2018年2月19日月曜日

バーチャルな人生とリアルな世界の関係

ふりかけでごはん終了。



http://giraffyk1.hatenablog.com/entry/life-as-online-gaming



↑これを読んでどう感じる?







俺のやりたかったことが、小室直樹みたいなひととケンケンガクガクの学問的な議論であるわけだから、やはり、普通の人とはいろいろとちがってくる。あとは、あっちに書いているけどヘビメタ騒音の問題がでかすぎる。







ぼくにとっては、バーチャルリアリティーのゲームですら、めんどうくさいものでしかない。



+++++

これは、わりと有名な引用文だから、引用しておこうと思う。バーチャル世界にどっぷりつかっている人の考え方を良く表した文章だと思う。ファイナルファンタジー11 カズヤ氏の「FFオンラインは遊びじゃない」という発言らしい。



引用開始



133 名前:カズヤ ◆1Np/JJBAYQ [] 投稿日:2009/06/25(木) 21:28:40id:k6xdjhx8Q

マジレスするとHNMLS(*ゲーム内プレイヤーチームの意味)なんてのは遊びじゃないんだよ

仕事と同じやる気ない奴はイランし仕事だから平均12時間はインしてもらわないと駄目だ

あんたらはネタのつもりかもしれんが俺らは本気

突き詰めると命かけてんだよ

その辺はリアルと同じ会社員7年やってればそれなりのこだわりができるだろ

それと同じ俺らは7年考えぶっ通しでやってんだ

外野がごちゃごちゃ抜かすなよ


---引用終了



問題なのは、月一五万稼ぐには、現実にコミットしなければならないということだ。それも、けっこう長い時間、現実にコミットしなければならない。一日に八時間働いても、手取りで月に一二万ぐらいにしかならないひとがいっぱいいる。



その人たちにとっては、バーチャルコンソールにはいる時間がない。一日の中で、八時間働くとして、実際には、通勤時間が含まれるので、一〇時間ぐらいは拘束されることになる。そうなると、バーチャルな世界に「ひたっている」時間がなくなる。



これは、たとえば、一日に二時間働けば、だいたい月に一五万ぐらい稼げるという状態ではない。一日に二時間ぐらい働けば、残りの時間は、バーチャルコンソールに引きこもっていられるだろう。



バーチャルコンソールに引きこもっていられる時間が一日に八時間以上あるなら、バーチャルのほうがメインで、リアルのほうがサブということになる。



バーチャルのほうが生活の主体で、リアルのほうは、バーチャルな生活を支えるための些細なおまけということになる。我慢できるおまけだ。リアル世界のなかでたいして動かなくてもよいのであれば、バーチャル主体の生活ができる。



けど、それは、リアル世界で、楽に、稼げる場合に限る。リアル世界で、消耗しないと、バーチャル世界にひたっている時間が制限されるという状態だと、そもそも、バーチャルか、リアルかなどという問題自体が成立しないということになる。リアルしか選択肢がない状態だ。



バーチャルコンソールを維持するにも、実は、現実世界の電気の供給などが必要になる。それは、リアル世界の社会インフラだから、リアル世界あってのバーチャル世界だということになる。



なので、バーチャル世界にどっぷりつかれる状態が成り立つには、リアル世界がそこそこ発達していなければならないのだ。そして、リアル世界を維持するのに、リアル世界では、それほど『労力を必要としない』ということになってなければならない。



バーチャルコンソールだって、お手製のものは少なくて『製品』として供給されるわけだよ。もちろん、部品を組み立ててお手製のものを作る人もいるだろう。けど、部品はお手製のものではなくて、どこかの会社作った製品だ。LSIを手で作れる人間なんていない。LSIを作る装置が必要だ。そして、そういう装置は、たいていは、個人所有のものではない。



要するに、電力や、バーチャルコンソールを構成する製品をリアル世界から、供給されているということになる。リアル世界がなければ、当然バーチャル世界もないということになる。リアル世界における供給のコストが、じゅうぶんに低くなければ、そもそも、バーチャル世界にいりびたることができない。



バーチャル世界に引きこもって入れる状態を作るには、じゅうぶんにコストがさがってないとだめなのである。バーチャル世界に引きこもりたい人は、ニートや学生、定年退職者のように、働かなくても生活できる状態でなければならない。もちろん、一日に三、四時間働けばよいという人も、いりびたることができる。しかし、八時間働かなければならない場合は、「いりびたる」のは無理だ。いずれにせよ、バーチャル世界に引きこもりたくても、リアルの世界で長時間働くことを強要されている人は、バーチャル世界に引きこもることができない。


たとえば、バーチャル世界に人生を投入したい人がいるとする。その人がバーチャル世界に人生を投入するには、その人のバーチャル世界を支える金が必要だということになる。金の供給を受けて、リアル世界で働く必要がないなら、あるいは、働く時間がじゅうぶんに短いなら、バーチャル世界に人生を投入することができる。



これは、可能であるということだ。けど、そういう状態を維持するために、多くの人間が八時間ぐらいは働かなければならないというのであれば、みんながバーチャル世界にひたれる状態にはならない。リアル世界を維持するのに、労力とお金がかかるならば、バーチャル世界にひたれる人は、一部の人間だということになる。



一部の人間の割合は、リアル世界を維持するのにかかる労力とお金に依存する。この場合の労力というのは、人類の総労力だ。人類の総労力は人類全部の労働時間と人類全部の労働行為を掛け合わせたものだとする。要するに、人類の総労力が低くなれば、一部のひとの割合は、増す。



逆に言えば、リアル世界を維持する総労力がじゅうぶんに低くならなければ、バーチャルにどっぷりつかれる人の割合が増えない。どっぷりつかれる人と書いたけど、これは、バーチャル世界にどっぷりつかろうと思えばつかれる人という意味だ。そもそも、バーチャル世界にどっぷりつかろうと思わない人は、この集合のなかに入ってない。カウントされてない。

   *   *   *



バーチャルな世界に「沈没」する生き方が新しい生き方になるかどうかというと、一部の人の場合は、そうなる。けど、それは、一部の人に限られる。どうしてかというと、いままで説明してきたように、バーチャルな世界は、リアルな世界が供給しているものだからだ。そして、リアルな世界を維持するためには、それ相応の『労力』が必要になるからだ。

コストがじゅうぶんに下がってきたので、バーチャルな世界に「沈没」できる人も、いる。たとえば、そんなに労働しなくても生活が成り立つ人だ。こういう人たちは、ふんだんな時間をバーチャル世界で費やすことができる。ネットワークとバーチャルコンソールだけを考えれば、相当に安く、バーチャル世界にどっぷりとつかれることができる時代になった。



けど、それは、そんなに労働しなくても、生活が成り立つ人の場合だ。まあ、感じで言ってしまうと、バーチャルな世界にひたれる(可能性)をもった人は、だいたい七%~一〇%だと思う。これから、ネットワークのコストとバーチャルコンソールをそろえるコストがさがれば、その割合は増えるだろうけど、一般的にはならない。



これは、バーチャルコンソールをただ単に使う人の割合じゃなくて、リアルとバーチャルが逆転する人の割合だ。彼らにとっては、リアルこそが、バーチャルなのである。リアルこそが、関係がない話しなのである。リアルの人間関係希薄だけど、バーチャルの人間関係は濃密でなければならないのである。リアルの人間関係もバーチャルの人間関係もどうでもいい」という人はむしろ少数派なのだろう。多数派は、リアルな人間関係はどうでもいいけど、バーチャルな人間関係はどうでもいいわけじゃなという人たちなのだろう。



ここで、話しが一巡する。引用文のような考えをもつ人は、リアル世界で、希望を見いだすことができないのである。だから、バーチャルなほうで希望を見いだすしかないということになる。だから、リアル世界なんかどうでもよく、バーチャル世界が重要だということになる。



バーチャルな世界で、人間関係が強く求められているということは、……こういう話をしているあいだ……忘れてはならないことだ。バーチャルな世界を求めている人は、けっして、人間関係自体を否定しているわけではないということだ。他人と関わりたいのである。彼らにとって、人間関係は大切なことなのである。なので、バーチャルであれ、リアルであれ、人間関係なんてどうでもいいと思っている人たちとは、人種がちがう。バーチャルな世界であれ、濃密な人間関係を求めてる。

ようするに、カプセル型コンソールにとじこもって、一日中バーチャルな世界で行動している人は、世界から隔絶された人にみえるけど、実際には、普通の人とおなじような感覚の持ち主だということだ。(新しい世代?にしても)人間関係そのものを否定しているのではなくて、リアルな人間関係がいやなだけなのである。(ようするに、古い世代?とおなじように濃厚な人間関係を求めている)





   *   *   *

引用開始~--

ともかく、日本の若者はデジタルと共に育ち、情報を親の世代より簡単に確実に取り込んでいるため、気づいている。親は、ひどく頭が悪いか、時代のせいで根本的に間違っていると。この先の自分の人生は、少しの喜びと多くの苦痛で満たされている事を。もう少し聡い早熟な若者は、その少しの喜びすら、労働で失った自己の回復でしか無いことに気づいている。

引用終了~~



要するに、若者(デジタル世代?)は、この世(リアル世界での)労働に意味がないということを悟っているけど、親世代はこれがわかってないということをいっているのだろうと思う。で、これは、世代の問題にするべきではない。労働観の問題は、たしかに、世代の問題であるように思えるかもしれないけど、世代の問題じゃない。



これは、どちらかというと、根性主義と脱・根性主義の問題なのだ。ただし、根性主義(古い世代)VS 脱・根性主義(新しい世代)というような対立構造が頭の中にあると、あたかも、古い世代と新しい世代の対立であるかのように見えるのだ。ただ、見えているだけだ。

たとえば、カズヤ氏の発言を考えればよくわかる。



引用開始

マジレスするとHNMLS(*ゲーム内プレイヤーチームの意味)なんてのは遊びじゃないんだよ

仕事と同じやる気ない奴はイランし仕事だから平均12時間はインしてもらわないと駄目だ

あんたらはネタのつもりかもしれんが俺らは本気

突き詰めると命かけてんだよ

引用終了



「平均一二時間以上インしないやつは、いらない。そういうやつはまじめじゃない。真剣じゃないやつはくるな」というような主張だ。これは、古い世代の根性主義とおなじだ。「会社にきて、一二時間以上働かないやつはだめだ。そういうやつは、まじめじゃない。一二時間以上働くつもりがないなら、くるな」と古い世代?の会社員が言ったらどう思うか? 会社とゲームの違いはあるけど、言っていることはおなじなのである。「一二時間以上がんばれないやつは、いらない。くるな」こういうことを言っているだけなのだから。「一二時間以上がんばれないやつは、真剣じゃない。真剣じゃないやつはだめだ」……こういうことを言っているわけだから。



だから、悪いけど、カズヤ氏は、親世代の根性主義者とおなじだ。大切なことだからもう一度言ってしまうけど、会社とゲームの違いはあるけど、言っていることがおなじだ。根性主義なのである。根性主義は古いものでも新しいものでもない。(昭和世代?親世代?が根性主義で、平成世代?若者世代?が脱根性主義だというような見方に立ってしまうと、あたかも世代間の対立のようにも思えるけど、それは、世代の問題じゃない。古いか新しいかの問題じゃない。根性主義かどうかの問題だ)。



じゃあ、どうして、カズヤ氏(のような若い人が)ゲームの世界だけで、根性主義を(他者に向かって)主張するかということを考えなければならない。それは、現実に絶望しているからである。ここで、また一巡する。



自分が熱中しているものがあるとする。その熱中しているものは、会社の仕事でもいいし、学校の部活でもいい。自分が熱中しているものに、他人が熱中してないのは、あんまりいい気分じゃないと感じる場合がある。チームでやることに関しては、こういう感情が発生しやすい。自分が熱中して、これこれこういうことをやりたいと思っているのに、サボるやつがいる。サボっているやつはゆるせん……サボるやつがいると(これこれこういうことが達成できなくなってしまうではないか)こういう気持ちなのである。だから、会社でなんかのプロジェクトがある場合も、野球部が甲子園を目指す場合でも、熱中している人とそんなには熱中してない人の「温度差」がトラブルを引き起こすことがある。

熱中している人にとっては、「手を抜いて、ふざけているやつら」は我慢がならない存在なのである。それほど熱中してない人にとってみれば、「やることはやっているのだからいいだろ」という気持ちがある。しかし、熱中している人は、そういう言い分を聞いたら「そんなんじゃ勝てない。そんなんじゃ目標を達成できない」と怒ってしまう。

バーチャルゲームに関して、そういうことが起こると、『新しい』感じがするけど、実は、リアル世界で昔っから繰り返されていることだ。ただ単に夢中になっている人夢中になれない人の気持ちの差でしかない。新しいものくそもない。古いか新しいかの問題じゃない。


そして、職場でだって、そういうことが繰り返されているわけだ。平成生まれの人?が、昭和生まれの上司に対して、不満を抱くことがある。若い人から?すれば、根性主義の上司が言うことが、いちいち、しゃくにさわるのである。どうしてかというと、自分は、上司ほど熱中してないからだ。仕事に熱中してない。だから、そこには、部活やゲームとおなじで、温度差がある。仕事に対する『期待』がちがうのである。仕事に夢中になれないのには理由があるのだけど、ゲームに夢中になれない人だって、その人なりの理由がある。





(ゲーム内の)チームでこれこれを攻略するということと(会社内の)チームで利潤を追求するということは、大差がない。質的にはおなじだ。やりたい人と、やりたくない人の気持ちの差が行動の差になって現れるのはしかたがないことだ。


日本の労働市場と日本のインフラが関わった問題なのだ。日本だけではなく、













『通えるはずだ』なんていうのは、経験したあとに言え!

