2022年5月17日火曜日

毎日、つもると、六時間でも破壊的な影響がある

 しかし、俺はどうしたらいいんだ?

「あのときのさみしさはない」と思った。横になっているあいだ、けっこう、そういうふうに思っている。何回も、そういうふうに思うことがある。「俺の人生はなんだったのか」……これにつきる。

このさきどうしようかな? もう、相当にやられまくっているから、「元気づけ」みたいなことでは、どうにもならない。「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて言っている人たちが、まったく経験したことがないことを、何回も何回も、ずっと何十年間も毎日経験してきたよ。そんなことで元気にならないから問題があるんだろ。

たとえばの話だけど、どれだけ、切羽詰まった気分で「元気だ元気だ」と言っていると思っているんだよ? おまえら、ほんとうにまるでわかってないな。ヘビメタ騒音にやられているのに、そのなかで「元気だ元気だ」と言ってもしかたがないんだよ。

夜、寝るとき、しずかになってから、布団のなかで「元気だ元気だ」と何回言ってもおなじだよ。いや、もっとひどいことになる。これ、ヘビメタ騒音を六時間聞かされたあと、どういう状態になるのか、わかってない人の発言なんだよね。一日に、六時間、ヘビメタ騒音をあびただけで、その日は、どれだけがんばっても、眠れなくなる。

だいたい、眠れなくなるという表現でぼくがどういうからだの状態について、言及しているのか、わかってないと思う。その人たちは、ヘビメタ騒音にやられてない人生をすごしているから、わからない。毎日、つもると、六時間でも破壊的な影響がある。

この影響を無視して、「元気だ元気だと言えば元気になる」とか「禍根なんて関係がない」と言う。これがどれだけ、ぼくの気持ちをさかなですることか、わかってない。これがどれだけ、実情に合ってない発言か、言った本人はわかってない。言った本人にしてみれば、「ヘビメタ騒音なんてそんなものでしかない」のである。

これは、何千日も、あの態度でやられたことがない人の発言だ。

「何千日も、あの態度でやられたこと」がない人は、ないので、わからない。ぼくの発言の背後にあるものが、まったくわかってない。理解できてない。けど、それを、言語化して言うと、「そんなの、俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、わかってない」とかということを言う。

けど、騒音に関しては、ヘビメタ騒音相当の騒音を経験しないことがわかる。経験したら、ぼくの言ったことがわかっているので、「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて、口が裂けても言わないし、たとえ言ったにしろ、ぼくが「元気だ元気だと言えば元気になると言っても、元気にならないことがある」と言えば、即座に納得してくれる。

納得せずに、「そんなの、俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、わかってない」と言いかえしているのだから、わかってない。これは、騒音じゃなくても、ほかのことでも成り立つ。

「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、わかってない」と言ったとしても、そのくるしい思いというのはたいしたことじゃなということが、わかる。どうしてかというと、「そんなの、俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、「元気だ元気だと言えば元気になる」ということを信じていられるようなくるしい思い(くるしさ)でしかないからだ。

ぜんぜん、ちがう。そういうことを信じていられるという時点で、その「くるしさ」というのがたいして「くるしくないものだ」というのがわかる。「元気だ元気だと言えば元気になる」ということを、信じて!!!言っていられるぐらいの、つらさなんて、なんでもないよ。

「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて方法がどれだけ無力か、思い知ってない。「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて方法を信じていられるほどの気楽さ。

ほんとうにまったくわかってないなぁ。

「ほんとうにまったくわかってない」ということがわかる。

絶対に、そんなことは、言えなくなる。絶対に、「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは嘘だということがわかる。絶対、「元気だ元気だと言えば元気になる」というのが嘘だということが、わかる体系んがないだけだ。人生において、そういう体験がないから「元気だ元気だと言えば元気になる」などと、「くそのんきなこと」を言える。

 

2022年5月16日月曜日

無理解ぶりを発揮しなければ、絶対に言うことができないむりなことを言っている

 毎日のヘビメタ騒音がどれだけ問題か、ほかのひとには、まったくわからないんだよなぁ。わからないのであれば、なんとだって言える。けど、好き勝手に言われるのは腹がたつ。これ、「人の言うことなんて気にするな」とか「人がどう思ってたって関係がない」とかと言う人は、みんな、ヘビメタ騒音に関して、好き勝手に言う人たちなんだよ。こういう人たちが体験を通して理解せず、むりなことを言っている。こういう人たちが、毎日のヘビメタ騒音がどれだけ、人生に影響をあたえるか、理解せずに、きれいこどを言ってる。きちがい的な親、きちがい的な兄弟にたたられたことがない人が、無理解ぶりを発揮しなければ、絶対に言うことができないむりなことを言っている。けど、この人たちの人生はこの人たちの人生だから、無理解な発言をしているとは思わない。まったく正しいことを、言っているとしか思わない。ここには、断絶がある。けど、断絶があることでこまるのは、こっちだし、断絶があることでダメージをうけるのは、こっちだ。きれいごとを言っている人たちは……経験がないからこそ言えるきれいごとを言っている人たちは、そういうことにも気がつかない。どれだけ俺がヘビメタ騒音のなかでがんばったか、まるで理解してない。がんばったからダメになっているんだぞ。そして、けっきょく、きちがい兄貴を殺さなかった。これが、どういうことかわかるのか? 全部、引き受ける気持ちがないくせに、えらそうなことを言うな。きれいごとを言うな。

2022年5月15日日曜日

『専門家が言っていることは、専門家が言っていることだから、正しい』と思っていた人

『専門家が言っていることは、専門家が言っていることだから、正しい』と思っていた人は、みんな、だまされてしまいましたねぇ。自分で調べる・自分の頭で考えるということが、どれだけ大切なことか、みんな、わかってくれたかな?


 

2022年5月13日金曜日

金本位制とMMT(現代貨幣理論)


金本位制で重要なのは、各国の中央銀行がほんとうの中央銀行にもどることだ。MMT(現代貨幣理論)も、各国の中央銀行がほんとうの中央銀行なら成り立つけど、ほんとうの中央銀行でないなら成り立たない。ほんとうの中央銀行というのはなにかというと、政府以外に所有者がいない銀行のことだ。中央銀行が株式を発行している銀行であり、政府以外に株券をもっている人がいるいる場合は、ほんとうの中央銀行ではない。

今回の金本位制は中央銀行を、「100%政府の銀行」にするために必要なことなのである。


あと、見逃されがちで重要なことは、銀行の信用創造だ。金本位制を使い、銀行の信用創造を、うちくだくことが必要になる。

環境破壊とか言っているけど、言ってみれば経済成長が「過剰」になってしまうのは、信用創造のせいなのである。銀行の信用創造をなくし、適切な経済成長を目指さなけれはならない。

あと、金の埋蔵量を気にする人がいるけど、そんなのはまったく問題にならない。実体をもたない暗号貨幣(仮想通貨)の価値があがったということが、このことを証明している。あるいは、不動産の価値上昇を見れば、金の埋蔵量なんてものは、まったく問題にならないということがわかるはずだ。 

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中国は金本位制に移行している。

これから、アメリカも金本位制に移行する。

もちろん、ロシアも金本位制に移行している。時系列的には、ロシア、中国、アメリカの順番。

2022年5月12日木曜日

きちがい兄貴の意地がわからないから、ほかの人は、普通に誤解する。

ヘビメタ騒音の体験がない人になにを言ってもむだだ。わかるわけがない。けど人によって、理解度がちがうんだよな。一発で、わかる人と、どれだけ説明しても、わからない人がいる。もちろん、一発でわかると言っても、説明を聞いてわかる範囲でわかるというだけで、体験してわかるのとはちがう。けど、わかる人と、わからない人で、ほんとうに俺に対する態度がちがう。この、わからないやつの、俺に対する態度はひどい。ぶっ殺したくなる。ぶっ殺さないけどさ。一〇〇発ぐらい、なぐってなぐって、「過去のことは気にするな」と言ってやりたくなる。「いたいと言うから、いたくなるんだ」と言ってやりたくなる。「すべては、受け取り方の問題だ」と言ってやりたくなる。「いたいという現実をおまえがつくっている」と言ってやりたくなる。「うまれるまえに、(俺に)ここで、なぐられるということを、おまえが選択した」と言ってやりたくなる。「おまえがうまれるまえに、選択したことなのだから、自己責任だ」と言ってやりたくなる。

一〇〇発、なぐられたぐらいじゃ、ずっと下半身不随になることはないと思うけど、ずっとたてないからだになったら、「たてないと思うから、たてないんだ」と言ってやりたくなる。 たてないからだになって、一〇年間生活していたら、ベットの横に行って「一〇年前のことなんて、関係がない」「こだわっているからだめなんだ」と言ってやりたくなる。「俺なんて、みろ……こだわってないから、元気だ」「こだわる必要がないことには、こだわるべきではない」と言ってやりたくなる。「執着がくるしみをうみだしているのだ」と言ってやりたくなる。

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ほんとうに、どれだけ人生のマイナスになるか、わかってない。説明したって、これまた、きちがい親父やきちがい兄貴とおなじようなレベルでわからない。しくみはちがうけどね。ともかく、そいつにとっては、そういうことが、自分の人生のなかで発生しなかったことなんだよ。だから、『影響をうけてない』。本人が影響をうけてないと、『そんなのは関係がない』と思ってしまう。自分と他人の境界線があいまいなので、自分にとってたいしたことじゃないから、俺(エイリ)にとっても、たいしたことじゃないと感じてしまう。本人が体験した「騒音」がたいしたことではないので、エイリさんの騒音もたいしたことがないと思ってしまう。『きちがい的な家族』といっしょに、家族としてすごしたことがないので、きちがい的な家族のことがまったくわかってない。わかってないのに、『普通の家族』の基準をおしつけて、ものを言う。ようするに、『俺の家族』があたかも『普通の家族』であるような前提で、自分の意見をおしつけてくる。『俺の兄貴』があたかも『普通の兄貴』であるような感覚で、ものを言う。そして、そういう、かくされた前提をもっている……自分の意見が正しいと思っている。ほんとうに、頭がわるいなぁ。わるすぎる。これは、頭がわるい人にはわからないと思うけど、『侮辱』だ。俺に対する侮辱だ。きちがい的な家族にやられ続けると、世間的な意味で、頭がわるいやつに侮辱されることになる。下に見られることになる。とくに、ヘビメタ騒音は、そうだ。学歴と生活に影響をあたえる。ほんとうに、不可避的に睡眠回路を破壊されて、寝不足状態で生活することになる。それは、理解力の低下、体力の低下、気力の低下、反応速度の低下をもたらす。きちがい兄貴の意地がわからないから、ほかの人は、普通に誤解する。きちがい兄貴の感覚もわからない。きちがい兄貴は、どれだけ鳴らしても、鳴らしたつもりがない状態で暮らしている。頭がおかしいからそういうことができる。あいつの態度は、一分もでかい音で鳴らしてないと思っている態度だ。自分がきちがい的な意地でやったことは、全部、自分がきちがい的な意地でやってないことになっているのである。やりきったあとそうなる。これは、きちがい兄貴ときちがい親父でまったくおなじだ。これ、家族として!いっしょにすんでないとわからない。これがどれだけひどいことか、みんなわかってない。そりゃ、自分の家族がそうではなくて、自分の身にそういうことがしょうじなかったのであれば、わからないだろう。けど、これがもたらす影響はでかい。「過去のことだから関係がない」などと言えるようなものではないのである。それも、わからないと思う。普通の人にはわからないと思う。


2022年5月11日水曜日

ヘビメタ騒音であたまが引き裂かれるような状態になって

ヘビメタ騒音であたまが引き裂かれるような状態になって、それが、何時間も続いて、いいわけがない。影響をけないわけがない。ただ単に、その時間、勉強ができないだけではなくて、存在しているだけで、くるしい状態が続く。鳴り終わったあとだって、眠れなくなる。不安だってつのる。「こんな状態じゃ、やっていけない」「こんな状態じゃ、試験でいい点数がとれない」と不安になる。「明日、遅刻してしまう」と不安になる。こういう不安は、鳴っている限り……きちがい兄貴がきちがい兄貴の態度で、鳴らしている以上、ずっと続く。10ネン、十一年、十二年、十三年、十四年と続けば、そりゃ、人生全体の問題になるに決まっている。 

2022年5月10日火曜日

思慮深い人間にすら、こういうことを言われる状態におちにいる。

あのとき、あの子とつきあっておけばよかったというようなことが、うかぶ。ヘビメタ騒音がなければ普通に、普通の気持ちでつきあうことができた。ヘビメタ騒音で破滅破綻なのである。あれ、家に帰ればがんがん鳴っている状態というのを、ほかの人は経験してないんだよな。

ものすごい、状態なんだよ。それが、六年間、つみかさなったときの状態なんてほかのやつにわかるわけがない。わからなければ、「そんなのは関係がない」とさも、正しそうに言える。そういうことを言う人には、関係がないことだけど、俺には関係がある。自分の身に生じなかったからといって、どうして、エイリに関係がないことだと思うのだ? もちろん、エイリにも関係がないということを言ってるのだけど、「感覚」としては、「自分の感覚が成り立っているぞ。自分が経験しなかったから、影響のでかさがわかってない。不可避的な影響のでかさがわかってない。これ、ほんとうに、きちがい家族が鳴らしていると、影響をうける。不可避的に影響をうける。影響をうける範囲がわかってないだけだろ。わかってないやつ、経験がないやつに、わかったようことを言われる立場に「おちいる」といこうとだって、影響のひとつだよ。ともかく、こいつらは、ヘビメタ騒音の影響を過小評価している。あるいは、無視している。こんなバカなやつらに、「えそうなことを」を言われる立場に陥るとは……。だから、やめてくれと必死に叫んでいたのに……。きちがい兄貴部屋に行って、何十回もさけんでいたのに……。一日に、何十回も何十回もさけんでいたのに、きちがいが、無視しやがって。これが、きちがい親父の態度なのである。きちがい兄貴が、きちがい親父の態度で、無視した。こんなの、普通の人にわかるわけがない。親父の態度も、兄貴の態度も、普通の人にはわからない。きちがいだからな……。きちがいがどういう態度で、どういう感覚で、きちがい行為をするのか、ほかの人にはまったくわかってないんだよ。きちがいの意地がわかってない。きちがい家族が、「うちのなかで」どういう行為をどういう感情でどういう感覚でやるか、まってたくわかってない。そういうやつらが、えらそうなことを、俺に言ってくるんだよ。佐藤のように……。佐藤も、おなじことをされたら、働けないからだになる。あとユキオは、『(自分の容姿には自信がないけど)俺(ユキオ)なんて、結婚できちゃうんだからなぁ』なんてひとりごとのようにつぶやいていたのだ。(エイリさんにくらべて、自分は容姿がよくないけど、それでも、俺は結婚できた。俺のことを好きだというやつがいた。エイリは結婚してないんだろ。はははっ。ゆかいゆかい)ということだ。ユキオは、また、「そんなのがほんとうだったら、もっと、(エイリさんが)ぐちゃぐちゃになってるから、エイリさんが嘘を言っている」と思ったやつだ。ぐちゃぐちゃになっているはずのエイリさんが普通にしゃべっているので、嘘だと思ったわけだ。そして、「こんなひとにかかわるとたいへんだから、逃げよう」と思ったやつだ。きちがい兄貴にきちがいヘビメタ騒音でやられると、初対面のやつにこういう態度で、こういうことを言われるということになる。佐藤もユキオも、常識的な人だ。思慮ぶかい人間だ。思慮深い人間にすら、こういうことを言われる状態におちにいる。何度も繰り返すけど、佐藤もユキオもヘビメタ騒音の影響のでかさが、わかってない。どういうことになるのか、まったくわかってない。ただうるさい音がちょっと続いただけだ』と思っているみたいなんだよな。「そんなんじゃない」。けど、俺が「そんなんじゃない」とどれだけ言っても、つたわらないんだよ。これは、きちがい兄貴に言っていることが、きちがい兄貴に伝わらないということとは、ちがう。しくみがちがう。けど、つたわらいことにはかわりがない。

 

 

2022年5月9日月曜日

「普通の騒音体験から推し量ることができないような影響が生じる」

 ほんとう、このさきどうするかな?

自分のいのちをどう考えるかなんだよね。自分がほんとうにやりたかったことはなんなのか? あるんだよ。ある。けど、ヘビメタ騒音でどうしてもできなくなった。

ヘビメタ騒音のことは、だれに言っても、理解してくれない。ただ、相対的に言って、理解度の低い人と理解度の高い人がいる。言葉の多さは関係がない。理解度が高い人は、少ない言葉でも理解してくれる。この理解は、言葉による理解で、もちろん、体験をとおした理解ではない。理解度が低い人は、ヘビメタ騒音が俺に、影響をあたえないと思っているんだよな。そんなことはないんだよ。あの空間を、経験させてやりたい。どれだけ、体と心に響くか、経験させてやりたい。きちがい兄貴の態度「全般」がそもそも、ほかの人にとっては理解にしくいことなのである。だから、いろいろな誤解が生まれる。ヘビメタ騒音の影響に関しても、たいていの人は誤解する。ちょっとした騒音だとおもっしまう。そうじゃない。長期間続くとほんとうに、すべてに影響をあたえる。物理的に睡眠回路を破壊する。物理的にと書いたけど、生化学的にと書いてもいい。ともかく、そういうレベルで影響をうけてしまう。ヘビメタ騒音を一年間毎日鳴らされたぼくは、そうではないぼくとはちがった存在になってしまうのである。不可避的に能力がさがって、不可避的に日常生活レベルの問題がしょうじる。ただ、この日常生活のレベルの問題というのが、まったく理解されないのである。きちがい兄貴がきちがい兄貴だということが、ほかの人にはわからないから、言えば解決できるような問題だと思ってしまうのである。ほかの人が……きちがい的な家族がいない人が考えているような状態じゃないのである。そして、その連続……きちがい的な態度で、きちがい的なヘビメタを絶対の意地で、できる限り鳴らしてしまう……ということの、影響を、うける。これは、特殊な影響なのである。普通の人だって、もちろん、騒音体験はあるのだけど、特殊な家族による特殊な騒音だから、普通の騒音じゃないのである。普通の騒音体験から推し量ることができないような影響が生じる。けど、いくらぼくが「普通の騒音体験から推し量ることができないような影響が生じる」と言っても、ほかの人にはわからない。理解度が高い人も、もちろん、ぼくが理解しているようなかたちでは、理解してない。けど、理解度が低い人の反応がひどいのである。こんなの、喧嘩を売られているようなものだ。しかし、理解度が低い人のほうが、全体のなかで大きな割合をしめるので、人間づきあいに困難を感じるようになるのである。

 

 

2022年5月8日日曜日

世界は「いいほうに」かわる

これからの社会は、いやおうなく、かわる。相当にかわる。いままでの変化量とは比べ物にならないほどの変化量になる。まあ、これから三年間ぐらいが一番、変化するんじゃないかなと思っている。ともかく、世界がかわる。これは、はっきりしている。けど、ぼくは、ヘビメタ騒音のことで頭がいっぱいだ。ヘビメタ騒音が原因で、からだが重たくてしかたがない。ヘビメタ騒音が原因で、こころが重たくてしかたがない。はっきり言えば、楽しめない。まったく楽しめない。世界は「いいほうに」かわるけど、ぼくはあいかわらず、くるしいのではないかと思う。

 

回収しようとして行動すると、ろくなことにならないんだよな

 ほんとうにヘビメタ騒音以降、いいことがない。

それどうにかしようとして、行動すると、それが、不愉快な出来事を引き起こす……というようなところがある。回収しようとして行動すると、ろくなことにならないんだよな。みんな、わかってない。どういう状態になるのかわかってない。 

影響を、うけるよ!!

影響を、うける必要はないとか、ほんとうに、ふざけている。きちがい兄貴がいない人が言うこと。きちがい兄貴が鳴らす、きちがいヘビメタがずっと毎日、どれだけやめろと言っても、続いたという出来事がない人たちが言うこと。どれだけの影響をうけるか、わかってないだけだ。自分の身に生じなかったから、経験としてわからないだけじゃないか。えらそうに!!! えらそうに!!! ほんらい、俺より劣ったやつがえらそうなことを言う。ほんらい、俺より劣ったやつが、俺にえらそうなことを言うことになる。ヘビメタの効果というのはそういう効果だ。ほんとうに、『影響がない』と思っているやつは、それを前提にして、ヘビメタ騒音の『結果』傷つき、ズタボロになっている俺に、えらそうなことを言ってくる。佐藤(仮名)、しかり。ゆきお(仮名)、しかり。主婦、しかり。 前提を口に出して言う場合もあるけど、前提を口に出して言わない場合もある。前提を口に出して言わない場合は、俺をばかにしていろいろな決めつけをしてくる。ヘビメタ騒音の結果、一定の時刻に起きることができなくなったと言っているだろ。ヘビメタ騒音の結果、通勤して働くことができなくなったと言っているだろ。きちがい兄貴が鳴らしたような騒音にやられれば……そういうことになる……ということが理解できないやつが、えらそうなことを言う。そういうことを言われる地位に落ちてしまう。そういうことを言われやすいポジションに落ちてしまう。あたまにくる。だから、俺にとって、ものすごく重大なことだから「やめてくれ」「やめてくれ」と叫んでいたのに、きちがい兄貴が、無視して、頑固に鳴らし続けた。きちがい兄貴が悪いことをしている。きちがい兄貴が非常識なことをしている。それなのに、こいつらときたら、『そんなの鳴ってたって、自分なら平気だ』とか『影響をうける必要がない』とかと、現実離れをしたことを思って、それを前提にして、わかったようなことを言ってくる。 やられてないやつが、空想して『そんなの鳴ってたって、自分なら平気だ』とか『影響をうける必要がない』とかと言っているだけだから!! 経験してないからわかってないだけなんだよ。どれだけの長さ、やられるか。たいせつなときに、がんがんやられて、どれだけ腹がたつか。ひきさかれる思いをするか。そして、その日の夜、眠れなくなるか。その音のなかで、ひきさかれるような思いをしているから、眠れなくなる。これは、本人が選択して起きているのとは、ちがうよ。たとえば、ゲームの続きをやりたくて、夜更かしをしているのとはちがうよ。こういう人は、きちがい兄貴の態度も、きちがい兄貴の認識システムもわかってない。荘う態度でやられたら、どれだけ腹がたつかわかってない。「明日は、自分にとって重要なテストが、ある」という状態で、きちがい家族が、俺の言っていることをがぜん無視して、俺がこまっているということを無視して、鳴らしているときの、腹がたつ気持がまったくわかってない。きちがい兄貴が正常な兄貴なら、あの音で鳴らしたらまずいということがわかるんだよ。そんなの、説明しなくたって、言わなくたって、わかるんだよ。けど、きちがいだから……おやじとおなじタイプのきちがいだから……どれだけ説明したって、どれだけ言ったって、わからないのである。わからないなら、どれだけやったって、やったことにならないというのが、きちがい兄貴ときちがい親父の認知だ。これ、ほんとう、自分に不都合なことは「予感」のようにしか理解しないのである。「予感」がするから、発狂してはねのけた。……発狂してはねのけたら、言われてないのと同じ状態になるのである。そりゃ、理解しないまま、どかしたわけだからそうなる。「相手が、これこれこういう理由でこまる」ということは、理解しないのである。具体機な内容は理解しないで、なんとなく、いやなことを言われたから、発狂してはねのけるという態度になってしまう。そのときは、「なんか、認めると、我慢しなければならないようなことを言われた感じがする」というような感じしかないのである。具体的な内容は、どれだけ相手が横で、横で叫んでいても、認めない。認めないということも、認めない。からだは認めない方向に動いているのに、本人の認識システム(脳)は、認めないように動いたということを認識してない状態なのである。殺すわけにはいかないから、がまんして、俺が部屋にもどる。部屋に戻っても、自分の部屋で鳴らしているようにうるさい。どれだけ、ヘビメタ騒音のなかで、辛抱したか? からだがこわれる。睡眠回路がこわれる。みんな、経験してないから、そういうことが毎日、何千日も続くと睡眠回路がこわれるということがわかってないだけじゃないか。自分のからだをとおして、自分の経験をとおして、わかってないだけじゃないか。これ、ほんとうに、おなじ十年間が続いたら、みんなおなじ症状が出るよ。けど、実験するわけにはいかないんだよ。そうなると、俺が言っているだけだということになってしまう。実験するわけにもいかないし、ほかの人は経験したことがないことなのだから、そうなる。

ともかく、そういう人生を回収しようとして、行動を起こすと、ろくなことにならないんだよ!!! こういうのも、完全に無視しやがる。きちがい家族による、きちがい的にしつこいきちがいヘビメタ騒音に毎日毎日たたられたことがない人は、こういうことを完全に無視しやがる。自分の人生に生じなかったから、『そんなの鳴ってたって、自分なら平気だ』とか『影響をうける必要がない』とか『影響をうけないという強い信念をもてば、影響をうけない』とか『影響をうけないと言えば、影響をうけない』とかと、言えるだけだ。

『影響をうける必要はない』とか……どれだけ、おろかな言葉か、わかってないだろ。 

++++++

概要だけ書いておく。

2022年5月7日土曜日

きちがいヘビメタ騒音は、きちがい兄貴ときちがい親父の合作!!

