2019年11月15日金曜日

自分が本当におれて、自分が本当に我慢してやるということはない


たいしたこと、やってない。
つかれた。横になるとする。
どうするかな?

この雰囲気のまま、クリスマス、年末大晦日、なんだろうな。ほんとうに長期騒音で楽しむ能力をなくした。これ、ほんとうに長い間騒音生活が続いた人じゃないわからないと思うけど、学生時代もそれ以降も、追い詰められて、くるしくなる。人といてもくるしい。なにか、たすかるとか、気持ちいいとか楽しいといった感情がなくなる。だれといてもくるしいということになる。ヘビメタ騒音でくるしい。くるしい。じゃ、だれもいないとせいせいしていいかというと、そういう時間もあるのだけど、そういう時間ですら、けっきょくは、きちがいへびめたにやられているわけだから、くるしい。他の人にはわからない。ヘビメタ騒音で……兄貴が鳴らす、強烈にでかいヘビメタ騒音で勉強がまったくできなくなったことはくるしいことなのだけど、仮に勉強のことをぬいたとしても、くるしい。要するに、勉強しているか、勉強していないかに関係なくくるしい。勉強していなくても、強烈な騒音刺激で、ものすごくくるしい。あの時間を経験してないやつが、ヘビメタ騒音の影響を過小評価して、えらそうなことを言う。これがゆるせない。どんだけの騒音だと思っているんだよ。気違い兄貴の態度も、ゆるせない。あの態度はない。あんだけででかい音で鳴らしておいてまったく鳴らしてないのとおなじ認知・認識なんだよな。気違いじゃないと無理な認知・認識なんだよ。あまりにも、おかしいので、他の人が信じない。そして、おそろしいことに、他の人以上に、気違い兄貴が信じないのである。そういうところで、二重、三重に、倒錯している。あるいは、二重三重に、すっとぼけている。これが頭にきてしかたがない。気違い兄貴だって、ヘビメタ騒音以外の音を、あの音のデカさで、鳴らされたら一秒で腹を立てるんだよ。自分が意図してない音を、あのデカさで鳴らされたら、怒る。五分間、鳴らされたら、五分間、やきもきして、たまらない気分になる。そういうデカイ音で鳴らしているのに、自分のヘビメタだと、気持ちがよいのだ。で、気持ちよくなりたければ、弟のことはどうでもいいと思っている。思っているのだけど、これまた、『そんなふうに思ってない』ということになっているのである。で、これは、どれだけ言われても、気がつかない。気違い親父とおなじで、そのときの気持ちしかないのである。そのとき、思いっきりデカい音で鳴らしたいなら、絶対に、思いっきりデカい音で鳴らすわけで、ちゃんと静かにしてやるなんてことはないのである。ちゃんと、普通の基準に基づいて自分が我慢してしずかにしてやるなんてことは、ないのである。なのに、気違い兄貴は気違いだから、勝手に?『しずかにしてやった』ことにしている。これがまた、腹が立つ態度なんだよな。腹が立つ認知・認識なんだよな。
兄貴の認知というのは親父の認知とおなじなんだよ。最初から、自分が本当におれて、自分が本当に我慢してやるということはない。それは、無意識的に絶対にさけるのである。だから、相手にとってまったく意味がない譲歩をするということになる。これが、また、親父が何十年間に渡って、何万回も、何十万回もやったこととおなじなのである。本人は、そりゃ、これまた、やったつもりがない。けど、これが、かならず、そうなる。だから、これは構造的に成り立つことであって、たまたま、成り立つことじゃない。認知療法だと、『たまたま、成り立ったこと』にしてしまうのである。それこそ、認知がおかしい。また、認知療法の世界では『たまたま、成り立ったことじゃないにしても、意味はない』ということにしてしまうのである。これも、ほんとうは非合理的な反応なのである。効率的な反応ではあるけど、非合理的な反応だ。効率的な反応になるときは、実際に、『構造的に成り立つことではなかった場合』だ。このちがいを無視して、がたがた言いやがる。

2019年11月12日火曜日

ネズミ


ほんとう、ついにこうなったかぁ……と思っている。まあ、こうなることはわかっていたのだが、こうなってみると感慨深い。
あーあ。ほんとう、おかあさんが天国に行ってしまったことはでかい。

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あーあ。石けんをかじられた。ネズミにかじられた。パティでふさいだあと、すでにかじられた石けんは使えないので、新しい石けんを下に置いたあと、かじられたのだから、やはり、床下にいるということになる。たぶん、唯一の出口は、ふさいでしまったので、床下にとどまり続けるわけだ。

で、これがやっかいなところなのだけど、内側の出口もわかった。けど、それは、見たわけじゃない。あそこは、なにか道具を使わないと、こちら側からはみえないところにあるから、確認ができない。けど、なめくじの位置から言って、あそこだと思う。

ともかく、工事の人が気をきかせて、お勝手のドアの下を工事してしまったことが原因だ。どうするかな? どうして、こういうことになる。俺は、正直言ってまるまるまるまるまる。まるまるまるまる。ネズミ、一匹? あーー。もう、いやだ。これ、なめくじだって、やばい寄生虫(虫と言っても六本足の虫じゃない)がついているんだぞ。

けど、最低でも一匹は、内側に出れる状態で、床下にいるわけだから、内側の出口をふさいでしまうと、床下で死ぬことになる。もちろん、外側の出口がひとつ残らず完全にふさがれているのならばという前提が成り立つ。

ともかく、これじゃ、風呂に入る気になれない。あそこ、風呂の横なんだよな。無防備な感じがする。まあ、どのみち、はいるけどさ。



いま、マスクをして、防塵眼鏡をかけて、殺虫剤をまいてきた。さっき、ウサギ跳びをするときのようなすわり方でしゃがんだので、けつのあたりがかゆくなった。床に近いとだめなのかもしれない。なので、殺虫剤をかたけんだけどこういうことをするときだって、防塵眼鏡で目の付近を傷つけることがある。

ほんとう、ついにこうなったかぁ……と思っている。まあ、こうなることはわかっていたのだが、こうなってみると感慨深い。
あーあ。ほんとう、おかあさんの死はでかい。

ともかく、04時21分54秒あたりに、こういう作業をひとりでしていると●にたくなる。おかあさんがいたって、寝ているだけで、ぜんぜん力を貸してくれないけど、ひとりというのがなぁ。気違い親父はいれば絶対に、邪魔をするので、だめだ。だいたい今回のことだって、一匹目のネズミが出た時点で、俺は、親父に『プロにたのもう』と言ったのに、親父が『俺がやるからいい』と言って、プロにたのまなかった。

で、親父が相手をしているのは、ネズミだけで、ネズの糞、ネズミの小便、ネズミが持ち込むナメクジ、ネズミやネズの糞から発生するばい菌や寄生虫のことはまるで考えてないんだよ。で、ずっと、ネズミの糞がうちのなかにつもることになった。

親父の部屋を片付けたのは俺だけど、親父の部屋にどれだけネズミの糞がつもっていたか。親父のベッドと押し入れのあいだのスペースにものすごい量のネズの糞がつもっていた。ああいうところに寝ていて、平気なんだからな。しかも、親父の部屋にある押し入れは、押し入れの床が抜けているんだよ。

で、ビニールを貼って、すごしていた。で、ネズミが出たら、押し入れのスペースをうたがうべきなのに、うたがわない。俺が『押し入れのところがあやしい』と言ったのに、『そこは、シートを貼ったからだいじょうぶだ』と言って、押し入れのなかにあるものを全部出して、床と側面がどうなっているか確認しなかった。

親父の部屋のことだから、親父がいると、押し入れの中のものを出して、調べるということができない。押し入れの中にいっぱいつまっているわけだから、あれを出すということができない。ともかく、床が抜けている部分にあるビニールはまるで役に立ってなかった。

やぶけて、ぺろぺろ。ネズミが、ガンガン入ってこれる状態が続いていた。ともかく、親父は、邪魔でしかない。親父が、マグロの粕漬けをずっと出しておいて、餌付けをした。

これだって、サランラップなどをかないで、テーブルの上にずっとのせておくというのがおかしいことなのに、どれだけ言っても、自分の行為をあらためようとしない。

前の日の午前中に出しておいたマグロの粕漬けを、一晩中なにもかけないで、出しておいて、次の日の朝や昼に食べようと思っているんだぜ。普通の人だったら、そんなのは、たのまれたって、ほこりがついているから、いやがる。へーーーき、なんだよ。本人のなかで、へーきなら、なにを言われたって平気なままなんだよ。

で、そういう常識とはちがったことをすると、いやなことがおこる。親父が親父のものを食べるわけだから、関係がないわけだけど、それでも、魚をなにもかけないまま、放置して、ネズミが入ってきたとなれば、関係があることになってしまうんだよ。

ともかく、親父がいたら、一切合切話が進まない状態になって、ずっと、ネズミの侵入を受け続けるわけだから、ネズミの糞がたまっていくということになる。ネズミは走りながら小便をたれながしているので、床や壁にネズミの小便がつくことになる。これは、不衛生だし、くさいし、ネズミをおびき寄せるにおいになる。

工事の人も、最後によけないことをして……。しかも、前の日まで、夜型だから、昼間どれだけ気を張って対応しても、ぬけることがあるんだよな。それは、長期騒音の影響で、ずっとくるしんでいる。他の人は、うちで鳴っていたような長期騒音を経験してないので……人生の中で経験してないので……わからない。

それがどれだけ、その後の睡眠相に影響を与えるか、わかってない。俺が、だめ人間のように見えてしまうんだぞ。気違い兄貴が鳴らした騒音をずっと浴び続ければ、だれだって、そういうことになるのに、気違い兄貴が鳴らした騒音を俺の部屋で経験した人が、この世にひとりしかないので、だれだって、そういうことになるということが、他の人にはわからない。

他の人は、自分の条件を考えて、「そんなに影響を与えるわけがない」「過去のことなんて関係がない」と言う。この発言だって、そうとうに侮辱的な発言なんだぞ。まったくわかってないだろ。

ともかく、パティのことに関しては、ドアが開くかどうかのほうが気になって、ぬけてしまった。少し気になったんだけど、眠ってない状態だったから、うまく反応できなかった。

2019年11月11日月曜日

子供の奇声は、うるさいときがあるよ


子供の奇声は、うるさいときがあるよ。けど、それとはちがう。兄貴の気違いヘビメタ騒音とそれとはちがう。けど、子供の奇声でくるしんでいる人を悪くいうつもりはまったくない。ちがうけど、まったく悪くいうつもりはない。かわいそうだと思う。『子供が奇声をあげるのはあたりまえだろ』と言って注意しない親はおかしいと思う。苦情が出たら、しずかにさせるように努力するべきだ。くるしんでいた女の人の言い分というのがあっているのである。その人のほかのことに関する考えたも道徳観もあっているのである。支持できる。深い同情を感じる。

ただ、俺が元気をもらっているとかなんとか言ったのには理由がある。それは、自分が幼稚園生の時に教室でまどろんでいるようなときの気分があるからだ。そういう時もある。けど、その人とぼくとでは、奇声に関しては、たぶん距離がちがう。おなじ距離でやられたら、うるさいと思うかもしれない。その人はほんとうに悩んでいたと思う。くるしい思いを人知れずしていると思う。その人の親が子供の奇声には寛容らしく、その人とは異なる意見を持っていたみたいなのだけど、その人の意見や感覚は、正しいと思う。(近距離なので)。

マンションの隣接する部屋における子供の奇声に苦情を言うのは、感覚として正しい。なるべくしずかにさせるように親が努力をするべきだと思う。

あの女の人は、元気でやっているだろうか? 騒音に殺されないように、なんとか方法を探してなんとかその方法を実現して欲しいと思う。

2019年11月10日日曜日

あのときのあれ、ない


あのときのあれ、ない
って気持ちがいっぱいわいてくる。ほんとうにあのときのあれないよ。気違い兄貴、おまえ、どれだけ!! 気違い兄貴のヘビメタ騒音でくるしかった。毎日毎日、いついかなるときもくるしかった!!
無視して、関係がないひとして、夢中になって、ガンガン鳴らしやがって。どれだけ言ってもやめなかったのに、「ゆずってやった」と本気で思っている。ほんとうに気違い野郎。そういう態度がおかしい。そういう感覚がおかしい。そんなの、普通なら、『嘘を言っているつもり』がなければできないことなんだぞ。ほんとうにまったく関係がない人として鳴らし続けやがって。どれだけしつこかったかぁぁ!!どれだけしつこかったかぁぁ!!

そんで、また、つねに、さみしいんだよ。あいた穴がふさがらない。こころにあいたあながふさがらない。どうやっても、ふさがらない。常に、やられた。常に、毎日やられた。毎日の連続がどれだけつらいか。なんでもない時間がどれだけつらいか。なんでもない時間というのは、本来なら『なんでもない時間』ということだ。気違いヘビメタにやられているさいちゅうも、気違いヘビメタにやられた「あとも」、強烈にくるしい時間になった。そう、なんでもない時間というのは、食べたあとのちょっとした時間とか、寝る前のちょっとした時間とか、なにもやってない時間だ。そういう、なんでもない時間が、地獄だ。くるしすぎる。強烈なさみしさを感じる。

だから、「やめてくれ」とあれほど言っただろ。気違い兄貴が、気違い親父の態度で、無視した。気違い兄貴が、気違い親父の感覚で、無視した。あんまりにも頭の構造がおなじだから、「まったくやってない」と思っているところおなじだ。毎日、つねに、十何年もやったのに、自分は関係がない『ヨソの人』なのだ。関係がない『ヨソの人』でまったくやってないのだ。どれだけしつこく頑固にやっても、「つもりだけ」はないんだよな。注意されたときは、怒って、怒ったら、〇・一秒で忘れやがる。〇・一秒後にやっているときは、『注意される前』の状態でならしているのである。注意されたということがまったくわかってない。記憶から消えている。だから、相手がいやがっていることを、自分がやりたいからやっているという自覚もない。そういう毎日だ。そういう毎時間だ。そういう毎分だ。そういう毎秒だ。これが、頭がおかしいから、全部毎日、おなじように繰り返される。……それ以外の状態がない状態なんだからな。こんなのわからない。普通、言われたら、言われたという記憶が残るということになっている。普通の人はそう思うだろ。けど、俺が気違い兄貴になにを言っても、気違い兄貴にはなんの記憶も残らない。自分にとって『不都合』な記憶は残らない。『いまの自分』にとって不都合な記憶は、残らない。『いまの自分』というのは、ヘビメタを思う存分ならしたい自分なんだよ。だから、『ならせなくなるようなこと』は事前に、効く前から排除されている。聞こえたって、聞こえてないのである。怒ったって、〇・一秒後には、すっかり忘れてしまうのである。消去消去。怒ったということは、一瞬だけど、理解したということなんだよ。あるいは、一週だけどちゃんと聞こえたということを意味しているんだよ。けど、それは、外的には、聞こえてないのとおなじなんだよ。そりゃ、〇・一秒後には『言ってこなかった』ことになってしまうのだから。あたかも、聞こえてないような態度だけど、聞こえたから、怒っている。けど、怒ったあとは、ほんとうに、聞こえなかったような態度なんだよ。

2019年11月8日金曜日

高齢引きこもり本人(だらしがない、あまえている)家族(迷惑している)という構図ばっかり


本人(悪)と書いたけど、『悪』というのは「だらしない」とか「あまえている」というような意味で『悪』なのです。そして、家族(被害者)と書いたけど『被害者』というのは、「迷惑を被っている」『迷惑している』という意味で『被害者』なのです。



『だらしがない』という言葉になにか『良い』イメージがあるかというと、ない。『だらしがない』という言葉になにか『善』であるイメージ

があるかというと、ない。「だらしがない」という言葉はすでに、悪いイメージの言葉で、『ゆっくりしている』とか『ゆったりしている』とか『他人の価値観に動じない』というような言葉ではない。他人が言っていることを気にしないという意味では中年引きこもりのような態度はむしろ歓迎されるべきなのである。もちろん、個々の中年引きこもりは、他人の価値観を『気にしている』とは思うけど、行動自体は気にしてないように思えるのである。他人がどう思っても関係がないという態度が推奨されるのであれば、中年引きこもりの態度はむしろ、推奨されるべきなのである。(他人がどう思っても)外に出て働かないわけだから。



「他人がどう思っているか気にしないようにする」とか「他人がどう思っているか気にするのはばかげている」と考える人たちは、むしろ、引きこもり中高年の『態度』をほめるべきなのである。けど、こういう文脈になると、「他人がどう思っているか気にするのはばかげている」と考える人たちは、「だらしがない」「よわすぎる」「けしからん」「あまえている」と引きこもり中高年の『態度』をけなす。



それから、SSRIなどの薬の量を増やせば、よくなると思っている程度の人は、薬の量について、精神科医と相談するべきではない。たとえば、AさんとBさんがいたとする。AさんはBさんの父親だとする。Bさんは、強迫神経症(強迫性障害)で引きこもりだとする。で、AさんがBさんに働くように説得したとする。で、Bさんが「秋になったら働く」と言ったとする。けど、Bさんは(その年の)秋になっても働かなかったとする。そこで、Aさんは、Bさんが行っている精神科を訪れて、医者に薬の量を増やすように説得したとする。医者が、Bさんの説得に負けて?Aさんの薬の量を増やしたとする。そうしたら、Aさんが失禁してしまったとする。

この場合、はっきり言えば、Aさんのしたことは批判されてしかるべきものだ。これ、父親が心配してやったことだから、いいのか。失禁したというような負のエピソートが増えてしまって、Bさんがかわいそうだろ。まず手短に言って『強迫性障害』にSSRIが効くかどうかということに関しては、そんなにたしからしいことは言えない。効く場合もあるけど効かない場合もある。脳内のシナプス間隙におけるセロトニンの放出量が問題なのである。

だいたい、セロトニンを増やしているわけではなくて、セロトニンの再取り込みを阻害して「つかいまわしている」だけなのである。セロトニンの放出量にかんしては適切な放出量がある。セロトニン過多になってもだめなのである。セロトニン過多になると、いわゆるセロトニン症候群のような状態になる。セロトニン症候群になると体温の上昇、異常発汗、緊張、高血圧、心拍数の増加、吐き気、下痢、ミオクローヌス、筋強剛、振戦、反射亢進、混乱、興奮、錯乱、頭痛、昏睡などの症状が生じることがある。失禁などもそりゃ、あるだろう。

これ、医者が父親に説得されて、量を増やしてしまうというのがおかしいと思うけど、まあ、増やしたんだろうな。薬が効かないから、薬を増やせばいいと思ってしまうような……短絡的な考え方をどうにかしたほうがいい。

手短に言うと、Aさんの強迫性障害にはBさんのそういう態度がかかわっている可能性がある。Aさんはどうも、小さいときは『いい子』だったみたいなのである。成績優秀で学級委員などをすんんでやるような子供だったのである。親の期待に過度にこたえようとするところがあるのではないかと思う。まあ、実際のところは、情報が少なすぎてわからない。けど、医者に「かけあって」息子の薬の量を増やしてもらうというような行動には、問題がある。

けど、こういう記事のなかではAさんのていたらく、ふがいなさ、だらしなさが強調される。そして、そのていたらく、だらしなさ、ふがいなさに家族が迷惑をしているというような感じが醸し出される。そして、そして、そのていたらく、だらしなさ、ふがいなさに家族が迷惑をしている家族がいろいろと手を尽くすけど、本人(Aさん)は働こうとしないということが記述される。父親がいろいろと心配してがんばっているのに、本人はだらしなく寝転んでいるだけなのだ。

これ、このケースはどうだか知らないけど、ほんとうに、親が子供に迷惑をかけて、子供を精神病に追い込んでいるケースがある。けど、そういうことは、うわべだけ見るとわからない。実は、親が子供に迷惑をかけているケースもあると思うよ。けど、そういうケースも含めて、本人が高齢引きこもりなら、本人(悪)家族(被害者)という文脈で語られると思う。

だから、なにを言いたいかというと、本人(被害者)家族(悪)というような構図で説明できるような場合が、どのくらい多いのかはわからないけど、あるはあると思うということを言いたい。割合はわからないけど、あると思う。報道は常に、本人(悪)家族(被害者)だからな。全部、そうなんだというような印象を与える。理解があるような発言が含まれていたとしても、本人(ふがいない)家族(迷惑している)というような印象を与えることに成功していると思う。たぶん、記事を書く人が、理解があるようなつもりになっていても、本人(悪)家族(被害者)という構造を頭の中に描いているからそうなるのだと思う。



2019年11月6日水曜日

『どうにかなってくれ』はない


起きたあと、お茶を飲みながら作業をしていた。作業中も、長期騒音を巡るいろいろな人とのやりとりが思い浮かんで、腹立たしい。これ、ほんとうに他の人にはわからない、不幸なことなんだよな。おまえに「どうにかなってくれ」なんて言われて、つきあえるわけがないだろ。なんでそれがわからない。どうして、「エイリがどういう目に遭ってきたか知っている」という前置きをしてそういうことをいうことができるのか? そんなこと、言われて、友達として、親友としてつきあえるわけがないだろ。これやっぱり、他人だと……別の個体だと……積み重なっているものがちがうから、本当のところがわからないんだよな。俺がどれだけがんばってきたかわからない。気違いヘビメタ騒音に耐えて普通に学校に通うということがどういうことなのかまったくわかってない。ぎりぎりのぎりぎりなんだぞ。「わかっている」だと。ふざけんな。心配してくれるだけならいいけど、『どうにかなってくれ』はない。どうにかなってくれって、通学してくれ、通勤してくれってことなんだぞ。それが俺にとってどういう意味を持っているか……。どうやってもできないことなんだよ。やろうとしたら自殺するしかないようなことなんだよ。そこまで、追い詰められるんだよ。

じゃあ、そういうふうに言えばいい?? 言っただろ。さんざん。

まあ、ともかく、ヘビメタが鳴ってなかったらこんなことにはなってない。兄貴の態度が、気違い的な態度でなければ、こんなことになってない。気違い的な態度で、気違い的な意地で無視して、頑固に鳴らしていたから、こういうことになった。普通の人が絶対に理解できない状態で、ぼくは暮らしていた。毎日暮らしていた。毎日が、限界。

ほんとうにまったく鳴らしていないと思っている状態が、続く。気違い的にデカイ音で毎日、すべての時間鳴らしているのに、まったく鳴らしてないと思っている、態度だ。感覚だ。頭がおかしいからそういうことが、普通にできる。そういうふうにセットされていたら、ずっとそうなんだぞ。これはどういう意味かというと、人格としてそうなっているということだ。常にそうなっているというとだ。これが、わかってない。どういうこだわり方で、どういう意地で、鳴らしているのか『ヨソの人』はまったくわかってない。俺が説明してもわからない。

『すべての時間鳴らしているのに』と書いたけど、それは、ほんとうにすべての時間鳴らしているということを意味していない。つまり、二四時間中二四時間鳴らしているわけではない。気違い兄貴がヘビメタを鳴らすことが可能な時間は、すべての時間鳴らしていたという意味だ。当時、毎日、鳴らしているという意味だ。『すべての時間ではない』ということを言っても、ぼくのつらさはかわらない。『すべての時間』という言葉を使ったとき、すべての可能な時間と書き直そうとしたけど、わざわざ、書き直さないで書いた。気違い兄貴が眠っている時間以外のほとんどすべての時間鳴らされて、くるしかった。俺が眠れなくなって、俺が他の人に文句を言われる状態になる。気違いヘビメタを鳴らされてないやつに、甘えているとか言われることになる。こんなのは、ない。ゆるせない。正確に言えば、すべての時間ではなくて、可能なすべての時間だ。けど、それを書き直しても、やられたことがかわらないので、ぼくのつらさがかわらない。

心配してくれることと、『どうにかなってくれ』と言うことはちがう。だから、わけて書くよ。心配してくれることはいいことだけど、『どうにかなってくれ』と言うことは、いいことじゃない。心配して『どうにかなってくれ』と言った場合は、心配することと『どうにかなってくれ』ということをわけて考えなければならない。あの状態の俺に『どうにかなってくれ』と言うことは『くるしんで死んでくれ』と言っているのとおなじなんだぞ。だから、『できない』と何度も言っているだろ。それを、『そこをなんとか』とか、食い下がりやがって。何回言わせるんだよ!!!


ほんとう、この先どうするかな?どれだけ言っても、一秒も静かにしてくれなかった


つまんねぇ。歯医者のこととか将来のことを考えると憂鬱だ。
ちなみに、昨日、缶コーヒーを飲んだので、背中に蕁麻疹ができている。背中がかゆい。

まあ、腕もかゆいんだけど。

この先、どうするかな。ほんとうに長期騒音で人生がない。

ほんとう、この先どうするかな?

他の人はいいよな。旅行に行けば憂鬱な気分が吹っ飛んでしまうのだから……。

ともかく、一〇年間ぐらい、ドクターペッパーとコーラと紅茶を飲み過ぎた。反省した。ドクターペッパーはやめよう。飲んでも、一ヶ月に一回ぐらいにしておこう。紅茶がやめらない。

実は昨日アニメを見ていたら、入試のことを思い出して、強烈にへこんだ。勉強の話しを聞くと、どうしても、気違いヘビメタ騒音を思い出してしまう。騒音にたたられながら、試験を受けたことを思い出してしまう。言っておくけど、試験中に騒音が鳴っていたのではなくて、試験期間中に騒音が鳴っていたのだ。

どれだけ言っても、一秒も静かにしてくれなかった。そういう状態で、次の日試験を受けに行かなければならなかった。


2019年11月4日月曜日

中高年引きこもり本人(悪)家族(被害者)という構造があるかのように思わせる記事ばかり



なんか、中高年の引きこもりが働かないので、まわりの人(おもに家族)が迷惑を被っているというような話しが多い。けど、これは、ほんとうにそうなのかな? 

