむりやり動いているときの状態が、想起されて、つらくなる。本当に毎日『死ぬか動くか』を突きつけられて、くるしんでいた。動くしかないから動いているけど、死体に鞭を打って動いているようなものだ。ヘビメタ騒音生活というのは、そういう、つらいことだ。鳴っているときだけ、うるさいと思うようなことではない。けど、普通の人は、そういうことがわからない。もちろん、言えば理解できる人はいるけど、その人が自分の経験として、俺とおなじぐらいのヘビメタ騒音を俺とおなじ時間の長さ聞いたわけではない。そういう経験があるわけではない人だと、やはり、その人が想像するヘビメタ騒音と、俺が経験したヘビメタ騒音のあいだに差があるということになる。あるいは、その人が想像するヘビメタ騒音のつらさと、俺が経験したヘビメタ騒音のつらさが大きく違うということになる。そうなると、言うことが違ってくる。で、そういう認知の差が、……要するに、喧嘩になって現れる。ダイヤともそうだったんだよな。だから、本当に気違い兄貴が、気違い的な意地でヘビメタを鳴らしたから、親友と絶交したということになる。そうするしかない。だいたい、ヘビメタが鳴ってなかったら、俺は、ヘビメタが鳴っているときよりもズッと勉強ができて、親友にも、友達にもいい影響を与えることができたはずだ。ヘビメタ騒音で勉強することができないということが、親友にも友達にも悪影響を与える。俺の勉強のことなのだけど、あんまりいい影響を与えない。気違いヘビメタというのはそういう騒音だ。これが、他の人にはわからない。どれだけのハンディとなって現れるか……。どれだけ、他の人が俺のことを認識するときの指標になるか。ヘビメタ騒音のハンディを抱えている俺は、本来の俺ではない。他の人はみんな、ヘビメタ騒音というハンディを抱えてない。ヘビメタ騒音を抱えている俺は、不可避的に他の人に迷惑をかけるような状態になっている。そりゃ、遅刻にしたって、忘れ物にしたって、試合中のうっかりミスにしたってそうなんだよ。ヘビメタ騒音で全体的な能力が下がった状態になっているから、他の人から見ると、俺がそういう人間だと見える。こういう障害なんだよ。そして、なんて言うのかな? それは、説教をしたくなるようなところなんだよ。たとえば、遅刻は、どうだ? 遅刻をしたら、説教をしたくなるだろ。遅刻をするやつは、遅刻をしないやつよりもだめなやつに見えるだろ。だらしないやつは、だらしなくないやつよりも、だめなやつに見えるだろ。気違いヘビメタ騒音で、身だしなみを整える時間も体力もない。家に帰ったら、午後一一時一一分までずっとひたすら、ヘビメタ騒音が鳴っている状態だ。それが毎日あたりまえだ。休みのは日朝から、夜の一一時一一分までヘビメタがガンガン鳴っている状態があたりまえだ。こんなの、ない。普通の家だったら、一日に一〇分間だってあり得ない音なんだよ。でかすぎるという意味で。気違い兄貴が自分のヘビメタじゃない音を、一〇分間あの音で聞かされたら、一〇分間「うるさいうるさい」と思って頭にくるような音なんだよ。不可避的に頭にきて、気になるような音のデカさなんだよ。不可避的に。けど、気違い兄貴にしてみれば自分がやりたい大人ので『このくらいの音で鳴らしたっていい』『うちでなら、このくらいの音で鳴らしたってかまわない』と思って、気違い親父のように頑固に鳴らすわけで、殺さなければ、やめさせることができない。頭がおかしいから、迷惑をかけているつもりがない。やっていいことをやっているというつもりしかない。本当に自分が我慢して譲るつもりなんて、一秒間だってないんだよ。もし、一秒間我慢させられたら、一秒間、本気で怒る。「こんなのやってられるか」「どうして、我慢しなきゃいけないんだ』と怒り狂って、一秒後には、ガンガン鳴らし始める。殺さなかったらやられる。そういうことの繰り返しだ。毎日・毎時間・毎分・毎秒……そういうステータスなんだよ。相手はそういうつもりで、頑固にずっと鳴らしているんだよ。これが俺の責任だというのか?

2019年4月4日木曜日

『ヘビメタ騒音で勉強ができなくてこまっている』なんてことを認めてしまったら


買い物に行ってきた。
ほめてくれよ。買い物に行ってきたんだぜ。すごいだろ。すごいよ。買い物だぞ、買い物!!!! すごすぎる。
俺はなんてすごいんだ。

あーーあ。つまんない。

実はやばいところに入る前に、やばいところ専用スリッパにはきかえるべきだったのだけど、そうしないで作業してしまった。なので、一個つぶれた。さらに、渡り廊下を渡るとき、それをはいたまま、別のスリッパの上にのっかった。これは、いつもやっていることで、渡り廊下を渡るときは二重スリッパになる。けど、考えてみるとやばいところを歩いたやつで、スリッパの内側を踏むということは、その踏まれたスリッパもだめになるということなのだ。

だから、スリッパを買ってきた。

実は、やばい場所用スリッパというのは、バスブーツと言われるもので、ブーツじゃないんだけど、靴のようになっている。あれは、300円ぐらいして高い。あれを捨ててしまうのはもったいない。

けど、あの作業は、プロにたのむと四〇万円ぐらいはとられるだろうから、俺がやれば四〇万円節約したことになる。

いま、昼型なんだけど、昨日、ちょっと緊張して眠れなかった。正直言うと、眠ったのかどうかわからない。けど、起きておかないと、今日の夜もそうなるので、起きている。
基本、何月何日の何時何分に集合ということになると、俺は眠れなくなる。ヘビメタ騒音時代のことを思い出してしまうのだ。
やばいところに入った服も洗っている。これは、使い捨てカッパを使った場合も使わない場合もそうしている。本来なら、もう、カッパは必要ないのだけど、なんとなく、かゆくなるから、やはりつけた方が良いということがわかった。これが、精神的なものなか?それとも、本当になにかに刺されているのか?わからない。カッパを着ていたときは、肩のところはかゆくならなかった。今回はかゆくなった。で、入りたくない風呂に入った。

気違い兄貴がガンガン鳴らしているときの感じがするんだよ。一人で住んでいるのだけど、そうなる。自分ひとりしかいないのにそうなる。これは、午前一〇時でも、午後一〇時でもおなじだ。午前一〇時にやられた時期もある。各夏休み、各冬休み、各春休みだけど。あとは、日曜日、祝日か。
それから、なんか集中しはじめたときに、気違いヘビメタの感じが襲ってきて、集中できなくなる。本を読んでいても、そうなる。ちょっとむずかしい本を読んでいると、そういう感覚に襲われる。もう、俺はダメだ。

まあ、やなぎ荘にいるときもそうだっんだけどな。
俺が本当にどれだけなめられたか。気違いヘビメタで勉強が遅れてどれだけなめられたか。気違いヘビメタが鳴ってなかったら、勉強ができるということで押さえつけることができるやつらだ。本当に頭にくる。立つ瀬がない。

十何年間も毎日やられていいわけがないだろ。学生時代ズッと毎日やられていいわけがないだろ。そういうことが、まったくわからないんだよ。親父のようにまったくわからない。兄貴は、まったくわからないんだよ。わからないとなったら、何十万回言われたってわからない。親父にとって、使えないハンダゴテが使えるハンダゴテに見えるように、兄貴には、どれだけ(自分が鳴らしたって)弟の勉強には関係がないように見える。だから、認めずにやりきる。で、認めずにやりきったことにかんしてはまったくなにも考えてないということになる。そりゃ、『どれだけやったって、やってないのとおなじ』だからだ。『ヘビメタ騒音で勉強ができなくてこまっている』なんてことを認めてしまったら、自分が思ったようにヘビメタを鳴らせなくなってしまう。我慢しなければならなくなる。そういうことに抵触することは、気違い親父とおなじで一切合切認めない。認めなければ、どれだけやったってやってないのとおなじなんだよ。一目見ればわかることが、どれだけ見てもわからない。一回聞けばわかることが、何十万回聞いてもわからない。自分に関係があるような感じがしない。だから、勉強の邪魔をしているつもりがないままずっと鳴らしてしまう。それは、俺が言わなかったからではない。俺が、何万回言っても、気違い兄貴のほうで聞いたことになってないだけなのだ。『勉強の邪魔だから、静かにしてくれ』と俺が何十万回、言ったと思っているんだよ。本当、気違い兄貴。自分がやりたいことに反するなら、認めないというやり方でやりきるのである。で、やったというつもりがしょうじない。こういうしくみだよ。

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本当に寝ているときがつらい

本当に寝ているときがつらい。ヘビメタ騒音期間中とおなじ状態になってしまう。本当にくるしかった。毎日死にたかった。毎日死にたいからだを動かして……むりやり動かして生きてきたんだ。もう、動けないよ。

