2026年1月18日日曜日

●「思った」のか「思わなかった」のかを、決められなくなる■思霊※2026/01/17 15:52

 じつは、言霊主義者よりも、思霊主義者のほうが、手ごわいのだ。

どうしてかというと、思ったかどうかというのは、外側から、はっきりとわかることではないからだ。言えば、言ったというのがわかる。

けど、思ったとしても、思ったかどうかわからない。

「思いが、現実化する」というのが、手短に説明した場合の思霊主義者の考え方だ。思霊(おもだま)というのは、ぼくの造語だ。言霊に対応した言葉がないので、ぼくがつくっておいた。だから、みんなが知っている言葉ではない。

言霊主義者の場合、「言ったことが、現実化する」ということになる。

その場合、「言霊の力によって現実化する」という意味になるのである。

 思霊主義者は、ただ単に「思いが現実化する」と言っているわけではなくて、「思いが、超自然的な力によって、現実化する」と言っているのである。

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「思うだけ」だと、思ったかどうか、外側から、よくわからないということを言ったわけだけど、じつは、本人にも、よくわからない場合がある。

言った場合は、本人が記憶していなくても、言ったということを、だれかが記憶していれば、言ったという場合について考えることができる。あるいは、ボイスレコーダーで録音しておけば、言ったということを(ある程度)証明できる。

これ、音声合成技術が発達してしまったので、じつは、本人が言っていないことも、言ったように見せかけることはできるのだ。けど、今回言いたいことは、「思い」だと、本人も思ったことを忘れてしまうことがよくあるということだ

言う場合よりも、思う場合のほうが、より、忘れられやすいのである。

本人にとっても、思ったかどうかというのは、記憶に残りにくいことなのである。

だって、そうだろ。起きてから、四六時中、なんらかのことを思っているわけだから、特別に注意が向いたことだけ、思ったことが、たしかに思ったこととして記憶されているけど、あんまり注意が向かなかったことは、思ったということ自体が、忘れられてしまうかもしれない。

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問題なのは、「無意識的に思った」とか「潜在意識で思った」ということを認めてしまった場合、「思った」のか「思わなかった」のかを、決められなくなるということになる。

これは、理論的に決められなくなる。

なので、「思った」と「思わなかった」の区別がつかなくなってしまうのである。しかし、「無意識的に思った」とか「潜在意識で思った」ということは、よく言われることなのである。

どうしてかというと、ここにも、トリックがあるからだ。

思霊を信じているような人たちは、広い意味で精神世界の人たちなので、『後出し理論』を好むのだ。

ようするに、結果から、原因を推察するということになる。

しかし、推察ではなくて、決定してしまう。こうだと決めつけてしまうのだ。

どうして、そのような動機がしょうじるかというと、「思わなかったこと」が発生してしまったからだ。

「思ったことが発生する」ということになっているので、思わなかったことが発生した場合は、「思ったにちがいがない」ということになってしまうのである。

ようするに、結果に合わせて、過去の出来事を(記憶の中で)書き換えてしまうのである。

そうすると、見せかけの論理性がたもてるのである。

しかし、これは、下手なトリックだ。

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「思った」ということを、意識的に思ったということにしておく。この場合、意識的に思わなかったのであれば、思わなかったということになる。

思わなかったことが発生した場合、思わなかったことが発生したということになる。

ほんとうは、これでおしまいなのだ。

しかし、実際には、思わなかったことが発生したので、「自分は思ったにちがいがない」ということにして、現実を書き換えてしまう。

ほんとうは、「思わなかった」のに……「無意識的思った」とか「潜在意識で思った」ということにして、「思った」ということにしてしまう。

そうすると、「思ったから発生した」という流れが、思考のなかで、かろうじてたもたれるのである。

しかし、これは、本人が本人に『嘘』をついている状態だ。

そして、「思ったにちがいがない」と思ったのは、じつは、「思っていなかったことが、発生した」という事実から、発生するのである。

つまり、事実を書き換えなければならなくなるのである。

(1)思ったこと(オン)が現実化した(オン)

