2017年12月31日日曜日

こういう瞬間もきちがいヘビメタがガンガン鳴ってたな!

なんかねぇ……昔のアイドルとか外人スターの水着写真集とか買いたくなっている。こういうのは「ムダ」なんだけど、なんか、なんとなくほしくなるときがある。なーーんとなく。



こういう瞬間もきちがいヘビメタがガンガン鳴ってたな!

どれだけ言ってもやめてくれなかった。一日に一分だってちゃんと静かにしてくれたことがない。足かけ一五年間毎日、ずっとそういう状態だ。頭にくる。



どれだけ「やめろ」「静かにしろ」と言っても(相手に直接言っても)……ずっーーーっと気違いの音が鳴っているのがぼくの日常だった。これはくるしい。他の人が考える以上に、くるしい。他の人はわからない。わからないのはしかたがないと思うけど、「過去は過去のことだから影響はない」と考えるのは間違っている。繰り返された過去は過去のことだから影響がある。まだ現実化されてない未来のことじゃなくて、過去にすでに起こったことだから影響がある。過去に起こらなかった出来事ではないから、影響がある。もちろん、可逆的なものと不可逆的なものがある。それは、人体においてそうだということだ。生物的な人体が影響を受ければ、影響が消えるもの以外は、影響が残る。

   *   *   *

いま現在のことに異常なこだわりを持っている人がいる。その人たちは異常な意地で、異常なこだわりで「過去」を無視する。どのような過去でも、過去の出来事が過去の出来事である限り、過去の出来事なのだから、(その過去の出来事は)現在に影響を与えるはずがないと強く信じ込んでいる人がいる。そういう人たちが、自分のことについてそう考えるのはまったく問題がない。どんどん、そうやって、過去を無視して、生きていけばいいでしょう。けど、他の人までそういう視線で判断するのは問題がある。他の人の過去までそういう考えで無視するのは、問題がある場合がある。

いま現在のことしか考えないというのは、聞こえはいいけど、本人にだけ適応してくれ。そういう考え方は本人にだけ適応すればいいんだよ。他人のことまで勝手に決めるな。

だいたい、現在というのはほんとうに瞬間で、その瞬間をすぎればすぐに「過去」のことになってしまうんだぞ。俺がいま、現在のことだけにこだわる人を、ボコボコになぐって、下半身不随にしたとしよう。その場合、なぐっている瞬間はなぐっている瞬間だけど、なぐっている瞬間をすぎれば、それは「過去」の出来事になってしまうんだぞ。なぐり終わった一秒後には、過去のことなんだよ。その時、なぐられていたかったとしても、過去のことなんだよ。一日過ぎたら、痛くても過去のことなんだよ。一年すぎたら、どれだけ後遺症が残っていても、過去のことなんだよ。いま、後遺症で「まるまるができない」という状態でいるのは過去の出来事が原因なんだよ。

本人人だけに適応すればいいと言ったのは、たとえば、俺になぐられて下半身不随になった人が、「過去のことは過去のことだから、いま現在(のこと)には関係がない」「いま現在のことに集中しよう」と思うのは、いいことだ。どんどんやってくれ。けど、だれもが、そうしなければならないということではないだろ。違うか?? だれもが、そうするべきで、そうしないのは、甘えだ、というわけではないだろ。だれもがそう考えるのがあたりまえで、そういうふうに考えない人は、「過去にこだわる異常な人だ」というわけではないだろ。

俺になぐられて、下半身不随になった人が、「過去のことは過去のことだから現在には影響を与えない」と考えて、俺のことについて一切合切考えないのであれば、それは、俺にとって都合がいいことだ。けど、他の人(Aさん)に、そういうことを他の人(Bさん)がいる場合、そのほかの人(Bさん)も、そういうふうに考えるべきだ(それが正しい)と言えるのかね?


2017年12月29日金曜日

「ゆずってやった」「ゆずってやった」「ゆずってやった」

とりあえず、ひげを剃った。



そして、シンクの掃除をやった。



そして、軽く洗濯をした。(あんまり量は多くないし、これから風呂に入るので、どのみち洗濯物は出る)







それにしても、午後三時とか、ヘビメタ騒音が鳴っている雰囲気がする。あとは、午後三時ではないけど、あそこのところを通るときに、彼奴が座っている感じがする。座っているときの記憶がある。その時は、こたつだったので、いまみたいなテーブルに椅子ではないのだけど、まあ、年末の午後七時一二分ありは、あそこの部屋に、気違い兄貴がいたわけだ。ふんぞりかえって座りやがって。どれだけ、冬休みのあいだヘビメタを一切合切鳴らすな」というとを言っても、気違い兄貴が無視して、聞かなかった。これ、気違い兄貴が、下の部屋にいる時間というのはめちゃくちゃに短い。ずっと、基地が兄貴の部屋で、ヘビメタを鳴らしている。エレキギターをかき鳴らしながら、でかい音でヘビメタを鳴らしている。エレキギターのアンプ付きスピーカーだって、めちゃくちゃにでかい音で鳴っていたわけで、ほんとうに、絶対に静かにしてくれなかった。兄貴が兄貴の部屋にいて、エレキギターをかき鳴らしているとき、どれだけ、「やめろ」と言っても、一分だってやめてくれたことがない。冬休み期間中は、朝の九時一五分から、夜の一一時一〇分まで鳴らすわけで、そのあいだ、静かな時間は、気違い兄貴が飯を食う時間と、風呂に入っている時間だけだ。風呂から出たらすぐに鳴らす。もう、毎日決まっていたわけで、やめさせることができなかった。フルに一〇〇%の時間「やるのがあたりまえ」で、中断して静かにしてやるなんていう時間は一分もなかった。風呂に入るときなど、自分がどうしてもヘビメタ道具の前から離れなければならないわずかな時間を抜かして、ずっと、毎日やっていた。だから、やっていたのに、いまになれば「静かにしてやった」だ。「そんなに鳴らしてない」とか言い出す。いまになればな!!

それは、よその人から「鳴らしていたのか?」と聞かれるからそういうふうに言っているだけで、気違い兄貴が、「うちにいたとき」どれだけ、話しかけても、首を縦に振らなかったんだよ。「静かにしてくれ」と言われて、ほんとうに静かにしたことが一分もない。

そういうあしかけ一五年間毎日なんだよ。一日だけ例外があるけど、その例外的な一日をのぞいて、ほんとうに、一日に一分も静かにしてくれなかったのが、気違い兄貴だ。毎日、一分だって、静かにしてやらなかったのが気違い兄貴だ。居間にいる……つまり下の部屋にいるわずかな時間……「やめてくれ」「静かにしてくれ」と話しかけたのに、一切合切口を利いてくれなかったのが、気違い兄貴だ。気違い親父とおなじように、目を三角にして無視だ。

自分にとって都合が悪いことを言われたら、腹を立てる。腹を立てて無視だ。それが、毎日の態度なんだよ。「知らなかった」とか、嘘だから。けど、気違いだから、「嘘をついているつもりがない」んだよな。それも親父とおなじなんだよ。

だから、本人は、本当に静かにしてやったつもりでいる。譲歩してやったつもりでいる。頭がおかしいからそういう基準で考えられる。ほんとうに自分が一分でも我慢しなければならないことを言われたら、目を三角にして、真っ赤な顔をして、一切合切口を利かなかったのが!!気違い兄貴だ。それに相違ないのである。

で、そういう毎日の記憶しかない。うちの記憶がそういう毎日の記憶でしかない。そういう毎日である以上、外に出ても、帰ったら鳴っている状態なのである。ぜんぜん、問題が解決しない。ヘビメタ騒音のなかで「外に出るしたくをして」ヘビメタ騒音が鳴っている中、ドアを開けて、外の門を開けて出ることになる。その時の、「ひきさかれんばかりの」の気持ちといったらない。ない。ない。

もう、切れている。で、いまも実は、外に出る支度をしているとき、そういう気持ちなのである。もう、一五年やられたら……若いときというか、小学生のころから一五年間毎日そういうことをやられたら、日常の光景に記憶がこびりついて消えない。そういう時の気分のまま生きている。気違い兄貴だって、いまだに、「否定している」んだぞ。やっているときの意地と否定しているときの意地がおなじ。

そういう意地でやってたんだよ」と言いたくなる。あとは、全部無視だからな。自分が無視してやったことは、どれだけやったってやったことにならないんだよ。一分もやったことにならないんだよ。いつも!!!そういうモードでやっている。一日中そういうモードなんだよ。だから、一日中そういうモードでやっている。

だから、一日中そういうモードでやったことは……意地になって意地になってやったことは、……実はまったくやったことじゃないということになっている。都合良く!! もちろん、記憶喪失とか認知症じゃないんだよ。けど、自分外字になってやったことは、やったと認めない。それはおなじしくみが成り立っているからずっと否定することになる。認められないということになる。やっているときは、一日中、そういうモードでやってたんだよ。ようするに、否定モードでやっていた。

だから、おなじなんだよ。やっているときのモードと否定しているときのモードがおなじ。全部おなじ。全部おなじしくみ。全部おなじ態度。

だから、どこまで行っても終わらない。これは、気違い親父がやり出したことなんだよ。だから、うちでは!!!それであたりまえだった。うちでは「気違いが意地を通せば、それで、ずっとやっていてもいい」ということになっていた。気違いにとってみれば、絶対にゆずらないで押し通すけど、それは同時に「やったってやってないこと」だから気にしなくていいことであり、実際に気にならない。

そして、気違いが否定すれば、どれだけやったって、……毎日、どれだけやったって……やってないことになってしまう。本人が「やってないつもりでやれば」どれだけやったってやってないのとおなじなのである。本人にとっては。

だから、まったくなにも悪いと思ってないんだよ。じゃあ、やっているときに「やめてくれ」と言われたら相手がいやがっているということがわかって、やめてやるのかといったら、それは、もう絶対にない。一秒だってない。

そこで、「ゆずる」ということは、絶対にないんだよ。けど、本人は、「ゆずってくれなかった」と後で言われたらその途端に、「ゆずってやった」「ゆずってやった」「ゆずってやった」と言い出す。その時はそのときで「ゆずってやったつもりになってまう」のである。「ゆずりかた」が「気違い」なんだよ。あんなの、意地悪でしかない。

2017年12月27日水曜日

気違い兄貴がヘビメタに凝ったということが俺の人生に与えた影響がでかすぎる


掃除はしてない。からだがだるくて掃除どころじゃない。なんて言うのかな?動ける時間が少ない。それにしても、ヘビメタが俺に与えた影響がデカイ。気違い兄貴がヘビメタに凝ったということが俺の人生に与えた影響がでかすぎる。気違い兄貴がヘビメタに凝ったということが気違い兄貴の人生に与えた影響の一〇〇〇倍ぐらいでかい影響を与えている。

   *   *   *


今日の夜はまずかったな。まあ、昨日の夜といったほうがわかりやすいか。けど、時間的には今日なんだよな。午前三時ぐらい、やばかった。ほんとうにやばかった。あー復活できて良かった。

買い物に行けるなら買い物に行った方がいいな。けど、これも、行きたくないときは、行きたくないんだよね。特に寒かったり暑かったりすると……。夏も冬もあんまり、外に出たくない。出るとしたら、早朝だな。夜も、雰囲気が良くないんだよな。ヘビメタ騒音で闇の中を疾走しているような感じになっちゃうからな。

2017年12月25日月曜日

悪いと思わなくてすむ状態

風呂に入った。ヘビメタ騒音のことで腹を立てているので、あんまりいい風呂とは言えなかった。言えない。


これからどうするかまよっている。昨日は、なんとなく、みじめな気持ちになって、泣きそうになった。ヘビメタ騒音ヘビメタ騒音ヘビメタ騒音ヘビメタ騒音……ほんとうヘビメタ騒音。ヘビメタ騒音がすべてを破壊した。どうしてぼくがこんなみじめな思いをしなければならないのか? やはり、おかしい。これ、おなじことをやられたら、だれもが、働けなくなって、だれもが、さみしいおもいをするとおもう。ヘビメタ騒音には人とうまくいかなくなるコードが含まれている。あんなのやられて、いいわけがない。あんなの、一〇年以上毎日やられていいわけがない。一〇年間ほんとうに、気違い兄貴は、午後一一時一一分まで、一分だってゆずらないで鳴らし続けた。「うちでは!」な。これ、よそのうち」だと一分も鳴らさないんだよ。正確に言えば「鳴らせない」。よそじゃ、一分だって鳴らせないようなでかい音で、うちでは、午後一一時一一分まで、だれだがなにを言おうとも、親父の意地で鳴らし続けた。あれ、親父とおなじだから。頑固に一〇〇%やりきって、「しったことじゃない」んだよ。時部が頑固にやっているということを、やっているあいだ認めない。認めないし、ほんとうに「やってないのとおなじ気分」なのである。「ゆずってやったのとおなじ気分で」すべての時間、頑固に鳴らす。で、たとえば、一日に八時間鳴らせるときは、かならず、八時間鳴らして、一分だってゆずってくれないのに、八時間、全部鳴らしてないのとおなじ気分なんだよ。気分としては!! 言われたら、頑固に怒って、しがみついて鳴らす。怒ったら、怒った瞬間に、忘れてしまう。相手が言ったことを忘れてしまう。相手が言ってきたと言うことを忘れてしまう。「やめろ」と言われたら、発狂して、頑固にやり切るのである。それが、一日に何十回あっても、一回一回「きれている」から、一回もそんなことはなかった」という気分で鳴らすのである。鳴らし続けるのである。で、そういうことが「とおるなら」そりゃ、自分の天下で、「とおす」。けど、通してやったのにやったという認識がない状態なのである。だから、恩着せがましく、静かにしてやったと思って、爆音で八時間鳴らし切って、「なにもしなかった」気分でいる。一三時間鳴らせるなら、カオ君という兄貴の友達が「家族の人だいじょうぶなの」と心配になるような大きな音で、一三時間、絶対の意地で鳴らし続けるのである。「明日テストだからやめてくれ」と二〇回三〇回怒鳴り込まれても、一回一回切れているから、「なにも言われなかった」と感じてしまうのである。だから、「おおいばり」で鳴らしている。一一時一二分になって、自分がヘビメタを鳴らすのをやめたら、もう、一切合切やったつもりがない状態になっている。「そんなの、自分がやったことじゃないからしーらない」という気分になっている。やっている最中に、どれだけ言ってもやめてくれないけど、やり終わったあとに「明日は静かにしてくれ」なんて言っても、まるでムダなのである。本人は、まったく関係がないつもりでいるから。本人……兄貴にしてみれば、そんなのやってないのに、なに言ってんだこいつは」みたいな気分になってしまうのである。そのくらいに、「関係がない」のである。ほんとうは自分が頑固にやったことなのに、一〇〇%やりきることかができれば「そんなのは、やってない」ことになってしまうのである。やり終わった途端に、「自分が関係がないことについて、小言を言われた」という気持ちになってしまう。いままで鳴らしていたけど、明日は鳴らさないでくれ」と頼まれたって、自分が関係しているつもりが一切合切わかない。「鳴らしてないのに、こいつはなにを言ってんだ」というような気分にしかならない。これは、親父が使えないハンダゴテを……兄貴に押しつけておいて……絶対の意地で押しつけておいて……次の日、兄貴に「このハンダゴテはやっぱり使えなかった」と言われても、「こいつは、なにを言っているんだ」というような気持ちにしかならないのとおなじなのである。ほんとうに、これ、「ふつうのいえ」ですごした人にはわからないとおもうけど、ほんとうにそういうところがあるんだよ。あれだけ意地になって押しつけたのに、「押しつけた」ということを「わすれてしまう」。認知症じゃないんだよ。けど、押しつけた途端に、自分には関係がないことになってしまうんだよ。相手の言い分なんてまったく認めないで、頑固に正反対のことを言って、頑固におつけて、その場面を切り抜けたら、切り抜けた途端に、「やってない」という気持ちになってしまう。気違い兄貴は、この親父のやり方を、「ヘビメタ騒音」に応用して、鳴らし続けたんだよ。そういう状態だと……そういう認知が常に成り立つ状態だと……どれだけなにを言われても、悪気なく、自分がやりたいことを押し通すことができるんだよ。気違い兄貴にとって、最高に都合がいい状態なんだよ。そういう最高に自分にとって都合がいい状態を、自分から放棄するわけがない。気違い認識回路を搭載しているから、まったく「りょうしんのかしゃく」がないまま、好きなことをすることができるのである。ほんとうはやっちゃいけないことでも……。ほんとうはやっちゃいけないことだということは、気違い兄貴はわかっている。それがわかったのは、一五年後だから、その当時の気違い兄貴がわかっているかどうかわからなかったけど、ほんとうはわかっている。無意識的には、やっちゃいけないことだ」ということがわかっているのである。無意識的には「大きすぎる音だ」「迷惑な音だ」ということがわかっているのである。うちでは、どれだけやっても認めなかったことなのだけど……うちでは、どれだけ言われても認めなかったことなのだけど……。うちでは、どれだけ明確に言われたって、認めなかったことだ。そして、認めなかったといこうとも認めないのである。認めないとき、実は、悪気がある状態で悪いことをやっているのである。気違い的な意地でまったくゆずらずに一〇〇%押し通してやっている。けど、悪いと思わなくてすむ状態なのである。つねに一〇〇%押し通してやるけど、つねに「まったくやってない」と思っている状態なのである。これ、ほんとうにこまる。ほんとうは、意地悪をしてやるつもりがなければ絶対にできないことを、まったくなにも気にしないでやりきるんだよなーもちろん、「意地悪をしているつもり」なんていうのは、一切合切しょうじない。ほんとうは「しょうじるべき」なんだけど、どれだけやっても、「意地悪をしている気持ち」なんてさらさらないのである。けど、ほんとうは、知ってって……無意識的には知っていてやっていることなので、意地悪をしていることになる。意地悪なんてなまやさしいものじゃない。ほんとうに、人の生活を粉砕しやがって。

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あと、はっきり言ってとなりの犬がうるさすぎ。今朝から、何回も不愉快な気持ちになった。やっぱり、ヘビメタ騒音のことがあると、犬の騒音も頭にくるなぁ。残るんだよね。一〇分吠えられると、一〇分以降も「腹が立った気持ち」が残る。これも、きちがいヘビメタがなければこんなには腹が立たない。ヘビメタ騒音がはじまる前も、犬が吠えていたけど、静かになれば、気にならなかった。そりゃ、吠えている最中は「うっさいな」と思うけど。その当時、吠えていた犬は、いま吠えている犬じゃない。けど、隣の家はずっと犬を飼っている。だから、吠えてた。

気違いヘビメタ騒音に毎日やられて、人生がない状態だと、どうしても「なんでおれだけ」という気分になる。これは、けっこうでかい。なにをやるときもそういう気分がある。

あとは、きちがいヘビメタで毎日、いつも、ひきつっている状態になる。とてつもなく不利なところで、急いでいる状態になる。そりゃ、ヘビメタ騒音が午後一一時一一分まで鳴ると眠れなくなるから。「急いでいる人はけわしい顔をしている」というところに書いたことはヒトゴトだけど、ヘビメタ騒音の日々は、毎日ああいう状態だ。くるしい。いまだって、決まった時間にどこかに(毎日)行かなければならないということになったら、そういう状態になる。たぶんね。

ヘビメタ騒音が鳴っていると、次から次へと不愉快なこと、不幸なことがしょうじる。気違い兄貴が、いま住んでいるところで静かにするように、一日中、静かにしてくれなければ、不可避的にトラブルが生じるのである。これ、俺の頭にも建前が浮かぶけど、ほんとうにそういうことになる。

2017年12月23日土曜日

じゃあ、気違い兄貴が一四年以上にわたって、ぼくに毎日してきたことはどうなるんだよ?