本当にヘビメタ騒音の音量が、普通の人が考えられるような音量じゃないんだよね。あんな音で鳴らしている家なんて、どこにもない。「うち」だけ。どうして、そういう気違いにあたってしまうんだ。どうして、ぼくの兄貴は気違いなんだ。騒音気違いなんだよ。これ、本当に、本人が夢中になってやっていることは、何万時間やったって、「やってないこと」として認識しているんだよね。夢中になってやっているから。自分が本当に我慢して、一秒間譲るという気持ちは、最初からないわけ。けど、「ゆずってやらない」と思っていると思っている気持ちがない。頑として、一秒間だって本当に譲るのはいやだという気持ちがあるのに、そういう気持ちがあるということを認めない。一切合切、認知しない。認知する必要性があるということも、認知しない。だから、ゴクゴク自然に、息を吸ったり吐いたりするように、『どでかい音で』ヘビメタを鳴らすということになる。で、『どでかい音で』鳴らしたいという気持ちが、他の人よりも強いのである。普通の人が考えることができる『どでかい音で鳴らしたい』という気持ちなんかよりも、気違い兄貴のなかにある『どでかい音で鳴らしたい』という気持ちのほうがずっとずっと強い。他の人は、気違い兄貴の『どでかい音で鳴らしたい』という気持ちが、どれだけ強いかわからない。理解できない。気違い兄貴すら、理解してない。けど、それは、絶対の意地でなされることなんだよ。で、絶対の意地でなしていることは、なしているさいちゅうも、特に認めない。認識しない。実際に、静かにさせられそうになったら、ものすごく怒って、気違い親父のようにはねのける。はねのけたら、もう、本人のなかでは、『言われなかった』ことになってしまう。だから、なにも言われなかったつもりのまま、デカイデカイ音で鳴らすことができる。それが毎日続いた。で、毎日続いたときの、こちら側の「こまりかた」が、これまた他の人にはわからない。本当に、気違い的なデカイ音で、家族がヘビメタを鳴らして、絶対譲らないということを経験したことがある人が、いないからだ。兄貴みたいな態度でずっと、毎日、すべての可能な時間を使って鳴らした人が、他にいない。だから、そういう兄弟がいる人も、他にいない。だから、他の人は俺の話を聞いて、『ヘビメタ騒音が鳴ってたんだな』ということを考えるだけだ。自分の経験じゃないのである。だから、必然的に、俺の認知とその人たちの認知に差が生じる。で、この認知の差が、腹立たしいのである。すべてがすべて、腹立たしいことにつながる。もちろん、俺を中心にして考えた場合の話しだ。認知差……他者と俺の認知差……他と者と俺のヘビメタ騒音に関する認知の差は、でかい。他の人たちは、どれだけこまるかわかってない。他の人たちは、気違い兄貴の構造がわかってない。他の人たちは気違い兄貴の認知がわかってない。だから、本当俺が文句を言われる。これは、気違い親父に兄貴がやられたとき、兄貴が他の生徒や先生に文句を言われるのとおなじだ。気違い親父の構造が他の人にはわからないのである。説明しても「へん」だから、みとめないのである。他の人たちは『そんな人はいない』『そんなことはない』と思う人たちなのだ。だいたい、八割がたがそういう人だ。そういう人たちは、ゴクゴク自然に、兄貴をバカにする。『説明がへたくそだった』『そのハンダゴテが使えないということがわからないなんて、なんてバカなんだ』と思う。兄貴が使えると判断して、もってきたように思うわけだから。しかも、気違い野郎は、『そんなのは言い訳だ』とか言い出す。これは、実際にはなかったことだけど、ネットの気違い野郎は、そういうふうに言い出すよ。『そんなのは言い訳だ』『そんなのは自己責任だ(ちゃんと説明できなかったおまえが悪い』と言いやがるんだよ。『なんであれ、自分の現実は自分が作り出している』……とかなんとか、気違い的な理由で人を責める。

ともかく、本当に鳴らされた人のつらさがわからない。他の人にはわからない。経験したことがない人にはわからない。一五年間なんてわかるわけがない。殺さなければやられてしまう。鳴らされてしまう。で、実際には殺せなかった。俺がやなぎ荘に出たのは(アパートを借りたのは)ヘビメタ騒音歴一一年目だ。こんなの終わっている。こんなの終わっている。

本当に毎日くりかえされてしまう。で、ヘビメタが毎日ズッと、夜の一一時ぐらいまで鳴っているのにもかかわらず、次の日学校に行った期間というのは約七年間だ。日曜日は学校に行ってない。行ってたときもあった。部活をやっていたから。どうして部活に入ったかというと、気違いヘビメタ騒音を少しでもさけるためだ。けど、これは、ほんとーーに失敗した。ただ通うだけでも、絶望的にたいへんなのに、部活に入ってしまったら、もっとたいへんだった。気違い兄貴のヘビメタに足を引っぱられる時間がものすごく長い。一日の中でものすごく長い。で、かならず、次の日に影響を与える。強烈な影響を与える。これは、毒ガスを吸わされた場合、毒ガスを吸わされているさいちゅうもくるしいけど、吸い終わったあと、毒ガスを吸ってないにもかかわらず、くるしいということがあるのとおなじだ。吸わされたあと、症状が出る毒ガスの場合、毒ガスを吸ってないにもかかわらず、症状が続く場合がある。吸わされて、吸わされたあと、吸ってないにもかかわらず、症状が出る場合がある。ヘビメタもおなじだ。これ、ヘビメタを浴びせられたら、そのあとのくるしい状態をさけることができないのである。「どうしたってそうなる」ということなのだ。これも、他の人には絶対にわからないのだろう。押し出される。ヘビメタを一〇時間聞かされた影響がその日の夜と、次の日の朝と、次の日の日中に出るのである。それは、不可避的で、ガスを吸ったのに吸ってないのとおなじ状態でいられるわけではないのとおなじだ。聞かされたのに、聞かされてないのとおなじ状態にとどまるわけにはいかないのだ。こういう状態の時と、普通の人が『つらいと言うからつらい』というような助言をするときの状態が、どれだけ違うかわからないのか? 押し出される!!押し出される!!押し出される!!押し出される!!押し出される!! ガスとおなじように影響を受ける。どうしてわからないんだ!! どうしてわからないんだ!! どうしてわからないんだ!! どうしてわからないんだ!!


横になっていれば楽かというとそうではないのである。くるしいのである。

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さて、どうするかな??
ねずみ対策はしたいけど、いま、レインコート(パンツ部分)がかわいてない。まだ、干してある。さっき見たけど、まだ、かわききってない。まあ、おそろしきねずみの糞はすべて封印したので、できなくはない。けど、ねずみの糞と接触していたところは、掃除機をかけただけで、まだ、小さなほこりが残っているかもしれない。その小さなほこりに、ものすごいバイ菌(原虫などを含む)がいたらいやだなと思う。

きのうやったんだよ。昨日は、高性能マスク二枚、防塵グラス、レインコート(カッパ部分)、レインコート(パンツ部分)、スリッパ、を装備して、とりあえず、押し入れの中にあるものを外に出して、ねずみの糞を掃除機で吸い取った。

どうして、ぼくがこんなことをしなければならないんだ? と思う。親父がやったことなんだぞ。これ。ちゃんと、割れ目の処理をしておいてくれたらいいのに、いいかげんなことばかりしやがって。まるで役に立ってないだろ。新聞紙とか、入れっぱなしの新聞紙にどれだけほこりがつもっていると思っているんだよ? あんな新聞紙とビニールで、ちゃんとねずみが防げるわけがないだろ。すのことか木片?がいろいろとはいっている。あそこは、やばいと思っていたんだ。で、見せてもらったとき、いろいろなものが入っていて、肝心の所が見えなかった。全部出して確認するなんてことはできないんだよ。出さずに、確認しても、本当に穴がふさがっているのかどうかわからない。穴と書いたけど、実は穴じゃない。おしいれの床が抜けているのだ。手前の方は、ぬけてない。壁側の方がぬけている。で、左右の高さが違う。右は一三センチぐらい、左は二五センチぐらい下にさがっている。これも、親父が貼り付けたビニールシートをはがしてやっとわかった。ビニールシートをはがすのだって、たいへんだったんだぞ。
俺は本当にほこりがいやなのに、俺がほこりの世話をしなければならなくなる。で、ほこりがつもっているところに、ねずみの糞がぱらぱら落ちているから、掃除がしにくい。

特に新聞紙のうえにほこりとねずみの糞がのかっているばあいは、掃除機で吸い取るのがものすごくむずかしい。新聞紙が吸い込み口の方にくっついてしまうからな。

ともかく、工事できるところまではすすんだ。

ところで、ぼくは、今朝、ものすごく、気違いヘビメタのことで腹が立った。気違い兄貴の態度が腹立たしい。本当になにもやってないつもりなんだからな。ジブンノキモチしかないんだよな。これ、親父とおなじなんだよ。やりたくなったら、ジブンノキモチしかないから、やるわけだけど、相手がなにを言っても相手のことは気にならないんだよ。これ、気にする能力がまったくないという意味で気にならない。だから、やるわけなんだけど、本人は気楽で「つもりがない」。だから、本人のなかでは「やった」という気持ちがないわけ。だから、あとで「やった」と言われたら「やってないやってない」ってさわぐ。で、それは、「さいちゅう」でも、おなじなんだよ。これがわかるやつ、いるか? こういう気違いが家族のやつがいるか? こういう気違い的な家族が気違い的な行為を夢中になってやった場合、どういうことになるかわかっているやつがいるか? 気違い的な家族と一緒に住んでないやつは、あるいは、一緒に住んだことがないやつは、わからないんだよ。だから、「言えばいい」なんて、軽く言う。「言えばいい」と言ったやつに、「言った」「さんざん言った」「言ってもだめなんだ」と言っても、「言えばいい」と言ったやつは認めないんだよな。半分認めない。言えばやめてくれる世界に住んでいて、言えばやめてくれると思っている。俺が「言った」「さんざん言った」「言ってもだめなんだ」と言ったあとも、そういう世界観を手放してない。だから、仮定の話になる。もう、いいよ。ふざけるな。ともかく、そういうやつからすれば、俺が言えばいいことで、悩んでいようにしか見えないのである。『言えばいいこと』というのは、言えば解決してしまうような簡単なことなんだよ。そういうやつらは「ちゃんと言わないからダメなんだ」というような、まったく見当違いのことを言い出す。もう、いやだ。他の人が理解できないような気違い的な父親や兄貴にたたられて、もう、俺はいやだ。他の人が理解できないから、他の人が、完全に誤解する。そんなんじゃない」とぼくが言っても、その人たちはその人たちなりの常識的な解釈をする。常識的な解釈を捨てない。なので、その人たちは、間違った解釈をする。そいつらは「(そんな人はいない)エイリさんがちゃんと言わないからダメなんだ」という考え方をもったままなのだ。これがどういうことだかわかるか?
これ、本当に、気違い家族にたたられた人しかわからない。常識的な人は、気違いについて理解してない。気違いの考え方、気違いの感じ方、気違いの気持ちがわからない。だから、気違い的な家族が、ものすごく自分勝手なことをした場合の『雰囲気』がわからない。『過程』がわからない。どういうやりとりになるかわからない。わかってない。これ、いちいち、プロセスがあるんだよ。ほんとうにまるでわかってないな。やられた方が誤解を受ける。本当に、世間のやつらはわかってない。

