2015年12月31日木曜日

これは、僕の人生じゃない

虚しい。だるい。むなしい。だるい。なんだったんだろうな~、俺の三〇年は。三〇年。なに、この三〇年。本当に三〇年経ったのか? おかしいんじゃないか。計算が合わないんじゃないか。あれが、三〇年前とか、……それはないだろ。それはない。けど、そうなんだよな。おそろしいことに、そうだ。否定出来ない。あれが、三〇年前、あれが三一年前、あれが三三年前、あれが……二五年前。あれが、八年前。あれが、五年前。おかしい……こんなはおかしい。まるで、異次元に迷い込んだみたいだ。こんなのはおかしい。こんなのはおかしい。こんなのはおかしいんだ。……これは、僕の人生じゃない。こんなのは、僕の人生じゃない。

2015年12月29日火曜日

俺は!言っただろ!!!(公開バージョン)

僕が不安になっても、なにもわからない。不安になるな。不安になるな。不安になるな。

本当にヘビメタ騒音がうるさかった。どれだけ、不安な時もヘビメタ騒音が鳴っていた。近所の人にどう話すんだよ。かりに、親父が死んだら、なんて言おう。俺はヘビメタ騒音で働けない。ヘビメタ騒音が一四年間鳴っていたので働けない。


は~、死にましょ死にましょう。死にましょう。本当に、ヘビメタ騒音を鳴らされてから死ぬことしか考えてないよ。すべての普通の生活が、雲の上の出来事だ。どうやったって手にはいらない、雲の上の出来事になってしまった。普通に、普通の女の子とつきあう……ヘビメタ騒音で、浪人、無職だから、立場がない。その人に実は無職だということをいいたくない。はじめに嘘をついて、つきあいたくない。浪人、格好悪すぎる。ヘビメタが鳴っていた。どうやっても、ヘビメタが鳴っていると、ダメなんだよ。暗黒世界なんだよ。すぐにでも首をつって死にたい気持ちなんだよ。どうしても、どれだけ言っても、鳴ってた。

ヘビメタ騒音が鳴ってから、全部、夜だ。全部が全部、二浪三浪で、自転車を漕いでいる夜だ。闇だ。死にたい。なんとも言えない不安に取り憑かれる。死にたい。ともかく、ヘビメタ騒音で死にたい。ヘビメタ騒音が鳴っているから、死にたい。ヘビメタ騒音が鳴っていて、すべてのことに手が届かなくなったから死にたい。

いまだって、そうだ。いまだって。じゃ、いま、「さびしい」ので、女の人とつきあうとする。それで、働けないことを、どうやって説明する。一応この国では、男が収入を得るということになっている。男が働いて女が働かないというのは、ありだけど、女が働いて、男が働かないというのは、なしだ。もちろんあるけど、「ひも」とかそういう言葉で、罵倒される。「なんで働かないんだ」と、精神的に責められる。働けないんだけど、相手には、働けるのに働かないと見える。俺が、どれだけみじめな思いをしてきたか。どれだけ……。だから、きちがいヘビメタが鳴り止んで、近くにアパートを借りることも、部屋の工事をすることもないほうが、いいに決まっているのだ。ちゃんと、全部鳴り止んで、くれれば……。ちゃんと全部、鳴り止む以外の解決方法はない!!!


あの時本当にヘビメタ騒音で苦しかった。やりようがないんだもん。鳴らされていたら、やりようがない。前の日と同じになってしまう。同じだ。我慢するだけだ。朝、どれだけしんどいと思っているんだ。遅刻をすれば俺が文句を言われる。髪の毛なんてとかしているひまがない。歯磨きなんてできない。それで、「だらしがないやつ」と思われるのは俺だ。宿題を忘れた……それで、「だめなやつと思われるの俺だ。けど、どうしても、どうしても、週に五五時間以上ヘビメタ騒音が鳴っていると、できない。一日に七時間以上ヘビメタが鳴っているとできない。平日、学校から帰った後、六時間四五分鳴っていると、どうしても、どうしても、次の日の用意ができない。宿題をして次の日の用意をして寝るということができない。俺が、不安な日々をすごしてきたと思っているんだ。全部、格好悪い。死にたい。

俺が死ねば、俺が楽になれる。

俺が親父や兄貴にい言いたいのは、お前らが、俺にどんなことをしたかわかってるんだろうな?ということだ。お前らが……お前らが。お前らが俺になにをしたか、理解してから死ねよな。けど、理解しないんだろうな。どこまでも、……死ぬまで。死んだ後も……当然。死んだ後も理解しないんだろうな。生きているあいだじゅう、理解しない。死んでからも理解しない。ろくでもないやつらだ。だから、やったんだろうな。やりやがって。自分が俺になにをしたか理解してから死ね。俺が俺が……。俺が、俺が……。俺がどれだけ、お前らのせいで苦しんだと思っているんだ。俺がどれだけ、お前らのせいで恥かいたと思っているんだ。理解してから死ね。せめて、理解してから死ね。

お母さんはけっきょく、助けてくれなかった。困っていただけだ。ずっと俺と一緒に困っていただけだ。自分の息子なのに。きちがい兄貴は自分の息子なのに。やめさせることができない。きちがい兄貴の、ヘビメタに対するきちがい的なこだわりというのは、言いようがない。自分が思った通りに鳴らしたというのがあって、音を下げたり、ヘッドホンをしてしまっては、自分の思い通りじゃないんだよ。自分の思い通りに(でかい音で)ヘビメタを鳴らすということに、殺人的なこだわりがある。そのことの前では、すべての道理が、力を失うのである。すべて、無力。自分がヘビメタを思い切り鳴らしたい。それを邪魔する奴は、断固、無視。無視して鳴らす。それだけ。殺さなければ、絶対にどれだけ言っても、やめてくれない。実際に、十数年間にわたって、やめてくれなかった。どういう気持で生きてきたと思っているんだよ? 俺が!!

きちがい兄貴もきちがい親父も、当時一四年間、どれだけ言っても、まるで理解しなかった。まるで関係がない人なのである。自分がやっているのに。きちがい兄貴は自分がやっているのに、きちがい親父は、自分の息子がやっていることなのに。毎日、何時間も何時間も。こだわってこだわってやっていることなのに、「知らなかった」だからな。「つもりがなかった」だからな。全部これだよ。全部、こういう嘘くさい理由で、やり切る。どれだけ言われても、知らないまま。どれだけ鳴らしても、つもりがないまま。頭がおかしい。お前らのせいで、どういう目に遭ってきたと思っているんだよ。

なんで俺がこんな孤独に、一人でたえなきゃいけないんだよ。本当に人生がない。人生がない。ヘビメタ騒音で人生がない。なんて言うんだよ。なんて言うんだよ。どうやって説明するんだよ?どうやって。ともかく、五体満足でも働けない。いいや、俺もヘビメタ騒音で頭のなかが壊れちゃったんだな。本当に親父なんて、こっちが困ることしか、言わない。やろうと思わない。どうして、きちがい兄貴を説得してやめさせないんだ。どうして、俺の部屋の押し入れに防音材を貼って、きちがい兄貴にはひとことも注意しないんだ。同じなんだよな。今回の、俺のために外壁工事というのだって、同じだよ。どういう目に遭ってきたと思っているんだよ。

ヘビメタ騒音をやられて三年経った時から、僕の人生は終わっている。僕の人生は終わっている。ボロボロだ。その三年間だって……。ボロボロだ。あの時は、まだ、お母さんやダイヤがいたから、さんざん愚痴ってしまったけど……。愚痴ったって、ヘビメタ騒音が鳴り止まなければ、僕の苦しみは、終わらないんだよ。僕が落ちていくだけだ。学業成績、働く能力。落ちていくだけだ。きちがい兄貴!!!きちがい兄貴!!!おまえが、やるつもりで、鳴らした。どれだけ言っても、絶対の意地で、全部の時間、鳴らした。

俺がひとりで、たえなきゃいけないのか?? これからも。きちがいヘビメタにやられて、人生がない。全部どんな努力も、ヘビメタ騒音のなかで、消えた。あれだけもめているのに、しらんぷりで鳴らす。全部の時間鳴らしきる。それで静かにしてやったつもりだ。それで、協力してやったつもりだ。ぜんぜん静かになってないから。命がけで、全部の時間、協力せずに鳴らしたのに、協力してやったつもりがどうやって生じるんだ? 本当きちがい野郎。どれだけ言っても、伝わらないんだからな。自分が鳴らすのは当たり前……自分が鳴らしたいように鳴らすのは当たり前……まるで問題がない……ガタガタ言ってくるほうが悪い……こんくらいの気持ちしかない。で、一四時間鳴らせるなら、一四時間鳴らす。

お母さんも、ダイヤも、もういない。僕がこの部屋で、歳をとってきただけだ。僕がこの部屋で、孤独にたえ、歳をとってきただけだ。なんも、楽しみがない。「楽しみなんていうのは、自分でつくればいいだろ」……そりゃ、ノーマルな人の話だ。……つくれるわけがないだろ。……あんな状態で、……学生時代全部を暮らして、……人生をつかめない状態で、……楽しめるわけがないだろ。時間の制御ができず……つまり、決まった時間に起きれず、……。だるいからだを引きずって……。ヘビメタ騒音でボロボロで、憂鬱で……。楽しめるわけがない。どうしても楽しめない。どうしてもくるしい。


2015年12月28日月曜日

東京のおしゃれな街を歩いても、むなし~~

東京のおしゃれな街を歩いても、むなし~~。この、雰囲気。ひとりで、ぎりぎり、耐えている。仮にぼくが、東京で割と高いご飯を食べたとしよう。うまいにはうまいのだろう。けど、楽しかというとそうではない。ヘビメタ騒音で、おちぶれて、「こんなことをしていていいのだろうか」みたいな気分がつきまとう。ぜんぜん、楽しくない。ヘビメタ騒音が一二年ぐらい続いて、人間関係が切れだした頃……。あれ、書こうとしたことを忘れた。そういえば、さっきむせたな。最近、むせるんだよな。食べているときに、ヘビメタ騒音のことを考えていて……当時のきちがい兄貴の態度のことを考えていて、……気持ちがどっかに行っちゃってむせた。

これ、薬、飲んでも変わらないだろう。

なんか、市の講座というか、市民サークル?みたいなものに参加すればいいだろとか、言う人もいる。まあ、そうなんだろう。けど、案外金が出てくんだよな。人と付き合うとそういう安そうなものでも、けっこう金が出てくんだよな。さっきも書いたけど、俺、こころの中で、ヘビメタ騒音のことを考えていて、みじめでみじめでしかたがないんだよな。「人生なかった」「あれからずっと苦しい」……こういう気持ちがうずを巻いている。他の人がいろいろな活動をしている。その人は、ヘビメタ騒音なんて、一日も体験してない。あの、邪魔な状態、邪魔な感じ、……キレるような邪魔な状態……あれがずっと続く。鳴っている限りは続いてしまう。で、鳴り終わっても、頭の一部が、ものすごく興奮して眠れない。死にたい。きゅーーっとひえて死にたくなる。あの時のままなんだよな。俺の頭。苦しいままなんだよ。どうしたらいいんだよ。死にたい。

そりゃ楽しく感じればいいけど、「しんどいな」「めんどいな」「つまらないな」と思ったら、参加できるわけがない。金を払って、やりたくない仕事をしているような状態になってしまう。

しかし、最近、きゅーに、くるな。くる。極端な不安とうつが、急に来る。やばいやばい。やっぱ、さみしいんだな。本当に、ヘビメタ騒音は、ぼくの人付き合いも、全部つぶした。長い長い時間をかけて、全部、つぶした。すべて、つぶした。ゆるせない。

2015年12月24日木曜日

常に、ひとりだ。

ついに一人になってしまった。ついに。あ~あ。きちがい兄貴は、こういう時でも、嫁さんがいるんだよな。ひとりじゃない。俺だけ、ひとりだ。常に、ひとりだ。

ヘビメタ騒音が始まってから、ずっと、いいことがない。死にたい。全部崩壊している。外に出た時の気分、出る前のドアの前にいる時の気分、お母さんが入院した時の気分、親父が入院した時の気分、親父と言い合いをしている時の気分、他の人と話をしている時の気分、全部めちゃくちゃ。なんかこう、常に不安で、常に、言い切れない気持ちを抱えている。言い切れない気持ちってきちがい兄貴に対する気持ちだけど……。きちがい兄貴にやられたことに関する言い切れない怒りだけど。「いい年こいて無職」と思われる不安。「何年、浪人してんだよ」と思われる不安。

働けない。きちがいヘビメタ騒音が始まってから七年間で、簡単なアルバイトもできない体になりました。きちがい兄貴、おまえのせいでどれだけの失敗があると思っているんだよ。

位牌に話しかけても当然返事なんてない。
僕が死にたい。けど、今死んだら、本当にみじめな人生だったなと思う。小さい時は親父に、わけのわからないことで怒鳴りまくられ、成人してからも、きちがいヘビメタ騒音にずっと、毎日たたられている状態だ。全部うまくいかないぞ。

誰も助けてくれない。死にたい。きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音で死にたい。あれはないぞ。死にたい。

2015年12月23日水曜日

本当に、ヘビメタ騒音だけの人生だったな

おれもう、これ、だめだぞ。どうも、だめそうだ。くるしいー。あ~~あ。どれだけさみしいのを我慢してこらえても、こういうことになってしまうんだからな。俺、一五年前よりも、明らかにさみしいな。この、空虚。この、むなしさ。これは、やばい。ほんとうにやばい。きちがいヘビメタ騒音が始まってから、ずっと苦しい。ヘビメタ騒音って人間関係の「やまい」なんだよな。これ、やまいだよ。まちがいなく。ほんとーーーに、全部の時間苦しかった。きちがい兄貴は、好きな音で鳴らしただけだ」なんて思っているかもしれないけど、おまえがやったことはでかすぎる。

ともかく、さみしい。人間づきあい必要だな。特に、おんな。ともかく、さみしい。さみしったらありゃしない。まずしさに耐えられる人いるかなぁ。ともかく、抱きしめたい。おれが、とれだけこらえていきてきたか。きちがいヘビメタが始まってから、七年経った時、もう、だめだったんだな。あらゆる意味でダメだったんだ。ほんとう~に、きつい。薬を飲んでも落ち着かいない。「もう、死ぬかな」って気分になる。まあ、どうせ死ぬなら、薬なんて飲まなくていいしな。なんとか生きようとするから薬が必要になる。死にたい。いままでの時間、耐えてきたけど……今日も……今日も、耐えた。けど、苦しいな。なんとかしないとなぁ。なんとか。お金を減らすのが嫌だから、すべての交わりを断ってきたようなところがあるな。

ある程度付き合いを増やすか。けど、ヘビメタ騒音で憂鬱で無職という流れだと、同じなんだよな。座っている時の気分、相手の話を聞いている時の気分……全部、きちがいヘビメタ騒音でだるくて、きちがい兄貴の態度に腹を立てている。相手のいる時も、俺、本当はものすごく、ボロボロにつらいんだよ。ヘビメタ騒音でつらい。ヘビメタ騒音の憂鬱がとまらない。誰と一緒にいても、ヘビメタ騒音の憂鬱がとまらない。

でも、これだけ、付き合いがない生活をしているとさすがにつらいな。つらすぎるわ。「やっぱ、もう死ぬか」となる。俺は、苦しんで死にたくない。闘病生活の末に……なんていうのは嫌なんだ。寝ているあいだに、すーーっと死にたい。だから、昔の睡眠薬、最高なのに……。昔の睡眠薬がほしい。いまの睡眠薬では死ねない。寝ているあいだに死にたいな。眠ているあいだに、苦しまないで、死にたい。

誰と一緒にいても、普段、ここ書いているようなことが、頭のなかを回っている。人と別れて、家に帰ったあともそうだ。ヘビメタ騒音で苦しい時の、つらい時の、いろいろな記憶が頭のなかを駆け巡る。もう、だめ。

ともかく、年をとった。本当に、ヘビメタ騒音だけの人生だったな。

2015年12月22日火曜日

一日一個法

最近、自分で一日一個法というのを考えて実行している。一日に一個、何かをやればいいという方法だ。一日にゼロ個でもいい。一週間に二日ぐらいゼロ個の時があってもいい。いわば、週休二日制だ。

たとえば、「病院に行った」ら、一個タスクを完了したことになるで、今日も一日、一個すすめたと思うようにする。病院に行くのはけっこう大きなイベントだけど、そうではなくて、たとえば、「買い物に行った」というのも、数えるべきタスクとなる。

それどころか、「通販の注文をした」とか「通販の受け取りをした」ということも、数えるべきタスクとなる。それだと、今度はけっこう数えるのが大変になると思うかもしれない。けど、一日一個法では、細かく、数えない。

だいたい、なにを数えるべきタスクと感じるかというのも、その日の状態によって違う。だから、人によって、状態によって、なにがタスクなのか、違ってくる。何にもしなかった日は、たとえば、ご飯を作ったというのものを、数えるタスクにくわえてもいい。「今日は、自分でご飯を作ったから、いい。自分でご飯を作ったから、進歩した」……「ご飯を作ったので、一歩前進!」……こう思えばいい。

まあ、タスクというのは、普段やっていることではなくて、やるのがちょっとしんどいことかな。けど、やるのがちょっとしんどいことは、ひとによって違うし、同じ人でも状態によって違う。だから、気分次第で、なにをタスクと考えるか変えてしまっていい。それじゃ、意味がないのではと思うかもしれないけど、それだから、意味がある。

書き出す必要もない。ただ、思えば、よい。「今日も一歩進んだ」と思えればいい。まあ、その人にとって、ちょっと大変なことを、タスクとして考えるのだけど、今日は、料理をタスクに昇格とか、そういうことでいい。「今日、ゴミ出しをした」……ということなら、ゴミ出しをタスクに昇格して、「今日は、ゴミ出しをしたからいいや」と思うことにする。

一日に、一個やればいい。一日に一歩すすめればいい。そういうふうに思う。……そうすると、わりとすすんだ感じがする。普段、普通にやっていることを、タスクとして考えると、また話が違ってくるんだよね。数が多すぎる。本人にとって、わりと大きなイベントなんだよね。一個として考えるのは。基本はそうなんだけど、ふだんやっていることをタスクとして考えてもいい。

けど、それは、他の人から見れば、小さなイベントだし、「そんなの毎日やっている」「そんなの一日に三回もやっている」と言いたくなるようなことなのだ。しかし、本人がどう感じるかの問題だから……。

しかも、本人の中に明確な基準があるわけではなくて、その日によって、……その日の体調で、基準が変わってくる。

「今日も一歩すすんだ」と思ったほうが、「今日もなにもしなかった」と思うより、精神的な健康を保てる。「今日は、ゴミ出しをしたからいいや」「今日は、医者に行ったからいいや」「今日は、買い物に行ったからいいや」……こう考えたほうが、「今日もなにもしなかった」と考えるより、気持ちがいい。気持ちが落ち着く。やっていることは同じなのに、一歩すすんだ!!と感じることができるのだ。だから、一日一個法としては、固定した明確な基準を作らないというのが、キモになる。本人が思うだけで、「本人が思ったことを紙に書き出す」必要がないわけだから、らくちん。

もちろん、「今日は休みの日だからゼロでいい」という考え方もある。自分が普段やっていることを、「タスクに昇格」しなくてもいい。それはまあ、考え方次第。「昨日、でかいこと(タスク)を二つやったから、今日はゼロでいいや」と考えることもできる。

2015年12月21日月曜日

できないからできない(公開バージョン)

お母さんの位牌を抱いて寝ているけど、さみしい。むなしい。ついに、こういうことになってしまったか。あ~~。ついにこういうことになってしまったか。時間の問題でいつかはこうなると思っていたけど、早い。早い。早い。


ほんとう、夜、気持ちが押しつぶされそうになって、位牌に語りかけたり、写真に語りかけたりしているけど、当然、返事なんてかえってこない。俺のひとりごと。完全に一人になってしまった。一人も味方がいない。

お母さん。ダイヤ(親友のアダ名)。お母さん。お母さん。お母さん。ついに、一人になってしまったよ。きちがいヘビメタをやられて、僕は自分を社会的に抹殺しようと思った。本当に、そうするしかない。ヘビメタでだるくて動けない。死にたい。だから、「できないからできない」ってずっとダイヤに言っていたのに、ダイヤが、「そこをなんとか、立ち直ってくれ」ってけっこうしつこかった。

「ダイヤ、ダイヤは俺がどんなことをされてきたか知っているよね。俺はもうだめだ。俺につきあって(ダメになる)必要はない。先に行ってくれ」……こういう気持ちだ。こういう気持ちだよ。で、そういう風に言ったけど、それは、「じゃ、そうか」ってわけには行かなくて、それで、俺は……俺は、わざと嫌われるためにひどいことを言って、去ってもらうようにしたんだ。

どうしてもできない……「どうしても立ち直れない」と言っているのに、……。俺がどういうことをされていたか知っているのに……「そこをなんとか立ち直ってくれ」と言ってなかなか、引き下がってくれない。ダイヤが言った……「どういうことをやられてたかはわかっている。俺も、となりにアパートができた時、騒音を経験している。どんな気持ちになるのかは、わかった。けど、どうにか立ち直ってくれ」と。俺が「立ち直れない」と言っているのに、けっこうしつこかった。だから、……無理だから無理って言っているのに。

「もう、俺のことはおきざりにしてくれ!!!君は先に進んでくれ!!!」……そういうことだ。けど、そういう風に言っても、「じゃあ、そうする」とダイヤは言わなかったので、……言うような人ではなかったので、ひどいことを言ってわざと別れた。


「そんな昔の友達のこと、どうだっていいだろ。いまのことを考えよう」……こういう風に言う人もいるだろう。けど、これ、けっこう、でかいんだよ。ダイヤとの関係は変わっているけど、他の友だちとの関係も、ヘビメタ騒音で壊れている。ヘビメタ騒音の連続で壊れている。

ヘビメタ騒音の一四年毎日、連続で壊れている。新しい人間関係も、同じなんだよ。だから、つきあいはじめても、けっきょくは、ダイヤや、他の友だちとの関係のように、壊れるんじゃないかな。ヘビメタ騒音。ヘビメタ騒音にたたられ続けた、ヘビメタ騒音にたたられて仕事ができない体になったということが、いまのつきあい、これからのつきあいに与える影響がでかい。

「会う」ったって、仕事してないで、自分の金がないのに、会うのはつらい。日本人は、男は働いているのが当然だと思っているから、なんで働いてないのか、新しくあった人に説明しなければならなくなる。そうなると、当然ヘビメタ騒音のことを話すしかない。だいたい、人と会っていても、ヘビメタ騒音のことで、頭がいっぱいだ。心が、グレーだ。崩れ落ちそうなほど、苦しい。そういう状態にたえて、たえてたえて、話をしている。明るいようにしていても本当は、暗い。

これからの生活に対する不安、きちがい兄貴に対する怒りで、こころのなかが、ぐっちゃぐちゃになっている。人と会っていても、人となにか話していても、本当は、くるしい。ヘビメタ騒音で高校に落ちまくって、それで、友だちに会って、気にしてないような素振りで話をしているような状態になってしまう。帰ったらヘビメタが鳴っているわけで、まだ、これから高校の入試があるのに、きちがい兄貴が一日中、けたたましい音で鳴らしているという状態が、変わらない。

これが、変わってくれなかったら困るのに。一日に、一時間も鳴ってない!状態にならなかったら困るのに……。……一日中鳴っている状態は、非常事態なのに……非常事態だということを、まるで理解しないで、普通に鳴らし続ける。

落ちまくって困っている時も、同じように鳴らしている。非常事態のままだ。鳴っているから、非常事態なんだ。その非常事態が、落ちまくっている時も続く。

一日に一分だって、静かにしてくれない。明日、高校入試があるというのに、きちがい兄貴が夜の一一時一一分まで、ドカスカ、ヘビメタを鳴らす状態というのが変わらない。それが、原因で困っているのに。それで、困っているのに。

それで、小学六年生、中学一年生、中学二年生、中学三年生とずっと困っているのに。破綻なのに。生活破綻なのに。精神破綻なのに。ヘビメタ騒音ですべてが上手くいってないのに。ヘビメタ騒音が普通に、すべての時間鳴る。鳴り続ける。まだ明る夕方から、ずっと夜の一一時一一分まで鳴り続ける。

「入試だからやめろ」と、合計、何十回何百回、何千回、何万回??怒鳴りこんでも、ずっと、無視してヘビメタを鳴らし続ける。入学試験一ヶ月前から考えたって、何百回も言ってる。一日に、七回以上、は、怒鳴りこんでいるからな。


