2019年1月31日木曜日

脱力さんがゆく 1 無料セール

脱力さんがゆく 1

無料セール

↓アフィリンクではありません。

https://www.amazon.co.jp/%E8%84%B1%E5%8A%9B%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%8C%E3%82%86%E3%81%8F-1-%E8%84%B1%E5%8A%9B%E3%81%B2%E3%81%8D%E3%81%93%E3%82%82%E3%82%8A%E7%94%9F%E6%B4%BB%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%AA-ebook/dp/B01DAE9HLA/

働くのが苦手な人をむりやり働かせるとろくなことにならない


+++++++++++++++
世界の富の82%、1%の富裕層に集中 国際NGO試算
+++++++++++++++

国際NGO「オックスファム」は22日、世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を、世界で最も豊かな上位1%が独占し、経済的に恵まれない下から半分(37億人)は財産が増えなかったとする報告書を発表した。資産の偏在が格差拡大を招いているとして、世界の指導者に対策を呼びかけた。

 報告書は、スイス金融大手クレディ・スイスによる家計資産のデータをもとに推計した。昨年6月までの1年間で上位1%の資産総額は、株価の上昇などによって7625億ドル(約84兆円)増えた。これは、1日1・9ドル未満で暮らす絶対的貧困をなくすのに必要な額の7倍以上にあたるという。

 さらに下位半分の37億人分の資産総額を、米経済誌フォーブスの長者番付と比べたところ、上位42人の資産総額(合計1兆4980億ドル)とほぼ同じだった。昨年1月の報告書では、上位8人の資産総額に相当するとしたが、クレディ・スイスの調査に中国などのデータが追加されたため下位半分の資産総額を修正した。同じ基準で前年の資産を再計算すると上位61人の分と同じになることから、前年より格差は拡大しているという。

 オックスファムは、スイス・ダボスで23日に始まる世界経済フォーラム年次総会を前に、世界の指導者にタックスヘイブン(租税回避地)への対策や富裕層への課税強化などの取り組みを求めた。(ダボス=寺西和男)

++++++++++

えっと、まあ……。こういうこと。
金の椅子とか書いたけど、金の椅子に座るのは、世界で最も豊かな上位1%ではない。金の椅子に座る人だって、従業員。世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%とは関係がない人たち。18%の奪い合いをしているところでの金の椅子。
タックスヘイブンの資産に国連?などが課税するしかない。国連と書いたけど国家をこえる機関を使わないとだめだ。(ヘビメタ騒音がなければ、俺は国連の職員とか経験したかった)。

基本、働くのが苦手な人が働くのはよくない。働くのが苦手な人が働くと、余計な用事が増えることになる。それに、まわりの人の精神労働が高くなる。もう、働くのが苦手な人はたらかなくてもいいこということにした方がいい。だいたい月7万ぐらいだけど、あげればいい。
働くのが苦手な人に以外にも、事実上働けない人もいる。そういう人たちは、働かない方がいい。そういう人たちが働かなくてもいい社会を作った方が効率がいい。

富の再分配とAIロボットの発達で、相当に人間が働かなくてもいい状態になる。衣食住のうち、一番重要なのは、『食』だ。いまの生産力から言って、そんなに働かなくても、社会はまわる。まあ、人間が一日に三時間ぐらい働けば、それでいいという状態になる。

まあ、人間なんて、暇になったらジムに行って体を鍛えたりする生き物だ。そのジムに行って体を鍛えている時間は、労働時間なのかというと労働時間じゃない。レジャーの時間だ。AIロボットの監視などは、けっこう、レジャー感覚でできると思う。

レッサーパンダ事件もそうだけど、働くのが苦手な人をむりやり働かせるとろくなことにならない。どうしてこういうことがわからないのかな? 『人間は働くべきだ』『どんな人間も働くべきだ』という考えは、よくない。そんなことを言っている人間だって、無職だったりするのだから。定年退職して無職になっているけど、無職であるという自覚がない人たちがそういうことを言って、働くのが苦手な人をむりやり職場に追い込む。

当然、働くのが苦手な人は職場でうまく働くことができない。

なので、いじめられたりする。

レッサーパンダ事件の犯人も、実は、働いていたのである。その時のストレスがどれだけ犯罪に影響を与えているかわからない。障害者枠で働こうとしたのだけど障害者枠では働けなかった。

で、普通に底辺の職場で働こうとしたのだけど、はっきり言えば、無理だった。どうして、働くのが苦手な人をむりやり働かせようとするかな? 事実上働けない人を底辺の職場にぶちこむのはやめた方がいい。

どうして、底辺の職場になるかというと、底辺の職場しかアクセスできないからだ。もっとも、障害者枠はあるにはあるけど、障害者枠で採用されない障害者だってたくさんいる。

この、働くのが苦手な人を底辺の職場にぶち込みたい思想を持っている人は、働いてない人間を、底辺の職場にぶち込んだから大丈夫だと思ってしまうんだよな。(働き出したのだから大丈夫だ)と思ってしまう。

そんなこと、あるわけないだろ。どうしてそこで、気がつかないな? 

この人たちは、絶対に労働を美化している部分がある。労働を美化して、すべての人が労働をするべきだと考えているから、ぶち込まれた方の人間が見る世界がわからない。そんな、不得意なことをやって、他の人たちの足を引っぱって気分がいいわけがないだろ。失敗して怒られて気分がいいわけがないだろ。

他の人たちだって、最初は丁寧に教えていたかもしれないけど……そのうち、怒ってぶん殴るようになる。(もっとも、最初からぶっきらぼうな教え方をして、あるいは、ろくに教えないで、ぶん殴ってたかもしれないけど)。


障害者を殺してしまった介護要員だって、生活保護をもらったまま働かなければ、あんな事件を起こさなくてすんだ「かも」しれないんだぞ。あれは、たぶん、介護の現場に行ったら、障害者にかかっているおカネが自分が給料としてもらっているおカネなんかよりずっと上だったから、へんな考えにとりつかれてしまったんだと思う。

この人も、働くのが苦手な人であったわけだから……妄想障害があった……働かなくてもいいんだよ。ただ、この人の場合、薬物で妄想障害になっているから、あんまり同情したくない。

++++++++++++


2019年1月30日水曜日

本当にヘビメタ騒音で、オシダサレテシマウ


眠れるかどうかわからないけど、眠る態勢にはいる。

全部がめちゃくちゃだった。俺がこんなことを書けるも、いつまで続くのやら。
俺がどういう気持ちで生きていると思っているんだよ! 気違い兄貴。午後四時五六分、この時間鳴ってた。一年三六五日中三六五日、けたたましい音でヘビメタが鳴ってた。どれだけ「やめてくれ」「しずかにしてくれ」と言っても、一分も静かにしてくれなかった。それが、気違い兄貴が、この世で、客観的にやったことだ。気違い兄貴の主観だとどうなっているかわからないけど。絶対の意地で鳴らし続けて絶対の意地で、鳴らし続けたと言うことを認めない。そういう毎日だ。そういう毎時間だ。期末試験だろうが入試だろうが、例外がなかった。これ、一日だけ例外があるけど、その一日の例外を除けば、本当に、それ以外の一日の例外もない。例外的な一日をのぞいて、一日に、一分だってやめてくれなかったのが気違い兄貴だ。一日の中で、一分間でも静かにしてくれなかったのが、気違い兄貴だ。これ、あんだけ意地になってやったことなのに、本人が「やってないつもりでいる」なんてことが本当にあるのかね? まだ書いてないことで、本当にヘビメタ騒音の負の影響を受けたことがいっぱいある。もう、すべてにヘビメタ騒音の負の影響がある。いまだってそうだ。いまだってそうなんだよ。書かないけど、いろいろあるんだよ。
俺がどういう気分で眠って、どういう気分で起きていると思っているんだ。「ごみすて」だって貸しができるんだよ。これは、町内会の仕事で、資源ゴミの日は、資源ゴミのゴミ袋を朝早くに出さなければならない。それから、普段の燃えるゴミの日も、からすがゴミをつっつかないように、青色の網をかける必要がある。これがちょっと改善されて、網の箱になったわけだけど、ともかく、朝一定の時間に、そういうことをしなければならない。けど、俺はヘビメタ騒音の『睡眠障害』で起きる時間がくるくる回転しているので、どうしても、それができない。だから、となりの人がやってくれているのだけど、借りができるんだよ。借りが! となりのシャッターの音がうるせえんだよ。犬がうるさいんだよ。けど、借りができいるから……。まあ、俺は言うけどな!! うるさいときは、デカイ声で「うるさい」ということにしている。これも、気違い兄貴の影響なんだよ。ここにも書いているけど、俺が兄貴のことについて書くと、まるで俺が兄貴にちゃんと言わなかったから、兄貴が鳴らし続けたんだろと勝手に思うやつが出てくる。『(エイリさんがコミュ障でちゃんと)言えないからだめなんだ』なんて、決めつけてくるやつがいるんだよ。実際には、兄貴がコミュ障で、相手が言っていることがまったくわからないから問題がしょうじる。親父の態度だって、他の人に言ったって、わかってくれなかっただろ。それと、ちょうどおなじことが兄貴の態度にも成り立っている。気違い家族の『うちでの状態』というのは、他の健康的な人にとって信じがたいらしく、どれだけ説明しても、信じないやつが、かならず、出てくる。そいつらは、やられている方を、不当に、バカにして、不当な解釈を押しつけてくる。不当なんだよ!! 不当!!!
気違い兄貴のヘビメタ騒音が原因で『忘れ物』をして、他の人に借りができると言うことがいっぱいあった。ゆるせない!! ヘビメタが鳴っていると時間内に宿題が終わらないから、前の日に鞄に入れるものを用意しておくということができない。不可能。これが不可能だと言うことが、実際にヘビメタ騒音に一一時までさらされたことがない人だとわからない。そんなのは、いっくらヘビメタ騒音?が鳴ってたって可能だと、言う。そういうふうに本当に思っている。けど、可能じゃない。一日中やられて、一週間のうち七日間ずっとやられている状態がつもると、本当に宿題すらできない状態になる。どれだけ俺が、しんどい思いをして、午後一一時一一分以降に、宿題をしようとしたかわかっているのか? それから、おまえは、本当に、俺から友達をうばう。人づきあいをうばう。金を稼ぐ機会をうばう。金を稼ぐ能力をうばう。普通の日常生活をする能力をうばう。うばいきってきた。それで、問題親父を俺に任せやがって。本当にあまにくる。おまえ、気違い兄貴のせいで『働けない状態』になって、どれだけ俺が恥を書いてきたかわかっているのか? どれだけ! それは、働く前の学生時代だっておなじなのである。借りができるんだよ! これは、そのうち、ちゃんと書かなければならないと思うけど、本当にヘビメタ騒音で、オシダサレテシマウ。この「オシダサレテシマウ」というのが、本当に並みじゃないのである。どれだけ、努力しても、「オシダサレテシマウ」。浪人だって、宿題ができないのだって、おなじなんだよ。

このあいだ書いて、かんきまわって、書き続けることができなくなってしまったんだけど、たとえば、「入試の合格祈願のために神社に行こうよ」と複数の友達から誘われたとする。けど、ヘビメタ騒音でそれどころじゃない。他の人は、息抜きのために、神社に行くこともできる。けど、俺はできない。できないんだよ!!! ヘビメタ騒音で押し出されてできない。どうしてもできない。すべてが、押し出される。一日中、午後一一時一一分まで、まったく勉強できる状態じゃないということかが、どれだけのことかわかっているのか?

時間が押し出される。どうしたって、余裕がない話になる。ヘビメタ騒音二時間を取られて、普通に時間を使うことができない。ゼンブガゼンブ『ヘビメタ騒音でだめな時間』になってしまう。そりゃ、一日に七時間から一四時間ヘビメタ騒音を浴びてしまうと、午後一一時一一分からも、自由がきかない。体の自由がきかない。しんどくてむしゃむしゃして、言いがたいからだの状態になる。これ、至近距離でずっと毎日何千日も、自分がこの世で一番嫌いな音を聞かされる続ける生活をしたことがない人はわからないのだろうけど、本当に、ヘビメタ騒音が鳴り終わったから、すぐに勉強できるとか、ヘビメタ騒音が鳴り終わったからすぐに眠れるということがない!!! こういうのだって、実際に経験しないとわからないことだろ!!! けど、何千日も、そういう状態で暮らしている俺にとっては、ものすごくリアルな問題なんだよ。あのからだの状態を文章であらわすことができない。『しんどい』とか『体が自由に動かない』とか『ものすごく不安な気持ちで、なおかつ、カリカリした気持ちになる』というような言葉でしか表現ができない。けど、そういうときのしんどさは、本当にそういう言葉で表現できるようなものじゃないのである。ぜんぜんちがう。言葉で表現していることと、実際の内容がぜんぜんちがう。からだが、本当にしんどくて動かない。どれだけ動かそうとしても動けない。それなのに、あせっている状態で、それなのに、気が抜けている?状態なのだ。ばんばんばんばん、ずっと、激しい騒音にさらされて、神経がおかしくなっている。体調がものすごく、おかしくなっている。頭の状態が尋常じゃないのである。泣き出したいような怒りたいような状態で、なおかつ、憂鬱で、なおかつ、体が重たくて動けない状態だ。毎日強制的にそんな状態にされて良いわけがないだろ。普通に暮らせるわけがないだろ。俺がどれだけ切羽詰まった状態で中学生活、高校生活を維持しようとしてきたかなんて、他の人にはまったくわからない。ヘビメタ騒音にさらされなければ……その人がこの世で一番嫌いな音にさらされなければ……わからない。


気違いヘビメタがはじまってから、楽しいことなんてひとつもないよ!!! 気違い兄貴!! おまえが!!! おまえ、こだわってこだわってごたわって!!!ならしたから!!!!ならしたから!!!

どれだけの意地で鳴らしたと思ってるんだよ。鳴らしてないわけがないだろ。気違いだからわからないんだろうけど、ものすごい音で鳴らしてたよ。それは、気違い兄貴が、いま住んでいるところで、当時の音で鳴らせば、一分でわかるよ!!! これ、そういうことだって、誠意がないから、しない。本当に自分が鳴らした音が『フォークギターぐらいの音』だと思っているなら、いま住んでいるところで、夕方から午後一一時一一分まで鳴らしたって、まったく問題がないわけだろ。だったら鳴らせよ。日曜日は朝の一〇時から、夜の一一時一一分まで、ずっと鳴らしたって問題がないんだろ。その音で鳴らしたって問題がないんだろ。俺には、「まったくあたりまえのこと」としてやったことを、他人にやることができないだろ!!! うちで弟にやったことは、どれだけデカイ音で鳴らしたって『普通の音』なんだよ!! そういう気違い回路が成り立っている。で、本人はそれに絶対に気がつかないというもうひとつの気違い回路が成り立っている。だから、本人はまったく矛盾を感じない。うちの態度とよその態度がちがいすぎるということがわかってない。うちの人には、問題なく何千日もやったことを、よその人には一日もできない。うちの人には、一日に一四時間、まったく問題なくやったことを、よその人には一日に一分間だってできない。一日に一四時間、よそのうちでは絶対に鳴らせないようなデカイ音で鳴らしたって、「ゆずってやった」と思っているのが気違い兄貴なんだよ。そういう態度のちがいにぜんぜん気がつかない。入試の前の冬休み、一四日中、一四日間、ずっと、一日一四時間近く鳴らしてた。気違い兄貴が鳴らすなら、ものすごくデカイ音で鳴らすんだよ。破壊的な音で鳴らすんだよ。毎日、一日に一四時間近く、入試の前の冬休み期間ずっと毎日鳴らしてたって、『入試に協力してやった』とか言ってまったくゆずらないのが気違い兄貴なんだよ!!! どれだけ、たのんだと思っているんだよ!!!
どれだけ、たのんだと思っているんだよ!! ずっと、たのんでたんだよ!!俺は!!!

それで、いまになれば、『知らなかった』『そんなの知らなかった』だろ。ふざけんな!! 兄貴は、気違い親父より気違い!! どれだけの意地でやったか、本当にわからないのかよ!! 問答無用で、入試だろうがなんだろうが一分だってゆずらずにずっと鳴らし続けてたんだよ。それで、『入試に協力してやった』とか……本当に頭にくる。


いつも、その調子だ!!!