にしても、つまらないな。

このつまらない気持ちをどうしたらいいんだよ。
気違い兄貴。

土曜日の午後三時〇〇分。きちがいヘビメタがけたたましい音で鳴ってたな。あれで、どれだけ俺がくるしい思いをしたかわかっているのか? わかっていないんだろうな。気違い兄貴の姿は、怒っているときの気違い親父の姿とおなじだから。気違い兄貴の「いいぶん」は、お濃っいてるときの気違い親父の「いいぶん」とおなじだから。

これ、ほんとうにひどいんだよな。ぜーーーーーーーぇったいの意地で鳴らして、ぜぇーーーぇったいに静かにしてくれないのに、「静かにしてやった」「うるさくしてない」と思っている。そういう気違い的な嘘を平気でつける。こんなのほんとうに「やりがち」だからな。頑固にやって、頑固にやっているということを認めない。そして、やりきる。やりきったら、ほんとうに「やってない」と思うことができる。毎日、午後一一時一一分にリセットして、毎日おなじことをやっているから、一四年と四ヶ月やっても……毎日一四年以上やっても……まったくやったつもりがしょうじない。こういうでたらめが、成り立ってしまう。「うち」ではこういうでたらめが「とおって」しまう。こんな、「うち」ない。

ほんとうにやったものがやりがちの世界なんだよな。やられたほうは、ただ事実の報告をしているだけなのに「ネガティブなことを言うな」「人の悪口を言うな」と言われる。じゃあ、気違い兄貴が一四年以上にわたって、ぼくに毎日してきたことはどうなるんだよ?

   *   *   *

これは、すでに書いて、未公開だけど、言霊にこだわる人は時系列系のことがわかってない場合がある。言霊が関わるのは、「未来」のことだ。「過去」のことじゃない。過去起きたことには影響を与えない。だから、過去の出来事にかんする報告は、ネガティブ?でも、未来をかえる力はない。だいたい、言霊にそれほどの力があるなら、俺が「やめてくれ」と言ったら、兄貴はやめてくれるはずなのである。「明日はヘビメタ騒音が鳴らない」と宣言して眠ったら、ヘビメタ騒音が鳴らない(今日)が訪れるはずなのである。俺は何万回も願って、何万回も言ったけど、現実化されなかった。「天」にも、兄貴にも言った。「天」にも兄貴にも何万回も言った。けど、何万回も言わなければならないほど、つらい現実がずっと続いた。これ、気違い兄貴は無視しているけど、強烈につらいことなんだよ。ほんとうに別の音で、やられてみろ。気違い兄貴が好きなヘビメタじゃなくて、別の音源を、ヘビメタを鳴らしていたときの音のでかさで聞いてみろ。本人だって一分だってもたない。けど、気違い兄貴は、気違いヘビメタを自分が満足できるデカイ音で鳴らすことにこだわっていたから、……鳴らしたいと思っていたから、そういうででかい音で鳴らすと気持ちが良かっただけだ。気違い兄貴のデカイ音で鳴らす」という、はた迷惑な欲求のせいで俺が毎日どんな思いをしたと思っているんだよ?

俺が書いていることを読んで「人の悪口を言っている」と思う人はおかしい。じゃ、その人は俺の悪口を言っていることにならないのか? 俺を批判していることにならないのか? しかも、間違った批判だ。こんな世界はおかしい。

たとえば、AさんとBさんがいたとしよう。で、BさんがAさんをナイフで刺したとしよう。そして、Bさんが「Aさんは自分をナイフで刺した」と言ったとしよう。そうしたら、BさんはAさんの悪口を言っているということになるか? 事実の報告と悪口は違うんだよ。

それから、Aさんが事前に、Bさんに対して、ひどいことをしていないなら、悪いのはAさんだということになる。そして、ナイフで刺すという行為と悪口を言うという行為をくらべれば、普通の場合!は、ナイフで刺すという行為のほうが、より悪い行為なのである。なんで、こういうことがわからないのか? Bさんが「Aさんは自分をナイフで刺した」と言うことは、悪い行為ではないけど、悪い行為だとしても、実際ナイフで刺すという行為よりもずっと問題がない行為なのである。「うち」の出来事に関しては、やっている人がやっているつもりがないという特殊なケースなのである。だから、そういう特殊性についても語らなければならなくなる。事実だから。そうでないと、説明がつかないから。

   *   *   *

気違い兄貴は、やっているそばから、やってないと思っているような人間なので、自分がやったことに気がついてないだけ。気違い兄貴は「こんくらいの音で鳴らしていい」「うちでならこういう音で鳴らしていい」と決めてかかって鳴らしていたわけで、鳴らしてないわけがない。「やってないわけがない」。けど、自分が好きなだけいっぷん間もゆずらないで鳴らしておいて、「鳴らしたつもりがない」状態が成り立っている。毎日それの繰り返しだ。だから、「やったってやってない」の繰り返しなのである。で、「やったってやってない」ということを最初にやり始めたのは「うちでは」親父だ。しかも、これ、ほんとうに逆上的な意地でやっているわけで、ちょうど「やったつもりがない」とは正反対の状態なのである。起きているときに……つまり、覚醒状態で、意地を張ってやったことなのに、まったくやってないのとおなじ気持ちでいる。こんなのはおかしい。普通は信じられない。けど事実だ。で、その時事がぼくに与えた影響がデカイのである。他の人にとってはどうでもいいことなんだけど、ぼくにとってはひたすらでかいことなのである。ぼくにとって「いま」このことを説明することは、重要なことなのである。ただ単に悪口を言っているのと一緒にするな。








2017年12月22日金曜日

いま住んでいるところで、鳴らしてみればいい

汁汁カレーをつくっておいた。
ほんとうは、ひさびさにジャワカレーでも食べようかと思ったんだけど、買いに行くのがめんどうだった。けど、これから、買いに行くかもしれない。

ヘビメタ騒音のことが気になってしかたがない。

あとは、やっぱり、いろいろとつかれているみたいで、ちょっと休もうと思って横になると眠ってしまうところがある。体調は、かなり悪い。

なんとかがんばって動いているという状態だ。冬は特に鬱になりやすい。入試シーズンだからな。ほんとうに、すべての時間、ヘビメタにやられた。

   *   *   *

ほんとうに、くるしい。「いまここで」くるしいわけだから、過去は関係があるよ。いま、午後九時〇二分。
絶対の意地で鳴らしている時間は、鳴らしてない時間なんだよ。気違い兄貴にとっては。鳴らしてあたりまえで、鳴らしてない時間だ。鳴らしてない時間なのではなくて、鳴らしたつもりがない時間だ。気違い的にこだわりつくして、鳴らしている。

自分の音にこだわりがあるから、大音響で鳴らしている。少しでも音を下げるのはいやなのである。

で、少しでも音を下げてやりたくないのに、〇・一デシベル下げてやったら、ものすごく下げてやった!!ということになる。だから、気違い兄貴のなかで「サゲテヤッタ!!サゲテヤッタ!!」ということになる。けど、その時間も含めて、こだわりの大音響で鳴らしている。だから、下げてやったにしろ、静かにしてない。けど、自分が、すこーーーしでも下げてやったら、それで、「下げてやったのだからいい」という気持ちになって、ガンガン鳴らすのである。だから、鳴らしているのだけど、気にしない。で、その鳴らしていた音が実際にでかい音なのかでかくない音なのかというと、でかい音だ。でかい音だということを知っているから「よそ」では、一分も鳴らせないのである。もし、気違い兄貴が言っているよう「そんなにでかくない音」「普通の音」であるのならば、いま住んでいるところで、鳴らしてみればいい。一分だって、一秒だって、鳴らせないんだろ。嫁さんや、嫁さんの親がこわいから、気にして鳴らせないんだろ。普通の音だったら、鳴らせるだろ。テレビとおなじぐらいの普通の音のでかさだったら、ずっとならしてたって問題がないわけだから、鳴らせるだろ。けど、一分だって、(気違い兄貴が)いま住んでいるマンションでは鳴らせないのである。だから、いまの気違い兄貴の基準で言えば、「デカイ音で鳴らしていた」……「うちにいるときは、常にここでは鳴らせないような音で鳴らしていた」と思ってもいいはずなのに、「うち」で鳴らし切ることができる気違いだからこそ、そういうふうには思わない。「うち」でやったことは、すべて、「うち」の基準で判断するのである。うちでやったことは、うちの基準で判断するから、まるで、気にならないのである。「うち」の基準では、たいした音ではないから、たいした音で鳴らさなかったという気持ちのままなのである。よそで、「当時うちで鳴らしていた音では鳴らせない」ということに気がついても、「うちでやったのだからいい」という気違い思考が成り立って、「だから、たいした音で鳴らしてない」と思うことができるのである。「うち」でやったことは、どれだけ時間が経っても、「うち」の基準で判断しているのである。「うちの基準」と書いたけど、気違い兄貴がうちにいるときの、気違い兄貴の基準だ。別に、うちではそうしていいと決まっていたわけではない。明文化されていたわけでもないし、親父、お母さん、俺、兄貴が、そういう基準があるということについて、意識的に、明確に意識していたわけではない。ただ、気違い親父とおなじように、兄貴が勝手にそう思ってやっていただけなのである。しかも、やっているのだけど、本人は「そう思ってない」と思っているところがあって、実際にやるほうの基準……実際にしたがうほうの基準は、無意識的な基準なのである。「明文化されてないほうの基準」なのである。だから、どこまでもやり放題ということになる。一切合切の責任を負わないのである。それどころか、「やってない」と思っている状態で「やりきる」。

2017年12月21日木曜日

人生の無意味を感じる

一度横になったときものすごく、やばい状態になった。無意味。
ヘビメタ騒音のことを思い出したら、やばい状態になった。ほんとうに、人生の無意味を感じる。いまも、くるしいな。

ほんとうにくるしかったな。あれで、「やったつもりがない」のかよ。だから、そういう態度で、執着しきって、一分も一秒もゆずらないで、気違い的に大きな音で鳴らしたんだ。よその家では一秒だって鳴らせないようなでかいでかい音で、ずーーっとキースカガンガン鳴らしてた。キースカの一個が、ぼくの脳みそを傷つける。ガンガン一個がぼくのこころを傷つける。あんなのない。キースカガンガン鳴っていて、「夜眠れない状態」になる。

朝、話したけど、……「だから、余裕を持って家を出ましょう」という話になるだろ。けど、気違いヘビメタ騒音でそれができない。そういう一日がどういう一日か? 気違い兄貴は、自分が親父にやられてくやしかったことを、全部俺にやり返している。ヘビメタノやり方が、まさに、親父の怒り狂いとおなじなのである。どっちだって、どれだけ言われたって、一分一秒「やめてやるつもり」なんて、さらさらないんだよ。そんなのことは、絶対にあり得ないんだよ。その場で殺さなければ、絶対に、やめてくれないんだよ。そういう状態を、一日中、押しつける。それで、本人はまーーーーーったく関係がないつもりだ。この関係のなさと、やっているときの意地は、おなじなんだよ。二つで一つのセットだ。これ、ほんとうに、気違い兄貴とか気違い親父を……うちにいるときの気違い兄貴の態度とか気違い親父の態度を見たことがない人だと、絶対にわからないんだよな。ほんとうに、意地になってやりきるのに、……発狂して、真っ赤な顔をしてやりきるのに、まったくやったつもりがないんだよな。だから、自分が関係しているという認識がまったくない。「おまえが関係している」「おまえがやっていることでこまっている」と言われると、(やめるつもりはさらさらないので)……怒り狂ってはねのけておしまいだ。その連続なのである。何十万回も、そういうことを繰り返すことになる。トータルで何十万回繰り返しても、本人は、一回も、言われたつもりがない状態でいるんだぞ。こんなのあるか? そういう「話が通じない人」がいるということが他の人にはわからない。だから、「話し合えばいい」とか俺が言われる。

気違い兄貴のヘビメタが鳴っている以上、「余裕を持って朝起きる」とか「余裕を持って家を出る」と言うことは不可能なんだよ。それは、やられたら、……俺とおなじことをやられたら……一〇〇人中一〇〇人が無理なんだよ。けど、一〇〇人中一〇〇人がやられてないので……一〇〇人中一〇〇人が実際にはやられてないので……「寝坊しているエイリが悪い」ということになる。「余裕を持って家を出なさい」と注意される立場に追い込まれる。

家に帰って、きちがいヘビメタを鳴らしている兄貴に、どれだけ、「こまるからやめろ」「遅刻をしてしまうからやめろ」「朝起きれなくなるからやめろ」「うるさいからやめろ」「明日のために宿題をするからやめろ」と言っても、むきになって鳴らしている状態が、かわからない。ほんとうに、親父の姿とそっくり。まったくおなじ!! 真っ赤な顔をして「なんだぁ!!」と怒り狂って、エレキギターにしがみついて、絶対の意地で鳴らし切る。絶対に、一秒だろうが一分間だろうがやめてくれない!!!

急いでいる人はけわしい顔をしている

散歩に行ってきた。

散歩に行けるまで復活した。

このあいだはまずかった。



家を出たのが、午前六時四〇分ぐらいだったので、通勤の人がたくさんいた。学生もいた。小学生もいたけど、ずいぶん早いな。もっとも、小学生は、駅に向かう普通の通勤サラリーマンとは逆の方向に歩いているわけだけど……。



まあ、ともかく感じたことは……急いでいる人はけわしい顔をしているということだ。ほんとう、顔に出るよな。で、走っている人が、パンを落としたんだよ。「あっ、落としましたよ」と言おうとしたけど、気がついてもどったので、言わずにすんだ。

で、その人が落としたパンを見つめて、一瞬まよったんだよな。取りに行くか、取りに行かないで、先に進むかまよった顔をした。で、けっきょく、しかたがなしに取りに「帰った」わけだけど、その時の顔がまあ、さらに怒っているような顔になってた。

こう……余裕がないのに、トラブルが生じてしまうというときの気持ちは、痛いほど、わかる。その人にしてみれば、踏んだり蹴ったりなんだよな。よゆうのある人は、トラブルゼロだろ。急いでいる人は、急がないとやばいという気持ちになってあせっている。それが言ってみれば……ひとつの目のトラブルだ。さらに、パンを落としてしまって、数メートルだけど取りに戻るということをしなければならなくなった。数メートルもどって元の場所に帰るまでに、時間がかかる。わずかだけど時間がかかる。その場合、そのわずかな時間が、電車一本の待ち時間にかわるかもしれない。パンを落としたということが、二つ目のトラブル。パンを落としてもどらなければならなくなった(時間を食った)というのが三つ目のトラブルだ。だから、三つマイナスになる。急いでいるというのは、状態であって厳密に言えばトラブルではないけど、すでに走らなければならなくなっているというのは、やはり、トラブルとしてカウントしていいだろうと思う。



ヘビメタ騒音に毎日やられていたとき、俺は毎日、困難な状態だったんだよ。わかる?

2017年12月20日水曜日

行けなくなっちゃうんだよな。

起きたけど、さみしいわぁ。

四時五二分。つーか、三時三〇分ぐらいに起きたのかな?

