きちがいヘビメタ騒音にやられると、いままで、できていたことも、できなくなってしまうのである。最大限の努力をしても、できなくなってしまうのである。
さらに、超高圧状態で、努力をするということが、体の基本的な機能を毀損してしまう。
そうすると、どんどん、できなくなることが増えるのである。
ところが、どれだけ、きちがい兄貴にしずかにするように言っても、きちがい兄貴はきちがいなので、しずかにしてくれないのである。
きちがい兄貴に、直接、しずかにするように言っても、しずかにしないのに、きちがい兄貴が聴いていないところで、ぼくが「きちがい兄貴がヘビメタを鳴らすのをやめる」と言ったって、言霊の力で、きちがい兄貴が、ヘビメタを鳴らすのをやめるようになるかというと、ならないのである。
言い方が、悪いから、「きちがい兄貴がヘビメタを鳴らすのをやめる」と言っても、きちがい兄貴がきちがいヘビメタ騒音を鳴らすのをやめないのか?
ちがう。
ちがう。
断じて、ちがう。
どれだけ言い方がよくても、言霊の力がないので、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の意思に従って、きちがいヘビメタを、思いっきりでかい音で鳴らしてしまうのである。
「きちがい兄貴がヘビメタを鳴らすのをやめる」のは、いつでもいいかと言うと、そうではないのである。ぜんぜんちがうのである。
「すぐに」鳴らすのをやめてくれないと、こまるのである。こういう切羽詰まった状態であるということも、言霊主義者は、無視してしまう。
「いつか」かなえばいい「夢」のようなものだと思っているのである。
そして、言霊主義者は、自分の切羽詰まった問題に関しては、言霊で解決しようとしないのである。
どうしてかというと、言霊主義者ですら「言ったって、解決しない」と思っているからだ。
言霊主義者だって「言ったって、言っただけだ」というこを理解しているのである。
一倍速で感じる問題に関しては、「言霊なんて役に立たない」と思っているのである。
だから、すぐに解決したいときは、言霊的な解決方法なんて、無視して、現実的な解決策を模索するのである。それが、言霊主義者の日常なのである。
カネがほしい……。言霊的な解決方法で、カネを得ようとするか?
いや、普通に働いて、カネを得ようとするのである。ほかの人から、カネをもらおうとするのである。業者から、カネも借りようとするのである。
言霊主義者ですら、切迫した、現実的な問題に関しては、言霊の力ではなくて、現実的な行動で、問題を解決しようとするのである。
言霊主義者は、「いつか、かなえばいい夢」について考えているときと、「切羽詰まった現実的な問題」について考えているときとでは、考え方自体がちがうのである。
「いつか、かなえばいい夢」について考えているときは、言霊思考になるけど、「切羽詰まった現実的な問題」について考えているときは、現実的な思考になるのである。
だから、一倍速で経験していることに関しては、現実的な解決方法を模索するのである。
現実的な解決方法を模索しているときは「ほんとうに、言えば言ったことが現実すればいいのに」と思いながらも、それが無理だということを理解しているので、「ほんとうに、言えば言ったことが現実すればいいのに」と願望を口(ちく)にするだけで、「ほんとうに、言霊で解決できるとは思っていない状態」になってしまうのである。
しかも、自分が「言霊を信用していないときの記憶」というのが、すっぽり、抜け落ちているのである。
ようするに、「自分はいつでも、言霊を信用している」つもりで、生きているのである。
こんなの、ない。
無頓着なのである。
どこまでも、矛盾に気がつないのである。
普段は、言霊なんて、ぜんぜん信用していない行動をしているのに、「言霊は絶対だ」と思っているのである。
「いいかげんにしろ」と言いたくなるけど、言霊主義者は、幼稚な万能感に満たされているので、気分がちがえば、言うことがちがってしまうのである。どこまでも、どこまでも、矛盾に気がつかないようになっているのである。
Aというときの気分は、Aという気分で……Bという気分のときは、Bという気分で、言霊について、考えていることが、ガラッとかわってしまうのである。かわってしまうということについて、言霊主義者本人が、矛盾を感じないのである。
ともかく、どれだけ「言い方がうまい」言霊主義者だって、きちがい兄貴が、やる気になって、きちがいヘビメタを鳴らしているときに、「言霊の力を使って」きちがい兄貴に影響を与えて、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らさないようにすることができるかというと、できないのだ。
ところが、これすらも、言霊主義者は認めないのだ。
きちがい兄貴は、頑固な態度で、ヘビメタを鳴らしたわけだけど、言霊主義者は、頑固に、「できない」ということを認めないのだ。
「エイリの言い方が悪いから、言った通りにならない」とエイリのせいにするのだ。
その言霊主義者にとって、エイリは他人なので、その言霊主義者は、人のせいにしていると言うことができる。しかも、その言霊主義者が、自己責任論を信じている場合ですら、エイリの言い方のせいにするのである。
人のせいにするな。
言霊主義者だって、空に向かって言っただけでは、他人の行動をかえることができないのだ。 言霊主義者だって、空に向かって言っただけでは、他人の意志をかえることができないのだ。
言霊主義者は、普段、「空に向かって言ったって、言ったのだから、言霊によって、他人の行動をかえることができる」と主張しているのだ。「空に向かって言ったって、言ったのだから、言霊によって、他人の意志をかえることができる」と主張しているのだ。
言霊主義者は、本人がどう思っているかは別にして、そのような主張している。
言霊の力によって、他人の行動や他人の意志を、かえることができると思っているのだ。
ところが、言霊理論を信じている精神世界の人は「他人をかえることはできないから、自分をかえればいい」というようなことを、言ってしまう。これも、矛盾した発言なのだけど、本人は、まったく、気がつかない。
矛盾に気がつかないことによって、自我の統一性を維持しているのである。
ほんとうは、「言ったって、言った通りにならないことがある」ということをさとったときに、言霊理論は、放棄されるべきなのである。
ところが、現実を認めたくないので、言霊理論を放棄しないのである。なので、言霊理論が正しいと思っているときの気分と、言霊理論が間違っていると(本当は思っているときの)気分が、つながっていないということが起こる。