2021年2月28日日曜日

もう、ここで、世間の人間とのあいだに溝ができる。

 足の引っ張られ方が尋常じゃない。そして、それがほかの人にはまったくわからない。やられてない人にとっては、どれだけ説明されても「ない」ことなので、「そんなことはない」ような気がするわけだ。けど、ハンディが並じゃない。ほかの人が俺の話を聞いて想像できるようなハンディじゃない。そんなものではないのだ。ヘビメタのキーキーという音がすべてを破壊する。ヘビメタのガガガという音が、すべての希望を破壊する。すべての可能性を破壊する。きちがいヘビメタが鳴っているときは、酒に弱い人が酒を飲んだような感じになる。そのあとも、ぬけない。これ、毒に対する体の反応というのは、「意志の力では」どうにもならないと考えたほうがいい。

けど、ほかの人は、ヘビメタ騒音が毒のようなものだとは思ってない。きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、至近距離だから、毒のような役割をする。持続時間が長すぎる。ほかの人はまったくわかってない。ヘビメタ騒音を、きちがい兄貴やられたことがない人が、「意志の力でどうにでもなる」ということを言う。

もう、ここで、世間の人間とのあいだに溝ができる。……そういうことを、きちがい家族によるものすごい騒音を経験してない人が言った時点で、ぼくは破滅的な気分になる。こんなの、うまくいくはずがない。そして、俺の体はきちがいヘビメタ騒音「毒」で、みたされている。きちがいヘビメタ騒音「毒」が体の中をまわっている状態だ。

いつも、くるしい。利己的で、理論的?な人たちは、そういうことも、否定する。もちろん、ヘビメタ騒音「毒」が……というのは、比喩的な表現だ。俺が言いたいのは、やられたあとも、……影響が残るということだ。

しかし、この人たちにとっては、そんなことはないのである。もう、いいよ。ゆるせない。ともかく、ゆるせないから。きちがい兄貴も、こういう判断をしたやつもゆるせない。 

ともかく、きちがい兄貴のやり方だと、きちがいおやじのやり方とおなじで、世間との間に溝ができるのである。やられた人と、世間との間に溝ができる。世間が、こういうことを理解するということはない。

ともかく、足のひっぱられ方が、尋常じゃない。ものすごい量、破壊される。やる気、意欲、記憶力、睡眠力、単なる体力、生活持久力のような意味での体力、すべてが破壊される。やられた時のひどい感じがほかの人にはわからない。

実際にやられてない人にとってみれば「そんなの鳴ってたってどうにかなるようなこと」なのである。

そんなんじゃないと俺が言っても、経験したことがない人は、わからない。「対応物」がないのでわからない。「対応経験」がないのでわからない。ないものは、ないんだよ。そして、下に見る。俺を下に見る。きちがいヘビメタ騒音が鳴っていいる限りこういうことの繰り返しだった。俺は、きちがいヘビメタで疲れはてている自分がいやでいやでしかたがなかった。身体感覚として、いやだった。 ともかく、まるまるまる。まるまるまる。

2021年2月27日土曜日

ヘビメタ騒音の夕方

ほかの人はわからないんだよ。どれだけ、心がいためつけられるか? 修復不可能なんだよ。そういう、レベル。そういう繰り返し。繰り返しはきついんだよ。「元気だ元気だと言えば、元気になる」とかどれだけ、人のこころを打ち砕く発言か? けっきょく、そういうことを言う人たちは、長さがわかってない。ヘビメタ騒音の長さがわかってない。どれだけやめろと言っても、ずっと続いてしまうのときの、絶望的な気持がわかってない。次の日の体の感じがわかってない。きちがい「家族」によって、粉砕されるということの意味がわかってない。きちがいなんだからな。ほかの人はわかってない。

いまの時間ずっと鳴っている。明るいときから、暗くなるまでずっと鳴っている。暗くなってからずっと鳴っている。やめろやめろ」と怒鳴りこんでいるのに……きちがいがまったくわからずに、鳴らし続ける。頭がおかしいから、なにもつたわらない。俺が、明日、ほかの人にご際されることになる。俺が、今日、ほかの人から誤解を受けた。「もう、いやだ」という時間が続く。やめろと言っているだろ。

いま、冬の午後5時54分。午後5時54分は、きちがいヘビメタが鳴ってた。毎日毎日、鳴ってた。どうやって、きちがい兄貴は「おとしまえ」をつけるんだ。きちがいだから、おやじとおなじ形相で、おやじとおなし気分で鳴らし続ける。あれ、ほんとうに、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしているときは、きちがいおやじが「つかえるつかえる」と怒鳴っているときとおなじなんだよな。まったくわかってない。事実と反対のことを言う。腹を立てて、否定すれば、本人のなかでは、それですんでいる。本人のなかで、すんじゃったら、どれだけなにを言っても、すんじゃったままなんだよ。事実否定。現実否定。現実否定をしているのはきちがい家族のほうなの……。これで、騒音でやられて、俺が引きこもれば、俺が現実に向かいあってないようなことを言われる。こういうしくみ。こういうしくみが、小学生の時から成り立っている。俺が小学生の時からという意味だ。兄貴が高校生のときからだ。 

毎日、毎時間やられていたら、そりゃ、「元気だ元気だと言えば元気になる」と信じている人とは、まったくちがった状態になる。「元気だ元気だと言えば元気になる」と信じている人は、きちがい家族にさらされたわけじゃないから、そういうところがわからない。このわからなさ、だって、絶望的だ。絶望的にわからない。「元気だ元気だと言えば元気になる」と信じている人にしてみれば、俺がへんな人に見えるのである。俺が間違ったことを言っているように思えるのである。俺の発言が不愉快だと感じてしまうのである。

これは、きちがい兄貴とのトラブルとはちがうトラブルだ。きちがい兄貴と似ているとは言わない。そりゃ、しくみがちがうからな。

きちがい兄貴が、きちがいモードでがんばると、そういうことになってしまう。押し出されてしまう。きちがいおやじが「つかえるつかえる」と怒鳴って、一切合切認めなかった時とおなじだ。不可避的に、兄貴は学校に行って、こまるのである。けど、兄貴が学校で待っているといういうことは、絶対に認めない。言われたって、わからない。どれだけ言われたってわからない。そういう文句がつくということ自体が、きちがい的に腹が立つことで認めたくないことだから、発狂して認めない。兄貴も、俺が、学校で困っているということを認めない。 兄貴の騒音で困っているということを、絶対の意地で認めない。何千回言われても、認めない。何千回言われても、言われた時の反応が同じ。一回目とおなじ。きちがいおやじの反応とおなじ。けっきょく、そういうトラブル……俺が「ヘビメタがうるさいからやめてくれ」と言ってきたというトラブルを認めてない。トラブルとして認めてない。やりがちだ。そして、うるさくしているということを認めないで、鳴らしまくったということも、認めない。「そんなことはまったくなかった」ということになってしまうのである。だから、きちがい兄貴も、きちがいおやじとおなじように、「でかい音で鳴らしてた」ということを言われると「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」と怒り狂ってしまう。「俺が言っても静かにしてくれなかった」と(俺が)言えば、「そんなんじゃないそんなんじゃない」「ゆずったゆずった」と怒り狂ってしまう。そういう反応しかない。あとは、真っ赤な顔をして、無視してを鳴らしてしまうという反応しかない。これも、ある。これも、おやじとおなじだ。反対語を喚き散らしてやり続けるという反応か、顔を真っ赤にして無視してやり続けるという反応しかない。反対語を喚き散らす場合と、押し黙ってやってしまう場合と二通りあるけど、無視してやり続けるということはおなじだ。そして、時間がたてば「やったことになってない」というのもおなじだ。ただ単に「やったことになってない」だけではなく、ここでも、関係性の否定があるのである。関係はあるけど、やり続けたということではないのである。関係がないし、やり続けてもないということなのである。こういう、きちがい。認知のずれ。自分にとってだけ都合がいい、きちがい認知。

こんな、腹が立つ態度はないね。

受け止め方の問題じゃないよ。実際に俺が困っている。危機介入が必要なレベルで困っている。家の「なか」でどういうことが行われているか、こいつらはまったくわかってない。「受け止め方の問題だ」などと言うやつは、きちがいが家族にいなかったやつだ。どれだけきたない手段で、きたない認知で、自分の意地を押し通すか、ほかの人にはわからない。きちがい家族にやられてない人にはわからない。

家族として一緒に住んでいた人じゃないとわからない。家族として一緒に住んでいるのに、問題の切り分けなんてできるわけがないだろ。受け止め方の問題だと言ったら、どんな虐待だって、受け止め方の問題になってしまうんだよ。やられている幼児が、受け止め方をかえればいいということになってしまう。しかし、そうはならない。心理学者は、そういうときは「危機介入」という考え方を出してくる。これは、最初に言っておくべきことだ。けど、心理学者が一般向けに認知療法について説明するときは、あたかも、すべての場合において総意向とが成り立つという感じで言ってしまう。ようするに、この場合は「危機介入」という考えたについて説明しないのである。だから、一般人が、「すべてにおいて成り立つのだな」と思ってしまうだろ。

2021年2月26日金曜日

そういうレベルの話じゃないのに、「なっちゃった人」じゃないとわからないか?

 そういうレベルの話じゃないのに、「なっちゃった人」じゃないとわからないか?

わからないんだろうな。自分にとって有害な刺激が、ずっと毎日続く生活をしたことがない人にはわからない。まあ、わからないほうが、いいとは思う。けど、すべての発言が「ずれ」ているんだよな。ぜんぜん違う世界の話なのだから、しかたがないけど、ここまでずれてくると、やはりもう、他人とはつきあえないということになる。

 

 つまんない。つまんないけど、タネはまいておいたからな。そのうち、収穫できるだろう。

しかし、どうするか?

