ヘビメタ騒音をやられると、一日が、どれだけつらいものになるか、まるでわかってないな。どれだけしつこく、のぞみをもって暮らしても、毎日やられると、そののぞみもなくなっていくというのがわからないな。だいたい、窮地に立っいるわけで、その度合いが、毎日、増す。どれだけ、「元気だ元気だ」と言っても元気にならない。
ヘビメタ騒音のハンディがないやつが、好き勝手なことを言って!!
きちがい兄貴のハンディ、きちがい親父のハンディがないやつが、好き勝手なことを言って!!
「そんなことが成り立つなら、こまってない」と絶叫したくなる!!
しかも、そいつらが、こまっているところで……窮地に立って困るているところで、へんな要求をしてくるわけだ。痰的に言えば、気にしないでがんばればいいということを言ってくる。こいつらには、ヘビメタ騒音のハンディがない。けど、そいつらは言うだろう。「俺だってこれこれでくるしい。けど、がんばっている」と。ね。けど、そいつらのハンディというのは、そういうことを言えるぐらいのハンディだ。ちがう。ぜんぜんちがう。そういうものじゃない。毎日、ヘビメタ騒音がつみかさなるというのは、そういうことじゃない。そういうことが、ぜんぜんわかってないということは、そいつのハンディがたいしたハンディじゃないということを、明示している。
「がんばっている」状態を維持できるなら、そいつらのハンディは、ぼくのヘビメタのハンディとはちがう。
おわりがないんだよ。実際には、十五年間で終了したけど、たとえば、一年目の三十日目の俺にとっては、ヘビメタ騒音は、兄貴を殺さなければ「永遠に続きそうな」騒音なんだよ。実際、十五年目に終了したとしても、意味がない。三十一日目に終了しなければ意味がない。この終了というのは、完全に終了するということだ。きちがい兄貴が、「ゆずったつもりで」おなじようにずっと鳴らし続けるということではない。殺さないと絶対にやめない。そういう状態だった。理解してないからね。きちがい兄貴を殴ったらなぐったで、今度は、「なぐった」ということを「ひとじち」にとって、自分を正当化してやる。暴力という悪いことをしたのだから、騒音なんて関係がない。おまえが暴力をふるったのだから、ヘビメタ騒音を思いっきり自分が鳴らしたいように鳴らしたっていい……こういう精神状態になって、きちがい的な意地で鳴らす。ならばやはり、殺すところまでいかなければならなくなる。常に相手にそういうことを突き付ける「いじ」なんだよ。きちがい兄貴の意地というのはそういう意地なの。で、これおなじ意地をもっていたやつが、きちがい兄貴のほかにもいた。きちがい親父だ。二人のきちがいに、はさまれて、どれだけつらい思いをしたか、きちがい兄貴ときちがい親父がいない人には、まったくわからない。どういうことが発生するのか、聞いたって、わからない。自分のことでなければわからない。実際にそういう「うち」で、二十年ぐらい、生活しないとわからない。どんだけのことがつみかさなるか、わからない。どんだけのことがつみかさなるか、実際の時間経過とともに、経験しなければ、二十年間でこうなるということを、説明されたって、わからない。