いや、四時か? よくわからない。けど、小便をして水を飲むために起きた。喉がからからだ。もう、だめかもしれない。だいたい、なんて言うのかな、……夜中に腹が痛くなっただけで、相当に不安になるなぁ。



けっきょく、買い物は行けなかったな。

行けなくなっちゃうんだよな。

起きてから考えたことはヘビメタ騒音のことだ。というか、寝ているときも考えていた。ヘビメタ騒音関係の問題で、「おこって」起きた感じだからな。

2017年12月19日火曜日

ともかくつかれた

つまんねぇーーーーーーーー



どうなっちゃうんだろう。



腹が減ったのに、外に出る元気がなかったので、なんか一食分としてはたりないものばかりを食べた。ごはんも三口ぐらいしかなかった。まあ、いいや。ともかく、食べた。腹八分だけど、まあ、いいだろう。



ほんとうは、外食することを考えていたんだけど、そんな元気はなかった。腹が減ったらよけいに動けなくなったので、家にあるものをかき集めて食べた。夜は、なんとか、外に出れる状態になればいいな。



いまは、なんか鬱でだめだ。



簡易歯磨きで終了。



ともかくつかれた。



どうするかな。ともかく、休もう。それにしても、俺の人生はいったいなんだったのか? ヘビメタ騒音がはじまってからの俺人生はつらいだけのものだった。いつもヘビメタ騒音のことでひきつっている。くるしい。いつも、ヘビメタ騒音のことでくるしい。


むかしは、ここで、ぐったりきてごはんを食べるということができなかった。そのくらいに疲弊していた。ほんとうにどんだけ。そんな、一〇代、二〇代いないだろ。(あのころ、一〇代二〇代だった)三〇代もそんな感じだ。四〇代のはじめごろ、飯を食えば元気になるという人がいたから、飯を食ったけど、ただ単に太っただけで、元気にはならなかった。(太ったといっても、二〇代の頃にくらべて太ったということだ)。


2017年12月18日月曜日

「決心することでどんな病気も治る」

風呂がたけた頃だ。

貧乏、仕事系のリアルな記事を読んだらちょっと、意気消沈。



まあ、いいや。



このあいだ片付けたときに出てきた……グリソディンを飲んだ。一カプセル。これは、このボトルをあけたら、もう買わない。グリソディン、ピクノジェノール、半夏厚朴湯、ローズヒップティー、セントジョーンズワート、いろいろ買ったなぁ。ヘビメタ騒音にかんしては、これはあんまり効かない。なんとか、体調不良をどうにかしたかったんだけどな。「つかれやすさ」はあんまりかわらなかったな。ピクノジェノールと半夏厚朴湯は、わずかに効いた感じがするけど、なんて言うのかな……ヘビメタ騒音の影響のほうが大きくて、強烈な効果は感じられなかった。メラトニンは、六ヶ月ぐらい、ものすごく効いた。これは、睡眠系のことだけどな。効果が持続してくれれば良かったのになぁ。だんだん効かなくなって、一年目あたりから、効かなくなってしまった。まあ、量を増やしたり、リリースに時間差があるカプセルのものを飲んだりといろいろしたけど、慣れちゃうと、効かなくなってくるんだよな。ヘビメタ騒音さえなければ、こんなサプリは飲まなくていいのに……。ほんとう、ヘビメタ騒音を押しつけられた。そりゃ、鳴っているのだからそうだろ。どれだけ言っても鳴っているのだからそうだろ。スピ系の人は、集合名詞を使って……引き寄せたと言っているけど、失礼だよ。おまえ、あれ、どれだけくるしいか。隣に気違いが住んでいて、その気違いがヘビメタを鳴らすことに命をかけていたら、こまるだろ。俺はその当時、子供だったんだよ。俺だけ引っ越すわけにはいなかったんだよ。スピ系の人たちやいかさま心理学系の人たちは、なんて言うのかな……集合的な名詞を使ってわりとひどいことを言っている。ただ、なんて言うのかな? 彼らにとって具体的な誤診というのは、最初から頭にないので、別にひどいことを言っているつもりはないんだよ。それに、本人がポジティブにそう考えているだけだとするなら、問題はない。けど、本人が本人に対して適応されるルールについて語っているのではなくて、本人が「人類」に対して適応されるルールについて語っているので、実は、他人のことも言っている。けど、人類すべてに適応されるルールについて語っているのだという明確な意識がないんだよな。「すべてはこうだ」「人類はこうだ」「病気の人はこうだ」と決めつけたがる。そうなると、「そうではない人」が不当に侮辱されたことになる。けど、まあ、「そうではない人」は侮辱されたということをあんまりうまく表現ができない。それは、言っている方……人類について語っているほうが、自分について語っているのか、人類について語っているのかあまり意識してないからだ。ほんとうは「あんた」のことについても語っているのだけど、「自分はこう思う」「自分はこう思って行動している」ということを言い出すからだ。

たとえば、あるスピ系の人が「病気の人は、病気を引き寄せた」と言ったとする。とりあえず、あるスピ系の人のことをAさんということにしておこう。Aさんは、「病気の人は病気を引き寄せた」という前に、いかにも病気を引き寄せたような人について語る。たとえば、暴飲暴食をして、生活習慣病になったような人のケースについて語る。あるいは、いつも病気のことを気にしていて、病気になってしまうのではないか病気になってしまうのではないかと気にしている人が病気になったというケースについて語る。で、このふたつのケースを語ったあと、「だから、病気の人は病気を引き寄せた」と言ってしまう。そりゃ、暴飲暴食をして生活習慣病になった人は、「病気を引き寄せた」と言える。しかし、「そうではない人」もいるということが、無視されている。何度も言うけど、「一例」から「普遍的な真理」へと跳躍してしまう。



たとえば、遺伝的に糖尿病になりやすい人がいる。この人たちは、特に不摂生なことをしてなくても、糖尿病になってしまう場合がある。その場合、特に不摂生なことをしてないのに、「不摂生なことをして、糖尿病になった」と言うことができるかというとできない。できないのだから、言わない方がいいのだけど、Aさんみたいな人はそういうふうに言う。ようするに、不摂生で糖尿病になった人と、遺伝的に糖尿病になりやすい人を区別しない。これは、事前に区別しておく必要がある。そして、遺伝的に糖尿病になりやすい人が糖尿病になった場合は、かならずしも、不摂生で糖尿病になったわけではないので、「あなたも不摂生で糖尿病になった」と言うことは、失礼なことなのである。けど、Aさんみたいな人は、「病気の人は病気を引き寄せた」と考えるわけであるから、当然、遺伝的に糖尿病になりやすい人も、不摂生で糖尿病になった人もおなじだと考えてしまうのである。Aさんにしてみれば、糖尿病になった人は、糖尿病を引き寄せてしまったのである。そして、引き寄せた糖尿病が治らないのは、病気を追い出す決心をしてないから、なのである。この場合、結果がすべてだから、「決心をした」と言ってもむだだ。その病気にかかった人が、病気を追い出す決心をしても、いま現在病気なら、「病気を追い出そうとしてない」と言われてしまうのだ。Aさんにしてみれば、その人がいま現在その病気であることが、その人が本気で!病気を追い出そうとしてないということの証明になってしまう。本気で病気を追い出そうとしたら、病気はかならず追い出される(治る)のである。そうでないなら、そうしてないということになる。



それじゃ、どうして、Aさんみたいな人がうけるのかというと、「病気を治したいとみんなが思っているから」だ。思うだけで病気が治るならこんないいことはない。本気で追い出そうと「決心」するだけで病気が治るなら、こんないいことはない。(治らなかった人は、どれだけ決心をしていても、決心なんてしてないひとになってまうんだけどな……Aさんにとっては)。



実際に、アファメーションや決心が、免疫力を上げる場合がある。だから、治ってしまう場合もある。その場合は、そのひとにとっては「決心」で病気が治るということになるのだけど、これも、演繹のしかたがへたくそだと、「どんな病気も治る」というような間違った結論を導き出すようになる。

1)「決心することで、自分はこの病気が治った」→「決心をすれば、どんなひともこの病気が治る」。

2)「決心することで、自分は子の病気が治った」→「決心することでどんな病気も治る」。

1)の演繹も2)の演繹も間違っている。なので、間違っている。

決心をすることで免疫力があがって病気が治る場合もあるけど、それは、ひとつのファクターにすぎない。病気には他のファクターも影響を与えている。絶対的なファクターではないから、決心をすることで免疫力があがって病気が治る場合と、決心をして免疫力が上がったにかもかわらず病気が治らない場合が出てくる。だから、決心をすれば、かならず病気が治るとは言えない。「決心」「こころの持ちよう」は重要なファクターであるけど、ひとつのファクターにすぎない。

これは、わかりにくいかもしれないけど、「死なない」「不死」ということについて考えてみればわかる。「自分は死なない」と決心すれば、永遠に生きることができるか? Aさんみたいな人にしてみれば、「決心」するだけで、永遠に生きられるのである。けど、実際には老化というようなファクターがあるので、決心したにもかかわらず、死んでしまう場合がある。老化というファクターと決心で免疫力が上がるというファクターが両方とも作用しているので、常に決心のほうが影響を与えるというわけではない。決心をしても二〇〇年以内にはたいていの人は死ぬ。公式的な記録では、二〇〇年生きている人はいない。将来、二〇〇歳をこえる人が出てくる可能性は否定しない。けど、さまざまなファクターが影響しているので、「決心」だけが寿命に影響を与えているわけではないというのは、わかるだろう。病気の場合もそれとおなじだ。たしかに、「決心」は重要なファクターだけど、それだけではない。他の法則も機能している。「決心」だけが重要なファクターであると言うことはできない。

なので、「病気を追い出すという決心をすれば、病気は治る」ということは、成り立つケースと成り立たないケースがある。成り立たないケースの人に対して「病気を追い出すという決心をすればいい」「治らないのであれば、本気で決心してない(本気で決心しないからいつまでも病気なんだ)」と言うことは、以上の理由で、不適切なことだと思う。












連続

醤油の入れ替え、完了~~
さて、きょうはどうするかな?

ほんとう~~どうしようかな。

これじゃおなじなんだよな~~~

まあ、できることをやるか。

風呂も入ったほうがいいか。
大掃除もやろうと思えばやれるしな。
けど、大掃除にしろ、スモールステップにしたよ。
けど、こころの「かざあな」は消えないな。
ヘビメタ騒音であいた「こころのかざあな」がふさがらない。
ヘビメタ騒音が鳴りやんで、理想の美少女が現れた時点で、ヘビメタ騒音の悩みが消え去っていて、それで、理想の美少女とつきあえたら、問題はなかった。けど、あの時点ですでに六年間やられているわけだから、だめかもしれない。これ、ほんとうに長いんだよ。二番目に思い出すことが多いのが、実は、中学一年生のときことなんだよ。あの頃のヘビメタ騒音の雰囲気が二番目に、くる。回数が多い。ほんとう、あれ、三ヶ月毎日続いたら、どんな明るい人でも、どんな積極的な人でも、くらーーくなってしまうから。俺は、どれだけ、人前で暗くならずに、押し切ってきたと思っているんだ。もう、その時点で、ギャップがある。ヘビメタ騒音をやられている人とやられていない人のギャップがある。でかい。中学に入って、やっと勉強がおもしろくなってきたのに……分や的にはおもしろくなってきたのに……ほんとうに頭にくる。ぜーーったいに、ゆずってくれなかったんだよな。で、ゆずってくれなかったというのが、一瞬じゃなくて、たとえば、午後四時から午後一一一〇分まで鳴っているとすると、午後四時から午後一一一〇分までずっとくるしいんだよ。あの連続している時間……。あの時間、ずっと、くるしかった。これは、常にヘビメタ騒音を聞かされているわけで、「ハンダゴテを買ってくれなかった」というようなこととは違う。ハンダゴテを買ってくれなかった」のが一瞬の攻撃なのに、ヘビメタ騒音が続く」というのは、ずっと続く攻撃だ。くるしいのは、もめている時間だけではないのである。腹を立てて、言い合っている時間だけではないのである。ケンカしているときだけ、くるしい状態が続くわけではなくて、ケンカしたあとも、きちがいヘビメタが続けば……横の部屋で、気違い兄貴が、気違い的にデカい音で鳴らすならば……ずっと続いてしまうのである。ようするに、ぼくが「やめろ」「静かにしてくれ」と兄貴の部屋に怒鳴り込んだときだけ、くるしいわけではないのだ。兄貴にしてみれば「やれてあたりまえ」だから、鳴らさないで我慢するなんて発想はひとつもない。一分だって、静かにしてやらない」そういう決意で鳴らしているわけで、絶対に鳴らす。弟に「静かにしてくれ」と言われたから、自分が鳴らさないで我慢するということは、絶対にないことなんだよ。自分がヘッドホンをして我慢してやるというのは、一秒だっていやなんだよ。だから、やってやらないわけだ。それから、気違い兄貴は、気違い的な認知方法で、でかい音をたいしてでかい音じゃないと認知している。これが問題なんだよな。だから、本人としては「普通の音」で鳴らしているつもりだから、それ以上に静かにしてやる必要がないと思っている状態なのである。けど、本人にしたって、「よそのうち」では、でかすぎて、一秒だって鳴らせないような音なんだよ。だから、耳が悪いから、大きな音が知育聞こえるということではない。親父とおなじように、自分がやりたかったから認めないだけだ。自分にとって「その時」不都合なことは命にかえても、認めない。けど、これが、また、「みとめなかった」ということになってないんだよ。これも、命にかえても、認めないわけで、二重に否定されている。最低でも二重に「認めることができない」状態になっている。つねに、そういう状態だから、ほんとうは悪いことをしていても、まったく悪いことをしているとは思えない。ほんとうは悪いことだというのは、決まっている。本人だって、「よそ」では一分だってできないことなのだから。ともかく、いがみ合っているときだけ、不愉快な気持ちでいるというわけではないと言うことだ。鳴っているから。気違い兄貴がハンダゴテのことで親父ともめたとき、もめている時間が過ぎ去れば、それでおしまいなんだよ。ハンダゴテのことでケンカしているときだけ、不愉快な気持ちになっているわけで、そのあとずっとケンカしている状態が続くわけではない。けど、ヘビメタは俺が言いに行ったときだけ「うるさい」のではなくて、俺が自分の部屋に帰った後もずっと続く。だから、こまる。このちがいはでかい。

2017年12月17日日曜日

ふがいない気持ちがつみかさなる

他のひとのサイトを見ると、ラーメンのことが書いてあったので、なんとなく、ラーメンが食いたくなる。ちゃんとした店で、ラーメンを食いたいな。いまは、袋ラーメンやインスタントラーメンじゃなくて、店のラーメンが食いたい。醤油か味噌だな。味噌味が効いている味噌ラーメンがいい。実は、自転車で行ける範囲のなかに、ラーメン屋は二〇軒ぐらいはあるな。もっとあるかもしれない。俺が知らないだけで、あるのかもしれない。地元の人だったら絶対に食べたことがあるラーメン屋に行ってなかったりするんだよな。あとは、図書館に行くまでに、何軒かラーメン屋の前を通るんだけど、そのラーメン屋(複数)にも、一回も行ってない。一回も行ってないうちに、つぶれた?店もある。まあ、自転車をかえてから、図書館には行ってないんだけどね。もう、二年ぐらいは行ってないかな。本を買うようにしたら、本が増えちったよ。

ぼくは、塩ラーメンにかんしては、透明スープ系塩ラーメンがいい。透き通った汁の塩ラーメンがいい。あれ、透き通った汁の塩ラーメンを出すところが少ないんだよな。みんな白濁系だから。けど、塩ラーメンは透き通ったやつがうまいんだよな。かーーー。透き通った汁の塩ラーメンを食べたい。

食いに行くかな。透明スープ系塩ラーメンを二軒知っている。けど、そこで食べたことはない。「食べログ」みたいもので知っているだけ。その二軒も、図書館に行く道にあり、寄ろうと思えば寄れるところなのに行かなかったところだ。ウエブページを見て、「へー、あそこ、透明スープ系塩ラーメンなのか」と思った。ほんとうは、ここは、外食にむいている街なんだけど、うちで食べてた。金がなかったし、金を使いたくなっかたからだ。それから、(アパートから)こっちに帰ってきたあとは、(病気の)お母さんのために料理作っていたので、うちのおかずがわりと健康的で、外食する必要がなかった。

