2018年2月28日水曜日

おなじ条件なら、だれもが落ちる場所

一応、起きてご飯を食べて落ちついたところだ。あーあ。

けっこうたいへんだよね。こういうの……。

相当に落ち込んでた。起きたとき、相当に落ち込んでた。いまは、五%ぐらい復活したかな。なんとか歯磨きをしている。けど、くるしい。

ヘビメタ騒音でこういう生活になってくるしい。偏見がある人たちは「ヘビメタ騒音で」の「で」の部分に文句をつけるだろうけど、そういう文句をつける人たちだっておなじことを、おなじ態度でやられれば、こういう状態になると思う。けど、その人たちは言うんだよ。『俺は、そんなんじゃない』『俺だったら、静かにさせることができる』と。けど、それは、なんて言うのかな、気違い兄貴の気違い的な部分がわかってないからそういうふうに言うだけなんだよ。で、気違い兄貴の気違い的な部分が一番わかってないのが、当の気違い兄貴なんだよ。そういうレベルで、わかってない。一〇〇%わからずに、一〇〇%やりきる。親父とおなじ。

ぼくの感じで言うと『不可避的にこうなった』。『最大限の努力をしたけど、気違いが横に住んでいて、不可避的にこうなった』という感じがする。で、うちの構造がわかってないやつに、わかるわけがない。気違い親父の構造がわかってないやつに、わかるわけがない。気違い親父の構造がわかってないやつに、気違い兄貴の構造がわかるわけがない。気違い兄貴が、気違い兄貴のやり方で、ヘビメタ騒音を鳴らす前、うちでは、普通に!!気違い親父が気違い親父のやり方で、気違い的な行為やや迷惑行為をしていた。『最初から』そういうふうになっている……のである。こんなの、かえられるわけがない。



   *   *   *


リアル生活ゲームは、最初から無理ゲー 

ひとつだけ言っておきたいことがある。それは、リアル生活だってゲームのようにうまくいくなら、ゲームのように楽しいということだ。リアル生活がゲームのように楽しくないのは、その人にとって、リアル生活が苦しすぎるものだからだ。

ゲームのなかの困難は、困難といっても、圧倒されてしまうような困難ではないのだ。生活上の困難は、いつも圧倒されてしまうような困難なのである。だから、つまらなくなる。まあ、ゲームのなかで死んでも、痛くもかゆくもないというのはあるけど、そこを抜かして考えると、リアル生活が好きじゃない人は、リアル生活がきつすぎて好きじゃないのである。リアル生活をゲーム化できる人は、リアル生活においても、ゲーム程度の困難さしか経験してない。圧倒的な問題、圧倒的な苦悩を経験しているわけではないのである。

要するに、リアル生活で困っている人がやっているリアル生活ゲームは、最初から無理ゲーなのだ。最初から無理ゲーだから、つまらない。つまらないから、やりたくない。やりたくなくても、強制参加でやらされている。だから、困難が困難を呼び、もっともっとつらくなる。特に日本のような崩れた年功序列制と実力主義?が入り乱れているようなところだと、二〇歳前後の、二年、三年の遅れが致命的な遅れになる。困難が困難を呼ぶ状態になる。

2018年2月27日火曜日

どうにもなんない。

とりあえず、段ボールのゴミを出した。資源ゴミの日だから。
あとは、洗濯機のゴミ取りアミをきれいにしたり、新しいゴミ取りアミを取り付けた。二カ所あるから。で、一個どっかに行ってしまったから、けっこう前に、アマゾンで買っておいた。

これから、風呂をたててはいる。けど、正直言って、つまんない。つまんない。こんな、ぺちゃんこな気持ち、ない。やっぱり、ヘビメタでだめ。一階の居間が……一階の居間の朝の雰囲気が、当時とおなじなんだよな。暗くて死にそうな気分になるよ。あの時の記憶が、頭の中を、舞うよ。本当に、どれだけ、言ったと思っているんだよ。気違い兄貴は、一分も静かにしてくれなかった。鳴らしてないときに、居間で交渉したら、「むすーーーっ」とした顔をして、二階に行きやがって。あれで、『静かにしてやったつもり』なのかよ? 頭がおかしい。ともかく、冷える。こころが冷える。どうしょうもなく、冷える。
どうにもなんない。

『いい職場』なんて、残っているわけがない




基本的には、『いい職場』なんて、残っているわけがないんだよ。問題がある職場だから、いつまでも広告を出している。相当に我慢できる人が入社?しても、続かないんだよ。社長か上司かお局様に問題があるんだろ。あるいは、会社全体に問題があるところだから、何回広告を出して、新しい人をやとっても、その新しい人が逃げていく。だから『いい職場』なんて残っているわけがない。問題のある職場のなかから、『行きたい職場』を選べと言ってるのだから、そんなもの、楽しめるわけがない。何回もやって、そういうことがわかっているから、おもしろくないわけだ。何回もそういう問題のある会社に入って、やめたという経験があるということは、基本的に、いい状態じゃない。だから、「職場選びを楽しもう」「どんな職場に出会えるか楽しみだ」「職場選びを一種のゲームとして楽しもう」と意識的に思っていも、うまくいかない。そういう気持ちを裏切ることが多発するからだ。人間は、不愉快なことをされると不愉快だと思う動物なんだよ。(マゾヒストは別)(けど、マゾヒストにしても、自分が興奮するいじめられかたというのがあって、その自分が興奮するいじめられかたじゃないと、不愉快になると思う)けっきょく、人間は、不愉快になることをさける。そういう動物なんだよ。(たぶん、マゾヒストも含めて)。



で、

2018年2月26日月曜日

二〇年没頭したゲームに飽きたらどうするかという問題 (このあいだの続き)

あとは、「ゲームに没頭してください」にかんしては、ものすごく言いにくいのだけど……いいにくい気持ちがあるけど、ちょっとだけ言っておこう。二〇歳の時から二〇年間ゲームに没頭してしまった場合、職歴なしの中年無職になるわけだから、それはそれで問題がある。本当に二一年目以降も、ゲームに没頭できるのであれば、それほど問題ではないのかもしれない。



これは、生き方の問題だからね。



そういう一生だってあるだろうとは思う。本当に楽しければ、それでいいとは思う。実際に、二一年目以降も、ゲームを続けられるお金があるなら、かなり問題は少ないと思う。けど、ゲームを続けられるお金がない場合は、問題はデカイ。最初の問題にもどってしまう。



はっきり言えば、もう飽きてきたゲームに没頭することはできない。それから、二一年目以降は、あきらめもあるけど、もの悲しさがつきまとうかもしれない。要するに、「本当にやりたいこと」ではなくなってしまう場合がある。





二〇歳の時から二〇年間ということにしておいたけど、一五年間でもいい。三五歳の時、職歴がない不良文化・底辺文化になじめない人が突然?職を探そうと思ったとき、どういう状態になるか?



たいていの場合は、せっかく?底辺企業に入っても、やめてしまうことになる。で、そういうことを繰り返した場合、本人は相当につらい思いをしているということになる。まあ、底辺企業と言っても、企業によってだいぶ違いがあるので、うまくいく場合もある。



しかし、そんなハッピーエンドはめったにないのではなかろうか。勤めたところで、引きこもり脱却で、めでたしめでたしということになるけど、そのあと、せっかく入った?会社を辞めるとなると、また、振り出しに戻ってしまう。振り出しに戻っただけではなくて、失敗の経験をつんだということになる。



これは、心の傷になって残る。



それに関しても、また、「過去のことは考えないで、いまここに集中してください」「いまここを、楽しんでください」というようなことは、言える。言おうと思えば言える。



けど、「楽しめるかな?」とぼくは思ってしまう。過去を振り返っておなじ間違いをしないようにした方がいいと思う。けど、底辺企業の中から、行きたい底辺企業を選ぶしかないという状態はかわらないので、どこに行っても同じような問題が生じる可能性がある。可能性がきわめて高い。



けど、おなじように底辺企業であったとしても、そこに集まる人がちがえば、程度がちがうので、ある底辺企業ではだめだったけど、別のある底辺企業では(それほどこころの負担がなく)続けることができたという場合もある。けどけど、まあ、たいていは同じようなもので、どこかで問題が起こり、やめることになるだろう。



で、そういう、繰り返しはいいものか悪いものかというと、悪いものだ。繰り返していればそのうちに、要領が良くなって、できるようになると考えるか、あるいは、繰り返すたびに、言ってみればひびがはいるので、あんまり良くないと考えるかは、自由だ。たぶん、本人でなければ、なんとだって言えるのだろう。本人でなければ……。ぼくは「失敗の経験が積み重なるのは良くないことだ」と思う。ひびが入って、打たれ弱くなってしまうのである。



いずれにせよ、職歴のない中高年がハローワークなどに行って就職活動をする場合、ブラック企業の中から、行きたいブラック企業を選ぶということになるから、おなじ失敗を繰り返すことが多い。もう、そういうところしか残ってないから。席の問題なんだよ。



まあ、これを言うと「そんなのは自己責任。新卒のときにちゃんと就職活動をしなかったやつが悪い」というようなことを言い出す人が出てくるのだけど、この問題は別の機会に考えるとする。結論だけ言ってしまうと、「自己責任の場合もあるけど、自己責任ではない場合もある」ということになる。「すべてが自己責任なんてことはない」。



けど、そういうふうに言うと、怒って反論してくる人が出てくると思う。で、意外なのは、本人が中高年アルバイターとか、本人が鬱病で障害年金をもらっているという人たちが、「すべては自己責任」とか「どんな場合でも自己責任」ということを言うことだ。まあ、そういうことを言う人たちの場合は、本当に自己責任なんだろうと思う。本人(たち)が言っていることだし、信じるよ。けど、こういう人たちの「すべては思考」みたいなものは、どうにかならないか。



   *   *   *



底辺文化になじみやすい人の特徴

・パチンコ、パチスロ、競馬、競輪、競艇などのギャンブルが大好き。

・不良やDQN系とは相性がよい

・酒が好き

・たばこが好き

・風俗が好き

・バイク、車が好き

・プロレス、ボクシングが好き

などなど。逆に言えば、パチンコ、パチスロ、競馬、競輪、競艇などのギャンブル、酒、たばこ、風俗が嫌いな人は、あんまりなじめない。そういうところでなじむということは、そういう文化に適応できるというとだから、当然、適応しやすいほうが有利だ。適応しにくい人にはむいてない。けど、席取り合戦に負けているので、けっきょくは、そういうところに行くことになる。けど、なじめないので、よけいにつらい思いをするということになる。だから、やっぱり、インターネットでひとりで働いたほうがいいと思う。

むいてないのだからしかたがない。そんなつらい思いをして、底辺文化になじむ努力をしなければならないというのは、よくない。どこかホワイトで底辺文化がないところはないのかな? 席あまってない? 席があまってたら、底辺文化になじめない内気な人を座らせてやってくれよ。

ぼくは、たとえ、ホワイトで底辺文化がないところでも、睡眠障害で通えない。で、この睡眠障害は、ヘビメタ騒音生活七年間でできあがったものだから、他の人にはわからないんだよな。『騒音』と『睡眠障害で通勤不可』ということのつながりがわからない。鳴っている期間中だって、『午後一一時一一分には鳴りやんでいるのだから、遅刻するな』と言われることになる。

また、鳴りやんだあとは『いまは鳴ってないのだから、睡眠障害で通勤することができないなんていうのはあまい』ということになる……というか、そういうふうな意見を持つ人が出てくる。

で、そういうふうに言う人たちは、一日もヘビメタ騒音を経験してない。あの音が午後一一時一一分まで鳴っているというのがどういうことなのか、経験を通してわかってない。

それが、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日続くというとが、わかってない。ぼく以外のひとは、そういうヘビメタ騒音生活を一四年間以上経験したわけではないから、一五年目以降、どういう体の状態になるかわかってない。

どれだけ深い、深刻な睡眠障害に悩まされるかわかってない。一四年以上毎日やられると、一五年目以降も治らない。一四年とは言わない。七年で、一生治らない損傷を受ける。一生、どうやっても治らない障害になる。どれだけ治そうと努力しても治らない障害になる。気違い兄貴の騒音が俺の海馬にきざんだ傷が深すぎる。多すぎる。不可逆的損傷。

