2020年11月30日月曜日

「引きこもりは未熟だ」という思い込みは、共同幻想に合致している



今日は、起きたあと、「おじちゃん」のことを考えていた。まあ、いろいろとあった。基本的には、ぼくは誤解されていると思う。葬式にも行けなかった。葬式できちがい兄貴に会うと、きちがい兄貴を、なぐりそうなのである。それは、葬式が円滑に行われることをさまたげることになってしまう。

言いようがないんだよな。ほんとうに、父親がきちがいという場合の、困難やトラブルは、父親がきちがいではない人には、わからないと思う。説明したってわからないだろうな。
 

おやじの場合は、精神病質で、ほかの人にはわかりにくいのである。兄貴も同じだ。「そんなの、静かにしてと言えばいいのに」と言って、話を打ち切った社長には、逆立ちしても、わからない。うちのなかで、狂っている人の感覚というのは、うちのなかで狂っている人がいた人じゃないとわからない。ほんとうに、こっちからすれば、「すっとぼけている」ような感じさえうける。「すっとぼけて」わざと無視をしているような感じさえうける。こいつらの「わからなさ」はかなりすごい。けど、こいつらにしてみれば、「そんなのは、やめてくれと言えないやつが未熟なのだ」ということになる。「俺はちゃんと言った」ということを言っても、この意見がかわることはない。最初にできた思い込みは、強烈なのである。まあ、この過程は、佐藤の件で書いた。

たとえば、「引きこもりは未熟だ」という思い込みは、共同幻想に合致しているので、強固なのである。この共同幻想に合致している思い込みというのは、その人の……わりと意識的な意見に……底のほうで影響を与える。ヘビメタ騒音で通勤・通学ができなくなったので、結果的に引きこもりの定義に当てはまるようになった(当時)と言っても、そんなのは、通用しない。『引きこもりで未熟な人が言っているから「ヘビメタ騒音云々」のことも信用できない』と彼らは感じてしまうのである。

2020年11月29日日曜日

自然に精神病になるタイプと、親が原因で精神病になるタイプ


自然に精神病になるタイプと、ほんとうに親が原因で精神病になるタイプがある。
精神病と言っても、範囲が広い。ごく自然に、発達障害になるように、ごく自然に脳の機能障害が発生することがある。ふたつのタイプが存在している。だから、基本的には『親が原因で精神病になることはない』とは言えない。たとえば、まるまるまる症は、誰かのせいでなるようなものではない。しかし、たとえば、強迫性障害(強迫神経症)は、親のせいで、強迫神経症になることがある。別にこれは、親でなくてもいい。一緒に住んでいる誰か別の人が原因になることがある。この場合は、誰か(A)の働きかけによって誰か(B)が広い意味で精神病になることがあるということを意味している。親が原因で強迫神経症になる場合がないかと言えば、あるのだ。他の理由で強迫神経症になることもある。その場合、最初から、親が原因で強迫神経症になる場合があるということを、無視していいのかという問題がある。
原因なんてどうだっていい(1)
親のせいにするのはけしからん(2)
悪者探しはよしましょう(3)
(1)(2)(3)のような決めつけがある場合、ほんとうは治る強迫神経症が治らないまま放置されるということが考えられる。
(1)(2)(3)のようなことを主張する人たちが、実際に親が原因で精神病になったわけではない事例をあげて、だから、親が原因で強迫神経症になることはないと決めつけてしまう場合は注意が必要だ。たしかに、親が原因で精神病になったわけではない場合があるが、親が原因で精神病になる場合もあるのだから、その事例をもってして、親が原因で子供が精神病になることはないと決めつけるのは問題がある。両方とも存在しているのだから、ひとつの事例をあげて、もう一方の可能性を否定するということは、できない。しかし、そういうことをやってしまうのである。
 

2020年11月28日土曜日

あのときの、あれ、ない。

 あのときの、あれ、ない。

 

だれもわからない。

けっきょく、俺が言っているだけになってしまう。

ほんとーーーに、きちがい感覚で、無視してやってたんだよ。きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじ構造の頭を持っているのだけど……。


毎日やられたらおしまいだ。どれだけ、努力してもむくわれない。きちがいヘビメタ騒音のなかで、体力をなくし、疲れていくだけだ。

 

「そんなの、静かにしてって、言えばいいでしょ」と言った某会社の代表取締役……ゆるさない。 

今度生まれ変わったら、ヘビメタ騒音がない世界に行きたい。

基本、ほかの人には、きちがい兄貴の、きちがいヘビメタ騒音がない。こだわりつくしの音で鳴らし続ける、きちがい野郎が横の部屋に住んでいるということが……持つ意味がわからない。ほんとうに、俺が言っているだけになってしまう。

きちがい兄貴は、こだわりがすごいんだよ。絶対に自分が好きな時間に鳴らすということに、こだわっていた。絶対に自分が鳴らしたい音で鳴らすということにこだわっていた。自分が鳴らしたい音で鳴らすということに、きちがいおやじと同じレベルの頑固さでこだわっていたやつが、「静かにするわけがない」でしょ。殺さないと、解決しない。殺さないと、解決しない。やられっぱなしだと、どうしても、一日が重たくなる。佐藤などは、そういう一日の積み重ねを無視しやがる。佐藤のような人間にとってみれば、俺がおかしいことを言っているだけなのである。

ほんとうに、偏差値二十、二十五下の世界で生きてみろ。どれだけの屈辱を受けるか。佐藤の態度も、ほんとうは、俺が屈辱を感じる態度なんだぞ。本人は、まるで、気がついてないけど。他人は……そうだよ。他人はそうなんだよ。

たとえば、きちがい兄貴の頭のつくりが特殊だとしよう……なら、きちがい兄貴は、きちがい兄貴の欲望のおもむくまま、こだわりの曲を、こだわりの音のでかさで、聞いていいのか?

それは、ちっちゃい問題じゃないんだぞ。おまえら、まったくわかってないだろ。

2020年11月26日木曜日

うちのなかにいるときは、『ハイドモード』だよ。……ジキルとハイドだとハイドモード


気違い兄貴によるヘビメタ騒音というハンディが、ほとんどすべてのことを不可能なことにしてしまう。これ、正しいのである。やられたことがない人は、「そんなことはない」と思うかもしれないけど、そうなのである。連続的にやられたことがない人は「やりようはある」と思うかもしれないけど、「やりよう」はない。思いつくことをすべて試したが、『鳴っているいじょう』だめなのである。毎日連続的にやらたれことがない人は「俺だったら、こうする。こうすれば、そんなのは、どうにかできる」と思うかもしれないけど、『鳴っているいじょう』だめなのである。


ほんとう、『家族』ということが、隠れたファクターで影響をあたえる。家族の中に、ふたり、兄貴と同じ頭の構造を持つものがいるということが、隠れたファクターで影響をあたえる。このふたつは、他の人が『どれだけ考えてもまったく想像がつかない』影響をあたえる。


他の人は、どうしても、自分の家族や、自分があってきた人を基準にして物事を考える。けど、『うちのなかにいる兄貴』や『うちのなかにいる親父』はそういう、想像をこえるものなのである。あとは、普通の人には、実際にやられた場合が……想像できない。だから、まとはずれな助言をすることになる。

 

けど、「まとはずれだ」ということを言ってしまうと、そういう助言をした人が、いちおうは、怒るような状態になる。怒るまではいかなくても、少なくても、自分の意見を否定されて、不愉快な思いをする。で、これがまた問題なのだ。問題を作り出している気違い兄貴は、どれだけ、そういうことを説明しても、気違い頭で否定して、やり続ける。これは、気違い親父が、ハンダゴテ事件のとき、兄貴の説明を受けて、否定して怒りくるうのと同じ状態なのである。

 

しかも、この状態のときのことは、本人にとって「よそよそしいこと」なので、時間が経てば、「そうしたということ」自体を本気で否定する。『そのとき』からちょっとでも、時間が経てば?『そんなんじゃない』ということになってしまうのである。『関係がない』ということになってしまうのである。自分が関わっているのに、関わっているということがわからない状態になってしまうのである。そして、それは、怒っているときもそうなのである。怒ってやり続けているときもそうなのである。

 

だから、本人としては「つもりがない」まま、ずっと、夢中になってやり続けるということが発生してしまう。気違い兄貴がやっていることが、囲碁なら……囲碁の練習なら、どうでもいい。しかし、気違いヘビメタを、思っきり鳴らすことだから、問題がしょうじる。一秒だって、ヘッドホンをしないのに……『静かにしてやった』と思っている状態で、鳴らし続ける。

まあ、鳴らしているときは、一切合切、俺のことが頭にないので、本人としては『鳴らしていい』状態で鳴らしているということになっているみたいなのである。この、発狂して押しつけるけど、押しつけているということがまったくわからない状態というのが、他の人にはわかりにくい。

 

そして、意外なことなのだけど? あるいは、まったくあたりまえのことなのだけど?……本人がまったくわかってないんだよな。他の人の以上に、わかってない。他の人以上にわかってない状態で、こだわってこだわってこだわって、発狂して、一秒もゆずらずに、鳴らし続ける。気違い兄貴は、「うちでは」そういうモードなのである。うちに二十四時間いるときは、二十四時間そういうモードなのである。そういう人格なのである。ジキルとハイドだとハイドモードなのである。

