2020年7月14日火曜日

怒り狂った途端に、まったく関係がない人になってしまう


あのときの、あれ、ないな。
ヘビメタ騒音なしで普通にテストを受けたかったな。
中学に入って以来、ずっと、テストの日まで、ヘビメタ騒音に祟られているなんて、ないだろ。おかしいだろ。普通じゃないだろ。ありえないだろう。その、普通ならありえないことが怒った。気違い兄貴の気違い的な態度なんて、みんなわかってくれない。どれだけの意地で鳴らしたかわかってない。どれだけ、自分がやっていることに無関心だったかわかってない。これは、ようするに、自分が意地になってやっていることは、意地になって認めないということだ。主観的には「まったくやってない」のと同じなのである。自分が意地になってやっていることで、相手が困っているということは、まったくわからないのである。どれだけ相手が言ってきてもわからない。わからない以上、まったくやってないのと同じなのである。まったく関係がないつもりなのである。

気違い兄貴にわかりやすいように言っておこう。気違い兄貴が、学校に持っていくハンダゴテのことで困っていたとき、親父は、兄貴が困っているということがまったくわかってなかった。兄貴が困っている原因は、オヤジの態度なんだよ。親父が、エレクトロニクス工作用のハンダゴテを買ってやらないと決めたから、兄貴が困っていた。親父にとっては、自分が持っているエレクトロニクス工作には使えないハンダゴテを持たせてやることなんだよ。それが、最大限の譲歩なんだよ。だから、親父としては、譲歩しているつもりなのである。けど、そのオヤジのハンダゴテを持っていくと、恥をかくことになる。ちょっと話がそれるけど、気違い兄貴の譲歩というのはオヤジの譲歩と同じだ。相手がこまるような譲歩しかしない。けど、譲歩してやったら、それでおしまいなのである。だから、困ったことをやり続ける。相手が困ることを、やり続ける。けど、相手を困らせているとは思わない。それは、相手がどれだけ強く言ってきても、思わない。相手が、これこれこういうことで困っているということを言っても、そのことが自分にとって不都合なことであれば、怒り狂って、認めないのである。この場合、認めなかったということも認めないというような状態になる。認めなかったということをも認めなかったいうことを言っても、それは同じやり方で認めないので、二重、三重に認めないということになる。「言えば、わかる」という世界じゃない。「ちゃんと言えばわかってくれる」はずだという世界観を持っていると、被害を受けたほうが言っていることがわからなくなる。その人も、『ちゃんと言えばわかってくれるはずだ』という世界観にたって、被害を受けたほうが真実の報告をしていても、それが真実だとは認めない……のである。そういうふうなことになってしまうんだよな。ごく自然に……。別に、発狂して認めないときに、相手が他の人に言ったとき、他の人が認めないような態度で発狂しようと思っているわけではないのに、そううことになってしまう。『ちゃんと言えばわかってくれるはずだ』という世界観を持っている人に『ちゃんと説明しないからダメなんだ』と言われたときの気持ちがわかるか? 話がちょっとだけずれた。
ともかく、親父が『使える使える』と発狂して、兄貴に新しいハンダゴテを買ってやらなかったとき、親父が兄貴が困っているということを認識できたかというと、認識できなかったのである。で、同じように、兄貴のヘビメタ騒音で、俺が困っているということを、兄貴は認識できなかった。オヤジにしてみれば、カネを払いたくないので、オヤジの空想世界では、自分のハンダゴテは使えるということになってしまうのである。そうなったら、現実世界でも使えるということになって、『使えない』という情報は、意地でも認めないのである。それは、カネを払いたくないと思ったときに決まっている。絶対に、『使えない』ということは認めない。それと同じように、兄貴は、自分が思った通りの音でヘビメタを鳴らしたかったから、自分が鳴らしている音がでかい音だということを認めなかったのである。認めたら、静かにしなければならなくなる。だから、最初から、オヤジのように、認めないのである。自分が思った通りの音で、ヘビメタを鳴らすと決めている以上、自分のヘビメタの音で相手が困っているということは絶対に認めないのである。でかい音だということも認めないし、その、自分が意地なにって鳴らしている、でかい音で、弟が困っているということは、絶対に認めないのである。認めてしまったら、静かにしなければならなくなる。それは、命にかけても、命にかえても、絶対に避けなければならないことなのである。そうなると、本人は意識しているわけではないけど、『無意識的な無視』が発動して、認めないということも認めないという意識状態になってしまう。その意識状態でやってことは、本当にやってないつもりのままなのである。本人が関わっている感じがしない。本当は、本人の行為によって、相手が困っているのに、相手が困っているということは、一切合切、わからない状態になる。認知できない状態になる。だから、自分が譲らずに、意地になってやるから、相手が困っているのに、相手が困っているということは、自分にはまったく関係がないという認識が成り立ってしまうのである。『つもりがない』というのは、そういうことなんだよ。『つもりがない』からやってないという状態とは正反対の状態なんだよ。『つもりがない』から、発狂的な意地でやっている。やってないわけじゃない。けど、『自分がやってないこと』のように(本人には)感じられる。押し切ることができたら、一切合切関係がない人になってしまうのである。押し切ったのだから、おなじ状態が続く。これは、どういうことかというと、兄貴のハンダコテに関しては、兄貴がハンダゴテを買ってもらえない状態が続く。俺のヘビメタ騒音に関しては、ヘビメタ騒音が鳴っている状態が続く。兄貴のハンダゴテは、オヤジの意地が関わっているし、俺のヘビメタ騒音に関しては、兄貴の意地が関わっている。本人が強く主張して、こだわりつくして、怒り狂ってそうしているから、そうしているのに、やっている本人は、怒り狂った途端に、まったく関係がない人になってしまう。これがどれだけ困るか……。気違い兄貴はわかるよな。親父にやられたぶんはわかるはずだ。けど、自分が弟にやったことは、オヤジのようにわからないんだよ。「やった」と言われたら「やってないやってない」とオヤジのように発狂しておしまいなんだよ。「ゆずってくれなかった」と言われたら「ゆずったゆずった」とオヤジのように発狂して、おしまいなんだよ。「譲歩してくれなかった」でも「やってくれなかった」でも同じだ。正反対のことを絶叫しておしまい。ほんとうに、本人の中では終わっている。……やっているときは、そういうやりかたで、意地を通して、発狂してやり続ける。だから、本人は「やってないつもりのまま」なんだよ。自分がやっていることで……特に意地を張ってやっていることで、相手が困っているということを認めることができない。認めないまま、発狂的な意地で押し切っておしまいだ。やっておしまいだ。けど、主観的にはやったということになってないのである。本当は、意地になってやり続けたのに、やり続けたということになってない。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。