七年って、七年間毎日だからね。月曜日から金曜日までじゃないからね。平日は鳴っていたけど、休日は鳴ってなかった……なんてことはないからね。そりゃ、ヒトゴトだからなんとだって言える。

けど、ヘビメタ騒音生活を七年以上経験してない人が言うとは、間違った推論に基づく間違った意見だと思う。俺とおなじヘビメタ騒音を七年以上毎日毎日、続けて経験してから!ものを言え!! ということになる。で、「俺とおなじヘビメタ騒音を七年以上毎日毎日、続けて経験してから!ものを言え!!」と言うと、嫌われるわけだよ。

気違い兄貴よ。おまえはこういうことも押しつけている。気違い兄貴が親父に使えないハンダゴテを押しつけられたとき、他の人は「このハンダゴテが使えないというのがわからないというのは、おかしい(バカだ間抜けだ)」という意見を押しつけてきただろ。間違った推測に基づく間違った意見なんだよ。どうして、他の人がそういう間違った推測に基づく間違った意見を持ってしまうかというと、他の人は気違い親父の態度を知らないからだよ。気違い親父の実際の態度と反応と感覚を知らないからだ。

また、気違い兄貴が親父に使えないハンダゴテを押しつけられたとき、他の人は「お父さんにちゃんと言えば、絶対につたわるはずだ。つたわらないのは、ちゃんと言わなかったからだ」という意見を押しつけてきたはずだ。それも、親父のことがわからないから、そういう間違った推測に基づく間違った判断をしたのだ。

それから、そういう意見を言う人は、「ちゃんと言えばつたわる」と思っているので、兄貴はちゃんと言うことができない(コミニュケーション障害者)だと思うわけだよ。

そんなの、ちゃんと説明したら、だいの大人がわからないはずがないのだから。つまり、コミニュケーション能力にうたがいをもたれるわけだ。けど、それは、間違っている。問題だったのは、兄貴の言い方やコミニュケーション能力じゃなくて、親父の理解力や親父の無意識なのだ。無意識にしたがった、発狂的な態度が問題だっただけだ。

そりゃ、自分が金を支払いたくない以上、どれだけちゃんと説明しても、発狂して認めないわけだから。けど、この状態が他の人にはわからない。だから、『ちゃんと言えばわかるのに、ちゃんと言わないからダメなんだ』というようなタイプの誤解を生じさせる。これは、誤解だから。

で、兄貴に言っておきたいのだけど、兄貴の態度は、親父の態度とおなじだ。ある意味、親父よりも親父だ。ある意味、親父よりも、おかしい。気違いだ。親父より、発狂して、親父より無視して、親父より小さな譲歩で譲歩してやったと思っている。

で、親父とおなじだから、自分がそういうことをしたということが、本当にわかってない。自分にとって不都合なことを認めるというとは、自分にとって不都合な譲歩をしなければならないときの態度とおなじだ。要するに、デカイ音で鳴らしているということを認めて、本当に静かにしてやるのはいやだったんだよ。それで一四年間どれだけなにを言われても、親父のように無視して、親父のように怒って、鳴らしている。自分が好きな音で鳴らしている。

で、一五年目以降は、今度は、そういうことをしたということを認めるということが、やりたくないことに、なっただけだ。内容がちがうけど、しくみはおなじだ。構造が変わらない。

だから、いまだに、『そんなに鳴らしてない』『ちゃんと譲歩してやった』と嘘を言っているわけだろ。もう、二〇年、三〇年、嘘を言っているんだよ。そういう嘘つきなんだよ。で、自分が嘘をついているということも、たぶん気がついてない。自分が言いきれば……言いきったまま、死ねると思っている節がある。ようするに、生きているあいだは、絶対に自分がやったことを認めない。どれだけ言われたって認めない。

むかしは!……当時は! どれだけ言われたって、自分が鳴らしている音がでかい音だということすら認めずに、一切合切本当には譲歩しないで、鳴らした。

嘘だと思うのなら、『うちで鳴らしていた音』で鳴らしてみろ。

すぐにわかるから。

「よそのうち」じゃ、一分だって、一秒だって鳴らせないんだろ。どうしてかというと、でかい音だからだ。いいかげん、認めろ。本当にそういうところが親父そっくりなんだよな。全部おなじ。本人は、言われた瞬間をのぞけば、一切合切気にしないんだよ。言われた瞬間、頭にきて、否定するだけで、あとは、もう、『関係がない人』になってしまう。張本人!なのに!!

これが、気違いマジックの本質だ。

「やったってやってない」のである。

どでかい音だって、普通の音なのである。まったく意味がない譲歩をしてやれば、全部!譲歩してやったのとおなじなのである。……そういう態度だ。気違い兄貴は、親父にそういうことをやられて、毎日頭にきてたんだよ。気違い親父をはねのける、一五歳までは。

一五歳からは、俺の自由だ。俺の勝手だという気持ちになって、ヘビメタを思う存分、鳴らした。譲歩なんてするわけがないだろ。入学試験前だろうが、一日に一分もしてくれなかったのが気違い兄貴だ。なにを、譲歩したつもりになっているんだよ。問題を引き起こすようことをこだわりつくしてやり続けることが、譲歩なんだよ。ギャグみたいだけど、そうなんだよ。親父とおなじなんだ。とことん、親父とおなじなんだよ。

  

2018年2月25日日曜日

可能性すら、絶対にない

今日は実は、歩きながらいろいろなことを考えていた。ヘビメタ騒音で重い気持ちではあるけど、それでも、いつもよりは、気楽で気持ちが良かった。空は、白く、灰色の雲がいっぱいだったけど、不思議と気持ちよかった。白い一面をおおう雲と、灰色の雲のストライプのようなグラデーションがここちよかった。



もちろん、人や車にぶつからないように、前を確認するときもあったけど、基本、空のほうを見て歩いた。まあ、上を向いて歩いてきたわけだ。すき焼きは食べなかったけど。(『上を向いて歩こう』という曲のアメリカのタイトルが『スキヤキソング』)。


入試のこととか思い出しちゃうんだよな。気違いヘビメタがはじまってからというもの、ずっと、くるしい気持ちで暮らしてきた。不安で不安でしかたがないのである。腹が立って腹が立ってしかたがないのである。憂鬱で憂鬱でしかたがないのである。

すべてにおいて、ヘビメタが足を引っぱるという感じある。頭の中で、実際に足を引っぱっている。思い浮かべることがすべて、ヘビメタ騒音でだめなのである。だめになるのである。だめになってしまうのである。やる前から、だめになってしまうのである。思い浮かべることが、不愉快で意味がないものになってしまうのである。どうやっても、どうあがいても、破綻するしかないものになってしまうのである。


気違い兄貴が、一日目から、よそのうちで静かにするように、静かにしてくれたら……。気違い兄貴が一日目から、普通にヘッドホンをして静かにしてくれたら……。どうしても、そういう考えが浮かぶ。気違い兄貴は、気違いなので、自分がやったことがわかってない。こだわってこだわってこだわって、デカイ音で鳴らしたのに、『まったくデカイ音で鳴らしたつもりがない』という認知・認識なのだ。あ・れ・だ・け・こだわって……。こだわってこだわって!!!

一日に一分もゆずってくれなかったのが違い兄貴だ。試験の時だって、一分間、ヘッドホンをしてしずかにてくれなかったのが気違い兄貴だ。気違い兄貴の『態度全般』は、他の人には絶対にわからない。けど、気違い兄貴には、わかるかもしれない。

気違い兄貴の『態度全般』というのは、気違い親父の態度全般とおなじだから。

気違い兄貴よ! 気違い兄貴は親父とまったおなじ態度で、ヘビメタ騒音を鳴らし続けて、静かにしてくれなかった。『言われれば』怒る。自分が鳴らしているときに、『やめてくれ』と言われたら、顔を真っ赤にして『絶対に静かにしてやらないぞモード』になる。自分が思いっきりデカイ音で鳴らしたいのに、それができなくなる……なんてことは、考えただけで、発狂してしまうようなことなのである。

可能性を考えただけで、めちゃくちゃに不機嫌になって、怒る。一分だって、絶対にやってやらない……と心に強く決めていることなのである。可能性すら、絶対にない状態なのである。そういうふうに、意地になって鳴らしているのに、意地になって鳴らした時間は、すべて、『鳴らしてないのとおなじ』時間なのだ。

だから、本人はまったくつもりがないという状態が常に成り立っている。どれだけ言ったって、何回ぶつかったって、親父とおなじように、そういう態度がなおらない。毎日、常に、そういう態度で鳴らす。毎日、言われたとき!!の態度がおなじなんだよ。

まあ、たまには、『静かにしてやろう』という気持ちになるときがあるのだけど、それは、気違い兄貴のなかで静かにするということであって、親父のハンダゴテとおなじで、まったく役に立たない譲歩なのだ。

で、まったく役に立たない譲歩しかしないのに、まったく役に立たない譲歩だということを、どれだけ何万回言っても、理解しない。「それじゃだめなんだ」「それじゃ、静かにしたことになってないんだ」とうことを言えば、怒る。そして、絶対の意地で鳴らし続ける。

だから、機嫌がいいときも含めて、本当には、一秒だってゆずってない。気違い兄貴が最大限譲歩したときの音のでかさは、普通の人が聞いたら『こんな大きな音で鳴らしてだいじょうぶなの?』と疑問に思うほどでかい音なんだよ。九〇デシベルは、爆音だ。九一デシベルも爆音だ。気違い兄貴の譲歩というのは、九一デシベルを九〇デシベルにしただけだから、爆音であることにはかわりがない。

しかも、五分ぐらいで九一デシベルに戻している。一日に、一四時間九〇デシベルで鳴らしていたら、でかい音で一四時間鳴らしたということになるんだよ。実際には、気違い兄貴は、一四時間鳴らせるなら、五分間九〇デシベルで、一三時間五五分九一デシベルで鳴らす。だから、一四時間中、一四時間ずっと、気違い兄貴が死す蛾にしてやったつもりの音でならすと言うことは、試験前、試験期間中だろうがない。けど、一デシベル五分間でも静かにしてやったなら、『一日中静かにしてやった』ということになってしまう。

だから、安心して、静かにしてやったつもりで、九一デシベルというデカイ音で鳴らすことができる。気違い兄貴にしてみれば、一日に一四時間鳴らすにしろ、五分間でも、静かにしてやったら、静かにしてやったということになってしまうのである。で、文章がへんなふうになるから、『静かにしてやったら』と書いたけど、本当は静かにしてない。

他のうちでは絶対にあり得ない、爆音で聞いている。あり得ないんだよ。ほかのうちでは、絶対にあり得ないでかい音なんだよ。実際気違い兄貴だって、『うちから出たら』……『よそのうちに行ったら』……『よその人といっしょに住みだしたら』……爆音で鳴らしてないのである。本当に頭にくる。うちでだけ』なのだ。うちでだけ、狂ったように鳴らしてた。で、本人は、ぜんぜん悪いと思ってない。

『うちでなら、鳴らしていい』……『うちでなら、(爆音で鳴らしても)気にしなくてもいい』という気持ちがものすごく強い。あまりにも強すぎて、まったく意識できないほど強い。

気違い兄貴にとって、うちで、ものすごくでかい音で、ヘビメタを聞くことは空気をすったりはいたりするようなことなのだ。そのくらいあたりまえだ。爆音で鳴らしているということは、普段空気を意識しないように、意識しない。ずっと、爆音で鳴らしているのに、爆音で鳴らしているということを意識しない。

よそのうちでは、一分だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているということを、うちにいる限りは絶対に意識しない。どれだけ言われたって、親父とおなじように跳ね返しておしまいだ。本当に、跳ね返す。本人が怒って跳ね返したら、本人が意地になってやっていることは、ぜんぜん、やってないのとおなじなんだよ。

これが、親父のしくみであり、兄貴のしくみだ。

自分がやりたいことをやり通すときの親父のしくみであり、兄貴のしくみだ。

けど、本人は『空』なのである。

やったってやってないと思っている限りどれだけやっても、からっぽなのである。本人の意識はやってないのとおじなのである。空白でからっぽ。……「やってない」のである。気違い的な意地でやったことは、全部やってないことになっている。気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で認めない。気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で『やったということ(自体)』を認めない。認めないんだよ。

一五年間にわたって、何万回何十万回言われたって、認めないんだよ。一五年間にわたって、何万回何十万回「やったって」認めないんだよ。認めないとなったら、意地でも認めない。で、やりきる。「やってんじゃない!!」……。こちら側は、そういふうに感じて怒る。けど、その怒りをどれだけぶつけても、やりきるし、「やりきっているということ」を、認めない。

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2018年2月24日土曜日

はぁ? 没頭してください? 楽しんでください?