惨めなんだよな。お母さんの時もそうだったけど、病気で、弱くなった人の姿というのが、むしょうにむなしい気持ちをかきたてる。そして、ヘビメタ騒音で人生がない状態がかわらない。お母さんに対して俺はずっと、頼りない存在だった。自分で金が稼げない。

あー、やっぱり、死にたい。死にたいのであれば、これからの生活のことなんて考える必要がないのだから、気が楽なるかというと、一瞬だけ、気が楽になる。一瞬だけだ。「もう死のう。死ぬからいい」と考えると、一瞬だけ気が楽なる。


しかし、どうして、この時期に足場を建てて工事なんだ。この時期に足場を建てて工事なんて、俺に対するいじめに等しい。騒音攻撃をするつもりか。トラウマ大爆発だ。死にたくなる。そういうことを、「俺のためにやる」と言うんだからな。そりゃ、怒るだろ。親父のためにやる、というのであれば、まだ、話が通るけど。

「俺のために」……この時期に、家のまわりに足場を組んで工事……そりゃ、ありえん。二週間ぐらいいいじゃないか。二週間だってダメだ。死ねと言っているようなものだ。おれがどれだけ!!!!!!おれが、どれだけ!!!!わかってない。そういうところが、わかってない。で、ずっとずっとずっと、言っているのに、まだ、それなんだよ。平気で、この時期に、家のまわりに足場を組んで工事をするようなことを言う。こんなの、俺に自殺しろと言っているようなものだ。自殺するほどくるしめと言っているようなものだ。どうして、わからない。

しかも、「俺のために」。「俺のため??? 俺のためだったら、やめてくれ」……そうやってもめたんだ。この時期に足場の工事なんて、本当に、いじめだ。あいつが俺を殺すつもりだ。全然つもりがないんだろうけど俺はそういうことで、どれだけ苦しんできたと思っているんだ。あんたのそういう性格で俺がどれだけ苦しい思いをしてきたと思っているんだ!!! こう言いたくなった。

だいたい、「注意してない」ということも、認めてない。あれだけもめているのに、まだ、「注意してない」ということを認めてないんだからな。俺があんたのそういう性格で、どういう思いをしてきたと思っているんだよ。認めてくれよ。

親父は兄貴に、一四年間で、三回ぐらいしか注意してない。一週間に一回注意したとしても、年に五五回注意することになるんだけど、年に五五回も注意したなんてことはありえないということを、認めてくれよ。「注意した注意した」「いっぱい注意した」「積極的に注意した」だからな。

「こうしてくれ」といった時は、かならず、俺が言ったように、してくれることがないんだよ。「こうしてくれ」……たとえば、兄貴に注意して兄貴を静かにさせてくれといった時は、「防音材防音材」「地下室地下室」ということになる。ひとことも注意してくれない。俺が言ったことはやってくれないで、親父が思いついたことをやろうとする。

で、親父が思いついたことというのは、俺にとってものすごく、負担があることなんだよ。不安を掻き立てられるようなことなんだよ。「この時期に、地下室の工事なんてやったら、入学試験までうるさくなるだろ」……こういうことがわからない。いくら掛かると思っているんだよ? 掘った土を処理するだけで金がかかる。「そんなのは、庭に出しておけばいい」……これが、一回目の大学入試の時の、会話だよ。

あの時は、俺がやってほしいことは、兄貴を説得して、兄貴を一日に一分も鳴らせない状態にすることだ。俺がそうするから、そうすることに協力してくれということだった。で、親父の方の答えは、なんだか知らないけど「地下室を作る」ということだ。きちがい兄貴が、一日中、爆音でヘビメタを鳴らすことに関しては、容認したままだ。で、一度、「地下室地下室」って言い出したら、地下室を作ることにこだわる。自分のアイディアにこだわりまくる。負けてしまうと、工事が始まってしまう。

それも、俺のために地下室を作ってやるつもりになったのだろうけど、俺は、あの時期に地下室の工事なんてことになったら、どこに住んでいいかわからないし、うるさくなるわけだから、めちゃくちゃに困るんだよ。

で、同じなんだよな。何十年も前から。ずっと。ずっとずっと同じだ。だから、親父がやってくれたことには、感謝してないといったんだよ。そうしたら、ショックだったらしい。親父が説得しても、兄貴が、一日に一分も鳴らさないなんてことに、同意するわけがないけどね。俺が、何万回言ったってそんなことには、同意をしなかった。

けど、協力して、兄貴に働きかけてくれということを言っているのに、「地下室地下室」って。で、「地下室だったら、アパートのほうが助かる」と言ったら、アパートのほうが安いのに、首を縦に振らない。あくまでも、自分のアイディアにこだわる。自分がやってやりたいことこだわる。

で、俺のため……。で、「地下室より、アパートのほうが助かると」俺が、言った時だけど、その時に、アパートを借りてやらない理由が、「アパートを借りたら、(おまえが)勉強しなくなる」ということなんだよ。勝手に思いつきで、(アパートを借りたくないから)……口からでまかせで言ったことなんだけど、これがまた、俺の感情をかき混ぜるんだよな。

小学六年生時から七年間毎日、ヘビメタが鳴っていて、勉強をしたくてもしたくても、できなかったということを、認識してない。無視している。ないがしろにいている。勉強したいから、言ってるんだろ!! ヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしても勉強ができない。普通の静かなところで勉強したいから、そう言っているのに、「アパートに行くとサボって勉強しなくなるから(だめだ)」みたいなことを言い始める。全然、わかってない。

アパートに行くと、サボって勉強しなくなるとして、家では、どれだけ勉強したくても、まったく勉強でない状態が続いているんだぞ。だから、もめているんだぞ!!ってそれがわかってない。わからない。どれだけ言っても、通じない。「お前のため工事」って、なんなんだよ!! それ!!!

同じ。三〇年前と同じ。ずっと同じ。まず、きちがいヘビメタが鳴り止んでくれなければ、一日に一分だって鳴ってない状態になってくれなければ困るんだよ。それめぐって、注意してくれと言っているのに、そういうことを言う。しかも、せんぜん、悪気がないし、侮辱したつもりがない。オヤジの頭のなかでは、俺のために地下室を作ってやるということになっているんだけど、俺はそれをされると困るんだよ。兄貴を静かにさせなきゃダメだろ。

兄貴に言っておくけど、一日に一分だってヘビメタを鳴らせない状態なんて、考えたことがないだろ。俺が、静かにしてくれと言っている場合の、静かにしてくれというのは、そういう内容のことだから。そういうことをしてくれということだから。これも、親父以上に伝わらないんだよな。

兄貴は、静かにしてやったと言っているけど、じゃ、一日に一分だってヘビメタを鳴らせない日は、いったい何日あったんですか? 一日しかないでしょ。一日中、ヘッドホンをしなければならない日は、一四年間で、いったい何日あったんですか? 一日もないでしょ。譲歩して、一日に一時間、たとえば、午後四時から、午後五時までは、ヘビメタをフルの音で鳴らしていいけど、五時からは、ヘビメタを鳴らさないで静かにするか、あるいは、ヘッドホンをして静かにするというような約束をしてくれたことがありますか? 

一日に一時間、ヘビメタをフルの音で鳴らしていい……これが、俺にできる最大限の譲歩だから。けど、この譲歩ですら、一日だって、成立したことがない。一日に、一時間しかヘビメタを、フルの音で鳴らせない日は、いったい何日ありましたか? 兄貴が、家で住んでいる間、ヘビメタを一時間しか、フルの音で鳴らせない日は、いったい何日ありましたか? 一日もない。

ヘビメタを二時間しか、フルの音で鳴らせない日は? ヘビメタを三時間しか、フルの音で鳴らせない日は? ヘビメタを四時間しか、フルの音で鳴らせない日は? ヘビメタを五時間しか、フルの音で鳴らせない日は何日ありましたか? そんな日は、一日もない。六時間鳴らせるなら、六時間、全部鳴らす。七時間鳴らせれば、七時間全部鳴らす。一〇時間鳴らせれば一〇時間、全部鳴らす。一二時間鳴らせれば、一二時間全部鳴らす。一四時間鳴らせれば、一四時間、全部鳴らす。こう決まってた。

一日に一時間だって、三〇分だって、二〇分だって、一〇分だって、五分だって、一分だって、鳴らしたいのに鳴らせないという時間がなかった。だから、静かにしてない。これで、「静かにしてやった」とか、どうしてそういうことが言えるんだよ!!! 本当に、うちに住んでいる間、ずっとずっと毎日、そういう状態なのに、「静かにしてやった」とか「知らなかった」とか「そんなつもりじゃなかった」とかよく言えるな。これが、俺が兄貴に対して、いま持っている感情だよ。言い分があるらしいな? 上記の質問に答えてから、言い分を言え。ふざけるな。全部それだ。

たとえ、一分だろうが、自分が本当に鳴らせない形で我慢するのは、死んだって絶対に嫌だから、してやらなかった。これが、きちがい兄貴の本当の感情だ。本当にやってきたことだ。十数年間毎日、毎日、こういう感情でずっと鳴らしてきた。一日に一分、ヘッドホンをするのでさえ、嫌だった。嫌だったか、やってやらなかった。七時間鳴らせるときに、七時間のうち、一時間はヘッドホンをしてやって、六時間はフルの音で鳴らした……こういう日だってない。

六時間鳴らされるとつらいけど、一日に、一時間、ヘッドホンをして、……いわば鳴ってない状態で……静かにしてやるというつもりが、根本的に、なかった。それは、三〇分でも一〇分でも同じだ。こういうことをやってきて、人前では、まるで、しずかにしてやった」みたいなことを言う。一日だけのことじゃないぞ。入学試験前のことだけじゃないぞ。毎日だ。何年間も、十数年間も、ずっとずっと、こういう態度で鳴らした。兄貴が、ヘッドホンを一時間してくれたなんてことが、一日もないんだから。一回もないんだから。どれだけ、なまの音……ステレオのスピーカーから出す音に、こだわってたんだよ。入試一週間前ですら、一日に一時間、ヘッドホンをして静かにしてくれたことがない。これが事実だ。この事実から導き出されることはなんだ? 一日に一時間だって、静かにしてやらなかったということだ。



なんで僕だけ。なんで僕だけ、きちがいヘビメタ騒音に祟らなければならないんだ。あんなの無理だよ。どんな頭がいい人だって、大学に受からないよ。死にたいよ。




2015年12月20日日曜日

待合室で座っている時(公開バージョン)

僕が精神科(分子栄養学)、睡眠科、内科、皮膚科、その他の病院で、待合室で座っている時、どういう気持になっていると思っているんだよ。僕が……。僕がどうして……。僕がどうして、こんなところに座ってなきゃいけないのか? 僕がどうして。どういう気分になると思っているんだよ。

入試の時と同じ気持になる。入学試験の、午前一一時の気持ちになる。前日ヘビメタ騒音にやられていたときの入学試験中、午前一一時の気持ちになる。入学試験の時、きちがいヘビメタ騒音で苦しかった。あの感じになる。むなしい感じになる。睡眠科でどれだけ話をしても、ヘビメタを鳴らした当の本人である兄貴は、……その場に……いない。

相手が不在のなかで、当時ああだったこうだったという話をしなければならなくなる。過去のこと? いま俺が、睡眠科に行かなければならないのは、いまのことじゃないか。いま、俺が睡眠相の問題で困っているんじゃないか。いまの問題じゃないか。相手不在……。過去の問題。いま、そんなことをどれだけ言ってもしかたがない……。あのね、あのね。鳴らしている当時、どれだけ本人に言ってもしかたがなかったんだよ。

これ、本当に、鳴らしている当時一四年間、「過去のことだからしかたがない」というような態度で、ずっと鳴らす。鳴らしている当時。やめようと思えばやめられたとき、まるで、過去のことだから、しかたがないというような態度でずっと鳴らしてきた。一四年間。毎日。そういう状態で話が伝わらない。本当に、自分がちゃんと静かにすることは、まったく考えてない。想定外の出来事。過去のことだから、今更どうしようもないこと……これが、きちがい兄貴が現在進行形でやっているときの態度だ。

ヘビメタ騒音が三年間毎日、鳴っていた時点で僕の人生はおしまいなんだよ。

で、三年間、親父が毎日曜日、一年間に五五回、兄貴に注意をしたかというと、一回もしてないから。あの時は、俺に怒ってた。「なっちゃったらしかたがない」「自分で兄貴を静かにさせることができないのだったらしかたがない」「全部やめろと言うわけにはいかないだろ」「裁判なんて起こせるはずがないだろ」……こういうことしか言わない。俺にこういうことを言って、二階に行って、兄貴に注意しようとしなかった。

これが、親父の態度なのである。

ヘビメタ騒音のことは、一切合切心配しないのに、……俺にとっては毎日、生きるか死ぬかの問題なのに……ヘビメタ騒音のことは、一切合切かかわらないで、それで、入試当日に「財布を持ったか」と心配すると、心配してやったことになるのである。俺の入試に関心があったことになってしまうのである。三年間、ほったらかしで。俺が、家族会議家族会議と、言って、親父と兄貴を交渉のテーブルにつけるということが、ずーーーっとできない。……できない。

中学三年生の、入試一週間前、四日前まで、ずっとできない。兄貴が加わったのは、もっとあとか。二階で鳴らしているのに、注意しに行かなかったじゃないか。俺が、兄貴に「下に来い」と言って、下にやっと連れて来て、それで、兄貴に、つぶやくように「静かにしてやれ」と言っただけだ。その前に、俺がさんざん言っている。兄貴は全部、無言だよ。

やっぱ、もう、僕が死にたい。僕が死にたい。どれだけ、どれだけ、どれだけ。どれだけたえてきたと思っているんだ。僕が死にたい。僕が死にたい。

兄貴が帰ってきて、自分の部屋に入った時点から



非24時間睡眠覚醒症候群というのは、だいたい、一日に一時間ぐらい入眠時間が後退するというものだ。俺の場合は、一日に一時間から、一時間三〇分ぐらいは、後退する。

しかも、どうにかしようと努力すると、一日に六時間から八時間ずれてしまう。さらに、調整しようとすると、眠れなくなって、二〇時間以上眠れないような状態になってしまう。疲れているけど、眠れない……これ、ヘビメタ騒音が鳴っていた日の「毎日の状態」だから。あとは、「遅刻しないようにしよう」というような気持ちがあると、まったく眠れなくなる。これも、きちがいヘビメタ騒音の後遺症の一つで、今も、苦しんでいる。


きちがい兄貴は全然覚えてないんだろうけど、最初の大学入試の時、俺の部屋の横で、横の家を新しく建築するための工事をしてたんだよ。で、足場を組むためのポールを、うちの庭に(敷地)に建てなければならないほど接近しているんだよ。手を伸ばせば?伸ばさなくても、俺の部屋の窓から、足場に手が届くような状態だったんだよ。で、なんかの機械で釘をバンバン打ち込んだり、金槌で釘を打ち込むという工法でうるさかった。

で、その工事は、午後五時までということだったんだけど、実際には、明かりをつけて午後八時ぐらいまで工事をしている時があった。で、きちがい兄貴が帰ってきたら、俺がどれだけ、入試だから鳴らすなと言っても、ふつう~~~~に、全部の時間鳴らしてた。

きちがい兄貴が帰ってきて、自分の部屋に入った時点から、きちがい兄貴が眠るまでの時間、全部、一分も譲らないで、一分も静かにしてくれないまま、きちがいヘビメタがけたたましい音で鳴っていた。で、「ああ、これでおしまいだ」と思っていた。「高校入試と同じだ」「中学高校と六年間ずっと、毎日、きちがいヘビメタにやられた」「このままじゃ、おしまいだ。受からない。ともかく静かにさせなきゃ」と思った。

けど、きちがい兄貴は、入学試験一日前だろうが、一分も静かにしなかった。これが事実だ。静かにするわけがない。普段通りに鳴らしてたよ。静かにするというのは、鳴らさないで静かにすることだから。あるいは、ヘッドホンをして静かにすることだから。きちがい兄貴が、満足できる音で、ヘビメタを聞いて、静かにしてやったとか、頭がおかしい!!!!. 

おまえは、本当に……本当は自分がやったことがわかってない。どれだけ言っても、こたえないんだろうけど、俺が言っていることが、真実……きちがい兄貴が実際にやったことだから。

毎日頑固に、十数年間にわたってやったことだから。「つもりがない」とか「そんなんになっているとは知らなかった」とか「静かにしてやった」とか、頭がおかしい。事実とは、一八〇度違うことだ。それを、事実とは一八〇度違うことだと、認知できないんだろ。それが、おかしいと言っているんだよ。

で、そういう感覚で、全部毎日、好きなように(実際には我慢しないで)鳴らしてきたのがおまえなんだよ。きちがい兄貴。おまえがやったことなんだよ。おまえが、頑固に、毎日毎日やったことなんだよ。「そんなつもりじゃなかった」ふざけるな!!!!!おまえ、「わるかったわるかった」の一言ですまそうとしているんだろ。すまないよ!!!!!!!!!!!そういう感覚もおかしい。

そういう(ヘラヘラした気楽な)感覚で、こっちがどれだけ真剣にやめてくれと言っても、全然やめないで、ドカスカ鳴らし続けてきたのが、きちがい兄貴なんだよ。お前のせいで、めちゃくちゃだよ。とても、ゆるす気になれない。まず、自分がやったことを、真摯に認めろ。「そんなつもりじゃなかった」「そんなの知らなかった」「静かにしてやった」全部嘘だね。そういう嘘をついて、……脳内でそういう嘘をついて、まるで気にしないで……俺のことはまるで気にしないで、頑固に一日中鳴らしてたのが、きちがい兄貴なんだよ!!! 態度が同じ!!!!


おまえは本当に、気楽に鳴らし続けやがって、おまえが、中断して静かにしてくれるわけがないだろ。本当に、知っているはずだからな。自分がやったことが全然わかってない。わかってないけど、知っているはずだからな。自分が本当はなにをしたか知っているはずだからな。よそのひとの前で認めるとなると、バツが悪いことを、頑固にやり続けたことを知っているはずだからな。



2015年12月19日土曜日

兄貴よ。お前はひどすぎる 昔の家族に関しては、どれだけ、やったって、やってないのと同じだ

きちがい兄貴よ。お前はひどすぎる。お前がやったことはひどすぎる。嘘だと思うなら、お前がやったことを……お前が俺にやったことを……お前が俺に毎日毎日やったことを、いまの家族に対して、できるのか? 一日にでもできるのか? 一時間でもできるのか? 

自分がやったことは大したことじゃないのに、弟が文句を言っているというような印象を与えたいのだろうけど、そうは行くか。きちがい兄貴が俺にやったことは、他の誰に対してやったとしても、ひどいことだ。なぜだか知らないけど、年下の家族は「例外」で、自分が好きなようにやっていいと誤解してしまったのである。

だから、俺の言うことは、一切合切聞かずに、自分がやりたいことを最優先して、好きなだけやった。どれだけ言われても、悪いことをしているつもりがなかった。やっていいことをやっているにすぎないからだ」。けど、辛かったよ。本当に辛かった。

事実、兄貴の七年間にわたる行為で僕の人生はない。僕がどれだけ頑張っても不幸になるしかないような状態をつくりだした。やっはいけないことをした。他の人にできるのかよ? 

俺にはまったく問題を感じないで、七年間、一〇年以上毎日やってきたことを、他の人にできますか? いまの家族にできますか? 他の家族がどれだけ文句を行ってきても、無視して、続けて、何も感じないということができますか? それは、正常なことですか? 異常なことですか? どっちですか? 「俺」には、どれだけやってもいいことになってたんだよな。

それで、一度そうなると、それが強力で強力で、何年間も何年間も、どれだけ何を言われても何も感じない。何も感じないというよりも、何回も言われれば、「怒る」。「なんだ!」って思う。本当は静かにしてないのに、「静かにしてやったのに、あとからあとかなんだ!」「がたがた言ってくると、もっとやるぞ!!」と思う。

知らなかったんじゃないよ。そういう反応をしたのだから、僕が兄貴の音で困っているということを、「知らなかった」わけじゃない。これも、いまになれば、都合が悪いことは認めたくないので、「知らなかった」ということにしたいのだろうけど、明らかに違う。

それから、繰り返しになるけど、いまの家族に対する態度と、僕に対する態度が明らかに違う。態度だけではなくて、認識がまず違う。俺に関しては、昔の家族に関しては、どれだけ、やったって、やってないのと同じだった。

自分の部屋で鳴らしている以上、「横」に人がいないのと同じなのである。昔の家族は、頑固に無視していたので、いてもいないのと同じなのである。その、いてもいないのと同じ存在が、自分の野郎としていることを邪魔してくる……こういう感じ方だ。「うるさいと思っているから」静かにしてやろうなんて思わない。

で、また、この「静かにしてやる」だけど、「うち」では、きちがい兄貴が、やれる範囲で静かにしてやればいいということになっていた。これは、きちがい兄貴がやれる範囲で静かにするの、静かにする、が、実際には静かにしないことを意味していたとしても、問題ではなかった。問題というより、きちがい兄貴のなかでは、問題であっては困るのである。

どれだけ自分がうるさい音で鳴らしていても……客観的にはものすごくでかい音で鳴らしていても、……「本人が静かにしてやった」と思うことができれば、でかい音で鳴らしているのに、「静かにしてやった」と思うことが可能なのである。嘘だと思うなら、いま住んでいるところで、「当時」の「最大限静かにしてやった音」でヘビメタを鳴らしてみろ。自分の認識に間違いがあることがわかるから。で、いま住んでいるうちでは一日に一分だってできないこと……悪いことだからできないのだけど……一日に一分だってできないことを、家では、試験前に一二時間やってたって、全然悪いと思わなかった。悪いと思う気持ちがなかった。そういう認識がない。そういう認識回路自体が抜け落ちている。

かわりに、「どれだけやったって問題がない」というような認識が成立していて、結果、無視して頑固に鳴らしまくった。そして、無視して頑固に鳴らしまくったにも関わらず、本人は「静かにしてやった」と思うような状態が成立した。だから、きちがい兄貴は、「静かにしてやった」と思っているのかもしれないけど、それは、事実に反している。きちがい兄貴の認識が間違っている。きちがい兄貴は、普通に、普段通りに、うるさくしていた。客観的に言って、ものすごくでかい音で、何時間も何時間も鳴らし続けていた。

僕が、その日一日だけで、十数回、二十数回、怒鳴りこんでも、絶対にやめてくれなかった。怒鳴りこまれてやることは、きちがい兄貴の主観で「静かにしてやる」ということだ。

で、このきちがい兄貴の主観で静かにしてやっているつもりの時間は、全然静かじゃないから。客観的に言って、ものすごくでかい音で鳴っている。ここをまず認めてくれないと、話にならない。これ、親父と同じで、「じゃ、いま、どうすればいいんだ」なんて言うのである。言わないか? それすらも感じてないか? 親父は追いつめられたから、……何十年もかかって俺に追いつめられたから、「じゃ、どうしろってんだ!!!」と大声を出すけど、追い詰められなかったら、何も感じないのである。何も感じない。何も感じないで、適当な、思いつきのいいわけをするだけなのである。で、兄貴は、今も「適当な、思いつきのいいわけ」をしている段階で、「じゃ、どうしろってんだ!!!」と感じてないんじゃないかと思う。

で、これ、骨絡みで、十年、二十年、三十年、四十年って、歳月がかかっても、「じゃ、どうしろってんだ!!!」というところにすら、到達しない。いまだに「静かにしてやったのになんだ!!」と思っている段階なのである。適当に、嘘のいいわけをして、そのいいわけを自分で信じているような段階なのである。そういうレベルだ。

兄貴よ。三十年、四十年かけて、そういうレベルだということに対して、なにも感じないのか? 本当になにも感じないのか? おまえ、いい加減、自分がやったことを、ちゃんと認めろよ。まずは、それからだろ。

親父は自分が実際にやったことは認めないで、「じゃ、どうしろってんだ!!!」(絶叫)というところまで進んだけど、兄貴は自分が実際にやったことを認めないまま、嘘をついている段階にとどまっている。せいぜいのところ、嫁さんや嫁さんの家族に「これ、本当なの?」と聞かれるだけだ。

嘘を言って、言い逃れをしていれば……事実を認めないで言い逃れをしていれば、そのうちに時間がたってしまう。何十年たったと思っているの?? 嘘をついたまま、何十年たったと思っていの?? 認めないまま、何十年たったと思っているんだよ?? 