   *   *   *

干し柿を買いにいったのは、金曜日のことなのか。

なんか、ものすごく時間が経っているような気がする。

けど、あの時もヘビメタ騒音のことで崩壊気分であの道を通ったわけで、僕のこころには暗雲がたちこめていた。いまも大差ないな。



塩ラーメンを食べに行きたいと言ったけど、なんて言うのかな? 塩ラーメンを食べに行ってもぼくの場合、楽しくない。ヘビメタ騒音で楽しくない。ヘビメタ騒音をやられたあとは、ほんとうに街を歩いているとき「ヘビメタ騒音の不安」がたちこめている。兄貴に対する怒りや、兄貴の態度に対する怒りや、実際のやるせなさがうずまいている。これが、ぼくの大半の人生だったんだよな。他のひとは、ラーメンを食べに行くとき、楽しいと思う。「そんなに楽しみにしてないだろ」と言う人の気持ちもわからないではない。そういう人は、普段、気軽にラーメンを食べているから、そういうことになっていると思う。けど、ぼくが言いたいのはそういうことではない。ヘビメタ騒音のふがいなさですべてがかわってしまったのである。そりゃ、ヘビメタ騒音が鳴る前も……鳴り始める前も……鳴り始める前の期間も……そりゃ、人間だからいろいろあって、その日、気分が悪いということは、あった。けど、ヘビメタ騒音の連続のあとは、そういうものではないのだ。気分が悪いと言ってもそういうものではないのだ。普通にいいことも悪いこともあって、普通の時間をすごして、それで、「ショックなことがあった」「不愉快なことがあった」というような感じではないのだ。ヘビメタ騒音の連続は、それ自体が地獄だ。鳴っているあいだじゅうなにをしてもつらい。発狂的につらい。「発狂的につらい」の「発狂的な部分」がヘビメタ騒音の連続を経験したことがない人にはわからないのだろうと思う。だから、自分の不愉快さをもとにして、いろいろ言うわけだけど、それは、全部的外れだ。全部違う。そういうことじゃない。ヘビメタ騒音の連続というのはそういうものではない。ヘビメタ騒音の連続、の、日々というのは、そういうものではない。違う。違いすぎる。「ふがいなさ」というのは、デカイ。ヘビメタ騒音のことについて、いろいろ書いてきたけど、あんまり、「ふがいなさ」ということに関しては書いてない。けど、つらいというのは、「ふがいなさ」を含んでいる。もう、すべてが違う。毎日鳴っているという点で、すべてが違う。一年、二年、三年続けば、すべてが違ってくる。ほんとうにやるせない、感情のかたまりがある。感情のかたまりができる。ほんとうに違う。すべて、やるせない、ふがいない時間になってしまう。ヘビメタ騒音毎日連続の効果というのは、そういう効果だ。鳴ってない時間も、ふがいない、ものすごくさみしい時間になってしまうのだ。あれだけやって、「やったつもりがない」とか、ふざけている。当時から、(命がけでガンガン鳴らすけど)……(一秒もほんとうにはゆずらずにガンガン鳴らすけど)……(やっている最中も含めて)……つもりがかなった。気違い兄貴は、やっている最中も含めて、つもりがなかった。「鳴らさないでくれ」と言われて怒っているときも、「つもりがない」のだ。あたかも、「鳴らしているつもりがない」状態で、ずっと鳴らして、シランプリだ。どれだけ困っているからやめろと言っても、親父のように、相手が困っているということ自体を認めない。完全に無視する。で、かならず、一秒もゆずらないで、自分の意地を一〇〇%通して、全部の時間やりきる。だから、こっちは、テストのたびに、ふがいない気持ちがつみかさなるということになる。あの空間、ないよ。あの時間、ないよ。あの時空間は異常だ。俺がどういう気持ちで、中学時代、高校時代、自宅浪人時代をすごしてきたと思ってるんだよ? 気違い兄貴! やっているつもりがないって、……それ、最大限の「いいわけ」だから。ほんとうに、親父とおなじで、絶対に認めないんだよな。で、無視して鳴らし切る。けど、無視して鳴らしたという気持ちが一切合切生じてない状態なんだよな。こんなのは、異常な状態なんだけど、毎日、二四時間、そういう状態だ。そういう状態でない時間が、一秒もない。毎日一秒もない。毎日、そうじゃない態度のときが、一秒もない。これが、この世で起こったことだ。十数年毎日続いたことだ。中学、高校と、毎日毎日、ヘビメタ騒音で勉強の邪魔をされていいわけがないだろ。どうやって、将来をつかむというのだ。これ、もう、建前・キレイゴト連合と現実生活のあいだでものすごい葛藤が生じる。

2017年12月16日土曜日

気違い親父が気違い兄貴にのりうつっている

ヘビメタ騒音がつらすぎる。
やっぱり、もうダメだ。
ヘビメタ騒音の雰囲気がする。
これは、ヘビメタ騒音の午後四時一二分だ。
いつも毎日、午後四時一二分は、気違いヘビメタが鳴っていた。三六五日中三六五日、かならず、ヘビメタ騒音が鳴っていた。どれだけ言っても、一分も静かにしてくれなかった。気違い兄貴が気違い兄貴の理由で、休む午後七時一〇分から、午後七時四〇分を抜かして、午後一一時一一分までかならず!!!鳴っていた。午後四時一二分になっていると言うことは、午後五時もかならず鳴っているし、午後六時も、かならず鳴っているし、午後七時もかならず鳴っているし、午後八時もかならず鳴っているし、午後九時もかならず鳴っているし、午後一〇時もかならず鳴っているし、午後一一時もかならず鳴っているということを意味しいてる。だからなんだ? と言うと、だから、うるさかった。鳴らされているあいだじゅう、やすみなく、けたたましい音が鳴っていて、うるさかった。そして、どれだけ何回言っても、鬼の意地でうるさくしまくって、一分もゆずってくれなかった。こういうことを絶対にやり通した。途中で「静かにしてくれ」と俺が言って、兄貴が静かにしてくれたことがない。入学試験だろうが中間期末試験だろうが絶対に、一分だって静かにしてくれなかった。それが!兄貴が!!この世で、ずっと毎日やってきたことだ。これが事実なのである。毎日、十年以上……ほんとうに毎日この調子で鳴らし続けた。それで、「静かにしてやった」とか「そんなつもりじゃなかった」とか言っているのが気違い兄貴。鳴らしているときは鳴らしているときで、そういうモードで鳴らして絶対にゆずってくれなかった。これがほんとうの話しだ。で、鳴らされると、すべてが、くるうのである。すべてが狂う。すべてが木っ端みじんになってしまう。あんな音のなかで落ち着いてなにかをするということができるわけがない。こも、まるで、俺が神経質だからできなかったみたいに言われると腹が立つ。俺は、幼稚園の横に住んでいたわけで、普通の騒音にはたえられる。ほんとう、気違い兄貴のヘビメタを一分だって聞いたことがない人が、その人の常識で考えて、わかったようなことを言いやがって頭にくる。ほんとうに、そんなんじゃないのに……。一四年間毎日やられて、人生がないので、音には敏感になっている。もう、縁まできているからな。「どうして俺だけこんな思いをしなければならないのか」という気持ちが、強い。ともかく、鳴っているときだけうるさいからこまるというようなことではない。すべてがおかしくなる。気違い兄貴よ! 気違い兄貴のヘビメタ騒音があまりにも常識外れだから、俺が他のひとから悪く言われる。これは、気違い親父の態度があまりにも常識外れだから、他のひとにはわからなくて、兄貴が悪く言われたのとおなじだ。「ちゃんと説明することができなかった」と判断されてしまう。親父の意地なんて他のひとには絶対にわからない。頭がおかしい、意地が発動するわけで、なにがなんだろうが認めないのである。普通の頭の持ち主なら一回言えばわかることが、どれだけ言ってもつうじない。さらに、「どれだけ言っても通じなかった」ということに関する認知もない。この態度が、認知が、まさに、気違い兄貴のヘビメタ騒音に対する態度であり、認知なのである。ヒトコト言えばわかることが絶対に通じない。通じないということも、認知しない。認めない。だから、いつもやりがちで、やりまくっているのに、本人はまったくやっているつもりがない……のとおなじつもりでいる。いられる。じゃあ、「やめてくれ」とこっちが言えば、やめてくれるのかというと、それは、絶対にないんだよ。これが、どれだけ腹が立つやり方かわかるよな。兄貴だって、親父にそういうことをされれば、腹を立てていたわけだから。親父はもちろん、そんなことをしたつもりはないよ。そりゃ、一回もないんだよ。何万回何億回、つねにそうしていても、一回もそんなことをしたつもりがないままなんだよ。「そんなのはおかしい」。おかしいけど、うちではそうなんだよ。親父は、うちではそうなんだよ。兄貴もうちではそうなんだよ。兄貴はヘビメタ騒音にかんして、親父とおなじことをやっているんだよ。親父とおなじ態度で親父とおなじことをやっている。たがら、親父とおなじように、「まったくやったつもりがないまま」なのである。一四年と四ヶ月毎日、こだわってこだわって、こっちがどれだけ「やめてくれ」と言ってもやったことなのに、一四年と五ヶ月目には「そんなのまったく知らなかった」という態度になる。「そんなの一回もやったことがない」と思っている。これは、気違い兄貴がよその家に行って、「うちではもう、ヘビメタを鳴らす必要がなくなったから」そう言っているだけ。一四年と五ヶ月目だって「うちにいたら」……「やめてやるつもり」なんてないんだよ。一分だろうが鳴らさないで静かにしてやるつもりなんてさらさらないんだよ。そうやって、俺がショウガ六年生のときから、ずっと毎日、「親父の態度で!!!」頑固に鳴らしているくせに、鳴らしている最中から「やっているつもりがない」。これ、ほんとう、親父とおなじなんだよな。そっくりおなじなんだよな。俺は!……兄貴は!!!やっているのはわかっていると思っていた。いっくらなんでも、あんなデカイ音で鳴らし続けて、鳴らしているあいだ、デカイ音で鳴らしているつもりがない……まったくないなんて、おかしい。親父以上に狂っている。しかも、兄貴が鳴らしているあいだ、俺が何回も何回も「宿題をするからやめてくれ」と怒鳴り込んでいるのに、一回もいわれたつもりがなかったんだよな。これも、親父とおなじなんだよ。自分が一〇〇%やりたいことを押し通しているから、どれだけ言われたって、いわれたつもりがしょうじない。言われたときだけ、真っ赤な顔をして、怒り狂っておしまいなんだよ。「なんだそんなの!!」の気分になって怒っておしまい。これ、トータルで何十万回やったって、何億回やったって、「自分が起こってはねのけた」という気持ちがないんだよな。「聞いてやらずに、自分の意地を通して、やり通した」という気持ちがない。実際にはそうしているのだけど、一〇〇%やりきることができるので、どれだけ、言われてもゼロなんだよ。まったくいわれた気持ちがない。まったく言われた記憶がない状態。これも、親父とおなじなんだよな。こんなの!!他のひとには、絶対にわからない。そして、そういう風な毎日が、どういう影響を与えるか、からだで経験してないから、ぼくのつかれがわからない。睡眠回路がどれだけ、深いところで損傷するかわからない。毎日、一〇年以上やられると……毎日やられると……鳴り終わっても、からだの調子がたいしてかわらないんだよな。これも、他のひとには絶対にわからないのであり、わからないという意味で、俺が勝手に言っているだけのことになる。他者にとっては、「そんなのはどうでもいいこと」なのである。「どうでもいいこと」と考えるというのはわかるけど、「だから!そんなのは、簡単に治る」と思うな。「だから!そんなのは些細な問題だ」と思うな。他のひとにはどうでもいい問題だけど、些細な問題じゃない。なおそうと思えば軽く治るようなものでもない。他人から見れば俺がこだわっているようにみえるけど、他のひとにしたって、おなじことを小学六年生のときから二五歳までやられれば、……俺とおなじ状態を俺とおなじ分だけ経験すれば、わかると思う。わからないのは、経験してないからだ。わからないから、「そんなのは些細な問題だ」「そんなのは簡単に治る」と簡単に思っていやがる。そうじゃないから、こまっているんだろ。で、もともとは、気違い兄貴の態度が、他のひとにはまったくわからないというところからきているんだよ。それは、気違い親父の態度は、他のひとにはわからないというのとおなじだ。気違い兄貴は、自分のことは、まったくわからないんだよな。親父とおなじように「自分ことは!」まったくわからない。自分(兄貴)が親父にやられたことはわかるんだよな。親父の態度がどれだけ頭にくるものか、わかっている。けど、それとおなじ態度で俺に接したというのは、ほんとうにわかってない。気違い兄貴に親父がのりうつっているような状態なんだぞ。気違い兄貴に親父がのりうつっているような頑固さなんだぞ。気違い兄貴に親父がのりうつっているような融通のなさなんだぞ。まったくなにもつたわらない状態なんだぞ。まったくなにもつたわらない状態のまま、毎日、やりきるんだよ。好きな分だけ!!  それで、やりきったつもりがまったくないという状態になっている。だから、本人は本当にやったつもりがないのである……ほんとうにこまる。毎日実は、そういう状態でやってきたんだよ。お・な・じ・なんだよ。しくみがおなじなんだよ。わからないしくみと認めないしくみと、つもりがないしくみがおなじ。だから、どれだけやったって、やったつもりがないままなのだ。「すぎてしまえば」……どれだけこっちが「やった」と言っても、当時とおなじ頑固さで「やってないやってない」と繰り返すだけだ。「静かにしてくれなかった」というと、親父のように「静かにしてやった!静かにしてやった!」と言うだけだ。全部、そういう状態だから。こんなの他のひとにわかるわけがない。

2017年12月15日金曜日

「やったってやってない」という態度、意識

記録として書いておく。

干し柿一個くった。

ロールケーキ(四きれくった)

残っていたキムチでご飯食べた(少量)

たまごのふりかけでごはんを食べた(少量、のりたまではない)



これから、眠ります~~

おやすみ~~

みんな、元気でね~~



俺は、ドアを見てもヘビメタ騒音のことを思い出す。

ものすごくつらい思い出が浮かんでくる。

あの日帰ってきたときのまんまだ。気分は、あの日帰ってきたときのまんま。だから、バス停のあの子のこともいまだに気になっている。ともかく、ヘビメタでぶらぶらなんだよ。悪い意味で、ブラブラ。不安で、死にたい気分。どうにもならない。気違い兄貴が静かにしてくれなったらどうにもならない。ほんとうにどうにもならない。俺が道を歩いているとき、どういう気持ちだと思っているんだよ。あれだけ、「やめろ」「静かにしろ!!!!!!」と言ったのに。親父とおなじ頭のしくみで、まったく気にしないでやりやがって。意地になってやりやがって。「やめろ」と言われたら、顔を真っ赤にしてやりやがって。やってんじゃないか。



一度寝ようとして、布団に入ったけど、起きてきた。ヘビメタのことを書いておこうと思って起きてきた。あれ、二階のドアを見ただけで、ものすごく、不愉快な気持ちになる。不安な気持ちになる。ヘビメタがつらい。昼間外に出ても、夜外に出ても、朝早く、外に出ても、ヘビメタ騒音の日々のままなんだよ。どこを歩いていても、ヘビメタ騒音が鳴っていた期間に……ときに……日に、外を歩いたときとおなじなんだよ。ほんとうは、気違い兄貴が、親父みたいにこだわりつくしてやったのに、親父のように、否定している。やっているそばから、そういう態度だ。ほとんうに「やったってやってない」という態度、意識なのである。やり終わった途端に自分が関係がないひとになっている。これ、ほんとうにひどい。普通の頭の人だとこんなことはないんだよ。気違い兄貴は、親父と完全に同一化しているから、自分がやったことがまったくわかってない。自分がこだわってこだわって、やったことは、ぜんぜんわかってない。やってないのとおなじ気分、おなじつもりなんだよ。こんな、精神病野郎のせいで、俺がどれだけ!!俺がどれだけ!!俺がどれだけ!!俺がどれだけ!!俺がどれだけ!!俺がどれだけ!!