みんなわかってないけど、ヘビメタ騒音でうつになるということは、たたかれたところがいたいと感じることとおなじことだ。別に、騒音でうつになろうと思って、うつになっているわけじゃないのである。長すぎると、定着する。期間が長すぎると定着してしまうのである。一四年間毎日、とてつもなく憂鬱だと、一五年目に刺激がなくなっても、憂鬱なままなのである。まあ、そのあいだに、基本的な部分が破壊される。そして、そういうきちがい的な苦痛がなかったやつから、軽く見られ、侮辱される。働いてない期間が持っている意味というのは、重要だ。まあ、ブランクというやつだけど、これは、学歴以上の影響を与える。そして、きちがいヘビメタ騒音で生じる問題は、いわゆるダメ人間の問題とおなじなのである。かぶってしまう。そして、「努力」でどうにかなるような問題だと認知されてしまうのである。ようするに、努力してないからダメなのだということになってしまう。これは、朝起きるというようなわりと目に見えることだけではない。朝、一定の時間に起きることができないというのは、個人としてだめだという感じがする。日本では特にそうなのである。しかし、きちがいヘビメタにさらされて、そのうち、七年間、毎日、一定の時間に起きて学校に通ったなら、もう、八年目からは、どれだけがんばっても、だめになる。これは、人間として当たり前のことなのだけど、ぼく以外の人間がそういうことを経験してないので、「努力」の範囲だと思われてしまうのである。こんなのは、ない。きちがい兄貴が、普通の基準を無視して、きちがい的な基準で、きちがい的にでかい音で、きちがい的に長い時間、きちがいヘビメタを聴いてしまうと、ぼくが、ほかの人からダメな人間だと思わるようになってしまうのである。そして、今回言いたいのはそれだけじゃない。この、一定の時間に起きるというようなわりと目に見えることではなくて、「こころのもちかた」という点でも、おなじことが言われてしまうのだ。ようするに、楽しめない人は、楽しもうと努力してないからダメなのだということが、さも正しいこととして言われてしまう。 そういうことを言いたいやつは、多い。普通の人間は、そういふうに思っている。ようするに、自分の気持ちをよい状態でたもつことは、だれでもできるのに……できるはずなのに……そういう努力をしない人間がダメなのだという意見を持っているのである。まあ、これも、自己責任論とむすびつく。ようするに、つまらない気持ちでくらしている人間は、楽しくなろうとする努力をしないからダメなのだという意見を持っている人が、日本では、そーーとーーに多い。これは、どんな理由があっても遅刻をするべきではないというような信念とおなじだ。そういう人が、多い。これは、アンケート調査でもしないと証明はできないけど、ほんとうに、この時代の、たいはんの日本人が、そう思っていると、ぼくは思う。これも、たぶん、共同幻想か、あるいは、いくつかの共同幻想から必然的に見びき出される幻想だと思う。(まあ、アンケート調査をしても、「証明」はできないのだけどね。)

 

 

 

 

2021年2月25日木曜日

あの子となかよくしておけばよかったよ

 あの子となかよくしておけばよかったよ。あの子となかよくしておけばよかったよ。あっちから言ってきたんだから、きちがいヘビメタが続いていたとしてもしばらくはつきあえただろうな。けど、どのみち、ヘビメタでつぶれる。三下り半をつけられる感じがする。あー。俺は、ほんとうに、ヘビメタ騒音にやられてだめだめになっている俺がいやだったんだ。きちがい兄貴、まったくわかってないな。だめになるに決まっているだろ。あんなの、やられて、いいわけがない。あんなのが毎日続いていいわけがない。あんなのが毎日続いて、学業がだめにならないわけがない。格好がつかなくなる。自分に自信?? きちがい兄貴にやられていて、きちがい騒音で毎日ズタボロで、自信なんて持てるわけがないだろ。ほんとうに、〇ね。

ボロボロ生活なんだよな。激しい、きちがい騒音で、ズタボロなんだよ。学校に行けば……学校ではヘビメタ騒音が鳴っているわけではないので、どれだけひどい音で鳴っているか体験を通して知っている人は少ない。俺の部屋に入った人だけ知っている。あとは知らない。だから、知らない人にとってみれば、たとえ、俺が言ったとしても「話で聞いたこと」になってしまう。知っているけど、関係がないわけで、実情は伝わりにくい。

たとえ、言葉で説明したとしても、実際にその場で鳴っているわけではないのだから「知識」として鳴っているということを知っているという状態にとどまる。その場合、なになにができないということは、認められない。騒音で勉強ができないということは認められない。騒音で、提出するものを仕上げることができないということは認められない。騒音で、普通の速度では走れないということは認められない。騒音がそれほど鳴っているのだから、夜眠れなくなって、遅刻するのは当然だということにはならない。ヘビメタ騒音が鳴ってたって、遅刻しないで学校に通うことはできる……と、きちがいヘビメタ騒音にさらされてないやつらが、考えてしまう。確信してしまう。深く、考えずに確信してしまう。それは、佐藤さんだってそうなのである。佐藤さんと会ったのは、俺が35歳のときだけど、俺が中学のときから、ほかの人の態度というのは、佐藤さんの態度とおなじなのである。

ほかの人は「きちがいによる騒音」というものがわかってない。そのきちがいが、家族の一員であるということの意味がわかってない。聞いた話……。俺がどれだけでかい音で鳴っていると言ったって、その話を聞いている人は、毎日俺の部屋にいるわけではないから、きちがい騒音のでかさと、しつこさがわからない。何時間も何時間もきちがい騒音が持続した場合、 からだがどうなるか、わからない。自分の体がどうなってしまうのかわかってない。それが、一日だけではなくて、数千日続いた場合、自分の体が「基本的に」「ノーマルな状態」でどうなってしまうのか、ぜんぜんわかってない。経験がないから、まったくわからない。すべて、き・い・た・は・な・し・だ。そして、きちがい家族がいない人にとっては、きちがい家族のことが、想像できないのである。「そんなのは、お兄さんにやめてと言えばいいだろ」などと言ってくる。こういう発言が、どれだけ俺を傷つけるかわかってない。こういう発言がどれだけ、現実を無視した発言かわかってない。

ぼくの体でできることはあったのに

 歯みがきをした。

どれだけ言ってもしかたがない。

しかたがないが……つまんない。

こんな人生あるか?

こんなのない。

ぼくの体でできることはあったのに……ヘビメタ騒音さえなければ……。こんなのない。こんな、人にわかりにくいハンディはない。こんなに、人に理解されない障害はない。ヘビメタ騒音障害でくるしい。ヘビメタ騒音障害でいろいろなことができなかった。「できなかった」海のなかを泳いでいる。ただよっている。汚染された海だ。ヘビーメタルに汚染された海だ。こんなの、意欲や生活力に影響しないわけがないだろ。なければ、普通にトライしてできたことが、できないまま、歳をとることになる。なければ、普通にトライしなくても、もともとできたことが、できなくなる。しかも、佐藤らは、俺が甘えているから、できないのだと考えてしまうだろ。こういうことの繰り返し……。数千回、数万回の繰り返し。こまかい出来事だけど、積み重なれば、押しつぶしてしまうほどの量になる。

 

 

2021年2月24日水曜日

「ヘビメタの朝」

 しかし、この雰囲気。しかし、この雰囲気。これは、きちがいヘビメタの雰囲気だ。「ヘビメタの朝」の雰囲気だ。この雰囲気の中、俺は自分の気持ちを押し殺してがんばって学校に行った。アルバイトに行った。死にたかった。それが、行かなくてもいい状態になっても、かわらない。この雰囲気。どんだけ長く、この雰囲気が続いたか。どれだけ長くヘビメタ騒音生活が続いたか。こんなのに耐えて、ぼくはこの世でくらしていた。こんなのに耐えて。ゆるしがたい。こういう朝を一度も経験したことがないやつが、努力とか根性とか、片腹痛い。わらわせる。ヘビメタ騒音の朝を一度も経験したことがないやつが、努力とか根性とか、片腹痛い。おまえららみんなまるまるまる。不適切な発言をするな。

俺がどれだけ耐えて暮らしていたか。この世で、耐えて暮らしていたか。「ヘビメタ騒音なんてたいしたことがない」「過去のことなら、関係がない」というやつは、みんな、まるまるまる。 

*     *     *

 まあ、どのみち、みんな、死ぬ。独身だろうが結婚していようが、死ぬ。引きこもりだろうが、できるビジネスマンだろうが、死ぬ。

 *  

2021年2月23日火曜日

「元気を出せばいいじゃないか」というのが、これまた、ろくでもない、助言なのである

しかし、つまんない。すべて、つまんない。

うーん。これ、どれだけ書いてもしかたがないのだけど、ほんとう、生きているのが不思議なぐらいだからなぁ。あーあ。これで、いろいろなことに興味を持っている状態を維持するのは、むずかしい。どんだけのことがつみかさなったか。これ、ほんとうに、他人にはわからないクレパスに落ち込んでいる状態なんだよな。他人にはわからない。けど、同じ経験をすれば、どんなばかなやつでもわかる……ようになると思う。けど、そいつの人生の中でおなじことが生じなかったのだから、絶対的なレベルで、わからない。わからないものは、ないのと同じだ。

やりなおすとなると、すべてが……。けど、ほんとうに、この世の感覚が、これ、なのだから、やりなおせるわけがない。もう、転生するしかないということになってしまう。それほどまでに、こたえている。こたえているんだよ。ほかの人にはまったくわからないけど。繰り返しになるけど、わからないなら、ないのと同じだ。だから、ほかの人には、ぼくが、たいした理由もないのに落ち込んでいるように見えてしまうのである。そして、落ち込んでいる人といるのは、いやだという感覚がある。人間にはある。これは、ぼくでさえも、わかる。じゃあ、元気なふりをすればいいじゃないかということになるかというと、ならない。それは、もう、さんざんやった、破滅の道だからだ。そんなことをやってきたから、だめになった。まあ、最初に、騒音でだめになっているのだけど。感覚が……。言いようがない。あの生活の感覚は言いようがないよ。けど、ほかの人にはこんなことを言っても、さっぱりわからないだろうと思う。「それでも、元気を出せばいい」ということになってしまう。

「元気なふりをすればいいじゃないか」とか「元気を出せばいいじゃないか」というのが、これまた、ろくでもない、助言なのである。これは、ほんとうに、死に至る考え方なのである。俺は、実践してわかったけど、これは、死に至る考え方なのである。助言している人にとっては、どうでもいいことかもしれないけど、助言されたほうにとっては、どうでもいいことじゃない。助言されるまでもなく、最初はそういうふうにがんばって、生きていたのである。きちがい騒音生活は、そういう生活なのである。 「元気を出せばいいじゃないか」とがんばってきた生活なのである。「元気なふりをすればいいじゃないか」とがんばってきた生活なのである。何年間も何年間も、毎日毎日、きちがい的な騒音にさらされながら、そうやってがんばってきたのである。それで、だめになった。「それで」だめになった。これ、わかってないんだよな。考えているだけのやつらはわかってない。実際に、ああいうレベルの騒音生活をしたことがない人には、わからない。どれだけ現実的ではない助言か、根本のところからわからない。

「元気なふりをすればいいじゃないか」とか「元気を出せばいいじゃないか」というのが、これまた、ろくでもない、助言なのである……と書いたけど、これ、絶対にうけない。うけないのがわかる。「元気なふりをしていれば、元気になる」というような話のほうがうける。けど、ちがう。絶対的にちがう。ちがうということがわからないのは、きちがい家族に毎日やられたことがない人たちだ。そいつらは、たしかに、しあわせなんだよ。きちがい家族にやられなかったのだから。きちがい家族の有害さがわかってない。きちがい家族の、頭の構造がわかってない。きちがい家族の態度がわかってない。ほんとうに、つねに、毎日、「死ぬか殺すか」を突き付けられる状態でくらして、ぶっこわれる。こっちが、ぶっこわれる。あっちは、きちがい頭の構造を維持したまま、なにもしてないつもりで、普通に生きている。こんなの、ない。

