2024年4月23日火曜日

ヘビメタ騒音というのは、みんなが、敵になる、騒音なんだよ

 ヘビメタ騒音というのは、みんなが、敵になる、騒音なんだよ。きちがい兄貴のやり方だと、そうなる。やりようがない。やりようがないということを、きちがい兄貴が、無視して、きちがい兄貴のつごうで、きちがい兄貴の感覚で、やりきる。そうすると、当然、影響をうけるのだけど……どれだけ影響をさけたいと思っても、やられていたら、からだが、きちがい騒音をあびているのだから、影響をうける。ところが、みんながみんな、そんなのは、お兄さんに言えば解決できるという前提でものを言ってくる。みんながみんな、きちがい兄貴がきちがいだということを理解しない。ちなみに、これは、みんながみんな、きちがい親父がきちがいだということを理解しないのとおなじだ。これ、ほんとうに、理解してくれないのである。ところが、みんながみんな、「自分だって苦労している」「自分だって困難はある」と言って、きちがい家族の特殊性を認めない。そりゃ、人間だから、みんながみんな、苦労している。人間だから、みんながみんな、困難はある。けど、きちがい家族の特殊性を理解してないのは事実なんだよ。そして、事実、きちがい兄貴にやられているということが、わかってない。事実、きちがい兄貴に、おなじような騒音を、おなじような態度で鳴らされている人は、ひとりの例外をのぞいて、いなかった。そして、そのひとりの例外は、ちゃんと理解してくれた。「どうしたって、影響をうける」ということを理解してくれた。ところが、普通の人は、「どうしたって、影響をうける」ということとを理解しない。まったく、理解しない。そうなると、理解しない人から見ると、俺がただたんに、さぼっている人間に見えるのである。理解しない人から見ると、俺が、たいして、困難ではないことを、困難だと言っている人間に見えるのである。けど、その人には、きちがい家族がないし、きちがい家族がきちがい行為をするということもないのだ。けど、そういう人はたちは、自分だって家族にこういうことをやられたということを言う。ようするに、「おなじだ」ということを言う。「おなじような困難をかかえている」というようなことを言うのだ。けど、ちがうのだ。ほんとうに、その人の家族が、きちがいで、きちがい行為をしている場合と、その人の家族が正常で、きちがい行為をしてない場合は、ちがう。そして、ぼくには、わるいけど「おなじような困難をかかえている」というようなことを言う人たちの困難が、ぼくの困難とはまったくちがうということがわかる。ちがうから、「おなじような困難をかかえている」というようなことを言うんだよ。ほんとうに、きちがい家族にたたられていたら、そんなことは絶対に言えないのである。絶対に言えない。これ、ほんとうに、普通の人が、普通の家族にかこまれて生活しているのに、勘違いしているのである。しかも、勘違いしていることに気がつかない。そりゃ、トラブルはある。家族とのトラブルはある。普通の人だって、普通の家族に対する、不満がある。けど、それは、普通の人の、普通の家族に対する不満なのである。これ、言っている人は、わかってないけど、きちがい家族にたたられたことがある人と、きちがい家族にたたられたことがない人とでは、まったく言うことがちがうのである。例としてあがる、トラブルの質が、まったくちがうのである。もし、きちがい家族にたたられた人がいたら、絶対に言わないことを、普通の家族と生活している人が、言う。もう、言うことが、ぜんぜんちがう。ぜんぜんちがう。ちがうんだよ。普通の人は、ちがうということがわからない。ぼくは、普通の人と、きちがい家族にたたられたことがある人のちがいがわかる。もう、言っていることがまったくちがうのだ。実際、きちがい感覚に対する理解がないのである。普通の人は、きちがい家族のきちがい感覚に対する理解がない。完全に誤解したことを言う。だから、わかる。もう、ほんとうに、わかりすぎるほど、わかるんだよ。きちがい家族にたたられた人の感覚と、きちがい家族にたたられたことがない人の感覚は、ちがうということが、きちがい家族にたたられた人にはわかる。普通の人が言っていることから考えて、普通の人が、まったくわかってないということがわかる。きちがい家族に対する理解がまったくない。きちがい家族というものがどういうものなのか、まったく理解してない。普通の人が、きちがい家族というものがどういうものなのか、まったく理解してないということが、こっちは、手にとるようにわかる。実際、普通の人は、勘違い発言をする。自信をもって、勘違い発言をする。わかってないから、自信をもって、勘違い発言をすることができるのだ。勘違い発言だということは、手にとるようにわかる。絶対に、きちがい家族にやられた人は、そんなことを言わない。もう、ほんとうに、前提がちがうのである。前提として語られないけど、信じていることがちがうのである。家族……というものに対する、語られることがない前提としての信念がちがうのである。ぜんぜん、ちがう。やられたことがないから、わかってない。きちがい家族にやられたことがないから、前提自体がちがうということが、普通の人にはわからない。きちがい家族にやらたれことがある日はと、俺が言っていることがわかるんだよ。きちがい家族にやられたことがない人は、俺が言っていることが、逆立ちしても、わからない。けど、これまた、普通の人は普通の人で、わかってないということが、わかってない。そりゃ、きちがい家族にやられたことがない人が、きちがい家族がやることについてわかっているなんてことはない。ないんだよ。そういうふうに言うと、「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」と言うけど、ちがうんだよ。ちがうというと、「自分だけ、苦労したと思っているのか」と言うけど、ちがうんだよ。勘違い発言のあとに、こういうことを言うわけだろ。もう、ぜんぜんちがう。きちがい家族にやられたことがある人が、勘違い発言なんてするはずがないのだ。わかっている。わかっているから、勘違い発言はしない。普通の人はわかってないし、わかってないから、わかってないということがわかってない。普通の人は、ごく普通に、勘違い発言をして、勘違い発言だということを認めない。

