2024年4月14日日曜日

「できなくなる」ということがわかってないだけだ。

きちがい的な意地でへんなものをおしつけて、相手がこまっているということを、きちがい的な意地でガン無視するというのは、きちがい親父の思考回路として普通にあることなんだよ。

特別なときに、特別に発生するようなことじゃないんだよ。

常にそうなんだよ。常に、こっちがこまる「こと」を、きちがい的な意地でおしつけてきたり、常に、こっちがこまる「もの」を、きちがい的な意地でおしつけてくる。きちがい的な頭の回路が、そうさせている。

で、きちがい的な頭の回路というのは、常に、そういうふうに機能しているんだよ。きちがい親父が、きちがい兄貴に、使えないハンダゴテをおしつけたというのがあるのだけど、それも、構造としてはまったくおなじなんだよ。

普通に使えるものを買ってやるということができなかった。だから、「使えない」ということを認めないのである。この認めないときの、発狂と、意地が、すごいのである。

へんな帽子をおしつけるときも、自分がゲットした帽子だから、「へんな帽子だから、かぶりたくない」と言われたら、発狂する。相手……この場合、俺が、そういうことで、どれだけはじをかくかわかってない。

ようするに、俺が、きちがい親父に負けて、かぶらされた場合、ほかの人たちは、俺が、「その帽子はへんだ」ということがわかってないから、かぶっていると、これまた、自動的に解釈してしまう。

ハンダゴテのことだって、きちがい兄貴が、学校にその、使えないハンダゴテをもっていけば、きちがい兄貴がバカだから、そのハンダゴテが使えないということを理解できないのだと、思ってしまうのである。だから、「そんなの(そのハンダゴテ)が使えないって、わからないのかよ」と言われてしまうわけ。

いや、わかっている。わかっているけど、きちがい親父が認めないから、しかたがなく、学校にもってくることになった。

この、不格好なへんなハンダゴテが使えないということはわかっている。それを、きちがい親父に、発狂して、何回も何回も、説明した。

けど、きちがい親父が、発狂して、何回も何回も「使える!!」「使える!!」「使える!!」「使える!!」「使える!!」と絶叫するのである。この絶叫……「使える!!」「使える!!」「使える!!」「使える!!」「使える!!」という絶叫は、ネズミ対策工事をしようと言われたときの「俺がつかまえるからいい!!!」「俺がつかまえるからいい!!!」「俺がつかまえるからいい!!!」「俺がつかまえるからいい!!!」という絶叫とおなじなんだよ。

構造的には、おなじ部分なんだよ。言葉の内容がいれかわっているだけで、そこで成り立っていることは、おなじなんだよ。

この「使える!!」「使える!!」「使える!!」「使える!!」「使える!!」という絶叫は、酒糟のついた魚を出しっぱなしにしているので、部屋中が、くさくなっていると言われたときの「におわないよ!!」「におわないよ!!」「におわないよ!!」「におわないよ!!」「におわないよ!!」「におわないよ!!」「くさくないよ!!」「くさくないよ!!」「くさくないよ!!」「くさくないよ!!」「くさくないよ!!」という絶叫とおなじなのである。構造的には、おなじ部分なんだよ。言葉の内容がいれかわっているだけで、そこで成り立っていることは、おなじなんだよ。

帽子の場合……俺→「へんな帽子だ」ということがわかっている。友達→「へんな帽子だ」ということがわかっている。親父→「へんな帽子だ」ということがわかってない。絶対の意地でへんじゃないと言って、へんな帽子だということを認めない。親父→「へんな帽子だと、友達に言われて、こまった」ということが、まったくわかってない。親父→「自分が意地をはって、息子に、帽子をおしつけた」というとが、まったくわかってない。

友だちのまえで、俺がはじをかく(親に強制されたことで、子供がはじをかく)ということが発生する。友だちは、エイリ君は、その帽子がへんな帽子だと認識できなかったと思うわけ。エイリ君は、その帽子がへんな帽子だということがわからずに、へんな帽子をかぶっていたわけで、エイリ君はファッションセンスがないと思ってしまう。