病気にならない方法を教えます……幼児的万能感

病気にならない方法を教えます。病気にならない方法は、「病気にならない」と決意することです。決意すれば病気にはなりません。たとえば、会社で風邪が流行ったとします。風邪をひくのではないかと考える人は、風邪をひいてしまいますが、「自分は絶対に風邪をひかない」と決意すれば、風邪をひきません。風邪のほうから逃げていきます。一方、「病気になるのではないか」とおびえている人は風邪にかかってしまいます。病気と「仲良く」しているひとは、病気を追い出すと決意するべきです。決意すれば、病気は出ていきます。



……というようなことを言う人がいたとする。病気にかかっている人は病気と仲良くしている人。病気にかからない人は、病気にかからないと決意している人。……こういう考え方は、おかしい。現実を無視している。けど、そういうことを言いたくなる人があとをたたないんだよな。これ、まあ、自分が決意するのはいいんだけど、すでに病気にかかっている人を悪く言うのはやめたほうがいいよ。


   *   *   *



病気にならないという決意をすれば病気にはならない。
病気にかかっている場合も、病気を追い出すという決意をすれば、病気は治る。というようなことを言う人をAさんだとする。

Aさんが、自分はそう思っているというのは、いい。そもそも、Aさんは、病気にはかからないそうなので、病気になることがないと思う。けど、「人はみんなそうだ」「病気にかかっている人は、まるまるだ」と言ってしまうのは問題がある。主語を「人」「人間」「病気」「病気にかかった人」にすると問題が生じる。

なんたって!!!病気にかかると思った人しか病気にはかからないので、病気になってしまった人は、病気になると思った人だということになる。しかも、病気になったにもかかわらず、病気を追い出す決意をしない人は、病気と仲良くしたい人で、言ってみれば……決意をすることをサボっている人なのである。

どうしてなら、病気だからだ。

病気である以上、病気を追い出す決意をしてないということになる。Aさんによれば、病気を追い出す決意をすれば、かならず、病気は「出ていく」わけだから……。勝手にひとのことを決めるなと言いたくなる。

Aさんみたいな人たちは、実は、呪文の世界に生きている。魔法の世界に生きている。ようするに、幼児的万能感のなかで生きている人たちなのである。「決意」と言っているけどそれは、魔法の呪文とおなじだ。「魔法の呪文を唱えれば、どんな病気も治る」ということと「決意をすればどんな病気も治る」ということは、質的な違いがない

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ジョゼフ・マーフィーも、本来、人間は病気にかからないのだけど、親や社会の人が病気のことを教えるから、病気になるというようなことを言っていた。

けど、生まれながらになんらかの病気にかかっている人もいる。あとは、病気のことなんてまったくなにも知らない赤ちゃんだって感染症になることがある。遺伝的になんらかの病気になりやすい人もいる。

ともかく、生まれたばかりの赤ちゃんだって、すでになんらかの病気にかかっている場合がある。これは、「病気になる」と思ったから病気になったのではないということをしめしている。

「まるまる病気」だけではなくて、「まるまる障害」というのもある。生まれながらに障害を背負っていることもある。こういう赤ちゃんたちがいる以上「まるまる障害になる」と思ったから「まるまる障害になっているのだ」という思考法は間違っているということがわかる。

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風邪だと思っていたら川崎病だったというケースもある。これがどういうことを意味しているかというと、「その病気」のことを知らなくても、「その病気」になってしまうことがあるということを意味している。

川崎病というのは、風邪に症状がものすごく似ている病気で、普通の医者に行くと(いわゆる)風邪だ診断されて*1(いわゆる)風邪の薬を出される場合がある。けど、風邪ではないので、風邪の薬を飲んでも治らない。そして、死んでしまう場合がある。川崎病だということがわかっていれば、それ用のケアができたのに、川崎病だとはわからなかったので(わかるのが遅かったので)命を落としてしまう場合もあるのだ。かなしいことだ。

風邪というのはじつは、一種の「総称」だ。コンセプトとしては症候群だ。その都度ウィルスや細菌が違う。「風邪」なんていう病名はない。ようするに、狭い意味で言えば、「病気」ではない。まあ、そういうことは、どうでも良いのだけど、なんて言うのかな? 抵抗力がある人はかからずに、抵抗力がない人がかかることがあるというのを経験として知っているんだよ。

だから、そこから、「病気にかからない人は病気にかからないし、病気にかかる人は病気にかかる」というイメージができあがる。普通に「抵抗力」のちがいなんだけど、それがすべてだと思ってしまう人がいる。抵抗力がある人は、実際に抵抗力があるので、病気にはかかりにくく、自分は病気にはかからないという自己イメージを持っているかもしれない。抵抗力がない人は、病気にかかりやすく自分は病気にかかりやすいという自己イメージを持っているかもしれない。

この自己イメージは、現実の回数からしょうじる自己イメージなので、客観的なイメージとも一致する。現実の回数というのは、病気になった回数である。これ、病気だとめんどうなので、「風邪」ということにしておく。風邪で何回も学校や会社を休んでいる人は、「風邪をひきやすい」というイメージができがある。それから、実際に風邪をひきやすい(ので)風邪をひくかどうか気にすることが多くなるだろう。これは、本人の問題。問題なのは、会社で誰かが風邪をひいたとき、うつる人とうつらない人がいる……ということを発見したAさんの思考方法だ。風邪をひきにくいということと、風邪を絶対にひかないということは違うし、風邪をひきにくいということは「病気」にならないということとも違う。Aさんは、「決意」を第一の原因だと考えているけど、実は、この場合、第一の原因は「抵抗力」だ。Aさんは「抵抗力」を「決心」という言葉に言い換えただけなのだ。引きやすさの度合いは、決心じゃなくて、抵抗力と関係がある。風邪は狭い意味で病気ではないけど、抵抗力があればかかりにくい病気(の群)がある。それだけ。

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Aさんの思考法だと、「その病名」を知らない人は、「その病気」になれないということになる。その病気について知らなければ、その病気になれないのだ。たとえば、川崎病などというものを知らなければ、川崎病にはなれない。「川崎病になるのではないか」「川崎病になってしまうのではないか」と思ったから!川崎病になると言っているのであるから、そもそも、川崎病について知らなければ、川崎病になることができない。けど、実際には、川崎病がどんな病気かということを知らなくても、川崎病になってしまう人がいる。なので、「川崎病になるのではないかと思うから、川崎病になる」という考え方は間違っている。事実と一致しない。

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*1患者の保護者が、そういう説明を受けただけで、医者は「風邪」とは診断してない。
以降、続くかもしれないし続かないかもしれない


2017年12月14日木曜日

意地と効果と無視

風呂に入った。

通常運行にもどっている感じなんだけど、いつまた、やばい状態になっても不思議じゃない。これ、もう、ヘビメタ騒音以降、だめ。くるしい。くるしさがかわらない。他のひとにはまったくわからないことなので、俺がへんなことにこだわっているようにみえるのだろう。こだわらなくてもいいことに、こだわっているようにみえるのだろう。けど、ちがう。やられてみろ。ぜんぜんちがうから。で、親父の態度が、他のひとにわからないように兄貴の態度は、他のひとにはわからないか、あるいは、わかりにくいのだろうと思う。だから俺が、正論もどきの攻撃を受ける。そんなのじゃないのに。わかってないな。ほんとうに、どれだけ。ぼくがどれだけ正論にこだわって、ヘビメタ騒音のなかでもだえながらくらしてきたか。ほんとうにつらかったよ。この世の地獄だ。ほんとうにつらいんだよ。朝も昼も、鳴っている夕方も夜も……ずっとつらい。朝だってつらいわけだからな。鳴ってない朝がつらすぎる。何日も、何十日も、何百日も、何千日も、毎日、ヘビメタ騒音がつもって、つらい。過労死寸前の状態でくらしてきた。眠れない。どれだけつかれていても眠れない。あのとき、どういう気持ちになると思っているんだ? ヘビメタを七時間から一四時間浴びると、ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、眠れない。どうしても眠れない。ヘビメタ騒音が鳴っている最中は、耳栓をしても、手で耳をきつくふさいでも、ガンガンヘビメタが入ってくるので、ほとんどおなじ状態なんだよな。ともかくくるしい。気違い兄貴が普通の音まで落とす必要がある。普通の音というのは、たとえるなら、フォークギターぐらいの音だ。フォークギターなんて三〇〇本、同時に鳴らしたって、気違い兄貴のヘビメタの音量には遠く届かない。一〇〇〇本鳴らしても、二〇〇〇本鳴らしても、ヘビメタのほうがけたたましい。ともかく、あの音のなかにいて、「気にしない」ということはできない。「気にしなければいい」と言われて、俺がどんだけ、やりきれない気持ちになったか。たとえば、「気にしなければいい」と言ったやつは、俺の部屋でヘビメタ騒音を聞いたことがないし、何十日何百日、俺の部屋で生活したことがない。これ、たとえば、一〇分間、聞きにきて聞いたというのとは、ちがうんだよね。実際には、一〇分間ですら聞いたことがないわけだけどさ。「気にしなければいい」といった人は。けど、かりに一〇分間、俺の部屋にいて「うっさいな」と思ったにしろ、生活するのとは違うんだよね。一〇分間、時間を決めて聞くというのと、生活するというのとは違う。生活のなかでずっと聞かされるというのは違うという意味。……気違い兄貴のやつ、「よそのひと」には、一日に一分もやってない。うちでは、試験だろうがなんだろうが、一日に一〇時間やってあたりまえだった。一日に一四時間やってあたりまえだった。一日に一四時間鳴らせるとき、四時間ゆずって、一〇時間するということか絶対的にあり得ないことなんだよ。そういう意地で鳴らしているだよ。一四時間鳴らせるなら、かならず、一四時間鳴らして、一分だってゆずってやらないという意地が成り立っている。それがあたりまえだ。一四時間鳴らせるのに、一三時間にしてやるなんてことは、絶対にないんだよ。実際に、一四年と四ヶ月のあいだに、ちゃんと一時間鳴らさないで我慢した日は、一日もない。一四年以上毎日やっていて、一日もないんだぞ。これ、一〇分だってない。それで、「静かにしてやった」なんて思っているのが気違い兄貴だ。どれだけ基準がずれているか。このこと、一つをとっても、どれだけ、気違い兄貴の基準がずれているかわかる。「うちでは」どれだけやりたい放題だったかわかる。「うちでは」まったく我慢しなかったことがわかる。ゆずるわけがないだろ。俺がこだわっているわけではない。気違い兄貴がこだわってこだわってやったんだよ。だから、一四年と四ヶ月毎日、やられて、人生がこわれた俺が気にしているんだよ。そりゃ、毎日がヘビメタ騒音の日になってしまうわけだから、気になるだろ。一日中、うちにいるときは常に鳴らされているのだから、こまるだろ。鳴っているときだけ、うるさいからこまるという問題じゃないんだよ。これも、実際にヘビメタ騒音を俺とおなじように生活のなかで聞かされた人じゃないとわからないと思う。

2017年12月13日水曜日

ネガティブ・エンガチョ2(ヒトゴトなのでやりがちの世界になってもいい)

   *   *   *
別のたとえを出そう。通り魔殺人をした人をDさん。殺された人をEさん。Eさんの父親をFさん。Eさんの母親をGさんとしよう。こういうばあい、殺されてしまったので、Eさんはこの世では、うらみをもつことができない。死んでしまっているわけだから。で、父親のFさんや母親のGさんは、Dさんをうらむだろう。Dさんの行為に不満を持つだろう。「どうしてそんなことをしたんだ」「どうしてうちの娘が殺さなければならないんだ」と思うだろう。そういうときも、実はAさんのような立場の人は、FさんやGさんが負の感情を持ったということをせめる。恨みの感情を持ったということを、せめる。それから、「この世には悪い人はいない」「みんないい人(である)」ということを言う。「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」のだから、FさんやGさんも、過去の解釈を変えれば、恨みの感情や悲しみの感情から解放されるのである。さらに、出来事はすべて中立的であるということを言う。出来事は中立的なのだ。いいとかわるいということは、解釈を与える人がきめているにすぎないなということを言う。で、この場合も、実は、ひどい目に遭ったFさんやGさんを負の感情を持ってるということで、忌み嫌う。ネガティブエンガチョなのだ。FさんやGさんが恨みの感情を表現することや、悲しみの感情を表現することは、良くないことなのである。さっき、「この世には悪い人はいない」「みんないい人(である)」ということを言ったばかりなのに。さっき、「出来事は中立的だ」と言ったばかりなのに。(ネガティブな発言をすることは、悪いことなのだ。出来事は中立的なんだろ。中立的な出来事をネガティブな出来事だと受け取っている人は、その中立的な出来事をネガティブに受け取るから、「ネガティブな出来事になる」のだろ。解釈を与えてしまっているではないか。ネガティブだと判断しているのは、他でもないAさんなのだ。ぼくは別にAさんが、自分のことについて語るならいいと思う。自分がひどいことをされたとする。そして、それをゆるしたとする。それはそれでいい。AさんがAさんの分だけ、ゆるすのはいい。他のひとの分までゆるそうとするな。他のひとに「ゆるし」を半ば、強要するな。すすめるな。ゆるさない人を悪く言うな。そういうことをされたら、人間なら普通に恨みの感情が生まれるということがある。それは、他のひとのことだから、自分が勝手にゆるしてしまうわけにはいかないのである。
Aさんは、こういう場合も、加害者であるDさんのことは悪く言わない。かならず、被害者や被害者周辺の人を悪く言う。Aさんは、被害者のEさんは、Dさんを引き寄せたのだ」などと言い出す。殺されたほうが、「引き寄せた」ので悪いのである。殺されてもしかたがないのである。なんでなら、Eさんが死を引き寄せたからである。あとは、でっち上げで、「Eさんは、将来自分が通り魔に殺されることを考えたから、殺されたのだ」などと言い出す。引き寄せ引き寄せの大合唱だ。いじめられて死んだ人は、いじめを引き寄せた。だからだめなんだと、いじめたほうのことはまるで問題にしないで、いじめられたほうをせめる。そうなると、どういうことになるかというと、「やったものがやりがちの世の中」になる。そりゃ、Aさんが所属している高次元世界では、そういうことは起こらないのかもしれないけど、この世ではそういうことが起こる。だから、高次元世界の基準をこの世に持ち込んではいけないのである。かってに高次元世界の基準を持ち込んで、悲しんでいる人を罵倒する。悪く言う。Aさんによれば「こだわらないようにするのがよい」のである。だから、娘を殺されたFさんもGさんも、過去の不幸な出来事にこだわらないようすれば良いのであるということを言う。たしかに、どれだけFさんとGさんがどれだけ悲しんでも、Eさんはこの世に帰ってこない。けど、FさんとGさんが、「すべての出来事は中立的だ。娘が殺されたのは悪いことではない。解釈の問題だから、良いことだと解釈することもできる。娘を殺した人は悪い人ではない。なぜなら、悪い人はこの世にはいないからだ」とニコニコ話し合うようになればいいとは、思えない。すべての出来事が中立的であるとしても、受け取る側には受け取る側の文脈がある。なんの罪もない娘を殺された両親が、娘を殺されたという出来事を中立的な出来事としてとらえるというのは、無理があるとは思わないか? 私は無理があると思う。どうしてなら、繰り返しになるけど、文脈があるからだ。


2017年12月12日火曜日

ヘビメタでとどめを刺された

かなりやばい状態になっている。
このあいだとはちょっとちがう感じでだめになっている。
ヘビメタのことが……。

喉の渇きが尋常じゃないけど、それをのぞいても、おかしい。
精神的にきてる。

このあいだとはまた違う感じなんだけど、人生の無意味を感じる……。
それから、なんて言うのかな、楽しめない。決定的に楽しめない。普通のひとの気分になれない。ヘビメタ騒音前の普通の気分になれない。ものすごく落ちている。

作業はぜんぜんする気になれないな。
買い物にも行けない。

正直言ってこの人生はつらい。ヘビメタをやられる前から、気違い親父の攻撃は受けていたけど、ヘビメタでとどめを刺された。ヘビメタ騒音が長すぎる。普通のひとが将来のための用意をするとき、ぜんぜん用意ができなかった。マイナスしかないからね。

いま、午後五時一五分だけど、ヘビメタ騒音が鳴っている感じしかしない。とてもくるしい。

いろいろな負の記憶がおそってくる

だるい。この意識状態で、「ひるま」起きているのはものすごくやばい。これはやばい。まだ、夜のほうがいい。
だるい。そうとうにやばい。
ほんとうに、いろいろな負の記憶がおそってくる。
特に、人間関係、きてるなぁ。

きちがいヘビメタをずっとやられたら、人間関係なんて、うまくいくわけがないんだよ。ほんとうに、気違い兄貴の趣味で、すべてが消えたな。あんなに頑固に鳴って鳴らすとは、思わなかった。思ってなかった。けど、気違い的な意地で鳴らす。絶対やめてくなかった。やられた音が、ボディーブローのように効いて、日中、めちゃくちゃにだるい状態になる。だるい状態になっているのに、普通の人に合わせて、無理矢理動いていた。全部が限界だった。きちがいヘビメタを毎日、午後一一時一一分までやられた人じゃないと、わからないと思う。この体の感覚がわからないと思う。

どれだけ言われたって気にしない

塩味のワンタンが出てきたので、熱湯を注いで食べている。
これ、けっこううまい。うまーー。これ、うまー。
何年たっているのかな? もう、四年ぐらい前のやつだと思うけど、ぜんぜん味が落ちてない。やっぱり、乾燥ものは強いな。
塩ラーメンのスープみたいでうまい。

お湯をそそいでまたないとねーー


ところでぼくは、つまらない。こんなつまらない気持ちで生きているなんて……。

もうすぐ、夜が明ける。早朝散歩ができるけどどうしようかな? 俺、たぶん、こんな感じで歳をとって死ぬんだろうな。この人生はなんだったか? はぁ~~。ほんとう、涙が浮かぶね。気違い兄貴のヘビメタ騒音で、全部ない。

なんかいい感じにならないかな~~

うー、明けてきた。
いま外に出ないとダメだな。
やっぱ、寒い。

あとでいいや。
二、三年間、東京に住んでみようかな。

人生の思い出。

どうせここにいてもたいしたことはやってないしな。

昨日、セブンイレブンのミートソースパゲッティーを食べたかったんだけど、ミートソーススパゲッティーがなかったんだよ。冷凍物置き場のカゴの下を見てもなかったし、店員に聞いてもやっぱりなかった。あそこにないとないわけか。だから、明太子スパゲッティーを買ったんだけど、ミートソースが食いたいという欲求がなくならないわけよ。スパゲッティーは食べたけど、ミートソーススパゲッティーは食べてない。これがでかい。

どうしても、セブンイレブンのミートソースパゲッティーを食べたい。

というわけで、今日もまた買いに行くかもしれない。

明るくなった。

カラスがないている。
かーかー。

どこを歩いてたって、ヘビメタ騒音で「しぼんだ気持ち」なんだよな。これ、しょうがないんだよ。これが、「この世の雰囲気」になってしまった。東京に住みたいとか言ったけど、東京の街を歩いていても「この雰囲気」にはかわりがないわけ。ぼくが行くのは秋葉原と神田神保町あたりだけだけど、実はあそこらへんも「暗い気持ち」がつきまとっている。渋谷もあったか。英会話スクールが渋谷にあったんだよ。だから、澁谷に通っていたときもあった。あとは、アルバイト先が三河島と飯田橋にあったな。あとは、高校も実は東京なんだよ。どこに行ってもヘビメタ騒音で!暗い気持ちだから、自分が行った場所は、なんか暗い思い出がつきまとう。

むなしーー。

外に出てもおなじなんだよ。ヘビメタ騒音で「こころに風穴」があいている。だれといても、どこにいてもおなじなんだよな。ヘビメタ騒音で、暗すぎる。ヘビメタ騒音が「どんだけのおもし」だったか。おもしだよおもし。二四時間中二四時間続く重石だよ。三六五日中三六五日続く重石だよ。だから、いまの俺が東京に住んだとしても、かわりはない。ただ、イベントなどには行きやすいだろうなというのがある。人付き合いは増えるだろうな。

