2023年2月25日土曜日

こういうことの繰り返しが、「つかれ」や「たのしめないこころ」につながっている

 なんか知らないけど、もう、いいわ。俺……。あーー。もう、いいや。

もう、つかれたな。

また、ネズミのことを考えていた。俺は、殺したくなかったんだ。特に、窒息させるのはいやだったんだ。けど、空気穴をあけてやると、そこから、細菌や寄生虫がでて、俺が病気になる可能性があった。ほんとうは、穴をあけてやりたかった。けど、やっぱり、その袋を置いておくところがない。そとに置くしかなかったのだけど、外に置くと、その空気穴から、ハエがはいったりすると、うじがわいて、たいへんなことになる。カラスや猫が、袋を破いて、食べてしまうかもしれない。きれいに食ってくれるならいいけど、そうはいかないだろう。

だから、工事をしようと言ったのに……。だから、「親父が病気になって入院したら俺が捨てることになるから、工事をしよう」と言ったのに……。「俺がネズミシートを捨てるからいい」とおやじが言って、ゆずらなかった。頭がおかしいから、会話になってないんだよな。「(おやじが)入院したらこまるだろ」……「ニュウインシナイヨ!!ニュウインシナイヨ!!ニュウインシナイヨ!!」と発狂して絶叫。

「(おやじが)死んだらこまるだろ」……「シナナイヨ」「シナナイヨ」「シナナイヨ」「シナナイヨ」と発狂して絶叫。「俺がネズミシートを捨てるからいい」と親父が発狂して絶叫。発狂して、絶叫。話にならないんだよな。こまるんだよな。けっきょく、入院して死んだわけだ。俺が、ネズミシートを片づけなきゃならないことになっただろ。ネズミが、ネズミシートの上で死んでいる場合はいいんだよ。生きているときは、こまるんだよ。俺は、そういうことをしたくないんだよ。したくないから「親父が病気になって入院したら俺が捨てることになるから、工事をしよう」と言ったのに……。

「シナナイヨ」「シナナイヨ」「シナナイヨ」「オレガカタヅケルカライイ」「オレガカタヅケルカライイ」と、よだれをたらしながら、真っ赤な顔をして、絶叫している姿を見て、どう思うよ? ネズミの糞が散らかった部屋で……。

こういうことの繰り返しが、「つかれ」や「たのしめないこころ」につながっている。「元気だ元気だ」と言えば元気になるか? 「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるか? 「死なないよ」「死なないよ」と言えば、死なないからだになるか? 

++++

ちなみに、親父のネズミシートに対する態度と、兄貴のヘビメタに対する態度がまったくおなじだ。親父の場合、「反対語を叫ぶ・バージョン」と「無口・バージョン」があるのだけど、兄貴の場合は「無口・バージョン」しかない。けど、「反対語を叫ぶ・バージョン」と「無口・バージョン」の内面的なこころの動きはおなじだ。まったくおなじ。おなじ過程。相手の言っていることを無視して、頑固に、顔を真っ赤にしてやりきるけど、やったつもりがぜんぜんないのだ。まっーーったく、まーーっっったく、ない。だから、そういうところが、「普通の人」にはわからないのである。普通の家で育った人にはわからない。普通の家族のもとで暮らしている人には、まったくわからない。なので、言っても信じない。こっちがそういうふうなことを説明しても、感覚としてわからないし、経験としてわからないから、説明された人は、信じない。経験がないのである。家にいる気ちがいが、どういうふうにくるっていて、どういうふうな主張して、どういうふうな態度で、どういうふうな行動をするのかわかってないのである。なので、「ぼくが」へんなひとだと思われてしまうのである。説明をしている人がへんな人だと思われてしまうのである。へんな家族の説明をしている人が、へんな人だと思われてしまうのである。こんなの、ない。そして、きちがい家族のほうは、感覚器を書き換えて、ほんとうにつもりがないままやっているのである。だから、本人としては、それが終われば、終わった瞬間に、「やった」という記憶がないものになってしまうのである。「やったつもりがないこと」になってしまうのである。だから、何万回もめても、一回ももめてない状態で、本人はやってしまうのである。なら、「言えば」やめてくれるのかというと、きちがい的な意地でやって、やめてくれない。「やめなかった」という記憶がない状態なのである。「相手がやめてくれ」と言ったのに、「やめてやらなかった」という記憶がない状態で生きているのである。毎日毎日、やりきるのに、毎日毎日「やってやらなかった」という記憶がない状態で生活しているのである。しらんぷり、だよ。けど、この、しらんぷり、というのが、病的な知らんぷりなのである。きちがい的な知らんぷりなのである。普通のしらんぷり……あるいは、「の」が重複するけど……普通の人の知らんぷりというのは、しっているのに、しらんぷりなのである。きちがい兄貴と、きちがい親父の場合は、ほんとうに、しらないのである。きちがい的な意地で、やりきるのに、しらない。「やめてくれ」と言えば、真っ赤な顔をして、発狂してやりきるのに、しらない。やってないつもりのまんま。やっているさいちゅうからやっているつもりがない。まったくない。まったくない。こういう毎日なんだぞ。「言えばわかってくれる」「ちゃんと説明をしないのが悪いんだ」と言われるのである……。俺が……。そして、「しずかにさせることができなかったのなら、自己責任」と言われるのである。俺が……。きちがい家族にやられてこまっている俺が、きちがい家族にやられてこまったことがない人に、わかったようなことを言われる。説教される。そういうことになってしまうのである。「健康管理ができないのはだめだ」「健康管理能力がない」と言われるのである。俺が……。「朝、起きられないなんてというのは、あまえだ」ときちがいヘビメタ騒音に毎日さらされたことがないやつが言うのである。おまえ、どれだけ、つらいと思っているんだ」と言ってやりたくなる。こういうやつに言ったって、(相手は)ヘビメタ騒音の毎日をほんとうに経験したわけじゃないから、ヘビメタ騒音が鳴ったって、俺なら、遅刻しないで通勤通学ができるという前提でものを言ってくる。「そんなのは、関係がない」「そんなのはあまえだ」『俺だって、騒音ぐらいある』『俺だって、朝、つらいときはある」……と言う。けど、その人(僕にそういうことを言った人)は、普通の家族と住んでいて、きちがいヘビメタ騒音を実際に、聞かされているわけではないのである。毎日毎日、自分がこの世で一番嫌いな音を、あの音圧で、あの音のでかさで、聞かされているわけではないのである。

+++++++++++


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。