家族が原因で、働けなくなった人(中高年引きこもり)が多数いると思う。けど、記事を書く場合は、どうしても、家族を『悪者』にできない。そりゃ、そうだろう。『心配して』『助言をしている』家族なのだから、悪者にはできない。しかし、ぼくの感じでと言うとだいたい四割ぐらいが、家族のほうにむしろ原因があると思う。

どうして、本人が『甘えて』働かない……というようなストーリーばかり出てくるのか? 家族が心配して『働け』と言うけど、ちょっとした障害?で働こうとしない。

ちょっとした障害?というのは、たとえば、強迫性障害や社交不安性障害だ。場面緘黙症なども、ちょっとした障害のうちに含めていいと思う。これらの障害?は、ちょっと本人ががんばればどうにかなりそうな障害?だと、一般の人は思っているのである。

だから、親が甘やかしているというような判断をすることになる。もちろん、甘えているのは、中高年の引きこもりだ。

こういうイメージができあがるようにできている……記事全体が。こういう話ししか出てこない。けど、家族がむしろ原因になっている場合があると思う。

本人は、ようするにサイコパス家族の『被害者』だ。数十年にわたって、サイコパス家族にやられて、働けなくなっている中高年の引きこもりだっているはずだ。『心配している』となると援助しているような感じになるけど、むしろ、サイコパス家族(本人たち)の問題が、その人(引きこもりの中高年者)にあらわれている場合があると思う。

ようするに、サイコパス家族が足を引っぱりきって、働けなくしている場合があると思う。サイコパス家族が長い年月をかけて、(子供を)働けないようにしたのである。だいたい、三割だと思うなぁ。

これは、『甘やかし』ではなくて、虐待なのである。
何十年も毎日続く虐待だ。

もっとも、「子供」が強迫性障害や社交不安性障害や場面緘黙症なら、家族が原因だとは言わない。けど、そういう場合もある。そういう場合もあるということを事前に排除してはいけないということを言いたい。
たとえば、強迫性障害だけど、これは、どちらかというと脳のソフトウエアの問題なのである。

脳のハードウエアには問題はないが(注)、出来事によって症状が形成されてしまう場合がある。はっきり言いたいのは、子供が強迫性障害者なら、親に問題があるとは言わないけど、子供が神経症者である場合、親に問題がある場合があるとは言えるということだ。

『親が原因』ということを言うと、一〇〇%、親が原因だと思ってしまう人がいるのだけど、それは、まちがっている。場合分けをしなければならない。なんでこれがわからないのか? すべての場合において親が原因だとは言ってないのだ。

そういう場合がありえるというとを言いたい。部分なんだよ。全体じゃなくて。逆に、子供が強迫性障害者である場合、親が原因でないと言えるかどうかなんだよ。子供が強迫性障害者であった場合、親が原因ではないとは言えない。これがわかるかな? これ、ほんとうに、まちがった推論をすると人たちが多い。

ようするに、親が原因で(親の行為が原因で)子供が強迫性障害になることある。なので、中高年の引きこもりが強迫性障害で引きこもっている場合、親の行為が原因で引きこもりなっている場合がある。親の行為とただ単に書いたけど、親の『過去の行為』だ。『出来事』と書いたでしょ。

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(注)ちょっとした障害だと考えているのは私ではなくて一般人だ。その人にとってちょとした障害だとは、私は考えていないし、考えられない。

中高年引きこもりのことを取り上げた記事では、中高年引きこもりのことは、直接!!悪くは言ってないけど、ちょっとした障害で働こうとしない(だらしがない人だ)(悪い人)というような印象を与えてしまうのである。

ようするに、本人(悪)家族(被害者)という構造があるかのように思えるのだ。悪というのは言いすぎだと思うかもしれないが、ちょっとした理由で働かないことが悪なのであれば、悪だということになる。

本人が迷惑をかける人で、家族が迷惑を被っている人だという構図が頭の中にできあがる。(記事を読んでいる人の頭の中にできあがる)。

けど、ほんとうは、家族が迷惑をかけた人で、本人が迷惑をこうむっている人であるケースがあるのではないかということだ。私がこの投稿で言いたいことはそういうこと……だ。

たぶん、世の中の九割は、本人(悪)・家族(被害者)というケースが一〇〇%だと思って、そういう記事を読んでいるのだろうなと思う。本人(被害者)家族(悪)というケースがあるということに注意を払って(そういった記事を読む人は)少ないのではないかと思う。そういった記事というのは、仕事をしない中高年の引きこもりに関する記事のことだ。
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2019年11月3日日曜日

働き出せば、からだがなれて、ハンディがゼロになると思っている


長期騒音のことで●にそうだよ。ほんとうにすべての人生を破壊した。ほんとうにすべての人生の可能性を破壊した……気違い騒音。もうやっぱりつかれた。こんなハンディ・障害がある状態じゃだめだ。


いろいろと動いてもハンディはかわらない。

ともかく、長期騒音の影響でだるい。まるまるまるたい。他の人とはまるでちがってしまったな。ほかの人は経験してないので、俺がなにを言っているかわからない。たいしたことじゃないと思ってやがる。そういうことのすべてがいやだ。

いろいろと動いてもハンディはかわらない。つかれてもっとひどくなる。気違いヘビメタにやられてない人は、まったくわかってない。気違いヘビメタに数千日やられてない人は、ぼくが、なにかをやり始めたらハンディがなくなってしまうと思っているのだ。

たとえば、普通の仕事をし始めたら、ハンディがなくなってしまうと思っている。あるいは、最初から、やはり、気違いヘビメタ騒音のハンディが見えないのだろう。当時もいま現在もゼロだと思っているのだろう。

『そんなんじゃない』と何回、言ったら、わかるんだ。

ほんとうに、ゼロだと思っているんだよな。あるいは、働き出せば、からだがなれて、ハンディがゼロになると思っている。そいつらはみんな、俺とおなじ量、ヘビメタ騒音をやられてないやつらだ。ヘビメタ騒音生活が一〇年以上続くということがどういうことなのかまったくわかってない。

そこからしょうじる障害がまったくわかってない。

俺とおなじヘビメタ騒音を一〇年以上毎日経験してから、言え。一〇年以上経験すれば、障害がどれほどひどいかわかる。「やりはじめること」でゼロになる……からだがなれるというのは、普通の人の普通の考え方だ。ぼくの経験は普通の人の経験じゃない。

もうすでに普通の人じゃなということがぜんぜんわかってないんだよな。こいつら、ヘビメタ騒音障害を過小評価して、(やられてない)自分のからだがなれたから、エイリさんのからだもなれるはずだと思ってる。やられてないから、普通の状態を維持している。自分が普通の状態を維持しているから、エイリさんも『なれる』と思ってうたがわない。

ヘビメタ騒音をやられたあとは、積み重なるだけだよ。

つかれが積み重なるだけ。

どれだけ無理をしても体はなれない。だいたい、休みの日が休みの日ではないんだよな。一〇年もやられてみろ。わかるから。新しいつかれがつもるだけになってしまう。気違いヘビメタ騒音生活をしてなかった人にはそこのところがわからない。

注『働く』というのは、決まった時間に通勤して働くという意味。決まってない時間に家で働くことは意味してない。

2019年11月2日土曜日

内向的な人のつかれと、外向的な人のつかれ


あっ、そう言えば、夢のなかの会話が楽しかったんだけど、内向的な人も、気のあった人と興味がある分野について話すのは楽しいのではないかと思った。

ようするに、『つかれない』のではないかと思った。もちろん、内向的な人は他人と接するとつかれて、外向的な人は他人と接すると楽しいというのはあると思う。

内向的な人は他人とつきあうとエネルギーをうしなうけど、外交的な人は他人とつきあうとエネルギーをえるというような傾向のちがいはたしかにあると思う。

けど、内向的な人は、あわない人とあわせているから(より)疲れるのではないかと思う。たしかに、ゲームが好きな人でも夢中になってゲームをやれば「つかれる」。車の運転が好きな人だって、ずっと車を運転しているとつかれる。そういった意味で、外向的な人だって、人とつきあっているとつかれるのだ。

それは、まあ、友達とゲームをやっているときのつかれみたいなもので、人間の身体的なつかれだ。時間とともに発生する身体的なつかれ。一方、たとえば、内向的な人がゲームをする場合、内向的な人は他人に気をつかって、ゲームをしているので、精神的に疲れてしまうのではないだろうか。内向的な人も時間とともに発生する身体的なつかれは感じていると思う。

これは、内向的な人も外向的な人もかわりがないのではないだろうか。

内向的な人が人とつきあうとつかれると感じるのは、実は、内向的な人が精神的なつかれを感じているからだと思う。もちろん、精神的なつかれを感じると、動きたくないというような身体的なつかれとも思えるようなつかれが発生する。

それが、内向的な人はつかれやすいということにつながるのではないだろうか。要するに、内向的な人でも、『気をつかわなくてもいい相手』ならば、外向的な人が感じるぐらいのつかれを感じるのではないだろうか。気をつかわずにつきあえる相手なら、内向的な人でもつかれを感じる量が少なくなるのではないかと思う。

外向的な人でも、形式的な儀式に参加すると、普段は感じないつかれを感じるのではないかと思う。たとえば、葬式などに出席するとつかれるのではないかと思う。葬式には人がいて、人とのコミュニケーションがある。その点では、たとえば、仲間内のパーティーとかわりがない。

けど、葬式の場合は、仲間内のパーティーよりも『気をつかう』はずだ。なので、仲間内のパーティーに参加するときより精神的につかれるのではないかと思う。この場合は、外向的な人であるにもかかわらず、必要以上に気をつかうので、いつも以上につかれを感じるのだと思う。

内気な人は、仲間内のパーティーに参加しているときも、あたかも外向的な人が葬式に参加しているような精神的なエネルギーを使っているのではないかと思う。

ようするに、外向的な人と内向的な人のちがいは『気をつかうかどうか』と『気をつかう程度』などだと思う。『気をつかう程度』と書いたけど、これは、項目数と深度(強度)が関係していると思う。ようするに、気をつかう項目数と深度をかけたものが気をつかう程度(気をつかう量)になるのではないかと思う。

内向的な人は普段から、気をつかう項目数が多いのではないか。たとえ、身体的に動いていなくても、こころのなかではあれやこれやといろいろと気にしてつかれてしまう。これは、そこにいる人たちの動きが読めないとか、そこにいる人たちの考えが読めないということが影響しているように思える。

読めないと言ったけど、これは、読めないわけではなくて、ひとつの事柄に関して解釈の可能性が複数あるので、解釈の可能性を巡ってしきりに考えているような状態になるのではないかということだ。要するに、動いてないようでいて精神活動は活発なのだ。その精神活動は、おもに(恐怖)から発生しているので、楽しめない。

兄貴の気違い騒音が何千日も続かなかったら、知的な会話を楽しめたかもしれない


ものすごく楽しい夢を見た。ひさびさに知的な会話を楽しんだ。いい人ばかりの世界を味わった気がした。俺が求めていたのはこういう世界なんだ。考えてみれば、俺と、性格が悪い人たちが「あう」はずがない。性格が悪いと言ったけど、自分勝手で頭が悪いやつらなことなんだけどな。自分勝手で頭が悪いやつらが常駐しているようなSNSや掲示板が、俺に「あう」はずがない。兄貴の気違い騒音が何千日も続かなかったら、知的な会話を楽しめたかもしれない。そういう人たちに囲まれてすごすことができたかもしれない。考えてみれば「あう」はずがないのだ。
小室直樹氏と心ゆくまで話したかったなぁ。若い小室氏と、知的な会話を楽しみたかった。ぼくが見た夢のなかでは、サブカル的なノリがあって、そのノリはあんまり好きじゃないのだけど、そこに集まっている人たちとの会話は非常におもしろかった。心地よかった。だいたい、三グループと話したんだけど、どのグループの人たちとも非常に心地よい会話を楽しんだ。

2019年10月30日水曜日

「プラスだったらどうなんだよ」という話しだ


日常生活もままならない状態で、やり始めること……か?
まあ、俺は今年、ずいぶんとがんばった。もう、今年は、いいや。それにしても、寝ている状態のときがつらい。くるしい。寝ている状態からなんとか起きて、しょうべんに行くというのがつらすぎる。あの状態で、いまは寝れるからいいけど、むかしは、そうじゃない。どれだけきつくても、起きて、学校に行かなければならなかった。気違い的な人はヘビメタ騒音のことを軽く考えるけど、軽いことじゃない。しかし、実際に経験してない人にしてみれば、どういうことなのかわからないのだろう。その人たちは想像でものをいうしかない。自分の騒音経験から、ものをいう。自分のつらい経験からものをいう。けど、ちがう。たとえば、その人たちが、つらい思いをして生活していたとして、それで!ヘビメタ騒音が鳴っていたらどうなのかということを考えて欲しいのだ。家に帰れば、とてつもなくデカイ騒音が午後一一時まで鳴っている状態……鳴っている毎日について考えて欲しい。仕事でつらい思いをしているとき、ヘビメタ騒音が鳴ってたらどうなのかということだ。自分だって仕事でつらい思いをしている」と言うけど、仕事でつらい思いをして帰ってきたとき、気違いヘビメタがガンガン鳴っていて、どれだけ「やめろ」と言っても、鳴らしている本人がやめないという状態で、一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間と経過してしまう状態を考えてみたことがあるのか? 休みの日は、朝から鳴っているんだぞ。つらい思いをしてきたという人は、それプラス!!気違い騒音だったらどうなのかということを考えて欲しい。仕事でつらい……それだけでなく、家で騒音が鳴っている。騒音を鳴らされたあと、眠れない。ヨソの人は、その騒音のことについて言っても、『サボっている』『甘えている』と考える……そういう世界について考えてみろと言っているのだ。「それ!プラス』なんだよ。いじめられてつらい……。たしかにつらい。けど、それプラス、気違い家族が気違い的な意地で、気違い的な感覚で、気違い的にデカイ音で、気違い的に気にしないで、騒音を鳴らしていたらどうなのかということだ。生活がむちゃくちゃになってしまう。ぼくは、騒音のことだけを言っているようだけど、実際の生活は、『それプラス』ということになってしまう。『それプラス』なんだよ。どうしてかというと、気違いヘビメタ騒音が、さまざまなトラブルを呼び込むからだ。これも、『本人の感じ方次第』『自己責任』ということになるのたげど、ほんとうに、ヘビメタ騒音でつらいということが、ほかのトラブルを引き起こしてしまうのだ。これは、不可避的なことだ。基本的に、長時間騒音にさらされるというとは、注意欠如多動性障害の「ていをしめす」ことになってしまうのだ。注意欠如多動性障害者ではなくても、注注意欠如多動性障害者のような状態になってしまう。(おもに、注意欠如のほうで、多動はない)。トラブルの質がおなじなのである。だから、普通なら、家族で相談すれば、一日ぐらいで片付くのだけど、気違い兄貴が気違いだったので、また、大家である気違い親父が気かちがい親父だったので、片付かなかった。これは、ぼくのほうの、障害じゃないのである。ほんとうに頭にくる。世間のやつ、頭にくる。まるで俺がサボっているように言いやがる。まるで俺がコミニュケーション障害者であるかのようにいう。要するに、気違い兄貴や気違い親父に話が通じないのは、俺のせいなのである。『エイリさんがコミニュケーション障害者だから、うまくいうことができないのだ。だから、ダメなのだ。だから、問題を解決できなかったのだ』と佐藤氏のようなやつは解釈してしまう。家族で話し合えば、そんな問題は片付くはずだ』『お兄さんやお父さんのような人はいない』と考えているやつはそう考える。こういうところに、「はめこまれる」。これも、「はめこまれる」と言うと、『被害妄想』とか『被害者の立場でものを言うな』と言ってくるやつがいるけど、まさしく、「はめこまれる」。そして、『被害妄想』とか『被害者の立場でものを言うな』と言ってくるやつのほうが、あおり体質の性格が悪い人だと思う。佐藤氏みたいなやつは、別に性格が悪いわけではないけど、しかし、常識にしたがって、「そんなことはありえない」「そんなことはないはずだ」という判断を(よく考える前に)してしまうために、俺の言うことを、信用しないということになる。俺の言うことを信用しない立場で、空想的な理屈を押しつけてくる。キレイゴトを押しつけてくる。『そんなんじゃないから、こまっている』と言っているのに、認めない。佐藤氏にしても、仕事上でトラブルがあった日があるだろう。その日、帰ったらヘビメタが鳴っていたらどうなんだよ? 家族で縁が切れない人がヘビメタを鳴らしていたらどうなんだよ? まあ、成人していなくて、自分だけ引っ越すことができないという条件は、そういう設定では成り立たないけど。仕事はしているわけだから。家族、家族、家族。家族ということが問題なんだよ。気違い兄貴がヘビメタを鳴らし始めたとき、気違い兄貴も俺も未成年者だったということが問題なんだよ。まわりの家が離れていたというとが問題なんだよ。おかあさんがおとなしい性格で、あまり注意しなかったということが問題なんだよ。目の前がデカイ幼稚園だったということが問題なんだよ。気違い兄貴が俺のことを無視すれば、気違いヘビメタを気違い的にデカイ音で……常識外れのデカイ音で鳴らせる条件がそろっていた。気違い兄貴は、気違い親父のように自分勝手で、自分にとって都合が悪いことは、どれだけ明らかなことでも認めないという性格なんだよ。

「プラスだったらどうなんだよ」という話しだ。
「それが何千日も毎日続いたらどうなんだよ」という話しだ。

おれは、家族の長期騒音で社会的存在を消されている


むかしのアニメを見たくなって、『ノーゲーム・ノーライフ』を見たんだけど、ちょっとこたえた。たまたま選んで、見てみたのが第9話なのだ。これは、存在と記憶をかけたゲームだ。ゲームに負けたほうの存在が、すべての人の記憶から消えるというようなゲームなのだ。まあ、究極の目的は、相手の存在を消すということではないので、ゲームに負けたほうの存在が、すべての人の記憶から消えるというようなゲームと言い切ることはできないのだが『ようなゲーム』だとは言える。

で、ともかく、おれは、家族の長期騒音で社会的存在を消されている。ひびいた。存在をかけたゲームで負けている状態なんだよな。ゲームはまだ続行中なんだけどね。

2019年10月29日火曜日

「そういうことを引き寄せた」などと言われる時代になってしまったのだ


一日にできる量をいまの一〇〇分(ぶん)の一(いち)にしようかな。できる量というのは正確な言い方ではない。『できるつもりでいる量』が正確な言い方だ。いろいろとあって、『できるつもりでいる量』が減ってしまった。けど、まだ自分は『できるつもり』でいる。一日に、このくらいすすめるはずだという量を一〇〇分の一ぐらいにすると、ちょうどよいのではないかと思ったわけだ。一〇〇分の一にすれば、『今日は、もうすでにちゃんとやった日』なのである。
さっき、片付けをしたからな。けど、この片付けは中途半端な片付けで、使わないものの位置をかえたにすぎない。すてる決断をしたわけじゃない。しかも、自分が必要になって探そうとした場合、その場所を探すことができるかどうかわからない……というようなこころぼそい「おかたづけ」なのである。まあ、ほんとうにゴミであるゴミは捨てるためにゴミ袋に入れた。ゴミ袋と言えば、市のプラスチック用ゴミ袋を買ってこなければならない。お菓子の包装とか、ビニールゴミは、とりあえず、すてるつもりの大きなビニール袋に入れておいた。あとでいっしょにすてる。
実は、そういうことをしているあいだも長期騒音や長期騒音によって押し出された入学試験日のことを考えていたりするのである。他の人にはわからないだろうな。ほんとうにずっと毎日、家で一分も勉強することができなかった。そういう三年間、そういう六年間。どれだけの不満がつもっているか? これは、おかしい。どうして気違い家族にやられた俺が他の人から悪く言われるのか? ほんとうにくやしい。ここだから書いてしまうけど(アクセスのことを考えてないここだから書いてしまうけど)たとえば、こういうことを書くこと自体が、アウトになっている。これは、ひどい世の中だ。常識はずれで、感覚器をだますことができる人によって、ずっと騒音を聞かされてきた人が、それについて真実の報告をすると、アウトなのだ。普通の人は、感覚器をだまして迷惑行為をしてきた人間をせめずに、俺のことをせめてくる。こういう時代になった。たとえば、いちゃもんをつけて人をなぐったやつにはなにも言わないで、なぐられたやつに『自己責任』『自己責任』と説教をすることが正しいと思っているやつらがたくさんいる世の中だ。常識的な人が、掲示板でいう「あおり」行為を平気でやる時代になった。ナイフで刺した人間が悪く言われることはなくて、ナイフで刺された人間が「そういう人を引き寄せた」「そういうことを引き寄せた」などと言われる時代になってしまったのだ。これは、精神世界の荒廃なのである。実は! 『引き寄せ』とか言っている人は、精神世界に片足を突っ込んでいる人間なのだけど、そういう人たちが、『あおり行為を平気でやる』時代になった。

ヘビメタ騒音でいろいろな能力をうしなったけど、『楽しく感じる』能力をうしなったのはけっこうでかい


けっこう、こまっている。つかれているのだけど、眠れるわけではないという時間をすごしている。この時間は、なにをやってもつらいだけなので、起きていると、不安になる。
ともかく、だるい。二〇一七年の状態でいいから、復活したい。興味とかやる気が相当になくなっている。二〇一八年の状態とくらべても、今日ややる気がなくなっている。
そりゃ、長期騒音がはじまる前の、好奇心がある状態に戻れればいいけど、それは無理だ。長期騒音でぼくは、疲弊してしまった。根本的な部分で、『やる気』がうまれない状態になっている。また、『楽しく』感じる力(ちから)が、気違い騒音でなくなった。これはどうしようもない。長い時間をかけて、気違い騒音で『楽しく感じる』能力をうしなった。たぶん、もう、もとにはもどらない。前の状態……長期騒音が鳴り始める前の状態には復帰できない。
ともかく、きつい。ヘビメタ騒音でいろいろな能力をうしなったけど、『楽しく感じる』能力をうしなったのはけっこうでかい。それに、気違いヘビメタ騒音が鳴っている状態だと、友だち付き合いも、じつは、つらいことになる。さらに、気違いヘビメタが鳴っていた時期を含めて、常識的な人にいろいろと誤解される状態が成り立っている。他の人にはない、気違いヘビメタ騒音で、通勤通学ができない状態になっているのに、あたかも、サボっているように思われる。常識的な佐藤氏だって、そのところで、誤解をしているから「早くわかって欲しいなぁ」など言うわけで、「早くわかって欲しい」のはこっちだよ。どれだけの誤解の上に自分の発言が成り立っているのか、早く、気がついて欲しい。こいつらはみんな、ヘビメタ騒音の影響を過小評価している。『元気だ元気だ』と言えば元気になると言って、俺に『元気だ元気だ』と言うことをすすめる人にも、ヘビメタの影響のデカさがわかってない。「そういう問題じゃないんだ」。「そういうことでは片付かないデカイ問題なんだ」と言ってやりたい。けど、そういうことを言っても、こういう人たちには通じない。通じないから、そういうことを言っている。「そういう問題じゃないんだ」。「そういうことでは片付かないデカイ問題なんだ」と俺が言えば、そういうことを言う人たちは、ちょっと機嫌が悪くなるのではないのか? 「そんなことを言っているからダメなんだ」と言い出す。「そういうこと」とか「そんなこと」という言葉を使いすぎたか? 普通の日本人ならわかるだろ。

2019年10月27日日曜日

今日、地球最後の日だったらダイヤ君と和解したい


とてつもなくむなしい。今日、地球最後の日だったらダイヤ君と和解したい。むなしい。ほんとうに気違いヘビメタで全部飛び散った。まるまるまる。(たい)。
こんなの、ない。

2019年10月26日土曜日

フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった


ほんとう、やばいな。なんとしかないとなぁ。ほんとうに長期騒音にやられて、人間関係と体調がぐたぐた、だからなぁ。寝不足で動くのは、もう、なにがなんだろうがいやなんだよ。というか、できない。


けど、今年は何回も、四〇時間起きているような状態で動いてしまったので、やっぱり、つかれているんだろな。ぼくの場合、累積された披露があるから、他の人のからだの感じとは違うんだよ。

たとえば、『寝不足で動く』と言った場合の、『寝不足で動く』がちがう。これ、経験がない人には、絶対にわからないことだから、ぼくがどれだけ言葉で説明してもわからないと思う。その人の『寝不足で動く』ときの感じしかないから。長期騒音だとちがうんだよね。あとは、気違い兄貴の態度がやはり、腹が立つ。

これ、ほんとうに、気違いなんだよな。ほんとうにまったく気にしてないからな。どれだけ言われても、気にしない。本気で『デカイ音で鳴らしてない』と思っているんだよな。おまえ、気違い兄貴ですら、別の音が鳴っていたら、三〇秒で絶叫するようなデカイ音だよ。

たとえば、ベルがずっと、あの音のデカさで鳴ってたら、気違い兄貴だって「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」という気持ちをおさえられなくなるようなデカイ音なんだよ。

ほんとうに、兄貴の友達のカオ君が、三〇秒でわかることが、ずっとわからない。本人は、フォークギターぐらいの音だと思っている。気違いだから、自分がデカイ音で鳴らしたいときは、デカイ音じゃないと思えるのだ。俺は、気違い兄貴が、フォークギターを鳴らしていたときは、文句を言ってないんだぞ。

フォークギターだって、兄貴の部屋で鳴らしていれば俺の部屋で聞こえるんだよ。けど、フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった。だから、気違い兄貴が「ほんとうに」フォークギターぐらいの音でヘビメタを聴くなら問題はなかったんだよ。

それが、気違い親父とおなじ態度で、ものすごくデカイ音で鳴らしやがって。

これ、ほんとうにほかの家じゃあり得ないことだから、俺が誤解される。まるで、フォークギターぐらいの騒音で、俺ががたがた言っているように思われる。親父がつくった基地が池田から、気違い兄貴が、気違い的な意識に則って、気違い的な意地を通そうとすると、通せた。

これが問題なんだよ。

これ、気違い的な意地を通してきたのが親父だから、親父は文句を言えない。これも、本当にわかってないんだよな。気違い的な意地で毎日頑固にやり切るほうは、『ほんとうにまったくわかってない』というあり得ない日常がある。

そういうことを、他の人が信じないから、俺がうたがわれる。

これ、ほんとうに殺人沙汰なんだからな。毎日、毎分毎秒、殺人沙汰なんだからな。そりゃ、やられている方が、ひっくり返そうとしたら、殺すしかないような状態を、毎日、毎分毎秒、押しつけている。

そりゃ、『やめてくれ』と言われたら、やっている方が、気違い的な顔で怒って怒って怒って、気違い的な意地で、しがみついてやりきろうとする。殺さなければ、やめさせることができない。『やめてくれ』と言われたら、瞬間的に怒り狂う状態になってしまうのだけど、本人がやり続けることができるなら……殺されなければ……〇・一秒で『言われた』ということが、頭の中から消えてしまう。

『言われなかった』ということになってしまう。

だから、何十万回言われたって、いつも、『まったく言われない状態』で鳴らしているんだよ。『やめてくれ』と一回言われなかったと思って、ガンガン鳴らしている状態で、ずっと鳴らし切る。実

際に(デカイ音で鳴らしているにもかかわらず)相手がなにも言ってこなかったというのであれば、相手は、自分のデカイ音に関して文句がないんだなと思うことができる。こういう場合は『言われなかったから鳴らした』と言うことができるだろう。

けど、気違い兄貴は、一日に何十回言われても、トータルで何十万回言われても『相手がなにも言ってこなかった』という気持ちで鳴らしているのである。

もちろん、気違いだからデカイ音で鳴らしているのにもかかわらず、デカイ音で鳴らしているとは思わない。そりゃ、自分が特別にデカイ音で鳴らしたいなら、どれだけデカイ音だって、『デカイ音じゃない』といこうとになる。そんなことを認めたら、さげなければならなくなるけど、さげなければならなくなるようこなとは、命がけで(現実を無視して)認めないのである。