ぼくは別にもともと人付き合いはきらいじゃないんだよ。友達といろいろとやるのは楽しかった。ヘビメタ騒音が毎日一〇年以上続いて、最後はダメになっちゃたんだけどさ。ヘビメタ騒音を抱えていると、ほんとうに、人付き合いがしんどくなる。通勤して働けなくなる。普通に働けなくなる。

ヘビメタ騒音という爆弾を抱えていると、全部がくるしくなる。気違い兄貴、ヘビメタが毎日鳴っているということは、そういうことだ。気違いだから、親父とおなじでまったく気にしないのな。

どれだけ言われても、気にならないんだよ。自分が一〇〇%できるなら、どれだけ言われたって気にしないし、関与さえ認めない。気にしないというよりも気にすることができない。能力的に気にすることができない。

そういう能力がない。親父とおなじなんだよ。自分がやっているときにやっていることをやめさせられそうになったら、発狂するわけで、それは、わかるんだよ。

気違い兄貴が鳴らしているときに「鳴らすな、静かにしろ」「ちゃんとヘッドホンをして静かにしろ」と言われたら、真っ赤な顔をして怒って、鳴らし続けるけど、それで、「迷惑をかけた」という気持ちがわからない。相手の言い分を無視して、自分がやりたいことをやりきったという認知がない。まったくつもりがない状態だ。やっているんだけどね。こだわりつくしてやっているんだけどね。常に毎日そういう状態だ。

2017年12月11日月曜日

ネガティブ・エンガチョは利己心から出ていること(1)

今日は風呂に入るぞ。
あ、そういえば、行ってきた。
ちゃんと、ご飯を買ってきた。おかずを買ってきた。
パンも買ってきた。菓子パン。なぜか、菓子パン。菓子パンは体に良くないのはわかるけど、なぜか、食べたくなったから、買った。白菜の漬け物は、体に良さそうなんだけど、「国産」と書いてあるだけで、産地は特定できないので、福島周辺である可能性がある。「国産」があやしいんだよな。

「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」というようなことを言うひとがいる。これは、そのひとが、そのように自分の過去を考えるというのであればまったく問題はない。けど、統一原理として、だれでもそれが成り立つと言うのであれば問題だ。そして、こういうひとたちは「すべては、まるまるだ」というような言い方が好きなので、たぶん、自分だけではなくて、他のひとにも同様に成り立っていると思っていると、思う。そうすると、これは、傲慢なわけで、「勝手に決めつけるな」と言いたくなる。このひとたちは、「やりがち」の世界を作ろうとしている。たぶん、そのひとは、感覚がずれている親にひどいことをされ続けたというような過去がないのだろう。あるいは、感覚がずれているひとにひどい濃さをされ続けたというような過去がないのだろう。ヒトゴトであればなんとだって言える。これ、かってにこの世をひどいことがない世界にしてしまっている。だから、やられたやつのことは、まったく考えてない。世の中は広いので、ほんとうはやられてないのに、妄想のなかでやられたから、現実世界でやられたと考えるひとがいる。そのひとが勝手に復讐を考えて、復讐的な行為をするという場合もある。そういう場合と、ほんとうにやられた場合はちがう。こういうひと……「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」というようなことを言うひとは、実際にひどいことをされ続けた場合と実際にはひどいことをされてない場合を、まったく区別してない。「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」というようなことを言うひとにとっては、どっちも同じようなものなのである。さらに、こういうひとたちは、たとえどれだけひどいことをされたにしろ、ひと?をうらんでいるひとを嫌うのである。これは、ネガティブ・エンガチョの世界だ。なんらかのことでひとをうらんでいるひとを嫌うというのは、わからないではない。それは、自分にはまったく関係がないことだからだ。自分にはまったく関係がないのに、相手の負の感情をみせられるというのは、気持ちがいいものではない……ということになっている。で、こは、これ自体が実は「負の感情」なのである。ネガティブ・エンガチョの感情なのである。だから、こういうひとは、実は、負の感情を見せられたということに関して、負の感情(ネガティブな感情)がある。そういうひとが「支配している世界」を考えてみよう。そういうひとが支配している世界は、一見、高次元のひとたちによって構成されている天国のような世界なのだけど……ほんとうは、地獄だ。キレイゴト地獄なのだ。やられたひとは、恨みの感情を持ってはいけないのである。そもそも、そういうことを言うならば、やられるというとがない世界じゃなければならないのだ。ひどいことをされるということがない世界、……そういうことを思いつくひとがいないからそういうことが実行されない世界でなければならない。ひとがいやがることを、むちゃくちゃに追求して、やるひと間がいる。そのひとは、そのひとの世界観にしたがってそういうひどいことをするわけで、そのひとの世界観のなかでは、ひどいことではないのだ。「そんなのは、たしいたことじゃない」ということになっている。あるいは、特殊な考えに基づいて「自分はそうしていい」と考えているかもしれない。他のひとがそうするのは良くないことだけじ、自分がするのはいいことだと考えているのかもしれない。あるいは、自分にはそうする権利があるからそうしていいと思っているのかもしれない。いずれにせよ、そういうひとがこの世にいる限りは、実は、キレイゴトを言うひとたちは、キレイゴト地獄を作り出すことになる。もちろん、そのひとたちがそういうことを言っているだけということになるけどね。なんの拘束力もないわけだから。だいたい、そういうことを言うひとが拘束力を持っているのであれば、そもそも、悪はなされないのである。だから、そういうひとたちが拘束力を持っているのであれば、そういうことがない世界をまず、つくらなければならない。しかし、もちろん拘束力なんてものはないから、他のひとは勝手に、ひどいことをする。その場合、ひどいことをされたひとは、ひどいことをされたと言ってはいけないということになる。
ネガティブ・エンガチョに関しては、自分の身を守りたいというのはわかるけどさ。そこまで、防衛的になっているのであれば、もちろん、他のひとの防衛心も認めなければならないということになる。実際にされたことについては、やはり、そのひとにとっては意味があることなのである。無意味化できないことなのである。もちろん、他人事であれば、無意味化できる。「言ってはいけない」と無慈悲にいうことができる。それは、防衛心から出てくることで、「高次元人」だからというわけではない。ようするに、こういうひとたちはそうではない世界に存在しながら、他人事にかんしてはそうであることを求めているだけなのだ。どうして求めるかというと、それは、自分が不愉快な思いをしたくないからである。だから、そういった意味でも、本人が考えているほど、「高次元人」ではなくて、この世の普通のひとなのだ。ほんとうは自分が不愉快な思いをしたくないという気持ちから、キレイゴトを言っているだけで、それこそ、ネガティブだ。ただ、キレイゴトで頭がいっぱいだから、自分がどれだけ、不幸なひとに無慈悲なことを言っているのか、気がつかないだけだ。


そういうひとたちというような言葉を使ったのでわかりにくいところがあると思う。「過去の解釈を変えれば、過去はかわる」というようなことを言うひとをAさん。本人が親に虐待されたので、子供を虐待している現在親であるひとをBさん。親に虐待されている子供をCさんということにする。そうすると、親にどれだけ虐待されても、Cさんは、「親に虐待された」と言ってはいけないということになる。それは、不幸なことでネガティブなことだから、言ってはいけないのである。また、虐待されたと言うことに関して負の感情を持ってはいけないのである。恨みの感情を持ってはいけないのである。なぜなら、恨みの感情を持つということ自体が悪いことだからである。なので、Aさんは、Cさんに、恨みの感情を持つな、虐待されたというなというようなことを求める。それは、Aさんが、他人の不満の表出を過度に気にしているから!である。他人が怒っているところを見ると、不愉快な気持ちになるからである。不幸な話を聞くと、自分も不幸な気分になるからである。だから、Cさんが事実について報告することすら、不愉快なことだと感じる。こういうこころの狭さが実はある。なお、Aさんは、Bさんのことは特にせめない。せめるというのは、攻撃になるからだ。Aさんはだれのことも攻撃したくないのである。また、「他人のやっかいな話し」に首をつっこむということはしたくないのであろう。それは、わかる。けど、これは、自分がやっかいなことに巻き込まれたくないという利己的なこころから発していることだということは、自覚しておこう。そういう自覚がまったくない。まあ、いいや。ともかく、Aさんは、Bさんのことは、せめない。Bさんが生きているにしろ、悪く言わない。これは、もちろん、Cさんの話を聞いただけでは、Cさんが話していることがほんとうに事実なのかどうかわからないということにも、原因がある。一応、話しとして聞くだけなら、中立的な立場を保たなければならないと思うのが人間だから、これは、いたしたがないことだ。しかし、Cさんの話が事実であるということがはっきりしている場合でも、Aさんは、Bさんをせめない。Aさんは、Cさんしかせめない。悪いことをしたひとではなくて、悪いことをされたひとのほうをせめる。説教をする。「恨みの気持ちをもつな」というようなことを言う。AさんはBさんのようなひとには、近づかないし、Bさんのようなひとがいるということを、キレイゴトの話しをするときは、認めてない。Aさんにとっては、Bさんはいてもいなくてもいいひとであり、同時にいてはならないひとなのである。だから、Bさんのような存在は、存在として無視する。自分が本来住むべき高次元の世界には、そんなひとはいないのである。けど、自分が住んでいるこの世にはそんなひと(Bさんのようなひと)はいる。いるけど、すでにこの世が理想世界(高次元の世界)だと無前提に思っているところがあるので、Bさんのような存在は、進んで無視するのである。やはり、いたっていなくたっておなじなのである。自分がBさんのようなひとに、ひどいことを、ずーーーっとされたことがないからだ。家族のなかにそういう人間がいるということを経験したことがない人間なので、すでに大人になっている自分は、じゅうぶんにそういう人間を避けられると思っているのだ。実際、たぶん、力関係がはっきりしている組織なかで、そういう人間に「やられたこと」がないのだと思う。だから、お花畑で平気なのだ。これは、やられたことがないから、……(Aさんは)そういうひと(Bさんのようなひとに)力関係がはっきりしている組織の中で長期間にわたって虐待されたことがないので、実際に恨みの感情がない状態なのである。これは、やられたことがないから、ないというだけのことであって、Aさんが人間的にすぐれているから、やられても恨みの感情がわかないということではない。Aさんは、実は、Cさんを道徳的にせめるという悪いことをしている。Aさんのような立場のひとは、……道徳観があるひとなら……ほんとうは(事実であるということがはっきりしたなら)Bさんのことを道徳的にせめるべきだ。せめるなら、Bさんであるはずだ。けど、Bさんのようなひとのことは、こわくて?せめられない。道徳的にせめられない。Bさんではなくて、Cさんを道徳的にせめる。「復讐心を持った」「うらみの感情を持った」ということ(自体)をせめる。これは、おかしい。
けど、Aさんは、うすっぺらな利己心からそうする。自分が不愉快な思いをしたくないという利己心から、Cさんの発言を封印しようとする。

   *   *   *

自分が不愉快な気持ちになりたくないから、自分に関係がない不幸話は聞きたくないということを認めたほうがいいんじゃないかな。ようするに、自分の気持ちが(傷つく)のがいやだから、不幸な話しをする人を、批判!するのである。ゆるしてない人を批判する。そういう自己保存的な気持ちをもうちょっと認めてあげたほうがいいよ。「真実だから言っているのではなくて、自分が不愉快な思いをしたくないから言っているだけだ」ということに気がついたほうがいい。

自分に関係がないくらい話しをされて、暗い気持ちになるというのがいやだというような気持ちはわかる。ぼくだってそういう行動をするときがある。けど、悲しんでいる人や(自分にはまったく関係がない誰かを)うらんでいる人には、それぞれ、その人(たち)の文脈があるんだなということは、理解している。自分には関係がない話しだけど理解している。実際にこの世で起こったことなら、この世で起こったことなので、そりゃ、人間としてはそう感じることもあるでしょう……そういう状態になってしまうこともあるということを理解している。気持ちを封印するのが、真実だとは思えない。やりがちの世界になってしまうのだよ。

だいたい、ゆるさない人を揶揄する人たちは……自分のそういう行動がほんとうはネガティブなことだということに気がついてない。それは、たぶん、他人の経験(妄想ではなく実際に経験した経験)に対する畏怖のこころがないのだろう。ようするに、なにもわかってないのである。ほんとうは、集合的な名詞を使うことによって、そこに含まれている人たちを、傷つけている。

「言えばちゃんとやめてくれる」

いろいろと思うところがある。
けっきょく金なんだよな。ぼくの場合。金があれば……じゅうぶんすぎるほどの金があれば……人付き合いも気楽にできる。月に四〇万ぐらいあればなぁ。これが月に一〇万だときついんだよな。あとは、睡眠障害の問題とヘビメタ騒音の問題がある。これは、他のひとには理解されにくいということがわかった。けど、ヘビメタ騒音の問題は、「いまのぼく」に「ちょくせつ」の影響を与えている。過去のことじゃないんだよ。これも、ヘビメタ騒音を一日も経験したことがない人が、かってに「かこはかこ」とか言ってくるけど、そうじゃない。いま現在の問題だ。けど、もう、そういうのも、つかれた。そういうひとに対応するのもつかれた。そもそもが、気違い兄貴の、「ちきちがせい」が問題になる。気違い親父の「きちがいせい」が問題になる。「やったってやってない」が常に現在進行形で成り立つなら、殺すしかないだろ。しかも、ほんとうに本人は、「やったつもりがない」のだから。あれだけこだわってやったくせに、よくいうよ。ちょっとでも、やめさせられそうになると、やめさせらそうなったということで、発狂して、あぶらあせをかいて、しがみついてやろうとする。やりきる。殺さないと、「中断させること」ができない。これ、どんだけの障害か。やられている人間にとってどれだけの障害か。こんなの、ほんとうは本人の頭の障害なんだけど、あるいは、本人の気持ちの障害なんだけど、……意地になってやることが「騒音をだす」ということだと……やられたひとが、障害者になってしまう。やっている本人は、そりゃ、ストレス発散でいいわけだから、やれるうちは、まったく問題なくくらすことかできる。気違い親父にしたって、きちがい的な理由で、怒り狂うことができるのだから、気違い親父にとって良いことが続くのである。ようするに、勝手気ままに、きちがい的な理由で八つ当たりすることによって、ストレスが発散されるので、気違い親父にとっては良い状態が続くということになってしまう。だから、自分では、もちろんやめられない。きちがい的な理由で八つ当たりをするという特権を自分から手放すわけがない。兄貴にしたって、自分がきちがい的な理由で、ものすごくでかい音で好きな音楽を鳴らすことができるという特権を自分から手放すわけがない。やりが治しているほうが、そういう特権を手放すわけがないのである。やれるわけだから。こういうことがわかってない人がいるんだよな。感覚的にわかってない。だから、「言えばいい」「言えばちゃんとやってくれる」「言えばちゃんとやめてくれる」と言いやがる。けど、それは、状態を知らないだけだ。間違っている。

2017年12月10日日曜日

「やめろ!!やめろ!!」と叫んでいるときの気持ち

どんなときも鬼の意地で鳴らして、静かにしなかったのに、「静かにしてやった」と思っているのが気違い兄貴なんだよ。こんなのない。いつも毎日そういう「日」なんだよ。例外なくそういう「日」なんだよ。ほんとうに試験期間中だって、「静かにしてくれ」と言われて一分間ちゃんと静かにしてやったことがないのが、気違い兄貴なんだよ。午後七時までは、ガンガン鳴らすけど、午後七時以降は、試験期間中は鳴らさないでくれるというようなことをしてくれなかったのが、気違い兄貴なんだよ。それで、「静かにしてやった」なんて言っている。そういうふざけた態度で、一〇時間鳴らせるなら、一分もゆずらないで一〇時間鳴らしたのが気違い兄貴なんだよ。いっぷんかんほんとうに自分が我慢するとなったら、入試だろうがなんだろうが、憤慨して、鳴らし続けるのが気違い兄貴なんだよ。本人が、そういう意地に気がつかない。常にそうやって憤慨して憤慨して、こっちの言い分を踏みにじって、でかいでかい音で鳴らし続けているのに、「静かにしてやった」と思っているのが気違い兄貴なんだよ。で、他のひとにどれだけ言ってもわからないだろうけど、あの空間はない。あの空間はこの空間だ。死にたい。絶対わからないんだよな。あのしつこさや、強引さがわからない。ほんとうに死にものぐるいの意地で鳴らす。で、鳴らすとなったら「一分だって一秒だって本当に我慢して静かにしてやる」のは、絶対にどんなことがあっても、いやなんだよ。だから、やってやらない。やってやらないのに……静かにしてやったと思っているのが気違い兄貴。いつもいつも、そういうやり方で、すべての時間鳴らし続ける。だから、気違い兄貴が家にいるのに鳴らしてないなんてことはないんだよ。気違い兄貴が鳴らせる状態でうちにいるのに、我慢して静かにするなんていうのは絶対にないんだよ。絶対にないのに、「静かにしてやった」と思っているのが気違い兄貴なんだよ。で、このやり方は、何回も言っているけど「親父がやったこと」なんだよ。だから「うちではそれであたりまえ」なんだよ。気違いが意地を通して、ほんのちょっともゆずらないでやって、それで、気違いだからやってないと思っていうるのが、毎日のことなんだよ。いつも、一日に二四時間、うちでは、そうなんだよ。