他者との間に、ものすごい乖離が生じてしまうだろ。他者と俺との間に、ものすごく深いクレパスができてしまうだろ。こんなの、ない。

 

 

2021年2月22日月曜日

ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。

机の前にすわって考えることも、歩きながら考えることもおなじだ。ヘビメタ騒音なしですごしたかった。ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。ぜんぜんちがう人生になっただろう。ほんとうに、ぜーーんぜん、ちがうと思う。みんなわかってない。わかってないんだよ。わかってない。どれだけのことができなくなるか。どれだけ、行き場がなくなるか。わかってない。 

ほかの人にはない、兄のヘビメタ騒音というハンディ。ほかの人には、わからない。ないからわからない。どうして、俺だけ……。どうして、俺だけ……。きちがいだから、聞かない。絶対の意地で聞かない。きちがいおやじとおなじで、兄貴は、きちがい的な意地でやったことは、きちがい的な意地で否定する。きちがい的な意地でずっとやったことは、まったくやってないつもりでいる。これは、正確に言うと、まったくやってないのとおなじ気分でいるということだ。で、鳴っているあいだが、とにもかくにも、くるしいのである。くるしい。まるまるしたくなるほどくるしい。あんなのが毎日、続いていいわけがない。

みんな、俺だって……と言うけど、毎日続いたことじゃないんだよな。14年間毎日続いたことじゃないんだよな。どれだけ、体力、落ちるか。能力、落ちるか。「そんなの、関係がない」と言ったやつをまるまるまる、まるまるまるまる。

ほんとう、ちがうのに……。そして、俺がこういうことを書けば、負け犬の遠吠えだと言いやがる。そいつらは、きちがい家族によるヘビメタ騒音のハンディがない。「俺だって」と言うときの、ハンディと、きちがい家族によるヘビメタ騒音のハンディは、あきらかに、つりあってない。「俺だって……」という言葉のあとに続くトラブルを絶対量で1だとすると。ヘビメタが10時間鳴っているだけで、絶対量で1億ぐらいになる。そして、そのあと、学校やほかの場所で、絶対量1のトラブルが10個ぐらいしょうじてしまうのである。一個一個のでかい音が、俺の脳みそを破壊する。これは、ない。こんなの、やられて、普通の気分なんてたもてるわけがない。鳴っていなかったときの、体力なんてたもてるわけがない。

ともかく、ヘビメタ騒音がほんとうに鳴っていなければ、ぼくがこういうことを言って、それに対して、普通の人たち……ヘビメタ騒音の経験がない人たちが「俺だって……」と言うこともなかった。全部、実際にヘビメタが鳴ったあとに生じることなのである。全部、実際にヘビメタ騒音が鳴っていたから、生じることなのである。最初からなってなかったら、そういう不愉快な「交流」も生じてない。 

きちがい家族による……ヘビメタ騒音というのが、ほんとうに、盲点なのである。他人にしてみれば、たいしたことに思えなぃことなのであ。そして、そういうふうなことを言われる俺は、すでに、数千日の打撃を受けている。数千日の狂った打撃を受けたあとだ。あとの姿なんだよ。やられて、こまっている状態で、他人からダメ出しをされる。佐藤よ! おまえから言われたようなことを、ほかのやつからも言われた。「世間」。やられてない世間。きちがい家族のことがまったくわかってない世間。ヘビメタ騒音でどれだけ疲れはてて、どれだけ能力がなくなるかわかってない世間。

無能なのは、おまえらだ。無能だから、わからない。見当ちがいのことを言う。もちろん、「見当ちがいだ」なんて思ってないんだよ。見当ちがいというのは、こっちから見た話だから。見当ちがいというのは、きちがい家族によるヘビメタ騒音……しつこつしつこい、頑固な頑固な、毎日毎日続くヘビメタ騒音を聞かされなかったら、わからないことなんだよ。まあ、無能だから、想像がつかないというところもあるのだけど……。ゆるせない。 

ヘビメタ騒音にやられたあと、どれだけがんばっても、ボロボロになる。がんばるということができない状態になってしまう。もう、きちがいヘビメタのなかで、死ぬほどがんばったから、がんばれない状態になる。きちがいの音にさらされながら生きているということだけで、どれだけ、たいへんか!! おまえらは、ゆるさない。ゆるさない。

ともかく、「ヘビメタ騒音なんてなんでもない」というようなことを言ったやつや「人間は働くべきだ」ということをヘビメタ騒音の話を聞いたあとに言ったやつらは、ぼくのことを激しく激しく、ばかにしている。はげしく、はげしく、侮辱している。侮辱しているということがわからないんだよな。「そんなの、あたりまえじゃないか」と言いやがる。二重に侮辱している。 

きちがい家族に、人知れず、やられ続けるとこういうことになってしまう。きちがい兄貴が普通の人間で、「でかい音を出している」ということを認識して、やめてくれれば、それで済んだ話なんだぞ。「人間は働くべきだ」ということをヘビメタ騒音の話を聞いたあとに言ったやつらは、そういうしつこい騒音にさらされてない。きちがい家族による騒音に、日常的にさらされてない。きちがい家族が、きちがい的にでかい音で、ガンガン音を鳴らすということを、日常的に経験してない。毎日毎日、何年間も経験してない。十数年間、毎日、経験してない。中学三年間、高校三年間という、現代社会に生きる人間にとっとてつもなく大切な六年間を、ヘビメタ騒音を鳴らされたまま、毎日すごしてない。学生時代を通して、経験してない。

そりゃ、そういう経験をせずに、中学三年間、高校三年間をヘビメタ騒音なしですごして、現在の地位をつかんだ人間にしてみれば「過去のことなんてどうでもいい」のである。こんなのない……。そして、 中学三年間、高校三年間をヘビメタ騒音なしですごしたやつらのほうが、はるかに多い。絶対多数。中学三年間、高校三年間をヘビメタ騒音なしですごせなかったやつは、俺だけ。ゆるせない。

 

2021年2月20日土曜日

「すべては感じ方の問題だ」と言い切ってしまったほうが、気分がよいのである。そういうレベルのなのである

 きちがい系の親にやられた人は、なかなか学者になれない。だから、主流にはなれない。

まあ、俺の場合、きちがい系の親にやられても、きちがい兄貴がヘビメタを「自分が思った通りの音で鳴らすこと」にこだわらなければ、学者ぐらいにはなれていたと思う。きちがい系の親はたいてい、収入が少ないドケチだ。たぶんだけど高収入であるきちがい系の親と低収入であるきちがい系の親の割合を考えると、定収入であるきちがい系の親のほうが、割合的に高いと思う。たぶん、9割ぐらいが、きちがい親であって、なおかつ、貧乏・かねなしだ。きちがい親で、金持ちというのは少ないと思う。

けど、きちがい親であって、なおかつ貧乏というハンディをぼくは、はねのけることができたと思う。それだけなら……。きちがい親の問題だけなら……。これに、きちがい兄貴の「騒音」が付け加わると無理だ。これ、誤解している人が多いけど、きちがい兄貴の「騒音」は全体的な障害だ。障害の大きさがわかってない。貧乏とか、きちがい親なんかより、ずっとハンディになる。どうーーーやっても、むりなのだ。生活のすべての時間鳴らされると無理だ。もちろん、すべてというのは、この場合は、ほとんどすべての時間ということだ。きちがい兄貴が眠っている時間、きちがい兄貴が一階で飯を食っている時間、きちがい兄貴が風呂に入っている時間をのぞいて、すべての時間きちがいヘビメタが鳴っている。きちがい兄貴がトイレに入っている時間だって鳴っているよ。ただし、きちがい兄貴がうちの玄関を開けて、自分の部屋に入るまでの時間は、鳴ってない。部屋に入ったら、すぐに鳴りはじめるけど……。これ、ほんとうに、ものすごいことなんだよ。あの音のでかさで、自分がきらいな音が、どかすか・どかすか常に鳴っているというのは、ものすごいことだ。これ、「どかすか・どかすか」などと文字で表現するしかないのが、くやしい。ものーーすごーーい、音で鳴っている。きちがい兄貴だって、あれと同じ音量で、自分の嫌いな曲が鳴っていたら1分どころか、10秒で「うっさい うっさい うっさい」と逆上するような音だよ。そういう音のでかさで鳴らしているのに、自分が鳴らしたい音だと「普通の音だ」と感じてしまう。「たいしてでかいとで鳴らしてない」と本気で思ってしまう。きちがいだから、そういう、言い換え回路が完ぺきなのだ。これは、おやじとおなじだ。こういうところが、おやじの脳みそとまったく同じ。おやじの脳みその構造とまったくおなじ。全体的なプロセスが同じ。無意識的な言い換えが、ほんとうに強すぎる。「本人は常につもりがない状態」というのが「普通に」成り立っている。自分の認知としては、そうなのである。意識的な認知というのが、つねにそういうふうに、自分の都合がよいように、ずれているのである。現実に対処してないのである。現実をそのまま認知しているわけではないのである。(だから、「すべては感じ方の問題だと言ってしまうのには問題がある」)。

けど、俺みたいに 「すべては感じ方の問題だと言ってしまうのには問題がある」という立場は……主流にはなりえない。「すべては感じ方の問題だ」と言い切ってしまったほうが、気分がよいのである。そういうレベルのなのである。そういうレベル。

 

2021年2月19日金曜日

車いすに座ったまま「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」と叫ぶ (佐藤らは刮目して読むべき)

 気違い親父が「そんなのかわなくていいよぉーー」「そんなのかわなくていいよぉーー」「そんなのかわなくていいよぉーー」と弱った体で、精一杯叫ぶのである。変なイントネーションで叫ぶ。殴ってやりたかった。そして、殴ってやりたい気持ちを抑えたから、ぼくが、こなごなになっている。こなごなだよ。ボロボロだよ。ボロボロ。

ほんとうに、こんなのない。特養の人間が、俺におやじのシャツとズボンを買ってきてくれといったから買ってきてやったのに、それに対する言葉がこれだ。車いすに座ったまま「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」と叫ぶ。ほんとうに頭を殴ってやりたかった。殴ってやりたい気持ちを抑えて、ぼくが壊れた。

これで、俺が「ああそうか」と買わなかったら、徳陽の人間から俺がどんなふうに言われるか? そういうことを一切合切考えてない。きちがいおやじの感覚として「もったないから」そう言っている。まあ、俺に「迷惑をかけたくない」という気持ちがあるんだけど、それがおかしいのである。あたまがおかしいから、そういう気持ちも、きちがい的な表現になってしまうのである。これ、自動的でとまらない。おやじは無意識的には俺を虐待してきたことを知っているのである。無意識的には!!! 無意識だから困るんだよ。そういうふうに、なっちゃうんだよ!!! 無意識だから!! ちゃんと反省してないのである。おんなじことをやる。「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」と言って怒っているときの頑固さは、はんだごてのときの頑固さとおなじなのである。自転車の頑固さとおなじなのである。コップで水を飲んだということで怒り狂っているときの頑固さとおなじなのである。こういうことが、佐藤のような普通の人間には、まったくわからない。いい服を着た、人権派の心理学者にはまったくわからない。

買わなかったら? 買ってやらなかったら、俺が、まるでおやじをいじめているように言われる。買ってやったのに、特養の人から、服をもらって着ていたのである。その服は、まあ、おさがりみたいなものだよ。ごみ処理。おやじは、もらえるとなると、うれしいんだよ。そういうのがある。ほかの人が……大人の人がまったくわからないレベルでそういう気持ちがある。「ほかの人」じゃないとだめなんだよ。「よその人」からもらわないとだめなんだよ。おやじは、くるっている部分を抜かしても、変人なんだよ。孤児なんだよ。浮浪児なんだよ。ててなしご。母親がいない、うえたがきなの。こういうの、ほんとうに、いい服を着た、人権派の心理学者はまったくわかってないからな。こういう基本がわかってないので、どうして、親子関係について言及できるのか??? できるのか?? できるのか?? 障碍者の犯罪について言及できるのか?? 言及できるのか??