2019年4月1日月曜日

毒ガスのなかで育ってきた人はこういうふうに劣っている


もう、なんて言うか……普通の気分になろうとすることをやめよう。これは、むりだ。気違いヘビメタにやられたぼくと、他の人とでは、違う。人生の経験が違う。これは、毒ガスのなかで育ってきた人の基礎体力と、きれいな空気のなかで育ってきた人の基礎体力をくらべるようなものだ。普通に考えて、毒ガスのなかで育ってきた人なんて、体力がなさそうでしょ。どこかに問題を抱えてそうでしょ。で、それはその人のせいじゃないわけ。毒ガスのなかで育ってきたということは、その人のせいじゃない。けど、その人のことだから、あたかもその人の特性のように言われてしまうわけ。そして、「毒ガスのなかで育ってきた人はこういうふうに劣っている」ということを科学が証明するわけ。データが証明するわけ。だから、毒ガスのなかで育ってきた人は劣っているというイメージができあがる。けど、それは、毒ガスのせいであって、その人の特性ではないわけ。もともと、特性ではない。けど、劣っているとか劣ってないというのは、その人の特性のように語られるわけ。だれだって、おなじようにおなじ毒ガスにさらされたら、そうなるのに、まるで、毒ガスにさらされなかった人たちは、もともとすぐれているから、すぐれているというようなイメージができあがるわけ。その人がもっているもともとの能力が違うというような印象を与えるわけ。そして、その印象を指示するような実験結果が出てくるわけ。その実験は、本当はそういうことを意味していないのに、普通の人は『実験で証明された』とか思ってしまうわけ。

普通の人とベースが違う

風呂に入った。

いま、洗濯をしている。



はぁ~~~



紅茶、飲む。



紅茶は、朝、起きたときから飲んでいる。

今日は、朝、だった。もちろん、夜起きるときも、夜、起きたらすぐに飲んでいる。やばい。これは、飲みすぎだ。コーヒーのようになってしまう。水やお湯をもっと飲むべきだというのはわかっているのだが……。



まあ、二月よりはましなんだよ。いまの状況は……。なので、これからどんどん良くなっていくと思うしかないな。二月、どれだけ、くるしかったか。



買い物に行くかどうかまよっている。買い物に行ったら、炭酸ジュースを買う。このあいだ、そとに出たのは金曜日だ。土曜日と日曜日はほとんど寝ていた。どうするか? 楽しい気分じゃない。これは、ヘビメタでだめになっているだけで、もし、ヘビメタがなかったら普通の状態だと思う。なんて言うのかな? 普通のレベルが下がっているのだ。俺にとって、ヘビメタ騒音で楽しくない状態が普通の状態になっている。ベースが違う。普通の人とベースが違う。

ヘビメタが一五年間毎日続いたあとの普通の状態というのは、普通に言えば、ものすごくくるしい状態だ。ものすごくくるしい状態が普通の状態になってしまっている。そりゃ、楽しくないよな。



ヘビメタ騒音にやられるということは、人から『説教されるポジション』におちてしまうということなのだ



今日の午前11時30分ぐらいに、新元号が発表か!
テレビを視ない人だけど、視るかな。
あーあ、平成になったとき、俺は喫茶店で友達(S君)と将来について語り合っていた。
あーあ。そのS君ともヘビメタ騒音のを巡って、喧嘩してわかれてよ。
あーーあ。
彼とは、長かったなぁ。
まあ、ヘビメタ騒音がなければ、俺は彼に言い影響だけを与えていたと思う。いろいろとおもしろいことをやって、彼にもやる気を与えることができたんじゃないかなと思う。やる気とチャンス。
俺は、正直言ってヘビメタ騒音でくるしい。いまも。当時も。
俺以外に本当のヘビメタ騒音をあびたひとがいないので、ぼくが言っていることは、他の人には通じない。「それでもどうにしかなきゃならないでしょ」などということを言われるのがオチなのだ。けど、「それでもどうにしかなきゃならないでしょ」などということを言う人は、ぼくとお品時ヘビメタ騒音を一日も経験したことがない人なんだよね。それじゃつたわらなくて当然だ。それじゃ、ズレがあって当然だ。その人のなかの騒音体験」をもとにしていっているだけだから、ぼくが経験したヘビメタ騒音の騒音体験とは違う。
ともかく、気違い兄貴は気楽に、あたりまえのこととして、どれだけ言われても、気違いヘビメタをすべての可能な時間鳴らし続けたのだけど、でかかったね。でかすぎるよ。あんなのやられて、まともな人生を歩めるはずがないだろ。ヘビメタ騒音を過小評価する人……もっと正確に言えば、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する人は、頭がおかしい。現実を知らない。まったくわかってないまま、常識に従って、ヘビメタ騒音を過小評価して「まちがったこと」を言う。もう、そう運命づけられている。これは、くるしい。これは、ぼくにとっては、過小評価してくる他人が敵になるということだからくるしい。これ、本当、こういうしくみなんだよな。
ヘビメタ騒音を経験したことがない俺だったら、絶対に言われなくていいコゴトを、他の人から言われるようになる。ぼくはむかしから、ポジションということについて語っているけど、ヘビメタ騒音にやられるということは、人から『説教されるポジション』におちてしまうということなのだ。毎日ずっと、ヘビメタ騒音を何時間も何時間もやられて、心身ともにつかれまくるということは、人から軽蔑され、バカにされるポジションにおちるということなのだ。普通はヘビメタ騒音ではないことで、そういうポジションにおちていくわけ。それは、生まれながらの能力とか性格とか容姿とかいろいろなことが関係しているのだけど、ヘビメタ騒音という特異な理由によって、そういうところにおちていく。やっているやつは、シランプリだ。そういう特異な理由をつくっているやつはシランプリだ。まったく関係がない人として、毎日絶対の意地で、特異な理由を作り続ける。気違い兄貴は、どれだけの影響を与えているかまったくわかってない。「わかってなければ、やってないのとおなじだ」という気違い思考があるから、絶対にわからないままやり続ける。俺にとって、それが現実だった。そういう気違い的な兄、がいる世界、が、現実だった。

過小評価してくる人が敵じゃないなんてことはないんだよ。敵なんだよ。これがわからないのか。
それから、文中の『本当のヘビメタ騒音』というのは、『ぼくが経験したのとおなじヘビメタ騒音』という意味だ。おなじ時間の長さ、おなじ時期に、おなじ期間の長さ、おなじ音のデカさ、おなじ曲を経験した人じゃないとわからない。一日の中でそれがどういう影響を与えるかわからない。五〇〇〇日以上続いた場合、五〇〇〇日以上続いたということが与える影響がわからない。五〇〇〇日以上、毎日、おなじように、午後一一時一一分まで、入試だろうがなんだろうが絶対に気違い的な意地で、気違いヘビメタ騒音を鳴らす他人……だけど「うちのひと」がいるという状態がわからない。そういうことが続いた場合のからだの状態がわからない。そりゃ、聞けば『五〇〇〇日以上鳴ってたんだな』ということがわかるけど、それは、文章を理解しただけで、実際に五〇〇〇日以上おなじように鳴らされたわけじゃない。この違いがでかい。でかすぎる。本当に俺にとって、絶対的に重要で、一日中静かにしてほしかったときだって、一日中鳴ってたんだぞ。その時の、俺の気持ちがわかるか。俺にとって重要な日、十何時間も、気違いが、横の部屋で、普通のうちでは絶対にあり得ない音鳴らし続けるということの意味がわかるか? 気違いが、横の部屋で、こだわっこだわって、絶対に言うことを聞かないで、ヘビメタを十数時間鳴らし続ける時の、十数時間の俺の気持ちがわかるか?? 『横の部屋』だから問題なんだよ。いっしょの家に住んでいる『兄』だから問題なんだよ。本当に『家族』だから問題なんだよ。他人だったらどれだけ簡単な問題か。それだけじゃない。気違い親父が「おおや」ではなくて、他人が「おおや」だったら、どれだけ簡単な問題化。簡単に片付く問題か。これ、まったく地味で目立たないけど、ものすごくでかい問題だ。問題の質を決定づけてしまうものすごく重要な要素だ。

本当にヘビメタ騒音を一日も体験しなかったやつに、えらそうなことを言われる。そういう人生だ。俺がどれだけズタボロになりながら、ヘビメタ騒音に耐えてがんばってきたか。そういうことを、無視して「ちょっとがんばればそんなのはなんでもない」というようなことを言いやがる。こんなのがゆるされていいのか? ゆるされていいわけがないだろ。こういうやつらも、人間の尊厳を台無しにするようなことを、平気で言いやがるな。それで、『人権だ』『スピリチュアリズムだ』と言ってやがる。


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2019年3月30日土曜日

はぁーー、しかし、どうしたもんだ


本当どうすればいいのやら。やらやら。
とりあえず、紅茶を飲んで落ちつくことにした。
紅茶、うめーー。うまい。
にがさがいいんだよな。はぁーー、しかし、どうしたもんだ。

2019年3月29日金曜日

ああっ、図書館に行ってきたよ

どうすればよいのだろうか。

ああっ、図書館に行ってきたよ。
そして、帰りにビックマックのセットを食べた。
うまかったよ。マックの店内には中学生や高校生が多かったな。
友達ときているやつもひとりできているやつも、みんな、スマホやノートパソコンをいじっていた。グループできている女の子たちは、話をしていたな。俺は普段、パソコンのモニターを見っぱなしだから、そとに出たときは一切合切そういうものは見ない。まあ、持ってないのだけどね。どうするかな? スマホは買うかもしれない。マップが欲しい。必要になるかもしれない。

けど、目を休めるために、たとえばマックの店内などでは見ないと思う。モニターの見すぎで目が悪くなったよ。本当に、何万時間見ているんだろう? もっとかな十数万時間?

