2023年5月2日火曜日

兄貴は、インチキ行為をしているのに、自分がインチキ行為をしているということを知らない

  何万回、ぶつかったって、「なにもやってないつもりでいる」。

こういう態度が、どれだけ人をいらだたせるか、わかるか?

知ってはいるけど、お芝居で、すっとぼけているのではないのである。知らないのである。何万回ぶつかっても、何万回、「そのこと」でもめても、知らないままなのである。こんなのない。気ちがいしか、そういうことは、できない。

ほかの家には、そういうきちがいがいなので、ほかの人は、そういうタイプのきちがいに関する理解がない。

だから、「知ってはいるけど、お芝居ですっとぼけている人」のことを想像してしまう。俺がきちがい兄貴ついて話しているとき、「知ってはいるけど、お芝居ですっとぼけている人」のことを想像してしまう。

けど、「知ってはいるけど、お芝居ですっとぼけている人」は正常な人で、「知らないし、すっとぼけてもない人」は異常な人なのである。ほんとうは知っているけど、わざと無視してやっているわけではないのだ。このちがいはでかい。

何万回、ぶつかったって、「なにもやってないつもりでいる」。何万回、もめても、何万回、「なにもやってないつもりでいる」。本人の主観としては、本当になにもやってないということになっている。けど、もちろんやっているし……もめたときは、その都度、怒っている。怒っているって、きちがい兄貴が怒っているということだからね。もちろんこっちも怒っているけど……。

きちがい兄貴だって、騒音でこまる場合があるのだから、騒音でこまるということはわかる。自分だって、自分が鳴らしている音ではなくて、他人が鳴らしている音なら、ヘビメタ騒音の半分ぐらいの音だって「うるさい」と言って怒るわけだし、うるさいから、自分がやっていることに集中できないという経験があるので、うるさいと、自分がやっていることに集中できないということは、わかっているはずなのだ。

うるさくて、勉強しに集中できず、あたまにくる……うるさいから、あたまにくるという経験は、きちがい兄貴だってある。けど、自分が思いっきりでかい音で鳴らしたいなら、それは、全部、「ない」ことになってしまうのである。そんなことは、この世には「ない」ということになってしまうのである。人間は、そういうふうにできて「ない」ということになってしまうのである。

こういう根本的なところから、否定している。しかも、否定しているつもりがないのだ。これも、意識して、否定してやろうと思って否定しているということではないのだ。

きちがい兄貴は、ヘビメタが好きなきちがい兄貴の友達が「こんな音で鳴らして、だいじょうぶなの」と訊いてくるような音で鳴らしていても、まったく気にしないのだ。気にしないとなったら気にしない。

自分だって、自分が勉強しているときに、他人が、ちょっとでもうるさい音を鳴らせば、腹をたてるくせに、自分が思いっきり遠慮せずに、でかい音でヘビメタを鳴らしたいとなったら……まるで、きちがい親父のように ……そういう普通なら絶対にわかることを……無視してしまう。

「ない」ことになってしまう。

これも、理解してないふりをして、やりきってやろう……と思ってやっているわけではないのだ。普通の人の場合、どれだけ逸脱行為をしている場合でも、自分がやっていることは知っている。

知っているけど、知っているということは、無視してやっているのだ。ようするに、知らないという芝居をして、押し切ろうとする。

ところが、きちがい兄貴の場合は、まったくちがう。ほんとうに、知らない。きちがい的な意地でやっているのに、知らない。やっている最中も、文句を言われたときも、知らない。知らないわけがないんだよ。だから、そういうところで、おかしいわけ。

*     *     *

たとえば、ふつうは、インチキ行為をしている人は、自分がインチキ行為をしているということを知っている。

けど、きちがい兄貴は、インチキ行為をしているのに、自分がインチキ行為をしているということを知らない。そういう、二十年間なり、三十年間なんだよ。実際に鳴らしていのは、十五年間だけど。

*     *     *

たとえば、きちがい親父が、粕漬のついた魚の切り身を、テーブルの上に出しっぱなしにすることにこだわったとき、酒糟のついた魚の切り身で、部屋中が、くさかった。ほんとうに、部屋中に、においが充満して、くさかったの!!