で、きちがい兄貴はきちがいなので、いまだに、「自分は静かにしてやった」と思っているところがある。それは、嘘だ。静かにしてない。自分が主観的に静かにしてやれば、客観的に静かになっているというわけではないのだ。ここに、嘘のからくりがある。

で、いまだに、自分をだましている状態なのである。こんなんで、ゆるせるわけがないだろ。俺は、いまだに、きちがい兄貴がやったことで困っている。人生がなくて困っている。ひとりで生活していて困っている。味方がいなくて困っている。仕事ができなくて困っている。無職歴が積み重なって困っている。学歴がなくて困っている。疲れやすくて困っている。無気力で困っている。頻尿で困っている。蕁麻疹で困っている。人に自己紹介できなくて困っている。無職なので恋愛に積極的になれずに困っている。けっきょく、ひとりで、さみしい思いをして困っている。何十年間も、ひとりで、さみしい思いをして困っている。何十年間も、無職、童貞、低学歴で困っている。ヘビメタ騒音で苦しくて、恋愛どころじゃなかったよ。

これ、この間、……親父が倒れたことを知ったあと……返さなければならない本を返しに行くために図書館に向かっている道で……感じた。あんな気持ちで、……あんな気持ちで、恋愛なんてとても無理。向こうから寄ってきても、あんな気分じゃ、つきあうなんてとても無理。本当にすごい不安が襲ってくる。……ちょっとずれるけど、高校入試に失敗して落ちていた時……例えばの話だけど、……まだ募集をしている学校に願書をもらいに行かなければならなかった時……も、気違い兄貴は。まるで気にしないでヘビメタを普段通りに、すべての可能な時間、ずっと鳴らしてたんだぞ。こっちが、どれだけ、「まだ入学試験が残っているからやめろ」と言っても。むす~~っとして、無視して、鳴らし続けた。あの時、殺さなければ、やめてくれなかっただろ。一分だって。そういう態度だ。絶対に、自分が鳴らさないで静かにするのは、たとえ、一日に一分だろうが絶対に嫌だったのである。やりたくなかったのである。やってやるのは、くやしくしてくやしくてくやしくて、1分間ですら、続けて我慢することができないのである。俺には、何時間も、我慢させているくせに。半分の時間、鳴らさないで我慢するなんて、できるわけがないだろ。「静かにした」と言っているらしいけど、じゃ、一日に何分、「鳴らさないで」あるいは「ヘッドホンをして」静かにしたんだよ? ゼロ分じゃないか。入学試験シーズンですら、「鳴らさないで」あるいは「ヘッドホンをして」静かにしてくれなかったじゃない。入学試験シーズンですら、一日に、ゼロ分しか静かにしてくれなかったじゃない。

気違い兄貴のやり方というのは、そういうやり方なんだよ。あれだけ、こだわってこだわって、一日に一〇分の一だって、一〇〇分の一だって、本当に静かにするのは、絶対に嫌だったので、静かにしなかったくせに、なにを言っているんだ。今、午後六時五一分だけど、午後六時五一分に、俺が「宿題をやるから静かにしてくれ」「試験があるから静かにしてくれ」と言って、午後六時五一分から、午後七時〇一分までの一〇分間、「鳴らさないで」あるいは「ヘッドホンをして」静かにしてくれたことがあるか? 一日でもあるか? 一日もない。どれだけ毎日毎日、怒鳴りこんでも、一〇分ですら、一分ですら、「鳴らさないで」あるいは「ヘッドホンをして」静かにしてくれなかったというのが、気違い兄貴の真の姿だ。そういうのは、やっていれば、絶対にわかるはずなのに、まるで、「そんなことはしてない」みたいな態度だよな。そういうところにズレがあるんだよ。親父並みのな!! あるいは、ヘビメタに関して、親父なんか足元にも及ばない、ズレがある。兄貴は気がついてないかもしれないけど、兄貴は親父より、ずっと頑固だよ。あの親父よりずっと話が通じない。自分と親父の関係を考えた時、親父に対して言いたいことがたくさんあるのだろうと思うけど、その一〇〇〇〇〇〇〇〇〇倍、俺は、おまえ、気違いに兄貴に言いたいとがあるよ。本当に、気違い兄貴の、しつこいヘビメタ騒音で、人生がない。どうしてくれるんだよ。

気違い兄貴の、気違い的な頑固な態度なんて本当に他の人に説明しても信じてくれない。そのくらい、おかしいからな。気違い兄貴は、自分は正常で、親父が気違いだと思っている。けど、気違い兄貴、おまえのヘビメタに対する態度は異常だ。おまえの俺に対する態度は異常だ。頭がおかしい。

あれだけ頑固に頑固に、しつこつしつこく、あれだけうるさい音で鳴らし続けて、「つもりがない」とか「静かにしてやった」とか、頭がおかしい!!! おまえ、気違い兄貴は、それでいいんだよ。鳴らせたからな。自分の意地を押し通して、鳴らせたからな。毎日毎日、本当には一分だって譲らないで、思った通りに、しつこくしつこく、鳴らせたからな。それで気がすんでいるのだろう。過去のことなのだろう。俺にとっては、現在のことだけどな。あれから、おまえが気違いヘビメタを鳴らした時から、俺がどういう目にあってきたと思っているんだ。

わからないよな。そりゃ、わかったら、……わかるような神経があったら、鳴らせないからな。キチガイ野郎!!

ヘビメタに対する異常なこだわりに関しては、自覚があるのかよ。ヘビメタを全部鳴らしてもいいという前提で全部鳴らしきって。こっちがどれだけ言っても、静かにしなかっただろ。本当に頭がおかしい。あれだけでかい音で鳴らして、ゆずってやったとか、頭がおかしい。じゃ、一日に何分、鳴らさないで静かにしてくれたんだよ。試験期間中は、一日に何時間、ヘビメタを鳴らすのを、我慢したんだよ? 鳴らさないで我慢したんだよ? 〇分だろ。〇秒だろ。鳴らせるのに、鳴らさないで我慢してやるなんてことは、試験期間中だって、一分もなかった。これが、気違い兄貴のやり方だ。普段のやり方だ。一四年間、全部毎日、普段通りに、こっちがどれだけなにを言っても、鳴らしてた。これが事実だ。この世で起こったことだ。親父並みじゃないからな。気違い兄貴のヘビメタに対する執着、固着は親父並みじゃない。親父よりひどい。あまりにもヘビメタに対する執着が強すぎて、自分のじゃまになること、認めないのである。その執着に反することは、どれだけ明確なことでも、一切合切認めないのである。もし、認めてしまったら、自分が思った通りにできなくなるようなことは、どれだけ明確なことでも、絶対に認めない。認めない以上は、ないのと同じで、どれだけ言われても、気にしないで、思い通りにやることができるのである。一〇〇%思い通りに鳴らさなければならないわけで、それが九九・九九九九%になるのは、どんなことがあっても嫌なのである。そういうこだわりだ。こだわり方だ。執着ぶりだ。それが九九・九九九九%になるのは、どんなことがあっても嫌だから、どんなことを言われても、静かにしなかった。これが、事実だ。ゆずってやった??? おまえなに言っているの???




2015年12月18日金曜日

けっきょく、さみしい道を行くしかないのか?

死ぬかぁ。死ぬかぁ。

いま、ちょっと浮かびあがった。けど、奥底に、不安が、びっしり付いている。不安。これ、薬を飲んだとして、薬がきいている時だけ、不安を押しのけることができたとして、それで……どうなる? しかも、だんだん効かなくなるから、量を増やしていかなければならなくなる。増やして、治ったところで、徐々に減薬して、やめられればいいよ。しかし、それは、難しい。どうしてなら、もう、スクリは必要がないと思えるところに到着できるかどうかがまず問題だからだ。薬でごまかせる部分ではないところに、問題がある場合は、そのもとの問題が片付かなければ、不安要素というのは、消えない。残り続ける。それが問題だから。元のやつが解決しないと、そこから生み出される不安というのは、なくならない。

俺の場合は、五〇〇〇万ぐらいあれば、一応は落ち着くんだよな。それで、なんか女の人とも付き合えるようになる。というか、探すことができる。俺はなんとなくだけど、金も仕事もない状態で、女の人にアクセスするのは、失礼なような感じがする。

というか、それを隠して付き合って、後でばらすというのは、まあ、……。それはちょっと心苦しい。常に、付き合っている時、「最初に嘘をついた」「嘘の設定で付き合っている」ということが気になると思うんだよな。そういうところで、変に真面目だから、いろいろなところでおかしくなる。けど、金も仕事もない状態だということを最初にバラしても、何人かは、付き合えるような感じだった。けど、引いてしまう。なんというか、これまた、自分にとって一番の人、などという考えに取り憑かれて、……妥協するというか……。

つまり、本当に好きな人と付き合いたいのだけど、「いいな。かわいいな」と思える人でも、本当に好きな人ではない場合、付き合ってもいいのだろうかと考えてしまう。これも、不誠実な感じがする。こういうところで、変に真面目なので、いろいろと変なことになる。その時、「一番好きな人」じゃないとダメな感じがする。で、向こうは結婚するつもりで付き合っている場合、やっぱり、なんか、気が滅入る。気楽さがない。そんなことを言っているあいだに、結婚適齢期?をはるかに過ぎて、中年になってしまいましたとさ。

五〇〇〇万あったとして、……ないんだけど、あったとして、それでも、ヘビメタ騒音の苦痛が和らぐかというと、和らがない。けど、五〇〇〇万あれば、二人乗りで、生活できそうな感じもする。二人で仲良く、暮らせる感じがする。まあ、できれば一億あったほうがいいけどさ。

五〇〇〇万ですら、現実的じゃない。三〇〇〇万ですら、現実的じゃない。二〇〇〇万は、まあ現実的かもしれないけど、年に一〇〇万使ったとして、二〇年しか持たない。年に一〇〇万ってどれだけの節約貧乏生活か。居住費、税金、税金ではないけど税金のように払わなければならないものを入れて考えた場合、一〇〇万円はきついぞ。一人乗りで一〇〇万。二人乗りだったら一〇〇万は無理だろう。嫁さんの国民年金まで払うとしたら、そりゃ、無理も無理。おお無理。二〇〇〇万という金は、でかいけど、二〇〇万ずつ使っていたら、一〇年間で、パーだよ。一一年目はどうするの? 一二年目は? 稼ぎがあって、それで二〇〇〇万の貯金があるならいい。けど、稼ぎがなくて貯金だけで暮らすとしたら? 不安で不安でしたがないだろ。とてもじゃないけど、嫁さん募集なんてできない。

けっきょく、さみしい道を行くしかないのか?

ちょっとずつ用意していかないとダメだ。

けど、なんか不安だ。

あとは、うつ病系の薬だけど、アルコールと同じように肝臓に負担をかける。肝臓に負担をかけないような薬だってあると思うかもしれないけど、ビールとワインぐらいの差しかない。やはり、何十年も飲み続けるのは問題だ。けど、これが、さっき言ったように、根本のところが薬で治らないと、ぐだぐだぐだぐだ、続くことになる。根本の部分が、新しい不安を常に生み出すからだ。根本の部分が、新しい憂鬱を常に生み出すからだ。俺の場合、根本の部分というのは、ヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音がどうにかならないと、薬を飲んでも、新しいうつや不安が生み出されてしまう。すでに、人生の中間地点を回った。いままで解決がつかないのだから、つかないのだろう。

けど、薬も試してみる価値はあるかもしれない。その時、しのげればいいという考え方だけどな。クリスで本当に治る人というのは、根本の部分が、薬で治るようにできている人の場合なのではないかと思う。まあ、酒に溺れるよりは、薬でしのいだほうがいいのかもしれない。けど、それって、比較対象が「酒」だから。酒は本当に、肝臓に負担がかかる。あんなものをずっと飲み続けていたら、そりゃ、肝臓が五〇代ぐらいで、だいぶだめになってしまうだろう。あとは血管が破れやすくなるので、あんまり書きたくないけど……。やめよう。


あ~、早くヘビメタ騒音から解放されて、気楽になりたい。けど、これ、無理なんだよな。本当に、一一歳から二五歳までやられたことって、ぬけない。まあ、まるまるそう時代を抜かせば、一一歳から二一歳までの一〇年間なんだけど。その一〇年間にやられたことがぬけない。毎日やられたことだから、ぬけない。いま、なんか、急に胸が痛くなった。胸が苦しい。これ、たぶん、なんとかなるけど、……一時的なものだろうけど……ひとりで暮らしていると、そういうのも、ものすごくこたえる。腹が痛くなっても、ひとりで暮らしていると、こたえる。話せる人がいない。俺は、本当にヘビメタ騒音でひとりだったな。これ、全過程を説明するのは面倒くさいのだけど、必然的にそうなる。騒音と、孤独と、そんなに高い関連性がないように思うかもしれないけど、ヘビメタ騒音と同じような騒音が成長期に、ずっと続いた場合、そうなる可能性が高い。騒音と言ってもいろいろあるからね。本当、成長期の、毎日の騒音が、きついわ。きつい。成長期が過ぎたあとも、ずっと祟り続ける。死にたい。本当に、ヘビメタ騒音のせいで、成長ホルモンが足りなくて、身長が低いんだよ。あれは、夜二時とか三時とか、寝ているあいだに、ぐーーっと出てくるものだから。その時間、俺は、その日のヘビメタ騒音にやられて、疲れているのに、頭の一部が激しく興奮していて、眠れないという状態だった。成長期における毎日のヘビメタ騒音は、身長も奪う。「男」は、身長が高いほうが、断然もてる。女の人だとそうとは言えないのだけど。



2015年12月16日水曜日

「相手は自分を助けるためにそこにいる」と考えると気が楽になる……気にする人に対するアドバイス

たとえば、図書館に行くとき、図書館のスタッフは僕を助けるために待機していてくれると思うと気が楽だ。助けると言っても、この場合は、借りたい本を出してくれるということなのだけど、それでも、助けてくれることには変わりがない。僕のために、本を用意して待ってくれてると思えば、そんなに、緊張することはない。医者も同じ、医療事務員も同じ。みんな僕を助けてくれるために待機していると思えばいい。例外はある。例外は、自分に害悪をなす人で、この、自分に害悪をなす人は、避けなければならない。

けど、普通の人に関しては、自分を助けるために待機していてくれると思ったほうが何かと気が楽だ。たとえば、自分の服装に自信がない場合、こういう格好で行ったら、変なふうに思われるかなと思うような場合、あるいは、中年なのに「扶養」になっていて格好が悪い場合など、いろいろと気をもむ。

けど、自分を助けるために待機していてくれると思えは気が楽だ。実際のところ、若い医療事務員が、保険証の情報を調べて「この人は、まるまる歳なのに、扶養なのか」と思うかどうかはわからない。で、「扶養である場合、こころの中で下に見るかどうか」はわからない。で、わからないのだから、気にしてもしかたがない。そういうふうに、言葉に出ない、相手の判断に関しては、言葉に出ない以上は気にしない。

コンビニのスタッフも、俺を助けるためにわざわざ商品を用意して、待機していてくれるのだと思うと、気が楽だ。いろいろと変なことを考えないですむ。で、変なことを考えないほうが、明らかに、良好な関係を築ける。まあ、ただ買うだけだけど。知らないところに行って、通りがかりの人に道を聞く場合も、その人は、俺を助けるために、いま、この通りにいると思えば、気が楽だ。もちろん、この場合は、そうじゃないのだけど、そういうふうに思っていたほうが、気が楽だ。交番で道を聞くときも、わさわざ、僕を助けるために、おまわりさんが待機してくれていると思ったほうが、気楽に聞けるだろう。

例外というのは、悪意がある人達で、できるだけ避けなければならない。たとえば、勧誘とか。自分にとって不要な勧誘をしてくる人は、なんとしても避けなければならない。そういう人は、自分を助けるためにいるのではなくて、自分に害悪を与えるためにそこにいる人だと認識していい。避けるべし。無視するべし。

人にものを頼みにくい人というのがいる。なるべく、人の手を煩わせないほうが良いのではないかと、いろいろと気を使う人がいる。僕のように。けど、その人は、スタッフにしてみれば、挙動不審に見える場合がある。自分に聞けばいいのに、さっきから、うろちょろしている……こう思う場合だってあるかもしれない。

いろいろと気にして話しかけられないとか、あるいは、自分の容姿を必要以上に気にしてしまう場合は、とりあえず、「スタッフは自分を助けるために待機していてくれる」と思って接したほうがなにかと、得点がいいんじゃないかなと思う。で、こころで思っていることは、気にしないようにする。どう思っているのかは知らない。スタッフの人だって、人間だから、その日のいろいろな感情や、その人のいろいろな常識・価値観を通して、他の人を判断するわけで、そういうものがまったくないとは思わない。人として感情があるわけだから。そして、感情の元になる判断基準(その人の持っている常識)があるのだから。

けど、言葉に出さなかった場合は、気にしない。その人が、その人の家族と揉めて、機嫌が悪いのかも知れない。だから、目つきや全体の雰囲気は気にしない。「こう思われたのではないか」と言うようなことは、気にしない。気にしないと言っても、気にする人は、おおいに気にするから、考え方としては、「相手は自分を助けるためにそこにいる」と考えておいたほうがいい。

あくまで、気にする人に対するアドバイスね。

2015年12月15日火曜日

やっぱり、外に出るのが憂鬱だ

作業をするにはだるい。だるすぎる。心配である。しかし、しかし、寝ていても、くるしい。死にたい。本当に話す人がいないな。相手がいない。こういう時に話せる人がいない。いや、こういう時だではなくて、話せる人がいない。不安だ。助けて。不安だ。

これ、どうしたらいいんだ。やっぱり、外に出るのが憂鬱だ。ヘビメタ騒音のことを思い出してしまう。家にいても、ヘビメタ騒音のことばかりだが、外に出るとなると、また、これ、極端な例が思い出せれるんだよな。入学試験とか。ヘビメタで、高校に落ちている時に、まだ願書の募集をしている高校に行った時のこととか……。

死にたい。あれから、ずいぶんがんばったけど、けっきょく、落ちていくしかなかったな。ヘビメタ騒音がでかすぎる。俺にとってはヘビメタ騒音問題が、でかくてでかくして、いつもいつも、死ぬか生きるかの問題なのに、きちがい兄貴にとっては、まるでやってないのと同じぐらいの気持ちしかない。まるで、一日中、鳴らしてないのと同じ気持でいる。

本当に、全部の時間鳴らすけど、まるで鳴らしてないのと同じ気分なんだよな。鳴らせるから、そのくらいの気分しかない。全部鳴らせるから、そのくらいの気分しかない。本当に、全部の時間、自分が思った通りに鳴らせれば、まったく関心がない状態なのである。空気に満たされているのと同じで、空気に関心がない。

けど、なければ、一分でも続かなければ、そりゃ、大騒ぎだ。空気を吸えないなんて、そんなことはありえないのと同じ。一分でも、全面的に我慢させられたとなったら、大騒ぎだ。けど、一分もゆずらずに、やることができるときは、……毎日そうしているのだけど……まるで関心がない。まるで、一切合切鳴らしてないのと同じ気持ちだ。

だから、一切合切鳴らしてないのだから、「鳴らすな」など言われても、気にもとめない。そういう態度だ。そういう態度で、空気のごとく、鳴らし続ける。当たり前。あって、当たり前。全部やれて当たり前。で、全部やれるから関心がない。鳴らすななんて言われたって、鳴らしてないのと同じ気分だから、気にもとめない。関心がない。好きな時間鳴らすことができれば、ぜんぜん関係がないと思っている。鳴らしているのに!!! 

どれだけ言われたって、鳴らせるなら、一切合切関心がない。空気を吸うように、全部の時間、ものすごい音で鳴らし続ける。つもりなく。気にしないで。意識しないで。関係性を認めないで鳴らしきる。関係あるのに。鳴らしているから関係があるのに、ぜんぜん関係がない人のつもりで鳴らす。鳴らしきる。全部の時間自分が思った通りのでかい音で、鳴らしきる。それで、当たり前。けど、関心がない。関係を認めない。まったく認めない。きちがい兄貴が鳴らしている音なのに、その音に文句を言われても一切合切、自分が関与していると思わない。「そんなのは知らない」ままなのだろう。「つもりがないまま」だ。

外に出たり待合室で座っていたり、そういう時間、俺がどういう気持でいると思うんだ。これ、押さえつけられている。きちがい兄貴の、鳴らすけど、一切合切関心がないという態度に、押さえつけられている。それが僕の生活上にさまざまな!問題を引き起こすのに、一切合切関係がない人として、全部の時間、爆音で鳴らしきる。

昨日のヘビメタ騒音の影響で、試験中眠たい……そういうことを、どうすることもできない。暑くても寒くても、ちょうどいい温度でも、苦しい。気持ち悪い。死にたい。昨日のヘビメタ騒音だけでなくて、一〇〇日前、一〇〇〇日前、三〇〇日前、四〇〇〇日前のヘビメタ騒音の堆積がある。ずっと、毎日積み重なっている。だから、膨大な量になる。常に、そういう膨大な量のヘビメタ騒音を背負って、事に当たらなければならない。外に出なければならない。座ってなければならない。死にたい。どうして僕だけ……。どうして、僕だけ。




ヘビメタで死にたい

ダイヤ、たすけて……ヘビメタ騒音で死にたい。お母さん、たすけて、ヘビメタ騒音で……ヘビメタ騒音で、人生がない。死にたい。ヘビメタで死にたい。全部ダメだった。どうしても苦しい。どうしても、できない。どうしても苦しい。苦しい。死にたい。ヘビメタで死にたい。


2015年12月14日月曜日

生活体力を破壊されたのが一番いたい

さっきまで、やばかったけど、なんとか脱した。けど、なんというか……いま、たとえば、部屋のゴミを拾って、ゴミ袋に入れるという作業をしたのだけど、その作業をしているあいだ、感じることは、ここに書いてあることなのである。ここに書いてあるここと同じようなことが頭の中を回転している。エンドレス。で、いま夜の一〇時なんだけど、……この夜の雰囲気も、きちがいヘビメタがエンドレスで鳴っていたときの雰囲気なんだよな。

ぜんぜん変わらない。ずっときちがいヘビメタ騒音で困っている。自転車を漕いでいるときも、きちがいヘビメタをやられて、困って、追い出されるように、騒音から逃げて、ペダルを漕いでいるとき同じ気分になる。そして、破滅破綻。これ、本当に、苦しいんだわ。終わりがないんだよ。人がどう思うか気にせずに書くと、……いや、ようは、こっちの苦しい状態と、きちがい兄貴の気持ちなんだよね。どれだけの乖離があるか。きちがい兄貴は、いまになれば、外向きには、「言われれば静かにしてやった」というような雰囲気を醸し出しているけど……そう、誤解できるようなことを言っているけど、本当は、どれだけなにを言われようが、自分が一分だって静かにするのは嫌だから、静かにしてやらなかっただけなんだよ。

これだけ。本当にこれだけ。自分が一分だって静かにするのは、嫌だということがまず、あって、そこから、いろいろないいわけが派生している。だから、まず、静かにしないということを守って、それで、無視して、「つもりがない」といういいわけをしているという状態だ。本当には、自分がやらなければならないこと、自分が認めなければならないことがわかっている。

それは、最初に言われたときから認識している。だからこそ、ああいう態度になる。鳴らざるを得ない。頑固に、認めないでやりきる。……もし、認めてしまったら、静かにせざるを得ないことは、絶対に、どれだけわかりやすいことでも、認めない。わからないようにする。自分に催眠術をかけて、そこだけは、ぽっこり穴があいて認識できないようにする。

あとは、自動機械のように、頑固にやりきる。で、やったってやってない」状態ができあがる。どれだけ頑固に全部やりきったとしても、ゆずってやったと思うことができる状態ができがある。それだけ。それだけなんだけど、毎日やる。毎日毎時間、毎分、毎秒、やる。全部、細部まで自分が思ったとおりに……要するに、びた一文ゆずらないでやりきる。

けど、本人は、「やりきったつもり」がない。やりきるんだけど、やりきったつもりだけは、一切合切生じないという、きちがい兄貴とってだけ、都合がいい状態がしょうじる。あとは、本当に、それの繰り返しなんだよ。どれだけむきになった思っているんだよ。「言われれば静かにしてやった」というような雰囲気を醸し出そうとするな。誤解を生むようなことを言うな。ふざけるな。