 けっきょく、ぼく以外、あの騒音のすごさがわかってない。あのきゅーーっとした感じがわかってない。鳴っているあいだ……どういう精神状態になっているかわからない。鳴っているあいだ……からだが、どういう状態になっているか、体験としてわかってない。だから、「かるく」考える。一日に十二時間鳴っていた……。十二時間とひとことで言える。けど、その十二時間のからだの状態は経験してない。毎週毎週、日曜日は、十二時間以上鳴っている状態というのを十数年間にわたって経験したわけじゃない。「鳴ってた」というのは、理解できるかもしれないけど、その十数年間のことは理解できない。その十数年間のあいだに鳴っていた音が与える影響について、理解できない。だから、勝手なことを言う。「そんなのは、関係がない」「過去のことは関係がない」「鳴り終わったなら関係がない」「ヘビメタ騒音で遅刻するとか、ありえない」「なにが、睡眠回路がこわれただ?」……。ゆるせない。ゆるせない。ゆるせない。こういうことを言ったやつらのことはゆるせない。けど、これがまた、「ゆるせない」と言ってしまうと、まるで、危険な人だと思われてしまうのだ。ネガティブな人だと思われてしまうのだ。ほんとうに、人生が粉々になるようなハンディになるのに、だれもわかってないんだよな。おなじことをされた場合……きちがい親父も含めてヘビメタ騒音の環境なのだけど……おなじことをされた場合、ほんとうに、ゆるすことができるのか? きちがい親父も含めてと言ったけど、きちがい親父は、きちがい兄貴がヘビメタを、きちがい兄貴が思ったとおりの音で鳴らせる状態をつくった、要素なのである。きちがい親父がやってきたことが、きちがい兄貴のきちがいヘビメタにどれだけの影響をあたえているか、わからない。うちに住んでいたことがない人にはわからない。これ、ほんとうは、影響があるんだよ。きちがいヘビメタ騒音は、きちがい兄貴ときちがい親父の合作!! きちがい親父があんな親父でなければ、きちがい兄貴がどれだけ、思いっきり鳴らしたいと思って、鳴らせないはずなのである。普通の家でそうだ。ふつーーのいえ……ならね。で、普通の家にうまれて、育った人は、「きちがい親父」がきちがい的な意地でやってきたさまざまなきちがい行為のことがまったくわかってないのである。「頭のクセがある人はしかたがない」などと言う心理学者がいるけど、こいつは、頭のクセがある人が家族にどれだけの影響をあたえるかわかってない。まるでわかってない。

2022年5月6日金曜日

けど、普通の人や認知療法家は、この期間の長さを無視する

 でかい毛布の洗濯をはじめた。これは、対ダニ用でバスタブを使って洗うというものだ。だいたい60度のお湯につける。高温には耐えられないのでダニは全滅。

ただ、つけておくわけだから、60度から温度がさがっていく。まあ、ほんとうに60度あるなら、即死レベルなんだけどね。

あとは、普通に洗濯をしはじめた。これは、普通の洗濯機で洗濯するというものだ。

けど、こういうことをやっても、部屋がぜんぜん片づかない。まあ、でかい毛布は、この処理をしないと片づけることができないのでそうしているのだけど……。

あとは、中古マンションを買うかUR賃貸にするか、まよっている。ともかく、動きがとれない。あとは、ほんとうに、不愉快なことを思い出す。相手がこっちに不愉快な思いをさせた場合と、こっちが相手に不愉快な思いをさせてしまった場合と、相手がこっちに不愉快な思いをさせて、なおかつ、こっちも相手に不愉快な思いをさせた場合の三通りがある。

きちがい親父にきちがい的な理由で怒り狂われていたということが、これもにも影響をあたえている。けど、そういうふうに言うと、「親のせいにしている」と言われやすいので、言いにくい思いがある。けど、ものすごく細かいことや、理由にならないことで怒り狂われたことがある人しか、この感覚はわからないと思う。一回や二回の話じゃないのだ。それは、きちがい親父の頭の構造が影響しているからだ。健常者と異常者の区別をするのであれば、とうぜん、この区別は重要だ。けど、「親」という単語にとらわれると、「俺だって、細かいことで怒られたことがある」というようなことを健常者が親である人間が言い出す……。これも、ヘビメタ騒音とおなじなんだよな。構造的に頭がおかしい人が、構造的に頭がおかしいから、普通の範囲で言えば「わけのわからなこいとで」怒り狂うということになる。あと、きちがい親父が無視しているのは、自分の感情とその発露なのである。きちがい的なことで、発狂して怒っているのに、「起こったつもりがないまま」なのである。あとは、おこったつもりがないということとは、矛盾するのだけど、「自分がちゃんとした理由で怒っている」ということなのである。こういうところで、きちがいなんだよ。普通の人は、ものすごい勢いで怒り狂ったなら、「ものすごく腹がたった」「その怒りを相手にぶつけた」とい記憶が残るのだけど、親父の場合は、そういう記憶が残らない。だから、「そんなことはやってない」という気分のままでいられる。これは、兄貴のヘビメタ騒音でもそうだ。ものすごい意地で鳴らしていたのに、「ものすごい意地で鳴らしていた」「ぜったいにゆずってやらなかった」という記憶がない状態で暮らしているのだ。発狂的な意地でやること……猛烈な勢いでやることなのに、「やった」という記憶がぬけている。これは、一般的な、記憶喪失とはちがうんだよ。やっている最中もやったつもりがないわけだから……。発狂してやりきるけど、「やったつもりがない」状態が続く。「やめろ」と言われたら、発狂してはねのけるのだけど、「はねのけた」という記憶がない状態だ。それは、一度認識したものを、忘れたということではないのだ。だから、普通の記憶喪失とは性格がちがう。こういうことを言うと、矛盾していると言われるかもしれないけど、ほんとうは、記憶が一部残っている。認知が一部、成立している。けど、自我にとって不都合な記憶は、普通に無視してしまうのである。この無視は、あったってないというような無視だ。けど、それも、いとき手にやっていることではないのである。だから、否定派するけど、「やった」というような感触はあるはずなのだ。けど、それも、怒りとともにおしながしてしまう。ほかの人の場合、こういう家族がいないのだから……こういうことがしょうじないのである。かりに生じたとしても、すでに自我ができあがったあと、頭がおかしい上司にこういうことをやられたということになる。その場合は、上司なのだから、会社をかえれば、とりあえずの問題は解決する。けど、家族の場合は、そうじゃないのである。そうは、いかない。そして、独立するまでの期間が長すぎるのである。この期間の長さを無視することはできない。けど、普通の人や認知療法家は、この期間の長さを無視する。

 

2022年5月5日木曜日

無視すればいいと……やられてないやつが気楽に言う

 祭日の午後四時四六分。これ鳴っている、雰囲気だ。どれだけ、「しずかにしてくれ」「明日大事なテストがある」と言っても、一秒もしずかにしてくれなかった。俺が小学六年生以上の学生であった祭日……ヘビメタ騒音がずっと朝から、晩まで鳴っていた。とちゅう、どれだけ「しずかにしてくれ」と言っても……兄貴に言いに行っても……きちがい兄貴は一秒もしずかにしてくれなかった。そういう、一秒一秒のつみかさね……つみかさなり……が、どれだけ影響をあたえると思っているんだよ? どれだけ無視したって、影響をうけないようにしたって、破壊的な音で鳴っているのだから、影響をうける。これ、このあいだも書いたけど、鳴り終わってからもずっとくるしい。

いまも、くるしい。ほかの人に誤解されて、くるしい。からだがくるしい。人生をやりなおすとしても、きちがいヘビメタの影響をうけたからだで、やりなおすわけだから、すべてがくるしいし、おなじだ。これ、どれだけ、俺がヘビメタ騒音の影響をうけないようにしてきたかわかってない。なるべく影響をうけないようにしても、うけている。うけないようにするということがむりなんだよ。それを……あたかも、うける必要がないからうけなくてもいい……ヘビメタなんて言うのは、無視すればいいと……やられてないやつが気楽に言う。影響をけてないやつが気楽に言う。そんなのは、机上の空論でむりなんだよ。

こういう、ばかなやつにえらそうなことを言われるポジションに陥ってしまう。これが、どれだけ、屈辱か。こんなの、ほんとうに、きちがい兄貴がきちがい兄貴でなく、普通の兄貴で、普通の感覚を持っていたら、発生しなかったことなんだよ。これも、きちがい家族にたたられなかったやつが「発生しなかったことだと言ってもしたがないだろ」というようなことを言いやがる。こいつら、みんな、ほんとうに、わかってない。ただ単に、想像力がたりないやつなんだよ。ただ単に、ガキだからわかってないやつなんだよ。自分勝手な傾向がきちがい兄貴に似ている。ほかの人のことを考える能力がないところが、きちがい兄貴にている。「自分だったら」ということがまるでわかってないやつ。「自分だったら平気だった」と思ってしまう「うぬぼれ」が強い人。ただ単に、おろかだから、わかってないだけ。

長さがわかってないんだよ。ともかく、きちがい兄貴がきちがい的な意地で、俺ことは、まったく気にしないで、自分が思ったとおりの音できちがいヘビメタを、一日中、鳴らしまくると、俺が、ほかの人から「なめられる」ことになる。俺がほかの人から「ばかにされる」ことになる。すべてが、屈辱。きちがい兄貴のことといい、きちがい親父のことといい、そろいすぎている。ほかの人にはまったくないハンディなんだぞ。しかも、ハンディがあるから、そのぶん優遇されるのかというと、そういうところもまったくない。凡人佐藤の態度は、そういう……システムのうえに成り立っている。きちがいヘビメタの影響を、どれだけうけるか?……凡人はわからない。だから、凡人の基準でものを言う。凡人には、きちがい家族のハンディがない。どれだけたたられるかまったくわかってない。


そもそも、配られたカードがちがうんだよね

 そもそも、配られたカードがちがうんだよね。それは、たとえば、幸福論にも影響をあたえる。これは、そのうち、くわしく書こうと思う。言いたいことは、人間を主語にして、おカネと幸福感の関係について語るのは、まちがいなのではないかということだ。人間ではなくて、こういうカードを配られた人間にとってはというような、但し書きをつけるべきなのではないかということだ。なんていうのかな、たとえばの話だけど、きちがい親父がきちがい親父ではなくて、なおかつ、きちがい兄貴をしずかにさせるつもりがない場合は、俺がアパートをかりて、その時間だけ外に出るということだってできた。きちがい兄貴が鳴らしているあいだは、その近くのアパートで勉強をするこということだってできた。けど、きちがい親父が訊かちがい親父なので、そういうことには一切合切賛成しなかった。子どもだった俺は、きちがい親父がカネを出してくれなければ、近くのアパートを借りるなんてことはできなかった。だから、鳴らされているあいだじゅう、ずっと、この部屋でくるしんでいた。きちがい兄貴を殺さないと、音をとめることができない。きちがいだから、どれだけ言ってもわからないんだよ。その「わからなさ」というのは、普通の人の理解をこえている「わからなさ」だ。きちがい兄貴本人だって、きちがいおやじとおなじ無視のしかたで無視をしているとは思ってないのだ。逆に、無視したつもりがない状態で、「どれだけ言われても」鳴らしている。鳴らし続けることができる。頭がおかしいからそういう態度で、そういう認知・認識で鳴らし続けることができるんだぞ。本人は「やったつもり」なんてまったくないよ。そういう状態で、十数年間がすぎていく。どんだけ、くるしいか?

いまだって……こうしているいまだって……鳴っている雰囲気があるよ。せっぱつまった、思い通りにならない空間がある。頭の横にある。ほんとうに、どれだけ、ひきさかれる思いをしたか?

 

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2022年5月3日火曜日

ほんとうに、ヘビメタが「すべて」にたたるんだよ

 ほんとうに、ヘビメタが「すべて」にたたるんだよ。やられなかった人にはわからない。出版のことだって……。神学のことだって……。就職のことだって……。やられてない人のほうが多いというよりも、きちがい兄貴みたいな家族にずっとやられた人なんて、ぼくしかいない。ぼく以外の人がまったく経験てないことを、経験した。で、ほかの人には、わからないのである。ほかの人には、ヘビメタ騒音のことを説明しても、わからない。出版社の社長だって……。それならちゃんと書かないとだめだ」と言ってたけど、深刻さがわかってないんだよ。あと、その出版社では、幼稚園での幼児虐待についてあつかっていた本を出していたんだけど、ぼくには、たいしたことではないように思えた。「ママ、たすけて」っ言ったって、ただちょっとぶたれるだけだ……。きちがい親父にくらべたら……きちがい親父がやったことくらべたら、へでもないと思ってしまったのだ。で、このきちがい親父がやったことというのが、説明しずらいのである。きちがい親父の態度も、きちがい兄貴の態度も説明しにくい。説明しにくいだけではなくて、説明しても、普通の人は、信じない。ともかく、あのとき、親父のことにくらべたらそんなことはたいした問題じゃないと思ったので、そういうことを言ったんだな。そうしたら、「あなたがそんなことを言うとは思わなかった」と言われた。「幼稚園での暴力は重要な問題だ」というのが、社長の意見だった。まあ、それは、わかるけど、どうしても、きちがい親父のきちがい的な状況を考えると、幼稚園の教諭の暴力は、たいしたことじゃない感じがしたのである。きちがい親父がきちがい的な理由で怒るときの、きちがい的な勢いがわかってないなぁ。あんなの、ほんとうに、きちがいとしか言いようがない。そりゃ、「やめてくれ」と言ったってやめないよ。それに、本人は、悪いことをしているつもりがまったくないんだぞ。自分の気持ちしかないからな。あとは、頭がおかしいほど些細なことで怒るということが、あるいは、まったく理由がないことで怒るというとがどういう影響をあたえるのか、普通の人はわかってない。心理学者もわかってない。認知療法などにかかわっているカウンセラーもまったくわかってない。この「わかってなさ」は、言いようがないレベルだ。きちがい親父のほうに無意識的なズレがあるのだから、やられたほうには、その影響が出る。けど、無意識に問題があるきちがい的な親というものを知らない人には、わからないのである。「過去のことは影響がない」「影響をうけなければいい」「影響をうける必要はない」……こういう発言がどれだけ、きちがい家族にやられた人を傷つけるかわかってない。やられてない人のこういう発言は、やられた人の無意識と意識に、影響をあたえる。

冒頭の 「ほんとうに、ヘビメタが『すべて』にたたるんだよ」……だって、すべてというのは非合理的(イ・ラショナル)な考え方だということになる。どうしてかというと、「すべて」ではないから……。これは、やられてない人の考え方だ。ほんとうに、すべてに影響をあたえる。

「でなかった」場合の現実は、ない

 ほんとう、どうしようかな?

つまんないーー。まあ、2019年よりもましだ。個人的にはね……。しかし、この世はきつかった。これ、まわりにいる人によって、その人の人生がまるでちがってしまうんだよね。けど、ひとつしかないわけだから、比較ができなぃ。ようするに、まわりに、ある人がいなかった場合の人生……その人の人生というのは、「ない」わけだから、比較しようがない。その世界線だけがあるわけだからさ……。実際には、ひとつの現実しかない。「でなかった」場合の現実は、ない。「だった」現実から、「こういう現実もあったのではないか」と考えるだけなのである。まさに、「である」その人が想像するだけの世界だ。

 

けど、相手の立場に立って考えるということを無視してしまっているAさんにはそういうことは、わからない

 たとえば、ある毒リンゴを食べてしまうと、からだじゅうの毛細血管がつまるということが発生してしまう。毛細血管がつまっても、……つまり、毛細血管に血栓ができても……普通の検査では、発見できない。毛細血管がつまれば、なんとなく体の調子が悪いというようなことが発生するとする。まあ、慢性疲労症候群のような状態になる。しかし、通常の検査では、異常がないので、「気のせい」にされる。

さて、AさんとBさんがつきあっているとする。Aさんが毒リンゴを食べて、からだの調子が悪くなったとする。Aさんは、そのリンゴが毒リンゴだったのではないかと思っているとする。Bさんは、そのリンゴが毒リンゴではないと思っているとする。そして、Bさんは、検査をすれば悪いところがわかるはずだから、検査をして異常がないということは、Aさんは正常だと思っているとする。その場合、Bさんが、他人をせめやすい考えをもっている場合、Aさんに対して「Aさんは、病気に逃げ込んでいる」というようなことを言うことになる。「つらい社会生活がいやなので、慢性疲労症候群だと言って、つらい社会生活をさけようとしているんだ」というようなことを言うのである。けど、実際に、Aさんのからだは、毒におかされていて、毛細血管がつまっている。だから、Aさんは別に、つらい社会生活がいやだから、病気に逃げ込もうとしているわけではない。しかし、Bさんは、Aさんのつらい状態を無視して、そういうことを言うのである。この場合、Aさんは実際にからだがつらいわけだから、Bさんの発言に対して、怒りを感じる。これは、不自然な怒りではない。おこる必要がないのに、おこっているというわけではない。しかし、Bさんは、自分が言ったことが「ずぼし」なので、Aさんがおこったと感じるのだ。ともかく、Bさんにとっては、Aさんは「つらいことがある」ので、病気に逃げている人間なのである。だから、それを言ってもいいわけだ。しかし、それは、Bさんの体調を無視している。実際の体調を無視している。無視できるのは、AさんとBさんが別の個体だからだ。そして、Bさんの「きょうかんりょく」がとてつもなく、ちいさいからだ。Aさんは、Bさんのつらさというのを無視できるのである。別の個体だから……。Aさんだって、Bさんが食べた毒リンゴを食べたら、動けなくなるかもしれないのだ。毒の量が同じなら、そして、人間としての科学的な組成が同じなら、Aさんも動けなくなる可能性はとてつもなく高い。しかし、Aさんには実際に、そういうことがしょうじてない。しょうじてないからこそ、言えることなのだ。けど、相手の立場に立って考えるということを無視してしまっているAさんにはそういうことは、わからない。普通の検査ではひっかからないことで、ぐあいが悪くなっている人たちがいる。けど、Aさんは、普通の検査をすれば、悪いところが見つかるはずだと思い込んでいるのである。これは、科学的な態度ではない。しかし、Aさんは、これが科学的な態度だと思っているのである。

「もう、つかれたよ」

 いろいろな欲がさがっているのだけど、これは、いいことではない。

ちょっと、欲を復活させないとやばい。

それにしても、つかれた。「もう、つかれたよ」……。「もう、つかれたよ」っていったい何回、こころのなかで言っているかわからない。ほんとうに、つかれたよ。で、そのつかれの本体は、きちがい兄貴ときちがい親父によってもたらされたものなのである。ほかの人には、これがないんだよな。ない世界で、つかれについて語っている。だから、ぼくとは、感覚がちがう。俺だって、きちがい兄貴ときちがい親父にたたられなかったら、ぜんぜんちがう感覚ですごしていたと思う。そのときは、別の「ぼく」が言っている、つかれなんて、ぜんぜん理解できないよ。みんなは、ヘビメタ騒音の数千日を経験したわけじゃないんだよな。それじゃ、言うことがちがうよ。



 

2022年5月1日日曜日

言いやすいほうの人たちにはすでに人権があり、言いにくい人たちのほうにはまだ人権がない

 もう、障害者差別なんてないよ。あるのは、ギリケン差別だ。基本的に言っていまの世の中だと、ギリケンのほうが差別されて、ギリケンのほうがつらい思いをすることになっている。で、そのギリケンをくるしめるものはなにかというと、じつは、普通の人がもっている労働観なのだ。

現代ということを考えるのであれば、問題なのは着色された障害者差別じゃない。問題なのは、無職差別だ。 現代ということを考えるのであれば、問題なのは着色された障害者差別じゃない。問題なのは、引きこもり差別だ。

だいたい、なんとか差別反対と言いやすいものと、言いにくいものがある。言いにくいもののほうが、もちろん、実際には差別されている。言いやすいものに関しては、もう、差別されてない。

「障害者差別反対」とは言いやすいけど、「引きこもり差別反対」とは言いにくいだろ。「無職差別反対」とは言いにくいだろ。「ギリケン差別反対」とは言いにくいだろ。ギリケンというのは、ぎりぎり健常者のことな。 

「なんとか差別反対」と言いやすいもの……これに関してはもう、人権が確立されている。もちろん、個人のプロパーな問題はある。それは、じつは、特に「なんとか差別反対」と言わなくてもあるものなのだ。

そして、「なんとか差別反対」と言っても、個人的な問題が解決しない。言葉としての差別反対……。集団としての差別反対……。こういうことでは、じつは個人が個別にかかえている差別感にまとわる問題というのは、解決しない。

言いやすい差別反対を叫んでいる人のほうが目立つし、おカネになる。ほかの人の支持も得られやすい。ブラックなマスコミが応援するからだ。このブラックなマスコミは、どのみち、淘汰される。

いままで、人を洗脳してきたマスコミが、本当の意味で責任を追及されるようになる。けど、それは、これからはじまることだ。いままではもちろん、『黒い地合い』で好きなことをやってきたのである。これは、人類史的に見てゆるされることではない。

ともかく、言いやすい差別反対を叫んできた人は、自分の心のなかに、差別心が、めちゃくちゃにあることを認めるべきだ。簡単に言えば、障害者差別撤廃を叫んでいる人が、ギリケンに関してはめちゃくちゃに差別していて、労働観に基づいた偏見を押しつけるということになっている。

もちろん、押しつけているつもりなんてあるわけがない。正しいことを言っていると思っているからね。どしうて、正しいことを言っていると思えるかというと、そういう労働観をもっているからだ。労働観に照らし合わせて、ギリケンという存在は、ゆるしがたいのである。「そんなのことは理由にしないで、ちゃんと働くべきだ」と考えてしまうのである。 そんなことというのは、ギリケンであること、ね。

障害者が働かないのはゆるされることだけど、ギリケンが働かないのは、絶対にゆるされるべきではないと考えてしまうのだ。この基準が差別なのだ。ようするに、障害者差別に反対している人は、平気で、ギリケン差別、無職差別、引きこもり差別をする。悪いと思ってない。

「言いにくいほう」に分類される人たちのほうがずっと、差別されている。

言いやすいほうの人たちにはすでに人権があり、言いにくい人たちのほうにはまだ人権がない!!のである。なのであれば、もちろん、言いにくい人たちのほうの人権についてふれるべきだ。なぜわからないのか?

差別のまなこをむけられている人たちの人権に目を向けるべきだ。言いやすいほうの人権ばかり主張して、言いにくいほうの人権は完全に無視だ。

そして、活動している本人も、じつは、言いにくいほうに属する人たちに対して、俗世間的な差別心をもっている。「こういうことじゃだめだよな」と言ってやりたい。佐藤さん、おわかりか?


2022年4月30日土曜日

「あのときの、あれ、ない」

 どれだけ、「あのときの、あれ、ない」などと言っても、まったく人には伝わらないのだから、意味がない。しかし、人に伝わらなくても、それが、いまのぼくにものすごく大きな影響をあたえている。これは、こだわっているから、影響をあたえていると思い込んでいるということでなくて、体験として、ほんとうに影響があるのである。『影響なんてない』とか『影響があると思い込んでいるだけだ』と思えるのは、実際の体験がないから。そして、「あのときの、あれ、ない」がどれだけ長い時間にわたって続いたことか、その人たちは、わかってない。『影響なんてない』とか『影響があると思い込んでいるだけだ』とぼくに言うことは、侮辱なんだよ。ぼくに対する侮辱なんだよ。そういうことも、体験がない他人にはわからないだろう。

2022年4月29日金曜日

鳴っている時間だけ、くるしいわけじゃない

 長さというのがまったくわかってないんだよな。毎日続くということの意味がまったくわかってないんだよな。そして、相手が「自分の感覚器を都合のいいように書き換えてしまう」きちがいだということがまったくわかってないんだよな。

どれだけでかい音で鳴らしてたって、でかい音で鳴らしているということを認めるのが「本人にとって」不都合なことなら、でかい音じゃないのである。

しかも、本人が本人をだましているということに関しては、どれだけ指摘しても無頓着なのである。あるいは、発狂してはねのけてしまうのである。

ようするに、言われたときだけ発狂してはねのければ、あとは、まったく言われなかったという状態になってしまうのである。

「どれだけ、つらくてもニコニコしていればいいことがある」なんていうことを言う人たちは、きちがいヘビメタが鳴っている状態というのをまったく理解してない。どれだけひどいことを言っているのかわかってない。

これ、ほんとうに、どれだけ希望をもってつなげようとしても、鳴らされていたらだめなのである。毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らされている状態が続いたらだめなのである。

これ、ほんとうに、どれだけひどいことを言っているのかわかってない。

そして、やっぱり、こういうことを言う人たちは「自分だってつらいことがあった」ということを言いやがる。これも、テンプレートで決まっているのかと思うほど、テンプレート的な反応だ。

ほんとーーにわかってない。

わかっている人だったら絶対に、そんなことはいない。

これ、本人はつもりがないかもしれないけど、自殺に追い込んでいるようなものなんだぞ。鳴っている状態というのは、引き裂かれている状態なんだよ。そして、「できない」状態なんだよ。おまえら、ほんとうに、なにもわかってないな。おなじような状態を経験した人だったら、絶対に 「どれだけ、つらくてもニコニコしていればいいことがある」なんてことは、言えない。言わない。「どれだけ、つらくてもニコニコしていればいいことがある」ということを言わないのだから、その文脈で「自分だってつらいことがあった」ということを言うことはない。

そりゃ、そういう文脈が成り立ってしまっているあとにそういうことを言うのであれば、やはり、自殺に追い込んでいることになる。

だいたい、きちがいヘビメタが鳴っているときの発狂的な不安というのは、希望がなければ、生じないことなのである。いかりと不安でいっぱいだったと言ったでしょ。これ、ほんとうに、きちがい家族にやられたことがない人は、わ・か・ら・な・い・んだよな。

わからない。

やっぱり、体験的にわかってないとだめだ。

こんなの……。

やはり、きちがい的な家族にやられてしまったら……長期間にわたって毎日やられてしまったら、普通の人たちとはうまくいかなくなる。普通の人たちは、きちがい的な家族に、長期間にわたって毎日やられたという経験がない。

普通の人たちには、きちがいの家族がいない。きちがいの家族が、協力して、きちがい行為をやるということはない。

たとえば、きちがい兄貴がヘビメタを絶対の意地で鳴らし始めたら、きちがい親父はヘビメタ騒音のことを絶対に注意しないようにするということがしょうじる。こんなこともありえないんだよ。普通の家ではこんなことはありえないんだよ。

普通の人たちは、自分の家族が「感覚器を書き換えてしまうタイプの」きちがいではないから、「感覚器を書き換えてしまうタイプの」きちがいにやられたという経験がない。

なので、全部、ちがうことについて言っているということになる。「感覚器を書き換えてしまうタイプの」きちがい家族にやられたことがない人が言う「つらいこと」というのは、「感覚器を書き換えてしまうタイプの」きちがい家族にやられ続けたことがある人が言う「つらいこと」とはちがうのである。はじめからちがう。

だから、「どれだけつらくても」というようなことが言える。

これ、状況を考えればわかるけど、きちがい兄貴がきちがい的な意地で鳴らしている以上、どれだけニコニコしていたって、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音問題が解決しない。解決しない上、ニコニコしていたら、緊張状態になる。張り裂けるような状態になってしまう。

時間がたてばたつほど、ニコニコしている時間が長ければ長いほど、圧力が強くなるのである。引き裂かれてしまう。むりをして、きちがいヘビメタ騒音にたえ、ニコニコし、きちがいヘビメタ騒音で寝不足になりながら、ニコニコし、きちがいヘビメタ騒音がなければできたことができなくなっているにもかかわらず、ニコニコしてすごすということがどれだけきついことかわかっているのか?

こんなものは、精神崩壊だ。

どうして、これがわからないのか? 