これは、親父もおなじなのである。で、親父は、頭がおかしいから、体がでかくなった兄貴には、注意ができなかった。無意識的にそうなのである。だから、そうなると、気違い的な理由をつけて……普通の人から見るとありえない理由をつけて、注意しないのである。けど、それがまた、他の人にはわからないことなんだよな。俺が説明したって、わからない。そうすると、他の人は『親が注意しないなら、たいした騒音じゃないんだな』と判断してしまう。

 

まあ、これ、『普通の人から見るとありえない理由』というのが、また、わかりにくいんだよな。気違い親父としては否定できればいいわけだから。これは、ハンダゴテを買ってやらなければならない場合の、態度とおなじなんだよ。自分の無意識的な要求が、かなえば、理由なんて、どうだっていいという態度だ。この場合の無意識的な要求は、『兄貴にヘビメタ騒音のことで注意をしない』ということだ。

一度、無意識的な命令が下ると『現実』ははるか後方にしりぞいてしまうのである。だから、関係者としては「ありえない」理由をつけて、否定する。拒否する。ともかく、兄貴に注意をしないときの態度と、ハンダゴテを買ってやらないときの態度は、おなじなんだよ。おなじなの~~~。おなじなの~~。

親父にしても、兄貴にしても、うちのなかでは、無意識的な欲求をまるだしなのである。まるだし~~まるだし~~。やっているときから、気づいてない。やっているときから、否定している。こんなのは、ない。ないから、他の人は、信じない。

本人だって夢中になってやっているだけで……やっていることがわかってない状態なのである。そのとおりには、認識してない状態なのである。見ればわかることを否定する。聞けばわかることを否定する。……そういう状態になる。無意識的な欲求のほうが大事だから、現実は無視する。けど、無視したということが「ぬけている」状態なのである。主観的には『無視してない』状態なのである。だから、こまる。

無意識的な欲求の大事さが、本人にも、わかってないのである。命がけで、つらぬくべきことなのである。そういうこだわりがある。けど、本人がわかってない。さらに、そういう構造でやり抜くということが、他の人にはわからない。

だから、『相談すればいい』とか言ってくる。

けど、これがまた、やっかいなことになる。簡単に言えば、俺が相手のアドバイスを否定することになるから、相手としては、気分が悪いのである。不愉快な気持ちになるのである。これは、人間として、やはり、さけられないことだ。俺だって、自分が思いついたアドバイスをして「あげている」のに、相手が「それはだめなんだ」と否定してくると、いやな気持ちになる。


ハイドって、「かくした」という意味を暗示しているのだけど、たしかに、「うちのなか」だと「かくした」モードだよな。まあ、受け身にして「かくされたモード」のほうが正確だと思うけど。
 

2020年11月24日火曜日

どれだけ俺が、友達から誤解されてきたか?


もう、無職とかひきこもりとか、いいか?
あまりにも、意見があわない。一般人や一般的な研究者とは、意見があわないようだ。それにしても疲れたなぁ。
ヘビメタで、疲れた。ヘビメタ『で』疲れた。あの時からずっと疲れているんだよな。ボロボロだよ。気違いヘビメタ『で』疲れた。気違い兄貴の態度が他の人にはわからない。気違い兄貴の態度で、ヘビメタをやられたときの疲れ方が他の人にはわからない。あれは、本当に、こだわってこだわってこだわって、ビタイチモンゆずらずに、やるけど、『やったつもり』がないんだよな。親父とまったく同じなんだよ。どれだけのハンディが生じるか、他の人にはわからない。俺が言ってるだけだと感じてしまう。『過去のことなんて関係がない』と感じてしまう。『鳴り終わったなら関係がない』と感じてしまう。ちがうんだよなぁ。ヘビメタをやられて、働けない体になり、むかしからの人間関係が途絶えれば、ひきこもり状態になる。睡眠障害だって、「ひきこもれば『みんな』昼夜逆転する」と言って、ヘビメタ騒音が鳴っていたという、俺・特有の問題を無視する。ひきこもりのなかで、何人が、俺と同じ騒音を経験したというのだ? 騒音生活を十数年間、毎日、続けたというのだ? むかしからの人間関係が途絶えればと書いたけど、それも、ヘビメタ騒音が関係している。どれだけ俺が、ヘビメタ騒音のことで、友達から誤解されてきたか? 


ヘビメタ騒音でボロボロだ。

 

気違い兄貴が夢中になったときの「こだわりかた」が他の人にはわからない。そして、気違い兄貴もわかってない。そして、気違い親父も、まったくわかってない。気違い親父と、気違い兄貴は、わかってないということも、わかってないという状態だ。ほんとうに、自動的に動くんだよな。自動的に、こっちがこまったことをする。ヘビメタ騒音に対する気違い親父の態度なんて、絶対に他の人にはわからない。だから、『親が注意しないなら、たいした騒音じゃないのだろう』と思ってしまう。そうやって、俺の顔に、泥を塗っていく。じゃあ、話せば……そういうことについて説明すれば、少しはわかってくれるのかというと、まったくわからないままだ。これ、どれだけ説明してもむだなのである。

 

気違いヘビメタ騒音で「あいたあな」をふさごうとすると、よけいにまずいことが起きてしまうのである。それは、対人関係でそうなる。

2020年11月23日月曜日

生活保護を受けるのは「はじだ」とする考え方が守っているもの


生活保護に関しては、生活保護を受けるのは「はじだ」とする考え方を植え付けて、生活保護を受ける人たちを減らしているのである。この社会において生活保護を受けるというのは、一種のペナルティーなのである。

だから、ペナルティーを受けたくない人たちが一定数、存在する。生まれたときから差があるのに、生活保護に「おちた」のは、個人が努力をしなかったからだという考え方がある。そういう考え方がなければ「(生活保護を受けることは)ばすかしいこと」にならない。

だから、たしかに「生活保護のような制度があるから、働かなければ食べることができない社会ではない」のだが、それでも、「働かなければ食べることができない」というルールは成り立っていると考えたほうが、現実の現象を説明できる。

もちろん、金を持っている親の元に生まれれば、働かずに生きていくことが可能な場合もあるが、このような場合ですら、「はずかしいことだ」と認識されているという現実がある。親の金で、ずっと生きていくことは、生活保護と同じように「はずかしいこと」なのだ。

なので、基本的には「働かなければ、飢え死にしてしまう」という考え方は、単なる妄想ではなくて、現実にそくした考え方だと言える。働かなければ飢え死にしてしまうのであれば、飢え死にしてしまうと考える個人は、たとえ、「やりたくない仕事」でもやるだろう。

だから、この場合の「選択」は、自己責任論者が使う「選択」ではない。本人が選択したのだから「しかたがない」とは言えない。本人が、自由意思によって選択したのだから、自由な選択の結果だとは言えない。不自由な選択なのだから、自由な選択ではない。自由意思ではなくて、不自由意思による選択なのだから、自由意思による選択とは言えない。

自己責任論者は、「働かなければ飢え死にする」という現実的な条件を無視して、「本人が、自由意思によって選択したのだから、それを選択した者の責任だ」と言う。
自己責任論者は「いやな仕事をしている人は、いやな仕事をすることを、間接的に直接的に選んだから、いやな仕事をしている」と言う。

しかし、それは、「働かなければ飢え死にする」という現実的な条件を無視した場合の話なので、「働かなければ飢え死にする」という現実的な条件を無視できない世界では、成り立たない。「自由な選択」ではないのである。
 

2020年11月21日土曜日

「やりたくない仕事をしている人はやりたくない仕事をすることを選んだ」のか??


たとえば、自己責任論者は「やりたくない仕事をやっている人は、やりたくない仕事を選んだ」ということを言う。

けど、ぼくは、「生まれの差」があるから、やりたくない仕事をしている人だっていると思うのだ。生まれた状態で差があるのだから、やりたくない仕事をする人間だっているだろう。

どうして、生まれの差を無視して、その時の状態だけを考えて、「やりたくない仕事をしている人はやりたくない仕事をすることを選んだ」と、言うのか?