さらに言っておくけど、アドラー流の「他人と自分問題を切り分けて」かかわらなければいいというのも、いい服を着た、普通の家で幼少期をすごしたやつのたわごとだ。ぜんぜん、現実的じゃない。

おやじが特養から追い返されたらどうするんだよ。ネズミがいるんだぞ。あいつが、餌付けして呼び寄せた、何匹ものネズミがいる。おやじの急性胆嚢炎は、ネズミのせいだと思う。あんなネズミがいっぱい出てくるところですごしていて、いいわけがない。きちがいおやじは、これまた、浮浪児感覚で、ネズミのうんこなんて気にしないんだよ。ネズミの小便で部屋がむっとした感じで臭くなっているのに、俺が「くさい」と言うと「くさくないくさない」と真っ向から否定した。これも、はんだごてとおなじなの。

数が少なくすぎて、まったく理解されない。

 ほんとう、ここ4年ぐらいで、ふけた。も、う、いやだ。

そして、いやな思い出がいっぱいふってくる。 

もう、限界だな。

4年で18歳ぐらいとしをとった感じだ。

なんか、うまくいかないことがあると、いろいろと思い出してしまうんだよな。もう、まるまるまるみたいな気持ちになってしまう。ほんとうに、追いつめられた。追いつめられるようにできてるんだよな。これ、くわしく書くわけにはいかないけど。できてる。全部が全部、追いつめられるようにできている。ヘビメタ騒音をやられると、俺の能力が著しく低下するのだけど、ほかの人は、わからないわけだからな。そして、ヘビメタ騒音の「効果」を無視してしまう。負の効果。この効果は、絶大なんだよ。勉強だけではなくて、すべてに影響を与える。単に勉強に限ったとしても、中学3年間毎日積もって、高校の3年間毎日積もったら、それはそれは、ひどいことになる。なかった場合と、ぜんぜんちがう光景しかない。そりゃ、そんなことが毎日積もったら、ぜんぜんちがう状態になってしまう。

そして、ヘビメタ騒音は勉強だけではなくて、睡眠力や気力といったところにも影響をあたえる。ともかく、でかすぎる。「まいにちつもる」ということの意味がほかの人にはわからない。

もう、まるまるするしかないというところまで、追いつめられる。これは、必然なんだよな。俺以外の人間がそういう生活を経験してないからわかってないだけだ。きちがい兄貴は、ほかの家にはいない。どれだけでかいか? ほんとうに、おやじとおなじ気ちがいだから、自分がやっていることがわからないんだよね。自分だって、ヘビメタではないほかの音を、あの音の大きさで10分間鳴らされたら、怒り狂うくせに、ぜんぜんわかってない。自分がやっていることがぜんぜんわかってない。自分が、意地になってやっていることは、全部やってないことになっている。その瞬間瞬間やってないことになっている。こんなのない。こんなきちがい家族がいる人なんていないだろ。しかも、どれだけ言ったって……こっちが言ったって、無自覚で、つもりがないままだ。こんなの、ない。


きちがいヘビメタ騒音の問題というのは、ほかの人が経験したことがない問題なのである。発達障害なら発達障害で、だいたいの「わくぐみ」がわかっている。なので、ほかの人は理解しやすい。あるいは、発達障害なら発達障害がある人をサポートする研究なんかも盛んにおこなわれる。いろいろな人が、かかわっているから。いろいろな人が同じような症状で苦しんでいるから。これは、発達障害だけじゃない。きちがい兄貴によるきちがいヘビメタ騒音なんで、ほかの人にわからない。数が少なくすぎて、まったく理解されない。

非常識なことが行われているのに、そこには、手付かず……手がつかないまま、やられた人が、常識を求められるということになってしまう。これが悲劇を生み出すのだけど、これがまた、ほかの人にはわからない。だいたい、ヘビメタ騒音問題というのは、「ダメ人間」問題とかぶる。どれだけ能力が落ちて、追いつめられるか? どれだけ、常識的な考え方を持った人たちが、ヘビメタ騒音障害者を追いつめるか?

これ、ニワトリが先かタマゴが先かみたいな、問題があるんだよな。誰も気がつかないけど。

 

2021年2月18日木曜日

ヘビメタ騒音が10年間続いた時点で、ぼくの人生は終わっている

体が、だるい。「俺の一生はなんだったんだ」と思う。ヘビメタ騒音と世間の組み合わせが最悪なんだよ。ヘビメタ騒音が10年間続いた時点で、ぼくの人生は終わっている。社会人として終わっている。世間のやつらは、ヘビメタ騒音の憂鬱と疲労がまったくわかってない。100兆分の1もわかってない。自分の体で経験しなければ、絶対にわからないことだ。そして、「どうにか、社会人生活をしてくれ」と言ってくる。おまえら、なにもわかってないな。

 

2021年2月17日水曜日

どうして、体が動かなくなった自分は、例外なのか?

   ヘビメタで「できない」と言っているだろ。

ヘビメタ「で」できないと言っているだろ。

どうして、わからないか? そっか。わかるわけないか。この世で、あれだけ気ちがいヘビメタを聞かされたのは、俺だけだからな。感覚がずれた家族による騒音というのがどういうものだか、みんな、わからない。感覚がずれた家族が、きちがい的な意地でやっているという場合が、わからない。「そんなひとはいない」というこになっている。そして、実際やられた場合、「できないことが増えていく」ということが、わからない。俺に、(この世で)説教を垂れてきた人間というのは、みんな、きちがい家族にやられてない人間。きちがい家族が、ものすごい音がでる趣味に、夢中にならなかった……人間。そういう、人間。そういう人間が、なにをわかるというのだ? こんなの、ずるい。ハンディが見えないなんて、ずるい。

まえも、書いたけど、「人間は働くべきだ」と人には説教をしておいて、自分がとしをとったら「もう、体が動かないから、俺は働かない」と言ってしまう人間。 「人間は働くべき」ではないのか? どうして、体が動かなくなった自分は、例外なのか? どうして、ヘビメタ騒音によるつかれを理由として認めないのに、加齢によるつかれは理由として認めるのか? 働けない理由として認めるのか? それは、自分が経験したことだからである。自分の体のことだから、「動きにくくなった」「昔のように働くことはできない」ということが、「わかる」わけだ。きちがいヘビメタを経験したことがない人間は、きちがいヘビメタで「動けなくなる」ということがわからない。俺の睡眠障害は認めないのに、自分の加齢による障害?は認めるのである。「できない」理由として認めてしまう。

「人間は働くべきだ」と説教する人間も、じつは、人間全部が働くべきだとは思ってないのだ。最初から、「例外」が決まっている。しかし、ヘビメタ騒音は、「例外」になるほどの障害にはなりえないというきちがい的な考えが、その人間を支配しているのである。「例外がある」ということは、普通、説明されない。「人間は働くべきだ」という言葉を投げかけているとき、「例外」について言及することはない。その言葉を投げかけている対象である人間が「例外」に入るとは、みじんも思ってないからだ……そういう言葉を投げかけているとき、投げかけているほうの人間は……そういうことをみじんも考えてない。「人間は、働くべきだ」「それで当然だ」「働いてないのはおかしい」「ヘビメタ騒音で働けないなんていううのは、あまい」と考えている。俺は「べメタ騒音障害」という言葉を使うけど、彼らは、「ヘビメタ騒音障害」を認めていない。ヘビメタ騒音障害があるにしろ「働けるはずず」なのである。「睡眠障害」があるにしろ「働けるはず」なのである。働けるはずの「若者」が働いてないのは、ゆるしがたいということなのである。

しかし、そのように思っている人も、じつは、「障害者は働かなくてもいい」と思っている場合がある。この場合は、「障害で働けないのはしかたがない」ということになっている……そいつの頭のなかで。けど、そういう例外について言及されることがないのである。なお、例外には、自分が「としをとってつかれた」という場合も入っている。

学生が働かないのはしかたがない。主婦が働かないのはしかたがない。子供が働かないのはしかたがない。高齢者が働かないのはしかたがない。……しかたがない。しかたがない。ゆるされる。ゆるされる。しかし、ヘビメタ騒音で苦しんでいる俺が働かないのは、ゆるせないのである。「そんなことはない」のである。こいつらは……いつもそうだ。こいつらは……。

 

2021年2月16日火曜日

つまんない

 つまんない。

これもう、既出だけど「君じゃない」とまったく考えないで言えばよかったな……などと考えている。気を使って、言わないことで、その人じゃなくて、別の人を傷つけることがあるんだよな。けど、俺の英語力で、相手の気持ちを傷つけずに、うまく言うことができなかった。けっかく、相手ではなくて、別の人を傷つけた。

しかし、ごく普通に俺のことを傷つけまくっているのに、気がつかない人間というのがいるんだよな。そして、そいつらは、どれだけ言っても、気がつかない。何万回、でかい声で言っても、気がつかない。基本的に、きちがい的な思考回路がある。自分にとって不都合なことは、聞こえたって聞こえないのとおなじなんだよ。もっとも、顔を真っ赤にしているわけだから、聞こえているんだけどね。発狂して「ガタガタ言ってくるな」と言っているのだから、もちろん、聞こえている。 