まあ、いいや。

マックの窓から外を見ながら、俺が考えていたことは、あそこに行ったなぁ……とか……一三歳の頃、ダイヤとあそこに行ってあそんでたな……とか……あそこの喫茶店で二〇歳の頃ダイヤといろいろなことを話したなぁ……とか、あのビルに入っていたパソコンスクールでマイクロソフトオフィシャルトレーナーの講習を受けたなとか……そういうこと。あのビルに入っていたパソコンスクールはなくなっていた。少なくても看板を見る限りではそうだ。ぼくはパソコンスクールに習に行ったことはない。全部、試験のために行っただけだ。

マックは、四階まで客席があるところで、いつも四階に行く。いや、三階のときもあるかな。二階のときもあるような気がする。ともかく、すいているところを求めてあがっていくわけ。けど、四階が思ったよりあいてなくても、さがったりはしないで、四階で食べる。

実は、別のマクドナルドの方がいろいろと思い出がつまっている? 二〇歳の頃はかならず、別のマクドナルドで食べていた。そこのマクドナルドは、家族で行った最初のマクドナルドで、めずらしくお母さんも外出して、ハンバーガーなるものを食べていた。たぶん、お母さんがハンバーガーをマックで食べたのはあれが最初で最後だと思う。

あの頃は、まだ、オレンジ味のマックシェイクがあった。あれが好きなんだけどな。記憶違いかな。ダイダイ色のやつ。

まあ、ともかく、……。実は、ヘビメタ騒音の思い出で、つぶれていた。「わかいやつらはいいな」などと考えていた。全部けっきょく、ヘビメタ騒音でだめになってしまった……思い出だからな。


   *   *   *

いまごろ、静かになってもおそいよ。遅すぎる。
どうして、毎日、ヘッドホンをして聴いてくれなかったんだ。
鳴らすときは、ヘッドホンをして聴いてくれればそれですんだんだぞ。
開放式の軽いヘッドホンだってあったんだぞ。耳の近くでは、爆音で聴くこともできたんだぞ。それを……、密閉式のヘッドホンにこだわって、頭が重たくなるから嫌だとか言って、一五年間で一〇分間ぐらいしかヘッドホンをしなかった。中間テスト中、期末テスト中、入学試験前だって、一日に一分もヘッドホンをしてくれなかった。それが気違い兄貴だ。それで、『しずかにしてやった』『ゆずってやった』と言っているのが気違い兄貴だ。こんなのが、フルに一四年間数ヶ月続いていいわけがないだろ。

どんだけ……。そりゃ、終わっているよ。
ヘンなことにこだわりまくって……。
音の良さ、音のデカさにこだわってこだわって、絶対にゆずってくれなかったのが気違い兄貴だ。けど、「ゆずってやらなかった」という認識がない。気持ちがない。本人は「ゆずってやった」つもりだ。そういう卑怯なことを毎日、気がつかずに、実行するのが気違い兄貴だ。

そんなんでいいわけがないだろ。
ヘビメタじゃなくて、別の音を兄貴のヘビメタ騒音の音で鳴らしてみろ。一〇分間だって、たえられない。気違い兄貴にしても一〇分間聴くことができない。そういう音だ。そういう音で、常にヘビメタを鳴らしていた。……こういうことが、他の人にはわからない。

毎日やっていた」と言ったら、文字通り、『毎日やってた』んだよ。どうしてそれがわからない。『そんな音でずっと鳴らしていたら、親がなんとかする』……そんなんじゃないからこまっているんだろ。『親がなんとかするはずなのに、しなかった。だから、エイリさんが言っていることは嘘だ』と言うやつだっていたんだぞ。気違い兄貴が、気違い的な感覚で人が言うことを無視して、頑固に鳴らしていたから、俺がそんなことを言われるんだぞ。

やられた人が、他の人から、悪く言われるようになっている



どうするかな?
1)近くのストアに歩いて買い物に行く
2)図書館の本をとりに行って、帰りに買い物をする(自転車で行く)

どっちにするべきか?
本を借りることはないと思っていたけど、借りてしまった。どうして借りることはないと思ったかというと、とりに行くのがものすごくめんどうくさいからである。とりに行くのが負担で負担で、借りたくなかった。けど、昨日はちょっと、気持ちがゆるんで借りてしまった。「できるかな」と思ったのだ。ゆっくり(自転車を)こいで、風景を楽しみながら行くのもいいなどと考えてしまったのだ。「ひさびさに、そういうことでもやってみようかな」と思ってしまったのだ。けど、実際に借りに行くとなると、やはり、めんどうだ。

で、どうするかまよっているわけ。

昨日は、だいぶがんばってティッシュペーパーを買ってきたわけ。だから、けっこうつかれてはいる。まあ、昨日は医療ソーシャルワーカーの人と話をしてきたのだけど、本当に自分の付き合いがなくなってしまったなと思ったりもするわけ。ヘビメタ騒音でめちゃくちゃだよ。どうしても、ぼく以外の人とはヘビメタ騒音をめぐってあらそいになる……。俺は「もう、いい」という気分になる。

まあ、話しは長くなるのでやめるが、どうしようかな?
図書館に行く道は俺にとって、そんなにいい道ではない。ヘビメタ騒音の思い出がつまっているからだ。図書館に行く道は、途中まではやなぎ荘に行く道でもあるわけ。なので、やはり、あそこらへんは……あそこらへんもヘビメタ騒音のさみしい雰囲気、ヘビメタ騒音の不安な雰囲気、ヘビメタ騒音の腹立たしい雰囲気でいっぱいだ。

もう、ほんとう、俺は地縛霊のようだ。ヘビメタでほんとうにまるまるしたくなるほど、くるしかった。つらかった。毎日、毎時間毎分毎秒そうだった。そういう人生だった。そういう生活だった。気違い兄貴は、どれだけ言われても、なにもしてないつもりで鳴らして、なにもしてないつもりで暮らしているんだからな。俺は、Fちゃんにヘビメタ騒音のようなひどいとはしてない。しかし、ほんとう、気違い兄貴め、どれだけ言われても、気がつかないんだからな。普通なら、兄貴のヘビメタ騒音が……あの音がデカイ音だということは、言われなくたって普通に認識することなんだぞ。けど、気違い兄貴は、何十万回言われても、『デカイ音だ』ということを認めない。で、ひまさえあれば……というよりも、家にいればかならず、でかい音で鳴らす。かならず、デカイ音なんだよ。半分の時間は小さな音で鳴らすなんてことは絶対にない。あの気違いヘビメタの連続が、ぼくの神経をぶった切った。普通に考えて、あの音のデカさが、わからないというのはおかしい。耳がおかしくないのに、あの音がものすごくデカイ音だと言うことがわからないということは、おかしい。ない。まあ、ヘビメタ騒音の音がでかすぎて、ヘビメタ難聴になってしまったわけだから、聴力は落ちたわけだけど……。それでも、鳴らし始めの時に……あの音がデカイ音だと思えないというのは、やはり、普通に耳が聞こえるのであれば……普通の聴力を持っているのであれば、明らかにおかしい。そういうおかしさが、他の人にはわからないんだよ。兄貴のそういうおかしさ、が、他の人にはわからない。それは、親父のおかしさが他の人にはわからないのとおなじだ。もう、何回も言っているのだけど、やられた人が、他の人から、悪く言われるようになっている。他の人は、そういうおかしさがない……お兄さんは普通の人だという前提でものを言うからな。それは、お父さんは、普通の人だという前提でものを言うのとおなじだ。けど、そうなると、やられた人が軽蔑され、悪く言われることになるんだよ。やられた人の能力を、他の人が不当に低く見積もるようになるんだよ。そりゃ、前提が違うから、やられた人の能力を不当に低く見積もることで、矛盾を解決しなければならないからね。

2019年3月28日木曜日

きゅーっとした思い


かなり鬱だ。行きたくない。
あーーあ。
この朝の雰囲気。
爆発する。俺のこころが爆発する。
この時間にまるまるまるに行くというのは、かなりきつい。ヘビメタ騒音のことを強烈に思い出してしまう。
どーしてもくるしいな。
俺は本当に、「ヘビメタ騒音の朝」が一〇〇日ぐらいつもったところで人生が終わっている。だれもわかってくれない。わかるわけないか。

けど、くるしい。

まるまるAとまるまるBは俺にとってトラウマ地帯だ。強烈に憂鬱になる。あの道を通っているとまるまるそうになる。もちろん、心理的なまるまるだ。まあ、くるしいというのはまるまるでないのだろう。けど、つらい。あのときの「きゅーっとした思い」なんてだれもわからないのだから、俺がどういう気分であの道、通っているかなんてわかるわけがない。

まるまるAとまるまるBがヘビメタ騒音でトラウマ地帯になっているのがけっこうでかい。本当にくるしい。
病院にいる親父よりも俺の方がやばい。
これ、ほんとう、どういう気分になると思っているんだよ? ヘビメタが本当にくるしかった。ヘビメタノ日々が本当にくるしかった。あの時間の連続はない。あの気分の連続はない。「ちがう」って言っているだろ。ちがうんだよ。普通の騒音じゃない。ちょっと我慢していれば終わってくれる騒音じゃない。気違いの騒音だからな。

あれだけデカイ音で鳴らしている時、デカイ音で鳴らしているつもりがないんだからな。こんなの気違いとしか言いようがない。ともかく、あたりまえのこととして、あたりまえのようにやったんだよ。空気を吸うように、あたりまえのこととして、家にいればかならず、その時間、鳴らした。本人はまったく悪いことをしているつもりなんてないんだからな。どれだけ言ったって、ぜんぜん悪いことをしているつと思わずにやりきる。入学試験一ヶ月前からもめてもめて、それで、その一ヶ月間、土日も含めて一日もゆずらないで鳴らし続けて、まるで、俺の入試の邪魔をしていると思わない人間なんだからな。そういうところが、親父そっくりだよ。兄貴は親父そっくり。
一ヶ月前というか、三ヶ月前から、入試が近いから静かにしてくれとズッと言ってたのに……。いや、もう、気違い兄貴がヘビメタを鳴らし始めたときから、ズッと毎日言っているんだぞ。

