(ふたつ前の投稿のつづき)
もうひとつ、「成功すると言えば、成功する」この場合も、出ている二項目は「成功すると言うこと」と「成功」だけだ。成功すると言った人は成功するし、成功すると言わなかった人は成功しない。左の項目に関しては言うか、言わないかのふたつの値しかない。そして、右の項目に関しては、「成功する」というひとつの値しかない。ほかの条件は、すべて無視しているのである。左の項目をするかどうかが、右の項目の値を決定すると言っているのである。「成功すると言えば、成功する」ということばには「成功すると言わなければ、成功しない」ということばは含まれていない。「成功すると言えば、成功する」と言っているだけで、「成功すると言わなければ、成功しない」とは言ってない。それは、事実だ。しかし、「成功すると言わなければ、成功しない」ということも、暗示しているのである。どうしてなら、「成功すると言わなければ、成功することがないからだ。成功すると言えば、成功するのだから、成功すると言わなければ、成功しないということを暗示している。しかし、成功すると言葉に出して言わなくても、「成功」する場合はある。暗示していることに関しても、じつは、法則性があることを言ってないのだ。しかし、「成功すると言った人が、成功するところだけ」を見ているので?成功すると言った人は、かならず成功すると思っていられる。「成功すると言った人が成功する」ところだけを見れば、「成功すると言った人が成功する」ということを信じたい人は、納得してしまう。自分で自分をごまかすことができる。「成功する」といったにもかかわらず、成功しなかった人のことは、無視すればよいのだ。無視すれば「そんなことはない」ということになる……その人の頭のなかでは。……その人の世界では……。なので、事実とは関係なく「成功すると言えば成功する」ということを信じることができるのである。これは、科学ではない。しかし、「元気だ元気だと言えば元気になる」ということが科学的証明されたとか、「元気だ元気だと言えば元気になる」ということが心理学の実験で証明されたということを、信じたい人が聞けば、「成功すると言えば成功する」ということが、科学的証明されたとか、心理学の実験で証明されたということになってしまうのである……その人の頭のなかでは。……その人の世界では……。