働かなければ、やがて餓死するという状態なら、働く場合だってあるだろう。生活保護にたよるという選択肢も日本にはある。

これは、いいことだと思う。けど、ここでは、話を楽にするために生活保護や生活保護に似た制度がない社会を考えることにする。

働かなければ、餓死してしまう社会で、働くことは、事実上の強制であり、選択の結果ではない。

働かなくても、餓死することがない社会の場合は、働かなくても生きていけるのだから、そういう社会で、働いている場合は、働くことを選択したと言える。

また、働かなくても食べることができるから、働かないことを選択したという場合は、たしかに、自分の選択で働かないことを選んだと言える。

しかし、それは、働かなくても生きていける社会だからだ。

働かなければ生きていない社会で、働いている人は、働くことを選択したわけじゃない。生きるために、したかたがなく、働いているだけだ。ほかに選択肢がないのだから、そうせざるを得ない。これを、積極的な選択のように言うのは、ごまかしだ。

たとえば、自己責任論者は「やりたいことをやる一日にするか、やりたくないことをやらされる一日にするかは、本人次第だ」と言う。

やりたくないことをやらなくても、生きていける社会なら、たしかにその通りだと思うけど、やりたくないことをやらなければ生きていけない社会ならば、別にその人は「選択して」やっているわけではないと思う。ようするに、自分で決めていることではない。

けど、さらっとそういうことを言ってしまう人は、「生まれの差はない」と思っているのである。けど、「生まれの差は」ある。それから、働かなくても生きていける社会ではないのだから、働かないという選択は、事実上できない。

そりゃ、持たざる者が、働かなければ、死んでしまう世界なのだから、生きようとしたら、働く以外に選択肢はない。

繰り返しになるが、上記のような「本人次第だ」というような意見というのは、「生まれの差がある」ということと「働かなければ生きていけない」という状態を無視している。

生まれの差はなく、あるいは、あったとしても小さな差なので無視することができる……1

生まれの差はあるかもしれないけど、その差は本人の才能と努力で、いくらでも、縮めることができる……2

競争は公平に行われているので、誰かが圧倒的に不利であるというようなことはない……3

働かなければ生きていけない社会だが、それは、あたりまえのことなので、無視できる……(4)

(1)(2)(3)(4)というような、暗黙の前提が成り立っているのである。しかし、これらは、自明なことではない。

我々は、生まれたときから差がある社会で生きている。我々は、働かなければ飢え死にしてしまうという世界で生きている。上記の前提は成り立っていない。

2020年11月20日金曜日

「やりたくない仕事をやるような状態は本人が選んでいる」のか??


本当に、生まれながらの差がある。

しかし、生まれながらの差を無視して「そのとき」こういう状態なら、その人は、そういう状態を自分で選択したと言ってしまう人たちがいる。こういう人たちは、自分がどれだけ有利な状態で生まれてきたか、無視してしまう。

本当は、環境がよかったからそんなことを言えるのだが、自分の意志的な努力で、そういう状態を勝ち得たのだと根底で思っている。

だから、他者がそうでなかったのであれば、それは、他者が意志的な努力をしなかったからだと思ってしまう。「不幸な状態は、本人が選んでいる」と言う。「やりたくない仕事をやるような状態は本人が選んでいる」と言う。

瞬間的な状態について、あるいはその時間の状態について、あるいは、その日の状態について、まず、生まれながらの差を無視して、考えるのである。だから、いま、不幸な状態で暮らしている人は、不幸な状態を選んだと言ってしまう。自分で不幸になることを決めたので、不幸になっていると、中立的な立場から言う。

しかし、生まれながらの差を無視していることにはかわりがない。 

(つづく)

2020年11月18日水曜日

アドラーがたまたま、トラウマになるような出来事を経験しなかっただけの話


自分の家が燃えなかったとしよう。そうしたら、「火事なんてない」と言えるだろうか。他の人の家が燃えたとしよう。そうしたら、他の人にとっては、『火事はある』ということになる。アドラーが「トラウマなんてない」と言っているけど、それは、アドラーがたまたま、トラウマになるような出来事を経験しなかっただけの話だ。自分が、「トラウマになるような出来事を経験しなかった」だけなのに、「トラウマなんてない」と言い出す。トラウマはある。アドラーがトラウマになるようなことを経験しなかっただけの話だ。
 

2020年11月16日月曜日

騒音で、脳みそ、焼かれた……体の内側が、全身やけどをしているようなものなのだよ


ほんとうにつまらないなぁ。
いつか、おもしろく感じる日がくるのだろうか?
楽しい気分が復活する日がくるのだろうか?

焼け野原のまんまなんだよな。
まったく復活しない。

けっきょく、ヘビメタをやられた日から、不愉快と苦悩の連続だ。どうしたって、トラブルがしょうじる。きちがいヘビメタが鳴っていない時間の出来事だ。

きちがいヘビメタが鳴っていない時間に、俺が、よそで、よそのひとともめることになる。ヘビメタ騒音が隠された要素である以上、あるいは、ヘビメタ騒音がその他者にとって「見えない要素」である以上、どうしても、対立せざるを得ない。

 

問題なのは、他者にとって、「見えない要素」ではなくても、うまくいかないということだ。それは、「鳴らされてしまったから」うまくいかない。こちらの失敗に対して「それは、ヘビメタ騒音が鳴っていたからしかたがない」という理解を得られたとしても、それは、いいことではない。

 

誤解をされるよりもいいことだけど、そもそも、そういう事態が発生しないように、ヘビメタ騒音が、「即座に」鳴りやむべきなのだ。

 

けど、鳴りやまなかった。

 

だから、くるしい。

 

けっきょく、やけどをしたあと、『放置』なのか、『シップを貼る』のかというちがいだ。そもそも、やけどをしないに、こしたことはない。そして、ヘビメタ騒音は「くりかえされていた」。一回で、鳴りやむことが必要だ。そうでなければ、シップをしていたとしても、また、やけどをするということになる。

毎日、全身やけどで、俺が、ほかの人から、〇〇〇と言われ、毎日、全身やけどで、俺がほかの人から、だらしがないと言われる。毎日、全身やけどで、俺が、ほかの人から、あまいと言われ、毎日、全身やけどで、俺が、ほかの人から、弱いと言われる。

そんなことでいいわけがないでしょ。

しかも、全身やけどの痛みが残っている状態なのに、「〇〇〇、だらしがいない、あまい、弱い」と言ってくるやつが、「過去なんて関係がない」と言い出す。

ヘビメタ騒音をやられれば、暗くなるのに、暗いのは、だめだと言われる。ヘビメタ騒音をやられれば、憂鬱になるのに、憂鬱な顔をしているのは、だめだと言われる。ニコニコしろ、元気を出せ。うっさい。まるまるまる。

ああ、全身やけどって、ヘビメタ騒音に焼かれたということの比喩ね。ヘビメタ騒音に数千日やられたということは、体の内側が、全身やけどをしているようなものなのだよ。

睡眠をつかさどる回路が、焼き切られて、元に戻らない状態なんだよ。関係、なくない。過去のことでも、関係がないわけではない。人のことだと思って、まちがった基準でまちがったことを言いやがって。


 

 

2020年11月15日日曜日

残りの一六時間がどれだけめちゃくちゃになるか


ほんとうに、疲れた。無意味。すべて、疲れた。くるしい。ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音で、楽しめない。ヘビメタ騒音で楽しくない。みんな、ほんとうにわかってないんだよな。ヘビメタ騒音がどれだけ有害な騒音かわかってない。ヘビメタ騒音にたたられたら、やはり、すべてがつまらなくなるのだということがわかってない。しかも、がんばってがんばって、それなんだからな。ヘビメタ騒音を鳴らされると、ヘビメタ騒音を鳴らされてない時間がめちゃくちゃにくるしくなるのである。たとえば、一日に、ヘビメタ騒音を八時間鳴らされると、残りの一六時間が、めちゃくちゃにくるしい時間になる。これがわかってないんだよな。くるしいのは、八時間だと思っていやがる。残りの一六時間がどれだけめちゃくちゃになるか。どれだけたいへんなことになるか? そして、たいへんなわりに、マイナスが必然的に積み重なるのである。どうしたって、失敗する。どうしたって、トラブルが発生する。それは、ほんとうに、八時間のヘビメタ騒音がもたらすことなのである。残り一六時間の、トラブルは、ヘビメタ騒音が引き起こすことなのである。これが、わかってないんだよな。佐藤(仮名)の背後には数千万のサラリーマンや公務員がいるのだけど、そいつらは、これが、まったくわかってない。由紀夫(仮名)の背後には数千万の主婦がいるのだけど、そいつらは、これがわかってない。これも、「わかってないということもわかってない」というレベルでわかってないので、こちらがそのように説明しても、つたわらない。この人たちは、鳴っている八時間はつらいのだろうけど、残りの一六時間は、まったく平気だろうと思ってしまう。「いつもどおりに」くらしていけるだろうと思ってしまう。騒音なんてものは、鳴り終わったら影響を与えないものだと思ってしまう。影響を受けているとしたら、すきこのんで、意図的に影響を受けているだけだということになってしまう。ようするに、「そういうふうにうけとめるから、悪いんだ」ということになってしまうのである。そいつらのなかでは……。けど、これがぜんぜんちがう。もちろん、こいつらは、「ぜんぜんちがう」ということも、わからない。体験を通してわかってないし、理論的にもわかってない。感情的に、残りの一六時間は、普通にくらせるはずだと思ってしまうのである。もし、普通にくらせないとしたら、その人がこだわっているからダメなんだと思ってしまう。けど、ほんとうにちがうんだよ。まあ、ちがうと言っても、理解を得られるとは思ってないけど。



 

2020年11月13日金曜日

こういうやつらは、『非常識だから』ということで、俺の説明を信じない


たとえば、偏差値で二〇下げられた状態で暮らしてみろ。どんだけ、不愉快な思いをするか。ほかのやつらは「そういうもんだ」と思って接してくるんだぞ。ともかく、勉強することができないということは、不愉快なことなんだよ。

 

学生時代ずっとそんな状態で、いいわけがないだろ。みんながみんな、俺と同じように、この世で一番キライな音に毎日、何時間も何時間も、何時間も何時間も、何時間も何時間も、何時間も何時間も、さらされているなら、公平な競争だけど、そうじゃないのだから、公正な競争じゃない。佐藤や由紀夫は、そういうことを無視して、俺にガタガタ説教したり、さけたりする。

