むかしむかし、ビジネス本を読んで「条件がちがいすぎる」と感じたことがあるんだよね。ビジネス本の要約動画を何本か見たけど、おなじことを感じだ。
ぜんぜん、条件がちがう。
言っていることが、きれいごとでたてまえ。
「そんなことを言っていられる状態じゃなかった」という言葉が、バンバン、うかんでくる。「そんなことが成り立つなら、苦労してない」という言葉がバンバン、うかんでくる。
作者は「現実的な話」をしているつもりなんだろうけど、それは、作者にとっての「現実」だ。俺の場合は、特殊な家族といっしょに住んでいたから、その土台が成り立たないのだ。ようするに、「作者の現実」と「ぼくの現実」がちがいすぎる。
「作者の現実」と「ぼくの現実」がちがいを条件のちがいとして表現すると、「どんな条件でもこうだ」ということを言うやつが、わいてくる。こいつは、特殊な家族といっしょに住んだことがないから、特殊な家族といっしょに住むことからしょうじる「条件」について、理解がたりない。
自分のことではないから、「条件なんて関係がない」と言うのだ。
こいつだけではなくて、ビジネスの本の作者も「条件なんて関係がない」と考えているようなところがある。直接、条件は関係がないということを記述する作者もいれば、条件は関係がないと考えているからこそ言えることを記述する作者もいる。「条件」と言ってしまうけど、「現実」なんだよね。「現実」を無視するな。
現実世界で発生した「出来事」は影響をあたえる。現実世界で発生した「過去の出来事」は現実世界の「現在の状態」に影響をあたえるということだ。
だいたい「げんざい」の「ん」を言っているうちに、「げ」を言ったということは、過去の出来事になってしまう。「現在」という言葉を使っている人は、「現在」というものが、いったいなにを指しているのかわかっているのだろうか?
まあ、「現在の瞬間」というものが、どういうものなのであるかという問題は、横に置いておこう。たぶん「過去は関係がない」と言っている人における「過去」というのは、相当に幅のひろい過去なのだろう。
問題なのは、「過去は関係がない」という考え方だ。こんなでたらめな考え方が、正しい考え方として流布している。アホらしい。もう、のろいのようだなぁ。
「条件は関係がない」という考え方は、「過去は関係がない」と言う考え方と、リンクしている。 「現在の条件」だけではなくて、「過去の出来事」についても言及していることになるからだ。
「現在の条件」というものは、過去の出来事によって、つくりだされた条件なのである。
過去における現在の条件……つまり、「過去の条件」も、そのときまでの、出来事によってつくりだされた条件だ。ようするに「現在の条件」も「過去の条件」も過去の出来事によってつくりだされたものなのである。現実に起こったことは、現実に影響をあたえる。
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「ん」の発音だけど、これは、けっこうむずかしい問題を含んでいる。「げんざい」と「げざい」はちがう発音になるので、「ん」の部分もあるような感じがするけど「げ」と連なるスペクトラムのなかで無発音になる部分があるような感じがする。
しかし、無音部分をつくらないように「ん」を発音しようとするとへんな言い方になるけど、無音部分をつくらなくても、「げんざい」と発音できるような感じもする。
けど、やっぱり、発音としてはおかしくなるなぁ。
だから、やはり、普通は、かなりはっきりした無音部分があるような感じがする。普通は、無音部分まで含めて発音だと考えていいんだよな。けど、無音部分は無音部分だから「発音」はしてない。「ん」は、通常、無音部分をふくんだスペクトラムを形成するのだろう。
スペクトラムというのは連続性をもつものとして表現されるものだ。ひとつひとつのひらがなの発音は、たしかに、ひとつひとつのひらがなの発音として「ある」のだけど、実際には、みんな、ひとつひとつのひらがな発音をそのまましているのではない。
ようするに、連続性のなかに組み込まれた発音をしている。これなんかも、過去が現在に影響をあたえているということの例だ。過去の出来事が現在の出来事に影響をあたえている。
「現在の瞬間」がどういうものであるのかは、問題にしないとする。現在というのは、普通は!過去の時間を含んだ時間のことを言っているのである。
そうすると、人によって「現在」という言葉で表現されている「時間の長さ」がちがうということになる。これは、いちおう、「過去から過去まで」の時間の長さだ。現在というのは……『普通は!』……ある過去から、ある過去のまでの時間について言及しているのである。
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「げんざい」における「ん」の発音をするとき、無理やり、「ん」の無音部分をつくらないようにすると次の「ざ」の音に影響をあたえるのである。いったんは、無音部分をつくらないと次の「ざ」が発音しにくくなる。
そして、無理やり無音部分つくらなかったあとの「ざ」は、無音部分をつくったあとの「ざ」とは、やはり、実際の発音がちがう。
「ん」の無音部分は、次の言葉の発音に影響をあたえる。
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人によって「現在」という言葉で表現されている「時間の長さ」がちがう……と書いたけど、おなじ人でも、場合によって、「現在」という言葉が表現している「時間の長さ」がちがう。しかし、通常は、過去から過去における時間の長さを「現在」と表現している。「現在」と言っても、「過去から過去」なんだよなぁ。「現在」なんてものは、数学における頂点のようなもので、実際には、存在しない……かもしれない。