2024年4月16日火曜日

あることにかんしては、ぼくのほうが条件がよくて、彼らのほうが条件が悪かった

 ある日、きちがい兄貴が、きちがい感覚で、きちがい的にでかい音で、きちがいヘビメタを鳴らし始めたのに、みんな、俺のことを悪く言う。

俺のほうに落ち度があるからそうなったと言うのだ。影響をうけないことは可能なのに影響をうけたからダメなんだと言うのだ。

こんなのは、ない。

彼らには、きちがい家族による、きちがい的な騒音というハンディがない。彼らには、きちがい家族による、きちがい的な騒音という条件がない。ぼくにはある『条件』が、彼らにはない。

もちろん、彼らにはある条件が、ぼくにはないということはある。彼らには、ぼくにはない「マイナスの条件」があるかもしれない。まあ、おなじ環境の人はいないので「あるかもしれない」のではなくて、「ある」のだろう。

しかし、彼らにだって、マイナスの条件があるのだから、「おなじだ」ということにはならないのである。どうしてかというと、『条件』それ自体がちがうからだ。

ものすごく影響をあたえる条件とそんなには影響をあたえない条件がある。

条件という場合、条件自体に含まれているけど、持続期間という条件だって、影響をあたえる。

ひとくちに騒音といっても、どういう質の、どういう音量の騒音が鳴っていたのか? ということは、非常に重要なことだ。

そして、騒音の持続時間や、騒音の持続期間というのも、非常に重要なことだ。騒音の持続時間というのは、一日のなかでの騒音の持続時間のことだ。騒音の持続期間というのは、人生のなかでその騒音が鳴っていた期間のことだ。

人生のなかで、その騒音が毎日鳴っていたのか、それとも、平日だけ鳴っていたのか、日曜日だけ鳴っていたのかということも重要だ。これは、騒音の頻度ということにしよう。

ともかく、騒音の質、騒音の音量、騒音の持続時間、騒音の持続期間、騒音の頻度がちがえば、ちがう条件が成り立っていたということになる。

この場合は、『騒音の条件』ということになるだろう。

Aさんの家でも、騒音が鳴っていた。Bさんの家でも騒音が鳴っていた。だから、「おなじだ」と言えるのかどうか。おなじとは言えない。言えないのに、「おなじだ」と言ってしまう人たちがいる。たくさん、いる。

その人たちはみんな、口をそろえて「自分だって、騒音ぐらいあった」と言うのだ。「自分だって、騒音ぐらいあった」とひとこと言えば、騒音の質を問わずに、おなじぐらいの騒音があったというとになってしまうのである。

「騒音」ではなくて、「苦労」でもおなじだ。

「自分だって、苦労した」とひとこと言えば、苦労の質を問わずに、おなじぐらいの苦労をしたというとになってしまうのである。

けど、これは、誤解だ。まちがいだ。まちがった認識に立ってものを言っている。

どういう苦労がしょうじたのかということは、根本的に大きな問題なのである。苦労という抽象度の高い言葉で、「苦労した」と語れば、それで、根本的なちがいが、なくなるわけではない。

ところが、「根本的なちがいがなくなった」と誤解して、「根本的なちがいはない」という前提で、いろいろなことを言いだすのだ。

*     *     *

はっきり言ってしまうと、「条件なんて関係がない」と言ってしまう人は、たいした苦労をしてないんじゃないかと思う。

ものすごい苦労をした人が、そんなことを言うとは、思えない。

「過去なんて関係がない」と言う場合もおなじだ。

過去において、とてつもなくひどい条件下で暮らした人が、「過去なんて関係がない」と言うとは、思えない。

まあ、その人たちだって、ぼくが経験してない苦労をしたということは、言える。

あることにかんしては、ぼくのほうが条件がよくて、彼らのほうが条件が悪かった。……こういうことだって、当然ある。

けど、条件の質は、重要なんだよ。どういうことにかんして、どういう条件が成立しているのかということは、非常に重要だ。

無視していいわけがない。「関係がない」なんて、とてもじゃないけど、言えない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。