2025年6月17日火曜日

もう、つかれはててしまったところがある

もう、つかれはててしまったところがある。もう、動きたくないという気持がある。

基本、かゆい。この、ダニにさされたあととひっかき傷。あーー。もう、いやだ。まあ、完全防備で、段ボールの上にあるほこりに、立ち向かうべきだった。けど、暑かったし、過去のいろいろで、完全防備をするのが、ほーーーんとうに、いやなのだ。もう、俺は何回おなじことを繰り返しているのだという気持になる。刺されて猛烈にかゆくなった時、どうしたって、きちがい親父の態度が思い浮かぶ。「ネズミ対策工事をしよう」と俺が言った時の、きちがい親父の態度が、思い浮かぶ。俺は、ずっと、きちがい親父のしりぬぐいをしてきた。もう、いやなんだよ。普通の人がやらないことを、突然やりだして、絶対にやめようとしない。粕漬の魚をテーブルの上にずっと出しておくことに、なんの意味があるのか? 焼いてから、二三時間、出しっぱなしにすることになんの意味があるのか。しかし、やめない。どれだけなにを言っても、やめない。部屋中がくさくてくさくて、たまらなかった。そして、部屋がくさいということを言うと、「くさくないよ!」「くさくないよ!」「くさくないよ!」と発狂して怒鳴るのだ。怒鳴って否定する。これ、ずっとおなじなんだよ。ともかく、自分にとって都合が悪いことを言われると、全否定する。嗅覚が正常なら、絶対にくさいということがわかるのだ。電位依存性カチオンチャネル阻害剤によって、特定のにおいに鈍感になっていたわけではない。自分が、テーブルの上に魚を出しておきたいと思っている。そうしたら、もう、絶対に、それができなくなるようなことは、認めないのだ。それだけ。これが、意識的にやっていることならいいけど、無意識的にやっていることだから、本人には、いつもつもりがないということになる。そして、やり勝ちしてしまえば「なかったことになってしまう」のである。こういう、きちがい構造。

これが、全過程をとおして、へんな態度なんだよ。これ、家でしかやらないんだよ。きちがい親父にしても、家でしかやらない。よそのうち」でこんなことができるわけがない。こういう意地を当せるわけがない。自然に、スイッチを切り替えている。これも、無意識的にやっていることだから、「うち」では、こうして……「よそ」では、こうしようなんて考えているわけではないのだ。自然に、スイッチが切りかわる。

