2023年2月16日木曜日

「プラス言葉をつかうと、いいことを引き寄せることができる」ということについて

これが、めちゃくちゃに、しんどいことになるのだけど、どうしても言っておく必要があるかなとは、思う。けど、俺にしたって、これをうまく説明できるのかわからない。これ、ほんとう、ためいきがでるよなぁ。

たとえば、こういうことを言う人がいる。
 

++++++++++++
「楽しい。うれしい。ありがとう。ついている」という言葉をつかうと、そういうことをもっと引き寄せることができる」
+++++++++++

これは、よく言われていることだ。みんな、そうだと思うだろ。みんな、その通りだと思うだろ。けど、ちがう。ちがうけど、大多数の人にとっては「真実」なのだ。気分的に真実なのだ。だから、うけがいい。けど、こういう発言は、二項目文とおなじで、生まれの格差・下の人には成り立たない。特に、生まれの格差(親)下の下の人には成り立たない。事実ではないのだ。「真実」ではない。環境の差を無視して、ただ単に「楽しい。うれしい。ありがとう。ついている」というような言葉を使えば、そういうことが引き寄せられると言うことは、あんまりいいことじゃない。というか、どうして、生まれの格差を無視してそんなことが言えるのだと思う。これは、まあ、特殊な感じ方だ。たとえ、この言葉が、生まれの格差・上と生まれの格差・中の人にとっては、「真実」であろうが、生まれの格差・下の人にとっては、真実じゃない。むしろ、これらのことを実行してしまうと、みじめな気持になり、健康にもわるいのである。しかし、たとえば、こういう言葉を言う人たちは、「すべての人にとって」正しいと思っている。自分の言葉は、すべての人にとって真実だと思っている。「楽しい。うれしい。ありがとう。ついている」という言葉を使って不幸になる人がいるとは思ってない。思ってないということが、生まれの格差・下の人にはわかる。どういうことかと言うと、生まれの格差・下の人は、「楽しい。うれしい。ありがとう。ついている」という言葉をつかうと、そういうことをもっと引き寄せることができる」と思っている人たちが、生まれの格差下の人にも、当然そういうことが成り立つと思っているということが、「わかる」。けど、それが、ほんとうにちがうのである。どういうことかと言うと、生まれの格・下の人の場合、「楽しい。うれしい。ありがとう。ついている」という言葉をつかうと不幸を引き寄せてしまうのである。それは、その人の性格の問題ではなくて、その人の受け止め方の問題でもなくて、ただ単に、「まわりにいる人の」性格の問題なのである。きちがい的な頭を搭載して、ぶつかってくる人が家族のなかに何人もいる場合、きちがい的な頭を搭載して、ぶつかってくる人に「かこまれて」生活していることになる。『「楽しい。うれしい。ありがとう。ついている」という言葉をつかうと、いいことを引き寄せることができる』と思っている人たちは、ほんとーーに、ほんとーーに、ほんとーーに、そういうことについてわかってない。まわりにいる人が重要なのだ。まわりにいる人って、一種の「環境」なんだよ。環境のちがいで、ぜんぜんちがうということが、ほんとーーに、わかってない。 


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。