早くもつかれてきたので、横になる。

みんな、誤解しているんだ。ぼくのことを……。

ヘビメタ騒音がどれだけのものかわかってない。

毎日、午後一一時まで、あのすさまじい音が『横の部屋』で鳴り続けているということが、その後の時間にどれだけの影響を与えるかわかってない。わかってないのは、しかたがないけど、それにしても、不利だな。一回も鳴らされてない人に「いいわけだ」とか言われる立場に追い込まれる。一日だけじゃない、五〇〇〇日鳴らされて、そういう立場に追い込まれる。日本は、普通に、日本労働教の教えが行き渡っているので、普通の人は特に考えることもなく『働かない人は悪い人』と思っている。『働けないひとはしかたがない』けど、『働けるのに働かないのはとてつもなくケシカラン』『働けるか働けないかは(自分が)見た感じで判断する』『どんな理由があろうとも、朝起きれないから働けないなんていうのは、甘えている』……こういう味方が主流だ。気違いヘビメタに五〇〇〇日以上にわたってやられると、どうしても普通に通勤して働けなくなるのだけど……そんなのは、実際に五〇〇〇日以上「たたられた」人じゃないとわからない。自分のからだでわからなければ、わからない。俺が言っていることと、結果に距離があるように思える。本人の努力でどうにでもなるのに、あるいは、本人の考え方でどうにでも鳴るのに、それができないというのは、甘えていると考えるみたいだ。距離があるというのは、午後一一時一一分までのヘビメタ騒音と朝起きれないから働けないのあいだにひらきがあるとその人が考えているということだ。実際に体験したことがなく、これがどういう意味を持っているかわからない人が、勝手に、そういうふうに決めつけてくる。はっきり言ってしまえば、「ひらき」はまったくない。むしろ、五〇〇〇日間がんばってきたからこそ、「働けないからだ」になっているのだ。それを、まったく一日も経験したことがないやつに、わかったようなことを言われる。これは、気違い兄貴の例で言うと、『そのハンダゴテが使えないというのが見てわからないのは、おかしい』『ちゃんと言えば、(お父さんはわかってくれるはずなのに)ちゃんと言わないから、(お父さんが)誤解しているのだ』と言われることに匹敵する。ハンダゴテ事件は二日で済んだけど、ヘビメタ騒音事件は五〇〇〇日以上続いているんだよ。中学時代まる三年間、高校時代まる三年間をすっぽり覆い尽くしているんだよ。本当に、気違い兄貴に直接、どれだけ言っても、一分も静かにしてくれなかった。これが、他の人にはわかってない。平日、午後四時から、午後一一時一一分まで、あの音のでかさで、気違いの音を例外なく、どれだけ(やめろ)と言っても聞かされ続けるということの意味が、他の人にはまったくわかってない。だから、わからずに、間違った推論をして、間違った前提に基づいて、間違った助言をしてくる。この助言は間違っている助言だ。けど、そういうことを言う人たちは、間違った推論をして、間違った前提に基づいて、間違った助言をしているとは思わないだろう。思いたくもないだろう。なので、ヘビメタ騒音のことを説明したあとも、平行線をたどることになる。これがぼくの生きがたさのひとつだ。本人は、中学時代まる三年間、高校時代まる三年間をヘビメタ騒音にやられず、勉強することを奨励され、あるいは、勉強する気持ちになれば(家で)(毎日)勉強することができたやつが、そういうことを言う。こういうやつは、こっちからみれば、甘えているんだよ。どれだけ自分がいい環境で勉強することができたか、まったく気がついてない。才能の差だと思っている。考え方の差だと思っている。考え方のさというのは、たとえば、自分なら、たとえヘビメタ騒音が(エイリの言うとおりに)鳴っていたとしても、ポジティブに考えてべんょきうすることができた……と無意識的に考えているんだよ。そういうふうにみなしている。けど、それは、間違っている。気違いヘビメタ騒音をあの頻度であの長さで、経験したことがないから、そういうふうに思い込んでいるだけだ。気違い兄貴の性格が(本当には)わかってないから、『自分なら……』と思うことができるだけの話だ。そういうところで、思い違いをしている。けど、これも、何回も言うけど、そういう人たちは、自分が思い違いをしているとは思わないだろう。『自分なら……(お兄さんを静かにさせることができた)』『自分なら…本当にそういう音でそういう時間鳴っていたとしても、勉強することはできたし、遅刻しないで学校に通うことができた(はずだ)』と……実際には一日も経験してないのに、勝手に推論して、決めつけている。そういうことであるならば、「たとえ、騒音があったにしろ、いまは鳴ってないのだから、働けないなんてというのは甘えている」と考えても不思議ではない。けど、これは、間違っている。ゲスノカングリ。ただ単に、俺とおなじ頻度で、俺とおなじ長さ、(気違い兄貴!のヘビメタ騒音を)経験してないから、わかってないだけ。からだでわかってないから、推論が崩れるだけだ。気違い兄貴!のヘビメタ騒音というのは重要だからね。他の人のヘビメタ騒音じゃなくて、気違い兄貴がやった、あの気違いヘビメタ騒音を経験しているかどうかが問題。経験してないのであれば、それは、間違った推論をしてもしかたがない。けど、こっちは、見下されて、不愉快だ。そういうふうに思っている人は本当に「考えちがい』をしている。わかってないだけ。まあ、しかたがないことなんだけど、わかってないだけだ。実際に、経験してみろ。一〇〇日、一〇〇〇日、三〇〇〇日、五〇〇〇日、積み重なったときにどういうからだの状態になるか、経験してみろ。『通えるはずだ』なんていうのは、経験したあとに言え!



それで、実はダイヤと絶交したのもこれが直接関わっている。本当に自分のことのようにずっと心配してくれたのだけど……それは、ありがたいことなのだけど……こたえたよ。







2018年2月18日日曜日

気にしないようにしても、「こたえる」

やばい状態だったが少しだけ、復活した。

まあ、復活したところで「くらやみトンネル」はぬけられないんだけどな! いったい、いつになったら、「くらやみトンネル」をぬけることができるんだ? ヘビメタがはじまって以来、ずっと、「くらやみトンネル」のなかだ。くるしい。誰かに助けて欲しかったのも事実だ。けど、俺は二度ことわっているしな……。どのみち、俺の友達が兄貴に注意したとしても、その友達が帰ってしまえば、気違い兄貴は『普通の音で鳴らしているつもりで』『ものすごくでかい音で』鳴らす。鳴らし続ける。他の人は……ここを読んでいる他の人は、俺がこだわりすぎなのではないかと思うかもしれないけど、実際にやられてみればわかる。どれだけ、気にしないようにしても、「こたえる」。その影響は、意識、無意識、精神全体、体力、知能、能力に広範な影響を与えてる。気分の問題だけじゃないのだ。意識的な努力で、どうにかしようと思っても……つまり、『気にしないように』しても、あらゆる面で影響を与えていた。中学の教師のように、『たいしたことじゃない』『(家族で相談すればいい』と単純に考える人もいる。そういう人たちには、この問題の深さがわからない。だから、わからないところで、適当に判断する。その適当な判断は適切な判断じゃない。間違った前提に基づいた間違った判断だ。常に、自分のことに関して、間違った判断をされる状態……でいいはずがない。それが、どれだけつらいことか、他の人にはわからない。

2018年2月17日土曜日

あの時のあの感じはやばい。

実はモニターの見過ぎで目が痛い。

目の奥が、じーーんと痛いのだ。



なので、また横になる。



けど、さっき見た夢は、かなりやばい。

あの時のあの感じはやばい。


けっきょく、やられたやつが最後まで悪く言われる。

人間ってなんだ?
けっきょく、やられたやつが最後まで悪く言われる。

   *   *   *

毎日だったんだよ。毎日。
毎日だったんだよ。毎日。毎日ってことの意味がわかるか?
わかるわけがない。やられたことがないなら、わかるわけがない。毎日やられたことがないなら、その連続がどれだけの破壊をもたらすかわかるわけがない。勝手に、自分の普段の想像で、ものを言うな。

2018年2月16日金曜日

他の人にとってはどうでもいいことだが


しかし、俺が生きてきて、ヘビメタ騒音のことを言ったとき、無理解なひとの無理解な反応が……けっこうこたえたな。生きているあいだで、いやなことはいっぱいあるけど、ヘビメタ騒音系の派生物はけっこうこたえたな。けっこうまじめな人が、二重三重に誤解をする。悪い人じゃないんだろうけど、誤解は誤解だ。『見立て』が間違っている。最低で三個間違っている。

   *   *   *


ヘビメタ騒音で全部ない。
あーあ、本当
兄貴が一日目にヘビメタをやめてくれたら、俺の人生は、どんだけすばらしいものになっていたかわからない。

2018年2月15日木曜日

主観の問題だから、狂っている人は、ごく普通にそう感じることができる

自分の日記だから書いちゃうけど、つまんない~~

つまんない~~~



これ、どうにかしないとな。



まあ、「おもしろい」「おもしろい」と言えば、おもしろくなるかと言うとならない。これはもう実験済み。



なにか、方法があるはずなんだけどなぁ。



「つまらない。けど、そこそこ書きたいことが書けた」

「つまらない。けど、そのうち楽しくなるかもしれない」

「つまらない。けど、楽しい瞬間があるかもしれない」

「つまらない。けど、おもしろかったときはある」(ヘビメタ騒音前だけどな。ヘビメタ騒音がはじまってからひたすら、つらい日々だった。ほんとうに、ダイヤ君がいなかったら、死んでたな。自殺してた。気違い兄貴の頑固さが、他の人にはわからない。ついでに言っておくと、ほんとうにつらいんだよ。他の人にはわからないだろうけど、ほんとうにつらいんだよ。つらすぎる。



ああいうやり方で絶交するべきではなかったな。けど、限界だった。ダイヤに言われるのは、こたえた。限界だった。一一年も毎日ヘビメタ騒音が続いてしまうからいけないんだ。実際には、もっと長く続いたのだけど、ダイヤと絶交しなければならなくなったのは、ヘビメタ騒音歴一一年目あたりだ。ヘビメタ騒音歴一二年かもしれないけど。なんか、涙が出てくるな。



ほんとーーーに頑固で、絶対にゆずってくれない。親父以上に頑固なんだよ。自分が本当にゆずることなんて、中間期末試験注だろうが、入試シーズンだろうが、一分も考えてないよ。最初から、絶対に、一分だろうがならさないで我慢するのはいやだからやらないと決めていた。

最初から、絶対に、一分だろうがヘッドホンして我慢するのはいやだからやってやらないと決めていた。「それだっていいだろ」という考え方なのだ。

「よくない」から「よくない」と何万回も言ったのに、まったく、つたわらない。親父のようにつたわらない。親父以上につたわらない。『自分が親父みたいだったなんて信じられない』とか(兄貴の嫁さんの前で)兄貴が言っているんだよ。

よく言うよ。親父そのものだよ。親父をこえる頑固さだよ。最初から、自分が損をするかたちで、ほんとうに我慢してやることなんて絶対に、考えてない。「そんなのは、絶対に一分だってやってやらない」と心に決めていた。

だから、実際に一分だって静かにしてくれなかった。

けど、気違い兄貴は、感覚器をずらして、自分が鳴らしたい音で鳴らして「いい」ということにしてしまったんだ。「どれだけやったって、やってない」ということにしてしまったんだ。「どれだけデカイ音で鳴らしたって、デカイ音で鳴らしてない」ということにしてしまったんだ。

