2022年6月23日木曜日

その助言では「不幸な状態」がひっくりかえらない。

言いたいことは、ひっくりかえらないということだ。

たとえば、針が一〇〇本はえている椅子に座っている人が、どれだけ「いたくないいたくない」と言っても、いたい状態が続く。「いたくない」と言うことで、状況がひっくりかえらない。針が一〇〇本はえている椅子に座っている人が、どれだけ、横に座っている人に親切にしても、いたくて、くるしい状態がひっくりかえらない。

ようするに、「不幸な状態」がひっくりかえらない。

しかし、幸福論の人は、「人に親切にすれば、しあわせになる」と言ってしまう。この幸福論を言っている人も、フカフカな椅子に座っている人なのである。フカフカな椅子に座っている人が言う「助言」はまったく役に立たない。

この、嘘の助言を聞かされる状態になってしまうのである。針が100本はえている椅子に座っている人の血がぬけていく。

そのとき、フカフカな椅子に座っている言霊主義者が「元気だ元気だ」と言えば元気になると言ったとしよう。この言霊主義者は、本人の主観としては、嘘を言っているつもりがない。『実際、俺は、落ち込んでいるとき、元気だ元気だと言ったら、元気になった』『元気だ元気だと言ったのに、元気にならないわけがない』と思ってしまう。

こういうフカフカな椅子に座っている人は、相手の状態がわからない。

ここでは、針がはえている椅子に座っている状態がわからない。

そして、『そんなのは俺だって同じだ』と考えてしまう。自分が努力したから、フカフカな椅子に座っていると思ってしまうのだ。自分の能力がすぐれているからフカフカな椅子に座っていると思ってしまうのだ。

しかし、そうではなくて、生まれたときに、フカフカな椅子に座る人と、針のはえた椅子に座る人がわかれてしまう。

自我がめばえたときには、フカフカな椅子に座っている人は、フカフカな椅子に座っていて、針がはえた椅子に座っている人は、針がはえた椅子に座っている。

しかし、フカフカな椅子に座っている人は、針がはえた椅子に座った経験がないので、針がはえた椅子に座っている人のことがわからない。

なので、「いたい」とか「たいみを感じる」ということについて、針がはえた人の言っていることが理解できない。最初から、「いたさ」の「いたさ」がちがう。「元気がない状態」の「元気がない状態」がちがう。そうすると、いままで書いたように、「マトはずれな助言」をすることになる。しかし、本人は「マトはずれ助言をしている」とは思わないのである。

もうひとつ、有害な助言の例をあげておこうか。

たとえば、フカフカな椅子に座っている人は、フカフカな椅子に座っているから「お尻がいたいときは、一度、立って座りなおすと、お尻がいたくなくなる」というようなことを言う。

しかし、一〇〇本の針がはえた椅子に座っている人が同じことをやったらどうなるだろうか?

いたいに決まっている。

座りなおしたときに、おなじところに座ったとしても、いたみが消えるということはない。さらに、一度たったあと、一〇〇本の針がはえた椅子に座りなおすのだから、あたらしく刺さったところができて、出血する箇所が増える。

なので、そういうことがわかっているから、「お尻がいたいときは、一度たって座りなおす」という助言にはしたがいたくないという気持になる。

ところが、フカフカな椅子に座っている人は、相手のそういう状態がまったくわからないので、相手に対して「ためなさいで、なんだ? ためさないで否定をするな」「立つという勇気もないのか?」と挑発的なことを言う。

しかし、そういう発言ができるのは、自分がフカフカな椅子に座っているからなのであーる。生まれたときから、フカフカな椅子に座っているから、針のいたさがわからない。

いたさにかんして言えば、フカフカな椅子に座っている人は「ずっと座ったときに、ちょっとお尻がいたくなるかな」といった程度のいたさしか経験してないので、相手がどういうことを考えて、その助言にしたがわないのかまったくわからない。

そうすると「やらないからダメなんだ」「勇気がないからダメなんだ」とダメ出しをしはじめるのである。こういうズレが、ある。

しかし、そういうことをやっている人は、そういうことをやっているということがわからない。フカフカな椅子に座っている人は、相手が言っていることがまったくわからない。

問題なのは、「いたさ」というような単語が使われてしまうと、フカフカな椅子に座っている人が思い描く「いたさ」というのが、フカフカな椅子に座っている人の体験にもとづいた「いたさ」になってしまうということなのであーーる。

だから、「立ったあと、座ると、よけいにいたくなる」と一〇〇本の針がはえている椅子に座っている人が言っても、フカフカ椅子に座っている人はまるで理解できないということがしょうじる。

その場合、フカフカな椅子に座っている人は、相手の性格つにいて誤解する。

「勇気を出して、やってみないからだめなんだ」「弱虫だからダメなんだ」「暗い出来事が起こることを想像するからダメなんだ」と言い出すのである。そうやって、挑発するのだけど、本人は、挑発しているつもりがないのである。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。