勉強することができなかったばかりではなく、それで、通勤、通学するための睡眠力、体力をうしなっている。けど、やつらには、俺がサボっているように見える。やつらには、俺があまえている?ように見える。こういう、勘違いするやつを、大量に生み出す。

気違いヘビメタに「人知れず」さらされるということは、こういうことだ。

そして、こういうやつらは、『非常識だから』ということで、俺の説明を信じない。『そんな人いない』『そんなことはない』と思っているのだ。

気違い兄貴が、気違い的な意地で、気違い的な感覚で、ヘビメタを、ものすごくでかい音で毎日毎日鳴らし続けると……こういうことになる。俺の人間関係に影響が出る。通勤ができない体になったということが、他の人にはわからない。徹底的にわからない。

気違い兄貴の状態を信じないので、俺が言っていることが嘘だと思うのである。嘘なのであれば、ヘビメタ騒音が影響をあたえるはずはないので、ただたんに、あまえているだけだということになってしまうのである。ヘビメタ騒音の影響を無視するやつは、俺に失礼なことを言うことになるが、そういうやつらは、全員、失礼なことを言っているとは思わない。

ヘビメタ騒音の影響を無視するやつは、俺をみくだすけど、特にみくだしているとは思ってないのだ。ようするに、そういうレベルでみくだしている。

こういうやつらだって、ヘビメタ騒音をあれだけ浴びせられたら、通勤通学が『どうしても!どうしても』できない体になるのに、それがわかってない。通勤通学ができない体になると、もともとの『学生時代のつきあい』が途絶えれば、『ひきこもり』と呼ばれる状態になりやすいのに、それがわかってない。

もともとの『学生時代のつきあい』は、ヘビメタ騒音のことでもめて、とだえる。学生時代の友だちも、無職が長く続けば、佐藤のようなことを言ってくるようになる。心配して「どうにかなってくれ」と言ってくる。けど、ヘビメタ騒音にやられて睡眠力と体力をうしなっている俺にはどうすることもできない。なので、基本的に仲が悪くなりがちだ。

 

日本人なんて、 ほぼ全員が日本労働教徒なので、『無職』や『ひきこもり』は、『悪い人だ』『全員ダメ人間』だと思っている。こちらが無職だ(当時)と言ってしまったら、『悪い人だから、ヘビメタ騒音の話は嘘だろう』『ヘビメタ騒音とかなんとか言っているけど、本当にそんなことが起こったことなのかどうか、たいへんに疑わしい』と思ってしまう。

一度、偏見が成り立つと、こっちがなにを言ってもダメなのである。

ヘビメタ騒音「で」働けなくなったと言っても、それは無視する。平然と無視する。こういう態度で、人に接する方が、よっぽど人間としてできてないと思うが、あなたがたは、そのことについて、どう考えるのか?

気違い兄貴が、人としてやってはいけないことをやって、俺を『騒音漬け』にした。毎日毎日、気違い的なこだわりで、ものすごくでかい音で、本人が鳴らしたい音を鳴らした。気違い的なこだわりがあるので、絶対にゆずらない。これは、悪いことだ。

けど、日本労働教徒にとっては、そういうことよりも、働いてないということが悪いことなのである。気違い兄貴の、迷惑行為よりも、俺が無職で働いてないということのほうが、はるかに悪いことなのだ。とにもかくにも、働いてない人の言うことは、信用でないのである。「ヘビメタ騒音で働けなくなった」と言っても、働いてない人の言うことだから信用しない……。

相手が言っていることを無視して、ヘビメタ騒音鳴らし続けることが、悪い行為なのだ。迷惑行為なのだ。俺は、気違い兄貴、直接、何万回も何万回も、『静かにしてくれ』『勉強ができなくてこまる』ということを言った。

けど、気違い兄貴は、気違いおやじの態度で無視した。腹を立ててやりきった。けど、気違い兄貴は気違い親父と同じ感覚の持ち主なので、一〇〇%やりきることができたら、やってないことになってしまうのである。

気違い的な意地でやっているのに……行為の「ぬし」であるのに……関係がない人になってしまうのである。相手が言っていることは、気違い的な感覚で無視してしまうのである。相手がどれだけせっぱつまっているか、わからない。

相手がどれだけ必死になって言っても表情が読み取れない。何千日も、こういう態度で、俺が必死になっていっていることは無視して、一秒もゆずらないで、ガンガン鳴らし続けた。その結果、俺が働けない体になった。『働けるように見えるけど』働けない体になった。

けど、常識的な人は、みずからがヘビメタ騒音を経験してないので、そういうふうになるという必然性が理解できない。なので、結果として、『無職』『ひきこもり』になっている俺をせめる。彼ら……常識的な人にとっては、兄貴が、人の表情を読み取れない人なのではなくて、『ひきこもり』の俺が人の表情を読み取れない人なのである。

 そういう人たちのなかでは、『ひきこもり』全員が、アスペでコミュ障なので、人の表情を読み取れないということになってしまうのである。これも、偏見だ。偏見だけど、日本労働教徒は、『ひきこもり』であれば、なにか悪い人で、コミュ障であるに違いがないと思ってしまうのである。一度、そういう偏見が成り立つと、『コミュ障だから、お兄さんに静かにしてと言えなかったんだ』と間違った推論をしてしまうのである。

 

 *     *     *

 

共同幻想を相対化して考える能力なんて、常識的な人にはない。常識的な人はかならず、共同幻想の「うちがわ」で考える。共同幻想を「こえて」思考するなんて、できるわけがない。けど、それは、「学問的な思考」にとっては、必要なことなんだよ。もちろん、「勉強」じゃない。そういう力は学力には反映しない。

2020年11月12日木曜日

ヘビメタ騒音が鳴っていたという事実のほうが、いまの現実に影響を与える


みんな、ヘビメタ騒音のすごさがわかってない。

きちがいヘビメタが鳴っているときの状態がわかってない。実際にヘビメタ騒音が鳴っていたので、体が影響を受けている。

脳みそとしての「精神」も影響を受けている。事実は事実なので、事実。事実は事実なので記憶がある。事実は事実なので体に影響が出る。

きちがいヘビメタの現実と認知療法家の空理空論では、ヘビメタ騒音の現実のほうが、現実感がある。きちがいヘビメタの現実と、「元気だ元気だと言えば元気になる」といった感じの言霊教の教えでは、ヘビメタ騒音の現実のほうが、現実感がある。

ようするに、ヘビメタ騒音が鳴っていたという事実のほうが、いまの現実に影響を与えるということ。

そして、学歴も職歴も、「歴」だから過去のことだけど、その過去のことが今の現実に影響を与える。ヘビメタ騒音が実際に鳴っていたので、実際に鳴っていた時間の「歴」がつもる。現実なんだよ。げ・ん・じ・つ。

ほんとうに水俣病のようなものなのに、ほかの人は、水俣病のようなものだと思ってないので、ぼくの状態を理解できない。水俣病患者に、「すべては受け止め方の問題だ」とか「だるくなる必要はない」とかと言っても無理でしょ。実感としてだるいし、体の生理としてだるくなるしくみが成り立っているのだから、「すべては受け止め方の問題だ」とか「だるくなる必要はない」とかと言っても、だるいと感じる。

水銀が体の外に出て、元に戻らなければだるいわけだから……。水銀がそのように体に影響を与えるということを無視して、「だるく感じる必要はない」と言ったって、しかたがない。