(2)思わなかったこと(オフ)は現実化しない(オフ)

(3)思ったこと(オン)が現実化しなかった(オフ)

(4)思わなかったこと(オフ)が現実化した(オン)

事実として、思わなかったことが現実化したので、思わなかったことが発生したのではなくて、無意識的に思ったことが、現実化したということに、してしまうのである。

思わなかったことが現実化したので、(1)思ったこと(オン)が現実化した(オン)にしておかなければ、つじつまが合わなくなったのである。あるいは、つじつまが合わないと、本人が認識したのである。

だから、つじつまを合わせるために、現実化したという事実に合わせて、むりやり、「思ったことにしてしまう」のである。思ったことにしてしまう方法が「無意識」とか「潜在意識」という概念の導入なのだ。

これをやってしまうと、すべての現実化したことは、思ったことだということになってしまうのである。現実化したことなら、思ったことなのであるということにしてしまうのだ。

これは、完全に間違っている。精神世界の人は、こういう幼稚な言い訳をよくする。だから、矛盾が矛盾を生み出すということになってしまう。嘘が嘘を生み出すのだ。

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そして、主体はだれなのかという問題がしょうじる。普通は、「自分」なのである。

しかし、「他人」も人間はみんな、主体となりえるのである。なので、現実に発生したことは(現実化したことは)どんなこともすべて、誰かが思ったことだということになってしまう。

ところが、人間を取り巻く環境は、物理的な環境であり、物理的なものが物理的な運動をすると、だれが思ったわけでもなのに、運動が発生したということになる。

そして、その運動の結果をだれが認識した場合、じつは、運動のあとに、認識がしょうじるということになるのである。

これは、だれも思わなかったのに、運動の結果として出来事が発生したということなのである。

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たとえば、ヘビメタ騒音について考えてみよう。きちがい兄貴が、どでかい音でヘビメタを鳴らそうと思ったので、ヘビメタ騒音が発生した。実際に、ヘビメタの音が(大音響で)鳴り始めた。きちがい兄貴とっては、「思ったこと」なのである。

けど、ぼくにとっては、思ったことではないのである。ヘビメタという音楽分野があるということすら、当時、ぼくは知らなかったのだ。

どうやって、ぼくが、「やがて兄貴がヘビメタをでかい音で鳴らす」と思うことができるのか?

そんなことは、できないのである。

「思わなかったこと」が発生したのだ!!

だから、だれかAさんと、だれがBさんがいた場合、Aさんにとって、思ってやりはじめたことだけど、Aさんの活動によって生じた物理的な出来事は、Bさんにとっては、思ってもみなかったことだということは、ありえる。

だれかほかの人の活動に関しては、(本人が)思わなかったことが発生する場合があるのである。本人がすべての事象を「思い」によって支配しているのではないのだから、当然だ。

つまり、じつは、「(自分が)思ったことが、現実化する」という理論は、最初から破綻しているのである。 では、誰かが思ったことが現実化するという理論は、最初から破綻しているわけではないと言えるのかどうかというと、言えない。

人間が発生するまえから、物理的な出来事が、発生していた。だれも思わなかったのに、出来事が発生していたのである。だれも思わなかったことが、発生していたのである。

別に歴史をさかのぼらなくても、普通に、分子的な運動が発生している。だれが思わなくても、勝手に、風吹く。だれが思わなくても、勝手に、空気中のほこりが、個別に、個別的な運動をしている。

だれか、特殊な人が、空気中の一個一個のほこりについて、動きを予想したとしても、その特殊な人が、世界中のほこりについて、動きを予想できるわけではない。ようするに、つねに「(だれにも)思われていない運動」あるいは「(だれにも)思わなれなかった運動」が、現実化しているのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。