2022年2月1日火曜日

ヘビメタが鳴ってた。 どうしても、くるしい。

 ヘビメタが鳴ってた。

どうしても、くるしい。

この雰囲気。この時間。

ヘビメタが鳴ってた。くるしかった。くるしかった。いまも、くるしい。どうにもならない。けっきょく、こういう人生だったのかな。ほんとうに、きちがい兄貴がきちがいで、鳴らしている最中もまったく関係がない人なんだよな。鳴らしているのだから関係がある。それも、ものすごくでかい音で鳴らしているのに、ものすごくでかい音で鳴らしているということがまったくわかってない状態なんだよな。耳が正常なら絶対にわかることなのに、きちがい親父のような状態で、わかってない。だから、どれだけやったってやったことになってないんだよ。この「どれだやったってやったことになってない」というのは、きちがい親父とおなじだ。これ、ずっとこういう頭で生きているから……生活しているから、二四時間中、二四時間、本人は気がつかないけど、そういう感じ方、そういう認知、認識をもっているということになる。普通に……ごく普通に、そうなんだよ。「ごく普通に、そうなんだよ」というのは、「ごく普通にそういう状態になっている」ということだ。だから、とめようがないんだよな。どれだけ言ったって、そういう状態なのだから、そういう状態で認めない。それが、二四時間中、二四時間、成り立っている。本人は、「わるぎ」なんて、まったくないんだよ。けど、本人が別の音で一分間でも、鳴らされ続けたら、発狂するような音のでかさで、鳴らし続ける。

きちがい兄貴は、まったく悪いことをしているつもりがないんだよ。きちがい親父も、意地をはってわるいことをするとき、悪いことをしているつもりがまったくない。かかわっているとも思ってないからな。自分が発狂して、自分の意地をとおしてわるいことをしているのに、わるいことをしたというつもりがない。やっているさいちゅうだってそうだ。それとまったくおなじことが、兄貴にも成り立つ。

兄貴のことを言っているのか、親父のことを言っているのかと思う人がいるかしれないけど、両方のことを言っている。これ、ほんとうに性格が同じ。やったことが同じ。意識の持ち方が同じ。発狂的な意地でやる部分が同じ。そして、発狂的な意地でやったことには、自分がまったくかかわってないような感じがしているという部分もおなじ。こういうことが、ほかの人にはわからない。どうしてわからないかというと、うちのきちがい兄貴、うちのきちがい親父と一緒に暮らしてないからだ。

で、不幸なことに、なんだか、似たようなことが成り立ってしまうのである。相似形なのである。世間の人が(おやじやあにきのことがわからない)というのが、ちょっとだけ、きちがい親父がやっていることについてきちがい親父がわかってないということや、きちがい兄貴がやっていることについてきちがい兄貴がわかってないということに、似ているのである。ぼくからすると、似ている。そういうところにも、不満があらわれる。他人は理解しないわけだから……。そして、他人のなかに成り立っている常識にしがみつく、わけだから。

他人は、まず、やられてないから、他人が経験した騒音とぼくが、うちの兄貴にやられて経験した騒音のちがいがわからない。そりゃ、家族として、うちにいて、うちの兄貴にやられたわけじゃないからわからない。そうすると、兄貴のヘビメタ騒音の影響を、ほんとうに、軽く見る。「そんなのは、関係がない」と言ってくる。「たとえ、そういうことをやられたにしても、働けないとか、一定の時間に起きることができないというのは、あまえだ」と言ってくる。けど、それ、ほんとうに、俺とおなじ経験をしたら、できなくなるから……。俺とおなじ経験をしてないから、認めないと思うけど……。自分は俺とおなじ経験をしてもできるつもりでいるんだよ。きちがい兄貴のような家族が、自分の家族のなかにいて、そいつが、きちがい兄貴のような態度で、きちがい兄貴が鳴らしていた時間、きちがい兄貴が鳴らしていたような音のでかさで鳴らしたとしても、自分は働くことができるし、自分は一定の時間に起きることができる……と自動的に思っている。ちがうんだよ。けど、ちがうとぼくがどれだけ言ったって、そいつが認めるわけがない。そいつは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を経験したわけではないので、実際のことがわからない。「毎日、つもる」ということが、自分のからだをとおして、あるいは、自分の経験をとおして、わかってない。わかってないところで、ものを言っている。推測でものを言っているわけだけど……自分の経験から、そのヘビメタ騒音とやらの効果(影響)を推し量ってものを言っているのだけど……まちがっている。その推測がまちがっている。けど、俺がどれだけその推測がまちがっていると言っても、その人は、そう思わないんだよ。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。