ヘビメタ騒音で勉強ができないということが、どういう影響をあたえるかわからないのか? ほんとうに、鳴っている時間だけ、くるしいわけじゃない。高圧状態で、ニコニコしてたって、いいことなんてあるわけがないだろ。

ニコニコする前に、きちがいヘビメタ騒音が鳴りやまなければならないんだよ。どうしてこれがわからないのか? ああっ、経験したことがないからわからないのか。そりゃ、そうだよね。感覚器を書き換えるタイプのきちがいが、家族である人なんて、めったにいないからね。わかるわけがないか。高圧状態をうむ。高圧状態のなかで、ニコニコしてたって、いいことなんてあるわけがない。

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つづき

おなじことをやられれば、その人だって、不可避的な影響をうけて、遅刻するようになったり、遅刻のことを考えると眠れなくなったりするのに、そういうことがわからない。実際にヘビメタ騒音を経験すれば、ヘビメタ騒音の影響が多岐にわたるということがわかるのに、わからないまま、「鳴ってたとしてもたいしたことがない」「俺なら平気だったはずだ」と思って、ヘビメタ騒音の影響を無視する。無視したあと、そいつの労働観をぶつけてくる。そいつの労働観は、共同幻想に合致した労働観だ。「たとえ鳴っていたとしても、鳴り終わったなら関係がない。人間は働くべきだ。だから、エイリさんも働くべきだ」というのが、そいつの意見だ。俺は最初から「ヘビメタ騒音『で』働けなくなった」と言っているだろ。なんで、俺が働ける前提で、「働くべきだ」ということを言ってくるのか?  そいつだって、俺とおなじぶんだけヘビメタ騒音をあびたら働けなくなる。ヘビメタが好きな人の場合はそうではないかもしれないけど、ヘビメタが好きな人だって、きらいな音楽やきらいな音はあるだろう。ヘビメタ騒音と同じ音量で、その人がきらいな音が鳴っていたらどうなのかということを考えるべきだ。こういうところの想像力がない人たちなんだよな。はっきり言ってしまうと、思考力も思いやりもない人たちだ。立場をいれかえて考えるということが、不得意な人たちだ。きちがい兄貴ほどではないけど、立場をいれかえて考えるということがあまりできない人たちなのである。この人たちときちがい兄貴とのちがいを言っておこう。第一には、この人たちは、感覚器を書き換えるようなことはしないけど、きちがい兄貴は感覚器を書き換えるようなことをするということがちがう。第二としては、きちがい兄貴は、きちがいヘビメタ騒音事件の犯人だけど、この人たちはきちがいヘビメタを鳴らした本人ではなくて、この事件について関係がない人だということだ。そして、この人たちとぼくのちがいを言っておこう。

2022年4月28日木曜日

そりゃ、その人の頭のなかでは、理解したとしても、とるにたらないことだ

まあ、そういう世間の流れは別にして、ぼくはくるしいわけ。ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音は、……ヘビメタ騒音と書いているけど……ぼくだけの経験でほかの人の経験じゃない。どれだけ、あのときひどかった……と言っても、経験がない人にはわからない。わからない人が、勝手に、過小評価して、いろいろなことを言ってくる。そういうことですら、「こまったこと」だ。やりにくいことだ。「世間の人とまじわりたくないな」と俺をして思わせることだ。けど、世間の人からすれば、「そんなことは、気にしなくていい」と思えることなのだ。えーっと、ようするに、「やりにくいと感じる必要がない」と感じることなのだ。世間の人は、過小評価したうえに、俺がそういう世間の人とまじりたくないという気持をもつという合理的なプロセスに関しても、否定しやがるのだ。ほんとうに、めんどうくさい。

ぼくにとっても、ひとのことはどうでもいいことになるけど、他人にとっては、ぼくのことはどうでもいいことだ。そして、ぼくの側にしょうじたヘビメタ騒音というできごとは、その人にとってはもっとどうでもいいことだ。「理解した」としても、言葉として理解したということであって、別に、体験として理解したわけではないのだ。言葉として理解したことと体験として理解したことのあいだに、かなりのちがいがしょうじることがある。他人の頭のなかの「僕のヘビメタ騒音体験」は、無視できる人間にしょうじた無視できる出来事なのだ。だから、ぼくが「こだわる必要がないことにこだわっている」ように見える。そりゃ、その人の頭のなかでは、理解したとしても、とるにたらないことだ。現在に影響をあたえないように見えることだ。しかし、それは、その人の「頭のなか」でそうなっているだけだ。その人の頭のなかで、まず、ぼくという人間の存在が微々たる存在なのである。その微々たる人間が経験した、微々たる出来事……。そんな出来事がずっと影響をあたえるはずがないと思ってしまうのだ。しかし、それは、その人の「頭のなか」にある「ヘビメタ騒音」が影響をあたえないものであるということにすぎない。人間というのは、まず、他人のみのうえにおこったことがわからない。もちろん、他人の経験なのだからわからない。けど、言葉をとおして、わかったつもりになってしまうのだ。ぼくの経験したヘビメタ騒音が、どはずれで、よその家では絶対に怒らないことだったらどうだ? ぼく以外の人は、ぼくが経験したようなしつこいヘビメタ騒音は経験してないということになる。その人が経験した「騒音」をもとにして、ぼくが経験した「騒音」について考えることになる。そして、その人は、別に、きちがい家族によるヘビメタ騒音を経験してないので、それがどれだけ、人生全体に影響をあたえてしまうか、まったくわからないままなのである。意見を言っているときも、わからないまま、意見を言うということになる。しかし、「理解してない」と言われれば「理解した」と言うのである。もちろん、「騒音のことは理解した」という意味でその言葉を発する。……しかし、実際には、まったく理解してないので、騒音のことを無視して、騒音の影響をうける必要がないと言うのである。騒音の影響があるはずがないと言うのである。……そんなことはない。そんなことはないのだけど、別の個体なので、わからない。あるいは、他者には経験がないのでわからない。
 

2022年4月27日水曜日

今度は、誘導されない方向で調べるんだ!!

毒リンゴの続きだけど、たとえば、その世界に食品の安全性を管理する省庁があるとする。とりあえず、食糧庁だとする。食糧庁は政府の機関だ。政府が、毒リンゴを普通のリンゴだと偽って配っている場合は、もちろん、食糧庁はあてにならない。

なので、食糧庁のウエブサイトに書いてあることは信用できないと考えるべきだ。「自分で調べろと言われたから、自分で調べることにした」人がいたとする。

その人は、食糧庁のウエブサイトに書いてあることを読んで、自分で調べたつもりになってしまう。それはよくないことだ。それは、やましいことをしている企業のウエブサイトに行って、その企業の説明を読んだということにひとしい。

その企業が、顧客や潜在的な顧客に信じてほしいものを説明するだけなので、言ってみれば、その会社のシーエムを見ているようなものだ。食糧庁に書いてあることを読むということは、ある商品を売りたい企業のシーエムを見ていることにひとしい。なので、意味がない。

毒リンゴについて、国際機関、国の機関、国際的な大企業、その国の大企業、国際的なメディア、その国のメディア、検索エンジンの会社、その国の医者が協力していたらどうする? そういう可能性も考えて、調べなければ、調べたことにならない。

はっきり言えば、もっとも一般的な検索サイトが誘導したところに行って記事を読んでも、それでは、自分で調べたことにならない。誘導されたところに行って記事を読むというのは、企業のコマーシャルを見るのとおなじだ。

検索サイトをつくっている企業がぐるだったらどうする?

何度も言うけど、そんなのは、お客さんに自社の商品を買ってほしいと思っている企業がつくったコマーシャルを見ているのとおなじだ。

というわけで、現実世界でも、〇〇〇〇について調べなおしたほうがいい。今度は、誘導されない方向で調べるんだ!!

2022年4月26日火曜日

数万時間のヘビメタ騒音を経験してない人にとっては、数万時間のヘビメタ騒音のことはわからない

 数万時間のヘビメタ騒音を経験してない人にとっては、数万時間のヘビメタ騒音のことはわからない。不可避的な影響の「不可避的な性格」がわからない。経験してないのだから、わからない。そうなると、俺のことを下に見るようになるのである。俺のことを軽蔑するようになるのである。これがどういうことか、こういうことを平気でするやつら……ヘビメタ騒音の影響を無視するやつらにはわからない。最初から、「ヘビメタ騒音『で』できなくなった」と言っている。かってに、ヘビメタ騒音の影響を過小評価して、俺のことを悪く言うやつが、道徳や正義について語りだす。頭がおかしいんじゃないかと思う。

きちがい兄貴の性格や態度についても、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する人には、わからないことだ。うまれた家の問題というのがある。父親や先行して生まれている兄弟が、きちがいだとこまるのだ。ひらたく言えば、きちがい。やわらかい言い方をすると、頭にクセがある人。頭にクセがある人は、二四時間中二四時間その頭でものを考えて、行動する。こまるんだよ。どういうふうに「こまるか」ということが、そういう頭にクセがある家族がいない人にはわからないのである。俺が言っていることが不愉快なことに感じるのである。どうして、不愉快なことに感じるかということについては、かつて、書いたので、省略する。(自我と世界観のところだよ)。


2022年4月24日日曜日

じゃあ、おこったらすぐに、「楽しい楽しい」と言えばいい

 いろいろと、いやなことを思い出す。あやまっておく。あのとき、ごめんな。ヘビメタ騒音でめちゃくちゃな状態で、がんばってハイにしていると、ああいう状態になってしまう。やってくれと言われたからやった。けど、やばかった。あーあ。俺がたのんだことじゃないからな! と言っておこう。けど、まあ、そういうことをぬいたとしても、ヘビメタ騒音にやられたあとの日中というのは、気張っていてもくるしいんだよ。ポジティブシンキングで乗り越えようとすると、へんな状態になってしまう。浮かれた状態というか……。あんまりいいこと、ないんだよな。ともかく、ヘビメタ騒音そのものと、きちがい兄貴の態度自体が、いろいろな、不可避的な影響をあたえる。こっちが意識してがんばると、どうしても、あんまりいい結果にならない。考えてみれば、言霊やポジティブ思考ということを言っている人は、きちがい兄貴にやられたわけじゃないんだよな。きちがい親父にやられたわけじゃない。きちがい的な家族と毎日一緒に住んでる状態を経験してない。長期にわたって、経験してない。せいぜいのところ、上司がへんな人だったというようなことだろ。会社を辞めれば、その上司との関係は切れる。けど、家族の場合はちがう。そして、成人するまでの一八年間で、ものすごく、影響をうけてしまうのである。で、そういうことを、言霊やポジティブ思考ということを言っている人は、無視してしまう。無視しするというよりも、わからないのだ。だから、話として理解しているけど、自分の経験じゃない。他人の身の上に起こったことだから、そもそも、話を聞くまで、ゼロの影響しかないのである。話は話であって、たいしたことじゃない。まあ、言霊にこっているひとは、言霊理論を否定されればおこるけどさぁ。じゃあ、おこったらすぐに、「楽しい楽しい」と言えばいい。「楽しい楽しい」といえば、楽しくなるのだから……。「言霊が成り立たないと言われたので楽しく感じる」と言えば、楽しくなるわけだから……。だいたい、言霊ということを言う人たちは、「どんな状態だって」と言う。「どんなにくるしくても、楽しいと言えば楽しくなる」というのが、その人たちが普段、主張していることだ。なので、言霊理論を否定されたら、「エイリさんと話すと楽しくなる」と言えばいいのだ。言霊理論が正しいなら、楽しくなる。

ポジティブシンキングというのは、どんどん人を自分勝手にするところがある。もちろん、本人は、いい意味で使っているのだろうけど……。

 

あーー。もう、いいよ。

俺はもう、つかれた。

地合いが黒だったということを考えるのであれば、プラグマティズムの影響をうけた理論というのは、めぐまれた人たちが勝手に言っているだけの、ざれごとだ。きれいごとだ。きちがい的な家族にやられたことがない、めぐまれた人が、自分勝手なことを言っているだけ。

 

いったい、なんだったんだ? ぼくの人生は?

ほんとうに、普通の人にはないハンディでくるしかった。ほんとうに、人々は勝手なことを言う。勝手。そんなの、きちがい家族のハンディがないから言えることだ……と思ってしまう。実際、そういうことを言う人たちには、きちがい家族のハンディがない。きちがい家族のハンディをあまく見ている。生まれたときからずっと十数年間一緒にいきる人間がきちがいだったら、どうしたって、影響をうける。しかし、そういう家族がいない人からすると、「影響をうけるからダメなんだ」「影響なんてうけないと決心すれば、影響なんてうけない」というような意見をもってしまう。 これ、ほんとうに、本人に体験がないから言えることだから……。まるでちがうんだよな。こんな不公平な世界は、ない。そして、ロクでもない精神世界の人たちが、これまた、「生まれる家は自分で選んだ」「自己責任」「魂が契約した」「不幸な出来事が起こるとは生まれるまえから計画されていた」「魂を磨くために必要なことだった」というようなことを言うわけ。実際に、きちがい家族のもとに生まれた人は、袋叩きだよ。ふくろだたき。ふくろだたきなんだよ。ほんとうに、どいつもこいつも、きちがい家族のもとに生まれなかった人は、きちがい家族のもとに生まれた人をせめることばかり言う。こんなことが、道徳的なことであるはずがない。たましいがよろこぶことであるはずがない。これ、こういうことを言っている精神世界の人たちは、自分のたましいをよごしているよ。ぼくの考えではカルマはないけど、カルマという考え方が好きな人に言っておくと、(こういうことを言うことで)カルマをうみだしているよ。

 

 

2022年4月23日土曜日

これ、鳴ってなかった世界線とちがった世界線に入ってしまうのである

 ヘビメタで人生がない。ほんとうに、ヘビメタで人生がない。あれ、ずっと鳴ってた。サカマさんのことだって、ヘビメタがなかったら、ちがってたんだぞ。あんなの、ない。ほんとうに、こんなのない。きちがい兄貴のやり方が、ほかの人にはわからないんだよな。そして、そういうふうにやられると、ほんとうに、からだにひびくということがわからない。やられてない時間も、ずっとくるしい。睡眠回路をこわされる。そして、睡眠回路をこわされて、いろいろなことをすると、いろいろなところで、恥をかいたり、へまをしたりするのである。で、帰ったら鳴っている。どれだけ言っても、やめてくれなかった。けっきょく、一分だって、やめてくれなかった。一秒だってやめてくなかった。きちがい鳴らしし続けて、鳴らしたつもりがまったくないという状態が成り立ってしまう。ほんとうに、「鳴らしてないのとおなじ態度」だからな。「鳴らしてないつもり」のままなんだよ。じゃあ、やめてくれるのかと言うと、絶対にやめない。きちがい的な意地で鳴らし続ける。こたえるにきまっているだろ。からだこたえるに決まっているだろ。一日のなかで、どれだけ長い時間、夢中になって鳴らしてたんだよ。俺はまだ、空間に、ノイズが残っている。この、雰囲気がいやなのである。死にたい気持ちになるのである。あんなの、ない。そして、そういうことを経験しなかったやつが、えらそうなことを言う。えらそうなことを言われる立場に、俺が、おいこまれる。全部が全部、そうなる。全部というのは、非合理的な考え方ではない。きちがいヘビメタが鳴ったら、鳴っているあいだと、なったあと、影響をうける。どうしても、影響をうける。これ、鳴ってなかった世界線とちがった世界線に入ってしまうのである。事実、鳴っていた!! 鳴っていなかった場合というのは、仮の世界の話になってしまう。時系列的にそうなる。きちがいヘビメタにやられてない人は、ぼくがなにを言っているのかわからない。体験がないから、過小評価したり、鳴り終わったら、影響がないと思ってしまう。鳴り終わったって、人生のなかで一四年間と六か月ずっと毎日、鳴っていたのだから、影響をうける。最初の七年間なんで、ほんとうに、一日、我慢して生きているだけで、猛烈につらい状態だ。猛烈につらい状態でかんばっていたの……。経験のないやつが、勝手にヘビメタ騒音の影響を推し量って、えらそうなことを言うのは、絶対にゆるせない。ゆるせない。

2022年4月22日金曜日

「金の量が少ないから、金本位制なんて成り立たない」という意見は、まちがっている。

 みんな、わかってないようだけど、金本位制は、成り立つ。ようするに、原理的に無理ではないということだ。むしろ、兌換紙幣時代のほうが、異常なのかもしれない。いづれにせよ、金本位制は、成り立つ。だから、「そんなのはむりだ」「そんなことが、成り立つはずはない」と考える必要性はない。

「いまの通貨流通量を考えれば、金がたりない」と考える人がいるのだ。しかし、そんなことはない。金の価値が高くなれば、量の問題は解決できる。なんでビットコインの値段があがったかと言うと、ビットコインの量をかえなかったからなのだ。

ビットコインは、これからは、消滅の方向に進むと思うけど、彼らがビットコインの量をかえなかったということは重要だ。ビットコインの量がかわらなかったということがとてつもなく、重要だ。

まあ、これから買うとしたら、金と連動している仮想通貨だろう。まあ、それはいいとして、量が限られているということが重要なのだ。

たとえば、土地と言うのは、「面積が限られている」ものだ。かぎられているからこそ、価値があがる。たとえば、一平方メートルあたり、一円の土地が、一平方メートルあたり、一万円の土地になったとする。一万倍価値があがったということだ。

しかし、「その土地」は「その土地」のまんまなのである。

本質的にはかわらない。

しかし、交通の便が良くなるとか、店が多くなるといったことや、なんとなくおしゃれな街であるような感じがするということで、土地の価値があがる。

ビットコインにしたって、ビットコインはこのさき価値があがるだろうと思う人が多かったので、価値があがった。ビットコインは、悪魔側が仕掛けた集金装置だ。これがわかってない人が多いんだよね。

肝心なのは、土地は面積が決まっているということや、ビットコインは最初に決めた量しか発行しないということだ。金は、そういう性質をもっているのである。そして、別に金自体を持ち歩かなくても、、金に関連付けされた自国の貨幣があれば問題はない。

今回、言いたいことは、金は量が限られているので、そのぶん、価値が変動しやすいということだ。価値というのは、この場合、貨幣でさししめされる値のことだ。一グラムの金が一円から、一万円にあがったとする。それは、一平方メートルの土地が一円から、一万円にあがることとかわりがない。なので、「金の量が少ないから、金本位制なんて成り立たない」という意見は、まちがっている。

で、ある程度あがったところで、今度は、平衡を保つようになる。今現在の貨幣の流通量と今現在の金の保有量がだいたい、均衡するところで金の値段がおちつく。また、時間がたてば、人々の「もの」に対する、関心の度合いがへる。地合いが白になれば、自分にとって適切な量だけあれば、それで満足できるような状態になる。


まあ、時間をどう考えるかという問題がある。期間の長さをどう考えるかという問題だ。信用創造がなくなるということは、重要ことだ。信用創造がなくなり、人々のおカネに対する考え方がちょっとかわってくる。いままでとは、ちがってくる。「おカネをかせがないと飢え死にするかもしれない」というような考え方がなくなる。別にお金をかせがなくても、死んだりしないからだ。けど、時間の長さは考えないとだめだ。いつ、そういう社会になるは、わからない。

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「いまだって生活保護があるじゃないか」って? それはちがうよ。生活保護は、ラッキーな人しか受けられない。この、受給資格があるにもかかわらず実際には、受けられない人がいるということがどういうことなのか、わかってない人たちがいる。条件を満たしているにもかかわらず、生活保護をもらえない人たちがいる……。これがどれだけでかいことか、わかってない。そんな制度は、信用できない。信用できない制度を信用するわけにはいかない。受給資格が法的にさだまっているにもかかわらず、受けられる人と受けられない人が出てくる……。こんなでたらめな、制度はない。こんなものは、事実上ないものとしてあつかうしかない。

黒い社会と霊界思考

うんっ、むーー、しかし……どうするかな?

まあ、見届けるしかないか。ここまできちゃったし……。

あまりにもひどいことを何回も経験すると、失望した状態になる。からだも失望した状態になる。まあ、元気がなくなるわけよ。……もうちょっと、誤解を恐れずに、短縮して概要だけを言っておくか。基本的に言うと、過去の悲しいことに鈍感になると、物事を感じる力自体がなくなって、楽しみを感じられなくなる。感情の鈍化というべきか? 感情全体が、「はたらかなくなる」ことで、悲しみのほうの攻撃を「ゆるくする」。そうすると、悲しみだけではなくて、楽しみのほうも、鈍化してしまうのだ。悲しみのほうだけ、鈍化させて、楽しみのほうは、鈍化させずに残すということはできない。

意志教の人たちは、自分のからだなのだから、自分の思い通りに動かせると思っている。意志教の人たちは、自分のこころなのだから、自分の思い通りに動かせると思っている。しかし、人間の場合は、広範な範囲において、そうではない。ほんとうは、人間はそういうふうにつくられていない。にもかかわらず、意志教の人たちが、自分の考えは正しいと思うのには理由がある。それは、経験がないという理由だ。経験があれば、そうなる。けど、経験がなければ、そうならない。けど、そういうことを言うと「俺だって、つらいことはあった」「何度も、ピンチをこえてきた」と意志教の人は言うだろう。けど、これは、経験がないからこそ、言える言葉だ。経験がある場合は、言えない。言えなくなる。ただ単に、経験がないからわかってないという状態を維持しているにすぎない。一生のなかで、そういう経験がないのであれば、 「自分のからだなのだから、自分の思い通りに動かせる」「自分のこころなのだから、自分の思い通りに動かせる」というのは、意志教の人たちにとっては、真実だ。しかし、それは、人間にとっての真実ではない。人間という集合のなかに、経験をした人間と経験をしてない人間が含まれている。なので、経験をしてない人にとって真実であることも、経験をした人にとっては真実ではない。

しかし、ここで問題が起こる。経験をしてない人が主流で、経験をしてない人が社会を動かしている。闇の世界を含めて、支配者層の人は経験をしてない。普通の社会においても、支配者層の人は、経験をしてない。もちろん、支配者層の人だって、「俺だって、ものすごくつらい経験をした」と言うのである。いうけど、わかってない。経験がない。

ともかく、経験がない人たちが支配している社会なので、経験がある人たちは、しいたげられる。きれいごとのなかで、処理される。これは、「正義」がないということだ。経験がある人は、経験がない人にしいたげられ、死んでいくしかないということになる。これが、「地合いが黒である」社会の特徴だ。その社会にうまれてしまったら、のがれることができない。これからは「地合いが白」になるので、経験がある人たちも生きられるようになる。しかし、混乱期はある。だいたい、引き寄せとか、言霊ということを言っている人たちは、精神世界系の人たちで、その人たちは自分が「白側に属する」と思っている。白側に属しているという意識のもとで、引き寄せのや言霊を肯定する。これが、白なのかというと、じつは白ではない。たとえば、彼らの言葉を使うのであれば、波動が高い人がやることなのかどうかというと、波動が高い人がやることではない。

引き寄せや言霊は、「地合いが黒」である社会のなかで成り立つ、「きれいごと」だ。「白く見えること」だ。しかし、ほんとうは「白」ではない。おなじなのである。黒い人たちがたてまえで言う「きれいごと」とおなじ意味を持ってしまうのである。なので、そういうことも、やがては修正されるだろう。

引き寄せや言霊だけではなくて、カルマという考え方もおなじだ。このあいだ説明した「生まれるまえに魂が契約をした」という考え方もおなじだ。「生まれるまえに魂が契約をした」という考え方についてちょっとだけ説明しておこう。この世に、AさんとBさんがいるとする。Aさんが自分勝手な気持にかられて、Bさんを殺したとしよう。普通なら、Aさんが悪いことをしたということになると思う。けど、「生まれるまえに魂が契約をした」という考え方をする人たちは、自分では善悪を超越した気持ちになっているので、この世における善悪は関係がないという立場にたつのだ。ようするに、AさんとBさんは、ともにうまれるまえに、契約をしたと言うのだ。もちろん、生まれるまえなので、Aさんの魂とBさんの魂が、契約したということになる。「生まれるまえに魂が契約をした」という考え方をする人は、契約したのだから、問題はないと考える。生まれる前のAさんとBさんが、契約したことだから、BさんがAさんを殺したとしてもなにも問題はないと考えるのだ。「生まれるまえに魂が契約をした」という考え方をもっている人は、たましいのレベルで契約したことを実行しただけだから、Bさんは、まったく悪くない。あるいは、Bさんは悪いことをしてないということを言うわけだ。けど、「生まれるまえに魂が契約をした」という「事実」はその人たちの頭のなかにしかない事実だ。事実でもなんでもない。妄想。けど、そういうことを言う人たちのなかでは、真実であり事実であるわけだから、その人たちはそういうふうに考えて、実際の事件に対してもそういう見解を述べるということになる。ぼくの考えでは、これは、傲慢な行為だ。

問題なのは、白側からこういう見解が出てくるということだ。白側の人は「わかったつもり」になって「宇宙を貫く真実」について語る。「霊界」について語る。「霊界の意味」について語る。だから、白側の人にとっても、 「生まれるまえに魂が契約をした」という考え方は、比較的容易に、納得できるものなのである。しかし、これはまちがっているし、いい行為じゃない。

 

2022年4月21日木曜日

やはり、きちがい的な親に育てられた子供のほうが、圧倒的に不利なのである

 きちがい兄貴の態度が普通じゃないんだよな。つまり、きちがい兄貴の脳みそが普通じゃない。あれは、普通の人がとれる態度じゃない。普通の人は、どうしても、意識してしまう。認識してしまう。この普通の人が普通に認識してしまうことを、無意識的に無視してしまうということは、頭がおかしい人しかできない。

ほんとうに、自分では気がついてない状態になるので、「無視してやった」とか「無視をして、実際に自分がやりたいことをやった」という認識自体がない状態なんだよな。それは、何万回繰り返してもない状態なんだよ。こういうことがわからないんだよな……ほかの人には。

でっ、きちがい親父もおなじなんだよ。きちがい親父がオリジナルで、きちがい兄貴が親父のコピーである可能性のほうが高い。

別々に、二人とも、そういうレベルのことで、頭がおかしくなっているとは思えない。俺の頭は、おかあさんの影響をうけて、兄貴の頭は親父の影響をうけたんだろうな……。遺伝子的に……。きちがい兄貴の構造的な欠陥と、きちがい親父の構造的な欠陥が同じなのである。脳みその構造的な欠陥……なんだけど……。

こういう場合は、ほかの人……きちがい親父とおなじ脳みその欠陥をもたない父親に育てられた人にはわからない。

そして、きちがい兄貴とおなじ『脳みその欠陥』をもたない兄と一緒に暮らしていた人には、根本的に、わからない。

だから、俺が嘘を言っているように思うんだよな。

そして、「そんなへんなことはない」と思ってしまう。「そんなへんなことはないから、エイリさんが嘘を言っている」と思ってしまう。そして、やっかいなことに、トラブル自体は正常な人間同士でも起こるのだ。

ようするに、きちがい親父とおなじ『脳みその構造』をもってない父親とだって、トラブル自体はしょうじる。

だから、そういう人たちは、きちがいおやじとおなじ『脳みその構造』をもってない親とのトラブルと、きちがいおやじとおなじ『脳みその構造』をもっている親とのトラブルをおなじようなものだととらえてしまう。

「俺だって、そういうことはあった」と思ってしまう。

けど、ちがうんだよ。ちがうんだよ。こういうのも、ぼくと、他人とのあいだをへだたせる、理由のひとつになるなぁ。もちろん、親父がそれをねらって、そういうことをしたというわけではないのだけど……。

ようするに、そういう頭の構造をもってないとできないことをしたということではないのだけど……。

まあ、親父の話になったけど、きちがい兄貴にも同様のことが成り立つ。ほかの人……きちがい兄貴とおなじような頭の構造をもってない兄がいる人や、兄がいない人には、ぼくの言っていることが根本的には理解できない。どうしたって、似たようなトラブルを考えて、そのトラブルをとおして、本人が感じたことが……ベースになる意見を言う。

 

それは、じつは、実際の相手が経験したトラブルを無視していることになる。そりゃ、地合いが悪なのだから、普通の人同士でも、いろいろなトラブルがしょうじる。

けど、やっぱり、質的ちがうと思う。すでにきちがいになっている親とのトラブルと、きちがいではない親とのトラブルは、ちがったものだ。

たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんは、きちがい的な親にやられた人だ。Bさんはきちがい的な親にやられたことがない人だ。この場合、Bさんが考える、Aさんがかかえるトラブルというものが、Aさんが実感しているAさんがかかえるトラブルとはちがったものになる。この実感の差は、個体が個体である限り、どこまでもつづく。

もちろん、逆も成り立つ。Bさんがかかえている普通の親とのトラブルは、究極的にはAさんにはわからないことだ。しかし、きちがい的な親のほうが少ないので、普通の親に育てられた人のほうが多いということになる。そして、きちがい的な親に育てられた子供は、基本的に言って、他者とのトラブルに巻き込まれやすい傾向がある。

しかし、その傾向をぬいて考えたとしても、やはり、きちがい的な親に育てられた子供のほうが、圧倒的に不利なのである。この世は、悪が支配している世界なので、他人とのトラブルというものが、生じやすい。ようするに、たしかに、Aさんは普通の親とのトラブルを経験してないけど、普通の人とのトラブルは経験している。

ようするに、Aさんの場合は、きちがい的な親とのトラブルにプラスして普通の人とのトラブルを経験するようになるのだけど、Bさんの場合は、普通の親とのトラブルを経験して普通の人とのトラブルを経験することになる。その場合、普通の人とのトラブルを普通領域、きちがい的な人とのトラブルを、拡張領域というとするとBさんは、拡張領域のトラブルを先に経験している。

Bさんが、きちがい的な人とのトラブルを経験したとしても、家族ではないので、限定的になる。家族というのは、やはり、普通の他者とはちがう。長いあいだ、関係が続くし、18歳ぐらいになるまで、いっしょに住んでいるのが一般的だ。経済的な上下関係もある。ともかく、親子の関係と普通の他者同士の関係は、おなじではない。影響の度合いがちがう。

 



2022年4月19日火曜日

どうするかな?

