もう、ぼくがどれだけなにを言っても、普通の人にはなにもつたわらないというとがわかっているので、普通の人ではなくて、少し変わった人にぼくの言葉を残そうと思っている。
生まれの格差はある。特に、親の性格やほかの家族の性格によって、不幸がもたらされる。しかし、普通の人は、生まれの格差を認めない。どうしてかというと「生まれの格差を認めることが、みっもないこと」になっているからだ。どうして、「生まれの格差を認めることがみっともないこと」になっているかというと、悪魔がつくりだした社会だらそうなっている……と言っておこう。悪魔が人を支配するときに、「生まれの格差」があるということに人々が気がつくと、支配ができなくなってしまうのだ。悪魔がつくりだした社会のなかでは「生まれの格差はない」あるいは、「あったとしても、たいして影響がない」ということになっている。格差の上に、悪魔が社会をつくっている。格差は、必要なのである。そして、そういう格差について、人がまちがった考えをするように、つねに、洗脳しているのである。なので、普通の人たちは、「生まれの格差はない」あるいは、「あったとしても、たいして影響がない」と信じている。しかし、そのことについては、あまり触れられず、二項目関係が論じられる。たとえば、愚痴をう言う人は不幸になる」とか「不幸な人は、みんな、愚痴を言う」というようなことが言われる。これは、「不幸」と「愚痴」の相関関係について言及しているのである。あるいは、「不幸」と「愚痴を言うこと」の因果関係について言及しいるのである。言っているやつは、気持ちがいいわけで、たいして「悪いことをしている」というつもりにはならない。いや、まったく「悪いことをしている」というつもりにはならない。しかし、「生まれの格差がある」ということと「生まれの格差の影響がでかい」ということを無視してまっている。無視して、「不幸」と「愚痴」について言及しているのである。これは、まちがった態度だ。そこで言われていることも、正しくない。どうしてなら、当然にして認められなければならない「生まれの格差」と「生まれ格差の影響」を無視してしまっているからだ。これを無視して人生に関係することを論じても、まちがった結論にしか、いたらない。いたらないのだ。
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