2023年2月10日金曜日

ストレス反応は、身体を維持するために必要なしくみなのである

走っている人に向かって、走ってない人が「ぜいぜい息をする必要はない」と言っているようなものなんだよ。走っている人に向かって走ってない人が「くるしいと思う必要はない」と言っているようなものなんだよ? ヘビメタ騒音でくるしい俺に、ヘビメタ騒音でくるしくないだれかが、「睡眠は制御できるので、睡眠障害になる必要はない」と言っているようなものなんだよ。ヘビメタ騒音でくるしい俺に、ヘビメタ騒音でくるしくないだれかが、「ヘビメタ騒音が鳴っていても、くるしく感じる必要はない」と言っているようなもなのだよ。ヘビメタ騒音でくるしい俺に、ヘビメタ騒音でくるしくないだれかが、「つかれる必要がないから、つかれる必要はない」と言っているようなものなんだよ。

走っているとき、呼吸がくるしくなって、「くるしい」と感じたとしよう。くるしいというのは、気持ちの表現だ。あるいは、走っているとき、呼吸がくるしくなって、「つらい」と感じたとしようつらいというのは、気持ちの表現だ。とりあえず、感情的な表現と身体の物理的な反応をわけて考えるとする。「くるしい」「つらい」そういうのは、感情的な表現だ。いっぽう、身体の物理的な反応というのは、身体の分子的な運動によってもたらされる反応だ。原子的な反応も、分子的な反応の中に含まれているとする。身体が正常なら、そういう刺激に対してそういう反応があるのである。これは、意識的な意志が制御できるものではない。走ろうとして走っているのだから、意識的な意志は、走るという善的な行為に影響をあたえている。あたえているのだけど、身体の反応すべてをコントロールできるわけではない。「くるしい」ので、走るのをやめるというのが身体の反応に対するひとつの答えだ。「くるしい」と感じるのは重要ことだ。神経がブロックされていて、「くるしい」と感じることができなかったら、走って死んでしまう。ちゃんと、そういうしくみがあるから、意識的な意志の爆走を制御している。意志をうみだす脳みその部分とそれ以外の脳みその部分、神経、感覚器をわけるとすると、意志をうみだす脳みそ以外の脳みその部分、神経、感覚器が意志をうみだす脳みその爆走をふせぐように働いているのである。ストレス反応は、身体を維持するために必要なしくみなのである。全体的なしくみなのである。この全体的なしくみのなかに、意識的な脳みそが含まれているわけで、意識的な脳みそが、それ以外の脳みその部分、神経、感覚器を完全にコントロールしているわけではない。したがわせているわけではないのだ。けど、根性論の人や、努力論の人や、人に向かって「どんな状態だって、まるまるはできる」と言ってしまう人は、こういうことがわかってない。しかも、他人に言う場合は、自分のことではないので、他人の状況を簡単に無視できるのである。無視すれば「ない」のとおなじだということになってしまう。しかし、他人のからだのなかでは、全体的なしくみが、意識的な意志に影響をあたえている。影響は、無視できない。勝手に無視して、話をするな。

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。