そういう人じゃなくても、ごく普通に俺のことを傷つける人がいるんだよな。ようするに、傷つけることを言う人がいる。けど、その人は、そういうつもりがない。さらに、言っても気がつかない。人間には偏見や思い込みがあるから、そういうのは、修正できない。たとえば、無職を軽蔑している人は、平気で、とある無職に対して、軽蔑したことを言うけど、別に気にしない。とある無職が、言い返したって、とある無職が言っていることが正しいとは思わない。そのまま、ひどい言葉を投げかける。その人のなかでは、それは、正しいことなのである。

ともかく、「傷つける」とか「傷つけられる」ということを考えると、人付き合いなんてできなくなる。

 

つかれた

 起きたとたんに、内容は忘れたのだけど、悪夢を見た。「忘れたんならいいじゃない」ということになりそうなのだけど、感触が残っている。正直言って、内容をちょっとでもいいから、思い出したかった。

今日は、精神的にやばい。こういう気分のときは、ほんとうにやばい。

しかしたがないから、起きて、ご飯を食べることにしたんだけど、ご飯を食べたくない。けど、腹は減っているんだよな。

幼稚園は、うるさいよ。ヘビメタ騒音とは格がちがうけど。もちろん、長期騒音のほうがでかい。集合住宅に住んでいる人が子供の足音や奇声を気にしていたけど、それについて、どうこう言うんじゃなかった。けど、子供の足音や奇声と、ヘビメタが同じレベルの騒音かというとちがうんだよな。 あとは、いろいろと追いつめられていて、「元気をもらっている」とかあのタイミングで書くべきじゃなかった。そりゃ、子供の足音や奇声で怒っている人の気持ちを傷つけるよな。

けど、うちのヘビメタは、「子供のうるささどころじゃなかったというのが、やっぱり、本音としてはあるんだよな。 

ともかく、ヘビメタ騒音で疲れた。疲れ果てた。

 

2021年2月14日日曜日

どうやっても、ヘビメタ騒音でだめだ。 どれだけがんばっても、ヘビメタ騒音でだめだ。

 どうやっても、ヘビメタ騒音でだめだ。

どれだけがんばっても、ヘビメタ騒音でだめだ。

これ、決まっているんだよな。きちがい兄貴が一日目にやめてくれなかったら、もう、それで決まっている。そして、他人は絶対にそれがわからない。他人にしてみれば、たいした障害じゃないのである。ヘビメタ騒音の「つみかさなり」がわからない。そりゃ、経験してないのだから、わからない。わからないまま、助言をする。下に見る。

自分だって実際に、自分の身におなじことが生じたら「わかる」のに、おなじことが生じてないから、わからない。

日曜日の午後五時五五分。いまも、鳴ってた。この時間も鳴ってた。どれだけ言っても、一秒もやめてくれなかった。朝からひたすら続く。夜までずっと続く。きちがい兄貴が眠るまでずっと続く。この絶望がわかるか?

こっちにだっていろいろな用事があるんだよ。やらなきゃならないことがあるんだよ。それが全部こわれる。ヘビメタ騒音に汚染されてしまう。俺が、引きこもりで問題なのは、じつは、そこだ。そこ以外のことじゃないのである。けど、他人は、わからない。そういうふうに、ヘビメタが鳴っていた十数年間毎日を経験してない。ようするに、こういうことが「つもって」体の調子が悪いとか、この世の雰囲気がヘビメタ騒音の雰囲気だということとか、ヘビメタ騒音でやる気や意欲が破壊されたこととか、睡眠回路がものすごく深いところまで破壊されたというとかが重要なのだ。決まった時間に起きることができないので、通勤ができないとか、通学ができないとか、約束の日時にどこかの集合場所に行くことができないということとかが、表面的には問題になる。けど、ほんとうに問題なのは、体の調子が悪いとか、この世の雰囲気がヘビメタ騒音の雰囲気だということとか、ヘビメタ騒音でやる気や意欲が破壊されたこととか、睡眠回路がものすごく深いところまで破壊されたというとかだ。こっちのほうが、重要なのである。で、他人は、実際にはヘビメタ騒音がないのだから……僕が経験したような長期間の騒音を経験しなかったのだから、わからない。それは、「現在」のエイリには、影響与えてないものだと思ってしまうのである。だから、「過去は関係がない」と気楽に言ってしまう。けど、それは、まちがっている。関係がある。いまの身体に関係がある。きちがいヘビメタ騒音が、十数年にわたって鳴っていたということが、いまの体に影響を与えている。成長期を丸ごと飲み込む期間、ヘビメタ騒音が、鳴っていたということが、現在の「脳みそを含んだ体」に影響を与えている。脳は、過去のきちがいヘビメタ騒音の影響を受けている。どうして、それがわからないのか?

 

「なにも理由がないのに、怒る親なんていない」

 Not you But him. Don't get offended.

って、言えばよかったんだよな。どうして、君じゃないよと言わせるか?

俺は、基本的に、きちがいおやじに、わけのわからないことで、怒り狂われていたので、いろいろと気にする。俺が幼児のころ、きちがいおやじが、常に怒り狂っていた。こんなの、気にするしかないだろ。それこそ、防御するためにいろいろなことを気にしなければならないのであーる。しかし、どれだけ気にしても、きちがいが、きちがい的な理由で怒る。これが、どういうことだかわかるか? これ、きちがいにたたられた人じゃないとわからないんだよな。ほんとうに、「子供だから、親がなんで怒っているのかわからない」というような解釈をする人が住んでいる世界とは違う。 「なにも理由がないのに、怒る親なんていない」と言ってしまう人が住んでいる世界とは違う。きちがいおやじは実在します。なにも理由がないに、怒る親は実在します。

それと、俺はわざと、「ある」や「です」や「だ」を使いわけている。意味がある。論文じゃないから、統一する必要はないんだよ。これも、ばかなやつがからんでくるんだよな。「ばかのひとつおぼえ」とはよく言ったものだ。

 

2021年2月13日土曜日

ほんとうに毎日、全力で俺の邪魔をした

頭がもやもやして、なんにもできない。
だるい。なんか、寝ても覚めても、悪夢のなかにいるような感じだな。どうするかな? 現実か? 現実というのが、ほんとうに地獄だった。だから、夢のほうまで、地獄になるのか? 人によって、条件がちがいすぎるんだよ。生まれたときの条件がちがいすぎる。家族という条件がちがいすぎる。こんなハンディ、ないよ。ほんとうに毎日、全力で俺の邪魔をした。「邪魔をしているつもりがない」という理由で、邪魔をしたと思っていない。そして、普通の人は、家族に邪魔をされたとしても、きちがい兄貴やきちがいおやじがやるようなことを、やられたわけじゃない。普通の範囲だ。そういう普通の範囲のことしか経験してない人が「親のせいにするな」「家族のせいにするな」と言ってくる。おまえは、一回も「きちがい家族」にやられたことがないじゃないか。きちがい家族がどれだけの意地で、きちがい行為をするか全くわかってない。家族だから、親だから……やってもいいということにはならないんだぞ。他人がやったことだったら、ほんとうは、ちゃんと処罰されることだ。親だから、家族だから、問題が「内向」してしまう。内側に向かってしまうのだ。普通の人の「親のせいにするな」「家族のせいにするな」という感覚も、問題を内向させる「要素」のひとつだ。

2021年2月12日金曜日

他者がちょっと考えると、「そんなに影響が長く続くものなのか」と思ってしまうものなのである


ほんとうにいろいろとギャップがある。ヘビメタ騒音にやられて俺はほかのやつらからいいように言われた。いいように、悪く言われた。こんなのはない。けど、これが現実だ。俺に、説教してきたやつらはみんな、ヘビメタ騒音にやられてないやつらだ。こんなのがゆるされるのか? ゆるされるわけがない。ゆるされるわけがないんだよ。けど、これですら、書けば……「なにを言ってんだ」という反応が返ってくる。

ともかく、ヘビメタ騒音のことを書いてから、ここも、ガラガラになった。人が少なくなった。

まあ、いいよ。

まあ、「そんなやつらのことは気にしないで気楽に生きればいいじゃないか」とか「そんなやつらが言うことは、気にしないでやりたいことをやればいいじゃないか」というような意見もある。……これは、俺のなかにあるということなんだけどな。

けど、それが、……ヘビメタ騒音でだめなのだ。正確に言えば「ヘビメタ騒音の影響」でだめだ。これも、ほかの人にはわからない。俺の脳内じゃなくて、かりに 「そんなやつらのことは気にしないで気楽に生きればいいじゃないか」とか「そんなやつらが言うことは、気にしないでやりたいことをやればいいじゃないか」というようなことを言ってくる他者がいたとしても、ダメなのだ。そういう「理解がある人」とすら、うまくいかない。そして、理解がある人にしても、ヘビメタ騒音を経験してない。

 

他者がちょっと考えると、「そんなに影響が長く続くものなのか」と思ってしまうものなのである。その他者にはヘビメタ騒音の経験がない。あの、一日に一三時間鳴っているような状態を、一三時間ずっと、一秒ずつ、経験してみろと言いたくなる。けど、経験してない人にとっては、そんなのは、想像するようなものでしかない。想像でしかないものは、そんなに?体に影響を与えない。実際に、何千日も続いたということが「おおきい」のだ。

たとえば、底辺に追いつめられた他者はいる。理不尽な理由で「いやな役」を押しつけられた人たちがいる。その人たちは、ほんとうは、俺とは、話があうはずだ。けど、実際にはいろいろな難しい問題がある。理不尽な理由で「いやな役」を押しつけられた人も、理不尽な理由で「いやな役」を押しつけしれていない人も、みんな「敵」になってしまう。これは、自動的にそうなる。どうしてかというと、彼らはヘビメタ騒音を経験してないからだ。佐藤らのことを考えればわかる。


 

2021年2月11日木曜日

もともとの「性格のちがい」ではないんだよな。

いやー順調に、つまらない。

つまんない。

この先どうするかな? とりあえずやったことは、キムチでご飯を食べることと洗濯。

また、不愉快なことを思い出した。どうなっちゃうんだろうな? 俺は~~。ヘビメタ騒音以降、くるしい。ヘビメタ騒音で、職場での立場がとてつもなく悪くなるから、いろいろな問題がしょうじる。これ、中学の部活とまったくかわりがないんだよな。ヘビメタ騒音で追い詰められてそうなる。ヘビメタ騒音で、「下の立場」になって、そうなる。

いろいろと、ゆるしがたい。

で、ぼくはもう、そういう仕事をしなくてもいい人間だから……。もう、そういう仕事をすることは一切合切ない……。しかし、じゃあ、満足かというとそうじゃない。そうじゃないんだ。そこらへんがちがうみたいなんだよな。それは、「ヘビメタ騒音」という問題が、人生の中であるかないかのちがいだと思う。もともとの「性格のちがい」ではないんだよな。……俺の場合は!

