2016年11月30日水曜日

親父ブラックボックス、兄貴ブラックボックス、ある刺激を投入すると、かならず、そういうアウトプットが返ってくる


やばい。つまんない。そうとうにやばい。こういうときのために、自分用元気づけ自己暗示音声を作っておきたかったんだけど、そんな余裕はなかった。まあ、これから説明するつもりだけど、一般の「思いは現実化する」系の自己暗示音声などは、ぼくには受け入れがたい部分がある。異常な親にやられた人間、うつ病領域の人間には、無理な部分がある。激しく憤りを感じる部分があるはずなのである。まあ、うつ病と言っても、いろいろあるので、なんとも言えないけど、異常な人が関わっているポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダー(心的外傷後ストレス障害)を抱えて、なおかつうつ病である人は、ある種の「ひっかかり」をどーーーしても、感じてしまう部分があるはずなのだ。「思いは現実化する」系、開運系の人たちは、言ってみれば「パンがなければケーキを食べればいい」と言っているようなところがあって、それが、くるしい状態の人には「ひっかかる」のである。しかも、くるしいのはその人で、なんとかしようと思っているのもその人なので、「ひっかかり」をうまく表現することすらできない状態になってしまう。愛なんだよ。愛。きちがい兄貴やきちがい親父にたりなかったものは、愛なんだよ。ちょうど愛情とはまったく逆の「自分勝手さ」が成り立っている。で、自分勝手だから、自分勝手にできなくなるようなことは、是が非でも認めないのである。自分の感覚器官を騙して、認めない。そして、騙して、認めないということも認めないということになっている。だから、本人は、自分勝手なことを押し通しても、まったくそのつもりかないということになっている。で、異常さが強いほど、このしくみが強く働いていて、頑固に全部、ビタイチモンゆずらずにやりきるけど……がを押し通してやりきるけど……本人は、まったくやったつもりがないという状態ができあがっている。で、「うち」でそういう状態ができあがったら「うち」では!!二四時間、ずっと、そういう状態なんだよ。そういう状態で眠って、そういう状態で起きて暮らしている。だから、なんの不思議もないし、ごく当たり前に自分の意地を通す。けど、自分意地を通しるということが、わかってない状態なのだ。で、「よそ」じゃ!一日に一分もできないことを、頑固に頑固に、起きていあいだずっとやる。それでも、自分はひどいことをしているつもりがないのである。どれだけ、勉強の邪魔だからやめろ」と言われても、本人は、一分も、一秒も相手の勉強の邪魔をしているつもりがないのである。それは、入学試験前の冬休みに、こだわってこだわって、一日に一四時間鳴らしているような状態でも、一秒も、相手の勉強の邪魔をしているつもりがないのである。一日に三〇回、四〇回、五〇回「やめろ」「勉強するからやめろ」と怒鳴られても、まったくなにも感じない。いや、感じる。言われたら!!怒る!! これだけ。「なんだ!くそ!!せっかく人が静かにしてやったのに、後から後から、がたがた言ってきやがって」という気持ちになって怒る。で、実際には一秒もやめてくれない。けど、本人は、一四時間中、一四時間ずっと、鳴らさないで静かにしてやったのとおなじつもりでいる。協力してやったと思っている。恩着せがましく、「静かにしてやった」と思っている。さらに、一日に五〇回、六〇回、「もうすぐ試験だからやめてくれ」とさんざん文句を言われたのに、一回も「言われたつもりがない」状態なのだ。兄貴は親父とおなじで、自分にとって不都合なことは、怒って!!はねのけたら、それでおしまいなのである。「静かにしろ」と言われたら、怒って、はねのけて、それでおしまい。おしまいというのは、要するに、「言われなかった」とことになってしまう。本人が、むかっときて、はねのけたら、それで、どれだけ言われても、いわれなかったことになってしまう。そんな馬鹿なことがあるか?と思うかもしれないけど、そうなのである。で、これは、親父が先にやり出したこと。で、兄貴は、親父にこういうやり方でやられたことは、おぼえている。それが、どれだけ腹が立つ態度かおぼえている。そして、親父のことが嫌いになったのである。そういことばっかり、一日中やられてたら、そりゃ、嫌いになる。うらみがたまる。けど、親父のほうは、全自動でそうなっているから、それに気がつかない。だから、兄貴が自分のこと(親父のこと)を嫌いだと言うことが、わかってないのである。これは、一五年間、毎日やり続けて、どこまでもどこまでも認めないから、ずっと、うらみがたまっていく状態なんだけど、本人は(親父は)まったくなもやったつもりがないのである。つもりがないだけで、発狂的な意地でやる。もう、それは、決まっていて、そうする。だから、機嫌が悪いときだけそうなるとか、そういうことじゃない。システムとしてそうなっているから、いつも、親父になんらかの刺激を与えると、そういう反応が自動的に返ってくるという状態なのだ。なんらかの刺激というのは、親父がやっていることを、やめて欲しいときに、どうしても関わりたくはないのだけど、それが自分にとって関係があることで、放っておけないことだと、どうしても、言わざるを得ないことがある。で、そういう時は、いつも、そういう反応が返ってきて、けっきょく、親父がやりきるのである。親父が好きなようにやりきる。で、親父は、こっちがやって欲しいことは、それがどれだけ、簡単なことでも、絶対にやってやらないという反応を返してくる。親父が門の前に店を広げて(新聞紙をひろげて、なんかの作業をしてしまうと)門を通れなくなってしまう。普通は、「ちょっと通してください」と言えば、それが伝わって、作業中でも、ちょっとどいてくれたりするだろ。けど、それがないんだよ。重度のコミュ障か重度の発達障害なのか、それとも、一種の神経症的反応なのかそれはわからないけど、ともかく、そういうところで融通が利かない。「いま、ちょっと、手が離せないから待っててくれ」と言って、またせて、一通り済んだらどけてくれるとか、ひろげたものをどかしてくれるとか、そういう普通の反応がまったくない。自分にとって、「どかされる」というのが、発狂するほど頭にくることなんだよ。そういう意味を感じ取った時点で、爆発してしまう。それで、「絶対にどけてやるものか」という意志がうまれる。で、そうなったら、絶対に、どいてやらないのである。けど、これがまた、「どいてあげようと思ったらどいてあげられるけど、自分がどけるのが嫌だから、どいてやらなかった」という風には、認知しない。「どかされるようなことをい自分が言われた」という状態だけで、発狂する。だから、「どいてほしい」 ということを、相手が言ったということは本当は認知しているのである。で、これが、死にものぐるいなんだよ。よその家で、それこそ、なにも悪いことをしてないのに、ぶん殴られてどかされた」というような気分になってしまうらしく、顔と体をマッカッカにして、怒り狂って、絶対にどかない。「ぶん殴られてどかされた」ときの気持ちが復活するので、自分が被害者であるかのような気分になっている。本当は、絶対にどかない攻撃」をしている加害者だ。そして、そうしていることを、頑固に認めない。じゃ、どいてくれるのかというと、それも絶対にない。だから、被害者の気分で怒り狂って、相手のいうことを認めずに、ひたすら自分がやりたいことをやるのである。ここでは、絶対にどけない。これは、きちがい親父の場合だけど、きちがい兄貴の場合は、「絶対に静かにしない」。こういう人たちは、「迷惑だからやめてくれ」「ちょっと通してくれ」ということを言われると、きちがい的に怒って、絶対に、相手の言うことを認めないで、自分の思いをつきとおす。けどない。そのまま鳴らしまくる。……迷惑行為を頑固にやっているから、「やめてください」と言われるのに、そういう言われたら、「言われた」ということ自体が、ものすごい、攻撃だと思ってしまう。だから、言われた時点で、被害者なのである。こういうのを、被害者意識ばかりというのだよ。対応している事実がないだろ。迷惑行為をしているのに、「やめてくれ」と言われたら、自分がひどいことをされたつもりになって、怒り狂うとか、人間の反応としておかしいだろ。けど、そういう人たちは、そういう人たちなので、刺激に対して、かならず、そういうふうに反応するのである。けど、「よそ」では我慢する。「うち」では、殺しあいのケンカになっても、なにがなんだろうが、一ミリだってどけるのは、嫌なのである。意地を通す。で、意地を通したつもりがないんだよ。自分がやりたいようにできれば……ようするに、自分がその場面で勝ってしまえば、……そのままやり続けて、まったく、意地を通したつもりがしょうじない。本当は、自分の都合を優先して、自分の維持を優先して、やりがち、しているのに、そういうことをしたというつもりがない。つもりがないだけではなく、「やってない」と思ってしまう。これは、「そうだった」ということを認めるが、本人にとって、嫌なときは、これまた、絶対の意地で認めないのである。整合性なんてないんだよ。起きているときに、頑固にやったことをやってないとか、「頭がおかしい」レベル。本気で言っているのだったら、頭がおかしいレベル。けど、うちでは!!普通にそうする。あたりまえ。 本人は、まったく、疑問に思わないし、第一、やっているとか、やったとか思わないのである。そういう毎日、そういう毎時間、そういう毎分、そういう毎秒だ。そういう構えになっているから、刺激があれば、かならず、そういう反応をするのである。親父ブラックボックス、親父関数、兄貴ブラックボックス、兄貴関数で、ある刺激を投入すると、かならず、そういうアウトプットが返ってくる。あたりまえ。「たまたま」そうなったんじゃない。人格として、そうなっている。しかも、都合のいいきちがい回路が搭載されていて、やったってやったことになってないのである。これ、本当に、他の人にハンダゴテ事件とか、自転車事件とか説明しているけど、その二回だけ親父がそうしたというのではなくて、全部が全部そういう状態なんだよ。で、この「うちでは」全部が全部そういう状態だというのは、イ・ラショナルな考え方ではない。行き過ぎた一般化ではないのである。むしろ、「たまたま」そういうことが発生したという考え方を、一般化しすぎているのではないか??????


2016年11月29日火曜日

ぼくの父親(個人)と「父親」という集合的な存在の区別がつかない人がいる

いろいろ、わかってしまったことがあるんだけど、いろいろな病名(精神系)を出すと、これは、集合的な名詞だから、その病名を持つ人全員を悪くいうようなことになってしまうのである。ぼくは、特定の人について言いたいのに。親についてもおなじだ。ぼくは別に抽象的な親全体を批判したいわけじゃないのだけど、そういうふうに取ってしまう人がいるんだよな。「親を悪く言うのは天につばを吐くようなものだぞ」とか。実際の被害(事実)を報告するというのと、悪口を言うというのは違うから!!! ぼくは自分の父親とのあいだにあったことを、言っているのに、ぼくの父親(個人)と「父親」という集合的な存在の区別がつかない人がいるんだよな。で、これは、仮説だけど、「親を悪く言うのは天につばを吐くようなものだぞ」というようなことを言ってくるひとというのは、なんらかの性格的な問題を抱えているのではないだろうか。

あと、掲示板についてだけど、これも、本当はいろいろと言いたいことがある。2ちゃんじゃなくて、二〇一〇年頃、とある無職系掲示板でひどいめにあったんだけど、……。いろいろなこと考えると、詳しく語ることができないんだよな。で、俺にひどいことをした人というのは、ある病気にかかっている。で、そういう人は、部分的に親父や兄貴と似ている。親父や兄貴はその病気じゃないのだけど、「頑固さ」「自分勝手(都合の良さ)」「平気で嘘をつく性格(本人が本人の記憶を本人に都合がいい形で改ざんする)」という点で、そっくりなんだよな。言い出したら、聞かないし、やり出したら、とめられない。「そんなのやめて」と言えば済むことだろなど平気で言う人たちとは、違う。そういう人たちが想定している人物像(親、兄弟、家族の一員)と実際の人物が違いすぎる。

あとは、成功法則系の人たちと、ぼくとでは住む世界が違うんだなということがわかった。

で、以上のことは全部、密接に関係があることで、配慮せずに説明しようと思えば、説明できる。けど、配慮をしないと、「おまえ(このブログの主)がきちがい」「おまえ(このブログの主)がきちがい」と他のところに書き込むようなアンチが増えるから、やめておこう。

父親だけだったら、俺は無職じゃないし、とある無職系掲示板に書き込むこともなかった。兄の存在がでかい。でかすぎる。兄貴が実際にこだわってこだわって、毎日毎日鳴らし続けたヘビメタ騒音の影響がでかすぎる。で、兄貴は親父とまったくおなじ。兄貴は、自分と親父がおなじ」だとは思ってなのだろうけど……たぶんかたくなに否定するか、しらばっくれると思うけど……そっくりと言うよりも、まったくおなじだから。親父の原理を使って、ヘビメタ騒音をずっと鳴らした。ヘビメタ騒音を一四年間親父とおなじ態度で鳴らした。で、一五年目からは、親父とおなじ態度で、かつての自分の行為を否定する。その行為というのは、ちょっとした行為ではなくて、頑固に意地を張ってやった行為なんだよ。「どれだけの意地でやったと思っているんだよ!!」と言いたくなる。あれだけ意地を張ってやった行為を、「やってない」とか、ひどすぎる。「全部、そういうことになっちゃうんだよなぁ」……「うちでは!!」

本当、涙が出てくる。

2016年11月28日月曜日

今日の気分、そのまま。というか、いまの気分、そのまま。

なかなか憂鬱だな。

いまは、痛いところがないから、それでよしとするか?

いろいろありすぎてエナジーが枯れた状態になっているーーー。
人生、いろいろあったな。引きこもり人生だけど本当にいろいろなことがあった。

エナジー、かれて、不安

by エイリ

すべてが過ぎ去った……。
すべてが……。

もう、新しいことをする、気力がないな。
けど、ぼくはやるよ。やると言ったらやるんだ。ぼくはぁぁぁぁぁぁぁ。

来年はyoutube攻略。顔出しはしないけど。

写真旅行、撮影旅行?はしない。それよりも優先しなければならないことがある。

お金儲けができない。なんか勇気を出してうまいことやれば、案外楽に金が入ってきそうな感じもするんだけどなぁ~~ このおそれはなんだろう。やっぱり、金を稼ぎたくないのかな? 技術的には、金を稼げるところまできていると思うんだけど、なんかあんまり踏ん切りがつかない。憂鬱で、請負業ができない。頭にもやがかかったように憂鬱なんだよ。これは、どうにもならない。もうちょっと別の力が必要。協力者が必要なのかもしれない。

行動しているとき、憂鬱だからね。ヘビメタ騒音の憂鬱、そのままなんだけど……。行動しているとき憂鬱だ。はっきり言えば、外を歩いているとき視界がぼやけるほど憂鬱だ。笑って歩いている高校生たちとすれ違うと、なんとも言えない気持ちになる。「まあ、ぼくにも若いときはあった。ヘビメタ騒音でめちゃくちゃだったけど……」「ダイヤどうしているかな」などと思う。女関係のことを言えば、ヘビメタ騒音で不安でめちゃくちゃだったということができる。外に出ると、それなりに、もてたんだけどな。なんかよってくる人がいるんだよな。俺の磁石は、まだ有効なんだろうか。けど、当時と同じように、「このありさまをみせたくない」みたいな気持ちが働く。いつもだ。いまだと、年齢や収入をかくしたい。言いたくない!

なんか、スイッチはいらないかな。あのときの風を切るようなさみしさや不安を感じる。あのときのまんまなんだよな。ヘビメタ騒音で発狂的にくるしかったときのまんまだ。

不安スイッチ・オン(オフにできない)
憂鬱スイッチ・オン(オフにできない)


スイッチを六〇個にわけるか。いまは、ともかく、痛いところがない。座って、キーボードを打てる。
けど、座っているとけつが痛くなってくるので、横になるよ。


   *     *     *

他の人のブログを読むも、
しょぼーーーん

こういうときのために自分を元気づける音声ファイルを作っておかないとやばいな。
まあ、抵抗があったら聴かない。抵抗がなかったから聴く。
しかし、

実は三五歳の頃人付き合いを再開したんだよ。けど、移動中ヘビメタ騒音のことで激しく憂鬱なんだよ。会っている最中は、もちろん隠すけど、こころの奥底でヘビメタがつらいとさけんでいる。あれもつかれるんだよな。ヘビメタのことを特に言わないで他の人とつきあうのもつかれる。言っても、あんまり意味がないんだけどね。一応、ヘビメタ騒音のことは言わないで、つきあっていてもなんていうかな、……相手が話しているときも……こころのなかで「俺は……ヘビメタ騒音でそれどころじゃなかった」などと思ったりするときがある。多々あった。やっぱり、ヘビメタ騒音で「おいてきぼり」にされて、さびしい。なんかこころがいつもさけんでいる。

2016年11月27日日曜日

運の強さと自画像 

希望を捨ててはいけない。希望を捨てたら、くじを引くことさえできなくなる

(by エイリ)


一〇〇本のくじのうち、一本だけ当たりくじがある場合は話した。今度は、一〇〇本のくじのうち一〇本当たりくじが入っている場合について、考えてみよう。一〇分の一の確率。で、これを一回やるのではなくて、三回やることにする。これは、おなじくじを連続で三回引くわけじゃなくて、一回一回、わけて、合計三回引くということにする。そうすると、三回とも当たりくじを引く確率は一〇分の一×一〇分の一かける一〇分の一で、一〇〇〇分の一だ。一〇〇〇分の一の確率で、三回とも当たりくじを引く強運な人が出てくる。

で、そういう人は、自分がくじを引くと当たると思うだろう。三回ともはずれた人は、自分は、くじ運がないと思うだろう。これは、公正なくじで、本当に確率だけの問題なんだけど、そういうことを言いたくなる気持ちになることは、確かだ。本人が、そういうふうに言った場合、まわりの人も「そうなんだろうな」と思うだろう。けど、これは、確率の問題だ。ランダムに発生していることに他ならない。

言っておくけど、これは、本当に公正なくじ引きだ。いかさまはなしだ。『賭博黙示録カイジ』のティッシュ箱のように、当たりくじを、普通は手がふれないところにはさんでおくなんてことはできないようになっている。また、自分で当たりくじを入れるときに、箱の底面に押し付けて、くじを折り曲げておくなんてこともできないようになっている。「当たりくじを引くべくして引いた」と言っても、いかさまじゃしかたがない。けど、いかさまでも、いかさまがばれなければ、いかさまじゃないという点もある。現実にはある。さらに、『ジョーカー・ゲーム』のように、自分がなにをしているのかわからないままやられてしまうということもある。ポーカーをやろうということになって、ポーカーをやっているのだけど、本当は、ポーカーじゃなくて、ポーカーにまつわる情報戦をしているというのがある。それがわかってない人は、負けるべくして負ける。そのしくみを理解している人は、勝つ確率が非常に高くなる。こういうのは、ぼくが最初に述べた、公平なくじじゃない。

公平なくじにおいては、完全にランダムに、勝つ人と負ける人が決まる。実際に「負ける」ということを何回も繰り返していると、自分で「俺はなんと不運なんだ」と思うようになってしまうのである。ちなみに、宝くじだと、何回も買っているのに、なかなか当たらない人が出てくる。これは、確率の問題だ。当たらない人だって、何回も買っていれば四等ぐらいは、当たったことがあるでしょ。まあ、当選番号を決定する装置の「くせ」みたいものがある場合はある。けど、名だたる宝くじは一応公平だと思う。

問題なのは、貧乏家に生まれてしまった場合だ。貧乏家のくじの箱の中には、当たりくじが入ってないのである。だから、何回引いても、あたらない。当たらないことが最初から決まっている。ここで、前世を出すのは、なしだ。あくまでもこの世の話をしよう。一回限りのこの世の話しだ。裕福な家に生まれると、当たりくじがいっぱい入っているくじを引くので、当たりくじを引く確率が高くなる。くじの箱の中に、当たりくじしか入ってなかったら、必然的に、当たりくじを引く。そして、それが何回か繰り返されたら、「自分は幸運だ」「自分は強運だ」と思うようになるのである。一方、貧乏家の当たりくじがまったく入ってないくじを引く場合は、「自分はついてない」「自分は運がない」と思うようになるのである。

とりあえず、貧乏家と裕福な家ということにしておいたけど、本当は、いろいろな偏差がある。まあ、一番わかりやすく、貧乏家(当たりくじなし)、裕福な家(当たりくじばかり)ということにしておいた。実際には、その間にいろいろな確率のくじ箱がある。まったく普通の家の場合は、貧乏家(当たりくじなし)、裕福な家(当たりくじばかり)の中間あたりだ。まったく普通の家よりも、貧乏家よりの家もあるし、まったく普通の家よりも裕福な家よりの家もある。裕福な家寄りの「普通の家」では、一〇本中七本があたりという、当たりやすいくじ箱が置いてある。貧乏家寄りの「普通の家」では、一〇本中一本があたりという、当たりにくいくじ箱が置いてある。これは、備え付けで、変えることができない。

---以降いろいろ気が向いたら書くよ

『賭博黙示録カイジ』
福本伸行による日本の漫画
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%AD%E5%8D%9A%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%B8

『ジョーカー・ゲーム』
柳広司による日本の短編ミステリー・スパイ小説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0

(あるいは、子供の力で変えることができないと言っておこうか)。

スピ系の人、開運系のひとは「現在のあなたは、過去のあなたの思いが作っている」みたいなことを言う。「現在の姿が、あなたの思いをそのままあらわしている」「あなたが思ってることが現実化している」ということを言う。マーフィーも似たようなことを言っているでしょ。けど、これは、貧乏家のくじ箱の話しを、根底から無視している発言だ。どれだけ、当たると念じて、くじを引いても、当たりくじが入っていないのであれば、当たりくじは絶対に引けない。『念じる力が弱かった』とか『引き寄せる力が弱かった』というわけではないのだ。どこかにうまい引きよせ方法があって、その引きよせ方法を自分が知らないから、はずれくじを引いてしまう』というわけでもない。それだと、たとえ、当たりくじが一本も入ってないくじ箱からでも、その方法を用いれば、当たりくじを引けるということになってしまう。そのくじ箱の中に当たりくじが一本も入ってないのであれば、どれだすごい『引き寄せの力』があっても、当たりくじを引くことができない。

「現在の姿が、あなたの思いをそのままあらわしている」は、スタートラインはみんな同じなんだけど、『思い』『思い込む力』によって、差ができたのだという理屈なのだ。

しかし、実際には貧乏家に生まれるか、裕福な家に生まれるかで、差がある。生まれたときから差があるのに、あたかも差がないような前提に立ってものごとを言って、その人が貧乏な理由をこじつける。本当は、差がある。生まれに差があるのは、「しかたがないこと」として無視されるのである。これは、公認されたいちんきだ。公認されたいかさまくじだ。人生は、最初から、いかさまくじなのである。なので、スタートラインはおなじではないという設定に立って、理論を構築しなければならない。

「現在の姿が、あなたの思いをそのままあらわしている」「あなたが思ってることが現実化している」ということは、どっちかというと、支配者層が貧乏人に思って欲しいことだ。貧乏人がそう持ってくれれば、盤石だろ。すべての労働者がそう思ってくれたら、こんなに都合がいいことはない。


いかさまくじばかり引かされてきたので、「自分は運がない」と思っているかもしれないけど、それは、違う。「現在のあなたは、過去のあなたの経験が作っている」。


   *     *     *


人間界は公平じゃないのに、あたかも、公平だといっているようではないか。けど、ようするに、人間界は、公平じゃない。

『だめだと思っているからだめなのである』というのは、強者の理論なのである。



2016年11月26日土曜日

入試前日だろうが、家族会議のテーブルにつかなかった

こりゃ、むなしいな。
やばい~~

ヘビメタ騒音のことで憂鬱になっている。本当、俺の人生はなんだったんだろう??

