えば、走っているようなときの、血の流れと似ている。勝手に、オフにすることができない。どうしたって、十時間たったあとも、影響をうける。それが、十数年も毎日つみかさなったら、どうしたって、からだ自体も脳みそ自体も、影響をうける。うける。基本、なんていうか、人生のなかで、俺とおなじヘビメタ騒音が鳴ってなかった人は、ヘビメタの影響を、オフにできると思っているのだ。それは、その人の人生のなかに、ヘビメタ騒音がないからだ。きちがい家族による、きちがい的なヘビメタ騒音の記憶がないからだ。学習がしょうじてないからだ。記憶がないからだ。実際の記憶、実際の学習、これらが、影響をあたえるのである。今現在に影響をあたえる。しかし、「なかった人」は「なかった人」だから、それが、根本的にわからない。彼らにしてみれば、意思で、自由にオフにできるようなものなのだ。『影響をうけないと思えば、影響をうけない』なんて、言える。この人たちは、きちがいヘビメタの、きちがいヘビメタのなんたるかを知らない。知らないだけなんだよね。きちがい兄貴の、きちがい兄貴のなんたるかを知らない。知らないだけなんだよね。殺さなかった……。それだけで、大手柄だ。それ以外のなにを求めるのか? 自分の人生にしょうじなかったことだから、好き勝手なことを言えるだけ。