これ、わかるか? いつも毎日ずっとそういう調子なんだぞ。

いつも毎日、そういう調子で、すべての時間ヘッドホンせずに、ずっとスピーカーで鳴らして、なおかつそれが異常なことだと待った気がつかない状態なんだぞ。いくら言われても、認めない状態なんだぞ。

どれだけのことがつもるか? 俺の一一歳から二五歳までを返してくれよ!! 人間にとって一番大切な時期を、うばわれた。

底辺の職業にしか就けないようになったとしても、そんなのは、自己責任だということになる。そんなのは学生のときに勉強しなかったやつが悪いといこうとになる。そんなのは、学生のときに努力しなかったやつが悪いということになる。そういうふうに言われる。

ヘビメタ騒音がずっと毎日鳴っていて、そんなところじゃなかった。そんなこと、できるわけがないだろ! そんなことが!できるわけないだろ!!!

底辺の仕事だって、気違いヘビメタでからだが弱くなってできない。どれだけ俺が卑屈になって、働こうとしていたかわかるか? ゆるせない。ゆるせない。卑屈になるんだよ。本来俺は、睡眠回路が特別に悪いわけじゃなかったけど、ヘビメタ騒音生活で睡眠回路が特別に悪い状態になった。障害を背負った。けど、睡眠回路に関しては、障害が、他の人にはよくわからない。要するに、「そんなのは、根性がないからだめなんだ」とか「起きようと思えば起きられる」とか「起きられないなんて言うのは甘えだ」と言ってくるやつらが出てくる。けど、そいつらは、数千日のヘビメタ騒音を経験してない。数千日にわたる激しいヘビメタ騒音の結果睡眠回路がこわれたと言っているのに、頭が悪いやつらだな。そういう頭が悪いやつらに対しても、実際に『起きることができない』となると、卑屈になる。睡眠回路がこわれた状態……というのを、引き受けると……自分で認めると、どうしたって卑屈になる。ひとができることができないということにを認めたって……いいことなんてないんだよ。これ、まるで、あるがままの自分を認めればいい(それで問題が解決する)みたいな考え方があるんだけど、そんなんじゃ、よくならない。できないことを認めたってしかたがないんだよ。


   *   *   *

俺はこのまま●んでしまうのだろうか?
本当にヘビメタ騒音がはじまってから、つらいだけでいいことがなかった。チャンスは全部、棒にふった。そりゃ、そうならざるを得ない。
このまま、なにもいいことがないまま、●んでしまうのだろうか。

   *   *   *

ヘビメタ騒音なしで生きたかった。
どうしても、ヘビメタ騒音がなかった人生を返して欲しい。
気違い兄貴! かえせ!!! かえせ!!!!

おまえが全部維持になって鳴らしたんだぞ。
ヘッドホンをしようと思えばすすべての時間ヘッドホンをすることができたんだぞ。けど、気違い兄貴は意地になってすべての時間、ヘッドホンをつけずに鳴らした。

スピリチュアリズムは堕落してしまった


なんか、いろいろ、もういいやというのがある。ぼくが、スピ系のことについて言うことは、本当は、スピ系の人たちから出てこなければならない言葉だ。スピ系の内部からそういう声がまったくあがらないというのがおかしい。スピリチュアリズムは堕落してしまったんですね。あーーあ。

2019年1月29日火曜日

言ってわかるぐらいの『障害』であれば、そんなのは、障害でもなんでもない


世の中には、他者が自分と同じような人間だということが根本からわからない人たち(人間)がいる。で、幼稚な人間だから、他人が自分の思ったとおりに動かないと、ストレスを感じて腹を立てるのである。けど、自分が他人からおなじことをやられれば、それは、腹を立てる。要は、もうひとり、他人が自分と同じような人間他言うことが根本からわからない人がいて、その人が、その人の行動したいように、行動すると、その人にやられた人は、(同じような構造的な欠陥を持つ人間でも)腹を立てるのである。要するに、自分がやられたら、腹を立てるけど、自分がやっているときは、自分の態度には腹を立てない。自分がやっているときは、相手が自分の思ったとおりに動かないということに、腹を立てる。人間というのは、多かれ少なかれそういうところがある。けど、多かれ少なかれの、差はでかい。他者が自分と同じような感情を持つ人間だということが、根本のところでわからない人は、人間関係で問題を抱えることになる。これは、不可避的に抱えることになる。こういう人間が、他の人間とまじわって、問題が生じないということはない。

   *   *   *

『そんなのは、言えばいいじゃないか』と思う人がいるかもしれない。けど、言ってわかるぐらいの『障害』であれば、そんなのは、障害でもなんでもない。これ、たとえば、『親』であれば、そんな人間はいないとか決めつけている人がいるけど、そうじゃない。これ、たとえば、『だいの大人』であれば、そんな人間はいないとか決めつけている人がいるけど、そうじゃない。『結婚している人』であれば、そんな人間はいないとか決めつけている人がいるけど、そうじゃない。『働いている人」そんな人間はいないとか決めつけている人がいるけど、そうじゃない。そういう決めつけがある人はたぶん、常識的な人で、家族のなかにそういう人がいなかった人なのだろうけど、考えがあますぎる。それこそ、あまい。けど、これが問題なのだけど、常識的な人からみると、たとえば、親がそういう障害がある人間だった』と言っている人が甘えている人間に見えるのである。そういうところがある。常識的な人間が、類推する部分とはまた違った現象が生じているのである。けど、これまた、常識的な人はその区別がつかない。なので、本当に障害がある親にやられて、こまっている人に対しても、『親のせいにするな』などと言ってしまう。これは、本人がわかってないからそういうことを言っているだけだ。

2019年1月28日月曜日

本当にどうしようかなぁ

本当にどうしようかなぁ
あーーあ。
どうするかどうするか。
腹は、一度なおったあとしくしくしている感じだ。どうするかなぁ。まだ、食べると腹が痛くなる可能性が高いから、食べられないなぁ。

この先の人生、どうするかなぁ?
本当にヘビメタのままなんだよな。だれに言ってもわからないのだけど。

人に言えば「そんなのは……」「なんとか克服してください……」という話になる。
他の人にはまったくわからないことなので、困るよ。ほんとーに楽しくない。


+++
これ、まったく関係がない話しなんだけど、
訃報を収集するのはやめた方がいいよ。

2019年1月27日日曜日

「こんなのたいした音じゃない」「なんだなんだ」と言って、あらがえるわけだよ



起きて、お湯やお茶や紅茶だけ飲んだ。
そろそろなにかを食べるべきだ。
起きたとき、インターネットが不通だったが、いまはなんとか動いているみたいだ。しかし、かわりばえしない毎日だな。
かわるわけがないか。基本的に、ヘビメタ騒音で「いたんで」いる。くるしいんだよ。他の人には絶対にわからないけど。これがどれだけ俺の行動を制限しているか? 俺のハッピーな経験を阻害してきたか? 気違い兄貴はまるでつもりがないのだけど、ぜんぶ、やっている。この「ぜんぶ」というのは本当に全部だ。可能な限り、デカイ音で、可能な限り長い時間、可能な限り長い期間、ヘビメタを鳴らしている。限界まで鳴らしている。なのにまったくつもりがないという気違い的な認知。そして、そういう認知しかない、毎日。毎日がつらいんだよ。毎日。だれに言ってもわからないとは思うけど、ぼくは毎日つらい。いまでもつらい。眠る前、ヘビメタ騒音のことを考える。考えると言うよりも浮かんでくる。ともかく、つらい。他の人にはわからないだろうけど。

他の人は「いろいろとやりようがあったのではないか」と思うかもしれないけど、最善の道でこれだ。気違い兄貴が不通に静かにしなければ……つまり、よその家にいるつもりで静かになければ……どの道を通っても、失敗する。できない。これも、言霊信仰者は「失敗する」というから「失敗したんだ」など言って、攻撃してくる。既にヘビメタがはじまっていた。気違い兄貴が気違い兄貴モードでヘビメタを鳴らしていた。そして、気違いだから、どれだけなにを言っても、不通に不通の声が届かない。気違い兄貴に言っておくけど、気違い兄貴の態度は、親父の態度とおなじだから。気違い兄貴は、親父にどれだけ腹を立てたんだよ。その気違い兄貴が腹を立てた、親父の態度で、ヘビメタを鳴らしてたんだよ。弟にどれだけなにを言われても、親父の思考、親父の感覚、親父の態度で、否定して、自分がやりたいことを一〇〇%、通した。そして、まるでやったつもりがないのである。これも、親父の感覚だとそうなる。気違い親父はとりつかれたように、気違い的な主張をしていたけど、気違い親父はそれら全部を覚えてない。「やってない」つもりだ。「やった」と言われたら「やってない」と怒っておしまいだ。やり方が、やりたいことを通しているときとおなじだ。こんなもの、やったつもりがないのだから、責任を感じるわけがないだろ。本人は、まったくやったことがないと思っているのだから。「そんなの、なんだ」と言ってやり通しているときとおなじ態度で「やってないやってない」と言ってしらをきる。しらをきるというよりも、本当に、否定しているときはやってないつもりなのである。否定しているときだけ、気になるのである。だから、いわれて否定していないときは、なにも考えてない状態なのである。なにも感じてない状態なのである。だから、その状態でやっていることが、わからない。自分にとって不都合なことを言われたら、怒って否定する。気違い兄貴だってやっただろ。あんなにデカイ音でずっと鳴らしているのに、「デカイ音で鳴らすな」と言われたら、「こんなのたいした音じゃない」「なんだなんだ」と言って、あらがえるわけだよ。それは、親父が「このハンダゴテは使えない」と言われたときの態度とおなじなんだよ。まっーーったくおなじ。知らないのは本人だけだ。本人だけは、二四時間中二四時間知らないままなんだよな。だから、そういう毎日が続いても、知らないままだ。そういう毎日が何十年間続いても、本人は、毎日やっていることを知らないということになる。正直に言えば、こういう感覚は、やられた人じゃないとわからないだろう。こういう感覚が成り立っている人間がいるということが、他の人、ヨソの人にはわからない。なので、ぼくがへんなことを言っていると、ヨソの人は思う。「そんなのいえばいい」「言えばちゃんとわかってくれる」「ちゃんと言わないからだめなんだ」。普通の人は、普通の人だから気違いじゃないけど、解釈がちがうんだよ。どうして解釈がちがってくるかというと、現実認知に差があるからだ。うちの状態なんて、うちの人にしかわからない。これが問題だ。

2019年1月26日土曜日

「気にしないでやった」ということと「やってない」ということが、イコール

気違い兄貴は、ぜんぜん気にしなかったのだけど、ぜんぜん気にしないでやったからこそ、ぜんぜんやってないと思うところがある。気違い兄貴には、ある。

これは親父もおなじなんだよな。「気にしないでやった」ということと「やってない」ということが、※イコール※であるようなところがある。「気にしないでやった」ということと「知らなかった」ということが※イコール※であるところがある。

本当は、言われたのに、全力で受け入れることを拒否して、記憶に残らないようにしただけなのに、それが、「やってない」ということと、※イコール※になってしまっている。

この感覚、わかるかな?

「気にしないでやった」というのは、「気にしないで一〇〇%やりきった」ということだ。「気にしないですべて、自分が思うようにやった」ということだ。それが、気違いマジックで「やってない」ことになってしまうのである。

感じ方がうすいんだよね。

これ、他の人にどれだけ言ってもわからないかもしれないけど、「気にしない」ということと「やってない」ということが、地平線でまじわってしまうようなところがある。

だから、「気にしないでやったのだから、やってない」ということになってしまう。「気にしない」というのは、「やってない」のと※イコール※なんだよ。

これ、親父と兄貴には、成り立っている感覚なんだけど、他の人にはどれだけ言ってもわからないだろうな。気違い兄貴と気違い親父が、自分のこととして意識的にこれを理解するということは、絶対にあり得ない。

そんなことができるなら、「気にしないでやった」ということと「やってない」ということの境界線があいまいになることなんてないからだ。

本人が気張って、発狂して、否定した瞬間に「気にしないからやってない」ということになってしまう。どこで発狂するかというと、言われた途端に発狂する。既にやっていることなんだけどな。

自分にとって不都合なことを言われたら、言われた途端に、「そんなんじゃない」「なんだなんだ」と発狂する。そうしたら、もう、ぜんぜん関係がない人になってしまって、気にしない。気にすることができない。

相手が言ったことと、自分の行為の関係性自体を切ってしまうので、そのあとその当の行為をずっとやり続けても、「気にしない※から※やってない」ということになってしまう。

本人が気にしてないことは、どれだけやっても、やってないことになってしまうのだ。そういう感覚が成り立っている。

だから、どれだけ言っても、その都度、怒るだけで、なにも言われなかったと思って、まったく気にしないでやりきる。気にしないでやりきることができれば、本人にとっては、どれだやってもやってないことになってしまう。

やり終わったら、そんなことはやってないという感覚がしょうじてしまう。実際にはやっているさいちゅうから、そういう感覚が続いていると思う。

たとえば、一四時間鳴らしたら、一四時間一秒後には、「やってない」ということになってしまう。それは、「気にしてないから」。

もう、これ以上説明できないけど、ともかく、気違い兄貴には……「気にしてないからやってない」という感覚が成り立っている。

だから、十何年間毎日やったとしても、やってないことになってしまうのである。気にしてないから。それは、一日の中でも成り立っていて、言われて怒ったら、やってないことになってしまう。……気にしてないから。

「気にしないから、どれだけやったってやってない」ということになってしまう。そういう感覚が成り立っている。毎日一四年間にわたってそうしたとしても、一五年目にやめれば、一回も「そんなことはしたことがない」「そんなのは知らない」という感覚になってしまうのである。

(注)おまけで言っておくと、気違い親父にもこの感覚は成り立っている。


2019年1月25日金曜日

友人関係も含めて、本当に追い込まれた。


今日、すすんだのは統計学だけで、あとのことはすすんでない。まあ、文章は書いたけど……。
ともかく、たとえば、風の谷に行くにしろ、憂鬱で憂鬱でしかたがない。もちろん、行かないのだけど、めちゃくちゃに憂鬱になる。蕁麻疹のことで病院に行くつもりになったのだけど、これも、考えただけで憂鬱になったのでやめた。ヘビメタ騒音のことがこたえている。どこまでもどこまでも。友人関係も含めて、本当に追い込まれた。相当に追い込まれているよ。けっきょく、ヘビメタのことで意見の相違が出てくる。やられた人とやられてない人の差が出てくる。ぼくは、自分の引きこもり(ヘビメタ騒音にやられて働けない状態になっていること)に他の人をつきあわせるつもりはない。だから、なるべく影響を与えないように、友達が働く気になったら、つきあうのをやめるつもりでいた。けど、それが、素っ気ない態度と思われたりするんだよ。

また、これから横になる。

今日、これからやるとしたら洗濯だな。
あとは、一二時から二時のあいだに通販で買った靴下がくる。
世間では、正月なんてとっくのとうに終わっているのだろうけど、俺は、去年のクリスマスから、いまのいままで、そんなに時間が経ってない感じがする。