やばい。希望が必要。

昨日は、セブンイレブンによって、いろいろ買ってきた。なので、食料はしばらく平気。けど、なんて言うの? なんかおなじものばっかり。

まあ、ネガティブなことは書かないほうがいいのかもしれないけど、書かないと死んじゃいそうなので、書く。

むなしい。

他の人はどうなんだろう??

まあ、独身と言っても人それぞれだからな。むなし~~。

けど、ヘビメタ騒音以降、すべてのことに耐えられそうにないんだよな。もう、あそこで、人生、終わっている。他の人いいよな……ヘビメタ騒音がなかったわけだから。

あれ、本当にいいようがないむなしさがある。あの空間はない。
あの騒音はない。きちがい兄貴の、あの態度はない。あれが、あたりまえだったんだからな。毎日、二四時間中二四時間、ああいう態度で、あたりまえだったんだからな。どれだけ家族会議のテーブルにつけと言っても、つかないで、最後の最後までずっと鳴らしてたんだよな。そして、入試前日にようやくテーブルについたと思ったら、ずっーーっと黙りこくって、ひとことも口を利かないで、二階に行って、ドカスカ鳴らした。これは、高校三年の時だけど、本当にあいつ、浪人のときは、入試前日だろうが、家族会議のテーブルにつかなかった。で、きちがい兄貴が、家族会議のテーブルにつかなければ、きちがい兄貴は、普通に、いつも鳴らしているように、鳴らせる時間はすべて、きちがい的にデカい音で鳴らしている。だから、意味がないんだよな。家族会議に出ろと交渉しているあいだは、とりあえず、鳴らすのをやめるというのであれば、意味があるのだけど、ふつーーに、普段通りに鳴らしているから、意味がない。あれ、本当、ずっと鳴らしてたのに「静かにしてやった」つもりだけはあるのか? 頭がおかしい。俺がどういう気持ちで、「きちがい」という言葉を使っていると思っているんだ?

「当たった人が書く当たりくじを引きよせる方法」と「はずれた人が書くはずれくじを引きよせる方法」

当たりくじの問題
だれもが引き当てることができるかという問題

一〇〇本のくじのうち、一本が当たりくじだとする。その場合、一〇〇人が一本ずつくじを引けば、かならず、ひとりはあたる。

そして、かならず九九人ははずれる。

これは、決まっている。

このくじを引くとき「かならずあたる」と確信すれば、九九人も、当たりくじを引けるというわけではない。これが、たいせつ。

「思いは現実化する」系統の本を読んだ場合、たとえ、当たりくじが一本しか入ってなくても、一〇〇人が当たらなければならないのである。一〇〇人が「思いは現実化する」と思って、くじを引けば、一〇〇人が当たりくじを引かなければならないのである。

「思いは現実化する」という理論に従えば、かならず、そうなると決まっているのである。これを聴いたとき、おかしいと思うかもしれないけど、彼らが言っていることは、こういうことだ。彼らの意見に従えば、「当たると念じて引けば」たとえ、当たりくじが一本しか入ってなくても、一〇〇人が当たらなければならない。

しかし、そういうふうには言わない。当たりくじを引けなかった人は、思い方がたりなかったということを言い出す。事実として、念じ方がたりなかったので、うまく引き当てることができなかったということになる。はずれくじを引いたら、「どうして、はずれくじを引いてしまったのだろう」とどれだけ考えてもむだだ。

「実際に、当たりくじを引いている人はいる。しかも、「念じて」当たりくじを引いた人もいる。だから、「念じて引けば、当たりくじを引ける」というのは、その点では正しい。理論的に、間違っていない。


しかし、「どうして自分は当たりくじを引けなかったのだろう」と考えてもむだだ。「当たりくじを引くにはなにか方法があるはずだ」と考えてもむだである。公平なくじなら、……つまり、いかさまでなければ……ひとりのひとが当たりくじを引いて、残りの九九人ははずれくじを引くということに決まっている。そして、それは、偶然だ。確率の問題だ。なにも、当たりくじを引いた人に、特別な能力が宿っているから、当たりくじを引いたわけではないのだ。ここをおさえておかないと、現象を認識することに失敗する。

けど、くじの結果が出てしまった。その場合、当たりを引いた人は自分が当たりくじを引いたのは必然だと言い出すことがある。本人が必然だと思うのは、よいことなので、だれも否定できない。また、実際に「引き当てた」ので、「引き当てた」という事実は、否定できない。当たりくじが一本入っているので、誰かがこの地位を獲得できる。

かならず、ひとりは、当たりくじを「引き当てる」ことができる。一〇〇人中一〇〇人が、「思いは現実化する」「自分が当たりくじを引き当てる」と思って、くじを引いたなら、この当たったひとりも、かならず、「思いは現実化する」「自分が当たりくじを引き当てる」と思って、くじを引いたので、この人にとっては、「思いは現実化する」というのは真実だということになる。「思いは現実化する」「自分が当たりくじを引き当てる」と思って、当たりくじを引いたのだから、これは、客観的に言って正しい。

なので、あたりを引き当てた人は、「思いは現実化する」と言ったり、「当たりくじを引きよせる方法」といった本を書くことができる。九九人には、この権利がない。はずれて、「悩んでしまう人」になる。

はずれた人は、自分も当たりくじを引きたいと、強く強く思っているので、当たった人が書いた「当たりくじを引きよせる方法」という本を買うことになる。カネは「はずれた人」から「当たった人」に流れる。これが、強烈に重要だ。偶然、当たりくじを引いた人は、それが必然だと言う権利と、「思いは現実化する」という確信と、「当たりくじを引いた人が書く、当たりくじを引く方法」といった本を書く権利ができる。

ここで問題です。「はずれくじを引いた人が書く当たりくじを引きよせる方法」という本をあなたは買う気になりますか? あるいは、「はずれくじを引いた人が書くはずれくじを引きよせる方法」という本をあなたは買う気になれますか?

「当たった人が書く当たりくじを引きよせる方法」
「当たった人が書くはずれくじを引きよせる方法」
「はずれた人が書く当たりくじを引きよせる方法」
「はずれた人が書くはずれくじを引きよせる方法」

こういうタイトルの本が四冊あったら、どの本を買いますか。普通は、「当たった人が書く当たりくじを引きよせる方法」という本になると思います。なので、はずれくじを引いた人は、本を出せず、あるいは、本を出しても売れず、当たりくじを引いた人が書く「当たった人が書く当たりくじを引きよせる方法」だけが売れるということになります。

けど、方法じゃないんだよね。一〇〇本のくじのうち一本が当たりくじなので、誰かが、こういう立場に立つことができる。それは、あなたかもしない。一〇〇分の一でそういう立場に立てる。これは、あたりまえの話しで、当たりくじを引いた人が、特別に、能力があるからじゃない。当たりくじを引いた人が、特別に当たりくじを引く能力があるからではない。

ただ、当たりくじを引いた人は、「当たった人が書く当たりくじを引きよせる方法」を書くことができるという意味でついている。また、その本は「当たった人が書くはずれくじを引きよせる方法」
「はずれた人が書く当たりくじを引きよせる方法」「はずれた人が書くはずれくじを引きよせる方法」よりも、売れるだろうから、そういう意味でもついている。

一方、はずれた人は「思いは現実化しなかった」という現実を手に入れてしまう。これは、「なにか悪いところがあるから思いが現実化しなかったんじゃないか」というような※悩み※をうむ。本当は、そうじゃないのに、そういうことについて悩む。「へたくそだからはずれくじを引いてしまった」「なにか当たりくじをつかむ方法があるはずだ」「実際、当たった人がいる」「自分が当たらなかったのはなぜか?」という思いにとらわれてしまう。なので、当たった人が書いた「当たった人が書く当たりくじを引きよせる方法」を買ってしまう。お金の流れは、「ついない人」から、「ついている人ということになる。逆じゃないのである。

くじを引き当てた人が、お金も手に入れることができるのだ。もちろん、人気も手に入れることができる。自分がなにか特別な存在であるように振る舞うことができる。事実、引き当てたので、引き当てたという事実はだれも否定できない。そして、必然なのか偶然なのか、本当にはだれにもわからないので、必然か偶然かは、わからないということになる。これは、言ったもの勝ちということに鳴る。「必然だと言い張れば、その人のなかでは、必然的な出来事になる」。ましさしく、自分が引き寄せたのである。なので、当たりくじを引き寄せることができる強運の持ち主ということができる。

人間界ではこういうことが普通に起こる。一個いいことが起こると、次々といいことが起こる。一回、はずれると、その他大勢になって、なかなか、その他大勢から抜け出すことができない。別に、能力の差があるわけではないのである。この場合は! アイドルのオーディションなら、ルックス、歌唱力、ダンスのうまさ、雰囲気などが、決め手になるので、歌唱力をつけたり、ダンスの練習をすれば、多少は、大勢から抜け出すことができるかもしれない。

けど、このくじの場合は、そういう能力差は関係がない。いちおう、ルックスや雰囲気も能力のうちに含めるとする。

で、ぼくが言いたいのは、偶然の産物でも、不均衡が生まれるということだ。当たった人が、それをきっかけとして、多くのものをつかむ権利が生じる。カネは、当たらなかった「その他大勢」から当たった「強運の人」に流れる。なので、そういう流れが加速化するのである。


なので、当たりくじを偶然引いた人は、お金も手に入れることができるのである。

こういうことが普通に成り立ってしまうのが「この世」だ。たまたま、偶然に一回当たった人が、他のものも手にする傾向がある。善循環と悪循環があって、あることを機転として、……それは、偶然なんだけど……善循環と悪循環がはじまる。















2016年11月25日金曜日

あなたの考えがあなたの現実を作っているという考え方には問題がある

あなたの考えがあなたの現実を作っているという考え方には問題がある。これは、マーフィー流の考え方にも出てくることなんだけど、思考が現実を作るのだから、いま現在不幸であるならば、それは、あなたが作った不幸だということを言う人がいます。開運系統でも、いま、あなたが貧乏なのは、貧乏な考え方をしたからだということを言う人がいます。

これらは、正しいのでしょうか? 間違っているのでしょうか。これらの考え方は根本的に言って間違っています。どうしてかというと、現実を無視しているからです。ただ単に、通りがいいだけなんですよ。(ですます調をやめます)これは、差別や偏見を固定化する見方だ。ただたんに、通りがいい。不幸な人は不幸なことを指向したからそうなる……こう言っておいた方が都合がいい。

この系統は、前世を出す考え方と、前世を出さない考え方に別れる。それぞれが、ゆがんだ考え方を持ってる。これは、他人に害悪をなす、無慈悲な考え方だから、その人がどれだけ、わかったようなことを言っていても、こういうことを言う人には近づかない方がいい。

開運系のところでは、「せめるところがある」と言ったけど、生まれも育ちも違う人に対して、すべてこうだと言うのは、ナンセンス。人には違いがある。生まれてきた場所も、どこのうちに生まれるかも違う。親は選べない。最初から、不公平。実際はこうだ。

それを無視してしまう。無視して、虚構のなかで、人はそもそも平等なので、考え方の違いだけが、現実を作り出したということを言ってしまう。「いまのあなたの状態が、あなたの考え方をそのまま示しています」などと言ってしまう。「いまのあなたの状態が、あなたの人となりをすべて表現しています」「いまのあなたの状態があなたが何者であるか、どんな考えを持って生きてきた人であるか、表現しています」……こういう言い方が、どれほど、人を傷つけるか、わかってない。こういうところで、それこそ、違いが出てきてしまう。どれだけいいことを言っていても、このひとことで、その人が実は愛に満ちてないと言うことがわかってしまう。思いやりも慈悲もないということがわかってしまう。

頭がおかしい親のところに生まれてきたこどもが、親に虐待されているとき……まさに、その時、こどもに対して「あなたの考えがあなたの現実を作っている」「あなたは親を選んで生まれてきた」と言うことができるだろうか。私には到底できない。そして、これ、うそだから。その人の、勝手に作り出した世界観に従って、「おまえの不幸は自己責任。おまえが悪い」「おまえが虐待されているのはおまえが悪い」「おまえがそういう世界を望んだから、いま、虐待されている」「それが真実だ」と言っているだけだから。

こんなことを軽々という人を信じていいのか?


ぼくは、疑問に思う!!!

こどもの「思い」が現実を作っているのではなくて、親の行動が現実を作っている。虐待されているこどもには責任がない。こういうあたりまえのことを言えなくしてどうするか? それがなんのスピリチュアリズムか?


2016年11月24日木曜日

潜在意識と自己暗示 現実原理と空想原理 うつ病領域の人にふさわしい自己実現プログラムとはなにか?

けど、むなしい。基本的に元気がないから、講座とかできないんだよな。知っていることを教えるということが、なかなかできない。ああいうのは、元気が必要だね。

やっぱり、ヘビメタ騒音で普段から、くるしい。このくるしさはいいようがない。


そとが、完全に暗い。さっきまで明るかったのに。








自己暗示のパワーだと思う。あとは、自己暗示で動いていると、協力者や仲間があらわれて、うまくいくということなんじゃないかな。で、「できない」とか「つまらない」といったマイナス的な言葉を使わないようにするというのは、どうかと思う。生い立ちによって……いままでの経験によって、どうしても、出てきてしまうところがある。で、それを「ふうじる」の正しいのか、表現するのが正しいのかということは、考えなければならない。で、「無理」であるなら、やはり、ふうじないほうがいいんじゃないかと思う。

マーフィー流の「思いは現実化する」というのは、社会生活などがそこそこうまくいっている人が、やることなんじゃないかなと思う。毎日くるしい状態が続いて、くるしいままの人がやるようなことじゃないと思う。言ってみれば、ハードルが高い。このハードルの高さをどうにかしようと思う。

強烈なヘビメタ騒音が毎日続いてしまった人というのは、「なるべくネガティブな言葉を使わないようにしよう」としても無理だ。これは、もう、ぼくは、何十年か前にこころみて、無理だったから無理だと言える。もっとも、トラウマがそれほど強くない人は、ドンドンやってみるべきだとは思う。きちがいヘビメタ騒音をでかい音で鳴らすというような反社会的な行為じゃなくて、いいことをするというのであれば、ドンドンやるべきだ。けど、うつ病になっている人が、こういうメッセージを聞くと、よけいにひどくなる場合がある。

ポストトラウマティックストレスディスオーダーPTSDの人や、普通じゃない状態で暮らしている人は、こういうメッセージをうまく使えない。

どうしてかというと「いま不幸なのは、あなたが悪い。あなたが不幸な現実を作り出した。自己責任」「いま貧乏なのはあなたが悪い。あなたが貧乏な現実を作り出した。貧乏になる考え方をしているから、貧乏なのだ。自己責任」というメッセージを含んでいるからだ。他にも、「あなたが貧乏な家を選んだ。貧乏なのはおまえの責任だ。」「あなたが虐待する親を選んだ。虐待されたのはおまえの責任だ」ということを言っているからだ。本当は、関係がないことまで、人のせいにしている。そのくせ、あなたが親を責めることは責めるのである。これだと、数少ない頭がおかしい親にあたった人が、涙をのむ結果になる。頭がおかしい人は、頭がおかしい人として行動する。これは、その人のこどものせいではない。本当に、他人のせいじゃないのである。無意識に問題を抱えた人間(親)は、なにもしてないこどもに八つ当たりをして荒れるのである。それは、こどもの責任じゃない。そのこどもが、理由なく八つ当たりされることを「思考したから」現実化したのではない。こういう、あたりまえのことを、あえて言わなければならないほど、スピリチュアリズムがくさっている。いや、そんなのは、スピリチュアリズムじゃない。反スピリチュアリズムだ。

実は、昨日、「過去に戻れ」と言っても無理だということを書いたけど、あれは、まじめに書いている。「あなたは宇宙の一部で、あなたのなかに宇宙が内包されている」「潜在意識には、ものすごいパワーがある」というような論法でいくと、物理法則に反することも、できそうな気持ちになってくる。

実は、あのあと、「道具なしで、自由に空を飛ぶこと」と「天皇になること」について、それぞれ述べようかと思っていた。顕在意識が、「自由に空を飛びたい」と思って、無限の力を持っている潜在意識に命令したとしても、人は道具なしでは、自由に空を飛べない。「なにをいまさら、あたりまえのことを」と思うかもしれないけど、メッセージを素直に聴けば、こういうこともできなければならないのである。こういうともできると言っている。「どんなことでも」できるのだから。「できない」のは、あなたが、「そんなことできるわけがないだろ」というような負のメッセージを受けているからなのである。だれから受けるかというと、他者から受ける。まっさらな状態で生まれてきたのに、親や教師によって、負のメッセージをあたえられたから、「できない」と思っているだけなのだ。……だから、負のメッセージで自己暗示にかからなければ、かならずできることなのである。「なんでもできる」と言っている。

実は、今回、結論から書いてしまったのだけど、潜在意識のパワーは、絶大だけど、それは、自己暗示のパワーとたいして変わらないものだと言うことができる。「なんでもできる」というわけではない。自己暗示のパワーでできることならできる。けど、自己暗示のパワーでできないことは、できない。

実は、自己暗示と共時性の問題で、自己暗示のパワーで「動いている」と共時性が働いて、うまいこといくというような話しなのだ。で、なるべくなら、自分自分……といったことではなくて、人のために立つような理想的な計画がいいわけだ。そういう話しのほうが、他の人のパワーを借りることができるから。

けど、うつ病やPTSDの人は、まず、自分をどうにかする必要がある。

人間、なんて言うのかな、それぞれ、生まれてきてから、経験したことが違う。強烈にくるしい刺激を与え続けられた場合は、やはり、基本的な部分が障害を受けているというような前提から出発しなければならない。だから、先ほども述べたようように、マーフィー流のメッセージというのは、すでにいろいろ動いている人が、さらに動くときに効果的なのだと思う。とまっている状態から、動き出すには、ちょっと不適切なのだ。

●現実原理と空想原理

マーフィー流の自己肯定感、自己万能感というのは、空想的なものだ。はっきり言ってしまうと、妄想的な部分がある。もともと、現実を無視しがちな人がやると、あんまりいいことにならないような気がする。たとえば、「天皇になる」ということを考えるとよくわかる。

他の人が天皇だと認めないと、天皇にはなれないのである。もし、天皇になるなら、社会制度を変えなければならない。で、社会制度を変えるということをも含めて天皇になることを考えているなら、一応は、現実的と言えるのだけど、マーフィー流の「なんでもできる」「どんなものにもなれる」というのは、自己暗示の世界だから、本人だけが「天皇になった」と思うだけの世界がひろがってしまうかもしれないのである。

無限のエネルギーとか、潜在意識は無限大のエネルギーを持っているということを素直に受け取ると、「天皇になると思っただけで、天皇になることができる」のである。なれないのは「そんなことは無理だ」「そんなことができるわけがない」といった他者の暗示を受け取ってしまうからなのである。だから、他者の暗示を跳ね返すような「信念」をもってことにあたれば、無限のエネルギーによって、それが実現化してしまうのである。

「そんなこと、できるわけがない」「天皇なんかになれっこない」「おまえが天皇になれるわけがないだろ」というような他者からの暗示を受け付けなければ、……自分の信念を真に信じ切ることができれば、天皇にだってなれるのである。なれないのは、なれないと考えているからで、なれると思ったらかならずなれるのだから、なれるのである。

けど、本人がかりに、どれだけ自分は天皇だと言っても、他の人が天皇だと認めなければ、天皇になれない。他の人が天皇だと認めるような、根拠が必要なのである。他者を完全に無視してしまえば、そりゃ、天皇にだってなれるけど、それは、自分のなかで天皇になったつもりになるだけで、天皇になったわけじゃない。こういうことを、一応はおさえておかなければならないのである。

メッセージを聞いたときは、なんでもできそうな気持ちになるけど、ちょっと時間が経つと、いつもの状態に戻っているというのは、異常なことではない。本などを読んで、できそうな気持ちになるけど、一日も経てば、「あれ??」と思ったりしないだろうか。それは、現実的な生活をしていると、現実原理が優勢になるからだ。別におかしいことじゃない。

ちなみに、自分が天皇だと言って、他人も(その人)が天皇だということを認めれば、天皇にだってなれる。天皇とかそれを支える制度というのは、共同幻想に他ならないから。自分だけの幻想になってしまうと、現実からは乖離してしまうので非常にまずい状態になる。



一回きりの話しが多いからね。

2016年11月23日水曜日

潜在意識の法則よりも物理法則のほうが、上位の法則




上位の法則というものを考えなければならない。潜在意識の法則について語っている場合は、潜在意識の法則が、一番上位の法則だということにになっている。

これは、明言しなくても、そういうふうに暗示している。潜在意識はものすごいパワーを持っているので、顕在意識に命令されたことをなにがなんでも現実化しようする……こういうことを言っているときに使われる「潜在意識」というのは、最高位の法則なのだ。物理法則と潜在意識の法則だと、潜在意識の法則ほうが上位の法則で、物理法則は、潜在意識の法則にしたがうのである。なので、不思議ことが次々と起こるようになる……ということを言う。

