2015年2月10日火曜日

もっとひどい人がいるということは、相手(加害者)をゆるす理由にはならない 2

ちっとしつこいようだが、この間言ったことについて、考えてみる。

Aさん。Bさん。Cさんがいて、Aさんは、強姦された人。Bさんは、両手を切られた人。Cさんは、Aさんの事件とも、Bさんの事件とも関係がない人だとする。そうした場合、Cさんが、「AさんとBさんをくらべると、Bさんのほうがひどい目にあっているので、Cさんは、相手(加害者)を、ゆるすべきだ」と言ったとする。その場合、Aさんはどう感じるだろうか? 自分だったら「ふざけるな。勝手に決め付けるな」と感じる。さらに「Bさんのほうがひどい目にあっているとして、どうして、(それが)自分が相手をゆるす理由になるのか?」と思う。

で、DさんとEさんがいて、Dさんは、両手、両足を切られた人。Eさんは、両手両足を切られて、耳をそがれた人だとする。そうした場合、「Bさんより、Dさんのほうがひどいことをされている。だから、Bさんは、あいてをゆるすべきだ」と言うのだろうか? あるいは、「Bさんより、Dさんのほうがひどいことをされているから、もっとひどいことをされている人がいるということを考えて、自分がされたことについては、きらめるべきだ。いつまでも気にするべきではない」とCさんがBさんに言ったとする。そうしたら、Bさんはどう感じるだろうか。

で、「DさんとEさんをくらべると、Eさんのほうが、ひどいことさをれている。だから、Dさんは、両手両足を切られたことについては、あきらめるべきだ。相手(加害者)を恨んでいてもなにもいいことはない」と、CさんがDさんに言ったとする。Dさんはなにを思うだろうか。


Cさんは何様なんだろうと僕は思う。「もっとひどい人がいるということは、相手(加害者)をゆるす理由にはならない」と僕は思う。


さらに、もう一度しつこく言っておく。
人間界の出来事だから、人間同士のことだから、「一方が一方的に悪いということはない」ということはない。「一方が一方的に悪いということはない」というのは、ようするに、やられた人と、やった人がいたとすると、やった人が一方的に悪いということはなくて、やられた人にも責任の一端がある」という考え方だ。ようするに、「スキがあるからわるいんだ」とか、そういう考え方だ。そして、結果論だ。事件が生じたら、やられた方にも、かならず、責任の一端があるという考え方だ。これは、「かならず」だ。すべての事件において、かならず、やられた方に「責任の一端」があることになるのである。
で、はっきり言う。「やられた人にも責任の一端がある」場合はある。しかし、それがすべてではない。「やられた人には、責任の一端もない」場合もある。なぜ、事柄、あるいは事件が生じたら、……つまり「やられた」「やった」という関係が生じたら、「やられた」ほうに、かならず、責任の一端があると考えるのか? その根拠はなにか? 「かならず」「すべての場合において」やられた方にも責任があると考える根拠はなんだ?

人間関係が生じたから? 人間界の出来事だから? 相手がいる話だから? 人間同士の話だから? 

どうして、人間関係が生じたから、「かならず」「すべての場合において」やられた方にも責任があると考えるのか? 俺にはさっぱりわからない。






わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。