親父とおなじ方法でしてしまったんだ。

そして、親父とおなじ方法で無視して、親父とおなじ方法で、『言われたら』怒って否定した。

で、否定したら、もう本人のなかではすんでいること……終わっていることだから『まったく言われなかったのとおなじ状態』になってしまう。

だから、「言われなかった」という気持ちで、いまは本人だって一分間も鳴らせないようなデカイデカイ音でずっと鳴らしてた。

「うちでなら」それでゆるされるのである。

「うちでなら」そういうデカイデカイ音で鳴らしたって、鳴らしてない(のとおなじ)なのである。気違い兄貴の主観としては、普通の音で鳴らしているということになってしまう。

常に鳴らしているときは、そういう感覚で鳴らすから、実際にはデカイデカイ音で鳴らしていても、普通の音で鳴らしていると錯覚してしまう。妄想してしまう。その感覚は、現実を常に裏切っているのである。


で、ぼくがちょっとだけ言いたいのは、道徳観を問題にしないのであれば!……善悪を問題にしないのであれば!……兄貴や親父のように、やりたいことをやるというのが、理想的な姿として語られることがあるということだ。

『人に迷惑をかけてもよい』ということにはなってない。けど、たとえば、気違い兄貴は、どれだけ言われたって、『弟に迷惑をかけている』と思ってなかったのである。

それは、異常なのだけど、感覚器をずらした場合は、感覚器をずらしたわけだから、本人には異常じゃないと感じられるということだ。感覚器をずらしているという感覚はないのだから、普通のことをしているとしか思わないのである。

要するに、九〇デシベルぐらいのものすごくでかい音で音を鳴らしても、三〇デシベルぐらいの音で鳴らしていると本人が思っているのであれば、本人にとっては、三〇デシベルぐらいの音で鳴らしているのとおなじわけだから、何時間鳴らしても問題はないと感じることができるのである。


「午後一一時一一分にはやめるのだから、三〇デシベルぐらいの音で鳴らすなら、一日に一三時間、一日一四時間鳴らしたってよい」のである。三〇デシベルぐらいの音で『がたがた言ってくる方がおかしい』と、本人は思うわけである。


実際は九〇デシベル!で鳴らしていても、本人がそう思えば、本人のなかではそうなのだ。だから、絶対に反省しない。

それから、三〇デシベルぐらいの音で鳴らしているのだから、それ以上静かにしてやるかどうかは、自分の自由だということになる。


相手の言うことを聞いて、ヘッドホンをしたり、鳴らさないで静かにしてやる必要はないということになる。もし、ほんとうに三〇デシベルの音で鳴らしていると(信じているのであれば)、三〇デシベルの音で一日に一四時間鳴らすことは、道徳的に問題がないことなのである。


「静かにしてくれ」「やめてくれ」と文句を言ってくる相手がいるとするならば、それは、そう言ってきたやつが悪いと思って、鳴らし続けることは、道徳的にやってもいいことだと感じることができる。


だから、道徳を問題にするにしろ感覚器がずれているのであれば……あるいはおなじことだけど、無意識的に感覚器をずらすことができるのであれば、実際にはどれだけデカイ音で、一日に一三時間、鳴らしたとしても、問題はないと感じることができるのである。


で、それは、けっきょくは、※主観の問題だから※、狂っている人は、ごく普通にそう感じることができるのである。その場合、普通の意味で、道徳性が問題になるかというとならない。本人は、道徳心があるつもりでも、感覚をずらすことができるのであれば、本人が意識しないまま(やってないとおもっているまま)やることができるのである。

   *   *   *

道徳観を問題にしないのであれば!……善悪を問題にしないのであれば!ということは、ものすごく重要だ。人が言うことを気にしないで、自分が思ったとおりのことをやる……ということが理想として語られることがある。『人に迷惑をかけないのであれば』ということだけど……。しかし、『人に迷惑をかけているのか、かけていないのか』の認識が究極的には本人の主観に依存している限り……そういう条件付けは意味をなさない。これは、もちろん、究極的には意味をなさないと言うことだ。ふつうは、意味をなす。けど、兄貴や親父みたいに主観としては…「迷惑をかけていると思わない人」が存在する以上、『人に迷惑をかけないのであれば』という条件は、その人たちにとってまったく意味がない。無効化されていることだ。


   *   *   *

やっぱり、この世は、鳴っているこの世だ。
くるしい。
この雰囲気。この体調。だるい。くるしい。やっぱり、睡眠が関係しているような感じがする。おなじなんだよな。あのくるしかった日々とおなじなんだよな。ほーんとうに、くるしかった。あれはない。

いま、幼稚園の子供たちが、ぎゃぎゃーぎゃーーと奇声を発しているけど、ヘビメタ騒音なんて、そんなものじゃない。近距離の、兄貴のヘビメタ騒音はそんなものじゃないのだ。あんな音のなかで、勉強なんてとてもできない。どれだけ勉強が好きでも勉強ができない。「勉強ができない」とか「うるさくて勉強ができない」というと、状況に関係なく……つまり、事実と関係なく「いいわけだ」「勉強したくないからそんなことを言っている」と言い出すやつがいるけど、それはちがう。だいたい、そいつは、ヘビメタ騒音のなかで勉強したことがない。ヘビメタ騒音のなかで好きな作業をしたことがない。ゲスノカングリだと思う。本当に、好きなことを、ヘビメタ騒音のなかで……ヘビメタ騒音にさらされて……やったことがないから、わかってないだけだ。経験がないからわからないことはある。別に、そいつのIQが低いといっているわけではない。ただ、「いいわけだ」「勉強したくないからそんなことを言っている」と言うのは、そいつの頭が悪いことを暗示している。頭じゃなければ、「性格」が悪いことを暗示している。ゲスなんだよ。性格が「ゲスな。

おまえ、本当に、あの騒音のなかで勉強ができるのかよ? 毎日、続けて、週間として勉強ができるのかよ? 何千日もあの音が積み重なったら、からだの不快感が並大抵じゃないんだよ。過労死寸前の体の状態になってしまう。常に毎日、寝不足だからな。あの体の状態で、あの音が鳴っている中で、勉強なんてできるわけがないだろ。勉強どころか、好きでやりたいことも、できなくなる。好きなことでも、あの『発狂的な騒音』のなかでやると、きらいなものになってしまうからな。そのものに、ヘビメタ騒音がくっつく。時間というものがある。行為は常に現前して、ヘビメタ騒音も現前している。そうなると、行為そのものが汚染されてしまう。ヘビメタ騒音に汚染されてしまう。好きだったことがきらいなこと、いやなこと、思い浮かべたくないことになってしまう。



認知療法の説明のなかでは、
で、認知療法家が鬱病患者に対して

しんど、これ、しんど。

正直言ってつかれた。

この、つかれ~~

くるしいな、おい。

この、つかれ~~



あーー、たいしたとをしてないのに、強烈につかれている。

じゅうぶん眠っているのに、つかれている。

寝過ぎてもつかれるというけど、それとはまたちがうんだよな。

ヘビメタ騒音のつかれだから。



しんど、これ、しんど。

あいかわらず、頭に霞がかかっているな。もやもやする。
しんどーー。これ、しんどーー。

俺がどれだけ説明しても「言えばよかったのに(静かにしてって言えばよかったのに)」と言うやつは、兄貴の態度がわからないんだよな。そんなの、どれだけ言ったかわからないほど言った。何万回、何十万回、ひょっとしたらな百万回も言った。いや、何百万回はないか。何十万回かわからないけど、何十万回は言った。

頭がもやもやする。だめ。
だれか、助けろ。

むなしい。こんなの。

こんな人生でいいわけがないだろ。こんな人生で!

そういえば、睡眠科の医者もそうだったけど、兄貴の話と親父の話は、信じない人は信じないね。まるで、俺がヘンな人のよう思われる。こんなのない。まるで俺が嘘を言っているか、まるで俺が妄想を語っているように思うみたいだけど、ちがう。これ、むかしっから、そうなんだよな。親父と兄貴に関わることは~~。

『言わないからダメなんだ』と言ったやつは、みんな……。

   *   *   *

あー、この現実なんだぁ?? この現実なんだぁ??





2018年2月14日水曜日

おまえ、八年間毎日やられてみろ!!

人生の時間がぁ~~があ~~があ~~~~ジンセイノタイセツナジカンガァ~~すぎていく。

実は目がつかれている。明るさを下げる眼鏡をかけなければ。
かけた。

やる気がなくなっている。ただでも少ないやる気が~~~

つかれているから眠れるけど、眠るのだけが楽しいね……。という感じじゃない。眠ってもくるしい。眠っているときも起きているときも、つくづくヘビメタ騒音で人生がなかったなと思う。本当にヘビメタ騒音がでかすぎる。こんなの、無理だよ。どれだけ才能があっても、どれだけいい人でも、こんなの無理だよ。他の人から、サボっているように思われる。他の人から甘えているように思われる。その『他の人』というのはヘビメタ騒音を一日も経験したことがない人だ。親に金を出してもらって、大学院を卒業した人だ。どっちが甘えているんだよ? ヘビメタ騒音一五年間で、仕事ができなくなった。毎日通勤する睡眠力と体力がなくなった。一五年間毎日、経験してから言ってくれる?

気違い兄貴に言っておく。(後で付け足す)

あとは、たとえば、俺の大学進学に津いて勉強がものすごくできたけど、経済的な理由で大学進学をあきらめて、働いた人がいくらでもいる。(成績が良かったやつが高校卒で企業に勤めて働いた。だから、エイリも大学なんかにいまさらこだわらないで働くべきだ)と言ったやつがいる。

こいつはまったくなにもわかってない。

ぼくができないのは……気違いヘビメタ騒音の結果できなくなったことは、通う』ということだ。通勤通学がそもそもできないからだになったのである。これは、根性とか気力とか道徳観の問題じゃない。労働に対する価値観の問題じゃない。まるで俺がサボっているように思っている。

要するに、『通う』ことができるのに、『通わない』だけなんだと思っている。できないんだよ。そりゃ、ぼくだって、ヘビメタ騒音が鳴り始める前はできた。普通にできた。決まった時間に起きて通うということが、『不可能』ではなかった。そりゃ、朝つらいときもあったさ。

けど、それは、『不可能』ということではない。通い続けることが不可能ということではない。決まった時間に起きて、特定の場所に行くということが、まったく不可能ということではないのだ。

けど、ヘビメタ騒音を八年間毎日やられたあたりから、そういうことがまったく不可能になった。ぼくは、『通わない』ことを選択しているのではなくて、通えなくなってしまったのである。

これも、実際にヘビメタ騒音生活を八年間続けて、その八年間、決まった時間に起きて決まったところに通って、なおかつ、決まったところから帰ってきたら、けたたましい騒音がずっと鳴っているという状態を経験してから、とやかく、言えと言うのだ。

本当に、頭にくる。こいつらは、「俺(エイリ)がサボって通ってないだけだ。働いてないだけだ」と本気で思っている。こいつらは!!! おまえ、八年間毎日やられてみろ。休みの日は朝の一〇時から夜の一一時までずっとやられてみろ。休みの日のほうがヘビメタ騒音にさらされる時間が長くなってしまうのだからな。

これは、地獄だ。休みにならない。俺がどういう思いで日曜日をすごしてきたと思っているんだ。家から出ても帰ってきたら、ずっと午後一一時一一分まで鳴っているんだぞ。気違い的にデカい音で鳴っているんだぞ。どれだけ言っても、気違い的な態度で、気違い的にデカイ音で鳴らすことにこだわりつくして、鳴らすやつがいるんだぞ。

そいつが!家族なんだぞ!!

そいつは、まったく鳴らしてないのとおなじ気分でいるんだぞ。どれだけなにを言っても親父のようになにも伝わらないんだぞ!