けど、きちがい親父は、無意識的なレベルで、くさいということを認めると、自分が酒糟のついた魚の切り身を、片づけなければならなくなる……テーブルの上からどかさなければならなくなるというとを知っていた。

だから、無意識的なレベルで、臭覚を遮断して、「くさない」と言うのだ。「くさくない」「くさくない」と言って、部屋中がくさくなっているということを認めなければ、テーブルの上から、魚の切り身をどかさなくてもいいということになる。

普通の人は、無意識的なベルで、くさいということを認めないということができない。普通の人は、無意識的なレベルで「臭覚」を遮断することができない。普通の人は、「くさい」ということを知っている状態で「くさくない」と嘘をつく。嘘をついているということを、普通の人は、知っている。

けど、親父は、知らない。自分が嘘をついているということを知らない。きちがい親父の、魚の切り身に対する態度は、そういう態度だ。「におっている」ということを認めてしまうとまずいことになるので認めない。普通の人なら、「におっている」ということを認めてしまうとまずいことになるので認めない……ということを「知っている」。

自分でやっておいて知らないなんてことはない。

ところが、親父は、器用に、無意識的なレベルでこの認知を遮断てしまう。そういうことをしているのに、そういうことをしてないということになる。事実くさくないから、くさくないと言っているということになってしまう。こういう倒錯が成り立っている。

で、きちがい兄貴の場合もおなじなんだよ。きちがい兄貴の場合は、「聴覚」を部分的に遮断してしまう。「うるさい音で鳴らしている」「でかい音で鳴らしている」ということ自体を認めない場合は、聴覚自体を、無意識的なベルで部分的に遮断してしまう。

聴覚の遮断と言っても、きちがいヘビメタは聞こえているわけで、音のでかさに関する遮断だ。「音」を遮断したのではなくて、「音のでかさ」にかかわる感覚を遮断した。一〇〇デシベルぐらいの音を、二八デシベルぐらいの音だと思ってしまう。そういう感覚のマヒ。まあ、「遮断」と言うよりも「書き換え」のほうがぴったりくるかな。聴覚を、無意識的なレベルで、書き換えてしまう。

だから、聴覚障害者ではないのに、一時的に、聴覚障碍者になってしまう。 まあ、もっとも、自分が鳴らしていたヘビメタがあまりにも、でかかったので、ヘビメタ難聴になったのだけど、それは、あとの話だ。ヘビメタを鳴らし始めたときは、別に、ヘビメタ難聴ではなかった。

きちがい兄貴は、ヘビメタを思いっきり、でかい音で鳴らしたかった。ここのところで、譲歩するつもりがまったくないのである。

ようするに、でかい音からでかくない音にかえるつもりが、まったくない。

きちがい兄貴は、ヘビメタを思いっきりでかい音で鳴らしたかったので、でかい音で鳴らしているということを認めなかった。ようするに、きちがい親父とおなじように、無意識的なレベルで感覚器を遮断したのだ。

だから、どれだけでかい音で鳴らしていても、きちがい兄貴にとっては、でかい音で鳴らしていることにならないのである。

細かく言えば、意識的なベルのきちがい兄貴にとっては、「それ」は、でかい音ではないのである。

どれだけ、でかい音で鳴らしていても、意識的なレベルの兄貴は、でかい音で鳴らしているということを認めないし、事実、でかい音で鳴らしているという認識がない。

でかい音で鳴らしているという認識もなければ、おとうとに迷惑をかけているという認識もないのだ。これは、どれだけ言われたって、認識がないまま、生き続けるということになる。普通に生活するということになる。

その普通の生活のなかには、でかい音で鳴らしているのにでかい音で鳴らしてないと思って、でかい音で鳴らすという行為が含まれている。

どれだけ、言われたって、それはかえない。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。