2019年1月24日木曜日

『波動』による説明は、不幸な事件にかかわった人の気持ちを傷つけている なんでもワードの功罪


波動という言葉について言っておくけど、これは、なんでもワードだ。すべてが『波動』で説明できてしまう。しかし、それは、その人の頭の中で、説明がつくというだけの話しだ。すべてを無視して、波動だけであらゆる現象を説明することができるのだ。そして、それは、以上に都合がよいものなのである。波動には放出系と、チューニング系がある。放出系は、すべてのものが独自の波動を出しているから……あーで、こうーーで、こうだーーという、理論に使われる。チューニング系は、要するに受け取り側の話しで、チューニングするからそういうはどうを受け取るということになる。出す方と受け取る方の説明ができるので、すべての現象が説明できる。彼らの意見だと、毒が毒なのは、毒の波動を出しているから……ということになる。薬が薬として効くのは、薬がよい波動を出しているからということになる。生化学的な変化なんてまったく無視している。また、生化学的変化について言う場合も、それは、ある物質が特別な波動を出しているから、特別な物質と結びつきやすいのだというようなことを言い出す。特別な物質も特別な波動を出しているから、その物質が結びつくと言い出す。量子力学の世界では……と、これまた、学者が言っていることを、独自の波動理論で解釈して、妄想的な理由をこじつける。だから、全部、波動で説明がつく。売れているアイドルが売れているのは、よい波動を出しているからで、売れてないアイドルが売れないのは、悪い波動を出しているからだということになる。いじめが発生するのは、いじめられる方が悪い波動を出しているとか、言い出す。いじめる方といじめられる方が引き寄せあうような波動を出しているから、いじめが発生するとか言い出す。こういうレベルの説明をするなら、すべての現象を波動で説明することができる。
こういう人たちにとっての『波動』という概念は、・・(中略)・・。こういう、すべての事柄を単一のワードで説明しようとするのは、よくない。それぞれ、別の理由が成り立っているのに、本当に、魔力的な力でそうなると言っているのとおなじだからだ。魔力的な力が『波動』であったり、『電磁波』であったりするわけだ。あるいは、『宇宙意識』でも『神』よいのだけど。彼らが、書いた文章があるとする。そういう文章の中の『波動』という部分を『電波』で言い換えても、意味がわからない。『電磁波』と言い換えても意味がかわらない。『引き寄せ力』と書いても意味がかわらない。
こういうふうにして、「ひとにかかわること」を説明すると、傷つく人が出てくるのである。どうしてわからないのか? そういう理由じゃないのに、そういう理由でそうなったと決めつける。彼らは、世界のすべてを説明して、人生の意味を説明するから、自動的にそうなる。まあ、相手にしなければいいだけなのはなしなのだけど、わりとまともな人も、『波動』の魔の手にかかってしまうことがある。全部がそれで説明がつくので、全部そうなのだと思ってしまう。
こういうレベルの話しで、いじめや不幸な事件を語られると、ぼくは不愉快だ。そうやって、『なんでもワード』を出して、自分の都合がいいように世界を解釈するなと言いたくなる。はっきり言えば、そういう勝手な決めつけ解釈は、いじめや不幸な事件の関係者を傷つけている。どうして、こういうことがわからないのだろうか?
そういう低いレベルの話しが、受けるんだよな。彼らの言い方で言うなら、彼らは都合がいい解釈をして人を傷つける波動を出しているということになる。彼らがどれだけ『心が温まる話し』をしていても、よい波動が出てない。出ている波動は、『にせもの』という波動だ。『波動』で『すべての現象』を説明するのはむりがある。

どうも、風邪をひいたわけではなくて、いつものだるさであるような気がする


郵便物だけど、ハンコが必要なやつで送ってくるとは思わなかった。投函だと思っていた。

あーあ。それから、いまとても、やる気がない状態なので、買わなくてよかったなと思っているのだけど、どっちにしろおなじじゃないか。あー、早くこの状態から抜け出たい。

正直言うと、相当にだるい。世間で言う、風邪をひいたのか? だるーー。



俺もよく生きてきたなぁ。

横になってもだるいけど、起きていてもだるい。

あーー。



うー、正直言って、ひざがかゆい。乾燥肌か寒冷蕁麻疹かよくわからないけど、アレルギー反応だな。虫系じゃない。



コンビニに行くかどうかまよう。

寒いとなぁ。行きたくないなぁ。けど、おかずが欲しい。寝る前に、納豆とフランクフルトでご飯を食べた。

外食は無理だな。食いたいものが浮かばない。



なんか、さぁーー。去年の一二月から買い物運がよくないんだよね。



そうだ、キュウリのキューちゃんみたいなやつ。なんか、高い感じがする。あれって、二回分だよね。一回分で50円か。なんか高い。ともかく、原発が爆発しなければ、茨城の野菜を安心して食えたのに……。食べて応援企業ばかりだから、しんぱいだろ。駅前のストアがほとんど食べて応援企業なんだよな。外食もやばいよ。特に、ファミレスのサラダバーとか、やばい。野菜はなんとなく健康的なイメージがあったのに、原発で吹っ飛んだ。





とりあえず、自然解凍したチーズバーガーでも食べるか。レタスがあるんだよ。レタスをたすよ。このレタスは京都産。水性栽培。



++++++

どうも、風邪をひいたわけではなくて、いつものだるさであるような気がする。いつものだるさって、ヘビメタ騒音のだるさだから。他の人にはまったくわからない話さ。



しかし、つかれたな。

めんどうくさい。



おりゃ、どうすればいいんだ??



2019年1月23日水曜日

高度なことをやる人の給料は高くてあたりまえ、高度ではないことをやる人の給料は低くてあたりまえという常識


高度な知識を必要とする仕事、高度な判断力を必要とする仕事は、給料(年収など)が高くてあたりまえだという考え方を是正しなければならない。労働量というのが問題なのだけど、労働量がおなじであれば、給料はおなじであってもいい職業に貴賎はないのだろ。ならば、高度な仕事は高くて、だれでもできるような仕事は安いというところをかえていかなければならない。とは、言っても市場関連の方はかえることができないだろうから……AIや関税でかわってくるとは思うけど……直接かえることはあんまりよくないという考えにたつこともできるので、まずは、公務員関係をかえていけばよいのである。高度な知識を必要とする仕事も、だれにでもできる仕事も、だいたいおなじ給料にすればいい。
高度なことをやる人の給料は高くてあたりまえ、高度ではないことをやる人の給料は低くてあたりまえという常識をかえた方がいい。
そして、たとえば、高度なことをやる人の給料は高くて、高度ではないことをやる人の給料は低くていいという考え方のもとに、学校歴がかかわっているのであれば、それも、かえた方がいい。勉強をがんばった人は高い給料であたりまえ、勉強をサボった人は低い給料であたりまえ……まあ、こういう感じ方をかえるべきだ。そうすれば、まわりまわって本当の学問が発達する。だいたい、多くの人が『世のため人のために働く』と言っているのだから、別にここらへんの関係がくずれてもいいだろう。ここらへんの関係というのは、高い学力が高収入につながるポテンシャルな能力の高さを示しているという関係だ。学力はポテンシャルな知的能力をかなり正確にあらわしており、学力が高いものが、高収入を得るのはあたりまえだという考え方は、近代学校システムの誕生とともに発達したのだが、そろそろ、こういう考え方をかえるべき時代に突入した。*1

まあ、一方では、起業の自由があるので、学歴がない人学校歴がない人でも、金を稼ぐことは可能だろということも成り立っている。しかし、これは、これで別に考えよう。起業の自由は保障されているけど、実際には、やはり、金銭的な資本があり、文化的な資本があり、親が高度な職業ついている人が圧倒的に有利であることにはかわりがない。そして、このことは、リンクしている。つまり、金銭的な資本があり、文化的な資本があり、親が高度な職業ついている人が、高い学校歴を手に入れることのほうが、そうではない人が高い学校歴を手に入れることよりも、容易だという関係がある。

高学歴ニートさんには別の意味でがんばって欲しい。

(日本の企業が重視しているのは学校歴だけではなくて、部活などをするときに求められる行動様式だ。この行動様式に対する適応度が、会社で高く評価される。と言うよりも、部活などをするときに求められる行動様式が根本的に身についてない人は脱落する。それは、『コミュ力』というような言葉で語られることもあるのだけど、『コミュ力』という言葉で表現されているのは、部活などをするときに求められる行動様式の一部だ。


*1(その前は身分制度なので、学力は収入や富といった経済力とは関係がない。そもそも、近代的な意味での『学力』というものがない。)

何度も言う、俺は貧乏、を、やめるぞ。

何度も言う、俺は貧乏、を、やめるぞ。

やめるぞ。やめるぞ。





あーあ。俺はいったいなんだったんだよ。

俺は~~ いったいなんだったんだ。

こんなに自分の人生を大切に考えていたのに、むちゃくちゃになってるやついないな。すべて、ヘビメタ騒音が悪い。全部、ヘビメタ騒音が悪い。すべて、ヘビメタ騒音でくずれた。全部、ヘビメタ騒音でくずれた。

無料セール中 騒音サイコパス 7


無料セール中

騒音サイコパス 7
↓アフィリンクではありません
https://www.amazon.co.jp/%E9%A8%92%E9%9F%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%91%E3%82%B9-%EF%BC%97-%E5%85%84%E3%81%AE%E3%83%98%E3%83%93%E3%83%A1%E3%82%BF%E9%A8%92%E9%9F%B3%E3%81%A7%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%AA-ebook/dp/B01IOGO75U/

俺はこのままここで「かれて」いくのかな。


簡易味噌汁を作った。
うまい。

しかし、俺はこのままここで「かれて」いくのかな。
現状維持が精一杯で、新しいことなんてできない。
あーあ。

年末年始からずっと、こんな調子だ。
けっこう、くるしい。
本当に、ヘビメタ騒音の打撃が大きい。
ヨソの人は、ヘビメタ騒音の影響の大きさを過小評価する。気違い兄貴はまったくわかってない。けど、大きい。とてつもなく、つらい。いまもつらい。


寝る前に、『俺はここで終わるのかな』と考えた。起きてからもおなじだ。

2019年1月22日火曜日

Aさんは働けない人だと思えば良いのである



事実上働けない人のことについてちょっとだけ書いておく。事実上働けない人は、本人の経験から、『自分は事実上働けない』と思っている。

そして、これは、あたっている。

正解だ。

しかし、事実上働けない人でも、他の人から見ると『働けるように見える場合』がある。他の人から見れば、その人は働けるのに働かずにサボっている人なのである。

日本人であれば、『働けるのに働かないのはケシカラン』と思っている。なので、その人に向かって「働けるのに働かないのはケシカラン」「働けないなんていうのは、甘えだ」と言うことになる。そういう言葉が、実は、その人を追い詰める。どうしてなら、『事実上働けないから』だ。

他の人たちは、その人が実は働ける人だと思っている。めんどうくさいから、AさんとBさんとCさんに登場してもらおう。Aさんは、自分が事実上働けない人間だと思っている。そして、それは正しいとする。

しかし、Bさんから見ると、Aさんは働ける人間に見える。その場合、Bさんは、Aさんにはっぱをかけたり、働くように促したりする。

Cさんは自分が事実上働けない人間だと思っている。そして、それは正しくないとする。ようするに、Cさんは「自分が事実上働けない人間だ」と思っているにもかかわらず、働ける人間なのである。

Bさんから見ると、AさんとCさんの違いはない。AさんもCさんも「自分は事実上働けない」と言っているけど、Bさんから見るとAさんもCさんも、本当は働ける人間に見える。

しかし、自分は事実上働けないと思っているAさんの認識は正しく、自分は事実上働けないと思っているCさんの認識は間違っている……とする。

その場合、Aさんは、Bさんから説教をされて、針のむしろの上にいるような気分になる。実際、ぼくから見ると、Bさんは、Aさんを言葉の針で刺していると思う。Aさんにとっての現実というのは、だれからも、針で刺される現実なのだ

だから、Aさんがそとに出た場合、針の上を歩いているような状態になる。右からも左からも、Bさんのような常識的な人が、針をつきだしてくるような状態になる。

なので、非常に生きにくくなる。

どうしてなら、Aさんの場合は「事実上自分働けない」という認識が正しいからだ。実際に、働けないので働かないだけなのだけど、BさんやBさんに類似している人たちは、それを認めない。

BさんやBさんに類似している人たちにとっては、Aさんは働けるのに働かない人間だ。だから、言葉の針で刺してもいいということになる。いや、むしろ積極的に刺すべきなのである

しかし、それが、……そういう現実が、Aさんにとっては「たえられないこと」なのである。なので、Aさんは自殺したいと思うだろう。しかし、BさんやBさんに類似した人たちは、Aさんがそれほどくるしんでいるとは思ってない。

ここに、認知・認識の差がある。

なので、もし、BさんやBさんに類似した人たちがAさんの自殺をとめたいなら、Aさんに対する認識を変える必要がある。Aさんが言うようにAさんは働けない人だと思えば良いのである。BさんやBさんに類似した人たちがAさんは働けない人だと思えば、Aさんの自殺は食い止められる。簡単なことじゃないか! Aさんは生きやすくなる。

思うだけなら、ただでしょ。自殺対策に金がかからない。もちろん、Aさんが働けない人間なので、生活保護をもらう場合や障害年金をもらう場合は、金がかかる。けど、それは、しかたがないことだ。

CさんとAさんの区別をどうするかという問題がある。それは、まあ、医者に任せてもよいけど、本人が働けないと言っているのであれば、すべて働けないということにしておいたほうがよいと思う。

働いていると、働いていないだと、二値で考えることになるけど、実際には、少ない労働量であるにもかかわらず、たくさんの金をもらっている人たちがいる。それは、実際の給料だけではなくて、将来の年金や恩給も含んでいるとする。

つまり、たとえば、一〇〇の労働に対して、一〇〇の収入があるのではなくて、人によって、一〇〇の労働をしているにもかかわらず一〇しからもらえない人もいるし、一〇〇の労働をしているだけなのに、一〇〇〇〇ももらっている人がいる。

なので、かならずしも、働いている人はよくて働いていない人は悪いということは言えない。実際には、二値ではないのに、二値であるかのように言っている。

『働く』と『働かない』という二値で考えてしまうといろいろな誤解が生まれる。そして、働いた人は、将来の年金や恩給に関しても、働いたのだからもらって当然だと考えてしまう。

しかし、量を考える必要がある。もし、働き(労働量)に対して高すぎる賃金をもらっている人は、実は、働いていないにもかかわらずおカネをもらっている人とおなじ立場にたっていることになる。あるいは、かかる公的なおカネが、働いてない人にかかるおカネをこえてしまう。

なので、本当に公的なおカネ(財源)を圧迫しているのは、だれなのかということを考えなければならない。

あとは、生活保護の医療扶助は上限を定めるべきで、浮いた金を、より多くの人に配分するべきだ。あとは、自衛隊の恩給と高級な公務員の共済年金を減らすべきだ。ディフェンスシステムにお金をかけて、歩兵の数は減らすべきだ。ともかく、兵器システム側にシフトするべきで、自衛隊の人員を減らすべきだ。


2019年1月21日月曜日

何万回「やめろ」と言われても、まったく関係がないつもりで「やりきる」


世間は、クリスマスイブらしい。他の人のブログを見て、気がついた。あーー、ぜんぜん気がつかなかったよ。

ぼくの頭にはヘビメタ騒音の悪夢が色濃く残っていて、ずっと、それとたたかっている。たたかっている状態だ。ヘビメタ騒音のクリスマスなんて、めちゃくちゃに決まっているだろ。あしかけ一五年ヘビメタ騒音以降のクリスマスなんて、ひえひえで、さみしくて、憂鬱で死にそうな気持ちになってすごしているに決まっているだろ。どれだけ、気持ちを盛り上げようとしても無理なんだよ。ヘビメタ騒音以降、他人は、とげとげだ。これがわかるか? この意味がわかるか? 気違い兄貴のやつ自分が夢中になってやっているだけで、やっているあいだどれだけ何回、「やめてくれ」ということを言われても、わからないんだよな。言われたことになってない。一日に一四時間こだわりつくして、絶対にゆずらないで、頑固に、自分が満足できるデカイ音で鳴らしていても、本人は、一四時間、ずっと静かにしてやったのとおなじ気持ちでいる。あるいは、最初から、鳴らしてないのとおなじつもりでいる。最初から鳴らしてないので、ヘビメタ騒音がなんなのかわからないといった気持ちとおなじ気持ちでいる。そりゃ、たとえば、自分がヘビメタを一日に一分も鳴らしてないのに、「ヘビメタ騒音を鳴らすな」と言われたって、頭にクエスチョンマークが浮かんだ状態になるだけだろ。一四時間鳴らしてないのに、『兄貴が一日に一四時間も鳴らすからつらかった』と言われたって、『なにを言っているんだ?」と思うだけだろ。それとおなじなんだよ。それとおなじぐらいに、関心がない。『関係がない』と思っている。気違い親父とおなじように、気持ちがくっついてないんだよね。やりたいときは、自分がやれればいいわけで、それ以外のことは一切合切、関係ないわけ。「やめろ」と言われたら、それは、やりたい自分にとって不都合なことだから、無視しておしまい。この無視が、普通の人間の無視じゃなくて、『言われた』ということも、無視して、なくなくっちゃっている状態なんだよな。だから、次に『兄貴が一四時間鳴らしてたから、うるさくてこまった』と言われたら、自分の行為と関係があることを言われているように思えない。思うことに失敗する。自分人関係がないことを言われている』『自分が、自分に関係がないことで文句を言われている』というような『胸くそ悪い気分』になる。で、胸くそ悪い気分になったら、無視しておしまいなんだよ。だから、永久これが繰り返される。何万回言ってもおなじだ。自分に関係がないことで文句を言われているような気にしかならない。で、もうひとつの自分は、やりたいことは絶対の意地で自分が思ったとおりにやりたいわけだから、まったく無視して、自分がやりたいように、思った通りに夢中になってやる。それが、九三デシベル付近の音で、ヘビメタを鳴らすということであれば、絶対の意地でそうする。だから、そうしているのだけど、「そうしている」というつもりが、いつもない。ヘビメタを鳴らしているということ自体や、エレキギターを弾いているということ自体は認識しているけど、ほかの家では絶対にあり得ないほど大きな音でヘビメタを鳴らしているということ自体や、ほかの家では絶対にあり得ないほど大きな音でエレキギターを鳴らしているということ自体は、認識してない。そういう認識のまま、大きな音で鳴らしているとき、「ヘッドホンをしてくれ」とか「静かにしてくれ」ということを言われると、怒って無視する。それは、親父が怒って無視したのとおなじなのである。兄貴に、『ハンダゴテが使えなかった』という都合が悪いこと……その時!の親父にとって都合が悪いこと……を言われて、怒っている親父とおなじなのである。で、自分が怒ってしまえば、それでおしまいだ。感情が切れている。自分が怒って『無視すれば』あったってないことになってしまうのである。だから、まったく気にしないで、その行為を続けることができる。その行為を続けているのだから、続けているわけで、また、言われる可能性があるのだけど、言われるまでは、まったく言われなかったのとおなじ気分でやりきることができる。で、つぎ、言われたときもまったくおなじ反応で切り返す?!!! ……おなじ反応しかしないので、何万回「やめろ」と言われても、まったく関係がないつもりで「やりきる」ことができるのである。「やりきったら」それがどれだけ長い期間でも、やってないのとおなじなのである。一五年間こだわりつくして毎日やったことでも、「やった」と言われたら「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」と親父のようにいいきることができるのである。兄貴は……。兄貴は親父とおなじだから、その時不都合なことを言われたら、その時、否定しておしまいなのである。まったくなにも残らない。反省なんてするわけがない。なんてたって、「やってない」と思っていることなのだから、反省できるわけがない。「そんなんじゃない」のだから。