なんて言うのかな、潜在意識が動き出した途端に、全宇宙がその潜在意識に味方する。その潜在意識を現実化させるほうに動き出す……こういうことを言うわけだ。これは、個々人の潜在意識なので、他の人が別のことを考えると、宇宙は、どっちの味方をするのかわからない。別の人が、反対のことを考えた場合は、宇宙はどっちの味方をするのだろう? 「あなた」の潜在意識が、宇宙を動かすと本の中でメッセ意地を送っている場合は、読んでる人は「あなた」だけなので、正反対の潜在意識を持っている他者というものを考えて、その他者の潜在意識と自分の潜在意識がぶつかった場合にはどうなるかということについては、あんまり、考えないで済む。

ところで、「時間よ、戻れ」と言えば、時間が戻るだろうか。映画やアニメで出てくるように、時間が逆回転をはじめて、過去のある時点に戻れるだろうか。実際には、どれだけ、「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」「時間よ、戻れ」と何万回命じていても、時間は戻らない。

なぜかというと、潜在意識の法則よりも物理法則のほうが、上位の法則だからだ。これ、重要だからもう一度言いますね。潜在意識の法則よりも物理法則のほうが、上位の法則だ。だから、潜在意識が物理法則を覆すことはない。潜在意識の法則にしたがっているようにみえるものは、すべて、物理法則に従っている。物理法則に反することは、どれだけ、潜在意識のパワーが強烈でも、物理法則に反することは現実化されない。

どうしてこういうことを言うかというと、言及はされないけど、すべてのことが、現実可能だと言っているからだ。潜在意識のパワーを使えばすべてのことが現実可能なのだ。だから、物理法則に反したことも、もちろん、現実可能だといっているのである。こういうのは、一種のレトリックなんだけど、それでも、見逃してしまうわけにはいかない。

潜在意識の法則と言えども、物理法則に従う。物理法則のほうが上位の法則だから。

言霊信仰にかんしてもおなじことが言える。「時間よ、戻れ」と言えば、時間が戻るだろうか。時間は戻らない。なので、言霊パワーにも、限界がある。応用範囲が定まっている。物理法則に反したことは、どれだけ、言葉に出して言っても、現実化されない。言霊パワーがいかに重要でも、強くても、物理法則のほうが上位の法則なので、物理法則に逆らった内容は、現実化されない。




待ち人あらわる系 潜在意識は無限のパワーを秘めている。無限のパワーを使えば、あなたの思いはかならず現実化するかどうかに関する考察



待ち人あらわる系

アイドルを目指す人がアイドルになった姿を想像するだけでアイドルになれるかどうかということは、前に話したので、今度は、アイドルの熱狂的なファンが、アイドルと結婚することを夢みた場合どうなるかと言うことについて考えてみよう。

七二歳の未亡人が、マフィーに手紙をくれたらしい。その手紙の内容というのは、この世で一番自分を大切に思ってくれる人があらわれると念じていたら、実際そういう人があらわれたという内容だ。

というわけで、潜在意識にはものすごくパワーがあるということを言うのだ。顕在意識が命令したことを、潜在意識は善悪に関係なく実行し、実現しようとする。

だから、七二歳だろうが、恋人はあらわれる。こういう話しの場合は、理想の人との結婚生活を事細かに想像することが求められる。事細かに、リアルに想像すればそれは、現実になるのである。

なお、潜在意識のパワーは人間が持っているものだから、人間ならばだれでも、潜在意識のパワーを使える。潜在意識のパワーを使えなくなったのは、まわりの人に否定的な考え方を植え付けられたからで、そういう否定的な考え方が、浮かばないようにすれば、潜在意識なパワーはだれにでもあるものだから、だれにでも使える……というようなことを言う場合が多い。

で、熱狂的なアイドルのファンが一〇〇〇〇人いて、その一〇〇〇〇人が、そのアイドルと結婚することを、事細かに、リアルに想像した場合、一〇〇〇〇人が、そのアイドルと結婚できるだろうか?

答えは、ひとりぐらいは結婚できるかもしれないけど、他の人は結婚できないということになる。アイドルと結婚するファンは、少ない。どうしてかというと、ファンだからだ。アイドルは同業者か、医者、実業家などと結婚する場合が多い。一番多いのは、同業者だ。あるいは、狭い意味で同業者じゃなくても芸能界に関係する人が多い。

たとえば、スポーツ選手とか。ある意味、アイドルみたいなものでしょ。だから、アイドルと結婚したいファンは、ファンじゃなくて、番組に共演できるような役者とかそういうものを目指した方がいいんじゃないかと思う。

けど、ここではそんなことは関係なくて、一般法則として、結婚生活を想像すれば、結婚できるかどうかという問題だ。できる人もいるけど、できない人もいる。潜在意識を活用すれば、かならずできるというものではない。潜在意識を活用したにもかかわらず、理想の人と結婚できない人がいる。それは、必然で、潜在意識をうまく活用することができなかったから、ではない。

あるアイドルと結婚したいと熱望するファンのうち何人が、実際にそのアイドルと結婚できるかということを考えた場合、潜在意識の活用方法にかかわらず、できない場合がある。

まず、ここを認めないとだめだ。けど、認めるわけにはいかないのである。どうしてかというと、人間には潜在意識がある。その潜在意識は、すべてのことを現実化するパワーがあるということが、前提として必要だからだ。もし、実現化することができなかったら、それは、潜在意識の活用のしかたが悪かったからだということになってしまうのである。と言うか、そういうふうにしか、理由をつけることができない。要するに、思い方がたりなかったとか、「結婚できないかもしれない」というような否定的なことを、一回でも思い浮かべたことがあるからだということになる。

自分の顕在意識の命令を受けた潜在意識は、自分だけではなくて、他人を動かしてしまうのである。これは、もう、宇宙意識とか、宇宙の意志とおなじで、なんていうのかな、自分のからだだけではなくて、他の人のからだを動かしてしまう。そういうふうにできている。だから、かならず、現実化する……ということにしておかなければ、他人が関わる願望は、現実化しないということになってしまう。自分の潜在意識は、無限大のパワーを秘めているのである。なので、他人も動かす。なので、かならず、その思いは、現実化する……こういうことにしておかなければ、整合性がなくなってしまう。

まあ、理想的な人と結婚したいという場合は、アイドルのように、特定の個人が最初から決まっているわけではないのである。「理想的な人がそのうちあらわれる」ということだから。自分をこの世で一番愛してくれる人が、あらわれるということだから、だれが、自分をこの世で一番愛してくれる人なのかということは、あらわれるまではわからない。

けど、七二歳の未亡人の話だけど、ある日、その人があらわれたということになっているのだけど、これ、ある日、未亡人の家を訪問してくれるのだろうか? どういうふうに会うのか、よくわからないんだよね。水道の工事を頼んだら、水道の工事の人がまさしくその人だったとか、なんかそういうエピソードが欲しいけど、あんまりわからない。こういうエピソードは作ろうと思えば、いくらだって作れる。「ありそうな話し」というのは作れる。

理想の人があらわれることを、三〇年、四〇年、五〇年うちで待っている場合はどうだろうか。猛烈に想像しているんだけど、何十年もあらわれないということになった場合、人はどう思うだろうか? ぼくも、理想的な女の子がかならず現れると思っているけど、今のところあらわれない。きっと、思い方がだめなのだろう。まあ、「思い方がだめなのだろう」の部分、冗談だけど。ぼくの場合、理想の女の子は、すでにあらわれていた。けど、ヘビメタ騒音のことで頭がいっぱいで、無理だったんだ。

まあ、ともかく、潜在意識にはものすごいパワーがあるのだけど、そのパワーは、他の物理法則に負けてしまう場合があるということなんじゃないかと思う。潜在意識のパワーは自己暗示のパワーとだいたいおなじなんじゃないかなと思う。で、個々人が個々人の自己暗示のパワーを持っているので、個々人の思いがぶつかった場合には、いろいろな面で有利な人の自己暗示のパワーが優先するんじゃないかなと思う。

個々人の思いがぶつかる場合というのは、一つの椅子をめがけて、二人以上の人が殺到する場合だ。一つの椅子を求めて、一万人が殺到したら、九九九九人の思いは、どれだけ、強く念じたにしろ、実現しない。たとえば、「思いは現実化する系の本」の中に出てくる例は、たぐいまれな成功例なのだ。

けど、それは、そういう本の中では、たぐいまれな成功例じゃなくて、すべての人が成功するという文脈で使われている。すべての人が成功するという一般論を出して、そのあと、成功した人の例を出すからだ。あるいは、成功した人の例を先に出して、そのあとで、一般論として、すべての人が成功するということを言うからだ。抽象的なすべてのケースで成り立つ一般法則(の話し)と実例が交互に!述べられているのがこういう本の特徴だ。

本当は、一〇〇〇人ぐらいが同じ本を読んでいて、一つの椅子をめがけて、潜在意識を総動員して、現実化すると念じるのだけど、実際に椅子に座れるのは一人だけ……なんだけど……「あなた」という言葉で、そういうのは、解消される。読んでいるとき、「あなたは」とか「あなたも」と呼びかけられれば、自分のことだと思うから。

で、普遍法則が成り立たなかった場合に関しては、「思い方がたりない」ということになる。思っていればかならず、潜在意識が働いて、現実化するにもかかわらず、現実化しなかった場合は……あなたの思い方がたりなかったのである。……そういう風に言わないと、普遍法則に傷がついてしまう。「思いは現実化することもあるし、現実化しないこともある」などと言ってしまってはあたりまえすぎて、パワーがない。「思いはかならず現実化する」「潜在意識には無限のパワーがある」ということにしておかなければならないのである。

「思いは現実化することもあるし、現実化しないこともある」なんて言ったら
「はぁ~~? なに言ってるの?」でおしまいである。あたりまえすぎる。

あたりまえじゃない言葉を使わなければならない。例外なく、かならず、思いは現実化する。潜在意識があなたの現実を作っている。潜在意識は無限のパワーを秘めている。無限のパワーを使えば、あなたの思いはかならず現実化する……こう言わなければ、意味がない。求心力たり得ない……のであーーる。

じゃあ、そういうことを前提として、「かならず、いつか、理想の人があらわれる」と思って「その人との理想的な生活を事細かにリアルに想像する」生活と、「理想の人なんてあらわれるわけがない」と思って生活するのでは、どちらの方がしあわせかという問題がある。もちろん、理想の人が、すぐにあらわれてくれた方がいい。そして、理想の生活をすぐに始めることができた方がいい。……けど、ずーーっと思っているのに、理想の人があらわれない場合はどうする? そのまま、思い続けるのか? そのまま思い続ける生活はしあわせか? そのまま思い続けて四〇年も五〇年も経ってしまった場合、その人はしあわせか?

時間の問題というのがあるんだよな。まあ、普通、「思っているにもかかわらず、待ち人が来ない場合」は、「なにが悪いのだろうか」と思い悩むはずだ。思っていればかならず現実する……はずなのに、現実化しない……ならば、どこかに悪い部分があるのだろう……と思ってしまう。

で、いろいろその手の本を読むということになる。けど、「どこかに悪い部分があるのだろう」と思ってしまうことはゆるされない。なぜなら、それは、否定的な考え方だからだ。というわけで、ともかく、思うということが推奨される。まあ、これ、「うまくいかない人はセミナーにきてください」と言えば、セミナーに来る人も増えるだろう。うまくいかない場合は、それがキャッシュポイントになる。うまくいった場合は、実例として使える。うまくいった人は「思いは現実化するというのは本当だ」と確信して、本を出したりするだろう。で、その本は、いろいろと否定的なこと現実的なことが書いてあるぼくの本より売れるだろう。

どうしてかというと、迷っている人が多いからだ。「思いは現実化するはずなのに、自分の場合はどうしてうまくいかないのだろう」と迷っている人が、実は多い。すでに思いが現実化した人よりも、迷っている人のほうが多いのだ。現実化させたい側にとどまっている人のほうが多い。圧倒的に多い。だから「思いはかならず現実化する」というタイトルの本が売れる。もし、現実化させた人のほうが多かったら売れない。だって、その人にとっては「思いは現実化する」なんてことはあたりまえのことで、なにをいまさら言っているんだということになるから。その手の本を読まなくても、もう、体得できているからよいのである。思いはすでに現実化されたから、いまさらその手の本を読まなくても、よいのである。

(セミナーを否定しているわけじゃないから)(そういう経済活動は必要)(一人でも多くの人が、思いを現実化できたほうがいいわけだから)

ぼくのこういう文章も、こういうことを書こうと思ったから、うまれたのであーーーる。
思いは現実化した。「思いは現実化する」は真実であーーる。この文章を読みたまえ!! この文章は、ぼくのこういうことを表現したいという願望が現実化したものなのであーーる。
だから、小さな範囲では、つねに思いは現実化していると言ってもいい。

否定的なことは、他者からきたという考え方について、そのうち書くよーーー。



2016年11月22日火曜日

そんなことで怒る人いるの?

ほーんとう、人生ってなんだろうな。どうしても、ヘビメタ騒音が重たかった。きちがい兄貴の態度やわずかな発言から考えると、本当にあいつは、なにも気にしてなかったんだなと……考えることができる。これ、考えることはできるけど、あれだけこだわって鳴らしてそれはないだろ」という気持ちが、むくむくとわき起こってくる。


「俺は、何回も何回も言ったからな!!!」「一日に何回も何回も、怒鳴り込んで、言ったからな!!」と怒鳴りたくなる。


あれ、本当に、あれだけ毎日、「静かにしてくれ」「○○をやるから、鳴らさないでくれ」と何回も何回も、言われていたのに、「言われたつもりがない」のかよ。本当に、そういう状態で鳴らしてた。まさしく、そういう状態で鳴らしてた。どれだけ言われたって、無視して頑固に鳴らしてた。あれ……怒って、顔を真っ赤にして黙りこくって無視していたとき、あるいは、「がたがた言ってくるともっと鳴らすぞ」と怒って言ったとき、「つもりがなかった」のかよ。

言われたつもりがなければ、そういう反応もないんだけどな。親父とおなじなんだよなーーーー。やりたい以上は、やりたいわけで、他の人からなにを言われても、絶対にやる。で、ゆずるということがない。本人が、最大限ゆずったつもりでも、ぜんぜん、ゆずらないでやったとのおなじぐらいやる……というのが、そっくりだ。本当はゆずってない。「そんなので、ゆずったとか、ふさげんな!!!」と相手が怒り狂うような、意味のない譲歩なんだよ。

それで、「やってやった!!やってやった!!」ということになる。このけちくささが、親父の金銭感覚とおなじなのである。ゆずるときの、ゆずらなさが、親父とおなじ。相手にとってまったく無意味な、譲歩をして、ものすごく、譲歩をしてやったつもりになる。親父のカネの出し方はおかしかった。かならず、相手の思い通にはならないように、金を出すのである。相手が、選んだやつは、それが一番安くても、おいそれとかってやるわけにはいかなくなる。これも、相手が選んだ途端にそうなるわけで、最初から、親父がそれを買うのはいやだと思っているわけではないのである。相手が、選んだら、その相手が選んだやつは、是が非でも、買ってやりたくない気持ちになる。絶対に買ってやらない」ということを押し通す。怒り狂って、かならず、押し通す。親父のカネだから、小さなこどもは、買ってもらうしかないわけたけど、親父と行って、自分の願いが叶うことがないのである。これは、ランダムに親父の機嫌が悪くて、そうなるというのではなくて、一〇〇%かならずそうなる。一〇〇%かならず、自分が思ったものは手に入れることができないのである。で、親父が、「かわりに」選んだやつを、買うことになる。で、親父が選ぶものというのは、こどもが、最初に「これは、嫌だ」といったもなのである。だから、こどもが選んだものが、安くても、親父が選んだ、高くて嫌なものを買うはめになる。欲しくないものを、高い金を出して買うということになる。で、それは、嫌だから、最初に選んだ「安いやつでいい」ということにこだわるとするだろ。そうすると、真っ赤な顔をして発狂してしまう。怒り狂う。店頭で、いつもそうなる。だから、親父と買い物に行くのが、嫌で嫌でしかたがなかった。地獄の買い物なのである。じゃ、親父抜きで行けばいいじゃないかということになるのだけど、そうはいかなかった。妻とこどもだけで、買ったものが家にあったら、もう、発狂だ。見つけた途端に発狂するのである。カネを支配しているから、自分のカネが、自分が知らないものに使われたとなったら、発狂するのである。で、この発狂が、とまらないんだよな。三〇分一時間、二時間、発狂し続ける。まあ、他にも発狂するなにかを見つけて、それをネタに発狂するんだけどな。いちゃもんをつけて発狂する。八つ当たり。うちじゃ、きちがい親父がつねに八つ当たりするというのが、あたりまえの状態だったんだ。これも、「そんな人、いない」と軽くいう人にとってみれば、信じられないことなのかもしれないけど、親父は、うちにいたら、うちにいる時間、なんらかのことでずっと発狂しているのが、あたりまえの状態だった。だから、親父と行動するのがものすごく嫌なわけ。めったに行かなかったけど、旅行をするというのでも、大変だった。「地獄の居間」と書いたけど、地獄の旅行になってしまう。ものすごく怒りやすい、ひねくれた幼児が横にいて、つねに、なんらかのことで怒り狂っている状態……なんだよ。本当に「そんなことで怒る人いるの?」というようなことで、怒り狂う。理由が、アホできちがい。頭がおかしい。頭がおかしければ、どんなことでも、怒ることができる。どんなにささないことでも怒ることができると書こうと思ったけど、些細でも、怒る理由がわかることで怒っていたのではなくて、どれだけ考えても、それで怒るのはおかしいということで、怒り狂っていた。ともかく、一〇円二〇円のものでも、親父と買い物に行くと、たいへんなんだよ。ものすごく、くやしい思いをさせられる。まあ、だから、親父が選んだほうを買うのは、嫌だということを押し通そうとすると、親父がカネを握っているので、「じゃ、どっちもかってやらない」ということになって、流れるわけ。で、そういうことが、何回も何回も際限なく繰り返される。ひどいことになる理由なんて、そこにはなにもないのに、親父が関わると、ひどいことになって、空中分解で、話がまとまらなくなるのである。それは、電球事件、ハンダゴテ事件、自転車事件、机事件と、全部おなじなわけ。で、電球事件、ハンダゴテ事件、自転車事件、机事件と四個しかあげてないけど、親父に関わると、かならず、そういうことになる。親父は基本的に金を出したくないんだよ。だったら、こどもが一番安いものを選んだら、それは、親父にとっていいことであるはずなんだよ。けど、怒り狂って、わざと、高いものを買ってやると言い出す。親父が選んだ高いものは、なんていうのかな、こどもが最初に、これは嫌だと言ったものなんだよ。で、高いものを選んだとして、それで、こどもが納得して、買うとするだろ、そうすると、店の人間に、値引き交渉をし出す。だから、そういうことになるから、一番安いのを買ったのにという気持ちでいっぱいになる。で、親父の主張する値引率が、あんまりにも、高いから、親父と店の人間で、ケンカになる。もう、大声でケンカだ。自分の買い物を巡って、父親と店の店員とでかい声で怒鳴り合ってケンカする。で、親父が、怒り狂って、「こんなところ、もう、いい」とか言って、その買い物は、お流れになるんだよ。親父は、値段のことも、実は気になっているのだけど、ともかく、こどもに、子供が選んだものをかってやるということができない。発狂してしまうのである。で、それは、「自分はどうにもならなかった」ということのくりかえしなわけ。そりゃ、親父なんて、一歳の時に、両親が死んで、親戚の家をたらいまわしにされて、虐待されて、育ってきたから、「ちゃんと、自分のものを買ってもらう」という経験がないわけ。親戚のうちで差別待遇をされて、小間使いのように使われて、それで、失敗して、ぶん殴られて、飯抜きで育っているから、普通に、相手が喜ぶようにしてやるということがどうしてもできない。かならず、粉砕しなければ気が済まないのである。で、それが、無意識的なところにある気持ちなので本人は、つねに、「知らずに」「なんだかわからないけど」そうするということになる。その場面に対応したちゃんとした理由があるわけじゃなくて、この、「自分はなにひとつ買ってもらえなかった」という気持ちが、怒り狂いの理由で、親父が、

2016年11月21日月曜日

「無職カテゴリ」「ひきこもりカテゴリ」「ぼっちカテゴリ」「ニートカテゴリ」の引き寄せ

だめ人間ブーム?を支えていたのはだめ人間を見て楽しみたい人たちなのだ。だめ人間が、就職に失敗するところを楽しむ。だめ人間が就職したあとは、だめ人間が職場で失敗して、上司や同僚に怒られるということを楽しむ。そういうエピソードが書いてあると、こころがさわぐ。読んでよかったとにやにやすることができる。

だから、そういう人たちが、だめ人間ブームを支えていたので、だめ人間を名乗って?記事を書くことは、記事を書く方にしてみればそんなに楽しいことではない。楽しめることでは、実はない。だめ人間といってしまうけど、だめ人間特有の失敗とか、失敗談を楽しみたい人たちがいる。

で、まあ、そういう人たちは、底辺の職場でつらい思いをして暮らしているわけ。そういう人たちの多くは、と言っておいた方がいいか。で、まあ、一種の憂さ晴らしとして、だめ人間ブログのコメント欄に、おちょくったコメントを書いていくわけ。あるいは、上から目線で、だめ出しをするとか、そういうことが、やりたいからこそ、だめブログに注目してみているわけ。(そういう人たちは!)