これも、認めないようにしようと思って認めないわけではないのである。ここらへんが、意識一辺倒の『認知療法』だと説明がつかなくなる。フロイト心理学でなければ『現象』を説明することができない。特殊な言い方だと『現象をすくえない』。

現象は、すくう必要があるんだよ。まったくわかってないのだろうけど。

ともかく、デカイ音で鳴らしているということをほんとうは知っているけど、意地でも認めないようにしようと思っている状態ではない。気違い兄貴はそういうふうに思っているわけではない。気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである。

で、『気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである』と考えた場合は、気違い兄貴の態度や発言に矛盾がなくなる。ヨソの人は、こういう気違い的な認知をもっている家族がいないので……あるいは、そういう家族に生活の根本を脅かされたことがないので……ヘビメタ騒音の問題が簡単な問題と思っている。

簡単に片付く問題だと思っているのだ。

それはそう思っているヨソの人のほうがまちがっている。けど、ヨソの人の思考の範囲では、俺がへんなことを言っているように思えるのである。こういうところでも、多勢に無勢なんだよな。俺がヨソの人から『へんなことを言っている』と思われる要素がそろっている。

ほんとうに、どれだけつらいか。障害者の人権にはめちゃくちゃに敏感な佐藤氏みたいな人ですら、こういう『感覚を言い換えることができる家族』『気違い的な家族』にやられている方の人権にはまったく無頓着だということが発生する。常識のある人たちは、気違い的な家族にやられている人間の『人権』を無視する。

どうしてなら、「やられている」とは思わないからだ。『そんなことはない』『そんな人はいない』と思っているので、『そんなことはない』『そんな人はいない』ということを前提にしてものを考える。

「ない」と思っているのだから、(感覚がおかしい家族がやったことについて)言及しているほう(やられている家族)がおかしいと思うことになる。

そりゃ、「ない」と思っているのだから、「ある」ということを前提にした発言は矛盾を含んでいることになる。あるいは「ある」ということを前提とした発言は、嘘だと思う。だから、なんとなく信じがたいのである。

で、「ともかく」「そうだとしても」というような思考が出てくる。これは、便利思考で、「ある」ことを前提にした発言を、封殺するのだけど、封殺しなかったような印象を与えるような言葉なのだ。

この場合は、「ない」ということを前提にした結論をいうことになる。それが、助言という形をとるにしろ、「ある」ことが「ない」ことになっている言葉なので、実際には「ある」ということを前提にして話している人間(やられたほう)を侮辱していることになる。

「ない」ということを想定した発言内容が、もし、ほんとうに助言だとして役に立つだろうか? あったことなのに、ないことになっている……そういう前提の助言が役に立つと思うか? おまえ、これ、どれだけ……。どれだけ、言いがたい気持ちになるか?わかるか? わからないんだろうな。

けど、「ない」ということを前提とした助言をするほうにしても、自分にとって信じがたい前提(となる話し)を聞かされたということが、不愉快な経験になるのである。それは、『なにか不愉快な感覚』を呼び起こすものなのである。

これに関しては、もうすでに述べたので、ここでは書かないけど、気違い的な家族にやられると、やられた人とヨソの人のあいだでこういう、(どちらにとっても)不愉快な交流がしょうじてしまうのだ。そういう交流を生じさせたもとになる気違い的な人は、もちろん、そんなことは知らないわけだ。

言ったって、おなじ態度で否定するわけだから、ないことになっている。

これは、たとえば、気違い兄貴が、気違い親父に『親父が持って行けと言ったハンダゴテで人にバカにされてはずかしい思いをした』ということを言ったとしても、気違い親父がまったく受け付けない場合とおなじ構造なのである。最初の段階で基本的なことがわかってないのだから(どれだけ言ってもつたわらないのだから)もっと複雑なことがわかるわけがないだろ。

最初に、たとえば、『ハンダゴテが使えない』ということを言っているのにそれを認めない人が、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』という話がわかるわけがないのだ。

だから、仮に、気違い的な家族にやられた家族が、気違い的な家族がやったことで、恥をかいた(他の人から悪く言われた)ということを言ったとしても、やっている方は認めないのである。そりゃ、そんな高度なことが認められたら……認めることができるのであれば……最初から、現実を無視した気違い的なことを言ってないのである。

『恥をかいた』ということを相手に言う場合、それは、二回目の話になる。二回目の話しの時も、気違い的な家族は、「であること」を認めない。ハンダゴテの話しであれば、『ハンダゴテが使えない』といこうとを認めない。認めないのだから、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』ということも認めないのである。気違い兄貴の場合だと、『デカイ音で鳴らしている』という基本的な事実を認めてないのだから、『(兄貴が)デカイ音で鳴らしていると他の人に言ったけど、他の人は信じなかった』ということを言われても、なにを言われているのかわからない状態になるだけなのである。

けど、これは、たとえば、兄貴が『自分が父親に、このハンダゴテは使えないということを言ったにもかかわらず、父親が使えないハンダゴテだということを認めなかった』ということを、他人に言ったとき、その他人が『だいのおとながそんなことがわからないはずがない』と言って、自分(兄貴)の言っていることを信じてくれなかったということを、親父に言っている場合とおなじなのである。

親父にそんな高度なことがわかるわけがないだろ。そんなことがわかるのであれば、最初からそんなことになってない。それとおなじで、気違い兄貴には、気違い兄貴のデカイ音で俺がヨソの人から悪く言われているという話しは、まったくつたわらないのである。気違い兄貴のデカイ音で遅刻をしてしまうからこまっているということをどれだけ言っても、自分(兄貴)に関係があることだとは、どうしても思えないのである。デカイ音でガンガン鳴らしているときに、『宿題ができないからこまる。静かにしてくれ』と言われても、自分が関係していることについて言われているとは思えないのである。けど、『静かにしてくれ』と言われたわけだから、そのときだけ怒り狂う。怒り狂って「はねのけたら」言われなかったことになってしまうんだよ。だから、『知らないまま』鳴らし続ける。これが、気違い兄貴が、ずっとずっと、家のなかでやってきたことだ。十何年も毎日やってきたことだ。

2019年10月25日金曜日

両者は、理解しあうことができない


さっき、初期台風のような感じで雨が降っていた。いまは、小雨になっている。しかし、雨が多いなぁ。

正直言って人生につかれている。
俺だけほんとうに、長期騒音でつかれた。他の人には、長期騒音がない。当然、長期騒音の影響もない。けっきょく、長期騒音で「いたんだ」からだでやっていくしかない。それは、長期騒音が鳴り終わったあともおなじだ。
ようするに、他の人にはない長期騒音という要素で、くるしんでいる。

『楽しい』と感じる能力も、長期騒音でいたんでいる。これは、他の人にはないことだ。俺とおなじ長期騒音を経験してない人にはないことだ。なので、そういう人たちの基準でものを語られてもこまる。
これも、『楽しいことを見つける努力をしないのが悪い』などと言われてしまうのだ。こういうことを言う人は一五年間の騒音生活を経験してない。そんなの、ふっとんでしまうのさ。

まあ、ともかく、あんまりおもしろくない状態で暮らしている。俺にしたって、楽しいと思う心が復活してくれたほうがいいわけだ。けど、彼らが語るような方法は、どれもこれも、成功しない。逆の効果がある。まるで、くるしむために楽しいことを見つけようとしているような状態になってしまう。基本、楽しくない。むしろ、くるしい。彼らは、長期騒音の効果を無視している。それは、彼らが長期騒音を経験したことがないので、考慮しようにも考慮することができないからだ。長期騒音を経験したものと、長期騒音を経験してないものには、デカい差がある。深い溝がある。両者は、理解しあうことができない。もっとも、長期騒音の前に普通の暮らしをしていたのなら、普通の暮らしのなかでの『楽しいと思う』状態を経験しているはずだから、片方は、すなくても、『楽しい状態』に関しては理解しているということになる。しかし、それは、状態に対する理解なのだということに、注目しなければならない。状態を理解していれば、ある方法で、その状態になれるということが、保証されているわけではない。方法と状態のあいだにも、溝がある。まあ、ともかく、普通の状態でくらしている人が考える『楽しくなる方法』では、楽しくなれない。普通の人が楽しくなれたとしても、長期騒音におそわれた人は、楽しくなれない。すべては自己責任』という論調がはやっているので、『自分の感情に責任を持て』というようなことも言われる。これは、要するに『楽しくなれないやつは、楽しくなれないやつが悪い』ということを言い換えたにすぎない。
けど、そういうことを言っているやつらは、長期騒音を経験してない。経験してないやつが、わかったようなことを言っているだけだ。

2019年10月22日火曜日

この世のこの光景とヘビメタ騒音がくっついている。


まあ、正直言って、つまんない。
これ、どうしようもないな。
これでものすごくかわいい娘とデートするにしても、重たいだけだ。まあ、そんなことはもうないのだが。全部が重い。やりたくない。ヘビメタ騒音の感じがする。共感覚のようにくっついている。この世のこの光景とヘビメタ騒音がくっついている。ヘビメタ騒音が鳴ってた「いやな感じがする世界」に他ならない。ぼくにとっては……。この世というのは。この世界というのは……ヘビメタ騒音に汚染された世界だ。

むりやり元気になろうとしても、そうはいかないんだよ。むりやり楽しくなろうとしてもそうはいかないんだよ。気違いヘビメタでぼくの感覚器がくずれた。この世の世界認識がくずれた。つねに、気違いヘビメタが鳴っている感じがする。

気違い的にこだわりやがって。俺がどれだけ言ってもやめてくれなかった。いついかなる時もやめてくれなかった。ほんとうに、午前九時一五分に「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」と言いに行って、午前九時二五分に「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」言いに行っても、やめてくれなかった。以降、一〇時台、一一時台、一二時台、午後一時台、午後二時台、午後三時台、午後四時台、午後五時台、午後六時台、午後七時台、午後八時台、午後九時台、午後一〇時台、午後一一時台に何回も何回も言いに行ってもやめてくれなかった。言葉で書けば、七行ぐらいですむことだけど、実際に午前九時一五分から午後一一時一一分まで鳴らされていると、きつい。どれだけ長い時間か……。これ、経験した人じゃないわからない。しかも、夏休み、冬休み、春休みはこれが毎日だからな。俺が小学六年生の秋から二五歳の冬まで、日曜祭日はずっと、この調子だ。まあ、午前一〇時から始めるときもあったけどな。それは、気違い兄貴のテレビ視聴の都合なのである。頭にくる。四〇日間、これが続いただけで、死ぬ。それなのに、「どうして(夏休み)の宿題をやってこなかった?」と聞かれる。そのとき、気違い兄貴の『蛮行』について、どれだけ言っても、教師というのは、たいした問題じゃないと思うみたいなんだよな。かかわりたくないという気持ちがあるんだろうな。とくに、「家のことにはかかわりたくない」という気持ちがあるんだろう。軽く見積もって、「ともかくやってきて」と言っておしまいだ。

2019年10月21日月曜日

家族会議なんてできるわけがないだろ


起きた。炭酸ジュースを飲みたい。机の上を見ると、ドクターペッパーがある。半分残ってないか?」と思って、ドクターペッパーの缶をあげてみるも、どうもまったくのこってなさそう。実際のこってなかった。
そう言えば、昨日の俺は、炭酸ジュースを飲み過ぎることを警戒して、一本しか買わなかったのだ。昨日の俺、もう一本買うべきだったんだぞ。まあ、炭酸水を買ってこようか。けど、香料付きの炭酸水がある。あの香料というのが気になるんだよな。うさわによるとクエン酸が香料として使われているということなのだが……詳しいことはわからない。「香料」がなんなのか気になって、香料入りの炭酸水が飲めない。
飲んでいるけど、ちょっと調べないとだめだ。

じつはさっき、着替えて、可燃ゴミを出してきた。午前一一時二〇分ぐらいなので、ほんとうは、ゴミが置いてある時間じゃないけど、まだ回収してないから、ゴミが置いてあった。なので、つけたしておいた。回収が午後になるときがあるんだよな。

で、ともかく、ジュースを飲まないと、話が先に進まない。ジュース、飲みたい。買ってくる必要がある。

また、着替えないと……。なんかさぁ。いまのレベルだと、じつは、ジュースを買いに行くのもめんどい。

そう言えば、ハッカ油のにおいがすごい。一週間もするとだいぶとれてしまう。三週間目にはもう、まかなかったような感じになる。まだ、まいたばかりなので、一階のハッカ油のにおいが、二階にまでとどく。侵入してくる。ドアを閉めても、ハッカ油のにおいがしたからあがってくるということは、やはり、スキマがあるんだな。やっぱり、バルサンをやるとき、この部屋に置いてあるものも、重要なものは、袋に入れないとだめだな。

俺は、このままだと希望がない。なんかこころが、憂鬱だ。なんかと書いたけど、長期騒音と長期騒音の後遺症が影響している。理由はある。

もう、だいぶつまっているんだよな。他の人にはわからないだろうけど。ずっと十何年も毎日やられていいわけがない。どんだけ、学力を下げられたか。

あんなに勉強ができない環境で学生時代をずっと過ごしていいわけがないだろ。そういう学生時代の上に成り立つ人生とはいったい、なんだよ? これ、ほんとうはひどいことになのに、張本人は、まったくなにもわかってないんだよな。そういう人間だから、十数年間も、自分の意地を押し通すことができた。普通の人なら、一日だって無理なんだぞ。自分がやっていることが、どれだけひどいことかわかるからな。わかっている人が、芝居で、わからないふりをして、強気に出て鳴らしているということではないのだ。なので、そこらへんのことで、常識的な人から誤解を受ける。どうしてかというと、常識的な家で育った人は、兄貴のような人を、人生の中で一回も見たことがないからだ。もちろん、兄貴だってそとっつらがあるから、うちでやっていることをそとでやるわけではない。それに、わざわざ、授業中に、気違い兄貴が鳴らしたい音でヘビメタを鳴らすということはしないだろう。「うちでだけ」ならしているわけだから。もっとも、気違い兄貴のヘビメタの音は、背負えるようなミニステレオやラジカセのたぐいでは出ない。気違いが気違い的な意地でバイトをして買った、一〇〇万円ぐらいのオーディオセットで鳴らしているのだ。スピーカーがデカイ。これは、もちろん、物理的にでかいということをいっている。あんなの、六畳間におくな。俺のほうの壁の近くにおくな。音に気違い的なこだわりがあるから、「その音」でしか鳴らさない。気違い兄貴がヘビメタを鳴らしているのに、ほんとうに、三味線ぐらいの音までさげたということがない。三味線ぐらいの音までさげるとなると、「感じが出ない」から、もとの気違い的にデカイ音まで戻して鳴らすことに鳴る。まあ、気違い兄貴の人生の中で、三秒間ぐらい三味線ぐらいの音で鳴らしたことがあるかな。けど、「感じが出ない」という理由で、元の音に戻して、そのまま、午後一一時一一分まで鳴らした。俺が、試験の時ですらそうだ。これ、ほんとうはひどいことなんだぞ。めちゃくちゃだからな。だれも、気違い兄貴のヘビメタ騒音とおなじ音量で騒音にさらされてないのに、「勉強するのがいやだから、騒音がどうとか言っている」と言われたり「騒音が鳴ってなくてもおなじ」とか「(点数が低いのを)騒音のせいにしている」とか言われる可能性が出てくる。点数は、平均点よりは上なので、別に低かったわけではないけど、それが逆に、なんて言うのかな? 問題のひどさを隠してしまっている。ほんとうに、ヘビメタ騒音中は勉強なんてできない。ヘビメタ騒音のなかで勉強しようとすると、学校で覚えたことも忘れてしまう。いずれにせよ、気違い兄貴のヘビメタ騒音は、でかすぎる。それは、気違い兄貴にしたって、「よそ」では気をつかって一分も鳴らされないようなデカイ音で、うちでは、ずっとずっとずっと、なにがあろうが、なにを言われようが鳴らしていた。親父の態度で鳴らしていた。頭がおかしい。それから、自分がやっているときに、なにかを言われると怒り狂う。これも、なにかを言われたときの親父の態度とおなじだ。自分がやっていることを「やめろ」と言われたら、発狂して怒る。で、怒ったら、おしまいなんだよ。「言われなかった」ことになってしまう。ともかく、よそのうちでやっていたら、いっぷんかんだってゆるされないことなのである。うちは、親父があれで、おかあさんがあれだったから、気違い兄貴が「意地」を通すことができた。けど、これは、殺人だ。魂の殺人だ。人生の破壊だ。そういうことなのに、まったくわかってないんだよな。自分が「やりたかった」ら、一切合切認めないし、「一切合切わからないモード」で暮らしてしまうのである。話なんて通じるわけがない。ところが、ほかの人たちは「家族で話し合えばいい」というようなことを言う。言ってくる。俺がどれだけ家族で話し合おうとしたか? 気違い兄貴が、自分の行動を制限されるような話しあいに参加するわけがないだろ。じゃあ、そういうふうに説明すればいいという人が出てくるかと思うけど、俺は、説明していた。あんまりかかわりたくないからか? 話を切る。相手が話を切る。だいたい、ここに書いてるようなことを説明したとしても、信じない相手のほうが多いのだぞ。割合的に多い。

ともかく、気違い兄貴は気違い親父の頭の構造で、「ここならできる」「ここならやっていい」「ここならゆるされる」と(無意識的に)ふんでやってたんだよ。ふんで。で、そういうふうにしてやったことは、どれだけひどいことでも、反省しない。反省できない。「悪い」と思えないのである。「悪いことをした」と思えないのである。過去のことですら、認めないのに、現在進行形で認めるわけがなだろ。現在進行形でやりたいときは、自分がやりたいようにやりたいときなのだから、絶対ゆずらないで、やりきる。やりきる方向で気違い的な努力をする。やりきる方向しか考えない。死んだって、殺されたって、絶対の意地でふんばってやりきる。「やめてやる」なんて候補は最初からない。「(ほんとうに)音を落としてやるという」方向は最初からない。音を落としてやるとしたら、「自分が気に入るように落としてやらなければならない」のである。それしかできない。気違い的な意地で、気違い的なこだわりで、「その音」で鳴らしたいのだから、ほんとうにゆずるわけがないだろ。だから、親父のハンダゴテのように、相手に負担がかかるまったく意味がない「譲歩」をしてやったつもりになるだけの「譲歩」しかしない。こんなの人をバカにした行為で、相手を侮辱しているのだけど、本人はそんなつもりはない。そんなことに頭がまわるわけがない。気違い親父とおなじ状態なのだから。気違い親父にやられて、気違い兄貴はあんなに怒っていたのに、気違い親父とおなじやり方で!きちがい行為をしやがる。親父は、ヘビメタにこだわらなかったので、親父がこだわてっこだわって、ヘビメタを鳴らしてやめてくれなかったということはない。けど、親父の一つ一つの行為と、兄貴のヘビメタ騒音は、おなじなのである。しくみがおなじ。態度がおなじ。やっているとき、「本人の気持ち」しかないんだよ。けど、「本人の気持ちしかない」という自覚はない。それから、「本人の気持ちにしたがって、ゆずらずにやり通した」という記憶はなくなってしまう。そもそも、自覚がないから、そういうふうにしているという現在進行形の認識が成り立っているのかどうかもわからないけど、過去のことになったら、なおさら、認識が成り立たない。やり終わった途端に「やってない」ということになってしまうのである。一四時間、気概的な意地で鳴らしても一四時間と〇・〇〇〇一秒後には、「一四時間鳴らしてない」「まったく鳴らしてない」ということになってしまうのである。さらにその一四時間のあいだに「明日試験だから静かにしてくれ」と一〇〇回、どなられても、「そんなことはまったく言われなかった」ということになってしまうのである。そういう、意識が……あるいは、意識状態が……ごく普通に成り立っているんだぞ。反省なんてするわけがないだろ。自分の行動を制限するような家族会議にでるわけがないだろ。これ、教師に「家族会議をすればいい」と言われて、何ヶ月も「家族会議をしたいから、テーブルにつけ」ということを言っても、けっきょく、普段の日は……定期試験を含めて普段の日は、テーブルにつかなかった。手短に言って、親父も、つかなかった。で、高校入試の二日前と、大学入試の一週間前に二回だけ、気違い兄貴が家族会議に参加したことがある。けど、じゃあ、二回テーブルについたのだから、「つくわけがないだろ」という発言はまちがっているということができるかというとできない。三年間だぞ。三年間。三年間ずっと、一分もゆずらずにやってきたんだぞ。高校入試の二日前まで、一回もついてない。だから、その期間にかんしては「つくわけがないだろ」と言えるのである。で、気違い兄貴が

2019年10月20日日曜日

こういう流れが、他の人にはわからない

つまんない。
どうしたらいいんだ?
どうしたらいいんだ?
やっぱり、ぼくのこころが壊れている。
どうにもならない。
そりゃ、俺だって楽しいことを書きたい。

これはない。
普通の人だったらとっくに自殺していると思う。
俺だから、生きている。けど、生きているけど、ほんとうにものすごくやっかいなことをやられて、生命力があんまりないような状態になっている。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音と言えば、たいしたことがないように思われるのだけど、一日で、自殺コースだ。これ、本当につらい。ずっと鳴っているあいだ、パニック。これも、『勉強したくないからそんなことを言っている』と常識的な人が邪推するのだけど、ほんとうに、勉強ができない。あの音のなかで、問題を解こうとすると、解けた問題まで解けなくなるようなところがある。いやな記憶がつきまとう。学校で完全に覚えたことですら、あの音のなかで復習しようとすると、忘れてしまう。記憶があいまいになる。いやな記憶になる。気違いヘビメタ騒音「つき」のいやな記憶になる。鳴っているあいだじゅう全速力で走っているような状態で、くるしい。毒ガス室のなかで、背中に火がついている状態で、全速力で走っているような「おちつかない」状態になる。だれも、わかってくれない。あんなの、七時間近く毎日浴びせられたら、どれだけ丈夫な人でも、常にだるいからだになる。やる気が失われ、鬱状態になる。怒りやすい状態になる。気違い兄貴は気違い親父とおなじで……しらんぷりだからな。これも、ほんとうは知っているけど、知らないふりをしているということではなくて、ほんとうに知らない状態でやってい。何万回言われても、知らない状態に復活してしまうのである。気違い的な意地があるからそうなる。『お兄さんに言えばいい』『家族で相談すればいい』なんて、言う人には、想像もつかない態度なのである。感覚なのである。もう、こういうのは、いやなんだよ。こういうやつらが、敵になる。気違い兄貴が気違い兄貴の感覚で、気違いヘビメタを、こだわってこだわって鳴らさなければ、ぼくと常識的な人のあいだで、争いが発生することがない。震源地の気違い兄貴が、ほんとうに、シランプリだ。これは、『我が家の伝統』で、気違い親父の態度そのものだ。(気違い兄貴も気違い親父も)自分がやりたいことをやっているときに、ちょっとでも「やめてくれ」というようなことを言われると、血相を変えて怒るのだけど、怒ったら、すぐに、言われたということ自体を忘れてしまうのである。何万回言われても、その都度怒って、その都度、言われたということ自体を忘れてしまう。これは、忘れたふりをしているのではなくてほんとうに、忘れてしまう。記憶に残らない。だから、「やめてくれと言ったのに、やり続けた」と言われると、気違い的な意地で否定する。で、そのときの気違い的な意地で否定する態度が、やっているときの『やりきろうとする』態度とおなじなのである。何万時間俺は、勉強を邪魔されたんだ? 何万時間俺は、普通に生きることを邪魔されたんだ? やられてない人が勝手に過小評価して、『そんなの過去のことなら関係がない』とかぬかしやがる。こういうやつも、ゆるせない。ここでもまた、気違い兄貴がこだわりつくしてやったこと……一五年間も毎日やったことを巡って、気違い兄貴がまったく知らないところで、俺と常識的な人があらそうということになる。張本人がしらんぷりだよ。実際にまったく知らないのである。これは、言われたってわからない。そんなのが理解できるはずがない。ここで、思いっきり自分が鳴らしたい音で鳴らしたい……という気持ちがある以上、一切合切「うけつけない」のである。それは、ハンダゴテ事件の時の親父が、ハンダゴテが使えないということを受け付けなかったのとおなじなのである。あるいは、気違い親父が押しつけたハンダゴテで、兄貴がこまっているということを「受け付けない」のとおなじなのである。受け付けないとなったら受け付けないんだよ。そして、受け付けなかったことは、「ないこと」なんだよ。だから、これも、何回言ってもおなじ反応が返ってくる。「使える使える」とか「そんなんじゃないそんなんじゃない」と逆上してどなる。そうしたら、本人のなかでは終わっている。終わってしまったら、どれだけ関係がある人でも、関係がないひとになってしまうのである。ここで言うなら、気違い親父が意地を張っているから、問題が生じているのに、その気違い親父がまったく関係がないひとになってしまう。もちろん、親父のなかで関係がない人になってしまうのだけど、親父のなかで関係がないひとになったら、どれだけ、相手がなにを言っても、親父は、関係がないひとになってしまうのである。兄貴もまったくおなじだ。本人が、気違い的な意地でやっているから問題が生じているのに、まったく関係がないひとになってしまう。「言われて」自分が怒ったら、その途端に、関係がないひとになってしまうのである。こういう流れが、他の人にはわからない。こういうことが、何万回繰り返されても、気違い親父の性格や、気違い兄貴の性格はかわらない。だから、普通に毎日そういうことをして、すごすというとになってしまう。自分が意地になってやっていることは、気違い的な意地でやって、やり終わったら、〇・一秒でやってないことになってしまうのである。関わりがないひとになってしまうのである。関係がまったくないひとになってしまうのである。こんなの、普通の人がわかるわけがない。で、一番わかってないのは、気違い兄貴や気違い親父だ。気違い的な意地でやる人……アクティング・アウトとする人……実際にやる人が、一番わかってないんだよ。ほんとーーにこまる。こういうことでこまるということが、他の人にはわからない。うちでは、もう、あたりまえだからずっと、何万回でも何十万回でもそういうことが繰り返される。もともと?そういう人だからかわらない。

2019年10月18日金曜日

おれがどれだけ、気違いヘビメタの中でがんばって生きてきたと思っているんだよ?


外に出ないとへこみそうだから、外に出るかな。

けど、遠くは無理だ。

やっぱり、近くの販売機まで行って、帰ってくるしかない。しかし、しかし、しかし……。言いたいことはいっぱいあるけど、ここには書けないな。



それにしても、秋が短い。いきなり寒くなるのは、やめてほしい。このあいだまで気温三二度だったのに……。





じゃあ、まあ、行ってくるよ!!!