 いろいろと考えていることはあるのだけど、書くわけにはいかないのだ。書いたとしても公開するわけにはいかない。『強迫神経症と父親』についてだ。どうするかな? あんまり書きたくないエピソードがある。ほんとうなら、論文にするべきだ。どうするかな? ヘビメタ騒音で学者へのキャリアパスが粉砕されたからなぁ。どうするかな? 生きているうちに書くべきか?

しかし、このさきどうするかな?

 かわるんだよ。

 このさき、かわる。

世界がかわるわけ。

 

 *     *     *

 

ところで、いろいろといやな記憶があるんだよな~~。ずっと忘れていたのに、きちがい親父の入院・転院騒動で、親父とかかわっていたら、俺の神経症レベルがあがって、思い出してしまった。ほかの人には、まったくわからないだろう。そして、その文章の価値がわからないと思う。

もし、ひかりの時代がくるなら、この時代の神経症に関する論文はそれほど価値がないものになりえる。それから、ひかりの時代ということについて説明している、精神世界の人たちのことだけど……。俺からすると……精神世界の人たちもなぁ……と言いたくなってしまうところがある。

この人たちはこの人たちで、感覚器を書き換えてしまうタイプのきちがい的な親が子どもにどういう影響をあたえるのかまったくわかってないところがある。この人たちは、金持ちのボンボンとおなじでまったくわかってない。金持ちのボンボンは、そこそこ、黒い社会に適応できる人間なので、それなりに、黒にそまっている。良心が痛まないタイプだからなぁ。精神世界の人たちは、神経症的に!良心がいたくなるタイプの人間のことが、ほんとうに、まったくわかってない。

そして、じつは、そういうハンディ?がある人間たいして、ステレオタイプ的な決めつけをして、そういうハンディ?がある人間を不愉快な気持にさせている。

けど、精神世界の人たちは精神世界の人たちで、じつは……。精神世界の人たちは、自分が相当に「波動が高い」存在だと思っていると思うけど、じつは、そんなには高くない。もちろん、高い人もいるけど、それほど高くない人もいる。

波動がほんとうに高い人は、きちがい的な親にやられた人を、傷つけない。

どうしてかというと、「わかっている」からだ。

わかってない人が、傷つける発言をがんがんする。その発言の背後にはある種の妄想的な?決めつけがある。その決めつけは、本人にとって、ゆずることができないたいせつなことなので、ゆずらない。

2022年4月16日土曜日

ヘビメタ騒音なしで、いきたかった。

 あーー、俺は、ほんとうによく生きているなぁ。ヘビメタ騒音なしで、あの子と普通につきあいたかった。ヘビメタ騒音なしで、中学生活をおくりたかった。ヘビメタ騒音なしで、高校生活をおくりたかった。ヘビメタ騒音なしで、大学キャンパス生活をおくりたかった。ヘビメタ騒音なしで、ダイヤと旅行に行きたかった。ヘビメタ騒音なしで、ダイヤと文学的な同人誌をつくりたかった。ヘビメタ騒音なしで、自分の知識をいかして、起業したかった。ぜんぶ、ぜんぶ、ないわぁ。

どうしても、ヘビメタ騒音でくるしい。どうしても、くるしい。これでいきてたって……。これで、いきてたって……。いきてたって……。

くるしかった。すぐに鳴りやんでほしかった。ずっと鳴りやまなかった。

「すぐに鳴りやめ」と言って鳴りやまなかったのだから、言霊は成り立たなかった。きちがい兄貴に直接どれだけ言っても、鳴りやまなかった。きれいごとは、成り立たなかったということだ。みんな、どのみち、きかなかった「おまじないのような方法」を、あたかも、絶対法則のように言うのはやめてくれ。

きれいごとが成り立つなら、苦労してないんだよ。こまってないんだよ。どうして、きれいごとを言って、「うわのせ」をしてくる。これ、みんな、わかってないけど、きちがい的な家族にやられたら、おしまいだ。世間の人は、きちがい的な家族の味方をする。やられたほうを、なじる。やられたほうに、説教をする。そんな説教の「きれいごと」が成り立っていたら、そもそも、苦労してない。きちがい兄貴に一回目、「やめてくれ」と言ったら、やめてくれたはずだ。

みんな、きちがい的な家族にやられたことがない。きちがい的な家族にやられた人間は少数派だ。きちがい的な家族に人生を破壊されて、死んでしまう。生きてたって、ロクなことがない。どうしてかというと、毎日やられるからだ。そして、毎日やられれば、そういうことが、つもる。負の効果がつもる。負の出来事がつもる。鳴っているなかで、どんだけの不安に襲われるか? みんな、きちがい兄貴のきちがい的な態度がわかってない。みんな、きちがい兄貴のきちがい的な感覚がわかってない。きちがい兄貴も、じつは、自分の……きちがい兄貴の感覚がわかってない。そりゃ、感覚器を書き換えてしまうようなやりかたで、「うそ」を押し通す。「うそ」をついているつもりがない。こういうのが、ごく自然に成り立つ。こういうきちがい家族にやられたことがない人は、まったくなにもわかってない。

ほんとうに、いろいろ、あったなぁ。全部、俺が不利な立場に立たされることだ。



2022年4月15日金曜日

「親の格差・下」の人が経験したトラブル、「親の格差・中」の人と「親の格差・上」の人が経験したトラブル

 「親の格差・上」の人と「親の格差・中」の人は、「親の格差・下」の人が経験したことがまったくわかってない。この理解度は、幼稚園生の理解度、以下だ。普通の事柄に対する幼稚園生の理解度というものがあるとする。

そして、それは、複雑なことに関してはまちがっている場合が多い。そういうレベルの理解度しかないのだ。

普通の人、あるいは、めぐまれた人の理解度というものは、そういうレベルの理解度だ。経験をとおしてわかってないのである。

だから、そういうレベルの理解度にもとづいたことを言っても、相手に不愉快な気持を抱かせるだけになってしまうのである。ようするに、まちがっているだけではなくて、相当に、相手を不愉快させることを言っているということだ。

これ、ていねいに言っているけど、わからないかもしれないな。ようするに、 「親の格差・下」ではない人は、 「親の格差・下」の人に、「わかったようなこと」を言うべきではない。

けど、みんな、似たような経験があるので、似たような経験から、「親の格差・下」の人が経験したことを「おしはかって」いろいろなことを言ってまう。ようするに、自分が信じていることを言ってしまう。けど、幼稚園生がまちがうように、まちがっている。それは、ちがう。 

けど、ちがうと言っても、これがまた、ちがうということがわからないのだから、問題がある。まあ、わからないと思うけど、「親の格差・下」の人が経験したトラブルは、「親の格差・中」の人と「親の格差・上」の人が経験したトラブルとは、まったくちがったトラブルだと思ったほうがいい。

 

2022年4月14日木曜日

他人を奴隷にしたり、他人を殺したり、他人を不幸にすることで、よろこびを感じるような人たちが、トップにいるような社会

問題なのは、地合いが黒であって、なおかつ、生まれの格差があるにもかかわらず、地合いが黒であることや、生まれの格差があることは、無視されるということだ。無視されて、きれいごとが成り立っている。

たとえば、認知療法の理論、行動主義心理学の理論、ポジティブ思考の理論、言霊の理論、思いは現実化するという意味での成功法則、引き寄せの理論、すべては受け止め方の問題だとする霊界理論、たましいが自分の条件を選択したのだという霊界理論……こういうものが、すべて、地合いが黒であるという状態に奉仕し、生まれの格差を無視する。

地合いが黒だ……ということは、非常に重要なことだ。

地合いが黒であるということは、つねに悪魔のささやきがある状態なのである。「じぶん」がよければ、ほかのものは、自分の行為によってどうなってもかまわないというような自分勝手さが、奨励されている世界なのである。たいていのものは、自分がよくなりたいので、他人を犠牲にする。そういうことに、なれてしまう。

そして、そういうことになれてしまっているのにもかかわらず、じつは、きれいごとを言う。いまに、わかると思うけど、世界の指導者としてきれいごとを言ってきた人たちは、ほぼ全員、猛烈に悪いことをしている。たましいをけがすことをしている。まあ、それには触れないでおこう。

ともかく、地合いが黒である状態だと、人は、簡単に悪魔の誘惑に負ける。地合いが黒である状態だと、「じぶん」さえよければ、ほかのものはどれだけくるしい思いをしてもいいというような考えに陥りがちだ。勝ってしまえば、それでいいという考えに陥りがちだ。上位に立ってしまえば、それでいいという考えに陥りがちだ。そして、それを実行する。しかし、それは、悪いことなのである。

しかし、そういう状態でも、なおかつ、人は、きれいごとを言うことができる。きれいごとの活動に奉仕することができるのだ。なので、「うえ」の人がそういうことをしていると、「した」の人は簡単にだまされてしまう。

「うえ」の人が言っているきれいごとが正しいと思うようになってしまう。もちろん、実際は、きれいごとではなくて、悪が成り立っている。地合いが悪なのだから、悪が成り立っている。

けど、悪が成り立っているということについて、人々は無関心になる。今回の〇〇〇〇騒動でそういうことが、あきらかになった。

ともかく、このような世界では、他人を蹴落としたい、自分が優位な立場に立ちたいという、自分勝手な気持?が鼓舞されて、承認されるのである。実際にそういうことになれしたしんでいる人が、社会の上層部にたくさんいるということになる。

これからは、地合いが白になるので、他人に対する思いやりが、成り立つ社会になる。地合いが黒である社会でも「他人に対する思いやり」ということは、きれいごととして、よく言われることだ。〇〇〇〇でも、「思いやり〇〇」ということが言われた。

しかし、悪魔に奉仕する人たちが言う「思いやり」はじつは、不幸なことを引き起こしてしまう「思いやり」だ。そして、悪魔に奉仕する人たちは、それを知っている。知っていてやっている。

つまり、自分さえよければ、他人が死のうが、他人が不幸になろうがかまわないという考えに基づいて、〇〇〇〇〇〇をしたほうがいいということを言ってしまう。それが思いやりなのだということを言ってしまう。

これは、普通の人にとっては、まさに、悪魔のささやきだ。負けては、いけない。

けど、あたかも、〇〇〇〇を打つことが、思いやりのある行為に思えてしまうのである。ようするに、負ける。悪魔のささやきに負けてしまう。

この人たちは、他人を殺し、他人を不幸にするために思いやり〇〇をすすめている。そういうことに、気がつかなければならない。この〇〇〇〇〇〇のすすめこそが、悪魔に支配された「地合いが黒である社会」の特徴をあきらかにしている。他人を奴隷にしたり、他人を殺したり、他人を不幸にすることで、よろこびを感じるような人たちが、トップにいるような社会だ。 

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2022年4月13日水曜日

この人たちの感じ方とぼくの感じ方がおなじであるはずがない

みんな、ヘビメタ騒音なしで、「そのとき」をまっているわけで、ぼくとはちがうんだよな。そりゃ、ゆっくりまてるだろう。けど、ぼくにはそんなよゆうはない。ヘビメタ騒音前と、ヘビメタ騒音以降ではまったく「感覚」がちがう。この感覚のちがいは、ほかの人にはわからない。どうしてかと言うと、ヘビメタ騒音なしで生きてきたからだ。「あの」ヘビメタ騒音の連続がない。毎日、きちがいが横で、ヘビメタを鳴らし続けて生活のすべてを破壊するということがなかった人たちだ。この人たちの感じ方とぼくの感じ方がおなじであるはずがない。

2022年4月9日土曜日

きちがい兄貴の『ヘビメタのやり方』が、異常なので、ぼくが異常な人に思われる

 きちがい兄貴の『ヘビメタのやり方』が、異常なので、ぼくが異常な人に思われるのである。もう、そういうことの連続で、いやだ。これ、きちがい兄貴の『ヘビメタのやり方』というのは、おかしい。そりゃ、感覚器を無視して、でかい音で鳴らしているのにでかい音で鳴らしてないと「本気で思うことができる」というのが、まずおかしいけど、そのほかにも、きちがい親父とおなじように、いろいろとへんなところがあるのである。

で、ほんとうに物理的にでかい音で鳴らしていたのだけど、物理的にでかい音で鳴らしているということを、認知している態度ではなかったんだよ。普通の人であれば、でかい音で鳴らしているということを、感覚器が正常だから知っている。

もちろん、聴力に異常がある人は、そういうことを明示しているし、相手にも納得がいく。ようするに、兄貴がほんとうに聴力障碍者である場合は、ほかの人にとっても、ぼくにとっても納得がいく状態なのである。けど、きちがい兄貴は、正常な聴力をもちながら、自分のヘビメタだけは、小さく聞こえるという心理的な機制をもつ人間だった。

で、これは、きちがい兄貴にもわかってないし、ほかの人にもわからないことなのだ。きちがい兄貴の状態、きちがい兄貴の言ったこと、きちがい兄貴の行動、を吟味してみると、自分のヘビメタに関しては、耳が悪くなる人間なのだと、ぼくが解釈しただけだ。

実際に、そういうことを、きちがい兄貴はしてきたので、そういう人間だと思う。しばいでやっているわけじゃない。知っているけど、知らないふりをしているわけではない。けど、聴力が弱いわけでもないという、こっちにとっては、こまった状態の人間なのだ。こまった、脳みその癖をもつ人なのだ。

こんなの、実際に、迷惑をかけられている人間しかわからない。その、かくされた異常性が、どういうふうに、現象に影響をあたえるかなんて、ほかの人にはわからないし、説明したところで、興味がないことだ。

条件を考えないで、「人間はこうだ」「言霊は宇宙をつらぬく絶対法則だ」と言うから

条件を考えないで、「人間はこうだ」「言霊は宇宙をつらぬく絶対法則だ」と言うから問題がしょうじる。『相手の問題』というものを、無視したり軽視したりしてはいけない。

けど、「人間はこうだ」と人間に言う場合は、相手の条件を無視していることが多い。きちがい親父というハンディは、父親がきちがい親父ではなかった人には、まったくわからない。

想像することもできない。想像することもできないのだから、理解することはできない。相手が言うことを聞いて、想像する場合、父親がきちがい親父ではなかった人は、まちがった想像をしてしまうのである。

そして、理解したつもりになって、ああだこうだと言う。それは、はげましているつもりで言うわけだけど、条件を無視しているので、言われた相手は、不愉快な気持になる。きちがい親父にたたられなかった人は、きちがい親父がどういう行動をするのか、どういう感覚の持ち主なのか、ほんとうは知らない。

ただ、きちがい親父にたたられた人が、言う、説明を、言語として、自分の経験をとおして、理解するだけだ。この理解は、不十分な理解なのである。父親がきちがい親父ではなかった人が「自分だって親とこういうことでぶつかった」とか「自分だってこういうことがあった」とかということを言う場合、きちがい親父にたたられた人からすれば、まるで、自慢話をされているような気分になる。

だいたい、そういうことを言う時点で、きちがい親父がどういう存在であるか、わかってない。

経験をとおしてわかってない。

わかっていないというのは、そういう話をし出すということからわかる。ほんとうに、きちがい親父を体験している人は、そんなことは言わない。これは、きちがい兄貴のハンディを経験してない人が、「俺だって、朝はつらい」「誰だって朝はつらい」ということをはなしはじめる場合とおなじだ。

けっきょく、そういうことを言う人は、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を経験してない。毎日、十数年間にわたって、経験してない。経験していたら、そんなことは、絶対に言えない。言わない。口が裂けても言わない。

通勤、通学ができる人が(現時点でやっている人が)……「俺だって、朝はつらい」という場合、やっているので、やれなくなるほどつらいことを経験してないということがわかる。

しょせんは、きちがい兄貴がきちがいヘビメタを始める前の、ぼくの「朝はつらい」というレベルの話とおなじだ。これが、からだがまったくちがった状態になるのである。ヘビメタ騒音をやられた次の日の朝、というのは、つらいなんてものじゃないのである。

意志教の人は、「起きるという強い意志をもてば、起きられる」というようなことを言うけど、そういう強い意志を持って、毎日、起きつづけたからこそ、ついには、起きられなくなったのだ。

毎日、ずっとむりがつづけば、むりがができないからだになる。

ほんとうに、俺とおなじぶんだけ、毎日ヘビメタを聞かされたわけじゃないので、からだをとおして、動きずらい状態、くるしい状態というのを経験してないのである。自分がからだをとおして経験してないことについては、判断をあやまる傾向がつよい。



 

2022年4月7日木曜日

「Bちゃんが毒リンゴを食べちゃう」(神様が決める真実)と(人間が決める真実) そして、視点の相対性という問題

 毒リンゴのことについては、むかし書いたことがあるのだけど、文章がどこかに行ってしまったんだよな。まあ、ぼろぼろだから、管理もできてないわけ。どうしてボロボロになったかというと、ヘビメタ騒音でぼろぼろになったんだよ。で、まあ、そういう前置きはいいとして、毒リンゴの話をしておこう。この毒リンゴの話は、「異世界」の話だ。この世界の話でないので、そう思って、聞いてくれ。

毒リンゴのことで言いたかったのは、神様的な視点で、ものごとを認知できる人間がこの世(異世界)にはいないということだ。みんな、人間の視点でものごとを認知している。どうしてなら、その世界(社会)を構成している生物が人間だからだ。(異世界の人間だとする)。

で、作者が神様的な視点で事実を決定したあと、その事実が揺らがないものとして、説明を始めるというのが普通のやり方だ。たとえば、「毒リンゴ」と書いたら、「毒リンゴ」であるわけ。

そのリンゴが、毒リンゴなのか、毒が入ってないリンゴなのかは、重要なことなんだよ。

で、Aさんと、Bちゃんと、Cさんがいるとする。Aさんは、毒リンゴを配っている人だ。無料で配っている。Bちゃんは、毒リンゴを受けとって、食べようとしている子供だ。

で、Cさんは、Aさんが配っているリンゴがじつは、毒リンゴだということを知っている人だ。そして、Cさんが、Aさんが配った毒リンゴを食べようとしているBちゃんを見かけたとする。

そのとき、Cさんは、「毒リンゴを食べちゃだめだ」と言って、Bちゃんの毒リンゴをはたいた。はたかれた毒リンゴは地面に落ちた。リンゴを食べようと思っていたBちゃんは、地面に落ちたリンゴを見て、泣き出してしまった。

この場合、そのリンゴが毒リンゴであるということを知っている読者は、Cさんがなんで、リンゴをはたいたのかわかる。Aさんが毒リンゴを配っている悪い人だというのがわかる。だから、読者にはこの話はうけいれられやすい。Cさんが真実を知っている人で、Aさんが毒リンゴを配っている人なのである。

けど、Aさんが配っている毒リンゴが、毒リンゴではなくて、普通のリンゴだという設定で、おなじ場面について作者が読者に説明をすると、Cさんは、普通のリンゴを毒リンゴだと思っているへんな人(頭がおかしい人)で、子供が食べようとしていた普通のリンゴをたたいて落とすということをした悪い人間だということになる。一方、Aさんは、普通のリンゴを無料で配っている善良な人だということになる。そういうふうに、見えるでしょ。読者はそう思う。

けど、そういうことは、普通は意識されない。心理学の本を読む場合、へんなことにこだわる人は、最初からへんなことにこだわる人として説明されている。これは、作中の登場人物に対して、読者が思うことだ。そして、作者は、神様的な視点で、「事実」を決定することができる。しかし、現実の世界・現実の社会では、じつは、神様的な視点をもっている人間は存在しない。なので、作者が設定するように、「事実」は決定されてない。おのおのの個人が、別々の視点から、「事実」を見て、決定するということになる。


繰り返して言うけど、現実の世界・現実の社会では、神様的な視点で、そのリンゴが、毒リンゴであるか、普通のリンゴであるか決定できる人はいない。この世の人間は、その人間の視点しか持ってない。その世界の人間は、神様的な視点をもてない。

あくまでも、その人間から見ると、毒リンゴに見えるということになのである。その社会に、そのリンゴが毒リンゴであると認識している人と、そのリンゴが普通のリンゴであると認識している人がいるということになる。神様的な視点で、真実がわかっている人間はいないのである。

なので、検査をすることになる。

けど、人間がおこなう検査は、人間がおこなう検査であって、神様のようには、事実を認識できない。検査機関が、毒リンゴを無毒なリンゴだと判定して、そのような情報を流した場合、普通の人は、それを信じる。検査機関が権威がある検査機関だと、その情報を信じる。

検査機関が、かそりめに、事実を決定するのである。けど、このかりそめの事実決定は、神様による事実決定ではない。検査機関がほんとうは、毒が入っているリンゴを毒が入ってない普通リンゴだと発表する可能性はある。人間がおこなうかりそめの事実決定と、神様による事実決定は、じつは、ちがう。

「ほんとうの真実」というものがあるなら、それは、神様が決定した真実だ。

人間が決定した真実は、「ほんとうの真実」のまがいものだ。

けど、権威がある機関がそういう判定をしたならそうなのだろうと、普通の人は考える。それにしたがう。こういうばあい、あるとき、権威のある機関がなんらかの理由でうその情報を流した場合、混乱がしょうじる。

普通の人は、うその情報を信じてしまうからだ。

まあ、架空のこととして、ほんとうの真実(神様が決める真実)と暫定的な真実(人間が決める真実)のあいだに、わずかなすきまのようなちがいがあるということは、理解しておいてほしいんだよな。それは、神経質なことなんだけど、ちがいがある。この世における真実というのは、暫定的な真実にすぎない。



 

2022年4月5日火曜日

かえられないというのであれば、言霊は成り立っていないということだ

 

ほんとうに、言霊が成り立つなら、言霊主義者は、他人に説得なんてしない。言えば、それが、かならず、現実化するのだから、別の方法を考える。言っても、現実化しない場合があるということを知っているので、他人に説得をする。その説得のなかで「言霊的な」説得をするのである。

たとえば、AさんとBさんがいるとする。

Aさんは、工場の経営者で、Bさんは、Aさんの工場の従業員だ。

そして、Aさんが、Bさんに「一日に二五個、まるまるをつくれ」と言ったとする。Bさんはそれに対して「一日に二五個、まるまるをつくるのはむりです。一日につくれるまるまるは二〇個が限界です。それをこえるとまちがいがおおくなるので、できません」と言ったとする。

それにたいして、Aさんが「できないというからできる。できると言えばできる」と言ったとする。Aさんは、Bさんに一日に二五個のまるまるをつくらせたいので、そういうことを言うわけだ。

しかし、考えてみれば、言霊が成り立つなら、Aさんは、Bさんにそんなことを言わなくてもすむのだ。

Aさんがひとりで「Bさんが一日に二五個、まるまるをつくるようになる」と言えばいい。Bさんに言う必要はない。言霊理論では、超自然的な力(ちから)によって、物理法則をこえて、言霊の力が物理的な存在に作用するということになっている。

なので、Aさんが、Bさんのいないところで、 「Bさんが一日に二五個、まるまるをつくるようになる」と言えば!Bさんは、一日に二五個のまるまるをつくるようになるのである。なると言ったらなるのだ。どれだけ、Bさんがつくりたくないと思っても、Aさんの言霊によって、Bさんが一日に二五個のまるまるをつくるようになってしまう。

言霊というのは、すごい力(ちから)をもっているので、言っただけで、世界のすべてをかえることができるのだ。他人の行動ぐらい、いくらでもかえられる。かえられないというのであれば、言霊は成り立っていないということだ。

 

 

 

精神論とか言霊理論とかそういうことを言われるときの、あの、いやな雰囲気

 精神論とか言霊理論とかそういうことを言われるときの、あの、いやな雰囲気と言ったらないなぁ。いやな雰囲気なんだよ。不愉快なんだよ。ヘビメタ騒音『で』できなくなったと言っているだろ。もとは、できたんだよ。数千日、数万時間のヘビメタ騒音『で』できなくなったんだよ。数千日、数万時間のヘビメタ騒音を経験してない人にはわからない。数千日、数万時間のヘビメタ騒音は、むちゃなことを言う。数千日、数万時間のヘビメタ騒音のなかで、ぼくがどれだけ、努力をしてきたかわかってない。無視をする。そのやり方が、全部、だめだったと言っているだろ。ほんとうに、不愉快。

たとえば、俺が「できなくなるようにしよう」と思って、「できないできない」と言って、できなくなったわけじゃないんだよ。『できないできない」と言うからできない(できなくなる)』とか、どれだけずれていることを言っているかわかってない。言霊は成り立たなかったということの、数十万回の経験がわかってない。放棄された理論なの。どうして放棄したかというと、きかなかったからだよ。有効じゃなかったからだよ。まちがった理論で人をせめるな。まちがった理論を言って、人を不愉快な気持にさせるな。


だから、言霊主義者は、時間を決めないで発言するのである。

「希望をもって暮らしましょう」ということを言っているのであれば、そういうふうに言えばいい。「言ったことが現実化する」と言う必要がない。前投稿で書いたように、言霊主義者も、言っただけでは現実がかわらない場合があるということを知っている。

ひとつでも、かわらない場合があるのであれば、「言ったことが現実化する」ということは成り立たない。

たとえば、ある人が「一秒後に、A国が、B国に向かって、核弾頭ミサイルを発射する」と言ったとしよう。その人が言ったことが現実化するということが、言霊の理論だ。一秒後にA国が、B国に向かって核弾頭ミサイルを発射しないのであれば、言霊の理論はまちがっていたということになる。

だから、言霊主義者は、時間を決めないで発言するのである。

「いつか、そうなる」……これなら「A国が、B国に向かって、核弾頭ミサイルを発射する可能性」はあるわけだから、現在の時点では、A国が、B国に向かって、核弾頭ミサイルを発射する」ことがしょうじるのかどうか、わからない。言ったことが現実化するのか、現実化しないのか、その時点では、わからないことを言う。

あるいは、わからないように言う。

言霊主義者は、気にくわない現実は、無視している。時間を決めないのであれば、つねに可能性があるわけだから、「成り立つ可能性」を温存できる。

これは、言霊の理論が正しいという可能性を温存できるということだ。なので、言霊主義者は、意識しているかどうかにかかわらず、時間を制限するようなことについては語らない傾向が強い。

自分は、自分が思ったとおりに世界をかえることができると思っているのである。自分が思ったとおりに世界をかえる方法は、言うことなのである。

けど、自分の発言と、世界の動きは一致するのだろうか。自分の発言が原因で、「A国が、B国に向かって、核弾頭ミサイルを発射する」ことがあるのだろうか。自分の発言……ただ言うだけのことに……そんな力があると思っているのだろうか?

