ほんとうに、みんな、わかってないなぁ。あの子と、普通に、つきあいたかったな。きちがいヘビメタが鳴ってない、普通の気持ちで、普通につきあいたかった。あのとき、つきあったとしてうまくいったのかな。
ともかく、一八歳のときには、もうだめだったんだよね。中学、高校の六年間がでかいわ。フルの音で、毎日、土日も含めて、極限まで鳴らされた。一八歳になったときには、もうからだがこわれていた。到底無理なんだよな。通学も通勤も、到底、無理なからだになった。この「無理なからだになった」というのは、小学六年生から高校三年生までの七年間で、めちゃくちゃに、あきらかなことなんだよ。ぼくにとっては、めちゃくちゃにあきらかなことなんだよ。けど、その七年間がない、ほかの人にとっては、ぜんぜんあきらかなことじゃない。その差がでかい。こんなの、七年間毎日、俺とおなじ状態で暮らさなければわからない。どれだけ、むりな状態になるか、実際に毎日毎日、おなじぶん量のヘビメタ騒音をあびなければ……あびてくらさなければわからない。わからない。わからない。わかるわけがない。ほんとうに、聞いただけの話と、毎日、一倍速で体験していることとは、ちがう。ほかの人には、まったく「必然性」が見えない。自分のからだに起こっていることじゃないからな。実際に、一倍速で、毎日、経験してみなければわからないよ。どれだけ、からだに影響が出るか、わからない。どれだけ精神に影響が出るかわからない。どれだけ、他人との人間関係に影響が出るかわからない。
必然性が見えなければ、勝手に無視したり、過小評価して、七年間、あびせられた、俺のからだではむりなことを要求しくる。だから、人間関係がめちゃくちゃになる。それだけでなく、実際に睡眠回路がこわれると、いろいろなトラブルが発生する。いつも、騒音でくるしいと、精神的においつめられているので、いろいろなトラブルが発生する。いつも、騒音でくるしいと、注意力がなくなって、いろいろなトラブルが発生する。
「俺ならだいじょうぶ」と思っているやつは、必然的に、俺を「なめてくる」。なめてかかってくる。そうなる。