生まれの格差を無視して、「みんなおなじだ」という前提でものを言う人たちがいるんだよな。これは、まちがっている。単純に言ってまちがっている。けど、どういう条件下でもまがっているわけではない。逆に言えば、すべての条件下で正しいわけでもないのだ。ぼくが言いたいのは、すべての条件下で正しいとはかぎらないことを、あたかも、すべての条件下で正しいというのは、まちがいではないかということだ。生まれの格差を無視して「みんなおなじだ」という前提でものを言う人たちは、じつは「じょうけんわけ」をしてない。条件わけをしていないのだから、「すべての条件下で正しい」と言っているのと同じことになる。
おカネにおける「生まれの格差」と親の性格にける「生まれの格差」というのはある。で、「生まれの格差・上」の人は、「生まれの格差・下」の人の状態がわからない。 「生まれの格差・下」の人が「実際に」経験してきたことを、経験してない。「生まれの格差・上」の人は、経験してない。自分のこととして経験してない。「話を聞いて」想像で理解していることにしすぎない。しかし、『苦労』とか『困難』とかという単語を使ってしまうと、あたかも、わかっているようなつもりになってしまうのだ。そりゃ、言葉のうえでは理解しているのだから『理解している』とか『正確に理解している』とかということになってしまう。けど、経験がないのだから、理解しているとは言えない。そして、ふたつ前の投稿で書いたように、理解してないのに、理解したことにして、自分の見解を述べるということになってしまう。そのなかでは、「生まれの格差・下」の人は本来こだわる必要がないことに、こだわっている……ということになってしまうのである。また、「生まれの格差・下」の人は本来こだわる必要がないことに、こだわっている「から」だめなのだ……ということになってしまうのである。
条件はある。けど、条件を無視してしまうのだ。これは、適切な態度とは言えない。