で、ともかく、なんていうのかな、体温差というか、認識差がある。俺にとっては、きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、たとえ一〇分間の連続でも、一日の気持ちを悪い方に吹き飛ばす効果があるのだけど、きちがい兄貴は、気楽なんだよ。一切合切ゆずらずに、全部が全部、自分が思ったとおりの音で、思った通りの時間鳴らせるなら、まったく、鳴らしてないのと同じ気分なのである。だから、気楽だ。けど、これが……。気楽なら、やめてくれるかというと、一分だって絶対にやめない状態なんだよ。常にそうだから、常にやりきる。で、これが、つらくてつらくてたまらない。他の人にはわからないだろうけど、つらくてつらくてしかたがない。いまもつらいよ。

人間の大切なところを取られた。人間生活にとって大切な部分を根こそぎ、取られた感じがする。で、それは、僕の努力のたまものなんだよ。これが、言いがたい。文句を言わないで……親友以外の友達には愚痴をこぼさずに、がんばってがんばって、得たものが、この状態なんだよ。ヘビメタ騒音で全部が全部ダメになったこの状態なんだよ。端から、むりなんだよ。むり。むりなんだよ。張りぼて。普通に座っているだけで張りぼて。きちがいヘビメタでいまにも倒れそうな状態で座っている。座ってがんばっている。

けど、教師には自分の話をちゃんと聞いてないように見えたりする。ぼけーーっとしているように見えたりする。きちがい兄貴のことが頭の中でいっぱいになって、昨日の、ヘビメタで崩壊的に疲れていて、なんて言うのかな……ぼーーっとしてしまうときがある。気を抜くとそうなる。気を抜かなくても、断続的にそうなる。これ、本当に言いようがないのだけど、本当に、「すべて」なんだよな。生活のすべて。どうやっても、普通に暮らせなかった。「そんな人無視すればいい」というような助言をくれる人もいるけど、むりなんだよ。鳴らされている以上、むりだった。そんな人というのは、兄貴のことな。


もう前にも書いたけど、生活体力、と言うべきものがある。これは、持続力みたいなものだ。睡眠相、疲れやすさを含んだ長期的な体力のことだ。普通体力といった場合、握力とか背筋力といったものが想像される。反復横跳びも、作業検査も、わりと、短時間で計ることができるものだ。たいてい一日あれば計れるもので、何百日もかけて計るものではない。

けど、実際に働くとなると、朝起きること、通勤することが必要になる。それを、一日だけではなくて、一〇〇日続けた場合からだがどうなるかということがものすごく重要だと思う。とりあえず、普通に測れる方の体力を作業体力と言うことにしたい。別に他の言い方でもいいんだけど、とりあえず、ここでは、簡単に測れる体力を作業体力と言っておこう。

一方、何十日、何百日の経過を見ないとわからないものを、生活体力と言っておこう。作業体力が平均並みにあっても、生活体力がないとどうにもならない。作業体力より、生活体力の方が上なのである。あるいは、別の言い方をすれば、生活体力が基盤になって、その上に、作業体力が成り立っている。

けど、作業体力の方が、計りやすいので、作業体力を計ることになる。動作テストも、そうだ。単位時間あたりに、ある動作を何回繰り返すことができるかというような検査は、労働者の適正を計る検査として適切ではあるのだけど、そこで計っているのは、あくまでも、計りやすい作業体力の方だ。計りにくい生活体力の方は、あって当然のものとして見なされる。

また、とても計りにくいので計測されない。けど、計測されないけど、履歴はわかる。過去の記録が残っている。学校の休みが多いか、あるいは、遅刻は何回あるかというのが、なんていうのかな、おおざっぱな目安とされる。で、普通はそれで問題がないのだけど、僕の場合は、そこのところで、かなり根の深い問題を抱えている。

きちがいヘビメタで一番困ったのはそこだ。きちがいヘビメタ騒音の連続で、失った能力のうち、一番でかいものがそれだ。これは、あんまり重視されないのだけど……問題になることが少ないから、あるいは、計りにくいので無視されがちなのだけど……これが壊されたら、サラリーマンも公務員もできない。普通に働くということができなくなる。

けど、普通の人は、毎日一〇年間にわたって、ずっときちがい的な騒音を聞かされるということがないので、なんていうのかな……それは、ちょっとがんばればできることだと認識されている。普通の人だって、自分が嫌いな音を、……この世で一番嫌いな音を、爆音で、毎日聞かされたら……生活体力がなくなるのに……そういうことがないから、ちょっとがんばればできるものだと思ってしまうのだ。

ようするに、俺のような人は、あるいは俺が言うようなことを言っている人は、根性がない甘えた人間だと認識するわけだ。そういう人が多い。けど、その人たちは、一日に七時間から一四時間、週に五五時間から九八時間、自分が一番嫌いな音に、大変でかい音量でさらされたわけではないのだ。そういう生活を一〇年間続けたわけではないのだ。

だから、そういう生活を体験せずに、経験せずに、そういうことを言っているということになる。「がんばればできる」「ちょっと根性を出せばできる」「損なのができないというのは甘えている」と。けど、じゃ、一〇年間、あるいは、一〇年以上毎日、経験してみろといいたい。そのあとの自分の体力状態がどうなるか、経験してみろと、いいたくなる。

けど、これも、多勢に無勢で、いったところで経験するわけではないので、その人の持っている基準で、ものを言うということになる。その人の持っている基準だと、要するに、「通勤ができないなどというのは甘えている」「みんな、嫌だけどやっている」「根性を出して、がんばればできる」というような基準を持っているので、生活体力がないとかそういうのは、甘えているようにしか見えないのだ。

けど、本当に、俺の同じ分だけ、俺と同じ期間、ずっと、自分が一番嫌いな音にさらされ続けてみろと言いたくなる。さっきから、繰り返しだけどな。まあ、他の人はどうでもいいや。けど、面接官や、採用する側の人が、やっぱり、「そんなに生活体力と言うべきものがないのなら、うちでは無理だ」ということになるだろ。で、それは、正しい。だから、本当はできないのだけど、「できます」と言うしかないという状態を突きつけられる。

生活体力、作業体力、学力、この三つを失った。生活体力は、作業体力と学力の基盤になるものだ。こっちの方が重要だ。当たり前すぎて、問題にならないのだけど、本当は、こっちの方が、でかい。問題として大きい。作業体力がなくても学力があれば、高度な仕事には就ける。学力がなくても、作業体力があれば、繰り返し作業をするような仕事には就ける。けど、生活体力がなければ、そのどちらにも就けない。




2015年12月12日土曜日

ちきりん「自分メディア」はこう作る!感想。高野悦子の「二十歳の原点」

これは、なかなか、複雑な感想を持った。言いがたい。

・日記をつけるきっかけが高野悦子の「二十歳の原点」

ちきりんが小学五年生から日記をつけるきっかけになったのが、高野悦子の「二十歳の原点」だということ。高野悦子の「二十歳の原点」・・そうとう昔に読んだ。あれを小学五年生で読んでいたのか。案外早熟だったんだね。へー。

高野悦子の「二十歳の原点」、漫画家の山田花子「自殺直前日記」、杉本治「マー先のバカ」、作者名と本のタイトルを忘れたけど、一七歳で睡眠薬を飲んで自殺したひとの日記……は、自殺関連本として、記憶にある。この一七歳で睡眠薬を飲んで自殺したひとの日記は、働きたくないから自殺、社会にでるのが怖いから自殺系で、けっこう、読んで心を動かされた。まあ、時代が時代だから睡眠薬で自殺できる。いまはできないけどね。(いま、普通に手に入る睡眠薬だと自殺はできない)。タイトルは一七歳の日記だっけな。けど、一七歳の地図でばない。「一九歳の地図」は、小説だけど面白かった。浪人生が新聞配達のバイトをするのだけど、かならず、不愉快なことが起こるのである。で、不愉快なことが起こった家には、印をつけておくようにしてしたら、最後には、地図が全部印で埋まってしまったという話だ。これは、中上健次の小説で、実話じゃないけど面白かったよ。もっとも、小説で読んだんじゃなくて、映画で視た。と言っても、映画館で視たわけではなくて、たまたま、夜中にテレビでやっていたのを視ただけだ。

高野悦子の「二十歳の原点」と山田花子の「自殺直前日記」をくらべると、まあ、高野悦子のほうが観念的、山田花子のほうがリアルだな。山田花子の漫画のほうを読めばわかるけど、いじめがリアルだ。学校生活をどういうふうに感じていたのかが、わりとリアルに書いてある。
一七歳で睡眠薬を飲んで自殺したひとの日記は、タイトルを忘れてしまったけど、買っておけばよかったか。本屋で立ち読みしただけなんだよな。山田花子「自殺直前日記」は、神経症的な理由で買えない。杉本治「マー先のバカ」は買った。この、杉本治という人は、小学生の時に、飛び降り自殺してしまったひとなんだけど、……これまた、心情はよく理解できる。

・はてなブックマークの波に乗った

はてなブックマークとツイッターの波に乗って、「ちきりんブログ」が成功したということが書いてある。で、これは、波に乗ったからで、いまから、はてなブックマークとツイッターを利用しても、同様の効果は得られないだろうなということ。まあ、タイミングというのがあるんだよね。ヒカキンのYoutubeもそうだけど。あとから、真似して利用しても、その時は、もう、ダメだよということだ。なんかのメディアの波があって、その波に乗れた人が有名になって、「こうすればうまくいく」みたいなことを書く場合があるけど、それは、波に乗った人だから書けることで、なんて言うのかな、その人がそういうことを書いた時点で、たいていは波が去っている。だから、同じことをやっても、受けるわけじゃない。だいたい、同じことをやろうとする人が、いっぱいいるから、売れる前に、沈没する。波に乗れるかどうかは、運みたいなところもある。もちろん、全部が運ではなくて、それなりに、おもしろいものを作っていると思う。ただ、これは、一般受けするということであって、よく考えられた哲学的な思考であるということは、意味してない。

・はてなブックマークをやめた理由

まあ、有力なサイトになると、いろいろな人が来るわけで、その人たちが、自分のメディアを悪用?しようとするわけで、それに対処するために、やめることになったという話だと思う。悪用というような言葉は使ってないけど。「自分メディア」はこう作る!の感想としては、ここらへんをもうちょっとクローズアップして書くべきなんだろうなと思う。はてなブックマークにしろ、掲示板にしろ、コメント欄にしろ、同じような問題が発生してしまうのである。しかも、トラックバックのように、相手のウエブページに自分側のリンクができてしまうようなしくみは、悪用されやすい。この、はてなブックマークというのもそういう感じのものなんだな。そういえば、言い方は違うけど、いろいろなブログサービスで似たような仕組みがあるよね。ああいうものはこばんできたんだけど、なんか波にのる過程で必要らしく、波に乗ったあと、閉じるというのが、良い使い方みたいだよ。

・相手に会って、言えないことは書かないというスタンス

基本的に、僕はちきりんさんが書いたものに興味がない。この「自分メディア」だけは、関心があるので、ちきりんさんの文章を読むことになった。社会批判、評論の部分は興味がない。なので、ちきりんさんのブログを一度も見たことがない。で、まあ、ちきりんさんのブログには興味がありませんということを、ちきりんさんに会って言えるかというと、まあ、言えるけど、言わないほうが良いよなという感じがする。まあ、会うことがないので、書いておくけど。
もともと、好意を持っている女優さんの演技について、批判するつもりは最初からないけどな。まあ、けど、会って言えないことは書かないというスタンスは偉いと思うよ。僕は、もう一つの方を選ぶけど。社会的な事柄に関しては、朝まで徹底討論みたいなほうがいいから。芸能人の演技とか態度に関しても、社会的な事柄ではあるかもしれないけど、そういうのじゃないから。たとえば、教育制度はどうあるべきかというような感じの話が好きなので、当然、意見が違う人に会っても同じことがいえます。

・顔出しせずにペンネームだけで有名になるということ

僕には、有名になりたいという気持ちと、有名になりたくないという気持ちがあって、有名になりたくないという気持ちのほうが強いみたいなのである。そこら辺を再認識した。

2015年12月11日金曜日

牛丼とビールが、貧乏くさいとは思わない

貧-bpさんのところに、わりと長いコメントを入れたので、こっちにも乗っけておきます。


貧困にリアリティを感じると、目を背けたくなるのかもしれない

↑この文章に関する、コメントです。

---ここから、僕が書いたコメント

たしかに、貧乏と貧乏くさいは違う。

けど、牛丼とビールが、貧乏くさいとは思わない。まあ、その人は、実際にホームレスになればそんなことは言ってられなくなると思う。覚悟なんてものは、その時ちょっと思っているだけのことだ。

漫画カイジでは、柿ピー、ビール、焼き鳥が、ごちそうとして描かれているのだ。牛丼、ビールが貧乏くさいなら、柿ピー、ビール、焼き鳥も、貧乏くさいんだろうな。その人にとっては。

全体的に言いたいことはわかるけど、賛成できないな。貧乏が嫌なのであれば、あるいは、貧乏くさい生活が嫌なら、バリバリ働けばいいということになる。
まあ、バリバリ働いても、牛丼ビールですら、あまり飲み食いできないという場合もあるけどな。

サラリーマンの、昼飯の内容を考えた場合、五割以上が、五〇〇円以下ランチだと、思う。飲み物を含む。
景気が良い時だって、たしか平均は、八〇〇円ぐらいだったぞ。

牛丼ビールの組み合わせは、貧乏というよりも、むしろ平均なのでは。貧乏くさいというよりも、普通でしょ。

多分だけど、元のつぶやきをしている人の感覚だと、安ドミトリー住人の食事もそうとうに貧乏くさい食事に見えると思う。価格差はあるけどさ。(ドミトリーは料理禁止で、外食しているという場合も、外食先の食事が牛丼に比べでものすごく高価だとは思えない)。高価と書いたけど、それは、貧乏くさくないということね。もっとも、その人の感覚だから、私は知らない。

ま、あ、総合していうと、牛丼、ビールがそれほど貧乏くさいとは思わないということだ。まあ、ちゃんとしたところで一万円ぐらい払って飲めということか?

まあ、放射能に汚染されてない野菜をいっぱい食べたほうが、贅沢と言えば贅沢だ。
吉野家はわざわざ、福島周辺に農地を買って、米を栽培しているからな。(話がずれるが)

まあ、生活の質ということに関して言えば、なにが贅沢だと感じるかかな。大切なのは。

牛丼ビールは、普段の話じゃなくて、飲むなら!どっかもっと高いところに行って飲めという話なのだろうか。山田うどんで、パンチ(もつ煮込みかな)と酒を飲んで、節約するとかそういう話でしょ。それは、普通の人がやっていることだからね。特に貧乏じゃない人たちが節約のためにやっていることでしょ。で、それが、貧乏くさいから嫌だというのは、まあ、その人の感覚としては、認めるけど、肯定しがたい。
それは、貧乏じゃなくて、節約の話だ。貧乏じゃなくて、節約が嫌いなのでは。もしくは、節約話の雰囲気が嫌いなだけなのでは。

私は、なんにしろ飲まないから、貧乏飲みも、普通飲みも、ぜんぜん興味がない。

---ここで僕が書いたコメント終了




2015年12月10日木曜日

あせって用意をしている時、すべてを投げ出して、死にたくなる

死のうかな。どうしても鬱だ。これ、どうにもならない。まあ、死ぬのはいつでもできるから、いまはよそう。けど、疲れたな。というか、今日は、……いまは、疲れたというか、からだの不愉快感がマックスだ。あとは、なんて言うのかな……つらい記憶がよみがえってくる。ともかく、つらい。これ、同じなんだよな。けっきょく、きちがいヘビメタ騒音でつらい……けっきょく、きちがいヘビメタ騒音で苦しい……けっきょく、きちがいヘビメタ騒音で不安だということなんだけど、……ずっとずっと、続いている。

ずっとずっと、この記憶というか……記憶というか、この世の存在の知覚、そのものなんだよな。きちがいヘビメタが一〇〇日積もった時から、この世のすべてが、きちがいヘビメタ騒音で、不安で、苦しくて、つらいものになっている。この世のすべてのものが……。存在がぁ~。知覚がぁ~~。

この世の知覚そのものが、ヘビメタ騒音で汚染されて、死ぬ一歩手前なんだよな。自殺の一歩手前。きちがい兄貴、「なにもしたつもりがない」んだろうけど、それは、きちがい兄貴がきちがいだからだ。普通だったら、一日でも、ものすごく自分のわがままを押し通して、人の言うことを聞かなかったという気持ちが残っていいんだよ。一日でも。

本当に、きちがい兄貴は、「やったってやってない」のマジックを使いやがって、どれだけやっても、「やってない」のと同じつもりでいる。だから、反省なんてできない。じゃ、言えばやめてくれるのか、というと、絶対にやめない。ムキになって、鳴らして、やめない。やめるということは、ない。一分だろうが、ゆずらない。

入試だろうがなんだろうが、自分が一分、本当に静かにするのは、なんだろうが絶対にいやだから、やらない。そういうスタンスで、すべての可能な時間、鳴らし続ける。毎日毎日。冬だろうが夏だろうが、晴れていようが雨だろうが。雪だろうが雷だろうが、なんだろうが、全部、鳴らす。だから、鳴らしてたんだよ。これ、「つもりがない」とか。

いまも、そんな状態なんだからな。自分がやったことを、真摯に受け止めようとしない。全部、嘘で、やってないことになっている。つもりがないことになっている。そのせいで……そういうきちがい認知システムのせいで、俺がどれだけ……。朝、起きた時、感じることが、「ヘビメタと同じだ」ということだ。ヘビメタと同じというのは、ヘビメタ騒音時代と同じだということだ。

昨日、実は、午前七時五〇分に起きていたのだけど、……その前に起きていたんだけど……午前七時五〇分の、明るい日差しを見た時……眩しい日差しを見た時、死のうかと思った。同じ日差しなんだ。きちがいヘビメタ騒音にやられて、バス停まで、腹をすかせて、脇腹を抱えて、走っていた時と同じ日差しなんだ。あれから、三〇年たったけど、同じなんだよ。同じ。まったく同じ。この、気分が同じ。全部同じ。記憶というか、光そのものが、ヘビメタ騒音だ。きちがいヘビメタにやられた朝だ。

本当にねぇ、午前七時五〇分は、くるしかったな。あれだけ苦しい午前七時五〇分をむかえる中学生はいないな。本当、どれだけ。どれだけ苦しいと思っているんだよ……きちがい兄貴。苦しいなんてものじゃないよ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音で、苦しかった。他のことで苦しいわけじゃなくて、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音で苦しかった。

たとえ、午前七時五〇分にヘビメタが鳴ってない状態でも、前の日のヘビメタ騒音で、苦しかった。夜眠れなかったから苦しかった。で、それが本当に、毎日積み重なる。これ、積み重なるんだよな。一〇〇日積み重なったら、一〇〇日ぶん、三六五日積み重なったら、三六五日ぶん、重たくなる。で、三六六日目は、三六五日目のくるしさと、一日目から三六四日目の苦しかさが積み重なる。だから、ずっと苦しい。

で、これ、気のせいじゃないから。本当に身体が苦しい。で、光が同じなんだよな。今日は、曇だった。で、曇でも同じなんだよ。なぜか、曇だと、二〇歳の頃のくるしさで、ばりばりに晴れていると、中学一年生ぐらいのくるしさが浮かんでくる。浮かんでくるというか、そのものを感じてしまう。けっきょく、雨の日も、雪の日も、鳴ってたんだよ。で、なんていうのかな、その時の雰囲気が、もろに復活してしまう。朝、七時五〇分で、これ、どれだけ急いで着替えても、遅刻する時間なんだよ。

朝、七時四〇分に起きて、五分で、小便をして、着替えて、ご飯を食べないで、髪の毛もとかさないで、七時四五分に、家を出てた。で、七時四五分でも、遅刻だな。遅刻ギリギリ。四三分に出ないとダメなんだよな。きちがい兄貴は、その頃、俺より遅く、家を出てたんだよ。で、きちがい兄貴は、午後一一時一一分までガンガン、自分が好きなように鳴らしているから、こういうしんどさとはまるで、無縁なんだよな。これは、おかしいと思う。きちがいがやり切って、正常な人が、うつ病に追い込まれる。おかしいだろ。どれだけのことが積み重なったと思っているんだよ。ともかく、ヘビメタ騒音で苦しかった。死にたい。

これが続いたら死んでしまう……こういう日差しだ。猛烈に明るいんだけど、死ぬことしか思い浮かばない。なんて言うのかな、しんどい。からだがしんどい。何百日も積もったヘビメタ騒音で朝から、からだがしんどくてしんどくて、そのしんどいからだを、動かすというのが、猛烈に苦しい。死にたい。本当に、死にたい。もう、朝から死にたい。朝急いで、用意をしている時、……あせって用意をしている時、すべてを投げ出して、死にたくなる。もう、布団の中にいる時から、苦しい。死にたい。光が、死にたい。光がしんどい。光が暗い。暗いんだ。眩しいほど明るいんだけど、死にたいほど暗い。死にたい光だ。明るいけど、自殺しか思い浮かばない。で、あせって用意をする。死にたい。死にたい。もう、全部を投げ出して死にたい。死にたい。



きちがい兄貴が「へへーんっ」という感じで、まったく気にしないで頑固に鳴らして、俺が、弱って、俺が、人から悪く言われる状態というのが中学生の時から、……小学生の時から続いている。こんなのゆるせるか。どれだけなにを言われても、気にしない。気にしないというか、ムキになる。ムキになって頑固に鳴らしているわけで、鳴らしている。ほぼそのままの、どでかい音で鳴らしている。鳴らし続ける。どれだけなにを言われても鳴らし続ける。入試だろうがなんだろうが鳴らし続ける。

入試の時ですら、すべての時間、鳴らすわけだから、普段の日にどれだけ言っても、鳴らし切るに決まっているだろ。知っているよ。なにが、「そんなに鳴っているとは知らなかった」だよ。どれだけムキになって鳴らしたか、ぜんぜんわかってない。きちがい兄貴がやったことなのに。

で、きちがい兄貴が……言ってみれば……知らないまま、こだわりきって鳴らすと、俺がだらしないとか、言われることになる。俺が、できないやつだと思われる。俺がぐちぐちわけのわからないいいわけをする人間たと思われる。「わけがわからないいいわけ」というのは、「ヘビメタ騒音なんていうのは、お兄さんに相談すればそれで解決するはずの問題なんだから、言えばいいだろ」という意見に取り憑かれているから、「わけがわからないいいわけ」に聞こえるのである。

本当にどれだけの音で、鳴っているか、わかってない。どれだけの音で、どれだけの長さ鳴っているかわかってない。どれだけの意地で鳴らしているかわかってない。それから、「どれだけつもりがないか」わかってない。どれだけつもりがないかわかってないのは、きちがい兄貴だけどな。きちがい親父もそうだ。やっている本人、やっている本人の親、やっている本人とはまったく関係がない人が、簡単な問題だと思っている。たいした問題じゃないと思っている。「うち」でどれだけ鳴っているか知らない人が、そんなのは、たいして重大じゃない問題だと思ってやがる。きちがい兄貴は、まったく問題じゃないと思っている。

だから、どれだけ言ってもやめない。そんなに、簡単な問題であれば、簡単にゆずればいいだろ。重大じゃないなら、いくらでもゆずれるだろ。これ、まったく気に留めてない状態で、全部の時間、頑固に頑固に、鳴らしきる。絶対に一分だってゆずらない。あれ、本人が入試の時ですらゆずらなかったということを理解してないのか。

で、本当に、鳴らしている最中も、そういう、態度なんだよ。まったく関係がないと思って鳴らしている。どれだけ何回怒鳴りこんでも、全く関係がない人のつもりで鳴らしている。本人にとってもこだわりがないこと、軽い問題なのであれば、全部の時間ゆずったっていいだろ。けど、全部の時間ゆずらないで、軽い問題だと思っている。

どうでもいいことであれば、ゆずればいいだろ。一日中、ゆずればいいだろ。一日中ゆずったって、どうでもいいことなのだから、どうでもいいはずだろ。きちがい兄貴が!!こだわった。こだわりぬいた。俺がこだわったんじゃなくて、きちがい兄貴が、すべての時間、でかい音で鳴らすことにこだわった。きちがい兄貴が、こだわってこだわってこだわったのである。きちがい兄貴にとって、一分間、鳴らさないでゆずってやることは、どうでもいいこと、簡単にできることじゃないのである。死んだってやってやりたくないことなのである。