きちがいヘビメタ騒音なしで普通に勉強したかった。ヘビメタ騒音なしで普通に生活したかった。全部が、むりなことになる。けど、実際にヘビメタ騒音生活をしてない人にはここの部分が見えない。わからない。わからない異常はないのとおなじだ。「できる」のに「しなかった」とか「俺ならできたけど、エイリだからできなかった」ということになってしまう。その人の中で……。そうなると、その人にとってはそれが「現実」だから、きちがいヘビメタ騒音のハンディはそんなにたいしたことじゃないということになってしまう。



 

ずれが生じなくなったら、やめなければならなくなる

 どれだけ、でかい音で鳴らしていても、自分がでかい音で鳴らしたいなら、最初っから、でかい音じゃないということになっているのである。だから、でかい音で鳴らしていても、でかい音で鳴らしているというとを認めない。

兄貴も親父も同じ。でかい音で鳴らしているということ……を……認めることが、自分にとって不都合なことなら、言い換えてしまう。もう、決まっているから、どれだけ言われても、認めない。

 

兄貴のヘビメタはおやじのハンダゴテだと言ったけど、おやじの場合は、最初っから「使えるハンダゴテだ」ということが決まっているのである。どれだけ相手が、「エレクトロニクス工作には使えないハンダゴテだ」ということを言っても、認めない。最初から、「使えるハンダゴテだ」ということが決まっている。おやじが、判断してそういうふうに言っているのかというと、それはちがう。相手が使えないといったから、使える。自分が金を払いたくないから、使えるハンダゴテだということになっている。最初に決めてしまう。新しいハンダゴテを買うために、金を出してやるのがいやだというのが、きちがいおやじの(無意識の内容)なのである。だから、その無意識の内容に反することは、どれだけ何を言われても認めない。兄貴の場合は、「自分が思いっきりでかい音で、鳴らしたい」ということが無意識の内容だ。だから、どれだけ、でかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしているということを認めない。あれは、言ってみれば後出しだ。最初に内容が決まっているから、その内容に反した内容は、一切合切、認めないのである。けど、これが、一切合切、認めないようにしようと(意識的に思って)やっていることじゃないのである。ここが、肝なんだよ。肝なの。

こういうことが、佐藤のようなやつにはわからない。普通に言えば、やめてくれると思っている。でかい音で鳴らしているのなら、でかい音で鳴らしているということは、当然認知していると思っている。けど、きちがい兄貴は、本人が満足できるようなものすごくでかい音で鳴らしているのだけど、ものすごくでかい音で鳴らしているという認知がない。こういうのが、普通に、「誤解を招く」。そのひとつが、音に対する俺の耐性だ。あるいは、音に対する俺の側の敏感さについて、佐藤のようなやつが誤解する。要するに、きちがい兄貴は、たいしてでかくない音で鳴らしていたのに、エイリさんが音に敏感だから大きく聞こえたのではないかという、的外れな、まちがった、感想を持ってしまうのである。

 

そういうことで、俺が、どれだけ不愉快な思いをしてきたか?

いまのは兄貴の話だけど、兄貴は、きちがいおやじのコピーなので、きちがいおやじにもそういうことをいっぱいされてきた。ヨソの人が、誤解してしまうようなことを平気でする。というか、常にそうなってしまうのである。頭がおかしいから、そうなる。ヨソの人は普通の人だから、そういうことがわからない。頭の構造が、今さっき説明したような頭の構造なのだから、その人の行動や認知は、常に、ずれているのである。自分の無意識的な欲求が関係しているところでは常に、ありえない範囲で……普通の人が想像できないレベルで……認知がずれているのである。それは、そういうきっかけがあれば、常にそうなるということなのである。きっかけ……無意識てな欲求があるのに……そうならないということがないのである。文句を言われたら、常に、無意識的な欲求に従って、現実を認知しないのである。自分が(本当は、意地になって意地になって)やっていることを、認知しないのである。無意識てな欲求に従った形で、書き換えられる。書き換えられた認知しかしない。だから、問題がしょうじる。けど、問題がしょうじるのは、「やられている」ほうだ。「やっている」ほうは、やれるので、満足なのだ。実際には、満足感を得てないのだけど、それなら、相手の言うことを認めて、自分がやっていることをやめられるかというと、やめられないのである。自分の無意識的欲求が、極端に大切だから、現実を無視して(ゆがめた形で)認知しているのである。だから、そういう方法を手放さない。どうしてかと言うと、やりたいから、認知にずれが生じるからだ。ずれが生じなくなったら、やめなければならなくなる。相手が言っていることを認めなければならなくなる。それは、死んでも、いやなのである。命がけなのである。これ、大げさな表現じゃない。大げさな表現だと思う人は、そういうきちがいがどういうものかまってくわかってない。まったくわかってないとなると、これまた、つたわらないということになる。これは、おやじや兄貴のケースとはちがう。けど、そういうことも含めて、おやじがやっていること、おやじがやっていることだし、兄貴がやっていることは兄貴がやっていることなんだよ。これが現実なのに、ヨソの人は、俺が言っていることがまちがっていると仮定して、現実世界の認知をたもとうとする。そういう、構造になっている。そういうしくみができあがっている。だから、きちがい家族にやられた人は、ヨソの人にも、自動的に誤解を受けるということになっている。そういうことを含めて、きちがい家族は、きちがい家族以外の家族の構成メンバーに、いろいろなことを押しつける。

押しつけられた家族のメンバーは、けっきょく、だれにも理解されない。

 

2021年2月10日水曜日

最初っから決まっている。


普通の人にはない、きちがいヘビメタというハンディがでかすぎる。ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!
犬が吠えても、ヘビメタ騒音のことで腹が立つ。腹が立つ。重要な時にならされ続けた、記憶がよみがえる。雰囲気がよみがえる。

どれだけ「ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!」って兄貴の部屋で絶叫したと思っているんだよ。兄貴が、きちがいおやじモードでこだわりつくして、絶対に譲らないで鳴らしてたんだよ。自分のこだわりの音で鳴らしてたんだよ。それを、きちがいおやじモードで無視して、きちがいおやじモードで、「なにも関係がない人」のつもりでいる。

親友とのことだって、友達とのことだって、彼女のことだって、アルバイト先の人のことだって、全部、きちがいヘビメタが影響している。ゆるせない。ゆるせない。

ほんとうに、佐藤らは、ヘビメタ騒音のことを過小評価しすぎる。自分は、やられたことがないから、想像が働かない。きちがいが家族だということが……わからない。きちがいが家族だということの意味がわかない。きちがい感覚がわからない。無視して鳴らしていれば、どれだけ鳴らしたって、鳴らしたことにならないんだからな……。ほんとうに頭がおかしい。

こだわりつくして鳴らしているのに、こだわりつくして否定するということになってしまう。あるいは、ほんとうになにもしてないつもりのまんまだ。どれだけ言ったって、なにも伝わらない。一秒だって譲ってないのに、全部譲ってやったと思っている状態だ。頭がおかしいからそういうことができる。普通の人だったら、そういうことはできない。そういうことをしている場合は、自分がそういうことをしているという認識がある。要するに、芝居をしているということがわかっている。けど、きちがい兄貴は、そうじゃない。ついでに言っておくと、きちがいおやじもおなじだ。本人に「つもりがなかったら」、まったくやってないのとおなじなのである。

ほんとうに、くるしい。こういう家族がいる人しか、わからない。だから、いつも、まわりの人はまちがったことを言う。まちがっているんだよ。まちがっているの。けど、まちがっているということが、わからない。これは、きちがい兄貴やきちがいおやじとは、ちがう。構造がちがうからちがう。経験がないからわかってないだけだ。おやじや兄貴は、本人がきちがい的な意地でやっていることを、現在進行形で認めない。おやじや兄貴は、本人がきちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で認めない。認めなし、認めなかった。事実認めなかった。それの、繰り返しなのである。繰り返しだよ。何十万回繰り返したって、おなじなんだよ。
俺が、はんだごて事件のことを書いているのは、典型例だからだ。おやじのハンダゴテが、きちがい兄貴のヘビメタなんだよ。本人が押し付けているのに、本人は、まったく押し付けているつもりがない。相手がなにを言おうが、一切合切認めない。やっているのにやっていると認めない。最初っから決まっている。自分の中で「やりたかったら」やってしまう。けど、「やったつもり」が生じなのである。相手がどれだけ言ってきても、相手がかかわっているということが、わからない。認識できない。だから、常に!知らないままやりつけるということになってしまう。「からだ」はそうなんだよ。からだは……。現実はそうなんだよ。けど、頭のなかではやってないことになっている。自分が頑固にやっていることが、相手に影響を与えてないことになっている。これは、最初っから決まっている。相手が、どれだけ言っても、「相手に影響を与える」ということがわからないままなのである。わからないから、悪気がないまま、やり続けることができる。そして、被害者は、自分なのである。自分がやりたいことをやっているときに、「やめろ」と言われたら、そのとたんに、発狂する。相手が、自分の行為で困っているということを、絶対の意地で認めない。けど、その絶対の意地のありかが、無意識の領域なのである。だから、本人は、つもりがないままなのである。

ストレスを感じたということ自体が、共通項になってしまっているのかもしれない

 なんかストレスフルな経験をしている場合、似たようなストレスフルな場面を思い出してしまうんだな。さらに、じつは、似てないストレスフルな経験でも同じなんだよな……俺の場合。似てないにもかかわらず、ストレスを感じると、いろいろな不愉快な思い出が浮かんでくる。しかも、ほんとうに、当時はそれほど気にしてなかったことも、新たに腹が立つという具合だ。連想だと思うけど、連想の距離が長い。ひょっとしたら、ストレスを感じた状態というのが、同じであれば、ぜんぶの場面を思い出す可能性があるのかもしれない。ようするに、ストレスを感じたということ自体が、共通項になってしまっているのかもしれない。それが共通項だと、ぜんぶの不愉快な経験を思い出すことができるわけだ。けど、ぜんぶがもちろん、浮かんでくるわけじゃない。そりゃ、ぜんぶじゃない。一つのことを思い出しているときは、その一つのことを思い出しているわけで、ふたつのことを思い出しているわけじゃない。一つのことを思いだしているときに、関連した「不愉快な記憶」がよみがえることがある……。それは、いままで述べてきたとおりだ。連想1と連想2の距離が長くても、思い出すんだよな。ようするに、あんまり関連がなさそうなことを思いだしてしまう。けど、それは、やはり、不愉快な記憶なのであーる。

そのときの腹立たしい気持ちや、もやもやした気持ちがそのままよみがえってしまう。記憶がよみがえると、感情もよみがえってしまう。

 

2021年2月9日火曜日

「お金はあの世に持っていけません」

 「お金はあの世に持っていけません」ということを言ってた人はどうしているかな?

