また、ネズミを窒息させなければならなかった日を思い出した。あれ、空気穴をあけてやりたかったんだよな。けど、木曜日で、金曜日、土曜日、日曜日とまって、月曜日の朝に出さなければならなかった。六月で、暑かった。木曜日の、なまゴミ回収の清掃車が行ったあとの話だから、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日、月曜日と五日間またなければならなかった。空気穴をあけた場合、そこから、小さいハエが入って、ウジがわくことがある。それだけではなくて、月曜日の朝に、ぼくが、なまゴミの袋にネズミの入った袋を入れるとき、細菌や寄生虫にやられる場合がある。あの空気の量だと、そりゃ、窒息することになる。飢え死にする前に窒息死するだろう。でっ、それがいやだった。だから、ぼくが、きちがい親父に「魚をずっと出しておくのはやめてくれ」「部屋中をくさくするのはやめてくれ」と言ったのだ。きちがい親父の答えは「くさないよ!!!くさくないよ!!」だ。猛烈に、におっている。このにおいで、ネズミがきた。ネズミがきてからは、ネズミの小便やネズミのクソで、やっぱり、部屋がくさくなっていくのに、まったく、気がつかないのだ。そういう、普通の人とはちがった部分がある。それに、普通は、畳の上に、ネズミの糞がころがっていたら、気にするはずだ。俺が「ネズミ対策工事をしよう」と言わなくても、自発的に、ネズミ対策工事をしようと思うのが、普通の人だ。けど、スイッチが入ってしまって、絶対に、ネズミ対策工事はしたくないという気持になってしまう。だから、「俺がつかまえるからいい」と言って、はねのける。「くさないよ!!くさくないよ!!」とはねのけたときとおなじだ。ちなみに、きちがい兄貴の、ヘビメタ騒音に対する、態度が、これとおなじなのである。ヘビメタがうるさいと言われたら、発狂してはねのけるという反応をする。常にそうする。けど、本人は、そうしているつもりが、まったくない。きちがい兄貴だって、きちがいでなければ、あの音がでかい音だということは、俺が言わなくても、わかることなんだよ。普通の人だったら、どれだけしらばっくれても、ほんとうはわかることなんだよ。ところが、スイッチが入ってしまっていると、わからなくなる。一切合切認めずに、はねのけるということになる。はねのけたら、もうなにも残ってないのだ。きちがい親父のほうの話にもどすけど、きちがい親父が入院したあと、「親父が、酒糟がついた魚を出しっぱなしにしたから、ネズミが入ってきて、ネズミのダニでこまっている」ということを、ぼくが言えば、親父が「出してないよ!!出してないよ!!」と絶叫して、おしまいなのだ。「そのとき」乗り切れればそれでいいのだ。嘘ばかり。嘘なのだけど、本人が「うそを言っている」という気持が、ほんとうにまったくないのだ。これ、こういうことをやられたら、どんな気持ちになるか……普通の人はまったくわかってない。病院に「ダニ」を持ち込むわけにはいかないから、ほんとうに、神経質に気にしていた。きちがい親父の寝間着が必要だというので、きちがい親父の寝間着を買ってあげたのだけど、寝巻にダニがつかないように、俺がどれだけ気をつかって、寝巻を取り扱っていたかぜんぜんわかってない。だいたい、ダニのことだって、言いにくいことなのだ。寝巻のことは、介護タクシーのなかでの話なのだけど、きちがい親父が「寝巻なんて、買わなくていいよ!!!寝巻なんて、買わなくていいよ!!!寝巻なんて、買わなくていいよ!!!」と絶叫しやがるのだ。これ、自分のカネを、使われたと思って絶叫しているだけなのだ。実際、親父のカネで買ったんだけど、買ってやったのは俺だ。きちがい親父が使うために必要だから、寝巻を用意してくれと病院の人から言われて買ったものだ。これだって、買ってやらなかったら、まるで、俺が親父を虐待しているように思われる。「ちゃんと買ってやらなければだめでしょ」と言われることになる。きちがい親父が、怒り狂っているのは、ハンダゴテの時とおなじなのである。きちがい親父は、カネに対して、きちがい的な態度がある。カネを使われると、自分の心臓をとられるような気分になるのだ。自分の心臓を勝手に「売られた」と思うようなところがある。これは、おやじが言ったことではなくて、親父の態度を、ぼくが説明するために使った比喩なのだけど、まさしく、そういう態度で、怒り狂う。普通の人であれば、そりゃ、自分の心臓を勝手に売られたら、怒るだろう。そういう切羽詰まった態度で、たとえば、ハンダゴテを買わされそうになると、怒り狂うのだ。それとおなじなんだよ。自分の寝間着なんだけど、自分が着るものはなんでもよくて、むだなものを買われたという気分で怒り狂う。普通なら、「じゃあ、なにを着るんだ」ということを、言われなくても考えるのだけど、そういうことは、一切合切考えないのだ。おカネがなくなったということだけ考える。