いまは、食べたくないから、外食はなし。買うべきものも……。あるにはあるけど、買いすぎになる。しかし、カップ麺か。



この人生はやはりくるしい。

それに、やらなきゃいけないことというのが、しょぼい。あんまりやりたくないことなんだよな。


   *   *   *


炭酸水を見つけたので、買いに行かなかった。

しかし、途方にくれる。わかっんないだろうな。

むなしい。だれにもわからないことで、悩んでいる。だれにもわからない。


   *   *   *

やばい。こころがこごえる。

なんとかしないとダメだな。

なんとかしないと……。

いま、しずかなのはいいんだけどな……。

いまはね……。

   *   *   *


理解は得られない。ほんとうにぼくは誤解されている。ずっと誤解されてきた。もういやだ。



あまりにもさみしいので、たいして腹がへってないけど、あったかいものを食べに行くことにした。
なにをたべるかな?
こんな俺でもやらなければならないことがある。それが、めんどうくさい。
『帰ってきたらやらなきゃならないな』と思うと、しんどい。もう、むりでしょ。

もう、ぼくはだいぶ前に壊れて、無理なからだになっている。無理な精神になっている。ほんとうに、この時間、気違いヘビメタがガンガン鳴っていた。気違い兄貴の気違いヘビメタがデカイ音で鳴っているというのはたしかだ。

ところが、ヨソの人は、それを認めない場合がある。ヨソの人がぼくのことを誤解するとき、いくつかのポイントがあるのだけど、そのうちのひとつは『そうは言っても、そんなにデカイ音で鳴っているわけがない』というような誤解ポイントだ。

ちがうって言っているでしょ。

気違い兄貴がスピーカーから四メートル離れているところで、聞いて、ヘビメタ難聴になっている。これは、四メートル離れたところで、八五デシベル以上の音で鳴っていたということを暗示か、明示している。普通、音源がはっきりしているものの場合、音源から一メートル離れたところで音の大きさを測るんだよ。だから、もっとデカイ音で鳴っていたということだ。

もうひとつは、どれだけ言ってもやめてくれなかったということだ。これも、信じない人がいて『言えばやめてくれたはずだ』というようなまちがった信仰を持っている。 気違いの状態というのがまるでわかってない人なんだよな。その人は、健常者に囲まれて育ってきた人なのだろう。

だから、その人の常識で考えると、『家族がそんなことをするはずがない』『言えばわかるはずだ』ということになってしまうのだろう。

けど、それは、その人の家族が健常者だけだったからだ。こういう人が、音のデカさと、音の持続時間と音の持続期間を否定したまま「そうだとしても(仮定)……ちゃんとやらなきゃだめだろ」というようなことを言う。

『そうだとしても?? そうだとしても?? おまえ、何千日もやられてみろ。どれだけ根性がある人でも「できなくなる」。この人たちは、やられてないから、そういうことが言える。自分の身で体験してないからそういうことが言える。

こういう人たちだって、自分の意見には相当に自信があるから、容易には、(自分意見を)引き下げない。引き下がらない。「あったとしても、できるはずだ」という意見にこだわる。いろいろな誤謬ポイントがあるんだよな。ひとごとだと思って簡単に言いやがって。

おれがどれだけ、気違いヘビメタの中でがんばって生きてきたと思っているんだよ?? ほんとうにゆるしがたい。すべてがゆるしがたい。

気違い兄貴の態度(全体)がわからないだけだろ。気違い兄貴の態度全体が、そのひとにとっては非常識なものだから、「そんなのはありえない」というまちがった理論にこだわってしまう。こういうやつの、まぬけな意見で俺がどれだけ不愉快な思いをしてきたか。

こういうやつに、兄貴の姿、兄貴の態度、兄貴が実際に頑固にやってきたことを説明しても、容易には信じない。繰り返しになるけど、「だとしても」と仮定の話をしやがる。そいつにとっては、『仮定』なんだよ。こんなことがゆるされていいわけがない。しかも、そいつは、そういうまちがった仮定でものを言っても、自分の意見を言っただけだというスタンスを維持できるのである。

自分の意見を言っただけ?

そんなことはないよ。俺を侮辱しているよ。ゆるせないよ。

どうして、他人が理解できないような異常な家族にやられると、こういうことになってしまうんだ!! どうして!! どうして!!

   *   *   *

ヘビメタでくるしい。どうしてもくるしい。くるしいだけの人生だった。ヘビメタ騒音で猛烈にくるしい。

だれもわかってくれない。適当なことを言う。いや、不適切なことを言う。彼奴の常識では計り知れない「うち」なんだよ。だから、あいつらの思いこみが、全部間違った方向で、爆走する。気違い兄貴が、ルールを破って悪いことをした。毎日毎日、熱心に、頑固に、悪いことをした。これが重要なことなのに、それは、スルーだ。

完全にスルー。エイリさんの話はほんとうではないかもしれないという、常識的だかまちがっている判断をして、スルーしてしまう。いつもついも「かりに」だからな。

いま、午後一〇時で、しずかだ。この時間だって鳴っていたし、鳴っていたら、どれだけ言っても、しずかにしてくれなかった。それなのに、気違い兄貴は「うるさくした」ということがわかってないし、ヨソの人は『ちゃんと言えばしずかにしてくれたはずだ』という前提立って、俺のことを悪く言う。

『エイリさんがちゃんと言わなかったから悪い』『エイリさんは、コミュ障なのでちゃんと言うことができなかったのではないか』なんて、思ってしまう。

そして、「かりに」鳴っていたとしても、そんなことが、そんなに影響を与えるはずがない……と気違い的な判断をしてしまう。自分だって、一〇〇〇日もやられれば、どれだけくるしいことかわかるはずなのに、やられてないからわからない。

三味線ぐらいの音が二時間ぐらい鳴っていたのだろう……ちょっとうるさいテレビの音が三時間ぐらい鳴っていたのとおなじぐらいだろうと思ってしまうのだ。「そんなんじゃない」とぼくが、どれだけ言っても、こいつらはこいつらで、信じない。

信じてくれる人は、俺が最初に説明したときに信じてくれる。「ひどい目に遭いましたね」と言ってくれる。「そんなんじゃ、働けなくなって当然だ」と言ってくれる。

けど、こういう人たちは、案外少ない。こういう人たちは兄貴が!悪いことをしたということを、一発で理解しいてる。

俺のことを悪く言うやつらは、兄貴が悪いことをした……それも一四年と数ヶ月にわたって、毎日悪いことをしたということを、無視してしまう。『そんなことで働けないなんていうのは甘えだ』と思ってしまう。『騒音で通勤ができないなんておかしい』と思ってしまう。

けど、やられればわかるよ。だいたい、一日のなかでも、七時間は長い。平日、訳し七時間、土曜は約一〇時間、日曜は約一二時間、夏休み、冬休み、春休みは、約一三時間三〇分と、最初に言ってるだろ。

ほんとうに、七時間、機関銃の弾を浴びるように、気違いヘビメタの高音と低音を浴び続けると、眠れなくなる。終わったあとに眠れなくなる。ヘビメタが終わったあとに眠れなくなるんだよ。それだって、常識野郎にしてみれば『自己責任』だ。こいつら……こいつら……。

こいつらが、俺の悪口を言っているのに、こいつらのなかでは、俺が兄貴や親父の悪口を言っているということになっている、らしい。勝手に、コミュ障だと決めつけて、コミュ障だからだめなんだと言うのは、悪口じゃないのか?

どうして、コミュ障だと思うかというと、その時点で、俺が引きこもり無職だからだ。引きこもり無職なら、コミュ障にちがいがないというまちがった信念がある。あー、どうしてこいつらは、常識的な人間なのにこうも倒錯しているのか。

俺がその時点で引きこもり無職なのは、ヘビメタ騒音が足かけ一五年間も毎日続いて、働けなくなったからなんだよ。こうやって、原因と結果をはきちがえる。むしろ、そういう人間のほうが、コミュ障なのではないかと思う。

俺の説明を聞いても、相手が(俺が)ヘビメタ騒音で働けなくなったということを理解してないからだ。ほんとうに、原因と結果がわかってない。

そういうふうにまちがった判断をする人だってほんとうに、あの音のデカさで、あの気違い兄貴の態度で、あの時間の長さ、ヘビメタ騒音を鳴らされたら、毎日眠れなくなって、まるで地獄の中で生活しているようなくるしい状態になる。そのひとつの症状として、『眠れなくなる』というのがある。もっと正確に言うと、『適切な時間に眠れなくなる』ということだ。適切な時間というのは、世間の人が『眠るべき時間だ』と考えている時間ということだ。

俺だって、ヘビメタ騒音がなければ眠れたのである。気違いヘビメタを浴びてない人が……一日にのなかで長時間……毎日毎日浴びてない人が、適切な時間に眠れるのは当然のことだ。

そりゃ、徹夜をすることもあるかもしれないけど、『毎日ヘビメタが鳴っているわけではない』から、回収できる。睡眠時間と睡眠リズムを回収できる。その人たちが『俺だって、つらい朝がある。それでも、がんばって働いている(通勤している)』というのは、一見、正しそうな発言だけど、正しくない。

そういうレベルのつらさは、俺だってヘビメタ騒音が鳴る前に経験しているから、知っている。そういうレベルのつらさと、毎日つもっていくヘビメタ騒音のつらさはちがう。ぜんぜんちがう。

けど、実際には気違い兄貴のヘビメタ騒音を一日も経験してないので、そいつらはわかってない。なおさら、毎日積み重なったときのつらさなどはわかるわけがない。そういうやつらが、わかったようなことを言う。勝手に俺を混みしゅょうだと決めつけて、俺のことを悪く言う。

もちろん、本人は……本人たちは、俺のことを悪く言っているつもりはないのだ。『あたりまえのことを言っている』『正しいことを言っている』と思っている。『そんなことを言われたって、実際に働いてないのだからしかたがない』と思っている。『エイリさんは、働いてないのだから、自分たちからそういうことを言われたってしかたがない』と思っているわけだ。こういう思いこみだって、失礼な話しなんだぞ。ほんとうは!! まったくわからないのだろうけど。

普通の人がこういうことを思う。特に悪い人じゃなくても、こういうふうに思うわけだ。気違い兄貴の態度があまりにも異常なので、他の人がこうやって、まちがった判断をして俺の悪口を言い出す。兄貴とは違った意味で、悪いとは思ってない……そういう人たちは。兄貴のへんな性格はヨソの人をそうやって誤解させる「ちから」がある。

これは、親父の場合もおなじだ。あまりにもへんだから、他の人が誤解してしまうのである。で、じゃあ、他の人にわかるように上(縦書きにする場合は右)に述べたことを説明すれば相手は納得してくれるかというとそうではない。

それから、短い自己紹介時間で、上(縦書きにする場合は右)に述べたようなことを討論形式で?説明できる機会があるかというと、ない場合もある。だから、そいつらは、最初の印象通りに誤解する。僕はむかし、第一印象の研究をしたかったんだ。

影響を受けたことがないやつが、好き勝手なことをいいやがる

おかしいんだよな。けっきょく、ヘビメタをやられてないやつらが好き勝手なことを言っている。


おなじぶんだけやられれば働けないからだになるのに……そいつらだって。おなじぶんだけやられれば、どうやっても楽しめない『頭』になるのに……そついらだって。勝手に、ヘビメタ騒音の影響を過小評価して、好き勝手なことを言いやがる。これ、小学六年生の時からそうなんだよな。あとは、親父の頭の構造や兄貴の頭の構造は、普通の人にはわからない。だから、親父や兄貴がうちでやることを説明しても、他の人は、根本的なところで誤解する。誤解したところで『言えばいい』『相談すればいい』と言いやがる。こうやって、なめられる。勉強にしたって、楽しむ力にしたって、眠る力にしたって、どれだけ影響を受けるか? 影響を受けたことがないやつが、好き勝手なことをいいやがる。

そいつらは、鳴らされたってたいしたことはない(自分だったらちゃんとできる)と言うわけさ。やられてないのに……。どれだけのことかわかってないだけの話だろ。からだの反応として、やはり、疲れが残る。頭も含めてからだだから、鳴らされたあと、影響がどうしても残る。それは、何度も言うけど、走ったあと息がつらくなるのとおなじだ。走ったあとの影響よりも、騒音の影響のほうが長いのである。どうして、これがわからない。普通のからだの反応なんだよ。それに、これは、悪い意味で筋トレ』みたいなところがある。繰り返しで、からだ事態に変化が生じる。それも、生きているからだのしくみなのに、やられていることが他の人にはしょうじない異常なことなので、他の人にはわからない。

短い期間の鬱を経験した人が、勝手なことを言う。認知療法にかぶれて、キレイゴトを言う。『自分だってつらい思いをした。けど、認知療法的な考え方でなおった』と言う。それは、そうなのだろうけど、俺はおまえじゃないし、量がちがう。そういうことが成り立たない世界なんだよ。そんなんじゃないんだよ。

2019年10月17日木曜日

生まれつき虚弱体質の人とヘビメタ騒音性の虚弱体質の俺と、差がない


けっきょく、そばを食べにいくことはなく、うちでキムチと唐揚げを食べた。なるべく、揚げ物は食べないようにしているけど、たまには、揚げ物もいい。唐揚げは、好きな揚げ物のひとつだから、食べられる。ほんとうは、レンジであたためたほうがいいのだけど、レンジが使えないので、常温で食べた。昨日の夜買ってきて、部屋にずっとおいておいた。ほんとうなら、冷蔵庫に入れるべき商品。下におりていくのがいやだということが、いろいろなことに影響を与えている。
あとは、なんて言うか、
2019年10月17日15時17分14秒
もう、この時点でつかれた。この体力のなさはどうにかしなければならないのだけど、五〇〇〇日の気違い騒音のせいで体力を失ったので、元には戻らない。虚弱体質の人とヘビメタ騒音性の虚弱体質の俺と、差がない。生まれつき虚弱体質である人とヘビメタ騒音でつかれやすくなった俺と、いまの時点では大差がない。ヘビメタ騒音というのはそういうものだ。気違いによる長期長時間ヘビメタ騒音。家族による長期著時間ヘビメタ騒音。こういう騒音の性格が他の人にはわかってない。他の人にとっては未知の騒音なので……その効果がわからない。『未知』というのは、ヘビメタというものを知らないという意味ではなくて、一日の時間の長さと、ヘビメタ騒音が続いた期間の長さが未知だと言っているのだ。偏見というのは、わりと複雑なもので、一種のコンプレックスなのである。偏見は、わりと構築物に近いものなのである。手短にと言うと、ひとつの単位となる偏見と、ほかの偏見が複雑にむすびついている。ひとつだけ取り上げようとしてもそれは、無理で、ひとつだけ取り上げようとしてもほかの偏見が、納豆のように、くっついてくる。ひとつずつの偏見が複雑に絡み合った構築物のようなものなのである。



ほんとうに、つかれたな。そして、なんて言うのかな? 他人の状態に敏感ではない人、あるいは、他人の状態を考えることが不得意な人に、バカにされる。そういう人たちだって、五〇〇〇日にわたって、俺とおなじぶんだけ、俺とおなじ時間、俺とおなじ期間の長さ、気違い兄貴の態度で、気違い兄貴が夢中になって鳴らしていたときの音のデカさで、なんらかの騒音……その人にとっての『騒音』を聞かされたら、虚弱体質相当の体力になるのに、それがわからない。どうしてわからないかというと、想像力が欠如しているからである。また、実際に経験してないからである。実際に経験してないから、自分だったらどうかと言うことを、想像するしかないのだけど、その想像が、まちがっている。自分にとって都合がいいようにまちがっている。これは、そういうやつらの特徴のひとつだ。要するに、自分の能力を過大評価しているのである。自画自賛をしがちな人なのである。他人の苦痛にたいして、鈍感な人なのである。見積もりが、自分にとって都合がいいようにまちがっているのである。要するに、「おれすげー」という方向でまちがっている。実際にやられたら、一発でわかることなのだけど、実際にはやられてないので、わからない。わからない以上は、その人が考えたときに思いついたことが、その人の(いろいろなことに関する)判断基準になる。いろいろなことというのは、俺に対する判断や俺の言っていることに対する判断の基準になるということだ。ようするに、偏見がセットされる。

2019年10月16日水曜日

そいつは、自分の考えを放棄しない。そいつは、かわらない。


気違い兄貴が、「やりたい」から、昂然と無視したことがでかすぎる。それが、常識外れで、あり得ないことなんだよ。普通は、あり得ないことだ。どれだけやろうと思っても、できないことだ。けど、「やりたい」から、できる。事実を否定して、「ない」ことにしてしまう。夢中になって否定しているときは、夢中になって否定しているだけなのである。否定すること意外なにも考えてない。まさに「いまここ」しかない状態で否定する。普通なら絶対にわかることがわからなくなる。普通なら言わなくてもわかることがわからなくなる。普通なら、言われたら絶対にわかることが、わからなくなる。わかってしまったら「できなくなってしまう」から、命がけで否定する。「いまここ」しかないから、「いまここ」で否定すれば、それでいいのである。だから、そのあと、当人が否定したことを頑固に、気違い的な意地でやり通しても、『まったくやったと思ってない』状態が続く。こういうしくみ。こういうマジック。こういうことで、どれだけ俺が傷ついたか。勉強の邪魔をされて、めちゃくちゃな人生になったか。これ、否定する人もいるかもしれないけど、勉強はやりたいときもあるのだ。いつも、気違いヘビメタが鳴っていると、勉強をしたいときもできない。そして、普通の人は、気違い兄貴のヘビメタ騒音が『普通の騒音』だと思っている。ちょっとデカイテレビぐらいの音だと思っている。カラオケぐらいの音だと思っている。「そんなんじゃない」って言っているのに。もちろん、俺の部屋で聞いたときの話しだ。よその家にどのくらいとどいているのかは知らない。あの気違いヘビメタ騒音のなかで勉強するのは無理なんだよ。これも、『無理じゃない』『集中すればできる』と言うやつがいるけど、そいつは、俺とおなじ条件で、気違い兄貴のヘビメタ騒音を一秒も経験してない。経験してないやつが言う、単なる憶測にもとづいた意見なのである。俺とおなじ条件でくらしてから言え。

あれ、ほんとう、気違い兄貴は『ヨソじゃ一分だって鳴らすことができないような』デカイ音で鳴らしているということを知っていると思ってたけど、ほんとうに、知らなかったんだな。親父とおなじで、ほんとうに「そのとき」しかない。文句を言われているとき、『否定して』のりきれば、『そうじゃない』ことになっているのである。これ、ほんとうに頭がおかしいから「いじわる」でなく、できる。もちろん、やっていることは最低最悪の意地悪なんだけど、本人は、別に意地悪でやっているわけではないのだ。別に意地悪で(知っているのに)しらばっくれているわけではないのだ。で、知っているのにしらばっくれている人は、正常で!……やってることが異常でも正常だ。……ほんとうに異常なのは、どれだけ言われても、知らないまま、やり続けることができるやつだ。これは、ほんとうに「やったってやってない」の境地に立って、「いまここ」しかないから、文句を言われたときだけ……やめろと言われたときだけ……発狂して否定して、はむかって、おしまいなのである。そのあとやったって、やっているつもりがないのである。「いまここ」の意地しかない、気違い野郎だからこそできる、最低最悪の意地悪だ。こういうのを、正常な人の意地悪といっしょにするな!! どんだけ、足を引っぱられるか。もし、正常な人が意地悪をするつもりで、知っているのに認めない(知らないふりをする)という態度で鳴らしたなら、いっくらなんでも、一ヶ月で終了する。「うちでも」鳴らせない状態になる。けど、うちは、そもそもが、気違い親父が作った家なので、成り立ち続ける。そういうことが他の人にわからない。どれだけ、倒錯した感覚で鳴らしているか……他の人は……わからない。ほんとうに気違い的な意味で、自分勝手なのである。気違い的な意味で、「いまここ」しかないのである。「いまここ」の自分の感情しかない。認めたくないという自分の感情があると、現実を無視して、絶対の意地で認めないのである。「いまここ」を認めずに押し切れば、それでいいのである。「いまここ」の感情しかないのである。だから、どれだけ言われても、相手がこまっているということがわからない。自分がやりたい……自分が思ったとおりにやりたい……自分が思ったとおりに思いっきりやりたい……という感情しかない。いつもそうだから、いついかなる時に言ってもおなじ反応が返ってくる。これ、親父がやり始めたことで、普通の人間ならできないことなのである。そりゃ、普通の人間は、どれだけ意地を張っていても、自分がやっていることがわかっているからなぁ。気違い親父と気違い兄貴は、「いまここで」自分がやっていることがわかってない。頑固にやっているのに、頑固に否定している状態だ。現実否認がひどすぎる。自分がやりたいと思ってやっていること、あるいは、自分にとって都合が悪いことは、気違い的な意地で否定する。その気違い的な意地で否定するときは『現実』なんて一切合切関係がないのである。頭の中の『自分にとって都合がいい現実』しかない。自分の感覚器を書きかえて自分にとって都合がいい『現実認知』をつくる。夢中になってつくる。「いまここ」しかないのだ。相手の言っていることや現実を否定して、「やることができれば」よいのである。相手がこまっているということは、これっぽっちもない。相手が(自分がやっていることで)こまっているということは……そいつの現実のなかには……一切合切ない。自分の感情だけだからな。感覚器まで書きかえて……感覚器に依存した認知まで書きかえて、自分がやりたいことを押し通す。曲げられるのは、感覚に依存した認知そのものなのである。こうやって、自分がやりたいことを、押し通す。もちろん、押し通したつもりなんてないのである。こういうマジック。こういう気違いマジック。これで俺がどれだけひどい目に遭ってきたか。

こういうひどい目に遭ってきた人間に対して、生かじり精神世界の人は「相手をかえるのではなくて自分をかえるしかない」などということを言う。こういう現実もある。こういう現実が、この世をもっと地獄にするんだよ。こいつらは、こいつらで、なにをしているのか本当にわかっているのかな? と思う。たとえば、事実ではないことでうらみをもって、ガソリンをまいて、人を焼き殺すやつがいたとする。たしかに、他の人が「やめろ」と言っても、そいつの考えをかえることかできない。なら、殺されてもいいのか? これは、そういう問題なんだぞ。たとえば、知的障害者を殺そうとしているやつがいるとする。そいつに対して、『そういうことはやめろ』と言っても、そいつは、自分の考えを放棄しない。そいつは、かわらない。『そういうことはやめろ』といっくら言っても、そいつの考えがかわらなかったとする。なら、殺されたほうは、それでいいのか? 『相手をかえるのではなくて自分かえるしかない』から、殺されてもいいかの? これは、そういう問題なんだぞ。そういうことを、かるがるしく口(くち)にする。自分が妄想的な人に殺されるということを考えたことがないから、そういうことが言える。自分の人生が、妄想的な考えをもった人に破壊されるということがなかったから、そういうことが言える。家族が、妄想的な考えをもっていて、自分の人生を破壊したらどうなるんだよ?