職探しやゲームに没頭してください……。職探しに没頭できるわけがないでしょと、言いたくなったけど、俺のことじゃないからな。けど、こういうのは、けっこう残酷な言葉なんだよな。これはたとえるなら、「不良がいっぱいいる高校のなかから、自分が行く高校を没頭して選んでください。そして、高校探しを楽しんでください」……と言っているようなものなんだよ。内気な人は、不良がいっぱいいるような高校には、行きたくないんだよ。不良がいっぱいいるような高校には、不良文化があるんだよ。それとおなじように、底辺の企業には、底辺の企業文化と言えるものがある。その、内気な人にとってみれば、「底辺企業の中から自分が行きたい底辺の企業を選ぶことを楽しんでください」と言われても、楽しめないんだよ。そういう過程を楽しむなんてことは、むりなんだよ。そういう話しだ。「いままここ」とか「楽しんでください」と言っている人は、こういうことがあんまりわかってないんだよな。







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実は「働けない」という可能性が強い

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言っちゃいけないかもしれないけど、職歴のない、あるいは、職歴があまりない中高年が、普通の仕事を探すのは、むりだ。普通の仕事って、普通に通勤する必要がある仕事ね。一定の時刻にほとんど毎日通勤する必要があるような「ちゃんとした仕事」はむりだ。これだけ、働け圧力が強いにもかかわらず、そういうところで働かなかったという履歴が、そういうところで働けないということを物語っている。本人が何回か過去、努力して……やる気になって働いたにもかかわらず、何回もやめている場合は、実は「働けない」という可能性が強い。その人は働けるように見えるけど、実は働けないひとなのではないかという可能性が強い。

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騒音のなかですべてを失った。

まあ、元気がない状態でたたずんでいるような感じだ。いままで文章を書いていたけど、ちょっとつかれた。あーーあ。

目がつかれている。

今日は、風呂に入ろう。

いやー、ほんとうにこころがかれた状態だよ。かれーかれーー。

ほんとうにどんだげ……。気違い兄貴。気違い兄貴のせいで人生がない。どれだけやっても、つかれるだけだった。楽しみがない。騒音のなかですべてを失った。

朝、寝る前に、ヘビメタ騒音が中学高校と一日にもなかった場合の、「大学生生活」なんてものを考えるんだよ。どれだけのことができたか。どれだけ充実した学生生活を送ることができたか。アルバイトも起業も、同人誌も、全部楽しめた。学問的な議論をしたかった。アルバイト、同人誌、起業は、学問的な議論のはるか下だ。それでも、いろいろとできた。気違いヘビメタ騒音に小学六年生のときから汚染されていなければ。小学六年生のとき、午後一一時一一分まで、きちがいあ……。それが、二十歳、二一歳、二二歳、二三歳、二四歳、二五歳まで続くなんて。……。



2018年2月23日金曜日

Bloggerのファイルを電子出版用にかえた

いま、なんとかBloggerの文章をタイトルと内容にわけて、順番をひっくり返すということをやった。これは、なんのことを言っているのかわからないかもしれないけど、ようするに、バックアップファイルから、番号、タイトル、内容といった列をもつCSVファイルをつくって、その番号を降順から昇順に並べ替えるということだ。

*CSVはcomma-separated valuesの略。

こうしないと、電子書籍にできないのよぉ。

まあ、番号は全部とるわけだけど。そして、番号をつけるのは、実はエクセルなどの表計算ソフトのほうでやることだから、秀丸のほうでは番号はつけない。秀丸で、つけた番号をとるという作業はする。そうすると、正規表現などが必要になる。行頭、一桁から四桁までの半角数字、カンマという並びがあったら、それをとるというね。



で、これ、むかしマクロをつくって、置いておいたんだけど、いまいち、順番がわからない。なので、マクロを開いて、中身を確認しながらの作業になったわけなんだけど、なんとかできた。けど、これを、他の人がわかるようにちゃんと説明するのは、めんどうだな。

タイトル、内容でCSVファイルを作ったあと、エクセルなどの表計算ソフトを使って番号をつけて、そのあとで番号をとって、CSVファイル用に変換した部分を元に戻すということをしなければならない。まあ、要するに半角のカンマは、区切り記号として使われているので、ほかのところで半角のカンマがでてきてはいけないわけ。

で、ぼくは、半角のカンマは使ってないけど、もしかりに半角のカンマがあるなら、半角のカンマを事前に他の文字列に替えておく必要がある。改行にもおなじことが言える。内容の列に入る、テキストは改行が含まれてはいけないわけで、改行はすべて、自分が絶対に使わないような文字列にかえておく必要がある。

たとえば、「下駄改行下駄」といったもにかえておかなければならない。というわけで、番号なしのCSVファイルを作るところと、エクセルなどの表計算ソフトで、番号をつけて降順を昇順にひっくり返すところと、エクセルで作ったCSVファイルを秀丸で開いて、番号をとって、いろいろと加工したところを元に戻すところを説明しなければならないのだけど、ちょっとめんどうなんだよな。

もっとおぼえているかと思ったら、いろいろと忘れている。半角の「<」と「>」のあつかいも注意しなければならない。実は、半角の「<」と「>」のあいだにある文字列と半角の「<」と「>」を削除するという正規表現はある。けど、実は、残しておかなければならないものの範囲を拡張すると、けっこうむずかしい正規表現になるんだよ。あとは、本文中にURLや英文が入る場合などを考えないといけないので、わりと臆病に手探りで作ったので、マクロの本体が細切れになっている。

まあ、できたわけだけど、どうするかな?って考えている。

   *   *   *
しかし、小学六年生のときからヘビメタ騒音がはじまって……今のいままでくるしみ抜いて、……こういう作業をしているときの「気分」といったらない。あいつは、本当に、気を遣ってくれなかった。あいつは本当に、どれだけ言っても、一分もゆずってくれなかった。中間テストの気と、どれだけ騒いだと思っているんだよ。本当に試験だろうがなんだろうが、一日中鳴っているわけで、困るのである。どれだけ、困るから静かにしてくれ」と言っても、一分も静かにしてくれなかった。一分もヘッドホンをしてくれなかった。意地になって、午後一一時一一分まで、爆音で鳴らした。

2018年2月21日水曜日

内気な人は底辺の仕事には不向きだ

内気でまじめな人が、底辺の仕事に就くのは、むりだ。どこかでやめることになると思う。むりむり。体を壊してやめるか、精神を壊してやめるか、どっちになるかわからないけど、むりなものはむりなんだ。

(注)内気でまじめな人と書いたけど、職歴がない中年であって、なおかつ、内気でまじめな人という意味ね。

(内気な人には悪いけど、言ってしまうとだな……。やっぱり、言うのはやめよう。)

いまさらだけどさ。



じゃ、どうすればいいのかというと、ネットだろ。

けど、けど、けど、けど、金が入ってきても、生きている苦しさみたいなものは、解消されない。まあ、ぼくが特殊なんだろうけど。まあ、難治性の鬱病になった人が、底辺の仕事に就くのはむり。治ったあと?もむり。そんなわかりきったことを……。



タイムリープして、ヘビメタ騒音がない世界に行きたい。


2018年2月20日火曜日

寝る前に、『奨学金を返せない』という感じの記事を読んでいた

ここでも、いろいろと書きずらくなってきた。

いろいろな殻をとっぱらわないと、自分が思っていることを書けない。『こういうことを書いてしまうのはまずいか』などと考えると思ったことが書けなくなる。それは、まずい。絶対に、正直に思ったことを書く必要があるから。ぼくの場合……。



ふーん、どうしようかな。あとは、モニターを見るのがつらいというのがある。実は、白地、黒文字は良くない。黒地、緑文字などのほうがいい。けど、黒地、緑文字にすると、ワイドモニターでは書きにくい。これ、本当に、どうすればいいのよ? 文章を書くにはワイドモニターじゃない、スクエアーモニターがいい。

しかし、WEBサイトを作るには、ワイドモニターのほうが使いやすい。ライターとデザイナー、どっちをとる? まあ、デザイナーとしてやっていく実力はあるのだけど、税金とかめんどうくさいな。あとは、気持ちの整理が必要。気持ちの整理が……。



あとは、今日、寝る前に、『奨学金を返せない』という感じの記事を読んでいた。大学や大学院に関しては、いろいろと言いたいことがあり、その全部が、ヘビメタ騒音に関係しているので、「言いたいことがつまってしまう」状態になる。本当にヘビメタ騒音なしで、中学高校とすごして、大学に行きたかった。これ、今世でなしえなかった夢なんだよ。本当にどれだけのハンディになるか。

あとは、ぼくは、……。本当に(自分は)大学院まで出してもらっておいて、『自己責任とか、甘え』とか言っているやつらってなんなんだろうな。自分は甘えまくっているのに……。甘えまくって修士号、博士号をとったんだろ。ヘビメタ騒音なしで毎日すごしたということが、どれだけ有利でどれだけ甘えたことか、わかっているのか? と言いたくなる。本当にこれは目頭が熱くなる。気違い兄貴が、どうしても、静かにしてくれなかった。でかいんだよ。他の人には、絶対にわからないことだけど、でかすぎる。このでかさがわからない人とは、どのみち、絶交することになる。想像の範囲でいいから、わかれよ。

   *   *   *

あっ、そういえば、俺がヘビメタ騒音のことを説明したのに、どうして俺が生きにくいか、まったくわかってないやつらがいるな。『生きがたさ』とか……。もちろん、難聴になってしまうようなドデカいヘビメタ騒音を毎日毎日、やられ続けた俺のほうが、生きがたいだろ。そんなもの……。
生まれながらの身体障害者とか、生まれながらの知的障害者にはやたらと、同情するのに、ヘビメタ騒音で後天的に睡眠障害者になった俺には、やたらとつめたかったな。まるで、「俺(エイリ)がサボっているからいけない」というような感じだったしな。「働けるのに働かないのはケシカラン」「朝、起きれないなんていうのは甘えだ」……。そういう問題じゃないのに。(気違い兄貴、気違い兄貴が毎日毎日、こだわりつくしで、こだわりのデカイ音で鳴らし続けたから、こういう普通の人から、誤解を受けて生きているんだぞ。こういう普通の人も、本当にずっと何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、ヘビメタ騒音が午後一一時一一分まで続いたら、朝起きれないからだになるのに。まるで、わかってないんだよな。そりゃ、やられたことがないからわからないか。気違いヘビメタ騒音にやられているにもかかわらず、俺が、朝起きて学校に通っていた……何千日もそうしていたというのは、奇跡的なことなんだぞ。普通の人は、自分がそういう数千日を経験してないから、朝のつらさも、朝起きれなくなるしくみもわかってない。これは、数千日繰り返していたら、どんなに根性がある人でも、一定の時間に起きれなくなる。朝だけではなくて、夕方五時に起きるということもできなくなる。ともかく、一定の時刻に起きることができくなるのである。で、それは、実験をすればわかる。けど、こんな実験できるわけがないだろ。中学のときに遅刻で責められたのとおなじだ。いまだに、事情を知らない人から、まるで俺がサボっているみたいに言われるんだよ。気違い兄貴!! 気違い兄貴が、親父に「このハンダ後で恥を書いた」と言っているのに、気違い親父が一切合切理解せずに「なんだ!そんなの!!使える使える」と絶叫しているような状態なんだぞ。気違い兄貴が「なんだ、そんなの!」「がたがた言ってくると、もっと鳴らすぞ」と言って鳴らしたとき、気違い親父の認知、感覚、思考とおなじ、認知、感覚、思考が成り立っている。気違い兄貴は、気違い兄貴の音で俺が困っていると言うことは、一切合切どれだけ言っても、認めなかった。それは、気違い親父が、気違い親父がもたせたハンダゴテで、兄貴が困ったということを認めないのとおなじだ。認めないとなったら、認めないんだよ。こっちが、何万回言ったって、発狂して認めないんだよ。顔を真っ赤にして目を三角にして認めないんだよ。「そっか、それは悪かった」と言って、ゆずってくれるなんてことはないんだよ。それなのに、他人は……「こんなこともわからないのか」と馬鹿にした他人は「ちゃんと言えばわかる」「相談すればいい」と言いやがるわけだろ。ちょうどおなじことが、「遅刻のことで」成り立つ。「おなじ時刻に起きることができない」ということに成り立つ。「そんなの、相談すればいい」「ちゃんと言えばわかってくれる」……。……こういうことを言う人たちは、気違いの壁がまったくわかってない。どういう態度で、主張し、やり通し、認めないのか、まったくわかってない。本当に、一切合切認めない。根本から認めない。気違い的な意地で主張して押しつけているのに、「押しつけている」ということすら、認めない。やりながら、やっていることを認めないわけだからな。こんなの、どれだけ相談したって、うまくいくわけがないだろ。気違い的な意地でやっていることを気違い的な意地で否定するわけだから。現在進行形でやっていることを否定して、逆上するんだぞ。で、やりきったら、本当にやってないつもりになる。


