かくされた項目があるということに気がつかないか? 二項目の関係で述べることが多い。たとえば、「努力をすれば成功する」ということについて考えてみよう。ここで出てくる二項目は、「努力」と「成功」だ。努力をすれば、成功するし、努力をしなければ、成功しない……こういうことを言っている。しかし、成功するかどうかは、「環境」で決まってしまうとする。この環境というのは、じつは、さまざまな『条件』を含んでいるのだけど、今回は、条件については説明しない。ともかく、さまざまな条件の束を「環境」ということにする。たとえば、どういう家に生まれたか、どういう性格の家族と一緒に住んでいるかということが条件になる。そういうものをぜんぶひっくるめて環境ということにする。ただし、「努力」という項目はこの環境の中には含まれないとする。また、「努力をする才能」ということを言って「努力するチカラ」を才能と言い換えることもしない。「環境」と「努力」は、排他的な項目だとする。環境のなかには努力は含まれてない。
「環境がよければ、成功する」ということが正しいとする。その場合「努力をすれば成功する」という二項目のなかには、ほんとうに「成功するかどうかを決定する要素(項目)」としての「環境」が含まれてないことになる。ほんとうは、「環境」が「成功するかどうか」を決めるにもかかをらず、「努力」が成功するかどうかを決めると言っているのである……「努力をすれば成功する」と言っている人は……。
もうひとつ、「根性があれば、成功する」という文について考えてみよう。この場合も、出ている二項目は「根性」と「成功」だけだ。根性がある人は成功するし、根性がない人は成功しない。日本語としてどうかと思うが「根性を出せば、成功する」というような言い方もある。「根性を出さなければ、成功しない」「成功した人はみんな根性を出した人だ」「成功しなかった人は根性を出さなかった人だ」「成功するかどうかは、根性を出すか出さないかで決まる」……こういうことを言っている人もいる。この場合は、「根性」と「成功」の二項目にしか言及してない。根性を「環境」という項目のなかに含めないとすると、ほんとうは、成功するかどうかを決める「環境」という項目についてはまったく言及せずに、「成功」について語っているということになる。