言われたほうは迷惑。

水銀が体に影響を与えるということを無視して「元気だ元気だと言えば元気になる」と言ったって、しかたがない。

言われたほうは迷惑。 


++++

「」とか「」と

のほうが、すんなりするんだけど

「」とか「」とかと

のほうが、正しいんだよね。

どちらかと言えば、「」とか「」と

を使いたい。

俺が兄や父親の悪口を言っていると思っている人が、俺の悪口を平気で言う


ほんとうに、ヘビメタ騒音の影響はものすごい。ものすごいものがあるのに、ヘビメタ騒音の影響を無視して、俺のことを悪く言うな。悪口を言うな。これ、ほんとうにおかしいことなのだけど、ヘビメタ騒音の影響を無視して、俺の悪口を言う人たちが、「悪口を言うのはよくない」ということを言う。これは、俺が、父親の「悪口」を言っていると思っているのだ。俺が、兄の「悪口」を言っていると思っているのだ。兄貴の騒音で、どれだけこまったか。実際にやったことなんだよ。兄貴がやったことなの。そして、おやじが俺のことを虐待してどれだけこまったか。これ、ほんとうに、事実だから悪口じゃない。けど、こいつらのは悪口だ。「だれだって」それだけヘビメタ騒音にさらされたら、働けなくなるということがわかってない。働けなくなるんだよ。そういうふうに説明しているでしょ。俺が説明しなかったわけじゃないよね。睡眠障害、生活体力障害(易疲労性・慢性疲労症候群)、ポストトラウマティックスストレス症候群になって、通勤通学が「絶対に」不可能になる。つらくもやっていたら、なれるというものではない。つらくても、やっていたから、睡眠障害、生活体力障害(易疲労性・慢性疲労症候群)、ポストトラウマティックスストレス症候群になってしまったのだ。それも、十年とか十五年とか長い年月をかけて、そうなった。一日や二日のことではないのだ。長い期間、ずっと毎日、土曜日も日曜日も祭日も、鳴ってた。ほんとうに「やすみなく」鳴っていた。「やすみなく」鳴るということは、こっちは、まるで「やすめない」ということなのである。そりゃ、ガンガン鳴っているからな。ガンガン鳴っているときの気分を、俺が兄の悪口を言っていると思っている人は、経験してない。俺が、「やめてくれ!!!やめてくれ!!!」と兄貴に必死になって言ったときの、兄貴の態度が、俺が兄の悪口を言っていると思っている人には、わからない。どれだけ、自分勝手な態度で鳴らしていたかわからない。どれだけ、きちがい的な頑固さで鳴らしていたかわからない。「やっているのに、やってない」と思っている状態が、わからない。やったって、いいと思って、悪いことをし続けるやつの状態が、わからない。ほんとうに、こだわりつくして、どれだけやめろと言われても、頑固にやりきるのに、やりきったつもりがまったくないのだ。これは、事実だ。俺が勝手に、兄貴ことを悪く言っているわけじゃないのだ。これがわかってない。「そんなのはおかしい」と俺が兄の悪口を言っていると思っている人は、言う。これが、どれだけ俺にとって不愉快な言葉か、わかってない。こいつらは、あたりまえのことを言っている気持ちしかない。もう、ほんとうに、ぜんぶいやだ。きちがい兄貴も、きちがいおやじも、俺が兄や父親の悪口を言っていると思っている人も、いやだ。で、俺が兄や父親の悪口を言っていると思っている人が多数派なんだよな。いやだいやだ。生きているのが、いやだ。ほんとうに、ヘビメタが鳴っている空間がどういう空間だと思っているんだよ。きちがいおやじが、きちがい的な理由で意地を張ってやりきっているときの空間がどういう空間だと思っているんだよ? きちがいおやじもきちがい兄貴も、絶対の意地でやるし、絶対の意地でやったことは、絶対の意地で認めないのである。それが、常に、更新更新、なんだよ。だから、本人はほんとうにやってないつもりでいられる。やったって、そんなのは、自分に関係がないことなのだ。自分がきちがい的な意地でやっていることなのに、やり続けていることなのに、「自分はまったく関係がない」と思っていやがる。けど、「やるな」と言われたときの、頑固な態度がすごいのだ。あんなのない。普通の人が、信じないのも若干は、わかる。わかるけど……わかるけど、俺はほんとうのことを言っているわけで、妄想や捏造で父親や兄の悪口を言っているわけではないのだ。

ヘビメタ騒音で、遅刻してしまうというのがある。これは、ずっと鳴らされていると、どれだけ努力しても、遅刻してしまう日が出てくるのだ。けど、これも、上記の理由とほぼ同じ理由で、俺が悪く言われる。実際に遅刻するのは俺だからだ。けど、俺を遅刻したとせめている人であって、なおかつ、ヘビメタ騒音「で」どうしても遅刻してしまう状態になるということを認めない人は、俺のことを悪く言い出す。「ヘビメタ騒音でどうしても遅刻してしまう」ということを言っても、その人が俺の言ったとおりの意味で、俺の言ったことを理解するということがない。ヘビメタ騒音……この世で一番嫌いな音が、四六時中鳴っている状態を経験してないので、ほかの人にはその効果がわからない。
 

2020年11月11日水曜日

あの、図書館だって、「思い出の図書館」なんだからなぁ。



俺は生きてはいるけど、
「俺の一生はなんだったんだ」って
ずっと、ずっと、自転車をこぎながら、考えいていた。

あの、図書館だって、「思い出の図書館」なんだからなぁ。
何十年前のはなしだっていーうーのーー。
三十四年たっている。あれから三十四年?
ありえない。

 

2020年11月9日月曜日

まじめに生きてきた俺が、どれだけ悪く言われてきたか??


まじめな俺が、気違い兄貴のヘビメタ騒音にやられて、くるしんでいるだけなのに、佐藤のような普通のやつから、悪く言われる。こんなのはない。そいつらは、みんな、兄貴のことは悪く言わない。
ほんとう、俺がどれだけまじめに生きてきたか?? まじめに!!
そして、まじめに生きてきた俺が、どれだけ悪く言われてきたか?? 


こいつらは、兄貴の責任は追及しないのに、俺の責任は、追及してくる。けっきょく、鳴らされたのであれば、鳴らされたおまえが悪いという理論だ。じゃあ、殺せばよかったのかと言うと、そうじゃないと言い出す。殺さなければ絶対にやめない家族と一緒に住んでいる場合、どうしたらいいのか? 気違い家族は、やったこともやったと認めない。これは、ほんとうに、そう思っているのだ。そういうところで、頭がおかしい。やっているときはやっているときで、意地でもやるわけで、態度が同じだ。やりきっているときと、相手に言われたことを否定しているときの態度がまったく同じなのだ。だから、普通に言っても聞くわけがない。

 

ともかく、こいつらは、俺が小学六年生のときに、気違い兄貴を、殺したら、「もっとほかにやりようがなかったのか」みたいなことを言うと思う。いや、絶対に言う。

ほんとうに、まじめに生きてきて……。殺人を……殺人を、さけて生きてきたのに、俺が、いつもわるく言われる。殺人をしなかったから……俺のからだ動かなくなったんだよ。俺がずっと、くるしいままなんだよ。

こいつらは、『過去は頭の中にしかない』というアホな理論を持ち出す。脳みそも身体を構成する臓器の一部だから、物理攻撃を受ければ、影響を受ける。それから、こいつらが『現在』をどのように考えているかわからないけど、『過去が頭の中にしかない』と言うのであれば、『現在も頭の中にしかない』ということにどうして気がつかないのか?

過去のある時点で、認知症になったとしよう。認知症が脳の物理的、化学的、生物的変化をもたらすものだとしよう。過去のある時点で認知症になったら、それが治らない限り……影響を受ける。現在に影響を与える。過去は脳みその中にしかないから、影響がないとは言えない。

2020年11月8日日曜日

専業主婦や定年退職者には、自分たちは無職じゃないという特別な意識がある


もと親友にしろ佐藤にしろ由紀夫にしろ、俺が「できない」と言っているのに、「できない」ということを無視して「そこをなんとか(できるようにして)やってくれ」ということを言ってくる。俺は、「もう、ヘビメタ騒音で、できなくなった」と言っているだろ。

俺が「もう、ヘビメタ騒音で、できなくなった」と言っているのに、「人間は働くべきだ」と言ってくる。「もう、できなくなった」という部分を無視してくる。こういうやつらは、みんな、ヘビメタ騒音を経験してない。数千日の、ヘビメタ騒音生活を経験してない。

どれだけ、睡眠時間がずれるか、どれだけ睡眠時間がなくなるか、わかってない。鳴らされている最中の、せっぱつまった時間のことがわかってない。せっぱつまった時間が何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も続くと、「どーーしても眠れなくなる」ということがわかってない。

鳴らされているあいだも勉強ができないし、じつは、そのあとの時間も、勉強ができくなる。勉強ができなくなると、当然、ヘビメタ騒音がない本来の値より、学力が下がるのだけど、学力が下がった場合の、屈辱生活がわかってない。

ヘビメタ「で」そうなっているということが、ほかの人にはわかってない場合の!!生活というのが!!!わかってない。やられてないから、わかってない。俺が「そういうことになる」「こうだ」と言っても、実感がわかないので、わからない。無視する。ヘビメタ騒音の「負の効果」を徹底的に無視する。

それこそ……きちがい兄貴やきちがいおやじじゃないが「あったってない」のだ。
そして、「ない」「負の効果なんてない」ということを前提にして、「人間は働くべきだ」と言ってくる。

あるいは「そんな人はいない」と言ってくる。「そんなの人はいない」というのは、「あなたの父のような人はいない」「あなたの兄のような人はこの世に存在しない」ということだ。

こいつらは、根底では「あなたはうそを言っている」「あなたは、あなたの兄やあなたの父のことを不当に、悪く言っている」と思っているのだ。「不当に、悪く言っている」というのは、「事実ではないことを言っている」ということだ。事実なのに……。

こいつらは、信じない。

信じないで、「そういうことはなかった」という前提で、説教をしてくる。これが、普通の人間のやることだ。ある意味、レベルが高い、哲学や教育学に興味がある洗練された人たちのやることだ。専業主婦や定年退職者がやることだ。

専業主婦や定年退職者はともに無職なのに、ヘビメタ騒音で、しかたがなく無職になった俺を、邪険にあつかう。専業主婦や定年退職者には、自分たちは無職じゃないという特別な意識がある。そして、共同幻想がそれを支持している。ヘビメタ騒音「で」働ないということは、共同幻想によって、認められてない理由なのである。

「もう、じゅうぶんに働いたので無職でもいい」という理由は共同幻想によって、認められた理由なのである。「こどもを育てているから無職でもいい」という理由は共同幻想によって、認められた理由なのである。