ヘビメタ騒音のなかで最大限がんばっているのに、究極の根性でがんばっているのに、まるでサボっているみたいに言われる。で、そういうことを言った人たちは、ヘビメタ騒音を一日も経験してない。どんだけひどいことになるか……。どんだけ、実際にひどい音で鳴っているか、まるでわかってない。その人たちのなかでの「騒音」を思い浮かべて、それで話をしている。鳴り終わったら、鳴り終わったのであって、鳴り終わったあと眠れなくなるなんてことはないと思っている。

生まれながらといったのは、「だれのせいでもないのに」という意味を含んでいる。誰かのせいである方が、きついに決まってんだろ。ほんとうにわかってないな。気違いヘビメタが、普通の日は気違い兄貴が帰ってきたときから、午後一一時一一分まで鳴らしている、また、休みの日は気違い兄貴が朝から午後一一時一一分まで鳴らしているということが、どれだけの障害になると思っているんだよ? そんななかで、なんとか学校に遅刻しないよう行ってたら、障害者になってしまうに決まっているだろ。睡眠障害、易疲労性障害、気分障害。ヘビメタ騒音生活の結果生まれた、俺の障害はまったく無視しやがって……。たいしたことがないと思っているんだろ。『ちょっと、改心すれば』『ちょっとやる気を出せば』すぐに、『そうできる』(働ける)と思っているんだろ。ヘビメタ騒音の八年間毎日連続は、そんなもんじゃない。合計でいえば一四年と四ヶ月だけど、八年間でだめになる。再起不能。どうして、そういう部分を無視するんだ? なんで、それで『生きがたさ』なんて語っているんだ? 語っていられるんだ?

2018年2月19日月曜日

バーチャルな人生とリアルな世界の関係

ふりかけでごはん終了。



http://giraffyk1.hatenablog.com/entry/life-as-online-gaming



↑これを読んでどう感じる?







俺のやりたかったことが、小室直樹みたいなひととケンケンガクガクの学問的な議論であるわけだから、やはり、普通の人とはいろいろとちがってくる。あとは、あっちに書いているけどヘビメタ騒音の問題がでかすぎる。







ぼくにとっては、バーチャルリアリティーのゲームですら、めんどうくさいものでしかない。



+++++

底辺労働者になってしまうと、『バーチャルリアリティーにどっぷりとつかることができなくなってしまうのではないか』ということだ。バーチャルリアリティーにどっぷりとつかれるのは、ニートや学生といった生活費を稼がなくていい底辺予備軍?の人に限られるのではないかということ。あとは、退職者とか、その他暇な人。



これは、わりと有名な引用文だから、引用しておこうと思う。バーチャル世界にどっぷりつかっている人の考え方を良く表した文章だと思う。ファイナルファンタジー11 カズヤ氏の「FFオンラインは遊びじゃない」という発言らしい。



引用開始



133 名前:カズヤ ◆1Np/JJBAYQ [] 投稿日:2009/06/25(木) 21:28:40id:k6xdjhx8Q

マジレスするとHNMLS(*ゲーム内プレイヤーチームの意味)なんてのは遊びじゃないんだよ

仕事と同じやる気ない奴はイランし仕事だから平均12時間はインしてもらわないと駄目だ

あんたらはネタのつもりかもしれんが俺らは本気

突き詰めると命かけてんだよ

その辺はリアルと同じ会社員7年やってればそれなりのこだわりができるだろ

それと同じ俺らは7年考えぶっ通しでやってんだ

外野がごちゃごちゃ抜かすなよ


---引用終了



問題なのは、月一五万稼ぐには、現実にコミットしなければならないということだ。それも、けっこう長い時間、現実にコミットしなければならない。一日に八時間働いても、手取りで月に一二万ぐらいにしかならないひとがいっぱいいる。



その人たちにとっては、バーチャルコンソールにはいる時間がない。一日の中で、八時間働くとして、実際には、通勤時間が含まれるので、一〇時間ぐらいは拘束されることになる。そうなると、バーチャルな世界に「ひたっている」時間がなくなる。



これは、たとえば、一日に二時間働けば、だいたい月に一五万ぐらい稼げるという状態ではない。一日に二時間ぐらい働けば、残りの時間は、バーチャルコンソールに引きこもっていられるだろう。



バーチャルコンソールに引きこもっていられる時間が一日に八時間以上あるなら、バーチャルのほうがメインで、リアルのほうがサブということになる。



バーチャルのほうが生活の主体で、リアルのほうは、バーチャルな生活を支えるための些細なおまけということになる。我慢できるおまけだ。リアル世界のなかでたいして動かなくてもよいのであれば、バーチャル主体の生活ができる。



けど、それは、リアル世界で、楽に、稼げる場合に限る。リアル世界で、消耗しないと、バーチャル世界にひたっている時間が制限されるという状態だと、そもそも、バーチャルか、リアルかなどという問題自体が成立しないということになる。リアルしか選択肢がない状態だ。



バーチャルコンソールを維持するにも、実は、現実世界の電気の供給などが必要になる。それは、リアル世界の社会インフラだから、リアル世界あってのバーチャル世界だということになる。



なので、バーチャル世界にどっぷりつかれる状態が成り立つには、リアル世界がそこそこ発達していなければならないのだ。そして、リアル世界を維持するのに、リアル世界では、それほど『労力を必要としない』ということになってなければならない。



バーチャルコンソールだって、お手製のものは少なくて『製品』として供給されるわけだよ。もちろん、部品を組み立ててお手製のものを作る人もいるだろう。けど、部品はお手製のものではなくて、どこかの会社作った製品だ。LSIを手で作れる人間なんていない。LSIを作る装置が必要だ。そして、そういう装置は、たいていは、個人所有のものではない。



要するに、電力や、バーチャルコンソールを構成する製品をリアル世界から、供給されているということになる。リアル世界がなければ、当然バーチャル世界もないということになる。リアル世界における供給のコストが、じゅうぶんに低くなければ、そもそも、バーチャル世界にいりびたることができない。



バーチャル世界に引きこもっていられる状態を作るには、じゅうぶんにコストがさがってないとだめなのである。バーチャル世界に引きこもりたい人は、ニートや学生、定年退職者のように、働かなくても生活できる状態でなければならない。もちろん、一日に三、四時間働けばよいという人も、いりびたることができる。しかし、八時間働かなければならない場合は、「いりびたる」のは無理だ。いずれにせよ、バーチャル世界に引きこもりたくても、リアルの世界で長時間働くことを強要されている人は、バーチャル世界に引きこもることができない。


たとえば、バーチャル世界に人生を投入したい人がいるとする。その人がバーチャル世界に人生を投入するには、その人のバーチャル世界を支える金が必要だということになる。金の供給を受けて、リアル世界で働く必要がないなら、あるいは、働く時間がじゅうぶんに短いなら、バーチャル世界に人生を投入することができる。



これは、可能であるということだ。けど、そういう状態を維持するために、多くの人間が八時間ぐらいは働かなければならないというのであれば、みんながバーチャル世界にひたれる状態にはならない。リアル世界を維持するのに、労力とお金がかかるならば、バーチャル世界にひたれる人は、一部の人間だということになる。



一部の人間の割合は、リアル世界を維持するのにかかる労力とお金に依存する。この場合の労力というのは、人類の総労力だ。人類の総労力は人類全部の労働時間と人類全部の労働行為を掛け合わせたものだとする。要するに、人類の総労力が低くなれば、一部のひとの割合は、増す。



逆に言えば、リアル世界を維持する総労力がじゅうぶんに低くならなければ、バーチャルにどっぷりつかれる人の割合が増えない。どっぷりつかれる人と書いたけど、これは、バーチャル世界にどっぷりつかろうと思えばつかれる人という意味だ。そもそも、バーチャル世界にどっぷりつかろうと思わない人は、この集合のなかに入ってない。カウントされてない。

   *   *   *



バーチャルな世界に「沈没」する生き方が新しい生き方になるかどうかというと、一部の人の場合は、そうなる。けど、それは、一部の人に限られる。どうしてかというと、いままで説明してきたように、バーチャルな世界は、リアルな世界が供給しているものだからだ。そして、リアルな世界を維持するためには、それ相応の『労力』が必要になるからだ。

コストがじゅうぶんに下がってきたので、バーチャルな世界に「沈没」できる人も、いる。たとえば、そんなに労働しなくても生活が成り立つ人だ。こういう人たちは、ふんだんな時間をバーチャル世界で費やすことができる。ネットワークとバーチャルコンソールだけを考えれば、相当に安く、バーチャル世界にどっぷりとつかれることができる時代になった。



けど、それは、そんなに労働しなくても、生活が成り立つ人の場合だ。まあ、感じで言ってしまうと、バーチャルな世界にひたれる(可能性)をもった人は、だいたい七%~一〇%だと思う。これから、ネットワークのコストとバーチャルコンソールをそろえるコストがさがれば、その割合は増えるだろうけど、一般的にはならない。



これは、バーチャルコンソールをただ単に使う人の割合じゃなくて、リアルとバーチャルが逆転する人の割合だ。彼らにとっては、リアルこそが、バーチャルなのである。リアルこそが、関係がない話しなのである。リアルの人間関係希薄だけど、バーチャルの人間関係は濃密でなければならないのである。リアルの人間関係もバーチャルの人間関係もどうでもいい」という人はむしろ少数派なのだろう。多数派は、リアルな人間関係はどうでもいいけど、バーチャルな人間関係はどうでもいいわけじゃなという人たちなのだろう。



ここで、話しが一巡する。引用文のような考えをもつ人は、リアル世界で、希望を見いだすことができないのである。だから、バーチャルなほうで希望を見いだすしかないということになる。だから、リアル世界なんかどうでもよく、バーチャル世界が重要だということになる。



バーチャルな世界で、人間関係が強く求められているということは、……こういう話をしているあいだ……忘れてはならないことだ。バーチャルな世界を求めている人は、けっして、人間関係自体を否定しているわけではないということだ。他人と関わりたいのである。彼らにとって、人間関係は大切なことなのである。なので、バーチャルであれ、リアルであれ、人間関係なんてどうでもいいと思っている人たちとは、人種がちがう。バーチャルな世界であれ、濃密な人間関係を求めてる。

ようするに、カプセル型コンソールにとじこもって、一日中バーチャルな世界で行動している人は、世界から隔絶された人にみえるけど、実際には、普通の人とおなじような感覚の持ち主だということだ。(新しい世代?にしても)人間関係そのものを否定しているのではなくて、リアルな人間関係がいやなだけなのである。(ようするに、古い世代?とおなじように濃厚な人間関係を求めている)





   *   *   *

引用開始~--

ともかく、日本の若者はデジタルと共に育ち、情報を親の世代より簡単に確実に取り込んでいるため、気づいている。親は、ひどく頭が悪いか、時代のせいで根本的に間違っていると。この先の自分の人生は、少しの喜びと多くの苦痛で満たされている事を。もう少し聡い早熟な若者は、その少しの喜びすら、労働で失った自己の回復でしか無いことに気づいている。