ちなみに、きちがい兄貴もおなじなんだよ。きちがい兄貴が、「よそ」のうちに引っ越したら、ヘビメタを鳴らさなくなった。「よそ」の人に対しては、迷惑だということがわかるのだ。「よそ」の人に対しては、「でかい音だ」ということがわかるのだ。ところが、「うち」だと、スイッチが切りかわってしまう。いちおう、自分の部屋にいれば、となり家とは、距離があるので、きちがい兄貴のなかで、隣の家という「よそ」は気にならないものだったのだろう。そういうところで、感覚がおかしいのだけど、そうなのだ。それから、引っ越したときは、ヘビメタに対する興味が、ほとんどなくなっていたというところもある。ともかく、感覚としては、兄貴にも「うち」ならいいという感覚が成り立っていたのだ。そして、この感覚に対して、きちがい兄貴自身が無自覚なのだ。きちがい親父が建てた「このうち」だから、「思いっきり鳴らしていいい」という気持が、たしょうはあったのではないかと思う。きちがい親父に自分は、やられてきたから、今度は、自分がやりかえしていいという気持があったのではないかと思う。自分というのは、兄貴自身のことだ。きちがい親父に、自分はやられてきたから、今度は、自分が、やりたいようにやっていいと思っていたのだ。きちがい親父は、自分(親父自信)がやりたいようにやってきたわけ。そのやりたいようにやるというのは、普通の人の「やりたいようにやる」いうことではないのである。これが、普通の人にはまったくわからないことなのだけど、きちがい親父がやりたいようにやってきたという場合の、やりたいようにやるやり方というのが、ようするに、例をあげれば、酒糟のついた魚を、自分がやりたいように、テーブルの上に置いておくということなのだ。だから、親父にとって、特別に意識的な行為ではないのである。「かたづけてくれ」と言われると、スイッチが入って、きちがい的な意地でかたづけないのである。これに、なんの意味があるかというと、ない。きちがい親父側の問題なのである。きちがい親父の、きちがい的な無意識の問題なのである。やりたいようにやる」という表現を使うと、ちょっと、普通の人が、誤解をしてしまうのだけど、言ってみれば、へんなところで、やりたいようにやっているのである。頭がおかしい理由で、怒り狂うということも、きちがい親父が、きちがい的な意地でやりきったことだ。幼児に、頭がおかしいことを言って、怒り狂う。これが、一度や二度ではないのである。一日に、何十回やってたかわからない。日曜日なんて、おかあさんに、あたったぶんも、かぞえれば、百何十回もやっていた。普通の人には、考えつかない、奇妙な理屈で、怒り狂っていたのだ。これも、「やりたいようにやっていた」と書けば、そう書けることだ。きちがい兄貴の「ヘビメタの根拠」になっているのは、これだ。きちがい兄貴にとって、自分が思った通りに、思いっきり、うちでは鳴らしていいということに鳴っていたのだけど、これの感情的な根拠が、きちがい親父が、きちがい的な理由で、怒り狂っていたということだ。会社から帰ってきたあとの、わずかな時間で、何十回も怒り狂っていたなぁ。朝の、四〇分の間に、何十回も怒り狂っていたなぁ。これ、親父は、日曜日も、一日中家にいるわけではなくて、午前中だけ数時間いただけだったけど、百数十回じゃなくて、二百数十回ぐらいおこっているような気がする。平日の朝は、おかあさんに怒り狂っていたのだけど、そこに、起きていくのが、いやだった。こういうのも、朝の感覚に影響をあたえるんだよな。運動会などの特別な日は、きちがい親父が起きている時間に、居間に行かなければならないのだけど、死ぬほど憂鬱だった。

こういうことだって、「よそ」の人は「そんなのはへんだ。へんだから、エイリさんが嘘を言っている」と思うわけだ。 俺が親父の話をすると、「そんな人、いるわけがない」と思って、俺が嘘を言っていると思うやつが、いる。俺が、兄貴の話をすると「そんな人、いるわけがない」と思って、俺が嘘を言っていると思うやつがいる。けど、ほんとうなんだよね。

*     *     *

手短に言って、きちがい親父の「粕漬の魚」に対する態度と、きちがい兄貴の「ヘビメタ」に対する態度が、まったく、おなじなのである。まーーーった、く、まーーーった、く、おなじなのである。そして、普通の人は、このふたりの態度が、まーーった、く、わからないのである。 

「そんなのは、ちゃんと言えばいい」と思うだけのやつがいる。こいつに、どれだけ説明してもわかるわけがない。「そんなのは、ちゃんと、お兄さんに言えばいい」「ちゃんと言えば、お兄さんだってわかってくれる」……こういうふうに考えているんだよね。「そんなのは、ちゃんと、お父さんに言えばいい」「ちゃんと言えば、お父さんだってわかってくれる」……こういうふうに考えているんだよね。

どれだけ、ちゃんと言っても、わからないから、こまっているんだよ。どれだけ、ちゃんと言っても、わからないから、問題なんだよ。

*     *     *

「言えば、言ったことが現実化するから、言えば、いい」と言うやつもおなじだ。言ったって、問題が解決しかないから問題なんだろ。言ったって、現実化しないから問題なんだろ。

こいつらも……。ほんとうに……。こいつらも、ほんとうに、わかってないな。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。