あの気違い騒音のなかで、「やめろ!!やめろ!!」と叫んでいるときの気持ちがとまらない。あの連続。あの空間の連続。あの気持ちの連続。……ほんとうに、殺さなければ鳴らさせないようにすることができない。殺さなければ静かにさせることができない。殺すわけにはいかないからやられっぱなしになる。やられっぱなしの一秒はやられっぱなしの一秒なんだよ。一秒でも長いんだよ。それが三六〇〇秒続いたらどう思うんだよ。気持ちが、親父にやられたときのように、コナゴナになってしまうだろ。憤慨して、発狂して、どうしようもない気持ちになってしまうだろ。気違い兄貴やつ、気違い親父がやったことを……兄貴にやったことを……騒音で俺におつけている!! 騒音で!!! 気違い親父と接触しているように、不愉快でいたたまれないんだよ。鳴らされているあいだずっと毎分毎秒、不愉快でいたたまれないんだよ!! 発狂的に、いたたまれないんだよ。

2017年12月9日土曜日

クレパスの下

なんか復活しないとやばいな。
しかし、クレパスの下だ。

ヘビメタでどうしてもくるしい。
やられすぎた。毎日くるしかった。

   *   *   *

どうしても、ヘビメタ騒音でくるしい。
どうしてもヘビメタでくるしい。兄貴のヘビメタで、くるしい。
ズタボロになってくるしい。一〇分の一の力になって、くやしい。一〇分の一の力でも、力を振り絞ってそれという感じだからな。ほんとう、毎日が、ヘビメタで引きずられて、くるしい。これ、いいようがない。このくるしさはいいようがない。つねに「ヘビメタの感じ」がする。「ヘビメタの感じ」から逃れられたときがないな。格下のやつからバカにされるような状態になってしまう。

ヘビメタでくるしい。正論も、リップサービスで意見を合わせるしかないか。特殊状態がわかってない。正論は別の意味で強敵だったな。悪い意味で強敵だった。気違いヘビメタ騒音が鳴ってなかったら、「もっともなことだ」と認めてもいいことが、認められない。特殊な状態のもとでは、その正論は成り立たない。例外がある。けど、正論は「まるまるはなになにだ」というような形をとりやすい。まるまるの部分は抽象的で集合的な名詞になることが多く、例外を前提としてない発言になる。

まあ、いいや。けど、ほんとうに、ヘビメタという異常な状態が成り立っているのに、正論はない。正論にあわせることができなくなる。正論は、世間の常識だから、これはまずい。みんな、いいことを言ってるつもりになっていっていることだからな。水を差すと、うらまれる。けど、この「(水を差されたという)うらみの感情」だって、正論的には?ネガティブなことなのに、本人はネガティブだとは思ってないんだよな。スピ系の正論と、エセ心理学系の正論はやっかいだ。

2017年12月8日金曜日

限界の縁

正直言って「さみしい!!!!!」「さみしい!!!!」「さみしいよぉぉぉぉぉ!!!!!!」。

きゅうにさみしくなった。

   *   *   *

あーむなしい。
あーーさみしい。

むなしい。

犬、うっせ。
そういえば、昨日寝る前に、ギャンギャン吠えてうるさかったな。犬の)家のひとはいなかったみたいなんだよな。(犬が)さみしかったのか、ずーーーっと、吠えっぱなし。いてやるか、連れて行けよ。飼い主が知らないあいだにうるさくしているからな。四〇分ぐらいうるさかったな。

布団、かぶって寝たけど、うるさかった。


   *   *   *


ここでどれだけ「むなしい」と書いたって、むなしさは消えない。
どうにか対策を練るべきだが、対策はない。
いや、架空の対策ならある。カクウ!!のね。架空の対策なら、いくつか思いつくものがある。実際やるかというとやらない。だから、架空。


架空の対策でもやるべきなのかね。
すくなくても、ここで独白しているよりはましだろ。

けど、ほんとうに、いろいろあったんだよ。
主にヘビメタ騒音関係のことだけど。
全部が全部、ヘビメタ騒音関係のことなっている。

どんだけ俺が、ヘビメタに足を引っぱられて、普通のことができなかったか。どんだけ俺が、ヘビメタに足を引っぱられて、ヘビメタ騒音なしならできることができなかったか。これ、他のひとには、「ヘビメタ騒音がなくたって(できない)」……と思われることだって、できた。けど、ヘビメタ騒音がなかった世界というのはないんだよ。現実じゃないんだよ。ほんとうに、毎日、午後一一時まで鳴っているということが、どれだけでかいことか。だれもわからない。親友・お母さんでもわからない。直接、真横の部屋で聞かされ続けたのは俺だけだから。気違い兄貴はまるで、「こだわってない」みたいな言い方だけど、あるいは、もっとすっとぼけて「やってない」というような言い方だけど、どれだけこだわってこだわって、やり抜いたか。どれだけ、俺の発言を無視したか。もう、鼻からちがう。親父のようにちがう。普通の人間と親父のようにちがう。普通の人間の「意地」と親父のゆがんだ、気違い的な意地はちがうんだよ。で、兄貴の意地も、普通の人間の意地とちがう。だいたい、兄貴にしたって、いま住んでいるところでは、一分も鳴らせない。一分も我慢しないで鳴らしていた音を……一分も鳴らせないんだぞ。どれだけでかい音かわかる。気違い兄貴にしたって、「よそのうち」じゃ鳴らせないようなでかい音なんだよ。「静かにしてやった」時間も含めて、「よそのうちでは一分だって鳴らせないような」デカイ音で鳴らしてたんだよ。で、一分だってゆずらないで鳴らして、あたりまえだったんだよ。あたりまえのこんこんちきだったんだよ。

ほんとう、ダイヤとのケンカだって、ヘビメタ騒音が原因なんだからな。ヘビメタ騒音にかんするダイヤのヒトコトが、どうしても我慢できなかった。我慢できないというか、なんと言うか、気持ちがはなれちゃった。もともと、ぼくは他人のヒトコトを気にしすぎるところがある。
ヒトコトで気持ちがはなれちゃうところがあるんだよな。けど、気違い兄貴は鳴らしすぎ。あとは、わかっているはずの」ダイヤに言われたというのも、つらかった。つらすぎた。けど、ダイヤがいなかったら、ほんとうに、中学時代に、死んでる。ぼくが自殺して死んでいる。ヘビメタ騒音がつらくて、だれにも言わなかったらやはり、ヘビメタ騒音がつらくて死んでいるか、あるいは、気違い兄貴を殺している。これ、「騒音で殺人とかおおげさ」とか思うかもしれないけど、ぜんぜんちがう。ほんとうにちがう。「騒音で自殺とかおおげさ」とか思うかもしれないけど、ほんとうにちがう。毎日聞かされ続けるというのが、尋常じゃないんだよな。

ちょっとだけいっておくと、ぼくは、ヘビメタ騒音で、限界の縁まできている。一五年で、騒音関係の我慢の限界の縁まできている。だから、犬の騒音でもなんの騒音でも、「わらいっぽん」の重さ……つまり、わら一本分の小さな刺激でで、爆発する。縁まできているから。縁まできているということは覚えておいてほしい。とは言っても、実際には、怒鳴ったり、怒ったりするだけで、どうこうするわけじゃないけどさ。縁まできているのは人間の状態としてまずいんだよな。

縁まできていると言えば、さみしさの我慢の限界もある。けど、これもどのみちなにもしないのだろう。全部がヘビメタ騒音で毎日すり減った。ほんとうに、全部ないよ。からっからで、全部ない。ヘビメタ騒音がなければ……ヘビメタ騒音が一四年間も毎日続かなければ、縁まできてないんだよ。縁まできてないということは、普通の人間の許容量とおなじだということだ。

死んだってやりたくないことだから発狂してやってやらない

いま、室内用ダウンコートを着ているんだけど、このまま、買い物に行ってしまうか、外行き用ダウンコートに着替えるかどうかまよっている。まあ、歩いているときも、店内で大根を選んでいるときも、ヘビメタ騒音の感覚がよぎるんだけどな。これ、だれに言ってもわからないだろうけど、「ヘビメタ騒音の不安」「ヘビメタ騒音でこまった気持ち」ばっかりなのである。これ、消えない。昼も夜も消えない。

ほんとうに、気にしているから気になるというものではない。ほんとうにどれだけ無視があるか。どれだけの「感情消費」があるか。おまえ、あれ、生活そのものだった。生活そのもの」なんだよ。生きている空間そのものなんだよ。気違い兄貴!! おまえ、あんなにこだわって、毎日毎日やりったの「つもりがない」ままなのかよ? ほんとうにこだわりかたが、おかしい。こだわりかたが異常。

気違い兄貴のこだわりかたというのは、親父のこだわりかたとおなじなんだよ。親父がわけのわからないことで怒り狂っているときとおなじなんだよ。親父が、わけのわからないことを言っているときとおなじなんだよ。どんだけの「感情消費」があるか。ほんとう、死にものぐるいだからな。ほんとうにそんなの、ヒトコト言えば通じるということが……幼稚園生にも通じるということが、まったく通じない。頭がおかしいレベルで通じない。で、その頭がおかしいレベルで通じないとき、意地になっているわけで、「どうでもいいこと」ではないのである。怒っている人にとって、それが!!「どうでもいいこと」ではないのである。怒っている人にとって「つもりがないこと」じゃないのである。気違い兄貴にわかりやすく言うと……まったく関係ない人にはまったくわからないだろうけど……ハンダゴテ事件のときの親父の態度が、兄貴のヘビメタ事件の態度とまったくおなじなんだよ。親父が出してきたハンダゴテが「使えない」ということは、幼稚園生でもわかるのに、どれだけ言ってもわからない。兄貴が鳴らしている音がとてつもなくでかいことは、幼稚園生でもわかることなのに、どれだけ言ってもわからない。こだわりつくして、自分の主張をまげない。自分がやることをかえない。親父にとって、ハンダゴテが使えないということを認めて、新しいハンダゴテを買ってやることは、あり得ないことなのである。その時点であり得ないことなのである。死んだってやりたくないことだから発狂して、頭がおかしいこと(認知がズレていること)を激しく主張する。けど、これがまた、おかしいことなのだけど、自分の主張を押し通せば……無理矢理押し通せば、その途端に自分が関係がないひとになって、主張をしなかったということになってしまうのである。(やってないやってない)(こだわってないこだわってない)(なんだなんだ)と発狂する。あとになれば、発狂する。主張して、やってくれなかったと言われると、発狂するんだよ。「やってやったやってやった」。全部、おなじだからな。

2017年12月7日木曜日

よその人は、わからない

昨日は風呂に入る気がしなかったけど、今日は風呂に入る気がある。なので、気持ちがちがう。まあ、風呂に入るとかそういうことだけど、実は「働く」というようなこと「作業をする」というようなことでもおなじことが言えるのではないかと思う。

昨日のぼくに、「風呂に入れ」と言ったって、そりゃ無理さ。なんか、風呂に入ったら風邪がひどくなりそうだし、……ともかく、理由はさておき、「やる気がしないと言ったらやる気がしないのだ」。

だから、ま、あ、風呂にかんしては、なにもせずに、寝て、回復を待つというのが正解だったわけだ。けど、ヘビメタ騒音にやられた俺は、「寝て、回復を待つ」だけでは、どうにもならないことがある。やられすぎたからね。ほんとうにきつかったな。毎日が地獄だ。ちなみに、ヘビメタ騒音にやられていた日々はやはり、「風呂に入りたくなかった」。これ、どれだけの損か。

   *   *   *

昨日のぼくを説得しようとしたってムダだ。そりゃ、ほんとうに入りたくないわけだから。あの入りたくない気持ちがわかるか。強烈にからだがしんどくて、それどころじゃないのだ。無理を押して入るとこれがまた、負担になって、倒れてしまう。で、気違いヘビメタ騒音が鳴り始める前はそんなことじゃなかったんだけど、ヘビメタ騒音が三ヶ月、六ヶ月、一年、二年と毎日、午後一一時一一分まで続くと、そういう状態になってしまう。

で、ライフハック系の「やる気を出す方法」ではどうにもならないわけ。で、いまの俺でも、昨日の俺の気持ちがわからないようなところがあるわけだ。

だから、これは、他人だったらわからないんだろうなと思う。「タダが風呂で大げさ」「風呂ぐらい入ろうと思えば、いくらだって入れる。入れないなんていうのは甘えだ」と思うかもしれないけど、なんて言うのかな……そのときどきの気分がある。そのときどきの体の状態がある。

体の状態が「入るな」「入るとたいへんなことになるぞ」「具合が悪くなるぞ」と言っているのだから、入りたくないのだ。その入りたくない気持ちを押し殺して、十数年間で数千回風呂に入ると、「風呂はいやだ」「風呂から出たあとだるくなる」というようなことを学習してしまう。

で、その学習は、言ってみれば「負の学習」だ。体の状態は「だるい」とか「しんどい」というような言葉でしか表現できないけど、その言葉で表現しようとしているものは、からだの感覚の「総体」であるわけで、けっこう底の方からの気持ちだ。

「だるい」とかし「しんどい」という簡単な言葉で表現されているものは、それほど簡単ではない。実際のからだの感覚の「総体」であるわけだから……。

そして、そのからだが「無理だ」と言ってるのだから、「無理」なのだ。もちろん、「無理」をおして、入ることも、週に一回ぐらいなら可能だ。

けど、それは、無理をしている。

で、ヘビメタ騒音のなかから、風呂に入って、ヘビメタ騒音を聞かされながら、湯船につかって、ヘビメタを騒音聞かされながら、頭を洗っている状態なんて、わかるわけがない。

で、風呂から出たって、一階の居間の部分でガシガシ鳴っているわけだし、自分の部屋に戻るには、気違い兄貴の部屋の前の「階段」を通らなければならない。

あの階段を通るとき、俺がどんな気持ちになると思っているんだ??  気違い兄貴!! 

とりつかれたように鳴らしやがって。気違い兄貴は、きちがい親父にとりつかれているんだよ!! きちがい親父とおなじやり方だからな。本人はまったく意識してないのたいけど、気違い親父にやられてくやしかったことを、俺にやり返している。

気違い兄貴のヘビメタノやり方は、きちがい親父のハンダゴテや電球のやり方とおなじなんだよ。どれだけの、トラブルか!! そして、やっている本人が、真っ赤な顔をして認めないか!!! そして、真っ赤な顔をしてやりきるか!!!

「やってんじゃないか!!」……これが通じない。気違い的な意地でやっていることは、「やってないこと」なのである。

本人は「そんなんじゃない」つもりで、やる。「やるな」と言われたら、顔を真っ赤にして怒ってやるのに、やることができれば「やってないやってない」ってなるんだよ。そういうやり方なんだよ。毎日毎日!!! いつもいつも!!! 全部!!

全部の時間そういうやり方……そういうやり方でやる。こんなの、他のひとにわかるわけがない。常識的なひとにわかるわけがない。けど、驚きなのは、実は、常識的なひとよりも「本人」がわかってないということだ。

自分がやったことなのに、まるで、関係がないんだよな。

どれだけ言われても関係を認めない。関係を認めないということも認めない。関係を認めないということと、関係を認めないということを認めないということも、セットなんだよ。

現在進行形でやりきって、現在進行形でやっていることを認めないというのは、セットだ。現在進行形でやっているときは、真っ赤な顔をして自分がやりたいようにやることにこだわりきってやっているのに、やっているときから……現在進行形でやっているときから、「まったくつもりがない」という気持ちになっている。認識でいる。

常識的なひとも気違い兄貴もわかってない。ついでに言うと、きちがい親父もわかってない。気違い親父の場合、親父がそうしたということもわかってないし、ヘビメタ騒音で長男がそうしたということもわかってない。長男が自分とおなじやり方で、やっている最中にやっていることを認めない……頑固に認めないということをしたということがまったくわかってない。そりゃ、わかるわけがない。兄貴は、親父が兄貴にやったことはわかっているけど、自分が弟にやったということは、親父のやり方で、親父の感覚でわかってない。ようするに、兄貴は、親父が現在進行形できちがい行為やるとき、親父が「やっている」ということをはねのけて認めないという状態にかんしては、ちゃんと認知しているのである。で、自分がやられて、腹を立てて腹を立てて、憤慨して憤慨して、とまらなかったことなのである。だから、親父のそういう頭がおかしい、自分勝手な態度にかんしては、知っている。親父がやっていることを、親父が(現在進行形で認めない)ということがあるということを知っている。けど、自分がヘビメタでそういうことをやるときは、親父とおなじ状態になって、認めないのである。だから、こまる。

「家族で話し合ってください」なんて、よその人が言ってたけど、四人家族のうちに、二人がこういう状態なんだから、無理なんだよ。どれだけ俺が「話しあい」をすることをこころみたか。これ、こういうとこからすでにわからないことなんだよな。何度も言うけど、やっているそばから認めないというのは、うちではあたりまえのことだった。親父が、真っ赤な顔をして怒り狂って押し通す。……けど、押し通してしまったら、親父は、まったくやったつもりがない状態になる。……これが、うちでは、毎日あたりまえだった。ふつーに成り立つことだった。こういうことがわかってないと、「家族なのに、そんなに鳴らして静かにしないなんておかしい」とかずれた感想を持つことになる。家族だから、悪いことをするほうが、憤慨してやりきるんだよ。で、憤慨してやりきったことは、ぜんぜんやってないことなんだよ。で、何回も言うけど、そういう矛盾した態度がずっと成り立つ。そういう矛盾した認知が、ずっと成り立つ。「うちではあたりまえ」だから、うちにいるときは、常にそういう状態で、気違い的な意地を押し通すんだよ。

