「俺のやりたくなさ」が並じゃない。
だめだ。こりゃ。自分でわかる。つかれすぎている。すべてが、めんどうな感じになっている。旅の途中なのに、もう一歩も動きたくないという感じなんだよな。やすめば、ちょっとは復活するかな。
ともかく、基本的なところで、やる気が出ないとしょーーがないなぁ。
なんか、動きたくない感じがある。生活をするとなると、どうしても動かなければならないときがある。そのときは、動く。けど、動いたから、はずみがついて、動きやすくなるということがないんだよね。ヘビメタ騒音以降、そういうのはない。つかれはててしまった。動いたから、横になりたくなるというのが、現実だ。
動きたくないけど、しかたがないので、動く……。まず、動けは、自然にもっと動きたくなる……というような理論は、まちがっていると思う。あるいは、それが成り立つには、条件が成り立っていなければならないのではないかと思う。ようするに、「すべて」ではないのに「まず、動けば」と言って、動いた場合のすべてについて言及しているので、それは、まずいのではないかということだ。
「まず、動く」というのは、行動主義心理学の言い方だ。「まず、動く」→「そうすれば、動きやすくなる」→「普通に動けるようになる」。こういう理屈が、成り立っている。けど、それは、根本的につかれはててない人なら……というような条件がつくのではないかということを言いたかったわけだ。
横になっている人、つかれはてている人、だめな人、ぐずな人に……「まず、動く」というような助言を与える人がいるけど、それは、まちがっているのではないかということだ。あとは、「休めば、かならず、復活する」というようなまちがった前提がある。復活すると書いたけど、休めば、かならず、つかれから回復するという前提のことだ。回復する場合もあるし、回復しない場合もあるのではないか。それを、休めば、かならず、復活するはずだという、まちがった前提で話をすすめるからおかしくなるのではないかと思う。