2016年10月11日火曜日

ああいう暮らしを六年間してみろ。どこにも通えない人になるから

まあ、正直言うとつらいわけよ。あ~~、本当にヘビメタ騒音がつらかった。これ、俺だけの話で、他の人とは共有できない話しなんだよね。戦争がつらかったとか、地震でつらかったとかそういう話しじゃない。で、これが、一度の話しじゃなくて、ずっと続いているというのがつらい。たとえば、六ヶ月で本当に鳴り止んでくれたらな。きちがい兄貴のことを、きちがいみたいに書いているけど、本当は、単純に鳴らしたかったから、鳴らしたんだよ。きちがい兄貴は、鳴らしたかったから、鳴らした。それだけなんだよ。自分が鳴らしたい音で鳴らしたかった。それだけ。やめることは考えてなかったわけ。ヘッドホンをすることは考えていなかったわけ。どうしてかというと、「自分が鳴らしたい音で鳴らしたい」というこだわりが、他の人に対する配慮をこえていたから。「うち」である限り、「他の人」に対する配慮というのは、根本的にゼロにちかいほどない。絶対にやって良いことをやっているつもりでいる。「よそ」の人には気を遣うけど「うち」の人には気を遣わなくていい。そういう思い込みだけだ。だから、本人はまったく悪いことをしたつもりがない。どれだけやってもあたりまえだ思っていて、その思い込みが、とれない。ものすごく強い思い込みでとれない。自分が鳴らしたい音というのは、決まっていて、それ以外の音にするつもりはないわけ。要するに、ヘッドホンをしてしまうと、ヘッドホンでどれだけでかい音で鳴らしても、「自分が鳴らしたい音」ではないわけ。で、「自分が鳴らしたい音」とちょっとでも違うだめなわけ。だから、「自分が鳴らしたい音」以外の音では鳴らさなかった。きちがい兄貴が……最大限!!!最大限!!!最大限!!!最大限!!!最大限!!!……ゆずって、ゆずってゆずって、ゆずってゆずって、ゆずってやった音も「自分が鳴らしたい音」からはずれ音じゃないんだよ。だから、きちがい的などけちぶりを発揮する。音量でいえば、一〇〇の音量から、九九・九九ぐらいの音に落としてやっただけで、ものすごくゆずってやったつもりになる。そういうことを、一日に五分やってやれば、もう、一日中鳴らさないで静かにしてやったのとおなじぐらいに静かにしてやったと思ってしまう。これは、本当に自動思考で、考えるまでもなくそう感じてしまう。で、その感じ方は絶対的で、「こっち」がなにを言っても、変わらないんだよ。だから、きちがい兄貴は、入学試験の冬休みに、一日に一四時間鳴らせるなら、一四時間、「自分が鳴らしたい音」で鳴らして、「ものすごく静かにしてやった」「あり得ないぐらい、ゆずってやった」「全部静かにしてやった」と思っている状態なんだよ。で、一四時間のうち、一〇回、二〇回、「もうすぐ入試だからやめてくれ」と、こっちが、言っても、なにも感じないわけ。「静かにしてやった」「静かにしてやったのに、あとからあとから、がたがたうるさい」と思うわけ。うるさくしているやつなのに、「がたがた、言ってきてうるさい」ぐらいにしか感じない。もう、自分は十分に静かにしてやっているのだから、静かにしてやる必要がない。「がたがた言ってくる方が悪い」としか思えない。で、本当にそういう病気。そういう催眠術にかかっている。入試の時ですらそうなのだから、他の日は、当然、ずっと鳴らしている。なんと思ってない。で、きちがい兄貴はそうなんだけど、こっちは、……あのときの破滅感がずっと残っている。きちがい兄貴の「うちでの」頑固さや「感じ方」がわからない人にとっては、「そんなの、言えば静かにしてくれるだろ」ぐらいの、単純で浅い問題なわけ。「なに、ずっとぐちぐち言っているんだよ」と思うわけ。けど、頑固さが違うんだよね。で、もうひとり、きちがい兄貴の「うちでの」頑固さや「感じ方」がわからない人がいて、それが、兄貴自身なんだよ。これも、他の人にはわからないことなんだろうけど、事実そうなんだよ。そして、たぶん、これも、兄貴自身がわかってない。自分がこだわってこだわって、やったことなのに、完全に「他人事」であるわけ。で、それは、やっているときから、そういう感じなんだよ。だから、いまだに、「自分には言い分がある」みたいなことを言っている。じゃあ、一日に何時間鳴らさないで静かにしてくれたんだ?と言われると、答えられない。むすーーっとして、黙りこくるだけ。俺から、「いま住んでいるところで、鳴らせるなら鳴らしてみろ」と言われても、一日に一分も鳴らさない。鳴らせる音じゃないから鳴らせない。