2022年8月31日水曜日

寄付と宗教団体と不幸

 全財産を寄付するとしあわせになれると言っていた医者は、全財産を寄付したの?

どこに寄付するかというと、宗教団体なわけで、悪質な洗脳とかわりがないんだよな。そういうのを、感動のストーリーだと紹介してしまう。これ、壺でしあわせになった人の感動のストーリーと、どうちがうの?

全財産、はたいて、幸福のツボを買ったという話と、どうちがうんだよ? 

寄付することでしあわせになるなら、カルト教団の教徒はみんなしあわせになっている。

全財産を寄付することで、しあわせになるなら、カルト教団の教徒はみんなしあわせになっている。

ぼくにはしあわせになっているように見えない。けど、「そんなのは、個人の感じ方次第だと」という言い方がある。ようするに、「全財産をはたいて、幸福の壺を買った人が、しあわせを感じているのであれば、それは、幸福の壺を買うことによって、しあわせになったということだ」という言い方だ。本人が、しあわせを感じているならそれでいいじゃないかという言い方だ。けど、法則性があるようなものとして、説明したほうの、責任はどうなる?

全財産をはたいて、高価な壺を買って、一時的に幸福感をえたとしても、そのあと、やっぱり、全財産を使ってしまったのは、失敗だったと思って不幸な感じがするなら、けっきょくは、不幸になったといこうとじゃないか。なんであたかも、幸福感がそのあとも持続するような前提でものを言っているのか?

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たとえばの話だけど、きちがい的に頑固な兄が、でかい音でヘビメタを鳴らすことにこだわって、でかい音でヘビメタを鳴らしているから、しあわせではないという場合は、壺を買っても、しあわせにならない。全財産をどこかの宗教団体に寄付しても、しあわせにならない。しあわせになるには、きちがい的な兄が、きちがい的な兄ではなくなり、ヘビメタを鳴らすときは、ヘッドホンをするようになることが必要なのだ。こういう『条件』がある。しかし、たとえば、壺を買えばしあわせになる」というような法則性のある話をする場合は、そのひとの『条件』を無視してしまうのである。しあわせではない状態が続いているのには、「理由がある」のである。なになにをすれば、しあわせになると言う場合、なになにをすることで、その理由がなくならなければならないのである。実際に、その理由がなくなるような強制力が発動するようなものでなければならないのである。実際には、壺を買うことではなくて、きちがい兄がきちがい兄ではなくなり、しずかにするということが必要なのである。ほかにも、方法はある。たとえば、弟だけ、宿を借りて、きちがい兄が鳴らしている時間は、その宿にいるという方法がある。しかし、これをやるとすると、弟が未成年の学生である場合は、親が協力しなければならないのである。しかし、親が兄とおなじように気ちがいであった場合は、そういうことにはならない。これもまた、「不幸になる条件」なのだ。なんらかの、これこれをすれば、しあわせになる」という言い方のなかには、個々人がかかえる『条件』がまったくはいっていない。考慮のそとなのだ。まったく問題になっていないのである。しかし、法則性があるように言うので、あたかも、その行為によって問題が取り除かれしあわせになるような「感じがする」のである。しかし、それは、「感じがするだけ」なのである。これは、「別に壺を買う」ということだけではなくて、「他人に親切にする」というよう場合でも成り立つ。人に親切にすればしあわせになるという言い方には、壺を買えばしあわせになるという言い方とまったく同じ問題が横たわっている。エックス(X)になにを代入するかのちがいでしかない。エックス(X)をすれば、しあわせになるというのは、基本的に『条件』を無視するものだから、そういう効力がなく、意味がない。

二項目を取り上げて、まるまるになるというのは、実はよくないやり方だ。どうしてかと言うと、そうならない場合のほうが多いからだ。しかし、二項目を取り上げることによって、あたかも、二項目の関係があるような錯覚?をもたらすのである。二項目を取り上げた場合、二項目にはものすごくタイトな関係があり、一方を達成すれば、自然にもう一方も達成されるというような言い方をされると、そういうことが、「どんな場合でも成り立つ」ような感じがしてしまう。そして、そういう考えにとりつかれてしまう人が出てくる。これこそが、不幸のもとだ。 

「壺を買うとしあわせになる」よりも「他人に親切にするとしあわせになる」のほうが受けがいいのは、ある人が壺を買うと、たいていの場合、まわりの人が不幸になる感じがするけど、ある人が他人に親切にした場合は、たいていの場合、まわりの人が不幸になる感じがしないからだ。けど、これはこれで、問題がある。ある人が思う「他人に親切にする」の内容が、かならずしも、他人にとって、親切ではない場合があるからだ。

もうひとつ、現にしあわせではない人は、人に親切にしないひとだということを、理論的に暗示しているのである。実際には、不幸になる理由はたくさんある。しあわせになる理由もたくさんある。しかし、二項目だけをとりあげて、二項目の関係背について述べると、あたかも、二項目以外は関係がないような印象を与えてしまうのである。これは、印象操作だ。じつは、アドラーもこういう印象操作をおこなっている。この印象操作は、壺購入のように悪いイメージがないけど、ほんとうは、注意しなければならないことだ。不幸な人をより不幸にしているのである。



 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。