●もし特撮のウルトラシリーズが入試科目になっていたら


たとえば、A君とB君がいたとする。社会科のテストでA君が九〇点をとり、B君は六〇点をとったとする。その時、A君が「一〇点、失敗した」「あそこと、ここで間違った」と言ったとする。


A君にB君が「九〇点なんてすごいね」と話しかけたとする。そのときA君が「ぼくなんてまだまだだよ」と言ったとする。


その時、B君は『九〇点でまだまだなら、俺はどうなるんだ』『バカにしやがって』と思ったとする。けど、この場合は、バカにしてない。A君は自分のことしか語ってない。

これが、たとえば、『六〇点しかとれなかったよ。バーカ』と言えば、バカにしたことになる。怒っていい。私もおなじ立場だったら腹が立つと思う。「ばかにしやがって」と思うかもしれない。



けど、「ぼくなんてまだまだだよ」と言葉は自分のことにしか言及してないので、A君はB君をバカにしてない。じゃあ、どうして、B君は自分がバカにされたと思うのか?



それは、B君が自分のことをバカにしているのである。B君が、自分のことをバカにするような基準を持っているのである。B君の内在化された基準は、根拠がないものではない。



『早食い競争が入試科目になったら』のところで話したように、学校のなかで暮らしていると、学科があたかも重要なものになってくるのである。できるとかっこよくて、できないとカッコウワルイと感じるようになってしまうのである。



学校で生活するとそういうことになる。



そういう価値観を植えつけられる。



たとえば、これが、社会科のテストではなくて、ウルトラ怪獣テストだったらどうか? A君はものすごく怪獣が好きで、ウルトラシリーズのすべての怪獣や怪獣相当の生命体、怪獣相当の非生命体のデータを詳しく知っている。



さらに、撮影裏話や、シナリオのセリフまで正確に記憶しているとしよう。その場合、ウルトラシリーズに、まったく興味がなければ、そんな知識はまったく無駄な知識だと思うだろう。



ウルトラリーズについてものすごく詳しく知っているA君に対して、劣等コンプレックスを抱くだろうか?



「そんなにくわしく知っているなんてすごいなぁ」と思うかもしれないけど、たいして、劣等コンプレックスは感じないのではないだろう。



劣等コンプレックスを感じるのは、本人もそれが重要だと考えている場合のみなのである。



もし、それにたいして興味がない場合は、相手がどれだけそのことを知っていたとしても、自分とくらべて劣等コンプレックスを持つということはない。



B君が「そんなにたくさんウルトラマンの怪獣のことを知っているなんてすごいね」と話しかけたとしよう。それに対してA君が「ぼくなんてまだまだだよ」とこたえたとする。



その場合、B君は『あんなに知っているA君がまだまだなんて、それじゃ、ぼくはどうなるんだよ』と感じるだろうか?



ウルトラシリーズに出てくる怪獣の知識がくだらないものだと思っていれば、絶対にそんなふうには感じない。ウルトラシリーズに出てくる怪獣の知識が重要だと感じている場合は、自分と相手をくらべて、自分が劣っていると感じてしまう。

もし、ウルトラシリーズに関する知識が、日本史に関する知識のように、学校で教えられていて、なおかつ入学試験の科目になっているとしたら? 

そういう場合は、ウルトラシリーズに関する知識に関しても、人間というのは劣等コンプレックスを感じてしまう可能性がある。



ようするに、学校で教える知識として、その分野の知識が選ばれているなら、その知識のあるなしで、人間の『能力』を推し量ってしまうところが、出てくる。この能力というのは、少なくても、『ポテンショナルな知的能力全体』をあらわしているように思えるはずだ。そして、なんとなく、その人間のポテンショナルな全人格的能力まであらわしているように感じてしまう人が出てくるだろう。


学校教育のなかで暮らしていれば、学校的な価値観を身につけてしまうことはよくある。むしろ、学校教育のなかで暮らしているのにもかかわらず、学校的な価値観を内在化しない方がめずらしいと言ってよいのではないだろうか。

2019年1月20日日曜日

●フローとストック 言霊と開運財布と社会構造


●フローとストック 言霊と開運財布と社会構造

「カネがないと言う※から※カネがないのだ」ということが真実であれば、「カネがあると言えば、カネがある状態になる」ということも、高確率で真実であるはずだ。

言霊が成り立つなら、どんな場合でも言霊は成り立つ。ヒトコト言えば、そうなる。「おカネがない」と言うときにだけ、言霊が成り立って、「おカネがある」と言うときは、言霊が成り立たない……なんてことはない。

おカネがあるかどうかは、「収入と支出」と「いままでにどれだけおカネをためたか」で、決まる。「あるある」と言うこと、あるいは「ないない」と言うことで決まるわけじゃない。おカネがある状態というのは、「おカネがある」「おカネがある」と口癖のように言うかどうかとは関係がない。

おカネがあるかどうかは、「収入と支出(フロー)」と「いままでにどれだけおカネをためたか(ストック)」で、決まる。

収入は高ければ高いほどよくて、支出は低ければ低いほどいい。

長期にわたって、収入が支出を大きく上回っていれば「おカネがある」状態になる。

まあ、「収入と支出」はフローで「いままでに貯めたおカネ」はストックだ。

もしかりに、収入と支出がイコールであれば、おカネは貯まらないということになる。もしかりに、支出が収入を大きく上回っているいるなら、それは、問題だ。ストックがある場合は、ストックが減っていくということになる。また、ストックがない場合は借金をするということになる。

なので、おカネを貯めるには、長期間にわたって「収入の方が支出を上回っている状態」を維持すればよいということになる。これだけ!!


「おカネがある」「おカネがある」「おカネがある」と呪文のように繰り返していても、収入と支出がイコールか、あるいは収入よりも支出が上回っていれば、おカネがない状態になる。

「おカネがない」と言っている人は、長年、実際におカネがないから、おカネがないと言っているのである。「おカネがない」と言うことがおカネがないことの原因ではないのだ。

逆に、「おカネがある」と言っている人のところにおカネが実際にあったとしても、「おカネがある」「おカネがある」ということ自体は、おカネがある理由ではない。

もしかりに、「おカネがある」と言っている人のところに、おカネがあるなら、その人は収入の方が支出を上回る状態を何年間も何十年間も維持してきた※から※、おカネがあるのだ。おカネがある人のところに、おカネがあるのは「支出よりも収入が上回る状態を維持してきたから」にすぎない。

まあ、例外的に宝くじに当たった場合も、カネがある状態になる。この場合は、短期間だけど「支出よりも収入が、大きく上回る状態を維持してきた※から※カネがある状態になったということだ。

いずれにせよ、「あるある」とか「ないない」と言っていたからではなくて、実際の収入と支出の差が「ある」状態と「ない」状態の差を生み出したということが肝心だ。そっちに注意をむけなければならない。

宝くじに当たった人でも、そのあと浪費して、ストックを使い切ってしまえば、おカネがない状態になる。宝くじを当てた人が金持ちなのは、宝くじを当てたからだ。「あるある」と言った※から※ではない。

「宝くじが当たる」「宝くじが当たる」「宝くじが当たる」と言ったにもかかわらず、宝くじが当たらなかった人は、おカネがないということになる。

なのであれば、「宝くじが当たる」「宝くじが当たる」「宝くじが当たる」と言ったかどうかは、宝くじが当たるかどうかにはまったく関係がないということになる。

宝くじを当てて……おカネがある状態になったとしても、ストックを使い切れば、おカネがない状態になってしまう。それは、貯めたおカネ、あるいは、あるおカネを使い切ってしまうという行動が原因だ。「おカネがない」と言ったから、おカネがなくなったわけじゃない。

けど、おカネがなくなってしまったのであれば「おカネがない」と言う回数は増えるだろう。それは、お金を使うときに、あるいは、お金を使おうとしたときに、そう感じるからだ。「おカネがない」と言う※から※、おカネがない状態になるのではなくて、おカネをストック以上に使ってしまったから、おカネがない状態になるのだ。

どうしてこんなことがわからなくなるか?

2019年1月19日土曜日

ヘビメタ騒音と班の連帯責任


むだに明るい窓。
むだに明るい日光。

この時間がまたまた憂鬱なんだよな。
まあ、横になって待機しているだけでよいのだから、我慢するか。
しかし、憂鬱だ。育ち盛りのときに繰り返された記憶というのは、なかなかぬけないんだな。三島由紀夫が言っていたとおりだ。

一年の抱負を考えたときは、ぜんぜん考えないわけだが、こうして、この時間帯に起きているとなると、あの頃の憂鬱が復活してしまう。

ちょっと寒い思いをしただけで、蕁麻疹、きた。


南向きの窓があって、部屋が明るいのだから、いいじゃないかと思うかもしれない。けど、この朝の光はヘビメタ騒音の朝の光だ。俺がどれだけくるしい思いをしてきたか? これ、だめだったんだな。もう、あのときに終わってたんだな。あのとき、ヘビメタで眠れなくて、まるで睡眠時間が足りてないのに、切羽詰まって、動いていた。『帰ればまた鳴っている』……。この気持ちがどれだけ重いか、暗いか。あれ、(あいつは)俺にこんな思いをさせていたのに、気がつかずに鳴らしていたんだな。『どれだけ言っても気がつかずに鳴らしていたんだな』。

他の人にはまったくわからないと思うけど、十一歳の九月からずっと、くるしい。朝、ぼくは『精神の人』になって、動かない体をむりやり動かして、学校に行った。けど、全部がむだだった。オシマイだった。この雰囲気はない。ぼくはあのときにもう、だめになっていたんだな。むりやり体を動かしすぎた。これ、今日は待っているだから、いいけど……これで、いま、どこかに行くとなったら、精神が張り裂ける。精神が張り裂けるのを我慢して、学校に通っていた。不登校の場合は学校でいやなことがあるわけだけど、俺の場合は「うちでいやなことがあった」わけだ。しかも、帰ってきてから、……どれだけやめろと言っても……一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、四十分間と続く。六時間四十分。楽だと思うか? 楽じゃない。毎日続いてみろ、死にたくなる。毎日、死にたくて死にたくてたまらない思いに駆られる。俺は、それを、見えない接着剤でつなぎ止めて、ぎりぎりのところで生活していたんだ。これ、一回も経験してないやつが、『ヘビメタ騒音がなんだ』とか『ヘビメタ騒音なんて関係がない』とか『過去のことは過去のことだ』とか言いやがるけど、本当になんなんだろう? おまえらは、経験してないから言えるだけだろ。

うちでいやなことがある」だけではなくて、ヘビメタ騒音の影響で学校でもいやなことが、あるんだよ。連発する。たとえば、ヘビメタ騒音で宿題ができないわけだけど、班の連帯責任されると、文句を言うやつが出てくる。その時、『どうして宿題をやってこなかった』と聞かれて『ヘビメタ騒音でできなかった』と答えたら。『なにがヘビメタ騒音だ』と言いやがったんだよ。そいつは、自分もヘビメタが好きで家で鳴らしていたやつなんだけどな。どのくらいの音で鳴らしていたかは知らないけど。ともかく、ヘビメタ騒音でズタボロで、貸しができるんだよ。可視が。俺の立場が悪くなっていく。遅刻をした場合も、班の連帯責任されると、文句を言うやつが出てくる。『どうして、遅刻した』と聞かれるので、しかたがなく、本当の理由であるヘビメタ騒音について説明する。『ヘビメタ騒音がなんだ。そんなことが理由になるわけないだろ』とそいつは、言いやがったんだよ。貸しができるだろ。こういうやつに貸しができるだろ。本当にボロボロだったね。

警察が帰ってしまえば、いつものデカイ音で鳴らしたと思う


今日はだいぶ落ちている。
なんもしたくない。
だれか俺の代わりに俺のご飯をつくって持ってきて。
ゴミ捨てて~~
まあ、契約をすればそういうこともできるか。
金がかかるけど。

ここに書いてもしょうがないけど、やっぱり冬はやばい。いろいろないみでやばい。まあヘビメタ騒音だけど。あれがぼくの人間関係と人生を破壊してしまったんだ。
どーしてもゆるせない。
だれだって、あんだけ長い間ヘビメタ騒音にさらされればそうなる。けど、そういうことがわからない連中が、俺をバカにするんだよな。手短にいうとそうだ。ヘビメタが鳴ってたって俺なら勉強することができた(ヘビメタが鳴っているから勉強することができないなんてことはない)。俺だったら、お兄さんを静かにさせることができた。静かにさせることができないんだったらしたがない。静かにさせることができなかったやつが悪い。あーあ、気違いの状態がわかっているやつがいない。本当にあの音がずっと鳴っていたらどんな気分になるかわかるやつがいない。毎日続いたらどうなるかわかるやつがいない。警察だって、……これ、頼まなかったから、すべては想像の話になるけど……警察が帰ってしまえば、いつものデカイ音で鳴らしたと思う。何回も警察を呼んで、警察はきてくれるか? そのうち、うちのことは、うちで解決してください(家族のことは家族で解決してください)ということになると思う。気違い兄貴が、注意されても、こわい人?が帰ってしまえば絶対の意地で普段通りに、鳴らすのは確定事項だ。だって、気違い兄貴は、『たいした音で鳴らしているつもり』がないのだから。あんなにデカイ音で鳴らして、デカイ音で鳴らしているつもりがない。〇・一デシベルでもゆずってやったら、九〇デシベルぐらいゆずってやったつもりになってしまう。頭がおかしいほど、小さな量、ゆずったら、頭がおかしいから、すべてゆずってやったと思ってしまう。「もう、いいな」なんて言って、いつもの通りの気違い的にデカい音で鳴らす。どれだけ、『デカイ音だ』と言っても『デカイ音だ』ということを認めない。ゆずってやったら、気違い親父とおなじように、問答無用で、自動的に、ものすごく小さな音で鳴らしていると思ってしまう。こんな、意地悪があるか? こういう意地悪をふつーにやるんだよ。デカイデカイ音で鳴らしているのに、ゆずってやったと本気で言う。他の人がびっくりしてしまうぐらいにデカイ音で鳴らしているのに、「もう、こんくらいゆずったらいいんだ」と言って、ずっーーと鳴らし続ける。鳴らし続けているあいだ鳴らしているのに鳴らしてないと思っているんだ。ゆるせない。