高校一年生の時の担任と、高校三年生の時の担任がおなじ人なんだけど、「まだ、そんなことを言っているのか』と言われたよ。「まだ、ヘビメタ騒音のことで悩んでいるのか」と言われた。そりゃ、三年もたっていれば、どうにかなっていると思うよな。解決していると思うよな。けど、三年間毎日ズッとやられた。一日も解決してない。一日のなかでは、一分も解決してない。気違い兄貴がやりたい時間は、気違い兄貴ががめてやるということに「なっていた」。気違い兄貴は、俺がどれだけ『こまるからやめてくれ』と言っても、まるで気にしないで鳴らし続けた。それで、「やったつもりがない」んだよ。『こまらせたつもりが』まったくない。『こまらせたつもりがなければ』どれだやってたって、やったことになってないんだよ。これをやり始めたのは親父だけど、うちでは、うちでは毎日そうなんだよ。気違いが意地を通して、気違いらしいことを、ズッとやり続ける。で、当の気違い本人は、まったくシランプリだ。「やっているつもりがない」。なら、『やめてくれ』と言えば『やめてくれるのか』というと、それもないんだよな。絶対の意地で、自然にやり続ける。
気違いにとっては、一秒だってゆずれないことなのである。そして、あたりまえのことなのである。あたりまえのようにずっと、そのままなんだよ。あたりまえのように、ズッとやりづける。けど、「つもりがない」んだよ。

迷惑行為をしているつもりなんて、さらさらないよ。それは、言われなかったからわからないのではなくて、何万回言われたって、わからないんだよ。言われたら、腹を立てて、真っ赤な顔をしてこだわってこだわって、絶対の意地でやりきる。やっているのに、まったく、やったつもりがないんだよな。自然にそうなっている。


2019年3月27日水曜日

不名誉


なんか知らんが、いろいろとヘビメタでくるしい。これ、だれにもわからないんだよな。俺以外のだれにもわからない悩みだ。体感だ。からだの感じだ。この世の雰囲気だ。ヘビメタ騒音でくるしい。どうして、わからない? ヘビメタ騒音でくるしいと言っているだろ。

どうしてもくるしい。どれだ時間がたっても、くるしさがかわらない。どうしても、くるしい。「どうしても、くるしい」というと、『自己責任だ』『どうすることもできなかったなら、おまえが悪い』という返事が返ってくる。『どれだけやられたって、どうにかしなきゃダメだろ』という返事が返ってくる。気違い野郎。まるまるまるまるまるまる。

本当にどれだけ、ぼくの世界が変わってしまったか。気違い兄貴が、ヘビメタに興味を持ったおかけで、どれだけの世界が変わってしまったか。そりゃ、俺の世界なのだから、他の人には関係がない。関係があるとしたら、『愚痴を言われるのはたまらん』というような関係だろう。それも含めて、全部違ってしまった。本当に経験していることが違うんだよな。ヘビメタノ量が、並みじゃない。普通の、『ヘビメタ騒音を経験しなかった人』とはまったく違う。普通の、『ヘビメタ騒音を経験しなかった人』とはまったくちがう世界で生きている。普通の、『ヘビメタ騒音を経験しなかった人』とはまったく違った基準で生きている。他の人にはわからない。

これも、言えば、『自分だけ苦労していると思っているのか』『俺だって、つらいことがあった(それでもがんばってやっている)』というような返事が返ってくるんだろ。(まるまるまる)。ぜんぜん違う。隣の部屋に住んでいる家族によってもたらされたことだということが違う。そして、気違い的な意地で、あれだけ長い期間毎日、気違い的な音でヘビメタを鳴らし続けたのは気違い兄貴だけだという違いがある。これ、本当に、基準がずれている。

がんばる力も毎日毎日、毎秒毎秒、吸い取られるのが、ヘビメタ騒音だ。それから、「ふつうのいえ」で暮らした人は、本当にヘビメタ騒音の大きさがわからない。音の大きさがわからない。そういうデカイ音にずっと一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間されたときのからだの状態がわからない。精神の状態がわからない。日曜、祭日、夏休み期間、冬休み期間、春休み期間に限られるけど、八時間、九時間、一〇時間、一一時間、一二時間、一三時間、一四時間さらされたときのからだの状態がわからない。精神の状態がわからない。際限なくそういう毎日が続いていいはずがないだろ。

普通の騒音レベルの音が一時間ぐらいなっているぐらいにしか考えない人たちがいる。こいつらは、なにを聞いているんだ? 俺が言っていることを無視するな? 自分の感覚で置き換えるな。教師とか社長とかやっているやつらは、八割ぐらいのやつが誤解する。『そんな音じゃない』って言っているだろ。『ちょっとした騒音』じゃないんだよ。勉強する環境に恵まれた家の人は、まったくわからないんだよな。『テレビの音がうるさい』とか『フォークギターの音がうるさい』とかそういうレベルじゃないと言っているだろ。

だれも、気違い兄貴の意地がわからない。気違い兄貴の気違い的な部分がわからない。本当にどれだけ言われても、なにもやってないつもりなんだぞ。言われたときだけ怒って、あとはもう、まったくなにもしてないつもりなんだぞ。自分の意地は絶対に通しているのに、自分の意地を通しているということを、絶対の意地で認めない。認めてないということも、認めない。無視する。それは、親父がやり始めたことなんだけど、本当に、兄貴がコピーしてまったくおなじ態度でやりやがる。こんなの、普通の人にわかるわけがない。普通の人が住んできた「いえ」とはまったく違うからな。基準が違うんだ基準が。そもそもの基準が違う。だから俺が、誤解を受けるんだぞ。俺が、高校の物理をどれだけ楽しみにしていたと思っているんだ。本当に、全部、ヘビメタ騒音でくずれていく。ヘビメタ騒音のなかで、ヘビメタ騒音によって生じた亀裂を修復していくことができない。鳴りやまないからな。毎日毎日、鳴りやまない。やっているやつは、やってないつもりでいる。気違い的な意地でズッとやっているやつが、気違い的な意地でやっていることを否定する。ズッとやってないと思っている。気違い兄貴は気違い親父とおなじ。気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で否定する。それで、否定したら、もう、自分のなかでは終わっているんだよ。それは、自分がやりたいことをやっているときに、他人から「やるな」と言われたときの態度とおなじなんだよ。自分がやりたいことをやっているときに、他人から「やるな」と言われたときの気持ちとおなじなんだよ。だからズッと気がつかない。

2019年3月26日火曜日

気違いの音がガンガン鳴っている家に近づくこと

やっぱり、ヘビメタでくるしい。いま、ゴミを出しに行ったんだけど、ゴミを出しに行くと、当然、ゴミを出したあと、こっちに帰ってくることになる。その場合、ヘビメタ騒音が鳴っている家に、近づくことを思い出してしまう。徒歩で、ヘビメタ騒音がガンガン鳴っている家に、近づくこと……を思い出してしまう。それは、何千日もそうだったわけ。そりゃ、学校から帰ってくるときは、最終的に家の前の道を通らなければならず、家の前の道は、むかしもいまも、ほとんどかわってないから。もちろん、道路を舗装したり、まわりの家も当時の家ではない。だから、かわったと言えばかわったと言える。しかし、そうじゃない。うちは建てかえをしてないし、見える風景もだいたいおなじだ。

ともかく、くるしい。あれ、入試から帰ってきたときのことを思い出してしまう。学校から帰ってきたときのことを思い出してしまう。俺にとって、『気違いの音がガンガン鳴っている家に近づくこと』がどれだけくるしいことか! なんか、本当に、悪臭をはなっているところに、近づくような感じなんだよね。ものすごくいやな場所に近づく気持ちだ。猛烈に、いやな場所に近づく感じ……徒歩で……これが、どれだけくるしいことか。で、ドアを開ければ、気違いヘビメタが雪崩のようにふってくる。あれ、本当に、ドア一枚でどれだけ違うか? ともかく、くるしい。家の前の道を、家に近づく方向で歩いているとき、ぼくは崩壊的な気持ちになる。破滅的な気持ちになる。学校から帰ってきたときや、入試から帰ってきたときのことを、一気に思い出してしまう。数千回、の、記憶。どうしたって、雰囲気として思い出してしまう。「じぶんち」に帰ることが、どれだけくるしいことか……。こんなのない。

あれ、ほんとうにない。
みんな、わかってない。
どれだけひどいことか、みんなわかってない。
『ヘビメタ騒音? そんなの関係ない』と言ったやつをまるまるしてやりたい。

おれがそういう感情を持ってしまうということだって、ヘビメタ騒音がなければなかったことなんだぞ。気違い兄貴が、気違い兄貴の感覚で、気違い的にこだわってこだわって、気違い的なデカイ音で鳴らさなかったら……十年何年間も鳴らし続けなければ……毎日、十年何年間も鳴らし続けなければ……なかったことなんだぞ。気違い兄貴のこだわりが他の人にはわからない。一日のヘビメタ騒音の『総量』が他の人にはわからない。一分間ヘビメタがずっと鳴っているということのつらさが、他の人にはまったくわからない。一分間だけでも、相当につらい。相当にこたえる。どれだけ無視していても、一分間、鳴っていれば、一分間のの毒素がからだに送り込まれる。強烈ストレスを感じて、さまざまなストレス障害の症状が出てくる。ヘビメタ騒音の毒素量が決まっていると思う。一分間やられた場合の、ストレス量がだいたい決まっているように思う。それは、なんて言うのかな、ある種の毒に対する反応とおなじだと思う。人によって、毒に対する感受性?が違う。けど、だいたいおなじなんだよ。特別な人がいるけど、特別な人以外は、だいたいおなじところにおさまる。ヘビメタ騒音のストレス量というのは、本当は、特別な人を抜かしてだいたいおなじだと思う。ただ、他の人は、となりに気違い兄貴がいなかったから、経験してないだけだ。これ、本当におなじ経験をしたら同じような症状が出ると思う。それは、毒の摂取量?とだいたいおなじ傾向を示すと思う。