自分が言えば、A国の指導者が、急に、核弾頭ミサイルをB国に打ち込みたくなって、打ち込んでしまうのである。自分の考えが、A国の指導者の行動を、厳密に支配しているのである。完全にコントロールしているのである。そんなことがあるのだろうか?

ついでだから、言っておこう。たとえば、「A国が、B国に向かって、核弾頭ミサイルを発射する」と「A国が、B国に向かって、核弾頭ミサイルを発射しない」という文には、たいした違いがない。ちがいは「する」と「しない」だけだ。

この、二文字、三文字のちがいに、正反対のことを引き起こす、力(ちから)があるのだろうか。

たとえば「ヘビメタ騒音が鳴りやむ」と「ヘビメタ騒音が鳴りやまない」という文の場合、「む」「まない」のちがいしかない。この、一文字と三文字のちがいが、現実をかえる力をもっていると、言霊主義者は思っているのだろうか?

ほんとうに、思っているのだろうか?

「一秒後に」ということばを付け加えるともっと、この違いが鮮明になる。

「一秒後」というのは、言い始めて一秒後なのか、言い終わって一秒後なのか。もちろん、言い終わって一秒後なのだろう。けど、途中まではおなじ文の文字列を、発音しているのである。

たとえば、「一秒後に、A国が、B国に向かって、核弾頭ミサイルを発射する」という文と 「一秒後に、A国が、B国に向かって、核弾頭ミサイルを発射しない」という文のちがいは、「する」と「しない」のちがいだけなので、「一秒後に、A国が、B国に向かって、核弾頭ミサイルを発射」までは、おなじだ。

だから、ほんとうに「現実をかえる力」をもっているのは最後の二文字、三文字だということになる。本気で言っているのだろうか?

言霊主義者は、最後の二文字、三文字に現実をかえるだけの力(ちから)が「ほんとうにやどっている」と思っているのだろうか?

最後の二文字、三文字には、現実をかえるだけの力(ちから)がやどっていると、言霊主義者は思っている。

まあ、最後の二文字や三文字が、現実を正反対のものにかえてしまうというのは、日本語の特徴が影響している。言霊というのは、じつは、日本語だけではなくて、英語でも成り立つ。ほかの言語でも成り立つ。ほかの方言でも成り立つ。「言ったことが、すべて現実化する」のだから、そうなる。

けど、それは、おかしくないか?


 

2022年4月4日月曜日

「できない」から「できない」と(相手にわかるように)報告しているのだ

 「言えば、現実をかえられる」と思っている人にとっては、「言わずに、現実にたえる」ということは、ばかげたことだ。言えば解決できるのだから、どうして、言わないのだ? どうして、言おうとしないのだ」ということになる。  「言えば、現実をかえられる」と思っている言霊主義者にとっては、言えば解決できる問題で悩んでいる人は、おろかものだ。あるいは、『「言う」という努力をしないということはけしからん』ということになる。「せっかく、言えば現実をかえられるということを教えてあげているのに、そうしないのはけしからん」ということになる。そりゃそうだろ。 「言えば、現実をかえられる」と思っている言霊主義者にとってはそういうことになる。 「言えば、現実をかえられる」と思っている言霊主義者は、言って問題を解決しようとしない他者を、根底のところでばかにしている。

さらに問題なのは、「できないと言うから、できないんだ。できると言えばできる」というような発言だ。こういう発言をする人は、言霊主義者だ。「できない」と言うから、できないのではなくて、「できない」から「できない」と(相手にわかるように)報告しているのだ。言霊主義者はたいていの場合、原因について、誤解をしている。「言わないから、できない」「できると言えば、できる」ということばにあらわされているように、つねに、原因は「言わないこと」あるいは「言ったこと」にあると(言霊主義者は)思っている。けど、そうなんですかね? 物理法則に従って、できないことがある。あるいは、物理法則に従って発生していることを(その人の力では)とめられないことがある。

サラリーマンをやっている言霊主義者なんて滑稽だ

 そりゃ、俺だって、希望をもった人が「思ったことが現実化する」と言えば、「そうですね」と言いたい。そりゃ、俺だって、希望をもった人が「言ったことが現実化する」と言えば、「そうですね」と言いたい。けど、きちがいヘビメタにさらされたときのからだの状態が拒否をする。からだの状態と気持ちは、おなじだ。あの不安に満ちた切羽詰まった気持ちで、「すぐに鳴りやむ」「一秒後には鳴りやむ」と思っても、ずっと鳴ってた。それどころか、きちがい兄貴の部屋に行って「やめろ!!やめろ!!」「しずかにしろ!!!」「しずかにしろ!!!」「すぐにしずかにしろ」「すぐにやめろ」と絶叫したって、鳴ってた。ずっと鳴ってた。じゃあ、言ったことが現実化するというのは、うそだということになる。言ったことと、言わないことをわければ、言ったことは、すべて、言ったことになるので、言ったことは、すべて現実化するということと、言ったことは現実化するということは、等価になるんだよ。「すべて」なんて言ってないと、言霊主義者は言うかもしれないけど、言霊主義者は、「言ったことはすべて現実化する」という意味で「言ったことは現実化する」と言っている。どうしてなら、たとえば、言ったことのうち、いくつかは現実化するけど、いつかは現実化しないと言うのであれば、「言ったことが現実化しない場合もある」ということを認めていることになる。しかし、「言ったことが現実化しない」ということを認める言霊主義者はいない。「言ったことのうち、いくつかは現実化するが、いくつかは現実化しない」とか「言った場合、現実化する場合もあるけど、現実化しない場合もある」と言うのであれば、言霊が成り立たないということを言っているのであり、言霊主義者が言っていることとは、ことなることを言っているということになる。

それから、「俺だって、つらいことを経験した」という言霊主義者がいるけど、言霊的な解決をこころみれば、かならず、問題は解決するのだから、つらいことを経験したというのは、うそだということになる。もし、つらいことを経験しとしても、それは、〇・一秒で解決してしまう問題なので、たいしてつらいことではないということになる。ようするに、言ったことがすべて、現実化するのだから、「〇・一秒後にこうなる」と言えば、〇・一秒後には、こうなっている(言ったとおりになっている)ので、問題は、解決する。これは、「自分は魔法の杖をもっている」とか「自分は魔法を使える」と言うことに、ひとしい。どうしてなら、思い通りにならないことを経験したら、即座に、「まるまるということはない」と言って、思い通りにすればいいからだ。たとえば、「うるさいな」と思ったら「この騒音は、〇・一秒後に鳴りやむ」と言えば、絶対に、どんなことがあっても、鳴りやむのである。鳴りやまないのであれば、言霊は成り立たないということになる。成り立たない現実を認めるべきだ。言霊主義者は、すくなくても、カネのために働いてない。どうしてなら、「〇・一秒後に、自分の銀行口座に一億円振り込まれる」と言えば、一億円振り込まれるからだ。 振り込まれないのであれば、言霊は嘘だということになる。言霊主義者が言っていることがほんとうなら、あらゆる困難を〇・一秒で解決することができる。そういうことを、ほんとうは、言っている。サラリーマンをやっている言霊主義者なんて滑稽だ。言えば、その通りになるのだから、すべてのことを、支配できる。その人が言ったことが、すべて、言ったとたんに成り立つということになる。だから、別にしがないサラリーマンなんてやっている必要がないのだ。全部、手に入るし、全部、思い通りにすることができる。ほんとうは、本人だって、そうできないことを知っている。だから、ある意味、その人のなかでも、「言ったことが、すべて、現実化する」という意味での、言霊は成り立ってないのだ。そして、無意識的には、成り立ってないということを知っている。言ったって、成り立たないことは、言わないようにしているのだから……。言ったってすぐにはそうならないことは、言わないようにしている。「言ったことが、すべて、現実化する」という意味での、言霊が成り立っているら、言えばいい。そうすれば、すぐに、それが現実化する。

ほんとうは、本人のなかでも「破綻している」ことを、人におしつけるな。ほんとうは、本人のなかでも「破綻している」ことを、真実のように語るな。人に語るな。

 

こういうのは、みんな、まちがった前提に立ったまちがった意見なんだよ。

 毎日つもったときの、からだの状態を知らないやつが、勝手なことを言いやがって……という気分にしかならない。言霊的解決法……認知療法的な言い換え……アドラー主義者のばかにした言説……こういうのは、みんな、まちがった前提に立ったまちがった意見なんだよ。

こいつらは、共通して、「つもるヘビメタ騒音体験」がない。体験がないから、見当はずれなことを言っている。けど、体験がないのでわからないという意味で、そいつらは、絶対に、見当はずれなことを言っているということに、気がつかない。ほんとう、ばかにしやがって。これ、ほんとうは、ばかにしている。けど、ばかにしているつもりがないんだよ。

 

フォークギターぐらいの音なら、小さいので、どれだけ長い時間鳴らしていても、問題はない

 悪夢で目が覚めた。鳴っている状態を再体験した。あの、あせりはない。ほんとうに、みんな、きちがい家族がいないので、きちがい家族が、「うちで」どういう行動をするのかわかってない。

もっと詳しく言えば、どういう認識でどういう行動をするのかわかってない。きちがい家族が、意地になってやっているとき、意地になっているという自覚がない。つまり、認識がない。で、普通の人は、「言えばわかる」と思っているのだけど、どれだけ言っても、わからない。目を三角にして意地をはってやっていること……特に、相手が「やめてくれ」と言ったことをやっているときは、やっているつつもりがないのだ。認知、認識がない。

だから、きちがい家族は「やったつもりがないまま」すごしている。けど、きちがい親父にしろ、きちがい兄貴にしろ、自動的にスイッチが入ってやってしまう。本人にとって都合が悪いことは、いま説明したような認知・認識システムで無視してしまう。無視したら、もう、「ない」んだよ。どれだけやったって「やってない」のとおなじなんだよ。

で、そういう都合のよさ……が、「認めたくないことは認めない」という部分でも発揮されてしまう。そりゃ、都合が悪いのだから、血相をかえて、意地になって認めない。けど、それも、「認めなかった」という認知・認識がない状態なんだよ。

二四時間中二四時間、きちがい兄貴やきちがい親父の頭は、そういう構造で、動いている。

なにもトラブルが発生してないときは、それでいいけど、トラブルが発生したら、こっちがこまるんだよ。

トラブルが発生しない場合についてひとつ例をあげてみよう。たとえば、きちがい兄貴が将棋に夢中になって将棋の盤面を見ながら、いろいろと考えている状態だ。こういう状態なら、夢中になったって、別にいい。静かだからな。

実際に、きちがい兄貴は、フォークギターに夢中になって、つねにフォークギターの練習していた期間がある。三年間だ。フォークギターに夢中になって、家に帰っていたらずっと、練習していた状態……。これも、別にいい。フォークギターぐらいの音なら、小さいので、どれだけ長い時間鳴らしていても、問題はない。

問題は、きちがい兄貴が、エレキギターに夢中になって、つねに、でかい音でエレキギターの練習をし始めたときからだ。これ、ほんとうに、絶対に鳴らせないような音で鳴らしている。きちがい兄貴が得れギターの練習をしているときは、爆音でヘビメタを鳴らして、その音にあわせて、練習をするので、ものすごい音で、ステレオの音とエレキギターの音が攻めてくるということになる。

きちがい兄貴はきちがいなのでやるとなったら、ほんとうに、一日中やっている。こっちは、休みなく、ステレオ・スピーカーの音とエレキギター・アンプ付きスピーカーの音にやられる。すごい、さわぎなんだよ。

「ヘビメタ? なにそれ?」と思うような「教師」が経験したことがないようなすごい音なんだよ。これ、ほんとうにまったくわかってない。あんな音のなかで普通の状態でいられるわけがないだろ。けど、これも、経験がない人たちにとっては、どうでもいいことなんだよ。意志教等にしてみれば、普通の状態でいられるはずなんだよ。そりゃ、強い意志を持って影響をうけないと決心すれば影響をうけずにすむわけだから。

けど、毎日毎日、続くと、意志に関係なく、からだにこたえることになる。その時間……ヘビメタ騒音が鳴っている時間が、もっともっと、くるしくなる。「気にしない気にしない」と思っていても、横でがんがん鳴っていれば、気になる。あの状態はない。強い意志を持って無視するということは、切羽詰まった状態になるということなのである。そりゃ、やられているわけだから……。四六時中、がんがんがんがん、攻撃をうけている。この状態がわからないやつが、意志の力とか言霊的解決法を、口にする。こいつらは、俺十な状態を経験したわけではない。

2022年4月3日日曜日

お楽しみ回路が破壊されていない者が言うアドバイスは、すべて、有害 みんな、わかってない

 コーヒー、飲んじゃった。あーー。これで、理想の彼女と一緒に住んでいてもおなじだなぁ。けど、きのうは、さみしかったぜぇ。今日はなにもできないと思ったけど、ちょっとだけ、部屋を片づけるか?

もう、午後一二時五〇分。昼間の一二時五〇分。これねぇーー。

もう一杯、コーヒーを飲みたいけど、にがい、にがいお茶で我慢するかな?

ほんとう、つまらない。ほかの人は、脳みそのいろいろなところを破壊されてないからなぁ。まあ、比喩的な意味で、「お楽しみ回路」とか。「お楽しみ回路」は楽しみを感じることができる回路だ。物理的な部位が対応しているとは言わないけど、物理的な部位が対応してないとも言わない。

まあ、ひゆーーてきーーな、意味で、お楽しみ回路というもの考えた場合、ぼくはもうだめなのである。きちがいヘビメタの繰り返しで、お楽しみ回路が破壊されている。

それから、親父を殺したいと思ったときに、親父を殺さないで我慢したという経験がある。

じつは、こういうことも、お楽しみ回路に影響をあたえている。みんな、わかってないんだよな。

ほんとうになぐりたかったけど、我慢した……。こういうことが、「楽しみを感じる回路」に影響をあたえるとは思ってない。けど、じつは、こういうこと「も」影響をあたえる。だから、楽しみを感じるべきだと思って、「楽しくなれ」「楽しくなれ」と念じてもだめなのだ。「楽しくなる」と言えば、楽しくなるというのは、普通の人の話。

この人たちが、「俺だってつらかったことはある」と言っても、これは、質的にちがうつらさなのである。どうしてそういうことがわかるかというと、「楽しくなると言えば、楽しくなる」などと言っていられる状態を維持しているからだ。そういう状態を維持できるなら、それは、たいしてつらいことじゃない。何万時間も、きちがいヘビメタ騒音にさらされて……何回も何回も、絶対の意地でへんなことをするきちがい親父をなぐろうとしたことを我慢した……ということが、ないのである。どうしてかというと、その人は、きちがい的な家族と一緒に暮らしたことがないからだ。これ、ぜんぜんちがう。普通の人とのあいだに起こったことと、家族とのあいだに起こったことはちがうのだ。そして、普通の人のもとにうまれてきたということは、普通の人が家族だったということだ。もう、そこで、ぜんぜんちがう。もう、そこが、ぜんぜんちがう。ちがうんだよ。

まあ、途中で普通の家族が、きちがい家族になるということも、ないわけじゃない。けど、それはまた、ちがうんだよ。ぼくが言っているのは、自分が生まれた時点で、すくなくても、親が気ちがいだった場合の話だ。

ともかく、「楽しくなると言えば、楽しくなる」ということを本気で言っているのであれば、……つまり、そういう「考え方」を信じているのであれば……お楽しみ回路は破壊されてない。

お楽しみ回路が破壊されてない人が言うことは、お楽しみ回路が破壊された人には、意味がないことだ。特に、お楽しみ回路が破壊されてない人が、お楽しみ回路が破壊されている人に対して、アドバイスをするのは、むだだ。むだなだけではなくて、有害。

お楽しみ回路が破壊されていない認知療法家、お楽しみ回路が破壊されていないアドラー主義者、お楽しみ回路が破壊されていない霊界信者、お楽しみ回路が破壊されていない言霊信者、お楽しみ回路が破壊されていないポジティブ思考信者、お楽しみ回路が破壊されていない意志教信者が言うことは、すべて、有害なのである。有害なアドバイス。

アドバイスをしたほうがいい気分になって、アドバイスをされたほうが不愉快な気分になるアドバイスにしかなりえないのだ。

お楽しみ回路が破壊された認知療法家なんて、いない。アドラー主義者、霊界信者、言霊信者、ポジティブ思考信者、意志教信者も、おなじ。お楽しみ回路が破壊されたアドラー主義者なんているわけがないだろ。以下、おなじ。

手短に言うと、きちがい親父に、何千回も、生まれてから11歳までやられても、「お楽しみ回路」維持できたのだ。けど、ヘビメタ騒音の数千日、数万時間のヘビメタ騒音で破壊された。ようするに、きちがい親父がやったことでは、ぼくのお楽しみ回路は破壊されなかったけど、兄貴のヘビメタ騒音で、ぼくのお楽しみ回路が破壊されたということだ。たぶんだけど、「俺だってつらいことがあった」「俺だって騒音ぐらい経験している」と言っている人のつらいことや、騒音というのは、お楽し回路を破壊するようなものではなかったということだ。そして、親父を殴りたい気持ちを我慢したということが、お楽しみ回路に影響をあたえるということを書いたけど、親父をなぐりたい気持ちを我慢したことによるお楽しみ回路の影響は、ようするに、ヘビメタ騒音を我慢したあとの話なのだ。どういうことかというと、親父をなぐりたい気持ちを我慢したことは、いまの時点で、お楽しみ回路をうしなったことに影響があるけど、それは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音が、人生のなかで発生したあとの話だということだ。つまり、兄貴のヘビメタ騒音+きちがい親父のきちがい行為なのだ。けど、兄貴のヘビメタ騒音と同じレベルの影響力をあたえるものを人生のなかで経験した人は、やはり、きちがい親父のきちがい行為だけでは、経験しない「お楽しみ回路の喪失」を経験することになるだろう。ともかく、あまりも特殊なので、普通の人が経験したことがないことなのだ。

今回の文章の前半部分と後半部分が矛盾しているように思えるかもしれないけど、矛盾はしてない。

++++

ぼくが前半部分で言いたかったことは、怒りが内攻することがあるということと、その「内攻した怒り」が「楽しむ能力」に影響をあたえることがあるということだ。「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」とか「楽しむと決心すれば、楽しめるようになる」というようなことを言う場合、「楽しくなる」ということに、注意がむいている。あたりまえだが、そうだ。けど、『発狂的におこったけど、おこるのをがまんした』というような経験が、それ以降の「楽しい気持ち」に影響をあたえるのではないかということだ。ぼくは、あたえると思う。かなりでかい、影響をあたえると考えたほうが、現象を理解しやすい。それ以降と書いたけど、これは、「時間的にそれ以降」ということだ。

怒りが内攻する場合、やはり、人間は、楽しめなくなる。楽しもうという「意志」とは関係なく、楽しめなくなる。けど、「意志でどうにかする方法」をすすめられることになる。けど、重要なのは、怒りが内攻するような出来事を、人生のなかで、何万回も、何十万回も経験してしまったことだ。すでにあるそういう経験が、意志とは関係がない「自分の気持ち(全体)」に影響をあたえる。その場合、「意志とは関係がない」のだから「意志」ではどうにもならない。「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」という場合、楽しもうとする意志があり、楽しもうとする意志が、「自分」に「楽しむように」命令をすれば、楽しむことができるという前提がある。しかし、この前提がまちがっているのではないかということだ。こういう意味では、言霊主義者も、「意志教徒」なのだ。意志にかかわることを言えば、それが現実化すると考えているのであれば、「意志は絶対」なので、意志教徒になりえる。意志は絶対と書いたけど、それが意味するところは、「強い意志をもって、そうすれば、絶対にそうなる」ということだ。

 

 

「うまれるまえに、選択した」ってなんだよ

 ほんとうにつまらない。

意味、ない。

ほんとうに、つまらない。あーー、俺の人生、なんだったのか? それにしても、ほんとうに、ほかの人とちがいすぎる。きちがい親父のもとにうまれたというのが、もうすでに、ほかの人とはだいぶちがっている。普通の人は、普通親父のもとにうまれるわけだから。

そして、宗教妄想家は、俺が、きちがい親父のもとにうまれることを選んだと言うわけだ。こういう、侮辱。たましいのレベルでの、自己責任論。自己責任論だって問題があるのに、たましいの自己責任論とかなんだよ。たましいが、選んだというのは、たましいが、こういうことを認知するしくみがないと成り立たないのである。で、たましい自体には、そんなしくみはない。「うまれるまえに、選択した」ってなんだよ。ともかく、証明ができないものを、前提にして人をせめるのはよくないぞ。そして、『善悪の彼岸』だ。もちろん、そうなる。たましいが、選んだのだから、この世の善悪とは関係がないということになってしまう。こういうことを言う人は、きちがい家にうまれたことがない人だ。きちがい家にうまれなかった人だ。「自分は、選ばなかったから、いい」という、うさんくさい理由が成り立っている。「自分の『今回の学び』は、きちがいである父親もとにうまれることを必要としなかった」と言えば、それですんでしまうのである。きちがい家にうまれた人が、どれだけのことを経験するのか、ぜんぜんわかってない。ともかく、「たましい」とか「たましいがうまれるまえに選んだ」とかそういうことを言うな。自分が自分に対して言っていればいいだろ。人を対象にするな。他人を対象にするな。ほんとう、ふざけている。ふざけるな!!

これ、どれだけ、他人を侮辱しているか、たぶん「たましいの経験がないから」わからないのだろう。あっ、皮肉で言っているんだよ。皮肉で……。「未熟なたましいだから、わからない」……こういう発言は、たましいの存在を前提にしているわけ。で、「おまえのたましいが未熟だから、こういうことがわからない」と言っているわけ。ようするに、たましいという前提と、おまえのたましいが未熟だという前提があるわけ。まあ、他にも、前提があるんだけど、それは「たましいという前提」にふくめる。こういうことが、わかってないんだよね。

 

ちがいすぎるのでわからないということ

 あーーあ、つまんない。つまんないうえに、なにかとうまくいかないことが、多いなぁ。つかれたなぁ。こういう日はコーヒーを飲んでしまいたくなる。コーヒーの負の効果はすでにあらわている。腹がおかしい。じつは、昨晩も、こういう雰囲気だったので、コーヒーを飲んでしまった。「もう、どうでもいいか」という気持ちもあるしなぁ。それにしても、ぼくの騒音体験は、ほかの人にはわからない。ちがいすぎる。『きちがい兄貴』という特殊な項目がある。こんなの、『きちがい兄貴』と同居していたひとじゃないとわからない。同じ家に住んでいた人じゃないとわからない。根本のところでわからないんだよな。そして、わからなくても、相手にとってはなんの不利益もない。わかろうとするという気持ちもない。もっとも、わかろうとする気持ちがあっても、「経験がない」ので、かならず、誤解するのだけど……。けど、誤解を誤解だと思っていない、認知療法家やアドラー主義者よりはましか。いや、おなじようなものか。

水道水と食べ物がやばいことになっている

 政治家が国民を殺しにきているので、水道水と食べ物がやばいことになっている。しかし、おろかな国民がそのことに気がつかないのだ。そして、やはり、おろかな国民が憲法改正に賛成してしまう。これも、憲法を改正すると、徴兵制が可能になり、政治家が国民をころすことができるようになる。おろかだなぁ。国防というものがまったくわかってない。どっち側の人が国の中枢にいるのかということが重要なのに、それがまったくわかってない。政治家が国民のために国を守ろうとすると思っている人たちは、ばかだ。 どうして、こんなにもたやすく、だまされてしまうのか?