2019年10月15日火曜日

なにがどのくらい楽しいことなのか、点数をつけようと思ったけどやめた


自分が起きているときにやっていることで、なにがどのくらい楽しいことなのか、点数をつけようと思ったけどやめた。
なにかをやったあと憂鬱になるなら、そのなにかをやる時間を減らすべきだと考えるわけだよ……普通の人は。そして、なにかをやっているとき楽しくなるなら、その時間を増やせばいいと考えるわけだよ……普通の人は。
けど、これは人間の無意識を無視しているから、無意識に問題がある人には、あんまり効かない。
だいたい、他の人の行為でボロボロにされた人は、……たとえば、気違い的にデカイ騒音などを長期間にわたってボロボロにされた人は……『楽しい』の『楽しい』がちがう。普通の人とは『楽しい』の『楽しい』がまったく違ってしまっている状態になっている。もう、ぜんぜんちがうと言っていい。

楽しいこと以外に、楽しくないのにやらなければならないことが日常生活のなかではしょうじる。これが問題なんだよな。くるしいけどやらなければならないこと……これが問題。やりたくないのにやらなければならないこと……これが問題。

2019年10月14日月曜日

一三時間鳴らされ続けたときのからだの状態がわからない


自分がやりたいから、意地になって、条例違反であるような騒音を出しまくっていたんだぞ。家族だということとと、一家の大黒柱であり、兄貴の親権者である気違い親父が気違いだから、話しが複雑になった。こんなの、ほんとうによその家じゃぜっーーーったいにありえないことなんだよ。だから、よその家の人は、よその家の人の常識でものを考える。『そんなに意地に鳴って鳴らす人はいない』と思っている。『そんな音で鳴らしていたら、絶対に親がしずかにさせるはずだ』と思っている。……ちがうんだよ。親が原因だ。気違い兄貴の態度は、気違い親父の態度のコピーだから、うちには浄化する機能がない。
ともかく、兄貴は、ハンダゴテ事件の時の親父のような態度でずっと鳴らしていたわけで、気違い親父のように「つもり」がない。これが、この騒音の背景にある。で、これが他の人には逆立ちしてもわからないのである。そして、他の人がわからないことはもうひとつ、ある。ほんとうはもうひとつじゃないけど、もうひとつは、ほんとうに、気違いヘビメタを一日に約七時間鳴らされたときのからだの状態だ。これが、まったくわからない。休日、夏休み、冬休み、春休みは、一日に一三時間鳴らされるのだけど、一三時間鳴らされ続けたときのからだの状態がわからない。俺がサボっているように見える。俺がもともと、『そのくらいの能力しかない』ように見える。これは、神様がおかしい。
ともかく、よそじゃ一日に一分だってあり得ないようなデカイ音で鳴らされた。気違い兄貴は気違い兄貴だから、自分がやりたかったら、自分がやりたい気持ちだけになってしまうのである。気違い親父とおなじなのである。自分がやりたい気持ちになったら、それにあがなうようなこと!! ……もし、それを認めたら、自分がやりたいようにできなくってしまうことは、どれだけ明らかなことでも、意地になって認めない。意地になって認めないということも認めない。言われたときに、発狂しておしまいなのである。言われたら、怒って、無視してやり通しておしまい。さされなければ、絶対にやめない。殺されなければ絶対にやめない。これが親父とまったくおなじ態度なのである。で、そういう態度でやったことは、気違い兄貴のなかでは、全部やってないことなのである。こういう、気違い的なところがある。これだって、うちの人以外はわからないだろ!!
もうひとつ言っておくと、気違い兄貴は、そういう性格だということが(ヨソの人は)わかってない。兄貴自身も兄貴自身がそういう性格だということがまったくわかってない。気違い兄貴は、自分が意地になって、こだわってこだわって……親父のように相手が言っていることを無視して……やったことは、やってないと思っている。一日に一三時間、こだわってこだわって、頑固に鳴らしても、気持ちとしては!!一分も鳴らさなかった場合とおなじなのである。そのくらいに感覚がズレている。

佐藤氏は『早く気がついてくれないかな』などと言っていたけど、それは、そのまま佐藤氏に返す。どれだけ、考え違いをしているんだよ。佐藤氏が思っているヘビメタ騒音の影響は、一〇〇京ぶんの一だ。ぜんぜんわかってない。これも、ほんとうに、小学六年生の時からズッとやられて、勉強の邪魔をされ続ければわかるよ。それによって、どういう人生になるかわかるよ。ぎりぎりの努力をしても、気違いヘビメタに押し流されてしまう。無視して、からだに影響が残らないということがない。こういうことが、まったくわかってない。まるで、ヘビメタ騒音が一五年後に鳴りやんだらまったく関係がないと思っているんだからな。そんなことであるわけがないだろ。どれだけ想像力が欠如しているか? この、想像力のなさは問題だぞ。

   *   *   *

やっぱり、ヘビメタ騒音のことが大きすぎる。おおきすぎる。どれだけ、たたったか。ほんとうに普通の人とおなじように、普通に勉強ができる状態であれば、高校や大学におちたとしても、それこそ、自己責任ということで満足できたんだ。ヘビメタ騒音に、すべての時間たたられている毎日で、そんなことが、思えるはずがないだろ。こういうのも、ぜんぜんちがうんだよな。

ほんとうにやられてない人にはまったくわからないことを、毎日ずっと経験しすぎた。あの時間の長さはない。ものすごく長い時間、強烈にデカイ音で騒音を聞かされた。この部屋にいるあいだ、どうしてもくるしかった。それは、勉強している、勉強していないにかかわらず、くるしかった。そして、『なら外に出ればいい』と考える人がいるかもしれないけど、ヘビメタ騒音のなかで外に出る用意をして、外に出ることの困難さがわかってない。それから、ヘビメタ騒音のなかに帰ってくることに鳴る。この気持ちの重さが、わかるわけがない。やられたことがないやつにわかるわけがない。気違い兄貴とのもめごとは、気違いとのもめごとだから、ものすごく、気持ちをかき乱されるのである。これも、気違い親父が気違い兄貴が「うちに」いる人じゃないと、逆立ちしてもわからない。この人たちのやり方は、掲示板の「あらし」よりもひどい。頭がおかしくなければできないことは、健常者を健常者を傷つける。頭がおかしくなければできないことを頑固にやって、まったくやってないつもりでいられる感覚は、健常者を傷つけるのである。感覚が傷つける。感覚は態度になってあらわれるから……。

ともかく、普通の家であれば、一日目の一〇分目あたりに、親が怒って、やめさせられるはずなんだよ。そのあとは、一日に一分だってできないようになってあたりまえなんだよ。あんな音で鳴っているうちなんてない。どこを歩いたってない。あんなのはおかしい。けど、気違い親父は『全部やめろっていうわけにはいかないだろ』などと言って俺に怒り狂っていたのである。だから、注意しなかったのに、一五年(じゅうごねん)たって終わったあとは、「注意した注意した」だ。「注意してくれなかった」と俺が言うと、親父が「注意した注意した」と怒っておしまいなのである。こういう反応しかない。頭がおかしい。これ、「全部やめろっていうわけにはいかないだろ」と言ってたときとおなじだ。気違い親父がうちにいて、気違い兄貴のヘビメタを『ウチのなかで聞いている時間』というのは、平日は〇分(ぜろふん)だ。だから、気違い親父はこまらないのである。あとは、気違い親父が外にいるときに、鳴っているんだよな。日曜日二時間ぐらいかな。いっしょの『敷地』にいあわせるのは。親父と兄貴が、いっしょの『敷地』にいあわせるのが二時間だ。それ以外は、親父は気違い兄貴のヘビメタを聞かないので、こまらないのである。あとは、自分がめちゃくちゃなことをしてきたという気持ちが無意識的にはあるのか、言えなくなってしまったのである。だいたい、からだのデカさが、自分をこえると、言えなくなってしまう。それまでは、気違い兄貴のヘビメタ騒音とおなじやり方で、もめごとを引き起こして、怒り狂っている。あれ、やり方がおなじなんだよな。もちろん、本人はまったくつもりがないというところも含めておなじだ。お母さんは『あんまり言うと怒るから』なんて言って、あんまり言わなかった。言うというのは、兄貴に注意するということだ。で、いつもこまっていた。お母さんはこまっているだけなんだよ。親父は、問題の所在がわからない。あまりにも頭がおかしすぎて、どれだけ言われても(よその家では絶対にあり得ないような)異常な音でならしていると言うことがわからない。そりゃ、親父がいないときに鳴らしているわけだから、自分がこまらなければわからないのである。もちろん、でかくなった兄貴に注意をするのはいやだという『強い』意志があったんだけど。そのとき俺は、小学六年生だったので、親父よりも小さく、親父は俺に対しては、怒り狂えるのである。兄貴に対しては、もう、わけのわからないことで怒り狂うということができなくなっていた。で、そうなったら、必要な注意も意地になって『絶対にしない』というような状態になってしまう。『注意してくれ』と言われたら、真っ赤な顔をして怒り狂って『しかたがない!!しかたがない!!』と怒鳴っていた。気違い兄貴は、親父のことを無視して、自分が好きなようにやると言って、好きなようにやっていたから親父に対して(こうだった)ということがないんだよ。俺に対しても、小さいときのように怒り狂うというのはなくなったのだけど、自分が悪く言われたら、もう、怒り狂うことになっている。悪くと言うか、自分にとって都合が悪いことを言われたら、怒り狂う。そこは、かわってないんだよ。(相手の体の大きさには関係なく)かわってない。で、気違い兄貴も、自分がデカイ音で鳴らしたいときに、『静かにしろ』と言われたら親父のように怒っておしまいなんだよ。この、気違い反応。で、そういうふうに言い終わったあとは、……怒ったあとは、両方とも、『やってないつもりになる』。そして、やり続ける。自分の感情だけだから……。いまそのときを、気違い的な怒り狂いでのりきったら、それでもう、関係がないひとになっているから、関係がないつもりでやり続ける。殺さないとやめさせることができない。そういうことを押しつけてくる。両方とも……。親父も兄貴もおなじなんだよ。頭の構造がおなじ。気違い感覚がおなじ。

こういう、他の人にはにわかに理解できないことで俺がどれだけくるしんできたか。傷ついてきたか。

人間というのはたしかに愚痴を聞かされるのはいやだというところがある。他人の不平不満は聞きたくないという気持ちがある。これは、本能ではないけど、防衛本能のように、ある程度普遍的に成り立つ。例外はあるんだよ。例外はある。




2019年10月13日日曜日

七年ぐらいで、七〇歳以上の『蓄積疲労』を感じている


ほんとうにつまらないんだよな。いろいろと、やる気がない。やる気が出ない。楽しくないからな。「やらなきゃ」と思ってやることが楽しいわけがない。俺のここらへんの回路は、完全に、長期騒音で焼き切れている。普通なら、楽しくなくてもできることができなくなってしまっている。そして、楽しいと感じることがまったくなくなってしまった。長期騒音で、楽しいと感じるこころがなくなってしまった。だから、この世には、「やりたくないのに、やらなければならないこと」しかないというような状態になっている。とうぜん、「やりたくないのに、やらなければならないこと」なんて、やりたくない。やりたくないし、我慢してやっても、つらいだけでおもしろくい。ところで、我慢してやっているうちに、おもしろくなるというようなことを考える人もいるのだ。これは、一理ある。けど、一理しかない。手短に言うと、この回路が、焼き切れている。どこまでもなれない。逆に、騒音のように、続けば続くほど、つらい状態になる。いや、もっと正確に言えば、騒音なかでやりたくないことを、我慢してやっているように、疲労がたまって、どうしてもできないことになってしまう。やっているうちに楽しくなるとか、なれればそれほどいやなことではないというのは、気違いヘビメタ騒音によって、回路が焼き切れてない人たちが言う、真理だ。たわごとだ。たしかに、人間にはそういうところがあるけど、それは、一般人に関する真理であって、俺にとっての真理じゃない。ヘビメタ騒音で回路が焼き切れているから。



だいたい、定年退職する人は、『もう、四五年働いたからいい』という気持ちもあるのだろうけど、『からだがいうことをきかなくなった』というような気持ちもあると思う。ようするに、六五歳なり、七〇歳になって、昔のようには、動けなくなったので、やめるということだ。ぼくのヘビメタ騒音体験は実際には一四年と四ヶ月だけど、だいたい、七年ぐらいで、七〇歳以上の『蓄積疲労』を感じている。ほんとうにヘビメタ騒音にたたられながら、午前七時四五分には起きて、学校に行って帰ってくるというのは、サラリーマンの労働換算でいうと、一日に二二時間ぐらい働いているような状態なのである。しかも、うすいガス室の中で、からだが(将来的には絶対にだめになる)労働をしているようなものなのである。なので、ぼくは七年間で、労働を四五年間ぐらい繰り返してきた定年退職者とおなじか、あるいは、それ以上に悪い状態になっている。もちろん、状態というのは、からだの状態だ。だから、ヘビメタ騒音にやられた俺にしてみれば、七年間のヘビメタ騒音だけで、定年退職者とおなじような状態になっているのである。はっきり言ってしまえば、六五歳と言うよりも、七〇歳、八〇歳、九〇歳だ。ヘビメタ騒音七年間で、五〇年間働き続けた人よりも悪い状態になっている。

2019年10月12日土曜日

どんな台風の日も、気違いヘビメタが鳴っていた



まあ、いま、家がキシキシ言っているよ。

ネズミの通り道ができてしまうかどうか、心配だ。

いま、実は、紅ショウガを冷蔵庫に入れたいのだけど、下に降りていってネズミがいたら、俺はもう、ショックで眠れなくなるから、下に行きたくない。どうするかな?



これ、壁がやばいよな。



あー、暑いし、紅ショウガ、どうしようかな。



あと、なんて言うのか、俺は……長期騒音のことで頭がいっぱいだ。どうしても、自分の人生に納得がいかない。

どんな台風の日も、気違いヘビメタが鳴っていた。絶対にやめてくれなかった。これに関して、俺が悪く言われるのはほんとうに心外だ。これ、こころがきたない人たちは、俺のことを悪く言うんだよな。できなくなった俺のことを悪く言う。だれだって、できなくなるのに……。あんなにやられたら……。そして、悪いことをしたのは気違い兄貴なのに、俺のことをせめるんだよな。これ、ほんとうにこころがきたなすぎると思うんだよな。

台風の時も地震の時も、ネズミが出たときも


俺がつらいんだよ。騒音人生で、人生がない。
台風の時も地震の時も、ネズミが出たときも、全部、気違いヘビメタ騒音でくるしい。これ、台風の時って、ヘビメタ騒音にやられていた、午後二時ぐらいを思い出すんだよな。修学旅行が終わって二週間ぐらいたったときか。修学旅行の前だって、気違いヘビメタにやられて、「やけくそのやんぱち」で行ったんだ。もう、全部、壊れている。

ヘビメタ騒音でくるしいと言っているだろ!!


俺は、いまの状態で生きているだけで精一杯だ。他の人とは経験したことがちがう。
やられたことがちがう。本当につらかったなぁ。そりゃ、ああいう状態で暮らしたことがないやつが、『過去はどうでもいい』と言うのは簡単だ。言葉が軽い。俺とおなじ目に遭ってほんとうにそういうことが言えるのかね? おまえらが考えているほど、あまくない。「すべてがたたる」状態になってしまう。毒にやられてくるしい状態とかわらないのに、ほかのやつらは、まるで俺がサボっているようなことを言ってくる。まるで、俺があまえているようなことを言ってくる。ゆるせない。おまえ、どれだけきびしい状態で暮らしていると思っているんだ。気違い兄貴だって、ヨソの家だったら一分だって鳴らせないようなデカイ音で、ずっと鳴らしていた。それがわからない。ほかのやつらは、その意味がわからない。どれだけつかれるかわからない。どれだけやろうとしても、ヘビメタ騒音で勉強ができないという状態がわからない。毎日続いていいわけがないだろ。
ともかく、気違い兄貴が鳴らさなければよかったんだよ。それだけなんだよ。その簡単なことが、ずっと成り立たない。殺さないとやめない……そういう状態だった。毎分毎秒ずっとそうだった。くるしかった。
ヘビメタ騒音でくるしいと言っているだろ!!

おまえらは、ヘビメタ騒音にやられなかったのだから、ヘビメタ騒音にこだわらずに暮らしていける。あたりまえだ。それは別に俺が、こだわりすぎだということを意味してない。けど、やられなかったやつにしてみれば、俺がこだわっているように見えてしまうのである。『こだわる理由がないこと』あるいは『こだわる必要がないこと』にこだわっているように見えてしまうのである。こんなのはない。あるけどない。想像力の欠如。そういうことじゃないんだと、俺がどれだけ説明しても、俺とおなじぶんだけ、ヘビメタ騒音にさらされなかった人は、そういうふうに考えてしまう。想像力の欠如。

2019年10月11日金曜日

ほんとうにまったくわかってないな


やっぱり、現状維持だけで相当にたいへんだ。この気分で、すごすしかないか。いま、ネズミがいないから、なんとか平静を保っていられるけど、これでネズミが出たら、相当においつめられた気分になる。



片付けも、相当にたいへんだ。一階の部屋全部にネズミが出る可能性があるので、やはり、台所を使えない。台所が自由に使えないというのは相当に生活に影響を与える。鍋の蓋とフライパンの蓋をバルサンやネズミにやられたので、すてている。すてなければならない蓋が多数あるというのに、使える蓋はないのだ。



醤油も、どうしようかなと思っている。実は、いまのサイドボードのところに、醤油ボトルを置いたのだ。これは、そのうち、二つはつかったのだけど、ひとつは、ネズミが出たときにサイドボードにはいっていた。なので、ネズミに汚染された可能性がある。しかし、このボトルは封を切ってないボトルで、注ぎ口のところには、ビニール系のフィルムがかかっている。なので、ボトル本体を消毒して、うまいこと封を切れば、使えるような感じがする。で、いまやってみたのだけど……うまくいった。けど、なんか不安なのである。もし、●●病になったらどうしょうよう……というような気持ちがある。醤油なんて、安いもので、もし、感染したら……。すてて買ったほうがいいかな? と思ったりもする。



親父の愚行で俺が病気になるというのが、ほんとうにいやなんだよ。



まあ、醤油は買いに行くかもしれない。



なんだかさ。展開がないんだよね。どうしても、やる気になれない。自分の人間としての生活を維持するだけで、相当につかれている。ようは、ご飯を食べさせて、風呂に入れて、適切な寝床を維持するということが、相当にむずかしい。風呂も、ほんとうははいるべきなのだけど、ネズミ関係ではいりたくない。

ともかく、なんと言うか 希望がないんだよね。どうしても、現状維持になる。じゃあ、そうやってがんばっている現状というのはなにかというと、長期騒音にやられたくるしい現状だ。体調も、気分もかなり、きびしい。俺は、時間帯によっては相当にボロボロなのに、だれもわかってくれない。俺がどれだけ我慢して、(相手の時間にあわせて)動いているぜんぜんわかってない。まあ、そういうことが生じたのだけど、たいていは、自分ひとりで生きているので、相手の時間にあわせることはほとんどない。ほとんどないのだけど、そういう必要性が一週間に一回でも生じてしまったら、俺は相当に追い詰められる。


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買ったのは、バルサン、練り梅、カシューナッツ、電源コード、風呂桶、醤油だ。風呂桶は、ほんとうに俺が小学生の時からあるようなやつだから、四〇年選手だな。あれはもう……。まあ、ネズミ時代を通り抜けなければ、洗って使うんだけど、なんか、風呂場においてあるものもいろいろといやになっている。
練り梅は、二本買わないと送ってくれないで二本買ったけど、こういう食べ物が、増えるのは問題がある。バルサンをたくときに、袋に詰めなければならないので、たいへんだ。バルサンだってただじゃないんだぞ。おやじ!! たとえば、皿の上に粕漬けをのせたまま、次の日まで置いておくということにこだわると、どれだけ、そういうことをするとネズミがくるからやめろと言っても、やめないのだ。そうやって、やっておきながら、「やってない」なんて言いやがるんだよ。それに、寒い思いをするとかわいそうだと思って、トレーナー(上)を普段着用に買ってやったのに、「買わなくて、いいよぉ」「(そんなの)もってこなくていいよぉ」と怒って言うのである。怒って言っているんだぞ。ほんとうにまったくわかってないな。まあ、(施設の部屋には)エアコンがあるから、そんなに寒い思いをするということはなだろうけど、秋冬用の服はそろえておく必要がある。それから、施設の人が洗濯をするわけで、一枚洗ったら、もう、「かえ」がないという状態はさけなければならない。施設の人のことを考えると、三枚ぐらいはあったほうがいい。だから、そろえてやっているのに、そういう憎まれ口をたたく。俺は、あのトレーナーを買ったあと、バルサンをするために、わざわざ封を開けずに保管して、なおかつ、バルサンの時に、袋に入れて密閉しているんだぞ。そして、施設にもってもいくものに関しては名前を書かなければならないので、わざわざ、しんどいのに、名前を書いてやってるんだぞ。しかも、そのペンだって、たとえば、『ネズミが入っている』というようなことを書いたようなペンや一度でも下の部屋で使ったペンは使わないようにして、新しいペンを使って書いているんだぞ。
ほんとうにまったくわかってないな。トレーナーを買うためのお金の心配をして『買わなくていいよぉ』と怒って言っているのだけど、ネズミ対処で、どれだけの金がかかったと思っているんだよ。工事をするとなったら、トレーナーの何十倍も何百倍も金がかかるんだぞ。まったくわかってないな。そういう原因になるようなことを、するな。何回もやめろと言われたのに、頑固にこだわってやるな。ほんとうにこまるんだよな。

2019年10月9日水曜日

気違いヘビメタ騒音のことを(自分の体験としては)知らない


だるくて憂鬱なこの一日が、俺の人生にとって大切な一日なんだからな。たとえ、だるくて憂鬱でも……。こういう一日の繰り返しの人生(全部)ってなんだよ。俺のからだにはヘビメタ騒音のだるさが蔓延している。他の人はこれがわかってない。どれだけのことか、わかってない。そりゃ、他の人は、俺とおなじ時間の長さ、俺とおなじ期間の長さ、気違い兄貴のヘビメタ騒音を経験したわけじゃない。生活全部にまとわりつき、すべてのエネルギーとすべての希望をくらいつくす、気違いヘビメタ騒音のことを(自分の体験としては)知らない。
これ、ほんとうに、気違い兄貴が気違い親父と同じような性格の人間だから他の人がわからないだけなのである。他の人がわからないということは、他の人は、事実として認めないということだから、やっかいなのである。

気違い的な頑固さでやったことを、気違い的な頑固さで否定するやつのことがわかってない

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起きたとき、「がさごそがさ」って音がした。これ、ひさし部分にネズミがいるのではないかと思って、見てみるのだけど表面にはいない。たぶん、内側なんだろうと思う。この音がしてしまったら、もう、俺は……。これ、ほんとうに午前二時、午前三時にネズミが出るって、いやなんだよな。ネズミをおびき寄せた張本人は、「そんなことしてない」とか言いやがる。やっているときはその調子で無視して、頑固にやるんだよ。これは、もとからの性格と●●症がまざっている。

調べてきた。いちおう、ネズミはいないみたいなんだけど、これはわからない。

なんか、今日は寒い。起きたら寒い。蕁麻疹ができた。さらに、蚊が飛んでいる。これ、こまるなぁ。

コーヒーを飲んでないのに、蕁麻疹。これはやばいっすよ。夏はたいへんだけど冬もたいへんなんだよな。主観的には、いいときがない。夏が長すぎる。で、徐々にすずしくなればいいのに、急に寒くなったり、急に暑くなったりを繰り返して、わけがわからないうちに、寒い日が増えるというか感じだから、ちょうどいいときがないんだよな。これで、日中は三二度とかありえるからなぁ。十月なのに。

けど、元の性格の記憶ちがいのほうが大きいんだからな。強烈で大きい。こんな特殊な人、いない。だから、俺が誤解を受けるんだぞ。つねに……。これ、幼稚園生の時からそうだ。普通の親に育てられたやつは、こういうのがほんとーーーにわからない。わからないまま、常識に基づいて勝手なことを言う。勝手なことを言っているつもりもないのだろう。あたりまえのことを言っている』と本人は思っているわけだから。けど、ちがうんだよ。おまえらが思っている『親』と俺の『親』はちがう。『親』一般という概念でものを考えるな。

気違い的な頑固さでやったことを、気違い的な頑固さで否定するやつのことがわかってないやつは、がたがた言うな。これ、ほんとう、記憶障害じゃなくて性格の問題なんだよな。けど、記憶障害と言えば、記憶障害になるのかな? 性格の問題である記憶障害は、『自分にとって』不都合かどうかということが、一番関係している。それこそ、『いま現在』の自分にとって不都合かどうかで、『やった』とか『やってない』ということを決める。決めたら、『いま現在』はそういうことになっているのである。頭の中で。気違い親父の頭の中で。

で、これは、兄貴にも受け継がれていて、気違い的な意地で鳴らしたヘビメタ騒音も、『やったというとを認めるのが不都合なとき』は、『やってない』ということになってしまうのである。『いまこのとき』『いま現在』はそういう気持ちなのである。そういうつもりなのである。『そうである』と思っているのである。で、このときの意地がすごいんだよ。で、これは、鳴らしているときの意地とおなじだ。

誤解しているやつが『誤解なんてどうでもいいじゃないか』なんて、言いやがる


ほんとうにくるしかった。だれに言ってもわからぬか? まあ、わからないんだろうな。そうなると、終わってない』ということもわからないんだろうな。まるで、俺が『こだわっている』ように見えるんだろうな。これ、そうじゃないんだよ。みんなわかってないけど、ヘビメタ騒音というのは、水俣病の水銀とおなじなんだよ。あまりにも長い期間、ズッとやられると、水俣病のようになおらない病気になってしまう。現在くるしいのであれば、意識がそこに集中する。他の人はわかってないけど、『必然』なんだよ。あんな生活をしていたら、人生全部がだめになってしまう。で、人間が、人間である以上それは、さけられない。そういうしくみができあがっている。やられてないやつが、アホなことを言う。ほんとうに頭にくる。考えてみれば、小学六年生のころからずっと俺は、そういうかたちで誤解され続けてきた。もういやだよ。で、誤解しているやつが『誤解なんてどうでもいいじゃないか』『人の評価なんてどうでもいいじゃないか』『人にどう思われているかなんてどうでもいいじゃないか』なんて、言いやがるんだよ。この世は地獄だ。

2019年10月8日火曜日

おれ、もう、つかれたから、寝るわ


おれ、もう、つかれたから、寝るわ。おやすみ~~

知らぬ間に時間が~~

ほんとう、無意味。

俺の人生はいったいなんだったんだ。気違い家族によるヘビメタ騒音がでかすぎる。あれ、本当にいっつも鳴ってた。くるしかった。ずっとくるしい。



ここから、しあわせなことを考えるということができない。考えたって、そんなの、まるで実行性がない話しで、空虚。

ほんとうにものすごくデカイ騒音でくるしかったんだよ。


こっちに書くと、やばいのだけど。
しかし、一番言いたいのがそういう話しなんだからな。
これ、他の人はそういう体験がないからうけない。
ほかのやつらは、想像で好き勝手なことを言いやがる。実際の騒音がわかってないから、そういうことが言える。一日だけで、どれだけくるしいか。これ、ほんとうにちがうんだよな。けっきょく、ヘビメタ騒音がないまま、『いやなこと』がある人と、ヘビメタ騒音がある状態で、さらに『いやなこと』が付け加わる人とは、ちがう。さらに、そういう期間の長さが問題だ。どれだけ、ポジティブなことを思ったって、最後にははてる。どれだけ長い時間やられたか、他の人は『体験として』わかってない。これ、ほんとうに通常の場合と、やられすぎた人はちがうんだよね。そうなると、たとえば、認知療法の言語というのが、マイナスに働く。一見正しそうな?アドラー心理学の言語というのが、マイナスに働く。こいつらは、なにもわかってないやつらだ。こいつらが言っていることが正しく思える人たちは、けっきょく、ほんとうにつらい毎日を一〇年ぐらい経験してない。「ほんとうにつらい」というのは、『やられすぎている毎日』だ。本当につらいと言ったって、つらさのつらさがちがうんだよ。

なんで、気違い家族やられた人間が、さらに、横のやつから、ほかのやつから、悪く言われなければならないのか? こんなの常識で考えてたら、本質が見えない。

2019年10月7日月曜日

特殊なサイコパスである家族にやられた人は、他の人からいろいろな誤解を受ける(追い詰められる)まさしく罠にはまった状態


『まるで影響を与えてない』という気持のまま、ずっと、気違い的な意地で鳴らす。鳴らすとなったら、絶対に自分が満足できるデカイ音で鳴らすと決めているので、デカイ音で鳴らす。その場合、俺がどれだけ「うるさいからやめてくれ」と言っても、(兄貴は)聞く耳を持たない。

で、そういうモードで頑固に頑固にやったことは、ほんとうに兄貴の記憶のなかでは「やってないこと」なのである。だから、こまる。こういうことがずっと繰り返される。これは、兄貴がやり始めたことじゃなくて、親父がやり始めたことだ。

「うち」では、いつもこうだった。

「うち」では、いつも、これであたりまえだった。

気違いが主観的には、「おかしい(自分の態度には矛盾がある)」と思ってないわけで、ずっと繰り返す。で、ただ単に『知らないまま繰り返した』のではなくて、ものすごく意地になって繰り返したことなのである。だから、こまる。


こういうことを信じられない人は『そんなの、おかしい』『おかしいから、エイリさんが嘘を言っている』と思うわけで、ほんとうに、いい迷惑だ。

で、一〇〇%やりきっている方は、ほんとうに、一〇〇%悪気がない状態でやりきっているわけで、自分がやっているという気持ちや認知が、欠如している。完全に欠如している。

だから、ほんとうに、『無関係な人』なのである。そりゃ、絶対の意地でやりきるのだけど、やりきったとしても、『無関係な人』なんだよ。けど、『やりきったとしても』ということが、抜け落ちている。だから、『やってない』し『無関係』なのである。

で、やってないと思う度合いと無関係だと思う度合いが、気違い的に高いのである。本人は矛盾を感じない。ぎとぎとに、不退転の決意で、一秒もゆずらないでやっている……げんにやっているにもかかわらず……げんにやっている時間も含めて、「やっているつもりがない」のである。常に「やっているつもりがないまま」鳴らしてている。

だから、道徳観と言うことを問題にするなら、道徳的にはまったくほんとうに悪いことをしているつもりがない状態なのである。自分の気持ちというのは、自分の行動を支持しているわけで、どれだけ『こまる』と言われても、一〇〇%それを受け入れなければ、『相手がこまる』ということを認知しないわけだから、『相手がこまることをしている』とは思わないのである。