だめ人間の失敗談が読みたい人たちが一定数いる。だから、就職しないで、うちに引きこもっている人の記事よりも、無職ブログカテゴリーに登録してあるのに、毎日働いている人の記事のほうがおもしろいわけ。その人が、ああだこうだと嘆くと、失敗談を読みたい人たちはよだれを垂らして喜んで、コメント欄があるなら、偉そうなことやおちょくったことを書いて、溜飲を下げるわけ。

だめ人間と言ったけど、だめ人間カテゴリだけではなくて、「無職カテゴリ」「ひきこもりカテゴリ」「ぼっちカテゴリ」「ニートカテゴリ」などに、彼らにとって「おもしろい」記事を書ける人がいる場合があるので、そういうカテゴリを探索して、それらのカテゴリ登録者のブログに行くわけ。で、実は、そのほかに2チャンネルに「だめ人間の日記をなんとかなんとか」というスレッドがたっていて、そのスレッドで、コメント欄をとじている人たちのブログについていろいろ書くわけ。

だから、「無職カテゴリ」「ひきこもりカテゴリ」「ぼっちカテゴリ」「ニートカテゴリ」に登録すると、そういう人たちを連れてきてしまう場合がある。まあ、ぼくのブログは、暗すぎる?ので、お楽しみからははずれるらしく、そういう人たちの対象にはならなかった。けど、「無職カテゴリ」「ひきこもりカテゴリ」「ぼっちカテゴリ」「ニートカテゴリ」は、そういう人たちを引きつけてしまう部分がある。「ひきよせ」なのである。

あとは、商売としてブログを書いている人たちがいて、その人たちが嘘の設定で、記事を書くというのがあって、本当はあまりいい行為ではない。検索エンジンで単語を入力してウエブサイトに訪れる人は、一応は、本当の情報が欲しいと思っているわけ。けど、あるしみくみで(これは言ってしまっていいのかわからないけど……いややめておこう。ともかく、ある種の人たちは、わりと容易に嘘設定ブログで、アクセスを稼げる。これは、本当は反則だと思うけど、まあ、グレーゾーンだ。)

で、嘘ブログを書く人たちは、利益が目的なので、当然キーワード選択をきっちりしている。人気のキーワードを調べて、そのキーワードにそくした文章を書くということをする。それから、そういう人たちはワードプレスなどを使っていることが多く、検索エンジン的に優位なので、アクセスが稼ぎやすい。独自ドメイン、日本国内のレンタルサーバー、仲間?、キーワード選定、キーワードに合致した文章の作成という、アクセス確保に必要なことを、わりとまじめにやるので、嘘ブログでも、というか、嘘ブログだからこそ、上位に食い込むことができる。

けど、たとえば、借金をしている人の実像を知りたい人が、借金ブログなどのキーワードでブログを探した場合、知りたいことは、本当に借金をしている人の生活なわけだ。けど、嘘設定ブログが上位にヒットしてしまうという問題がある。これは、Googleにとってもゆゆしき問題なんだけど、嘘設定ブログなのか、そうじゃないまじめな?ブログなのかは、人間でも判別しにくい部分がある。というか、長い間読んでないと、そのブログが嘘設定ブログなのか、本当の話を書いているまじめなブログなのかということは、わからない。

だから、ページをひらいたあとの、時間というのは、嘘設定ブログと本当の話ブログで、差がないということになる。というわけで、嘘設定ブログはやはり、検索エンジン的にも、強い。なんてたって、読んでいる人間が騙されている?わけだから、人間の行動を見ている検索エンジンアルゴリズムも同様に騙される。






地獄の居間

兄貴なんて、親父がいると「くそ、邪魔だ!どけ!!」みたいな態度だったんだよ。実際、そういうふうにいってどかしてた。けど、親父はそうされてあたりまえだと思う。そりゃ、親父のやり方がひどかったからな。親父は、特に意識してないのだけど、小さなこどもは、発狂してどかしてた。兄貴のほうが、態度としてはまだまるい。親父のやり方は強烈だったよ。

で、それが、本人にわからないというのが問題なんだよ。本能じゃないんだけど、反射でもないんだけど、もう、「見たらどかす」ということを、とりつかれたように、してた。これ、本当にそういう反応しかない状態で、こどもが「いる」ということ自体が、腹立たしいことで、発狂せずにはおれないことなのである。

だから、どかせるときは、どかしてた。これが、親父の場合……なんていうのかな?本当に、浮浪児みたいなところがあって、……普通の状態じゃないんだよ。きちがい親父は、親になったあとも、浮浪児のままなんだよ。浮浪児の基準で動く。出たとこ勝負で、八つ当たり!! 怒り狂うという反応しかない。

で、これまた、一般人は、「親が理由なしに怒るなんてことはない」なんて信じているところがある。いいや、ちょっと違うな。「親が理由なしに怒るなんてことはない」と信じている人もいる。だから、この人にとっては、「そんな親はいない」「なんか、こどもが悪いことをしたから注意して怒ってたんだ」「けど、こどもだから、自分が悪いことをしていると言うことがわからなくて、理由もなしに怒ったと理解したんだ」と思うわけだよ。

「そんな親はいない」という自分の中の自我の基準があるから、それにあわせて、現実を解釈しようとする。親父は、理由なく怒っていたので、「そんな親はいない」という前提そのものが間違っている。で、前提そのものが間違っているにもかかわらず、俺の「そういう話し」がなんとなく、不愉快なのである。

この不愉快さには理由がある。その人の自我の安定性をうばってしまったのである。その人の自我は「そんな親はいない」という基準の下に安定してたんだけど、そうじゃないケースがあらわれて、自我が一瞬不安定になったのである。そのあとの間違った解釈は、自我を安定させるためのもので、すでにある「理解ルール」に従ったものなのだ。このルールの一つ一つが、実は、自我を構成しているルールで、このルールの集まり(全体性が)自我なのだ。

だから、自我の一部を否定されたことになり、「不愉快さ」を感じるのである。繰り返しになるが、そのあとの説明」は傷ついた自我(ルールの集合体)を修復する試みなのである。も、「理由なしに怒る親がいる」とすると、それをもとにした(そういうことがあるということを前提とした)自我(ルールの集合体)を作り直さなければならないのである。

なので、一部の人は、俺の話を聞くと、不愉快になって怒る。見当違いの解釈をする。理由なしに怒る親がいるということは、事実なので、「なんか、こどもが悪いことをしたから注意して怒ってたんだ」「けど、こどもだから、自分が悪いことをしていると言うことがわからなくて、理由もなしに怒ったと理解したんだ」と考えることは、事実に即さない、いってみれば間違った考え方なのである。


兄貴が親父をどかしてたのは、兄貴の体が大きくなってからだ。それまでは、本当に親父がなんでもないことで発狂して、兄貴をどかしてた。これ、全力でやるんだよ。こういう「サイコパス家」のしくみがぜんぜんわかってない人がいるんだよな。どれだけの、意地がかかっているか。不退転の決意で、どかそうとする。

けど、これまた、本人がわかってないところがあって、「どかそうとした」「親父にどかされた(ことがある)」と言うと、「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!なんだなんだ!!なんだなんだ!!」って荒れまくる。発狂する。こどもが小さくて逆らえない状態
……やられっぱなしになるしかない状態のときは、つ・ね・に、そうだったんだぞ。

たまたま、会社で嫌なことがあって、知ってはいるけど、八つ当たりしてしまったというのとは、ぜんぜん違うんだよ。つ・ね・にそうなんだよ。で、つ・ね・に「そうしているつもりがない」状態なんだよ。これ本当、お母さんも困ってた。本当に困ってた。悩みの種なんだよ。お母さんが膠原病になってしまったのは、きちがい親父のこういう態度から生じるストレスが原因なんじゃないかと思う。「人は変わらない(から、自分を変えるしかない)」とか、すまし顔でいってられるような状態じゃないんだよ。

まあ、当時のお母さんには離婚するという考えはなかったんだな。あの人はやさしいから、なるべく相手がよくなるようにめんどうを見てあげるつもりだった。けど、どれだけ、めんどうをみても、次から次へと荒れまくるんだよ。本当に、「腐ったこども」「腐った幼児」のような反応をする。「腐った幼児」というのは、居間俺が考えついた言い方で、まあ、わがままで、ちょっとでも自分の思い通りにならないと、怒り狂うというような幼児のことだ。親父は幼児ではなかったけど、本当に異常な幼児のような状態だった。本当に頭がおかしい。

どれだけいろいろとやってあげても、満足するということがないのである。で、やってあげている人に、次々と「ありえない」「変な要求」を出して、荒れまくる。たとえば、自分がご飯と思ったら、〇秒で、ご飯が出てこなければならないのである。〇秒で出てくるわけがないんだけど、一秒でもまたされたら、発狂する。三分間待たされたら、三分間のあいだずっと、ずっと発狂している。「思い通り」じゃないのである。

で、「自分が帰ってくる時間を決めて、その時間には、料理を並べておいてくれ」というようなことができない。そういうことをする発想もない。ちょうわがままで、あり得ない要求、現実不可能な要求をするんだよ。その場その場で、きちがい的な要求が成立してしまう。きちがい親父だって、その時にそういう要求をするということがわかっているわけではなくて、その時!自分の感情に浮かんだことを要求するわけで、その要求が、〇秒でかなわなければ、「オソイ!オソイ!!」「なんだ!!なんだ!!」と発狂する。

で、どんなことでも不愉快なんだよ。爆発する。家に帰ってたら、居間に子供がいるということは、予測できることだろ。けど、自分が帰ってきたときに、居間にこどもがいたら、それでもう、発狂する。自分の思い通り」ではないからだ。自分が帰ってきたとき、居間に子供がいたら、まずい。頭にくるということが、わかっているわけではなくて、そういう光景を見たときに、途端に、発狂する。

「思い通り」ではないから。

だから、そのつど「自分の思い通り」の内容が違っているわけで、魔法でも使わないと、思い通りにならない。自分が家に帰って、居間にこどもがいることを見た瞬間に、魔法のように、こどもがあとかたもなく、消えてくれないと、怒る。そういう状態なんだよ。

で、本人がまったく、わかってない。魔法でも使わなければかなわない「思い通り」「自分にとって都合がいいイメージ」があって、その「自分にとって都合がいいイメージが、〇秒でできあがらないと、怒り狂う。発狂する。「そんな人は、いない」と思うかもしれないけど、そういう人はいる。

で、これがまた、発狂して主張するわりには、自分がやっていることには、まったく関心がなくて、……なんていうのかな、やっている感じがしてないんだよな。一部で……。ただ単に発狂しているだけで、自分のなかにそういう欲求があるということがまったくわかってない。これもまた、発狂してやったことは、全部「そんなんじゃない!そんなんじゃない!」「やってない!!やってない!!」とさわぐことなのである。

どうしてかというと、そもそも、そういうことを認めるということが、自分の思い通りではないからだ。だから、自分の思い通りではないことを「つきつけられた」ら、発狂して、発狂して、「なかったことにしてしまう」というのが、親父の行動パターンなんだよ。

そもそも、そういうレベルで怒り狂っている人が、自分が過去に行った不適切な行動を認められるはずがない。そういうことを認めるということをつきつけられたら、最初に「思った通りではない」ということで怒り狂ったのと同じように、怒り狂う。

で、これがまた、本人は、「つもりがないこと」なんだよ。「そんなの、やったってっやってない」と逆上できることなんだよ。で、本人が怒っちゃったら、もう、それで「きれて」いて、親父にとってどうでもいいことになっていて、関係がないことに鳴っている。それこそ、「そんなん知らない」「そんなんじゃない」ということになっている。

で、こういうことの繰り返し。際限なくこういうことが繰り返されるのが、親父がいた「居間」なんだよ。だから、「居間」では、こどもをどかそうとして怒り狂っていたし、どかすことができないとなると、いろいろないちゃもんをつけて、次々に怒り狂うということになっていた。これ・もう・決まっているんだよ。


2016年11月20日日曜日

あのとき、警察に相談しておけば良かったと、いま、思っている

兄貴のヘビメタ騒音に関しては本当に、鳴っていたとき、警察に相談すればよかったと思っている。どのみち、警察の人が帰ってしまったら、もとの音で鳴らすと思うけど。そうした場合、何回も、電話をかけて警察の人が来てくれるのかどうか、ものすごく不安だった。騒音に関しては、実は条例でしか規制がなく、当時の(自分が住んでいた)市の条例では、「大きな音」という表現が使われていたと思う。デシベルに関しては、記述がなかったような記憶があるけど、記述があったとしたら、八〇デシベルだ。で、兄貴のヘビメタ騒音が俺の部屋で聞いたとき、八〇デシベルを超えていたかというと、超えていたと思う。というのは、線路のすぐ横の宿を借りた時があるのだけど、電車が通ったときの音よりもずっとうるさい音で鳴っていたからだ。ともかく、兄貴がヘビメタにこだわって、ヘビメタの音質にこだわって、スピーカから鳴らしていたのは事実で、それが一四年と数ヶ月続いた。毎日。あと、騒音を出しているのが家族の一員だ」というのが、ものすごく不利になる。あとは、ぼくが小学六年生のときに、親父に「騒音の測量をしよう」「裁判をしよう」と言ったとき、親父に断られた。親父はその時も、兄貴に「静かにするように」注意してない。ヒトコトも言ってない。けど、いまになれば「注意した。注意した」と言っている。これ、親父と兄貴はおなじなんだよね。

平日は午後四時から、午後一一時一一分まで、土曜日は、昼の一二時五〇分ぐらいから、午後一一時一一分まで。日曜日は午前一〇時から午後一一時一一分まで鳴っていた。一〇時台の音は、九時台よりの音よりもすこしだけ小さくなったけど、これも、気分次第で、そのまま九時台の音で鳴らすことがあるので、静かにならなかった。隣の誰もいない幼稚園と、当時、離れていた隣の家でどの程度の音で聞こえるのかは知らないけど、俺の部屋は騒音地獄だよ。一〇時台も。だいたい、それまでに、六時間近くヘビメタを浴びているので、しんどい。

ともかく、どのみち、警察官は注意をして帰ってしまうと思うけど、あのとき、警察に相談しておけば良かったと、いま、思っている。兄貴の騒音がでかい音だというのは、兄貴が、いま住んでいるところでおなじ音では鳴らせない……一分たりとて鳴らすことができないという認識を持っているので、兄貴にしても本当はわかっていることなのではないかと思う。もし、うちで鳴らしていた音が、普通の音だというのであれば、素の普通の音でいま住んでいるところで鳴らしてみればいい。兄貴よ! どうして、いま住んでいるところでは、一日に一分も鳴らせないのか? 自分が鳴らしていた音がとてつもなくでかい音だということを知っているからではないか? どうして、「うち」と「よそ」の家でそんなにも、基準が違うのか? 兄貴は、うちでやったことを、よそで毎日できるのか? うちではあたりまえだと思ってやってきたことを、よそで、できるのか? よく考えた方がいいよ。ヘタないいわけを考えてないで、そういうことについてちょっと自分の立場を離れて、客観的に考えた方がいい。自分がどんな意地で、どんな音のでかさで鳴らしていたか、本当に、ちょっとは考えた方がいい。まあ、自分にとって不都合なことは、絶対に認めないのだろう。で、それも、親父とおなじだ。本当に平気で嘘をつく。


あの日、ヘビメタ騒音道具が搬送されなければ……。あの日、ヘビメタ騒音が始まらなければ。兄貴がヘビメタに興味を持たなければ、ぼくの人生はまったく変わっていたと思う。で、兄貴がヘビメタに興味を持って、ものすごい意地で、ものすごくでかい音で鳴らしたので、そうではない現実というのがないんだよな。足かけ一五年間毎日鳴らした現実しかない。だから、そうじゃなかった人生については、本当に考えるしかない。考えると、むなしくなる。

小説に書いたって、むなしいよな。俺がいま、くるしい気持ちで暮らしていることにはかわりがないのだから。で、働けるかというと、働けないんだよ。小学六年性から高校三年生までの、ヘビメタ騒音が鳴っていたにもかかわらず学校に通った日々が、効いている。その六年間と数ヶ月で、睡眠回路が根本的に壊れた。根本的に壊れた。どうにかしようと、朝、散歩していたときの光景が浮かぶ。非二四時間睡眠覚醒症候群なので、睡眠時間が後ろにずれる。だから、朝起きるときもあるわけで、その朝起きたときに、なるべく光を浴びる生活をして、適切な運動をして、それで、なんとかその時点から、睡眠リズムを正常な状態に戻すというような方法を実行したんだけど、これが、結果から言うと無理だった。だから、睡眠リズムの問題解決法として、普通に提案されていることは、やっているんだよ。あとは、これに関係したことを言うと、朝起きたときに、コーヒーを飲むようにしたのは失敗だった。それほど好きではなかったコーヒーなんだけど、コーヒー中毒になった。それから、その朝、散歩していたときだけど、ヘビメタ騒音で死にそうな気持ちなんだよ。散歩と言ったけど本当はジョギングだ。ジョギングを試みた。けど、あんまりジョギングにならなかった。だから、一応散歩と言ったけど、本当は、ジョギングをするつもりでいた。散歩と言っても、遅い速度で走っていた。日中、適度に運動して、つかれておく必要があったから。けど、その当時で一二年続いた、ヘビメタ騒音生活の影響で、そんな抵抗はまったく無視して、睡眠リズムが後ろにずれていった。要するに、とまらなかった。適切な時期に朝、ジョギングしようとしても、けっきょく、後ろにずれた。後ろにずれると、なんとか固定しようと思っていた、ジョギング時間もずれるんだよな。「朝、ジョギングした」と言うと健康そうに聞こえるけど、ヘビメタ騒音にやられて、焼き出されて?走っているときとおなじ気分なんだよな。あの当時、浪人で、ものすごい不安があった。ともかく、もう、ヘビメタ騒音が三年間毎日鳴っていた時点で、おしまいなんだよな。これは、三年間で、三年間マイナス一日じゃない。小学六年生の後半から鳴っているから。

ともかく、ヘビメタ騒音でくるしいんだよな。けど、「ヘビメタ騒音でくるしい」ということがなかなか他の人には通じない。個人的にどうにかする問題だという認識がある。もちろんそうなんだけど、どうにかならないから困っているわけで……。もう、あのときから、ヘビメタ騒音で、遅刻をしたり、忘れ物をしたり、注意不足で失敗をしたりということで、他人とのあいだに軋轢があった。ヘビメタ騒音で遅刻したと言っても、管理者側教師や、連帯責任を負わされるクラスメートにしてみれば、「そんなの関係がない」「いいわけをするな」と言えるものなんだよ。けど、うちに帰って、話し合ったところで、ヘビメタ騒音が続く。ヘビメタ騒音がなくならない。俺が遅刻をしないようにするには、ヘビメタ騒音が完全になくならないとだめなんだよ。ヘビメタ騒音が一分も鳴らない、それまでの普通の生活を手に入れなければならないんだよ。そうでなければ、「遅刻を二度としない」という約束ができない。そういう立場なんだよ。けど、その立場はなかなか、他者にはわからない。「話し合えば、お兄さんは静かにしてくれるはずだ」「ヘビメタ騒音なんてどれだけ鳴ってたって、毎日遅刻をしないで登校するということは可能だ」という気持ちがあるから。けど、それは、うちの事情を知らないからそう言えるだけだと思う。それから、ヘビメタ騒音を体験したことがないから、朝の状態がわからないのだと思う。その「ヘビメタ騒音なんてどれだけ鳴ってたって、毎日遅刻をしないで登校するということは可能だ」と言う人だって、本当に俺とおなじ時間、おなじ音のでかさでヘビメタ騒音を「毎日!!!」聞かされたら、登校できなくなると思う。「遅刻を二度としない」という約束ができない状態になると思う。経験してないから、そういうことが言えるだけでしょ。「おまえ、あの騒音を経験してみろ。毎日毎日続く頑固な騒音を経験してみろ」と言いたくなる。で、そこで、そういうふうに言うと、ケンカになるんだよ。「遅刻をしておいて、なんだ!? その態度は!!??」と相手が憤慨してしまうことがある。まあ、帰って、どれだけ、兄貴に話し合いのテーブルにつくように言っても、話し合いのテーブルにつかないで、がんがん鳴らしているわけだし、どれだけ兄貴に「明日、遅刻をしたくないから、静かにしてくれ」と言っても、サイコパス兄貴がヘビメタをそこでやめると言うことがない。サイコパス兄貴がゆずってくれたのは、時間にして一〇〇分の一、音のでかさにして一〇〇分の一、掛け合わせて一万分の一だから。ちゃんと、本当にならさないで静かにしてくれる時間というのが、〇秒なんだよ。だから、一〇〇%の音か九九%の音で、毎分毎時間鳴っているわけで、ヘビメタ騒音を「浴びて」しまう。どれだけ気にしないようにしても、こっちが密閉式のヘッドホンをつけても、両手で強く耳をふさいでも、ヘビメタ騒音がそれらの「防御壁」を超えて、ガンガン耳に入ってくる状態なので、困る!! 当時ぼくは工事現場用の防音イヤーマフを持っていなかったけど、おんなじだと思う。あそこまで、でかい音で鳴らされると、意味がないんだよ。そういうでかい音で鳴らしてた。激しく耳に「せめてくる」。


あんな音で鳴らす必要ない、のに……。
あんなでかい音で鳴らす必要、ない、のに……。

当時のサイコパス兄貴は、こだわりつくしで、こだわってこだわってこだわって、こだわって、自分が思ったとおりの音で鳴らしてた。で、この「こだわり」や「ガンコサ」が親父とおなじなんだよな。本当にーーー困る!!

