2020年7月20日月曜日

『こだわらなくていいことにこだわっている』


ヘビメタが本当にくるしかった。地獄である。ほんとうにこの世は地獄。どれだけ、がんばっても、気違いヘビメタ騒音の影響からのがれることができなかった。ほんとうに、死にものぐるいの努力をしても、悪くなっていくばかりなのである。

気違い騒音の圧力がかかってけっきょくは、失敗する。だめになる。気違い騒音の圧力が問題だったわけで、なくなれば、それでよかった。

なくなるというのは、まったく、ヘビメタが聞こえなくなるということなのである。気違い兄貴が、気違い兄貴の基準で「ゆずった」と思っても、まったく無意味なのである。せめて、フォークギターぐらいの音に落とすことが必要だった。

気違い兄貴を知らない人、あるいは、気違い兄貴のような家族を知らない人は、気違い兄貴のような家族が、『意地になって』気違い行為をしている時の状態がわからない。

『どれだけ、でかいと言っても、ヘビメタ騒音なんてたいしたこと、ない』と思ってしまう。『ちゃんと言えば、家族なのだから、静かにしてくれるはずだ』と思ってしまう。『親が文句を言ってないのであれば、どれだけでかい音で鳴っていると言っても、たいしてでかい音で鳴ってないのだろう』などと思ってしまう。

そういう思い込みと、こっちの現実の乖離がでかすぎる。実際に経験してみないと、どれだけ過酷な経験かわからない。毎日が、どれだけ、くるしくなるかわからない。

このあいだ書いた、『いっしょに練習しようという誘いをことわった』という話は、いろいろなことの雛形なのである。あれひとつで終わったわけじゃない。ほんとうに、人間関係のかなりの部分がそういうことになってしまう。

親友が『(エイリのことをおいていけないから)いいかげん立ち直ってくれ』と言ったときだって、同じ構造が成り立っている。部活をやめたときだって同じ構造が成り立っている。佐藤の俺に対する『みくだし』にしたって同じ構造が成り立っている。

他の人には、ヘビメタ騒音の影響がわかってない。実際に経験したわけではないので影響のデカさがわかってない。ほんとうは、ものすごくでかい影響をあたえているのに、他の人からは、小さな影響だと思われる。その乖離・ギャップは、人間が人間としていきている限り、うまらない。

どーーしたって、経験がない他者は、そういうふうに『見なす』。『見くだす』。そりゃ、わからないのだから、『そんなのに気にしなければいい』という話になる。『気にしているエイリさんが悪いのだ』という話になる。『お兄さんがやっていたにしろ、とめられなかったのであれば、エイリさんの自己責任だ』ということになる。

『いずれにせよ、「たいしたことじゃない」のだから、気持ちを切り替えて、やる気になれば、できるようになる』……という『見なし方』が成り立っている。けど、そうじゃないのだ。

けど、「そうじゃないのだ」ということを、経験のない相手にどれだけ、ぼくが言っても、その経験のない相手はわからない。自分の範囲内で考えてしまう。『自分の経験』の範囲内で考えてしまう。

だから、どこまでいっても『そんなのはたいしたことじゃない』という考えを持ったままだ。そのうえで、『現在の俺』を判断するのである。だから、『エイリさんが過去のことにこだわってサボっている』『エイリさんが過去のことにこだわってあまえている』ということになってしまうのである。その人のなかでは……。そういう『見なし方』をした以上、確信のようなものになっている。……その人のなかでは。

けど、それは、その人が、気違い家族にものすごいヘビメタ騒音を毎日鳴らされるということを経験しなかっただけの話なのである。経験しなかったから、影響の範囲がわからない。

どれだけいろいろなところに波及するかわからない。

わからない以上は、どうしたって、『たいしたことじゃないのに、こだわっている』ようにしか見えない。『こだわらなくていいことにこだわっている』ように見えてしまう。『いまは影響がないことにこだわっているから、ダメなんだ』と思えてしまう。

やった人間の『頭のクセ』は重要だ。ようするに、気違いかどうかはものすごく重要だ。こういうことも、まったく関係がないと見なしてしまう。それは、頭がおかしい家族にやられたことがないから、そういうふうに見なしてしまうということにすぎない。

すぎない……。けど、ものすごくでかいことだ。

他者は、たいていの場合、頭がおかしい家族にやられたことがない人なのだから、根本的なところがわからない。どうしたって、『そんなのは、たいした影響がない』と思ってしまう。『ちゃんと言えばよかったのに、言わなかったから、ダメなのだ』と思ってしまう。普通にそう思ってしまう。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。