2016年10月13日木曜日

思いやりのある人なら、生まれながらの差というものを無視したりしない

(注意)セミナーとか集まりをすべて否定しているわけではありません。いいひとのセミナーはいいし、わるい人のセミナーはわるいでしょう。ようするに、人による!! なんか、誤解されている感じがするけど、アマゾンアンリミテッドで、女の人の本を読んだときに感じたことです。

それからここで言っている「セミナー商法」というのはアフィリエイト系のセミナー商法が根底にあります。

たとえば、底辺労働をしている人が、職場で社長のふりをしていると社長になれますか? なれるのであればいいけど、なれないのであれば、むだな行動になってしまう。というか、職場で社長じゃないのにあたかも社長のようなふりをしたら、きらわれるでしょ。「なんだあいつ」と思われる可能性が高いでしょう。

けど、なんていうのかな? 人間というのは、「げんをかつぐ」といのがある。だから、行動を起こすときにお守りが必要だというのであれば、別に、お守りの効果は否定しない。そういうことなんだけど、わかってくれるかな。

まわるかどうか、というのは重要だし、この世は、なんていうのかな?まわしたもの勝ちみたいなところがある。善人が苦汁をなめて死んでいき、悪人がいい思いをしてしあわせに生きるということもある。一代限りだと、そういうことが言えてしまう。そりゃ、たましいというのものを想定して、生まれ変わりを想定すると、最終的にはバランスがとれるということを言えるのだけど。


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けど、やっぱり、神様はいじわるだな。俺にこんな家族、こんな無理ゲーを押し付けやがって。あの気持ちは、ない。きちがい兄貴のヘビメタにさらされているときの、あの気持ちはない。明日、自分にとって大切な試験があるという日、一分も静かにしてくれなかったからな。きちがい兄貴よ。何回言ったと思っているんだよ??

倒錯理論について、ちょっと説明をしておく。これはもう、説明したことなんだけど、もうちょっとわかりやすく説明したい。

問題なのは、貧乏だから「貧相」になったのではなく、「貧相」だから、貧乏になったのだと言う考え方だ。「貧相」じゃなくても、たとえば、「貧乏になる考え方」でもいい。

彼ら曰く。「貧乏だから、貧乏になる考え方をしているのではなく、貧乏になる考え方をしているから貧乏になったのだ」。こういうことを言う人たちがいる。で、こういう人たちは、そろって、スピリチュアリズム系のことも言う。けど、彼らのなかにながれているのは、思いやりじゃない。貧乏になっている人を救いたいわけでもない。自分が、儲けたいだけだ。たとえ、幸運の長財布の説明がなくても、そういう説明をする人は、実は、相手のことを思ってない。もう、そういう考え方自体が相手のことを無視している。だから、これは、リトマス試験紙のように使える。

どういうことかというと、どういう家に生まれたか?ということを無視しているからだ。たとえば、「貧乏だから、貧乏になる考え方をしているのではなく、貧乏になる考え方をしているから貧乏になったのだ」ということを言う場合は、人生の最初の差を無視している。こういう無視が成り立っているということが問題なのだ。そして、その人のことを本当には思ってないということが、そこにあらわれている。こういう倒錯理論は、一見正しそうに見える。しかし、間違っている。お金持ちの家に生まれたか、それとも、お金がないうちに生まれたかというのは、ものすごく、大事な差だ。考え方以前の問題なのである。事実!!考え方以前の問題がある。そういう、大切な部分をないがしろにしている。そして、けっきょくは、「貧乏になる考え方をしている人」を責めている。この「貧乏になる考え方をしている人」というのは、けっきょくのところ「いま現在貧乏な人」なのだ。だから、困っている人を、さらに責めるということになる。「いまおまえが困っているのは、おまえの考え方が悪いからだ」……こういうことを言っているのである。

生まれたときに、差がある。ここを無視して、「考え方」が重要だという。これは、レトリック。生まれ育った環境を無視して、「考え方」だけを、問題にする。


わからなくてもわかっているふりをする。そうすると、わかるようになる……そんなことがありますか? 残念ながら、わかるように努力しないと、わかるようにはなりません。わかるという体験をしないと、わかるようにはなりません。

で、まあ、貧乏云々の話に戻します。生まれた家、子供時代、より高度な教育を受けられる環境……こういうことが、その人の人生に影響を与えているということを、最初から無視して、貧乏な人は、貧乏になるように考えたから悪いんだというようなことを言う人は、根本的に信頼できない。

思いやりのある人なら、生まれながらの差というものを無視したりしない。そういう無視が、どれだけ、無慈悲な無視であるか知っているから。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。