こだわりきって、顔を真っ赤にしてやったことは、全部「やってないこと」なんだよ。「ソンナノシラナイ」ことなんだよ。頭にくる。普段から顔を真っ赤にして鳴らしていたわけじゃなくて、「鳴らさないでくれ」と言われると、顔を真っ赤にして鳴らしてた。親父とおなじ態度で、絶対にやりきる。頑固にやりきる。けど、頑固にやり切ったことは、「つもりがないこと」「やってないこと」になってしまうんだよな。こういうズレがあるから困る。あれだけ、俺が注意したのに「注意されなかった」「(弟が困っているなんて)知らなかった」とかそういことになってしまう。これも、嘘をついているつもりがないんだよ。その時!!! 不都合になったら、反対のことを言う。「まるまるだ」と言われたら「まるまるじゃない」と言い出す。ただ単にそれだけのことだから。真実はどうか、なんて、関係がない。兄貴や親父のなかでは、実際に自分がしたこと、なんて、まったく関係がないんだよ。そういう頭なんだよ。だから、こういうことが他の人にはわからないわけで、ぼくが他の人に真実を言っても、なかなか理解されないということになってしまう。だから、「ヘビメタが鳴っている以上、二度と遅刻をしないという約束はできない」ということを言うと、他の人との対立が生じてしまう。そういうことの繰り返しだから……。ぼくの人生は……。「そんな、ヘビメタ騒音なんて、言えば静かにしてくれるんだから、どうでもいいだぉぉぉぉ!!いいわけすんな!!」とか興奮していったりするんだよ。相手が……。いまだって、おなじだ。


   *     *     *

ともかく、兄貴がこだわって鳴らしたヘビメタ騒音がでかすぎる。俺の人生においてでかすぎる。夏休みなんて、一日に一四時間近く鳴らしてたんだからな。四〇日中四〇日連続。どれだけ、ぼくが「やめてくれ」「静かにしてくれ」「鳴らさないでくれ」と言っても、頑固に、朝の九時から夜の一一時まで、ご飯を食べる時間と風呂に入る時間をぬかして、鳴らしてた。トイレは、小便ぐらいなら鳴らしたままだろう。ともかく、途切れたことがない。そういうことをしているのに、「たいして鳴らしてない」「そんなつもりじゃなかった」「静かにしてやった」とか兄貴の嫁さんの前で言っているのが兄貴なんだよ。入試の前の冬休みだって、一四日中一四日連続で、どれだけぼくが「入試だから静かにしてくれ」と言っても、一日に一四時間、兄貴の部屋に入った兄貴の友達が「こんな音で鳴らして家の人、大丈夫なの??」と心配するような音で鳴らしてた。兄貴の部屋が二階にあるのに、一階の玄関で会話ができないようなでかい音で鳴らしてた。そういう音で鳴らしてたって、兄貴が「静かにしてやった」と思ったら、兄貴にとっては、それは「最大限静かにしてやった音」なんだよ。だから、そういうでかい音で鳴らしているのに、兄貴の主観としては「最大限、静かにしてやった」と思ってしまう。で、そういう音で鳴らされていると、困るから、そのあとも注意することになるのだけど、注意に行けば、「あとからあとから、がたがたうるさい。そんなことを言うなら、もっと鳴らすぞ!!」と言って、絶対に、静かにしないで鳴らしてた。それで! 自分が鳴らしていたということが都合が悪いことになると、「そんなんじゃない」「そんなの、知らなかった」とか平気でいう。嘘をついているつもりがない。どでかい音で、頑固に鳴らしてたのに、静かにしてやったと本気で思っている。兄貴が一五歳から三〇歳までの足かけ一五年間(実際には一四年間と数ヶ月)頑固に毎日、一日もゆずらないで鳴らしてたから。実は一日だけゆずったんだけど、本当に、一五年間で、一日だけだから。その一日をのぞいて、一日に一秒だって静かにしてくれなかった。本当には静かにしてくれなかった。兄貴の「静かにした」というのは、〇・一デシベルぐらい静かにして、そのまま鳴らし続けることだから。で、その〇・一デシベル静かにした時間だって、一日に五分から一〇分。

   *     *     *

ともかく、むなしい。
この雰囲気はなんだ??
むなしーーい。むなしすぎる。
希望が欲しいな


   *     *     *


うー、この世界がつらい。
うつ、きて、ます。

なんかどんよりと落ち込んでいる。重い。

どーーーーーしたもんだ。


やる気とか楽しく感じるこころというのは、あのときに粉砕されて、もうない。ドロドロに暗い。


なんとかやる気を出さないとな~~~
やる気やる気、やる気やる気

やる気よ出てこい、やる気よ出てこい。出てこい出てこい。出てこい。

あ~~むなしい~~~

やっぱり、ヘビメタ騒音がつらい。サイコパス兄貴が頑固に鳴らしてたんだよ。その、ガンコサが。ガンコサが、なんというか、空間に溶け込んでいる。サイコパス兄貴たいして抱いた嫌な気持ちと、鳴っている騒音に対する怒りが、空間のなかに溶け込んでいる。本当に、普通のうちだったら、一日目の一〇分目あたりに、「うるさいから静かにしろ」と言われて、それで、おしまいだぞ。鳴らせなくなっておしまいだぞ。そのあとは……注意されたあとは、ヘッドホンをして鳴らしてアタリマエだぞ。全部の時間、特に入試とか試験がなくても、毎日毎日、ヘッドホンをして鳴らして当然だぞ。それが、どうだ?? うちでは!! サイコパス兄貴のサイコパス的な意地が勝った。毎日毎日、勝った。毎時間毎時間、サイコパス兄貴の言い分が勝った。勝ち続けた。毎分毎分、サイコパス兄貴が思いっきり鳴らしていい状態だった。毎秒毎秒、ゆずらないままサイコパスがサイコパスの音を鳴らし続けた。どれだけ、何回もめても、けっきょく、サイコパス兄貴が、一日中、自分の意地を通して、自分がやりたい音で鳴らしまくった。入試だろうが、中間期末テストだろうが、そうだった。それでアタリマエの毎日だ。絶対、どれだけなにを言われても、どれだけ喧嘩しても、なんて言うのかな? アタリマエのこととして、ヘッドホンをつけずに、なまの音にこだわりつくして、全部の時間鳴らしたんだよ。それで、「ゆずってやった」「そんなつもりじゃない」と、いいわけをする。で、そのあと、頑固に鳴らし続ける。入試だからやめろとどれだけ喧嘩しても、ずっとそうだった。だからやっているのに、今度は「やってないやってない」だ。

ともかく、この空間はだめだ。ぼくが認知するこの空間はだめだ。

兄貴よ。騒音チップを一〇年間つけて、暮らしてみろ

もうちょっと金になる文章を書かないとだめだな。それはできることだな。パソコン系のことなら、できるだろう。たぶんそっちのほうが売れる。

それにしてもヘビメタ騒音時代の友達関係がすべてを物語っているな~~~。この雰囲気。この状態。ははははっ。わらえる。本当にくるしかった。全部くるしかった。どれだけ俺のこと本気で心配してくれた人とも、うまくいかなくなる。これが、長期間のヘビメタ騒音の効果だ。日常的に鳴っているヘビメタ騒音の効果だ。本当に「騒音問題」というと、鳴っているときだけ、うるさく感じるだけで、他のことには影響がないような印象を与えるけどそれは、短時間の騒音だけだ。長時間の騒音だと本当に、鳴り終わったあとも、心身ともに疲れまくって、憂鬱な、破滅的な気分になる。身体も本当に疲れまくっているわけで、一日に五〇キロ歩いたのよりもつかれる。けど、そのつかれが、……ヘビメタ騒音のつかれ方は、一日に五〇キロ歩いたときのつかれ方と違って、なんというのかな?爽快感がないんだよね。「やり遂げたぞ」というような爽快感がない。それに普通の疲れだと、眠って起きれば快復しているものなのだけど、それがない。徹底的にない。だいたい、ヘビメタ騒音を長時間浴びてしまうと、眠れなくなる。で、眠れない時間の不安が増大する、ものすごいものになる。身体の「嫌な」疲れと、不安で、身も心もおかしくなる。ヘビメタ騒音のつかれは他の疲れと違って、なんて言うのかな??……ともかく、強烈にだるい疲れで、眠れなくなる疲れなんだよ。普通つかれたら、眠りたくなるのに、ぜんぜん眠れない。で、起きたあとも、前の日のヘビメタ騒音のつかれが、そのまま残っている状態で、くるしい。で、くるしいなかで、またヘビメタ騒音が鳴って、その中で、学校に行くための用意をするということになる。そうすると、忘れ物が多くなる。時間ぎりぎりだから飯も食わないで、髪の毛もとかさないで、ボロボロの状態で、腹を押さえながら、走って行く……前の日五〇キロ歩いた状態よりももっとつかれている状態で、走る……走ろうとする……。よその人から見れば、腹を押さえながら、ジョギングよりも遅いペースでの他の他は知っているようにしか見えないのだろうけど、本人は、全力疾走だから。ないエネルギーを出し尽くして、発狂的な勢いで、全力疾走だから。もう、泣きたい気分で、憂鬱で憂鬱でしかたがなくて、死にたい気分で走っている。毎日、中学の時、そういう状態だから。けど、そのことは、他のクラスメートには関係がないから、隠している。隠しているというか、どのみち、ヘビメタ騒音のことを言っても、わからないだろうから、あまり言わない。言うときはある。けど、なるべく言わなかった。普通の友達には言わなかった。事情を知っているのは、親友とうちに来るような親しい友達だけだった。いま、俺が、ここでいろいろ書いているけど……「愚痴ばっかり」「不満ばっかり」と愚痴や不満を言ってくるやつがいる。まあ、他人なんてこんなものだ。けど、本気で心配してくれた人とも、うまくいかなくなるんだよ。もし、きちがい兄貴が一ヶ月で改心してくれればそういうことになってない。一ヶ月で、きれいさっぱりやめて、毎時間静かになれば、話は違うんだよ。そして、そうであれば、「愚痴ばっかり」「不満ばっかり」と言われることもなかったわけだ。これ、他の人に言うと、嫌われると思うけど、言っておきたい。騒音チップを一〇年間つけて、暮らしてみろ!! それで、俺に向かって言っているようなことを言えるのか? と。

2016年11月19日土曜日

頭がおかしい暴君

本当にきちがい兄貴のやつ、ただが自転車のことで、ヘビメタをずっとでかい音で鳴らしていいつもりになりやがって!! 自転車のことできちがい親父と絶交して、一切合切口を利かない状態になった。それまでも、いろいろやられているから、自転車のことが最後の一撃になったんだけど、あのときから、きちがい兄貴は、「親父は無視、家族は無視」という状態になったんだよ。で、普通、そういうことになっても、一〇日ぐらいで元に戻るのに、うちは、本当にそのまま、一〇年、二〇年、三〇年経過している。

だから、兄貴のなかでは、親父はいない人になってた。だから、かりに親父に注意されても、言うことを聞かなかった。きちがい兄貴にしてみれば、「親父がいままで、さんざんやってきたことだろ!!」という気持ちが、心の中にあった。きちがい兄貴がどれほど、それを言語化できているかわからないけど、全体的な気分として、そういう言い分があったと見て間違いがない。基本的には、親父が、普通じゃないことを押し付けてきて、押し切った。で、親父が荒れると、それを止められる人がいないので、かならず、親父が「荒れ勝ち?」をした。

けど、きちがい親父にしてみれば、そうやって、無理を通した気持ちがないのである。まったくない。それどころか、無理難題を押し付けて、それで、怒り狂い勝ちをして、それで、自分が被害者のつもりだった。これ、本当、「被害者意識ばっかり」とか、こういうところに使う言葉だからな。実際、相応の被害を受けている人に、「被害者意識ばっかり」などと言ったら失礼だろ。

で、「被害者意識ばっかり」などと他の人に言う人は、本人がいつも他人に対して怒っている人で、他人に対する共感性が欠如している人なのである。まあ、いいや。そういうやつのことはいい。話がずれるから。けど、きちがい親父の家での状態というのは、本当に普通の人が考えられるような状態じゃないのである。「そんな人いない」と思ってしまうような状態なのである。いちゃもんをつけて、荒れて荒れて荒れて、それで、自分がひどい目に遭ったと思っているような状態なのだ。

で、やり放題なんだよ。親父の頭を押さえつけられる人がいないから、やり放題。で、なんて言うのかな、そういうふうに狂っている人は、本当に、ものすごい頻度で怒り狂うわけで、これも、普通の人の想像の範囲じゃない。怒り狂う内容が、どれもおかしい。で、きちがい兄貴はさんざんやられてきたわけ。もう、たたきつけられている。そういうことを、何度も何度も、何万回も、たたきつけられているわけ。

だから、きちがい兄貴のヘビメタに対する態度というのは……親父のすべての事柄に対する態度をまねしただけのものなんだよ。うちでは、なじみのあることなんだよ。もちろん、きちがい兄貴は、親父のまねをしたつもりはないのだけど、つもりだけがない状態で、やっていることはおなじなんだよ。で、「やったってやってない」というのもまねをして、自分が意地になってきちがい的な頑固さでやったことは、全部、自分のあずかり知らぬことで、知らないことなんだよ。

何度も言うけど、これも親父のまねで、うちでは、普通にそういうことが行われてきた。兄貴が自転車事件に遭遇するまでの一三年間……ずっーーーっとやられ続けたんだよ。だから、それは、うちのものにとって、なじみ深いものなのだよ。だから、やったって、特に以上だとは思わないわけ。で、もし、それが異常なら、数千回数万回の「事件」で、自分の言い分が通って、きちがい親父の言い分が通らないということになってなければならないわけ。

親父がおれて、ゆずってくれなければならないわけ。それがあたりまえであるわけ。これ、普通の人にはわからないだろうけど、頭がおかしい人がやり勝ちしている状態なんだよ。「暴君」と言えば暴君なんだけど、頭がおかしい暴君なんだよ。だから、他の人にわからない。普通の生活をしてきた人にはわからない。単なる頑固親父、カミナリ親父ではなくて、頭がおかしい頑固親父、頭がおかしいカミナリ親父であるわけだから。

本当に、(兄貴は)自分がやられて納得がいかなかったことを、ヘビメタでやり返している。毎日毎日ヘビメタでやり勝ちして、やり勝ちしたということを、絶対に認めない。「やってないこと」なのである。きちがい的な意地で、絶対にゆずらないでやるけど、本人とっては、それでアタリマエで、ぜんぜんおかしくないことで、ぜんぜん悪いことではなくて、そして同時に、やってないことなのだ。これ、内容が矛盾していると思う人がいるかもしれないけど、そういう矛盾した態度で頑固に鳴らす。

だから、きちがい兄貴のなかでは「鳴らしたって鳴らしてない」ということが成り立ってしまって、絶対に反省しないし、同時に絶対にビタイチモンゆずらない。親父は、頑固に全部やり切って、「やってないやってない」なんだよ。だから、おなじなわけ。で、やっている本人が絶対に気がつかない(つもりがない)というのも、全部、細部に至るまでおなじ。だから、やっぱり、他の普通の家庭に育ってきた人には、わからない。だから、見当違いのことを言う。


で、それは、見当違いのことだから。ただ単に、親父みたいな人を知らないから、そういうふうに見当違いのことを言っているだけだから。自分の常識の範囲内で理解しようとすると、「そんな人はいない」「お父さんだってちゃんと言えばわかってくれる」とかそういう意見を言うわけ。けど、違うんだよね。で、おなじことが兄貴にも成り立つ。

2016年11月17日木曜日

それが本当に「ホネガラミ」なんだよ

つまんねぇ~~。
フレンズや英語アニメを見ている時間を、英語の勉強時間として換算すると、わりと英語の勉強をしていることになるなぁ。しかし、それでどうなる? 日本人は一生英語の勉強をして、英語を使わないというのはけっこう本当のことかもしれない。使う場面がないからな。で、まあ、アメリカ人とかカナダ人と文字チャットしてもしかたがないんだよな。まあ、これはぼくの感想だけど。英語で日本語を教えるということをしてたんだけど、あんまり意味がなかったな。

あーつまんない。ともかくつまらない。

昨日は階段の水拭き掃除をした。きれいになっているはずが、あんまりきれいになってなかったので、もう一回、今日、水拭き掃除をした。いま、終わったところだ。あとは、シンクの掃除をした。あそこも、排水口の網とかよごれがちなんだよな。ともかく、掃除終了。いま、紅茶タイム。

いろいろ迷ってしまう。それにしても、ヘビメタ騒音で人生がなかった。朝起きて感じることが、ヘビメタ騒音で苦しいということなんだよ。中学生時代のあの感じが、よみがえってしまう。朝はいつもそうだ。いまは、朝起きる周期になっているので、朝起き。

ヘビメタ騒音病と喉が渇くという症状以外は健康。喉が渇くのは、自然に治るかと思ったら、治らない。もう、三年目だ。こりゃ、80歳までの生活費の心配なんてする必要はないかな。

自然に治したいんだよな。自然に~~~~

健康年齢が気になるな。ここ10年が勝負か?

いろいろと気を使うと無駄に疲れるんだよな。ヘビメタ騒音で、外の人に対していろいろと気を使わなければならない状態になって、無駄に疲れたというのもあるなぁ。

つまらないというのは、余裕があるということなんだよな。けど、気力がわかないから、なにもできない。他の人の一生はどんなものなんだろう? ヘビメタ騒音がなかったぼくの一生はどんなもんなんだろう? ヘビメタ騒音がなかった人生というのが、ないから、わからないよ。これは、本当に現実なんだろうか。ヘビメタ騒音が14年も続いた人生が本当のぼくの人生なんだろうか?



ヘビメタ騒音にかんては「よその人」とのへただりを感じる。よそのひとにはきちがい兄貴の「あの無視」もわからない。きちがい兄貴自身がわかってないというのが、むかつくんだよな。そして、どれだ何万回言っても、「わかってないまま」鳴らし続ける。で、「やったつもりがない」。そういう矛盾だらけの態度だから。認識だから。で、それが本当に「ホネガラミ」なんだよ。もう、芯の芯まで、そうなっている。だから、そうなっている分だけ、余計にわからない。兄貴には自分がしていることがわからない。キチガイオヤジと同じで、メチャクチャな意地でやったことは、やったことになってない。きちがい兄貴がきちがい的な意地でやったことは、全部、きちがい兄貴にとっては、「やってないこと」なのである。こだわってないことなのである。どれだけ、こだわってやったか?? この実際のこだわり指数が最大になると、きちがい兄貴の認知のなかでは、こだわってないことになってしまうのである。そういう仕組が頭にきて、頭にきてしかたがない。だから、平然とひどいことをできる。よそのうちでは、一分だってできないひどいことを、家では、当たり前だと主張して?……あるいは、当たり前だと一方では思って?……気が付かないまま?……頑固に14時間できるのだ。一日で!! 一日で14時間とか、頭がおかしい。そういう熱中ぶりなんだよね。そういうこだわりぶりなんだよね。だからやっているのに、本人は、まったくやってないのと同じつもりでいる。頭がおかしいから、ごく自然にそうなっていて、ごく自然に毎日、そういう行為を続ける。で、やっぱり、やったことになってない。じゃあ、本当に、やめてくれるのかというと、それは、絶対にない。こだわり続けて絶対にない。で、ぼくの一日がヘビメタ騒音に汚染されることになる。そういう一日が、何千日も、毎日毎日続く。なので、普通の人にはできることができなくなる。ヘビメタ騒音を何千日も浴びてなければ、ぼくにも普通にできることができなくなる。けど、その、できなくなることというのが、なんていうのかな特殊なんだよね。計算ができるとか、何秒で50メートルを走れるかとかそういうふうなものじゃないんだよ。ヘビメタ騒音生活で、計算も足も、遅くなるけど。他の人から見ると、「サボっているようにしか見えない」んだよ。本当に困った。

2016年11月15日火曜日

言っていることはわかるけど


まあ、五体満足なんだよ。そして、目も見える。髪の毛もある。暖かい布団もある。夜露から身を守る家もある。寒い日、外で寝るなんてこともない。屋根がある家に住んでいる。パソコンがある。電源がある。エアコンがある。電気アンカがある。送風機がある。電子蚊取り器がある。ガスレンジがある。電子レンジがある。ボタンひとつで洗濯できる洗濯機がある。冷凍室がついている冷蔵庫がある。近くには、二四時間営業のコンビニエンスストアがある。コンビニエンスストアにはいろいろな食品がある。小さい音だけどアラーム付き時計だってある。腕時計だってある。塩だって砂糖だって、ドレッシングだって、醤油だってマヨネーズだってある。トマトケチャップもある。粉チーズもある。味噌もある。ラー油もある。テレビだってある。地上波CS・BS三波対応チューナーもある。外付けハードディスクで録画がだってできる。

それでいったいなんの不満があるのか? どうして憂鬱なのか?

いや、ヘビメタ騒音で、激しく憂鬱なんだよ。人生!!ない!!!

まあ、言っていることはわかるんだよ。

言っていることはわかるけど、それは長く続かない。やっぱりくるしい。

どうしてもつらい。

俺がどういう状態で暮らしていたと思っているんだ!!! あの「ズタボロ感」はない。身も心もめちゃくちゃ。ヘビメタにたたられていろいろなことができない自分がやでいやでしかたがなかった。あの感覚はない。

どんだけ言ったと思っているんだよ!! 兄貴!!!