この人たちは、ヘビメタ騒音のひどさがまったくわかってない。

どれだけ健康な人でも、数千日、ヘビメタ騒音が続けば、働けなくなるということが、からだで、わかってない。からだで、わかってなければ、わからないことなのだ。「そんなのはない」ことなのだ。

2020年11月7日土曜日

無職の人はおそろしいので、かかわらないようにしよう……ヘビメタ騒音で働けなくなったと言っているだろ


全体的な体力や全体的な精神力というものがものすごく大切なのだ。ヘビメタ騒音は、そういうたいせつなものを破壊する。俺が、ヘビメタ騒音のことを説明したにもかかわらず、俺のことを、無職だから「おそろしい」と感じてしまう人がいるのだ。

おそろしいというのは、悪い意味で恐ろしいということだ。

「そんなのは、ない」のである。「そんなのは、ない」というのは、「そのとしで働いてないとか、そんなのはない」という意味だ。ようするに、由紀夫(仮名)のなかではぼくは「悪い人」になってしまったわけだ。

働いてないのだから、悪い人なのだ。

「そんなに長い間働いてないのだから悪い人にちがいない」と彼は確信する。「そのとしで正社員になったことが一度もないなんて、そんなのは人間としておかしい」と思ってしまう。「そのとしで正社員として働いたことがないような人は、悪い人間だ」と決めつけてしまう。

悪い人間だから、かかわりをもちたくないという気持ちになる。

佐藤は説教をしたけど、由紀夫は、さけた。

俺から話しかけられるのをさけるために、すたすたと、はやあしで歩いて行ってしまった。同じところに行くんだけどな。ようするに、先についたわけだ。

で、そういう人は、じつはおおい。無職は悪い人だと決めつけてしまう人はおおい。「そういう悪い人」とはかかわりを持ちたくないので、無職である人をさけるのだ。そして、かげで「あのとしで無職なのはおかしい」と、同じ考えを持つ人と、悪口を言いあう。

で、俺が、ヘビメタ騒音「で」無職になったということを認めない。「ヘビメタ騒音なんて、どれだけ鳴ってたって言ったって、たいしたことがいないのだろう」と思ってしまうのだ。「親が注意しなかったなら、たいした音で鳴ってなかったのだろう」と思ってしまうのだ。「そんな過去のことが影響を与えるわけがないだろう」と思ってしまうのだ。

これは、実際に、ヘビメタ騒音にやられて苦しんだ俺としては、ほんとうに、侮辱的なことだ。

こいつらは、俺が嘘を言っていると半分は思っている。いや、半分以上、思っている。ともかく、「正社員歴が三十五歳なのにない」ということで、そうとうに、俺のことを「悪い人間だ」と思ってしまうのである。そういう偏見ができると、その偏見から逆算して、「ヘビメタ騒音の話なんて嘘なんじゃないか」と思ってしまうのである。

まず、無職だということで、俺に対する、偏見ができる。「みかた」が決まってしまう。以降は、その見方にそって、俺が言っていることが、解釈されるのである。で、これは、俺にとっては、何度も言うけど……侮辱的なことだ。

 

ほんとうにそういう偏見を持っている人だって、小学六年生のときから二十五歳までずっと、毎日ヘビメタを鳴らされたら、働けない体になるのに、それがわかってない。最初の八年間でだめだ。通学も通勤もできない体になる。


 

2020年11月6日金曜日

その人が一番きらいな音を毎日毎日、何時間も何時間もでかい音で聞かされる生活


ほんとうに、つまらない。もう、まるまるまるまるか。
ほんとうに、ヘビメタ騒音で、屈辱の日々。他人事だからわからないかもしれないけど、鳴っているときだけ、つらいわけじゃない。鳴っているときも、つらいけどな。ほんとうに、きちがい兄貴の感じ方がおかしい。きちがい兄貴の態度がおかしい。おやじとおなじなんだよな。けど、こんなこと、どれだけ、普通の家庭で育った人に言っても、わからない。「俺がおかしいことを言っているように」見えてしまうだろう。その人たちからすれば、「そんなのは、言えばいい」「そんなのは、相談すればいい」というようなことでしかないのだから……。
ヘビメタ騒音は、ほんとうにすべてのことをうばった。で、「すべて」というのが、イ・ラショナルな言い方なのか、そうではないのかということについては、じつは、問題が少ない。そういうことでは、ないんだ。この「そういうことではないんだ」ということだって、実際にヘビメタ騒音生活をした人じゃないと、実感としてわからないから、「実はすべてではない」ということに「こだわる」かもしれない。「すべてではない」ということを言えば……俺がこうむったいろいろな現実がかわるかというとかわらない。けど、これまた、「こうむったいろいろな現実」というのは、こちらがの解釈によってちがうものになるというようなことを言い出すかもしれない。けど、それにしても、ちがうんだよ。ちがうものにならない。けっきょく、ヘビメタ騒音生活を……あるいは、その人が一番きらいな音を毎日毎日、何時間も何時間もでかい音で聞かされる生活を……一〇〇〇日以上続けた人じゃないと、わからない。そもそもが、わからない。わからないところでものを言っている。そして、こういう人たちは、案外、頑固だ。ちょっとだけ、きちがいおやじと似ているのである。もちろん、現実認知や道徳性においてちがいがあるから、まったくちがったものに見えるし、実際、ちがった人たちなのだけど、それでも、こっちが言いたいことがまったく伝わってないなぁという、印象を受ける。こっちの、実際の現実を、無視しやがる。軽視しやがる。鳴っていたのが、現実。鳴っていたので、被害をこうむったのが現実。これも、「こうむった」という言う方に、難癖をつけることができる。「こうむった」と思ったから、「こうむった」という現実ができあがるのだ……という解釈ができる。「こうむった」と受けとめたから、「こうむった」と思っているだけなのだ……という解釈ができる。けど、ちがう。そういう言い換えじゃダメなんだよ。

あなたは、その障害者にまったく悪いことをしてない

 むかし、上の階の騒音で、悩んでいる人がいた。

こどもが、ものすごく奇声を発しながら、あそぶので、不愉快な思いをしていた人だ。

で、ぼくは、そのひとのことを傷つけるようなことを書いてしまった?のかと、ときどき、思う。ヘビメタ騒音よりは、小さな音だと思うけど、じゅうぶん頭にくる音だと思う。一日中やられていたら、さぞかし、気分がふさぐだろうと思う。その子どもたちを育てている母親の態度があれだから、さぞかし、腹が立つだろうと思う。相当に気分が悪い思いをして暮らしているということは、わかっていた。そして、あなたの感覚が正しいということがわかっていた。

で、話は違うのだけど、ともかく、

あなたは、その障害者にまったく悪いことをしてないということを、伝えたい。

 まあ、このメッセージは、他の人にはわからないだろうけど。

2020年11月5日木曜日

『貧乏』は本当に、多くのトラブルの原因になる


不愉快な記憶がよみがえるなぁーー。
これが、いやなんだよな。

あのときは、金がなかった。
 

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『貧乏』は本当に、多くのトラブルの原因になる。直接の原因にならなくても、間接的な原因になる。最初から、選択肢が限られているのである。そして、そこでの!!!人間関係がある。けど、「そんなのは関係がない」「貧乏でも、しあわせな人がいる」と言って、そういうことを認めない人たちもいる。 そういうことを認めない人たちというのは、基本的に『貧乏である』ということがわかってない。わかってないので、そういうことが言える。

 

いま、金ができてよかったよ。さけられるからな。けど、本当に、 「そんなのは関係がない」「貧乏でも、しあわせな人がいる」と言う人たちがまったく想像できないことが、起こる。「そんなのは関係がない」「貧乏でも、しあわせな人がいる」という人たちは「さけられない」というともわからないだろう。その人たちにとっては「さけられること」なのである。あるいは、経験したことがないから「さっぱりわからないこと」なのである。けど、本当は、さけられないあれやこれやのことが生じる。そして、それは、主に人間関係上のトラブルに発展する。ひとつずつのトラブルが『些細なこと』であったとしても、そこに投入される感情料は膨大なものがあるので、記憶に残りやすい。そして、貧乏だとそういうことが数多く発生するわけだから、『考え方』を規定する。そりゃ、実際に何回も何回も起ったことが、考え方を規定するだろう。実際にはまったく起こらなかった空理空論に基づくことと、実際に何回も何回も起こったことでは、実際に何回も何回も起こったことのほうが、考え方を規定する。ものを考えるときの土台になる。『こういうことをするとどういうことが起こるのか』という推論のもとになる。 それは、『この世とは何か』とか『人間とはどういう存在か』とか『他者とはなにか』という基本的なものの見方に影響をあたえる。

 

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実際にはまったく起こらなかった空理空論に基づくことというのは、認知療法家の話の中に出てくるようなことだ。認知療法家にとっては、そっちのほうが現実的なことなのだろうけど、気違いおやじに育てられたものにしてみれば、そっちのほうが空理空論に基づくこと(基づいたこと)なのだ。認知療法家はえそらごとの抽象的な話をしているだけで……(気違いおやじに育てられた人にしてみれば「うそのはなし」をしているだけで……現実に対処してない。もちろん、この場合の『現実』というのは気違いおやじに育てられた人の現実だ。

 