こういう生活をして、睡眠力と体力と気力を削られて、生活してみろ。八年後には、「まったく通えないからだ」になっている。これ、こういうことがまったくわかってないんだよな。

だから、「労働の大切さがわかってないから(エイリは働こうとしない)サボっている。(労働の大切さがわかれば、働くはずだ)(そうにちがいがない)」と、常識的な頭で決めつけている。

こういうやつは、異常な家族の状態というのが、根本的にわかってない。そのくせ『人間主義』なんだからな。あんまり言いたくないことだけど、ヘビメタ騒音なしで普通に大学に通って就職したおまえより、俺のほうが生きがたいに決まっているだろ。

どこにめん玉くっつけているんだよ。おまえの目は常識でくもりにくもっている。真実がまったく見えてない。

こういうことをこういう書き方で書くと嫌悪感を感じる人もいるだろう。そういうことも含めて、気違いヘビメタ騒音の連続というのは、こまるんだよ。

これ、いまさらの問題じゃなくて、鳴っているときからの問題だから。鳴っているときから同様の問題が発生していた。鳴っているときから位相はちがうけど同様のの問題が発生していた。

これ、本当に、兄貴が異常な意地で鳴らしているということが、普通の常識的な人にはわからないんだよな。

兄貴の『常識』がわからない。兄貴の感じ方、兄貴の頑固さ、兄貴の感覚のずれ、兄貴の認識のズレ、兄貴の認知のズレが、わからない。わからないから、なにか俺が道徳的に劣っているように思われる。兄貴も親父も気違いの壁というのがあって、その壁は、殺さなければ(うちのなかでは)くずすことができない。

こういう切迫した状態がまるでわかってないんだよな。

こういう人たちは、ヒトコト「やめて」と言えば、やめてくれるとどこかで思っている。常識的な人はどこかでそう思っている。だから、「言わなかったエイリが悪い」「そんなの言えばいいのに、言わないからダメなんだ」と思ってしまう。

「そうじゃないんだ」と言っても、そういう「みたて」がかわらない。相手のなかでこれまた、変化しない。そういう「みたて」は、自我に直結しているものだから、かえたくはないし、かえない。

だから、へんなのはエイリだということになる。「ちゃんと言えばつたわるのに、ちゃんと言わなかったから悪いんだ」ということになる。その「みたて」は、間違っているのだけど、本人は間違っているとは思わない。その人の中には、兄貴のような人はいないのである。

いても……いたとしたら、その人は精神病院に入院しているはずだから、いてもいないのとおなじだということになる。逆に、精神病院入院していないなら……つまり精神病院入院するほどひどくないのであれば……「ちゃんと言えば、ちゃんと聞いてくれる※はず※」なのである。

そういう暗黙の「みたて」がある。

で、その暗黙の「みたて」は、間違っている。これがわかってない人がいるんだよな。兄貴がどんだけの意地でやっているかわかってない。兄貴がどんだけの意地でやっていることを認めないかわかってない。

気違い兄貴の側には気違い兄貴の「みたて」があって、その「みたて」は「うちでなら、この音で鳴らしてもいい」「この音は非常識なデカイ音ではなくて普通の音だ」という「みたて」だ。

どれだけ、いい人でも、どれだけ道徳的な日でも、こう思う。それがヘビメタ騒音だ。それがヘビメタ騒音の連続だ。おかしいんだよ。おかしい。世の中がおかしい。他のやつらがおかしい。

   *   *   *

こういうことを書くと、俺がひねくれているように思う人もいるかとは思うけど、それもちがう。ただ、やられてないから、そう思えるだけだ。だいたい、常識的なひとの「みたて」が間違っているというのは、本当の話だ。真実だ。目が曇っているのは、『やられたことがない人たち』だ。

そりゃ、ああいう態度で毎日ずっとやられたら、うらみもするだろ。それで本当に人生がないのだから。極限の暮らしを強いられてきたのだから。しかも、やっている本人は、何年間、毎日やろうが……実際にやろうが……まったくやってないつもりなんだからな。これで俺が怒っていると、……怒っているやつはいやだな……と思われるわけだよ。『目が曇っている』と言われたやつは、おもしろくないわけだよ。事実だけどな。『目が曇っている』やつは、本当に『目が曇っている』。真実がわかってない。自分がやられたことじゃないから、その意味がわかってないだけ。実際どれだけの被害がしょうじるか、わかってないだけ。どうしてわからないかというと、自分がやられたことがないからだ。『想像の範囲外』なのである。(その人たちが)想像することすらできないようなひどい音で鳴っていた。(その人たちが)想像することができないような態度で(兄貴は)(毎日)(毎時間毎分毎秒)鳴らしていた。こだわりつくして、一切合切有効な範囲でゆずらず、鳴らしていた。一万分の一でも、下げてやったら、下げてやったんだから静かにしてやったということになってしまう。けど、それは、兄貴だって、いま住んでいるところでは一分だって鳴らせないような大爆音だ。どうして、「よそ」の人に対する気遣いの、一万分の一もないのか。どうして、親父のまねをして、無慈悲に鳴らし続けるのか。本当はデカイ音で鳴らしているのに……鳴らし続けているのに……ゆずってやったと思うことができるのか? 静かにしてやったと思うことができるのか? 気違い兄貴がゆずった音なんて、普通の人からすれば、『こんなデカイ音で鳴らしてだいじょうぶなの?』と不安になるような音なんだよ。これが、気違い親とおなじで、(気違い兄貴は)まったくわからない。そして、そういう音を聞いたことがない人は、俺がどれだけ、デカイ音で鳴らしていた……と言っても、そのほんとうの威力がわからない。あれが、毎日七時間から一四時間鳴っていたら、本当に、すべてがおかしくなってしまうんだよ。どれだけちゃんとした人」でも、遅刻するようになってしまうんだよ。遅刻して、それでも毎日がんばって七年間学校に通ったとしても、八年目には、「もう通えないからだ」になってしまうんだよ。

どうして、俺がこんなに言っているのに、信じないやつは信じないんだ? まあ、思いつく理由は俺が書いておいたけど、それにしても、おろかだ。目が曇っている。曇りまくっている。なにが、人間学だ。騒音でくるしいと言っているだろ。『道徳性』はどうなるんだよ。やられたやつが、やられたまま、我慢すればいいのか?

2018年2月12日月曜日

常識的なひとの『うちに関する判断』というのが常に間違っている

ぼくのたましいは、ヘビメタ騒音にやられてさまよっていたころのたましいのままだ。どんだけ、さまよい続けているのか? だいたい、ヘビメタ騒音問題はほんとうにやられた人しかわからない。『騒音がきつかったんだろうな』というのはわかるかもしれないけど、それじゃ、実際のところはまったくわかってないのとおなじだ。けど、ぼくが求めているのは、『騒音がきつかったんだろうな』ということだ。しかし、『(エイリにとって)騒音がきつかったんだろうな』ということを認めない人たちも当然いる。

お兄さんステレオ騒音なんて、言えば、簡単に片付きそうな問題なのである。そんなに深刻そうな問題に聞こえない。けど、やられればわかるけど、鳴り始めてから六ヶ月で、生死をさまよう問題になる。俺は、生き残っただけでもすごいのだ。そう思わなければやってられない。

うまく書けるかどうかわからないけど、ちょっとだけ、書いておこう。それは、現場を知らない人は、間違った判断をするということだ。ヘビメタ騒音の現場を知らない人は、常に間違った判断をする。そして、間違った判断を押しつけてくる。

むかし、『現場の刑事』と『お偉いさん』の軋轢を扱ったドラマがあった。そのドラマでは、『お偉いさん』が常に間違った命令をくだすのである。『お偉いさん』が言うように行動すると、犯人が目的を遂行してしまう。『犯人』のほうが『お偉いさん』より一枚うわてで、常にひとつうえの手を考えて行動しているのである。

しかし、現場の刑事は、犯人の意図がわかるので、『お偉いさん』の命令を無視して行動したいという衝動に駆られる。もし、命令を無視すると、。これは、命令違反だから、処罰の対象になるのだけど、『お偉いさん』がバカなので、しかたがない。

そこで、『お偉いさん』の命令を形式的には尊重して、『お偉いさん』のメンツを立てて、なおかつ、犯人の裏をかいて、犯人を捕まえるというようなドラマであったように記憶している。

で、なにを言いたいかというと、常識的なひとの『うちに関する判断』というのが常に間違っているということだ。現場を知らんのです。どういう態度で、親父が幼児に接してきたか、まったくわかってない。どういう態度で、兄貴がヘビメタを鳴らしているのか、まったくわかってない。親父の態度は本当に異常だった。これがわかってない。

『そんなのあり得るはずがない』『そんな大人、いない』『そんな人いるはずがない』『いたら、精神病院に入院しているはずだ(けど、入院してないのだから、そうじゃないのだろう)』……全部、ちがう。常識的な色眼鏡で見ると、真実がわからなくなる。常識的な人はドラマに出てきた『お偉いさん』のように常に、『うちの事情』『うちの状態』について間違った判断をする。『普通はこうだ』『そんなことはない』という間違った先入観がすべての判断をあやまらせるのだ。

2018年2月11日日曜日

損傷に関する自分の認知と他人の認知 と フォーカシングの限界

たとえば、左腕をなくした人のことを考えてみよう。「左腕がないということにこだわるよりも、右手でできることを考えましょう」という考え方はそこそこ肯定できる。しかし、『やる気』『意欲』といったものは目に見えない。左腕のように目に見えることではないのだ。かりに海馬が損傷していたとしても、そんなのは、目に見ることはできない。だから、ちょっとだけ話がちがってくる。

Aさんが左腕をなくした場合だと、Aさんの認知は左腕がないというものであって、なおかつ、他の人の認知もAさんの左腕はないというものだ。しかし、海馬が損傷して?やる気がなくなっている人の場合は、その人の認知とまわりの人の認知が食い違うのである。

それから、脳みその一部が損傷している場合、その人の自身の考え方が、その人の思い通りにはいかないという場合がある。しかし、それを感じているのもその人だけなので、まわりの人が確かに目で見てわかるわけではない。問題なのは『脳みそ(感じるもの)(判断するもの)』の能力自体がさがっているということだ。

これは、たとえば、左腕のように限定されたものではない。損傷部分が脳みそだと、『それ自体』(本人の質自体がかわるので)どの能力がこれだけなくなったということがわかりにくい。左腕がなくなった場合は、左腕がなくなったという部分に着目すれば、左腕がなくなったという損傷の範囲が本人にも、他者にもわかるので、「左腕がないということにこだわるよりも、右手でできることを考えましょう」というようなことが言いやすいのではないかと思う。「左腕がないということにこだわるよりも、右手でできることを考えましょう」という考え方が説得力を持つ。

しかし、これをそのまま、脳みその損傷に適応することができるかというと、できないと思う。まあ、ないはずの左腕がかゆいということがあるので、左腕がないということが本当に脳みそに影響を与えないかというと、そうとは言い切れないと思う。左腕を失った場合でも、脳みそに影響はある。

しかし、それでも、直接、人格に関わる部分ではないと思う。(能力の欠如の範囲)が目視できて、なおかつ、そうであることがその人の脳みそ全体は影響を与えない場合と、能力の欠如の範囲が目視できず、なおかつ、脳みそそれ自体に直接、影響があることは、わけて考える必要がある。

2018年2月10日土曜日

『記憶にすぎない』というわけではない

過去の経験があるから、『過去は関係がない』なんてことについて、議論できる。人間というのは、幼児期に母国語の骨格をおぼえる。人間は、適切な時期に、母国語の言語シャワーを浴びないと、母国語さえ話せるようになれない。

狼に育てられた子供は、最後まで、ちゃんとした言葉を話すことができない。もちろん、『過去』というような抽象的な言葉を用いて議論するなんてことはできない。

過去、幼児期において、適切な言語シャワーを浴びたから、母国語で、抽象的な言葉を用いて、抽象的なことに関する議論ができるようになる。

これは、とりもなおさず、『過去が影響している』からだ。現在の言語能力に、過去の経験が影響しているからだ。

過去の影響がなければ、言語を適切に操ることすらできないのである。「いまここ」という考えにこだわる人は、実は、効率主義者なのだ。だから、効率が良いか悪いかが、物事の価値判断の基準になる。「いまここにフォーカスして、できることをやるほうが良い」というのは、そのほうが効率がいいからだ。

過去のことにこだわるよりも、できることが増えるのだから、今もっているものでできることにフォーカスした方がよいと考えているだけだ。それは、それで、一理ある。

しかし、それですべてを説明することはできないし、「過去は現在に影響を与えない」ということもできない。「トラウマなんかない。トラウマなんて存在しない」と言うことは、できない。

しかし、「いまここ」にこだわる人は、『過去は現在に影響を与えない』などと言ってしまう。『過去は記憶の中にしかない』などと言ってしまう。

言語能力を培ったというのは……そしてまた、いま現在!母国語を自由に操れるというのは、過去の学習の結果なのである。そして、現前している言語能力は、いわば身体機能として言葉を使って考えるということを可能にしている。

個々の過去の経験だけが、記憶として頭の中に貯蔵されているだけならば、能力としての言語機能は発達しない。つまり『記憶にすぎない』というわけではないのだ。すべての過去の記憶をたしたものが、現在の言語能力を作り出すかというとそうではないのだ。

記憶というのは、記憶にしかすぎないという言い方もできるけど……それは、記憶の記憶性だけにこだわった言い方で……実際には、実際の経験を通して、記憶以上のものを獲得している。そのひとつが、言語能力に他ならない。

現在の言語能力は、けっして、過去と関係なしにぽっとできあがったものではないのである。過去のすべての記憶プラスアルファなのである。おなじことを別の言葉で言うと「記憶の全体ではなくて、能力がプラスされている」ということになる。すべての記憶をたしても、現在の言語能力にはならない。記憶だけにこだわるから、過去は記憶にしかすぎないという言い方になるのだけど、過去の経験と過去の学習には、記憶そのもの以上のものがあるのだ。