   *   *   *

実は『俺が言ってやる」と言ってくれた友達が二人いる。両方とも高校生のときの友達だ。で、俺は、あのときことわってしまった。どのみち、気違い兄貴は、ゆずらないと思うから。けど、きてもらった方がよかったのかもしれない。だいたい、ことわったということで、きらわれているんだよな。その『俺が言ってやる』と言った人の妹に、その人が『お兄ちゃんその人に相手にされてないね』と言ったらしいんだよ。こんなのまったく予想できなかった。俺は『悪い』と思っていたんだよ。『わざわざきてもらうのが悪い』と思ってしまった。『無理だ』と言った。俺が電車賃のことを言ったら、……ここは俺が持つべきだと思うけど……『俺が自腹で行くからいい』と言ったんだよな。で、よけいに悪く思ってしまったわけ。だから、『無理だと思う(兄貴に言っても無理だと思う)』という気持ちが大きかったのだけど、『(きてもむだだから)わざわざ、きてもらうとなると悪い』という気持ちがあったんだよ。で、まあ、二人とも俺から離れていくわけ。まあ、『悪い』と思わないで、きてもらって、言ってもらえばよかったんだけどね。まあ、絶対にやめないだろうけど。他の人に注意されて、やめるようなことなら、とっくのとうにやめているよ。どれだけ注意してきたと思っているんだよ……という気持ちもあった。だって、本当に、家にいるときの兄貴は、家にいるときの親父とおなじで、頭がおかしい。うちでなら、どれだけ指摘されても、どれだけ注意されても……「そんなことはない」という意識のまま、フツーーーーにズーーーッとやってしまう。やめない。どれだけ言っても、一分だってやめないし、どれだけ言っても、一分だってヘッドホンをつけてくれない。自分がゆずってやりたい分だけゆずって?それで、全部ゆずってやったことにしてしまう。親父のハンダゴテとおなじなんだよ。あんなにデカイ音で鳴らしているのに、デカイ音で鳴らしているという気持ちがない。認識がない。それは、指摘されればわかることじゃないんだよ。指摘されたら、発狂してしまう。そして、正反対のことを叫んで、正反対のことを叫んだあとは、『なにも言われなかった』ステータスに復帰して、そのままフツーーーーにズーーーッとやってしまう。まあ、どんだけひどい音で鳴っているか、証人をひとりでも多くつくっておくために、むだだとは思うけど、きてもらうべきだったんだな。まあ、もちろん、どんなに貧乏でも、くるためのおカネ(電車賃)は俺がだして、きてもらうべきだった。きて、注意したとしても、絶対に、やめないと思うけどね。兄貴は、うちでは、やっていいつもりでやっているから、親父とおなじように絶対に、言うことを聞かない。きちがい行為を……「そうじゃないそうじゃない」と……絶叫しながら、認めずにやりきっていたときの親父とおなじだから、絶対にどんなことがあっても、やめない。うちではやめない。うちでなら、すべての時間、自分が思ったとおりの音で……鳴らす。本当に我慢して、一分間二分間、すごすということはありえない。うちにいるなら、絶対に一分間であろうが、※我慢して※鳴らさないようにするということはありえない。あるいは、つけたくないヘッドホンをつけて鳴らすといこうとはありえない。ヘッドホンをつけて鳴らすということをこばんで、鳴らしていた音が、静かにした音だと思っているんだよな。そういうことなのであれば、俺の友達が注意してもおなじだろ。本人は、ちゃんと静かにしてやったつもりで、気違い的にデカい音で鳴らしているわけだから、本当には、静かにせずに、静かにしたつもりで、頑固に鳴らすと思う。

2019年1月17日木曜日

たまたま起こったことなのか、繰り返し起こったことなのか 悪意はあるのかないのか


あー、言いたいことはいろいろある。おもにヘビメタ騒音とヘビメタ騒音その後についてだけど。これが頭のなかをまわっている。




俺がどういう気持ちで生きてきたと思っているんだ? 気違い兄貴! どれだけのことがしょうじたと思っているんだ? 気違い兄貴! おまえ、本当に無視して、頑固に鳴らしてたな。

一日中、すべての時間、鳴らしてたな。俺が、どれだけ「やめてくれ」「これこれこうだから、静かにしてくれ」といっても、無視して鳴らしてたな。これ、ただ単に無視するだけじゃなくて、言われたということで、一瞬、怒る。怒ったあとは、完全に関係がないひとになってしまう。

これ、気違い兄貴にわかるように言っておくと、気違い兄貴が「ハンダゴテではじをかいた」と気違い親父に言ったときの態度とおなじだから。親父のハンダゴテのときの態度や反応(二回)と、兄貴のヘビメタ騒音のときの態度・反応(数万回)はおなじだから。

「これこれ、こういうことで、こまった」「これこれ、こういうことではじをかいてこまった」……こういうことが、その問題を引き起こしている当の本人に……つ・た・わ・るということが、永遠にないんだよ。

うちの特徴のひとつ。うちで、よくあることの特徴のひとつ。

普通の人の常識を無視して、気違い的なことにこだわって、絶対にゆずらないでやりきるやつが、普通の人なら絶対に簡単に理解できることを、意地になって認めない。腹を立てて認めない。

で、そのあと、押し切るわけだけど、本人は押し切ったというつもりがないんだよ。まったく関係がないひとになってしまうから。これが他の人にはわからないんだよな。ちなみに、本人もわからない。

本人が一番わかってない。

けど、かならず、そうなる。何万回でも何十万回でもおなじシーンが繰り返されてしまうのである。じゃあ、何十万回も言われた方は、何十万回も言われたという意識や認識があるかというとないんだよ。

意識も認識もない。普通にやりきる。いつもおなじなのである。たまたま、意地を張って怒ったというわけではないのである。これも、ヨソの人にはわからないんだよな。

そして、認知療法家は、たまたま起こったケースを使って、気にするのはおかしいという理論を展開する。

たとえば、本当にいたずらで、背中を押されて、プールに落ちた人がいるとする。その人が、それ以降、水をおそれていたとする。で、たまたま起こったことをずっと気にするのはおかしいという例に使う。

相手の悪意だって、相手には本当に悪意がないということになっている。実際そうなのだろう。この、プールサイドに座っていたとき、親に背中を押されて、プールに落ちたあと、水恐怖症になった子供の場合はそうなのだろう。

けど、それと、うちのあれは、ちがう。

ぜんぜんちがう。

たまたまじゃない。

それから、親や兄貴に悪意はない。人格として、性格として、常にそういうふうに反応しているだから、本人が意識するようなかたちでは悪意がない。けど、どれだけ言ってもやめてくれなかった。何十万回言われても、おなじ反応をした。おなじ行動をした。……これが重要!!

親や兄貴が、精神病質者である場合と、いたずら心?がある親や兄弟の場合はちがう。やった方を第一者、やられた方を第二者だとすると、第一者が普通の人なのか、精神病質なのかでちがいがある。

水恐怖症になった子供の場合は、その子が「もう、プールサイドで背中を押すのはやめてくれ」と言ったら、そのあと、その親はプールサイドで背中を押すことは一回もなかったわけだろ。ぜんぜんちがう。

こういうちがいも認めずに「おなじだ」としてしまう認知療法家?や認知療法家もどき、認知療法家信者は、もうちょっと、いろいろなケースについて考えた方がいいよ。

「どのみち、そんなものだ」と考えている。「どっちにしろ、かわらない」と考えている。こういう、あほな考えが、どれだけ人を傷つけるのかわかってない。頭がおかしい家族にやられた人は、傷つく。

おなじだと言われれば、傷つく。ちがうからね。話しの根本がちがう。たまたまの話しと、繰り返される話しをおなじようなものだと考えてしまう。たまたま発生したことと、第一者の性格が原因で繰り返し発生したことを、区別してない。どっちだっておなじだと思ってしまう。



   *   *   *


ともかく、そとに出たいので、背中を押してくれ。
これまた、ヘビメタ騒音以降の「みち」をとぼとぼ歩くことになるんだけどな。すべてのことが亡霊のようだ。

しかし、他の人にはまったくわからないのだろう。本当に、どれだけやられて、どれだけ反抗して、どれだけ疲れ果てたか。まわりのやつらの反応は、それぞれ、頭にくるところがあるけど、かりに、まわりの人が理想的な反応をしたとしても、気違い兄貴が、あの意地でヘビメタを鳴らしている状態が続くかぎり、無理だった。

で、七年続いた時点で、終わっている。七年続いた時点で終わっている……これも、他の人にはぜーーんぜん、わからないことなんだよな。

他の人はヘビメタ騒音とヘビメタ騒音に関連した出来事について、軽く考えすぎている。まあ、わからないのだからしかたがないのだろうけど、それにしても、ひどすぎる。『ヘビメタなんて関係がない』と言ったやつの●●●●●●●●●●●●●●●。

まあ、こういうことを言えば言うほど、ひとがはなれていくわけだけどな。うまく考えられている。気違い兄貴が、親父のまねをして、俺を孤立させるために、気違いヘビメタを鳴らし続けたんだな。

気がつかないで鳴らし続ける。

気がつかないで鳴らし続けるということには、そういう意味がある。もちろん、いまのは冗談で、気違い兄貴が考え抜いて、そうしたわけではない。「やったってやってない」という態度を貫き通したわけじゃない。

本当に、病気だから、そういうことを、そういう態度でしていたというのが本当のところだろう。けど、意図せずにやったことであるにしろ、相手がこまることを、発狂的な意地でやり続けて、なおかつ、発狂的な意地で「やっている」ということを否定し続けたことには、かわりがない。実際にやりきったというのは、意図してやったのとおなじだ。

そういう効果がある。

やられた方にそういう効果を及ぼす。

けど、これ、心理学者を含めて、どれだけの人が理解できるんだ?


まあ、心理学と言っても、臨床系じゃない心理学者がいることは理解しているよ。そんなのは、当然だ。けど、子供の発達障害がご専門の心理学者がどの程度、俺の言っていることが理解できるか、わからないところがある。信用してない。

言われた!ということが、パニックになるほど腹立たしいことなんだよ

詳細は抜かすけど、結果的にやけどをした。

あーー、もう、いいや。

ヘビメタ、鳴ってから、暗い。

まじで、こういうちょっとしたことで落ち込むときの、落ち込み方が並みじゃない。



ダム決壊なんだよね。いままで、我慢してきたことが、たまっているので、ちょっとしたことで決壊してしまう。



ほーーーんとうに長い間やられてきたな。くるしいな。

あれやっているあいだじゅうずっとやってるつもりがなかったんだな。

あんなにデカイ音で鳴らしているのに、本当に『こんなのはたいした音じゃない』と本気で思ってたんだな。じゃあ、いま住んでいるところでならしてみろよ、と言われると、一分も鳴らせない。嫁さんや嫁さんの家族がこわくて鳴らせない。「うち」でなら、『だいじょうぶな音』なんだろ。

だったら、そとで鳴らしてみろ。うちの横がたまたま、家が離れていて、あんまり苦情を言う人じゃなかったからやってたんだろ。うちの前がデカイ幼稚園で、ぜんぜん家がなかったからやってたんだろ。

ぜんぜん、だいじょうぶな音じゃないんだよ。鳴らしているあいだずっと『こんなのはたいした音じゃない』と本気で思ってたんだな。そういうのが、気違い親父とおなじなんだよ。だいじょうぶじゃない、ハンダゴテを与えて、「だいじょうぶだ」「だいじょうぶだ」と言い張る。

普通なら、ひとめ見れば、だいじょうぶじゃないのがわかるのに、気違い親父の目には、だいじょうぶなように見える。どうして、だいじょうぶなように見えるかというと、新しいハンダゴテを買ってやりたくないからだ。

新しいハンダゴテを買ってやりたくないという気持ちが働くと、どんなハンダゴテも、「だいじょうぶ」なハンダゴテにみえてしまう。兄貴は、自分が思いっきり鳴らしたいという気持ちがある。

そういう気持ちが働くと、どれだけデカイ音も、「だいじょうぶな音」に聞こえてしまう。そうしたら、一四時間鳴らせるなら、一四時間、その『だいじょうぶな音』で鳴らさないと気が済まないということになる。

弟がどれだけ「明日、テストだからやめてくれ」と言ってきたって、無視して鳴らす。自分がやっているのに、「静かにしてくれ」ということを言われた!ということが、パニックになるほど腹立たしいことなんだよ。

これは、親父の場合もおなじだ。自分は金を使いたくないのである。自分は、新しいハンダゴテを買ってやるために金を出すというのが絶対にいやなのである。

だから、金が出て行くようなことを言われると、発狂して、否定する。相手が言っていることと、正反対のことを叫んで、終わりにしてしまう。「だいじょうぶじゃない」と言われたら「だいじょうぶ」なんだよ。その場に対応した理由は、本当はないんだよ。「だいじょうぶだ」と思う理由はない。

ただ、「だいじょうぶじゃない」ということを認めてしまうと、金を出さなければならなくなるので、それは、絶対に認められないことになっている。それとおなじで、気違い兄貴がもし、自分がやっている音が大きな音だということを認めてしまうと、それ相応に、静かにしてやらなければならなくなる。

それは、死んでも、いやなのである。

だから、現実がどうであれ、「たいした音じゃない」ということになる。「普通の音だ」ということになる。「普通の音」で鳴らしているなら、どれだけ鳴らしたって自由だろということになる。どれだけ長く鳴らしたって自由だろということになる。「だいじょうぶな音」で鳴らしているのだから、自分が好きな時間、好きなだけ鳴らしていいということになる。

ならば、現実とはまったく関係なく、「だいじょうぶな音」なのである。兄貴のなかでは、現実世界とはまったく関係なく、最初から「だいじょうぶな音」だということに決まっている。

「だいじょうぶな音じゃない」ということを認めてしまったら、自分が本当に!静かにしてやらなければならない可能性がしょうじてしまう。そういう可能性は、可能性でも絶対に認めるわけにはいかない。

最初から認めるわけにはいかないということを、無意識的に決めているので、現実に関係なく、絶対に「だいじょうぶな音」だと感じられるのである。そして、本当に静かにしてやらなければならないような可能性があるとは、言われただけで、発狂して認めないのである。

親父が、「だいじょうぶじゃないハンダゴテ」を見て、「だいじょうぶなハンダゴテ」だと思うのとおなじで、兄貴は、兄貴が鳴らしている音なら、あるいは、兄貴が鳴らしたい音なら、現実に関係なく、絶対に「だいじょうぶな音」なのである。現実世界でどれだけデカイ音で鳴らしても気違い兄貴のなかでは、「だいじょうぶな音」であり続ける。

そういうことを否定する人が出てきたら、まっこうから、「そんなんじゃないそんなんじゃない」とか「だいじょうぶだだいじょうぶだ」と言って否定する。現実は、関係がないのである。現実世界で気違い兄貴がどれだけデカイ音で鳴らしていても、それが兄貴の鳴らしたいデカイ音なら、絶対に「だいじょうぶな音」なのである。命がけで認めない。

認めてしまうと、「自分がだいじょうぶではない音で鳴らしているのではないか」と気づいてしまう可能性があることは、発狂して認めない。ちょっとでも「デカイ音だよ」ということを言われると、真っ赤になって怒って否定する。

親父とおなじなんだよ。

兄貴にわかるように言っておくけど、親父が真っ赤な顔をして、あり得ないことを叫んでいただろ。正反対のことを叫んでいただろ。気違い兄貴は、つねにそうしてきた。ヘビメタに関しては、兄貴は親父とおなじなんだよ。自分にとって都合が悪いことを言われれば、発狂して否定する。真っ赤になって否定する。

で、本人が怒って、正反対のことを叫べば、もう、それで本人のなかでは終わっちゃっているだよな。それを、何万回繰り返しても、本人のなかでは、まったく、なにもかわらない。かわるわけがない。最初から、現実を無視して、「だいじょうぶだ」ということにてしまっているから、何万回言われても「だいじょうぶ」なままなんだよ。

親父とおなじだから!

親父にやられたら、怒ってたくせに、親父とまったくおなじことをやって、なにも、感じないんだからな。むしろ、兄貴は、親父よりもひどい。親父よりも、「はいっちゃっている」。頭がおかしい。感じ方がおかしい。

兄貴は自分が「うち」でどんなことをやってきたか、まったくわかってない。親父のようにまったくわかってない。

2019年1月16日水曜日

ヘビメタ騒音がなかった場合のわかい時間が欲しい

俺は本当にどうすればいいんだ??

なんだか知んないけど、すごく、落ち着かない。

落ち着かない。



なんかうまくいかない。

これは、地味な校正をもくもくとやるか??