ばかにつきあわされる、ストレスが半端じゃないな。

まあ、憲法改正よりも、ともかく、水道水と食べ物をどうにかしないとやばい。じわじわと、ころされる。あれでさえ、気がつかない国民。水道水と食べ物だったら、気がつくわけがない。

2022年4月1日金曜日

まあ、俺が書いていることはうけないよな

 まあ、俺が書いていることはうけないよな。けど、アカシックコードはあてにならないから、記録しておかなきゃいけないんだよ。ぼくのメッセージがとてつもなく思慮深い人につたわるといいなぁ。

2022年3月31日木曜日

「いまの環境は、生まれてくるときにあなたが選んだ」系の考え方……はっきり言って不愉快なんですけど~~

 「いまの環境は、生まれてくるときにあなたが選んだ」系の考え方というのがあるんだよね。けど、その考え方を前提にしてものを言うと、他人を傷つけることがある。

けど、そういうことを言う人たちは、そんなことは、知ったことじゃないのである。どうしてなら、自分がそういうふうなことを言うことも、相手がそういうことを聞いて、なにを思うかも、うまれるまからみんな決まっていたことだから……。

そいつらは、そう考えるのである。傲慢。神様だと思っている。この世のしくみを知っていると思っている。この世どころか、あの世のしくみを知っていると思っている。自分の人生についてそう考えるのは、自由だけど、人の人生について、そう考えて、妄想に基づいた発言をするのは、人に対する侮辱なのだということに、いいかげん、気がつけ。

こいつらは、そういう「わかったようなこと」を言うけど、ほんとうは、ありふれた感情に振り回されて生きている。こいつら考え方は、「起こってしまったら」「それは、決まっていたことだ」という考え方なのである。

実際にそうなったら、それは、生まれるまえから決まっていたことだという考え方なのである。

たとえば、Aさんが、Bさんをいじめて殺したとする。それは、うまれるまえから、決まっていたことなのである。Bさんは、Aさんに、ある時点でいじめられて殺されることを承諾してうまれてきたと考えてしまう。

だから、Aさんは「わるいことをした」わけではないということになる。「わるい」とか「よい」とかということは、決まってないということを言うのである。

けど、自分がなぐられたら、自分がなぐられるということが決まっていたというふうには、考えない。普通におこって、なぐりかえそうとする。医療ミスで、本人が今後の人生に影響をあたえる生涯を背負ってまったら、それは、生まれるまえから決まっていたとは考えずに、あんがい普通に、うらんだり、後悔したりするのである。

実際に、くるしければ、くるしいという反応をしめす。

「医療ミスで、くるしくなるということは、うまれるまえから決まっていた」とすずしい顔をして言うわけではない。ただ単に、ちょっとくるしいだけではなくて、手足を切るような羽目になったら、やはり、動けずに不愉快な気持になるのである。うまれるまえから、決まっていたことだから、不愉快さは感じないということではない。

けど、まあ、死ぬまでそう考えていればいいさ。

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この手の考え方というのは、理由を求めて、理由がない場合にたどりつく考え方なのである。なので、ほんとうは、くるしいのである。

ようするに、理不尽には耐えられないので、「霊界で、選んだ」とか「うまれてくるときに、神様とそういう約束をして、承諾してうまれてきたから、そういうことが、この世で発生した」と考えるのだ。そう考えると、理不尽なことが理不尽ではなくなる。理不尽なことではなくて、自分が選んだからそうなるという理屈がつく。

じゃ、なんで、「霊界」とか「うまれてくるまえの選択」というような「フィクション」をつくったかというと、この世が理不尽だからなのである。この世が理不尽であるという認知のほうが、さきに成り立っている。

本人は、そういう認知についてとくに、自覚はしてないのだけど、そういう認知が成り立っているから、「霊界」「うまれかわり」「たましい」「たましいの選択」というフィクションが必要になる。これは、「妄想」と言い換えてもいい。

そういう妄想にもとづいて、他人の人生をきめつけるのはよくないよ。

この妄想は、明示されるときと、明示されないときがある。明示されないときは、前提として成り立っているだけで、発言のなかには出てこない。

けど、そういう前提が成り立っている発言というのは、人を傷つけるのである。

こんな傲慢なことはない。傲慢だよ。神様になったつもりか。宇宙のしくみを知ったつもりか。まあ、そういうつもりになって、傲慢なことを他人に言うのも、決まっていたことなのだろう……。そういうことを言う人のなかではね。自分の人生だけ決めつけていればいいのに、どうして、他人の人生まで決めつけるのか。

これ、精神世界系だと、「程度が高い話」として語られるのである。こういうのを信じて、自分も他人の人生を決めつけてやろうと思う人が、続出してしまう。めいわく。 

こんなことが、「いい話」として語られるのだから、地球人の精神性も、地に落ちたものさ。これ、自分がどういうことをしているのか、気がついてないんだよな。

むしろ、……精神世界系の言葉を使うのであれば……そうすることによって自分のたましいをけがしている。カルマはないけど、よくない行為だ。この世において「わるい」と「よい」はある。

2022年3月29日火曜日

貧乏リタイアと普通のリタイアのあいだには差がある


たいていの労働者?ビジネスマン?サラリーマン?は、目標をもってがんがん働いているわけではなくて、生きるために、がまんして働いている。なので、がまんしないように、リタイアして貧乏生活をはじめました……というようなコンテンツをもつブログが、あるていど、うける。

あるていど……と書いたのは、やる気にみちている上級労働者や物欲にみちている、そこそこの労働者にとって、貧乏リタイア生活が魅力的なものにうつらないからだ。

ようするに、社会のなかの一部のものは、脱労働をめざして、貧乏系リタイアをするけど、ほかのものは、社会的な『中程度の成功』をめざして、普通に社会生活をするのであるから、貧乏系リタイア生活をそれほど、啓蒙する必要がないという、意見がある。


しかし、そういう議論がまったく成り立たないような、すごい状態になってしまった。

まあ、前投稿の通り、前提が崩れてしまったので、こういう議論には意味がなくなってしまった。

いままでの社会ということを考えるなら、貧乏リタイアと普通のリタイアのあいだには差がある。貧乏リタイアをする人は、労働を毛嫌いしている。普通の労働にはたえられないのである。この切迫感。この切迫感が、五〇代まで普通の労働をしてきた、普通のリタイア者には理解できないのである。

両者は、ともに、「会社での労働がいやだ」と言う。両者はともに会社の仕事の愚痴を言う。けど、『いやさの度合い』がちがいすぎる。だから、話があわない。貧乏リタイアをする人は、普通の会社の労働にたえられないのである。

そういうレベルできらいなのである。

五〇代まで普通の労働をしてきた人は、事実、普通の会社の労働に何十年間も耐えてきた。まあ、三十数年間ということにしておこう。三十数年間にたえてきた。いやいや、たえてきた。……たえてきたという事実。

たえなければ、普通のリタイア生活をおくれない。普通のリタイア生活をささえるじゅうぶんなカネを貯金することができない。あるいは、資本金として運用することができない。

ようするに両者ともに「仕事がいやだ」と言っているけど、その『いやさの度合い』がちがいすぎるのである。

一方は、たえられないと思っている。一方は、たえてきた。このちがいがでかすぎる。

どっちがいいかということではなくて、ともかく、ちがいがある。

このちがいを無視すると、どこまでも、話があわないということになる。『いやさの度合いが違う』……ここのところを、考えるべきだ。

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まあ、すべてが、ひっくりかえるからねぇ。

いままで価値観で生きてきた人たちが……。かわる。

いままでの延長線上にある世界というのは、黒の総攻撃がなかった場合の世界

 いままでの延長線上にある世界というのは、黒の総攻撃がなかった場合の世界だ。総攻撃があったのだから、総攻撃がなかった場合の世界というのは、ない。

白が勝ったのだから、黒が総攻撃後にえがいていた世界もない。みんな、いまの時点だと、いままでの延長線上にある世界しか、想像してない。

セミリタイアやリタイアに関して語るときだって、仕事について語るときだって、いままでの延長線上ある世界を前提にして、未来を語っている。あるいは、いままでの延長線上ある世界を前提にして、今現在あるべき姿について語っている。

けど、それは、もう、むだだ。いままでの延長線上ある世界がなくなってしまったのだから……。

最大限の悪意がなければできないことを、悪意なしでやる

 ほんとうにきちがいは、最大限の悪意がなければできないことを、悪意なしでやるんだからな。きちがい家族に、たたられたことがないやつが、わかったようなことを言うな。えらそうなことを言うな。きれいごとを言うな。きちがい家族にたたられたことがないから、えらそうなことを言える。きちがい家族に、毎日連続で、悪意なしにたたられたことがないから、きれいごとを言える。

俺にえらそうなことを言ってきたやつは、みんな、きちがい家族にたたられたことがない連中だ。それだけで、まったく条件がちがうということがわからないのか? 「できる」のは、たたられてないからできるんだぞ。俺だって、きちがい兄貴にたたられるまえは、通学できた。毎日決まった時間に起きることかできた。これ、ほんとうに、普通の騒音じゃないし、普通の状況じゃない。これ、ちがうんだよ。たたられてないから、通学、通勤ができるだけなのに、えらそうに……。俺は通学ができた。けど、ヘビメタ騒音に破壊された。それは、最大限の努力して、がんばってがんばって、根性を出して根性をして、ずっと毎日やって、破壊されたんだ。けど、きれいごとを言うやつは、「根性を出してやればいい」「通勤ができないなんて言うのはあまえだ」と言う。「できるできると言えばできるようになる」と言う。「いつもニコニコしていればいい」と言う。「鏡の法則が成り立っているから、まず、ゆずればいい」と言う。きれいごとが成り立つなら、兄貴がやめてくれなければならないんだよ。きちがい兄貴が、きちがい兄貴ではない、普通の兄貴になってくれなければならないんだよ。「勉強するから静かにしてくれ」と俺が言ったら、しずかにしてくれなければならないんだよ。それが成り立つなら、俺の側が、「きれいごとに」あわせることかできる。きれいごとにあわせられなくなったから、こまっているのに、きれいごとを、おおいかぶせてくる。きれいごとが成り立たないから、毎日、ぎりぎりの努力をしてボロボロになっている、さらに、きれいごとをおおいかぶせてくる。きれいごとで、きちがい兄貴を、きちがいではない兄貴にすることができるのか? 

おまえは!! そういうきれいごとを言う人は、俺のきちがい兄貴を、きちがいではない、普通の兄貴にすることができるのか? できないのであれば、だまっていろ!!!

おまえ、ほんとうに、あの朝を、数千日、経験してみろ。連続で数千日、経験してみろ。そんな、きれいごと、絶対に言えなくなる。「これはちがう」ということがわかる。そういうの……きれいごとやたてまえが……毎日毎日、きちがいヘビメタの音でふっとんじゃう。どれだけくるしい時間が続くか、ほんとうにわかってないな。わかってないやつが、「俺だってくるしいことはあった」とか「俺だって、騒音ぐらい経験した」とかということを言う。けど、きれいごとを言える状態なら、ほんとうに、たいした苦しみじゃなかったということだ。今現在、きれいごとを言える状態なら、過去における騒音は、たいした騒音じゃなかったということだ。そんなにひどい音ではなく、短い期間の騒音だったということだ。もし、俺とおなじぶんの騒音を、経験していたら、絶対に!くちがさけても!!!そんなことは、言えない。ボロボロになって、通えない状態になっている。本人が通える状態で、きれいごとを口にすることができるのであれば、それは、たいした騒音じゃなかったということだ。破壊されてないだろ。睡眠回路を破壊されてないだろ。人生ぜんぶを破壊されてないだろ。そんな、限定的な騒音と、俺の騒音……きちがい家族による、大音量の連続騒音を、いっしょにするな!! 俺に対して、失礼だ。俺とおなじ期間の長さ、俺とおなじ騒音を経験した人であって、なおかつ、通勤通学ができる人だけ、俺にきれいごとを言え!! 未成年で、家族にやられた。これが重要だ。俺とおなじ期間の長さと書いたけど、それだけではなくて、最低でも、一一歳から二〇歳まで、毎日、きちがい的な騒音を鳴らされたやつだけ、俺に説教をしろ。説教をできるたちばならばな!!!

 

 

2022年3月28日月曜日

「そんなのは、へんだから、ほんとうの話じゃないのだろう」

 ほんとうに、悪い意味で、きちがい的な親にたたられた人間が経験したことなんて、普通の人はわからない。わからないでものを言う。生まれの格差と言っているけど、生まれの格差には、主に、ふたつある。ひとつは、カネの格差。もうひとつは、親の格差だ。正確に言えば「親の性格」の格差だ。「の」が繰り返されるので、あんまり、そういうふうには言いたくないのだけど、「親の性格」の差がでかすぎる。これは、何度も言うけど、時間とともに、拡大していく。生まれの格差というと、生まれたときに固定して、あとはそんなに変わらないような感じがするかもしれないけど、そうじゃない。そうじゃないんだよ。親の頭が、わるーーい意味でおかしいばあい、むなくそわるい出来事が、積み重なっていくのである。で、普通の人は、わるーーい意味で、頭がおかしい親がどういう態度で、どういうことをするかなんて、まったく、わからない。これ、説明してもわからないんだよ。「そんなこと、ないんじゃないの」とか「なんか、誤解をしているのではないのか」とかと言われてしまう。

ともかく、積み重なることなんだよ。時間の経過とともに、わるい経験がつみかさなって、のすごい差になっていくわけ。まるで、そういうことがないような感覚で、生まれの格差・上の人と生まれの格差・中の人が、 生まれの格差下の人をののしる。無理解な発言をする。これ、親がおかしいのに、やられている子供のほうがおかしいような感じになってしまう。「そういうことがないような感覚」というのは、「そういうことが現実世界で発生しないという認識のもとに(子供側の発言を判断する)」ということだ。もっと平たく言うと、「そんなのは、へんだから、ほんとうの話じゃないのだろう」ということだ。

 

 

「におうから、片づけてくれ」と言われたときの親父の態度と「うるさいから、しずかにしてくれ」と言われたときの兄貴の態度が、おなじ

 親父がやったことで、俺に文句を言うな!!!と絶叫したくなるときがある。みんな、親父が認知症になったから、そういうことをしたと思っているのだけど、ちがうんだよ。もともと!の性格なんだよ!!! 認知症は関係がないの!! はっきり言えば、俺が、幼稚園児のときのほうが、ひどかったんだよ。親父がやったことのしりぬぐいで、俺が批判の矢面に立つのは、いやなんだよ。いつもいつも、いつも、いつも、いつも、そうなる。これ、きちがい親父がそうしようと計画をたててやったことじゃないんだよ。たとえば、俺がネズミ業者との折衝でこまるように、わざと、ネズミ工事に(ずっと反対した)というわけではないのだよ。けど、実際に、ネズミ工事の人がうちにくるとなると、そのときは、親父はうちにいないわけだから、俺が対応することになる。で、ダニだって、俺が気を遣わなければならない話になるんだぞ。ネズミの糞だって、俺が、気を遣わなければならない話になるんだぞ。そして、外に出ると、きちがい親父が、きちがい的な意地で植えた植木がたくさんある。そうなると、やぶ蚊がいっぱいいるということになる。業者の人がやぶ蚊に刺されて、「あっちで、話しましょう」と言って、道路に出て、うちからはなれて、話すことになるんだぞ。俺だって、蚊に刺されたくない。だから、「そとから見なくていい」と言ったのだけど、「それだと見積もりができない」というから、外に出たくないのに、出て話したんだ。俺だって刺されている。けど、業者の人が刺されると、俺が気を遣うんだよ。俺が気を遣うの……。そういうことが、多すぎた。で、ネズミ工事に反対しているときの親父に、どれだけなにを言っても、聞かないんだよ。普通人なら絶対に、あんなに、ネズミの糞がころがっているのに、気にしないなんてことはないんだよ。「ネズミの糞で病気になったらこまるだろ」と言ったって「ならないよ!ならないよ!」と気ちがいみたいに絶叫して終わりなんだ。けど、そういうところを見てない業者の人は、俺と、このうちで会うわけだから、「こんなところに住んでいる人がいるのか」みたいな感想をもつんだよ。蚊だって、ネズミだって、親父が、きちがい的な意地で原因をつくったの!! どれだけ言っても、聞かなかったの!! そして、普通の人の思考だと、「そんなことはないだろう」と思うの!!! 手短に言って、きちがい親父は、ネズミの糞で、病気になったのだと思う。糞じゃなくても、ネズミのばい菌で、急性胆嚢炎になったんだよ。ダニのことだって……。ダニのことだって……。言えば、きちがい的な意地で、否定する。これは、なんていうのかな、自分がやったことでもそうなんだよ。修正がきかない。たとえば、きちがい親父がきちがい的な意地で、酒糟がついた魚の切り身を、一日に二十三時間ぐらい、テーブルの上に置くことに固執した。きちがい親父が意地になってやったことなの。けど、入院したときに、「親父が、酒糟がついた魚の切り身を、一日に二三時間ぐらい、出しておいたから、ネズミがくるようになった」と言えば「出してないよぉ!!出してないよぉ!!」と絶叫するの。で、そのときの態度が、「酒糟のついた魚の切り身がにおうから、出しておかないでくれ」といったときの態度とおなじなんだよ。「におわないよぉ!におわないよぉ!」と発狂して怒鳴っておしまいなんだよ。基本的なところで、そういうことしかできない人なんだよ。自分にとって不都合なことを言われたら、感覚器が正常なら、否定できないことを言って、否定して、怒り狂って、相手が言った通りに動かないようにするんだよ。ぜんぶ、そうなんだよ。俺が幼稚園のときからそうなの!! おかあさんから聞いた話を考えると、俺が生まれるまえからそうなんだよ。そして、この親父の態度は、兄貴の態度おなじなの!! だから、俺が、ずっと、ひとから、誤解をうけるんだよ!! きちがい兄貴のヘビメタ騒音に対する態度が、きちがい親父のネズミに対する態度とおなじなの。「におうから、片づけてくれ」と言われたときの親父の態度と「うるさいから、しずかにしてくれ」と言われたときの兄貴の態度が、おなじなんだよ!! 俺が人から、誤解をうけるんだよ!!

 

 

2022年3月27日日曜日

日本でも闇が、負ける。闇の支配が終わる

いままでの延長線で、将来のことを考えることがはやっているけど、それはむりだ。ぼくにしても、いままでの延長線で、将来を考えなければならない部分がある。けど、ぼくの場合は、それは、かなり現実可能性が低いこととして認識している。これ、ほんとう、みんな、気づいてないけど、むりだ。もう、こうなってしまったら、いままでの延長線上にある未来というのはない。

リタイア計画をたてるとなると、どうしたって、いままでの延長線上にある未来を前提にして、計画をたてざるをえない。しかし、それがむだなのだ。未知の領域に入ろうとしている。世界は……。日本では、闇が支配しているけど、基本的には光が闇に勝った。なので、時間の問題で、日本でも闇が、負ける。闇の支配が終わる。

けど、移行期間の「つなひき」はある。



 

悪のシステムときれいごと


一段階目のやつが、二段階目のやつを踏んづける。二段階目のやつが、三段階目のやつを踏んづける。三段階目のやつが、四段階目のをやつを踏んづける。


もちろん、一段階目のやつは、二段階目のやつだけではなくて、三段階目のやつや四段階目のやつを踏んづけることができるし、実際、踏んづけている。
N段階目まであるとすると、N段階目のやつは、その上のすべてのやつらに踏んづけられたうえに、「踏んづけられるのが悪い」とせめられる。
こういう世界だ。そして、「いつもニコニコしていれば、しあわせになる」とか、「できると言えば、できる」とか「人に親切にすればしあわせになれる」とか「すべては受け止め方の問題だ」とかというきれいごとが、こういう世界を維持するためにつかわれる。


こういうきれいごとは、こういう支配体系と、セットになっている。補助システムなのである。言論だけではなくて、慈善団体や宗教団体が、このシステムを補助している。だから、N段階目のやつは、うかばれない。踏んづけられて、踏んづけられるからだめなんだと説教を食らい、まったく役に立たない助言をされる。役に立たないどころか、マイナスの助言をされる。

マイナスの助言というのは「いつもニコニコしていれば、しあわせになる」とか、「できると言えば、できる」とか「人に親切にすればしあわせになれる」とか「すべては受け止め方の問題だ」とかということだ。


これらは、N段階目の人の首をしめる。くるしめることにしか貢献しない。「いつもニコニコしていれば、しあわせになる」とか、「できると言えば、できる」とか「人に親切にすればしあわせになれる」とか「すべては受け止め方の問題だ」とかということが成り立つには、まず、こういう段階システムがなくなってないとだめなのだ。
こういう段階システムを維持したままそういうきれいごとを言うことは、こういう段階システムを、強化することになる。


N段階目の人だけではなくて、N-1段階目の人だって、N段階目の人のようにくるしい思いをしている。けど、N-1段階目の人は、N段階目の人には、いばれる。


N-1段階目の人は、N-2段階目以上の人にやられたことを、N段階目の人に、やることができる。踏みつけて、説教をして、ダメ出しをして、おまえが悪いからそういうことになると言って、すべては受け止め方の問題だと言って、いつもニコニコしていれば、しあわせになれると言うことができる。


実際には二段階目以下の人は、こういう状態だ。数はちがうけど、おなじことが成り立っている。一番上以外、幸福にしないシステム。それが、この世で採用されてきたシステムだ。

注意しなければならないことは、精神世界の人が普通に言っているきれいごとは、こういうシステムを、維持することに役立つということだ。こういうシステムが、より強固なものになってしまうのである。
 

2022年3月26日土曜日

言霊と段取り行動 言霊思考と条件の無視

 

 「言えば、言ったことが現実化する」というのは、「私は魔法が使える」と言っているのとおなじなのである。まるまるまると発言するだけで、現実にそうなると言っているのだから、魔法の呪文を唱えると、すべてが現実化すると言っているのとおなじだ。

言うだけで、そうなるのである。言えば、そうなるのである。だから、そういうことが現実化してほしい人は、そうなると「ひとこと」言えば、実際にそうなるのである。「ならないということはないのである」。

たとえば、私は天皇になると言えば、天皇になってしまうのである。言うだけで、天皇になる。実際に天皇になる。頭のなかで、天皇になるだけではなくて、現実世界で天皇になるのである。あるいは、私は、Aさんを天皇にすることができると言えば、できると言ったのだから、できるのである。そういう力をもっているということになる。なので、ほんとうは、「私」が考えたことは、すべて、実現化するということを言っている。そして、実現化させる方法は、言うということなのである。ただ単に、「言えば」そうなるのだから、言うだけで、現実化する。 

 

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言霊的なことを言う人たちは、自分のことについては、自分の条件について、知っているので、その条件を重視して、現実世界において重要な行動をすることになる。この、現実世界において重要な行動というのは、「言うこと」以外の行動だ。とりあえず、これを段取り行動ということにしよう。たとえば、おいしいカレーを食べたいとする。おいしいカレーを食べるには、「目の前においしいカレーがあらわれる」「私は目の前のカレーを食べることができる」と言えばいい。しかし、実際には「目の前においしいカレーがあらわれる」と言っても、目の前においしいカレーがあらわれることはない。それだけでは、おいしいカレーがあらわれない場合のほうが多い。だれかと打ち合わせをしておいて、私が「目の前においしいカレーがあらわれる」と言ったら、事前に作っておいたおいしいカレーを私の前に運んでくれと言っておけば、「目の前においしいカレーがあらわれる」と「言っただけ」で、おいいカレーがあらわれることになる。しかし、それは、例外だ。「目の前においしいカレーがあらわれる」と何千回言っても、「それだけ」では、おいしいカレーがあらわれることは、わずかな例外をのぞいてない。わずかな例外に関しても、事前に段取りをしておいたということにすぎない。実際には、おいしいカレーを食べたいと思ったときには、おいしいカレーをつくって食べるとか、おいしいカレーを食べさせてくれるレストランに行くとか、おいしいカレーを配達してくれるところに注文の電話をするということになる。それは、段取りでしょ。こういう段取り行動が必要だということは、「言っただけでは出てこない」ということが成り立っているということを意味している。そして、「言っただけでは出てこない」ということを言霊信者も知っているということを意味している。特別な段取りをすませておく場合を除いて、言霊信者だって、「言っただけでは出てこない」と言うことを知っているのだ。言霊信者だって、おいしいカレーを食べたいと思ったら、「目の前においしいカレーがあらわれる」ということを言わずに、おいしいカレーを提供している店に行くという行動をとったり、おいしいカレーを提供しているところに出前の電話をかけるという行動をとったり、あるいは、自分でおいしいカレーをつくるために、カレーの材料を買いに行ったり、あるいは、すでに買ってあるカレーの材料で、おいしいカレーをつくるということをする。実際には「言えばそうなるのだから、そうなるように言う」というような行動をとってない。「おいしいカレーを食べられる」と言えば、おいしいカレーが食べられるようになるのだから、「おいしいカレーを食べられる」と言うだけで、おいしいカレーが食べられなければならない。具体的には、目の前に、おいしいカレーがあらわれなければならない。実際には、さらに、おいしいカレーの一部を取り出し、くちまで運ぶというような行動や、くちのなかに入れたカレーの一部を咀嚼するという行動が必要になる。こういう、あたりまえの行動だって、できない人はできない。これは、できない人には、できる条件がかけていると表現してもいい。自分の手を動かさず、「カレーよ、私の口の中に入っておいで」と言えば、カレーが勝手に口の中に入ってくるということは、普通の場合はない。そして、普通の場合はないということを、普通の言霊信者は知っている。しかし、「言えば、現実化する」ということを言う。「言えば、現実化する」のであれば、おいしいカレーを食べるには、まず、目の前においしいカレーがあらわれる」と言ったあと、私の口の中に入っておいで」と言えばいいということになる。それ以外の方法は「必要がない」のである。……もしかりに、言霊信者が言うように「言えば、現実化する」と言うことが真実であるのであれば、そうなる。ところが、言霊信者は、「言っても、現実化しない」ということを知っているので、言霊信者にしても、おいしいれカレーが食べたくなったら、具体的な段取り行動をするということになる。どの、段取り行動が選ばれるかは、その人が抱えている条件によってちがう。そして、条件を判断したあと、本人にとって最適な、あるいは、本人が最適だと思うような段取り行動をするということになる。なのであれば、現実化させているのは、実際の段取り行動だということになる。「言うこと」とはまったく関係がない「段取り行動」をするということが、現実化させている。なにを現実化させているかというと、その人の、願いだ。この場合は「おいしいカレーを食べたい」という願いを、この人が、実際の段取り行動をすることによって、現実化させている。言霊信者さえも、じつは、そういうことをしている。考えるまでもなく、自分の『条件』を考えて、どういう段取り行動がふさわしいかを判断して、「自分がその時点でふさわしいと思った」段取り行動をするから、願いが叶うのだ。けっして、言っただけでは、かなわない。しかし、言霊信者の場合、たとえば、「私はおいしいカレーを食べる」と言ったあと、「自分がその時点でふさわしいと思った」段取り行動をしはじめるのである。そうすれば、「言ったから、現実化した」と考えることができる。「私はおいしいカレーを食べる」と言ったから、おいしいカレーが食べられたと考えることができる。本人のなかでは、言ったから、現実化したということになる。しかし、その人は、自分が実際に段取り行動をしたということを無視している。そして、段取り行動が可能でなければ、おいしいカレーを食べることができなかったということを、無視してしまう。

 

 

2022年3月24日木曜日

悪が支配していたということを、認めずに、あるいは、無視して、「精神世界の話」をすると、全部、まちがうことになる

 いままで、悪が支配していたということは、肝に銘じなければならない。ところが、いままで、悪が支配していたということを、認めずに、あるいは、無視して、「精神世界の話」をすると、全部、まちがうことになる。無視してはいけないことだ。これからは、ひかりの時代になるのだから、そんなのは関係がないとは、言えない。悪が支配していた社会に住んでいて、その社会の構成員なのに、あたかも、悪が支配してないかのようなことを言うのは、まちがっている。引き寄せ、言霊、思ったことは現実化する(ぼくの言葉で、思霊)というのは、「悪が支配していた」ということを無視してしまっている。だから、悪のなかの「きれいごと」になってしまう。これでは、悪の支配者が発しているメッセージとおなじになってしまう。悪の支配者が、悪の支配者にとって都合がいいことを、ささやき続けてきた。それらは、けっして、悪く見えないのである。ポジティブ思考、プラグマティズム、アドラー心理学、成功哲学、全部が全部、悪の側の、都合がいい、きれいごとだ。なぜ!! なぜ!! 実際にはある格差を無視してしまうのか? 生まれの格差を無視してしまうのか。あたかも、生まれの格差がないような前提で、きれいごとを言うことは、じつは、悪いことなのである。神の光がとどかない世界を維持しようとするたくらみなのである。悪魔のささやきというのは、けっして、悪いように聞こえないのである。悪魔に感情を支配されている人は、ポジティブ思考、プラグマティズム、アドラー心理学、成功哲学、に価値があると思っているのである。そうやって、積極的に、自分の思いをとおそうとする。けど、それが、じつは、悪になる。とくに、人が抱えているハンディを無視して、きれいごとを語ることは、むしろ、悪いことなのである。まず、これに気がつかないと、一切合切、よくならない。社会はよくならない。地球はよくならない。人間はよくならない。

友だちと、えらく差がついてしまったなぁ

 ヘビメタ騒音がはじまってから、ほんとうに、ズタボロなんだよな。すべてがズタボロだ。睡眠回路を子をされたのが一番でかいけど、勉強時間も、すべての楽しい時間も、うばわれた。ヘビメタ! ヘビメタ! ヘビメタ! の人生。友だちと、えらく差がついてしまったなぁ。

ほんとう、体力も、恋愛の機会も全部、うばわれた。あの騒音のなかで、女の人と付き合っても、うまくいかない。ぼろくそにしんどい。そして、ほかの人はわからないと思うけど、一定の期間続いてしまったら、鳴り終わっても、鳴らされて続けているのとおなじような、身体状態になる。眠るべき時間に眠れないからだになる。つねに、ボロボロにつかれているからだになる。一定の期間って、だいたい一〇年間毎日だ。 

ともかく、つまらない。ともかく、つかれた。ともかく、ヘビメタ騒音でくるしい。ずっと、くるしい。切れ目なく、ずっとくるしい。だれにも、わからない。

正直言って、つかれた。

 正直言って、つかれた。

眠たくはないし、買い物にも行きたくはない。なんか、きのうと、今日と、寒い。このあいだ、やたらとあたたかくなったのだけど……最近、寒くなっている。

二階のドアの下に、両面テープを使ってプラダンを貼っておいた。切って加工したけど……。めんどうであった。しかも、あの作業をすると、あそこで、床と顔が近くなる。そうなると、ダニに刺される可能性が高くなるのでいやなのだ。どうも、だいじょうぶだったみたいだ。

