誠実に生きてきたけど、これは、だめだなぁ。
誠実に生きても、むくわれない。ほんとうに、つかれた。
どんだけ、ヘビメタ騒音でめちゃくちゃになるか、みんな、わかってない。
「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「ヘビメタ騒音の影響なんてあったとしても小さいものだ」「気にしなければいいんだ」「気にしなければ影響なんて受けない」「過去のことは関係がない」
こういうことばで、ひとをさんざんバカにしやがって。これ、バカにしているというとがわかってないんだろうな。ほんとうに頭にくる。やられてないやつらが、きれいごとを言う。そういうレベルの話は、ヘビメタ騒音一か月間で、木っ端みじんにふきとぶ。ぜんぜんちがい。やられてないからわかってないんだよ。ヘビメタ騒音生活が一か月間続いた状態がわかってない。一年間続いた状態がわかってない。一〇年間、続いた状態がわかってない。わかってないからいえることなのに、「真実だ」と思っている。頭がわるすぎる。これ、ほんとうに、ぼくに対して、失礼なことを言っているということがわからないのかな?
相手と自分の立場をいれかえて考えるということができないという意味で、頭がわるいゃっが、つぎつぎとあらわれて、頭がわるい意見を言って、ぼくを侮辱する。侮辱だよ。
ヘビメタ騒音生活にに関する想像力がまったくないという意味で、頭がわるいやつが、頭がわるいやつしか言えないことを、つぎつぎとあらわれて、頭がわるい意見を言って、ぼくをみくだす。これ、ほんとうは、わるいことをしているのに、本人は、いいことをしたつもりなんだよな。もう、そういうの、あきた。
みーーんな、ろくでもないやつらだと思う。こーーんな、ろくでもないやつらが、道徳について語っているんだからなぁ。哲学について語っているんだからなぁ……。どうかしているだろ! どうかしている!!
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まあ、こういうことがつみかさなると、「人間なんて、いやだな」というような感想をもつようになる。この感想は、単なる感想だ。こういうことがあるからと言って、人間がいやな存在であるとは、言えないのである。けど、どうだろう? 一〇〇回のうち一〇〇回、こういうことが繰り返されたら、「いやだな」と思うのは、当然なのではないか? 基本、きちがいヘビメタ騒音……頭がおかしいほど、ヘビメタ騒音を自分の思った通りの音で鳴らすということにこだわり切った……きちがい兄貴が、こういう状態をつくりだしているのである。無関係じゃない。そして、ほかの人には、『きちがい兄貴』というカードがないのである。俺には『きちがい兄貴』というカードがあるのである。そして、そのカードがもたらす、災害がある。その場合、そのカードをもってない人にしてみれば、ひとごとだから、どうでもいいことであり、「自分」が制御でなかったのだから、自己責任……とかるく言えることなのだ。けど、それは、そういうカードをもたなかったから、言えることだ。こういうことが、わかってないのである。あるいは、アドラーのように、こういうちがいを積極的に無視して、現象をうまく説明できない破綻した理論を主張するようになるのである。この、カードのちがい……生まれの格差の無視というのは、アドラー心理学に深くよこたわっている特徴なのである。