引用終了~~



要するに、若者(デジタル世代?)は、この世(リアル世界での)労働に意味がないということを悟っているけど、親世代はこれがわかってないということをいっているのだろうと思う。で、これは、世代の問題にするべきではない。労働観の問題は、たしかに、世代の問題であるように思えるかもしれないけど、世代の問題じゃない。



これは、どちらかというと、根性主義と脱・根性主義の問題なのだ。ただし、根性主義(古い世代)VS 脱・根性主義(新しい世代)というような対立構造が頭の中にあると、あたかも、古い世代と新しい世代の対立であるかのように見えるのだ。ただ、見えているだけだ。

たとえば、カズヤ氏の発言を考えればよくわかる。



引用開始

マジレスするとHNMLS(*ゲーム内プレイヤーチームの意味)なんてのは遊びじゃないんだよ

仕事と同じやる気ない奴はイランし仕事だから平均12時間はインしてもらわないと駄目だ

あんたらはネタのつもりかもしれんが俺らは本気

突き詰めると命かけてんだよ

引用終了



「平均一二時間以上インしないやつは、いらない。そういうやつはまじめじゃない。真剣じゃないやつはくるな」というような主張だ。これは、古い世代の根性主義とおなじだ。「会社にきて、一二時間以上働かないやつはだめだ。そういうやつは、まじめじゃない。一二時間以上働くつもりがないなら、くるな」と古い世代?の会社員が言ったらどう思うか? 会社とゲームの違いはあるけど、言っていることはおなじなのである。「一二時間以上がんばれないやつは、いらない。くるな」こういうことを言っているだけなのだから。「一二時間以上がんばれないやつは、真剣じゃない。真剣じゃないやつはだめだ」……こういうことを言っているわけだから。



だから、悪いけど、カズヤ氏は、親世代の根性主義者とおなじだ。大切なことだからもう一度言ってしまうけど、会社とゲームの違いはあるけど、言っていることがおなじだ。根性主義なのである。根性主義は古いものでも新しいものでもない。(昭和世代?親世代?が根性主義で、平成世代?若者世代?が脱根性主義だというような見方に立ってしまうと、あたかも世代間の対立のようにも思えるけど、それは、世代の問題じゃない。古いか新しいかの問題じゃない。根性主義かどうかの問題だ)。



じゃあ、どうして、カズヤ氏(のような若い人が)ゲームの世界だけで、根性主義を(他者に向かって)主張するかということを考えなければならない。それは、現実に絶望しているからである。ここで、また一巡する。



自分が熱中しているものがあるとする。その熱中しているものは、会社の仕事でもいいし、学校の部活でもいい。自分が熱中しているものに、他人が熱中してないのは、あんまりいい気分じゃないと感じる場合がある。チームでやることに関しては、こういう感情が発生しやすい。自分が熱中して、これこれこういうことをやりたいと思っているのに、サボるやつがいる。サボっているやつはゆるせん……サボるやつがいると(これこれこういうことが達成できなくなってしまうではないか)こういう気持ちなのである。だから、会社でなんかのプロジェクトがある場合も、野球部が甲子園を目指す場合でも、熱中している人とそんなには熱中してない人の「温度差」がトラブルを引き起こすことがある。

熱中している人にとっては、「手を抜いて、ふざけているやつら」は我慢がならない存在なのである。それほど熱中してない人にとってみれば、「やることはやっているのだからいいだろ」という気持ちがある。しかし、熱中している人は、そういう言い分を聞いたら「そんなんじゃ勝てない。そんなんじゃ目標を達成できない」と怒ってしまう。

バーチャルゲームに関して、そういうことが起こると、『新しい』感じがするけど、実は、リアル世界で昔っから繰り返されていることだ。ただ単に夢中になっている人夢中になれない人の気持ちの差でしかない。新しいものくそもない。古いか新しいかの問題じゃない。


そして、職場でだって、そういうことが繰り返されているわけだ。平成生まれの人?が、昭和生まれの上司に対して、不満を抱くことがある。若い人から?すれば、根性主義の上司が言うことが、いちいち、しゃくにさわるのである。どうしてかというと、自分は、上司ほど熱中してないからだ。仕事に熱中してない。だから、そこには、部活やゲームとおなじで、温度差がある。仕事に対する『期待』がちがうのである。仕事に夢中になれないのには理由があるのだけど、ゲームに夢中になれない人だって、その人なりの理由がある。





(ゲーム内の)チームでこれこれを攻略するということと(会社内の)チームで利潤を追求するということは、大差がない。質的にはおなじだ。やりたい人と、やりたくない人の気持ちの差が行動の差になって現れるのはしかたがないことだ。


日本の労働市場と日本のインフラが関わった問題なのだ。日本だけではなく、













『通えるはずだ』なんていうのは、経験したあとに言え!

早くもつかれてきたので、横になる。

みんな、誤解しているんだ。ぼくのことを……。

ヘビメタ騒音がどれだけのものかわかってない。

毎日、午後一一時まで、あのすさまじい音が『横の部屋』で鳴り続けているということが、その後の時間にどれだけの影響を与えるかわかってない。わかってないのは、しかたがないけど、それにしても、不利だな。一回も鳴らされてない人に「いいわけだ」とか言われる立場に追い込まれる。一日だけじゃない、五〇〇〇日鳴らされて、そういう立場に追い込まれる。日本は、普通に、日本労働教の教えが行き渡っているので、普通の人は特に考えることもなく『働かない人は悪い人』と思っている。『働けないひとはしかたがない』けど、『働けるのに働かないのはとてつもなくケシカラン』『働けるか働けないかは(自分が)見た感じで判断する』『どんな理由があろうとも、朝起きれないから働けないなんていうのは、甘えている』……こういう味方が主流だ。気違いヘビメタに五〇〇〇日以上にわたってやられると、どうしても普通に通勤して働けなくなるのだけど……そんなのは、実際に五〇〇〇日以上「たたられた」人じゃないとわからない。自分のからだでわからなければ、わからない。俺が言っていることと、結果に距離があるように思える。本人の努力でどうにでもなるのに、あるいは、本人の考え方でどうにでも鳴るのに、それができないというのは、甘えていると考えるみたいだ。距離があるというのは、午後一一時一一分までのヘビメタ騒音と朝起きれないから働けないのあいだにひらきがあるとその人が考えているということだ。実際に体験したことがなく、これがどういう意味を持っているかわからない人が、勝手に、そういうふうに決めつけてくる。はっきり言ってしまえば、「ひらき」はまったくない。むしろ、五〇〇〇日間がんばってきたからこそ、「働けないからだ」になっているのだ。それを、まったく一日も経験したことがないやつに、わかったようなことを言われる。これは、気違い兄貴の例で言うと、『そのハンダゴテが使えないというのが見てわからないのは、おかしい』『ちゃんと言えば、(お父さんはわかってくれるはずなのに)ちゃんと言わないから、(お父さんが)誤解しているのだ』と言われることに匹敵する。ハンダゴテ事件は二日で済んだけど、ヘビメタ騒音事件は五〇〇〇日以上続いているんだよ。中学時代まる三年間、高校時代まる三年間をすっぽり覆い尽くしているんだよ。本当に、気違い兄貴に直接、どれだけ言っても、一分も静かにしてくれなかった。これが、他の人にはわかってない。平日、午後四時から、午後一一時一一分まで、あの音のでかさで、気違いの音を例外なく、どれだけ(やめろ)と言っても聞かされ続けるということの意味が、他の人にはまったくわかってない。だから、わからずに、間違った推論をして、間違った前提に基づいて、間違った助言をしてくる。この助言は間違っている助言だ。けど、そういうことを言う人たちは、間違った推論をして、間違った前提に基づいて、間違った助言をしているとは思わないだろう。思いたくもないだろう。なので、ヘビメタ騒音のことを説明したあとも、平行線をたどることになる。これがぼくの生きがたさのひとつだ。本人は、中学時代まる三年間、高校時代まる三年間をヘビメタ騒音にやられず、勉強することを奨励され、あるいは、勉強する気持ちになれば(家で)(毎日)勉強することができたやつが、そういうことを言う。こういうやつは、こっちからみれば、甘えているんだよ。どれだけ自分がいい環境で勉強することができたか、まったく気がついてない。才能の差だと思っている。考え方の差だと思っている。考え方のさというのは、たとえば、自分なら、たとえヘビメタ騒音が(エイリの言うとおりに)鳴っていたとしても、ポジティブに考えてべんょきうすることができた……と無意識的に考えているんだよ。そういうふうにみなしている。けど、それは、間違っている。気違いヘビメタ騒音をあの頻度であの長さで、経験したことがないから、そういうふうに思い込んでいるだけだ。気違い兄貴の性格が(本当には)わかってないから、『自分なら……』と思うことができるだけの話だ。そういうところで、思い違いをしている。けど、これも、何回も言うけど、そういう人たちは、自分が思い違いをしているとは思わないだろう。『自分なら……(お兄さんを静かにさせることができた)』『自分なら…本当にそういう音でそういう時間鳴っていたとしても、勉強することはできたし、遅刻しないで学校に通うことができた(はずだ)』と……実際には一日も経験してないのに、勝手に推論して、決めつけている。そういうことであるならば、「たとえ、騒音があったにしろ、いまは鳴ってないのだから、働けないなんてというのは甘えている」と考えても不思議ではない。けど、これは、間違っている。ゲスノカングリ。ただ単に、俺とおなじ頻度で、俺とおなじ長さ、(気違い兄貴!のヘビメタ騒音を)経験してないから、わかってないだけ。からだでわかってないから、推論が崩れるだけだ。気違い兄貴!のヘビメタ騒音というのは重要だからね。他の人のヘビメタ騒音じゃなくて、気違い兄貴がやった、あの気違いヘビメタ騒音を経験しているかどうかが問題。経験してないのであれば、それは、間違った推論をしてもしかたがない。けど、こっちは、見下されて、不愉快だ。そういうふうに思っている人は本当に「考えちがい』をしている。わかってないだけ。まあ、しかたがないことなんだけど、わかってないだけだ。実際に、経験してみろ。一〇〇日、一〇〇〇日、三〇〇〇日、五〇〇〇日、積み重なったときにどういうからだの状態になるか、経験してみろ。『通えるはずだ』なんていうのは、経験したあとに言え!



それで、実はダイヤと絶交したのもこれが直接関わっている。本当に自分のことのようにずっと心配してくれたのだけど……それは、ありがたいことなのだけど……こたえたよ。







2018年2月18日日曜日

気にしないようにしても、「こたえる」

やばい状態だったが少しだけ、復活した。

まあ、復活したところで「くらやみトンネル」はぬけられないんだけどな! いったい、いつになったら、「くらやみトンネル」をぬけることができるんだ? ヘビメタがはじまって以来、ずっと、「くらやみトンネル」のなかだ。くるしい。誰かに助けて欲しかったのも事実だ。けど、俺は二度ことわっているしな……。どのみち、俺の友達が兄貴に注意したとしても、その友達が帰ってしまえば、気違い兄貴は『普通の音で鳴らしているつもりで』『ものすごくでかい音で』鳴らす。鳴らし続ける。他の人は……ここを読んでいる他の人は、俺がこだわりすぎなのではないかと思うかもしれないけど、実際にやられてみればわかる。どれだけ、気にしないようにしても、「こたえる」。その影響は、意識、無意識、精神全体、体力、知能、能力に広範な影響を与えてる。気分の問題だけじゃないのだ。意識的な努力で、どうにかしようと思っても……つまり、『気にしないように』しても、あらゆる面で影響を与えていた。中学の教師のように、『たいしたことじゃない』『(家族で相談すればいい』と単純に考える人もいる。そういう人たちには、この問題の深さがわからない。だから、わからないところで、適当に判断する。その適当な判断は適切な判断じゃない。間違った前提に基づいた間違った判断だ。常に、自分のことに関して、間違った判断をされる状態……でいいはずがない。それが、どれだけつらいことか、他の人にはわからない。

2018年2月17日土曜日

あの時のあの感じはやばい。

実はモニターの見過ぎで目が痛い。

目の奥が、じーーんと痛いのだ。



なので、また横になる。



けど、さっき見た夢は、かなりやばい。

あの時のあの感じはやばい。


けっきょく、やられたやつが最後まで悪く言われる。

人間ってなんだ?
けっきょく、やられたやつが最後まで悪く言われる。

   *   *   *

毎日だったんだよ。毎日。
毎日だったんだよ。毎日。毎日ってことの意味がわかるか?
わかるわけがない。やられたことがないなら、わかるわけがない。毎日やられたことがないなら、その連続がどれだけの破壊をもたらすかわかるわけがない。勝手に、自分の普段の想像で、ものを言うな。