   *     *     *

つまんない。つまんない。なにをどうしていいかさっぱりわからない。つまらないことは確かだ。だるいし、頭が……もやもやする。この、頭のもやもやと鬱気分はどうにかならないかな。やっぱり、くるしいな。

   *     *     *

他の人にとってはぼくの人生なんてどうでもいいことなんだけど、ぼくにとってはぼくの人生はどうでもいいことじゃない。つらければつらい。痛ければ痛い。

恥をかかされれば、腹が立つ。

   *     *     *

ヘビメタでくるしかった。どうしてやめてくれなかったんだ?
どーーしても鳴らされているとくるしい。鳴らされていても無視して平気ということにはならなかった。どれだけがんばって気にしないようにしても、あの大音響で鳴らされていれば、どうしても、体にこたえた。きちがい兄貴に鳴らされているあいだ勉強することができなかった。

あれだけでかい音で鳴らしておいて、「つもりがない」ってなんだよ??
本当、全部そういうやり方で、鳴らしてきた。さっき横になっていたとき、ヘビメタ騒音歴九年目の二十歳の頃のことを思い出していた。ともかくくるしい。一一歳の時の問題が、片付かないまま、毎日続いて二〇歳になっているってどういうことだと思っているんだよ。どれだけ、素質が良くてもどれだけ頭が良くても、あれだけ毎日足を引っぱられていたらだめだ。

それで、一日も鳴らされたことがない人に、「いいわけをしている」とか言われるわけだからな。しかも、そういうことを言うやつは、なぜか俺に対して怒っている。頭にくる。全部そういうことになる。

2016年11月13日日曜日

交流会の出席などをひとつの目標にしてもいいかな

まあ、交流会の出席などをひとつの目標にしてもいいかな。もちろん、前の日に交流会会場近くまで行って、そこら辺のホテルに泊まるようにしないとだめだけど。カプセルホテルには泊まったことがないので、そういうのでも、いいや。けど、なんでも、東京だから、ここから出て行くとなると、あの線路を使うしかないんだよな。まあ、どこに行っても憂鬱は憂鬱なんだけど、たえられる憂鬱とそうでない憂鬱がある。まあ、外に出るときは、「憂鬱でもいいや」と思って出るしかない。

今日は比較的暖かいけど、風を切るような憂鬱がある。やっぱり、冬の「あの感じ」はきついな。俺にとっては。ヘビメタ騒音で中学高校と六年間毎日ふつーーーに勉強することができなかった俺には、やっぱり、どこを歩いていても、「破滅ウエー」なんだよね。ヘビメタでくるしかった入試当日を思い出してしまう。

ヘビメタ騒音でくるしかった。

ヘビメタ騒音が学生時代六年間毎日、夏休み、冬休み、春休みは一日に一四時間近く鳴っているような状態で……続かなかったら、入試に失敗したとしても、納得がいくんだよ。「やるだけやって、だめだった」というような気持ちになれる。

けど、毎日毎日、ヘビメタ騒音たたられ続けて……前日もたたられ続けて、二日前も三日前も、三週間前も四週間前も、二ヶ月前も三ヶ月前も、たたられ続けて、いざ入試だとなると、納得がいかないんだよね。「やるだけやって、それでだめだった」というのとは違う。

まあ、交流会に出るのは、商品を作ってからだ。商品は、だいたい一万から二〇万ぐらいの値段にしなければならない。要するに、「騒音サイコパス」や「脱力さんがゆく」は商品にならない。まあ、人によっては、名刺のデザインだけで、稼いでいる人もいるから、なんて言うのかな、そういうのもありだとは思う。名刺のデザインの場合、名刺のデザインの力が高くても売れない場合がある。名刺のデザイン力×営業力だから。営業力がないと売れない。

交流会やセミナーは先行投資で、自分が相手にお金をあげるというところから始めなければならない。だから、それなりに、お金はかかる。けど、そのお金をけちっていたら、話しが始まらない。

まあ、ぼくの場合は商品を作ってからの話になる。

で、まあ、今回言いたいのは、憂鬱でも、動けるときと動けないときがあるということだ。動けないときは、動けない。なので、動けない。動けるときは、かなり憂鬱でも動ける。けど、これが、普通の人とは違って、そういうふうに動いていれば、からだが慣れてくるというわけではないのだ。

これが! 問題なんだよ!! 普通の人だと、憂鬱でも、動けるときは、動いて、体を慣らすということができる。けど、ぼくの場合は、憂鬱なときにある程度我慢して動いても、それが、活力につながらない。逆に、つかれてしまう。そういうことの繰り返しだから。

あとは、開運系に書いてあることはヘビメタ騒音時代にそれなりにこころみて、失敗していることなんだよな。これも、ようするに、「よくならなかった」。だから、くるしい。それから、ヘビメタ騒音時代にこころみているので、逆に、ヘビメタ騒音時代のつらい気持ちが復活してしまうところがあるのだ。あとは、ヘビメタ騒音のようなしつこい騒音を経験したことがない人にはわからないのだろうけど、なんて言うのかな? やる気が食われてしまう。解決策?がつねに毎秒毎秒ぶちこわされてしまう。開運方法が効かない状態で、毎日毎日、長い間、すごすことになる。だから、開運方法に対する信頼度が違う。危機とか、くるしい状態と言っても、いろいろあるわけで、たとえば、仕事上の危機とはちょっと違うんだよね。もっと、根本的なところで、生活をおびやかされている。一秒一秒破壊される「あの感じ」はない。一秒一秒吹き飛ばされる「あの感じ」はない。一秒一秒強烈に足を引っぱられる「あの感じ」はない。




2016年11月11日金曜日

『昼のセント酒』……おっさんが銭湯に行って、そのあと酒飲むと言うだけの話しなんだが……

今日も起きたけどすることは、ない! することがないなぁ。本当はあるけどやる気がしない。ところで久住 昌之という人なんだけど、目の付け所がいいなと思った。この久住 昌之という人は、『孤独のグルメ』の原作者なんだけど、他にもいろいろ書いている。作画は違うけど『花のズボラ飯』『漫画版 野武士のグルメ』などがある。

で、タイトルはちょっといまわからないけど、おじさんが銭湯に行って酒のをんで帰ってくるというだけのエッセイがある。これ、目の付け所がいいよな。酒は飲まないし、銭湯も特別好きというわけではないぼくも、なんとなく読んでみたいと思わせるなにかがある。というか、朝から銭湯に行って、昼間から酒とか、そんなのも、いいかなと思ってしまった。酒が飲めないぼくが……。そういうのもありかぁ!みたいな、そんな感じがした。で、いまタイトルを調べたのだけど『昼のセント酒』というタイトルだ。で、本は読んでない。読んだのは、アマゾンの本の紹介とコメントだけ。けど、コメントだけで、だいぶ雰囲気がわかる。

まあ、銭湯に行くのが朝なのか、昼なのかわからないけど、独身男性が?銭湯に行った後、ビールなどの酒を飲むだけという話しなのだ。それを、うまくふくらませている。まあ、銭湯に行くつもりはないけどさ。酒を飲むつもりもないけどさ。……ぼくは!!

久住 昌之という人は、相変わらず、目の付け所がいいな。


   *     *     *


俺は、朝から、うち風呂さ。

にしても、ヘビメタ騒音生活が苦しかった。俺の人生、それだけだな。けど、原因を作ったきちがい兄貴は、まったくシランプリだ。一四年のあいだ、まったくシランプリで鳴らしやがる。この世が闇になったよ。あれ、本当に注意されたあと、本人が怒ったら、「やったってやってない」のモードになってたのか。きちがい的にデカい音で鳴らしているのに。で、これ、いま「きちがい的に」という言葉を使ったけど、「サイコパス的に」じゃ、なにがなんだかわからないんだよな。きちがいという言葉を避けるとして、他に適切な言葉がない。

あれだけでかい音で鳴らして、鳴らしているつもりがないとか、頭がおかしすぎる。で、そういうやつが普通に社会人をやっている。一四年間鳴らされて、すべてを失ったぼくは、社会人ができない。どーー考えたって、おかしい。どんだけの意地を通したか。

やっぱり、普通に銭湯や酒を楽しめる普通の人とは、違った世界に入り込んでしまったんだよな。で、本当に、原因を作ったやつが、シランプリとか、頭にくる。で、一年、二年、三年、四年、五年、六年って、ずっとずっと、毎日、喧嘩してたんだよ。俺が怒鳴り込んでんだよ。それで! 真っ赤な顔をして、不退転の決意で、自分のヘビメタ騒音の音質にこだわりつくして、がんがん鳴らしてたのに、「ゆずってやった」とか思っている。あんなでかい音で鳴らして「ゆずってやった」「協力してやった」と思ってたのかよ???? それが頭にくる。

親父とおなじで、不都合なことは絶対に認めないで、やりきるんだよな。で、本当に、意地になっていやっているわけで、ゆずってくれない。頭がおかしい!!!

昨日も書いたけど、一四年間というのが長すぎる。一〇年でおしまいだよ。もっと言えば、三年でおしまいだな。本当にふざけたやつ!! そういうのが家族で一緒のうちに住んでた……それが、ものすごいハンディで、いまだにたたっている。頭にくる。あれだけむきになって、絶対にゆずらないで、ガンガンガンどでかい音で鳴らしてたのに、あれで!!「静かにしてやったつもり」だったのかよ? 頭がおかしい。じゃ、きちがい兄貴よ!!! ゆずってやった音で、いま住んでいるところで鳴らしてみろ。一分で、「うるさい!!やめろ!!」って言われるから。「そんな、非常識な音で鳴らすなんて、頭がおかしいぞ!!!」って言われるから。で、本人もそれがわかっているから、兄貴がいま住んでいるところでは、一分も鳴らせない。最大限にゆずってやった音で、一分も鳴らせない。そういう音のデカさだ。もっとも、思いっきり鳴らしているフルの音と、最大限にゆずってやった音は、ほとんどまったく変わらない音のでかさだけどな。

「よそ」のうちでは、一分だってできないことを、「うち」では一四時間やって、なんとも思わなかったのが、きちがい兄貴だ。どれだけ怒鳴られても、なんとも思わなかったのが、きちがい兄貴だ。試験前だろうが一二時間、むちゃくちゃにでかい音で鳴らして、「ゆずってやった」と思っていたのがきちがい兄貴だ。で、いまも!!!実はそうなんだよ。「うち」でやったことに関しては、「当時の感覚のまま」なんだよ。だから、他の人になにを言われても、ぜーーんぜん、悪いことをしたつもりになれない。俺に迷惑をかけたつもりが、根本的にない!! そういう性格だから、きちがい的な意地で、自分が思ったとおりの音で、自分がやりたい時間すべて、やり通すことができたんだろ。こっちのことはまったくなにも気にしないで……。本当に静かにさせられそうになったら、怒り狂って、自分の音、自分の時間にこだわりつくして、鳴らしたんだよ。それが、きちがい兄貴が、この世でやったことだ。「そんなにやってない」とか、頭がおかしい嘘だから。「ゆずってやった」とか頭がおかしい嘘だから。

こいつ(きちがい兄貴は)、とことん、親父とおなじなんだよ。頭がいっしょ。感じ方がいっしょ。全部そっくり。がめつさ、頑固さ、全部おなじ。「やったってやってない」と普通に思える部分がおなじ。そっくり!!! いっしょ!!!

どれだけ、穏やかな人でも、きちがいヘビメタ騒音に一四年間も邪魔され続けたら、穏やかでないひとになるよ。自分の人生をまったく楽しめない人になるよ。感情が死んでる。いや、怒っている。見える光景がすべて、ヘビメタ騒音で憂鬱だ。すべての人間関係が、ヘビメタ騒音で憂鬱だ。

ひそかに、14と15出しているから、たのむよ!!! 

   *     *     *


騒音チップ

俺は本当になにをやっているんだと思う。終わらない。昔のアイドルの姿を見てむなしくなった。ちょ~~むなしいなぁ。けど、彼ら彼女らには、それぞれ人生と言える人生がある。あ~~、むなしい。最高にむなしいな。

これだけ寒いのに、なぜか、ほっぺたのうえのところを蚊に刺された。こんなに寒いのに。で、なんて言うか、ヘビメタ騒音が鳴っている修学旅行の前のような気分だ。俺、さんざん言ったからね。きちがい兄貴! 「旅行に行くんだからいいだろ」と言って、絶対に一分もゆずってくれなかった。そういう状態なんだよ。どれだけ「旅行に行くための用意をするからやめろ」と言ってもやめなかった。前日の午後一一時一〇分まで、きちがい兄貴のきちがい騒音にたたられて、身も心もめちゃくちゃなまま、修学旅行に行くことになる。本当に、身も心もめちゃくちゃだから。当時から、少数の友達には、ヘビメタ騒音のことを言っていたので、「おまえ、だいじょうぶか」みたいなことは、言われたけど……。だいじょうぶじゃなかった。「ウツウツ、死にたい」そういう気分だ。

きちがい兄貴にやられずに、心を静めて、楽しい気分で、行きたかった。普通の気分で行きたかった。で、ヘビメタ騒音に七時間ぐらいさらされると、眠れなくなる。この眠れなくなったときの気分が最悪なんだよ。で、ぼくは、それを反復している。いまでも、反復している。

昨日は省略して書いたけど、たとえば、外に出るとき憂鬱だとか、電車に乗るとき憂鬱だということを言うと、「住むところをかえればいい」といったようなアドバイスを受けることがある。もっともなアドバイスなんだけど、そういう力がすでにない。経済的にも、そういう力がないし、精神的にもそういう力がない。引っ越す、気力がない。で、たしかに、最寄りの駅に行ったり、あの道を行き来するのは、憂鬱なんだけど、どこを歩いていても、憂鬱だ。地面と空がある限り、どこを歩いていても似たような風景なのであり、ヘビメタ騒音の風景からのがれられない。アスファルトでかためてある道も、田んぼのあぜ道のような道でも、関係がない。ともかく、道という道、は、だめだ。空も、夜だろうが、朝だろうが、昼間だろうが、夕方だろうが、曇っていようが、晴れていようが、雨だろうが、全部ダメだ。ダメなもんはダメなんだ。でも、そういうことを言うと、これまた、俺が嫌われるんだよ。アドバイスをした方は、「そんなこと言ってるから、いつまでたっても憂鬱なんだよ」と言いたくなるわけだ。けど、その人は、ヘビメタ騒音一四年間の毎日というのを経験してない。一日中、なっている状態を経験してない。だから、それが違う。ぼくの感じで言うと、ヘビメタ騒音チップを脳内につけて、ぼくとおなじ状態を経験した人一〇〇人中一〇〇人が、いまのぼくとオナ状態になると思う。当然、そういうアドバイスをしてくれた人も、騒音チップをつけて暮らせばそうなると思う。騒音チップというのは、ぼくが考えた、きちがい兄貴用のディバイスで、脳内にうめこんで、その人だけに聞こえる騒音を発生するための装置だ。もちろん、そんなものは現実にはないわけだけど、きちがい兄貴に、つけさせたい。埋め込んで、ぼくがすっちを握っていたい。いつでも、スイッチをオンにできる状態にしたい。きちがい兄貴は、本当に、どれだけ鳴らしても、ぜんぜん悪いと思ってないからね。で、一四年間と数ヶ月間毎日やっても、なんて言うのかな、一四年間と数ヶ月間プラス一ヶ月後には、「たいしてやってない」「そんなにやってない」「やってない」「ゆずってやった」と言い出す。ぜーーんぜん、ゆずってないのにね。頭がおかしいからそういう言い訳を嘘でなく言える。頭がおかしいから。で、やっているときは、やっぱり、頭がおかしいから、こだわりつくして、やるんだよ。時間にこだわる。どれだけ短い時間も、家でヘビメタを鳴らせるなら、かならずヘビメタを鳴らすというこだわりがある。すべての可能な時間、一分もゆずらないで鳴らすというこだわりがあって、そのこだわりを「こわした」ことがない。ようは、一分だって、時間的にゆずったことがない。その日鳴らせる時間が七時間なら七時間かっきり鳴らして、修学旅行だろうがなんだろうが、絶対に六時間五九分にならない。そういうこだわりがある。それから、音量にこだわる。ヘッドホンをつけて、耳が壊れるほどでかい音で鳴らせばいいのに……つまり、ヘッドホンで鳴らしてもどでかい音で聞けるのに、ヘビメタに関してはなまの音で聞きたいのであり、絶対に、ヘッドホンを使わないというこだわりがある。こだわりくつして、鳴らしているわけで、きちがい兄貴がゆずってやったった音というのは、そのこだわりを満たした音なのである。要するに、フルで鳴らしている音とかわらないぐらいの音で鳴らしている。きちがい親父の譲歩とおなじで、きちがい兄貴の譲歩というのは、ぜんぜん譲歩になってない譲歩なんだよ。あとは、きちがい親父と同じように、こだわりきって絶対の意地で頑固に頑固に毎日毎日、十数年間にわたってやったことは、全部、「やってないこと」なんだよ。そういう、きちがいじみたところがある。ぜーーーったいに、気にしないわけだから。試験期間中だろうが、入試前の冬休みだろうが、絶対に気にしないで鳴らす。「そんなの知らなかった」といまになれば、きちがい兄貴は言うけど、知らないわけがないんだよ。俺がどれだけ言ったと思っているんだよ。きちがい親父と同じように、自分にとって不都合なことを言われたら、途端に怒って、……怒り狂ってこだわりつくして、きちがいの意地でやりきるんだよ。で、それをやっているあいだは、どれだけ言ったって、納得してやめてくれるということがない。頑固にやりっぱなし。きちがい音頭でやりっぱなし。殺さないと、やめさせることができないような状態で、やりきる。ずっとやりきる。全部おなじだから。あれだけ意地を張って、やりまくって、やったつもりがないとか、頭がおかしい。そういう頭がおかしいことが、普通に毎日毎日成り立ってしまうのが、うち、なんだ。ここが、わかってない。親父も兄貴も、世間の人も、ここがわかってない。

2016年11月10日木曜日

やっぱり、全部ネットだな。全部ネットで済ます。

本当は、交流会には積極的に参加した方がいい。もっとも、これは「売るもの」を用意してからの話しだけど。……けどね。けどね。基本時間を決められるとなると、ヘビメタ騒音の後遺症でとてつもなく苦しくなるわけで……。くるしくなるのを我慢して、動いてもしかたがないと思うんだよな。というわけで、全部、ネットでやることにした。ぜーーんぶ、ネットでやる。だから、会わなくていい。直接会った方が、話が早いし、人脈ができるし、すべての回転が速くなると思う。けど、それはあきらめるしかない。ヘビメタ騒音の一四年間は、ぼくの脳みそに不可逆的な効果を与えている。これは、感じ方や考え方を「ソウサ」することでかわらない。どうにかしようとすると、よけいにひどくなってしまうのである。「こらえて」行動することで、よけいにひどくなってしまうのである。問題なのは、要するに、朝の雰囲気や、歩いているときの雰囲気、駅のホームに立ったときの雰囲気、向こう側の駅から目的の場所に行くときの雰囲気、などなどだ。破滅を感じてしまうのである。我慢して行動してもちっとも良くならない。良く言われる、考え方を変えれば、すべてが違ってくるというのも、成り立たない。過去は変えられる……なぜなら、過去の解釈を変えれば過去がかわるから……というようなレトリックもま・る・で~~役に立たない。たぶん、ヘビメタ騒音の毎日が長すぎるからだと思う。なので、ヘビメタ騒音の毎日を一四年間も経験しないで、それらの方法を進めている人から見ると、ぼくが、「こだわって変わろうとしない」ように見えてしまうのである。けど、その人たちも、ヘビメタ騒音の毎日を一四年間、経験すれば、ぼくがどういう世界を生きているかわかると思う。けど、それはなかった。その人たちの人生の中でそういうことはなかった。だから、考え方が違って当然なのである。

というわけで、交流会には行かないで、全部ネットで済ますことにした。で、実際に会わないと無理だということを言う人は、無視。けど、その人がうちの近くまで来てくれるなら、いいけどさ。俺が昼間起きている期間に、徒歩一〇分ぐらいで行けるところなら、なんとか会える。

ともかく、全部ネットで済ますことにした。電車に乗って出て行くとなると、「オモイ」。

あとは、ぼくが、前日移動しておいて、近くのホテルなどにとまるという方法も考えた。ここら辺の集まりは全部、東京なんだよね。だから、むなしい気持ちになるけど、前日に移動しておけば、どうにかなる。その、前日、ホテルまで移動するのはやはりくるしいんだよ。ヘビメタ騒音にやられたとき、東京まで通っていたから。あの電車で通っていたから。もちろん、車両は変わっているのだろうけど。あそこ、まざまざとよみがえってしまうんだ。もう、死にたくなる。やっぱり、全部ネットだな。全部ネットで済ます。

ヘビメタ騒音の記憶がひどすぎて、俺は風俗にも行けないよ。極端に憂鬱になる。理由は、交流会に行くことを考えた場合とおなじ。そう言った意味で、一切合切、「気楽さ」がない。ぼくの人生には、「気楽さがない」んだよ。普通の人だったら、楽しみにできることでも、ぜんぜん、楽しみにならない。で、こういうことも、ヘビメタ騒音生活を経験してない人は、根底からわからないと思う。だから、・・(省略)。なので・・(省略)。まあ、そういう人から見れば、俺がかたくなに暗いことにこだわっているように見えるんだよ。「せっかくアドバイスしてやったのに、あいつはやろうとしない」というような考えが浮かびやすい。いろいろ省略して書いてるんだけどさ。実は、親友とのあいだにもそういうことがあった。

感想だけ言わせてもらうと、どうしても、ヘビメタ騒音の連続で無理だ……ということになる。で、破滅で破綻で絶交なんだよ。本当にヘビメタ騒音は人間関係の病だな。きちがい兄貴と俺の人間関係という意味ではない。うちの人間関係は、よその人が想像しようとしても想像できないようなものなんだけどね。まあ、すべては、親父の親が自殺したところから始まるんだよな。一、二歳で両親とも失って、関係が切れた親戚をたらい回しにされれば、あんな人格にもなるよ。親父の父親と母親が駆け落ちして、親戚とのつながりが切れてるんだよね。当時の本当の勘当。親父の父親は良家のぼんぼんで、親父の母親も良家のお嬢様で、親父は、親戚のうちで虐待されたあと浮浪児だよ。

きちがい兄貴に言っておく。きちがい兄貴よ。きちがい兄貴は、本当に静かにしてやるつもりがまったくなかった。俺がどんなことを言っても、俺がどれだけ困っていても、関係なく、自分がやりたい分だけは、かならずやった。だから、ちっとも静かにしてくれてない。まったく静かにしないか、自分のやり方でい万分の一静かにするかのどっちかだ。ちゃんと、静かにしてくれたことがない。時間を決めて、鳴らさないで静かにしてくれるということが、まったくなかった。どれだけ困っていても、フルの音か、一〇〇※分※ぶん※の一静かにした音で鳴らしていた。音量×時間で一万分の一になる。

2016年11月9日水曜日

トランプが勝った。日本も保護主義に舵を取れ!!