2020年11月4日水曜日

健常者に育てられた人は、毒親に育てられた人のことがわからない


ほかの人はどうなんだろうな? 不愉快な記憶が突然、鮮明によみがえるというのはないのか? あるとして、その頻度は? 回数は?「なんかいやなんだよな」という予感はあるんだよ。けど、そこにいくしかないというような状況だったりする。

なんか、あんまり、外に出たくないときに……買い物だって、めんどうなときはなるべくなら、したくないわけで……「外に出たくない気持ち」とそういう不愉快な記憶が連動しているらしくて、ふと、思い出してしまうんだよな。で、そういう不愉快な記憶……ひとがらみの不愉快な記憶というのが……わりとあるんだよ。回数がある。それは、ゼロ歳児のときからそうなんだよ。さすがに、ゼロ歳児のときの記憶はないけど……。母親の話を聞くと、俺はゼロ歳児のときから、きちがいおやじにたたられている。やられている。どうも、ほんとうに、きちがいおやじがだめなんだよな。あいつは、俺の不幸の源だ。がんだ。

これも、ほかの人とはぜんぜんちがうんだよな。毒親という用語だと、はっきりいって、程度が弱い。これ、だけど、ほかの用語を使うといろいろと問題があるんだよな。頭がおかしい親というのはいる。その、頭のおかしさのタイプがあるんだよ。頭がおかしい親はいるんだけど、その頭のおかしい親の中で、さらに、タイプがわかれる。だから、Aという頭がおかしい親の特徴と、Bという頭がおかしい親の特徴が一致するわけじゃない。けど、「毒親」という用語を使うと、なんか、同じような親(同一タイプの親)であるような印象を与えてしまう。毒親よりも、頭がおかしい親のほうが、どちらかというと、正確だ。なんか、毒親というと、ひとつの毒親というタイプがあるような印象を与えてしまう。

まあ、ともかく、いちおう健常者に入るほうの親のほうが多数はなんだよ。で、健常者である親に育てられた人は、頭がおかしい親に育てられた人のことは、わからない。健常者どうしでも、人間関係のトラブルはある。いっしょに、何十年か、あるいは、すくなくても、十数年暮らしていれば、それは、いろいろなトラブルがあるだろう。そして、そのトラブルは、形式としては、毒親とのトラブルと同じように見えるのである。けど、それは、形式としては同じように見えるというだけで、本質的にはちがうものだ。けど、健常者に育てられた人は、そのことがわからない。これは、学者でもカウンセラーでも同じだ。ほんとうはわからないから、観察対象になるのである。そして、基本的には、間違ったことを言うやつらが出てくる。これも、部分的には正しいわけで、ぜんぶ間違っているわけではない。けど、こういう人たちは、いろいろな間違いをおかす。

けど、まあ、これはいいや。これは、いちおう、認知療法、行動認知療法、アドラー心理学について書いたところで、説明している。理論的に、「ことがら」を間違って理解している。

何十年も前の、本当に細かい会話が浮かんでくる


何十年も前の、本当に細かい会話が浮かんでくる。これはもう、拷問だ。どうしてこんなに細かい記憶が、芋づる式に浮かんでくるのか? なんかのきっかけはあるんだよ。トリガーのような。もう、何十年も忘れていた記憶なのに、思い出す。それも、いい記憶じゃないのだ。これは、もう、拷問だ。
 

兄貴に言っておく。おまえ、おやじにそっくりだよ


起きたときの、孤独感が半端じゃないな。

ウトウトしていた。ウトウトしていたなどと、書くと、なんかのんびりしてて、よさそうだが、よくない。

ほんとうに、ヘビメタ騒音で、まるでちがうんだよな。ぼくは他の人とまるでちがう。他の人の精神状態と、ぼくの精神状態はまるでちがう。

ちがうので、ちがう。

ちがうので、他の人の言っていることがまるで、参考にならないんだよな。そういうところがある。俺だって、楽しみたい。楽しみたい。

けど、これが、ヘビメタ騒音にやられて、まるで、だめになった。どうやっても、楽しめない。他の人は、一〇年以上の気違い騒音生活をしていない。なので、ぼくとはちがう。ちがうので、ちがう。他の人が言うことは、気違いヘビメタ騒音に一〇年間やられてない状態のぼくなら、賛成できることだ。

けど、一〇年間やられたあとは、賛成できない。それから、たとえば、『元気だ元気だと言えば元気になる』とか『むりやりでもいいから、声出してわらえば、楽しい気分になる』とかと言う人がいるけど、それは、ヘビメタ騒音が鳴っているときに、ためしたことだ。

ヘビメタ騒音が成り終わったあとも試した。

けど、俺の気持ちを破壊するような効果しかない。そういう人たちは「やってみなければわからないだろ」と言う。「なんでも、そうやって否定して」と言う。けど、ちがうんだよ。ちがうの……。まちがっているのは、そっちなんだよ。勘違いしているのはそっちなの……。

どうして、ヘビメタ騒音という要素を見ないのか?

俺が言っているだろ!!

言われても、わからないからわからないんだろうと思う。ヘビメタ騒音の影響を無視するから、俺が言っていることがわからなくなる。

俺が『やってもしないで、ただ否定したいから、そう言っている』と思ってしまう。ちがうんだよ!!

いずれにせよ、そういう『楽しい人達』は、否定されるとやっぱり、不愉快な気持ちになるわけだろ。俺に対して、あんまりよくない感情を抱くわけだろ。けど『ヘビメタ騒音』の影響を無視して、勘違いしたことを言っているのはそっちなんだよ。

けど、そういうレベルでも他の人と話があわなくなる……。俺がもし、気違い家族よる、しつこい!しつこい!!騒音を経験してなかったなら、ちがうんだよ。

そういう人たちの言っていることに、賛成できた。

けど、気違い兄貴のヘビメタ騒音を経験して、とてもじゃないけど、賛成、できなくなった!!!!

なので、そういうところにも、影響を与えているんだよな。ヘビメタのすさまじさが、わからない。他の人たちにはわからない。

ヘビメタだって好きな人はいる。そういう人たちは、自分が一番この世で嫌いな音が、九〇デシベル付近の音で毎日ずっと鳴っている状態というのをか想像してほしい。けど、まあ、これが、『想像」と『現実』はまるでちがうんだよな。経験しないとわからない。一日じゃだめだぜ。一〇〇日、一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日。四〇〇〇日。五〇〇〇日経験しないとだめだ。そして、やっているやつは、『家族』でなければならない。そして、九〇デシベル付近の、自分の耳が悪くなるような音で鳴らしているのに、こんなのは、三味線ぐらいの音だと本気で思えるようなやつじゃないとだめだ。

 

ぜんぜん静かにしてやってないのに、〇・一デシベルでも、落として我慢してやったら、『我慢してやった!!我慢してやった!!』『ゆずってやった!!ゆずってやった!!』『静かにしてやった!!!静かにしてやった』と本気で思えるようなやつじゃないとだめだ。『我慢してやった!!我慢してやった!!』『ゆずってやった!!ゆずってやった!!』『静かにしてやった!!!静かにしてやった』と思いながら、弟の入学試験前日に、一三時間ヘビメタを『自分が思った通りの音で』鳴らし続けても、なにも感じないやつじゃないとだめだ。

本当に、『ゆずってやった』と思っているのである。一三時間鳴らしているのに、一〇分間、〇・一デシベルでも静かにしてやれば、『静かにしてやった』『ゆずってやった』と本気で思える。思っている。

そういう頭の構造。そういう脳みその機能障害。感覚器を総動員して、自分をだましている。感覚器を言い換えている。普通なら絶対にわかることを、否定する。普通なら絶対に、わかることがわからない状態になっている。耳が正常なら絶対にわかることが、わからなくなっている。自分が無意識的に、やりたいなら、そうなる。感覚器の情報を書き換える。もし、「やりたい」という気持ちがないなら、絶対に、でかい音だと感覚できる。認知できる。認識できる。自分が『思いっきり、でかい音で鳴らしたい』という気持ちがあると、途端に、感覚器がおかしくなる。『そんなんじゃない』ということになる。『でかい音じゃない』ということになる。『三味線ぐらいの音だ』ということになる。物理的な音の大きさなら三味線より、一〇万倍でかいよ。

気違い兄貴に言っておく。おまえ、おやじにそっくりだよ。やっていることが、同じ。うりふたつ。やり方が同じ。考え方が同じ。感じ方が同じ。自分がやりたいことは、発狂して夢中でやってしまうけど、本人はやったつもりがないというところが、そっくりなんだ。ゆずってないのに、時間がたてば「ゆずってやった、ゆずってやった」と言うことになる。そういうふうに言った日だって、静かにしない。ゆずらない!!

けど、本人は、本当に気にならない。どれだけ言われても、言われたときだけ、真っ赤になって、怒っておしまいだ。絶対の意地でやりきる。やりきるけど、やったことになってない!!