個別メールが使えるように「友達申請」?しておいたのに、たぶん、気がつかなかったんだろうと思う。気がつかないんだよ……あれ。

ぼくがまず思ったことは「あの世に持っていけないのは事実だけど、この世でお金が必要ではないわけではない」ということなんだよな。あの世には、お金だけではなくて、地位や名誉も持っていけない。そりゃ、そうだ。けど、じゃあ、この世で、お金、地位、名誉がどうでもいかというと、そうではないんだよな。これを言いたかった。けど、「その通りですけど、お金は、この世では必要です」と返答した場合、どういう反応が返ってくるかわからなかった。なので、うちうちの話は、うちうちでできるように友達申請したんだけど、友達申請の返しがなかった。なので、ぼくは、黙っていたわけだけど、それは、別に無視したわけじゃない。

けど、ぼくからの友達申請に気がつかなかった場合は、無視されたと思うかもしれない。

まあ、これ、あの世があるという前提で話をしたわけだけど、あの世はないかもしれない。あの世がない場合も、「持っていけない」というのは、おなじだ。だから、お金は生きているときだけ、影響を与えるということになる。もちろん、そうなのだが……。その人が言いたいのは、そういうことではないだろう。

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なお、この投稿は、前投稿とは、無関係です。

 

2021年2月8日月曜日

みんな、人生を俯瞰したようなことばかり、言いすぎる

 みんな、人生を俯瞰したようなことばかり、言いすぎる。ほんとうに、人生が終わったあとに言うべきことなんだぞ。しかも、他人の人生について……。けっきょく、きちがいヘビメタ騒音の毎日を経験してないから、そういうことが言える。基本、ヘビメタ騒音の影響を過小評価するやつは、ろくでもないやつだ。どれだけの影響を与えているか、わかってないだけ。自分が経験したら、……ほんとう、省略しないでその時間をずっと経験したしたら、わかる。けど、そうだとすると、そいつは、もう、いまのそいつではない。たとえば、こういう失敗にはこういう意味があったんだ……こういう苦痛にはこういう意味があったんだ……と自分の人生について言うのは、まったくかまわない。けど、他人の人生について、そういうことを言うのは、どうかと思う。やっていいことだとは思えない。けっきょく、そういうレベルのやつが、ヘビメタ騒音全体を軽いことだと考えて、「なめたくち」をきく。「そんなんじゃないのに」と思う。けど、ヘビメタ騒音の影響が自分のこととして、わからないのだから、どれだけ「そんなんじゃないのに」と言ってもむだだ。

 

2021年2月6日土曜日

そりゃ、感情、消えるよ。

 
あんなやつがやったことが、ブラックホールになって俺の人生を吸い込んでしまう。あんなやつがやったことが、ブラックホールになって、俺の能力を吸い込んでしまう。こんなのはない。そして、ほかの人にはこれがまったくわかってない。きちがい兄貴というハンディがまったくわかってない。どれだけの時間、俺がやられてきたか? こんなのはない。
かりに標準的な人と価値観があわない人でも、きちがいヘビメタのハンディがない。きちがいヘビメタのハンディがある人とハンディがない人とでは、まったくちがう。ぜんぜん、ちがう。ちがいすぎる。もちろん、どんな場合でも、きちがいヘビメタのハンディがない人が有利になる。すべてにおいて有利になる。こんなのない。そりゃ、感情、消えるよ。
そして、消えれば消えたで、文句を言われる。

どうやったって、ないよ。

こういう普通の時間がヘビメタ騒音で削られてたんだよな。

それじゃ、あ、人生なんてないよ。どうやったって、ないよ。

 

ヘビメタ騒音でほんとうにこまっている

 ヘビメタ騒音でほんとうにこまっている。だれに言ってもしかたがないけど、ほんとうにこまっている。この雰囲気はヘビメタ騒音の雰囲気だ。土曜日の午前10時33分。じつは、日曜日の雰囲気なんだが……。ともかく、この部屋でヘビメタ騒音を聞かされ続けた。それで、いまも」こまっている。だれにもわからない。わかるわけがない。

いろいろなことがヘビメタ騒音に関連している。あれだけ長く鳴らされると、それ以降のすべてのものが関連していると言っても、さしつかえない。これは、「すべて」で正しい。イ・ラショナルではない。

きちがい兄貴よ! ヘビメタ騒音がなかった場合の人生を、返してくれ

 ほんとうにきちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音で人生がない。全部ない。きちがい兄貴よ! ヘビメタ騒音がなかった場合の人生を、返してくれ。きちがい兄貴が、こだわってこだわって、おやじモードで無視して、こだわってこだわって、やったから、問題が生じているんだぞ。そして、俺にとっては問題がしょうじている状態なのだけど、他人にとっては問題が生じてない状態なのである。それは、他人の身に問題が生じてない……きちがい兄貴による問題が生じてないという意味と、他人から見て、ヘビメタ騒音の問題がたいした問題に見えないので、他人から見て、俺の身に問題がしょうじてないように見えるという意味で、問題がしょうじてない。俺がどれだけくるしいとしても、……きちがいヘビメタ騒音でくるしいとしても、他人は、これっぽっちも、くるしくない。そういうところでの、「ヘビメタ騒音の話」だ。そういうことなのであれば、もちろん、主観的には問題がゼロであり、ほんとうに、痛くもかゆくもないことであり、まったくハンディにならないことなのである。そういう主観的な違いがある。俺は、ほんとうにこの部屋で、ヘビメタ騒音にやられ続けたので、そういう「感じ方」はできない。このギャップが人間関係に影響を与えるのである。たとえば「できない」「できる」問題だ。俺が通勤できないと言っても、ほかの人は、「そんなことはないだろ」「そんなのはあまえだ」「俺だって、とてつもなくくるしいけど通勤している」というような気持が浮かんでくる。親友との軋轢だって、じつはこの違いからしょうじるものだ。親友が「そこをなんとか」と言ったときの俺の気持ちはない。俺の気持ちはない。会うたびに「どうにかなってくれ」と言われているときの不愉快さと破綻した気持ちはない。「できないと言っているだろ」と言っても、相手の返答は「そこをなんとか」なのである。これは、破綻した。目の前が真っ暗になった。何回も言っているのに……。何回も何回も「できない」と言っているのに、ヘビメタ騒音のことをほんとうによく知っている親友ですら、一三年目にはそういうことを言う。ちなみに、一三年目も、毎日、鳴ってたよ。きちがい兄貴が、起きて家にいる状態で、トイレか風呂にいない状態なら、かならず鳴っているのだ。鳴ってたら、中断して一分間でも、やめてくれるということがない。それが当たり前の一五年間だ。それが当たり前の、毎日。それが当たり前の毎時間毎分毎秒だ。やられっぱなしになる。鳴らされっぱなしになる。鳴らされているときの気持ちというのが、ものすごいのである。これは、言いようがない。こどもの騒ぎ声とか、そんなもんじゃないのである。けど、それ言うと、また、問題がしょうじる。

2021年2月5日金曜日

無題 雑感

 「幼稚園の子に元気をもらっているよ」発言はやっぱり、やめておいたほうがよかったな。距離がちがうんだよな。ちなみに、きちがいヘビメタにやられて、ぼくは、騒音には敏感になっている。特に、「騒音の大きさと、騒音の感度」ということを考えないでバカな発言をするやつ(Aさん)の文章を読んだあとで、腹が立っていた。

 女の人(Bさん)で、子供の奇声や、足音に腹を立てていた人がいたんだけど、その人の気持ちはわかる。相当に、暴れていたのだと思う。まあ、アパートかマンションかコンドミニアムか知らないけど、そういうふうな集合住宅だったのだろう。で、上の階の子供が、特別にうるさかったのだろう。神経が逆立つのはわかる。

 ここだって、うるさいよ。けど、それと、ヘビメタ騒音はちがうと、どうしても言いたくなる。言いたくなる。けど、それは、やはり、その女の人の気持ちを傷つける発言なんだよな。

まあ、もう一つ言いたいことがある。それ、距離の問題だ。その女の人の場合、騒音の度合いと気にする度合いが釣り合っていると思う。ようするに、その女の人は小さな騒音や、中ぐらいの騒音を気にしていたわけではなくて、ほんとうにでかい騒音を気にしていたのだと思う。ここらへんのことはAさんのような頭が悪い人にはわからない。Aさんのような人は、自分勝手な人で、頭が悪い。自分のことしか考えてないタイプだ。

 

 

2021年2月4日木曜日

無職、引きこもりに対する差別のほうが、ほかの差別よりも強烈だ

 日本は女性に対する差別より、無職に対する差別をどうにかしたほうがいいぞ。

性的マイノリティーに対する差別より、無職に対する差別をどうにかしたほうがいいぞ。

 ほんとうに差別されているのは、無職だ。

男性が働かなければならないというのは、男性差別だ。

無職、引きこもりに対する差別のほうが、ほかの差別よりも強烈だということに気がつかないのか。 これは、実質的なものなんだぞ。まあ、昭和的な会社の風土はかえたほうがいいとは思うけど。それが、女性差別撤廃につながるんじゃないの? 酒が飲めないやつに対する差別。野球がきらいやつに対する差別。野球だけではなくスポーツの話題がきらいなやつに対する差別。こういう差別のほうが、女性差別よりも、問題がある。どうしてかというと、女性差別はしてはいけないということについて、神経質なほど気にしているけど、無職、引きこもりを差別してはいけないということは、まったく気にしてないからだ。気にすることができないほど、差別が一般化している。差別だと思わずに差別することができる。

これは、無職、引きこもりなんて、差別してあたりまえだという価値観があるからだ。だから、そういう価値観があるという意味で、もう市民権を得ている反女性差別よりも、深刻な問題を含んでいると言える。 

「女性差別反対」「性的マイノリティー差別反対」というのは、すっかり市民権を得ているけど、「無職差別反対」「ひきこもり差別反対」というのは、まったく市民権を得てない。ひきこもりは、あいかわらず、「引き出さなければならない対象」であり、無職はあいかわらず、「矯正して、強制的に働かさせなければならない対象」なのである。

「無職差別反対」「ひきこもり差別反対」ということが「こわだかに」叫ばれたことがあるか? ちょっとでも、無職差別的なことを口にしたら、糾弾されるということがあるか? 謝罪しなければならなくなるということがあるか? そういうことを考えれば、どちらのほうが、差別されているかわかる。

 