ほんとうは、いきいきと引っ越しの段取りをしなければならないのだけど、元気がない。気力がない。きちがい親父とネズミとダニに最後の気力をもっていかれた。気力が減ってしまったのは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音だ。ともかく、つかれた。

 

2022年3月23日水曜日

まじで、飢え死にでおどす社会が終わるよ~~

 まじで、飢え死にでおどす社会が終わるよ~~。終わることは決定しているよ~~。問題は、移行期間と、移行期間の長さだ。移行期間の長さは、個々人の人生に決定的な影響をあたえる。けど、飢え死にでおどす社会は、そのうちに、おわる。

飢え死にでおどす社会というのは、働かないやつは飢え死にするがいいというコンセプトによって成り立つ社会だ。ようするに、「働かざるもの食わざるべし」が基本的なルールとして実行されている社会だ。こういう社会に生きてきた。

しかし、これは、そのうち、ほんとうに終わる。

成人したら、関係がない」というようなことが言われる。ようするに、二〇歳になった瞬間に、いままでのことは「なにしなる」ということだ。

しかし、これが嘘なのだ。

生まれの格差というのは、時間の経過とともに、拡大していく。これはもう、幾何級数的に拡大していくと言っていい。

どういうことかと言うと、「生まれの格差・下」の人は、悪い出来事を経験して、悪い出来事がつみかさなり、「生まれの格差・上」の人はいい出来事を経験して、いい出来事がつみかさなるということだ。

時間の経過とともに、経験がつもっていくのである。悪い経験は、次の悪い経験をうみだす下地になるので、幾何級数的に、格差が拡大していく。生まれ落ちた時点の「格差」がそのまま続くようなことを考えている人たちがいると思うけど、それは、ちがう。

生まれ落ちた時点の格差が「格差」がひろがっていくのが、この世なのである。この、悪に支配された世界なのである。最初から、拡大するようにできているのであって、最大限の努力をしても、拡大していく。圧倒的な力で拡大していく……そういうふうにできている。

「意志」の力で、拡大を最小限にするということもできない。「意志」の力で、逆転するなんてことはもっとできない。この、意志の力というのも、じつは、優位に立つ人が、作り上げた幻想なのだ。

ていのいい嘘なのだ。

成功者はいるというかもしれないけど、詐欺行為で成り上がったような人たちばかりだ。

こういうのは、生まれの格差を克服したとは言えない。それに、ぼくが言っているのは、親の格差とおカネの格差だ。このふたつをあわせて、「生まれの格差」と言っている。

言霊や認知療法の理論、アドラー心理学の理論、意志教は、じつは、悪い社会を維持することに役立つ。悪い社会をこわすような要素というのがない。これにさらに、寄付行為と「経済的に成功しさえすればいい」というような意味での「成り上がり思考」も、悪い社会をこわすような要素というのがない。

生まれの格差が、幾何級数的に拡大する社会を「維持する」のに役立つだけで、生まれの格差の問題を解決することはない。これは、ワクチンとおなじような構造をもっている。(ワクチンに関してはここでは書かない)。

ともかく、努力で、格差を縮めることができるというような考え方は、じつは、格差がある社会を是認して、維持することにだけ寄与する。

個人史的には、不利な状態で生まれた人は、不利な出来事をたくさん経験するようにできているし、有利な状態で生まれた人は、有利な出来事をたくさん経験するようにできている。

逆はない。

常に、不利な状態で生まれた人には、不利で不愉快な経験がつみかさなり、有利な状態で生まれた人には、有利で楽しい経験がつみかさなるようにできている。

もちろん、「悪が支配する」社会だから、転落はある。他人をおおく蹴落とした人が勝ちというルールが成り立っている社会なので、有利な状態で生まれても、蹴落とされる可能性はある。

なので、「有利な状態で生まれた人には、有利で楽しい経験がつみかさなるようにできている」とは言えないと考えるかもしれないが、それはちがう。

有利な状態で生まれても、蹴落とされる可能性はあるけど、その可能性は、不利な状態で生まれた人が蹴落とされる可能性よりも、低いのである。こういうところで、有利な状態で生まれた人のほうが、有利なのだ。

地合いが「黒」であるといこうことは、非常に重要なことだ。しかし、地合いが黒であることは、たとえば、努力について語られるときは、無視されてしまう。

つねに、そういうトリックがある。努力という軸を考えた場合、努力をする人間と努力をしない人間という二種類の人間にわけられる。そして、努力をする人間についても、ものすごく努力する人と、たいして努力しない人の段階ができあがる。

ようするに、努力という軸考えた時点で、努力という軸だけで、すべてのことが「努力のありなし」や、「努力の段階」で、説明されることになるのである。「地合いが黒」であることは、少しは関係があるかもしれないけど、関係があったとしても、たいして関係がないということで、無視されてしまう。

生まれの格差に関しても、少しは関係があるかもしれないけど、関係があったとしても、たいして関係がないということで、無視されてしまう。「努力の軸」だけを考えれば、ほかのことは、はるか後方にしりぞいて、影響をあたえないものになってしまうのである。

しかし、実際には、努力の軸よりも、生まれの格差や、地合いが黒であるか白であるかということが、影響をあたえる。その人の人生や現在の立場に影響をあたえる。努力の軸というのは、生まれの格差の一要素でしかない。

努力の軸というのは、地合いが黒のなかで、意味をなすので、地合いが黒であるということのなかに、含まれている。

ようするに、努力の軸のほうが、生まれの格差や地合いが黒であるということよりも、小さいのである。努力の軸のなかに、生まれの格差や地合いが黒であることが含まれているのではなくて、生まれの格差や地合いが黒であるということのなかに、努力の軸が含まれている。努力の軸というのは、人生の格差や、地合いが黒であるということを前提にした話なのだ。

どっちが前提なのかということは、ものすごく重要なことだ。

しかし、努力について語っているときは、努力ですべてが決まると言って、どっちが前提なのかということについては、話さない。

あるいは、文脈のなかで無視をする。たとえば、生まれの格差などというものは、努力でねじ伏せることができるものであるということが言われる。おなじように、地合いが黒であるということも、たゆまない努力でねじ伏せることができるということが言われる。

まあ、「地合いが黒」なんて表現は使わないけどね……。努力教徒は、努力をすれば「そんなのは」どうにでもなるという主張をする……。努力と言ってきたけど、努力を「意志の力」と言い換えてもまったくおなじことが成り立つ。意志教徒は、意志が強ければ「そんなのは」どうにでもなるという主張をする。

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地合いが白になれば、そもそも、他人を蹴落とす必要がなくなる。飢え死にするかもしれないから、働かなければならないと思うことがなくなる。

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ワクチンに関してはほかのところで書くことにした。 

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2022年3月22日火曜日

ああいうノリになってしまうのはおかしい

 死ぬわけにもいかないし……。けど、すごいテクノロジーでわかがえったとしても、たいして、かわりがないんだよな。失敗したなぁ。やっぱり、前日の騒音がこたえているんだよなぁ。どうしても、あれ、無理やりにポジティブな気持をもとうとすると、失敗する。その手の失敗なんだよな。騒音が半日あると、もう半日に影響をあたえる。不可避的でのがれならない。寝不足で、むりやり、モチベーションをあげようとすると、いいことにならない。人を巻き込んで、いいことにならない。ああいうノリになってしまうのはおかしいんだよな。いろいろとあって……つまり、騒音の影響をうけた体をひきずって行動していると……「もう、人はいいや(もう、人づきあいはいいや)」と思うようなことが発生する。そういう体験が、騒音生活のなかで、積み重なっていく。

 

この世のきれいごとは、じつは、ものすごく、きたないしくみのうえに成り立っている……地合いが黒なので

わかったようなことを言う人たちは、全員、悪に奉仕をしている。この世のきれいごとは、じつは、ものすごく、きたないしくみのうえに成り立っている。きれいごとではなくて、きたないことだったのだ。あっているようで、まったくあってないものだったのだ。道徳的なようでいて、ものすごく非道徳的なものだったのだ。

地合いが黒であることと、生まれの格差を無視した言説というのは、全部、まちがっている。地合いが黒であることと、生まれの格差を無視するな。サイコパスの支配構造を維持することに親和的な価値観というのは、全部、悪。 地合いが黒であることと、生まれの格差を無視して、きれいごとを言う人たちは、みんな、悪に奉仕している。本人がそれを自覚しているかどうかは別にして、悪に奉仕している。悪の構造を維持するために役立っている。

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できないからこまっているのに、できるようにすればいいという「クソ禅問答」。 しかも、地合いが黒であるということと、生まれの格差は、無視されている。

 

他人のうえに、非科学的な『意志の力』という幻想をおしつけるな

 

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地合いが黒であることや、生まれの格差を無視して、「言ったことが現実化する」「思ったことが現実化する」ということは 「強い意志をもてば、自分のことはすべて制御できる」ということと、かぶる部分がある。

「(自分は)ヤコブ病にならない」と言えば、ヤコブ病にならないのだし、「(自分は)ヤコブ病にならない」思えば、プリオンたんぱく質なんてまったく関係なく、ヤコブ病にならないのだ。「ヤコブ病にならないという、強い意志をもてば、自分はヤコブ病にならない」のである。

どうしてなら、自分のからだのことは自分の意志で制御できるからだ。

『自分のからだなのに、自分の意志で制御できないなんてことはない』と考えているからだ。本人が、自分ことについて、そう思うのは、別にどうでもいいけど、本人が他人に「強い意志をもてば、自分のことはすべて制御できる」という考えをおしつけるのは問題がある。

そして、「自分のからだなのに、自分の意志で制御できないなんてことはないのだから、自分のからだを自分の制御できないなんてことを言うのはあまえだ」と他人を侮辱するのはよくないことだ。これ、侮辱なのである。

意志教徒と意志教徒ではない人は、見えているものがちがうのである。逆に言えば、「無視している部分」がちがう。相手ということを考えると、相手の身の上にしょうじている物理的な現象を無視してしまうというのは、失礼なことなのである。

これ、ほんとうに、頭にくる。他人のうえに、非科学的な『意志の力』という幻想をおしつけるな。そういう幻想のうえに成り立つ侮辱的な発言をするな。 

これほんとうに、他人が抱えているものが「見えてないだけ」なのである。そういう、傲慢なところがある。地合いが黒なのだから、こういう考え方に基づいた他人に対するアドバイスは、侮辱的なものになる。

これ、種明かしをされてみれば、なんてことはないトリックだったのだ。きれいごとが、悪い支配構造を維持するために役立っているだけだ。押しつけられたほうは、自殺するしかないというところまで、おいつめられる。これが悪ではなくてなんだ。これが、善であるように見えてしまうところに問題がある。

 

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2022年3月20日日曜日

できないからこまっているのに、できるようにすればいいという「クソ禅問答」

 いろいろと、説明するとなるとめんどうなことがしょうじるのだけど、いちおう、気楽に言っておくと、これからは、ひかりの時代になるので、さまざまなことが解決される可能性があるということだ。

もちろん、ひとによって、からだの問題が異なるので、ひとによって見える光景がちがう。ちがうんだ。けど、「方向性」としては、ひかりのほうに行くということだ。

いままで、ぼくは、地合いが黒とか、地合いが白と言ってきたのだけど、これは、そのまま地合いが闇、地合いがひかりと言い換えることができる。

これからは、いままでの常識がくずれて、(まるまるをからだに入れてない人は)生きやすい状態になる。けど、ぼくは、ここにたどりつくまでに、いろいろなことを経験しすぎた。からだの問題が異なるので、人によって見える光景がちがうと言ったでしょ。

ぼくにもそれが成り立つ。

からだの問題は、大きな問題だ。

もちろん、本人の意思ではどうにもならない!脳みその問題なども含まれる。これ、「意欲」とか「やる気」というのは、本人の意思とは関係がない脳みその物理的な都合で決まってしまうところが大きい。

しかし、意志教徒は、それを無視する。どうしてなら、脳みその物理的な都合まで、「意志」で制御できると思っているからだ。「制御できないなんていうのは、あまえだ」と思っているからだ。

けど、そういうふう思っている人だって、じつは、脳内で大きな血管が破裂すれば、動かせない部分が出てくる。あんまり言いたくない名称の物質が、脳内で増えれば、「意志とは関係がなく」ヤコブ病になってしまう。

まあ、たとえば、プリオンたんぱく質という物質がある。これは、ヤコブ病の原因になる。その場合、脳内のプリオンたんぱく質の増殖を、意志によって妨げることができるかというと、できないのだ。

まあ、意志の力で「よくなる」場合もあるだろう。奇跡が起きればね。

けど、それって、ほんとうに「意志の力」なのかな?

物理的なしくみが成り立っているから、なんらかの理由で、プリオンたんぱく質が急激に減ってなくなったのだろう。もし、復活するなら……。たとえば、プリオンたんぱく質を分解する物質が脳みそに入ってきたり、あるいは、免疫システムがプリオンたんぱく質を分解するのを助ける物質が入ってきたりして、実際にプリオンたんぱく質が減ったから、復活したのだ思う。

というわけで、からだの生化学的な物理的な事柄の進行に関しては、じつは「意志」で制御することができない。

けど、意志教徒はそれを認めない。意志教徒が信じているぶんには問題がない。けど、意志教徒が、そういうでたらめな意見を人におしつけると問題がしょうじる。

あるいは、ほんとうは、非合理的なことを言っているのにもかかわらず、合理的な装いをまとうと問題がしょうじる。まあ、手短に言うと、人におしつけるなということになる。ほんとうは、意志で制御できる部分というのは、限られているのに、あたかも、自分のことならすべて意志で制御できるという考え方がある。

この考え方は、一種の宗教的な信仰だ。生化学的な物理法則を無視しているのである。だから、ある意志教徒が、他者に向かって、「自分のことは、自分のことなのだから、すべて自分の意志で制御できるはずだ」という前提でものを言いだすと、問題がしょうじる。

はっきり言えば、めいわくなんだよ。「自分のことは、すべて、自分の意志で制御できる」という前提は、ほかの人にとって迷惑な前提なんだよ。

そして、じつは、非科学的だ。ところが、意志教徒のなかでは、「そういうこと」は科学的なことだということになっている。ほんとうは、非科学的な信仰なのに、科学だと言い切ってしまう意志教徒が、いかに多いか? めいわくなの! 

意志教徒こそが、あまえている。意志教徒にあまえていると言われてるものがもっとも、独立していて、もっとも、あまえていない。意志教徒は、自分の有利な立場を使って、人をののしっているような人間だ。生まれもった自分の有利な立場を利用して、不利な立場の人に無理難題を押し付けて、いい気になっているだけのサイコパスだ。 

じつは、言霊信仰や「思ったことは現実化する」という意味での思霊信仰は、意志教と同じ問題をもっている。


2022年3月19日土曜日

破滅的な気分のなかで、きちがいヘビメタを大音量で聞かされるといこうとになってしまう

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ほんとうにヘビメタ騒音がひどかった。どうしても、くるしい。どれだけ「やめてくれ」と絶叫しても、やめてくれなかった。あのときの、破滅的な気分と言ったらない。ヘビメタ騒音でトラブルが生じているから、「やめてくれ」と言っているのに、あのきちがいが……。ぜーーったいにやめてくれなかった。そうなると、破滅的な気分のなかで、きちがいヘビメタを大音量で聞かされるといこうとになってしまうのである。それが、どういう体験なのか、ほかの人にはわからない。影響をあたえないわけがないだろ。そんなのが毎日、何年間も続いて、いいわけがないだろ。経験がない人が、経験がないから「関係がない」「過去のことだから影響がない」と言っているだけだ。関係があるに決まっているだろ。影響があるに決まっているだろ。

 

 

「ポジティブのほうがネガティブよりいい」とか「効率的なほうが、非効率的な場合より、すぐれている」とか

それからちょっと言っておくけど、「ポジティブか」「ネガティブか」が価値基準の支柱になってしまうのは、よくないことだ。それは人間のこころを貧しくする。おなじように「効率的か」「非効率的か」が価値基準の支柱になってしまうのは、よくないことだ。それは人間のこころを貧しくする。

けど、悪が支配するこの世では、「ポジティブのほうがネガティブよりいい」とか「効率的なほうが、非効率的な場合より、すぐれている」とかということが言われる。

けど、これは、「すべての状態において」成り立つことではない。

けど、「すべての状態において成り立つことではないけど」というようなまえおきを置かないで、そういうことを言う。言っている人も、実際に、「すべての場合においてポジティブなほうがネガティブなほうよりもすぐれている」と思っているし「すべての場合において、効率的なほうが、非効率的な場合より、すぐれている」と特に意識することなく思っている。

効率的か非効率的かということを考える場合、じつは、視点が限られている。

ひとつの点において、効率性を優先すると、不可避的で連鎖的な一連の出来事がしょうじて、じつは、ある部分を阻害する。そのある部分というのは(その視点から見ると)非効率的なものであるかもしれないけど、じつは、こころの安定にとって必要なものだったりするのだ。

ならば、こころの安定という視点を導入すればいいということになるかもしれないけど、複数の視点について考えたとしても、個々の視点が、個々の視点である限り、ひとつの視点を導入したときおなじ問題がしょうじる。

複数の視点を導入しても、不可避的で連鎖的な一連の出来事がしょうじてしまう。不可避的で連鎖的な一連の出来事がしょうじてしまうと、導入されなかった視点から見ると、ネガティブなことがしょうじているということになってしまう。

この場合は、ネガティブなことというのは、非効率的なことと言い換えてもいい。ふたつの視点を導入したときに、ほんとうに、そのふたつの視点が両立するのかという問題も含まれている。

おなじことなんだけど、そういうことだ。

そうなると、優先順位をつけるということになる。優先順位をつけるということは、優先順位をつけるという上位の視点を導入したことになる。

なので、けっきょく、こういう問題を解決できない。


2022年3月18日金曜日

生まれの格差格差を無視した「幸福論」はすべて、うそ

生まれの格差格差を無視した「幸福論」はすべて、うそだ。眉唾物だ。

おなじように、生まれの格差を無視した成功法則は、うそだ。

生まれの格差を無視した「言霊の理論」はすべて、うそだ。

生まれの格差を無視した「認知療法の理論」はすべて、うそだ。生まれの格差を無視した「精神世界の話」はすべて、うそだ。

生まれの格差を無視して、「ポジティブだ」とか「ネガティブだ」と言っているものは、すべて、うそ。幻影。その人たちの勝手な妄想。

たぶん、そういう妄想が「いまの自分」にとって都合がいいものなのだろう。そういうレベルの話だ。成人するまでに経験したことが、成人したあとは関係がないなどいうことはない。成人するまでに経験したことは、そのあとの人生すべてに影響をあたえる。

生まれの格差というのは、なにも、経済的なことだけではない。どういう親の元に生まれたかということが、基本的な「格差」になる。この格差の上に、人格が成り立って、人生じょうのさまざまなな経験が発生するわけだから、影響がないということはない。

時期的に、ここまでなら、影響があるけど、ここからは影響がないと言えるようなものではない。上記の妄想をとなえる人たちは、よく、「大人になったら関係がない」ということを言うけど、それ自体も、まちがっている。

彼らが、そういう境遇のもとに生まれたということを意味しているだけだ。ようするに、「生まれの格差・上」か「生まれの格差・中」だから、そういうことを言える。「生まれの格差・下」の人が経験してきたことを経験してないので、想像上の経験になってしまうのである。

「生まれの格差・上」か「生まれの格差・中」の人が考える「生まれの格差・下」の人の経験というのは、「生まれの格差・上」か「生まれの格差・中」の人が、頭の中で想像した経験でしかない。これは、自己満足や自己優越感を感じることなので、「生まれの格差・上」か「生まれの格差・中」の人にとって都合がよいことなのだ。

じつは、逆のことも言える。「生まれの格差・下」の人が考える「生まれの格差・上」と「生まれの格差・中」の人の経験というのは、「生まれの格差・下」の人が、頭の中で想像した経験でしかない。しかし、それは、この世で、「生まれの格差・下」にとって、都合がいいものではない。


2022年3月16日水曜日

これは社会的な偏見だから、その社会に住んでいる人はみんなもっている偏見だ

 いままで、引きこもりや無職のために、がんばって、たたかってきたけど、もう、いいかなという感じがする。ほんとうに差別されているのは、「そんなことはないだろう」と思えるような属性をもった人たちなのだ。たとえば、外国人の差別撤廃とか障碍者の差別撤廃とか、言いやすいだろ。言いやすくなっているということは、差別がほとんどないということだ。逆差別すら、場合によっては生じてしまう状態だ。「差別撤廃」と言いやすいところは、もう、じゅうぶんに「たがやされている」ところ……「その主張が通りやすいところ」だ。そうじゃなくて、言いにくい感じがするところには、差別がある。これがわかってないんだよな。佐藤のような、俗物は。だってそうだろ。どれだけ、障碍者の差別撤廃をうったえていたって、本人は、無職や引きこもりに、俗物的な差別心をもっているわけだからさ。俗物と書いたけど、「ぼんじん」と書いてもいい。普通の人……。普通の人がもっているような差別心がある。その差別心は当たり前すぎて、差別だと感じないのである。逆に「無職だっていい」「ひきこもりだっていい」と言うことには、抵抗があるだろ。抵抗はどういう抵抗なのか? 自分のなかに、そういう人たちを「下に見る」というしくみがあるから、肯定できないことになっている。

けど、もう、ひかりの時代がくる。ひかりの時代になれば、少しずつかわっていく。ぼくの役目は終わったかな。まあ、自分が差別されたということが、実際の原動力であることは、否定しないよ。けど、これが、ヘビメタ騒音でしょうじたことなんだよ。ぼくの個人史ではそうだ。ヘビメタで、働けない体になったから無職になった。ヘビメタで、ひととのまじわりが、なくなってしまったので、ひきこもりになった。これは、おのおの、定義に合致するという意味で、無職であり、引きこもりなのである。この無職であるという属性や、引きこもりであるという属性は、本来は、ぼくには関係がないことだ。……もうちょっと正確に言うと、 無職であるという属性や、引きこもりであるという属性から「ふつうのひとなかに」しょうじる、ある種の偏見と、ぼくがぼくであるという意味でのぼくという存在との関係を考えてみると、「ふつうのひとなかに」しょうじる、ある種の偏見はぼくという存在そのものとは関係がないのである。わかるかな? 勝手に、こいつら……じゃなかった、凡人……じゃなかった……普通の人が、それぞれ、「無職」や「ひきこもり」に対して、ごく普通の偏見をもっているということだけなのである。この偏見は、だれにでもある偏見だ。ぼくにだってあるのだ。ぼくは意識しているけどね。そして、その偏見にやられないようにしてきたけどね……。これは社会的な偏見だから、その社会に住んでいる人はみんなもっている偏見だ。みんながもっているのであれば、「偏見」ではないのではないかということが、言えそうだけど、その問題はここでは、あつかわない。みんながもっていて、みんなが、特に偏見だとは思ってない偏見……こういうものを、ぼくはあつかってきたのだ。あつかいやすいものをあつかってきたわけじゃない。もう、公民権をもっている「差別に関する言論」をあつかってきたわけじゃないのだ。わっかっるっかっな?

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きちがい的な家族が、きちがい的な意地で、きちがい的にでかい音で、ヘビメタを鳴らし続けたら……そういう毎日が何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も……続いたら、だれもが、通勤できなくなるのに、本当にそういうことがわかってない。かりにぼくが、「誰もが通勤でなくなる」と言ったとしても、実際に経験してないやつは、そう考えない。そいつは、自分なら通勤できると考えてしまう。あるいは、蚊のことが現在に影響をあたえるはずがないという、まちがった考え方にとりつかれていて、そういうふうに考えてしまう。ばかなんだよ。こいつらが、ばか。 

まったく、意味合いがわかってないんだよな。こんなやつら……。きちがいヘビメタがなかったら、相手にもしてやらないやつらなのに……。ほんとうに、ばか。思考力がない。人の立場に立って考えることができないやつ。そいつらが、俺のことをコミュ障だという。どうしてなら、エイリさんは引きこもりだからだ。引きこもりならコミュ障だという、まちがった考え方にとらわれているのだ。さらに、そういう考え方が間違いだということに気がつかないレベルのバカ。思考力のなさ。ほんとうに、きちがい兄貴にやられなかったら、こんなことになってない。さらに言っておくと、ぼくは別にたましいの学習のために、こういう環境を選んで生まれてきたわけじゃない。これも、そういう考えをもっている人は自動的にそう考えて、あほなことを言ってくる。たましいとか、うまれかわりということを考えてもいいけど、その場合でも、じつは、ランダムなんだよ。特に、意味がないわけ。ほんとうは、ぼくの環境が君の環境であった可能性もあるわけ。まったく、わかってないね。ある人がいたとしよう。その人がぼくの環境で育ったなら、やはり、通勤できないからだになる。ぼくだって、きちがい兄貴という「環境の要素」がなかったら、通勤できないからだにはなってなかった。ようするに、君だって、ぼくの環境なら、通勤できないからだになっていた。高校を卒業したとき、通勤できるからだだったということは、たまたま、『きちがい兄貴』という予想がなかったからだ。それなのに、まるで、自分が(エイリにくらべて)すぐれていると思って「人間は働くべきだ」と説教をしてしまう、底の浅いやつ。くそばか。こんなやつばかりの世界で、生きていたくないと思うのは、当然のことだ。佐藤みたいなやつは、そういうことを理解する頭がない。なんで、そこまで、横柄になれるのか。ばかすぎてはなしにもならない。

しかし、どうだ? 当時の状況を考えると、ほとんどの人が「佐藤さんのほうが正しい」と思ってしまうような状況だった。インターネットの発達で通勤できなくても、働けるようになったけど、当時は、働くというのは、通勤して働くということだった。もちろん、当時だって自営業というのはある。しかし、それだって、それなりの資本と社会経験(通勤歴)が必要だったのである。それなりの資本と社会経験(通勤歴)がないやつが、働けるような状態じゃなかった。当時は、働くというのは、通勤して働くということだったのである。

 

「元気だ元気だと言えば、元気が出る」なんて、言えない状態になる

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うんと手短に言ってしまうと、「元気だ元気だと言えば、元気が出る」と言っている人が経験した「困難」と、ぼくが経験した「困難」が困難の質において違うのではないかと思う。きちがい家族による頑固な、そして、自覚がないきちがい的にでかい騒音が毎日続くというのは、その人たちが、想像できない困難なのである。どうしてそういうことが言えるかというと、もし、きちがい家族によるヘビメタ騒音という困難を経験したなら……ずっと毎日、何年間も何年間も経験し続けたなら「元気だ元気だと言えば、元気が出る」なんて、言えない状態になるからだ。ぜんぜんちがうということに、気がつくだろう。何千日目に気がつくかは別にして。「元気だ元気だと言えば、元気が出る」と言っていられるということが、そういうことを明示している。そんなことは、言ってられなくなる。くるしくてくるしくてたまらない状態になる。

 

2022年3月15日火曜日

それらは、しつこくしつこく、俺が試してみて、負の効果しかなかったことだ。(2)