嫁さんに聞かれるとまずいから、鳴らせない。嫁さんや嫁さんの家族に迷惑をかけると悪いから……一日に一分だって、当時、鳴らしていた音で鳴らせない。だから、本当は、自分の音がはた迷惑なほど、うるさい音だということを知っている。「よその人には」一分もできない……そういうことを、毎日、全部の時間やっていた……可能なすべての時間を使って鳴らしていた……ということが、根本のところでわかってない。「うち」で起こったことに関しては、当時の感覚のままなのである。全部が全部、そういうことだから……。で、基本的に嘘つきなので、「弟さんが言っていることは本当なの?」と聞かれると、「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」と答える。「そんなに鳴らしてない」「そんなでかい音じゃない」と答える。じゃあ、当時鳴らしていた音で鳴らしてみろと言われると、できないんだよ。一年間で一分も鳴らせない。自分がこだわりつくして鳴らしていた音が、どれだけはた迷惑な音か、本当は知っている。けど、自分にとって都合が悪いことを言われたら、怒って、顔を真っ赤にして、ムスーーっとして、なにも答えないんだよ。不機嫌な状態になって、黙りこくる。で、自分の寝室に行ってしまう。で、寝たら、もう、そういう「話し合いがあった」ということを忘れてしまう。で、毎日おなじなんだよ。いまは、鳴らしてない状態だから、問題はないけど、鳴らしている状態でも、そうなんだよ。毎日毎日、すべての可能な時間、自分が鳴らしているときも、おなじ。いま住んでいるところで鳴らしてないから、そういう、性格があんまり問題にならないだけ。鳴らしてないわけだから……自分にとって不都合なことを言われたら、黙りこくって、自分の部屋に入って寝てしまう……ということは、それほど問題にならない。けど、毎日、頑固に鳴らしている状態で……そういう性格があらわれると、問題が発生する。よそじゃ一年間で一分も鳴らせないような、でかい音で鳴らしているのに、「鳴らさないで静かにしてくれ」ということを言われると、黙りこくって、自分の部屋に入って、ドカドカ鳴らしてしまうから、問題が発生する。で、「鳴らさないで静かにしてくれ」と言われて!!!腹を立てて鳴らしているとき、「まったく鳴らしてない」つもりなんだよ。こういう、きちがい的なところがある。「鳴らさないで静かにしてくれ」と注意されたあと、自分の部屋に入って、一時間、どかどかでかい音で鳴らしたら、一時間でかい音で鳴らしたということを認識しているべきなのに、注意されたあと一時間でかい音で鳴らしているにもかかわらず、注意されたあと、自分は鳴らしてないと思っている状態が成立してしまう。そういうところがある。これが、二時間でも、一〇時間でも、おなじなんだよ。注意されたあと、一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、八時間、九時間、一〇時間と、……入学試験の三日前に鳴らしても、……本人の主観としては、注意されたあと、まったく鳴らさなかったのとおなじなのである。注意されて、むすっとしたあと、黙りこくったまま、二階の自分の部屋に入って、普段通りに鳴らしても、鳴らしたつもりが生じない。注意されて怒ったあと、普段通りに鳴らしているのに、「がまんしてやった」と思っている。一〇時間鳴らすのと、まったく鳴らさないのとでは、ものすごい違いがあるのに、きちがい兄貴のなかでは、両者はおなじことなのだ。だから、「しずかにてやった」と思っている。入学試験の前に、注意されたあと、一〇時間も鳴らして!!!……こだわりつくしたでかい音で鳴らして……静かにしてやったと思っている……これがきちがい兄貴なんだよ。きちがい兄貴の毎日なんだよ。きちがい兄貴の毎日の感覚なんだよ。それが、一四年間続いて、本当に困った。これ、最初の六年間でおしまいだから。六年間毎日で、俺がどれだけがんばっても、おしまいだから、最初の六年間毎日で、俺が、どれだけがんばっても、無職にならざるを得ない状態になる。働けないし、進学もできない。普通の「通勤通学」ができない。どれだけどれだけ、がんばっても、通勤通学ができない状態になる。理由を知らない他の人から見れば、ぼくが、勝手にサボって、勝手に引きこもっているように見える。もう、全部そうだよ。ああいう暮らしを六年間してみろ。どこにも通えない人になるから。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。