底辺労働者なのに、不動産投資で成功したという週刊誌の記事があったとする。まず、重要なのは、週刊誌にのるほど、レアなことだということだ。レアなのである。
たとえば、底辺労働者になっていた人……が、生まれの格差「下」の人だとする。そうすると、生まれの格差「下」の人でも、成功できるということになる。しかし、記事自体が嘘である可能性がある。だから、以下の話は、記事自体は嘘でないという前提で書く。
もし、記事自体が嘘でないならば、記事になるほどレアなのだから、たいていの人は、成功しないというのが、現実だ。
たとえば、生まれの格差「下」で成功する人が、一〇〇万人にひとりいるとする。その場合、九九万九九九九人は、成功しないということになる。九九万九九九九人は、だめな人だということになってしまうのである。
成功できるのに成功しないとしたら、それは、個人の素質の問題だ……ということになってしまうのである。成功できるのに失敗したのだから、失敗した人は、努力がたりなかったのだろう……ということになってしまうのである。生まれの格差「下」の人でも成功する人がいる……だから、生まれの格差と成功率は関係がないということになってしまう。
けど、この理論は、まちがっている。生まれの格差「下」一〇〇万人のうち、九九万九九九九人は、だめなのであれば、それは、生まれの格差「下」と、成功しないということには、強い相関関係があるということだ。生まれの格差と成功するかどうかは関係ない……なんてことは言えない。生まれの格差と成功率が関係ないとは言えない。むしろ、関係があると言える。強い相関関係があると言える。
「なにを言っているんだ?」という話だ。
そして、こういう記事には、「不動産勉強会のまるまるまるに入ったら、そこのみなさんはみんな成功していたので、自分も入って勉強したら成功した」というようなことが、ごく自然に記述されていたりする。
これは、不動産勉強会のまるまるまるの強力な宣伝になる。おカネがないから、おカネをもうけたいという人たちは、不動産勉強会のまるまるまるにたいへん強い興味をもってしまう。自分も、入って勉強したら、お金持ちになれるのではないかと空想してしまう。なれればいい。
けど、宣伝にはなっているということは、注目するべきだ。そして、そういうことに注目することができない人間は、あんまり投資にはむいてない人間だと、ぼくは思う。
こういう記事全体が不動産勉強会のまるまるまるの、ものすごくうまくできた宣伝になっているということは、いちおう、認識しておかなければならない。
だって、そうでしょ。もし、記事を読んだ人が不動産勉強会のまるまるまるにはいって勉強をしたいと思うなら、それは、そういう動機をあたえたということだ。宣伝としてよくできていると思うよ。
メディアというのは、DSメディアだ。こういう紹介記事はいくらでも書ける。成功話ひとつのうしろに、どれだけのしかばねが横たわっているか、わからない。こういうのも「コツコツ努力すれば、どれだけ条件が悪くても成功する」ということのひとつの例だ。ほんとうかどうかわからないけど、そういう例になる。
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付け足して言っておくと『そこのみなさんはみんな成功していたので……』というような文言を聞いたとき「おかしいな」と思うセンスが必要だ。『みんな成功している』……これは、どちらかと言えばおかしいことだ。時代が時代だから、みんな……不動産投資をした人は……だれもが成功するという場合はある。可能性はある。けど、確率は低い。猛烈に低い。『その会の人がみんな成功している』……これは、警戒するべき文章だ。可能性はあるのだから、否定はしないけど、たいへん確率が低いことがおこっているという認識は必要だね。さらっと聞いて、さらっと『そうなんだな』と思ったら、だめだめーー。