やられておいて、平気と言うことはないんだよ。そりゃ、好きで鳴らしている兄貴は別だけどな。騒音というのは、自分で制御できない音なんだよ。音の大きさは関係があるけど、音の大きさが、騒音かどうかを決めるわけじゃない。騒音というのは、人が感じるものなんだよ。不快だと思った音を制御できないというところが、騒音の騒音たるゆえんだ。とある音が、騒音であるか騒音でないかを決める一番重要な部分だ。制御できないヘビメタ騒音なら、だいたい、他の人もおなじ症状が出ると思う。他の人は、経験してないからわかってないだけ。「そんなことになるなのかな?」と思ってしまうわけだ。あとは常識にしたがって「でも、ちゃんと働かなきゃだめじゃないか」「でも、遅刻しちゃダメじゃないか」と思う。これは、ヘビメタ騒音の影響を過小評価している。けど、本人は、経験してないからわからない。常識にしたがって言っていることだから自分が間違っているとは思わない。自分が間違っていることを言っているとは思わない。前提が違うからな。

ヘビメタ騒音の影響を過小評価する人は、俺にかんして、必然的に誤解するようになっている。そういう構造。そういう状態。これだって、気違い兄貴が、気違い兄貴の構造で、まったく気にしないで、こだわってこだわって、普通の人じゃあり得ないほど夢中になって、ヘビメタを頑固に、デカイ音で慣らしたからそうなっているんだぞ。おなじなんだよな。気違い親父が、ハンダゴテのことで示した態度と、気違い兄貴が、ヘビメタのことで示した態度がおなじ。そして、「まわりのひとのはんだん」というのが、おなじなんだよな。まわりの人というのは、そんなに頑固になって、間違っていることを主張するはずがないと思っている。あるいは、やっているならやっているで、やっているつもりがあるはずだと思っている。けど、そうじゃない。夢中になってやっている本人は、やっているつもりがない。外から見て、そのように記述されることをやっているつもりはないのだ。兄貴なら、気違い的なデカイ音で鳴らしているということが、わかってない。本当は、デカイ音で鳴らしているのにデカイ音で鳴らしているというつもりがない。親父だって本当なら、「ひとめみればわかること」を理解してないというつもりがない。絶対の意地で理解してやらないけど、絶対の意地で理解してやらないつもりでそうなっているわけではなくて、もっと根本的なところでそうなっているから、客観的な自我の姿が本人にはわからない。つもりがなければ、本人にとっては、やってないことなんだよ。どれだけ、気違い的な意地でやってやってようが、やってないことなんだよ。主観的には……。で、そういう人がいないと思っている『まわりの人』は、必然的に誤解する。やられた人の話を聴いて、必然的に誤解する。そりゃそうだろう。前提が違うのだから……。他の人が信じられないような態度でやると、やられた人が、他の人から誤解、される、構造が成り立っている。

頭がおかしいやつが、やりきると、「おしだされてしまう」。頭がおかしいやつのやり方というのが本当にきたない。どうしてかというと、「やってないつもり」でやりきるからだ。やったのに、「やった」ということを認めない。それは、現在進行形でそうだし、過去のことになったら、なおさらそうなんだよ。そういう人がいるということがわかってない人たちは、そういう構造を持っている人にやられた人のことを、誤解する。そういう人たちににとっては「そんなのはないからない」なのだ。あるからこまっているんだろ。まあ、「あったとしても、影響を受けなきゃいい」というような偽善的なまよいごとを言う人たちもいるけどな。そういうこともある」という前提に立って、「そういうことがあったばあいのえいきょう」について考えなきゃいけないのに、まるで気違いのように、そういう影響を「ないもの」として考える。

2019年3月24日日曜日

興味というのはわりと複雑だ


俺はよくがんばっているよなぁ~~
普通だったらもうとっくにつぶれているはずだ。
よく、がんばったなぁ

ちょっと、横になって、ちょっと楽しいことでも考えるよ。もちろん、現実可能な楽しいことだ。しかし、ぼくの「興味力」がさがっている。たとえば、一〇年前の「興味力」を一〇だとすると、いまの「興味力」は一だ。
興味というのはわりと複雑だ。自分の意志で「きょうみをもとう」と思ってもだめなのである。ごく自然に「きょうみがあること」しか「きょうみがもてない」。ぼくの場合はそうなんだ。もちろん、食わず嫌いというのはあるだろう。けど、ぼくの場合は、なぜか知らないけど最初から興味があるものには興味があるし、最初から興味がないものにかんしては興味がない。むりやり興味をもとうと思っても、そんなに続かない。自然にわいてくる「しりたい」と思う気持ちや「やってみたい」と思う気持ち以外、あんまり、続かない。

その「興味力」もちょっとさがってきたんだなぁ。

そういうことを言った人だって、俺とおなじ頻度で遅刻するようになる


ジュースを買いに行くかどうかまよう。
どうするかな? 飲み過ぎになっているからひかえるべきなのだが……。

「普通に楽しい」とかないんだよな。
ヘビメタ騒音のせいで「普通に楽しい」時間はない。
どうしてもない。あれからずっと、何十年間も毎日、つらいだけの日々だ。ヘビメタ騒音で出口をふさがれて、ずっとくるしい。なにをやっていてもくるしい。ヘビメタ騒音に汚染されたからだで動いているのはつらい。ヘビメタ騒音に汚染されたからだは、いつでもつらい。

「楽しい」というのがほんとうになくなってしまった。すべてが苦行。すべてがすべて、「できればやりたくないこと」だ。楽しいというのがないんだよな。とてつもなくくるしいし、不安でブラブラしている。このブラブラというのは、こころのふるえ。ブラブラ歩いて、楽しんでいるわけじゃない。こころが、不安でぶらぶら。振動している。激しく振動している。ヘビメタでいつでも、一触即発だ。ヘビメタ騒音とは関係ない人とでもそうなる。だって、こっちは、ヘビメタ騒音にやられて、ぼろぼろなんだから。こころが不安でブラブラなんだから。いやなテンションの高さというのがある。