だから、そういうこだわりがある。けど、鳴らせる限りは、ぜんぜんこだわってないと思っている。だから、いまになれば「言われれば、ゆずってやった」というような印象をあたえるようなことを言う。平気でそういうことをいう。頭がおかしい。どれだけのこだわりで鳴らしたと思っているんだよ。一秒ゆずるのだって、死んだって嫌なことなんだよ。そういうこだわりがあるんだよ。きちがいだから、自分のこだわりがわからない。まるでこだわってないような態度で、全部こだわって鳴らし続ける。本人は、どれだけ、何回言われても、「知らなかった」状態で鳴らし続ける。そのくらいに頭がおかしい。




2015年9月14日月曜日

引きこもりは甘えか? 再考

隣の人が、チェロとかピアノとか弾いているけど、本当、そういうものじゃないから。至近距離……隣の部屋の、ヘビメタ騒音は、そんなのじゃない。近隣騒音の限度を超えている。で、これが、「家族」だから……。家族だから……そして、もうひとり頭がおかしい人がいるから……だから、きちがい兄貴は、たいしたことをしてないつもりで、ずっと、エレキギターを弾き続けた。ステレオに合わせて、エレキギターを弾き続けることができた。……これ、大家が、親父じゃなかったら……普通の人だったら、ぜんぜん違ってたことになっていたと思う。親父が普通じゃない。そして、きちがい兄貴は、親父の真似をした。自分がやられて悔しかったことを、俺に、やり返している。俺に押し付けている。だから、本人は、まるで、悪いと思えないのである。「自分だってやられたんだ」「やられた時、どうすることもできなかったんだ」「どれだけ、歯向かっても、やられるだけ……押し通されるだけだったんだ」という、無意識的な気持ちがある。だから、「うち」では、どれだけ、鳴らしても、悪いと思わない。自分が、自分の意地を押し通せて、あたりまえなのだ。自分が自分の意地を押し通すことができない、時間があれば、それは、その時間が異常なのである。だから、腹の底から、そんなことはするつもりが最初からないのである。要するに、弟の言うことを認めて、静かにしてやるということが、最初から、ない。そんなのは、選択肢としてないわけで、もし、一分でもそういう時間があれば、それは、異常な時間なのである。「押し通せて」あたりまえだから。「押し通せて」あたりまえなのに、それができない時間が存在する……押し通せない時間がある……そんなことは、むしろ、あってはならないことなのだ。

だから、実際には、絶対に静かにしてやらない。静かにしてやらない理由は、きちがい兄貴の気持ちだけなのだけど、それがわからない。なにか、義務があって、それで鳴らしているというわけではないのだ。なにか、作業をするために、音が出てしまうとかそういうことではない。なんらかの工事をするために、音が出てしまうとかそういうことではないのだ。まったくそういうことではなくて、きちがい兄貴が鳴らしたいから鳴らしている音だから、「静かにできない」理由はない。静かにできない理由は、兄貴の心のなかにしかない。

けど、……けど、それに気がつかない。まるで、業務上必要なことをやるから、音が出てしまうという状態だ。そういう気持ちだ。で、これが、なんの疑いもなく、「そういうことになっている」のである。そうじゃない状態がない。そうじゃない気持ちの時がない。「うち」にいれば、かならず、好きな音で鳴らして良いのであり、がたがた言ってくるほうがおかしい……という気持ちになる。自分はなにも悪いことをしていないのに、がたがた、文句を言ってくる……これが、クラッカー一〇〇分の音で鳴らしている時の兄貴の気持ちで、一分だろうが、本当に静かにしてやろうというつもりは、一〇年間、一一年間、一二年間、一三年間、毎日毎日、まったくないのだ。

何度も言うけど、ずっと、そういう気持ちで鳴らしていて、……なんというのかな……そうじゃない日がない。「あれ、こんな音で鳴らしていたら迷惑なのかな?」と疑問に思うことがない。それは、言われないから気がつかないのではなくて、どれだけ、何万回言われようが、思いつかないことだ。発想としてない。

で、本人は、本当に、それであたりまえだから、なんも悪いと思わないまま、ずっと鳴らし続ける。鳴らしたあとは、「そんなつもりじゃなかった」ということにすればよいのである。これも、結婚をして、嫁さんの家族という「外部」の存在ができたから、はじめてぶちあたった問題で、うちにいるかぎりは、「そういうことも」感じないのである。

どれだけなにを言われても、感じない。最初に言った、きちがい親父の心のブロックがあるから、なにも感じない。文句を言われれば……注意をされれば……不満になる、頭にくる……ただそれだけ。相手(兄貴にとっての俺)の事なんて、考えられるわけがない。自分(兄貴)だって、おさえつけられて、やられたんだから。それで、相手(親父)は通したのだから。そして、相手(親父)はそのことについて、知らないのだから。

これ、「知らない」なんことはないだろということになるんだけど、「うち」は、そうなんだよ。親父はそうなんだよ。兄貴はそうなんだよ。自分が血相を変えて、やったことは、どれだけやっても、……何万回やっても、何十万回やっても、……常に、毎日、何回も何回もやっても……絶対にやったことにならない。「やった」という気持ちが、心の底から、腹の底から、しない。

だから、本人は、まったく関係がない人のつもりでいられる。じゃ、自分がやっている時に、ヘッドホンをつけろとか、三時間は鳴らすなと言われて、ヘッドホンをつけたり、三時間鳴らさないことができるかというと、それはも、う、無理なんだよね。無理の無理。だから、根本的に、全部やり切る。ゆずってやるとしたら、自分がゆずりたい分だけゆずる……それでいいだろ!と言う気持ちがあって、本当には、一分も譲らない。「自分がゆずりたい分だけゆずる……それでいいだろ」ということが、否定されても、否定されたと思わない。その「自分がゆずりたい分だけゆずる……それでいいだろ」と言う気持ちが、形にならないほど、根本的なところにって、それ以降のすべての認知や判断をゆがめる。

なおかつ、「自分がゆずりたい分だけゆずる……それでいいだろ」と言う気持ちを、本人は知らないから、「そんなつもりじゃなかった」「そんなになっているとは知らなかった」「じゅうぶんゆずってやった」ということを、嘘でなく、嫁さんの前で言える。

けど、これは、事実とは、一八〇度違うことなんだよ。まさに、事実とは、正反対の認知、認識なんだよ。もう、本当に、認識の部分ではなくて、認知の部分で間違っているという感じだからな。より、深い。あんなでかい音で鳴らしたら、絶対に迷惑だということが、わかりそうなものなのに、でかい音に聞こえないというレベルで、認知がおかしい。ここでは、認知というのは、認識よりも、感覚に近い意味で言っている。本当に、知覚に近いレベルで、書き換えをしている。非常識なでかい音なのに、「そんなんじゃない」ということになっている。だから、どれだけ言われても、「どこ吹く風」で、本人は、変えるつもりがない。ゆずるつもりもない。

で、この「どこ吹く風」という雰囲気は親父にもあった。これ、絶対にわからないだろうな。健常者に囲まれて育った人には、それこそ、知覚的に、わからない。まあ、これは、言いすぎで、知覚的にわからないのではなくて、感覚的にわからないといったところだろう。言っている意味は、わかるはずだから。

それと、誤解を招いたみたいだから言っておくけど、別に僕は、ヘビメタ騒音なしで、引きこもっている人を、バカにしてない。甘えだと思ってない。その人が甘えているとは、思ってない。けど、元引きこもりの人は、「引きこもりは甘えだ」と言いたくなるみたいなのである。自分は、克服した。かつての自分は、甘えていた。と言いたくなるみたいだ。

で、自分が甘えていたというのは、それで良いのだけど、「引きこもりは甘えだ」というのは間違っている。元引きこもりの人の認識だと、引きこもりは甘えなのである。そして、自分も甘えていたのである。そして、今や、成長して、そのことに気がついたのである。だから、いま引きこもっている人も、成長すれば、引きこもりが甘えだということが、わかるという理論を展開する。どこで間違っているかというと、「引きこもり」ということで一般化しているところで間違っている。自分のことと、他の人間のことがごっちゃになっている。線引がされてない。

そして、いま引きこもっている人が、自分の話を聞いて、反感を感じるのはわかる……と言う。昔の自分は、「引きこもりは甘えだ」と言われたら、反感を感じていた。けど、いまは、「引きこもりが甘えだということがわかる」。いま引きこもっている人も、克服すれば……つまり、引きこもりでなくなれば、それが甘えだということがわかるということを言う。

要するに、引きこもっている人は、かつての自分のように、みんな、甘えているのだけど、それがわからないということを言っているわけだ。だから、そういうことを聞いてしまうと……ヘビメタ騒音もないのに、どうして、引きこもったんだよ? と言いたくなる部分が出てくる。

で、また、これが、反感を買うんだよな。それは、わかる。僕は、引きこもりとかそういう言葉で十把一からげにしてしまうことが、ナンセンスなんだと言いたい。引きこもりの中にも、甘えている人と甘えてない人がいる……そういう考えなのである。だから、引きこもりは甘えだとか、引きこもりは甘えじゃないとかそういう議論には、加わりたくない。ただ、僕は引きこもりの一員なので、当然、甘えていると言われれば、腹が立つ。「おまえ、俺と同じことをされてみろ」「一〇年以上、毎日ヘビメタ騒音に、週四四時間以上さらされ続けてみろ」と言いたくなる。それは、それで、こっちには、そういう気持ちがある。

何度も言うけど、僕は、甘えかどうかはひとによって違うと思う。だから、そのもと引きこもりの人が、「自分は甘えていた」と思うのは、別に否定しない。その人は、その人が言っているように、「甘えていた」のだろう。しかし、引きこもりはみんな甘えだと考えているところで、間違っている。しかも、その人の考えでは、引きこもりはみんな甘えなのに、引きこもりが、「引きこもりは甘えだ」と言われると、反感を感じるのは、引きこもりが人間的に未熟だからなのである。これは、ない。そういうふうに言いたくなる気持ちもわかるけど、それは、理論的に間違っている。

甘えている人も、甘えてない人もいるからだ。そりゃ、いじめで引きこもった人もいるだろうし、うつ病やその他の病気で引きこもった人もいるだろう。いじめも、程度の問題があって、ひどいいじめなのか、それほどでもないいじめなのかわからない。だから、その人が……その特定の人が、甘えているのか甘えていないのか、僕には、わからない。けど、全部、十把一からげにして、「引きこもりは甘えだ」という気持ちにはならない。

それから、病気で引きこもっている場合は、いわゆる、社会的な引きこもりの中には含めないことになっている。けど、引きこもっていれば、引きこもりだと思う部分もある。特に、精神的な病気だと、そこら辺が、曖昧で、病気なのか病気じゃないのかわからないところがあるので、余計にわからない。まあ、僕が判定する必要もないのだし、知らない。だから、十把一からげにして、「引きこもりは甘えだ」という気持ちにはならない。そりゃ、引きこもりの中には、どうしょうもない理由で引きこもっている人もいると思う。俺だってそんなことを経験したら引きこもってしまうよなと思うようなことを経験した人もいるだろう。(ひとつ前の言葉は、自分が、ヘビメタ騒音で引きこもってない場合に、そういうふうに思うだろうということ)。

で、ともかく、この空間はきちがいヘビメタ空間だ。鳴ってた。これ、いま、日曜日の午後五時。きちがいヘビメタが鳴っていた。「こんなふうになる」と思って、一時間でもやめてくれれば良かっただろ。一時間じゃ足りないけどな。一時間静かにして、一一時間鳴らされたら、やっぱり困るけどな。けど、一日に、一時間だろうが、ちゃん静かな時間がなかった。一切なかった。鳴らしっぱなし。「こんなふうになる」と思って静かにしてくれたことが、一時間でもあるのかよ? きちがい兄貴。おまえ、全部、毎日、毎時間、ゆずらずに、鳴らしっぱなしじゃないか。

それで、よく、「そんなつもりじゃなかった」みたいなことを言えるな。なんだろうが、意地を通して鳴らしていた。こっちがどれだけ、「やめろ」と言っても、全然、まったく、気にしないでならしていた。それで、「つもりがない」とか。完全に「つもり」があるじゃないか。きちがい的な「意地」があるじゃないか。

一日に、一時間だって、静かにしてくれなかった。鳴らさない時間を作ってれなかった。ヘッドホンをしてくれなかった。これが、きちがい兄貴がこの世でやったことで、それに違いがないのである。なんで、よそさまの前だと、嘘をつくんだ。平気で嘘がつけるんだ。あんなの……本当に、頑固にやり切るけど、本人はつもりがまったく生じないという状態だ。

きちがい兄貴が、嘘をついているつもりがないとしたらな。で、どれだけ、怒鳴りこんでも、……こっちが、きちがいヘビメタのことでピンチになって、……どれだけ、「静かにしろ」「静かにしろ」と怒鳴りこんでも、本当に、一分だって、やめて静かにしてくれたことがない。中断して、静かにしてくれたことがない。ヘッドホンをして、静かにしてくれたことがない。それが、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日続いて、いいわけがないだろ。

これが、まったくわからない。「わからない」まま、きちがい兄貴が、頑固に鳴らし続ける……一分もゆずらないで鳴らし続けるという日が続いてしまう。困らないわけがないだろ。感情として、絶対に、静かにしてやるつもりなんてないんだよ。一二時間鳴らせるなら、一二時間鳴らして、絶対に、一一時間五九分にしてやるつもりがない。そもそも、一分だって、自分が不利になる形で、やめてやることなんてできない。静かにしてやることなんてできない。自分が不利にならない形で……つまり、そのまま、満足できるでかい音で鳴らして、静かにしてやったと思うことしかできない。

で、なんて言うか、それが、ガチガチにタイトなんだよ。本当に、クラッカー一〇〇個の音とクラッカー九九個の音の違いしかないから、きちがい兄貴が静かにしてやったつもりの時間と、きちがい兄貴が静かにしてやらずにそのままの音で鳴らした時間の区別がつかない。本当に、あれで静かにしてやったと思っていたとしたら、きちがい。そういうやり方であれば、どんな大音響で鳴らしたって、「しずかにしてやった」と思うことが可能なんだよな。普段と変わらない音で鳴らすわけだから。普段、クラッカー一〇一個音で鳴らすなら、ゆずってやった時の音が、クラッカー一〇〇個の音であるわけだから、ゆずってやった時も、クラッカー一〇〇個の音で鳴らし切ることができる。で、きちがい兄貴がやったことは……まさしく、そういうことなんだよ。試験だろうがなんだろうが、……正月だろうがクリスマスだろうが……きちがい兄貴がやったことというのは……毎日普通にやったことというのは……毎日普通に、絶対に認めないでやったことというのは、まさしく、そういうことなんだよ。だから困る。

これは、きちがいヘビメタ騒音が鳴っている時間だ。これは、きちがいヘビメタ騒音が鳴っている空間だ。

――こんなになるとは思わなかった。
――「なる」と思って、一日中、鳴らさないで静かにするべきなんだよ。ふざけんな。俺は言ったぞ!!どれだけ言っても、「なる」と思って、一日に一時間、静かにしてくれたことがない。本当に、全部、やりっぱなし。自分の権利は、保持したままなんだよ。どれだけ、交渉しても、どれだけ喧嘩しても、自分の権利は保持したままなんだよ。自分の権利というのは、一日に好きなだけ、好きな音で鳴らす権利だ。この権利があると思ってたんだからな。本当はないのに。だから、「当然の自分の権利を行使しただけで、ぜんぜん悪いと思ってない」状態なのである。入学試験前に、「やめてくれ」「静かにしてくれ」と俺が必死に頼んでも、ムスーーっとしたまま、黙りこくって、二階に上がって、ドカスカ鳴らした。で、「自分」が、鳴らし始めたら、中断して、やめてやるつもりは、ない。一分だって、中断してやめてやるつもりがない。だから、入学試験前の冬休みだって、一日に一四時間鳴らせるなら、絶対に一四時間鳴らして、絶対に、一三時間五九分にしなかった。一分も、ちゃんと中断して静かにしてくれたことがない。試験前の冬休みで、必死になって頼んでいるのに。それで!!「つもりがない」「静かにしてやった」「こんなになるとは思ってなかった」なのかよ? 「こんなふうになると思って」一日中、静かにすればいいだろ。入学試験前の冬休みに一四時間も鳴らして、まるで悪く思わないというのがおかしいんだよ。どれだけ、俺が「困るからやめてくれ」「試験だからやめてくれ」と言っても、きちがい兄貴は、まるで悪いと思ってないわけだから。むしろ、自分の当然の権利が、成り立たなくなるのは困る……少しでも自分の当然の権利に傷がつくのは、ゆるせないという気持ちで、ムスーーッとして、目を三角にして、……不愉快なことを言われて気分が悪いという感じで怒ってるだけなんだから。それで、二階に行って鳴らしてたわけで、交渉決裂だ。交渉が決裂すると、普段どおりに、きちがい兄貴が好きな時間、好きな音で鳴らしていいという不文律が成り立つわけで、まるで気にないで、普段どおりにどでかい非常識な音で、全部の時間鳴らしきるということになる。それで、「つもりがない」とか「こんなになるとは思ってなかった」とかおかしいだろ。普段から、毎日、……普通なら、普通に言われれば即座にわかることが、わからないまま、鳴らしていたのである。ぜんぜん、矛盾してない。どれだけ言われても、「つもりがないまま」鳴らしてた。ぜんぜん、矛盾してない。






2015年8月29日土曜日

母子家庭のほうが良かった

もう、やっぱり、死にたいな。どうやっても、表現できない。きちがい兄貴にやられて、いたたまれない状態のまま時間がたっていくという時の気持ちが、表現できない。毎日やられていたから、毎日つらかったけど、特に、辛い時があった。ひとつは、

あーあ。親父とお母さんが離婚して、きちがい兄貴は親父と一緒に、僕はお母さんと一緒にすむことになればよかったんだ。それなら、母子家庭であっても、貧乏であっても、いまよりもずっと、マシな人生を歩んでいたと思う。きちがいヘビメタさえなければ。なんで、きちがいヘビメタから俺を待ってくれなかったんだよ。お母さん。あれ、本当にきつかった。ほかの人は、「そんな騒音のことなんていつまで気にしていたってしかたがない」などというかと思うけど、そんなんじゃない。毎日だからな。毎日というのがつらい。仮に母子家庭でも、僕は勉強ができたと思う。きちがい兄貴がいなければ勉強ができた。そうなると、学歴……もっと言えば、学校歴が必要なバイトもできたと思う。塾の講師とか。かなり、教え方もうまく、人気もあったと思う。返済不要な奨学金を手に入れることができたと思う。優待生プログラムに応募して、優待生になれたと思う。貧乏で金がなくても、自分の手で、そこをなんとかして、学歴を似に入れることができたと思う。きちがいヘビメタ騒音がなければ。もし、両親が離婚して、きちがい兄貴抜きの母子家庭になったら、僕は貧乏をものともせず、自分力で、進学して、その世界で有名な人になれたと思う。





2015年8月22日土曜日

気持ちがくっついてない人、自分だけは例外、競争主義批判 2


肉を食べることを否定しているときは、否定の強度が、心の綺麗さを表しているということになってしまうのである。「動物が可愛そうだと思わないのか??」「可愛そうだと思わないなんて、人間としての感情がない。血も涙もない」「動物が可愛そうだと思ったら、即座に、食べるのをやめるべきだ」「動物が可愛そうだと思っている人が、肉を食べるということを擁護、容認することはありえない」ということを言う。しかし、下半身が優位なときは、自分も、食べてしまう。俺がおかしいなと思うのは、たとえば、一時間前に、食肉のことでもめているのに、「自分が」牛丼を食べる時は、そういうことをまったく忘れてしまっていることだ。普通、気になると思うけど、気にならない。
ちょっとは、気にして悩めばいいのに、気にしないし悩まないのである。(たぶん、切れちゃっているから。つながってないから)。自分が牛丼を食べるときは、「動物が可愛そうだと思ったら、即座に、食べるのをやめるべきだ」という考えはまったく浮かばないのである。切れちゃっているから。……たぶん。四角さんが、気にすることはあるんだよ。牛丼屋に入って気にすることがある。隣の人が、「つゆだく」を頼んだということが、気になる。向かいの人が、グリグリと、卵をかき混ぜる手つきが気になる。どちらも、「けしからん」ことなのだ。殴りたいほど、腹が立つ事なのだ。あとは、自分が、その店のなかで一番安いメニューを頼んだら、そのことは気にする。「安いメニューを頼んだから、貧乏だと思われているにちがいがない」などと。また、普通の人が働いている時に、牛丼屋に入ると、店員が、自分を無職だと思って、バカにしてわらった」というようなことを、気にするのだ。あれだけ、四足(よつあし)の肉を食べることを否定していたのに……。「アメリカが、日本人の精神性を堕落させるために、肉食を流行らせた。本当の日本人は、大和魂を取り戻して、精神の堕落に抵抗しなければならない。これがわからないのは、偽物の日本人。自分は、本物の日本人だ。四足(よつあし)の肉を食べるのは、共食いだ。これがわからないのは、洗脳された家畜だ。家畜のフンについている糞虫だ」ということを言っていたのに。自分が!牛丼を食べることは、まったく、気にしないんだからな。


で、そういうことが、四角さんが言っていること、すべてに成り立ってしまうのである。たとえば、「競争主義はけしからん」「コンテストは競争心を刺激するから、けしからん」「写真を撮るということさえ、その人に、意識が集中するからけしからん。写真を撮るとどうしても、美しさや人気の競争が始まる。そういうのは、けしからん」と、ものすごい剣幕で言うのだ。「競争主義者は、競争主義者同士で、競争していればいい」「競争主義者は、悪の組織に洗脳されて、なにが正しいのかなにが間違っているのかわかってない」「競争主義者は、悪のエージェント」など言っていたのに。……言っていたのに、実は、普通に、アイドルの写真集や、アイドルのCDを買っているのだ。普通の人が、アイドルの写真集やアイドルのCDを買っても、別にいいと思う。四角さんは、「コンテストは競争心を刺激するから、けしからん」「写真を撮るということさえ、その人に、意識が集中するからけしからん」と言っているのだよ。自分が買うのはいいのに、他の人が買うのはゆるせないのだ。けしからんと思っている。いつもいつも、自分だけは、例外なのである。これも、「競争主義はけしからん」「コンテストはけしからん」「写真を撮ることですら、けしからん」と言っているときは、本当に、そういうつもりなのである。で、コンテストをやる人たちや、コンテストに応募する人たちや、コンテストを見ている人たちは、おろかな人たちなのである。これも、悪の組織に洗脳されて、なにが良くてなにが悪いのかわかってないから、そうしているということなのである。四角さんにしてみれば……。「競争主義者は、悪の組織に洗脳された家畜だ。家畜のフンだ。糞虫だ」と言っているときは、自分だって、写真集やCDを買うということは、捨象されてしまっている。自分は、そういうことはしない人なのである。けど、実際にはやる。けど、競争主義やコンテストを批判している時の自分と、写真集やCDを買うときの自分が、くっついてないので問題にならないのである。

「写真を撮るのは、けしからん。意識が集中してしまうから」というのは、わりと、スピリチュアリズムにはある。だから、そういうことを禁止して昔の状態で住んでいる人たちもいる。まあ、この場合の写真というのは、人の写真のことだ。昔の天皇だと、御真影というのがあって、日本国民には御真影に対して無礼なことをしてはいけないという意識があった。これは、これで、物神性の問題とからめて考えるとなかなかおもしろい。けど、それは今回は関係がない。今回関係があるのは、いわゆるブロマイドのような人物写真を撮ると、人気投票のもとみたいなものが形成されてしまうので良くないという考え方のほうだ。で、四角さんもそういう本を読むと。「これぞ真実」と感じてしまう。けど、四角さんは、アイドルの写真集とか、握手券付きのCDなどを買っている。だから、そういうことについて考えなければならないのだけど、「本人だけは、例外」なので、考えない。他の人たちだって、自分と同じように好きなアイドルの写真集を買いたいと思うような気持ちがあるのだ。自分が好きな人に一票を投じたいという気持ちがあるのだ。けど、そういうのは、反競争主義の観点から、持ってはいけない気持ちなのである。上半身優位の四角さんは、「競争はけしからん」「人気投票はけしからん」「美しさを竸うのはけしからん」「美人コンテストは、開催する人も、出ている人も、投票する人も、けしからん」ということを言う。また、そういうアイドルの出ているテレビなどを見ている人は、「操作されやすいB層で、自分の考えがない愚者だ」ということを言う。四角さんにしてみれば、「アイドルとか、人気投票というのは、大和民族を堕落させるために、悪の組織が仕組んだもの」なのだ。