2021年2月3日水曜日

実際の時間は、過酷なんだよ。自殺するか、きちがい兄貴を殺すか、煮詰まっている状態なんだよ。


全部、現実じゃなかったわけだ。それは、きついよな。あれ、ちがうな。書くまでに内容がかわってしまった。「空想ばかりの人生だったなぁ」と思った。「あれも、これも、空想のなかの出来事だ」「あれもこれも、現実化しなかった」「そりゃ、きついよな」と思った。ヘビメタ騒音で、どうしても、「現実化できたことが、現実化できないことになってしまう」。ヘビメタが鳴っていたら、どうやったって、むりなんだよな。ここの、現実がほかの人にはわからない。どれだけ、あせるか。どれだけ、むなしい思いをしてきたか。ヘビメタが鳴っているなかで、どれだけ、いきり立っていたか。どれだけ、現実化しようとあせっていたか。こういう、ぎりぎりのじりじりした「怒り」がわかってないから、ぜんぶ、わからない。「怒り時間」が長すぎる。きちがい兄貴の部屋まで行って、俺が、どれだけどなっても、どなっても、どなっても、きちがい兄貴がきちがいおやじの形相でヘビメタを鳴しらていた。真っ赤な顔をして鳴らしていた。あれ、その時点で、その現場で、殺さなかったら、鳴らされてしまう。現実が遠のく。現実可能なことが、空想になる。自分の部屋に帰ったあと、自分の部屋の壁が「どかすかどかすか」ものすごい音で鳴っているのが、どれだけつらいか。その時間が、どれだけ、くるしい時間か……経験してない人にはまったくわからない。だから、そういう人たちにとっては、ヘビメタ騒音なんて、現実に、なにも影響を与えないものなのである。どれだけ鳴らされたって、やれることがある。どれだけ鳴らされたって、遅刻しないで学校に通うことができると、まったくやられてない状態で、思っている。決めつけている。そいつらからすれば、「ヘビメタ騒音で、なになにができない」なんてことはないのだ。そいつらは、時間の経験がない。何年間も毎日やられていたら、どれだけ、時間が積み重なるかわかってない。時間が積み重なるほど、だめになっていく……できくなっていくのに、それがわからない。だから、時間の影響を過小評価して……鳴り終わったら関係がないなどと言ってしまう。けど、一五年間毎日、積もったなら……積み重なったらなら、その影響を受けている。一五年と一日目の俺は、一五年間、やられてきた俺なのだ。これは、一六年目の俺にしても、一七年目の俺にしても変わらない。「毎日やられた体」が残っている。「毎日やられたからだ」プラス一日目の、俺が毎日やられた体プラス一日目を経験している。影響がある。実際に生じたことなのに、……影響を与えないなんてことは、ないんだよ。程度がひどいことが、ずっと毎日続いていたら、それが影響を与える。意識に関係なく、影響を与える。きちがいヘビメタ騒音を一時間も経験しなぃで「俺(エイリ)がさぼりたいから、ヘビメタ騒音のせいにしている」……と考えるやつまで出てくるわけだからな……。……現実には。どれだけの侮辱か。そういうあほな人間に、そうやって、侮辱されてしまうということも、きちがいヘビメタが、鳴ってなかったら、なかったことなんだぞ。一日目にきちがい兄貴がヘッドホンをしてくれたら、なかったことなんだぞ。やられてない人間にどれだけ説明しても、わからないのだろうけど、ヘビメタ騒音の一日は、そんなものじゃない。どれだけ影響をけないようにしようと思っても、体が影響を受けている。「時間がある」。時間があるんだよ。実際の時間は、過酷なんだよ。自殺するか、きちがい兄貴を殺すか、煮詰まっている状態なんだよ。怒りで、燃え盛っている状態なんだよ。体に影響を与えないはずがない。睡眠に影響を与えないはずがない。どうして、こんな簡単なことがわからないのか。あるいは、無視するのか? 意識論者、努力論者は、きちがいヘビメタの影響をぜんぶ無視して、影響がないものとして、がたがた言ってくるんだよ。言霊論者もおなじだ。きちがい兄貴のやり方があまりにも、普通じゃないから、ほかの人が、誤解する。意識論者、努力論者、言霊論者の近くには、きちがい家族がいなかっただけの話なのである。きちがい兄貴とおなじような意地で、きちがい的にこだわり続けて、ものすごい音で、自分が鳴らしたい音を鳴らす家族がいなかっただけの話なのだ。

2021年2月2日火曜日

ヘビメタ騒音で、マイナスの努力が積みあがっていく

 いままで、ずっと忘れていたのに急に思い出すなぁ。ほんとうに、悲惨。「僕はこんなところにいる人間じゃない。ヘビメタ騒音さえなければ……」。……こんなことは、どれだけ言ったってしかたがない。けど、体力20分の1、気力20分の1、能力20分の1でやっていけるはずがない。問題は、経歴が悪くなると、だめだということだ。ヘビメタ騒音は積み重なる。初期の問題が1だとすると、後期には、1兆ぐらい積みあがっている。そして、1兆の積みあがった体で、やらなければならなくなる。そうなると、人からバカにされたり、誤解されたりする。そういうことが、増えていく。これも、積み重なっていく。本人の努力というのは、とっくのとうに、ヘビメタ騒音でかき消されている。ヘビメタ騒音で、マイナスの努力が積みあがっていく。これは、悪い努力だ。死に体たる努力。心が荒れる努力。きちがいヘビメタ騒音「で」どうしてもそうなる。けど、きちがいヘビメタ騒音でそうなっているということは、他人にはまったく見えない。言ったってむだだ。そりゃ、佐藤の反応を考えてみればわかるだろう。説明したってむだなんだよ。

ほかの人にとって「兄貴の」ヘビメタ騒音がどうでもいいことだということは、説明したあとも変わらないんだよ。きちがい兄貴のすさまじさ。強烈な意地。頭がおかしい態度。全部、ほかの人には、わからない。全部ほかの人には関係がないことだ。けど、俺には、関係がある。ほかの人が考えているように、影響を受けないということは、「できない」。けど、ほかのやつは、どれだけやられたって、影響を受けなければいいんだ。無視すればいいのだということを言いやがる。これも、ヘビメタ騒音というのが、頭のなかのことなら、それでいい。自分には関係がない聞いた話……そういうことがあったということを聞いただけの思念(あるいは記憶)なら、実際には、まったく、自分の生活に影響を与えていないのだから、「無視しようと思えば、無視できること」だと思える。


*     *     *

アルバイト先で「まるまるさんはやりやすいから、いい(好ましいという意味)」というようなことを言ってしまったのだけど、ほかの人が、ひどすぎるんだよ。けど、「まるまるさんはやりやすいから、いい」と俺が言ったということが、そのまるまるさんに伝わると、まるまるさんは、いい気持ちがしない。ほかの悪いやつが「エイリがまるまるさんのことをなめているぞ」とか言いやがる。このほかの悪いやつは、ほんとうに悪いやつなんだよ。おまえらの性格がおかしいから、おまえらには話しかけずらく、やりにくいという意味なんだよ。もう、忙殺されて、いろいろと、どうでもよくなって、たとえばの話だけど「まるまるさんはやりやすいから、いい」というようなことを言ってしまう。軽い気持ちで言ったことだけど、言われた人……まるまるさんは、そりゃ、気持ちがよくないだろ。「おまえ、なめるなよ」というようことを言ってきた。「いや、なめてませんよ」と言っておいたけど、他い悪いやつとの比較で言ったということは説明しなかった。

この悪いやつはほんとうに悪いやつなのである。いちおう会社のなかで地位が高いのだけど、なんて言うのかな?性格がおかしい。で、なんて言うのかな……いろいろなところに、こいつがいるという影響が波及していく。俺とこいつの関係じゃなくて、俺とほかの人の関係に、こいつがいるということが影響を与える。こいつだって、俺がヘビメタ騒音にやられてなければ、そもそも、俺のほうが職階が低いとしても、ああいうふうな態度にはならないんだよ。ヘビメタにやられていると、まず、遅刻ということで、発言力が弱くなる。立場が弱くなる。あとは、もう、体力20分の1、気力20分の1、能力20分の1で「きばって」やっているわけだから、いろいろなところに穴があく。きちがいヘビメタ騒音は「つもる」。これがわかってないのであ~る。ほかの人は……。そして、履歴としても「ぱっとしないもの」が積み重なっていく。「ぼーっとしないで」とか「いつも、憂鬱そうで覇気がない」とか言われる状態になる。それは、気張っていてもそうだ。気張るというのは、本人としてはそういうふうに言われないように努力するということだ。けど、ヘビメタ騒音で疲れているので、どうしても、気張っている状態が、長くは続かない。ちなみに、気張っている状態も、非常にまずい状態なのである。これは、ほんとうに、毒ガスのなかで全力疾走しているような状態だからよくない。ほかの人は、体力20分の1、気力20分の1、能力20分の1の俺を、本来の俺だと思ってしまう。そりゃ、バカにするだろ。で、こういう現実を押し付けられる。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、きちがい的な態度で、きちがい的にこだわりがあるヘビメタを、自分がやりたいようにやるとなると、こうなってしまうのだ。俺が、「よそで」こうなってしまう。ほかのやつが知らないのは、わかるけど、きちがい兄貴なんて、どれだけ言われたって、ほかのやつより、知らない状態なんだぞ。これが、きちがい兄貴と言っているゆえんだ。俺が、兄貴のことを、「きちがい兄貴」と言っている理由だ。で、きちがい兄貴の態度が、おやじの態度とまったくおなじなのである。きちがい兄貴の思考回路がきちがいおやじの思考回路とおなじなのである。きちがい兄貴の認知システムがきちがいおやじの認知システムとおなじなのである。きちがい的な意地でやったことは、きちがい的な意地で認めない。「やったってやってない」ことになっている。これが、ひっくり返らない。殺したって、ひっくり返られない。ほんとうは、よその家では絶対にありえないようなでかい音で鳴らしているのに……常に鳴らしているのに、……常に、普通の音で鳴しらている「つもり」なのだ。どれだけ言われたって、一秒だって、譲るつもりがないんだよ。自分がほんとうにゆずるというのは、絶対にできない。おやじとおなじで、譲るなら、自分が思ったとおりのやり方で譲るということになってしまう。きちがい思ったとおりのやり方というのが、相手にとってはまったく無意味で、トラブルをさらに引き起こすようなことなのである。けど、本人がやってやったら、「やってやった!!!やってやった!!」ということになって、譲らずに(もとの行為を)やってしまうのである。だから、やっているのに、本人はまったく問題がないつもりでいる。ぜんぜん、譲ってないのに、譲ってやったつもりになっている。こういうことが、いつもいつも、成り立っている。いつもいつも、繰り返される。頭を取り替えないと、そのままなんだよ。

ともかく、普通の人とちがう。普通の人は、「静かにしてくれ」と言えば、静かしてくれると思っている。 「だから、エイリさんが言わなかったのが悪い」というように考えてしまう。それを俺が否定しても、これまた、こういう人たちは、自分の「意見」をかえない。

常に、ボロボロだ。こっちは、ヘビメタ騒音で常にボロボロで、ほんとうに、20分の1の能力でやっと動いているような状態なんだよ。一切合切のよゆうがない。よゆうがない。これがどういうことだかわかるか?

親友のところでも言ったけど、ほんとうに他人は他人だから、俺の経験したことがわからない。俺の体のことがわからない。普通に見えれば普通に働けると考えてしまう。

 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。