ヘビメタ騒音で失敗していると、「年下先輩」とかいやな問題が発生しやすくなるんだよ。「そんなの、自業自得」とか言う人が出てくるとは思うけど、ヘビメタ騒音は自業自得じゃない。まあ、「すべては自己責任」とか言いやがるかいられないけど。……これ、言うとまた敵ができてしまうけど、「すべては自己責任」と普段から人に言っているような人は、おそろしくあまい。自分でわからないのかね? そいつに責任があることも、人のせいにして怒っているようなやつらばかりだ。自分で進路を決めたのに、親に対して、「どうして、『その進路じゃダメだ』と言ってくれなかったのか?」と言うようなやつばかりだ。それで、『すべては自己責任』とか、わらえる。人に対して適応している基準と、自分に対して適応している基準が違うんだよね。そして、本人はその違いにまったく無頓着だ。「すべては自己責任」と自分に言っている人、そうじゃないんだろうけど、「すべては自己責任」と他人に対して言っていいるやつは、そういうところがある。これは、ひとりだけじゃなくて、他人に対してその言葉を投げかける人は、ほぼすべて、そういう人だ。人に対して適応している基準と自分たいして適応している基準が大きく違う人であって、なおかつ、その基準の違いに本人が気がつかない人だ。
まあ、そういうのはいいとして……。……いや、ともかく、他の人はヘビメタ騒音を俺とおなじように経験してないのだから、ずるい。それで、その立場から、説教をするのはずるいぞ。あるいは、まったく無意味なアドバイスをするのはずるい。それはけっきょく、『自分はまったくやられなかった』という立場から、あれやこれやと言うわけだから……。ずっと毎日、気違い的な家族である他者が、わけのわからない気違い的な基準で、騒音を鳴らし続けるということがなかったひとには、まったくわからない日常の感覚がある。この日常の感覚……日常の疲労感、日常の破滅感……。そりゃ、他人だからわからないよな。他の個体だからわからないよな。やられてないやつが、『そんなの関係ない』とか『もうなってないだったら関係がない』とか言いやがると、本当に腹が立つんだよ。けど、そういう人だって、もし、ヘビメタ騒音が実際になかったら、そういうことを、俺に言わないわけだよ。実際に一五年間毎日ヘビメタ騒音をやられたから、そういうことを言われる。「『起きられない』『通勤ができない』『通学もできない』と言えば、『そんなのはあまい』『できないというカラできないんだ』なんて、言われる。けど、そういうことを言う人は本人の中の常識と『ヘビメタ騒音』見積もり量でものを言っているにすぎない。そして、絶対的な事実として俺とおなじヘビメタ騒音を俺とおなじ時間、経験してない。経験してないから、ヘビメタ騒音のことがわかってない。小学六年生の時から『ヘビメタ騒音で起きられない』と言えば『そんなのはあまい』と言われてきたわけだからな。けど、そういうことを言う人は、うちに帰ったら、気違い家族が、気違い的なけたたましい音でヘビメタを絶対の意地で鳴らしているわけじゃないんだよ。そんなのが毎日毎日続いてるわけでもないんだよ。きたないじゃないか。『家族で話し合えばいい』『お兄さんにやめてと言えばいい』こういうレベルの反応だ。本当に俺がどれだけそういうことでバカにされてきたか? 『お兄さんにやめてと言えばいい』と言っている人は『お兄さんにやめて』とひとこと言えばお兄さんはやめてくれるという前提でものを言っているんだよ。どれだけ、俺の現実を無視しているか? 気違い兄貴の現実を無視しているか? そういうふうに現実を無視して、勝手なことを言うな!!ヘビメタ騒音がつらい』『ヘビメタ騒音で通勤できない』と言えば『俺だって、つらいことはある』『俺だってつらいことを経験した』と言う……人もいる。けど、その人は、ヘビメタ騒音を俺とおなじぶんだけ経験してない。俺とおなじ期間、経験してない。なので、その人が考えているヘビメタ騒音影響と実際のヘビメタ騒音の影響がちがうということが言える。これは、完全に言える。なので、その人は、実際のヘビメタ騒音の影響についてまったく知らないままものごとを判断し、ものごとを語っているということになる。そいつが考えるヘビメタ騒音影響と実際のヘビメタ騒音の影響が違いすぎるのだから話にならない。で、言っておくけど、こういう不愉快な交流だって、ヘビメタ騒音が実際に鳴らなかったら起こらなかったことなんだよ。気違い兄貴が、ヘビメタをあの音のデカさで鳴らすことにこだわりつくしてならしていなければ、起こらなかったことなんだよ。『俺が』『兄貴に』……「ヘビメタ騒音を鳴らさないでくれ」とひとこと言ったら、兄貴がヘビメタ騒音を鳴らさないようになったという現実あったなら、その人たちが言っていることは正しいけど、現実はそうではなかった。なのでその人たちが言っていることは正しくない。
小学六年生の時からわかっていることを言われる。たとえば、どれだけ騒音が鳴っていたとしても遅刻してはいけない……というルール(規範)があるとする。で、俺は、板挟みになる。実際にやられると、どうしても、遅刻してしまうからだ。毎日ずっと午後一一時一一分ぐらいまで、あの音を浴びせられ続けるということは、そういうことだ。どれだけ、努力しても、遅刻するようになる。どーしても、起きられないようになる。これがわかってないのである。自分のからだでこういうことがわかってないやつが……要するに、連続的に毎日ずっとやられたことがないやつが……勝手な想像でものごとを言う。頭にくる。頭にくる。で、そいつらは、正義だと思っている。そいつらは、常識的に正しいと思っている。自分の発言が正しいと思っている。遅刻するやつが悪いと思っている。頭にくる。『気違い兄貴の』『気違い的なヘビメタ騒音』というファクターを認めない。だれだって……俺と同じような経験を毎日すれば、そうなるのに、からだでわかってないんだよ。からだでわかってないだけなんだよ。実際におなじ経験をすれば六ヶ月ぐらいで絶対にそいつにもわかることなのに、六ヶ月間そういう経験をすることがその人の人生の中でなかったからわからない。そして、その人のなかであった『ちょっとした騒音』をもとにヘビメタ騒音のことを……兄の気違い兄貴の、あのヘビメタ騒音のことを類推して……ものを言う。で、それは、間違っている。大きく間違っている。本当に一〇〇人中一〇〇人が、俺とおなじ状態になる。どうしても、遅刻してしまう状態になる。俺とおなじ部屋で暮らしていて、俺とおなじ騒音を俺とおなじ時間の長さ、毎日毎日浴びるということを経験すれば、そういうことを言った人だって、俺とおなじ頻度で遅刻するようになる。一〇年間毎日続いたら、『通勤ができなくなる』。どうしてもできなくなる。その時、ほかの、一〇年間そういうことを経験してない人から『通勤ができないなんて甘えている』『俺だってつらいことがあるけど通勤してがんばっている』などと言われることになるだろう。ひとり対(全体マイナスひとり)だからな。これ!! あまりにも特殊すぎる。気違い兄貴の思考回路が特殊すぎる。気違い親父とおなじだからな。あれ、本当に、「つもりがないまま」なんだよな。どれだけ言われても、言われたときだけ怒って、それでおしまいなんだよな。まるで結びついてないんだよな。『自分の行為』と『相手が言ってきたこと』がまるで結びついてない。気違い兄貴の頭の中でまるで結びつかない。だから、自分に関係があることだとは思えない。けど、まったく理解してないかというとそうではなくて、『怒った』時点では、理解している。そりゃ、怒って反応した以上は、相手が言っていることを理解していると考えるしかない。けど、普通の意味では、理解してない状態とおなじなんだよ。そりゃ、怒ったあとは、まったく無視して、まったく言われなかったという気持ちで、鳴らし続ける。気持ちと書いたけど『認識』でもいい。

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2019年3月23日土曜日

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美少女でもおなじだ


受け取り終了。
これであとは工事をまつのみ。

三〇%ぐらい眠たい感じがする。
いま、どこかに行くとしたらけっこうきついなぁ。
ものすごい美少女と会って話しをするというイベントがあるとして、楽しい気分で行けるかというと、そうではないんだよな。ヘビメタ騒音の不安がある。あのときとおなじなんだよな。あのときとおなじなんだよな。
ヘビメタ騒音でくるしかったとき、親友や友達といても、精神的につらかった。美少女でもおなじだ。
さらに、美少女の場合どうしても格好をつけたくなるだろう。その場合、ヘビメタ騒音にやられて、ボロボロになっている自分の姿は見せたくないという気持ちになってしまうのである。で、実際にヘビメタ騒音にやられている俺は、ボロボロで、それが、真の姿だった。本当にくるしい。ヘビメタという外部の人にはまったくわからない理由で、あるいは、出来事で、人知れずボロボロになっているという状態がものすごく、自分でもいやだった。けど、鳴らされると、不可避的にそうならざるを得ないわけで、鳴らされているにもかかわらず、あたかも鳴らされていない状態で暮らすということはできなかった。で、他の人がいっている「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは、ヘビメタ騒音を鳴らされていない状態の話しなんだよ。ヘビメタ騒音を鳴らされていない状態なら成り立つ話しなんだよ。だから、ヘビメタ騒音が鳴っている場合は、成り立たない。けど、アドバイスをする人は、そんなことは、関係がないと思っている。で、アドバイスをする人は、例外なく、ヘビメタ騒音を体験してない。俺とおなじ状態でヘビメタ騒音を鳴らされている状態を経験してない。普通の家じゃ絶対こんなことはあり得ないのである。実際、アドバイスをした人は、だれも、気違い的な家族によるヘビメタ騒音を経験してない。

一昨日睡眠がスプリットしたので、どうにもならない

「賭ケグルイ××」はおもしろいけど俺の人生は、おもしろくないなぁ。

なんて、おもしろくない人生だ。



出前一丁を食べた。うまい。

けど、出前一丁は昔のように麺がかたくない方がいい。いまの出前一丁は明らかに麺がかたい。冷凍ほうれん草をたっぷり入れた。ほうれん草を摂取したのでよしとする。



今日は運送屋の人や工事の人を待たなければならず、睡眠が思うようにいかない。



一昨日睡眠がスプリットしたので、どうにもならない。これ、睡眠が人に与える影響がでかすぎる。「もうだめだ」と眠れない頭で数時間、思ったりする。



この、眠りたいのに眠れない時間というのがぼくの場合、長い。たいへん長い。だから、おかしくなっちゃうんだよな。



これで、今日、友達と会う約束があったとしたら、ハッピーかというとそうじゃないんだよね。ここが問題なんだよな。ヘビメタ騒音で全部なくなった。こっち書くことじゃないけど……。



人づきあいが破壊されてしまった。ヘビメタ騒音によって……。

睡眠回路も。



俺の場合、ヘビメタでおかしくなったわけで他のことでおかしくなったわけじゃないんだよ。ここのところが他の人とはぜんぜん違うんだよな。他の人にはわかりにくい話だ。

「そうしてやろうと思って」意識的にやっていることではないからこそ、問題がある

睡眠リズムがボロボロなんだけど、今日は、午前三時ぐらいに起きた。眠ったのはいつだかわからない。たぶん、午後六時ぐらいだと思うけど七時になってたかもしれないし八時になってたかもしれない。

今日は、ATMで振り込みをしなければならないので、セブンイレブンに行った。帰りに安い自動販売機まで歩いて行って、炭酸ジュースとバナナジュースを買った。なんか、オレンジの炭酸飲料が飲みたくて、八〇円で売っているのはそこだけなので、そこで買った。しかも、わざわざ、コの字型に遠回りをした。これは、自動車が多い道をちょっとでもさけるためなのであ~~る。まあ、散歩だからね。わざわざ、遠回りをした。午前五時ぐらいだと、自動車もそんなに多くない。けど、走ってはいる。

ぷらーっと、歩いていると、まるで、夕方のような気分になった。夕方のやなぎ荘の気分なんだよな。あるいはまるまる中央図書館の付近を歩いているような気分になった。朝は、街の感じが夕方っぽい感じになるときがある。まあ、実際には「のどかな夕方」で夕方の方が自動車も歩行者もバイクも多い。

普段、モニターばっかり見ているので、遠くの景色を見ると、目がなんかおかしい感じがする。焦点が合わないような感じといった方が正確か?


ぼくの柳荘時代はヘビメタ騒音時代なので、なんとも言えない破綻した気持ちと、もやもやした気持ちがつきまとう。風景に、雰囲気につきまとう。時間の雰囲気につきまとう。まるまる中央図書館だって、ヘビメタ騒音で汚染された図書館だ。けっこうくるしい。ヘビメタ騒音がその時点で八年間毎日積み重なっていて、自宅浪人だったので、ずっと、ヘビメタ騒音が毎日、積み重なっていた時期だ。くるしい。この、家にいる時間は勉強することができないという破滅感や不安は言いようがない。

気違い兄貴は、気違い親父とおなじだから……頭の作りがまったくおなじだから、どれだけなにを言われても、「言われたときだけ」真っ赤になって怒っておしまいなんだよ。〇・一秒で忘れる。それに、怒っている最中も、「自分がやっていることを邪魔するな」ということで怒っているわけで、「相手がこまる」ということは、いっさいがっさみと認めてないのである。

ともかく、夕方の風景にしろ、朝の風景にしろ、ヘビメタ騒音にまとわりついた、不愉快な感覚がある。不安な感覚がある。気違い兄貴の無視のしかたが親父とおなじなんだけど、無視している以上は、どれだけやったって、やったことになってないというのもおなじだ。

どれだけこだわってこだわって、夢中になってやりきっても、やりきった途端に「やってない」ことになってしまうのである。あるいは、夢中になってやりきっているあいだ、その当の行為をやっている気持ちがなのである。