なんか急に落ち着かないなぁ。



考え方ひとつだ。

考え方でかわる。

この場合は……。



書きたいこともあるけど、いまは、本当にむずかしい文章は書けないなぁ。落ち着かない。

段ボールの世話をしようと思ったけど、ほこりがたつからいやだ。



しかしねぇ~~

本当に思うんだよ。

「わかいやつは、いいなぁ」って。



俺がこんなことを思うとは、思わなかった。

俺は、わかいとき「わかいやつは、いいなぁ」なんていうやつが嫌いだった。「あんただってわかいときあったんでしょ」「俺がヘビメタ騒音でどういう思いをして暮らしていると思っているんだよ」とは、口に出して言わなかったけど、こころのなかで思っていた。(この五十歳の先輩アルバイターは俺に意地悪なことをしてきたので、基本、悪いやつだと思っていた。いまも、基本、悪いやつだと思っている)。



まじで、わかいっていいなぁ。

わかいときは、それがわからないんだな。

まあ、俺の場合は特別だが……。

ヘビメタ騒音がなかった場合のわかい時間が欲しい。



2019年1月15日火曜日

空想的に完璧なので、現実の自分は常に、劣っているという感じがする人たち


えーっとちょっとだけ言っておくと、一〇〇点のテストで九〇点しかとれなかったとなげく人は、そんなに幸福ではありません。

『九〇点しかとれなかった』とつまらなそうに言う人は、実は劣等コンプレックスで満ちあふれていて、自分がじゅうぶんではないと本気で思っている人です。

なので、こういうひとは、将来どこかの段階で鬱病になる可能性があります。内面化された基準が高すぎるので、自分は常にじゅうぶんではないのです。

内面化された基準の出所は、たいていの場合は、親です。九〇点しかとれなかったとつまらそうに言う人は、親の基準にくるしめられている人なのです。

九〇点とっても、幸福感は得られません。むしろ、「たりなかった」とつまらない気持ちになっているわけで、どちらかというと不幸です。

この親に押しつけられた基準が、空想的に完璧なので、現実の自分は常に、劣っているという感じがするのです。

親の基準が既に、自分の基準になっているのであれば、この基準から『自分がのがれる』ことは、容易ではありません。だから、そういう人に劣等コンプレックスをいだく必要もないし、本当にバカしなかった場合は、バカにされたと勝手に思って怒る必要もないわけです。

優秀であるにもかかわらず、劣等コンプレックスにとりつかれている人は、既に不幸であるわけで、不幸な人をうらやましがる必要はないわけです。


完璧主義者が「できない」と悩んでいるときは、本当に「できない」と思っているわけです。また、完璧主義者が「一〇点、失敗した」と落ち込んでいるときは本当に落ち込んでいるわけです。これは、本当によくない状態で、いい状態ではありません。

彼らをうらやましがる必要はないし、彼らからバカにされたと思う必要もありません。彼らは本当に、落ち込んでいる。落ち込んでいる芝居をしているというわけではないのです。ほんのちょっと、うまくいかないことなんて、いくらだってあるので、いつも落ち込んでいるというとになってしまいます。どう考えても、うらやましく感じる存在じゃない。


   *   *   *

あー、けど、『あのテストで六〇点しかとれないのかよ(バカだな)』とか『俺の方が三〇点上だから、三〇点分えらい』とか言ってきたら、それは、怒る必要がある。自分のことだけ言っているか、「あなた」のことまで言っているかでちがう。このちがいは、相当にデカイ。ベツモノ。だから、『一〇点ぶん、失敗した』とか言っているだけなら、別に問題はない。

   *   *   *

親の基準を内面課したと言うことようなことを言ったけど、親のタイプがある。頭がおかしい親と子供に対する期待は大きいけど普通の親はぜんぜん違う。ここでも、本当に、頭がおかしい親にやられたこどもは損をする。損がでかすぎ。頭がおかしい親にやられた子供も完璧主義者になるし、子供に対する期待は大きいけど普通の親に育てられた子供も完璧主義者になるけど、両者はまったく違った完璧主義者なのである。これがわかってないと、すべてがわからないということになる。

   *   *   *

しかし、なんでこんな簡単なこともわからずに、『アドラーは正しい』『トラウマなんてものは存在しない』などと言っているんだろうな。子供に対する期待は大きいけど普通の親に育てられた子供の場合は、アドラーみたいなものは効くけど、頭がおかしい親にやられた子供はアドラーなんて効かない。頭がおかしい親にやられた子供は、アドラーが主張していることのおかしさが全部わかる。こっからして、全部違うんだよな。アドラーの主張では、リアルな世界を説明できないのである。頭がおかしい親が支配している家庭のリアルなんて、普通の人にはわからない。アドラーは普通の人なのでまったくわかってない。アドラーというと、チャレンジした人にみえるけど、普通の人なんだよな。最初っから普通の人。頭がおかしい親が支配している家のことなんて、普通の人は、わからない。だから、おかしなことを言う。要するに、現実にあってないことを言う。リアルじゃないわけ。普通の家で育ったやつの方が多いわけだから、『アドラーは正しい』と感じるやつの方が多いということになる。けど、それは、『アドラーは正しい』ということを意味してない。

本当に気違い的な親にやられると、すべてが違ってしまうんだな。

2019年1月14日月曜日

『ヘビメタ騒音問題があったとしても……』


いやー、起きたばかりなんだけど、相当に『投げやりな気持ち』になっている。
俺の人生はなんだったのか と考えている。

俺は昨日、寿司屋に行って、いろいろとおいしいものを食べ、帰りに菓子パンを買って、菓子パンを食べた。さらに、昨日は寿司屋で『うな丼』を買っておいた。いま、冷蔵庫の中にある。さらに、レタスなども食べた。ちゃんと野菜も食べた。

しかし、やっぱり、ヘビメタで憂鬱だ。もう、だめだ。これ。ははははっ。
ほかの人にはどうーーでもいいことなんだよ。ヘビメタ問題。
ほかの人にはどーーでもいいことなんだけど、俺にとってどうでもいいことじゃない。

最重要課題。ヘビメタがでかすぎて、他の人がまったく理解できない存在になってしまった。ヘビメタ騒音の問題がわからなければ、あるいは、ヘビメタ騒音を軽く見るのであれば、ぼくの行動や状態はわからない。そして、そういう人たちは、『ヘビメタ騒音問題があったとしても……』と言ってくる。説教だ。俺がこういう説教をうける状態になってしまった。ヘビメタ騒音で! 何千日もヘビメタ騒音がつもって、こういう状態になってしまった。言いようがない。

おいしいものを食べて元気を出せばいい? そういう問題じゃない。
ぺちゃんこだよ。

まあ、こういうことを言うと、『受けとめ方の問題だ』『自分でヘビメタ騒音の問題を大きくしてしまっている』などと言ってくるのだろう。もーーー、いやだよ。そいつらは、自分の身ではヘビメタ騒音を一日も経験してない。一〇〇〇日ヘビメタ騒音がつもったときの、真夜中のしんどさを経験してない。

真夜中は鳴ってないんだよ。けど、死にたくなってからだが重くなる。どうやっても、起きて、『残っている宿題』をすることができない。宿題をやっていかなければ、教師は、「ふざけている」と思う。

『ヘビメタ騒音が鳴っていてできなかった』と言っても、『それは、家族で話し合ってください』と言って、話しをぶった切る。教師にとっても『そんなのは、お兄さんにちゃんと言えばいい』というような問題なのだ。

どーーんだけ、俺が恥をかいたか!! 気違い兄貴!!
これ、本当に、ずっと、鳴っていると、宿題ですらできなくなる。俺がやきもきして、気違い兄貴の部屋に行って、『宿題をするからやめろ』『宿題をするからやめろ』『宿題をするからやめろ』『宿題をするからやめろ』『宿題をするからやめろ』『宿題をするからやめろ』『宿題をするからやめろ』『宿題をするからやめろ』と何万回言ったと思っているんだよ。

気違い兄貴は気違い親父とおなじで、気違い親父と同じような無視をして、なんとも思わずに鳴らし切る。しかたがないから自分の部屋に帰るけど、俺の部屋では、気違い兄貴のヘビメタが爆音で鳴っている。本当に、和室六畳間にいれるようなスピーカーではない、立派なスピーカーがガンガンガン鳴っている。くるしいんだよ。

一秒でもくるしいんだよ。
三〇秒でもくるしいんだよ。

三〇秒間やられると、あたまがおかしくなっちゃうんだよ。疲れ果てて、なにもできない状態なってしまうんだよ。勉強ができない。どれだけ、ヘビメタ騒音を無視して、集中して勉強をしようとしても、勉強ができない。勉強ができないから、ヘビメタが鳴り終わったあとに勉強をするつもりで横になる。横になったって、ガンガン鳴っているから、くるしいんだよ。電車みたいに鳴りやむというものではないんだよ。持続して鳴っているんだよ。くるしいんだよ。くるしい。

   *   *   *

『ヘビメタ騒音問題があったとしても……』『ヘビメタがエイリさんのいうように鳴っていたとしても……(働くべきだ)』というようなことを言ったやつは、なにもわかってない。

それで、「障害者の人権」だとかなんだとか言いやがる。俺の人権を無視しているということに気がついてないのか?!

   *   *   *

『すべては受けとめ方の問題だ』……すべてのことに適応できるわけがないだろ。こういうことすらわかってないやつらが勝手なことを言う。認知療法的な意味なら、危機介入の意味がわかってない。認知療法は、最初に認知療法の範囲を決めている。

けど、認知療法家の書いた一般的な本を読んだ一般的な人は、それがわかってない。『すべては受けとめ方の問題だ』と本当に思ってしまう。心理学者がそう言っていた。『実験でも証明されている』……。だから『すべては受けとめ方の問題だ』という考え方は正しい……こう考えてしまう。

精神世界のやつらはもっとひどい。『やられた人がやられたという現実を作り出している』などと言い出す。これが、どれだけひどいことかわかってない。精神世界にはまるとへーーきで、そういう無慈悲なことを言うようになっちゃうんだな。そのほうが問題だよ。

2019年1月13日日曜日

本人がまったくわかってないところも親父とおなじだよ。

まあ、そうは言ってみたものの、つまらない。





まあ、ぼくが書きたいのは、ヘビメタ騒音でぼくがどんな気持ちになって生きてきたかなんだよね。



けど、アニメのストーリーに関しては、もう、本当に、定番プロットが決まっているようなところがあるんだよな。



まあ、どうでもいいや。



しかし、俺のいのちをどうするかな??

どうするかなーー

終わっているんだよな~~

ヘビメタを三年間毎日やられた時点で終わっている。眺めに考えて一四歳のときにはもう、ぼくの人生は終わっている。あとは、ヘビメタ騒音のことで人に誤解され、軽蔑され、下に見られる人生だ。



こんなのはない。



なんかの大会に出場するために、朝早い時間にあつまるというシーンを見ただけで!ものすごく憂鬱になる。



なにをするときも、気違いヘビメタが鳴っていて、弱っていた。これ、鳴らされてない人はまったくかわらないみたいだけど、本当にこたえる。



本当にこたえる。



前の日のヘビメタ騒音がこたえる。朝、ヘビメタが鳴ってなくても、夜からこたえている。深夜も、早朝もこたえている。



で、力がない状態で行くということになる。もし、ヘビメタがなかった場合の力が一〇〇だとすると、気違いヘビメタにやられて、なんかの大会に出るとすると、六から一五ぐらいの力か出ない。一番よくて、一五とかそういう状態になる。



どれだけ緊張して、どれだけ気張って、どれだけはずかしい姿を見せることになるか? できない姿をみんなに見せることになるか? 兄貴のヘビメタさえなければ……。兄貴のヘビメタさえなければ……。



前の日、一日だけヘビメタ騒音にさらされたわけじゃなくて、前の日も、その前の日も、一〇〇日前も二〇〇日前も、ずっとヘビメタ騒音にさらされているからだ。つもっている。この「つもっているじょうたい」が他の人にはまったくわからないんだよな。そりゃ、経験したことがなければわからないのだろう。話しを聞いただけでは、わからない部分がある。



たとえば、ぼくは、いま一一〇歳じゃない。で、一一〇歳の人が、『からだが弱くなって働けない』と言ったとしよう。『わかいときは、そりゃ元気だったが、いまはからだがしんどい』と言ったとしよう。



その場合、ぼくはわからない。わからないからわからない。ぼくがヘビメタ騒音やられる前の一一歳の時に「からだきつい」とか言われても、わからない。「そんなものかな」と感じるだけだ。「そんなんだろうな」と感じるだけだ。



で、一一歳の時ぼくの感じが、まさに、ヘビメタ騒音を受けてない人の……鳴らされてない人の……感じ方なんだと思う。



ヘビメタ騒音が三年間毎日つもったときのしんどさなんて、他の人にはわからない。たぶん、一一〇歳の人よりしんどいと思う。そのくらいしんどいのに無理をして、がんばっていた。『無理をしてがんばっていたならそれでいいじゃん」ということにはならない。

音を鳴らされているわけだから……よくない。がんばったから、そのあとずっと、治らないままなのだから……よくない。



しかし、がんばらずに、学校に行かなかったとしても、ヘビメタ騒音が鳴っているなら……おなじだ。学校に行った場合とおなじになると思う。



本当に、浴びてしまったら、どれだけつらいか……。他の時間、どれだけ明るく振る舞おうと思っても、元気がない状態になる。



みんな本当はそうなのに、……やられればそうなるのに……俺には元気になることを求めてくる。『暗い顔をするな』『覇気がない』『元気を出せ』と言ってくる。そういうことを言われて帰ってきたら、ヘビメタがドカスカ、ガンガン鳴っている状態だ。どれだけ、「やめろやめろ」と叫んでも……兄貴の部屋まで行って怒鳴っても、絶対に一秒もやめてくれない。



気違いだから絶対にやめない。これ、親父とおなじなんだよな。あんなに意地になって鳴らしてたのに、鳴らしているつもりがないのかよ? あれだけ、意地になってゆずってくれなかったのに、ゆずってやらなかったつもりがないのかよ? 本当に気違い。



どれだけ『こまるからやめろ』と言っても、一秒も静かにしてくれなかったのが気違い兄貴だ。毎日毎日、デカイ音で鳴らすことにこだわりぬいて、一秒も、静かにしてくれなかったのが、気違い兄貴だ。



気違い兄貴は、そんなにデカイ音で鳴らしたつもりがないらしい。あんなデカイ音で鳴らしておいて、『そんなにデカイ音』で鳴らしたつもりがないとか、本当に気違い。



兄貴、兄貴に言っておく。おまえは、親父とおなじ。本人がまったくわかってないところも親父とおなじだよ。

わからない」となったら、わからないわけで、どれだけ言われたってわからない。比喩でなくて、一〇〇〇〇回言われたってわからないままなんだよ。永遠に「そんなんじゃない」つもりのままだ。やっているときから、何回言われても、本人にはまったく関係がないことを言われてるような認識しか成り立たないんだよ。一瞬を抜かして。一瞬、わかって怒るけど、怒ったあとは本当に、まったく関係がないつもりでやり続ける。だから、どれだけ言われても、その都度怒って無視するだけで、つもらない。二秒後には言われたということがわからない状態になってしまうので、まったく気にしないでやり続けることができる。で、それを一〇〇〇〇回繰り返しても、時間が経てば……一〇〇〇〇回目言われたあと二秒でも時間が経てば、まったく言われなかったということになる。だから、一〇〇〇〇回目言われたあと、一日、時間が経てば、もう、本人にはまったく関係がないことになってしまう。自分がやってないことで文句を言われているような気持ちになってしまう。「やってないやってない」とさわぐ。気違いだからまるで悪気がないままそういうことをする。そういう嘘を言う。なおさら、一年、一〇年と時間が経てば、「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!」ということができる。まったく自分がやってないのに「やったと言われて迷惑をしている」という気持ちになることができる。そういう状態で、鳴らしているときは、どれだけ言われても鳴らしていた。なにも矛盾してない。わかってないのは、キチガイ兄貴と、気違い親父と、普通の人だ。常識的な人は、そういう人がいるということを認めなかったりする。認めなければ「そんな人いるのかな?」と思って、俺が言っていることを信じない状態が続く。そういう人は兄貴が嘘をついているのではなくて俺が嘘をついていると思っているわけだ。腹立たしい。