あとは、平等主義とのからみもあって、やっぱり、コンテストは駄目だということ言う。差をつけるのは、平等主義に反するのである。美人コンテストをやれば、一位の人と一〇位の人とでは、差ができる。差ができるようなことをやるのは、けしからんのである。

けど、四角さんは、いかがわしい店に行って、お気に入りの嬢を選べなかったことを、くやしがってしまうのだ。「お気に入りの嬢は、人気ナンバーワンの嬢で、もう少し早く来れば、その嬢を選べたのに、選べなかった。けっきょく、人気のない嬢を選んだのだけど同じ金額を払うなら、お気に入りの嬢を選びたかった」と、くやしがっているのである。別にそういう店に行ったということや、写真を見比べて人を選んだということを、批判しているわけではない。僕が批判したいのは、そういう時の気持ちと、「写真はけしからん」「コンテストはけしからん」「写真を並べて、人を選ぶのは差別だ」と言っている時の気持ちが、違いすぎるということだ。また、他の人だって、自分がそうするように、そうすることがあるということを、認めたほうがいいということを言いたい。自分だけは例外という態度は、他の人との人間関係に、かなり深刻な暗い影を落とす。本人が、気がついていないのならば、なおさら、いろいろな問題がしょうじる。友だちができないとか彼女ができないということについて悩む前に、そういう矛盾をなくすように努力した方がいい。要するに、自分が普段やっていることは、普段やっていることとして認めたほうがいい。他人も、自分がやるようにやるのだということを、認めたほうがいい。

自分の中の、「悪いもの」は、すべて、他人の上に投影されるというしくみが成り立っている。ここで言う、「悪いもの」というのは、別に、悪いものではない。四角さんにとって、「悪いもの」だ。たとえば、肉を食べることは、四角さんにとっては悪いことなのだ。しかし、四角さんは、自分が肉を食べることは、一切合切気にしない。四角さんが気にするのは、他人が肉を食べることなのである。常に、自分以外の人間がなになにをするのはけしからんということになっている。本人は、いつも、蚊帳の外なのである。自分のそういう基準に、自分が合致しているかどうかというのは、恐ろしいほど、気にならないのである。気にならないというよりも、最初から、基準の対象になってないから、気にすることができない。そのくらいに、「くっついてない」のである。普通は、自分も対象にするものだということが、最初からわかってないのである。四角さんにとって、「悪」というのは、常に外部に存在するのである。

「他人も、自分がやるようにやるのだということを、認めたほうがいい」ということを言ったけど、これを実際に四角さんに言うとどうなるか。四角さんの反応は、「自分をワナにかけようしている」というものだ。ようするに、自分をだまそうとしてわざと、(相手が)そういうことを言っていると判断してしまう。ここでも、他人は悪意に満ち満ちていて、常に自分をだまそうとねらっているという、意識があらわれてしまう。他人の中にしか「悪」を見いだせない。そして、それが、ハズレなのである。繰り返すけど、友だちができないとか、もてないということを気にするより前に、そういうことを気にした方がいい。気にしてなおした方がいい。




2015年8月21日金曜日

写真を取るのは、けしからん

「写真を取るのは、けしからん。意識が集中してしまうから」というのは、わりと、スピリチュアリズムにはある。だから、そういうことを禁止して昔の状態で住んでいる人たちもいる。まあ、この場合の写真というのは、人の写真のことだ。昔の天皇だと、御真影というのがあって、日本国民には御真影に対して無礼なことをしてはいけないという意識があった。これは、これで、物神性の問題とからめて考えるとなかなかおもしろい。けど、それは今回は関係がない。いわゆるブロマイドのような人物写真を撮ると、人気投票のもとみたいなものが形成されてしまうので良くないという考え方なんだよ。で、三角さんもそういう本を読むと。「これぞ真実」と感じてしまう。けど、三角さんは、アイドルの写真集とか、握手券付きのCDなどを買っている。だから、そういうことについて考えなければならないのだけど、「本人だけは、例外」なので、考えない。他の人たちだって、自分と同じように好きなアイドルの写真集を買いたいと思うような気持ちがあるのだ。自分が好きな人に一票を投じたいという気持ちがあるのだ。けど、そういうのは、反競争主義の観点から、持ってはいけない気持ちなのである。上半身優位の三角さんは、「競争はけしからん」「人気投票はけしからん」「美しさを竸うのはけしからん」「美人コンテストは、開催する人も、出ている人も、投票する人も、けしからん」ということを言う。また、そういうアイドルの出ているテレビなどを見ている人は、「操作されやすいB層で、自分の考えがない愚者だ」ということを言う。三角さんにしてみれば、「アイドルとか、人気投票というのは、大和民族を堕落させるために、悪の組織が仕組んだもの」なのだ。
あとは、平等主義とのからみもあって、やっぱり、コンテストは駄目だということ言う。差をつけるのは、平等主義に反するのである。美人コンテストをやれば、一位の人と一〇位の人とでは、差ができる。差ができるようなことをやるのは、けしからんのである。

で、

2015年8月13日木曜日

バイクをあきらめさせるために、あのけちな、親父が、入学祝いをあげる

どうしても、今の時間、きちがい親父の顔をみると、「いまの時間、どれだけの音で鳴っていたと思っているんだ!!!」「きちがい親父は、きちがい兄貴のことを注意しなかった」「おまえが、兄貴をきちがい兄貴にしてしまった」と言いたくなる。で、言ってやったんだけど、「むかっ」ときた顔をした。

「いまの時間、どれだけの音で鳴っていたと思っているんだ!!!」だけど、本当にものすごい音で鳴っている。あんなのない。きちがい兄貴に言っておくけど、「いま住んでいるところで、当時鳴らしていた音で鳴らしてみろ」。絶対できないから。あんな音で鳴らしていいわけがない。普通の家だったら、五分だって、鳴らすことがゆるされないどでかい音なのである。そういう音で、一四時間も鳴らししてたんだからな。それだって、本人は、「静かにしてやった」と思っているような状態なんだからな。本当に、どれだけだよ。で、きちがい兄貴が、一日に一四時間鳴らしていた時、きちがい親父が鳴らしている時間に帰ってきて、ちゃんと注意したことがないのである。というか、鳴らしている……ということすら知らない状態なのである。あんなにでかい音で鳴らしているもうことすら、知らない状態なのである。一緒に住んでいるのに。きちがい兄貴がきちがいヘビメタをはじめて五ヶ月以上、経過しているのに。で、「ものすごい音で鳴らしているから注意してくれ」と小学六年生の俺が、頼んだときは、「なっちゃったらなっちゃったでしかたがない」なんて、絶叫して、絶対に、注意してくれなかったんだよ。それは、中学一年生の時も、中学二年生の時も、中学三年生の時も、高校一年生の時も、高校二年生の時も、高校三年生の時も、一九歳の時も、二〇歳の時も、二一歳の時も、二二歳の時も同じなんだよ。手短に言って、俺が二二歳の時も、きちがい兄貴は、フルの音でヘビメタを鳴らしていたので、親父が一一時一一分前に帰ってくるつもりになれば、いつでも、きちがいヘビメタが、どれだけすごい音で鳴っているか、……どれだけ近所迷惑な音で鳴っているか、経験できたのに、その時は……その期間中はずっと、午後一一時一一分前に帰ってくることは、一度もなくて、鳴らしている最中に、注意しない。で、「うるさい音でなっている」と言っても、「うるさい音でなっている」というのが、わかってないような状態なのだ。一緒に住んでいるのに……。これがまた、「わかってない」というと「わかってるわかってる」と絶叫するのだが……じゃ、注意するのかというと、絶対に注意しない。

西側の、隣の家の人だけど、この西側の隣の家の人は、きちがい兄貴が鳴らしていた時に、西側のうちにいたのかどうかわからない。この人達は、近くに別の家を持っている人なんだよね。近くに! だから、ヘビメタが鳴っているときは、その別の家に退避できたのかもしれない。いずれにせよ、きちがい親父の、きちがいヘビメタに関する無関心さというのはひどすぎる。あんなのはない。西の人が、きちがい親父に聞こえるように、「うるさいなぁ」っていった時の態度が、またひどいんだよな。「なんだ、人の息子がせっかく鳴らしているのにぃぃぃ」みたいな態度で無視して、ゴミ燃やしをする。日曜日だよ。

で、俺は、「きちがいヘビメタが鳴ってたんだぞ!!!」って、怒鳴ることにしたんだよ。「俺の怒鳴り声よりずっとでかい音で鳴ってたんだぞ!!!!」って、怒鳴ることにした。「この時間!!「俺の怒鳴り声よりずっとでかい音で鳴ってたんだぞ!!!!」って、親父の顔を見たら、怒鳴ることにした。一五年間、家で鳴らしているのに、その一五年間は、一切注意しないという態度だったから、それに対する、いらだちがある。他の人からすれば、「親が注意しなかったのなら、そんなにすごい音で鳴ってたわけじゃないじゃないの」と思うだろ。「そんなにひどい音で鳴ってたら、親が注意するはずだ。(注意しないのであれば、そんなにひどい音で鳴ってたんじゃないのではないか)」と思うだろ。そういうところで、「フタ」になっている。もう、本当に、そういうことが、まわりまわって、言い切れない状態を作り出している。こいつらは、計画的にそうしているわけではないのだけど、俺が世間から、誤解を受けるようなことばっかりやる。きちがい行為をしている方が悪く言われないで、俺が、悪く言われるような形で、きちがい親父は、きちがい兄貴に協力しているんだよね。実際、きちがい兄貴が高校に受かった時に、資金協力しているんだよな。あれ、本当に!! どうして、金をやったかというと、私立じゃなくて、公立に行ったからなんだけど、それでも、資金協力しているんじゃないかと思う。当時、きちがい兄貴が、バイクを買いたかったんだよね。バイクかヘビメタ道具かで迷っていた。で、入学祝いとして、バイクを買わないなら、金をやるということをした感じがする。バイクは、危ないからダメなのだ。だから、バイクをあきらめさせるために、あのけちな、親父が、入学祝いをあげるということをしている。けっきょく、その金だけでは、ヘビメタ用のどでかいステレオセットや、エレキギター、エレキギター用のアンプ付きスピーカーというものを、買うことはできないので、アルバイトをして、買ったんだけど、それでも、「たし」になっている可能性がある。で、ヘビメタ道具なんて買わずに、バイクを買って、静かにして欲しかったな。バイクなんて、どれだけふかしたってたいしたことはない。きちがい兄貴のヘビメタって、バイクをふかす音の何倍もでかい音だから。普段のヘビメタがそういう音だから。きちがい兄貴が静かにしたつもりの音……きちがい兄貴にとっては、「静かにしてやった」音のデカさが、バイクを蒸す音なんかよりずっとでかい音だから。ヘビメタに関しては、感覚がおかしいんだよな。ヘビメタなら、どれだけでかい音で鳴らしたって、いいと言う感覚が成り立っている。ヘビメタなら、こんくらいの音で鳴らして良いと言う感覚が成り立っている。で、「こんくらいの音」というのがものすごくでかい。けど、同時に、その「こんくらいの音」を、きちがい兄貴の頭のなかで、小さくしてるんだよな。どれだけでかい音で鳴らしてたって、「こんなの、フォークギターぐらいの音」と思っているフシもある。そういう感覚も成り立っている……としか思えない。けど、それは、「うち」限定であって、「よそ」のうちでは、発揮されない。よその家では、ヘビメタの音が特別にうるさい音だというのがわかっている。だから、鳴らせない。だから、嫁さんは、きちがいヘビメタを、あの音のデカさで聞いたことが、一分もないんだよ。それで、公平で中立とか言っている。きちがい兄貴の言い分が成り立つなら、かばってやりたいというような気持ちがあるのだろう。少しでも、(夫を)かばってやれるところがあるなら、かばってやりたいと思っているようなところがある。まあ、夫婦だからな。

言いたいのは、きちがい親父の資金援助がなければ、きちがいヘビメタが始まるのが、多少遅れたかもしれないということだ。ヘビメタ道具に、入学祝いの金が流れている。それと、もし、バイクもオッケーということになっていたら、……バイクに夢中になっていたら、ヘビメタが鳴ってなかったかもしれない。





2015年7月22日水曜日

俺はまじで、抵抗力があったほうだと思う

あの時、あの時……あの時。あの時、ヘビメタが鳴ってた。ヘビメタが……。ヘビメタが苦しかった。毎日、死にたかった。わずかばかりの……ほんとうにわずかばかりの……つくった可能性にしがみついて……生きていくしかなかった。つくった」というのは、そういうことしておくということだ。要するに、現実的なことは無視して、ともかく、可能性をつくっておくということだ。もちろん、自分で勝手につくるわけで、普通の意味での可能性じゃない。空想的な可能性……が一番近いか。

アニメやドラマを見るたびに、「あの子と付き合っておけばよかった」なんて、考える。あの時ですら、格好をつけて、あんまり関心がないふりをしてしまったけど、かなり、突き上げるものがあった。きちがいヘビメタがなければ……。きちがいヘビメタがなければ、普通にできたと思う。きちがいヘビメタで、みっともなくって、しかたがなかった。きちがいヘビメタ騒音で自信がないとか、そういう、レベルの話じゃない。本当に苦しかった。いま考えれば、「なんで俺は、付き合わなかったんだ?」と思うけど、あの時は、もう、そう、せざるを得ない。何回あの場面に遭遇しても、やはり、ああいう態度をとってしまうだろう。うちが、荒れて、死にそうなほどピンチなんだよ。常に、きちがい兄貴の騒音で……。僕の身の回りは……。僕の内側は。……けど、張本人のきちがい兄貴が、「気楽に」全部鳴らしまくる。どれだけ言ったって、絶対にやめてくれない。だから、困っているのに、全部の時間がめて、とって、それで、どでかい音で鳴らして、つもりがない」とか頭がおかしすぎる。で、全部が!本当に!!そういうしくみなんだよな。

ともかく、俺は、ピンチなんだよ。ピンチピンチ。ヘビメタ騒音で、いつも、うんこを漏らしそうなほど、ピンチなんだよ。気持ちが、やぶけている。ヘビメタ騒音で、やぶっけっぱなし。で、普通の人か、普通の人以上に、回復力があるから、やぶれたところが、再生されるんだけど、それでも、きちがいヘビメタで、傷つき、破ける速度のほうが速いから、けっきょく、やぶけっぱなしになる。これ、本当に、まるで、俺が弱いみたいに思われているかもしれないけど、俺は、普通の人より、再生力というか、復活力があった。それでも、毎日のヘビメタ騒音攻撃で、やぶけてしまう。いろいろなところが、やぶけてしまう。

あとは、こういう言い方をすると、ある種の人間は、ものすごく、反抗心というか、「なんだこんにゃろう」という気持ちが生じるんだよな。俺に対して。これも、ヘビメタ騒音の副産物だ。敵が増える。俺が書いてきたことを読んで、「なにいってんの!!!!」と思うやつも多いだろう。

毎日、七時間から一四時間、何年間もやられてみろ! なるから。俺はまじで、抵抗力があったほうだと思う。だめになるまで、時間がかかっている。けど、その俺でも、だめになってしまうんだよな。けっきょく。「俺はまじで、抵抗力があったほうだと思う」というところを読んだとき、「だったらいいだろう。ふんっ」みたいな気持ちになるやつが、少数いる。多数なのかな。「だったらいいじゃん」……良くないんだよね。良くない。

ともかく、どれだけ後悔しても、どうにもならない現実だけはある。ずっとそうだったしな。鳴っている最中もずっとそうだった。

ともかく、ヘビメタ騒音でつらい。いまもつらい。どうにもならない。

あの時、あの子と、付き合いたかったな。普通に付き合いたかった。その結果ダメになっても……別れたとしても、やっぱりあの時、付き合うべきだった。けど、なんていうのかな……ヘビメタ騒音圧力が並じゃないんだよ。突き上げるものがある。あの、不安や焦りや、どうしょうもなさは、本当にどうしょうもない。「どうしょうもなさ」って、……一切話が通じない。本当に、高くて厚い、きちがいの壁が立ってて、なにを言っても、響かないんだよね。響かずに、普段のとおりに、かならず、すべての時間、きちがいヘビメタで汚染しやがる。どれだけなにを言っても、「鳴らさない」という選択肢は、ないんだよ。きちがい兄貴にはない。こっちがどれだけあせっていたって、きちがい兄貴は、絶対に全部の時間、がめて、やめない。どうして、こっちが「あせっている」状態なのかというと、きちがいヘビメタが、その日まで、何年間も毎日続いたからなのだ。何千日も続いて、そして、昨日もやられた、今日、なのだ。明日もやられる……きちがい兄貴を殺さなければ……明日もやられるという予想が立つ。どれだけなにを言っても、騒いでも、怒鳴っても、物を投げても、一切合切、これっぽっちも、通じない。こっちが、基地外兄貴のヘビメタ騒音で困っているということが、通じない。きちがい兄貴だって、言葉の意味はわかるのだろうけど、通じない。ぜんぜん、通じない。反応がおかしい。言葉がまったく通じないのと同じ反応しか返さない。……そのまま、前の日と同じようにヘビメタをやり切るという反応しか返ってこない。しかも、前の日と同じように、どれだけもめても、こっちが困っているということを、まったく認めてない態度なのだ。

で、一〇時間鳴らせるなら、きっかり、全部一〇時間、鳴らしてくる。絶対に鳴らす。五分だってゆずらない。で、「五分だってゆずらない」と言えば、「じゃ、五分ゆずってやったら、どれだけ鳴らしてもいいんだな」というようなことを言う。これは、実際にきちがい兄貴が発言した通りの言葉ではないけど、意味的にはそういうことを言う。完全無効化、なんだよね。「時間を決めてやってくれ」と言われた場合だって、全部の可能な時間を、時間を決めてやる時間に指定してくる。だから、けっきょく、時間を決めたって、意味がない。無効化してくる。それで、「静かにしてやった」「ゆずってやった」という気持ちだけ!!!は持てるんだよな。本当は、一日に一分だって、静かにしてやるつもりがない。まったくない。ないない。ぜんぜん、ない。けど、そういう気持ちには、(きちがい兄貴は)無頓着で、自分の気持に気がつかないまま、……あるいは、自分が出している内容には気がつかないまま、普段どおりに鳴らす。普段どおりに鳴らすとなると、マックスの音で、まっスクの時間鳴らすということになる。入試だから、静かにしろ」と言われても、態度としては、まったく同じで、顔を真赤にして無視して、鳴らし切る。それだけ意地を張っているのだから、自分がやっていることがわかりそうなのだけど、一〇〇%全部できるなら、……やってないのと同じぐらいに気楽なんだよ。本人だけは。一〇〇%できるならね。一%でも、本当にゆずらなければならなくなったとなったら、もう、顔を真赤にして怒り狂う。不満で不満で不満で不満で、しかたがない状態になる。で、「こんなのいやだ」「やってられない」という気持ちになる。それで、〇・九%我慢したあとは、一切合切ゆずらずにやる。だから、本当は、一分だって、我慢できない。全部、自分が好きなように鳴らしているから、「鳴らしてない」つもりでいられる。「鳴らしてないつもり」なのか「そんなに鳴らしてないつもり」なのかわからないけど、ともかく、「自分は言われなかった」「自分は注意されなかった」「弟はなにも言ってこなかった」という気持ちで、心ゆくまで、鳴らし切る。頑固に鳴らし切る。最初から、一%、だって我慢するつもりが、本当にまったくない。そういう態度なんだよ。で、何度も言うけど、そういう態度に鳴っているということには、まったくむとんちゃくなんだよ。だから、そういう無頓着さを成り立たせて、実際には、ゆずらないでやり切るという場対をつくりだしている。何度も言うけど、その時間にやったことは、全部ゼロなのである。やってないのと同じ。その時間にやったことは、「つもりがない」とか、「やってない」ということになってしまうのである。実際は、がめつく、やり切っているのに、やってないのと同じ気持でいることができる。さんざん、「やめろ」「やめろ」「やめろ」「やめろ」「静かにしろ」「静かにしろ」「静かにしろ」と何回も、怒鳴り込まれているのに、「なにも言われなかった」という気持ちが維持できる。そのくらいに、関心がない。「やめろ」「やめろ」「やめろ」「やめろ」「静かにしろ」「静かにしろ」「静かにしろ」と大声で怒鳴られても、一秒たてば、もう、「なにも言ってこなかった」ということになってしまう。事実、まったくなにも言われなかった場合と同じ気持になってしまうのである。だから、「つもりがない」とか「そんなつもりじゃなかった」とかそういうことが、真顔で言える。本当は、……一%だって中断して我慢するのが嫌だから、腹が立って腹が立ってしかたがないから、どでかい音で、その後もずっと鳴らし続けたのに、本人は、やっているそばから、「そんなことはやってないつもり」になってしまう。じゃ、本当に静かにしてくれるのかと言ったら、それは、もう、ぜぇぇぇぇっったいにない。




2015年7月20日月曜日

発狂しそうなほどうるさい!!自殺してしまいそうなほど、うるさい!!!

きちがいヘビメタで人生がない→もう死ぬか→いや、そのうち死ぬのだから、いま死ななくてもいいか→けど、つらすぎる→もう死ぬか→今死んだら、怨念が残る→けど、つらい→もう死ぬか

こういうのが、ずっと、エンドレスでまわってしまうときがある。横になっているとき、夜起きたとき、たまに自転車に乗っているとき……全部同じだ。ふと、思うんだよな。ずっと、苦しかった。一一歳以降、ずっとずっとずっと、苦しかった。破滅的な……はちきれんばかりの気持ちで、自転車、こいでた。きちがいヘビメタ騒音なかから、胸糞悪い気持ち、破綻的な気持ちで、出てきたとき、そう思っていた。そう思って自転車をこいでいた。全部つらい。二十歳の時も、「このままじゃ、僕の人生がなくなる」「このままじゃだめだ」「うるさいうるさいうるさい」「死にたい」という気持ちで、自転車をこいでいた。同じ……。もう、何十年毎日、ヘビメタのことで、死にたい気持ちになっているかわからない。

で、きちがい兄貴は、「なにもしたつもりがない」んだろうな。しかも、絶対に、どれだけなにを言われても、ゆずらない。ゆずらないで鳴らし切るけど、なにもしたつもりがない。どれだけ言われても、なにを言われても、自分がやっている、気持ちがしない。静かにしてやろうと思わない。静かにしてやろうと思っても、その「静かにする」というのが、きちがい兄貴にとって静かにするということだから、実際には、全然静かにならないまま、どかすか鳴っている。で、その、言いに行ったあとの、どかすかが、ものすごく嫌なんだよな。続いてしまうわけだから。続けて鳴らしているのだから、鳴らしているのに、本人は、静かにしてやったつもりに鳴っていた??????のだろうか。俺は、「それはないだろ」と思うけど、本当にそういうつもりだったのかもしれない。けど、それは、おかしい。いっくらなんでもおかしい。おかしすぎる。あれで、静かにしてやったつもりがあるとしたら、本物のきちがいだと思う。きちがい以外の形容のしようがない。どれだけ「静かにしてくれ」と言っても、「静かにする」ということの意味が、まるでわからない人間なんているだろうか。「あとから、あとから言ってくる」と言って怒っていたわけだから、「静かにする」ということの意味はわかっているんだろうな。けど、本当に、矛盾している。おかしい。頭がおかしい。

いま、夜の八時二五分だけど、夜の八時二五分に、どれだけ、何回、怒鳴りこんでも、絶対に、一分だって、静かにしてくれなかった。「静かにしろ」「静かにしてくれ」と言われたあと、五分間、スイッチを切って静かにしたことがないのである。五分間、ヘッドホンをしてくれたことがないのである。だから、静かにしてないのに、……あいつはぁぁぁぁぁぁぁ!!あいつはぁぁぁぁ!!あいつは!!!!!あいつは!!!!