これ、ほんとうに、やっている相手で、話が違ってくる。騒音の主観的な大きさがちがってくる。騒音の『負の効果』の大きさがちがってくる。


 

2020年11月3日火曜日

しかし、それでも、絶対的な多数なので……多数者の問題になる


まあ、ぼくの場合はヘビメタ騒音の問題がある。これは、他の人にはない。他の人には、ない、特殊な問題だ。これが、たとえば、五〇年間、会社につとめた人が、退職後、アイディンティーをなくして不安定になるという問題であれば、五〇年間、会社につとめた人が共感できる問題になる。もっとも、五〇年間、会社につとめた人が、全員、アイディンティーを失うわけではない。だから、五〇年間、会社につとめた人のうち、何割かがそういう問題を抱えるということだ。しかし、それでも、絶対的な多数なので……多数者の問題になる。五〇年間、会社につとめた人が、定年後、アイディンティーを失って精神的に不安な状態になり、苦しんだけど、ボランティアをすることやボランティアで出会った人とのつきあいを通して、新しいアイディンティーを獲得していく物語なら、共感を呼ぶだろうけど、ヘビメタ騒音の問題は、俺だけの問題なので、共感を呼ばない。しかも、日本労働教の教えに逆らったことを書いているので、多くの人は難色をしめす。まあ、普通の人には理解されないね。だいたい、気違い兄貴のような兄にやられた人間が少なすぎる。うちのおやじのような父親にやられた人間が少なすぎる。レアなんだよ。悪い意味で。共感なんてあるわけがないだろ。そういうところでも、不利なんだよ。精神的に問題がある父親にやられた人は、そういうところでも不利だ。精神的に問題がある兄にやられた人はそういうところでも、不利だ。 

 

*     *     * 


おやじは特殊な頭の持ち主で、常に、怒り狂って他の人に迷惑をかけていたけど、本人は、そういうふうに認知してないのである。どれだけ言われたって、そういうふうに認知しない。そういう認知が成り立つということがない。

けど、行動は、出っ張っている。アクティングアウトしてしまう。

だから、「やったってやってない」ということが普通に成り立ってしまう。兄貴だって、本当はヘビメタではない音で鳴っていたら、本人だって『ものすごい騒音だ』と感じる音で鳴らしているのに、いつまでたっても、でかい音で鳴らしているという認知自体が成り立たない。どれだけやってたって、やってない」と思える状態が続く。こういうのを、「あたまのくせ」だと言ったら、「あたまのくせ」になる。けど、「あたまのくせだ」と言っている人には、意図があるのだ。隠された主張がある。それは、「あたまのくせ」だからしかたがないという主張だ。「あたまのくせ」を持っている家族にやられた人は、我慢しなければならないのである。あるいは、あたたかくみまもってあげないといけないのである。やられたひとの人権はない。気がつかずに、頑固にやっているやつの人権はあるけど、そういう人にやられている人の人権はないのだ。これが、隠された意図だ。

2020年11月2日月曜日

おやじと同じなんだよな


俺にとって、一番いやな人間は、気違い兄貴だ。二番目が気違いおやじだ。この二人が、飛び抜けていやな人間だ。けど、他のやつも、気違い兄貴や気違いおやじみたいなやつがいて、なんていうのかな? 俺を悪いことに巻き込むのだ。こいつら、同じなんだよな。それに、とりつかれたように、悪いことをする。これは、悪いことであると同時に迷惑行為でもあることだ。俺が打撃を食らうわけだけど、こういうやつらは、まるで気にしないで、のさばって?生きている。生きていく。俺を、悪いことに巻き込むな。「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」と言っているのに……勝手にやりやがって……。これ、社会的には、気違い兄貴にやられて無職だった俺より、気違い兄貴のほうが成功しているんだよ。いつも、そうなんだよ。

 

かなり、ぼやかして書いているけど、俺を悪いこと?に巻き込む他人の態度というか性格が、おやじと同じなんだよな。「やめろ!!」と言っているのに、なんか勝手にやっちゃって、外から見ると一緒に動いているように見えるから、連帯責任とか……。どうしてもそういうことになる。

ぼくはもう、人がいやだ。

 ぼくはもう、人がいやだ。

人がいやだ。人がいやだ。

2020年11月1日日曜日

どんな状態でも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるというのは、まちがい


体調と生活の質は直結している。そりゃ、そうだろう。体調が悪いのであれば、なにをやっても、そんなに楽しくない。まあ、反論する人もいるとは思うけど……。体調が悪くても、楽しもうと思えば楽しめるとか……元気だ元気だと言えば元気になるとか……楽しい楽しいと言えば楽しくなるとか……まあ、それはそれでいいのだけど……。ぼくが言いたいのは、そういうことじゃない。たとえば、風呂に入ることを考えたとする。体調がいいときは風呂に入るのが、楽しいとする。リラックスできるとする。けど、体調が悪いと、その風呂も楽しめない。しんどいものになってしまう。「入りたくないな」と思うようになる。しんどいから……。で、入りたくないのだけど、衛生問題を考えると入ったほうがいいと思うとする。で、入るとする。楽しいか? 入りたくないのに、衛生問題を考えて、やっと入る風呂。楽しいか? 楽しいと言っても、なんて言うのかな? めちゃくちゃに楽しいというのではないのだ。普通に「風呂に入りたいなぁ」と思って入る風呂と、「入らなければならない」と思って入る風呂。同じ風呂でも、ぜんぜんちがう。

楽しい楽しいと言えば、楽しくなるか? これは、状態でちがう。上記のように、体がしんどい状態で「楽しい」と言っても楽しくならないと思う。あるいは、楽しくならない人が実在する。これ、どんな状態でも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなると言っている人がいるけど、そうだろうか。また、そういうふうに言っている人は「人間なら」だれでもそうだ……という前提でものを言っているのである。要するに人間ならだれでも「楽しい楽しいと言えば」楽しくなる。楽しくならない人間はいないという前提でものを言っている。しかも、それは、科学的実験で証明されたとか言い出すんだよな。ほんとうに、どれだけ迷惑か。
どんな状態でも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるというのは、まちがい。くるしい状態なら、「楽しい楽しい」と言っても楽しくならない。少なくても、そういう人間が実在する。人間ならだれでも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるか? そんなことはない。どれだけ「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない人間は、実在する。
ほんとうに、こういうの、どれだけまちがった前提でものを言っているか、いい加減に気がつけ。
  



1)どんな状態でも「楽しい楽しいと言えば」人間は楽しくなる
まちがい。
2)中立的な状態なら「楽しい楽しいと言えば」楽しくなる場合がある。
正しい。
3)中立的な状態なら「楽しい楽しいと言えば」楽しくなる人間は存在する。
正しい。
4)中立的な状態でも「楽しい楽しいと言っても」楽しくならない人間は存在する
正しい。

3)は、人間ならだれでもそうだというとを言ってないから。1)は人間ならば誰でもそうだと言っている。人間というのは、楽しい楽しいと言えば楽しくなる動物だと言っているのだ。けど、これは、まちがいだ。どうしてなら、楽しい楽しいといったにもかかわらず、楽しくならない人間がいるからだ。楽しくならない人間がいるということは、実証済み。

だいたい、実験に参加できるということが、そのひとが普通の生活をしているということを意味しているのである。また、たとえば、その人がこの世で一番キライな音を10時間、大音量で無理やり聞かせたあと、11時間目に『楽しい楽しい』と言えば楽しく感じるかどうかということは、いまの心理実験では実験できない。どうしてかというと、倫理規定があるからだ。そういう実験はしてはいけない実験なのだ。だから、その人にとって一番キライな音を、大音量で毎日、10時間聞かせて、一ヶ月後、体調や心理状態がどうなるかというようなことは、調べることができない。その人にとって一番キライな音を、大音量で毎日、10時間聞かせて、一年後、睡眠の質はどうなるかというようなことは、調べられない。その人にとって一番キライな音を、大音量で毎日、10時間聞かせて、10年後、記憶力はどうなっているかとかそういこうとは、調べられない。

ヘビメタ騒音はぼくにとって、この世で一番キライな音なんだよ。そんな音を10年以上毎日、大音量で聞かされて、いいわけがないだろ。そのあいだに、高校入試、大学入試があるなら、そりゃ、人生に影響を与えるだろ。学力や勉強に影響を与えるだろ。そういうことを無視して、『鳴り終わったなら、そんなのは関係がない』とひややかに言ったやつを、デコ・パッチンしてやりたい。 


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それから、そういう実験に参加する場合、参加者(被験者)が実験スタッフの気持ちを読み取って、サービスしてしまうという問題がある。要するに、『楽しいとこたえてあげたほうがいいのかな?』と思って、「楽しく感じました」「楽しくなったような気がします」とこたえてしまう問題だ。実験者の意図が読み取られやすい実験なのである。最初から……。いづれにせよ、被験者に実験後も影響を与えるような実験はできないのだから、どんな状態でもこうだということは、そういう実験からは言えない。そういう実験というのは、被験者に実験後、影響を与えないような実験ということだ。被験者に実験後、影響を与えないような実験をして、『どんな場合でもこうだ』と言うことはできない。

 

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俺がここに書いたことを理解できる人は少数派で、たいていの人はそんなこと関係がないと思ってしまう。「楽しい楽しいといえば楽しくなる」というのは正しい。どうして文句をつけるのか? と思ってしまう。そういうレベルだ 。心理学や哲学に興味を持っている佐藤ですら、そういうレベルなのではないかと、うたがってしまう。

 

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毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。