2018年2月16日金曜日

他の人にとってはどうでもいいことだが


しかし、俺が生きてきて、ヘビメタ騒音のことを言ったとき、無理解なひとの無理解な反応が……けっこうこたえたな。生きているあいだで、いやなことはいっぱいあるけど、ヘビメタ騒音系の派生物はけっこうこたえたな。けっこうまじめな人が、二重三重に誤解をする。悪い人じゃないんだろうけど、誤解は誤解だ。『見立て』が間違っている。最低で三個間違っている。

   *   *   *


ヘビメタ騒音で全部ない。
あーあ、本当
兄貴が一日目にヘビメタをやめてくれたら、俺の人生は、どんだけすばらしいものになっていたかわからない。

2018年2月15日木曜日

主観の問題だから、狂っている人は、ごく普通にそう感じることができる

自分の日記だから書いちゃうけど、つまんない~~

つまんない~~~



これ、どうにかしないとな。



まあ、「おもしろい」「おもしろい」と言えば、おもしろくなるかと言うとならない。これはもう実験済み。



なにか、方法があるはずなんだけどなぁ。



「つまらない。けど、そこそこ書きたいことが書けた」

「つまらない。けど、そのうち楽しくなるかもしれない」

「つまらない。けど、楽しい瞬間があるかもしれない」

「つまらない。けど、おもしろかったときはある」(ヘビメタ騒音前だけどな。ヘビメタ騒音がはじまってからひたすら、つらい日々だった。ほんとうに、ダイヤ君がいなかったら、死んでたな。自殺してた。気違い兄貴の頑固さが、他の人にはわからない。ついでに言っておくと、ほんとうにつらいんだよ。他の人にはわからないだろうけど、ほんとうにつらいんだよ。つらすぎる。



ああいうやり方で絶交するべきではなかったな。けど、限界だった。ダイヤに言われるのは、こたえた。限界だった。一一年も毎日ヘビメタ騒音が続いてしまうからいけないんだ。実際には、もっと長く続いたのだけど、ダイヤと絶交しなければならなくなったのは、ヘビメタ騒音歴一一年目あたりだ。ヘビメタ騒音歴一二年かもしれないけど。なんか、涙が出てくるな。



ほんとーーーに頑固で、絶対にゆずってくれない。親父以上に頑固なんだよ。自分が本当にゆずることなんて、中間期末試験注だろうが、入試シーズンだろうが、一分も考えてないよ。最初から、絶対に、一分だろうがならさないで我慢するのはいやだからやらないと決めていた。

最初から、絶対に、一分だろうがヘッドホンして我慢するのはいやだからやってやらないと決めていた。「それだっていいだろ」という考え方なのだ。

「よくない」から「よくない」と何万回も言ったのに、まったく、つたわらない。親父のようにつたわらない。親父以上につたわらない。『自分が親父みたいだったなんて信じられない』とか(兄貴の嫁さんの前で)兄貴が言っているんだよ。

よく言うよ。親父そのものだよ。親父をこえる頑固さだよ。最初から、自分が損をするかたちで、ほんとうに我慢してやることなんて絶対に、考えてない。「そんなのは、絶対に一分だってやってやらない」と心に決めていた。

だから、実際に一分だって静かにしてくれなかった。

けど、気違い兄貴は、感覚器をずらして、自分が鳴らしたい音で鳴らして「いい」ということにしてしまったんだ。「どれだけやったって、やってない」ということにしてしまったんだ。「どれだけデカイ音で鳴らしたって、デカイ音で鳴らしてない」ということにしてしまったんだ。

親父とおなじ方法でしてしまったんだ。

そして、親父とおなじ方法で無視して、親父とおなじ方法で、『言われたら』怒って否定した。

で、否定したら、もう本人のなかではすんでいること……終わっていることだから『まったく言われなかったのとおなじ状態』になってしまう。

だから、「言われなかった」という気持ちで、いまは本人だって一分間も鳴らせないようなデカイデカイ音でずっと鳴らしてた。

「うちでなら」それでゆるされるのである。

「うちでなら」そういうデカイデカイ音で鳴らしたって、鳴らしてない(のとおなじ)なのである。気違い兄貴の主観としては、普通の音で鳴らしているということになってしまう。

常に鳴らしているときは、そういう感覚で鳴らすから、実際にはデカイデカイ音で鳴らしていても、普通の音で鳴らしていると錯覚してしまう。妄想してしまう。その感覚は、現実を常に裏切っているのである。


で、ぼくがちょっとだけ言いたいのは、道徳観を問題にしないのであれば!……善悪を問題にしないのであれば!……兄貴や親父のように、やりたいことをやるというのが、理想的な姿として語られることがあるということだ。

『人に迷惑をかけてもよい』ということにはなってない。けど、たとえば、気違い兄貴は、どれだけ言われたって、『弟に迷惑をかけている』と思ってなかったのである。

それは、異常なのだけど、感覚器をずらした場合は、感覚器をずらしたわけだから、本人には異常じゃないと感じられるということだ。感覚器をずらしているという感覚はないのだから、普通のことをしているとしか思わないのである。

要するに、九〇デシベルぐらいのものすごくでかい音で音を鳴らしても、三〇デシベルぐらいの音で鳴らしていると本人が思っているのであれば、本人にとっては、三〇デシベルぐらいの音で鳴らしているのとおなじわけだから、何時間鳴らしても問題はないと感じることができるのである。


「午後一一時一一分にはやめるのだから、三〇デシベルぐらいの音で鳴らすなら、一日に一三時間、一日一四時間鳴らしたってよい」のである。三〇デシベルぐらいの音で『がたがた言ってくる方がおかしい』と、本人は思うわけである。


実際は九〇デシベル!で鳴らしていても、本人がそう思えば、本人のなかではそうなのだ。だから、絶対に反省しない。

それから、三〇デシベルぐらいの音で鳴らしているのだから、それ以上静かにしてやるかどうかは、自分の自由だということになる。


相手の言うことを聞いて、ヘッドホンをしたり、鳴らさないで静かにしてやる必要はないということになる。もし、ほんとうに三〇デシベルの音で鳴らしていると(信じているのであれば)、三〇デシベルの音で一日に一四時間鳴らすことは、道徳的に問題がないことなのである。


「静かにしてくれ」「やめてくれ」と文句を言ってくる相手がいるとするならば、それは、そう言ってきたやつが悪いと思って、鳴らし続けることは、道徳的にやってもいいことだと感じることができる。


だから、道徳を問題にするにしろ感覚器がずれているのであれば……あるいはおなじことだけど、無意識的に感覚器をずらすことができるのであれば、実際にはどれだけデカイ音で、一日に一三時間、鳴らしたとしても、問題はないと感じることができるのである。


で、それは、けっきょくは、※主観の問題だから※、狂っている人は、ごく普通にそう感じることができるのである。その場合、普通の意味で、道徳性が問題になるかというとならない。本人は、道徳心があるつもりでも、感覚をずらすことができるのであれば、本人が意識しないまま(やってないとおもっているまま)やることができるのである。

   *   *   *

道徳観を問題にしないのであれば!……善悪を問題にしないのであれば!ということは、ものすごく重要だ。人が言うことを気にしないで、自分が思ったとおりのことをやる……ということが理想として語られることがある。『人に迷惑をかけないのであれば』ということだけど……。しかし、『人に迷惑をかけているのか、かけていないのか』の認識が究極的には本人の主観に依存している限り……そういう条件付けは意味をなさない。これは、もちろん、究極的には意味をなさないと言うことだ。ふつうは、意味をなす。けど、兄貴や親父みたいに主観としては…「迷惑をかけていると思わない人」が存在する以上、『人に迷惑をかけないのであれば』という条件は、その人たちにとってまったく意味がない。無効化されていることだ。


   *   *   *

やっぱり、この世は、鳴っているこの世だ。
くるしい。
この雰囲気。この体調。だるい。くるしい。やっぱり、睡眠が関係しているような感じがする。おなじなんだよな。あのくるしかった日々とおなじなんだよな。ほーんとうに、くるしかった。あれはない。

いま、幼稚園の子供たちが、ぎゃぎゃーぎゃーーと奇声を発しているけど、ヘビメタ騒音なんて、そんなものじゃない。近距離の、兄貴のヘビメタ騒音はそんなものじゃないのだ。あんな音のなかで、勉強なんてとてもできない。どれだけ勉強が好きでも勉強ができない。「勉強ができない」とか「うるさくて勉強ができない」というと、状況に関係なく……つまり、事実と関係なく「いいわけだ」「勉強したくないからそんなことを言っている」と言い出すやつがいるけど、それはちがう。だいたい、そいつは、ヘビメタ騒音のなかで勉強したことがない。ヘビメタ騒音のなかで好きな作業をしたことがない。ゲスノカングリだと思う。本当に、好きなことを、ヘビメタ騒音のなかで……ヘビメタ騒音にさらされて……やったことがないから、わかってないだけだ。経験がないからわからないことはある。別に、そいつのIQが低いといっているわけではない。ただ、「いいわけだ」「勉強したくないからそんなことを言っている」と言うのは、そいつの頭が悪いことを暗示している。頭じゃなければ、「性格」が悪いことを暗示している。ゲスなんだよ。性格が「ゲスな。

おまえ、本当に、あの騒音のなかで勉強ができるのかよ? 毎日、続けて、週間として勉強ができるのかよ? 何千日もあの音が積み重なったら、からだの不快感が並大抵じゃないんだよ。過労死寸前の体の状態になってしまう。常に毎日、寝不足だからな。あの体の状態で、あの音が鳴っている中で、勉強なんてできるわけがないだろ。勉強どころか、好きでやりたいことも、できなくなる。好きなことでも、あの『発狂的な騒音』のなかでやると、きらいなものになってしまうからな。そのものに、ヘビメタ騒音がくっつく。時間というものがある。行為は常に現前して、ヘビメタ騒音も現前している。そうなると、行為そのものが汚染されてしまう。ヘビメタ騒音に汚染されてしまう。好きだったことがきらいなこと、いやなこと、思い浮かべたくないことになってしまう。



認知療法の説明のなかでは、
で、認知療法家が鬱病患者に対して

しんど、これ、しんど。

正直言ってつかれた。

この、つかれ~~

くるしいな、おい。

この、つかれ~~



あーー、たいしたとをしてないのに、強烈につかれている。

じゅうぶん眠っているのに、つかれている。

寝過ぎてもつかれるというけど、それとはまたちがうんだよな。

ヘビメタ騒音のつかれだから。



しんど、これ、しんど。

あいかわらず、頭に霞がかかっているな。もやもやする。
しんどーー。これ、しんどーー。

俺がどれだけ説明しても「言えばよかったのに(静かにしてって言えばよかったのに)」と言うやつは、兄貴の態度がわからないんだよな。そんなの、どれだけ言ったかわからないほど言った。何万回、何十万回、ひょっとしたらな百万回も言った。いや、何百万回はないか。何十万回かわからないけど、何十万回は言った。

頭がもやもやする。だめ。
だれか、助けろ。

むなしい。こんなの。

こんな人生でいいわけがないだろ。こんな人生で!

そういえば、睡眠科の医者もそうだったけど、兄貴の話と親父の話は、信じない人は信じないね。まるで、俺がヘンな人のよう思われる。こんなのない。まるで俺が嘘を言っているか、まるで俺が妄想を語っているように思うみたいだけど、ちがう。これ、むかしっから、そうなんだよな。親父と兄貴に関わることは~~。

『言わないからダメなんだ』と言ったやつは、みんな……。

   *   *   *

あー、この現実なんだぁ?? この現実なんだぁ??





2018年2月14日水曜日

おまえ、八年間毎日やられてみろ!!