で、一〇〇%絶対の意地で自分がやりたいようにやりきることができれば、本人は、「おだやか」なのである。そりゃまったくやってないのとおなじ状態だから、おだやかなのである。

逆に、一分間でも、自分がゆずってやりたくないかたちで、ほんとうにゆずらなければならなくなったとなったら、『腹が立って腹が立って』しかたがない状態になってしまうのである。

で、『腹が立って腹が立って』しかたがない状態のまま一分間がまんするということ、実際にはない。ほんとうは、一秒だって、我慢できない状態だからだ。だから、一秒だって我慢しないで、腹を立てて、鳴らしまくる状態になってしまうのである。発狂して、鳴らしまくる状態になる。

とにもかくにも、「自分が思ったようにできない状態」を突きつけられると、……それは、わかって……発狂してしまう。で、発狂して、我慢するかというとそういうことは一切合切ない。

発狂して、我慢しないで、デカイ音で鳴らし始める。けど、その場合ですら「相手が言うことを無視して、押し切って鳴らした」というような認知が発生することがないのである。どうしてなら、発狂して押し切って鳴らし始めたときに、『相手に言われた』ということと『相手がこまっている』ということは、『水に流してしまう』からだ。

自分で悪いことをして、注意されたら、自分で勝手に水に流して『気にしないことにしてしまう』のである。「そんなんあったってない」のである。言われるたびにそういう気持ちになって自分の意地を押し通すので、一日中やっていても、一日中やったつもりがない……というとになってしまうのである。

主観的な気持ちとしてはそうなのである。
主観的な認知としてはそうなのである。

だから、『気にしない』。

気にすることが一切合切できない。それは、押し切って、やることができたから気にしてないだけだ。これで、一分間でも我慢させられたとなったら、一分間の記憶だけは残るのである。『一分間我慢した』だけなのに、本人は、『我慢した』『我慢した』とあれることになる。実際には一分間ですら我慢しなかったのだから……一五年間毎日我慢しなかったのだから、そういうシーンはなかったのだけど、一日に一分間我慢したとしたらそうなる。

実際に一分間も我慢してないのに、あたかもこういう態度が成り立っているのである。それは、『我慢しないで鳴らした』と俺が兄貴に言えば、『我慢した我慢した』と気違い兄貴は思うからだ。

これは、気違い親父と構造がまったくおなじなのである。気違い親父がまさしくこういう人だったのである。

だから何度も言うけど、『家族で話し合えばいい』なんていうのは、お金がまったくなくて、ぼろアパートも借りられない人に、一億円で家を買えばいいというようなアドバイスをしているようなものだ。現実味がまったくないのである。

しかし、俺はうちの状態を知っているから……兄貴と親父の気違い認知構造を知っているから……現実味がまったくないということがわかるけど、他の人は、『家族なんだからわかってくれるでしょ』というような共同幻想(妄想)にこだわって、俺が言っていることを、(今度は)理解してくれないということになる。

これは、たとえば、『エイリさんは、言わないからだめなんだ』とか『エイリさんは、コミュ障だから言えないのだろう』というようなさらなる妄想を導き出してしまうのである。これは、ぼくにとって侮辱的なことなのだけど、相手はそういう侮辱的なことをぼくにぶつけてきても、これまた、なにも侮辱してないと思ってしまう。

そして、ぼくがその侮辱行為に対して怒ったら、『エイリさんは、人間的に未熟だから、怒っている』とこれまた妄想的な解釈をしてしまうのである。

こういう流れは、普通にある。

気違い家族にやられた人が『事実』を言うと、共同幻想ない家族幻想部の人たちが普通にそういう解釈をしてしまう。実は、いま書いたような解釈には、別の幻想がかかわっている。引きこもりならコミュ障に違いない。ずっと働いたことがない人は(ずっと無職の人は)だめな人に決まっている。無職は悪い人に決まっているという幻想だ。

ともかく、特殊なサイコパス、特殊な凸型の発達障害者である家族にやられた人は、他の人からそういう誤解を受ける。これは、起こりがちだ。一般的な人は、さらに、『引きこもりじゃ親がかわいそうだ』とか思いやがるのである。『引きこもりの弟がいるんじゃお兄さんがかわいそうだ』と思うのである。

ここまで、追い詰められる。

親父がごく普通に気違い的な思考、気違い的な気分、気違い的な認知構造をもっていると、こういうところに、やられた子供が普通に追い詰められる。兄がごく普通に気違い的な思考、気違い的な気分、気違い的な認知構造をもっていて、自分の音にこだわってこだわってヘビメタを十数年も毎日毎日、すべての時間を使って大音響で鳴らすと、普通に弟がこういうところに、おいやられる。

やっているほうは、普通にやっているわけだから、どれだけ言われたってかわらないよ。そういう頭で、やっている。かわりようがない。

で、「うちでは」の話しだから。これも、親父にしたって「そとっつら」がいい部分がある。その部分で接触した人は『そんな人じゃないだろう』と思うのだ。それは、よそいきの顔を維持できる、短い時間の接触、限られた回数の接触ならという条件が成り立つのだけどそういう、感想を持つことがある。

だから、「うちでは」そうではなかったのかというと、そうじゃないのだ。それから、「うちっつら」と「そとっつら」を使い分けることができるのであれば、器質的な問題ではないのではないかと言うことが言えるかというと、言えないと思う。器質的な問題というのは脳みその器質的な問題という意味だ。

ごく普通に使い分けることができる……のだ。

頭がおかしい人でもごく普通に使い分けることができる。これは、意識的な切り替えじゃない。だからこそ、まわりの家族はこまるのだ。あとは、人間は『話しで聞いただけ』なら中立性を維持しようとするから、俺の話だけを聴いた場合、それがほんとうなのかどうかうたがう性質がある。「エイリさんのお兄さんにも訊いてみないと(ほんとうのところは)わからない」と思うのだ。

そして、俺の話を、半分信じるだけにする。そうすると、その人がもっている、家族幻想(家族なのだから、言えばつたわるはずだ)や労働幻想(人間は働くべきだ。働かない人間は悪い人間だというような幻想)が発動して、上記(縦書きの時は右記にかえるべし)のようなことが起こる。

ともかく、使い分けているつもりがないし、ほんとうに意地になって、上記のような行動をするときは、まったくつもりがないままなのである。これは、使い分けているつもりもないし、やっているつもりもないということになる。

けど、気違い的な意地でじぶんがやりたいことにこだわってこだわって、頑固にやる。顔を真っ赤にしてやる。だからやっているのに、本人は、やり終わったら、つもりがない状態になる。

「やってない」と真顔で言える状態になる。

毎日そういうことの繰り返しだ。これが、うちではあたりまえのことだった。毎日そうだった。……こういうことがわかってない人が、俺に適当なことを言って、俺をくるしめる。はげますつもりでも、単なる常識的な意見を言うだけでも、俺を追い詰める。

2019年10月6日日曜日

とことん、動けないな~~


とことん、動けないな~~

また、ネズミの糞の処理をすることになった。
もう、やりたくない。
どこに行っても、長期騒音で破滅なんだよ。わからんだろうけど……。そして、そういうことを書くと、がくっとくる人が減るわけ。

それにしても、気が晴れない。
旅行、行っただけで、気持ちよくなってしまう人がうらやましい。


昨日は、わりと長い時間眠ったんだけど、起きてから、かゆかゆだったから、なんかあんまりよくないんだよな。あと、長期騒音の影響で、実は、旅行とか、どこかに行くというのが、まるで、……。どうしても、あのときのことを思い出してしまう。もう、電車に乗ること自体が、激・鬱だ。

   *   *   *

じゃあ、俺、寝るわ。
あっ、今日は通販の受け取りがある。
あのときは、この時間に眠たくなることは予想できなかった。

やばいな。この暑さだから裸で眠りたい。
チャイムが鳴ってから、起きて着替えるのはくるしいな。
服はおいておけばいいか。

室温が、いま31.5度ある。


まあ、長期気違い騒音の経験がない人にはわからないことだろう。だから、ぼくが、昔のことに「すきで」こだわっているように見えてしまうんだよな。おなじ経験をすれば、そういうことではないということが、わかるのに……。まあ、他人からすれば、元気に旅行している人のほうが、電車に乗るだけで過去のものすごく不愉快な破滅的な記憶を思いだしてしまう人よりも、魅力があるんだよね。たとえば、どっちのブログを見るか? どっちの動画を視るかという話になると、たいていの人は、楽しんでいる人の動画を視るだろう。で、そういう点でも、実は長期騒音に……気違い家族によるしつこすぎる長期騒音に……しつこいしつこい無慈悲な長期騒音にさらされた人は、不利になる。圧倒的不利。勉強、体力、だけではなくて、そういうところにまで影響を与える。じゃ、あ、普通に考えて、普通の人が(俺と)おなじことをされた場合、元気でいられるかというとそうではないと思う。普通の気持ちを維持して、普通に暮らしていけるかというとそうではないと思う。けど、実際にやられてない人は、そこらへんのことが経験としてわかってない。なので、自分の少ない……騒音経験をもとに、気違い兄貴のヘビメタ騒音を推し量るということをする。で、少ない騒音経験だと、まちがった結論を導き出してしまうのである。そういう、普通の人の騒音経験と気違い兄貴が実際鳴らした騒音によって、できあがる騒音経験はちがう。質も量もちがう。とくに、質がちがいすぎる。『そういう話しじゃない』と言いたい。うちの横はデカイ幼稚園で、幼稚園生が帰ったあとも、剣道の道場?として、場所を貸していたので、いろいろとうるさかった。そういううるささと、気違い兄貴による、ヘビメタノうるささはちがうのである。ぜんぜんちがうのである。どれだけ言っても、他の人には『ちがい』がわからない。どれだけちがうかわからない。そうなると、他の人には、俺がこだわらなくてもいいことに、(いつまでも)こだわっているように見えるのである。けど、これは、こだわる必要がないものにこだわるのとはちがう。経験がないから、そういうこともわからない。ほんとうに頭がおしいレベルでこだわってこだわって気違いヘビメタを、鳴らすから、おれがそういうふうに誤解される。気違い親父のことを学校で話しても、話した人が誤解されるように、気違い兄貴のことを他の人に話しても、話した人が誤解されるようになっている。


2019年10月5日土曜日

全部が色あせて見える。


やっぱり、全部がつまらない。
ヘビメタ騒音で人間関係も俺の才能も全部めちゃくちゃになった。
これ、他の人にわからないことなんだよな。経験したわけじゃないから。『そんなの どれだけ鳴ってたって言ったってたいしたことないんだろ』と思うわけだから。
そうじゃないんだよね。
あーつまんない。
ほんとうにつまんない。

全部が色あせて見える。

こういう「なめたこと」を言われるようになる


ほんとう、俺が他人だったら、いまの状況でどうするのだろう? どういうふうに感じて、どういう行動をするのだろう?
まあ、それは、かりに、ヘビメタ騒音一四年(足かけ一五年)の経験がない俺が、いまの状況でどうするかという問題とおなじだ。経験がないのであれば当然、体力も感じ方もちがう。一日にできることの量がちがう。そして、気分がちがうだろう。俺が、ヘビメタ騒音で、どれだけ他人から悪く言われているか。この『他人から悪く言われる』というのは、ただ単に悪口を言われたということではない。実際の、体調とセットになっているのである。働けない状態とセットになっている。そして、ヘビメタ騒音がなかった場合の学歴にくらべて、ヘビメタ騒音があった場合の学歴が低すぎるのである。自分がヘビメタ騒音なしで普通に暮らして、そういう体力、そういう学歴なら納得がいくけど、あしかけ一五年間ヘビメタにやられて、そういう体力、そういう学歴なのだから納得がいかない。だいたい、他人がどう言うかなんて関係がない』『他人がどう思うかなんて関係がない』と言っている人は、高確率で無職や引きこもりのことをバカにした発言をする。要するに、『他人がどう思うかなんて関係がない』という発言をする人と『無職や引きこもりのことをバカにした発言をする』人がかぶっている場合が多い。もちろん、『他人がどう思うかなんて関係がない』と言うけど、無職や引きこもりをバカにした発言をしない人もいるし、無職や引きこもりをバカにした発言はするけど、『他人がどう思うかなんて関係がない』とは言わない人もいる。両方とも言わない人がいる。けど、かぶっている人たちもかなりいるんだよな。というか、日本人としてそれがスタンダードなのではないかと思ったりもする。いまの日本人の感覚だと普通にそういうことが成り立つと思う。ぼくもヘビメタ騒音にやられて、無職引きこもり問題がヒトゴトではなくなったから、いろいろと考えたのだけど、もし、ヘビメタ騒音がなければ、そういうことを言ってたかもしれない。そのくらいに、現在の日本人としてはスタンダードな考え方なのである。無職や引きこもりをバカにした発言をする人はほんとうに、無職や引きこもりをバカをバカにしている。相当に下に見ている。無職や引きこもりは、矯正されるべき人間だと思っているのだ。おのおのの無職や引きこもりには、それぞれ、人にはわかりにくい理由を抱えているかもしれない。しかし、そういう理由は、「あまえるな」のひとことですっ飛んでしまう。その人の頭のなかでは。しかし、その人は、俺とおなじぶんだけ、俺とおなじ期間に、ヘビメタ騒音を体験したわけではないのだ。つまり、ぼくとは条件がちがう。ほかの無職や引きこもりとも、条件がちがうかもしれない。しかし、その人は『自分は歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いている』と言ったりする。そういう自負があるのだ。しかし、ヘビメタ騒音を鳴らされてきたわけではないという条件は変わらない。人の条件に対する理解がないからそういうことを言っていられるだけだ。その人間だって、また、別の災厄が降り注ぎ、体が動かなくなったら、歯を食いしばっても、血反吐を吐いても、働けない状態になる。そういうふうに言っていた人間だって、ひどい認知症になったら働けない。水銀中毒になったら働けない。歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いているなら、働けるわけで、働いてもいいのではないかと思う。実際、毎日毎日、職場で血反吐を吐いていたら、働けないと思うけど、それは、文字通りの意味ではなくて、比喩なのだろう。ヘビメタ騒音が毎日続いた。兄貴のヘビメタ騒音は、しつこさと音量の点で、毒だと言える。生活毒、あるいは、騒音毒なのだ。神経がやられる。これは、毎日一四年以上続いたら、残る。これが、証明できないから、常識的な人から『自分は歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いている』などと言われてしまうのだ。そういうことを言う人は、日本のサラリーマンは「みんな」歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いているそうなのだ。「だから、おまえもヘビメタ騒音なんて言ってないで働け」という言葉が続くのだ。一四年以上、ヘビメタ騒音を鳴らされると、こういう「なめたこと」を言われるようになる。これが、ぼくがこの人生で学んだことだ。「歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いている」なんて言っているやつが、ほんとうに、血反吐を吐いたら、もう、だいぶ働けないからだになっていると思ったほうがいい。

注(文章中の働くというのは、通勤して会社で働くということね)

2019年10月4日金曜日

本人が自分勝手な人間だから、加害者側の理屈しか浮かんでこない

アドラーはバカなことばかりいっているけど、どうして、バカなことばかり言っているのか、気になった。やはり、そういう環境で育ってきたということなのだろう。アドラーはほんとうになにもわかってないな。どうして、一時期だけでもフロイトに興味を持ったんだろう。まあ、フロイトの言っていることがまったくわかってない人なんだけど、あの解釈は異常だ。アドラーのフロイト解釈が常にまちがっているのである。どうしてそうなんだろうな? アドラーは、基本的にうちの兄貴やうちの親父のような人間のことがわかってない。意図的に、意思を持って悪いことをする人間のことしか頭にない。そして、それも、わかってない。あまりにも単純だから、悪いことをする人間は悪い人間だと思っている。そして、悪いことをする人間の被害者のことはまったく考えてない。アドラーのあほさかげんには、興味が出てきた。どういう環境で育ったんだろう?

アドラーのような人間はむしろ加害者側の人間だ。自分勝手な加害者に都合がいいことばかり言う。本人が自分勝手な人間だから、加害者側の理屈しか浮かんでこない。「悪」に関する相対的な考え方が抜け落ちているから、物事に対する考え方が一面的だ。


アドラーが言っていることは、道徳観がある勝手なやつらが言っていることなのである。しかし、そういった意味の『道徳観』の問題にはまったく言及してないので、道徳観がない人が同じようなことを言って同じようなことをした場合どういう問題が発生するかまったく考えてない。

常に加害者側の『自分を中心にしてみた場合』の話ししかしてない。道徳観がある人間がそれを実行するのはいいけど、道徳観がない人間がそれを実行したらどういうことが発生するかまったくわかってない。「それ」ってアドラーが言っていることね。

2019年10月2日水曜日

悪について

純粋に悪を目指す人だって本人にとっては、やりたいことがあるのだ。そのやりたいことが、他人の人権を踏みにじるものだから、他人にとっては「悪」に見えるのだ。「やりたいことをやればいい」というのは、悪のススメだ。被害者は愚痴を言わずに黙っていればいいというのは、傲慢だ。基本的に自分勝手な悪いやつだから、そういう発想になる。
人を大量虐殺したいやつは、大量虐殺すればいいということになってしまう。「やりたいこと」は無制限に認められるものではない。虐殺したとすると、被害者は愚痴を言えないが、被害者のまわりにいる人が愚痴を言う権利もないのだ……アドラーやアドラー信者にとっては被害者の言っていることは、大人赤ちゃんが言っている単なる愚痴だ。まあ、権利ぐらいあるかもしれないけど、「そんなのは聞かなくていい」とアドラーやアドラー信者は考える。

これは、悪について相対化がなされないから、起こる不幸なのである。
たとえば、京アニの事件があったけど、犯人にしてみれば京アニビル内に侵入して、ガソリンをまいて火をつけるということはなんとしてもしたいことだったのだ。「やりたいことをやればいい」という考えに立てば、やっていいことなのである。犯人のような自分勝手な人から見れば、自分のなかではやりたいことだから、人のことは考えないでやってよいのである。あるいは、人のことを考えるということが欠落している。あるいは、人のことを考えた場合も、犯人にとっては京アニの人たちは、倒すべき「敵」なので、「やっていい」ということになってしまうのである。犯人が「悪」を目指して「悪」を実行しているつもりがあったかどうかということだ。アドラーやアドラー信者にしてみれば、ただ単に「悪」をなしたということなのだろう。しかし、犯人は、犯人のなかでは『やらなければならない正義』を実行したすぎない。『どうしてもやりたいこと』を実行したにすぎない。犯人のなかでは「どうしてもやりたいことをやった」だけだ。そして、アドラーやアドラー信者は実は、そういうことを肯定しているのである。だから、だれを中心にして考えるかという相対的な視点が、アドラーやアドラー信者からは抜け落ちているのである。そして、アドラーやアドラー信者は被害者につめたい。

だれのなかにも『ミニ・アドラー』がいる。被害者が言っていることは、自分にとっては、不都合で不愉快な気持ちになることなのだ。ここでも、『自分の気持ち』と『自分勝手さ』が際立つ。だれにでも、自分に関係がない被害者が言っていることを聞きたくないという気持ちがあるかもしれないけど、それでは、社会は成り立たない。アドラーやアドラー信者は『そんなのは聞きたくない』という自分の側の気持ちを表明しているだけなのである。もちろん、アドラーやアドラー信者がそういう気持ちを表明することは、そんなに悪いことではない。そりゃ、自分の気持ちを言う権利はあるからな。ならば、被害者にだって自分の気持ちを言う権利があるとは考えないのか? 
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自己啓発、精神世界、マインドフルネス・マインドタフネス、認知療法、アドラー心理学

自己啓発、精神世界、マインドフルネス・マインドタフネス、認知療法、アドラー心理学……こういうものは、ほんとうにやられた人間を傷つけるだけだ。一般の人にはいいのかもしれないけど、ほんとうにやられた人にとっては毒。どうして、これがわからないのか?

毒ガス室のなかで二〇時間作業をしているから、もう、ゲロゲロで風呂に入る気持ちになれない


つかれた。
しんどい。
とりあえず、どうやったら、やる気が出るのか?
ボロボロなんだよな。
これでいそがしくなったらいいのかというと、そうじゃないんだよな。やっぱり、睡眠回路なのだろうか? よくわからないけど、ともかく、しんどい。ヘビメタ騒音生活七年でぶっ壊れた。
ヘビメタ騒音の一日にって、うすい毒ガス室のなかでからだが悪くなるような作業を二〇時間やっているような感じだから。残りの二時間で通勤。通勤片道五〇分で、一〇分間は食事。風呂に入るとなると、だるい状態で、睡眠時間をけずってはいるというようなことなる。だから、不潔になる。けど、毒ガス室のなかで二〇時間作業をしているから、もう、ゲロゲロで風呂に入る気持ちになれない。やっとのこと入っても、体の洗い方が適当になる。適当じゃなくて不適当か? だから、皮膚病にかかりやすくなる。抵抗力がないから、皮膚病にすぐやられる。あるいは、しくみはちがうけど、ストレスで蕁麻疹が出てしまう。人から、「ちゃんと風呂に入れ」と言われる。「元気出せ」。「元気だ元気だと言えば元気になる」。それは、毒ガス室のなかで二〇時間働いてないやつの言い分だろ。おまえ、俺とおなじことをやって見ろ」と言いたくなる。けど、他の人の家族は、うちの気違い兄貴みたいなことをしない。うちの気違い兄貴のような「精神的な感覚」をもってない。ほんとうに、ひとこと言えばわかることが、まったくわからない。俺がどれだけヘビメタ騒音でつらい」「ヘビメタ騒音で勉強ができなくてこまっている」「宿題をするからしずかにしてくれ」と言っても、自分のヘビメタ騒音が原因で、弟がこまっているということを、気違い親父のように理解しない。理解しないと言うことも、気違い親父のように理解しない。だから、どこまでもどこまでも、「こまらせている」つもりがないまま「迷惑行為」をぎちゃぎちゃにこだわてっこだわって、やりまくる。本人が「迷惑行為だ」と思わなければ、どれだけやたっって「迷惑行為をしている」ということにならないのである。どれだけデカイ音で騒音を鳴らしていても、本人が「デカイ音で騒音を鳴らしている」と思わなければデカイ音で騒音を鳴らしていることにならないのである。手短に言えば、「騒音じゃなくて」「音」ですら、そうだ。ただ単に音であっても、ほんとうに「デカイ音で鳴らしている」のに、「デカイ音で鳴らしている」と思ってない。思ってないなら「やったってやってない」のである。この「やったってやってない」というのは、気違い親父がやったことだ。気違い親父も気違い親父で、そういう頭の回路しかもってないから、キチガイ的な意地でやったことは、気違い的な意地で否定するのである。で、気違い的な意地で否定したら、もう、それでおしまいで、一切合切関係がないひとになる。だから、ほんとうは気違い的な意地でやったことなのに「やってないやってない」と言えば、本人のなかでは「やってない」ことになってしまう。気違い親父と気違い兄貴の頭の作りはおなじだから、気違い兄貴も、そうなんだよ。譲歩に関してもおなじことが成り立つ。ほんとうは譲歩してないのに「譲歩してくれなかった」と言われると「譲歩した譲歩した」と言う。こういうのは、ほんとうに、マルダシなのに、ぜんぜん、気がつかないんだよな。そういうことを、気違い兄貴は気違い親父にやられて、怒っていたのに、親父とおなじやり方でヘビメタを鳴らし切る。あれだけ、こだわってこだわって、どんなに細かい時間もずっと鳴らしているのに、本人は「鳴らしてないつもり」なんだからな。ほんとうに頭がおかしい。こういう人間が、ヨソのうちにはいないので、「そんな人いない」とヨソの人は思う。これがまた、問題なんだよな。うち」のような閉鎖空間で本物の気違いが自分が思ったようにやるとそうなる。やっているときの感覚というのはずっと成り立っている。だから、一日に一四時間鳴らしたって、「まったく鳴らしてない」ということになっている。ほんとうは、一秒もゆずってないのに「ゆずってやった」というとになっている。ともかく、自分に不都合なことを言われたら「そんなんじゃない」というようなことを言うか、目を三角にして無視しておしまいなのである。これは「やった」と言われたときの態度であると同時に、やっているときに「やるな」と言われたときの態度だ。自分がやりたいことをやっているときに「やるな」と言われると不都合なのである。不都合なことは、意識にのぼる前に、頑固に否定して、ないことにしてしまう。だから、いつも「やるな」と言われたら怒っていたのに……怒ってやりきったのに……まったくつもりがないんだよな。全部毎日そういう構造が成り立っている。入試前日だってそういう状態で自分がやりたい音で、やりたい時間ずっと鳴らしたのである。けど、「入試の前日だってずっと鳴らしてた」と言われと「鳴らしてない」と怒るか、あるいは無言のまま怒っておしまいなのである。で、二階に上がって、その当の音をやる。鳴らす。デカイ音で鳴らす。よその家じゃ一分だってあり得ないようなデカイ音で鳴らす。けど、その時間全部、ほんとうに「やってない」つもりなのである。そして、「言われなかった」つもりなのである。だから、際限なくならす。けど、本人はまったく本当に悪気がないんだよ。まったく、迷惑をかけたと思ってない。どれだけしつこくそういうことが繰り返されるか? うちでなら、やっていいと思っているからずっとそうする。殺さなければ終わらない。「うち」ではな。けど、じゃあ、そんなに「うち」と「よそ」のちがいがあるのかというと、ある。このばあいの「よそ」というのは、たとえば、気違い兄貴の嫁さんの家族だ。よそのうちでは、自然に我慢できるのである。まあ、一五年間「うちでやったから」もう、興味がなくなっていたというのもあるのだろうけど、それだけじゃない。兄貴と親父は、「そとっつらがいい」のである。うちのやつは、無視して頑固にやり切る。うちのやつに対しては、「やった」と思わなくていい。あるいは、「やった」と思うことに失敗する。うちのやつに関しては、どれだけやたって、やってないのとおなじ気分でいられる。そんなのあたりまえなのである。そういう狂い方。


兄貴と親父の「頭の回路」がおなじなんだよな。ほんとうにこまる。死にたくなる。ヨソの人から俺が悪く言われるんだぞ。もう、そういう構造になっている。俺が人から説教されて、俺が人からだらしがないように思われるんだぞ。

ガス欠状態なのである(公開)


もう、すぎた時間は帰ってこないしな。
どうするかな?
ほんとうに、●ぬことを考えれば、片付かないとか指が痛いということは、小さなことなんだけど、気になる。

あと、鬱病の人は、やっぱり、やる気がすぐになくなってしまうようなところがある。ガス欠状態なのである。ヘビメタ騒音で鬱病状態になったのでわかる。まあ、二〇歳ぐらいの時、病院に行けば、鬱病の診断ぐらいはついたと思うけど。病院に行けなかった。ほんとうにつらいときは、ベッドの上で横になっているだけで、動けない。もし、病院に連れて行ってもらうとなると、友達に付き添ってもらうしかない。けど、それは、やはり、当時プライドが邪魔をした。めしも食わないでずっと横たわっていた。
病院に付き添いって、普通は家族がやることなんだろうけど、おかあさんは体調の問題で無理だし、親父や兄貴は、問題の発生源なので無理なのだ。

こんな人生ない

ヘビメタ騒音で相当にむなしい。これはない。そこの廊下って、俺が小学六年生の時も、中学一年生の時も、使ってたんだよな。ずっとあそこを、行き来しているわけか。何十年も。ひとりで。

こんな人生ない。

2019年10月1日火曜日

気違いヘビメタの感じが続く

運動会の練習はけっこううるさい。
けど、なんとか、しのげる。
しかし、気違い兄貴のヘビメタ騒音はしのげなかった。鳴ってたら、勉強ができない。
学生にとってこれはとてもつらいことだ。
気違いヘビメタの感じが続く。

こんな人生ない。気違いヘビメタ騒音にやられ続けたのは人類で俺だけだ。他の人には、そのハンディがない。ハンディがないところで、想像で「そんなのたいしたことがない」「どれだけ鳴ってたといっても、たいしたこと、ないんだろ」「過去は過去」「人のせいにするな」などと言う。こいつらみんなデコパッチンをしてやりたい。一日だけでもどれだけつらいか。五分だけでもどれだけつらいか。「俺だったらしずかにさせることができる」というのもデコパッチンしてやりたいほど腹が立つ発言だ。けっきょく、こいつらは、なにもやられてない。

うち」という閉鎖空間で為された悪事については、他の人は、中立的な立場に立とうとして、やられた方を不当に傷つけることを言う。ニュースで公開された悪事なら、そういうことは言わない。ニュースはいちおう、中立的な立場で、事実を伝えるからな。いちおう、だけど。

俺が「気違いヘビメタの感覚が残っている」と言えば、俺が異常であるような印象を与えるが、だれだって、あんなに長い間やられたそうなる。人間として正常な反応なのである。これがわかってないやつらがいる。まるまるまる。どうして俺だけ、こういうことを言い続けなければならないのか?