腹立たしいに決まっているだろ。けど、俺が怒った顔をすれば? 『ただ単に、『そんな人いるのかな』と言っただなのに、そんなふくれた顔をするのはおかしい』と言いやがるんだよ。『障害児みたいなやつだ』と思うわけだよ。

けど、な。兄貴よ! 気違い兄貴が気違い的な意地でヘビメタを、鳴らさなかったら、俺とそういう人たちのあらそいもない。気違い的な意地で執着して執着して、自分が思ったとおりの音で鳴らそうとしたから、あるいは、実際に鳴らしたから、そういうことになる。俺と、常識的な人のあいだで争いが始まる。気違い兄貴の態度がわからない人は、気違い兄貴のような人がいるということについて疑問をもつんだよ。気違い兄貴だって、気違い親父のことを常識的な人に話したら、わかってもらえなかったという苦い経験があるはずだ。そういう苦い経験が、気違い親父ではなくて、気違い兄貴が、ヘビメタをデカイ音で鳴らすことにこだわりぬいたから、しょうじているんだよ。俺の身に生じている。俺の人生の中で、人をかえて、ずっとしょうじている。気違い兄貴が、そういうことについてまったくわかってないのは、親父とおなじ脳みその構造を持っているからだ。まったく無頓着。「やってないやってない」「ゆずってやったゆずってやった」と言えば、それで、すんでしまう。まったく気にならないことになってしまう。それは、鳴らしてたときからずっとそうなんだよ。俺が、俺にとって大事な日、あるいは、大事な日の前、『ヘビメタを鳴らさないでくれ』とさんざん言ったのに、無視して、すべての可能な時間、気違い的にデカい音で鳴らした。だから、鳴らしているんだよ。けど、気違い親父とおなじ脳みその構造持っているから、それがわからない。意地になってやったことは、ぜんぜんやってないことなのである。現在進行形で!! 言われれば、「なんだそんなの!」と顔を真っ赤にして怒り狂って、はねのけてオシマイなんだよ。はねのけたら、もう、ないんだよ。本人のなかにはまったくないんだよ。だから、安心して?無視して、その当の行為をやり続けることができる。やり続けているのだからやり続けているのに、所定の時間まで気違い兄貴の気がすむまでやり続けているのに……とちゅうでやめてやったことなんて、一回もないのに、「譲歩してやった」「ゆずってった」「そんなことはやってない」と思っている……思っている状態になってしまう。その日のうちに「そんなことはまったくやってない」と思っている状態になってしまう。本人が気のすむまでやって、一一時一一分にやめたなら、もう、一一時一二分から、一日中「そんなこと」はやってないと思っている状態になってしまう。晴れ晴れだ。まったく気にしてない。まったく気にしてない状態ができあがる。けど、俺は大事な日の前、そういうやり方で、最低六時間四五分、ヘビメタを浴びせられて、つらかったよ。その日が日曜日なら一二時間以上鳴らされてつらかったよ。

冷凍ほうれん草のカップ味噌汁を食べた



買い物に行こうと思ったけど、雨が降っていたのでやめた。いま、冷凍ほうれん草のカップ味噌汁を食べた。うまい。いやー、いいね。味噌汁はいい。

あとは、セブンイレブンのハンバーグを食べた。これは、けっこう高いはずだ。値段のプレートがなかったから、いくらだかちょっとわからない。
コスパは悪い。低い。けど、一食食べられた。

ほうれん草の味噌汁は合計で二杯飲んだから、体があったまってきた。そのまえに、ココアを一杯飲んでいる。

これ、「飲んでいた。」の方が正解なのだろけど、おかしい。「そのまえに、あなたは、まるまるを飲んでいる」
「そのまえに、あなたは、まるまるを飲んでいた」
過去のことだけど、現在進行形の文章の方が通りがいい。なぜだ?

まあ、いいや。

もう、今日は前半だけでおしまいだ。なんか、後半戦は、まるで力が出ない。ヘビメタのことがいっぱい思い浮かぶ。高校生のアニメを見ただけでめちゃくちゃに憂鬱になるのだから、重症だ。ヘビメタでくるしい。

+++++++++++

あんときの、あれ、ない。
ほんとうに、くるしかった。

俺が悪く言われる。
ゆるせない。

++++++++++++


『ツルネ ―風舞高校弓道部―』というアニメを見ていて、憂鬱になった。どうして憂鬱になるかというと、ヘビメタ騒音の朝が影響している。


2019年1月11日金曜日

無料セール中 騒音サイコパス 5

無料セール中
騒音サイコパス 5: 兄のヘビメタ騒音で人生がない
↓アフィリンクではありません。
https://www.amazon.co.jp/%E9%A8%92%E9%9F%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%91%E3%82%B9-%EF%BC%95-%E5%85%84%E3%81%AE%E3%83%98%E3%83%93%E3%83%A1%E3%82%BF%E9%A8%92%E9%9F%B3%E3%81%A7%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%AA-ebook/dp/B01I5WBL5M/

「おカネがある」と言うことで、「おカネがある」状態になるか? 答えは、ビック・ノー


いまの仕事をかえずに、副業もしない場合は、どれだけ「おカネがある」と言っても「おカネがある」状態にはならない。「おカネがある」と言うことで、「おカネがある」状態を「召喚」することができるか?

「おカネがある」と言うことで、「おカネがある」状態になるか?

答えは、ビック・ノー。

そんなことにはならない。

『カネがある』『金が出てきた』『おカネが入ってきた』『私は、おカネがある状態で満ちたりている』と繰り返して言ってもおカネがある状態にはならない。

「おカネがないと言うから、おカネがない状態になる」……あるいは、「おカネがないと言うから、お金が逃げていく」というようなことを言う人は、そういうふうに言うだけの理由がある。こういうことを言う人は、『まにうけた人(信者)』『情報を売りたい人(コンサルタント)』『ものを売りたい人(店主、アフィリエイター)』の三タイプに分かれる。

人間は言霊に弱いので、言霊を利用した理論にはだまされやすい。どうしてそうなるかというと、大人になっても幼児的万能感が残っているからである。

人間には「呪文を唱えれば、そうなる」「呪文を唱えれば、現実世界で呪文が意図したことが現実化する」というような幼児的な万能感が残っているのである。だまされやすい人は、そういう世界観に片足を突っ込んで生きているのである。

なので、そういうことを言われると『本当にそのとおりだ』と思ってしまう場合がある。ネガティブなことは一度でも言えば、現実化してしまうのに、ポジティブなことは、何万回言っても現実化しないということに疑問を持たないと、だめだ。

実際には、確率やそれまでの状態が、『いまの状態』に影響を与えている。なので、言及されるのは、いまの状態だということになる。なので、くるしい人は「くるしい」と言ってしまう。おカネがない人は「おカネがない」と言ってしまう。しかし、それは、『いまの状態』を言っているだけなので、未来においておカネがないことの原因にはならない。これを、まず理解しないとだめだ。

ものを売りたい人というのは、アフィリエイターとかネット商店の経営者だ。あるいは、実店舗の経営者だ。誘導したい「なにか」がある。「『カネがない』と言うから金がない」という理論を展開したあと、なにか行動を起こさなければならないということを言うはずだ。この、なにか行動を起こさなければならないと語りかけること……そう思わせることが、その人たちにとっては必要なのである。

『カネがない』と嘆いている人たちに、行動を起こさせたい人が、「『カネがない』と言うからカネがないのだ」というような話しをする。『カネがない』と言うからカネがないのだというような話しをする目的は、その話を聞いた人、あるいはその話を読んだ人に、行動を起こさせたいと思っているのだ。


本当は、「『カネがない』と言うからカネがないのだ」と言ったあと、「カネがあると言えば金がある状態になる」というようなことを言えばいい。「カネがあると言えば金がある状態になる」……それでおしまいであるはずだ。

しかし、それではおしまいではない。『おカネが出てくる』と言ってもおカネが出てこない人に対して、ある行動を起こさせようとする。それが、自分のセミナーに参加することであったり、開運商品を買うことであったりするというわけだ。

あるいは、「金が出てくると言えば金が出てくる」という情報を商品にしてもいいわけだ。「カネがあると言えば、カネがある状態になる」……これは、カネがない人にとっては、ものすごく価値がある情報だ。けど、『おカネがある』『おカネがある』『おカネがある』『おカネがある』『おカネがある』『おカネがある』『おカネがある』『おカネがある』と言い続けても、たいていの場合は、カネがない状態が続く。

そりゃ、紙の椅子に座っていて、もともとの賃金や給料が少ないから、カネがない状態が続く。どれだけ『おカネがある』と熱心に何万回、言っても、カネがない状態が続く。なので、おカネがない人は、どうして、「カネがある」と言っても金がないままなのだろうかと不思議に思ってしまうのだ。

その場合、欠乏があるということだ。知りたいと思っているわけだ。だから、「おカネがある」と言ってもなかなか金が出てこない人たちにむけて、情報を売るということが成立する。本当は、「カネがある」と言えば金が出てくる……でおしまいなのである。

けど、そうならない。だから、そうならない人に向けて、どうすれば、うまくいくかという情報を教える商売が成立する。一度、言霊思考にとりつかれた人は、自分の言い方ではたりないけど、なにかもっと他に方法があるはずだと思ってしまう。これは、破綻している。もう、この時点で破綻している。「おカネがある」とヒトコト言った時点で、おカネがある状態にならなければならないのである。おカネが財布か銀行口座に入ってこなければならないのである。

だから、「おカネがないと言うからおカネがない」という話しからはじまったひとつの話しは、そこで終わらなければならないのである。どうしてかというと、「おカネがある」と言ってもおカネが入ってこないなら、あるいは、おカネがあるという状態にならないのであれば、「おカネがあると言えばおカネがある状態になる」という命題は間違っていたということになるからだ。偽であるということになる。だから、その改良型はだめだということに気がつかなければならない。


儲けたい人は言うだろう。……「『おカネがある』『おカネがある』と口に出して言うことで、おカネがある状態にするにはどうしたよいかということを考えるようになる」と。「考えたら、なにかをしようという気持ちになる。それがたいせつなんだ」と。

……いや、「おカネがある」と言った時点で、おカネがあるようにならなければならないんで~~す。もし、かりに、「おカネがない」と言うことでおカネがないのであれば、おカネがあると言った時点でおカネが入ってこなければならない。

「おカネがある」と言うこと以外に、なんらかの行動をする必要があるのであれば、それは、その行動でお金を稼ぐということなのである。あるいは、その行動で、お金が入ってくることになるのである。ならば、「おカネがある」と実際に口に出して言うことではなくて、その行動を無言のままやったとしても、おカネが入ってくる。あるいは、おカネがある状態になる。

最初に書いたように、「おカネがある」と実際に口に出して言うことに続いて、なんらかの行動を起こさせたいわけだ。「おカネがない人は、おカネがないと言うから、おカネがないのだ」という話をし始めた人は……聞いている人に、なんらかの行動を起こさせたいと思って、「おカネがない人は、おカネがないと言うから、おカネがないのだ」という話をし始めたのだ。

もう、この時点で最初の話しとは、ちがっている。最初の話しは、「おカネがないと言うから、おカネがない。おカネがあると言えば、おカネがある(状態になる)」ということだ。おカネがある状態になるには、おカネがあると言いさえすればよいのである。他のことは関係がない。他のことを出してきた時点で理論的に破綻している。

おカネがある状態にするには、たとえば、開運財布を買わなければならないのである。あるいは、もっと詳しい情報を知るためにその人のセミナーを受けなければならないのである。「信者」以外が、こういうことを言う場合は、かならず、バックヤードに商品やサービスが隠れている。

「『おカネがない』と言うからおカネがない」という話しは、そこにつなげるための導火線でしかない。
幼児的万能感を持っている人は、「『おカネがない』と言うからおカネがない」という話しに納得してしまう。「そうだ」と思ってしまう。なので、『おカネがある』と言えばおカネがある(状態になる)という話しにも納得するはずだ。

しかし、実際には、「おカネがある」と何回繰り返していっても、おカネがある状態にならない。

なぜか? 

「おカネがある」と言う言葉には、おカネを運んでくる力がないからだ。

実際には、そんな力(ちから)はない。だから、『おカネがある』と一〇〇回言っても、一〇〇〇〇〇回言っても、ない人のところにはないということになる。

だから、繰り返しになるけど、欠乏状態が生まれる。

これは「おカネがない」ということに関する欠乏状態ではなくて、お金を増やすにはどうしたら良いかということに関する知識に対する欠乏状態だ。この欠乏状態こそが、「『おカネがないと言うとおカネがない(おカネがない状態が続く)」という話をする! ……本当の目的だ。

もっと詳しい話を聞きたい場合は、お金を出せということになる。お金を出して、私のセミナーに参加してくださいということになる。

けど、ちょっと待って。

本当は、「おカネがある」と言えばおカネがある状態になるんじゃないの?

しかし、「欠乏」状態に陥っている人は、おカネを出してでも、その話を聞きたいと思う。

なので、おカネがない人から、おカネがある人におカネが流れるということになる。矢印の方向は、お金のない人→おカネのある人だ。おカネのある人と書いたけど、「おカネがないと言うからおカネがない」という話しをした人のところにおカネが流れるということになる。

(注解)幼児的な万能感を残して、呪文と空想の世界に生きるのは、悪いことではない。ただ、だまされやすくなる。

2019年1月10日木曜日

「おカネがない」と言うことによって、「おカネがない状態」が「召喚」されたわけではない



「『おカネがない』と言うからおカネがない状態が続く。口癖というのは、ものすごい影響を与える」……などということがまことしやかに言われる。

しかし、本当にそうだろうか。

「おカネがない」と言う人は、すでにおカネがない状態におちいっているのである。

「『おカネがない』と言うから、おカネが逃げていくのだ」……これは、詭弁だ。なんで、こんなのに気がつかないんだ?

本当は、生まれながらに貧富の差がある。なので、貧乏な家に生まれたから、「おカネがない」という状況がある。「『おカネがない』と言うから、おカネが逃げていく」という理論は、その人がどういう状態で生活してきたということをすべて、度外視している。

見たって見てない。

「言った」ということだけに意識を集中する。「言った」ということだけを考える。その人がなにをしている人なのか、考えない。その人がどういう状態で暮らしているのか考えない。その人がどういう親のもとに生まれて、どういう状態で暮らしているのか考えてない。

たとえば、貧乏な家に生まれて、文化資本が低く、親の教育意識が低く、気違いヘビメタを毎日・長時間・爆音で鳴らす兄がいて、勉強すること自体ができなかったとする。そういう状態が十五年間続き、進学できず、アルバイトにしか応募できないからだになったとする。

そして、時給九〇〇円のバイトをしたとする。しかし、からだが弱いので、一日に三時間しか働けないとしよう。(実際には、ぼくの場合は時間を決めて一日に三時間働くのは不可能。これは、架空の例である)

その場合は、一日に二七〇〇円しか稼げないので、『カネがない』と思う回数が多くなる。『金がない』と思ったときに、「金がない」と言ったとする。

金の椅子、銀の椅子、銅の椅子、段ボールの椅子、紙の椅子でも書いたけど(まだ、投稿してない)、学歴によってアクセスできる椅子の種類が違う。

そして、新卒後は、基本的に、転職するたびにおちていくしかないということになる。もちろん、例外はある。しかし、転職するたびに会社のグレードがおちていくのが普通だ。

はっきり言えば、最初から紙の椅子にしかアクセスできない人は、その後も紙の椅子にしかアクセスできない。だから、紙の椅子から落ちれば、地べたに座ることになる。無職だ。

そのさらに下には、実は、ザブトンがまっている。生活保護や障害年金は、地べたに座っているよりはましなのである。さらに、紙の椅子にしがみついて働いているよりも、実質的に上になる。

学歴がなく紙の椅子にしか座れない人は、労働強度が高く、精神労働強度が猛烈に高い仕事にしか就けない。下に行くほど、精神労働強度が増す。

求人広告をずっと出し続けているブラック企業の労働は、体育会系の人でも耐えられないほど、精神労働強度が強いのだ。だから、人が定着せずにやめていく。そして、そういうところの賃金は、その労働に対してものすごく低い賃金に設定されている。

なので、金が貯まらない。要するに、学校を卒業した時点で、ブラック企業にしかアクセスできないひとは、一生涯、ブラック企業にしかアクセスできない人なのである。

なので、「おカネがない」と言ううことになる。この場合、いくら「おカネがある」「おカネがいっぱいある」と一日に何回も何回も言ったしても、おカネが入ってくることはない。