トランプが勝った。トランプ大統領誕生。

なんか、亜人のサトウが日本統治を宣言したような感じだな。(と、まあ、これは冗談だけどさ)
(注 亜人というマンガがある)

けど、これ、ありえねぇ~~~

さっきまで寝てたんだけど、水か飲みたくて起きた。こんなん、ばっかりだ。四時間ぐらいしか寝てないので、これからまた寝るかもしれない。気分としては、最悪で、蕁麻疹が復活しそうだ。というか、出てる……。最悪なのは、ヘビメタ騒音のせいなんだよ。ヘビメタ騒音で、いまも、くるしいんだよ。

アメリカが本当にTPPから離脱できるのかわからないけど、TPPはやらない方がいいと思うので、これは、歓迎だ。これじゃ、無職の現象学の無料セールをしなければならないような気持ちになってくるな。

けどけど、そんなことより、ぼくのいまの気分のほうが問題なわけ。これは、ヘビメタ騒音の夜の雰囲気だ。しかも、冬の夜。これ、は!!!やばい!! やばすぎる!!!!! ありえないーーー。これもう、死ぬな。ぼくはいったい何日、こんな思いをすれば良いのか? 本当にくるしい。だれに言ってもわからないのだけど、ヘビメタ騒音が苦しかった。

で、たとえば、開運方法に関しても負の反応があるんだよな。開運方法として言われているようなことは、実は何十年も前から、変化がない。たいして、かわらないことが主張されている。開運方法みたいのは、「そのひとバージョン」で、基本的なやり方は変わらないけど、その人の味付けがしてあるというようなものなんだよ。だから、ある本を読んで、ある方法の批判をしたとすると、その方法に似ている方法を採用している人たちも批判したことになってしまう。なので、誤解が生まれやすい。



で、

2016年11月8日火曜日

現実と言葉

午前八時三三分。俺の部屋はひかりでみちあふれている。けど、けど、ぼくは、どんよりと、憂鬱。不安。ふて寝をしたいけど、どうもできそうにない。昨日の夜、寝ているから。ラッキーラッキー大ラッキー。俺はついてるついてるついてる。うきうきうっきー。俺はすごい。すばらしい。天才。天才。……と自分を鼓舞してみるも、つらいものがある。たとえば、「つらい」というようなことばを言えば言うほど、不幸になっていくという信仰がある。だから、良い言葉を言って書き換えれば、開運できる……という理論だ。自分で自分の脳を言い聞かせる。良い言葉をたっぷり与えて、悪い言葉が出てくるスキを作らない。まあ、こういう話しなんだけど、ヘビメタ騒音をやられて、実際につらい思いをしたからつらい。これ、どうなんだろうな? こういうのは、どうとでも言えることなので、学問的な話にはならない。科学的な話にはならない。どっちが正しいとかそういうことは言えない。だから、立場と意見が問題になる。「つらい」と言っている人を、せめる部分はないだろうか? 俺にはあるような感じがする。おまえが不幸なのは、「つらいつらい」と言っているからだ。どれだけ、つらくても、愚痴を言わず、不満を言わず、「楽しい楽しい」と言えば、「楽しい現実が作られる」。おまえが、不幸な現実を、自分の言葉で作っている。だからダメなんだ……こういうふうに、かりに、開運系の人が言わなくても、本を読んでいれば、そういうふうに言われた気分になってくる。理論的な合理性を考えると、そうなる。あるいは、そのものずばり、開運系の本に書いてある。書いてある場合がある。俺が読んだ二冊の本には、そういうことが書いてあった。「せめる」部分があった。で、開運系であって、「良い言葉で書き換える」ということを言っている人でも、まあ、人によって違うわけよ。これ……。いま不幸だと思っている人が、どんな思いをしているかわかっている人とわかってない人がいる。で、わかってない人は、やっぱり、せめる部分がある。


   *     *     *

ぼくがこんなにさみしい思いをしている……こんなのゆるせるか。
鳴ってる~~なっっってる~~~ヘビメタが鳴っている。ヘビメタが鳴っている雰囲気だ。

どれだけ、本当に……たたったか?? 

だから、やめろと言っただろ!!!

こんなのは、ない。あいつは、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に就職して普通に働いてんだからな。こんなの、ない。どうやって、取り返せばいいんだ? こんなの、な、い。こんなのは、ない。あの子とつきあっておけば良かったな。アイドルクラスのかわいい子と、つきあえた。二人いた。俺は、小六の時からヘビメタにやられておかしくなっている。女の子とか友情とか、本当、どれだけ!!! ヘビメタで全部めちゃくちゃ。どうしても、めちゃくちゃになっていく。毎日、きちがい的に長い時間やられると、どうしても、めちゃくちゃになっていく。友達と喧嘩するようになる。うまくいかなくなる。女の子の前で自信を持って立っていられなくなる。普段から、ヘビメタ騒音で勉強の邪魔をされて、体育の邪魔をされて、美術の邪魔をされて、めちゃくちゃだ。どーしてもおかしくなる。あのとき、ヘビメタが鳴ってなければ、普通の気持ちでつきあえたんだ。

2016年11月7日月曜日

冬は特にやばい。

ヘビメタ騒音地獄が始まってから、つねに、だるくて、つねに、さみしくて、つねに憂鬱で、つねに不安なんだが、比較的状態が良いときと、比較的状態が悪いときがある。で、いまは、悪いときだ。これ、言っちゃなんだけど、「どうにかしよう」という気持ちがたかまると、それに伴って、ヘビメタ騒音のなかでどうにかしよう」と思っていた時期の記憶が強くよみがえって、……結果的に、ものすごく、憂鬱で不安になってしまうのだ。ヘビメタ騒音は長い。これ、時期によってヘビメタ騒音が実際に鳴っていた時間帯が違う。時間の長さも違う。しかし、きちがい兄貴がきちがい兄貴の部屋にいたら、鳴らしている状態が一四年と数ヶ月間続いたんだよ。最初のと言うか、ヘビメタ騒音歴一年目から三年目までは、きちがい兄貴が高校生だったので、土曜半日、日曜休み、夏休み冬休み春休みは、休みという状態だった。で、この三年間で、ぼくは、だめになっている完全にだめになっている。で、ヘビメタ騒音歴四年目からヘビメタ騒音歴九年目までの五年間は、きちがい兄貴が浪人して、そのあと、大学に通っている期間で、この期間は、本当は静かになるはずなんだけど、ならなかった。きちがい兄貴が夜学に入ったので、本当は、夜静かになるはずだったんだけど、「いつ、大学に行ってんだ?」と思うほど、サボりまくりで、つねにうるさかった。そして、大学の夏休みや冬休みが、長くて長くて、その期間中、うるさかった。だいたい、たとえば、日曜日にきちがい兄貴がずっと家にいるとすると……そういう日曜日ばっかりだったんだけど……うちにいるとすると、もう、朝から鳴っている状態が続くわけで、困るんだよ。本当に困った。兄貴が就職したあとも、日曜日は朝から鳴っていたわけで、どれだけ言ってもやめてくれなかった。で、就職したら、土曜日も休みだったから、土曜日もうるさかった。

ともかく、言いたいのは、ぼくの場合、やはり、ヘビメタ騒音歴一年目から三年目までの三年間で終わっているということだ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音というのは、「うち」でだけやったから目立たないことになっているけど、三年間で、横の部屋の人が廃人になってしまうような、けたたましさだ。やり方だ。あんなの、三年間も浴びたら、だれだっておかしくなる。だれだって、うつ病状態になる。だれだって、後遺症が残るほど、身体がだめになる。けっきょく、一四年と数ヶ月間続いたんだけど、最初の?三年間でダメなんだよな。三年間毎日、あれを浴びせられたら、だれもが、だめになると思う。一〇〇人中一〇〇人がだめになると思う。他の人は、わかってないだけだ。けど、他の人から見ると、俺がもとから、だめなように見えるんだよ。それで、生きているあいだじゅうずっとくるしかった。これは、俺がヘビメタ騒音のことを言っても、言わなくてもおなじなんだよ。これが現実だった。

本当にヘビメタ騒音で、だれもがだめになる状態なんだけど、ヘビメタ騒音が鳴っていてだめになったのは俺だけなので、俺だけが、悪く言われるという状態が成立している。

で、冬は特に、だめだ。くるしい。精神的にくるしくなってしまう。どうしても、ヘビメタ騒音が鳴っていた受験シーズンのことを思い出してしまう。いつも、みみをつんざくようなきちがい騒音が鳴っているこの部屋!!! 本当に勉強することができなかった。それから、ストレスを受けまくりでつらかった。で、ストレス受けまくりだと、蕁麻疹になるんだけど、最近蕁麻疹が復活しているんだよね。まあ、薬を飲んでいるけど、この薬はあんまり飲み続けたくない。

冬は特にやばい。

本当にさみしいよ。こころが切れちゃうよ。

まあ、言えば言ったで、「二言目には、ヘビメタ騒音ヘビメタ騒音ってうっさいな」と人は思うわけだよ。言わなければ言わないで、本当の能力の一〇分の一のだめ人間で、いつも憂鬱そうな顔をしている元気がない人ということになるわけ。ヘビメタ騒音が押し付けてきた世界というのは、そういう世界だ。どれだけIQが高くても、全部が全部不可能になって、IQが普通の人たちからも、文句を言われたり、わかったようなことを言われるような立場になっていくわけ。

2016年11月6日日曜日

俺もそのうちセミナーやろおっと

やっぱり、開運系の人とスピ系の人には嫌われたかもしれないな。まあ、一度「自分がそういう奴らと一緒だと言うのか?」「おまえ、俺のことを言っているじゃないのか?」と思うと、そのあと、こっちがなにを言っても、むかついたままだというのも、わからないではない。ぼくも、一度嫌いになると、その人がなにを言っても、嫌いなままだったりするから。だから、まあ、それはそれでいい。

セミナーに関しては、そのうち、自分でもやってみたいと思っているよ。けど、それは、まあ、Wordpressのカスタマイズとかそういう話になると思う。開運系のセミナーをするわけじゃない。セミナーに関しては、内容があるものと、内容がないものに別れると思う。アフィリエイト系のセミナーは、最初から内容がない。内容がないのであればまだいい。基本的に、嘘情報なのである。で、その情報に従っている限りずっと、儲からない。儲からなければ、また、セミナーができるわけだからさ。これ、まず、金儲け系に関しては、嘘情報でまわしているものがあるから、それには注意した方がいいと思う。むかし、他の人のブログで、セミナーに参加すると言っている人がいて、俺は、ちょっと止めたかったんだけど、本人がやる気になっているから、強いことは言えなかった。まあ、お節介と言えばお節介なんだよな。

金儲け系の情報商材は、嘘情報でまわしているところがあって、嘘情報で儲けるということしかやってない。情報商材を書く人が、情報商材の内容で儲けたのではなくて、情報商材を売ることで儲けているタイプがほとんどで、情報商材の内容は嘘情報なんだよ。で、情報商材を書いていた人たちが、アフィリエイト系のセミナーをやっているので、基本的に、嘘情報のセミナーだということになる。

まず、これが頭にあったんだよな。で、セミナー全部は否定してないから。役に立つセミナーもある。

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2016年11月5日土曜日

思いは実現化する系の成立条件について考えてみた。(草稿の草稿)

かなり暗い気持ちだ。これはヘビメタ騒音の夜の雰囲気だからしかたがない。他の人にはまったくわからない暗い気持ちだ。わからないのだから、言ってもしかたがないのだけど、……暗い。

あ、風呂の修理は済んだ。よかった。よかった。


本当になにをやるにしてもヘビメタ騒音がでかすぎる。で、「ヘビメタ騒音?それがどうしたの?」と思う人には、わからない。説明してもしかたがないので、説明しない。ともかく、ヘビメタ騒音でつらい。そんだけ。言いたいのはそんだけ。


思いは実現化する系の成立条件について考えてみた。
まず、動ける状態だというのが強烈にでかい条件になる。病気をしていない。あるいは、軽い病気で、動ける。病気であるにもかかわらず、夢が実現化する場合もある。その場合は、特定の分野での、特別な夢でなければならない。あるいは、人生のある場面……その時……もうすでになんらかのことをやっている人の場合は、病気でもうまくいく場合がある。けど、たいていの人は、病気で動けない状態だと、なかなか思いが現実化しない。どうしてかというと、相手の期待にこたえられないからだ。動かなければならないときに動けない。そうなると、当然相手の期待を裏切ることになる。だから、あんまりうまくまわらない。


病気相当のハンディを抱えてない



そこそこの力がある
たとえば、ディスコ?のDJでもなんでもいいんだけど、そこそこできるということが必要だ。なんかのスポーツの実況中継が好きな人がいて、個人的なメディアを使って勝手に、実況中継をして、プロのコメンテーターになった人がいる。アイドルならアイドルで、現役アイドルとして、他のアイドルと並んで写真を撮った場合、違和感がない(いてもおかしくない)と思えるようなルックスが必要だろう。プロとならんでも、それほど違和感がないというようなレベルの力を持っているということが、必要だ。



表舞台を去った高杉晋作は、さぞかし歯がゆい思いをしていただろう。病気で動けないと、どうにもならない。

まあ、正直言ってぼくは、いま現在、ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音の後遺症?でくるしい。いま、くるしい。いま、だるい。いま、死にたい(気分だ)。「あの雰囲気はない」と思う。これ、なんかやらなきゃならないとなると、「あの雰囲気」が復活してしまうのである。こんなこと、どれだけ言ったってしかたがないのだろうけど、現実問題として、くるしい。きつい。動けなきゃ、だめなんだよな。動けなきゃ。それも、ときどきなら動くことができるというのではなくて、いつも、動けなきゃならない。

なんとかしようとすると、ヘビメタ騒音のなかでなんとかしようとしていたひきつった絶望的なやるせない、しょーもない、憂鬱な、死にそうな、死にたくなるような雰囲気が復活してしまう。これは、体がしんどくてだめだというようなハンディの次にでかいハンディだ。

やっぱり、しんどい

アマゾンキンドルアンリミテッドで、開運関係の本を読むんじゃなかったな。
だいぶ、嫌われた感じがする。だいたい、開運関係というか、スピ関係の本っておなじなんだよな。……書いてあることが。で、まず、「動けている」というのが強烈に大切なことなんだと思う。もう、何十年も前だけど、開運関係に書いてるようなことをやって、……けっきょく、ヘビメタ騒音のなかで、苦しんで失敗した。

ヘビメタ騒音でやっぱりくるしい。晴れ晴れした気持ちで他の人とつきあえない。

あとは、きちがい親父の部分の修正ができない。


ともかく、六億円あっても、解決しない。ヘビメタ騒音の問題が解決しない

だるい。気持ち悪い。これ、どうしたものかな? さっき横になりながら考えていたんだけど、俺、六億円当たっても、たいして、うれしくない。気が晴れない。きちがいヘビメタ騒音のことが、気になる。六億円当たっても、ヘビメタ騒音のことで気が晴れずに、憂鬱だ。

で、六億円の使い道を考えてみた。六億円あったら、どう使うか? そんなことは、だれでも一度は考えたことがあるだろう。まず、六億円は貯金しておく。で、使い道だけど、これが、あんまり思い浮かばない。いろいろなぜいたくなことを考えてみたけど、あんまり、楽しそうじゃない。想像の中の自分が楽しそうじゃない。たとえば、旅行に行くことを考えたとする。六億円あるのだから、豪華な旅行になるだろう。金があるので、一緒に行く女も臨時で作れるだろう。けど、楽しくない。ヘビメタ騒音にやられた二浪時代の入試を思い出してしまう。あれ、本当に静かにして欲しかったんだけど……せめて、入試の一ヶ月ぐらい前から、鳴らさないで静かにして欲しかったんだけど、一日も、静かにしてくれなかったんだよな。「だれのせいで、こんなことになっているとおもっているんだよ」と言いたくなる。これ、本当にきちがい兄貴のせいで、その時点で八年間ずっと毎日、きちがいヘビメタが鳴ってなかったら、そんなことになってない! これも、実際には、そうではなかったので……八年間毎日静かにしてくれたという現実がないので……人のせいにしていると人からは言われるのだけど、実際に八年間毎日静かにしてくれたら、二浪なんてしない。かりに、二浪していたとしても、ヘビメタ騒音が鳴っていたからとは言わないだろ。で、これ、人のせいにしている」などと軽く言う人に言いたいけど、自分(その人)が八年間毎日やられたらどうなんだよ? 六年間でいい。六年間やられたらどうなんだ? 絶対、どれだけ、地頭が良くて努力家でも、無理だ。あれだけ毎日、邪魔されたら無理だ。本当に一日中鳴っている。土日、祭日、夏休み、冬休み、春休み期間中は、ヘビメタ騒音が鳴っている時間が増えてしまう。一秒だってやめてくれない。本当にやり方がどぎつい。試験一週間前だから、一日に一時間は、鳴らさないで静かにしてやろうという気持ちがまったくない。三〇分でも、一〇分でも、一分でもまったくない。試験一週間前だろうが、一〇時間で切るのであれば一〇時間かっきり、必ず鳴らしまくって、一分もやめてくれない。やめて静かにしてくれる時間というのが、〇秒だ。そういう意地なのである。そういう意地で鳴らしているのに、本人は、「静かにしてやった」ときちがい親父のように思っているのである。まじで、嘘でなく、「静かにしてやった」と思っている状態なのである。頭がおかしい。そういう意地なんだよ。頭がおかしい意地なんだよ。で、かならずやるけど、本人は、一日に五分間、〇・一デシベル下げてやれば、それで、いいと思っている。その五分間も、よそでやったら、五分間で苦情がくるぐらいにうるさい。そういうけたたましい音で鳴らしている。だから、きちがい兄貴が最大限静かにしてやったつもりの時間も実は、静かにしてない。で、それは、入試前日だろうがわからないわけで、かならず、やりきる。言わないわけがないだろ。「静かにしてくれ」って言わないわけがないだろ。けど、きちがい兄貴は、いま現在、きちがい兄貴の嫁さんの前で「そんなになっているとは知らなかった」とか「知らなかった」なんてすっとぼけたことを言っているんだよ。で、まさしく、俺に怒鳴られたあとも、そういうすっとぼけた態度で、きちがい的なこだわりを持って、絶対にゆずらないで、ドカスカ鳴らしているんだよ。そういう毎日だ。試験前日も、そういう「構え」で鳴らしていた。俺が、もう、ヘビメタ騒音で試験前の正月を迎えるのは嫌だから、正月だけでも静かにしてくれと言ったのに、正月三が日、全部、一日に一三時間近く、ドッカスカ強烈にでかい音で鳴らしているんだからな。事実。で、地方の国立をうけたわけだけど、その時の電車の雰囲気が、破滅的なんだよ。ヘビメタ騒音で破滅的でぶらぶらになっている。ヘビメタ騒音で破滅的な気分になっていたわけでほかのことで破滅的な気分になっていたわけじゃない。ヘビメタ騒音に八年間毎日、たたられてない人に、「人のせいにするな」とか「家族のせいにするな」とか言われるとむかつくんだよ。だいたい、そういうことを言う人は、本当にしょーうもないことで、俺のせいにする。人のせいにする。だいたい、そういう人が、不満があるけどあきらめたことというのは、なんて言うのかな?本当にたいしたことじゃないわけ。ヘビメタ騒音に換算すると、一分ぐらいの不愉快さなわけ。ヘビメタ騒音が一日に一分しか鳴ってなかったなら、こんなことになってない。というか、一日に一分八年間続くような「不快さ」じゃなくて、本当に、一分間だけうるさい思いをしたぐらいのことなのである。これ、言っちゃうといろいろな問題が出るのだろうけど、なんて言うのかな、違うんだよな。言いにくいな。言ってしまっても良いのだろうか。……まあ、言うのはやめよう。

ともかく、六億円あっても、解決しない。ヘビメタ騒音の問題が解決しない。まったく解決しない。


どうしたもんだ? どうしたもんだ? どうすればいい?

他人に「どうすればいい」なんて聞いちゃだめなんだよな。他人に「どうすればいい」なんて聞いても、いいことにならなかった。俺と一緒に住んで、つねにきちがい兄貴を監視して、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしそうになったら羽交い締めにして、鳴らさせないようにしてくれるわけじゃないからな。

ともかく、大事な時期にヘビメタ騒音をずっと鳴らされた以上、六億円あっても、ぜんぜん問題が解決しない。俺が楽な気分になれない。……そういうことがわかってしまった。普通に金があればできることを考えた場合、一〇〇〇万もあれば、全部できてしまう。俺の場合はそうだ。まあ、これは、たとえば、家を買ってそこにずっと住むためのお金は計算に入れてない。そういう金は、一億ぐらいあればいいだろう。ともかく、なんか、行為として、すぐにできることで金を使うとすると、どれだけ使ったとしても一〇〇〇万ぐらいで済んでしまう。何回も言っておくけど、家を買うとか、老後の生活資金とかそういうものは入ってない。





楽しい気持ちで行動したいんだよ。けど、それができない


どーーすっかな。おれ、あんま、気力がないんだよね。

もし、病気だったら治そうとする気力がそもそも、……。

このまま、うん十年したら?死んでしまうのだろうか? やりたいことがまったくできなかった人生ということになってしまう。

俺はここ二〇年ぐらい、体を極力動かさないようにしてきたから、運動をした方がいいのかもしれない。

けど、つまんない。けど、つまんない。

どうするのよ~~ このつまんなさ。
だるい。だるいから、体を動かさなかったけど、それはそれでまずかったのかもしれない。

ともかく、なんか、楽しい気持ちで行動したいんだよ。けど、それができない。

   *     *     *

もう、どうしていいか、わかりましぇ~~ん

そろそろ、寝る時間だから寝ようかな。
いま、午後二時二六分。

喉が渇いたら味がついたものじゃなくて、水やお湯を飲むことにした。

あと、六分でいいから、軽い体操をすることにしよう。

今日は、それでも、段ボールをのまとめたんだ。ゴミ出しできるように。
で、コンビニに行って、食品を買ってきた。最近コンビニだからなぁ。高いんだよ。自分でもこれはやばいと思う。コンビニは本当に高い。

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他の人に文章を書いてもらって本格的なアフィリエイトでもやるかな。けど、アフィリエイトで売れるものって、あやしげなものばかりなんだよな。やりたくないな。普通のデパートでも売っているものをアフィリエイトして、月に一〇〇〇万ぐらい売れて、七万円ぐらいもらってたときがある。楽天アフィリ。けど、もう、それはできないんだよ。

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得意得意で生きていくしかないんだよな。
やっぱり、もう余生だと思って、やっていくしかないか。
余生というか、もう、老後だと思ってやりたいことはやって、……。

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なんか、どうでもいい。腹が痛い。
もう、どうでもいいや。








2016年11月4日金曜日

所得格差について 所得格差はリアルな問題であって、低所得者が「不平等感」を強く持つようになったから、生じるというものではない

統計的に見れば、高所得者層と低所得者層が増えて、中所得者層が減っている。
二極分化が進んでいると言っていい。

昔は、平社員と社長の所得格差はせいぜい八倍ぐらいだったのに、いまは二〇倍ぐらいある。(ひどいところは、ゆうに一〇〇倍以上ある)。たくさん稼いだ人が、お金を落としにくい状態にあり、社会にたくさん?貢献しているかどうかはわからない。(つまり、平社員の一〇〇倍稼いでる社長が、日本の市場で十分に金を使ってくれるわけではないという状態だ。)