きちがい家族による騒音というのは、みんなが、敵になる、騒音なんだよ。 

実際、ヘビメタ騒音が鳴ってたって影響をうける必要がないというようなことを言う人は、きちがい家族がいない人なのである。きちがい家族に、きちがい騒音を、きちがい感覚で、鳴らされたことがない人なのである。普通の家族が鳴らす騒音と、きちがい家族が鳴らす騒音はちがうのである。普通の家族が鳴らしているときの、感覚と、きちがい家族が鳴らしているときの感覚が、ちがうのである。おなじであるはずがないだろ。わかってないから、そういうことが言える。経験がないということがわかるぞ。きちがい家族と一緒に暮らした経験がないということがわかるぞ。きちがい家族と一緒に暮らしたことがある人は、わかっているからそんなことは言わない。言うことが、ほんとうにちがうのである。わかっているかわかっていないか、一発でわかる。

普通の人の感覚といったらないよ。普通の人の、この問題に関する無理解ぶりといったらないよ。 わかってないということが、ほんとうによくわかる。わかっていたら、絶対にそんなことは言わないということを、普通の人は、言う。実際、きちがい家族による騒音という問題が発生してないじゃないか。普通の家族による騒音と、きちがい家族による騒音は、ちがうんだよ。ちがうということが、わかってないじゃないか。

そして、普通の人が、言霊主義者である場合が問題なんだよ。そして、普通の人が、思霊主義者である場合が問題なんだよ。こいつらは、きちがい家族にやられた人を、傷つける。もう、傷つけるように、決まっているのである。信念をもって、勘違い発言をする。こいつらの助言というのが、きちがい家族にやられた人の気持ちを、えぐる。傷つける。こいつらはこいつらで、ほんとうにまったくわかってないからな。わかってないということがわかってないんだよ。言霊主義者や思霊主義者というのは、きちがい家族にやられた人を、傷つけるように、できている。言霊主義者や思霊主義者だけでなく、精神世界の人は、きちがい家族にやられた人を、無理解という包丁で、さしまくっている。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。