もっと、端的に言うと「そんなへんな帽子が、へんな帽子だとわからないのは、へんだ。バカだ」と思うわけだ。エイリ君は「へんな帽子をかぶっていて、はずかしく思わないようなセンスをしている」と友達のほうは思うわけだ。

俺は、「へんな帽子だ」と思っていた。「へんな帽子をかぶって、はずかしいと思っていた」という気持がある。普通の家の子供だと、「へんな帽子だからかぶりたくない」と言えば、親が納得して、もうかぶせようとしない。けど、うちは、ちがう。もう、小さいときから、こういうことが何回も何回も発生してしまうのである。

*     *     *

ハンダゴテの場合……兄貴「このハンダゴテは使えない」「不格好な、はずかしいハンダゴテだ」ということが、わかっている。

友だち……「このハンダゴテは使えない」「このはんだごてが使えないということがわからないなんて、バカだ」。

兄貴→「このはんだごてが使えないということはわかっている。だから、父親にさんざん使えないということを言った」。

友だち→「大人の人が、このハンダゴテは使えないと言われたのに、それを理解しないなんてことはない。大人なのだから、理解できるに決まっている」。

技術科の先生→「おまえ(兄貴)の説明のしかたが悪かったから、お父さんがわからなかっただけだろ」。兄貴→友達や先生に誤解されて、くやしい思いをする。家に帰って、親父が帰ってくるまで待って、きちがい親父に「やっぱり、ハンダゴテは使えなかった」と言う。

きちがい親父→「使える!!!使える!!!使える!!!使える!!!」。兄貴→「使えないんだよ。使えないということがわからないのかと、友だちにばかにされた」。

きちがい親父「なんだ!!そんなの!!なんだ!!そんなの!!なんだ!!そんなの!!なんだ!!そんなの!!使える!!!使える!!!使える!!!使える!!!」……。

きちがい親父の「みとめないがち」。絶対に、認めない。

きちがい親父が認めなかったら、きちがい親父の頭のなかでは、「ハンダゴテは使える」という認識のままなんだよ。

きちがい親父は、きちがい兄貴(自分の子供)が、自分のおしつけたもので、友だちにばかにされてくやしい思いをしたということが、まったくわからないんだよ。認めないんだよ。きちがい親父の「みとめないがち」。絶対に、認めない。きちがい親父が認めなかったら、きちがい親父の頭のなかでは、「自分がおしつけたもので、自分の息子が、息子の友達にバカにされたということは、発生しなかった」という認識のままなのだよ。

あったってないことになっている。本人が(親父が)そのことにかかわっているという認識がない。そのことというは、自分が(親父が)おしつけたもので、こどもが、こどもの友達からバカにされたということだ。

 

*     *     *

ちなみに、「その年で働いてないなんておかしい」と言った人は、「そんなへんな帽子が、へんな帽子だとわからないのか」と言った友だちと、おなじレベルの思考方法なのである。きちがい兄貴が、ヘビメタ騒音をきちがい的な意地で鳴らして、俺の通勤できる力をうばったから、通勤できないんだということを言ったあとに、九八%の大人は、そういう反応だ。

「できなくなる」ということがわかってないだけだ。

「そんなへんな帽子が、へんな帽子だとわからないのか」と言った友だちは、うちの親父が、認めないということがわかってないのだ。親父がかぶせたということを言ったあとに、そういうことを言う。「大人が、へんな帽子だということがわからないわけがない」という前提思考があるのだ。

ハンダゴテだって、「そのハンダゴテが使えないということを、大人がわからないわけがない」という前提思考があるのだ。「そんなにでかい音で、お兄さんが、ヘビメタを鳴らして、どれだけ言ってもやめてくれないというのはおかしい」という前提思考があるのだ。「本当にでかい音で鳴らしていたなら、でかい音で鳴らしているということがわかっているはずだ。

「でかい音で鳴らしているということを認めないなんていうのはおかしい」という前提思考があるのだ。だから、エイリさんがへんなことを言っていると思ってしまうのだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。