ゆるせない。

俺も、自分の人生を何とかしようと、つきつって!!!がんばっていたときがあるんだよ。毎日、ひきつって!!がんばっていた。けど、それが、今の状態を作り出している。その時の、無駄な努力が、いまの状態を作り出している。いまの、やる気がどうしても出ない状態、……いまの、いつもしんどい状態……いまの、いつも腹が立っている状態……いまの、いつも憂鬱な状態……こういった状態ができあがったのは、あの時の、努力の結果なんだよな。もう、エネルギーでないよ。だから、冒頭の「死にたい」→「今死んだら怨霊になってしまう」の繰り返しになる。ゆるせないわけだから。ゆるせないんだよ。きちがい兄貴、知らんぷりして、午後八時二五分に、どかすか鳴らしていた、一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日。おまえ、きちがい兄貴、どうやって、責任を取るの? 一日目に、やめられるんだよ。一日目の午後八時二五分にに静かにすることができる。それを、きちがい兄貴が意地を張って、静かにしなかった。

静かにしなかったのは、きちがい兄貴の……気持ちの問題なんだよな。本人は、まるで気にしないし、問題だと思ってないけど。まるで!!気にしないで、どれだけなにを言われても、鳴らし続ける。そして、本人は、「静かにしてやった」と思っている。あるいは、「静かにしてやった」かどうかが、問題になることがない。意識にのぼることがない。そのくらい!気にしてない。どれだけ、「宿題をやるから静かにしてくれ」自分が、うるさくして、俺の勉強の邪魔をしているつもりが、生じない。まったく生じない。一日何十回、怒鳴り込まれても、その都度、追い返すだけで、まるで、自分の騒音と、弟の勉強のことが、むすびつかない。むすびつかなければ、「やってない」のと同じなのである。だから、全部が全部、そういうやり方なんだよ。じゃ、自分がスイッチを切ってゆずらなければならなくなったということを、考えたことがあるか? それは、想像することだって、いやなことなのである。そもそも、考え付かない。どれだけ言われたって、それは、想像することすらできない。だから、うるさくし続けたのに、きちがい兄貴は、むすびつかなければ、やったつもりがまったく生じないのである。だから、学校から家に帰ってきたあと、ずっと、無条件で、鳴らし続けているのに、一分も鳴らしたつもりが生じない。本当は、一分も静かにしてやらなかったのに、一日中、静かにしてやったつもりしか生じない。自分が、スイッチを切って静かにすることや、ヘッドホンをして静かにすることは、どれだけなにを言われても、思いつかない。そんなことをするのは、死んだっていやなのである。だから、そういう意地を通して鳴らしたのに、本人は、「そんなに鳴らしてない」「静かにしてやった」と思っているような状態なの……だろう。知らないけど。けど、そうだよ。そんな感じで、顔を真赤にして、目を三角にして、頑固に、鳴らしてた。自分が、ちょっとでも、静かにしてやらなければならないようなことになったら、顔を真赤にして、目を三角にして、頑固に、鳴らし続ける。一日中鳴らしたら、さんざん、怒鳴り込まれたのに、それを無視して、ガンガン鳴らした……と、認識しなければならないのに、さんざん怒鳴り込まれたのに、それを無視して、一日中、一分も本当にはゆずらずに、鳴らし続けたのに、……本人だけは、一日中、ゆずってやったのと同じつもりなのである。こんなの、頭がおかしい。けど、本当に、そういうやり方なんだよな。このきちがいの意地と、この問題にまったく関係がない人の「お兄さんに、やめてっていえばいいじゃない。言えば静かにしてくれるよ」といった感覚の、乖離といったらない。で、その乖離で、傷つくのは俺なんだよ。嫌な気持ちになるのは、俺なんだよ。どうしょうもない破滅的な気文になるのは俺なんだよ。あいつはまったく知らないまま、頑固に、鳴らし続ける。三六五日、三六五〇日……もっともっと、それ以上。毎日同じように、どでかい音で鳴らし続ける。

それで、くずれた。こわれた。けど、これも、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を一度も、一日も経験したことがないやつらに、馬鹿にされ、見下される、理由になる。わかったようなことを言われる理由になる。これは、くやしい。しかし、鳴っている。鳴っていた。それで、「やめろ」「静かにしろ」「べ供するから静かにしろ」「試験だから静かにしろ」「宿題、やるから静かにしろ」「遅刻しちゃうから、静かにしろ」「忘れ物をしちゃうから静かにしろ」「ものをそろえるから、その間静かにしろ」「これから、行くから、行く用意をするから静かにしろ」と、一日に何度も何度も怒鳴りこむ。けど、絶対に静かにしない。どでかい音で鳴らし続ける。

そういうことを、一五年間やって、……それで、「つもりがない」「そんなつもりじゃない」「静かにしてやった」だからな。こんなの、殺したって、気が済むわけがないだろ! で、これも、殺すとか言うと、俺が、変な人のように聞こえる。ヤバい人のように聞こえる。きちがい兄貴が、一日目に、静かにしてくれれば、……その後もずっと、静かにしてくれれば、なかった。なかったことだ。もう、こういうことで、疲れ果てた。あいつは、鳴らしっぱなしだからな。こっちが、どれだけ、困ってたって、鳴らしっぱなしだ。それで、「静かにしてやった」と思ってやがる。頭にくる! 俺がどうして困っているかというと、きちがい兄貴の騒音が、何年間も続いたから、その日困っているんだよ。ヘビメタ騒音が六年間ずっと毎日続いたから、六年目の入学試験で、困っているんだよ。それで、言いに行っても、一日に七時間、休みなら一二時間鳴らしまくるという状態が、変わらない。一分だって、本当には静かにしてくれない。そういう意地を通した。実際には、一分だって静かにしてないのに、本人が五分間、一%静かにしてやれば、一日中静かにしてやったつもりになる。その五分間も、身悶えるほど、うるさい!! 発狂しそうなほどうるさい!!自殺してしまいそうなほど、うるさい!!!





2015年7月18日土曜日

「人のせい」かどうかは、ケースバイケースで違う。

この人の文章はおもしろいしわりと読んでいる。

---引用開始
「俺がこうなってしまったのはお前らのせいだ!」
と家族を責めていたところでした。
ブログ村の無職カテゴリーでもこういうブログを書いている方を見かけますが・・・・・・。
やはりこういう物の考え方をする方は、ほぼ壊れかけのようです。
---引用終了
時給一両 「THE説得」をみて
http://kanimiso.syoyu.net/%E7%84%A1%E8%81%B7%E3%80%81%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%82%92%E3%81%97%E3%81%A6%E6%80%9D%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8/%E3%80%8Cthe%E8%AA%AC%E5%BE%97%E3%80%8D%E3%82%92%E3%81%BF%E3%81%A6


この「ブログ村の無職カテゴリーでもこういうブログを書いている方」というのが、私のことを指しているばあいがあるので、一応自分が考えたことを述べておく。けど、別に、特別深く、議論したいわけではない。また、彼の発言(ブログ村の無職カテゴリーでもこういうブログを書いている方を見かけますが)が、私を念頭に置いたものだとしても、彼の発言は、発言として受け止めておきたい。で、まあ、たいしたことじゃないのだけど、一応自分の立場というのは説明したいと思う。別に強く批判したいとかそういうことではない。返事も、特に必要がない。ただの感想を書いておく。別に、敵にしたいわけじゃないから。

--------

「ご飯が食べられない」といっても、二週間も続けて、ごはんを食べることができなかったら、死んでしまうわけだから、「ご飯が食べられない」と言っても、生きている以上、この世に存在が可能なレベルでは、食べることができたわけだよ。あとは、学校に通うことができたかどうかに関しては、ヘビメタ騒音の連続よりも、小さな問題だ。俺が学校に行かないなら、ヘビメタ騒音が鳴り止むというのであれば、俺は、学校に行かなかった。これは、行かなかったということだけど、行けなかったということだ。学校に行けない状態で、毎日ヘビメタ騒音が鳴ってないほうが、俺の人生にとっては、完全にプラスなのだ。やり直すことができた。体力的にも精神的にも。高校まで、学校に通ってなくても、高検を受ければいいわけだから。「ご飯が食べられない」といっても、生存レベルでは、食べられたということだから……。それに関しても、生存可能なレベルでしかご飯が食えない状態と、毎日ヘビメタが鳴っている状態のどっちを選ぶかということになったら、「ご飯が食えない状態」を選ぶ。実際、俺は、数ヶ月だが、生存可能なレベルでしかご飯が食えない状態で生きていたことがある。ヘビメタ騒音のせいでそうなった。

どのみち、自分が絶叫する声よりもでかい音で、週に四四時間から八四時間以上、毎日ヘビメタが鳴っている状態というのを、経験したことがないから、そんなことが言えるわけで、経験すれば、そんなことは言えないと思う。要するに、経験不足でわかってないだけの話だ。

「ご飯が食べられない状態」ではなく、また、学校に通える状態であれば、すべては、自己責任だという話なんだけど、それは違うと思う。だいたい、このふたつの条件というのは、重要だけど、決定的な絶対条件ではない。

ヘビメタ騒音を「消す」かわりに、学校には通えないということになったら、私は、スキップして喜んだ。実際、ヘビメタ騒音が鳴っているにもかかわらず、がんばって、七年間、学校に通ってしまったから、八年目から、通勤通学が、どれだけがんばっても事実上できない状態になっているのだ。ヘビメタ問題は死活問題だった。ほかのことと置き換えられるなら、俺は、置き換えて欲しかった。だいたい、世の中には、学校に通ったからこそ、自殺してしまう人間もいる。そんな人間に対して、学校に通うことができたのだから、学校に通えない人よりも、しあわせだということができるのだろうか? 「しあわせ」と書いたけど、「つらくない」でもいい。ほかにもいっぱい、つらいことがあるので、学校に通える状態かどうかは、絶対条件ではないのだ。まあ、俺は、自殺しないで生きたけどね。けど、これは、微妙なバランスの上に成り立っていた。いじめが原因で自殺した人は、いじめが死ぬほどつらいことだということを、証明してみせた、のだろう。

たぶん、この人のなかでは、生存可能なレベルでしかご飯が食えないことと学校に通うことができないこと(通わせてもらえないこと)が、一番つらいこととして想定されているのだろう。どっちも、本人が経験したことではないので、「一応、考えると」ということだ。想像のレベルで、このふたつが一番つらいことだと思っているのだろう。だから、このふたつを満たしている人が、「だれだれのせい」というのであれば、それは間違っていないが、このふたつを満たしていない人が「だれだれのせい」というのであれば、それは間違っていると考えているのだろう。けど、何度も言うけど、このふたつは、重要な事ではあるけど、絶対の条件ではない。ほかにも重要な事がいっぱいある。勝手に、この人が、このふたつ以外のことは、(決定的には)重要なことではないと決めつけただけなのである。

時間は、確かに、生きている限りは、平等だろう。寿命というものを考えると、時間も不平等だけどな。で、時間は、生きている限りは平等なのだけど、使える時間は平等じゃない。たとえば、人が絶叫する声よりでかい音で、この世で一番、嫌いな音が、一日に七時間以上、どかすか鳴っている状態だと、その時間は、勉強することができない。勉強だけではなく、好きな本を読むことも、眠ることもできない。また、普通の気分でテレビを視ることすらできない。トイレに入っても、その音がどかすか鳴っている状態なので、安心して小便もできない。毎日続くと、構えてから、小便が出るまでに時間がかかるようになるし、頻尿になる。普通の気分で風呂に入ることもできない状態になる。なので、鳴っている時間は、使えないわけだから、平等ではない。

あとは、「親」といった単語の問題がある。これは、「続柄」を示す単語なんだけど、ただ単に続柄を示すということ以上の意味を持ってしまう単語なのだ。

あと、ちょっといっておくけど、私はかねてから「父親のハンディだけなら、まともな職業について働いていた」と言っているわけで、通勤して働けないのは父親のせいだとは言ってない。通勤して働けないのは「兄」のせいだとは言っている。で、「兄」は「父親」なのかというと、当然、そうでない。で、これは、別に、兄が、他人であったとしても、同じだ。たとえば、兄が、基地外野郎という名前の持ち主なら、基地外さんのせいで、通勤して働くことができなくなったと言う。どうしてなら、それは、真実だからだ。兄は「家族」なので、「家族のせいで」ということになるけど、それは、兄が他人であったばあいも同じだ。家族か他人かで違うということはない。

むしろ、家族だからこそ、警察には連絡できないというような悩みが生じてしまう。むしろ、家の問題だからこそ、他人が介入しないという問題が生じてしまう。たとえば、続柄「兄」に強姦された、続柄「妹」は、他人が他人を強姦する場合よりも、難しい立場に置かれてしまう。また、親が子どもに暴力をふるう場合は、他人が他人に暴力をふるう場合よりも、肯定される。だいたい、「家」の問題は、社会の構成メンバーには、隠されがちなのである。

あと、実際は「人のせい」ではないのだが、「人のせい」にしないと、精神が崩れてしまうばあいがあるので、精神が崩れてしまう人は、そうしてもよいのではないかということが書かれているけど、これは、前半部分が間違った決めつけだと思う。

何度も言うが、「人のせい」かどうかは、ケースバイケースで違う。一括には論じられないことなのだ。この人は、「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件で、線引をして、ふたつの条件を満たしている人が「人のせい」にするのは許せるが、ふたつの条件を満たしていない人の場合は、「人のせい」だということ自体が間違っていると思っていると思う。線引はそれだから。だから、「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件を満たしていない場合は、すべての場合において、「実際は人のせいではない」のに「人のせいにしている」ということになる。その、「実際は人のせいではない」のに「人のせいにしている」人が、そう思うのは、自我を保つためにしかたがない場合があるので、肯定されるということになる。けど、「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件を満たしていないばあいでも、実際にその人が言っていることが正しい場合があると私は思う。つまり、本当に「人のせい」である場合だ。

兄による強姦について書いたけど、これは実際にあったケースで、この場合も、妹のほうは「「食べることができない」かつ「学校にも通わせもらえない」というふたつの条件を満たしていない。けど、妹のほうが、男性と付き合う、あるいは、結婚して家族をつくるということに関して問題を抱えたことは事実なのである。兄がやったのだから、兄のせいなのである。しかし、ふたつの条件を満たしていないから、「家族のせいで(不感症になった)」とか「家族のせいで、異性と付き合うことができなくなった」と思うのは、間違いだということになるのだろうか。私の意見では、これは、兄がやったことなのであるから、兄に責任があるのであり、妹は、されたことについて、責任を追及していいし、「兄のせいで、・・できなくなった」ということを言っても良いのではないかと思う。
まあ、この妹さんは、兄の結婚式に出た後、自殺してしまうんだけどね。こういう場合もあるのだから、実際に「その人のせいであるばあい」はその人がたとえ「家族」「親」「兄弟」であったとしても、「その人のせいで・・できなくなった」ということを言っても、間違いではないだろう。

(注)訴えにくいというのは、家族から犯罪者が出るのは問題だから、親が妹を説得していた。


「こういう物の考え方をする方は、ほぼ壊れかけ」……これに関しては、私はそのテレビ番組を視てないから、わからないけど、順番が逆なケースもあるのではないかと思う。私が「ほぼ壊れかけ」なのは、否定しない。「ほぼ壊れかけ」が実際にはなにを意味しているかわからないが……。言葉を濁したいところだから、濁したのであろう。他の人の例を出して言うと、問題が生じるかもしれないので、自分のことだとして言っておこう。

実際に、壊れるようなことをされたので、「○○のせいだ」と言っているのではないか。そういう可能性もある。また、「○○のせいだ」という考え方をするので、ほぼ壊れかけになったと考えているような印象を受けるけど、やはり、順番が逆なのではないかなと思う。
まあ、「実際は○○のせい」ではないのに、「○○のせいだ」と、言う人、あるいは、そう考えがちな人はいる。そういう妄想を持っている人もいる。そういう人は、たしかに問題を抱えている。だから、ケースバイケースだと最初から言っているわけで、「実際は○○のせい」ではないのに、「○○のせいだ」と言う人がこの世にいるということは、否定しない。それは、それで、また別の問題なんだよね。

被害妄想がある人、他罰的な人というのは、いろいろなところで、誤解して「○○のせいだ」と考えがちなので、他の人とうまくいかなくなるのである。もちろん、親とも、他の家族ともうまくいかないだろう。会社や学校でも、「そういう感覚」で他の人とぶつかることが日常茶飯事だと思う。これはこれで、別の問題。









人のせいにするな について。

人のせいにするな について。

これ、けっこう問題なんだよな。僕の考えを最初に述べておく。人のせいである場合もあるし、人のせいではないばあいもある。ケースバイケースだ。AさんとBさんとCさんがいたとする。AさんがBさんに、なんらかのことをして、Bさんの人生を台無しにしたとする。その場合は、Bさんのせいで、Aさんの人生が台無しになったのだから、Bさんは、「自分がこうなったのは、Aさんのせいだ」ということができると思う。しかし、世の中には、なんでも、一括方式で考えたい人(Cさん)がいて、「自分がこうなったのは、Aさんのせいだ」というような発言を聞くと、「Bさんは、人のせいにしている」「Bさんが、そうなったのは、Bさんせいだ」「人のせいにするな」「自己責任自己責任」と言いたくなる人がいる。そういう人も、一定数いる。

もうひとつ、別のケースを考えてみよう。AさんがBさんに、なんらかのことをせずに、Bさんの人生を台無しにしたわけではないのに、Bさんが、脳みその病気で、「Aさんのせいで、自分がこうなった」と思っているケースだ。この場合は、Aさんは、Bさんの人生を台無しにするようなことはしてないので、Bさんの言っていることは、間違っているということになる。その場合、一括方式で考えたい人(Cさん)がいて、「自分がこうなったのは、Aさんのせいだ」というような発言を聞くと、「Bさんは、人のせいにしている」「Bさんが、そうなったのは、Bさんせいだ」「人のせいにするな」「自己責任自己責任」と言う人は、一応、正しいことを言っているということになる。

だから、Cさんの発言は、正しい時もあるし、間違っている時もある。けど、このCさんのパーソナリティーにも、問題がありそうな気がする。自分がよく知らないことについて、ともかく、「だれだれのせいだ」という発言に反応して、「自己責任自己責任」と言いたくなる人は、やはり、「だれだれのせい問題」に関して、ある種の精神的な問題を抱えている可能性が高い。たとえば、本当は、「だれだれのせいだ」と言いたい気持ちがあるのだけど、そういうふうには言いたくなくない別の考え方があって、言いたい気持ちと別の考え方の間で葛藤しているというようなことが考えられる。

さらに問題なのは、「本人だけは別」という考え方が、ごく自然に成り立っている場合だ。「人のせいにするのはけしからんが、自分の場合は別」という無意識が成り立っているばあいがある。自分以外の人が「だれだれのせいで、こうなった」というのは、とてつもなく頭にくるので、すぐに「人のせいにするな」と反論したくなる。個別のケースについて、考えようとする、時間的な余裕や、精神的な余裕がない。「なんであれ、人のせいにするのはけしからん」という考え方なので、すぐに、「だれだれのせいで……」と言っている人を攻撃したくなる。まるで、自分が好きな宗教指導者をバカにされた時のように、「人のせいにするな」と批判したくなる。

「すべては自己責任」と考えているがいるとしよう。とりあえず、Dさんということにしておく。「すべては自己責任」なので、どんな事柄が発生したとしても、それは自己責任だと考えているのである。たとえば、交通ルールを守って道を歩いていたのに、車がぶつかってきて、下半身付随になったとしよう。この場合も、自己責任なのである。その時間に、その道路を、歩いていた自分が悪いのである。だから、車を運転していたEさんのせいではないのである。だから、Dさんは「自分がこうなったのは、Eさんのせいだ」とは言わない。こういう人は、一応、矛盾がない。

Dさんのような人が、実際にいたら、たぶん、ほかの人のことについてはあんまり言わないのではないかと思う。なおさら、自分がよく知らないことについては、発言を控えるのではないかと思う。「すべては自己責任」の範囲を、自分に限定しているからだ。どんなことが発生しても、人のせいにはしないという、価値観には、決意がある。そして、自分がした決意についてよく知っている。完全に、意識化されている。すべては自己責任なので、自分の発言から生じたことも、また自分に責任があると考えるだろう。そのような考えを持っている人が、むやみやたらに人を攻撃するわけがない。

実際には、Dさんのような人は少なくて、自分が言ったことにも責任が持てない人のほうが多いのではないかと思う。普段自己責任自己責任と言っている人の中には、自分だけは例外、他人の場合は自己責任と思っている人が多いのではないかと思う。

注 小説の三角さんが他人には「自己責任自己責任」という割には、自分のことになると、とたんに「○○のせい」と言い出す人のモデルです。ほかの人のことを言ったのではありません。






2015年7月17日金曜日

初詣に行けなかったわけ

これは、今朝起きて、……今朝というか、夜中だ……夜中……今日の夜中に起きたとき……ちょろっと思い出したことだから、そんなに、記憶がはっきりしているわけではない。

中学三年のとき、初詣に行こうと数人の友達からさそわれた。けど、ヘビメタ騒音対応で「それどころじゃなかった」ので、行かなかった。一分だって欲しい。一秒だって欲しい。他の人は、普通に勉強した時に勉強できるわけで、「たまには息抜きに」「メリハリを付けるために」「気分転換に」初詣に行くこともできる。実際、良い気分転換になると思う。

けど、俺は違う。きちがいヘビメタを静かにさせるために、そのとき、闘っていた。闘っているとき、きちがい兄貴は、普段どおりに、全部の時間、きちがい的なでかい音でヘビメタを鳴らす。入学試験一ヶ月前だから、しずかにしてくれたとかそういうことは、一切合切ない。……だから、静かにしてないと言っているのに、きちがい兄貴は、「静かにしてやった」とか「そんなつもりじゃなかった」と言っているのである。

で、これ、鳴らしているさいちゅうにどれだけ、どれだけ、どれだけ、「あと一ヶ月で入試だから、静かにしてくれ」「年が明けたら入試だから、静かにしてくれ」と言っても、一日中鳴らし続ける。冬休みで、一日中、家にいるなら、朝の九時一五分から、夜の一一時一〇分まで、頑固に、全部の時間、鳴らし続ける。もちろん、本人が、風呂にはいる時間、本人がごはんを食べる時間は、抜かしてだけど、きちがい兄貴は、カラスの行水で風呂には一〇分ぐらいしか入ってないし、ご飯も一食、一〇分ぐらいで食べてしまう。

あとは、全部、鳴らしている状態だ。風呂から出たら、もう、すぐに鳴り始める。着替える前に鳴り始める。きちがい兄貴が、部屋に入った途端に鳴り始める。たぶん、きちがいヘビメタを、どでかい音で聞きながら、着替えているのだろう。で、いつものことだからね。たまたま、一日、……一〇年間で一日だけ、風呂から出たら、すぐにヘビメタが始まったってことじゃないんだよ。全部毎日同じだから。俺は、「時間を決めて静かにしてくれ」とずっと言っているのに、きちがい兄貴が、それを聞いて、時間を決めて、静かにしてくれたことが、一日もないんだよ。一〇年間で一日もない。だから、「静かにしてくれなかった」といっているのに、きちがい兄貴は、きちがい感覚で「静かにしてやった」と言っているのである。頭がおかしい。

そういうやり方で、一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間と鳴らしていく。既成事実を作り上げる。途中、何回注意しても、本当に中断して静かにしてくれことは、絶対にないまま、八時間、九時間、一〇時間、一一時間、一二時間、一三時間、一四時間と鳴らす。……それで、……入学試験前の一二月に、そういうことをやって、「静かにしてやった」というつもりが持てる、きちがいなんだよ。まるで、悪いと感じないわけだから。

俺が、静かにしてくれというのを聞かないで、10分鳴らしたら、一〇分鳴らしたということなんだよ。きちがい兄貴は、俺の言うことを聞かないで、一〇分、ゴリ押しで、頑固に、絶対虫の境地で鳴らして、それで、「静かにしてやった」「十分静かにしてやった」「できるだけ静かにしてやった」と思い込むことができる……けたたましい音で鳴らしながら「静かにしてやった」と思える……きちがいなんだよ。こんなのきちがいとしか言いようがないだろ。カオ君もびっくりの「どでかい」音で鳴らしているわけだから。そういう、普通の人が聞いたら……「わーーーっうるさっっさい。なんだこの音。こんな音で鳴らしてるの??」と思ってしまうような音で鳴らしているのに、きちがい兄貴は、「できるだけ静かにしてやった」と思えるようなきちがい野郎なんだよ。本当に!全部、そういうモードで一四年間鳴らしてきたんだからな。

一日に一四時間鳴らしてたって、俺に注意されたとき、五分間、一デシベル下げてやれば、それで「じゅうぶん静かにしてやった」「できるかぎり静かにしてやった」ということになる。その、五分間の音も、何度も言うけど、普通の人がびっくりしてしまうほどでかい音なんだよ。じゃ、「おばあちゃん」のうちで、きちがい兄貴が、静かにしたつもりの音で、鳴らしてみろ。「なんだこれは!!」「うるさい!!」ってなるよ。それこそ、五分ですら、そういうことになる。