最初の話しにもどるけど、母国語ですら、適切な時期に適切な量の言語シャワーを浴びないと身につけることはできない。言語能力がなければ、「(自分は)日本語を話すことができない」ということを適切に言うことはできない。これは、重要な問題だ。



   *   *   *

にしても、ヘビメタ騒音できつい。気違い兄貴は、「あ・れ」を無視してやったのか。あれを鳴らしていたとき、「ゆずってやったつもり」だったのか? 頭にくるな。入試一ヶ月前の午後八時の騒音が、どんだけこたえたか? そのあとずっと続くわけだけどな。どれだけ俺が兄貴の部屋に怒鳴り込んだと思っているんだよ。あんなにデカイ音で鳴らし続けて、本当にゆずってやったつもりだったのか? 静かにしてやったつもりだったのか? 本当に、頭がおかしい。それなら、静かにしてやったつもりの音で、いま住んでいるところで鳴らしてみろ。一〇分で、苦情がくるから。

2018年2月8日木曜日

どーーーしても、ヘビメタ騒音でくるしい

どうしようかな~~

本当に、これ~~~



あ~~





ヘビメタで人生がない~~~

本当にあいつ、なにもやったつもりがないんだろうな。そういう態度で、一分もゆずらないで鳴らしてた。どれだけ、言っても、どれだけ怒鳴り込んでも、絶対の意地で、一分もゆずらないで鳴らしていた。それが毎日の事実だ。毎日の現実だ。そうでない日がない。そうでない日がなかった。ずっと続いてみろ。どれだけくるしいか。意味がない。ヘビメタ騒音にやられた俺の人生の意味がない。どれだけもがいても、どーーしても、うまくいかなかった。どーーーしても、ヘビメタ騒音でくるしい。



本当に、あいつがこだわって、こだわりのデカイ音を、こだわりのスピーカーから鳴らしているのに「しらないよ~~」って感じだからな。どれだけ言っても、むだだった。そういう態度で接していたということを、いい加減思い出せ。そういう態度でやってたから、やっているときから、迷惑行為をしているということは、一切合切気にしてなかったんだろ。親父の態度で!! 親父の感覚で!! 自分がやられれば、一分で腹が立つことなのに、自分が押しつけるぶんには、一日中やったって、まったくなにも感じない。



「やめろ」「静かにしろ」「ヘッドホンをしろ」と言われたら、腹を立ててい。それは、親父が「ハンダゴテを買ってくれ」と言われたときとおなじなんだよ。親父が「このハンダゴテは使えない」と言われたときとおなじなんだよ。「それじゃ、静かにしたことにならない。ちゃんと静かにしてくれ」と言われたら、腹を立てて、固着して、鳴らしていた。気違い親父が文句を言われたときの態度おなじだから。それで「つもりがない」わけだからな。主語? 兄貴も親父も、「やめろ」と言われて、意地になって、固着してやったことは、全部つもりがないことなんだよ。「やったってやってないこと」なんだよ。ぜんぜん、やったつもりがないことなんだよ。じゃあ、やめてくれるのか? というと、絶対にやめない。発狂して、ビタイチモンゆずらずにやる。やりきろうとする。殺さなければ、やめさせることができない。殺さなければやめさせることができない状態を押しつける。殺さなければ、ずっとやられっぱなしになる。で、そうやって、気違い的なこだわりでやったことは、全部、「やってないこと」なんだよ。「そんなの知らない」「そんなに鳴らしてない」。「そんなの知らない」「そんなに鳴らしてない」と嘘でなく、言う。本人は、「そんなの知らない」「そんなに鳴らしてない」と言っているとき、嘘をついているつもりがない。「そんなの知らない」「そんなに鳴らしてない」と言っているときは、言っているときで、やったときとおなじ頑固さを発揮する。本当に、事実なんて関係がないんだよ。自分のなかで、とっさに否定したくなったことは、否定して、頑固に頑固に、言い張る。嘘なんだけど、嘘をついているつもりがない。





こんなやつにずっとやられていいわけがない。こんなやつらにずっとやられ続けていいわけがない。

   *   *   *

あんときの、あれはない。
まともな人が、みんな僕の敵になる。あれはない。

気違い兄貴よ。ヘビメタ騒音、本当にきつかったよ。入学試験の一ヶ月前も、一週間前も、一日前も、当日帰ってきてからも、一分もゆずってくれなかったね。あれでゆずったつもり? だから、気違い兄貴は、気違い親父とおなじだと言っているんだよ。あれで! あれで!! あれで、ゆずってやったつもり? 静かにしてやったつもり?? 本当に頭がおかしいな。で、兄貴の頭のおかしさが他の人にはわからないんだよ。他の!ちゃんとした家庭で過ごした人には、兄貴のおかしさがわからない。気違い兄貴だって、いま住んでいるところでは、一分だってヘビメタを鳴らせないわけだろ。どうしてかというと、気違い兄貴が静かにしてやったつもりの時間も、気違い的にデカイ音でヘビメタを鳴らしていたからだ。当時とおなじ音で……音の大きさで、いったい何秒、ヘビメタを鳴らせるかの? 気違い兄貴がゆずったつもりの音は、カオ君が「こんなにうるさい音で鳴らして大丈夫なの」「弟さん、かわいそうだよ」と不安になってしまうほど、大きな音なんだよ。迷惑な音なんだよ。気違い兄貴、おまえ、やっている一五年間、ずっと認めなかっただろ。自分が五分間でも、ゆずってやったら、大威張りだっただろ。全部、親父とおなじ態度だ。その五分間だって、ガンガン!デカイ音で鳴っていたから、ゆずってもらってない。「ゆずってもらってない」というのがわからない。自分がゆずってやったら、それが実際には、デカイ音でも、ゆずってやったつもりになる。親父とおなじ精神構造だから。親父とおなじ性格だから。親父とおなじ精神病にかかっているから。









2018年2月7日水曜日

いまさら、図書館に行ってなにになる?

自転車を買い換えるかどうかまよっている。

まだ、使えるものを捨てるのはなぁ~~

けど、ペダルが重いんだよな。ギア付きのものを買えば良かった。

ギア付きのものを買えば、図書館に気楽に行ける。



いまさら、図書館に行ってなにになる?っていう話もある。

金はあるんだ。どうするかな?



それにしても、買ったにしても、人生がつらすぎる。



いまの自転車をどうするかという問題がある。自転車を捨てるのはけっこうたいへんなんだ。めんどい。しかも、使えるものだからな。気が引ける。けど、二台おくところはない。



僕にとって自転車のことはけっこう大きな問題だけど、本当は、それほど大きな問題じゃない。細かいものを買えば、すぐに合計で1万8千円ぐらいにはなる。細かいいろいろがあるんだよ。服も含める。



で、図書館に気軽に行けるようになったとして、それで、たしかに生活の質は上がるわけだけど、……どうするかな?という問題がある。せこすぎる。せこいことでなやんでいるんだよな。



自転車はけっこう悩むんだよな。金額の問題だけじゃない。まあ、普通なら、車を買い換えるかどうか悩むような年齢だ。車とかオートバイじゃなくて、自転車というところが、俺らしいというか、俺の人生を象徴しているよな。



アメリカのETFがさがったので、買っておいた。これは、老後資金になる。仮想通貨を買おうと思ったけど、いろいろと問題があるので法的な整備をまった方がよいかと思った。



ともかく、ヘビメタにやられていたときのままなんだよ。精神状態が! だから、ものすごく苦しい。俺の人生なんだったって、ものすごく思う。



これ、自転車のこととかETFのこととかわりと普通に書いているけど、おきたときのしんどさ、眠る前のしんどさは並みじゃない。

普通の精神を保って生きているのがだんだんつらいものになっている。



まあ、業務用ストアに行くにしても、漕ぎやすい自転車のほうがよいのだけどな。ETFのことを書いたのは、ETFなんか買うよりも、漕ぎやすい自転車を買う方が先じゃないかと、俺が俺に突っ込みを入れたくなったからであーーある。



本当に取り残されちゃったな。ヘビメタが鳴ってなければ……。ヘビメタがあしかけ一五年間毎日鳴っていた場合の最善の選択がこれだ。長すぎる。

本当にヘビメタ騒音でくるしい。気違い兄貴が、一分もやめてくれなかった。一日に何十回怒鳴り込んでも、気違い的にデカい音で鳴らすことに、気違い的にこだわって、絶対に絶対に絶対に、一秒も静かにしてくれなかった。

気違い兄貴にしてみれば、「このくらいの音で鳴らしていい」と思っているわけで、どれだけ言われたって反省なんてしない。言われれば、言われるほど、腹を立てて、頑固に鳴らした。

「ちゃんと言えばつたわる」なんてことはない。親父とおなじなんだよ。気違い兄貴にわかりやすく説明するには、やはり、ハンダゴテ事件がいいと思う。ハンダゴテ事件では親父に、気違い兄貴がやられたから。あれとまったくおなじことをヘビメタ騒音事件でやっているんだよ。

兄貴のヘビメタに対する態度というのは、親父のハンダゴテに対する態度おなじなんだよ。言われたら、怒るだけで、なにも悪いと思わないで、気違い的なことを主張して、やりきる。絶対に、相手の言っていることを認めない。第三者なら一目でわかることなのに、第一者には、どれだけ言ったってわからない。

気違い親父には、「親父が出してきてくれたハンダゴテは使えない」と言うことがわからない。事実に関係がなく、使えるハンダゴテでなければならないのである。それが、くつがえされることは、心臓を持って行かれるようにいやなことなのである。普通の人が自分の心臓をかばうように、自分の意見をかばう。『使える』『だいじょうぶだ』という意見で防御しなければ、自分の金を持って行かれる。自分の金を持って行かれることは、心臓を取り出されて持って行かれることよりも、いやなことなのである。屈辱なのである。

だから、普通の人が自分の心臓を持って行かれないようにするように、激しく抵抗する。そういうがんばりなんだよね。あぶらあせをかいて、顔を真っ赤にして、『使える使える』と逆上する。

で、兄貴の場合は、まず、気違い兄貴がこだわって鳴らしている音が、デカイ音だということを認めない。命がけで認めない。そんなのは、兄貴の友達が、兄貴の部屋にはいって、兄貴が普段鳴らしている音を聞けば、一分でわかることなのに、兄貴は、一五年間鳴らそうが、わからない。どれだけ、何万回『デカイ音だ』ということ言われてもわからないままなのである。命がけで認めない。デカイ音だということを認めてしまったら、静かにしなければならなくなる。

本当に静かにしてやるのはたとえ、一秒だろうが絶対に、いやなのである。命がかかっている。一秒本当に静かにしてやるのは、絶対になにがあろうがやってやりたくないことなのである。だから、絶対にデカイ音だということは認めない。

「普通の音で鳴らしているのだからどれだけ鳴らしてもいい(どれだけ長い時間鳴らしてもいい)」という自分のなかの理屈がこわれることは絶対にどんなことがあっても認めない。

何万回言われようが、だれから言われようが絶対に命がけで認めない。

もし認めてしまったら、本当に静かにしてやらなければならなくなる。それは、死んでもいやなことなのである。一秒だろうが、死んだってやりたくないことなのである。それは、心臓を抜き取られてしまうことよりもいやなことなのである。だから、命がけで認めない。

「自分が鳴らしている以上は、どれだけデカイ音でも普通の音だ」ということになる。「普通の音で鳴らしているのだからいいんだ」という気持ちを絶対に手放さない。気違い親父にとって、使えるハンダゴテなのかどうかは、最初からどうでもよいことなのである。

それとおなじように、気違い兄貴にとっては、自分が鳴らしている音がデカイ音かどうかなのかということは、最初からどうでもよいことなのであ。事実を無視して、『でかくない音だ』ということに決まっているからだ。

死にものぐるいだよ。『言われたら』発狂だよ。一回でも言われたら『発狂』だ。二回、三回、言われたらもっと怒る。「せっかく静かにしてやったのなになんだ!」と怒り狂う。実際には、静かにしてやってないのだけど、気違い兄貴のなかでは、最大限の譲歩をしてやったということになっている。これは、親父が、家にあるハンダゴテを出してやったという状態とおなじだ。親父にとってみれば、ハンダゴテを出してやっということが最大限の譲歩なのである。使えないハンダゴテだということはどれだけなにを言われても、認めないのである。