やっていることが、重要だからだ。

何年も何十年もそういう状態が続けば、おカネがないときに「おカネがないと言ったとしても不思議ではない。なんらかのアクションを起こさせたい人は、そういうことをすべて無視して「『おカネがない』と言うとおカネが逃げていく」などと言うわけだ。

これは、場面を切り取っているだけで、何十年も続いている生活の質から目を背けている。働いているのに、生活保護以下の生活しかできない人は、そりゃ、「おカネがない」と感じる機会が多いので、「おカネがないと言う」ということが多くなる。

しかし、「おカネがない」と言うこと自体は、働いているにもかかわらず、生活保護以下の生活をしていることの理由にはならない。働いているのにもかかわらず、生活保護以下の生活をしているのは、ただたんに、そういう仕事にしかアクセスできない状態になったからだ。

で、それは、なんと、他の人たちによって肯定されているのである。ようするに、「そうなったのは自己責任だ」ということになっている。
「金の大学にアクセスせず、金の企業にアクセスできる切符を手に入れなかったおまえが悪い」という理屈が、日本人ならだれの心のなかにも?成り立っているだ。もちろん、例外的にそういう理屈が成り立ってない日本人もいるかもしれない。しかし、大半の日本人には、そういう感じ方があると思う。

「自業自得だと考える人」は「そんなのは、学生時代に努力しなかったから悪い」と考えているわけだし「競争は平等におこなわれたので、結果の差に文句をつけるのはいやしいことだ」と考えているのである。

なので、紙の企業にしかアクセスできない人が、働いているにもかかわらず、生活保護以下の生活をするということが、理論的には?肯定されてしまう。

ぼくはそれはおかしいのではないかと思うけど、一般的な日本人は、いま説明したような状態を肯定しているように思える。それが、「自己責任」「自業自得」「そんなのは、したがない」という言葉になってあらわれるのだ。

「おカネがない」というのは、生活実感なのである。「おカネがない」と言う前に、すでに、長年おカネがない状態が成立しているのである。なので、「おカネがない」と言うから、「おカネがない状態になる」というのは、間違っている。「おカネがない」と言うことによって、「おカネがない状態」が「召喚」されたわけではない。しかし、あたかも、「おカネがない」と言うこと自体が、おカネがないことの原因であるという印象をふりまいている。

こういう間違った理論にころっとだまされる人は、もうちょっと真剣に、どういう人がどういう理由でこういうことを言っているのかということを考えた方がいい。

2019年1月9日水曜日

飢え死にはないんだが、……ヘビメタ騒音でどこに行ってもくるしい

麻婆豆腐丼を食べた。
麻婆豆腐定食よりも、量が少ないと思ったけど、最後の方は腹いっぱいで残したくなった。けど、残さずに食べた。


腹いっぱいのまま、店を出て、とぼとぼと歩いて、駅構内を通って、東口に出た。そのあとストアによって、レタスなどを買って帰ってきた。うーん。ここ書いてもしかたがないけど、駅は駅でつらいんだよ。

東口に出て、ちょっと歩いたところから、東口の中の様子を見ていたら、なんとも言えない気持ちになった。「あそこ、学生服を着て歩いてた」。「ヘビメタ騒音が鳴っている状態で、入学試験に行って、死にそうな気分だった」「うわばきを買うとき、ものすごくみじめだった」「あそこを、死にそうな顔で歩いていたんだな」と思った。

中学時代の、つらそうな顔をした自分が歩いている姿が見えるようだったよ。

どんだけ、ヘビメタ騒音で憂鬱だったか。

本当に、入試の前の日も、六時間から一二時間鳴らされて、まったく眠れないまま夜を過ごし、午前五時ぐらいに死にそうな気持ちになっていた。午前六時、午前六時一五分の、居間の状態……。雨戸を開けてないから、暗いわけで、電灯をつけるわけだけど、あきらかに夜の雰囲気とは違う。そして、眠ってない自分を知っている。

入学試験を受けている最中、眠たくて眠たくてしかたがなかった。頭がぜんぜんまわらなかった。それで、帰ったら、気違い兄貴の方が先に帰ってきていて、どれだけ『ならすな』と言っても、気違いヘビメタを気違い的にデカい音で鳴らしていた。絶対にやめない。絶対にヘッドホンをしてくれない。

一分だって、一秒だってヘッドホンをしてくれなかった。それが気違い兄貴だ。それなのに、『入試に協力してやった』と本気で思っている。気違いだからそういうことが可能なんだよ。親父とおなじ考え方だから、ぜんぜん静かにしないまま、『シズカニシテヤッタ』と思うことが可能なんだよ。

だから、気違い兄貴が『シズカニシテヤッタ』と言っているのは、『静かにしなかった』ことを意味している。〇・一デシベルでも、音をさげたら、それで静かにしてやったことにして、ガンガン鳴らしていた……。これが事実だ。〇・一ミリでもどけてやったら、どけてやったことになるか? ならないね。通れないなら、どけてくれたことにならない。

気違い兄貴がやっていることは、こういうことだ。

本当は、トウセンボして、通してくれなかった気違い親父が、通してやったと思っているのとおなじだ。本当は、静かにしてないのに……自分の意地を通して、デカイデカイ音で鳴らしているのに……シズカニシテヤッタと思ってしまう。頭がおかしいから、シズカニシテヤッタ気持ちで、本人だって他の音なら五分だって耐えられないようなデカイ音で何時間も何時間も鳴らして、平気なだけ。なにもしてないと思っているだけ。

〇・一デシベルさげてやったから、『シズカニシテヤッタ』と本気で思っているだけ。頭がおかしいからそういうことをやって、まったくなにも感じないんだよ。むしろ、『シズカニシテヤッタ』『協力してやった』『ゆずってやった』とまったく正反対のことを考えることができる。実際には、二階で鳴らしているのに一階の玄関で話ができないほどの爆音でずっと午後一一時一〇分ぐらいまで鳴らしてた。

〇・一デシベルさげるのだって、最初の五分ぐらいだ。〇・一デシベルさげたって、爆音だけどな。けど、六分目には、〇・一デシベル、たぶん戻している。

それで、一〇分目に、『ちゃんと静かにしてくれ』と言われたら『シズカニシテヤッタのになんだ!』『がたがた言ってくるともっと鳴らすぞ』と言ってずっと鳴らしてたのが気違い兄貴だ。爆音で鳴らして、シズカニシテヤッタ気持ちになっている。入試前日ですら、そういう態度で、最後まで自分がやりたい音で鳴らし切った。ヘッドホンを一秒もしてくれなかった。

これから寝る。
おやすみ~~

まあ、未婚であるというのは、たしかに自由だ。なにをするのも自由。風の谷に行くのも自由。けど、俺には、特殊事情があって、楽しめない。ヘビメタ騒音のことだけど。俺が、駅の階段を登るとき、どういう気持ちになるか、他の人にはわからない。

けど、労働解放系の人たちは、いろいろと独身であるということを楽しんでいるようでもある。

基本、インターネットが味方をしてくれるので、俺の場合、たぶん飢え死にはない。

飢え死にはないんだが、……ヘビメタ騒音でどこに行ってもくるしい。

2019年1月8日火曜日

「動けないなどと言ってないで、まず動く」……うちのヘビメタ騒音の場合は、それだと死ぬ


ヘビメタ騒音の積み重ねで、ぼくは『楽しく感じるこころ』をうしなった。これは、けっこうデカイ。どこに行っても、どこにいても、気違いヘビメタ騒音でたいへんだった朝のままなのである。夜でも朝のまま……。



「たいへんだった」と書いたけど、ほんとうにそんなんじゃない。死にたいほど憂鬱。体が動かないのに、むりやり体を動かす。精神で体を動かす。そういう日々。何千日、強烈に憂鬱な状態にたえてきたか。たえて、がんばってきたか。体が動かない状態なんだけど、ひきつってひきつってひきつって、体を動かす。むりやり体を動かす。



気違いヘビメタが毎日七時間から一三時間鳴ってない人は、そういう経験がない。だから、普通に寝て、起きて、そして、『動きたくない朝』体を動かしたという経験しかしてない。



そういう場合は、『動きたくなくても』動いたら、徐々にからだがなれてきた。からだがなれて、動けるようになったというようなことを経験する。要するに、「『動けない』などと言わないで『動くのが先』」というようなことを言いたくなる。で、それは、その人の経験には合致しているのである。けど、ぼくの経験には合致してない。ぼくの場合、そういうふうに、『動けないのに』動いたという経験が、すべてマイナスに働く。



それは、うちに帰れば、その日もヘビメタ騒音が鳴っていて、次の日の朝、前の日とおなじことを経験するからである。要するに、「『動けない』などと言わないで『動くのが先』」というようなことを実行しても、毎日つらいだけなのである。



この、朝のつらさと夕方のつらさと、夜のつらさが他の人にはわからない。これ、連続的になっているのとおなじなんだよな。実際には、気違い兄貴が寝ている間と、気違い兄貴が学校に行っているあいだヘビメタ騒音はない。



けど、朝、精神のひとになって、むりやり体を動かして、学校に行って帰ってきたら、また鳴っているという状態がつらかった。これ、学校にいるあいだもヘビメタ騒音でつらいわけだから、「切れ目」はない。



しつこく言っておくと、たとえば、行動療法のようなことをしても、ヘビメタが鳴っている状態……気違い兄貴が気違い兄貴の行動をしてしまう場合……は、「『動けない』などとは言わないで、まず動く」というようなことを実行したとしても、よくならなかった。



よくならないどころか、ヘビメタ騒音が積み重なってしまうのだから、わるくなる。そして、ヘビメタ騒音のなかで、行動療法的にがんばっても、悪くなるだけだというような経験もしてしまう。



で、行動療法的なことが好きな人は、たとえば、ぼくがヘビメタ騒音のことについて書いていると……『まず動く』ということがたいせつというようなことを言いたくなる。なので、ぼくとは、基本的にうまく行かない。



どうしてかというと、たとえば、ぼくが相手のことを考えて、行動療法的なことに賛成しても、ずっとよくならないわけだから、相手は、機嫌が悪くなってくるのである。



「どうしてやらないんだ」「どうしてつづけないんだ」「賛成したじゃないか」と言いたくなる。けど、その人は、ヘビメタ騒音一四年毎日の経験がない。どういう状態で、一日中、生きているのかわからない。

ぼくが経験したことが、わからない。



自分の体を通して経験しことじゃないから、わからない。けど、その人にしても、たとえば、しんどくて動けないと感じたときがあるとする。そのとき、「動けないなどと言ってないで、まず動く」ということを実行したとしたとしよう。その場合は、行動療法的な行動が、よく働いて、うまくいったという経験を持つことになる。



だから、その人が言う『つらいとき』とか『しんどいとき』『動きたくないとき』というのは、ぼくがヘビメタ騒音について記述するときの『つらいとき』とか『しんどいとき』『動きたくないとき』いうのとは違うのである。



時間の長さが違う。期間の長さが違いすぎる。



で、普通の人が、落ち込んだときに、どんだけ落ち込んでも、プラスの言葉を自分に投げかけると、ちょっとは楽な気分になる。けど、一五年間やられている最中のぼくや、一五年間やられた後のぼくは、そううことでは、これっぽっちも楽な気分にならない。むしろ、なんとも形容しがたい、激しいむなしさを感じて落ち込む。それは、どれだけ「やめてくれ」と叫んでも、気違い兄貴が無慈悲にヘビメタを鳴らしている状態が連想されてしまうから、やはり、くるしいのである。むなしいのである。腹立たしいのである。



気違い兄貴に言っておく。気違い兄貴の通じなさは、気違い親父の通じなさとおなじ。気違い兄貴が、ヘビメタでやったことは、気違い親父がよくわからないことでやったこととおなじ。そして、気違い親父より、兄貴の方がしつこい。兄貴の方がずっと長い時間やった。兄貴は毎日毎日、兄貴にとっての『ハンダゴテの日』を押しつけた。毎日、俺は、兄貴にとってのハンダゴテの日・みたいな日を繰り返していた。「うち」の気違いが意地を張ってやるから、他の人から誤解される。『ちゃんと言わないからだめなんだ』とか『交渉力がないからだめなんだ』とか『言い方が悪いからだめなんだ』とかいわれる状態になる。けど、違うんだよ。ヨソの人はそれがまったくわかってない。親父のハンダゴテをもっていって、「こんなハンダゴテが使えると思っているのか?」とまるで、兄貴が選んで持ってきたように誤解されて、「兄貴がこのハンダゴテは使える」と思って持ってきたように思われただろ。「大人の人が、そんなことがわからないはずがない」「だから、このへんなハンダゴテを使えると思って持ってきたのは兄貴だろ」とそいつらは思っているわけ。俺は、宿題でも遅刻でも、そういうことを思われていたんだよ。気違い兄貴が気違い兄貴の態度で……気違い兄貴がちがい親父の態度で、どれだけ言われてもまったくかまわずに、気違いヘビメタをこだわってこだわってこだわって、こだわりのデカイ音で聞くからそうなる。何時間も何時間も意地になって聞くからそうなる。



2019年1月4日金曜日

●もし、早食いが入試科目なったら…… 劣等コンプレックスのしくみ

もし、早食いが入試科目なったら、みんながみんな、目を色を変えて早食いの練習をするようになる。早食いは、趣味ではなくて、なにかすごい技術のように思えるようになる。早食いができる人は、すばらしく人間的にすぐれていて、食べるのが遅い人は、だめ人間で人間的に劣っているように思われるようになる。

早食いが科目としてして認められたら、早食いができる人がやはり、すぐれている人間だと思われるように鳴る。早食いができない人は、早食いができる人に劣等コンプレックスを感じるようになる。早食いができる人は、自分が優秀で人の役に立つ人間だと思うようになるだろう。

というのは、たとえば、班対抗早食い競争をするとなると、食べるのが遅い人は、班員に迷惑をかけるということになるからだ。一方、食べるのが早い人は、挽回して班員の役に立つ。

たとえば、遅い人が食べているときは、六班のうち三位だったけど、早食いが得意な人が食べ始めてからは、一位になったというのであれば、一位になるのに、それだけ貢献したということになる。一位と三位では、一位の方が価値があり、三位と六位とでは、三位の方が価値があるということになっている。

そして、そういう価値を身をもって知るわけだ。

かりに、早食いが学校の基本科目にならずに、班対抗早食い競争をしなければ、早食いは単なる趣味で、早食いができる人にそれほど劣等感を抱かなくてすんだだろう。また、早食いは体に悪いと考える人にとっては、早食いはむしろやるべきことではなく、ゆっくり食べるということに価値を見いだして実行するだろう。

その場合は、食べるのが遅いということに関しては、劣等感を持たないだろう。

しかし、学校の科目になり、班対抗で競争し、クラス対抗で競争し、学校対抗で競争して、全国大会があるようなものになれば、早食いができる人は尊敬され、早食いができない人、食べるのが遅い人は、価値がない人間だと思われるだろう。さらに、入試科目になれば、いろいろな予備校が『早食い集中講座』などを開いて、どうやって、早食いに対応するかということが教えられるようになるだろう。

そこでは、やはり、根性論が優勢になると思う。

学校ピラミッドは、企業ピラミッド、公務員ピラミッドにほぼ対応しているので、早食いができる人が大手企業に入り、早食いができない人は底辺企業に入るようになり、中ぐらいに早食いができる人は、中堅企業に入るようになるだろう。以下、公務員の場合は、早食いができる人が国家公務員上級職に就くことができ、早食いができない人は地方公務員初級にしかつくことができないということになるだろう。

勉強もおなじだ。勉強ができる人があたかもすごそうに見えるのは、その科目が、学校で教えられる科目であり、また、入試科目になっているからだ。本当は、自分に関係がないことであれば、劣等コンプレックスは感じない。

ぼくは、野球を見るのもやるのも好きではない。なので、野球ができる人に劣等コンプレックスを感じたことがない。みんなが、あるプロ野球選手をすごいすごいと言って、尊敬しているみたいだけど、なにがすごいのかもわからないし、尊敬してない。まあ、なんでも、一位になるのはすごいことだから、すごいのだろうなと思うけど、自分にはまったく関係がない世界のことなので、劣等コンプレックスは抱かないですむ。

明治維新後、試験システムによって立身出世ができるようになったので、試験システムを構成している科目・学科が価値を持つようになっただけだ。


2019年1月3日木曜日

今日はもう寝る。

今日はもう寝る。
たいして文章を書けなかった。
おやすみ~~~
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。