これ、ほんとうによその人は、わからないんだよな。


2017年12月6日水曜日

こどものときにやられたことが、効く

着替えて行くつもりだったんだけど、なんか、めんどうくさくて行けない。どうしたらいいんだ。
ドクターペッパー、チョコレート。
うーーい

わけがわからないほど、寝てた。
ところどころで、しょうべんに起きている。その時、水を飲んでおけばよかったんだけど、水が冷たいから、だめなんだ。さめるポットを復活させるか。いわゆる魔法瓶。熱すぎて、うわってなるときがあるから、むずかしいんだよね。温度の調整が。

寝ていたというと気持ちが良さそうだけど、実は、かなりやばい状態で横になってた。心細くなるなぁ。そんなときに、優しい美少女メイドでしょ。あーー。

こころの状態からいって、体力状態からいって、けっこうあれなんだよ。やっぱり、復活がむずかしい。ぼくにはヘビメタ騒音問題というのがあって、どーーーしても、それが気になる。気になるというか、つまり、だるいというのがすなわち、ヘビメタ騒音のだるさなんだよ。ヘビメタ騒音でだるい身体をひきずって生きているんだよ。だから、どこに行っても、誰に会っても、解決しない。まあ、即座に抱きしめることができる美少女メイドがいれば、そっちのほうがいいけど。

けど、さぁ。かりにだよ……アイドル級の美少女が美少女メイドをやってくれても、だめなんだよ。こころがおどらない。つまらない顔をしてしまう。そして、つまらない顔をしてしまうことが、なんとなく、自分でもいやだ。けど、ヘビメタ騒音でどうにもならない。友達がいたときとおなじ反応なんだよな。どうしたって、くもるよ。ヘビメタ騒音で不安がいっぱいで、どーーしょうもない気持ちになる。そして、ヘビメタ騒音の蓄積で、ほんとうに身体がだるい。「昨日」のヘビメタ騒音のしんどさが残っている……そういう状態で、こころをゆるせる、気の合うひとと一緒にいても、やっぱり、不安が消えないんだよね。それ、ずっとおなじなんだよな。ずっとヘビメタが鳴っていたから。

三島由紀夫じゃないけど、こどものときにやられたことが、効く。ずっと毎日やられてたことが、効く。





2017年12月5日火曜日

そのうち、元気になる

ちょっと人がきて起こされた。
だるい。

この雰囲気。
このだるさ。

そろそろ風呂に入るべきなのだが、到底無理。


   *   *   *

いまは元気ではないけど、
そのうち、元気になる。

そのうち復活するだろう。ヘビメタ騒音にかんしては終わりがないような気がする。文学にして昇華するしかないか。
にしても、つらい。これ、ほんとうに他のひとにはないことだからな。他のひとにはなかったことだからな。一日だけでもつらいけど、それが、何年間も積み重なったらどれだけ苦しいか……。ヘビメタ騒音が鳴っているのがあたりまえの日々……どれだけ勉強しようと思っても、勉強することができないという状態。これだって、他のひとには、そうは思えないわけで、実際に経験してないまま……「勉強なんて、どれだけ騒音が鳴ってたってできる……やりたくないから、言い訳しているんだ」なんて言われる羽目になる。けど、その人が経験した騒音というのはぼくが経験した毎日の、気違い兄貴による、気違いヘビメタ騒音じゃない。これ、ほんとうに、毎日積み重なるということがどういうことなのかわかってない。工事は、そのうちやむだろ。夜、八時以降は鳴らないはずだ。工事なんてもんじゃないのである。

ともかく、つらい。それから、気違い兄貴の態度は、気違い兄貴も理解してないけど、他のひとも理解できない態度だ。あの態度でやられるということが頭にくる。気違い兄貴の態度は、親父の態度なのである。これも、他のひとには、経験したことがないからわからないことだ。もう、比較の根本がちがう。……どんだけ、腹立たしい気持ちになるか。気違い兄貴よ、気違い兄貴は、親父の態度でヘビメタを鳴らしていた。そして、ヘビメタをデカイ音で鳴らしていたということを、親父の態度で否定している。そういう一生なんだよ。そういう三〇年間なんだよ。おまえ、ほんとう、どれだけ。こいつほんとうに自分がヘビメタ騒音の大きさで、一日中騒音を聞かされたら、どんな気持ちになるかぜんぜんわかってない。しかもやっているやつが、親父の態度でやり続けるなんて、おまえ、そんな腹が立つことにたえられるのかよ? やっている最中から、なにもしてないつもりなんだからな。けど、「やめろ」と言われると、親父のように発狂して、親父のように顔を真っ赤にして、こだわりつくして鳴らす。で、一日が終わってしまえば、「まったく鳴らしたつもりがないまま」なんだからな。入試だろうがなんだろうがそういう状態だったんだよ。普段の日に静かにするわけがないだろ。夏休み、一日中、朝の九時一五分から夜の一一時一一分まで鳴らして、静かにしてくれなかった。どれだけ頼んでも、一分も静かにしてくれなかった。自分が本当に我慢して静かにしてやるつもりなんていうのは、これっぽっちもないんだよ。カオ君がおどろくようなデカイ音で鳴らして、「静かにしてやった」と恩着せがましく思っているだけだ。それは、親父の金に対する態度とおなじなんだよ。親父が「ものをやってやる」ときの態度とおなじなんだよ。まったく意味がないことをして、「やってやったつもりになる」。頭がおかしいから、一〇〇%やりたいことをやり通して、恩着せがましく「ゆずってやった」と思える。自分が本当には一分も一秒も譲ってないということは、よそのうちに行って考えればわかることだからな。おまえ、気違い兄貴!! よそのうちで、おなじことをやってみろ。一日でいいから、おなじことをやってみろ。嫁さんの頭が噴火して、一生うらむことになるからな。あの態度で、一日中、どれだけこっちが「やめろ」と言っても、鳴らしてたら、そういうことになる。気違い兄貴だって、きちがい親父に一日だってそういうことをやられたら……一生うらむような話になるのに、自分が弟にやっていることは、親父とおなじ認識で、わからないんだからな。自分がよそでやれば、一日で、わかるよ。自分が他のひとから、親父の態度でやられれば、一日でわかるよ。けど、そういう屈辱的なこと……もちろん相手にとって屈辱的なこと……を毎日やったって、まったくわかってない状態だからな。ほんとうにそれが、一〇年以上積み重なっても、一日も「そんなことをしたつもりがない」ままなんだからな。そういう態度自体が問題なんだよ。で、そういう問題は、他のひとにはわからない。ヘビメタ騒音はたしかに、騒音の問題だけど、気違い兄貴の認知と態度の問題なんだよ。

2017年12月4日月曜日

ほんとう、どんだけ……。

ほんとうにヘビメタ騒音で!つかれたな。
あの日々はない。
ほんとう、どんだけ……。
内因性の鬱病のひとにはわからない世界だ。

何千日続けてやられたと思っているんだよ?
そして、何千日、俺がそれでも朝起きて学校に通ったと思っているんだよ? 日曜なんて朝から午後一一時一一分まで鳴らされて、ほんとうに、勉強することができないんだからな。そういう毎日で良いはずがないだろ。過労死寸前のサラリーマンのような月曜日でいいわけがないだろ。つかれ方が違うんだよ。

2017年12月3日日曜日

「マイナス三〇度の世界だって寒くないし、裸足で暮らせる」

腹が痛くならないようにちょっとだけ食べたけど、腹がいたくなった。
ビオフェルミンを飲めば、二時間ぐらい、あるいは二時間以内に腹がいたくなくなるから、まあいいや。

やっぱり部屋でダウンコートを着るとあったかいな。

これも、「あったかい」と思うから、あったかく感じるのではなくて、あったかいと感じるから、そのあとに「あったかい」と言うのである。
どれだけ寒くても、「あっかい」と言えば、「あったかくなる」という方法だと、体に負担がかかってしまうのである。それは、本人は意識してなくても、ストレスとしてたまる場合がある。

もちろん、本人が「あったかいと言えばあったかくなる」という考えにとりつかれていて、本人がそれで通すというのであれば、別に、問題はない。問題なのは、俺が寒いときに、寒いといった場合だ。その人が、その俺の言葉を聞いたときに「寒いと言うから、寒くなる」と言うから、問題が生じる。

ご本人が、外気温マイナス三〇度の世界で、「寒いと言うから、寒くなる」「あったかいあったかい」「ありがたいありがたい」と言って、丸裸で暮らしているのであれば、それは問題がない。勝手にそうしていればよいのであ~~~る。

実際人間は、マイナス三〇度ぐらいでも、素足で暮らせる場合がある。外套は着てるんだけどな。暮らせると言っても、(裸足でも)動いているなら、寒さを感じない時間があるというだけで、眠ってしまったらまずいんだよ。これ、寒さを感じない時間があるということと、寝る時間を含めて、生活すると言うことをゴッチャにしている人がいるんだよな。

どれだけ、人間の能力を過信していても、どれだけ言霊に凝っていたとしても、外気温マイナス三〇度のとき、外で眠ってしまったら、だめだ。元気に暮らせない。「気にするからだめなんだ」ということを強弁するひとは、「マイナス三〇度の世界だって寒くないし、裸足で暮らせる」と言ったりする。

本人は、ほんとうは、石油ストーブをガンガンたいて、酒を飲んで、こたつに入って、「マイナス三〇度の世界だって寒くないし、裸足で暮らせる」と掲示板に書き込んだり、ブログに書くだけなんだけどな。本人は石油ストーブをガンガンたいて、そういうことをあたかも真実(真理)のように書く人がいる。

しかも、本人はわりと本気で、嘘を言っているつもりがないのである。「じゃあ、やってみろ」と言われるとやらないわけだけどさ。「やってみろ」とは言わないけどさ。どうしてかと言うと、実際にやられて死なれるとあんまりいい感じがしないからだ。

   *   *   *

書いているうちに、腹がいたくなくなった。たとえば、これを「ビオフェルミンを飲んだから腹がいたなくなった」と思うこともできる。しかし、ビオフェルミンを飲まなくても、おなじぐらいの時間で腹がいたくなくなる可能性もある。この場合、実際にはビオフェルミンを飲んでしまったので、ほっておいた場合の話し(ビオフェルミンを飲まなかった場合の話し)は架空の話になる。飲んだのだから飲まなかった場合の話しを考えてみてもムダだとは言える。たいていの場合なおってしまえば、そういうことにはこだわらないだろう。けど、原因の帰属理論は重要だ。だから、実験的に今度は、腹がいたくなったとき、ビオフェルミンを飲まないで、どのくらいの時間で腹がいたくなくなるかというのを計る必要がある。しかし、一回目の事柄と、二回目の事柄は、同じような事柄であったとしても、おなじ事柄ではないということが言える。ようするに、腹がいたくなったということはおなじなのだけど、一回目の腹がいたくなった状態と二回目の腹がいたくなった状態は、厳密に言えば、「まったくちがうこと」なのである。実際には、常にそういうことが成り立っている。


開運グッツと御利益の法則

開運グッツについてちょっとだけ言っておく。ほんとうにその人が、その開運グッツの海運力」「ごりやく」を信じているのなら、いいことが起こる可能性は上がる。この「いいこと」というのも、解釈の問題だから、どんなことでも、「いいこと」として認知されることはある。

だから、最初から「御利益バイアス」がかかっていると思ってもいい。けど、御利益バイアスも含めて、そういうことに関しては、気の持ちよう」だから、ほんとうに自分が信じていて、ほんとうに自分が気持ちよくなれるようなものであれば、開運グッツはもっていたほうがいいとは思う。ほんとうに自分が信じられるならね。

開運グッツと言ったけど、長財布でも「長財布を使えば自分は金持ちなれる」とほんとうに信じているなら、確信があるなら長財布を使うのも一考だ。

それから、ある種の考えや感情的な文章をいつも目に見えるところにおいておくというのは、ある程度効果がある……かもしれない。これも、効果がある場合とない場合があるので、なんとも言えない。他のことが重要だったりする場合もある。自分のことで言えば、ヘビメタが鳴りやむことが重要だった。実際に、ヘビメタが鳴ってない日がすぐに訪れることがどうしても、必要だった。重要さの度合いについて言ってしまうと、ある種の考えを書いたものを常に目に見えるところに置いておくというものよりも、ヘビメタが実際に鳴りやむということのほうが重要だ。「合格」と書いてあるものを置くよりも、ヘビメタが実際に鳴らないようになるということが必要だったのだ。だから、他のことで「その結果」に影響を与えるものがある場合、「書いておく」ということだけを取り出して、見解を述べるということは間違っている。そりゃ、「ちょっとは影響を与えるかもしれないけど、他のことのほうが重要ならそっちのほうが重要だ」と言える。

だから、ちょっとした効果をねらうなら、開運グッツも良いのではないかと思うけど、他のことをくつがえすほどの効果があるかということにかしんては、疑問を感じる。

ひとによっては「ちょっとした効果じゃなくて、ものすごい効果がある」と言うひともいるだろう。そのひとにとっては、ものすごい効果があるのだろう。まあ、売りたい気持ちでそう言っている人もいるけど。そういうのは全部「気持ちの持ちよう」だから、行動のきっかけにはなる。

2017年12月2日土曜日

「事実のちがい」

ものすごくさみしい思で、買い物に行ってくるよ~~~
かいもの~かいもの~~
あーー。むなしい。むなしいね。
そう、このあいだ外に出たとき気がついていたけど、もう街はすっかりクリスマスの雰囲気だ。駅前の通りだって、へんな?すばらしい?イルミネーション(オブジェクト)が設置してある。

むなし~~。ヘビメタ騒音で全部ない。
むなしい~~。
むなしい~~。

全部、ヘビメタ騒音に「行っちゃう」んだよな。どれだけ、やられたか。そして、気違い兄貴は、ぜんぜん認めてないからな。親父とおなじだ。一五年間毎日やったこと……こだわってこだわって絶対にゆずらないで頑固にやったことでも、一六年目になったら……「そんなのやってない」だからな。「そんなのやってない」「静かにしてやった」だからな。そういう態度で、鳴らしているときは、鳴らしてたんだよ。「事実」がちがうだろ!! ほんとうにこの「事実のちがい」が大きい。気違い認知が成り立っていると、すべての話が通じない。で、この通じなさ」……気違い的な通じなさ……は、他のひとにはわからない。うちにいるときの兄貴の状態をちゃんと見た人じゃないとわからない。しかも、よその人がいるときは、猫をかぶるからな。だいたい、「よそのうち」に行ったら、あれだけこだわって鳴らしていたものを、一日に一分も鳴らしてないんだよな。一年に一日も鳴らしてないんだよな。だから、兄貴の嫁さんや義理の父親と母親は、ヘビメタ騒音がどんなものか、まったく知らない。一日でも、鳴らされたら、一発でかわるのに。あとは、

あとは、働けるのに働かないのか、働けないから働かないのかということについて、考えていた。これ、ほんとうに常識的なひとは、他に!特に!!!悪いことがない人でも、悪いひとになる。ヘビメタ騒音という常識的なひとにはわかりにくい項目が入ると、そうなる。常識的なひとが、悪いひとになってしまうのである。もちろん、俺にとってだけど。で、そいつがなんかの病気になって働けなくなったら、なんかの病気にかんしては無視して「●●病で、働けないということはないだろ。●●病で働けないなんて、甘えだ」と言ってやりたいね。

あいつらは、俺にそういう失礼なことを言っている。失礼なんだよ!!
失礼なんだよ!!おまえらは!!!

まあ、そういうふう言ってしまうと、これまた、反感を買うわけだけど、事実だ。事実と言うより、正論か。俺のほうが正論を言っている。これ、ほんとう、常識的なこと以外まるで悪いところがない人でも、そうなんだよな。日本労働教徒の無職者に対する偏見はすごい。で、偏見だとも思ってないんだよな。そりゃ、共同幻想だからね。共同幻想だから、共同体のなかの常識的なひとにとっては、偏見ではなくて、事実なんだろう。

2017年12月1日金曜日

何十万回

ここでこのまま、さみしい思いをして、歳をとって、死んでしまうのかと思うと、……。思うと……。思うとなんとも言えない破綻した気持ちになる。けど、これ、何回繰り返してきたんだろう? もう、何万回も、ひょっとしたら何十万回も繰り返してきたんじゃないだろうか。何百万? よくわからない。

けど、むなしいことにはかわりがない。ヘビメタ騒音でくるしかった。どうしても、くるしかった。

俺がどこに行っても、ヘビメタ騒音汚染でくるしい

栗を食った。
栗、うまい。

中国産の安いやつだけど、うまい。
さっきまで、だるくてだるくて、布団の中でうなっていた。

サブサブパソコンとサブパソコンの手入れをしたから、つかれたのだろうか? まあ、これ、ヘビメタ騒音・冬の雰囲気で、むかしっから、風邪をひいたようにだるくなってしまうんだよな。そういう体力状態だから、なかなか、元気に外に出るわけにはいかない。「さんぽ~~」「そんなのいいよ」という気持ちになった。俺だってからだの調子がいいときは散歩にも行きたくなる。けど、道が全部ヘビメタ騒音に汚染されているんだけどな。そして、俺のからだが一番ヘビメタ騒音に汚染されているから、俺がどこに行っても、ヘビメタ騒音汚染でくるしいという状態が続いてしまう。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。