人生の時間がぁ~~があ~~があ~~~~ジンセイノタイセツナジカンガァ~~すぎていく。

実は目がつかれている。明るさを下げる眼鏡をかけなければ。
かけた。

やる気がなくなっている。ただでも少ないやる気が~~~

つかれているから眠れるけど、眠るのだけが楽しいね……。という感じじゃない。眠ってもくるしい。眠っているときも起きているときも、つくづくヘビメタ騒音で人生がなかったなと思う。本当にヘビメタ騒音がでかすぎる。こんなの、無理だよ。どれだけ才能があっても、どれだけいい人でも、こんなの無理だよ。他の人から、サボっているように思われる。他の人から甘えているように思われる。その『他の人』というのはヘビメタ騒音を一日も経験したことがない人だ。親に金を出してもらって、大学院を卒業した人だ。どっちが甘えているんだよ? ヘビメタ騒音一五年間で、仕事ができなくなった。毎日通勤する睡眠力と体力がなくなった。一五年間毎日、経験してから言ってくれる?

気違い兄貴に言っておく。(後で付け足す)

あとは、たとえば、俺の大学進学に津いて勉強がものすごくできたけど、経済的な理由で大学進学をあきらめて、働いた人がいくらでもいる。(成績が良かったやつが高校卒で企業に勤めて働いた。だから、エイリも大学なんかにいまさらこだわらないで働くべきだ)と言ったやつがいる。

こいつはまったくなにもわかってない。

ぼくができないのは……気違いヘビメタ騒音の結果できなくなったことは、通う』ということだ。通勤通学がそもそもできないからだになったのである。これは、根性とか気力とか道徳観の問題じゃない。労働に対する価値観の問題じゃない。まるで俺がサボっているように思っている。

要するに、『通う』ことができるのに、『通わない』だけなんだと思っている。できないんだよ。そりゃ、ぼくだって、ヘビメタ騒音が鳴り始める前はできた。普通にできた。決まった時間に起きて通うということが、『不可能』ではなかった。そりゃ、朝つらいときもあったさ。

けど、それは、『不可能』ということではない。通い続けることが不可能ということではない。決まった時間に起きて、特定の場所に行くということが、まったく不可能ということではないのだ。

けど、ヘビメタ騒音を八年間毎日やられたあたりから、そういうことがまったく不可能になった。ぼくは、『通わない』ことを選択しているのではなくて、通えなくなってしまったのである。

これも、実際にヘビメタ騒音生活を八年間続けて、その八年間、決まった時間に起きて決まったところに通って、なおかつ、決まったところから帰ってきたら、けたたましい騒音がずっと鳴っているという状態を経験してから、とやかく、言えと言うのだ。

本当に、頭にくる。こいつらは、「俺(エイリ)がサボって通ってないだけだ。働いてないだけだ」と本気で思っている。こいつらは!!! おまえ、八年間毎日やられてみろ。休みの日は朝の一〇時から夜の一一時までずっとやられてみろ。休みの日のほうがヘビメタ騒音にさらされる時間が長くなってしまうのだからな。

これは、地獄だ。休みにならない。俺がどういう思いで日曜日をすごしてきたと思っているんだ。家から出ても帰ってきたら、ずっと午後一一時一一分まで鳴っているんだぞ。気違い的にデカい音で鳴っているんだぞ。どれだけ言っても、気違い的な態度で、気違い的にデカイ音で鳴らすことにこだわりつくして、鳴らすやつがいるんだぞ。

そいつが!家族なんだぞ!!

そいつは、まったく鳴らしてないのとおなじ気分でいるんだぞ。どれだけなにを言っても親父のようになにも伝わらないんだぞ!

こういう生活をして、睡眠力と体力と気力を削られて、生活してみろ。八年後には、「まったく通えないからだ」になっている。これ、こういうことがまったくわかってないんだよな。

だから、「労働の大切さがわかってないから(エイリは働こうとしない)サボっている。(労働の大切さがわかれば、働くはずだ)(そうにちがいがない)」と、常識的な頭で決めつけている。

こういうやつは、異常な家族の状態というのが、根本的にわかってない。そのくせ『人間主義』なんだからな。あんまり言いたくないことだけど、ヘビメタ騒音なしで普通に大学に通って就職したおまえより、俺のほうが生きがたいに決まっているだろ。

どこにめん玉くっつけているんだよ。おまえの目は常識でくもりにくもっている。真実がまったく見えてない。

こういうことをこういう書き方で書くと嫌悪感を感じる人もいるだろう。そういうことも含めて、気違いヘビメタ騒音の連続というのは、こまるんだよ。

これ、いまさらの問題じゃなくて、鳴っているときからの問題だから。鳴っているときから同様の問題が発生していた。鳴っているときから位相はちがうけど同様のの問題が発生していた。

これ、本当に、兄貴が異常な意地で鳴らしているということが、普通の常識的な人にはわからないんだよな。

兄貴の『常識』がわからない。兄貴の感じ方、兄貴の頑固さ、兄貴の感覚のずれ、兄貴の認識のズレ、兄貴の認知のズレが、わからない。わからないから、なにか俺が道徳的に劣っているように思われる。兄貴も親父も気違いの壁というのがあって、その壁は、殺さなければ(うちのなかでは)くずすことができない。

こういう切迫した状態がまるでわかってないんだよな。

こういう人たちは、ヒトコト「やめて」と言えば、やめてくれるとどこかで思っている。常識的な人はどこかでそう思っている。だから、「言わなかったエイリが悪い」「そんなの言えばいいのに、言わないからダメなんだ」と思ってしまう。

「そうじゃないんだ」と言っても、そういう「みたて」がかわらない。相手のなかでこれまた、変化しない。そういう「みたて」は、自我に直結しているものだから、かえたくはないし、かえない。

だから、へんなのはエイリだということになる。「ちゃんと言えばつたわるのに、ちゃんと言わなかったから悪いんだ」ということになる。その「みたて」は、間違っているのだけど、本人は間違っているとは思わない。その人の中には、兄貴のような人はいないのである。

いても……いたとしたら、その人は精神病院に入院しているはずだから、いてもいないのとおなじだということになる。逆に、精神病院入院していないなら……つまり精神病院入院するほどひどくないのであれば……「ちゃんと言えば、ちゃんと聞いてくれる※はず※」なのである。

そういう暗黙の「みたて」がある。

で、その暗黙の「みたて」は、間違っている。これがわかってない人がいるんだよな。兄貴がどんだけの意地でやっているかわかってない。兄貴がどんだけの意地でやっていることを認めないかわかってない。

気違い兄貴の側には気違い兄貴の「みたて」があって、その「みたて」は「うちでなら、この音で鳴らしてもいい」「この音は非常識なデカイ音ではなくて普通の音だ」という「みたて」だ。

どれだけ、いい人でも、どれだけ道徳的な日でも、こう思う。それがヘビメタ騒音だ。それがヘビメタ騒音の連続だ。おかしいんだよ。おかしい。世の中がおかしい。他のやつらがおかしい。

   *   *   *

こういうことを書くと、俺がひねくれているように思う人もいるかとは思うけど、それもちがう。ただ、やられてないから、そう思えるだけだ。だいたい、常識的なひとの「みたて」が間違っているというのは、本当の話だ。真実だ。目が曇っているのは、『やられたことがない人たち』だ。

そりゃ、ああいう態度で毎日ずっとやられたら、うらみもするだろ。それで本当に人生がないのだから。極限の暮らしを強いられてきたのだから。しかも、やっている本人は、何年間、毎日やろうが……実際にやろうが……まったくやってないつもりなんだからな。これで俺が怒っていると、……怒っているやつはいやだな……と思われるわけだよ。『目が曇っている』と言われたやつは、おもしろくないわけだよ。事実だけどな。『目が曇っている』やつは、本当に『目が曇っている』。真実がわかってない。自分がやられたことじゃないから、その意味がわかってないだけ。実際どれだけの被害がしょうじるか、わかってないだけ。どうしてわからないかというと、自分がやられたことがないからだ。『想像の範囲外』なのである。(その人たちが)想像することすらできないようなひどい音で鳴っていた。(その人たちが)想像することができないような態度で(兄貴は)(毎日)(毎時間毎分毎秒)鳴らしていた。こだわりつくして、一切合切有効な範囲でゆずらず、鳴らしていた。一万分の一でも、下げてやったら、下げてやったんだから静かにしてやったということになってしまう。けど、それは、兄貴だって、いま住んでいるところでは一分だって鳴らせないような大爆音だ。どうして、「よそ」の人に対する気遣いの、一万分の一もないのか。どうして、親父のまねをして、無慈悲に鳴らし続けるのか。本当はデカイ音で鳴らしているのに……鳴らし続けているのに……ゆずってやったと思うことができるのか? 静かにしてやったと思うことができるのか? 気違い兄貴がゆずった音なんて、普通の人からすれば、『こんなデカイ音で鳴らしてだいじょうぶなの?』と不安になるような音なんだよ。これが、気違い親とおなじで、(気違い兄貴は)まったくわからない。そして、そういう音を聞いたことがない人は、俺がどれだけ、デカイ音で鳴らしていた……と言っても、そのほんとうの威力がわからない。あれが、毎日七時間から一四時間鳴っていたら、本当に、すべてがおかしくなってしまうんだよ。どれだけちゃんとした人」でも、遅刻するようになってしまうんだよ。遅刻して、それでも毎日がんばって七年間学校に通ったとしても、八年目には、「もう通えないからだ」になってしまうんだよ。

どうして、俺がこんなに言っているのに、信じないやつは信じないんだ? まあ、思いつく理由は俺が書いておいたけど、それにしても、おろかだ。目が曇っている。曇りまくっている。なにが、人間学だ。騒音でくるしいと言っているだろ。『道徳性』はどうなるんだよ。やられたやつが、やられたまま、我慢すればいいのか?

2018年2月12日月曜日

常識的なひとの『うちに関する判断』というのが常に間違っている

ぼくのたましいは、ヘビメタ騒音にやられてさまよっていたころのたましいのままだ。どんだけ、さまよい続けているのか? だいたい、ヘビメタ騒音問題はほんとうにやられた人しかわからない。『騒音がきつかったんだろうな』というのはわかるかもしれないけど、それじゃ、実際のところはまったくわかってないのとおなじだ。けど、ぼくが求めているのは、『騒音がきつかったんだろうな』ということだ。しかし、『(エイリにとって)騒音がきつかったんだろうな』ということを認めない人たちも当然いる。

お兄さんステレオ騒音なんて、言えば、簡単に片付きそうな問題なのである。そんなに深刻そうな問題に聞こえない。けど、やられればわかるけど、鳴り始めてから六ヶ月で、生死をさまよう問題になる。俺は、生き残っただけでもすごいのだ。そう思わなければやってられない。

うまく書けるかどうかわからないけど、ちょっとだけ、書いておこう。それは、現場を知らない人は、間違った判断をするということだ。ヘビメタ騒音の現場を知らない人は、常に間違った判断をする。そして、間違った判断を押しつけてくる。

むかし、『現場の刑事』と『お偉いさん』の軋轢を扱ったドラマがあった。そのドラマでは、『お偉いさん』が常に間違った命令をくだすのである。『お偉いさん』が言うように行動すると、犯人が目的を遂行してしまう。『犯人』のほうが『お偉いさん』より一枚うわてで、常にひとつうえの手を考えて行動しているのである。

しかし、現場の刑事は、犯人の意図がわかるので、『お偉いさん』の命令を無視して行動したいという衝動に駆られる。もし、命令を無視すると、。これは、命令違反だから、処罰の対象になるのだけど、『お偉いさん』がバカなので、しかたがない。

そこで、『お偉いさん』の命令を形式的には尊重して、『お偉いさん』のメンツを立てて、なおかつ、犯人の裏をかいて、犯人を捕まえるというようなドラマであったように記憶している。

で、なにを言いたいかというと、常識的なひとの『うちに関する判断』というのが常に間違っているということだ。現場を知らんのです。どういう態度で、親父が幼児に接してきたか、まったくわかってない。どういう態度で、兄貴がヘビメタを鳴らしているのか、まったくわかってない。親父の態度は本当に異常だった。これがわかってない。

『そんなのあり得るはずがない』『そんな大人、いない』『そんな人いるはずがない』『いたら、精神病院に入院しているはずだ(けど、入院してないのだから、そうじゃないのだろう)』……全部、ちがう。常識的な色眼鏡で見ると、真実がわからなくなる。常識的な人はドラマに出てきた『お偉いさん』のように常に、『うちの事情』『うちの状態』について間違った判断をする。『普通はこうだ』『そんなことはない』という間違った先入観がすべての判断をあやまらせるのだ。