それは、その当の行為というのが、相手にとっての当の行為だから、相手にとっての当の行為を、一切合切認めなければ……どれだけ「うるさいからやめてくれ」「こまるからやめてくれ」と言われても、相手が「うるさいと思っている」ということと、相手が「自分の騒音でこまっている」ということを認めなければ、(どれだけやたっって)やったことになってないのである。本人のなかでは、現在進行形でやったことになってない。

だから、まるで悪いと思ってないのである。「悪い」と思う気持ちがまったくない。「悪いことをしている」「迷惑をかけている」と思う気持ちがまったくないのだから、どれだけ長時間鳴らしても、まったく悪いと思わない。鳴らしている瞬間瞬間、悪いと思わないわけだから、一日に一四時間やっても……こだわりつくして絶対にゆずらないで一四時間鳴らしても、まったく、悪いと思わないのである。

悪いと思うことに失敗する。

そういう毎日なんだよ。

だから、毎日そういうことをやっても、まったく、つもらない。やっている方にはつもらない。毎日、何十回「こまるからやめてくれ」と言われても、「相手がこまる行為をしているつもりがない」ままずっとやり続ける。

だから、それをあしかけ一五年間毎日続けても、「ぜんぜん」反省しないのである。ぜんぜん「かかわりがある」とは思えない。自分がやった行為だとは思えないのである。

だから、「こういうふうにした」「こういう音で鳴らした」ということを言われると……一五年目、あるいは一六年目に言われると、「鳴らしてない」「そんなんじゃない」と言い出す。

これも、親父がこどもを毎日、きちがい的な理由で虐待していたときとおなじなんだよ。親父だって、毎日毎日、わけがわからないきちがい的な理由で怒りまくっているのに、本人は「まったく」そのつもりがないわけだから。ゼロたすゼロはゼロなんだよ。最中からやっているつもりがないから、一五年間毎日やったって……家にいるときは、本人が眠っている時間と、風呂に入っている時間を除いて……すべての時間やってたとしても……「ぜんぜんやったつもりがない」ということになる。「ぜんぜんやったつもりがない」ということは、本人の主観としては「ぜんぜんやってない」ということと完全にイコールなんだよ。

これは、親父も兄貴もおなじだ。兄貴が親父のコピーなんだよな。兄貴がヘビメタ騒音でやったことは、親父が、いまできちがい的な理由で怒り狂っていたことのコピーなんだよな。やり方がおなじなんだよ。

やりきっちゃえば!都合が悪いことは認めない状態になる。これは、やっている最中に都合が悪いことを認めないというのとおなじだ。兄貴だったら、気違い的にデカい音で鳴らしているということをまず認めない。

「こまるからやめてくれ」と言われたら、頑固にそのまま鳴らしまくるけど、そのまま鳴らしているということを認めないということとおなじだ。鳴らしている時点では、「相手がこまっている」ということと「デカイ音で鳴らしている」ということを無視して認めないのである。それは、言い方を変えれば「不都合なことは認めない」ということなのである。

現実を無視して、認めない。

認めなかったら、本人のなかではやってないことになっている。だから、やっている最中からそうなんだけど、やり終わったら、今度は「そういうふうにしていた」ということが不都合なことになる。だから、「そういうふうにしていた」ということも、命がけで、否定して認めないということになる。で、本人が、怒って!!……これ、やっぱり、まっかな顔をして怒るわけだけど……本人が怒って!!否定したら、もう、それで終わっている。本人のなかではそれで終わっている。

最中も、やり終わったあとも「不都合なことは認めない」。最中も、やり終わったあとも「自分にとって、認めると不都合なことになることは命がけで認めない。で、感情の爆発があって、爆発的に怒ったら、本人のなかでは終わっているのである。そうやって、現実を無視して、「認めたら不都合なこと」をやりきる。だから、どの時点でも反省せずにやりきるということになる。どの時点でも、「やってない」ということになる。本人の主観としてはやってないというとになる。

だから、時間がずれているだけで、やっていることがおなじだということになる。不都合なことは、意地でも認めない。認めてしまったら、自分が損をすることは、気違い的な意地で現実を無視して認めない。そうしてやったことは、やったということを認めない。これは、無意識的な過程で「そうしてやろうと思って」意識的にやっていることではないのである。だから!問題なんだよ!! これ!!

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2019年3月20日水曜日

空がぬけるようにつまらない


つまんない。ほんとうにつまらない。空がぬけるようにつまらない。まあ、自分のサイト(ブログ)だから本当のことを書くよ。本当につまらない。「つまらない」と書くべきではないという考え方もわかる。けど、破滅的につまらない。空がぬけるようにつまらない。

空がぬけるようなつかれを感じる。

もう、どうでもいいや。

つかれた。

これ、本当、普通の人が喜ぶようなことをしても、むだなんだよな。くるしいな。ヘビメタ騒音以降くるしい記憶がぼくを責め続ける。くるしい。他の人にはわからないと思うけど、ともかく、くるしいのだ。

ほんとう、つかれた。

公開用  イベントが発生すると、それで、睡眠時間がずれる

ともかく、つかれた。

2019年03月19日06時30分34秒

これから、風呂に入るつもりだ。今日は、ちょっと外出する。あーあ、書かないけど外出の用が、タノシイコトじゃないわけ。

けど、楽しいことであったとしても、俺は鬱なわけ。ともかく、全体的にやる気が下がっている。なぜか七歳の頃、ある女の子に言った発言が気になっている。というか、これは、説明すると長くなるからやめる。なんかいろいろと反省しちゃっているんだよな。どうして、そんなことを思い出したかというと、普段通らない道を通ったからなんだけど……。どうして、急に思い出すかね? いままで忘れていたのに急に、思い出すんだよな。



ともかく、全体的に生きる気力?が落ちている。



なんかひとつひとつのことがめんどい。けど、ひまだという……。ひまなんだからなんかやればいいのに……と俺も思う。けど、なんか限界なんだよね。限界を感じる。

けど、じゃあ、休んでいればいいのかというと、そうではない。むなしい。だいたい、いまもそうだけど、ぼくの頭は相当に、もやもやしている。普通の人がわかるようにいうと、普通の人が朝起きて、なにもしたくない状態で、本当に目が覚めるまでまっている状態だ。本当に目が覚めるまでは、たぶん、なんかしんどいと思っていて、起きたくないと思っているのではないかと思う。そんな状態が、一日中続いてしまう。



ともかく、全般的に生命力とやる気が落ちている。どうにかしたいのだけど、自分の身の上に発生している、いろいろな用事をこなすだけで精一杯で、他のことに手が回らない。で、まあ、いろいろな用事というのが要するに、・・で、やりたくはないことなんだよね。外出の用事がそんなものだなんて、ぼくは、いやだな。それにしても、時間がたったなぁ。

こどもの頃にもどりたいかというとそうではない。俺は、気違い親父に精神的に虐待されてたからな。暴力はほとんどなかったけど、気違い親父が理不尽なことで怒って、それについて「理不尽だ」ということを言うと、言葉では負けたので、さらに怒って力任せにビンタだからな。そういう親の世話をしているのよ。俺は……。だから、本当に理不尽なことで怒ってたんだよ。だから、理不尽だということを、四歳の俺が、理論的に説明すると、やりこめられたので、怒り狂って、手を出す。



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気違い兄貴が一五年間もガメツク!!気違いヘビメタをデカイ音で鳴らすことにこだわり続けて鳴らさなかったら、ダイヤ君とだって喧嘩してない。そんなことはありえない。気違いヘビメタが鳴っている時間、俺が勉強することができたら、俺はダイヤ君とおなじ高校に行って、ダイヤ君に言い影響を与えていたかもしれないんだぞ。まあ、高校が違うとしても、大学あたりではおなじ大学に入って、ダイヤといっしょに同人誌などをつくったり、ツーリングなどに行って楽しい大学生生活(キャンパスライフというやつ)をおくっていたかもしれないんだぞ。



気違い兄貴が、気違い親父と同じような気違い的な意地で、ヘビメタを(自分が思ったとおりのデカイ音で)すべての時間、鳴らすことに、こだわってこだわってこだわってこだわって、鳴らしたから、俺の中学生活、高校生活、大学生活は、めちゃくちゃになったんだぞ。大学なんて、気違いヘビメタのせいで通えなくなってやめたんだぞ。これ、本当にすべてが限界だったんだよな。限界の上塗りをしているけど、冒頭で書いたとおり、ヘビメタ騒音で睡眠回路が狂って、どうにもならない……どうにもならないこまった状態で起きて動いている。ヘビメタ騒音がずっと鳴っているというような状態で暮らさなければ……毎日毎日暮らさなければ……俺もそのまま普通の生活ができたはずなんだ。いまは、もう、日時を決められると、前の日の午後五時に起きて、そのまま次の日の午前一一時に行くということをしなければならなくなる。で、そうやって、用事を済ませて午後二時に帰ってきたとしよう。その場合、普通なら、眠れるはずなんだけど、気違いヘビメタをやられていたときとおなじように興奮して、眠れなくなる。イベントが発生すると、それで、睡眠時間がずれる。普段だいたい、一時間から、一時間一〇分ぐらいのあいだでずれているのだけど



(このあと、書いたものがふっとんだので、ここで終了)

これ、ATOKのバグで、数字を入力したあと漢数字に変換するとき、深いレベルでだめになるんだよな。九〇%とか入力するときおかしくなる。で、つねにおかしくなるわけじゃなくて、一〇〇回に一回ぐらいの割合でフリーズさせてしまう。



まあ、言いたいことは、イベントが発生すると四〇時間から四四時間ぐらい起きているような状態になってしまうということと、眠ろうとしても頭の一〇%が激しく抵抗して眠れなくなるという話。この、一〇%が抵抗して眠れないという話しと、その時の状態がヘビメタ騒音が鳴り終わったあとの状態とまったく同じだということについては、だいぶ前に書いたので、もう、いいや。けど、IMでフリーズするというのは、問題がある。自動保存をしたところまで、残っていたけど、あとは、だめなわけだから。

IM(インプットメソッド)
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。