大企業は多国籍企業になっている。そして、企業内部の留保金が高くなっている。(ようするに、
日本国内の市場に金が出にくい状態になっている)。

だから、低所得者が、おもしろくない感情を抱くのは当然である。

平社員と言っても、正社員なので、さまざまな法律に守られているが、非正規労働者は、さまざまな法律に守られているとはとても言えない状態だ。企業は、だからこそ、非正規労働者を使いたいのである。というわけで、所得格差はリアルな問題であって、低所得者が「不平等感」を強く持つようになったから、生じるというものではない。



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あーあ、これがぼくの一生なのか……。
経済思想の本や経済学の本を読んでも、なんの役にも立たなかったな。



2016年11月3日木曜日

言われたら、怒って怒って怒って、無口になって、「なかったこと」にしてしまう

午後一一時一四分。起きた~~~起きた起きた~~

起きると、まず一番にヘビメタ騒音のことが気になる。寒いとヘビメタ騒音のことが気になり、暑いとヘビメタ騒音が気になるという毎日だ。雨だとヘビメタ騒音の雰囲気で、晴れでもヘビメタ騒音の雰囲気で、曇りでもヘビメタ騒音の雰囲気だ。


まあ、ブログにしたって「こういうことをしている」という方がいいんだよな。けど、ぼくはヘビメタ騒音のことは、これからも、ずっと書いていくけどね。ぼくの気が済むまで、ずっと書いていくけどね。



けっきょく、きちがいヘビメタの雰囲気は消えない。きちがい兄貴に対するうらみも消えない。きちがい兄貴の態度に対する怒りも消えない。本当に破滅破綻で、あれはない。「あれはない!」ってずっと、言っているときがある。これは、こころのなかで言っているわけで、声に出して言っているわけではないけど、俺が二十歳の時のきちがい兄貴の態度を……思い出しては、「あれはない」と言っている。まあ、誰もいないときは、声に出していったりするけどね。今日なんて、ゴミを出しに言ったときに、「ヘビメタ騒音で人生がない。あれはない」って声を出していったんだよ。これは、家の前の道路で、きちがいヘビメタ騒音にやられていたとき、「往復」していた道路だ。きちがいヘビメタが鳴っているとき、あの道路を通って、家に帰ってきた。高校入試で落ちている時、あの道路を通って家に帰ってきた。家に近づくと、きちがいヘビメタが鳴っているのが、わかる。家に接近すればするほど、きちがいヘビメタの音がでかくなる。で、ドアを開けると、雪崩のようにきちがいヘビメタの音が降ってくる。高校入試の時ですら、きちがい兄貴は、ヘビメタ鳴らしてたから。これも、今言えば、「そんなの知らなかった」としらを切るんだろうけど、やめてくれなかったんだよ。一分もヘッドホンをしてくれなかったんだよ。高校入試から帰ってきて、俺が、「次の高校入試が二日後にあるから、やめてくれ!!!」「やめてくれ!!!」と絶叫して言っても、やめてくれなかった。だから、高校入試から帰ってきたあと、ずっと、夜の一一時までヘビメタ騒音を聞かされた。どれだけ悔しい思いで、その五時間数十分を過ごしたと思っているんだ。何回も何回も、怒鳴り込んだからな。「知らない」とか、そういうタイトで、ガチガチに意地になって、不退転の決意で、きちがいヘビメタを鳴らしてたんだよ。入試だろうがなんだろうが、一分だって、自分が不自由な思いをするのは嫌だというのがきちがい兄貴の態度だ。だから、どれだけ言っても、鳴らしてた。意地になって鳴らしていた。これ、兄貴の嫁さんに「そんなに鳴らすことないじゃない」「どうして静かにしてあげなかったの?」と言われると、「静かにしてやった!!」と言って、話を打ち切って、自分の部屋に入って寝ちゃうんだよ。そういう態度だ。で、いま住んでいるところでは、ちゃんとヘッドホンをして鳴らすんだよ。一日中、鳴らすときはいつもヘッドホンをして鳴らすんだよ。じゃ、そういうことができるのだから、家でもそうすれば良かっただろ。けど、しないんだよ。「うち」でしない。一分だって、一秒だって、本当にゆずるのは嫌なんだよ。ヘッドホンをして鳴らすという我慢が、できない。で、できないとなったらできないのであって、一秒だってそうしてやらないのである。一秒だってヘッドホンをして鳴らさない(ヘッドホンを装着しない)というようないじわるをして、まったく意地悪をしたつもりがないんだよね。それは、親父のようにどれだけ言われても、何万回やっても、催眠術にかかったように、意地悪をしているつもりがしょうじない。本当は、「できる」ことをしてない!! だから、「しかたがなかった」なんてことは言えないわけ。けど、本人の気持ちは、「しかたがない!!」「しかたがない!!」「なっちゃったら、しかたがない!!」「なっちゃったら、しかたがない!!」なんだよ。自分でやっているのに「なっちゃったらしかたがない」とか平気で、絶叫する。み・と・め・な・い・のである。認めない。命がけで認めない。ほんのちょっと、自分が我慢すれば、ヘッドホンをすることはできたのに、できないことになっている。どうしてかというと、ヘッドホンをすると、思い通りじゃないからだ。ヘッドホンで聞くヘビメタは「思い通り」じゃないのである。自分の思い通りにやりたいわけで、髪の毛一本分でも、思い通りじゃないのは嫌なのである。「感じが出ない」「頭が重たくなる」……それだけの理由で、入試だろうが、全部の時間、スピーカーから鳴らすことにこだわりつくして、どれだけ「やめろ」「静かにしろ」と言われても、スピーカーで鳴らす。一秒だってゆずらないのである。けど、本人は、一秒だってゆずらなかったと言うつもりがないのである。一万分の一でもゆずてっやったら、もう、「全部ゆずってやった」という気持ちになる。だから、一万分の一ゆずってやったら、全部の時間鳴らすことできる。きちがい兄貴がゆずったときの音というのは、こだわりの音で、ヘッドホンをつけて聞くのよりも、ずっと感じが出ている音なのである。要するに、でかい音で鳴らしている。自分の「でかい音で鳴らしたい」という気持ちが、髪の毛一本分もそこなわれない音なのだ。だから、本当は、きちがい兄貴が静かにしてやった音も、ものすごくでかい音だ。けど、きちがい兄貴にしてみれば、親父と同じように、「自分がしてやった」ということが、重要なのである。本当は、嘘の譲歩で、ぜんぜん情報になってない譲歩なんだけど、やってやる方にしてみれば、もう、なけなしの譲歩をしてやったという気分になってしまうのである。やらなくていい譲歩をしてやったという気持ちになってしまう。本当に、親父のハンダゴテとおなじなんだよ。「それじゃ、役に立たない」「やってもらっても困る」と絶叫したくなるようなことしかやらない。それが、最大限の譲歩なのである。そういう態度自体か、人を馬鹿にしているというのが、本気でわからない。どれだけ言っても、つたわらない。「それじゃだめなんだ」「やってもらっても、意味がないんだ」「ちゃんとやってくれ」とどれだけ強く言っても、まったくなにも伝わらない。言えば言うほど、かたくなになって、発狂してやってしまう。全部、顔を真っ赤にして、目を三角にしてやることなんだよ。そもそも、自分が自由にやりたいのに、相手から「やめてくれ」と言われたということが、発狂するほど腹立たしいことなんだよ。で、相手の言い分を認めてしまうと、本当に自分が譲歩しなければならなくなるわけで、相手の言い分は、発狂して無口になって、認めないのである。で、認めないと言うことも認めないというかたちで、認めない。だから、本人は、認めなかったと言うことが、あとになってもわからない。「そんなの、言われなかった」「そんなの知らなかった」と爆発してしまう。このあとで、相手から、「こうしてくれなかった」と言われること自体が、また、自分がやりたいことをやろうとしていたとき、あるいはすでにやっていたときに、「やめてくれ」と言われたのとおなじぐらいに不愉快なことなんだよ。たがら、言われたら、怒って怒って怒って、無口になって、「なかったこと」にしてしまう。そういうことの繰り返しだから。おなじなんだよ。自分がやりたいことを邪魔されたときとおなじ反応が返ってくる。で、本人が怒っちゃったら、「なんだってかんだって、そんなの関係がない」という気分になってしまう。で、本当に「関係がないつもり」でいられる。どれだけ自分がやったことでも、関係がないことになっている。まるで、自分がやったことじゃないことについて、責任をとれと言われているような気分になってしまうのである。本当は、自分が!(兄貴が!)血相を変えて押し通したことなのに。意地になってやったことなのに、本人が、怒ってしまったら、もう、それで、ほんとーーーーに関係がないことになっているんだよ。で、そう思ったら、もう、二階に行って、ヘビメタをがんがん鳴らしても、なんとも思わないわけ。いまさっきまで、ヘビメタのことでもめてた」「ヘビメタを鳴らすなと言ってきた人がいる」ということが、もう、わからない状態になっている。言われなかったから、やっているだけで、そんなのは知らない」という状態になっている。そういうことの繰り返しなんだよ。きちがい兄貴が気がついてないのは、重症だからだろ。親父とおなじなんだよ。親父とまったくおなじことをしている。親父とまったくおなじ態度でおなじことをしている。おなじプロセスで、おなじことをしている。全部、これ、プロセスがおなじだから。……で、こういうことになっているのだけど、本人がまずわからない。やっている本人は、台風の目のような感じで、まったく関係がないつもりなんだよ。自分がやっていることで迷惑をかけているのに。きちがい兄貴が、こだわるから、そうなっているのに、まったく自分が関係ないつもりでいる。で、どれだけもめてももめても、「関係がある感じ」というのがしないんだよね。本人は、正真正銘、本当に関係があると思ってない。だから、何万回、何十万回繰り返しても、おなじなわけ。で、親父もそうなんだけど、兄貴もそうなんだよ。頑固にそう。

というわけで、あの道を歩いているときは、なんて言うのかな? ……そのまま!!ヘビメタ騒音のことを思い出す。ヘビメタ騒音で高校に落ちていて、まだ願書を配っている高校を探して、願書をもらいに行くときの、激しく憂鬱なあせった気持ちと、おなじになる。俺がそうやって、あせっていたときですら、きちがい兄貴は、無慈悲に六時間鳴らせるなら六時間、全部きっかり、ヘビメタを最大限の音で鳴らして、一分も、ヘッドホンをして静かにしてくれなかった。これが、現実だ。

というわけで、あの道を不安な気持ちで疾走していたときのことを、思い出す。特に冬は……。特に、雪の日は……。雪が降ってないけど、寒くなってくる頃の早朝だと、入試の前の雰囲気を思い出してしまうのである。で、「ヘビメタソウオンデジンセイガナイ!」「ヘビメタソウオンガナッテタ」と、声に出して言ってしまったわけだけど、ちょうどその時、隣の人が出てきた。で、この隣の人は、今日、はじめて会った人だ。もう、十数年以上隣に住んでいるはずなのに、今日、はじめて会った。

で、俺が「ヘビメタソウオンデジンセイガナイ!」「ヘビメタソウオンガナッテタ」と言ったの聞こえたかな? と思った。聞こえてたらはずかしいな。まあ、軽く会釈をしておいたけど。

ヘビメタ騒音がなければ、六ヶ月しか続かなかったなら、俺が無職でいるということはない。良い隣人として、友好な関係を築けたであろう。

   *     *     *

俺がこのあと、この世で「のしていく」には、やはり、ヘビメタ騒音のことは「かくしておいたほうが」いいんだよ。新しい人間関係を築くときは、ヘビメタ騒音のことを隠しておいた方がいい。俺が、悪いことをしたわけではないのに、そういうことになる。ブログでもなるべく、明るいこと、希望がもてることを書いた方がいいわけだよ。けど、それじゃ、どうなる? それじゃ、俺はどうなる? それじゃ、俺の現実はどうなる? 俺の体験はどうなる? 俺がずっとこの世で経験してたことはどうなる? 俺がこの世で毎日毎日、経験した事実はどうなる?

ブログや本ぐらいは、事実を書いておかなきゃ、俺の声が俺の耳に届かなくなってしまう。嘘で塗り固められた現実になってしまう。いや、嘘で塗り固められた自己表現になってしまう。相手に与える情報が、嘘。自分が信じていないものを、あたかも、信じているように振る舞わなければならなくなる。自分が、「これは、ぬけている」「これは、真実ではない」と思うものを褒めなければならなくなる。

とも、思うけど、なんていうのかな? ヘビメタ騒音のことはほうっておいて、……ブログと小説だけにしておいて、別のことで社会とつながった方がいいというのは、あるんだよ。

これがなんか、障害なんだよ。言いがたい障害を隠して人とつきあっているような感じがする。事実、そうだ。まあ、ヘビメタ騒音のことなんて、他の人にはどうでもいいことなんだけどね。けど、もぼくが勤めたら、たとえば、「時間通りに起きることができない」ということは、どうでもいいことではなくなる。関わっている人にとってどうでもいいことじゃなくなる。関わっている人は、特に、管理側に回る人は、「時間通りに来てくれなければ困る」わけだから。遅刻に関しては極一例で、もう、やまほど、そういうことが発生する。細かいところで、そういうことが発生する。


2016年11月2日水曜日

この雰囲気

俺はいったいなにをしているんだろう。

まだ、部屋が全然片付いてない。

あ~、つまんない。

   *     *     *

つまらないな。こんなんじゃいけない。ほんとうにつまらない。


   *     *     *

あー、ヘビメタ騒音で人生がない。本当に楽しくない。ヘビメタ騒音生活の延長線上を生きている。鳴ってなかったらこんなんじゃない。こんな状態で、家に閉じこもっていやしない。まあ、ヘビメタ騒音が鳴ってから、外に出ても、ぜんぜんおもしろくないんだけどな。人付き合いも、くるしいものになってしまった。

ともかく、ぜんぜん楽しくない。どうにかして、たのしくなりたい。たのしくなりたい。たのしくなりたい。……。もう、やっぱ、ダメか。どれだけ自分を鼓舞しても、楽しくないから楽しくない。

「鳴らさないでくれ」と言われたら、頑固に鳴らして、鳴らしたことを認めないという状態になる

ひとつひとつのこの感覚が無理なんだよな。これ、ヘビメタ騒音が一〇年間続いたときの、感覚だ。やっぱり、外に出ていって、わらうのは無理。無理矢理笑うこともできるけど、それは、無理なんだよね。気の合った友達といても、あせっている。これは気を遣っているわけではなくて、あまりにも親しい人と一緒にいるから、素の自分が出てしまう。素の自分は、ヘビメタ騒音で不安な自分なんだよ。きちがい兄貴は、もう、きちがい親父のように、やると決めたらやると言った感じで、一切合切を無視して鳴らしてた。ゆずるとしても、一万分の一なのである。一万分の一でもゆずってやったら、それは、ものすっっっっごいことで、感謝されるようなことなのだ。けど、その一万分の一の譲歩というのは、相手にとっては、屈辱的な譲歩で、まったく意味がない譲歩なんだよ。で、譲歩したつもりになっているほうは、どれだけ何万回、激しく、「意味がないからやめてくれ」ということを言われても、耳に入らない。これも、ごく自然に耳に入らないようにできていて? 一切合切、耳に入らない。耳に入らないと言うよりも、無視する。頑固に無視する。耳元で、何万回言われても、目を三角にして、体中を真っ赤にしてひとことも口を利かないで無視する。たいていの場合は、無視している状態が本人にわかるのだけど、きちがい親父ときちがい兄貴の場合は、ごく自然にそうして、別に無視している状態がわかっているわけではない。普通なら、なんだろうが無視、と決めて、がんばって無視するのだけど、きちがい親父ときちがい兄貴の場合は、無視をすると決めて無視したわけじゃなくて、ごく自然にそうなって、自分が無視をしていると言うことに気がつかないというタイプだ。「無視をすると決めて」に関しては、おまえが言っていることは矛盾しているじゃないかと思うかもしれないけど、無意識的領域のごくごく、深いところで、無意識的に無視して認めないわけだから、意識的には、「そうおもってない」状態が続く。意識的には「無視しようと思って無視しているわけではない」状態なのだ。けど、耳元で何万回怒鳴られても、頑固に無視して、自分がやりたいことをやってしまう。親父の場合は、あぶらあせをかく。兄貴は、あぶらあせはかかなかった感じだけど、ひきつって、発狂状態であることはかわりがない。「とめられたら」「発狂して」やっちゃうのである。けど、やったつもりがない。やったつもりがしょうじない。一度そうなったら、そのあとやったことというのは「やってない」ことになってしまう。これも、「やってないのとおなじこと」ということだ。これも、難しいんだよな。説明をするのは難しい。ともかく、うちでなら、どれだけ鳴らしたっていいというきちがい兄貴側の無意識があって、どれだけ言われても、気にしないで、鳴らした。起こって鳴らすのである。発狂して鳴らす。で、発狂したあと何時間鳴らしても、鳴らしたことになってない。「鳴らした」といこうとが、都合が悪いことになれば、「そんなんじゃない」と言い出す。兄貴の場合、うちに住んでいるあいだは、どれだけ言われても……どれだけうちのひとに追及されても……まったく都合が悪いことにならなかったので……「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」と始まるのが、遅かった。要するに結婚して、嫁さんの家に住んで、それで、俺から、手紙をもらって、嫁さんが「弟さんが言っていることは本当なの?」と聞いたときが、兄貴にとって、本当に都合が悪いときで、その時に、「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」というのがはじまる。たとえば、うちで鳴らしているときに、お母さんに「静かにしてあげて」と言われたら、それは、きちがい兄貴にとって、都合が悪いことではあるんだよ。けど、「よそ」の人に言われるのと「うち」の人に言われるのとでは、完全に違う。兄貴のなかで、完全に意味合いが違う。で、これも、催眠術にかかったように、そうなっていて!!! すでにそうなっていて、態度の違いなんてものには、きちがい兄貴は、一生気がつかない。「うち」の人に言われた場合は、怒って、無視して鳴らし続けておしまいなのである。よその家では、そもそも、鳴らせないから、「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」と発言する。うちにいるときは、そういう発言すらしないで、一五年間毎日、頑固に無視して鳴らしていたのである。言われたら、すねて、怒って、無言のまま鳴らしていた。これが、きちがい兄貴の毎日の態度だ。俺に言われても、気にしないで鳴らしていたけど、お母さんに言われると、不愉快になるんだよ。で、怒って鳴らす。俺に言われた場合も、本当に静かにさせられる」ということがわかっている場合(伝わっている場合は)怒る。顔を真っ赤にして怒って、エレキギターにしがみついて、きちがい親父のように鳴らす。きちがい親父がスコップを持っていて、それで、穴を掘ったとするだろ。その場合、親父にとって言われたくないことは、「そんなところに穴を掘らないで」と言うことだ。で、お母さんや、うちの人が、「そんなところに穴を掘らないでくれ」と言ったらどうなるかというと、あぶらあせをかいて、がちがち掘るんだよ。顔を真っ赤にして、からだを真っ赤にして、せかされるように、掘る。で、あれも、「聞こえてない状態なんだよ」。けど、本当は、聞こえたから、そういうスイッチが入っているわけ。やめたくないから、無視して、穴を掘る。で、「迷惑だからやめてくれ」と言った相手に、「どうだ、すごいだろ。うまく掘れただろ」「ほめろよ」みたいなことを言ってくる。で、言われた方は、なんとも言えない不愉快な気持ちになるんだよね。けど、親父がそう思ってやったら、止めることができないんだよ。これも、うちの伝統。で、兄貴はそれに、困り果てていたんだよ。けど、兄貴がヘビメタでやっていることは、親父のコピーなんだよ。「やめてくれ」と言われたら、絶対の意地でやって、言われたということを無視する。で、これが、性格としてそうなっている状態だから、全部に及ぶんだよ。だから、きちがいヘビメタをやっている限り、「鳴らさないでくれ」と言われたら、頑固に鳴らして、鳴らしたことを認めないという状態になる。認識になる。

本人にとっては、それであたりまえ、で、なにも反省しないんだよ。「やめろ」と言われたことを、やり通したという認知がない。「やめてくれ」と相手が言ってきたのは、相手が困っているからなんだけど、相手が困って言ってきた、あるいは、相手が(自分がやっていることで)困っているということは、その時、一〇回二〇回、怒鳴られても、……つまり、はっきりとでかい声で言われても……ぜーーーんぜん、わからない。だから、「鳴らさないでくれ」と言われた後、一〇時間鳴らしたとしても、言われた後、無視して一〇時間も鳴らしたということがわかってない状態なのである。だから、本人は、相手になにもしたつもりがない※まま※なのである。

本当にどれだけか!!!
本当にどれだけか!!!
本当にどれだけか!!!

「つもりがない」とか「知らなかった」というのは、そういう内容だから。文字通りに、「つもりがない」とか「知らなかった」ということではない。無視して頑固に、自分がやりたいことを、押し通したということだ。うちの連中にとっては、そうなのである。これ、翻訳してやらない、他の人にわからない。
だから、「そんなのは、静かにしてといえばいい」「やめてくれと言えばいい」などと、他の人から、ぼくが言われることになる。いまだってそうなんだよ。「お兄さんと話し合えばいい」などと言われてしまう。いま書いたような歴史が一五年もあるのだから、そういうわけにはいかない。話し合って、解決するなら、一日目に、解決しているんだよ。


こういうのも、本当に嫌になる!!!
こういうのも、本当に嫌になる!!!
こういうのも、本当に嫌になる!!!

それで俺が「愚痴っぽい」とか言われなければならなくなる。こんなやつが隣に住んでいて、きちがい的な意地で、きちがい的な態度で頑固に、何時間も何時間も鳴らし続けたら、愚痴のひとつだって言いたくなる。で、それを、俺は、耐えてきたんだ。何年間も何年間も、何千日も連続して耐えてきたんだ。

これは、構造的には「遅刻すんな」「宿題やってこい」とおなじだ。全部、それだから。会話が成立しないきちがいが、横の部屋に住んでいて、頑固にヘビメタを鳴らすということが、どれだけ俺を、追い込むかわかるか? きちがい兄貴!!!
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。