言霊主義者である「ブラック企業社長」が、従業員である「名前だけ店長」に、「できると言えばできる」などと言霊的なことを言って、働かせようとする理由について考えたことがあるだろうか?
ブラック社長が、言霊主義者であり、「言えば、言ったことが現実化する」とほんとうに考えているのであれば、ブラック社長は、「おカネが、目の前にわきだす」と言えばそれで、すむのである。
言えば言ったことが現実化するので、目の前におカネがわきだすのである。
だから、そのおカネを使えばいい。
ところが、そんなことは、どれだけ言っても、現実化しないことを、言霊主義者であるブラック社長は知っているので、従業員をタダで使うために、言霊的考え方について、言及するのである。
言霊理論が正しいという前提で「できると言えばできる」と言うのである。
「言えば、言ったことが現実化する」と言うのである。
これは、サービス残業をさせるための言葉だ。
ブラック社長は……言霊の力ではなくて、言葉の力を使っているのである。
言霊の力と言葉の力を切り分けて考えたほうがいいと、ぼくは、何回か言霊主義者に、伝えたことがある。けど、言われた言霊主義者が、(その言葉を)言われたあと、言霊の力と言葉の力を切り分けて考えるようになったのかどうかはわからない。
これも、ぼくが「すべての言霊主義者が、これ以降、言霊の力と言葉の力を分けて考えるようになる」と言えば、それですむ話なのである。……言霊理論は正しくないので、言ったところで、言っただけになり、すべての言霊主義者が、これ以降……つまり、ぼくが実際にその言葉を言ったとき以降……言霊の力と言葉の力を切り分けて考えるようになるわけではないけどね……。
ブラック社長は、ただで、名前だけ店長の労働力を使いたいだけなのである。
どうしてかというと、そのほうが、カネが儲かるから。
カネ儲けの話なのであれば、言霊で解決できるはずだ。
ところが、言霊で解決せずに、名前だけ店長の労働力を吸い上げようとするのである。
どうしてかというと、それが現実的な方法だからである。言霊を信じていないから、現実的な方法で、お金をかせごうとするのである。
たとえ、違法行為であっても、現実的な方法で、お金をかせごうとするのである。まったく、言霊の力なんて信じていないのである。
「それは、言霊理論を悪用しているブラック社長だけの話で、善良な言霊主義者は、悪事に加担しているわけではない」と、言霊主義者が言うかもしれない。けど、加担はしていると思う。
言霊なんて考え方が、「正しい考え方」として流通しているのは、多数の言霊主義者のせいなのだ。たとえ、だれかが「言えば、言ったことが現実化する」とか「できると言えばできる」などと言っても、その発話者以外の人がだれも、信じなければ、社会のなかで、それらの言葉が正しい言葉として流通することがないのである。
ほんとうは、まちがっているのに、正しい言葉として流通しているから、問題がしょうじるのである。
言霊主義者が、「できると言えばできる」とブラック社長が、名前だけ店長に言っているところにいたとしたら、どう思うだろうか?
「できると言えばできる」と思うのだろう。ブラック社長は、まちがったことを言っていないと思うのだろう。
言霊主義を利用した「仕事のおしつけ」あるいは「違法行為」に加担していないと言いきることができるのだろうか?
ブラック社長は、言霊を悪用しているけど、自分は言霊を悪用していないので関係がないと思うのだろうか。
社会の雰囲気として「言霊(理論)が正しい」という雰囲気があるので、名前だけ店長も、「なにをバカなことを言っているんですか」とブラック社長に言いかえすことができないのである。
社会の雰囲気として「言霊(理論)が正しい」という雰囲気があるので、名前だけ店長も、「アホなことを言わないでください」とブラック社長に言いかえすことができないのである。
言霊主義者は、ブラック社長の「言えば、言ったことが現実化する」とか「できると言えばできる」という言葉を否定できない。自分が普段、言っていることだからだ。
けど、それでも、……言霊主義者だって……自分が一倍速で経験した、ほとんどすべての、物理的な出来事に関しては……物理的な理由でそうなったと思っているのである。すべての場合において、そう思っているわけではないけど、そういう傾向がある。自分にとって、物理的な理由がはっきりしているから、言霊的な理由が入り込む余地がない場合が多い。
言霊的な理由が入り込む余地があることは、他人の身に起こったこと、自分の身に起こったことだけど、どうしてそれが起こったかよくわからないこと、夢や希望に関することだ。
これらは、自分にとっての実感が、薄いのである。あくまでも、そういう傾向があるのではないかという話だ。すべての場合において、それが成り立っていると、主張したいわけではない。すべての場合においてそうだと言っているわけではなくて、そういう傾向があるのではないかということを言っているわけ。
短時間で、ぱっぱっぱっと起こることで、自分がそのプロセスを全部、体験して知っている場合は、比較的に言って、言霊思考にはならないのである。