なにを見ても、わずかに関連した、いやなことを思い出すなぁ。
アイドルの服を見ただけで、掲示板の発言や掲示板の出来事を思い出してしまうとする。で、それが不愉快なことだったりするわけで……。複数の人がかかわっていると、複数の人の気持ちを考えなければならないから、この発言をすると、Aさんが傷つくかもしれないけど、この発言をしないと、Bさんが傷つくかもしれない……というようなことがある。で、めんどうなので、なにも書かなかったのだけど、Bさんがそれに対して不満を書いたんだよなぁ。
なんか、全部、めんどう。そんなの、ずっと忘れていたのに、ぱーって、思い出してしまうんだよなぁ。思い出すな!俺!!
あと、俺に気を使って、先回りして、なんか、他人が「俺に」出した質問に答えてしまうやつがいた。こいつも、やっかいなんだよな。なんか、あらためて答えを書く、気力がなくなる。そいつの回答のほうが、さきなんだよ。俺が見たときには、俺の過去の書き込みに対して、最初に発言した人と、そいつのやりとりが、書いてある。
だから、そいつの書いたことを、否定してまうのもなんだし、否定しないのもなんだし……というような感じになってしまうことがあった。いま考えてみると、書くべきだったんだよな。ちゃんと説明してあげればよかった。
しかし、もう、全部が全部、つまんないな。
今日見た夢がまた……。これは、父親とのトラブルだ。父親の、こっちに迷惑がかかるきちがい行為。これがこまるんだよ。どれだけ「やめろ」「やめてくれ」と言っても、理解しないでやりきるから……。自分の感情しかないんだよな。
夢のなかで、親父が、壁にあるものをスプレーする(散布する)と言ってきかないんだよ。で、それを散布すると、カビがはえて、ダニが発生するからやめろとぼくが、言うわけ。何回も何回も言うわけ。けど、きちがい親父が、それを無視する。二〇回、理由を述べているのに、「どうしてだ?」って親父が訊いてくる。おかしいだろ。そんなの……。
けど、ほんとうに、こういうことになってしまう。リアルでそうなる……。学校の宿題をやっているときだって、プラモデルをつくっているときだって、自転車の修理をしているときだって、親父がかかわると、全部、そうなるんだよ。こんなのはない。正常な頭をもった人は、「そういうふうにしてやろう」と思ってもできないことだ。
二〇回も、「やめてくれやめてくれ」と言って、そのつど、理由を述べているのに「どうしてだ?」って訊くことなんて、できるはずがないだろ。普通の人だったら、悪意があってもそんなのは、ギャグみたいでできない。やりすぎだと思ってできない。
けど、きちがい親父は、普通にそうする。それから、手短に言って、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしているときの態度も、きちがい親父のそういう態度とおなじようなところがある。理由は聞いてこないけど、おなじだ。自分の気持ちしかないんだよね。
夢のなかで、なんかの液体を壁に散布したい親父は、なんかの液体を壁に散布するしたいという気持ちがある。そういう気持ちがあると、「やめてくれ」とこっちが言っても、親父はきかない。言うことを、きかない。相手が言ったことを無視してしまうところがある。
普通の人だと、無視しようと思って無視するわけで、相手が言ったことを(今)無視してやったという気持ちがある。認知がある。認識がある。ところが、親父と兄貴はそういう、認知、認識が、ぬけおちている。
だから、やられたほうとしては、ものすごく腹がたつんだよ。そういう認知、認識は、そういう態度をうむわけだから……。どれだけ(こっちが)やめろと言っても、頑固に無視して、強情にやりきってしまう。
けど、本人は「やった」つもりもないし、相手に言われた気持ちもないんだよ。これ、何十回、横でどなっていても、言われたことになってないんだよね。もちろん、聴力があるし、聞こえたからそういう態度をとっている。けど、自分の気持ちしかない状態だから、相手が言ってきたたということを、普通に無視してしまう。 自分の気持ちが張り出している状態で、自分にとって都合が悪いことは、どれだけ言われても、言われたことにならない。
「今現在」都合が悪いことなら、どれだけ言われても、言われたことにならないのである。
で、未来のある時点では、「どれだけ言っても無視してやった」ということ自体が、未来のある時点での「今現在」の自分にとって不都合なことなので、認めないのである。おなじ態度をとって認めない。で、認めなかったという記憶もなくなる。
認知、認識が成り立ってないのだから、そういう記憶ができあがるわけがないだろ。
ようするに、「はねのけている」。
はねのけたら、ぜんぜん関係がないんだよ。はねのけたら、言われなかったことになってしまう。もう、なんか、相手が言っていることを、聞こえてはいるけど、はじく状態になってしまう。
はじく状態になったら、相手がなにを言おうが、何回言おうが、言わなかったということになってしまう。記憶がないことで、関係がないことなのである。関係がないというのは、「自分はやってない」ということにひとしいことなのである。
これも、言いようがないんだよな。ほかの人にこういうことを言っても、わからないんだよな。親父や兄貴の「関係のなさ」というのはひどいんだよ。
発狂的な意地で、頑固にやったことは、全部、自分がやったことじゃなくて、やってないことだというような感じになってしまう。感じになってしまうと書いたけど、「やってない」し「関係もない」と認識している状態とイコールである状態になってしまう。
きちがい的な意地でやったことは、きちがい的な意地で無視するのである。きちがい的な意地でやろうとしていることは、どれだけ相手になにを言われてもやってしまうのだけど、「やったつもり」というのが、ぬけおちている状態になってしまう。
そういうことが、毎回毎回、発生する。
どんだけ、こまるか!!!
