2015年2月10日火曜日

殺されたら、殺された方にも、責任があるというのは、全部、結果論だ

殺されたら、殺された方にも、責任があるというのは、全部、結果論だ。殺された、という結果が出たあとに、「理由」を探している。レイプされたら、レイプされた方にも、責任がある……ということになってしまう。もちろん、責任がある場合もある。しかし、責任がない場合もある。「なになに・されたら」「されたほうにも責任がある」というのは、「場合分け」をしていない。「すべて」「例外なく」の世界なのである。どうして、「すべて」になってしまうかというと、結果が出ているからだ。結果が出ていて、あとから、「すべての場合において」、責任があるということを言っている。

生じてしまったら、個別具体的なことを、論じることなく、かならず、「責任がある」と決まっているのである。なんでなら、「生じたから」だ。

ある日、毒ガスをまかれて、下半身不随になったら、毒ガスをまかれたほうにも責任があるということになってしまう。ある出来事があって、その結果、障害を背負ったとしたら、障害を背負った方にも、責任があるということになってしまう。全部、「結果論」だ。生じたあとに、「生じたのだから、理由がある」「生じたのだから(その人にも)責任がある」と言っている。



6)障害を背負ったとしても、どんな出来事があったにしろ、それは、あなたが望んでいたから起こったことだ

「霊界」を持ち出すか、持ち出さないかの違いがあるが、こういうふうに考える人がいる。その人が、自分の世界に生じたことについて話しているのならいい。一般論として、すべての場合に成り立つこととして、話すから、問題が生じる。自分の分だけ、話していればいい。
まあ、無意識とか、出してくるんだろうけど、傲慢だ。「霊界」を出すか、「無意識」を出すか、その違いはあるのだけど、言い方は同じだ。そして、原理も同じだ。
結果が出たあとに、「それは、あなたが、無意識的に望んでいたからそうなったのだ」という。当然、この世で生じなかったことには、それは成り立たない。「だから」生じなかったとでも言いたいのだろう。けど、これは、結果論だ。結果論的な世界観を(貴方自身が)持つのは、かまわないが、それは、あなたが持っている結果論的な世界観から導き出された、結論なので、人には「真実」として言わないほうが良いのではないかと思う。何度も言うけど、本人が、自分の世界に生じたことに関して、「そう思う」のは勝手だ。

7)苦しいことは、学びだ。人間はそれを学ぶために、生まれてきた。
8)すべての出来事は、「たましいの学び」のために、必要なことだ。

こういうことばも、言っている方は、いいことを言っているような気分になるのかもしれないけど、犯罪被害者などを平気で傷つけている言葉だと思う。「一般論」としていっているので、「すべて」「例外なく」そうだと言っていることに、たぶん、言っている本人は、気がついていないのではないかと思う。
自分がなんらかの犯罪被害者で、自分が背負った障害について、どう考えるかは問題ではない。ようするに、自分が背負った障害は、自分の学びのためにあると考えてもいい。自分の分だ、そういうふうに考えるのはいい。しかし、「一般論」として言えば、ほかの人の人生そのものにも言及しているのと同じなので、ほかの人の人生についても言及しているという自覚は持った方がいい。事情も知らない人に、勝手に決めつけられて、不愉快な思いをする人がかならず出てくる。まあ、本に書いたりブログに書いたりするのは、自由だ。しかし、個別具体的な人に対して、そういうふうに言う場合は、本当に気をつけたほうがいいと思う。ただが、掲示板でそういうことをいう人がいる。たいていそういう人は、わかってない。なにがわかってないかというと、自分が言っていることがわかってない。本当にはわかってない。だから、掲示板などで、そういうことをいう人は(具体的な個人対してそういうことをいう人は)、実際に自分が困った立場になると、ぎゃーぎゃーわめきだす。本当に、そいつに責任があることでも、人のせいにして怒り狂う。病気になったらなったで、「どうして、自分がこんな病気にならなければならないのか」となげく。
自分が他人に言った言葉「すべての出来事は、「たましいの学び」のために、必要なことだ」ということを忘れてしまったのだろうか。俺は、そんなひどいことは、言わないけど、あんたは、他の人が苦しんでいる時に、そういう言葉を投げかけたではないか。あれはなんだったのか?と言いたくなる。

繰り返すけど、僕は「すべての出来事は、「たましいの学び」のために、必要なことだ」とは考えないから、他の人が病気の時、他の人が苦しんでいる時、そんな言葉を投げかけたりしない。

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事柄が生じた原因と、それにどう対処していくかは、別のことだ。
これの区別がついてない人がいるのかも知れない。
この世の出来事だから、一方が一方的に悪い場合もある。一方が一方的に悪くはない場合もある。ようするに、「やられた方」に責任がある場合と、責任がない場合がある。これと、「やられた方」が背負ってしまった障害に対して、どう対処していくのか、は、べつの問題だ。まあ、殺されてしまったら、どう対処するかなんてことは、そもそも、この世では問題にはならないが。




わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。