2018年2月11日日曜日

損傷に関する自分の認知と他人の認知 と フォーカシングの限界

たとえば、左腕をなくした人のことを考えてみよう。「左腕がないということにこだわるよりも、右手でできることを考えましょう」という考え方はそこそこ肯定できる。しかし、『やる気』『意欲』といったものは目に見えない。左腕のように目に見えることではないのだ。かりに海馬が損傷していたとしても、そんなのは、目に見ることはできない。だから、ちょっとだけ話がちがってくる。

Aさんが左腕をなくした場合だと、Aさんの認知は左腕がないというものであって、なおかつ、他の人の認知もAさんの左腕はないというものだ。しかし、海馬が損傷して?やる気がなくなっている人の場合は、その人の認知とまわりの人の認知が食い違うのである。

それから、脳みその一部が損傷している場合、その人の自身の考え方が、その人の思い通りにはいかないという場合がある。しかし、それを感じているのもその人だけなので、まわりの人が確かに目で見てわかるわけではない。問題なのは『脳みそ(感じるもの)(判断するもの)』の能力自体がさがっているということだ。

これは、たとえば、左腕のように限定されたものではない。損傷部分が脳みそだと、『それ自体』(本人の質自体がかわるので)どの能力がこれだけなくなったということがわかりにくい。左腕がなくなった場合は、左腕がなくなったという部分に着目すれば、左腕がなくなったという損傷の範囲が本人にも、他者にもわかるので、「左腕がないということにこだわるよりも、右手でできることを考えましょう」というようなことが言いやすいのではないかと思う。「左腕がないということにこだわるよりも、右手でできることを考えましょう」という考え方が説得力を持つ。

しかし、これをそのまま、脳みその損傷に適応することができるかというと、できないと思う。まあ、ないはずの左腕がかゆいということがあるので、左腕がないということが本当に脳みそに影響を与えないかというと、そうとは言い切れないと思う。左腕を失った場合でも、脳みそに影響はある。

しかし、それでも、直接、人格に関わる部分ではないと思う。(能力の欠如の範囲)が目視できて、なおかつ、そうであることがその人の脳みそ全体は影響を与えない場合と、能力の欠如の範囲が目視できず、なおかつ、脳みそそれ自体に直接、影響があることは、わけて考える必要がある。

2018年2月6日火曜日

親父がいたら、いただけで、地獄だ。地獄と化す。……感情の人間サンドバック

ああ、ヘビメタ騒音さえなければ……。
本当に全部の記憶にむすびついている。……むすびついている。これ、人間として生きているとしかたがないことなんだよな。

本当にヘビメタ騒音できつかった。
本当に、異年齢集団に入っていかなければならなくなる。全部、振るわない。年下先輩が増える。死にたくなるね。

本当にヘビメタ騒音ですべてがくるしかった。だって、本当に、休みの日なんて朝からずっと夜の一一時一一分まで爆音でヘビメタが鳴っているわけで、休めない。平日の勉強の遅れを、土日で取り戻すなんてことは無理だ。

だって、土日のほうが、長くなっているから。……よけいにつかれる。つかれがとれないまま……つかれが拡張されたまま……月曜日になる。もちろん、月曜日の朝はしんどい。みんな、だれだってしんどいとか言う人がいるけど、それとはちがうしんどさなんだよ。毎週毎週かさなってみろ。もっとも、他人は、「そんなのしったこっちゃない」と言えば、それですんでしまうけどね。ぼくはそれじゃすまない。

ぼくの「からだ」だからね。一日に二、三時間しか眠れないような状態が七年間続いたときのしんどさと、ふつうに一日に八時間ぐらい眠って七年間すごしているときのしんどさは、ちがう。

過労死寸前で七年間働いているときのしんどさと、ふつうに七年間働いているときのしんどさはちがう。強制的に、過労死状態にさせられた。強制的に眠れない状態にさせられた。これも、俺がまるで、だめ人間だから、あるいは、だらしがないから、あるいは、人生を甘く見ているから、夜眠らないで起きているだけだろと考える人もいるわけだけど、ちがうんだよね。

ヘビメタ騒音がなければ、第三者から、誤解されずにすんだのに、そういう状態を押しつけられる。外から見ると、そう見えるという状態を押しつけられる。「いつも、憂鬱そう」「いつも元気がない」「それなのに、興奮しやすい」「怒りやすい」などなど。

そりゃ、あんな態度でヘビメタ騒音を毎日、午後一一時一一分まで、鳴らされ続けたら、だれだって、憂鬱そうな顔になる。だれだって元気がなくなる。だれだって、怒りやすくなる。……そりゃ、うちでかかえているヘビメタ騒音というトラブルでせいいっぱいだから。気違い兄貴よ、おまえ……。

気違い兄貴よ。気違い兄貴のヘビメタ騒音が鳴っている時間というのは、気違い親父と一緒にいる時間よりもいやだ。気違い兄貴も、小さいころ、親父と一緒にいたら、ずっと、わけのわからないことで怒り狂われていた。そりゃ、理由なんてなしに、わけのわからないことで、発狂し続けるのがあたりまえの状態だからな。

これも毎日毎日、あたりまえの状態なんだよ。

子供が小さければ、子供は、「人間サンドバック」だ。自分の感情のはけ口にしかしない。けど、「そういうつもり」だけはいつもないんだよ。難癖つけて、怒り狂うというのがスタンダードだ。子供に八つ当たりして怒り狂うのが、日課なのである。『やめてくれ』と言ったら、それこそ、なぐられるわけだよ。で、気違い親父は、なぐったことは、反省するのだけど、それにいたるまでのことは、絶対に反省しないんだよ。反省するわけがない。

やったってやってないわだから。

それに、「やめてくれ」と言ったら、くちごたえをしたということになる。で、気違い親父が「そんなこと言ったら、なぐられたなぐられた」「そんなこと言ったら、おんだされた!おんだされた!!」とギャンギャン吠えるように言って、発狂する。小さいとき親父と「いあわせてしまったら」いつもそういう状態になる。

で、本当に、暴力は少なかったんだけど……(くちごたえされたときだけ暴力を振るったので、口答えをしなければ暴力はなかった)。けど、やっていることはおなじなんだよ。気違い親父は、子供が悪いことをしたから、注意するとかそいうのはなかったんだよ。

一切合切ない。注意したことはなかったけど、常に怒り狂っていた。だから、本当は怒ってないけど、わざと怒ったふりをするとかいうことじゃなくて、わけのわからない理由で、本当に怒り狂っていた。で、「自分は!!自分は!!」ってなる。「自分は、家にいれなかった」「自分は、ごはんを食べるとき、廊下で食わされた」「自分はめしをくわせてもえらなかった」と怒り狂う。

ようするに、たとえば、子供が、自分のうち!で、ふつうにごはんを食べている……食べることができるという状態自体が、気にくわない。腹立たしい。自分はそんなのできなかったのに、なんだ、おまえらは!!」という怒りがある。

「自分はそんなんじゃなかった」「どんなことをされたって、くちごたえをしたら、なぐられて、おんだされた」と絶叫する。

この場合、絶叫しただけで、なぐらない場合もある。というか、おやじはほんとうに数回しかぶったことがない。だから、暴力は、あったにはたったけど、常に暴力を振るっていたわけじゃない。

で、問題は暴力のありなしじゃなくて、頭がおかしいというところだ。まあ、頭がおしいというのはよこにおいておいて、わけのわからないことをして、絶叫するのと、わけがわからないことをしてなぐるのは、大差がないんだよ。

くちごたえをすれば、ぶつけど、くちごたえをしなければぶたないわけだから……。で、世間ではぶつかぶたないかがものすごくデカイちがいであるように言われるのだけど、本当はそうじゃない。

おなじ。ぶったり、絶叫するまえに、やったことが問題。気違い的な意地で主張していたことが問題。ぶったり、絶叫する前に、やっていた「気違い行為」が問題。

世間の人は、そこのとろがわからない。暴力があれば問題。暴力がなければたいした問題じゃないと考えるところがある。この問題にかんしては、世間の考え方のほうがずれている。もちろん、「世間」のほうが人数が多いので、俺がずれているということになるんだけど……。暴力があるかないかよりも、重要なことがあるんだよ!!!

それは、認知の問題だ。自分がやったことに対する認知の問題だ。自分が命がけで、発狂してやりのけたことにかんする認知の問題だ。「やったって、やってない」が普通に成り立つ状態がわかるか? すぐに「やったって」の部分がとれて「やってない!やってない!!」という認知にかわる。時間が経てば「やったってやってない」という認知ではなくて、「やってない」という認知になってしまうのである。時間は、一分もあれば、じゅうぶんだ。そういう構造がずっと成り立っていれば、そういう反応をずっと返してくるということになるのである。で、ずっと『やってないという認知』が成り立つ。

で、親父のことはどうでもいい。

けど、兄貴のことはゆるせない。ヘビメタ騒音は限度を超えている。兄貴に言っておきたいのけど、ヘビメタ騒音が鳴っている空間は、兄貴が小さいときに親字と「いあわせた」空間とおなじ。

兄貴が小さいときに親父と「いあわせて」いやな思いした空間よりも、いやな空間だ。俺にとって、自分の部屋は、気違いヘビメタ騒音に汚染されているので……自分の部屋にいるときにガンガンヘビメタが鳴っているので……めちゃくちゃに、いやな空間なんだよ。

そういう空間に、俺の部屋がなってしまう。

横の部屋で、気違い的にデカイ音で、気違い兄貴がヘビメタを鳴らすから、俺の部屋がそういう空間になってしまう。

気違い兄貴はまったく考えてないのだろうけど、一日に一三時間三〇分、親父といっしょの部屋にいてみろ。いることを考えたときの、「不愉快さの度合い」を考えてみろ。気違い兄貴が一日に一三時間三〇分、ヘビメタを鳴らしている場合、俺の「不愉快さの度合い」は、気違い兄貴が気違い親父と一三時間いっしょにいるときの「不愉快さの度合い」よりも高いんだよ。

気違い兄貴と気違い親父がもめているときの!気違い兄貴の「心の乱れの度合い」は、気違い兄貴のヘビメタを強制的に聞かされているときの俺の「心の乱れ度合い」よりも低いんだよ。気違い兄貴にとって気違い親父と居合わせている空間は地獄だったろうけど……いやでいやでしかたがない空間だったろうけど、俺にとって気違い兄貴のヘビメタが鳴っている空間は、それよりも地獄なんだよ。それよりもいやな空間なんだよ。いやでいやでしかたがない空間なんだよ。

俺だって兄貴とおなじぐらいに、気違い親父問い合わせるのはいやだった。子供のとき、気違い親父がいたら、いただけで、地獄だ。地獄と化す。本当に、わけのわからないことで怒鳴り込んできやがって。頭がおかしい理由で怒鳴り込んでくる。本当は、怒る理由なんてない。

だから、俺だって、気違い親父といっしょにいる空間はいやだった。けど、その空間は、気違い兄貴のヘビメタ騒音空間よりも、はるかにマシなんだよ。

気違い兄貴は、俺に、気違い空間を押しつけている!! 夏休みなんて、どれだけ、宿題をやるからやめろと言っても、朝の九時一五分から、夜の一一時一一分まで、少しの休みを入れて、一三時間四五分ぐらい気違いヘビメタを、デカイデカイ音で鳴らす。

勉強はしたかったけど、ヘビメタ騒音のなかで勉強すると、学校でおぼえたことすら、忘れてしまう。おぼつかなくなる。自信がないものになってしまう。どれだけ、きついか!! 気違い兄貴が一日中ヘッドホンをしてくれたら、俺は本当に勉強ができた。これ、ちょっと工夫が必要だけど……。これ、どうも、ぼくの記憶力は他の人ちがうみたいなんだよな。ともかく、ヘビメタ騒音がなければ、ぼくは勉強ができたし、たとえ、勉強ができなかったとしてもそれで満足だった。ヘビメタ騒音さえなければ……。ヘビメタ騒音さえなければ……。


   *   *   *

どーしても、ヘビメタノ問題が解決しなかった。
午後六時、ヘビメタ騒音がガンガン鳴っている時間だ。
死にたい。死にたくはないけど死にたい。死にたくなるほどくるしかった。

問題が解決しない。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。