兄貴の場合は、気違い兄貴の基準で、ちょっとでも静かにしてやれば、それは、静かにしてやったということになるのである。実際には、その『静かにしてやったやったつもりの時間』も、爆音で鳴っている。兄貴の友達のカオ君が『こんなにデカイ音で鳴らして大丈夫なの?」と不安になるようなデカイ音だ。兄貴だって、いま住んでいるところでは一分だって鳴らすことができないデカイ音だ。

けど、うちでは、そういうデカイ音で鳴らして、『静かにしてやった』と思うことができるのである。

だから、ちゃんと「やめて」と言っても、やめてくれない。「家族会議をひらけばいい」なんてアドバイスが、どれだけ無茶なアドバイスか、「家族会議をひらけばいい」なんてアドバイスをした人は、わからない。これは、感覚としてわからない。

だから、『兄貴に言ってもダメなんだ』ということを、「家族会議をひらけばいい」なんてアドバイスした人は認めない。「家族会議をひらけばいい」なんてアドバイスをする人は同時に「そんな音で(お兄さんが)鳴らしているのに、他の家族が文句を言わないなんていうのはおかしい(他の家族が文句を言ってないなら、エイリが大げさに言ってるだけなんだ)」と思っているような人なのだ。

「他の家族」って親父とお母さんのことだけどな。要は、『親』だ。『親が文句を言ってないなら』たいした音じゃないのだろう(音に敏感なエイリが、大きな音だと言っているだけなのだろう)と思ってしまう。けど、それは、間違っている。こういう、間違いが多い。

で、親の話が出ると、親父のことを説明しなければならないのだけど、親父のことは、兄貴のことを説明する以上にむずかしいのだ。それこそ、「ちゃんと説明」しても、「そんな親はいない」とかたく信じている人は認めない。いずれにせよ、「そんなことは、家族で話し合って決めてくれ」ということになる。

その人にとっては、兄貴のヘビメタ騒音問題は、たいした問題じゃないのである。兄貴のヘビメタ騒音問題は、遅刻の原因になるような問題ではないのである。そういう見なし方がある。『(兄が)ヘビメタ騒音を鳴らしているから、遅刻してしまう。なんていうのは、甘えている』と考える。

それは、事実を知らないから、そう思うだけで、おなじことをやられれば、その人だって遅刻する。最大限努力しても、何日かに一日は遅刻するようになる。死にものぐるいで努力しても、何回かは遅刻するようになる。ヘビメタ騒音にたたられたことがないから、そういうことが言っていられる。一日のなかで、何時間も何時間もヘビメタ騒音を聞かされたら、夜眠れなくなる。

どうしてもどうしても、どれだけからだがつかれていても、眠れなくなる。そういうことが、何日も、何十日も、何百日も、何千日も続いたら、その何千日のなかでは、どうしても、どうしても遅刻する日が出てくる。数千日とは言わず、一年三六五日のなかでも、何日かは遅刻するようになる。普通の人にくらべれば、遅刻する回数が多くなる。普通の人というのは、毎日普通に眠れる人だ。普通の人というのは、毎日、何時間も何時間も気違い的にデカい気違いヘビメタ騒音にさらされることがない人なのである。

僕も、毎日、何時間も何時間も気違い的にデカい気違いヘビメタ騒音にさらされることがない期間は、普通に普通の人とおなじように、遅刻せず通うことができた。

しかし、ヘビメタ騒音問題がたいした問題じゃないと思う人は、『エイリが甘えているから遅刻する』と思う。「(ヘビメタ騒音で)朝起きれない(起きることができない)」と言えば、「起きれないと言っているから、起きれないんだ」「できないできないと言っているからできないんだ」と言われる余地が出てくる。

ヘビメタ騒音問題というのは、そういう問題なんだよ。うるさいときだけうるさいからこまるという問題ではない。全部なんだよ。俺の名誉の問題なんだよ。これは、生活態度に関する問題だけど、学力に関してもおなじ問題が成立してしまう。










大きなちがい

ポジティブ思考を自分の上に適応するのはいくらしてもかまわない。どうぞ、がんばってそうしてくれ。けど、それと!他の人に説教するのとは、ちがう。他の人の上に適応して、「だから、だめなんだ」というのは、ちがう。自分の上にだけ適応すればいいと思う。実際、そういうことで、気分があがるなら、それはそれでかまわない。どんどん、やってほしい。何回も言うけど、他の人に適応するのは間違っている。自分に適応してくれ。しかし、「わかっようなことを言って自分が気持ちよくなりたい人』は、よく他の人の上に適応して、いろいろなことを言う。自分の上に適応するべき。他の人の上に適応して、「そんなふうに思っているからそうなんだ」と言うのは、よくないことだ。その人にはその人の事情がある。そういうことを言いたい人……わかったようなことを言いたい人にはその人(ネガティブにみえる人)の事情がわからないだけだ。事情を無視した、判断なのだ。ただ単に、「だから、だめなんだ」と説教して気持ちよくなりたい人には、事情がわからないだけだ。けど、細かい話しというのは、捨象される。説教をしたい人は、一般論を言うから。一般論に、入らない人たちもいるのだけど、そういう人たちのことは、まったく考えてない。自分の一般論を展開してしてしまう。人間はそういう動物なので、そういうことをしたくなるのはわからないではないけど、間違っている。間違っているし善くない行為だ。

2018年2月6日火曜日

親父がいたら、いただけで、地獄だ。地獄と化す。……感情の人間サンドバック

ああ、ヘビメタ騒音さえなければ……。
本当に全部の記憶にむすびついている。……むすびついている。これ、人間として生きているとしかたがないことなんだよな。

本当にヘビメタ騒音できつかった。
本当に、異年齢集団に入っていかなければならなくなる。全部、振るわない。年下先輩が増える。死にたくなるね。

本当にヘビメタ騒音ですべてがくるしかった。だって、本当に、休みの日なんて朝からずっと夜の一一時一一分まで爆音でヘビメタが鳴っているわけで、休めない。平日の勉強の遅れを、土日で取り戻すなんてことは無理だ。

だって、土日のほうが、長くなっているから。……よけいにつかれる。つかれがとれないまま……つかれが拡張されたまま……月曜日になる。もちろん、月曜日の朝はしんどい。みんな、だれだってしんどいとか言う人がいるけど、それとはちがうしんどさなんだよ。毎週毎週かさなってみろ。もっとも、他人は、「そんなのしったこっちゃない」と言えば、それですんでしまうけどね。ぼくはそれじゃすまない。

ぼくの「からだ」だからね。一日に二、三時間しか眠れないような状態が七年間続いたときのしんどさと、ふつうに一日に八時間ぐらい眠って七年間すごしているときのしんどさは、ちがう。

過労死寸前で七年間働いているときのしんどさと、ふつうに七年間働いているときのしんどさはちがう。強制的に、過労死状態にさせられた。強制的に眠れない状態にさせられた。これも、俺がまるで、だめ人間だから、あるいは、だらしがないから、あるいは、人生を甘く見ているから、夜眠らないで起きているだけだろと考える人もいるわけだけど、ちがうんだよね。

ヘビメタ騒音がなければ、第三者から、誤解されずにすんだのに、そういう状態を押しつけられる。外から見ると、そう見えるという状態を押しつけられる。「いつも、憂鬱そう」「いつも元気がない」「それなのに、興奮しやすい」「怒りやすい」などなど。

そりゃ、あんな態度でヘビメタ騒音を毎日、午後一一時一一分まで、鳴らされ続けたら、だれだって、憂鬱そうな顔になる。だれだって元気がなくなる。だれだって、怒りやすくなる。……そりゃ、うちでかかえているヘビメタ騒音というトラブルでせいいっぱいだから。気違い兄貴よ、おまえ……。

気違い兄貴よ。気違い兄貴のヘビメタ騒音が鳴っている時間というのは、気違い親父と一緒にいる時間よりもいやだ。気違い兄貴も、小さいころ、親父と一緒にいたら、ずっと、わけのわからないことで怒り狂われていた。そりゃ、理由なんてなしに、わけのわからないことで、発狂し続けるのがあたりまえの状態だからな。

これも毎日毎日、あたりまえの状態なんだよ。

子供が小さければ、子供は、「人間サンドバック」だ。自分の感情のはけ口にしかしない。けど、「そういうつもり」だけはいつもないんだよ。難癖つけて、怒り狂うというのがスタンダードだ。子供に八つ当たりして怒り狂うのが、日課なのである。『やめてくれ』と言ったら、それこそ、なぐられるわけだよ。で、気違い親父は、なぐったことは、反省するのだけど、それにいたるまでのことは、絶対に反省しないんだよ。反省するわけがない。

やったってやってないわだから。

それに、「やめてくれ」と言ったら、くちごたえをしたということになる。で、気違い親父が「そんなこと言ったら、なぐられたなぐられた」「そんなこと言ったら、おんだされた!おんだされた!!」とギャンギャン吠えるように言って、発狂する。小さいとき親父と「いあわせてしまったら」いつもそういう状態になる。

で、本当に、暴力は少なかったんだけど……(くちごたえされたときだけ暴力を振るったので、口答えをしなければ暴力はなかった)。けど、やっていることはおなじなんだよ。気違い親父は、子供が悪いことをしたから、注意するとかそいうのはなかったんだよ。

一切合切ない。注意したことはなかったけど、常に怒り狂っていた。だから、本当は怒ってないけど、わざと怒ったふりをするとかいうことじゃなくて、わけのわからない理由で、本当に怒り狂っていた。で、「自分は!!自分は!!」ってなる。「自分は、家にいれなかった」「自分は、ごはんを食べるとき、廊下で食わされた」「自分はめしをくわせてもえらなかった」と怒り狂う。

ようするに、たとえば、子供が、自分のうち!で、ふつうにごはんを食べている……食べることができるという状態自体が、気にくわない。腹立たしい。自分はそんなのできなかったのに、なんだ、おまえらは!!」という怒りがある。

「自分はそんなんじゃなかった」「どんなことをされたって、くちごたえをしたら、なぐられて、おんだされた」と絶叫する。

この場合、絶叫しただけで、なぐらない場合もある。というか、おやじはほんとうに数回しかぶったことがない。だから、暴力は、あったにはたったけど、常に暴力を振るっていたわけじゃない。

で、問題は暴力のありなしじゃなくて、頭がおかしいというところだ。まあ、頭がおしいというのはよこにおいておいて、わけのわからないことをして、絶叫するのと、わけがわからないことをしてなぐるのは、大差がないんだよ。

くちごたえをすれば、ぶつけど、くちごたえをしなければぶたないわけだから……。で、世間ではぶつかぶたないかがものすごくデカイちがいであるように言われるのだけど、本当はそうじゃない。

おなじ。ぶったり、絶叫するまえに、やったことが問題。気違い的な意地で主張していたことが問題。ぶったり、絶叫する前に、やっていた「気違い行為」が問題。

世間の人は、そこのとろがわからない。暴力があれば問題。暴力がなければたいした問題じゃないと考えるところがある。この問題にかんしては、世間の考え方のほうがずれている。もちろん、「世間」のほうが人数が多いので、俺がずれているということになるんだけど……。暴力があるかないかよりも、重要なことがあるんだよ!!!

