2022年8月13日土曜日

アドラー心理学の問題点について(1)

壺を売っている人たちだって、「人にどう思われるか」なんて気にしてないよ。アドラー主義者も、「人にどう思われるか」なんて気にしてないけどね。この人たちは、こういう点でものすごく似ているわけ。

そうなると、悪いことをして気にしないというわけではないと、アドラー主義者は言い出す。普通のアドラー主義者にとっては、高い壺を売ることは、悪いことだ。だから、そういうふうに言う。

けど、壺を売っている人は、悪いことをしているとは思ってないんだよ。だから、「善悪の基準が問題になる」と言っているだろ。けど、アドラー主義者は、善悪の基準を気にしない。

そんなのは、決まっているからだ。どういうことかと言うと、「善悪の基準は人によってちがう」ということが理解できてないのである。アドラー主義者は、みんながみんな、アドラー主義者とおなじような善悪の基準をもっていると思っているのである。

アドラー主義者は、善悪の基準が相対的なものだということが、徹底的にわかってない。人間だからだいたい同じようなものだろ」と思ってしまっている。けど、人間によって、善悪の基準がちがうのである。

だから、「気にすべきことは気にすればいい」などと言っても、まったく無意味なのである。たとえば、壺売り組織のえらい人は、きらわれる勇気をもっているのである。人が批判をしてきても気にしない人なのである。

まさに、アドラー主義者が奨励していることを、実践している人なのである……高価な壺を売っている人は……。

「人殺しはいけないというような基本的なところではだいたいおなじだろ」とアドラー主義者は、言うかもしれない。けど、「より良い世界のために人口削減が必要だ」と考える人は、人口削減計画を実行してしまう。

「人殺しはいけないというような基本的なところではだいたいおなじだろ」ということは言えない。条件や立場によってちがう。おなじじゃない。けど、じゃあ、人口削減計画を推し進める人が、自分家族にとって悪い人かというとそうではないのである。

これは、その個人にとって、身近な人間か、身近な人間じゃないかが問題になる。人口削減計画に積極的に取り組んでいる人たちだって、自分の子供には、やさしいかもしれないのである。自分の子供は殺されたくないと思うのである。

ところが、自分の子供ではなくて、他人の子供なら、人口削減の対象になるのである。他人の子供を人口削減のために、がんばって殺そうと思ってしまうのである。

そういうことが、アドラー主義者はまったく、わかってない。単純すぎる。

「善悪の基準がしっかりしているのであれば問題はないとアドラー主義者は思っているかもしれないけど、そうじゃないのだ。だいたい、アドラー主義者は、マスク装着についてどう考えているのだ?

アドラー主義者こそ、他人に嫌われる勇気をもって、マスクをしない人を、悪く言う人たちの一員なのではないか。アドラー主義者は、マスクをつけるように言われる場面で、マスクをつけない人をどう思うのか?

アドラー主義者は、社会適応的で、長い物には巻かれろという考え方をもっているので、社会不適応なことを、「勇気をもって」やることはない。マスクで言えば、マスク適応的で、マスクをマナーとして考えるので、マスクをつけないという選択をしない。
きらわれる勇気が問題にならないところでしか、きらわれる勇気を発揮しないのである。ワクチンに関しても、アドラー主義者は、感染防止のために、みんながワクチンをうけるべきという「適応的な」判断をして、ワクチンをうけないという選択をしない。そして、ワクチンをうけないという選択をしたものを、「反ワク」「非科学的」「社会不適応」と批判する。つまり、悪口を言うほうにまわる。「ながいものにはまかれろ」を実践する。そして、勇気をもってワクチンを打たないという選択をしたものをばかにする。
これが、アドラー主義者がやることだ。もうひとつ言っておこう。このアドラー主義者がアドラー主義者の考えを代表しているわけではないけど、あるアドラー主義者が、ワクチンを打たない人についてこんなことを書いていたのを目にしたことがある。
ワクチン反対派の人は、ワクチンを打つというつらい現実から目をそらせるために、ワクチンに寄生虫がはいっているというようなことを言って、ワクチンを打たないようにしているのだ」というようなことを彼は書いていた。
むしろ、アドラー主義者が、おそろしい現実に目をむけずに、そういう奇妙なことを考えるとぼくは思う。アドラー主義者は、単純な意味でポジティブであり、単純な意味で単純なので、ワクチン接種に関しても、集団免疫を獲得するために、みんなが打ったほうがいいと考えてしまうような人たちだ。
ワクチン接種に関しては、時間がたてば、はっきりしたことが言えるようになる。いまは、まだ言えないことがある。ただ、アドラー主義者が、ながいものにまかれず、きらわれる勇気をもって、非常識なことを言うとは思えない。
ようするに、常識的な範囲でしか、ものごとを言わない人たちなのである。その人たちは、じつは、順・社会的なことを言って、ほかの人を苦しめている可能性がある。
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毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。