これ、佐藤みたいな普通の人に言って、わかるの??
もう、全部がいやだな。
親父も兄貴もこっちがこまることを、きちがい的な意地でやって、やったということを認めない。そういう毎日だ。毎回そうなんだよ。どれだけ言っても、なにもつたわらない状態なんだよ。佐藤(仮名)みたいな普通の人は、そういう家族といっしょに住んでいたわけではない。
だから、わからない。
根本的にわからない。毎日、毎回発生する、こういうことが、どれだけ、全体感情に影響を与えるかわからない。毎日毎日、何回も何回もこういうことが、発生していたら、影響をうけるだろ。不愉快な気持になるだろ。何十年も、そんなことが続いていいわけがない。何十年も毎日そういうことが続いたのに、影響がないなんてことはない。
けど、そういう家族に囲まれて育ったわけではない普通の人だって、トラブルはある。それは、家族がきちがい家族でなければ、正常な人との間にしょうじたトラブルだ。正常な人には感覚のずれがない。いま説明したような感覚のズレがない。認知、認識のズレがない。いま説明したような、認知認識のズレがない。
だから、そもそも、体験していることがちがうのである。だれだってトラブルはある。だれだって腹がたつことはある。だれだって、いやなことはある……。家族間のトラブルというのはある……。
けど、その相手の家族というのは、親父や兄貴みたいにくるっているやつなのかどうかということだ。そういう人間と、いしっょにすんだことがある人が、ぼくの言っていることを、否定するとは思えない。
「そんなことはあるはずがない」と言うはずがないのだ。「そんなことはあるはずがない」「そんなのはおかしい」という発言をした人は……ぼくの説明を聞いて、そういうたぐいの発言をした人は、その人が、うちの兄貴や、うちの親父のような家族に、こかまれて、育ってきたわけではない。
そりゃ、そういう家族にかこまれて、育ってきたのであれば、俺が言ったことが一発でわかるからだ。自分の体験とおなじなのだから、まさしくそういうことが、自分にもあったと、膝を打ってこたえるだろう。そういう反応がないということは、そういう家族がいなかったということを明示している。
そういう家族というのは「うちの兄貴やうちの親父のような家族」という意味だ。そういう家族がいなかったから、俺の話を信じない。「そんな人はいない」とか「そんなことはない」と言ってくる。
ようするに、その人が言っている、家族関係の不愉快なことは、きちがい家族とのあいだの不愉快なことではなくて、きちがいではない家族とのあいだの不愉快なことだということだ。だから、「おなじ」じゃない。ところが、これまた、「俺だって、不愉快な思いをしたことがある(けど、不満を言わないでがんばって生きている。
なのに、どうしておまえは不満を言うのだ)というようなことを言う人が出てくる。次から次へと出てくる。ようするに、よくあることなのだから、そんなにこだわるのはおかしいということを言ってくるやつがいる。「そういうトラブルがあったとしても、そんなのは、どうでもいい」とトラブルの効力を無視するやつが出てくる。
そいつにとっては、どうでもいいことかもしれないけど、親父と兄貴にやられた俺にとっては、どうでもいいことじゃない。つみかさなれば、そりゃ、不可避的に影響を与える。何万個も何十万個もつみあがっていれば、影響をうけるだろ。
そいつがやられてないからわからないだけかもしれないんだぞ。きちがい家族にやられたことがないから、きちがい家族にやられるということがどういうことなのか、体験を通してわかってないだけかもしれないんだぞ。
それを、これまた、さも、えらそうに……。自分なら、影響をうけないという前提で、さもえらそうなことを言いやがって……。
こんなのは、ない。