それは、認知の問題だ。自分がやったことに対する認知の問題だ。自分が命がけで、発狂してやりのけたことにかんする認知の問題だ。「やったって、やってない」が普通に成り立つ状態がわかるか? すぐに「やったって」の部分がとれて「やってない!やってない!!」という認知にかわる。時間が経てば「やったってやってない」という認知ではなくて、「やってない」という認知になってしまうのである。時間は、一分もあれば、じゅうぶんだ。そういう構造がずっと成り立っていれば、そういう反応をずっと返してくるということになるのである。で、ずっと『やってないという認知』が成り立つ。

で、親父のことはどうでもいい。

けど、兄貴のことはゆるせない。ヘビメタ騒音は限度を超えている。兄貴に言っておきたいのけど、ヘビメタ騒音が鳴っている空間は、兄貴が小さいときに親字と「いあわせた」空間とおなじ。

兄貴が小さいときに親父と「いあわせて」いやな思いした空間よりも、いやな空間だ。俺にとって、自分の部屋は、気違いヘビメタ騒音に汚染されているので……自分の部屋にいるときにガンガンヘビメタが鳴っているので……めちゃくちゃに、いやな空間なんだよ。

そういう空間に、俺の部屋がなってしまう。

横の部屋で、気違い的にデカイ音で、気違い兄貴がヘビメタを鳴らすから、俺の部屋がそういう空間になってしまう。

気違い兄貴はまったく考えてないのだろうけど、一日に一三時間三〇分、親父といっしょの部屋にいてみろ。いることを考えたときの、「不愉快さの度合い」を考えてみろ。気違い兄貴が一日に一三時間三〇分、ヘビメタを鳴らしている場合、俺の「不愉快さの度合い」は、気違い兄貴が気違い親父と一三時間いっしょにいるときの「不愉快さの度合い」よりも高いんだよ。

気違い兄貴と気違い親父がもめているときの!気違い兄貴の「心の乱れの度合い」は、気違い兄貴のヘビメタを強制的に聞かされているときの俺の「心の乱れ度合い」よりも低いんだよ。気違い兄貴にとって気違い親父と居合わせている空間は地獄だったろうけど……いやでいやでしかたがない空間だったろうけど、俺にとって気違い兄貴のヘビメタが鳴っている空間は、それよりも地獄なんだよ。それよりもいやな空間なんだよ。いやでいやでしかたがない空間なんだよ。

俺だって兄貴とおなじぐらいに、気違い親父問い合わせるのはいやだった。子供のとき、気違い親父がいたら、いただけで、地獄だ。地獄と化す。本当に、わけのわからないことで怒鳴り込んできやがって。頭がおかしい理由で怒鳴り込んでくる。本当は、怒る理由なんてない。

だから、俺だって、気違い親父といっしょにいる空間はいやだった。けど、その空間は、気違い兄貴のヘビメタ騒音空間よりも、はるかにマシなんだよ。

気違い兄貴は、俺に、気違い空間を押しつけている!! 夏休みなんて、どれだけ、宿題をやるからやめろと言っても、朝の九時一五分から、夜の一一時一一分まで、少しの休みを入れて、一三時間四五分ぐらい気違いヘビメタを、デカイデカイ音で鳴らす。

勉強はしたかったけど、ヘビメタ騒音のなかで勉強すると、学校でおぼえたことすら、忘れてしまう。おぼつかなくなる。自信がないものになってしまう。どれだけ、きついか!! 気違い兄貴が一日中ヘッドホンをしてくれたら、俺は本当に勉強ができた。これ、ちょっと工夫が必要だけど……。これ、どうも、ぼくの記憶力は他の人ちがうみたいなんだよな。ともかく、ヘビメタ騒音がなければ、ぼくは勉強ができたし、たとえ、勉強ができなかったとしてもそれで満足だった。ヘビメタ騒音さえなければ……。ヘビメタ騒音さえなければ……。


   *   *   *

どーしても、ヘビメタノ問題が解決しなかった。
午後六時、ヘビメタ騒音がガンガン鳴っている時間だ。
死にたい。死にたくはないけど死にたい。死にたくなるほどくるしかった。

問題が解決しない。

2018年2月5日月曜日

兄貴の態度はなかなか理解されない

いったん、うちのなかの気違いにやられると、他のやつから、攻撃を受けるんだよな。うちのなかのことは、その人たちにはわからない。気違い兄貴がどういう態度で、鳴らしているのかわからない。気違い兄貴がどういう認識を持っているのか、他の人にはまったくわからない。

そりゃ、「鳴らしてたって鳴らしてない」「デカイ音で鳴らしてたって、デカイ音で鳴らしてない」という感覚の持ち主なんだからな。あれは、「うち」では、気違い親父とまったくおなじ態度なんだよ。

気違い兄貴がうらんでいた……激しくうらんでいた気違い親父とまったくおなじ態度で鳴らした。気違い兄貴の踏ん張りは、気違い親父の踏ん張りとおなじなんだよ。気違い親父の踏ん張りなんて、「うちのなかのひと」しか絶対にわからない。

これは、心理学をどれだけ勉強したって、臨床心理士として長年カウンセリングをしてたって、わからない。これ、は、わからないひとにはわからない。肌でわからない人にはわからない。だから、肌でわからないひとの感覚がものをいうようになる。判断をするときに、肌で現場がわからないひとの感覚がものをいうようになる。だから、気違い兄貴の態度はなかなか理解されない。

気違い兄貴に言っておく。気違い兄貴は、親父のことをうらんでいた。うらむだけの根拠はある。うらんで当然なのである。

けど、気違い兄貴は、気違い親父のまねをして、ヘビメタを鳴らし続けた。気違い兄貴はまったく知らないのだろうけど、気違い兄貴のヘビメタに対する態度は、気違い親父の気違い行為に対する態度とまったくおなじだ。気違い兄貴のヘビメタに対する「こだわり」は気違い親父の、わけのわからないことに対するスイッチが入ってしまったときのこだわりとおなじだ。

だから!だからこそ! 本人はまったく気がつかない。本人はまったく気がつかずに、「それ」を実行することができる。そして、実行したあとは、相手がどれだけなにを言っても、気にしない。

まるで、「やってないから気にしない」という態度で気にしない。どれだけ言われても、気にすることができない。気にすることに失敗する。で、次の日になればまた、おなじことを、しつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくやり続ける。

毎日毎日、しつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくおなじことをやり続ける。悪い行為を気違い的なこだわりで毎日毎日、毎時間毎時間やり続ける。絶対にゆずらない。一分だって、絶対にゆずらない。命がけでゆずらない。そういうこだわりがある。

だから、気違い兄貴が帰ってきてしまったら、ものすごくデカイ音でヘビメタが鳴り続けるということになる。そういう状態がかわらなかった。何年間も毎日毎日、かわらなかった。毎日毎日、究極的な状態なのである。毎日毎日が本当にひどい状態なのである。かわらず~~~。かわらず~~毎日毎日。

他人からすれば、俺がヘビメタ騒音にしつこくしつこくこだわっているみたいけだど、実際に、自分が、毎日一五年間にわたって、たえきれないヘビメタ騒音を、やられてみろ。それで、一切合切、うちで勉強することができない状態を経験してみろ。試験前にガンガン鳴らされている状態を経験してみろ。鳴らされたあと、体が動かなくなる時間を経験してみろ。こだわるに決まっている。

有限責任

昨日は、腹が痛くてたいへんだった。今日も腹が痛い。いまも腹が痛い。これはやばい。



喉の渇きがはんぱじゃないし、やばいかもしれない。



あ~~あ。



なんとかしないと。この『全体気分』。ぜんた~~いなんだよ。ぜんたーーーい。全体的な気分が、問題だ。個々のそれぞれの問題じゃないんだよ。



たとえば、いま、ぼくは、部屋の中でこういう気分なんだけど、旅先でこういう気分になっている場合、つらさはかわらないということだ。旅行は楽しいというイメージがあるだろ。けど、実際に旅行に行って、こういう気分になったら、それは、やっぱり楽しくないんだ。



で、どうしてぼくが、いまこういう気分かというと、頑固な頑固気違い兄貴が、頑固に頑固にデカイ音でヘビメタを聞き続けたからだ。ヘビメタ騒音生活を強要されたからだ。こんなの、俺のせいじゃない。けど、これに関しても、なんて言うのかな? 自分の気持ちだけはキレイゴトでかためた人が「せいじゃない」というのはおかしいと、キレイゴト理論で責めてくる。その人たちは、本当は、いろいろなことをひとのせいにしている。それこそ、その人に責任があることまでひとのせいにしている。いっぽう、ぼくは、ひとのせいじゃないことは、ひとのせいにしてない。兄貴の態度には問題がある。俺は責任を果たした。果たし続けた。やられたやつが、やられたということを言うと、無限の責任を追及してくるやつがいるけど、それは、それこそ、そいつの心の問題だ。無限責任なんていうのはないんだよ。気違い兄貴という、他人にはわからない物体が、いろいろな「わるさ」を頑固にやって、その結果俺が苦しんでいるのに、全部、俺の責任にされる。気違い兄貴が気違いであること、あるいは、気違い兄貴が気違い的な感覚でヘビメタを鳴らしたことにかんして、俺が責任を持てるわけがないだろ。兄貴は、気違い的な感覚で鳴らした。気違い的な感覚で無視した。どれだけ働きかけても、気違い的な意地で鳴らし続けた。それは、俺の責任じゃない。「やめろ」と何万回も兄貴に直接怒鳴った時点で、俺の責任果たしている。

2018年2月4日日曜日

外に行けない

外に行けない状態になってしまった。


ヘビメタにやられてから、なんて言うのかな、……こういう状態になることがある。めんどうくさい。買い物に行けないという状態だから、たいした問題ではないけど、これで、勤めていて、会社に行けないということになるとやばい。



こういう気持ちを押して、学校に通っていたけど、もう、燃え尽きて散った。どうしてそうなってしまうのかというと、午後一一時一一分まで、休みの日を含めて、強烈にどでかい音でヘビメタ騒音が鳴っていたからだ。平日は家に帰ったときから、午後一一時一一分まで。休みの日は朝の一〇時か一〇時三〇分から、午後一一時一一分まで、爆音で鳴っていたからだ。



ヘビメタに焼かれて、つらい。精神がつらくなる。動けなくなる。動かなければならないときに、動けなくなる。常に、ヘビメタで緊張を強いられる。そして、ヘビメタが鳴っているあいだ、本当に勉強することができない。はっきり言えば、サボることさえできない。これは、ただ単に勉強することができないからつらいということではない。もちろん、ただ単に勉強することができないからつらいという面もある。



けど、ちがうんだ。そういうことじゃないんだ。ヘビメタに焼かれている時間というのは、あらゆる意味で、負の時間なのである。ただ存在しているだけで、ものすごいマイナスになる。すべての点でマイナスになる。ヘビメタ騒音を経験してない人が「外に行けない状態になった」とか「外に出れない」ということを聞けば、「なんて、だらしがないやつだ」と思うだろう。「そんなのは気にしなければいい」と思うだろう。



そして、「『できない』ということはない。やろうと思えばできるのだから、できる。だから、甘えているだけだ』と思うだろう。けど、それは、ヘビメタ騒音を一日に七時間から一四時間毎日経験したことがない人の言うことだ。そういうことを言う人たちだって、六年間、毎日ヘビメタ騒音が鳴っている状態を経験して、休みの日以外は学校なり会社に通えば、俺の体の状態がわかる。精神の状態がわかる。



わからないのは、何年間も毎日、騒音生活を経験したことがないからだろ。朝、「起きれない状態」にもかかわらず、無理矢理起きて体を動かした経験がないからだろ。



もちろん、これは、一日二日の話しじゃない。何年間も毎日、十数年間も毎日、強烈に、朝がきつい状態なのに、無理をして、「外に出た」経験がないということだ。浴びておいて、そういう影響を受けないと言うことは、できない。



だれだって、あれだけやられたら、影響を受ける。ヘビメタ騒音焼かれたら、次の日起きれないという効果があらわれる。それを常に、克服し続けて、高ストレス状態で生活してみろ。七年も毎日、容赦なく、頻度とボリュームをおとさずに続いたら、もう無理だという話になる。



本当に、強烈な炎にあぶられたらやけどをするのとおなじで、ヘビメタ騒音を……あのレベルのデカイヘビメタ騒音に焼かれて、こげないなんてことはないんだよ。こげて、どれだけ眠りたくても、眠れなくなる。午前四時とか五時まで、眠れない状態ですごすことになる。七時間やられるとそういう状態になる。そして、午前七時四〇分には、強烈に眠りたいのに、起きなければならないということになる。



経験したことがちがうのだから、思うことがちがうのは、わかる。経験したことがない人に、ヘビメタ騒音をやられた、次の日のつらさを言ったってむだだ。だいたい、そういうやつは、兄貴のような人間がこの世に存在しないと思っている。「言えば、ちゃんと静かにしてくれるはず」なのである。「そんなにこだわって、ヘビメタを鳴らす人なんているはずがない」のである。もう、そういうところから、話が通じない。



これは、兄貴に話が通じないというのとはまたちがったシステムだけど、話が通じないとことにはかわりがない。だから、そういう人は、その人の常識にしたがって「外に出れないなんていうのはあまい」「できないなんてことはない。やらないだけだ」などと、えらそうに言う。



けど、それは、ただ単に、あの騒音を経験したことがないから、そう言えるだけだ。自分が本当に、何年間も毎日、俺とおなじ騒音を聞かされ続ければ、わかるよ。「できる、できない」に関しては、禅問答みたいになってくる。俺は「できない」と言うことで、そういうことを言いたいわけじゃないんだと言いたい。これも、わからないか? おまえがたまたま、気違いヘビメタにやられなかっただけじゃないか。おまえがまじめだから、できるというわけではないんだよ!! おまえだってやられればできなくなるんだよ。これ、後天的なことで、なおかつ他の人が滅多に?経験しないことだから、わからない。



先天的な障害に対してはやたらと同情的なのに、後天的であって、なおつか、他の人が滅多に経験することがないことが原因であることにかんしては、まったく無慈悲な無理解ぶりを発揮するなぁ。頭が悪いのではないか。想像力がたりないのではないか。同情心のないつめたい性格なのでは? そのくせ、「ひとのため」とかそういうことを言いやがる。「人は自分のために生きているのではなくて人のために生きているんだ」なんて、ぬかしやがる。こういうことを言うやつのどこが利他的なんだ? 利己心ばかりじゃないか。自分の常識こだわっているから、俺の言っていることを曲解するんだよ。

2018年2月3日土曜日

憂鬱でつまらない気分

今日は本当につまらない。

おちるーーおちるーー



ちょっと金になる文章を書いておいたけど、それだけだ。



本当は、うなぎでも食べに行きたいんだけど、外に出るのが、おっくうでたまらない。おっくう、おっくう。



つまんない。ヘビメタにやられてなければ、普通の人の憂鬱でつまらない気分とおなじだと思うけどヘビメタをやられたので、……人生の中で長い期間ヘビメタをやられたので……普通の人の憂鬱でつまらない気分をはるかにこえて、憂鬱でつまらない。

雑感 引きこもり無職のタイプ?

