「オッペケペ」という言葉にはものすごい力(ちから)があると思っている人がいたとする。
とりあえず、Aさんだとする。
Aさんは、「オッペケペ」という言葉にはものすごい力が宿っているので、なんでも願いがかなうと思っている。「実際、オッペケペと言ったあと、つかれないと言ったら、つかれなくなった」「実際、オッペケペと言ったあと、眠れると言ったら、眠れたから、オッペケペという言葉には、ものすごいが宿っていると確信した」とAさんが力説する。
事実、Aさんは、オッペケペと言ったあと、つかれないと言ったら、言うまえよりも、つかれがとれたような感じがしたのだ。だから、Aさんは嘘を言っているわけではない。本人のなかでは、「事実」なのだ。
事実、Aさんは、オッペケペと言ったあと、眠れると言ったら、眠ったのだ。これは、事実だ。Aさんが嘘を言っているわけではない。
けど、じゃあ、オッペケペには、ものすごい力が宿っているのかというそうではない。
Aさんがそう思っているだけだ。「オッペケペ、ずっと眠らない」と言えば、ずっと眠らないで生活することができなるかというと、できない。オッペケペの力によって、眠らずに生活できる体をゲットできるわけではないのだ。
ところが、Aさんが体験したふたつのことによって、Aさんは、オッペケペにはものすごい力が宿っていて、その力によって、眠らずに生活できる体をゲットできると、思っているのだ。
「オッペケペ・眠れる」と言ったあと、眠ったことだって、人間のからだのしくみに依存していることだ。人間のからだのしくみとは関係なく、オッペケペに宿っている、すごい力が、Aさんをして眠らせたわけではない。
もちろん、Aさんが、オッペケペに宿っているすごい力を信じているので、「オッペケペ・眠れる」と言ったあと、安心して眠った可能性もある。
その場合は、たしかに、Aさんにとっては、眠りやすい言葉なのである。
しかし、じゃあ、ほんとうにいつでも、そうできるかというと、ほんとうは、そうできない。Aさんだって、まったく眠りたくなくて、元気に動いているときに「オッペケペ・眠れる」と言えば、眠れるのかというと、そうではないのだ。
体のしくみがある。概日リズムがある。
たとえば、Bさんがきちがい的な家族が鳴らす騒音で、夜、眠れなかったとする。これは、きちがい的な家族が鳴らす騒音で眠れなかったということだ。
ところが、オッペケペ信者は、「条件」というものを無視して、ただ単に「オッペケペ」と言えば、すべての問題が解決するということを言うのだ。
しかし、きちがい的な家族がこころをあらためて、鳴らさないようにしないと、この問題は、片づきにくい。もちろん、別居するなどの方法があるかもしれないけど、Bさんが未成年で、別居するという方法は選択しにくいという場合もある。
いずれにせよ、なんらかの、現実的な変化が起こらないと、問題は解決しない。
ところが、オッペケペ信者は、オッペケペということ以外のすべての条件を、前提として無視しているのだ。だから、現実的な条件がもたらす、影響というものを、無視する。
前提として無視しているということが、問題だ。
思考のなかに現実的な条件がもたらす影響というものが、はいってくる余地がないのだ。「オッペケペ」と言うかどうか、それだけが、問題になる。オッペケペと言うことだけが、現実に影響をあたえるのである。
かりにBさんが、Aさんの言うことを認めて、「オッペケペ、しずかになる」と言ったとしよう。
ところが、Bさんのきちがい的な家族が、しずかにしなかった。オッペケペと言ったにもかかわらず、しずかにならなかったのだ。だったら、オッペケペと言うことは、特に、効果がないことだということがわかる。
ところが、Aさんは、オッペケペの効果を信じているので、Bさんの言い方が悪かったから、オッペケペのあとの言葉が現実化しなかったのだと言い出すのである。
しかし、Aさんの主張は、おかしい。オッペケペと言ったあとに、願いを言えば、どんな願いもかなうはずなのである。なので、言い方が悪いと、かなわないというのであれば、矛盾しているということになる。Aさんの主張は、矛盾しているのである。
問題なのは、たとえば、オッペケペ信者が、多数派だった場合だ。Aさんの主張とBさんの主張……どっちが合理的かというとBさんの主張のほうが合理的なのだ。
ところが、オッペケペ信者が多いと、むしろ、Bさんの主張のほうがへんだと思う人が多いというとになる。これは、問題だ。
ようするに、オッペケペ信仰が強くて、社会ほとんどの人がオッペケペの力を信仰しているとすると、条件が悪い人が、自動的に、窮地に立たされるのである。
解決策は、しめされているのである。
「オッペケペ」と言えばいいということになる。
オッペケペと言わない人が悪いんだということになる。
オッペケペと言って問題を解決しようとしない人が悪いんだということになる。
そして、オッペケペと言ったにもかかわらず、問題が解決しなかった場合は、その人の言い方が悪いんだということになってしまうのである。
言い方が悪いのは、その人のせいだということになってしまうのである。
「オッペケペ」のすごい力に関しては、多くの人が疑問をもつだろう。
ところが、「言霊」のすごい力に関しては、多くの人が疑問をもたないのである。