佐藤氏やゆき氏のように、いろいろなまちがった前提でものを言う人たちがあとをたたない。こういう人たちは、俺がちゃんと説明すれば信じるかというとそうではないのだ。俺が親父や兄貴のことについて説明すると、俺の言葉は信じずに、「うちに一回もきたことがない」心理学者に「そんなことって、あるかな」と訊いて、心理学者が「ないとは言えない」とこたえると、ちょっとだけ信じるのだ。学者のこたえも、そりゃ、「ないとは言えない」だからな。しゃれているね。俺の経験した世界とはまったく無縁の人が言っていることだ。知るわけがない。俺は、気違いヘビメタがなければ、学者にはなれた。あのとき俺が学者だったら、あの人たちの態度は明らかにちがうのだ。これで、偏見がないと言えるか? 差別がないと言えるか?

親父や兄貴の態度は異常だ。普通の人にはわからない。そして、うちという閉鎖空間で為されたことに関しては、人びとは「中立的な立場」で「たいしたことがない」と勝手に思う。実際に一日もやられたことがないくせに、わかったようなことを言う。五分だって、切羽詰まった気分になるよ。あの音をまる五分間聞かされたら、だれでも、こころがめちゃくちゃになっちゃうよ。実際、気違い兄貴だって、よそのうち」では五分だって鳴らせないのである。そういう音で鳴らして、「あたりまえ」だった。うちでは、すべての時間、鳴らしても「あたりまえ」だった。別に悪いと思ってないのである。で、こういう頑固さが親父とおなじなんだよ。こういう「思いこみ」が親父とおなじなんだよな。ほんとうにこまる。まるまるしたくなる。

ほんとうに、ヘビメタ騒音にやられて、徒競走にで出るようなものだ。必死に全力で走っても、半分のはやさも出ない。ヘビメタにやられてなければ軽く走っても二倍のはやさで走れる。俺が、必死な形相で、発しているのを見て、ほかのやつらがわらいやがる。「あんなに、必死なのに、あんなのおそい」と言ってわらっている。そのなかに気違い兄貴がいる。気違い兄貴もわらっている。なにも関係がない人としてわらっている。俺が遅れて遅れてゴールしたあと、気違い兄貴のところに行って「しずかにしろ!! ヘビメタ!!鳴らすな!!! って言っているだろ!!!」と必死になって怒鳴る。何回も怒鳴る。けど、気違い兄貴は、まったくやっているつもりがないから、なにも感じない。ただ、自分にとって不都合なことを言われたということは、わかるので、怒る。それだけ。うちに帰ればいつものように、気違いヘビメタが鳴っている。どれだけ、「しずかにしてくれ」って言っているだろ!!と必死になって行っても、気違い的な感覚で無視して鳴らす。殺さなければしずかにさせることができない。そういう状態を、押しつけて鳴らしまくる。俺の部屋に帰って俺が頭を抱える……こういう夢だ。

俺の人生はまさしくこの通りだ。この夢とおなじだ。まじめな佐藤氏やゆき氏ですら、常識に基づいて間違ったことを言いやがる。

火しっにやってきたおれがどうしてサボっているように言われたり、甘えているように言われなきゃならないんだよ。しかも、おなじ状態でくらしてきた人に言われているわけじゃない。一秒も気違い兄貴の気違いヘビメタ騒音を体験しなかった人に言われる。

「学校に通えたなら、たいしたことじゃない」……倒錯している。必死に通った人をバカにするのはいい加減やめたほうがいい。心の底で根本的にバカにしているからそういう発言ができるんだよ。だいたい、こういうことを言う人は、「働いてない人は悪人」「働いている人は善人」という思いこみがある。どうして、人をまっすぐに見ないんだ。働いているとか働いてないということで、人の価値を決めるんだ? ほんとうはそういうことは、問題じゃないんだぞ。これも、わからないか?



現実とはまったく違う、とち狂った発言なのに。


2019年10月01日04時11分01秒
起きた。一度午後五時ぐらいに、犬に起こされて、もう眠れなくなってしまうかと思ったけど、眠れた。この時期の午後五時はヘビメタ騒音の雰囲気そのもので、『ヘビメタ騒音が鳴っている』感じがするので、『ヘビメタ騒音が鳴っている感じがしている』ときに、犬が吠えて、『うるさい』と感じると我慢できない怒りがふきあげてくる。だから、「いぬ、うっさいぞ!!」とデカイ声で叫ぶ。いてもたてもいられない。ところで、「いぬ、うっさいぞ!!」とデカイ声で叫ぶことは、あんまり、いいことではない。がらがわるいことだ。しかし、こういうことだって、気違いヘビメタが一四年間鳴ってなかったら、発生しないとなんだぞ。他人は、気違いヘビメタのことを知らないから、勝手なことを言う。おまえ、あの音が、どれだけくるしいか。これ、ほんとうにない。神様がまちがっている。

気違いヘビメタでこまりきっている状態というのが、他の人にはわからないんだよな。これは、きつい。ほんとうに、気違い兄貴が気違い兄貴で、気違い的な方法で気違い的な意地でヘビメタを鳴らしたから、俺は、いつもくるしい。他の人が信じられないような方法でヘビメタを鳴らすな。他の人が信じられないようなデカイ音でヘビメタを鳴らすな。他の人が信じられないような長い期間、ヘビメタを鳴らすな。気違い兄貴の態度は、気違い親父の態度とおなじで、ほかの、幸せな家庭で育った人は、想像もできない。ぜんぜんわからない。だから、『家族なんだから、言えばいいでしょ』などと、とち狂ったことを言う。これは、とち狂ったことなんだけど、そういうことを言っている人は、あたりまえの発言をしていると思っているだろう。現実とはまったく違う、とち狂った発言なのに。

2019年9月29日日曜日

ヘビメタ騒音のときとおなじ状態になってしまう。


どうするか考えている。
このあいだの、幼稚園の練習がどうもこたえているみたいなのである。こたえた。動けないときに、おなじメロディーの騒音を聞かされるのは、俺としてはもう、いっぱいいっぱいなので、こたえた。おなじ状態になってしまうんだよな。
ヘビメタ騒音のときとおなじ状態になってしまう。

図書館で感じたことといい、俺はもうダメかな。ほんとうにくるしい。いま、ヘビメタ騒音は鳴ってないのだけど、ほんとうに、鳴っていた時とおなじようにからだがくるしい。

俺は訴えかける夢を見た。気違い兄貴がまるで関係ない人として、へらへらわらっていた。なんて言うのかな? あの態度。頭がおかしいから、自分との関係がまるでわからないんだよな。親父とおなじなんだよな。相手が真剣に言っていることがまるでわからない。自分のほうの、『やりたい気持ち』のほうが勝っている。勝っているというか、『やりたい気持ち』が無意識的にあると、すべてのことを遮断してしまうのである。意識のほうは、すべてのことを遮断してしまう。無意識的に、相手が自分にとって不都合なことをいっているということは、わかるから、それに反応して怒り狂うばあいがあるのだけど、それ以外は、日本語がまったくわからないといった感じで、わからない。相手が言っているとがまったくまったくわからない。意識的なレベルでは相手が言っていることを理解してないのである。無意識的なレベルでは、『なにか不都合なことを言われた』という理解がある。けっきょく、相手が必死になってうったえている『意味』が根本的にわからない。どれだけ言われたってまったく言われなかったのとおなじなのである。こういう態度……。ほんとうは気違い兄貴が張本人なのに、当の気違い兄貴はまるで関係がない人としてずっと暮らしている……。こういう気違い状態がうちでは『普通に』成り立ってしまう。これは、親父の場合でもそうなんだよ。自分が押しつけたことで、相手が学校で恥をかいてこまっているというのが、どれだけ日本語で説明されてもわからない。「なんだ!!そんなの」と怒り狂うだけなのである。怒り狂うのであれば『意味』は通じているはずなんだけど、それが、『なんとなく、よくはわからないけど自分にとって不都合なことを言われた』というようなレベルの伝わり方なんだよ。相手がこまっている』ということが、本気でわからない。何万回いわれてもわからない。親父もそうなんだけど、兄貴もそうだ。これ、ほんとうに頭の構造でそうなっているとしか思えない。で、気違い兄貴は関係がないひとして鳴らし切るからこまる。気違い兄貴が鳴らしている騒音でこっちがこまっているのに、気違い兄貴にどれだけ日本語で言っても、まるで、話が通じないのだ。『なにか不愉快なことを言われた』ということで怒るけど、それ以外は通じないので、こっちがこまることをしているという意識がしょうじない。兄貴がやっていることで、弟がこまっているということがまったくわからない。一万回、二〇万回いわれても、その都度、怒るだけで、まるでわからないんだよ。だから、親父とおなじようにまったく関係がない人として、鳴らし切る。鳴らし切っているのだから、わかるはずなのにわからない。鳴らしているとき、弟が『こまるからやめてくれ』『勉強するからやめてくれ』『うるさいからしずかにしてくれ』と何十回も絶叫しているのに、……真剣に言っているのに……まるで、わからないままなんだよ。自分が鳴らしてないのとおなじ気持ちでいる。そのくらいに、自分とは関係がない話しをされているような状態のままなんだよ。自分がやっていることで、相手がこまっているということを、一万分の一も認めない。で、やりきる。けど、やったつもりがない。

やられてない人は、『騒音なんてだれだってある』とか『過去のことなら関係がない(影響を与えるはずがない)』ということを言うわけだけど、ほんとうに、「そんなんじゃない」のである。ぼくは、ヘビメタ騒音にやられてもう、いっぱいいっぱいだから、幼稚園の運動会の騒音にも破滅破綻を感じるけど、もともとはそうじゃない。気違い兄貴のヘビメタ騒音にやられる前はそうじゃないのである。もう、一生分の騒音を気違いヘビメタで経験してしまったので、ほんのちょっとの騒音でも、入りきらない。ラクダのワラとおなじで、一本のワラで、あしが曲がってしまう。(ラクダにいっぱいワラをのせたので、限界なんだけど、ラクダはなんとか立っていた。けど、最後の一本をのせたら、倒れてしまったということの比喩)。
酒が強いひとが、酒を飲み続けて、限界値をむかえたので、それ以降は、アルコールを分解することができなくなってしまったというのとも似ている。アルコールを分解できなければ、アルコールは基本的に毒なので、毒として機能する。だから、いろいろな症状がでる。人間が一生で処理できるアルコールの量というのはだいたい決まっている。個人差はある。けど、だいたい決まっている。ずっと何十年も、アルコールを飲んで、処理機能の余力を使い切ってまったので、(むかしはいっぱい飲めたのに)いまはちょっとでも飲むと、体が強烈にだるくなってしまうというようなことが発生する。むかしは、飲めた人なんだよ。けど、肝臓を使いすぎて、肝臓がだめになってしまう。それと同じような感じで、もう、俺は『騒音』というものに対して耐性がない。むかしはちがうんだよ。ヘビメタ騒音で……ヘビメタ騒音一五年間……で、使い切るまでは、体制が残っていた。けど、もうない。

2019年9月28日土曜日

ストレッサーに対抗して、がんばっている状態は長くは続かない(終わりがくる)(終わりがきたら動けない)


だれにも理解されないかもしれないけど、言うだけは、言っておこうかな。

もしかりに、ヘビメタ騒音を俺とおなじように、おなじ時間の長さ聞かされた人じゃないと、俺の「いまの」状況がわからないというのであれば、どれだけ、説明してもむだなのだよな。むだ。だって、わからない人に説明しているわけだから。

けど、やられた人間……特に、家族にやられた人間……特に、ものすごい時間の長さやられた人間として言っておくけど、つらい。他の人が考えるようなつらさじゃないのである。

まあ、他の人は、絶対にわからないのかもしれないけど、ひょっとしたらわかる人間もいるかもしれないから、書いておくか。だいたい、ここまできて……要するにイスに座って机に向かえる時点で、それができる「ほど」には、体調がよいのである。

けど、これは、一日中……机に向かって文章が書けるほど……体調がよいということを意味してない。まあ、普通の人だって眠っているときは、机に向かって文章を書くことができないだろう。姿勢を維持することだって、タイピングをすることだってできない。

けど、普通は「寝ている時間」というのはそういう時間だとして「できない」ということは、無視されているのである。「できない」にもかかわらず。ぼくが、ヘビメタ騒音でなくしたものは、「体調」であり「体力」なのである。
これを、「気分」と言ってしまうと、いきなり、鬱状態、あるいは鬱病の問題になってしまうのだ。「気分」なのか「体調」なのか? 実際には、「体調」が強烈に悪いのに、動かなければならないとき「気分」がいいはずがないのである。

これは、「理由もないのに」なんとなく憂鬱になるというしくみとはちがう。内因性の「なんとなく鬱」とはちがうのだ。

けど、「気分」というと、「気分」の問題になってしまうところがある。実際、「気分は最悪」で「動くなら死んだほうがいい」「動かされるなら、自殺したほうがいい」という気分になって、うなだれているわけだから、「気分は悪い」わけで、あたかも「気分」の問題であるかのように見えるのである。

けど、これは、気分の問題ではなくて「体調」の問題なのだ。けど、「体調」と「気分」をほんとうに「きりはなす」ことができるのかというと、できないかもしれないと答えるしかない。ものすごく眠たい状態でなにかをやるのは、きつい。

「やらなければならない」「行かなければならない」という圧力があれば、多少の期間、多少のむりは効く。けど、気違いヘビメタの持続期間が長すぎたので、むりが効かなくなった。

圧力と書いたけど、これは、「行かなければならないと思っているのであれば、「気分に直結した」ストレッサーだ。この場合、「ほんとうに行かなければならないのかどうか」というのは、別の問題だ。

これだって、認知療法的な言い方で、言い換えることができるのだから。そして、「休みをとれば」「十分に休めば」復活するというと暗黙の了解理論が成り立っているのにもかかわらず、それを無視して話をすすめることができる。休んでも復活しない場合は、ないことになっている……。

けど、休んでも復活しない場合についても実は考えなければならない。それが、たぶんだけど、七年以上の長期にわたる騒音の結果だ。

頭の九割が眠っているとき(あるいは、眠ろうとしているとき)頭の一割が、「行かなければならない」「動かなければならない」と命令を出しているときは、つらい。これを、「体調」と言ってしまうと、語弊があるのだけど、いまのところ「体調」と言うしかない。

頭の一割が「勝って」、体を動かすことができるときがある。けど、それは、限られている。ストレッサーに対抗して、がんばっている状態なのだけど、実は、注意不足で失敗をしたり、力が入らないといった経験をすることになる。あるいは、普段なら簡単に解ける問題が解けないといった経験をすることになる。

脳の一割ががんばって、残りの九割の事情を考えずに、あるいは、無視して「やっている」状態だ。残りの九割はほんとうは眠たくて眠たくてたまらないのに、無理をして、「動いている」のだ。

強烈なストレッサーに対抗して、動いているわけだけど、持続時間、持続期間を問題にしなければならない。こういう状態が改善されずに、ずっと繰り返されるなら、最後には、頭の一割がどれだけ命令しても、体が動かないということになる。

ぼくの、からだの状態というのはそういう状態なのである。だいたい七年間、毎日、こういうストレスにさらされて、ストレスに対抗した力を出して「動いている」と、だいたい七年後には、動けなくなる。けど、ヘビメタ騒音が「うちで鳴る」音なので、ヨソの人にはわからない。

ヨソの人は、俺が七年間毎日気違いヘビメタにさらされたにもかかわらず、七年間毎日(月曜日から土曜日まで)登校してきたということがわからない。

だれだって、一日ぐらいは、九割の脳みそが、動くことを拒否しているにもかかわらず、一割の脳みそが「動くこと」を強く言い張って、「動いた」ということを経験していると思う。一日や二日は、ね。

だから、そういう経験をもとに、俺に対して「あまえている」だとか「動こうと思えば動ける」というようなことを言う。S氏だってYu氏だって、七年間毎日、気違い的にデカイ騒音にさらされながら、どこかに通ったという経験があるわけじゃないのに、一日の経験から導き出した理論で、「通える」「動ける」「働けないなんていうのはあまえだ」と言ってくるわけだ。実際、そう思っているのだろう。こいつらにとっては、ヘビメタ騒音などは「俺から聞いてはじめてしまったこと」であり、まったくもって実感のあるものではないのだ。



2019年9月27日金曜日

図書館で時間をつぶしているとき、ほんとうにむなしかった




腹が痛い。昨日飲んだ缶コーヒーのせいだと思う。あんな小さな缶コーヒーでも腹が痛くなるようになったか。まあ、これ、何度目のセリフだということになるけど。

長袖のシャツを注文した。これは、長袖のTシャツなんだけど、今年は、バルサンとかいろいろとあって、どこに長袖のTシャツがあるのかわからなくなっている。もう、買うことにした。で、気に入っていたTシャツ二枚が、だめになっている。夏の夜干しで、だめになっている。うちの庭はジャングルみたいになっている?ので、虫が多い。蚊とか蛾とか多い。
たぶん、だいじょうぶなんだけど、すてておいた。なので、頼りになるやつがいなくなったメンバーでまわしているわけで、新入りを入れないとだめだ。昨日というか、今日、下の部屋で(ネズミの)ゴミをまとめる作業をしていたとき、かゆくなったと書いたけど、あのときに着ていたTシャツが、強烈に着心地がいいやつなんだよ。で、それが、メンバーから外されたので、きつい。いま、袋に入ってる。ほんとうは、袋ごと冷凍室に入れるつもりだったんだけど、下に行くのがいやだったから、袋に入れたまま、二階の部屋に置いてある。
いま、熱湯処理をしてしまおうか?

腰は寝ているうちになおった。
しかし、腹が痛い。腹が痛いだけで、心細くなる。図書館で時間をつぶしているとき、ほんとうにむなしかった。本に対する興味がなくなっている。図書館の近くの喫茶店(レストラン)でご飯を食べたときも、言いようがないむなしさに襲われた。ほんとうに、ワタ君と図書館に行ってたときから三三年もたっているんだな。当時の記憶がよみがえってきたけど、むなしさでいっぱいだった。三三年後の俺が、こんな状態だよ。

2019年9月26日木曜日

俺が親父の尻ぬぐいをするのはいやなんだよ!!!!!!!いやなんだよ!!!!


ネズミがついているシートを無毒化した。ようするに、3層構造の袋につめた。けど、これがたいへんで、なんて言うのかな? ネズミがついているシートと、別のシートがくっついていて、さらに別のシートがくっついていて、シートにおのおの袋がくっついている。で、あれはいつも問題なんだけど、袋の中にスリッパがはいっている。このスリッパが、ダニまみれになっている。で、スリッパは可燃ゴミに入れるわけには行かないので、出そうとした。ところが、いろいろなものが複雑にくっついていてうまくとれない。で、袋に入っていたせいか、ダニがまだ生きていて、腕を二箇所刺された。これ、親父の便所スリッパなんだけど、これが、わるさをしやがる。これ、いちど不燃ゴミで出して、返されたやつなんだよ。で、スリッパに関しては不燃ゴミでいいわけ。ほかのも、返されてしまったけど、ネズフンでよごれているわけだから、不燃ゴミでもいいはずだ。ともかく、いま、腕のところがもうれつにかゆい。これ、いやなんだよ。これは、ネズミ経由のダニだから、このダニに、ウィルスや細菌がついていたら、その病気になるおそれがある。いま、薬を塗ったけど……。
まだ、頑丈な袋に、袋複数とネズミシート複数とネズミがついているネズミシート一枚を入れたところだ。これに、「ねずみ」と書いた紙を貼って、可燃ゴミの袋に入れなければならない。
ともかく、バルサンをたいても、袋のなかにはとどかないところがあるので、それで、袋をあけて、なかのスリッパをとらなければならないというような作業が発生すると、ダニに刺される可能性がある。
バルサンをたいても、ああなってたらだめなのか?
ネズミシートにスリッパがはいっている袋がくっついていてだめだ。なかなかはがれなかった。だから、中身を出したわけだけど、その作業中にダニに複数箇所刺された。俺は、絶叫した。夜中だけど。もう、ほんとう、こういうのいやだ。いやなんだよ。俺が親父の尻ぬぐいをするのはいやなんだよ!!!!!!!いやなんだよ!!!!+++++++++++++


長いゴム手袋着用。(これだって、一組三八〇円もするんだぞ)
マスク、ゴーグル、長袖。
事前にバルサン。
さらに、事前に、殺虫剤。
これだけやって、刺されるんだからな。あそこは、ほんとうに、いろいろとネズミシートにくっついてしまって、こまった状態になっていた。ネズミシートは三枚だ。で、袋が複数。うち、一枚の袋は90リットルの袋だ。そのなかに、まえ、親父の部屋のネズミ関係品をつめて、不燃ゴミの日に出したのに、もっていかなかったので、持って帰ってきた。あれなぁ。それも、あの袋は親父の部屋に入るとダニに刺されることを知っていたけど、ずーっと、親父のベッドの上におきっぱなしだとまずいかと思って、親父の部屋に入ってゴミの日に出したのに、返された。ちなみに、予想通りに、ダニに刺された。我慢してやったことなのに、意味がなかった。で、解体したときにまた刺された。この時のダニ刺されが一番かゆいダニ刺されで、何回も水ぶくれになった。いまも、後はのこっている。

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2019年9月25日水曜日

どうしても、ネズミを処理する元気が出ない。


どうしても、ネズミを処理する元気が出ない。
あーー。出しっ放しにしておくと、バルサンをやったあとだと言っても、くさるだろうなぁ。
まだまだ、暑いからなぁ。
向かい合いたくないなぁ。向かい合いたくない。どうしても、向かい合いたくない。
それに、なんだか腹がへってきた。どうしようかな? それにしても、長期騒音でめちゃくちゃなんだよな。俺のこころは兄の騒音でやられていたときとおなじだ。まるまるたい。まるまるたい。これ、ほんとうにこういうことになってしまったなぁ。

元気なんて出ないよ。

俺もう、限界なんだよな。睡眠もとぎれとぎれだし。まるまるのうかな。まあ、どこかで気分がよくなるかもしれないので、まるまるきておこう。

これ、●●君や●●君とつきあってたときとおなじなんだよな。要するに、かりに友達といっしょにいても、だべっても気分が晴れない。もともとは、ヘビメタ騒音が原因だから。ヘビメタ騒音で不安を感じる。
ヘビメタ騒音で憂鬱になる。このこころぼそい感じがわかるかな? ヘビメタ騒音の感じなんだよ。
いま、午後一〇時四〇分、気違いヘビメタが鳴っていた時間だ。どれだけ、午後一〇時四〇分に、『明日試験だからやめろ』と言っても、絶対の意地で鳴らし続けたんだよな。この三〇分がどれだけ長いか? 破滅破綻。殺さないとしずかにさせることができない気違い兄貴ってなんだよ。しかも、それだけこだわってこだわって「やった!!」のに、「やった!!」つもりがないんだよな。これが親父とおなじなんだよな。こういうことがありえるということが、他の人にはわからない。こういうしくみが他の人にはわからない。

これで、最後の晩餐じゃないけど、俺にとってわりと豪華な?お金のかかるご飯をファミレスで食べても、おなじなんだよね。気違いヘビメタ騒音にやられてくるしんでいた午後一〇時四〇分とおなじだ。ヘビメタ騒音の不安というのが他の人にはわからない。そして、ぼくはその不安の上を歩いている。今日、図書館に行って、確認した。ほんとうに時間が流れた。ほんとうにまるまるまる。
だいたい、なんて言うのかな? すべてがたたるんだよね。気違い親父だけでもたいへんなのに……気違い兄貴のヘビメタが付け加わってぼくの人生はほんとうにたいへんだよ。他の人にとっては、『過去なんて関係がない』と言えるようなものなのかもしれないけどそうじゃない。だいたい、これ、一五年間毎日やられたあと、精神科に行って、薬をもらって飲んだってだめなんだよ。もう、破壊されてしまっているわけだから。一日に目に鳴りやむことが必要。それ以外の処方箋はない。気違いが意地を通すと、まともな人が精神科に行かなければならない状態になってしまう。これもおかしい。気違いだから、まったく気にしないで、鳴らしまくるよ。そして、しつこくしつこく鳴らしたのに『そんなんじゃない』『たいして鳴らしてない』と真顔で言うんだよね。それは、鳴らしてたときとおなじなんだよ。頭がおかしいから、嘘をつくつもりがないのに、嘘をつく。「つもりがない」。いつも、「つもりがない」。からだは一〇〇%自分がやりたいことを実行している。自分がやりたいことと言うのは、自分が満足できる音のデカさで、すべての可能な時間ヘビメタを鳴らすということだから、自動的にそうする。だから、自動的につねにそうしているのに、親父とおなじで「そのつもりがない」のである。これ、ほんとうに、決定的にないんだからな。他人に言えば『そんな人相手にしなければいい』などと言うけど、相手にしないようにしてもヘビメタ騒音の影響は受ける。かりに、午後一一時一〇分に鳴り終わったとしても、眠れなくなって、午前四時ぐらいまでは起きている状態になる。で、それがまた、くるしいんだよ。眠りたいのに眠れないという状態……。これが地獄だ。気違いヘビメタを鳴らされたので……その日長時間鳴らされたので……からだがさめない。眠れる状態にならない。こういうのだって、事情を知らない人は、『どうしてちゃんと眠らないんだ』『不摂生だ』『健康管理ができないのは自己責任だ』と言いやがる。俺がヘビメタ騒音でできないと言っても、認めないやつがいる。そのひとにとっては、ヘビメタ騒音はそういう音ではないのである。自分が鳴らされてこまっているわけではないから、どこまでも、冷淡だ。頭が悪いから、想像がつかない。あるいは、自分が経験した中程度の騒音と気違い兄貴の騒音を同一視して、『自分だって鳴らされたけど、ちゃんと眠れた』『意志で眠れる』というようなことを言いやがる。気違い兄貴が、がんばってキチガイ的な意地で鳴らすと、俺がヨソの人とそういうことでもめることになってしまうのである。無職(当時)だって、遅刻だって、引きこもりだって、おなじことなのである。そんなの、気違い兄貴が知るわけがない。それは、言われないから知らないのではなくて、気違い親父とおなじで自分にとって不都合なことを言われたら、即座に否定して、怒り狂うから、わかってないだけの話なのである。気違い兄貴はまったくわかってないけど、気違い兄貴の態度は、親父の態度とまったくおなじだ。こういうことだって、信じないやつは信じない。信じないと、俺が『でたらめを言っている』と判断するわけだ。半信半疑なわけ。だから、半信半疑なところで『それでも、ちゃんと働かないとだめだろ』というようないちおうは共同幻想に合致したことを言う。それは、俺にとって、とてもとても、屈辱的なことなんだぞ。俺は怒るけど、怒って当然のことなのだぞ。けど、そいつは『それでも、ちゃんと働かないとだめだろ』と言っただけなのにどうして怒るんだ?とたたみかけてくる。これ! これが俺がこの世で遭遇した現実! 気違い家族にやられると、まわりのやつから悪く思われて、説教される。頭にくる。『どうして怒るんだ』と思ったやつは、『エイリさんは発達障害だからそうやって怒るんだ』と、これまた、まちがった推論をしてしまうのである。俺の立場に立ってみろ。こんな不愉快な交流……。こんな不愉快な交流をするために、わざわざ人にあいにくなんてばからしいだろ。佐藤!おまえのことだよ。なめやがって。ミニ佐藤みたいなやつがいっぱいいるんだぞ。常識的な人で、日本労働教徒なら、そういう反応をする。常識的な人だから、『気違い家』の事実がわからない。現実がわからない。話しても認めない。話半分で聞く。俺が嘘をついていると思いやがる。そして、「だとしても」と続けやがる。仮定の話!! 仮定の話!! ふざけるな。事実そうだったと言っているだろ。俺は、ヘビメタ騒音の音のデカさについて嘘を言ってないんだよ。俺は、気違い兄貴の態度について嘘を言ってないんだよ。これがどうして、わからない。

くそ、ヘビメタさえなければ。なければ!!!