一分でも、「そんなでかい音で鳴らさなくたっていいだろ」ってことになる。多分だけど、おばあちゃんとか、親戚の人、あれだけのでかい音で、音楽を聞いたことがないと思う。あれだけのでかい音で、ヘビメタを聞いたら、もう、ひっくり返っちゃうよ。そういう音なんだよ。そういう音で、一四時間鳴らしても、「静かにしてやった」だ。「静かにしてやったのに、あとからあとか、なんだ!!」って腹を立てて、鳴らしてた。

静かにしてないから、その五分間、のあとも、僕が、「静かにしてくれ」と言いに行く必要が出てくる。きちがい兄貴は、最大限静かにしてやったつもりなんだろうけど、実際には静かになってないから……ずっとうるさい状態が続くから……「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言いに行かなければならない。ほんとうに鳴ってない状態で静かに鳴っていたら、一度注意した後、言いに行かなくてもすむ。

……それを、きちがい兄貴は、「あとからあとから、がたがた言ってくるな」「ガタガタ言ってくると、もっと鳴らすぞ」なんて、腹を立てて言ってたんだからな。どこに、いいぶんがあるんだよ??どこに?? だれが、どれだけ静かにしたんだよ。いいぶんがあるなら言ってみろ。きちがい兄貴が、静かにするわけがないだろ。一デシベルゆずるのだって、いやでいやでしかたがなくて、恩着せがましい態度になるわけだから。

こういうふうに、困ることをし続けて、「やってやったやってやった」ってなるんだよな。きちがい兄貴ときちがい親父は!!!! 嫁さんに言っておく、きちがい兄貴が「静かにしてやった」とか言っても、それは、きちがい親父の嘘と同じ嘘だから。本人が、本当は、どでかい音で鳴らし続けながら、「できるだけ静かにしてやった」と思っているだけ。「できるだけ静かにしてやった」と思いながら、普通の人がびっくりするようなでかい音で鳴らし続けて……何時間も何時間もずっとずっと、一日中鳴らし続けて……平気な人なんだよ。

そういう感覚なの。そういう感覚の持ち主。もう、まったく、きちがい親父と同じ。本当に、親戚の家で、あのでかい音で鳴らしてみろっていうんだ。それで、「こんなの静かですよね」って言ってみろ。もちろん、普通の声で言ったって、聞こえないけどな。大声で「こんなの静かですよね」って怒鳴ったって、言葉がちゃんと聞き取れるかどうかわからない……そういう音のでかさで鳴らして、「しずかにしてやった」と思うことができる……そういうきちがいなんだよ。

で、これが、一度セットされたら、態度が変わらないんだ。一〇年間、一一年間、一二年間、一三年間、一四年間、態度が変わらない。本当に、きちがい兄貴が「静かにした」量なんて、本当に微々たるもの。というか、……どでかい音で鳴らしている。どでかい音で鳴らしながら「最大限静かにしてやった」と恩着せがましく思うことができるのが、きちがい兄貴。で、本当に、一度そうなったら、どれだけ、なにを言っても……どれだけもめても、そのままなんだよ。

毎日、十数年間、そういう態度なんだよ。そういう感覚なんだよ。だから、どれだけこっちが真剣に「やめてくれ」「やめてくれ」と入学試験前に怒鳴っても、やめずに、一〇時間も、ドカスカ鳴らっぱなしで、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思えるわけだ。本当に頭にくる。こーーいう、感覚だから。全面的にすべて、こういう感覚だから……。こういう感覚だから、本当に、スイッチを切って、一時間、二時間我慢するということがない。

ヘッドホンだって、ヘッドホンをしようと思えばいくらだってヘッドホンをすることができたのに、一時間、……どころか三〇分だって、二〇分だって一〇分だって、ヘッドホンをして静かにしてくれるということがなかった。入学試験、一ヶ月前だって、頑固に全部、鳴らすという状態だ。そんーーな人が、普段の日に静かにしてくれるわけがないでしょ。それなのに、きちがい兄貴は、しずかにしてやった」と思っている。迷惑をかけてないと思っている。俺の勉強の邪魔をしてないと思ってている。

どれだけ、「勉強の邪魔だからやめろ」「勉強するからやめろ」「勉強するから静かにしろ」と怒鳴り込まれても、静かにしない。怒鳴り込まれた時だけ、腹を立てて、むすーーーーーっとした顔になっておしまい。で、そのとき、きちがい親父は、ほったからかだったんだよ。これ、絶対に注意してないから。なおさら、きちがい親父が、自発的に注意したことなんて一度もない。きちがい兄貴は、頑固に無視して、ドカスカ、どでかい音で鳴らす……きちがい親父は、頑固に無視して関わらない……というのが、毎年毎年、毎日毎日、ずっと続いてんだから。

そういう、家、なんだから。これ……俺が言っていることがおかしいと思うだろ。けど、ほんとうに毎日、毎年、そういう状態。そうでない日が、一日もない状態だよ。俺が騒いで、「家族会議家族会議」と言って、やつらを交渉のテーブルにつけようとするまでは、ほんとうに毎日、全く変わりなく、そういう状態が、普通に続く……。もう、いやだな。あー、いやだいやだ。……それで、鳴らしたということが、「外部」にバレて、居心地が悪くなったら「静かにしてやった」「できるだけ静かにしてやった」「そんなつもりじゃない」「そんなの知らなかった」だからな。

長くなってしまったけど……これだけ、書くあいだ……ずっと鳴ってたら、本当に苦しいんだよ。きちがい兄貴が静かにしてやった、つもりの、どでかい音で、これを書くあいだずっと鳴ってたら、苦しい。二〇分でも、三〇分でもずっと苦しい。連続的に苦しい。それが、一日に一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、続いたら、どーーーーんな、気持ちになると思っているんだよ???

長くなってしまったけど……本当にたくさんの友達から、さそわれたんだけど、ヘビメタ騒音で「それどころじゃないから」行けなかった。もちろん、クリスマスも、大晦日も、正月三が日も、フルの音で、フルの時間……きちがい兄貴がヘビメタを鳴らせるすべての時間……ヘビメタが鳴っていた。で、まあ、おちまくるわけだけどさ。

で、「エイリもなぁ……」ってことになる。「一緒に初詣に行って、合格祈願してたら、受かってたかもしれないのに……こないからぁ」なんて思われる。合格祈願は、関係がない。ヘビメタしか関係がない。それに、試験期間中だけやられたわけではなくて、……大晦日正月だけやられたわけではなくて、小学六年生の時から、やられて、中学三年間、フルに、全部やられている。やっと勝ち取った、最初の高校入試の前日以外は、すべて、きちがい兄貴が、フルの音で、フルの時間……可能な時間すべて……鳴らしている。そういう、三年間なんだよ。

友達と一緒に初詣、合格祈願に行かなかったというのは、ほんの一例なんだ。小さいことだと思う。けど、こういうことが、毎日積み重なっていく。一〇〇〇日鳴らされれば一〇〇〇日積み重なっていく。三〇〇〇日鳴らされれば、三〇〇〇日積み重なっていく。そして、体のだるさと、睡眠障害が積み重なっていく。その結果、引きこもりがちになる。友達とも、うまくいかなくなる。

何度も言うけど、毎日なんだよ。毎日、少しずつ積み重なっていく。「一〇年と一日目には、もうだめだ」ということになっている。ヘビメタ騒音で疲れたと言っても、一日目の疲れと、一〇年と一日目の疲れは、比べ物にならない。もちろん、一〇年と一日目の疲れのほうが、ひどくて、深刻だ。

ともかく、きちがい兄貴は、五分間一デシベル静かにしてやれば、「静かにしてやった」「ゆずってやった」という気持ちになる。それで、入学試験前の日曜日に一二時間鳴らしていても、まったく、迷惑をかけたと思ってない。その日に、一〇回、二〇回、やめろやめろと怒鳴りこんでも、意地になって鳴らすだけで、なにも感じない。自分が迷惑かけているとか、入学試験の邪魔をしているとか、勉強の邪魔をしているという気持ちになれない。なおさら、人生を破壊しているつもりなんてない。友達付き合いを破壊しているつもりはない。つもりはないけど、やることは同じだ。フルの時間、フルの音で鳴らし切る。怒鳴り込まれたとき、五分間、一デシベル下げるときはある。けど、その一デシベル下げた音が、猛烈な騒音なんだよ。きちがい兄貴は、「静かにした」と思ってしまうのだけど、きちがい兄貴が「静かにした」つもりで鳴らしている時の音は、客観的に言って、ものすごい騒音なのである。だから、そういう感覚自体が狂っている。だから、入学試験の前に、一日中、ドカスカ鳴らしても、なにも感じない。年が明ければ受験だという、冬休み期間中に、一日に一四時間鳴らしても、「静かにしてやった」「ゆずってやった」と思っているようなところがある。こっちは、鳴らされて困っているだけなのに。

で、どれだけ言っても、何回、言っても、つ・う・じ・な・い・んだよ。で、通じなければ、どれだけやったって、やったことにならないんだよ。「つもりがない」「そんなんじゃない」「静かにした」ってことになる。時間がたてばな。鳴らしている最中は、どでかい音で鳴らしているということを、頑固に認めないまま、頑固に、全部の時間、自分が満足できるデカイ音で鳴らし続ける。それでいいと思っている。それで、まったく迷惑をかけてないと思っている。

そういう、一〇年なんだよ。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、騒音を鳴らしている一〇年というのは。その一〇年間のあいだに、どれだけのことが積み重なったと思っているんだということだ。きちがい兄貴に言いたいのは、そういうことだ。「つもりがない」「静かにしてやった」……こういう態度で、頑固に全部の可能な時間、きちがい的にうるさい音で、鳴らし続ける。これが、きちがい兄貴が、この世で本当にやったことだから。

勝手に言い換えてんじゃない! 勝手に、脳みそで変換するなよ!! 自分が思いっきり、やりきれるなら……好きな時間やれるなら……脳内変換なんて、おちゃのこさいさいだよ。やりたいことを優先して、現実認知を捻じ曲げる。現実認知をねじ曲げれば、できることであるなら、現実認知をねじ曲げて、強引にやり切る。どれだけ言われたって、なにもしてないつもりで、血相を変えて、頑固に全部、やり切る。これが、きちがい兄貴が、この世で、一四年間にわたってやったことだよ。足掛けで計算すると一五年間だ。

一五年間、血相を変えて、毎日やったことでも、「つもりがなかった」「そんなつもりじゃなかった」「静かにした」「ゆずった」「そんなに鳴らしてない」だからな。

初詣だけではなくて、成人式にも行ってない。同窓会にも行ってない。おまえ、どれだけ!! どれだけ、きちがい兄貴のヘビメタ騒音が、俺のそういう選択に影響与えていると思っているんだよ。浪人中で、成人式なんて、格好悪くていけるか。で、二十歳の時の大学受験でも、ずっと毎日、ヘビメタが鳴っていて、当然入試の前もヘビメタが鳴っているという状態なんだよ。中学三年の時と変わらない。何千回、何万回、「やめろ」「静かにしろ」といったと思っているんだよ。一日に一〇分だって、ヘッドホンをしなかったんだよ。一日に一〇分ですら、絶対に静かにしてくれなかった。これが、きちがい兄貴がやったことだ。「静かにしなかった」と「静かにした」じゃ、正反対の内容だろ。きちがい兄貴の認知のずれがあると、正反対の内容を言うようになる。で、きちがい兄貴のやり方があまりにも「きちがい的」だから、他の人は、俺が言っていることより、きちがい兄貴が言っていることを信じたくなる。「そんな、ひといない」「そんなことはない」だからな。

普通に毎日、そうやって、俺の人生を破壊し続けてきたんだよ。きちがい兄貴。「つもりがない」まま、……どれだけ、何回言われても、どれだけ何回怒鳴り込まれても「つもり」が生じないまま、全部の可能な時間、がめて、どでかい音で鳴らし続ける。それが、きちがい兄貴がこの世でやってきたことだ。それ以外にない。それ以外に形容することができない。それ以外に説明することができない。きちがい兄貴よ。おまえ、生きているあいだ、ずっと嘘をつくのか?

一〇代の日が、毎日ヘビメタ騒音だったから、死にたい。

おさえつけて鳴らして、無視して鳴らした。一日に一分だって、静かにしてもらってない。


2015年7月15日水曜日

これからやりたいこと、リスト。





これからやりたいこと、リスト。

ものすごくかわいい、女の子と付き合う。
ものすごくかわいい、女の子と共同生活をする。
一年間共同生活をして、うまくいくなら、結婚してもいい。
(結婚には、こだわらない)。
(ものすごくかわいいというのは、僕にとってものすごくかわいいということだから、僕の趣味が激しく投影される)

中型バイクの免許を取る
中型バイクで、ツーリング?をする。

全国を旅して、写真を撮る。
写真を売る。写真を加工して売る。

全世界とは言わないが、世界を旅して、写真を撮る。

(恋愛感情はないけど)
ものすごくかわいい人の写真をとって、加工して売る。
(これは、WEB素材ということです)

哲学思想に関して、ものすごく話し合える人と話をして、本にして売る。
心理学について、かなり話が出来る人と話をして、本にして売る。
経済学について、かなり話が出来る人と話をして、本にして売る。
教育学について、かなり話が出来る人と話をして、本にして売る。
「底辺」の問題、経済的な不平等の問題について、かなり話が出来る人と話をして、本にして売る。

ヘビメタ騒音について、小説を書いて、本にして売る。
(電子出版でもかまわない)。
(本にして売るといった場合、電子出版でも構いません)。

自分が満足できる抽象画を描く


と、まあ、発表できるリストはこんな感じか。

難易度に関しては、いろいろ頭のなかで考えた。文章にするべきか迷う。
「ものすごくかわいい、女の子」というところでもう無理なんだよな。

あとは、「つまらない」感情がつきまとう。たとえば、
中型バイクの免許を取る
中型バイクで、ツーリング?をする。
は、ちょっとはやってみたいことなんだけど、ものすごくやりたいことではない。
だから、優先順位が低い。抽象画も言ってみただけみたいなところがある。頭のなかの混沌をなんとか表現してみたいとは思っているんだけど。

まあ、頭がモヤモヤしいる状態で、バイクはまずいだろ。

あとは、放射能汚染されてない魚を使った寿司を食べたい。なんか有名な寿司屋で、ちゃんとした寿司を食べてみたいな。

フランス料理も、食べたことが一回もないので、生きているうちに、一回ぐらいは食べておきたい。

けっきょく、僕がやりたかったことというのは、学問なんだよな。女の子のことをのぞけば。あとは、デザインとか絵の関係か。一応、ここだけの定義だけど、学問というのは、まだ解決してない問題について議論することだ。突き詰めて議論をしたいんだよな。僕は。

けど、もう、なんというか、「抜けてしまっている」ところもある。








--------------

「つまらない」って感情が。「つまらない」って感情がどうしてもあるんだよな。普段から、どうしてもある。ヘビメタ騒音以降、ずっと、引きつって……。引きつって努力して、動かないからだを動かそうとして、失敗して果てたという感情がある。ヘビメタ騒音が鳴っている時の、俺の「引きつり」といったらない。本当に苦しかった。鳴っている時だけではなくて、鳴ったあと、学校に行って、普通に活動するというのが、ものすごく苦しかった。鳴っている期間中、苦しかったし、鳴っている期間が終わった後も、けっきょく、苦しかった。ヘビメタ騒音が一五年目に終わったんだけど、そうしたら、ヘビメタ騒音一四年と数が月の影響がなくなったかといったら、そうじゃないんだよ。体がダルイし、人生の大切な時期をうしなったというのは、かわらない。特に、体が元に戻らない。これ、あんまり言いたくないけど、やっぱり、脳みそとか神経とかやられている感じがする。まあ、その一五年間、もっと、厳密に言えば、最初の六年間で、うしなったものが多すぎる。あれはない。最初の六年間、……いや、七年間、普通に暮らせたらな。小学六年、中学一年、二年、三年。高校一年、二年、三年のすべての日を、ヘビメタ騒音に関係がなく、すごせたら、ぼく、本当に違ってたと思うんだよな。でかいんだよな。他の人には、「そんな、過去の騒音なんてどうでもいいじゃない」「いまのことを考えようよ」と言われそうなんだけど。あの六年で、全部うしなった。本当にでかい。死にたい。まあ、前にも書いたけど、ぼくにとって「死にたい」というのは「より良く生きたい」ということだから、気にしないで。心配をしてくれる人がいたら……。まあ、死にたいと書くのは良いことではない。すまないと、あやまっておく。


-----------

このあと、いろいろと考えたんだけど、書けなかった。





2015年7月14日火曜日

兄への手紙 答えろ(5)

これも、今になれば、今の家族に対して、まるで、「静かにしてやった」ようなことを言ってるんだろ。きちがい兄貴が静かにしてくれたことなんて、一日しかないから。その一日で懲りたのか、そのあと絶対に、一日だって静かにしてくれてないから。毎日、三〇分静かにしてくれたことがあるか? そんなのあるわけがないだろ。だから静かにしてないんだよ。きちがい兄貴が鳴らしているのに、中断して一分間、静かにしてくれたことがないんだよ。そういう日が、一日もないんだよ。きちがい親父と同じで、い・ま・に・な・れ・ば、「静かにしたぁ!静かにしたぁ!静かにしたぁ!静かにしたぁ!十分静かにした!!できるだけ静かにした!!」絶叫、なんだろうけど、静かにしているわけがないだろ。その静かにしたというのは、カオ君が一分間、聞いただけで、「こんな音で鳴らしてて、だいじょうぶなの?」と疑問を持つような、どでかい音なんだよ。きちがい兄貴が、静かにしたというのは、きちがい兄貴が静かにしたつもりで、カオ君が驚くような音で鳴らし続けるということだから。客観的には、全然、静かになってない。

「カオのことなんて、よく覚えているなぁ」ぐらいの感想しかないんだろう。あとは、嫁さんや、嫁さんの家族の前で、いいわけしているだけなんだろ。兄貴と親父は、そっくりだ。今になれば、親父は「注意した注意した」、今になれば、兄貴は「静かにした静かにした」だ。嘘だね。これ、なんなんだよ。きちがい兄貴なんて、たぶんだけど、「あのころは、そんなんだったのかなぁ」ぐらいの気持ちしかない。あとは、弟が言うように静かにしないで、頑固に鳴らし続けたということが……あるいは、そうしたということを認めることが、都合がわるいことだから、「静かにしてやった」「静かにしてやった」といいわけしているだけだろ。きちがい兄貴が、普段の日!一分間だって、中断して静かにしてくれたことがない。毎日そういう状態だった。何年間も何年間も。例外なく毎日、そういう状態だった。何年間も何年間も。静かにしてないから。入学試験、一ヶ月前だって、二週間前だって、三日前だって、二日前だって、一日前だって、ヘビメタ騒音対策に追われて、全然、勉強ができなかった。鳴っているから!! おまえ、きちがい兄貴、おまえが、部屋にいて、鳴らせるのに、鳴らさないで、我慢してくれたことなんて、一日しかないんだよ。それ以外の日は、一分だって、中断しないで、全部の可能な時間、鳴らしている。入学試験シーズンだって、入学試験前日だって、きちがいヘビメタ対策で、ひきつってたよ。どういう気分で、一時間、二時間、三時間って、蹂躙されていくかわかるか??? 鳴らされたまま、時間がたっていくって、わかるか? 過去、数年間にわたって、毎日、蹂躙された音に、その日も!!!蹂躙されたまま、一分、二分たっていくという時の、一分、二分の、気持ちがわかるか!!! おまえ、きちがい兄貴、ヘビメタ以外音で、音源で、きちがいヘビメタを鳴らしていた時の音と同じ大きさで、なにかを鳴らした時があるのかよ?? 俺は、やれと言ったぞ。言ったというよりも、書いた。何回も書いて送っているからな。きちがい兄貴が、ヘビメタの音を、フォークギターぐらいの音だと思っていたら、大間違いだからな。そういうのだって、やっている当時一五年間に渡って、認めないわけだろ。俺は、兄貴がヘビメタの音を、フォークギターぐらいの音だと思っているとは思ってなかったので、(きちがい兄貴が家で鳴らしている間)そういう言を聞いたことはなかったけどね。

ともかく、親父が「何回も注意した」と言ってるんだよ。
で、きちがい兄貴は、親父に、直接注意されたことがあると思っているのか、ないと思っているのか、答えろ。自分のことじゃなくて、きちがい親父のことだから、正直に答えられるだろ。

で、あると思っている場合(あると認識にしている場合)それは、何回か、答えろ。
人生のなかで、何回、親父に、ヘビメタ騒音のことを注意されたか、答えろ。これ、何回、面と向かって注意された事があるかどうか、ということだからな。直接だよ。直接。自分のことじゃなくて、きちがい親父のことだから、正直に答えられるだろ。

それから、きちがい親父に直接注意されたあと、ヘビメタ騒音を中断して静かにしたことがあるのかないのか、答えろ。ある場合は、何分ぐらい、(持続して)静かにした(鳴らさずに、静かにした、もしくは、ヘッドホンをして静かにした)か答えろ。これは、自分に関係たことだから、正直に答えることはできないか???

きちがい親父も、きちがい兄貴も、同じなんだよね。こういう状態なんだよ。こういうことなんだよ。したのかいで、俺と親父が、ヘビメタ騒音のことをめぐって、どれだけ、喧嘩してたって、絶叫して言い合いをしていたって、きちがい兄貴は、シランプリで、二回でドカスカ鳴らしているというのが、うちの、ノーマルな状態だから。きちがい親父がいたということは、俺が二十歳ぐらいの時の話だ。俺が小学六年生から中学三年の入試直前で、「いたことすらない」のだから。高校一年生から高校三年生の入試直前まで、「いたことすらない」のだから。親父が、うちにいたことがない。きちがい兄貴が鳴らしているあいだ、いたことがないんだよ。毎日、注意、しなかった。いたことがないから。きちがい兄貴が起きる前に、きちがい親父は、家を出て、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らし終わったあとに、帰ってくるんだから。この、ヘビメタを鳴らし終わったあとに帰ってくるというのは、三六五日中、三六五日、成立している。一日の、例外もない。俺が小学六年生から中学三年の入試直前まで、と、高校一年生から高校三年生の入試直前までのあいだ、一日の例外もなく、きちがい兄貴が鳴らし終わったあと帰ってくる。例外はないから。で、日曜日の午前中だけ、きちがい兄貴が鳴らしている時に、親父がいる。で、親父が「何回も何回も注意した」というのは、たとえば、日曜日は毎回、注意したということではないんだよ。逆に、入学シーズンをのぞいて、日曜日ですら、毎週、かならず、注意しなかったんだよ。これ!! これ!! 第三者が、親父が「何回も何回も注意した」と言っているところに出くわしたら、「そんなに鳴っているんだったら、日曜日は、注意したんだろうなぁ」って思っちゃうだろ。これが、嘘なんだよ。嘘のつもりがないんだよね。

で、「日曜日の午前中、毎回、毎週、注意しなかった」と俺が言うと、「そんなのは知らないけど、気がついた時は、注意した」って言うんだよね。あとは、「じゃ、どうしろってんだぁ!!!!!」だけどね。こういうの、「心外」なんだよね。「日曜日の午前中、毎回、毎週、注意しなかった」のなんて、当たり前のことで、親父が知らないはずがないんだよね。中学三年間、高校三年間、日曜日の午前中、親父が、自発的に、兄貴の部屋に行って、直接兄貴に、注意したことなんて、絶対にない。自発的にじゃなくて、俺日中してくれと言われて、しぶしぶ、注意しに行ったこともない。それで、兄貴が、日曜日の午前中、五分間で、鳴らさないで、静かにしてくれたことなんて、ない。そんな日曜日は、絶対にありえない。あるはずがない。

お母さん。きちがい親父もきちがい兄貴も、「いまになれば」こんな状態だよ。兄貴は、静かにしなかったのに、……親父は、注意しなかったのに、兄貴は、静かにした、親父は注意したと、真顔で言っているような状態だよ。鳴らしている時も、こういうふうに鳴らしてたんだよ。お母さんだけなんだから。あとは、都合が悪くなれば、勝手に自分の記憶を書き換えちゃうようなやつなんだから。やっているそばから、そうだよ。やっているときはやっているときで、絶対の意地でやって、認めないんだよ。こまったな~~~。本当に。全部これ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。