たとえば、AさんとBさんがいたとする。AさんがBさんの上司で、BさんがAさんの部下だとする。
ある日、AさんがBさんに「このあいだ書類を提出してください」と言ったとする。Bさんが、Aさんに、「このあいだの書類」を提出したとする。
Bさんが、言われた内容を理解して、言われた内容に沿った形で行動し、実際に、Aさんに、書類を提出したとする。
その場合、Bさんが言霊主義者でも、言霊の力によって、書類を提出したとは考えないのだ。自分にとって、プロセスがあきらかなことは、言霊主義者であっても、現実的な理由を考えてしまうのである。
だいたい、Bさんは、提出する書類を、自分で書いて提出したのである。だから、一連のプロセスを知っている。
Bさんにとって、Aさんから言われて、その通りに動いて、Aさんにその書類を提出するまでのプロセスは、あきらかなことなのだ。
あきらかなことに関しては、言霊主義者といえども、言霊の力で、そうなったとは考えないのである。
言霊主義者なら、そもそも、会社に勤める必要がないのだけど、とりあえず、その問題は横に置くとして……言霊主義者なら、言うだけで、書類なんて提出できるはずなのである。
言霊主義者なら、言うだけで、書類に必要なことを書き込むことができるのである。
「なになにという書類が完成する。完成した書類が、Aさんの机の上に出現する」と言ってしまえば、言ったことが現実化するのだから、言霊の力で、現実化させればいいことなのである。
そして、たとえば、書類というのは、紙でできた物理的な書類であり、紙でできた物理的な書類を物理的な自分の手で持つことができるということが、そもそも、言霊の力によって成り立っていることではないのである。
物理的な力によって成り立っていることなのである。自然物であれば、だれかが、「ここに存在する」と言うまえに、自然物として存在していたのである。
そして、ほんとうになにもないところに、物理的な存在を、言霊の力で、出現させるということは、できないことなのである。どんな言霊主義者だってできないことなのである。
「ほんとうになにもない」の定義は考えないこととする。
書類を提出するというプロセスを考えると、紙でできた書類を手で持つことができるというような物理的な特性が、ものすごく、重要なのである。
言霊主義者といえども、言霊の力ではなくて、物理的な力に頼りきって生活しているのである!!
そして、言霊の力によって、言った内容が現実化されるにしろ、けっきょくは、物理的な過程をとおして、現実化するのである。
これは、言霊の力があるとしても、言霊の力は、物理的な力に従属しているということなのである。
ところが、言霊主義者が考える言霊の力というのは、超物理的な力なのである。
物理法則に従属しない力なのである。
言ったことが、あらゆる物理法則を排して、現実化しなければならないのだ。だから、言霊の力は、魔法力だと、ぼくが言ったのだ。
物理的な力が言霊の力に従属しているのか、あるいは、言霊の力が物理的な力に従属しているのかということを考えると、言霊の力が、物理的な力に従属してるということになる。
もちろん、これは、言霊主義者が考えるような言霊を考え、言霊主義者が考えるような言霊の力を、仮に考えた場合の話だ。
誤解されるのがいやなので、何度も言っておくけど、言霊も言霊の力も存在しない。
ようするに、言霊主義者は、このことについても、調子よく、誤解をしている。
矛盾をスルーしている。
物理的な意味で現実化されるのだから、もちろん、物理法則にしたがったかたちで「それ」が現実化したのである。
しかし、言霊主義者が、無邪気に想定している力というのは、物理的な力をこえた、物理法則にしたがわない力なのである。
そういう、超物理的な力が言霊の力なのだ。
* * *
ともかく、ボールペンで、書類に文字を書くことだって、物理法則にしたがった物理的な力(ちから)が現実化させていることなのである。
普通は、ボールペンで書類に文字を書こうとしたら、机が、床に沈んでしまって、うまく文字を書くことができないということが発生しないことだって、物理的な力が現実化させていることなのである。
ようするに、ボールペンで書類に文字を書くという、普通のことだって、ほんとうは、言霊の力によって、現実化されていることではないのである。
物理的な力によって、現実されていることなのである。
けど、「言えば、言ったことが現実化する」と考えている言霊主義者は、そのことを無視してしまう。
言霊主義者だって普通の知能があるので、机の上で、机の表面の上にある、物理的な書類に、物理的なボールペンで文字を書くことができるということを知っている。
言霊主義者だって、知っている。
だから、普段は、不思議に思わない。
それであたりまえだからだ。
言霊主義者が、普段「それであたりまえだ」と思っていることは、言霊の力によって発生していることではなくて、物理的な力によって発生していることなのである。
けど、言霊主義者が「言霊」ということについて考える場合、言霊主義者は、物理的な力に頼って生きているということを、無視してしまうのである。
そして、無視していることに気がつかない。