2019年09月25日14時18分56秒
とりあえず、帰ってきた。まだ、下の部屋にははいってない。ネズミがシートの上で死んでいるんだよ。昨日の午後九時ぐらいに物音で、シートにかかったと思ったんだけど、確認するのがいやだから、確認しないで寿司屋に行った。
で、今朝、バルサンをたく前に、見たら、シートにかかっていた。息があるのかどうかはわからない。ほんとうに、処理したくない。バルサンをたいて出たので、シートの上のネズミは……。まだ、下の部屋に行ってないので、処理してない。明日、可燃ゴミの日でよかった。可燃ゴミなんだよね。

いままで、図書館に行ってたんだけど、●にたい気分になった。ほんとうに、むだな一生。騒音で人生がない。どうして、しずかにしてくれなかった? と思う。この現実は、まるで夢のようだ。いやな夢。悪夢。

こんなのはない……。そう思って帰ってきた。この部屋は、ちょっとはにおっているかと思ったけど、ぜんぜんにおってない。まあ、窓を開けたからな。窓を開けてそとに出たから。

俺は本当にどうなるんだろ?

どのイスに座っていても、しんどい

そとに出ているとき、強烈な眠気や疲労感に襲われないように寝ておきたいのだけど、眠れるわけではない。横になることはできるけどさ。


図書館の思い出はある。『ワタ君どうしているかな』とかよく思う。けど、その思い出もそうなのだけど、長期騒音でくるしい。ぶらぶらな状態でくるしい。身体的にくるしい。なんて言うのかな? 長期騒音の影響が「りくつづき」なんだよ。だから、必然的に小学六年生以降、どこにいてもくるしい。特に、思い出の場所はくるしい。じゃあ、思い出の場所ではない場所に行けば、すっきりして楽な気分になれるかというと、そうではないのだ。やはり、どこを歩いていても、しんどいというのがある。どのイスに座っていても、しんどいというのがある。まだ行ったことがないレストランのイスに座っていてもくるしいのである(と予想できる)。どうして、まだ行ったことがないレストランのイスに座っていていくるしいというとが予想できるかというと、そういう経験が何十回もあるからだ。そのときはまだ、行ったことがないレストランに行ってもくるしい。レストランだけではなく、どこの施設に行ってもくるしい。行ったとなると、行ったことがある場所になるので、行ったことがない場所ではないということになる。だから、『予想できる』などと書いたのだ。

++++++++++++

ともかく、俺はヘビメタ騒音なしで生きたかった。それだけだ……。もしかりに、ヘビメタ騒音なしで勉強して、それで、志望高校や志望大学におちたなら、それはそれで納得がいくことなんだよ。ここらへんも、まったくわかってないんだよな。気違いヘビメタを何年も何年も毎日毎日やられたことがない人が俺の言っていることを考えると、ここらへんで、誤解するんだよな。


2019年9月24日火曜日

俺の立場に立ってみろ

俺の立場に立ってないやつは、俺にいろいろなことを言うのだけど、全部的外れだ。俺の立場に立ってみろ。俺の経験したことをそのまま経験してみろ。おまえ、それでも、そういうことが言えるのか? じょうだんじゃない。

うちだけで狂っているやつにやられた人は、ヨソの人から誤解される


いつのまにか午前二時か?
コーラを飲みたいけど、飲みすぎか?
炭酸飲料の飲み過ぎかもしれない。
しかし、もう、限界、きてる。
限界、更新でやってきたけど、やっぱり、きつい。
ここに書くと人気が下がるけど、ほんとうにヘビメタ騒音でつらい。ヘビメタ騒音が鳴っている雰囲気しかしない。くるしい。

あとは、ヘビメタ騒音のことでいろいろと誤解されて、交友関係が制限されてしまったことがデカイ。もちろん、俺の側には、ちゃんとした理由がある。けど、ヘビメタ騒音のひどさがわからなければ……俺に与えている影響のデカさがわからなければ、必然的にそうなる。そりゃ、そうだろ。

俺が辛いと言っているのに、そんなの関係がないといっているやつと、つきあえるか? そいつはヘビメタ騒音を浴びて二〇〇〇日以上暮らしているということはないので、けっきょくは、わからない。話しで聞いたって、いまその、話しているあいだもくるしいんだということがわからない。そりゃ、鳴っていない時間もくるしいというのは、他の人にはわからないだろう。けど、鳴っている時間だけではなくて、鳴っていない時間もくるしい。具体的には、普通の人が眠る時間として設定されている、午後一一時あたりから、午前七時あたりまで、めくちゃくちゃにくるしい。これは、眠れないくるしさだ。そして、普通の人が学校や職場で活動している時間帯として設定されている午前七時から午後五時あたりまで苦しい。数千日前からヘビメタが鳴っていて、寝不足で、昨日の夜も午後一一時まで鳴っていたから苦しい。眠れない時間が長かったので苦しい……そりゃ、眠らずに動いていたら、苦しいに決まっているだろ。あるいは、少ししか眠らないで動いていたら苦しいに決まっているだろ。だから、鳴っていない時間も苦しい。しかし、鳴っていない時間もくるしいということが他の人にはまったくわからない。俺は、我慢してたって、我慢して話しているんだぞ。我慢して、話を聞いているんだぞ。反応をかえしているんだぞ。苦しいに決まっているだろ。これも、好きで夜更かししたわけではないのである。これ、ゲームをやって夜更かしした経験とおなじレベルのことだと思うな! 自分の意志でゲームをやって、寝不足になったはなしと一緒にするな。ぜんぜんちがう。
ほんとうに、佐藤氏やYu氏にしたって、あのデカさでヘビメタを聞かされ続ければ、働けないからだになるのに、あの言い方だ。鈍だ不明ような場面を、俺に押しつければ気が済むんだよ 兄貴! おまえがやったことは親父がやったこととおなじだ。他の人がわからないやり方で、意地を張ってやるけど、本人はやったつもりがないという気違い的な方法でやりきる。関係がないつもりの人でいる。そんなの、信じない。そんなの本当の話なら、その人(兄貴や親父)は精神病院に入っている。入院している。けど、入院していないのだから、そうではないのだろうと……普通の人は考えてしまう。うち面の、悪さと、そと面のよさ。ほんとうに、意識がつながってないから、自分が意地になってそうしているということが、わからない。そういう精神病だ。これが、ほんとうに……「うち」だけで、出るんだよ。うちだけなんだよ。ほんとうにこまる。うちだけで狂っているやつにやられた人は、ヨソの人から誤解される。誤解されるのがスタンダードだ。普通の状態だ。ヨソの人はやっぱり、『家族で話し合えばいい』『お兄さんに相談すればいい』と言って、俺に否定されると、気分が悪くなるんだよ。俺だって否定したくないけど、そういうやり方でずっとがんばってきて、いいことがないんだよ。解決しないんだよ。気違い兄貴のヘビメタ騒音だって鳴り始めたのが、俺が小学六年生のときだ。裁判や騒音の測量をするということになったら、かならず、親父が出てくる。お母さんは引っ込んでいるからな。で、親父に話しても、親父が気違いだから勝手に爆発しておしまいなのである。兄貴だけではなくて、親父が気違いだと言うことがわかってないから、俺が『お兄さんに言わないのが悪い』と思ってしまう。(俺が兄貴に)どんだけ言ったと思っているんだよ。『どんだけ言ったと思っているんだよ』と言われたら、『言えばいい』と言った人は、やはりいやな思いをするんだよ。

2019年9月22日日曜日

この世という地獄。

犬、ピアノ、ドアバン、で起きた。

犬もなんか狂ったように吠え続けるときがあるんだよな。

むかしの犬はそんなことはなかったのに(むかしのとなりのいえのいぬ)。

ああーーああああーー。つまんない。



しかたがないから、とりあえず、ご飯を炊く。

小便をする。ピルクルという飲み物を飲む。



ドアバンで胸が痛い。



にしても、すべてがつまらないなぁ。

夜にくらべて、おそろしい暑さ。



この世という地獄。

ほんとう、この世が地獄なんだよ。

ヘビメタで苦しい。

ヘビメタがない世界に行きたい。

ヘビメタにやられなかった過去が欲しい。

ヘビメタにやられなかった場合の現在が欲しい。



2019年9月21日土曜日

『なんとか立ち直らせてやろう』と思う人間は、その時点でダメなんだよ


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2019年09月21日18時37分19秒
起きた。一時間ぐらい前に起きた。
一時間でやったことは、水分補給とほんのちょっとだけご飯を食べることだ。これ、ほんとうに少なすぎる。唐揚げが食いたくない。しかし、いつまでも釜のなかに入れて置くわけには行かないから、なるべく早く食べたほうがいい。基本、三日前のご飯もはいっているわけだし。もっとか? 釜が高性能で、四日ぐらいご飯をいれたまま保温しても、ご飯がかわかない。(ほとんどかわかないと言ったほうが正確か)

ここで書くわけにいかないのだけど、気違いヘビメタ騒音がなかった場合の人生について考えてしまう。ヘビメタ騒音と『他人』との関係は言いがたいものがある。『他人の認知』と言ったほうが正確か。『ヘビメタ騒音に関する他人の認知』と『実際のヘビメタ騒音』がちがいすぎるのである。ほかの人たちはわかってない。本当にわかってない。ある程度わかってくれる人たちが三割ぐらいで、五割は完全な『敵』になる。二割は、中立派と言ったところか。
いずれにせよ、俺が言っているとおりに……あるいは、記述しているとおりの音でヘビメタが鳴っていたのかどうかということに、疑問を持つものがいるのである。そいつは、疑問を持ったまま「それでも」「だとしても」と言葉を続ける。こういうやつが、一番、腹立たしい。こういうやつの不愉快な感じといったらない。もちろん、俺にとってこういうやつが不愉快だということだ。俺は、こういうやつに対面すると不愉快な気持ちになるのである。Aさんのところにも書いたけど、こういうやつと、俺のあいだには深い溝がある。ふっかいふっかい、溝があるのだ。この溝は、正確に言えば、認知のちがいなのだけど、腹立たしい。ぜんぜん、ちがうんだよな。実際の鳴っている場面と、そういう普通の人たちが考える『(エイリさんの言っている)ヘビメタ騒音』がちがいすぎる。ぜんぜん、ちがう。ほんとうに、一日でいいからあの状態を経験させてやりたい。どれだけ、こまるか。どれだけ頭が混乱するか。どれだけ『スケジュール』がこわれるか。やらなければならないことが、できなくなるか。経験させてやりたい。そういう日が一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日つもった場合の俺の日常の感覚がどういうものになるか、経験させたい。経験すればわかるのだから。しかし、経験してないからわからない。そして、「あてずっぽうの」解釈で好きなことを言いやがる。頭にくる。これが頭にこないはずがないだろ。
まあ、こういうふうに言うと、『そういう他人の反応なんか気にしなければいい」とか『自分に対する人の評価なんて気にしなければいい』というようなことを言う人がいるけど、ちがうと思う。Aさんのことについて長々と書いたけど、Aさんの問題はぼくの問題でもある。(あった)。日本人はほとんどが『日本労働教徒』なのだから、基本的に『働けるように見えるのに働かないやつ』のことはほうっておくことができないのである。どうしたって、説教したくなる。Aさんのところに書いたけど、これは、『普通の人』が『敵になる』状態なのである。無視はできない。案外、プロパーな問題なのである。
気違いヘビメタ数千日によって引き起こされた『働けない状態』と『エイリさんは働けるのに働いてない』と思っている『一般的な人』のあいだの溝がでかすぎる。普通の人は稼働年齢の男が働いていなければ、『どうして働かないのか』ということが、気になって気になってしかたがないのである。本人にとって、『働けない理由』が働けない理由だと思えない場合は、なんとかして、働かせないと気が済まないような状態になってしまうのである。ほんとうは、こっちの方が問題なのだけど、本人は、あたりまえのことをしているだけのつもりがあると思う。説教しなければ、気が済まない状態になってしまうのは、ほんとうはおかしい。けど、『将来、この人が生活保護をもらうかもしれないから』というような、もっともらしい?理由をつけて、説教しまくる。Aさんのところに書いたけど、自己紹介をしたら、こういう説教をしてくるやつと、つきあうに気になるか? そのあと、友好な人間関係を気づこうという気持ちになるか? あるいは、『すぐには』働けと言わずに、いちおうの理解を示すけど、それは、『あとで』働けと言うための準備にすぎない場合、そういう『意図』を持っている人とつきあう気になるか? こういうのは、通じない話なのかね? ヘビメタ騒音のことよりもずっと通じると思うけどなぁ。たとえば、自分が働けないにもかかわらず、働けるように見える人間だとする。その場合、他人がこういう態度で接してきたら、その他人と仲良くしようという気持ちになるだろうか? これに関しても、『働けない』けど、働けるように見える人の『コミュニケーション能力』の欠如の問題にしたいのだろうけど、そうじゃないと思う。一般側?からみれば、引きこもっている人は『絶対に』コミニュケーション能力が欠如しているのである。「だから、引きこもっているのにちがいがない』とまちがった推論をしてしまうのである。これがまちがった推論だということ自体に気がつくことができない人もいるのではないだろうか。むしろ、金をたかっているわけでもないのに、『(そのとしで)働いてないのはおかしい』という気持ちで説教してしまう人のコミニュケーション能力に問題があるとは思わないのか? 推論がまちがっているし、たとえ、自分が本当に思っていることでも、そういう「よからぬこと」を他人に(あったばかりの他人に)すぐにぶつけてしまう人のほうが、よっぽど、未熟で他人のことを考えられない人間だと思う。はっきり言えば、他人のことを「おもんばかる」能力に欠けているのである。けど、日本では……現在の日本では……『働かざる者食うべからず』というような言葉に代表されるような共同幻想が『一般的』だから、おかしいとは思われない。そういう攻撃!は問題がないものとされている。悪いのは、働いてないやつなのである。引きこもっているやつなのである。最初から無礼なことを言ってくるやつに、好感が持てないというのは、人間としてあたりまえの反応だ。最初から無礼なことを言ってくるやつと『今後つきあいたくない』と思うのは人間のとしてあたりまえの反応だ。どうしてこれがわからないのか? けっこう頭のいい人や、まじめな人でも、共同幻想にしたがって、あれやこれやと説教をするのがあたりまえだと思っているんだよなぁ。こいつらだって、ヘビメタ騒音数千日を経験すれば、働けなくなるのに……見かけは働けるようでも働けなくなるのに……ヘビメタ騒音の持続時間と持続期間と音のデカさを説明したあとでも、そういう反応をするやつが、相当数いるわけだから……。『人とつきあいたくない』と思っても当然だ。これ、『なんとか立ち直らせてやろう』と思う人間は、その時点でダメなんだよ。なんでこれがわからないのか? なんでこれがわからないのか?

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共同幻想がぼくの言っていることを『支持しない』のだから、ぼくの言っていることが「うけない」のはわかる。共同幻想にしたがった気持ちの暴露のほうがうけるのだろう。そりゃ、共同幻想なのだからしかたがない。


2019年9月19日木曜日

援助をするべきだと考えるなら、Aさんは働けない人だという前提で、話をすすめるしかない


「そのうち働くんでしょ」という紐付きの援助を求めなかった人の気持ちがわかる。事実上働けない人が、他の人からは「働ける人だ」と思われている場合であって、なおかつその人(事実上働けない人)がまじめな人である場合、どうしたって、援助は受けられないという気持ちになる。どうしてかというと、「働けない」からだ。「働かない」のではなくて、「働けない」からだ。その人、その人というとわかりにくくなるので、事実上働けない人をAさんということにしておこう。

問題なのは、Aさんが主観的に働けないと思っているだけだということを、Aさんが否定できないということだ。そりゃ、医者がAさんは働けませんと書けば、それで、行政的にはおさまるけど、Aさんの障害について、医者が働けないという太鼓判を押さなかった場合の話をしているのだから、Aさんが主観的に働けないと「思ってるだけなのか」Aさんが働けないのかは区別がつかない。

たとえば、しばらくの援助であれ、やがては働く必要があるという条件付きの援助なのであれば、働けない(という確信がある)Aさんは、そういう援助を受けるわけにはいかないということになる。

けっきょく、「はたらかざるものくうべからず」という文言に縛られて、死んでいくということになる。

まあ、ふまじめな人であれば、とりあえず、援助を受けて、そのあと、働くそぶりは見せるけど、働かないようにするのだろうと思う。(実際に働けない人なのであれば、このようなことをすることは、悪いことではない。)

けど、そういうことをしたくないという人は、やはり、紐付きの援助は受けられないので、援助を受けずに死ぬということになる。(飢え死に)。まあ、一種の「殉教」みたいなものだな。世間では「働かざる者食うべからず」というおそろしい戒律?が成り立っているのだから!

まあ、戒律じゃないにしろ共同幻想ではあるよね。

だから、助けを求めなかったのだと思う。実際に飢え死にするほうを選んだ人は、援助を求めなかったのだと思う。(どうして、援助を求めてくれなかったのか?)という疑問を持っている人がいたので、それに対する答え。

もうひとつの答えは、「あおりがある」ということだ。「働かざる者食うべからず」という共同幻想が成り立っている社会で、働かないで生きていくというのは、批判を受ける生き方なのである。実際には、Aさんのなかでは、働かないのではなくて、働けないのだけど、Aさん以外の他の人がAさんは働けると見なしているのだから、Aさん以外の他の人は、必然的に、Aさんをせめるのである。

せめてあたりまえだ。

そうなると、Aさんは、自分以外の人の前に出ると、いつも、「なぜ働かないのか」という質問を受けることになる。Aさんは「働かないのではなくて、働けない」のだけど、それは、Aさんのなかの話しなので、他の人はAさんが働けると思っている以上、Aさんが働けるという前提で、質問をすることになる。あるいは、ものを言うことになる。さらにあるいは、説教をすることになる。

しかし、そのような説教をされても、AさんはAさんのなかでは働けないので、無理なのだ。働けないので働けないと答えるしかないということになる。

しかし、世間の人は、Aさんが働けないということを認めていないのだから、そういう答えでは納得しない。だから、質問と説教を繰り返すことになる。

これは、できないことを求められているので、Aさんの主観的な感覚で言えば、「あおられている」のとおなじだ。世間の前に出るということは、尋問されるということなのである。(働けないということは)自分のなかでは自明なことなのだけど……。

そして、「働かざる者食うべからず」ということが、特殊な個人の特殊な幻想ではなくて、共同幻想なので、Aさんをせめる個人を、おなじ共同幻想を持った社会の人たちが支持するということになる。ようするに、Aさんのまわりは、みんな、Aさんの『敵』なのである。

だから、Aさんとしては、援助を求めるわけにはいかなかったのだろう。

だいたい、生活保護だって、一時的に助けるものだということになっている。働くまで、一時的に助けるものなのであるから、働けないAさんは、受けるべきではないのである。まじめに考えれば……の話しだ。

ともかく、どうして働かないのだ?と質問するほうは、ほんとうはAさんがなにを答えても、「働かないかぎり」納得しない。Aさんが働けると思っている個人は、Aさんが働かないかぎり、納得しないのである。ともかく、Aさんは、『働けない証明書』を手に入れなければならないのである。

まあ、『働けない証明書』をAさんがもらえば、たいていの人は、納得して、追及の手を休めるだろう。けど、『働けない証明書』をAさんが持ってないかぎり、追及の手を休めるということがない。Aさんがその追及の手からのがれるには、一切合切、人前に出ないということが必要だ。

もちろん、世間話を振ってきたら、世間話にはつきあうけど、『援助にかかわること』を振ってきたら、その話には『のらない』ということが必要になる。

実際に、『援助を受けたほうがいい』ということをAさんに話す人は、Aさんが援助を受けたあと、働かなくても、追及をするということはないだろう。役割分担がちがうからだ。『働いてください』と言ってくるのは、また別の人だからだ。

いずれにせよ、紐付きの援助を受けるつもりがないのだから、最初から関わり合いを持たないようにするというのが、Aさんの考え方なのだろう。この考え方の背後には、もちろん、『働かざる者食うべからず』という考え方がある。


もし、実際にAさんを助けるとするならば、Aさんは働けない人だという前提で、話をすすめるしかないのである。そういう前提で、援助を申し出たのであれば?援助を受けたかもしれない。

まあ、『働かざる者食うべからず』という共同幻想を持っている人は、そういう前提で援助をすることには、反対するだろう。

『働かざる者食うべからず』という共同幻想を持っている人でも、『障害者は働かなくてもいい』『主婦は働かなくてもいい』『学生は働かなくてもいい』『定年退職者は働かなくてもいい』というような例外の補足規定?のようなものを持っているので、(Aさんのようなものをふくめるかどうかについては)例外の範囲のちがいでしかないということになる。医者に『障害者』として認定された人は、障害者なので働かなくても食べていいと考える人が、『働かざる者食うべからず』と考えている人のなかにもいる。

けど、その人から見てAさんが働ける人なのであれば、当然、Aさんは例外にはあてはまらず、「サボっているだけなのだから、食わずに死ね」という考え方をAさんに押しつけることになるだろう。

まあ、それがあおりで、そうなることがわかっているからこそ、Aさんは、援助をことわって、飢え死にしたのだろう。いちおう、共同幻想と一致しているので「サボっているだけなのだから、食わずに死ね」という考え方は、ひどいことには思えないと思うけど、ひどい考え方だと、ぼくは思うね。Aさんは『サボっているわけ』ではないのだから……。ただ単に『働けない』だけだ。

基本的には『働かなくても食っていける社会』をつくったほうがいいと思う。技術的にはそういうものはつくれる。富の偏在と分配のしくみがうまくなりたってないだけだ。いまの資本主義経済社会だと、『働かざる者食うべからず』というおどしがまず必要になる。これは、おどしてあると同時に『現実』でもあるので、抗しがたい。

けど、これは、いまの特殊な社会が生み出した、特殊な信念であるとも言える。まあ、みんなが信じていれば、共同幻想なのだから、それなりの拘束力はある。

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生活することと、働くことのあいだには距離がある。生活することはできるけど、働くことができない人は、いる。ただ、その人が運良く?『自分が働けない』ということを証明できるとはかぎらない。医者といたって、いろいろいるからね。

2019年9月18日水曜日

もし、殺人者が「過去は関係がない」と言ったらどう思うか?

全部自分がやりたいことはやりきって、「ゆずってやった」とはなんだ!!! ふざけるな。それだけで、デコパッチンFBだ。一切合切ゆずらない状態で、気違い的な意地で鳴らし続けて、「ゆずってやった」だからな。親父とおなじなんだよな。しかも、繰り返し行為。全部おなじ。そのしわ寄せが、全部、俺にくる。ほんとうに、一三時間(じゅうさんじかん)鳴らせるなら、一三時間、ものすごくデカイ音で鳴らして「ゆずってやった」だからな。頭がおかしい。「ゆずらずにずっと鳴らした」という認知ができあがってもいいはずなのに、そういう認知が「あくまでも」存在しない。「やったってやってない」という認知なのである。頭がおかしいけど、そういう頭のおかしさを利用すれば、「やってないつもりで」自分がやりたいことを全部やってしまうことが可能なのだ。「やってしまったら」……「もう、関係がない」だよ。前提はまったく違うけど、「過去とは関係がない」と言っているやつとおなじだ。「過去は関係がない」……頭がおかしいことを、気違い的な意地でやりきって、他人に迷惑をかけた人が、その言葉を言ったら、どう思うよ?? おまえを自殺未遂に追い込んだやつが「過去は関係がない」と言ったら、どう思うよ? カウンセリング・ルームでヒエラルキーが保たれているから、そういう発言が可能なんだよ。これがわかるか?


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。