だから、「買わなくていい!!買わなくていい!!買わなくていい!!」と発狂して怒る。お勝手の電球にしろ、ハンダゴテにしろ、おなじなんだよ。これ、自分が着るものを息子が用意してくれなかったら、自分はほんとうに着るものがないということがわかってないのである。病院が一時的にガウンを貸し出すけど、自分の寝間着を用意してくださいと言われたから、買ってやったのに、こういうことになってしまう。じつは、病院ごとにちがうんだよ。そして、特別養護老人ホームに入るときだって、おなじようなことがあった。たとえば、俺が買ってやらないで、病院のスタッフがどうにかしてくれたとするだろ。そうすると、どうにかなったということになる。だから、本人はまったく気にしないのである。けど、じゃあ、俺が、まるで、いじわるで買ってやらなかったように思われるということは、まったく気にしないのである。病院のスタッフが、俺が意地悪で親父に寝巻を買ってやらなかったと思うというようなことは、気にしないのである。そして、「買わなくていい!!買わなくていい!!買わなくていい!!」と発狂して怒る。これは、特別養護老人ホームに入るときの話なのだけど、家の状態をきかれるのだよ。で、親父の部屋は、押し入れ床が、大きく下がっていて、そこから、ネズミがじゃんじゃん入ってくるような状態なのだよ。だから、「すぐにでも修理が必要な状態」という選択肢を選択したのだけど、特別養護老人ホームが誤解をするのである。それはおかしいのではないかというのである。で、ネズミのことは、話したくないのである。どうしてかというと、ダニがついている服できたと思われたくないからなのである。ともかく、こういうふうに、俺がこたえに窮することばかり、する。結果的に、いつも、ほかの人から誤解されるようなことを、きちがい親父がしやがるのである。ところが、きちがい親父本人は、そのとき絶叫しているだけで、まったく、わかってないのである。で、話はちがうけど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音でもそういうことが発生する。おなじなんだよ。これ、おなじなんだよ。きちがい兄貴は、きちがいヘビメタ騒音で、弟がこまっているということが、親父のようにわからないやつなんだよ。きちがい兄貴が、意地になって、きちがいヘビメタを鳴らすから、毎日こまっているのに、きちがい兄貴は、まったく、知らない状態なんだよ。言われないから知らないのではなくて、どれだけ言われても、きちがい親父のように、はねのけて理解しないから、本人の意識としては、まったくわからない状態で暮らしている。毎日やっておきながら、まったく関係がない人として、暮らしている。張本人が、絶対に認めない。どれだけもめても、認めないのだ。関係があるということを、根本的に理解しない。何万回言われても、自分が関係しているというとが、まったくわかっない状態で鳴らしまくる。入試のときだって、普通なら、ずっと、三年間、六年間もめているのだから、「入試のまえは、ヘビメタ鳴らさないでくれ」と言われなくても、おとうとがこまっているということはわかりそうなのに、まったくわかってない。「入試のまえは、ヘビメタ鳴らさないでくれ」と言われれば、きちがい親父のように、怒り狂うのである。もし、認めてしまったら、自分がほんとうに静かにしなければならなくなるから、いやなのである。きちがい的な思考と、きちがい的な態度で、はねのけるのである。はねのけちゃったら、入学試験前の日曜日に、自分が鳴らしたい音で一三(じゅうさん)時間鳴らしても、まったく気にしないのである。一三時間五分鳴らしても、五分間、一デシベルだけ静かにしてやったら「しずかにしてやった!!しずかにしてやった!!しずかにしてやった!!」と絶叫して、腹をたてるような思考回路しか持ち合わせてないのである。これ、おなじなんだよね。きちがい親父のやっていることと、きちがい兄貴がやっていることが、全部、おなじなんだよ。きちがい感覚がおなじなの。はねのけて絶叫する態度がおなじなの。はねのけて、本人が絶叫したら、もうそれで終わっていて……本人のなかでは終わっていて、関係がない人になっているところが、まったく、まったく、おなじなの!!
こういうやつらと一緒に住んだことがないやつからが、わかったようなことを言う。「宿題をやりたくないから、ヘビメタ騒音がうるさいといいわけをして、宿題をやらないだけだ」と判断して、そういうふうに言ってくる。ヘビメタ騒音が鳴っていると、「できない」ということを、認めない。こいつらは、こいつらで認めないんだよ。こまるんだよ。ほかの人にはないことなんだよ。そりゃ、ほかの人だって、ぼくが経験しなかった困難を経験しているのだろう。けど、ほかの人の発言から考えて、ほかの人は、きちがい家族のことがまったくわかってないということがわかる。