まあ、基本的なことを言ってしまうと、『儀式関連系の心理』と『自己暗示系の心理』がある。
たとえば、ある引き寄せ行為をしたら、引き寄せることができた……とAさんが感じているとしよう。ある引き寄せ行為と、引き寄せることができた(と思った)出来事が発生したということのあいだには、まったく関係がないのである。
引き寄せ行為は、原因になりえないのである。
それは、「おっぺけぺ」と言ったあと、引き寄せたいものを言えば、引き寄せたいものを引き寄せることができるという場合と、おなじなのである。
たとえば、Aさんが「おっぺけぺ・プレゼント」と言ったとする。そうしたら、数日後にプレゼントをもらったとする。
その場合、「おっぺけぺ・プレゼント」とAさんが一人で言ったということと、実際に、だれかから、プレゼントをもらったということは、なんの関係もないのである。
ほんとうは、無関係。
だけど、Aさんが、引き寄せ行為をやったあとなので、引き寄せ行為の結果、プレゼントをもらうことができたと(Aさんが)考えたとしても不思議ではない。
言霊の話になるけど、「明日は雨が降る」と言ったあと、次の日になって雨が降れば、「明日は雨が降る」と言った、その言霊主義者は『自分が明日は雨が降るといったから、実際に雨が降った」と考えるのである。
考えるだけ。
ほんとうは、雨が降るということと、その言霊主義者が「明日は雨が降る」と言ったということは、なんの関係もない。
しかし、言霊主義者にとっては、『自分が雨が降ると言ったから、雨が降ったのだ』と思えることなのである。
それとおなじように、原因にはなりえないことが、原因として認識されるのである。これは、間違った認識だ。
しかし、本人にとってみれば、まさしくそれが、真実なのである。
雨が降ったということのほんとうの原因は、自分が雨が降ると言ったことではない。
しかし、その言霊主義者のなかでは、自分が雨が降ると言った「から」実際に雨が降ったということになっている。
Aさんが、自分(Aさん)が「おっぺけぺ・プレゼント」と言ったから、実際にプレゼントをもらったと思っている場合とおなじだ。
理由について勘違いしているのだけど、本人が、理由について勘違いをしているという認識をもたないのだから……本人のなかでは……理由について勘違いをしているということにはならないのである。
ここまでが、『儀式関連系の心理』の説明である。自分が儀式をしたということが、実際の出来事の原因になっているという妄想をもっている場合の話だ。
『自己暗示系の心理』は、身体と関係がある。たとえば、中立的な状態で「元気だ元気だと言ったら、元気になった(ような気がした)」という場合のように、言葉の力がかかわっている場合の話だ。
言霊主義者は、言霊の力でそうなったと思っているけど、これは、言霊の力ではなくて、言葉の力だ。その証拠に、日本語の意味がわからない人が「ゲンキダゲンキダ」と言っても、元気にならないのである。
逆に、日本語の意味がわからない人が、元気な状態で「ツカレタツカレタ」と言っても、つかれた状態にならない。意味がわかっていないと、ダメなのだ。
これは、言葉に宿っている、力ではない。言葉に宿っている力なのであれば、意味がわからなくても、言葉を発音しさえすれば、言葉に宿っている力によって、その状態になるのである。
言葉に宿っている力によって、言葉で言ったことが……たとえ、本人には、意味がわからない言葉であったとしても……現実化するのである。
ところが、言葉の意味がわからない言葉を発したところで、言葉の意味がわからないのだから、自己暗示系の力は発生しないのである。
そして、何回も言ってきたのだけど、身体機能の範囲で、現実化されることでしかない。言霊主義者は、言霊の力でそうなったと思っているのだけど、これは、妄想的な勘違いだ。
他者に対する暗示も、他者の身体を通して発揮されることにしか発揮されない。他者に対する言葉を使った命令も、他者の身体を通して、速記されることにしか発揮されない。ようするに、物理法則を書き換えてしまうような部分がまったくないのだ。
言霊主義者は、言霊という神秘的な力を想定してものを言っている。
言霊の力があるという証拠として「明日は雨が降ると言ったら、実際に、雨が降った」ということが、語られる場合がある。これは、言霊主義者が、誤解をしているだけだ。儀式と出来事のあいだに妄想的な関連性があると本人が思っているだけだ。言霊の力あるということの証明にはならない。
そして、言霊の力があるという証拠として「元気だ元気だと言ったら、元気になった」ということが語られる場合がある。これは、言霊主義者が、言葉の力を、言霊の力だと思っているだけだ。勘違いしているだけなのである。だからこれも、言霊の力あるということの証明にはならない。
言霊主義者にとって、実際に「その言葉を言う」ということが、儀式なのだ。言霊主義者にとっては、「言葉を言う」ということが、儀式として成り立っている。
思霊主義者にとっては、「(そのことを)思う」ということが、儀式として成り立っている。
引き寄せ主義者にとっては、引き寄せ行為が、儀式として成り立っている。
だから、儀式をやったということと、実際に発生したなんらかの出来事のあいだに、因果関係があると思ってしまう。因果関係があると思ってしまうだけだ。「儀式をした」という原因によって「その出来事」が、現実化したと思ってしまうのだ。
思ってしまうだけ。
主に、『儀式関連系の誤解』と『自己暗示系の誤解』にわけられるのだけど、自己暗示系の場合も、儀式自体はやるので、『儀式関連系の誤解』と『自己暗示系の誤解』の複合型として理解したほうがいい場合もある。
ようするに、考えを整理するために、『儀式関連系の誤解』と『自己暗示系の誤解』のふたつにわけたけど、わけ方自体に意味があるわけではない。
とりあえず、いま説明したことを、理解してほしい。