俺はどうしたらよいのだろう?

多少やりたいことはあるのだけど、どうしても、スイッチが入らない。多少やりたいことができない。どうしてもできない。



やりたくないことは当然できないので、多少やりたいことも、やりたくないこともできないということになる。時間ばかりがすぎていてく。



昨日は、一度着替えて、買い物に行ったのだけど、途中で歩くのがいやになって、帰ってきた。本当に、歩くのがいやになった。家を出て五〇メートルぐらいで、強烈に歩くのがいやになって、帰ってきた。

もちろん、歩いて帰ったわけだけどね。



買い物には行かないといけない。



ほかの中年引きこもり?さんのページはほとんど見ているんだけど、なんて言うのかな? 無職である人はだいたいおなじだな。あっ、金のあるなしで、だいぶちがうとは言えるけど。金のちがいが生活のちがいにあらわれるんだよな。やはり、金のある人はよゆうがある。金のない人はよゆうがない。

金のない人は、「働かなければ」という圧力を常に感じて生きているわけで、生きたここちがしないだろうと思う。金がある人は、特に働かなくてもいいわけで、よゆうがある。けど、なんとか社会につながっていたいと思っている人と、別に社会につながっていなくてもいいやと思っている人で、また、ちょっとちがってくるんだよな。

これは、それまでになにをやったかということが影響していると思う。「別に社会につながっていなくてもいいやと思っている人」は社会人経験があり、だいぶ長く働いていた人が多い。お金がじゅうぶんにあるのに、アルバイトをしている人の気持ちはわからない。まあ、つながっていたいのだろう。

よく、「ボランティア」という提案が出てくるけど、ボランティアなんて本当にやる気になる? 交通費、弁当代がかかる。貧乏リタイアだと交通費と弁当代はけっこうデカイ出費になる。まあ、本当は、なんかの会に行った方がいいとは思うけど、めんどうくさいというのがある。だいたい、私は決まった時間に起きることができない。これが、でかいんだよな。ヘビメタ騒音で!本当に親友とも絶交してしまったし、友達ともだいたいおなじような流れになる。

気違いヘビメタが俺を社会的に抹殺した。一五年毎日、丹念に、毒を入れて、俺の身体をだめにした。社会人としての活動がどーしてもできないからだにした。一五年かけて。毎日やって。実際には、七年間毎日で、社会人としての活動は、どうしても、できないという状態になった。重いんだよ。

ヘビメタ騒音がなければぼくの「やる気回路」「意欲回路」は損傷してないはずだから、やはり、ぜんぜんちがったものになったと思う。たとえ、無職でも。もともと、ヘビメタ騒音がなければ引きこもってないと思う。職歴もすばらしいものがあったと思うよ。

これ、本当に納得がいかないな。

ヘビメタ騒音が毎日続かなかった人に、えらそうなことを言われる立場に追い込まれた。鳴っているのは、くるしいけど、それ以外にもやはり、こういうところで、なんとも言えない気分を味わっている。味あわされた。

毎日やられたことがない人が言っていることは、毎日やられたことがない人にとっては正しいことだけど、毎日やられた人にとっては、正しいことじゃないんだよな。

そんなことは、普通は、気にしない。普通の憂鬱、普通の騒音体験を考えてしまう。普通にやる気がない状態を考えてしまう。だから、こういう人たちには、永遠にぼくの言っていることはつうじないということになる。

想像力が限られているのだから、しかたがない。

そりゃ、無理だ。

実際にどんなことになるか? 一年、二年続いたときに、どういうことになるか? 体験しなければわかるはずがない。体験してない人が言っている正論が、どれだけ現実を無視したものか、わかってない。

わかってないということも、わかるはずがない。

まあ、ぼくも、そうだったと思う。もし、鳴ってなければな。鳴ったとしても一ヶ月で鳴りやんでいたらな。そんなふうなことをいってたと思う。あしかけ一五年間体験した人に、そういう正論をいっていたと思う。

けど、これは、しかたがないことだけど、実は、見にくいことだ。いいことじゃない。もちろん、経験したことがない人は、「いいことをしている」と思うだろう。だから、ここで、世間の人とぼくとのあいだに亀裂が入る。常に亀裂がある。

   *   *   *

ちょっとやりたいことが、そのまま、なんの抵抗もなく普通にできるようになれば、いいのだけど……。むずかしい。そのむずかしさは、他の人には感覚的には、わからない。ちょっとやりたいことをやれるかどうかは、ものすごくデカイ差になる。この差は、全体的な気分、全体的な体力の影響を受けるみたいだ。全体的な気分は、その人が生涯を通して感じてきたことが大きな影響を与えるみたいだ。あるいは、高ストレス状態でがんばり続けて、燃え尽きてしまった人は、この「全体的な気分」が相当にさがっているのである。発火しない。





2018年2月2日金曜日

常識的な人と、兄貴の、板挟みになるのはいやだな

ほーーーんと、つまんない。

どうにかなんないかな。



やっぱり、ヘビメタ騒音のことで気分が悪い。

生きている限り、これが続くのか?



元気、ないんだよな。


他の人にはまったくわからないことなのか?
想像もできないことなのか?
そりゃ、想像はできるだろうけど、その想像の内容が、ぼくの経験したものとはちがうのである。たぶん。だから、その人は、想像してもわからない。わからないことろで、常識に従って、無理なことを言う。本当は、無理なんだけど無理だとは思ってない。あたりまえだと思っている。こうして考えてみると、常識的な人の考えと気違い兄貴の考えは多少似ているところがある。しかし、重要な違いがある。それは、常識的な人が、俺に「騒音を浴びせかけた」というわけではないということだ。やったのは、気違い兄貴なのである。いま、午後六時五五分。気違いヘビメタがガンガン鳴ってた。気違い兄貴本人が、「ヘビメタ難聴」にってしまうほどデカイ音で鳴らしていた。そういうことが、……そもそも、音のでかさがわからない。本当、中学の教師なんて「ヘビメタ」がなんなのかわかってなかったし、どれだけデカイ音で鳴っていると思っても、うちでなっているような音で鳴っているとは思ってなかったんじゃないかな。「うちの状態」も想像の範囲がいないんだよな。だから、わからない。どうしても、自分の常識で考えてしまう。人の話を聞いても自分の常識で考えて、不自然だと思う部分にかんしては、曲解して認めない。「そんなことはない」のである。あるんだけどね。
もう、常識的な人と、兄貴の、板挟みになるのはいやだな。厳密に言えば、「常識的なひとの考えること」と「兄貴の行為」の板挟みになるのはいやだなということだ。

まあ、他の人にとってはどうでもいいことなんだよな。それは、中学時代から変わらない。いや、小学生時代から変わらない。気違い兄貴の意地が、他の人にはわからない。いま、午後七時〇二分。気違いヘビメタがガンガン鳴ってた。どれだけ「やめてくれ」と言ってもやめてくれなかった。これが事実。

ほんとうにどんだけ……。

   *   *   *

ちょーーつまんない。
ヘビメタ騒音にやられてなかった場合の俺は、一日を楽しんでいることだろう。全部破壊された。頭がモヤモヤする。死にたい。めんどくさい。繰り返しになるけど元気がない。モヤモヤする。死にたい。めんどうくさい。こう、からっとした気分にならないかな?

他の人は誤解しているけど、領地がちがうんだよ。「負の刺激量」がちがう。「負の刺激」の回数がちがう。だから、ちがいが出てくる。

   *   *   *

ちょ~くらい気分なんだけど買い物に行こうかなと思っている。
なんか、スナック菓子でも買ってきて、ばりばり食おうと思う。
本当に、ヘビメタにやられてから、ゼンブガゼンブくるしかったな。



2018年2月1日木曜日

まるで、俺が、言わなかったみたいに思っているやつらがいる

あーー、月食を見れなかった。すっかり忘れていた。ぼくはその時間、なんと、パソコンを前にしていろいろなことをタイプしていたのだ。



ぜんぜん、気がつかなかった。しまった。



あー、さむい。いろいろ考えることがあるんだよな。



これから、うどんを食べて、そのあと風呂に入るかな。



やっぱり、この不利な状態をどうすることもできない。小学六年生のときにはじまったヘビメタ騒音が、ずっとずっとずっと、たたる。これ、俺がまるで祟りが神みたいになっているけど、だれだって、あんな態度で、毎日、破滅的な音を聞かされ続ければ、憂鬱になったり、無気力になったり、怒ったり、うらみに思ったりする。まあ、このうらみの感情の表出というのは、あんまりよくない。

よくないけど、じゃ、あ、そのままにしておけるかというとそうではないのだ。無視できない。

俺が、どれだけ建前にこだわって、前向きに、無視してきたか。そして、ボロボロになったか。気違いヘビメタ騒音を過小評価する人は、わからない。常識的な人は、「ちょっとうるさい」ぐらいの音が、一日に一、二時間鳴ってたんだろみたいな、解釈なのだ。「そんなのは、言えばいい」だからな。これは、お兄さんに言えばいいという意味だ。

言ったって、気違いだからまったくなにもつたわらないということが、肌で、わかってない。「うちにいるときの」気違い兄貴の態度なんて、わかるわけがない。頭がおかしいからな。で、一番わかってないのが、当の気違い兄貴なんだよ。自分は普通のつもりなんだからな。

あれだけ、こだわりつくして、絶対に「言うことを聞かないで」頑固にやったのに、「やってないつもり」なんだからな。あれだけ、無慈悲にゆずってくれなかったのに、「ゆずってやったつもり」なんだからな。これ、本当に、なんて言うのかな、「絶対にゆずってやらなかったこと」は絶対に知っていなければおかしいんだよ。

けど、知らない。やっているときからそういう態度だ。一〇〇%そういう態度。絶対にゆずらないけど、ゆずらなかったという記憶がまったくない状態だ。ゆずらなかったという認知がまったくない状態だ。だから、本人は、まったく関係がない人間のつもりなのである。だから、どれだけ何万回言っても、けっきょくは、気違い兄貴が損をするかたちで、静かにしてくれない。

これは、普通に静かにするということだ。まったく我慢しないで、デカイ音で鳴らし続けて、静かにしてやったと思うことが可能なんだよ。これが他の人にはわからない。屈辱的なのは、気違い兄貴が他の人以上にわかってないということだ。親父とおなじしくみでどれだけ言われても、わからないのである。何万回、何十万回言われたって、わからないままだ。

そういう一五年間なのである。一五年というのは、「あしかけ」で、実際には一四年と四ヶ月ぐらいだ。自分を社会的に殺すしかないという状態に追い込まれる。そういうことなんだよ。気違いヘビメタ騒音が毎日、普通に!!鳴っているということは、そういうことなんだよ。けど、俺とおなじ期間、俺とおなじようにやられたことがない人は、俺が、ネガティブなことにこだわっているように思う。

これも、頭がぬけるほど、「おいこまれる」原因のひとつだ。これがどれだけ俺に影響を与えているか? 本当に全部こういうしくみだからな。おなじことをやられたら、俺とおなじぐらいにはネガティブになっているって……。……本当。

けど、俺とおなじ期間、俺とおなじようにやられたわけではないので、それは、「感覚の外」だ。俺だから生きているんだと言いたくなる。俺がヘビメタ騒音のなかでどれだけ、常識にしばられて、うらまず、努力してきたと思っているんだ?と言いたくなる。言いたくなる。

俺は、義人。どこまでも優しい人間だ。だから、生きている。だから、気違い兄貴も生きている。これ、本当に普通の人だったら、一年目あたりに殺していると思う。兄貴を殺していると思う。どれだけ激しく、言ったと思っているだよ。どれだけ激しくぶつかったと思っているんだよ。

相手が「気違い」だから、まったくつたわらなかっただけなのである。まるで、俺が、言わなかったみたいに思っているやつらがいる。こいつらはこいつらで、なんて言うのかな? 常識的な思考にとらわれすぎている。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。