2022年8月20日土曜日

アドラー心理学の問題点について 4

まるで受けないけど、書いておく。アドラー主義者は「気にしない人間」を量産しようとするな。「どれだけがみがみ言われても、まったく気にしない人間」を増産しようとするな。
まるで気にしないことが善であるような言い分だ。まるで、気にしないことが正義であるような言い方だ。しかし、「気にしない」ということが善であったり、正義であったりするわけじゃない。「善悪の基準」というのは、人間のなかにほかの基準として成り立っている。
まるで、気にしないことが善であるような言い方自体が悪だ。それだとこまる人が出てくるのである。「迷惑だからやめてくれ」とどれだけ言っても、やめない人がいたとする。その人のなかでは、「相手を無視して、相手の言っていることを気にしないこと」が善になってしまう。
相手が言っていることをまるで気にしない人間がいたとする。その人、個人の「善悪の基準」がほかの人とずれていたとしても、相手が言っていることを無視して、自分がやりたいことをやることが善だということになってしまうのである。
そうなると、その特別な人間が、特別な価値観をもっていた場合、まわりの人が、迷惑をするのである。家族なら、当然、ひどくこまるということになる。まるで、わかってないんだよな。
「相手の言い分を聞いて、たしかに迷惑行為であると思ったらやめればいい」などということをアドラー主義者は言う。きちがい的な意地で迷惑行為をしているやつが、どういう基準で、あるいは、どういう考えで自分の行為が迷惑行為であると認めるのだ?
そういう相対性について、アドラー主義者はまったく考えてないのである。現実は、アドラー主義者が考えているほど単純じゃない。おおきく、基準がずれているやつがいる。そいつが、アドラー主義者の言うことを信じて、「どれだけ、がみがみ言われても、一切合切気にしない」で、やり続けたらどうなるか? そいつの行為でこまっているほうは、もっとこまるということになる。いいかげん、単純な考えで、自分勝手な行為を助長するようなことを言うのはやめろ!! 迷惑なんだよ!!
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「気にしないのが正義である。気にするのは悪である。だから、気にしないようにすればいい。相手がどれだけ、がみがみ言ってたって、それは相手の問題なのだから、気にする必要がない」……こういうふうに思っている人の善悪の基準が、きちがい的な基準だったら、どうなる?


まわりの人間が、こまるんだよ。たとえば、本人の耳が悪くなるようなでかい音で音楽を鳴らしている人間がいるとする。この人をAだとする。そういうことをしているということは、Aは、このくらいの音で鳴らしていいいと思っているということを意味している。
同じ家に住んでいる家族Bが、「うるさいから静かにしてくれ」とがみがみ言ったとする。けど、アドラー主義者に感化されたAは「相手がどれだけがみがみ言ってきたとしても、気にする必要はない」と思って、でかい音で鳴らし続けるのである。
当然、そういう場合だってある。「気にしないこと」が正義か? 「どれだけ相手がどれだけ、がみがみ言ってきても、それは相手の問題だと思って、気にしないでやり続けること」が正義か?
気にするのが悪である。気にしないのが正義であるという価値観とは、別に、善悪の価値観があるのである。そして、善悪の価値観は、ひとによって「だいぶちがう」のである。そういう相対性がまるでわかってないなぁ。
ともかく、「気にしないようにする」のがあたかも正義であるようなことを言って、ひとをそっちの方向に導くのをやめろ。誘導するな。「気にしない人」を量産するな。
 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。