ヘビメタ騒音期間中はだめなのだ。ヘビメタ騒音期間が約十五年間と長いので、そのあとも、ヘビメタ騒音期間中とおなじ状態ですごすことになる。これが、ほかの人にはわからないんだよな。鳴り終わったのであれば、鳴り終わったのだから、影響はないと考えてしまう。けど、十五年間も毎日、やられたことが影響をあたえないなんてことはない。している。ともかく、言霊を信じている人には、きちがい兄貴がいなかったし、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音という出来事もしょうじなかった。……なので、わかってない。なので、自分のからだをとおして、わかってない。自分の経験をとおして、わかってない。わかってないので、影響を無視する。無視したところで「元気だ元気だと言えば元気になる」ということを言う。無視するな・・という気持ちが……こっちにはしょうじる。いずれにせよ、つきあえない。相手がのぞんでいるかいとうは「元気だ元気だと言ったら元気になりましたよ」ということだ。あるいは、ぼくが、実際に元気になっているということだ。「元気だ元気だと言えば元気になる」というすごいことを教えてあげたにもかがらず、元気じゃないというのは、言ってみればゆるしがたいことなのである。「なんで、おしえてあげたのにそうしないんだ」と思ったりする。言ったあと、ぼくが元気じゃないと、ぼくが元気じゃないということに不満を持ってしまうのだ。なので、対応としては、元気になってないけど、元気になったというようなふりをしなければならなくなってしまうのである。つきあうとするとそうなる……。けど、これは、よけいにつかれる。けど、言霊ではないけど、人間というのは、ある程度、ポジティブな状態を維持しているようしていなければならないのである。きちがいヘビメタが鳴ってない状態なら、そういうふりもできるけど、ヘビメタが毎日鳴っている状態だと、そういうふりをする期間にも上限ができてしまう。ヘビメタ騒音がはじまってからの期間と、ヘビメタ騒音がはじまるまえの期間をくらべると、普通の人の感覚というのは、ぼくにとってヘビメタ騒音がはじまるまえの期間の感覚に近い。だいたいおなじだ。ヘビメタ騒音がほんとうに毎日鳴ってからは、つかれ方がちがうのである。別次元のつかれ方なんだよ。きちがいが横の部屋で毎日同じ時間にずっとヘビメタを鳴らしているという状態になるまでは、なにか不愉快な出来事があっても、時間がたてば、それなりに復活できた。けど、それが、できくなるのが、ヘビメタ騒音なのである。で、これは、ほんとうに毎日やられるということが続かないとわからない……。経験的にわからない。言霊的な助言をする人は、わかってない人だ。

実際に鳴っていたということが重要なのに、鳴っている毎日を実際に経験した人と、鳴っている毎日を実際には経験しなかった人が、毎日、鳴っているとどういう効果がしょうじるかについて話をしているということになってしまう。鳴っている毎日を経験しなかった人が、その効果を推し量って、好き勝手なことを言うわけだ。推し量って言っているだけなのだけど、知らないという意味で、それは、確信なのだ。ようするに、『影響があるはずがない』という考え方が成り立っている。その影響というのはあったとしても、「元気だ元気だ」と言えば、完全に打ち消せるような『小さな影響』なのだ。鳴らされてない人にとっては、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音は、そういうことが起こらなかったのだから、「小さな影響だ」と断定できるものなのだ。何度も言うけど、これは、推測・推量なのだけど、その個人のなかでは、断定だ。そういうものでしかないものなのである。だから、そういうものでしかないものの、影響をうけているということが、「だらしがないこと」になってしまうのである。それは、どうしてかというと、影響をうけるはずがないものについて、影響をうけたと「ぐちぐち」「いつまでも」も言っているということになるからだ。その、経験のない個人のなかでは、こういう考えが否定できない。経験がないのだからしかたがないとは思うけど、そういう「かまえ」自体が、ぼくにとっては、不愉快なことだ。きちがい兄貴は、人をして、ぼくを、侮辱せしめる。きちがい兄貴のやったことというのが、普通の人の経験の範囲にないことなのだ。もちろん、「似たことだ」と経験がない人が判断するような経験はある。けど、似てない。その人には、きちがい兄貴がいなかったのだから、似てない。普通の人は、きちがい兄貴の構造について、普通に誤解をして、自分の経験のなかで判断をしてしまう。そして、きちがい兄貴のヘビメタ騒音で、ぼくの社会的な地位、あるいは、学校での地位が低いものにならざるをえないので、ほかの人たち……きちがい家族がいない人たち……きちがい家族による、毎日続く、普通の家では絶対にありえない騒音というものを、経験したことがないほかの人たち……は、ぼくを、ぼくをしやすくなるのである。ぼくを侮辱しやすい地位を得ていると言ってもいい。それは、たとえば、働いているなら、(ヘビメタ騒音で働けなくなった俺)を侮辱しやすい地位にいるということになる。佐藤が、そういうことをしたわけだ。実際には、佐藤は、俺にあった当時、無職だったんだけどね。どうして、そういうことがしょうじるかというと、ヘビメタにやられているからなのだ。このヘビメタ騒音というのが、ほかの人にとって理解しがたいものなのである。普通の人は普通の家族を想定してものを言うから、いくらやりたくても、さんざんもめれば、やめてくれると思っているのだ。さんざん言って、喧嘩して喧嘩して、自己主張すればやめてくれると思っている。そういう、残念な家族がいたとしても、ほかの家族が、自分に賛成して、けっきょくは、やめせてくれると思っているのだ。そんなんじゃないからこまっている。普通の人たちは、きちがい兄貴だけではなくて、きちがい親父に関しても、誤解する。ごく自然に誤解する。しかも、誤解に気がついていない。うちのきちがい親父みたいな人にやられている家族は、ほかの人から、誤解される。ほかの人のうちには、うちのきちがい親父みたいな親父がいないので、想像することができないのである。話として聞いたとしても、「それは、まるまるだからでしょ」と言って別の理由を考え出してしまうのである。きちがい親父にとって、相手が「よそ」のひとか「うち」の人かということは重要なことだ。それですべてがちがってしまう。うちの人にやることは、よその人にやらないのである。これは、兄貴もおなじだ。よその人に、「うるさかいらやめてくれ」と言われたら、やめる人間なのである。けど、うちでは絶対にやめないし、絶対にやめてやらなかったということも、認識しない人間なのである。親父の話と兄貴の話がごっちゃになっているような印象をうける人もいるかもしれないけど、親父と兄貴の「脳みその構造」がおなじなので、別に、ごっちゃにしているわけではない。ちがうなら、言い分けなければならないけど、おなじなのだか、言い分ける必要がない。親父が主語になっているところは、兄貴を主語にしても成り立つし、兄貴が主語になっているところは親父を主語にしても成り立つ。ともかく、両方ともが、「普通の人」にとって理解しがたい存在なのである。なので、普通の人は、誤解をしてしまう。しかも、ほかの人にとって、うちの親父やうちの兄貴のことは、どうでもいいことなので、特に、修正しようとは思わない。自分のなかにある「考え」を修正してまで、俺の話につきあう必要はないと考えているのだ。だから、普通の人は、佐藤が誤解したように、誤解する。

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ヘビメタでどうしてもつらい。くるしい。まるまるたい。 


 

 

それらは、しつこくしつこく、試されてみて、負の効果しかなかったことだ。(1)

きちがいヘビメタの破滅的な影響についてみんな、理解してない。わかってない。完全にわかってない。あの空間の意味がわかってない。あの時空の意味がわかってない。実際に鳴っているとき「どういう気持ちになるか」わかってない。実際に鳴っているとき「どういうからだの状態になるか」わかってない。

俺が、たとえば、やりもしないで「元気だ元気だと言えば元気になる」というようなことを否定していると思っているのか? 俺の数千日の努力がわかってないな。あの体が、わかってないな。あの体の状態がわかってないな。言霊思考で言ってしまうけど、ポジティブ思考も認知療法的な考え方もおなじだ。おなじなんだよ……。

それらは、しつこくしつこく、試されてみて、負の効果しかなかったことだ。きちがいによるヘビメタ騒音だと、そうなのである。けど、「そうなのである」ということが、実際にきちがいにやられた人じゃないとわからない。しかも、そのきちがいが……となりで鳴らしているきちがいが……家族の一員だという人じゃないとわからない。そして、自由に引っ越すことができない、子供……未成年時代に、そういうことを毎日やられたという経験がない人にはわからない。

もう、全部がわからない。

だから、「元気だ元気だと言えば元気になる」と助言をしている人は、俺がそういうことを試したことがない……と思って言っているわけだよ。あるいは「元気だ元気だと言えば元気になる」と助言をしている人は、そういう方法があるということを、俺が知らないと思って言っているわけだよ。

……けど、たとえばの話だけど「さんざんやってみたけどだめだった」というような話は、そういうことを言う人は、のぞんでいないのである。たいてい、そういうふうに言われると機嫌が悪くなる。その人にとっては、「そんなことはない」と思えるようなことなのである。

これ……、たとえば……、じゃあ……『知らないふり』をした場合どうなるかと言うと、「どうして、ためさないんだ」「まず、やってみることが必要」などと言われることになる。

その時点で、「やったけどだめだった」ということを言えば、「やり方が悪い」などと言われるのだ。けど、そういうことを言っている人は、俺とおなじぶんだけヘビメタ騒音を経験したわけじゃない。

なので、ちがうところにたってそういうふうに言っているだけだ。

ともかく、そういう助言を自分がしたあと、相手があいかわらず「つかれた」「くるしい」と言っていれば、「だから、元気だ元気だと言えば、元気になると言っているだろ」と言いたくなるではないか。

言いたくなるようなパーソナリティーの人なんだよ。

「せっかく助言してやったのに、試そうともしない」などと、不満をもつことになる。

……ヘビメタ騒音十五年間で、ぼくのからだはつかれはてているので、「つかれた」と言うわけだよ。

だから、その人にとっては、自分が「元気だ元気だと言えば、元気になる」と助言してあげたあともずっと、そういうふうに言っている……ということで、俺に対して不満をいだくことになるんだよ。

けど、じゃあ、「ヘビメタ騒音期間中に、毎日やったけど、くるしくなるだけだった」ということを言ったって、そいつは、認めない。「だれでも」「どんなばあいでも」言霊は成り立つからだ……。

その方法は、その人のなかでは、「だれでも、どんな状態でも成り立つ」ということになっているのである。それに「傷がつく」というのが、いやなのである。

そういう話をされると不愉快になるのである。「どんな場合でも有効だ」と思っているのに「こういう場合は、有効じゃない」と言われると、「傷」がつく。

「俺は、元気だ元気だと言ったら元気になった」「どんなくるしいときだって、元気だ元気だと言えば、元気になる」「元気だ元気だと言ったのに、元気にならないということはない」「そんなのは、エイリさんがおかしいんだ」「そんなのは、エイリさんのやり方がまちがっているのだ」「エイリさんの努力の方向がまちがっているからダメなんだ」「言い方がまちがっているからダメなんだ」「何回も何回も言わないからダメなんだ」と言ってくる。

これは、宗教的なあらそいなのである。

ぼくがどれだけ、「元気だ 元気だ」「だいじょうぶだ たいじょうぶだ」と言ったにしろ、ヘビメタ騒音が鳴っている以上はだめなのだ。……こういう状態が実際に成り立ってしまったという経験をぼくは持っている。けど、「元気だ元気だと言ったのに、元気にならないということはない」と言った人は、そういう経験をもってない。

ぼくは、自分の経験から、「元気だ元気だと言っても、元気にならないときがある」ということを言って、相手は「元気だ元気だと言えば、だれもが、どんな状態でも元気になる」ということ言っているわけだから、あらそいがしょうじているということになる。あるいは、認識の違いが生じているということになる。 

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2022年3月14日月曜日

とつぜんだけど、大原さん、あのときお返しができなくて、ごめん

 とつぜんだけど、大原さん、あのときお返しができなくて、ごめん。ヘビメタ騒音で高校、おちて、めちゃくちゃになってた。その、落ちていたときですら、きちがい兄貴が無慈悲に、鳴らしてたんだよね。どれだけ言っても、一日に6時間鳴らせるなら、絶対の意地で6時間、ものすごい音で鳴らしていた。で、それは毎日続いていたことだった。毎日寝不足で、少しずつ、性格がかわった。これ、かわるんだよ。かわるというか、余裕がなくなる。反応ができなくなる。杉中さんも、エイリが高校、落ちてから性格がかわったみたいに思ったかもしれないけど、ヘビメタ騒音のせいなんだよ。ヘビメタで、対応できなくなった。そりゃ、ああいう態度で、ずっと鳴らされれば、対応できなくなる。気持ちが、しずむ。気持ちが、正常ではなくなる。中学の三年間、毎日、きちがいヘビメタを、鳴らされてくるしかった。ダイヤとひろしは知っていたけど、ほかの人は、クラスでは知ってなかったんじゃないかなと思う。小学六年生の9月からヘビメタが鳴り始めて、中学三年間、高校を「おちている」ときも、ずっと、家に帰ればヘビメタ騒音がものすごい音で鳴っている状態だった。日曜日は一日中、鳴っている状態だった。どれだけ言ってもやめてくれなかった。あの金属音はぼくをうちのめした。あれを浴びせられていて、……何時間も何時間も浴びせられていて……普通の気持ちを維持するということができなかった。普通の睡眠時間を維持するということができなかった。睡眠時間は、すべてに影響をあたえる。不可避的に影響をあたえる。意志の問題じゃないのである。意志教徒は、意志で自分を制御できると言うのだけど、できない部分がある。ともかく、くるしかった。鳴っているあいだひきつっていた。安心して普通にすごすことができなかった。まったくできなかった。くるしかった。

2022年3月12日土曜日

人間関係

 どれだけ、言ったって、「ヘビメタ騒音が鳴っていた」「ヘビメタ騒音でつかれた」「ヘビメタ騒音で夜眠れなかった」「ヘビメタ騒音で、睡眠回路が破壊されて、一定の時間に起きることができなくなった」ということしか、つたわらない。そんなのは、全体の〇・五%だ。残りの九九・五%のほうが、でかい。この九九・五%は人間関係だ。ヘビメタ騒音……きちがい兄貴の脳みそによるきちがいヘビメタ騒音によって、俺の人間関係が破壊されてしまう。〇・五%のことしかつたわらないということだって、人間関係を破壊する。

人間は、中立性を保とうとする。一方の話を聞いたときは、話のなかに出てくる悪い人の立場というものを考えて、言っている人が言っているだけかもしれないというような前提に立って、人の話を聞く……ことが多い。そういう構えをもっている人は多い。 

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プーチンを悪者にしたてあげているのが、ほんとうの悪者

いま、プーチンを悪者にしたてあげているのが、ほんとうの悪者なのだ。まあ、まるまるとメディアだけどな。このメディアには、ネットのメディアも含まれる。最近の言い方だと、メインストリームメディアだ。

はっきり言えば、日本のマスメディアは、悪いほうについている。悪いやつの味方だ。なので、ほんとうの敵は、プーチンではなくて、マスメディアの支配者たちだ。まあ、これも、そのうちわかるときが、くるだろう。けど、ほんとうにくるのかな?という気持ちもある。

あっち側の人が言っていることは、いろいろと矛盾しているところもあるんだよ……。じつは……。けど、言わないけどね……。まあ、あっち側の人が言っていることのうち、いくつかは現実化されるよ。たとえば、10個、あっちの人たちが言っていることがあったとする。

そのうちの、3個ぐらいは、5月が終わるごろまでには現実化されるだろう。いくつかは、ずっと現実化されないかもしれない。あっち側の人たちの言っていることには、ある程度ファンタジーがある。だから、どの程度現実化されるかということについては、差し引いて考える必要がある。

けど、じゃあ、マスメディアにおかされている?現代の人と、あっち側の人が言っていることと、どっちが正しいかと言ったら、あっち側の人が言っていることが正しい。

テレビを見ている人が言っていることは、すべてまちがっている。

2022年3月11日金曜日

ヘビメタ騒音でどれだけつかれるかわかってない

ヘビメタ騒音でどれだけつかれるかわかってないのだ。自分の経験をとおしてわかってない。自分の経験をとおしてわかってないことは、『影響を与えないこと』に分類されてしまう。もちろん、その人の頭の中で、ヘビメタ騒音なんてものは(エイリに)たいして影響を与えないものだということになるということだ。あるいは、その人の頭の中で、ヘビメタ騒音なんてものは(人間に)たいして影響を与えないものだということになるということだ。経験がないから、わかってないだけなのに、経験がないから、影響がないと普通に考えてしまうのだ。こういう、思考回路。こういう思考回路はわりと普遍的にみられるものだ。


2022年3月9日水曜日

「引きこもりなら悪人だ」ということはない。「ひきこもってないなら善人だ」ということもない

無職であるかどうかは、善人であるかどうかとは関係がないということは事実なんだけど……もう、いいかな。つかれたな。

リトマス試験紙にならないのに、リトマス試験紙になると思っている人たちばかりなんだよな。だから、リトマス試験紙にはならないということ書いてきたのだけど、……もう、いいか。

つかれた。

もう、つかれた。

もう、いいや。つかれたなぁ……。まあ、いまは、そういう気分だということで、また、言いはじめることもあるかもね。 まあ、無職については、もう、いいか。

けど、専業主婦とか仕事をやめて無職になった人が、無職をばかにし続けるんだよな。専業主婦は無職。男女問わず、退職をしたら無職。老人になって働いてない人は、無職。学生で働いてない人は、無職。なんでわからないかな?

無職が無職をきたないものでも見るような目で見る。無職が無職に対して「働いてないのはけしからん」と文句を言う。おかしいでしょ。もっとおかしいのは、おかしいと感じない人のほうが多いということだ。 

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引きこもりに関してもそうだ。無職と書いたところを引きこもりに置き換えればそれで済むわけなんだけど、いちおう、書いておくかな。

引きこもりは、たいへん、だらしない人であり、言いたいことをうまく言えない人であるというようなイメージがある。引きこもりは、ダメ人間なのである。ちゃんと自己主張をできないコミュ障なのである。

こういう、悪いイメージをもっている。

こういう先入観や偏見があると、その人の本質を見誤ることがあるということを言いたいわけだ。

引きこもりであるかどうかは、善人であるかどうかとは関係がない。引きこもりのなかにも悪人はいるけど、引きこもりかどうかは、善人か悪人かを見分けるためのリトマス試験紙にはならない。

むしろ、その人をして、引きこもりにさせた人が悪人かもしれない。

「引きこもりなら悪人だ」ということはない。「ひきこもってないなら善人だ」ということもない。「ない」にもかかわらず、あたかもそういう線引きが成り立っている。普通の人の頭のなかに!!そういう線引きが成り立っている。

これは、おろかだ。これは、おろかものがやることだ。普通の人がやっちゃいけない。

「引きこもりなら悪人だ」ということはない。「ひきこもってないなら善人だ」ということはない……この、ごく当たり前のことを、あえて言わなければならない状態というのはなんだ?

佐藤(仮名)は普通の人だけど、「ひきこもり」や「無職」に対しては、相当の偏見がある。たいていの人が、佐藤レベルの偏見をもっている。これが、現実だ。これがこの世の実態だ。

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ぼくはすでに無職ではないのだけど、無職期間が長かったから、そのときの記憶をもとに書いている。ヘビメタ騒音の連続で働けなくなった。通勤して働けなくなったということだけど、これは、ぼくにとってとてもつらいことだ。

しかし、他人は……きちがいヘビメタ騒音を経験してない他人にとっては、ヘビメタ騒音がどういうものか、ほんとうにはわからない。

なので、他人はヘビメタ騒音の影響を無視して「働くべきだ」「ヘビメタ騒音で働けないなんていうのはあまえだ」ということを言うようになる。

ヘビメタ騒音もきつかったけど、こういう経験もつらかった。

日本人は、無職を見たら、説教をしはじめる。「働くべきだ」と言う。

無職が、「これこれこうだから働けない」と言えば、「そんなことはない」「そんなことは理由にならない」「そんなのはあまえだ」ということを言いはじめる。

もう、これ、決まっているんだよ。

 もう、これ、決まっているんだよ。

けど、じゃあ、ぼくが無職のなかで、多数派なのかというとそうではないのだ。これがまた問題なんだよ。きちがい兄貴という原因が、ほかの無職にはない。少数派の無職のなかで、少数派になってしまう。

普通の人が、きちがい兄貴という原因を理解できないように、無職にしても、 きちがい兄貴という原因は理解できない。そりゃ、無職の人でも、きちがい兄貴の騒音を何千日も経験したわけじゃない。そういう点では、普通の人も、無職の人もかわりがない。

だから?

「もう、いいか」という気分になるときがある。無職に対する偏見とたたかってきたわけだけど、「もう、いいかな」という気持ちになるときがある。

時代がかわるしなぁ。奴隷資本主義は終了するわけだしなぁ。

 

ほんとうに、みんな、どれだけ、ヘビメタ騒音がどれだけ深く、からだに、影響を与えるかわかってない。わかってない。わかってないとどうなるかというと? 自動的にぼくを侮辱するようになるのだ。 この、ぼくを……。

佐藤、おまえわかってんの?



ほんとうに、ヘビメタ騒音でくるしかったなぁ。いま、午後八時五七分。ヘビメタ騒音が鳴っていた。どれだけ、「やめてくれ」と言ってもやめてくれなかった。どれだけ「しずかにしてくれ」と言ってもしずかにしてくれなかった。午後八時五七分はいつも、こんな雰囲気だな。午後八時五八分も。

俺が「できない」と言ったら「できない」のに、どうして、おまえらが、否定するの? 俺がどんな気持ちで「できない」と言っているか、ぜんぜんわかってないな。数万時間のつみかさねが、からだに影響をあたえないわけがないだろ。くそ!ほんとう!どんだけ!!

ほんとうに、つうじない。

佐藤、おまえわかってんの?

 

2022年3月8日火曜日

人間界で、実際に起こったことが、影響を与えないなんてことはない

 きちがい親父の世話をしたのが問題だったのかな? きちがい親父がきちがい親父ではなく普通の親父だったら、どんだけ、楽だったか? きちがい親父の、きちがい的な態度というのは、ほかの人たちにはわからない。きちがい親父といっしょにすんだことがない人にはわからない。根本的にわからない。そうすると、その人たちは、誤解をするんだよな。そうなると、母親ときちがい兄貴と俺しか、きちがい親父の態度について、正確に理解することができないということになる。しかし、母親は死んでしまったし、きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじ頭の構造をもっているので、自分が(きちがい親父に)やられたことに関しては理解できるのだけど、自分(きちがい兄貴)が(弟に)やったことは、きちがい親父とおなじように理解できないということになる。きちがい兄貴の「家族」に対する態度というのは、きちがい親父の「家族」に対する態度とまったく同じだ。思考法や感じ方が同じなのだ。たぶん、人間の要素としてぬけている部分もおなじだ。こいつら、まったく、気がつかないまま、意地をはってひどいことをする。けど、それがわからないんだよ。どれだけ言ったってわからない。頭の構造的な欠落によってわからない。普通の人なら、そういうことがわかる部分が脳みそのなかにあるのだけど、きちがい親父ときちがい兄貴は、そういうことがわかる部分が脳みそのなかにないので、どれだけ言っても、「わかる」ということがない。さらに、世間の人は……「わかる」ということがない……ということがわからない。俺と母親しか実際にはわからない。だから、俺は必然的に誤解されるのである。佐藤の言ったこと……佐藤の態度について、ながながと書いてきたけど、佐藤の態度は、一般的な人の態度だ。佐藤の言ったことは、一般的な人が……言うか言わないかは別にして、普通に、思うことだ。佐藤らは、きちがい親父の性格や、きちがい兄貴の性格がわからない。きちがい親父の認知構造ときちがい兄貴の認知構造がわからない。家族として一緒に生きていれば……そういう期間があれば……必然的に『影響をうける』のにもかかわらず、『影響をうけない』と考えてしまうのだ。あるいは、影響をうけたにしろ、そんなものは、『今現在の状態」に影響を与えるはずがないと思ってしまうのだ、あるいは、影響は少しはあるかもしれないけど、『小さな影響』だと思ってしまうのだ。そんなのは、意志でどうにでもできる……と思ってしまうのだ。どうしてなら『小さな影響』だからだ。あるいは、『影響なんてないから』だ。時間がたてば、影響はゼロになると思っているからだ。おろか。おろか。おろか。屈辱。屈辱。屈辱。

人間界で、実際に起こったことが、影響を与えないなんてことはない。その「へんなうち」にうまれて、「へんなうち」の人の実際の行動が、そのうちの、別の家族に影響を与えないなんてことはない。何万回、何十万回と繰り返されたことは、影響を与える。そして、影響を与え続ける。それを、「へんなうち」にうまれず、「へんな家族」の影響をうけなかった人が、過小評価する。過小評価なんてものじゃなくて、実際には、無視する。「へんな家族」の影響なんて、関係がないのである。そりゃ、その人は、関係がないだろ。「へんなうち」にうまれなかったのだから……。自分の身に生じなかったから……と言って、影響がないとは言えないのに、自分の身に生じなかったから、影響がないと言ってしまうのだ。最初からわからないのだから、影響があるかどうかについて言及できるわけがない。判断できるわけがない。しかし、かりそめの判断をして、影響がないと決めつけしまうのだ。決めつけちゃったら、かりそめの判断ではないんだよ。ようするに、かりそめの判断として、影響がないということにした……ということを、忘れてしまう。

もう、ほんとうに、多勢に無勢だよ。少数派のなかの、少数派。 

人生のなかで何万回も何十万回も繰り返されてきたことが、その人の「今の状態」に影響を与えないなんてことはないんだよ。

これは、すなわち……生まれの格差の無視につながる。生まれの格差。生まれの格差。生まれの格差。

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同じパターンで繰り返し繰り返しおこることは、人間の感じ方に影響を与える。同じパターンで繰り返し繰り返しおこることは、人間の体力や体調に影響を与える。どうして、それを無視するのか? 普通の人とはちがう脳の構造をもった人が、その脳の構造にしたがって、怒り狂うということをずっとし続けるなら、怒り狂われた人は、そういう出来事の影響をうける。普通の人とはちがう脳の構造をもった人のもとに生まれた人は……繰り返し繰り返し、同じパターンで攻撃をうけるので、どうしても、その影響をうける。けど、そういういえにうまれなかったひとが、「そんなのは関係がない」と言う。「そんなのは、気にしているからダメなんだ」と言う。

しかも、その問題のある家族を、やられたほうの家族が助けてやれば、「共依存だ」と言う。 「そんなのは関係がない」「そんなのは、気にしているからダメなんだ」と言うやつが、今度は「共依存だ」と言い出す。「介護なんてしてやるからダメなんだ」と言い出す。俺の場合、親父と兄貴が問題だ。問題のある人だ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音がなければ、ぼくは、家を出れた。働けた。もっとずっと早く働けた。この「早く働いて、この家を出たい」というような欲求が、小学生のころから、つきあげるようにあった。けど、三分の一日、きちがいヘビメタ騒音にさらされてしまうと、すべての力(ちから)がなくなる。これ、やられてみないとわからないかもしれないけど、三分の一日というのは長い。一日、二四時間中、八時間やられると、残りの一六時間が、めちゃくちゃになる。やはり、一日の長さだけを考えてみても、影響がある。八時間……あの音にさらされ続けると、眠れなくなる。眠るために、保持されている八時間が、眠れない八時間になってしまうのだ。そのときの、からだのきつさと言ったら、ない。みんな、経験してないからわからない。

 

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毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。